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テレビがまだ普及していない頃、映画は庶民の楽しみの一つだった。母は無類の映画好きで特に邦画の時代劇ファンであった。市川雷蔵、大川橋蔵、片岡龍之介など主演の映画が封切られると映画館へ愛車の自転車をこいでゆく。私も自転車の後ろの荷台に乗せられ、草履姿で付き合わされる。映画館に入ると思いきや映画館には目もくれず、斜め向かいの長屋の民家に入り込むのだ。中から若い奥さんがニコニコしながら出てくる。その言葉使いからしてどうやら内の母と友達らしい。母は奥さんと世間話をしながら映画の話をしている。話をしながら切符を二枚受け取る。お金はどうやら払っていないようだ。その切符を入り口で渡して映画館に入るのだがどうやらタダで映画を見ていたふしがある。このやり方、どういうからくりがあるのかいまだに解らない。ただ今のチケットとは違って当時はバスの切符の一回り大きなもので切符には映画の名前も日付けも刷られていなかった様な記憶がある。当時のおおらかな世界が垣間見ることが出来る。映画館に入るともうそこはレジャーランドであり家から持ってきたお弁当、お菓子、など食べながらの鑑賞である。何も気にすることは無く、皆そうしていながら映画を見ている。母は橋蔵が大好きだったようで、それは母のささやかな楽しみでもあったに違いない。一時的に忙しい日常生活を忘れさせてくれ夢の世界に浸してくれる。又明日の活力につながる映画は一幅の清涼剤だったのだろう。今、目を閉じるとカラフルなのぼりが立ち並び、屋根の軒には東西の大御所の似顔絵の書いた看板が額に入れられ派手派手しく並んでいた。やがて時代劇が下火になり裕次郎、旭の世界がやってくる。そして私を精神的におかしくさせたゴジラ、ガメラ、ギララの怪獣映画の一次黄金期が到来するのである。
2007.01.30
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もうすぐ節分がやってくる。さすがにもう豆まきのする年ではなくなったがやはり節目だけに心が凛とする。そして翌日は立春である。豆まきもさることながら、関西、特に大阪では昔から恵方巻きといって巻き寿司の丸かぶりがある。最近になってこの行事、全国区の市民権を得るまで浸透してきた。一時はすし屋の売り上げを考えたつまらない行事と冷たい視線を浴びていた。しかし、これは江戸時代から大阪の船場でずっと受け継がれてきたまさしく伝統行事なのだ。それをすし屋、海苔業者がパクッタに過ぎない。我が家では昔から、祖母や母親は朝から一生懸命巻き寿司を作っている後ろ姿を見ている。何本も積み上げられた巻き寿司を見ると子供心にもワクワクするもので黙って中身の干瓢や卵を抜いて食べたものである。見つかるたびに母親に鍋のふたで殴られる。夕食の献立はお皿に巻き寿司が一本、鰯である。それを黙って恵方の方に向かって丸かぶりする。皆が一方方向に喋らず黙々と巻き寿司を食べるにだからちょっと異様に見えるかも知れない。縁を切らない、福を巻き込むといった理由からか決して包丁を入れてはいけないのである。昔の人は特に節分は正月同様大切にしてきた行事で、正月が一年の節目なら、節分は季節が冬から春になる節目である。邪気をはらう重要な日でもある。最近なにやら恵方の方に向かって笑いながら食べるという誰が考えたかわからない"邪道"があると聴いた。益々不気味な光景ではないか。ちなみに今年の恵方はハンフリー・ボガードの"北北東に進路をとれ"である。
2007.01.27
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幼い頃にはラーメンと言う呼び名が無かった様な記憶があるが定かではない。一般には"中華そば"と呼んでいたと思う。それがラーメンとして呼ばれるようになったのは"チキンラーメン"の出現からだと思う。このラーメンは衝撃的だった。熱湯をかけるとわずか3分で出来上がる夢のような食べ物である。チキンラーメン後、ワンタンメン、サッポロ一番、チャルメラなど各社がそろって新製品を打ち出してきた。その中に余りメジャーでない"王様ラーメン"と言うインスタントラーメンがあった。このラーメンの凄いところはなんと当時、すでにかやくがセットされていたことで、お粗末ながらも乾燥ネギ、蒲鉾、椎茸、麩などが入っていたのだ。このアイデアは幼心にも他のラーメン群を圧倒するだけのインパクトがあったもので、それ以来「王様ラーメン、王様ラーメン」と母親にせがんだものだ。その後"サッポロ一番"のスープに乾燥ネギが入り、"出前一丁"にラー油の小袋が付き出した。それを考えると王様ラーメンの偉大さ、先進性が解る。やがてインスタントラーメンブームがやってくるが、各社大手は"駅前ラーメン"、"長崎ラーメン""大阪ラーメン"など新製品を次々出してきた。それと共にあの王様ラーメンは各社新製品に押され店頭から消えていくのである。この"王様ラーメン"の味が何故か今頃になって懐かしい郷愁を呼ぶ。この幼いラーメン評論家の体を気にしてか祖母と母はラーメンは体に悪いと言い出してきた。世間もそんな風潮であった。祖母などは酷かった。ラーメンは体に毒、石油で出来ているなど、もうめちゃくちゃである。何事でも初めて出る商品には皆、敏感で根も葉もないことを、ありも真実の如く言い出す。そんな祖母や母も安全で美味しいものである事がわかるとちゃっかりチキンラーメンを袋から取り出し、生でおやつ代わりにポリポリとかじっていたことを想い出す。
2007.01.24
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最近"おねえちゃん"にあった。昔の面影が少し残っており、今では孫もいるらしい。このサザエさん似の"おねえちゃん"には幼い頃の思い出がある。長屋住まいで内風呂が無く、近くの銭湯へ母親に連れられて行くのだが、もちろん母親と一緒に女湯へと入る。そこにこの"おねえちゃん"がいるのだ。銭湯で働く女性である。まだ独身でやたらと訛りのある大きな声が記憶に残っている。当時は女湯は赤ちゃんが非常に多かった。お母さんが風呂から上がる前に赤ちゃんをこの"おねえちゃん"に渡す。母親から受け取り手際よく赤ちゃんの体を拭き、木綿のオシメをし、ベビー服を着さす。"お姉ちゃん"の仕事は非常に激務である。そんなおねえちゃんは私のよき遊び相手でよく可愛がってくれたもので、そんな銭湯通いは私にとっては楽しみの一つであり、また遊び場であったのだ。湯船は小さながらもプールと同じ感覚なのである。隠しもってきた水中眼鏡を持ってきては素もぐりの練習である。回りにとっては非常な迷惑小僧である。母親には風呂桶で殴られ、エコーの聞いた大浴場は母親の怒った声で響く。風呂から上がっても脱衣場では走りまわりベビーベッドを飛び越える。とうとう頭にきた"おねえちゃん"私を捕まえて、ベビーベッドの下の脱衣入れの箱に閉じ込められてしまった。子供が一人入るぐらいの大きさであり外から鍵が閉められる。「うちのあほたれどこに行った?」「吉本に渡した」こんなありさまの話が聞こえる。もちろんおねえちゃんはおもしろ半分で閉じ込めたに過ぎないが、当時は吉本に売られるということはもう幼い人間にとってはこれほど恐ろしいことは無いのである。私も高学年になり学校の同級生の女の子と会う時があり、さすがに一緒に女湯の湯船に浸かっているのはバツが悪くその後、慌てて男湯に変わったが私がいる事を知っておきながら恥ずかしがらず、妖しい笑みを浮かべる女の子の堂々とした裸体の姿と美貌のお母さんの裸体の姿は情けないことに、この年になってもまだ目に焼きついている。
2007.01.22
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小気味よく小太鼓の音が町内に響く。トン、トン、トン・・・。独特の節回しのある小太鼓の音を聴いたら、いても経っても居られない。親にせがんでもらった貴重な20円を握り締め、玄関を飛びだす。まるで飛び出して来るのを予感してたかのように家の斜め向こう側にオヤジが屋台を止めているのだ。吉備団子屋である。当時5円で一本の吉備団子が買えた。竹串に刺された一円玉ぐらいの大きさの団子が八つ、それを甘いきな粉にまぶしてくれる。吉備団子自体は今から考えるとそれほど美味しい物ではなかったと思う。ただ甘さに飢えていたせいか甘いきな粉は途轍もないご馳走だった。それを二本、両手にもってこの上ない幸福感に浸るのである。口の回りをきな粉だらけにしながら、残り10円でわらび餅を買う。無愛想なオヤジは子供の目から見てもやや汚い日本手ぬぐいで氷の入った冷水の中のわらび餅を手馴れた感じですくい取り、その薄汚れた手ぬぐいで握り締め水分を逃がす。少し干からびたわらび餅はきな粉、砂糖、ゴマ、青のりの順に4種類の入れ物に分けられる。まぶされたわらび餅は、やや大きめの網目の茶越しにかけられる。私はゴマと青のりが特に好きで、オヤジはそれを見抜いていたのか、いつもゴマと青のりは比率的にきな粉に比べて愕然と少ない。今から考えればヘンコオヤジのイケズではなくきっとゴマと青のりはきな粉に比べ高かったのだろう。そう信じてたい・・。杉皮の笹船にのったわらび餅は色とりどりで視覚的にも美しい食べ物であった。その影響を引きずっている訳ではないけれど時々スーパーに行くとパックに入ったわらび餅を買うがどうも昔のわらび餅の粘りがない。どうやら聞くところによると今のわらび餅はジャガイモの澱粉質で出来ているらしい。なるほど、科学の力は素晴らしいと、いやに納得しながら昔食べた粘りある本物のわらび餅の美味しさを懐かしんで想像していたのである。
2007.01.19
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先日、成人式の撮影の依頼があり奈良、秋篠まで行くことになった。今日の晴れの日の撮影、こちらも心地よい緊張感を持ちながら自然と気合が入る。きれいに着飾った娘さんを見ると親御さんでもなくても心から成人を祝いたい。自宅、秋篠寺での撮影が終わるといよいよ成人式会場へと向かった。いやはや噂では聞いていたが凄い光景である。くわえタバコの和装姿のお嬢さんや式典会場の携帯電話、私語・・・。そして大渋滞。何年かぶりの再会で積もる話も解るが来賓の話はマイクを通しても聞こえず、こんな有様ならもはやここまでして成人式をする必要はないかも知れない。彼らにしては"同窓会"なのである。毎年彼らは非難の的になるが主催者の方もどうもこのやり方はいただけない。来賓にどうして市会議員の長々とした祝辞が必要なのか。ひな壇の連中の顰め面を観ているとどうも心のそこから成人を祝っているのか疑問を感じるし、極論ながらもう自治体主導の成人式自体止めてしまった方がいいと思う。昔から15日は成人式であった。それを勝手にハッピーマンディーとか訳の解らない第三月曜日にする無謀極まりない法律の改正で成人式はただの3連休の一部になってしまった。祝日には意味やいわれがあってその日に定められている。無謀な新成人を批判する前にそれ以上に無謀な休日を作ったお上を強烈に批判したい。
2007.01.11
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定かでないがパンと言うものを初めて食べたのは大手の企業のパンではなかったと思う。家の近くにハトやパンという屋号の小さなパン屋さんがあった。店の入り口の上には"ハトヤ"の古ぼけた看板が架かっていた。老夫婦二人で経営しており店主はいい顔の爺さんだがいかにもパン職人の誇りが漲る気骨者である。一方おかみさんのほうも絵に描いたような上品な祖母さんでいつもニコニコしており人当たりもよく、私はそこのパンが大好きだった。そこのパンは毎日、店で焼いているのでいつも香ばしい風味を漂わせ、とても美味しい。ただ品数はアンパン、メロンパン、コッペパン、チョコロールなど数はしれている。いつも決まってコッペパンを買うのである。当時20円か・・・。その買ったコッペパンに10円出せばジャムやクリーム、チョコ、ピーナッツクリームなど好きな物を挟んでくれる。私はこの"システム"が大のお気に入りでいつもチョコかピーナッツクリームを挟んでもらう。日頃この類のものは滅多に口にできないし、とても貴重な味覚の一つである。それを今から考えると懐かしい薄い紙袋に入れてくれる。それを頬張りながら隣の本屋で漫画の立ち読みをする。食べ終わると何故か紙袋を膨らませて両手で紙袋を叩き割る。大きな音が出ればすべてよし。あの店が閉まってもう何十年となるがあれほど素朴で純な美味しいパンは残念な事に不思議と未だにお目にはかからない。最近のパンは日が経っても、やたらと柔らかく、口当たりが良い。でも何故かみたくれは悪いが素朴な町のパンやさんの味を忘れることが出来ない。たぶん今のパンのように添加物が入っていなかったのだろう。焼きたてはファファ、一日も経てばもう硬くなる。これが本当のパンの味かも知れない。小学校の通学路の横に立っていたハトヤパンはいまやマンションの一部となり面影すらない。
2007.01.09
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そのオヤジは毎日母を捉まえてはフクを欲しい、欲しいと言い出したのである。母は戸惑うばかりか、それを知った家族は悩みの毎日を過ごすことになった。今振り返ってもあのオヤジの精神状態が解らない。好きになったから欲しい・・。お菓子や饅頭でもあるまいし、はい。解りました。といえる問題ではない。オヤジは独身の息子と二人暮らしでもともと一頭の犬がいる。近所でも少し変わり者で通ってたがそれに輪をかけたように息子の方が時々目を疑うような行動を取っていた。私も小学生ながらドキッとする場面に何回か遭遇しただけにフクがそんな変わり者の家に行くことに猛烈に反対したことを覚えている。涙を流しながらの抗議も受け入れられず、毎日執拗な懇願に母や父は負けてしまったのだ。「あのおじさんならフクを可愛がってくれる」「近所やからいつでもフクにあえる」とか説得力のない理由でいくらこちらに説明しても解らない。子犬ならともかく、フクは成犬である。兎にも角にもフクはオヤジに貰われていった。残されたエリはいつも遊んでいたフクがいないのでなぜか落ち着きがないし元気もない。いつも裏のセンダイから二頭並んで顔を出している見慣れた風景が見られないのがとても寂しかった。ところがである。数日後学校から帰ってきたらいつものように二頭センダイから頭を出しこちらを嬉しそうに見ているのだ。フクがいるではないか。訳を聞くと、連れて行かれた日からフクは一口も餌も食べなくなり一日中鳴いて鳴いて夜も寝られない状態になったらしい。それで慌てて返しにきたのだという。全く自分勝手なオヤジである。犬は決して恩は忘れない。"忠犬"フクのもう一つのお手柄はそれ以来もうオヤジの竹輪を持ってのフク詣ではピッタリと止まってしまった。そのお陰で家族は早朝から鍵を開けずゆっくりと寝ることが出来たのである。またフクもそれから数年間ではあるが、"愛する我が家"でエリや家族に見守れながら天寿をまっとうする事ができた。
2007.01.07
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最近珍しくスピッツの撮影をした。今の流行の犬に押されもはや"全滅"したかと思いきやどっこいスピッツは健在だった。やはりスピッツの白い毛並みは美しい。昔は庶民の犬として右を見ても左を見てもスピッツがかん高い声で吠えていたものだ。私の母も無類の犬好きで私が生まれてこのかた犬がいつも横にいる。小学生の頃、二頭のスピッツの雑種が飼われていた。「フク」と「エリ」は共に我、家族に愛されていた。フクは凄く人懐こい犬で近所の奥様連中にも好かれていたがエリは家族以外は吠えまくったり、場合によってはガブリと可愛げのない態度をあらわす。近所にこれまた自称"犬好き"の60歳ぐらいのオヤジが住んでおり、朝の6時前後になると竹輪一本とビスケット2~3枚紙袋に入れて勝手に人の家に上がりこんでくる。我々家族は2階で寝ているので直接迷惑にはならないが、いつも母が朝の5時ごろに玄関の鍵を開けに下へ降りてゆくのである。オヤジが誰もいない他人の家の部屋を厚顔で通り抜け、フクとエリの居る裏のセンダイへと行くのだ。私はこのオヤジが大嫌いだった。その厚かましさも嫌だったがある日、小用をしに下へ降りて行くとそのオヤジがセンダイで竹輪を紙袋から出している所であり、その瞬間、オヤジの嫌なところを見てしまった。竹輪をちぎりまずフクに2口やると今度エリに1口やる。またフクに2口、エリに1口、その繰り返しである。ところが数の違いもさることながら、ちぎる竹輪の大きさが違うのだ。フクは大きくぶ厚く、エリは小さく薄い。そして最後は必ずフクで終わるのだ。ビスケットもそんな振り分けである。エリがその薄い竹輪を嬉しそうに食べている姿がとても可哀想で不憫でならなかった。たかが竹輪ごときと思われるかも知れないが私にはとても許せる行為ではなかった。オヤジはフクの方が好きだったのだろう。しかし柱の影から見た些細な風景ながらこのオヤジの行為のお陰で強烈に幼い心に傷をつけられた。数ヵ月後このオヤジ、我家族に途方もないことを言い出すのである。
2007.01.05
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当時二十歳そこそこの自称"南田辺の裕次郎"の叔父が何か瓶をくわえ美味しそうに飲んでいる。変わった形の瓶の中は黒い水・・。「あ~うまい!」「子供はな、これ飲んだらあかんのや」「お前も少し飲んでみるか?」と不敵な笑いを浮かべながらその瓶を差し出してきた。確かに変わった形の瓶である。こんな瓶今までに見たことがない。中には黒い水・・・。恐る恐る瓶を口に付け一口飲んでみると、今までに味わったことのない未知の味で余りの不味さで吐き出してしまった。これが私が始めてコカコーラの味と出合った時の事である。炭酸といえばサイダーとラムネの味しか知らなかった者にとってはコーラの味は衝撃的な味であった。気持ち的には決して美味しい飲み物ではなかった。余程、何故かお米屋さんが届けるプラッシーの方が美味しく飲めたものだ。余りの叔父のコーラ好きが家族や親戚で話題になり「あれは体に毒」「子供が出来なくなる」「内臓を腐らす」などと出処が定かでない噂をしていたもので、現にほとんどの年配の方はその噂は本当の事と信じていた様である。祖母や母などはあの不気味な"黒い色"に相当の嫌悪感を持っていた。しかし、いくら言おうが叔父のコーラ好きは全く直らず、まるで薬物中毒のように置いてある店を探しては買い求めていた。もともと髪が若干薄かった。にもかかわらずハゲている理由は「あいつはコーラの飲みすぎで髪の毛が少なくなった」とか、もう言いたい放題である。当時の庶民にしては黒いコーラは途轍もないカルチャーショックであったに違いない。テレビでアメリカナイズされたコマーシャルが流れ徐々に皆が飲みだす頃は当たり前のようにいい加減な噂やデマは消えていくもので、その叔父もコーラ好きだったにもかかわらず、病気一つせず、子宝にも恵まれ今では、好好爺で生活している。ちなみに頭は見事に禿げ上がってしまった。もちろんこれはコーラのせいではない。
2007.01.04
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昔はなぜかお正月になると双六、カルタや福笑いで遊んだものである。日頃そんな物には見向きもしないが正月となると押入れの奥から引張り出してくる。外では羽根突き。羽根の玉が羽子板に当たるかん高い音が響く。これらがないと子供心にも雰囲気が出ないことが体全体に染み込んでいるらしい。我一族は四日に全員、祖母の家に集まる事が慣例で、子供たちにはこの四日が実に楽しみの日でもあるのだ。お年玉が一気に集まるからで、一日中、喜色満面である。ポチ袋の厚みを手で感触しながら一喜一憂していたのを思い出す。大人たちもこの四日は特別な日であり一応の新年の儀礼が済むと早々に家族対抗の花札やカブが始まるのである。それぞれの家長の"名誉"を賭けて戦いが始まるのだがそのバイタリティーは凄まじく夜を徹して行なわれる。もちろん大の大人が真剣勝負に賭けるのだからそれなりの理由があるのだろう。我々も横で子供同士集まり花札をするが大人とは違いそれは単なるゲームであり、スリルもサスペンスのかけらもない。祖母の家は新年早々大博打場となる。ちなみに我、家長の父はどうやら親戚から"カモ"扱いにされていたようで、母が終わるといつも嘆いていた。それらの独特の正月風景は残念ながらいつの間にか年とともに寂れ消えていく。昨日、実家に新年の挨拶をする為に大阪のキタからミナミへ御堂筋を通ったがこの人の多さは想像を絶するほどで、車は渋滞し何処からとなくクラクションの音があちらこちらでけたたましくなる。正月早々何をイライラしているのか。デパートの入り口は人が溢れ、福袋を求めて中に入れないらしい。新年早々国民はもう全開モードに入っているらしい。申し訳ないが鈍感な自分は当分"美しい国"のお正月気分を十分に楽しみたいと思っている。
2007.01.03
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