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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館 すべての写真の著作権はCAROLにあります。個人で楽しむ以外は無断使用を禁じます年の瀬も押し迫って来るとボーとしていても何やら忙しく感じるものである。最近ではおせち料理を作らなくなり外注する家庭も多いとか。確かに労力を使わず、いろんな食材が入って美味しそうだし、これなら一日、二日で綺麗に無くなる。確かに昔と違って食べ物はいろんな食材があふれているし、今の若い世代には口に合わない物が多いのも確かである。さすがに三日ぐらいになるとおせち料理も見るのも辛くなる。ただそれによって各家庭の受け継がれてきたおせちの味が消えてしまうのもそれ以上に辛いものがあるのだ。従来のおせちは保存食であり元来それほどおいしさを追求したものではなく、食材に意味を込め新年の幸を祈ったものでそれが御馳走であった。業者の作るおせち料理はもはや保存食ではなくただの豪華な正月料理に変わってしまった。それが現代のニーズならそれもいいのかもしれないと最近では思う。しかし子供たちが成人し家庭を持ったときに完全に伝統の味が食卓から消えてしまうのも切ないものを感じてしまうのは私だけか・・。そんなつまらない事を考えながら今年も数日で終わりに近ずいてきた。健康に暮らせた事が一番の幸福か。来年も健康に仕事が出来ればそれでよい。みなさんも体をいたわり新年を迎えて頂きたい。そして来年は"偽"のない年にしたいとおもうのである。いつも愛読して頂いている皆々様、有り難う御座いました。良いお年をお迎え下さい。今年はこれにて終了に致します。また来年、宜しくお願い致します。
2007.12.28
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館 すべての写真の著作権はCAROLにあります。個人で楽しむ以外は無断使用を禁じます都会では全く餅つきの風景が見られなくなってしまった。昭和30年代の頃には年末になると町角の至る所で餅つきが見られたもので年末の慌ただしさを感じさせてくれる歳時の一つだった。庭があろうとなかろうと関係ない。その日は家の前に杵臼をだし、公道を半分占拠した格好だ。我が祖父の家でも年末の餅つきは恒例で、その日は祖母以下、親戚の女性たちがこの日のために奮い立つ。全く祖母などは指揮官の様に各女性たちに"命令"を下すのである。早朝の寒さからか餅米を木製のセイロからもんもんと白い湯気が出る。餅米が蒸し終わると祖母の一喝で男たちの出番である。男たちもやたらといきり立っている。石臼に入れられた餅米は真珠の様に美しい。祖父と祖母がまずは一番突きで、なんと言っても二人の合いの手が良く見事に息が合っている。つかれた餅は女性たちの待っている片栗粉のまかれた板に運ばれ手際よく丸餅にされる。よもぎ餅、あんこ餅、エビ餅は大の好物でよくつまみ食いをしたものである。"デキの悪い"叔父などは朝っぱらから酒を飲み、自分が突くときにはもうすでに出来上がっている。石臼を杵で叩くは、合いの手の叔母さんの手の甲に杵を落とすは散々である。皆からさんざん罵倒を受けていたのを憶えている。周りに集まった近所の人たちにもあんこ餅が配られ美味しそうに食べている姿は見るからに楽しい年末の行事だった。今ではそんな風景もなくなり、寂しい限りだがこれも時代の流れなのだろう。実家に帰ると当時の石臼が埃をかぶりながら、今も物置に鎮座している姿を見ると当時を振り返り感傷的になってしまうのである。
2007.12.21
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館 すべての写真の著作権はCAROLにあります。個人で楽しむ以外は無断使用を禁じますチリン、チリン、チリン・・・毎日夕方になると決まって聞こえて来る鐘の音がある。豆腐売りの兄ちゃんの鳴らす鐘の音である。兄ちゃんが来ると皆こぞって家から鍋を持って出てくる。ここの豆腐が美味しいという事もあるのだがそのほかにも何せこの豆腐屋の兄ちゃん若くて独身、その上男前であるから奥様連中の人気者である。顔を見てはおばさん連中の"口撃"が始まる。はよ嫁さんもらえとか、結婚はせん方がええとか、好き勝手な事を言い出す。口べたな豆腐屋の兄ちゃんは、はみかみながらただ笑っているだけである。豆腐屋の兄ちゃんの自転車が去った後も近所の奥様連中の井戸端会議が続いているのだ。元気というか下品というか強烈な笑い声が炸裂し、家の中まで聞こえてくる。我が家の今晩のおかずは豆腐一丁だけである。誰もおかずが少ないとか文句も言わないしこれが普通だと思っていた。ただ父親だけは絹ごし豆腐で母親以下我らは木綿豆腐であった。いつも父親の肌理の細かい絹ごし豆腐が私の羨望の的で、昔は確実に父親だけは何事にも別格だった。豆腐の他にも一品我らにはないものが付いているし、それを「食べてみるか」などと言う"やさしい"言葉も聞いたことがないのだ。そのお陰もあってか今でも木綿豆腐の愛好者ある。最近スーパーで"男前豆腐"とやらが凄く売れているらしい。パッケージにも蟇目鉤鼻の涼しい男前の男性の顔が描かれている。この豆腐を見ながら、当時の元祖男前の豆腐屋の兄ちゃんの事をふと思いだしてしまった。ところでこの男前の豆腐屋の兄ちゃん、今は当時の面影すらないが好好爺になり、息子夫婦と仲良く暮らしている。
2007.12.19
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館 すべての写真の著作権はCAROLにあります。個人で楽しむ以外は無断使用を禁じます白黒テレビが我が家にやってきたのは今から40年以上の昔になる。シャープの14型ブラウン管、かなり重かった。当時では珍しくリモコン式のテレビだった。もちろんホースのような太さの線が本体から延びており、チャンネルを変えるときそのリモコンの音はけたたましく、大きなモーターの音がする。しかしその先進性の新しさには幼心にも大きな驚きを感じたものだった。昭和40年代カラーテレビの時代に入るがどうしてもカラーテレビを欲しがったのは自分ではなく、母親である。ある懇親にして頂いている個人病院の自宅でその年の紅白歌合戦を見てしまったのである。さすがに強烈なカルチャーショックを受けたようでその色の美しさ、衣装の豪華さを父親に熱心に、熱く語っていた。要は欲しいのである。しかし当時カラーテレビなどは一部の人だけで我々庶民には皆無に等しい代物なのだ。約30~40万ぐらいはしていた。まだまだ高嶺の花である。やがて放送局にもカラー放送が増えてくる様になり白黒テレビの右下にカラーという文字がにがにがしく映し出されていた時期を思い出す。そして5年後ついに我が家にカラーテレビがやってくる。母親の嬉しそうな顔はその日の精神状態を十分に表していた。カラーは日立がいいと訳のわからない噂を真に受けて18型の日立製のテレビを買った訳だが後から思うと母親がカラーテレビをどうしても欲しい理由は紅白なんかよりも恐らくプロレスの流血場面を見たかったような気がしてならない。血の気の多い母はそれは毎週毎週プロレスの番組を見て奇声をあげていたことを覚えている。それから数十年テレビはハイビジョンになりアナログのテレビは消えつつある。ハイビジョンは美しい。ただフォーカスをかけた曖昧な雰囲気もまた楽しく想像をかき立てる。世の中何事も美しく写ることがすべていい事ではない。美しく見たくないものも沢山有るのだから。
2007.12.11
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