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マイク・マンガン氏がキース・エマーソン氏がハモンドB-3を弾きまくる映像を公開してくれました♪
Mar 29, 2016
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70年代後半のフィルム・コンサートではフィルムを貸し出す側のレコード会社洋楽担当ディレクター諸氏がMCをする事も・・・ 今回も当時の実話を元にしております。 ELOは当然エレクトリック・ライト・オーケストラですね^^わざわざ足を運んでたプログレ女子にこんなオヤジギャグをかましても、まったく受け止めてくれませんw ====================== つづいて、上記4コマの出来事があった某大文京キャンパスそばの区立図書館など、いくつかの都内区立図書館に70年代所蔵されていたレコードについて・・・ 70年代と違い、現在はメディアの入れ替わりでレコードの置かれてる図書館数もかなり激減してますが、国会図書館だけでなく区立図書館にもレコードを残してあるところもまだあるそうです。一度確かめに行かないとw
Mar 27, 2016
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まだ若い頃のELPが一緒に朝食をとってる映像です♪グレッグとキースは何か話し合ってて映像では食べてる様子が映ってませんが、カールがひたすら固いパンを切ったりバター塗ったり奮闘しています♪
Mar 26, 2016
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2010年に出されたらしい60年代欧州バンド音源コンピCD。AMAZONで注文してたのが一日で届いたので早速取り上げますw イアン・ウォーレスがウォリアーズ→ビッグサウンドと経た後、拠点をドイツから英国に戻し、YES結成年イエスメンバーたちの棲家に転がりこんで同居していました。そんなウォーレスらがバンド名義スリーピーで発表した二枚のシングルの内、1968年11月15日にリリースされたセカンドシングルB面曲、Mrs. Bailey's Barbecue & Grillが、本CDの冒頭曲として収録されています。 今までYoutubeに無かった曲でしたがやっと聞く事が出来ました。ちなみにSleepyの出した二枚のシングルに収められた4曲は、現在様々なコンピレーションCDに収録されているので、海外のオークションで数万円もの散財をせずに聞く事が可能です。 Mrs. Bailey's Barbecue & Grillの曲調は、ビートルズのサージェント・ペッパー表題曲風のリズムセクションにヘロヘロヴォーカル、そこへフルートやウォーレスらのコーラスが被るといった、スリーピーの他楽曲同様奇妙な響きを持っています。ただ、他の三曲が初期ソフトマシーン的なだらーんとした流動的なリズムだったのと比較すると幾分後期ビートルズ風リズムに切れがある一曲です。楽曲はヴォーカルのミック・ファウラーとイアン・ウォーレス共作。 CDには彼らのほかにもフランシス・レイやラブ・アフェアーなど様々なアーチスト楽曲(計20曲)も収められていますが、そのほとんどがバンド紹介情報が記されているのに対し、Sleepyについては「4曲をリリースしたファンタスティックなバンド」程度しか書かれていません。(実際は、未発表に終わった幻の三枚目シングルに、You'll See Me / Time Goneが存在したそうですが、これは白ラベルのテストプレスがこの世に5枚しか存在しないそうですので、元メンバーが持ってる可能性があるかもという程度で、今後世に出てくる可能性はかなり低そうです。BRAINのテストプレスが一度市場に出た時もトンでも無い競り合いになったので、仮に出てきたとすると熾烈なオークションになりそうですねw) 10曲目には、素人時代のジャイルズ兄弟やハスケルとバンド活動し、このバンドの後にFleur De Lys入りする故トニー・ヘッド(別名デイヴ・アンソニー)のバンド、デイヴ・アンソニーズ・ムーズのイタリア盤シングルからの楽曲Fading Awayが入っています。トニーはリーグ・オブ・ジェントルメン末期に組んでたハスケルがFDLに入れたがってたヴォーカリスト。その誘いもあってか、肝心の自分の名を冠したこのバンドからはあっさり抜けてしまったので、バンドはその後マーク・リーマン・ファイブ*からロジャー・ピーコックを引き入れて暫く活動したようです。(*印は、後にナイス入りするブライアン・デヴィソンがドラマーだったバンドで、キース・エマーソンが当時いたTボーンズとツアー共演していた。エマーソン自伝59P参照。) この画像もトニー・ヘッドが抜けた後なんでしょうねw 考えてみるとバンド移籍したから芸名をデイブ・アンソニーからトニー・ヘッドに変えたともいえるのでしょうw 本コンピCDには他にベルギー、オランダ、ドイツ、イギリスのバンド楽曲が混在しています。ご購入はアマゾンやDUやカケレコなど国内販売か、海外通販サイトでも比較的安価に購入できると思います。3月27日:追記Sleepyの他楽曲収録コンピCDについて。 彼らの曲を収めたVA盤はいくつか出ている模様ですが、この手のコンピ盤は精々500枚/千枚といった少数ロットしか出荷されない為。古い企画盤のいくつかは既に入手が難しくなっています。 現在入手しやすいモノをご紹介。Various Artists - Piccadilly Sunshine Part 10AMAZONのリンクは以下でhttp://www.amazon.co.jp/Piccadilly-Sunshine-Part-Ten-British/dp/B0093FSTYM/ コチラには、1stシングルのB面Is It Really The Sameと2ndシングルのA面Rosie Can't Flyの2曲が収録されてます。まだいくつかのショップでの取り扱いがあり、アマゾンでも現時点で購入可能です。以前はCDボックスセットでの発売だったのがばら売りする様になった為、入手しやすくなりました。 残るセカンドシングルA面曲Love's Immortal Fireを収めた数種類のコンピ盤となると少々厄介で、現時点でそのほとんどが発売から時間が経ったために手に入れにくくなってます。その中でもまだ欧州のebayなどで流通しているものもあるようです。海外通販のご利用はあくまでも自己責任で♪ギリシャで発売のLPV.A. - COLLETING PEPPERMINT CLOUDS vol 3原産国不明のコンピCD/LPV.A. - The Psychedelic VoyageV.A. – Jagged Time Lapse Volume Oneこのほかにも収録したCDがあるかもしれませんが、とにかくこれらの盤起こしコンピ盤も安い出物があったら入手してみるのもいいかもしれません。無理してまで買うような代物じゃないですしね。DL販売も最近増えてますし。試しに聞くだけならYoutubeでw関連記事:Ian Wallace1968年のシングルレコードhttp://plaza.rakuten.co.jp/chop100/diary/201507250000/Fleur De Lysのメンバー変遷 http://plaza.rakuten.co.jp/chop100/diary/201512030000/Mrs. Bailey's Barbecue & GrillのみDL販売されてる事についての記事http://plaza.rakuten.co.jp/chop100/diary/201603230000/
Mar 25, 2016
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以前「Ian Wallace1968年のシングルレコード」という当ブログ記事で、発売された二枚のシングル楽曲からYoutubeにアップされてる動画で3曲リンク紹介しましたが、唯一上げられていなかった楽曲Mrs. Bailey's Barbecue & Grillが現在アマゾンにてDL販売されています。 元はコンピ企画盤のうち二枚をDL販売しているようです。ですので一曲のみ購入する事も可能です。AMAZONのリンクSleepy - Mrs. Bailey's Barbecue & Grillhttp://www.amazon.co.jp/Mrs-Baileys-Barbecue-Grill/dp/B00EYSNOTI/どうしてもCDじゃないと、という方にはコンピCDでも販売してます。AMAZONV.A./Steppin Through an Empty Time: Fairytales 5 http://www.amazon.co.jp/Steppin-Through-Empty-Time-Fairytales/dp/B003706N0G/私も今買いました♪CD購入後の記事V.A. - Steppin' Through an Empty Time- Fairytales Can Come True, Vol. 5 (2010) http://plaza.rakuten.co.jp/chop100/diary/201603250000/
Mar 23, 2016
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今回彼女たちは、TVや舞台の世界で使われる用語「バミる(動詞。名詞としてはバミり)」について説明してくれるそうです。※画像クリックで別窓に拡大画像が出ます。 若い頃のとんねるずがネタで「さっさとバミれ~」とかバミりのダンナ福井さんネタを披露していたのは、井原さんからその発祥を聞いてやったのかもしれませんね♪オマケ:1980年頃のジョー・ストラマーとロバート・フリップ
Mar 20, 2016
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キース・エマーソンの訃報もあり、当ブログもココの所キース追悼関連の話題ばかりでした。いつまでも悲しんでいてもグレッグが言うようにそれは明るい人だったキースの為にも我々ファンにとっても望ましい事ではありません。と言う事でここは一つプログレ女子たちにキースを明るく送ってもらいましょう♪ 今回も一部実話に基づいてます。画像をクリックする事で別窓拡大します。プログレ女子になるにも人それぞれの理由があるものです。70年代のファンはレコードを聞く以外にどんな楽しみ方をしていたか・・・ではまた♪
Mar 20, 2016
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一時間超のドキュメンタリー。
Mar 19, 2016
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ナイス時代のキースと度々イベントやツアーで共演する機会のあったディープ・パープル。その当時を回顧しながら。リッチーがキースへの追悼文を発表しています。「キース・エマーソンの悲しい知らせを聞きました。彼は私のお気に入りのキーボード奏者の1人でした。彼がナイスにいた時分、ツアーで一緒にもなりました。ステージ上の彼はいつもエキサイティングで。もちろんジョン・ロードも彼がお気に入りで、アメリカでの演出を愛してました。彼がいなくなったことは惜しまれる事でしょう。P.S,多くの人が知ってる事ではありませんが、ジミ・ヘンドリクスはELPとも共演したがっており実現したならHELPと呼ばれたかもしれませんが、まあこれはあくまで内輪の噂で明確な根拠はありません。」 HELPのうわさは古くからよく雑誌などでも伝えられた噂でしたが、真相は元エクスペリエンスのミッチ・ミッチェルがエマーソン+レイクと組む話をしていた中でミッチが「もしかしたらジミも参加するかも」程度で話した事が、廻りまわってまことしやかに伝聞されて事実の様に言い伝えられてるのが真相のようです。実際このときジミと組んでいたとしたら、ドラマーはミッチな訳ですからパーマーがいない限りHELPになる訳がありませんので、HELPという呼称についてだけは後付けで面白おかしく造られた部分になるのでしょう。 エマーソン本人も自伝で「当時のジミは黒人とだけ組むと公言していたので、実現はしなかっただろう」と述べてました。解散直前の1970年当時のナイスを捉えた音声なし8ミリフィルム映像。ジミが一緒にツアーを廻ってたナイスを8ミリカメラでよく撮影していたというのもこんな映像だったのかもしれません。 ネット上には解散直前のナイスがディープパープルのステージに乱入して共演したという音声もありますが、根拠が希薄な為本物の音声という確証はありません。 1989年アルメニア大地震の救済チャリティーとして行われたロック・エイド・アルメニアの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」にキースがクリス・スクワイア他大勢のミュージシャンと参加していましたが、ここでリッチーと図らずも共演する形となりました。実際会えたわけじゃないでしょうけどw-----------------スティーヴ・ハケット「キース・エマーソンの悲劇的なニュースを聞いて、非常に悲しいです。彼は華麗なミュージシャンであり、素晴らしい名手であり、ショーマンでした。その上、彼はとてもイイ奴でした。ジャック・ブルースと彼とジャムをやったものです。 またキースは、90年代初め私の妻ジョーの映画ソウルスケイプスの音楽をやってくれました。彼の逝去は非常に惜しまれる事でしょう。皆さんに心をこめてスティーヴ」
Mar 17, 2016
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21バカバンドによるキャットフード映像です探してみると結構あるものですね。21st Century Schizoid Band "Cat Food" Live at Thunder Road.
Mar 17, 2016
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1990年代中頃にNYで結成されたジョン・テイラー・イズ・デッドというバンドのアルバムでイアン・マクドナルドがピアノとフルートで参加していたそうです。Pieレコードという聞きなれないレーベルからの発売なのでおそらく自主制作に近いのかと。現在オリジナルのCDはほぼ入手が絶望的な状況ですが、アマゾンほかいくつかのサイトではダウンロード購入が可能です。ライブ映像もYoutube上にありますが、ここにマクドナルドの姿はないようです。米国アマゾンでCD出品されてますが300ドルとかなり高額です。アルバムからマクドナルドのフルートでの参加曲をJesse Taylor Is Dead - Sliver
Mar 17, 2016
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3月15日ガブ様がキースへ追悼文を発しました。毎度のとんちき意訳ですが。「先週、キース・エマーソンの非常に悲しい自殺のニュースで音楽界は苦しみと損失を被りました。私とトニー・バンクスは彼が最初に成功を収めたバンド「ナイス」の大ファンでした。まだ4人組でデヴィッド・オリストがいて、リー・ジャクソンがベースでイアン・ヘイグがドラムスでした。(※訳注、オリストとヘイグはそれぞれ薬物依存で後にバンドから解雇されている。)当時の英国において最もエキサイティングなバンドの登場で、ロンドやアメリカといったナンバーは、さながら「キース劇場」でした。グループを最初にプロデュース/マネジメントしてたのはアンドリュー・ルーグ・オールダムでしたが、オールダムがレコード会社を放り出して失踪すると、スポーツ・ジャーナリスト上がりのトニー・ストラットン=スミスが彼らを引き受けました。結果としてこの当時ザ・ナイスとジェネシスはトニー・ストラットン=スミス(マネジメント)に行き着いたわけです。多くの人は大観衆相手に演奏していたELPでの活躍を知ってるでしょうけど、私個人としてはナイス当時の力強さや音楽性に特に興奮を覚えてました。あまり知られてませんが、ジミ・ヘンドリクスがナイスとの共演をとても印象的に語っており、私個人としてはその共演を見る機会をついに得られなかったのを残念に思っています。クラシックだとかジャズだとかロックかどうかではなく、キースの情熱がよい音楽に注げられた事がプログレッシヴ・ロック・ムーヴメントの道標の一つでありました。彼にさよならを言うのは悲しい事です。PG(ピーター・ガブリエル)」=================PPアーノルド(ザ・ナイスの名付け親にしてベテランシンガー)「キース・エマーソンが亡くなった悲しい知らせを聞きました。画像は私のツアーを尋ねてブライトンに来てくれた時のものです。彼は凄く良い人でした。彼が悲劇的にこの世を去ったと聞きその悲しみでひどくショックを受け、ただ呆然としております。彼は私の親友でした。私たちの歴史はとても絡み合っています。深い同情と哀悼の意をマリ、彼の素晴らしいご両親、全てのご家族、幾千人ものご友人、そして世界中のファンに捧げます。キース・エマーソンよ、安らかに。」 1966年フランスから帰国したキースは同居人ミッキーザ・オーの紹介でパット・アーノルドを訪問、彼女から請われリー・ジャクソンらとバックバンドを結成。それが後にナイスとして成功を収める最初のきっかけとなりました。つまり50年来の友人だったというわけです。 ミック・ジャガーのプロデュースで制作されたPPアーノルドのファーストアルバムは、まだ結成間も無いころのナイスが3曲セッションでレコーディングに参加しています。近年復刻されているCDにはボーナストラックとしてミックプロデュースでPPとロッド・スチュワートがデュエットした曲、Come Home Babyも含まれており、これにもキース・エマーソンが参加してピアノを弾いています。この曲は1966年8月セッションという事なのでナイス結成以前のレア音源となるわけです。
Mar 16, 2016
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キースがなくなった後、ファンのアクセス殺到でグレッグのサイトがダウンしてしまっていたようで、ようやく公式にグレッグがフェイスブックとツイッター上にステートメントを出しました。毎度のつたない意訳で誠に恐縮ですが、グレッグの声明を訳しました。僭越ながらグレッグの意図を汲み取って頂ければ幸いです。「キース・エマーソンに向けてグレッグ・レイクからの声明世界中全てのELPファンと友人たちに、私はこの度の悲劇的ニュースを伝え聞いた私の深い哀しみを表明したいと思います。皆さん御存知のように、キースと私は人生最良の時の多くを共に過ごしましたし、彼が人生の終わりを迎えた事に立ち会う私と彼を知る皆さん双方に悲しみをもたらせてます。キースの悲劇的で哀しい死が皆さんが思いを寄せる彼の最後の思い出にならないよう望むものです。私が常々キース・エマーソンに思ってたのは、彼の作曲家や音楽家としてのずば抜けた才能同様に、情熱的なパフォーマンスに天賦の才を持っていた事でしょう。音楽が彼の人生にいくつかの困難をもたらしましたが、彼に生み出された音楽は永遠に生き続けると私は確信しています。深い哀悼の意をキースのご家族に捧げます。彼が心安らかになれますように。グレッグ・レイクロンドン、2016年3月12日」キースが晩年演奏に支障を覚えるほど、手の障害に苦しんでいたのをデュオライブで知っていたグレッグだけに心痛を察するに余りあります。続いて、グレッグに先んじて最初にキースの訃報に声明を発したカールの追悼文「キース・エマーソン私は良き友人で音楽の兄弟であったキース・エマーソンがこの世を去った事に深い哀しみを覚えるものです。キースはその情熱的なパフォーマンス同様比類なきキーボードプレイヤーとして長年音楽を愛し続けた優しい魂の持ち主でした。彼は私たち全てにロック・ジャズ・クラシックの世界で感動を与えた音楽的天才であり開拓者でありイノベーターでした。私はいつも彼の優しい笑顔とセンスの良いユーモア、魅力たっぷりなショーマンシップ、音楽制作への献身を思い出します。彼と知り合い、共に音楽を作れたのはとても幸運でした。キースよ安らかに。カール・パーマー2016年3月11日」最後に、80年代末「3」をキース、カールと組んでいたペリー氏が、カールと同日の11日に出した追悼文からロバート・ペリー「本当の事とは信じられない。丁度二週間前に私達は新しいプロジェクトについて話していました。このニュースに私の心は張り裂けました。こんなにも才能に恵まれ、面白くて、イイ男が。彼のような天才がいなくなるなんて、私は本当に彼を愛してました。安らかに、エモ」世界中から寄せられたキースへの追悼コメントはAMASSさまサイトで公開されてます。http://amass.jp/70169/
Mar 13, 2016
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キース・エマーソンは確かにあの1970年代において最高の人気奏者でした。キースのお陰で多くのプログレ女子があの時代生まれたのだと思います。キース・エマーソンよ 永遠なれ
Mar 12, 2016
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1983年公開の角川アニメ映画「幻魔大戦」にキース・エマーソンが描きおろした楽曲から、『フライング フライング』と『地球を護る者』の演奏映像です。非常に貴重な映像ですね。光の天使アニメ原作者の平井和正氏、サントラでドラマーを勤めた青山氏に続いてキースまでも亡くなってしまい寂しい限りです。ビルボード誌によると、キースの自宅のあるサンタモニカ警察は公式見解として彼の頭部銃創が自傷行為であることを発表しました。とても悲しい現実が心苦しいです。また、昨年キースと初対面を果たしたエイドリアン・ブリューが弔文を発表しています。「信じられない、誰か別人の死亡記事なんじゃないか?キース・エマーソンは昨年ロスで僕らパワートリオを見にきてくれたんだ。初めて会ったんだけど、楽屋に彼を招待してくれたのは最近キースのツアーで働いてるアンドレ・チョルモンディリー。キースは僕らのショーをとっても熱狂的に褒めてくれた。そしてわれわれはこれから何をするべきなのかを話し合ったんだ。そして今、彼は逝ってしまった。キースをよ安らかに。あなたが望んだ様にも僕も活動していきたいと思ってます。」EL&P TARKUS(1972.07.22 後楽園球場) Keith Emerson on Japanese TV Quiz Show 19932008年来日時のテレビ出演最後にKenWetton様ブログからキース2013年8月インタビュー動画字幕つき字幕が出ない場合は動画画面右下の設定で字幕表示させてください
Mar 12, 2016
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目覚めに悪い冗談かと思ったら、どうも本当のようです。ローリングストーン誌によると、ロサンゼルス・サンタモニカのご自宅で金曜日の夜に亡くなられたそうです。日本時間3月12日午前5時現在、まだ死因は報告されてないようです。(3/12午後10時追記、地元サンタモニカ警察は、エマーソン氏の頭部銃創は自傷行為によるものと発表。自殺の可能性もあるとしています。酔った末の暴発かもしれませんが断定は出来ませんね。) キース・エマーソン氏は、若くしてジャズトリオやジャズコンボで活動し、1965年オルガン購入後、初めてのオルガンロックバンド、ジョン・ブラウンズ・ボディーズでデビュー。 このバンドで活動中、ゲイリー・ファーにヘッドハンティングされTボーンズへ加入し、マーキーの音楽出版と専属契約。翌66年8月Vip'sでキーボードの募集を聞きバンド移籍するが、フランスでの興業でプロモーターに金を持ち逃げされ英国へ帰国。その時、フランスでミッキー・ザ・オーという人物から、アイク・アンド・ティナ・ターナーのメンバーだったパット・アーノルドという女性シンガーを紹介される。 アーノルドの部屋に訪れたキースは彼女の部屋にあるフェンダーローズに初めて触り、意気投合したアーノルドから「バックバンドをつくってくれないか?」と依頼を受け、僕たちバンドにも30分ほど演奏時間を分けてくれという条件の下1966年12月昔なじみのリー・ジャクソンらとバックバンドを作り上げた。車での移動中、PPアーノルドからバンド名はどうする?と聞かれたキースたち。PPはモノローグアーチスト「ロード・バックリー」の代表作ナズの話を持ち出し、「あなた達は白人だからナズじゃなくナイスにしたらいいわ」とバンド名が適当に決められた。 その後67年PPから独立したナイスは、過激なライブパフォーマンスで徐々に知名度を上げ成功を収めていく。しかし60年代も末になると、キースには新たなバンド構想が芽吹き、当時衝撃的デビューを果たしてたキング・クリムゾンのグレッグ・レイクと組む事を互いに話し合うようになる。1970年になるとレイクもクリムゾンからの独立を決心、春にカール・パーマーを確保するとエマーソン・レイク・アンド・パーマーとして活動を開始する。 キーボード・トリオとしてのロックバンドで初といえる世界的大成功を収めたELPは1970年代末までタルカスや恐怖の頭脳改革など野心的な作品群と精力的なライブ活動で世界中に熱心なファンを生み出した。ワイルドで疾走感溢れるプログレッシヴ・ロックの境地を開き、多くのファンとフォロワーを楽しませ続けた。ロックバンドがフロントにスタジオ楽器だったシンセサイザーを大胆に導入し足したのもキースの大きな功績ともいえるし、モーグ博士と共同ででポリモーグなどの開発にも貢献している。 ELP解散後は映画のサントラ作りにシフトし、欧米のみならず日本の映画作品(幻魔大戦、ゴジラ)にも足跡を残している。 彼の半世紀に渡る音楽史は、そのまま現在までのプログレッシヴ・ロックの歴史そのものと被っている。偉大なパフォーマーであり続け、陽気でお茶目な性格、構成力の図抜けた個性に満ちた音楽性。彼の残した作品群とその影響力は今後も新しいプログレファンを産み出し続けるでしょう。 彼がこの世を去った事は非常に悲しいことですが、その偉大なる業績を称え、感謝の意を捧げたいと思います。ありがとうございました。あなたが居なかったら私はプログレにはまりませんでした。
Mar 12, 2016
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「ジョージ・マーティンが手掛けた最も素晴らしいプログレッシヴ・ミュージック・トラック 9選」を英国のプログレ誌Progのサイトが発表AMASSでの日本語記事http://amass.jp/70064/元サイト英文記事http://prog.teamrock.com/features/2016-03-09/the-debt-prog-owes-george-martinThe Beatles / Tomorrow Never Knows The Beatles / Strawberry Fields ForeverEDWARDS HAND / Stranded (ジョン・ウェットン参加でファンに有名ですね)Van der Graaf Generator / Theme OneStackridge / Humiliation The Mahavishnu Orchestra / Vision Is A Naked SwordMahavishnu Orchestra / Smile of the BeyondJeff Beck / You Know What I MeanJeff Beck / Led Boots
Mar 11, 2016
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1962年ビートルズをEMIに拾い上げ、彼らを指導し、音楽史に大変革をもたらせるバンドに成長させたプロデューサー、ジョージ・マーティン氏が亡くなられました。ビートルズの仕事の成果がもたらせた影響は、60年代末からのプログレッシヴロックの発展にも大きく影響を与えていただけに、彼の存在の巨大さを今更ながら実感します。R.I.P.マーティン氏の訃報を伝えるNMEJAPANニュース記事http://nme-jp.com/news/15987/
Mar 9, 2016
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秋のツアーをビル・リーフリンがサバティカル休暇で参戦しないこととなり、代わりにボーンマス人脈のドラムス奏者ジェレミー・ステイシーのツアー参加がフリップ日記で発表されました。 元々子役出身で、ドラムスを習得後アズテックカメラ、エコバニ、ユーリズミックスやシェリルクロウなど数多くの活動歴のあるベテランなのだそうです。フリップ氏の日記原文はこちらhttp://www.dgmlive.com/diaries.htm?entry=83911093
Mar 7, 2016
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かってのフロントマンだったルー・グラムに対し、来年アルバムデビュー40周年のフォリナーはオリジナルラインナップで何かやらないのかとABCラジオが質問したのだそうです。ルーは「そういうのが出来たらいいよね。何かの形にこだわる必要は無いと思う。」と過去の因縁も考え慎重に語ったようです。 2013年のソングライター殿堂入りで和解し、以後定期的に連絡を取りあっているというミック・ジョ-ンズとルー・グラム。ミックは「40周年はオープンマインドでいこう」と述べており、具体的な話はまだなようです。元メンバーでは、一昨年ガンで亡くなったベース奏者エド・ガリアルディを除けば他のメンバーはまだご存命。ルーもオリジナルメンバーが集結できる最後のチャンスかもと言ってるだけに、実現したらいいですね。 今のところこの件についてイアン・マクドナルド氏本人の反応はネット上に確認できてません。今は参加してるHoney Westの今年発売予定アルバムの作業中なんでしょうね。
Mar 6, 2016
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今回はジャケットで遊んでるようです。(画像をクリックすると別窓で開きます)ラストのミカバンド繋がりで75年彼らとツアー共演したロキシーミュージック関連画像 続いて、70年代末来日したアーチストと偶然出会った彼女ら(実話に基づいてますw)この当時は初来日したエルビス・コステロがトラックの荷台で演奏しながら銀座に現れ、あっという間に警察に逮捕されたのも話題となりましたねwオマケの追加w
Mar 3, 2016
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Vapour Trails - Don't Worry Baby ベストヒットUSAの番組オープニングナンバーとして長く使われて知られた楽曲ですが、すごいですねーwよく映像が残ってたものです。サーフサイド・フリーウェイという日本発売時のタイトルがついてるところを見ると、この映像は日本側の要請で作られた映像なのかもしれませんね。ジャクソンハイツの頃からマクバーニーを追いかけてるファンとしては、動いてる彼を見られただけでも幸せです。ジャスティン ↓ジャクソンハイツ ↓ヴァイパートレイルズこう続いた彼の活動歴でなかなか動画で確認できるものがなかったですしね。オマケ動画VTSと同時期、マクバーニーがキャメルのラティマーと共作したウェイトCAMEL - WAIT VTSにも客演してた、ジャクソンハイツ時代の同僚ブライアン・チャットン氏のYoutube動画。チャットンが60年代半ばにウォリアーズで一緒だったジョン・アンダ-ソンが歌っています。Jon Anderson & Brian C Chatton 'UZLOT - Welcome Touch
Mar 1, 2016
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