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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館 すべての写真の著作権はCAROLにあります。個人で楽しむ以外は無断使用を禁じます仕事の打ち合わせで箕面の方へ行って来た。間近に迫る北摂の山並みのなんと美しいことか。赤、黄、緑のまるで錦織りを想わせる。それもそのはずでもうここから箕面の滝は車で10分の所である。箕面と言えばまず頭に浮かぶのが紅葉であり滝であり、そして猿。それからもう一つ、もみじの天ぷらを忘れてはいけない。「名物にうまいものなし」と言うが私はなぜかもみじの天ぷらが大好きなのだ。関西の人には馴染みが深いがそれ以外はあまり知られていないらしい。天ぷらといってもご飯のおかずに成るわけでなく、お菓子といった方がいい。それもかりんとうの様なもので、中国のマーファににている。ゴマの入った衣に菜種油であげた素朴なお菓子で、もみじも1年以上塩漬けにした物を使う。歴史は古く役の行者が修験道場を訪れた人に振る舞ったと言うからもう1300年の伝統があるわけでそれだけに関西では有名な一品である。これがなぜか食べ出すと止まらないのだ。もみじの味よりもかりんとうの味が勝っているこのお菓子、揚げたてを箕面の紅葉を見ながら食べるのもいい。もみじの天ぷらを食べたかどうかは知らないがあの野口英世も母親と一緒にこの地に訪れて、天下一の紅葉を楽しんでいる。・・・ふと仕事に向かう車の中で北摂の錦秋の山並みを見てそんなつまらない事を考えていた。紅葉とはかけ離れて少し俗っぽいが箕面の龍安寺は江戸時代に寺社などで流行った富くじ発祥の地でもあり宝くじの発祥の地とされている。そちらの方に心血を注いで居る人あらば一度、お参りに行くといいかもしれない。
2007.11.30
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館 すべての写真の著作権はCAROLにあります。個人で楽しむ以外は無断使用を禁じます雨に濡れながら新聞配達を懸命に励む青年を見ると「つらいやろなぁ・・」と思ってしまう。と同時に自分の幼い頃の映像とだぶるのである。小学校四年の頃か、朝刊の配達のアルバイトをしたことがある。どうしてもこずかいが欲しくて親にも言えずそれなら自分で稼ごうと思った。当時の月収は7,000円だった様な気がする。朝四時に起きて冷たい空気を顔で切りながらチャリンコで販売店までいくともうそこは男たちが喋らず黙々と裸電球の下で仕事をしている。ただ聞こえるのは新聞の切れる音と店長の咳払いのみである。自転車で配達出来るのは中学生からであり、小学生ごときはいわゆる昔ながらの新聞配達の少年の姿で小走りに手際良く配るのである。分厚いチラシ入りの日は嫌だった。何しろ重い、肩に紐が食い込む。雨の日はもっと大変である。入って早々大雨の日に悲劇は起きた。新聞紙のバランスが悪かったのか体の後ろから全部滑り落ちてしまった。新聞紙は雨に濡れてびしょびしょである。一瞬頭の中が真っ白になり、ただ呆然とする自分がいる。店長と従業員の二人が飛んできたがほとんど配っていない今日の朝刊がびしょ濡れになり民家の軒先に無造作に積んでいた・・・それをするのが精一杯であった。俺は泣いていた。ずぶ濡れになり泣いていた。店長は笑顔で「泣かんでええ!心配すんな。」もう一人の若い従業員も笑いながら「気にせんでええ」二人もずぶ濡れになりながら後かたずけをしている。それから二人は他の販売店を必死に回って枚数を確保してくれたのだ。嬉涙がまた流れてきた。小学校四年といえども人の情は心に浸みるほど解るものだ。それから約三年間、最年少の私は店長を始め皆に可愛がってもらい、我が息子のように接して頂いた。辛くても続ける事ができたのは、今から考えると仕事はやはり上に立つ人間の魅力で好きにもなれるし嫌いにもなると言うことだ。人生が大きく変わってしまう。小さな下町の新聞舗のオヤジさんは今でも元気に老体に鞭を打って頑張っておられる。そう魅力のある人間はやはり顔がいいものである。
2007.11.22
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館 すべての写真の著作権はCAROLにあります。個人で楽しむ以外は無断使用を禁じます今年の11月から"家族の日"とやら、ちょっときな臭い日が出来る。もちろん祝日ではなく、11月22日か11月23日あたりが有力とか、今月のことなのにまだ日にちも決まっていないとはやや失笑してしまう。少子化対策、家族団らん、地域行事への参加などに積極に参加して欲しいと言ういわゆる官製記念日である。確かに家族団らんなどは死語に近く、家族でそろって夕食をする家庭が少ないのも事実で、私が驚いたのは1月1日に全員家族がいるのにかかわらずそろわない家庭が40%もいるらしい。なぜこんなに殺伐としてきたのか・・・。私の考えではおそらくコンビニの出現あたりからどうも胡散臭い。24時間営業、365日無休、それにつられて大手スーパーが元旦から店を開け出す。それを見た百貨店がまたまた2日からあけ出す。もちろん店が開いたら従業員は仕事に出なくてはならない。そこまでして家族を犠牲にさせるスーパーや量販店の罪は大きい。某大手スーパーなどは、我社はいかにも環境にやさしい、地球にいいことをうたっているが実際彼らがやっていることは全く正反対のことをいかにも正しいかのように言っているだけで一日中電気をコウコウと照らし、冷房をガンガン冷やし、売れ残った物はまだ充分食べられるにもかかわらず惜しげもなくゴミ箱入りである。車でしかいけない様な郊外型の大型店を懲りずに出店している。そんな連中がレジ袋有料化を叫ぶ・・・笑わせるなと言いたい。原価2円のレジ袋を5円~10円で売るらしい。レジ袋で商売するとは片腹が痛い。日本の正月風景を破滅させ、正月の家族の風景を殲滅させた彼らの許し難い大罪である。あるコンビニは24時間営業を辞めることが決まった。採算の問題らしいが、理由はともあれそれの方がよっぽど環境にいいし、青少年の教育上にもいいのである。年中無休、24時間営業などもはや時代遅れの恥ずかしい商法である事がまだ気がつかないバカな経営者がいるらしい。昭和30年代を舞台にした「三丁目の夕日」がヒットしているのも貧しくても、家族に絆があり、人間の温かみが滲み出て皆が共感出来からだろう。もはやこんな時代には後戻りは出来ないがただ日本の美しい文化と伝統だけは守って行きたい。やがて来る官製"家族の日"とやらに苦虫を噛みながら、社会の仕組みに憤懣やるせない、私のささやかな反骨的精神である。
2007.11.16
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館 すべての写真の著作権はCAROLにあります。個人で楽しむ以外は無断使用を禁じます大学の助手時代に共に悩み、励ましあった友がいる。お互い配置された学部は違ったものの同じ学科を出た同期である。彼は恐ろしく頭のいいやつでどんな問題でも理路整然と説いていく。いつも彼の頭の中はどうなっているのかと感心しきりであった。ただ少し世間知らずの所があって時々私を唖然とさせたものである。そんな彼と夕方には集まって今日の授業の反省をするわけだが口を開くと諸先生の批判が機関銃の弾の様に連射され、糾弾する。彼の批判はもっともで私も同調する一人の同志だ。声が大きく、実名がポンポン出るその口先は返って敵をつくり取り返しのつかない事になりかねない。予想は的中し数日後二人は数人の教授に呼ばれこっぴどく叱られたものである。がしかし彼はその"口撃"にはひるまず反撃に出たのである。彼に立ち向かえる理論武装家など誰もいない。教授たちは茹で蛸の様に真っ赤になり激怒した。彼は助手歴12年、この大学を知り尽くした男である。相手の客論を撃破する爽快感は彼の強みでありまた弱みであった。また12年間助手に甘んじている意味もそこにある。要するに上から見れば出来すぎて可愛くないのである。正倉院の古代の染織を復元したり、古代ペルーの貝紫の染料の研究など助手といえども日本で彼の右に出るものはいない。しかしこれほど出来る男を世間は捨ててはいなかった。自ら母校に三行半を叩きつけ、自ら沖縄へ行ってしまったのである。数ヶ月後、再会した彼はなんと国立琉球大学教育学部の講師に採用されていた。彼のしたずみの苦労を考えると正直嬉しかったもので、数年後、教授に昇格、琉球大学始まって依頼の若さの抜擢であったという。今、染織の研究で世界中を飛び回っている。しかし世の中、捨てる神があれば拾う神あると言うことで人生どんなきっかけで変わるか解らない。毎日の行動を天が見ている、おろそかに生きてはならないと言うことか・・・肝に命じておこうと思う。
2007.11.04
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館 すべての写真の著作権はCAROLにあります。個人で楽しむ以外は無断使用を禁じます田中一村という日本画家がいた。知っている吾人もおられるかと思うが私はこの田中一村と言う画家に異常な興味がある。今から約20年ぐらい前に偶然にも一人の記者によって脚光を浴びる事になる。人は彼を孤高の画家、日本のゴーギャンとも今では呼ばれるが、そんな生易しく簡単に彼の生涯を語る事はできない。明治41年に栃木県に生まれ、彫刻家の父を持つ彼は幼い時より実力を発揮、神童と呼ばれ東京美大に入学、同期にあの東山魁夷がいた。しかし一村は家庭の事情で3ヶ月しか在籍していない。ここからの彼の生きざまが凄まじい。中央画壇や友人との絵画の激論でことごとく絶交していく。若い頃から自分の才能をひたすら信じ、アルバイトをしながら両親、病人を養ってきた。絵を描きお金がなくなるとまたアルバイトに精を出す繰り返しで、結局何度と日展に出品するも連続で落選する。飢えと闘いながら自分の信念を押し絵をひたすら描いてゆく。彼は50歳になって奄美に移住することになる。ただ一人で・・・トタン屋根の小さな借家を借りて大島紬の染工として働きながら・・・そして69歳で生涯を閉じる。誰にも看取られずに・・彼は生前語っていた「紬工場で、五年働きました。紬絹染色工は極めて低賃金です。工場一の働き者と云われる程働いて六十万円貯金しました。そして、去年、今年、来年と三年間に90%を注ぎこんで私のゑかきの一生の最期の繪を描きつつある次第です。何の念い残すところもないまでに描くつもりです。画壇の趨勢も見て下さる人々の鑑識の程度なども一切顧慮せず只自分の良心の納得行くまで描いています。一枚に二ヶ月位かゝり、三ヶ年で二十枚はとても出来ません。私の繪の最終決定版の繪がヒューマニティであろうが、悪魔的であろうが、畫の正道であるとも邪道であるとも何と批評されても私は満足なのです。それは見せる為に描いたのではなく私の良心を納得させる為にやったのですから。 そして、その繪は全部、又奄美に持ち帰るつもりでもあるのです。私は、この南の島で職工として朽ちることで私は満足なのです。私は紬絹染色工として生活します。もし七十の齢を保って健康であったら、その時は又繪をかきませうと思います。」同期でありながら東山は日本画壇の大御所になり、一方は己の信じるがままに貧しいながらも生涯走り向けた。一村は没後3年にしてようやく世間に認められる様になる。果たしてどちらが画家として幸せだったのか・・・我ら凡人には一概には判断出来ないが一村の様に周りに流されずただひたすらに日本画に打ち込む人生もまた趣があって良いのではないか。http://www.cc.toin.ac.jp/MA/orgn/tanaka/index.html
2007.11.01
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