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前回はフレッド・ボングストの映画音楽関係のことを書きました。今回はカンツォーネ歌手としての彼のことを紹介していきましょう。本名アルフレード・アントニオ・カルロ・ブォングスト(ALFREDO ANTONIO CARLO BUONGUSTO)、1935年4月6日カンポバッソ(CAMPOBASSO - ナポリの東北東の山中にある小都市)生。1960年頃から地元バンドの4ロリス(I 4 LORIS)のヴォーカルで歌っていた。 1960年プリマリー(リフィ・レコードのレーベル)担当のジャンバッティスタ・アンソルディに見出され、フレッド・ボングスト&4ロリスとしてシングル・デビューしました。CRA-91813(1961年 PRIMARY – RI FI, Italy)“MADISON ITALIANO/NOTTE D’AMORE(アパートの鍵貸します)”CRA-91813 CRA-91820 翌1962年2枚目のシングル盤はソロとなり、今でも彼の代表作となる大ヒットがでました。ただ当時はB面でしたが。CRA-91820(1962年 PRIMARY – RI FI, Italy)“BELLA BELLISSIMA/DOCE DOCE(ドーチェ・ドーチェ)”その後、1964年までプリマリー(リフィ)に在籍し“フリーダ(FRIDA)”、“アモール・フェルマーティ(恋人よここに)(AMORE FERMATI)”、“海の上のテラス(UNA ROTONDA SUL MARE)”など日本でも良く知られた曲のヒットを出しました。日本のデビュー・シングルはFON- 1039(1964年11月 FONTANA - 日本ビクター)“わが恋のたそがれ(MY LOVE IS DEAD)/アモール・フェルマーティ(AMOR FERMATI)”です。A面の曲はイタリアで3枚目のシングルのB面、B面はシングル盤7枚目のA面の曲です。日本で2枚目のシングルは前回紹介しましたFON- 1042“あゝ結婚/私にすべてを告げて”でした。FON- 1039 FON- 1042 1965年のサンレモ音楽祭を機にフォニット・チェトラのフォニット(FONIT)・レーベルに移籍します。FS- 34(1965年4月 FONIT -テイチク)“明日を待とう (ASPETTA DOMANI)/バラのほゝえみ (NON TI HO DATO MAI LE ROSE)”.FS- 34 270-598・XF 外人パートナーはその後エルトン・ジョンに見出され大歌手になったイギリスのキキ・ディー(KIKI DEE)、270-598・XF (1965年1月 FONTANA - PHONOGRAM,Italy) “明日を待とう(ASPETTA DOMANI)/SENZA TE”と歌い、見事入賞しました。65年は質が高く参加曲も名曲揃いでした。この年の初参加で注目されていたのは、このボングストとオルネラ。ヴァノーニ、新人のウィルマ・ゴイクでした。1965年から1966年にかけて前回紹介しましたマカロニ・ウェスタンの主題歌HIT-1362 (SEVEN SEAS – キング) “荒野の1ドル銀貨(A MAN... A STORY)”と“続・さすらいの一匹狼(ADIOS GRINGO)“出しました。“荒野の1ドル銀貨” のイタリア語ヴァージョンはSPF-31173(1965年FONIT – FONIT CETRA, Italy) “君が君でなかったら(SE TU NON FOSSI BELLA COME SEI)/ANNABELLA”は1965年年間ベスト・セラー47位となりカンツォニッシマでも歌われました。SPF-31173 SPF-31191 66年の夏のディスク・フェスティバル(第3回)でSPF-31191(1966年FONIT – FONIT CETRA, Italy)“二つの瞳 (PRIMA C'ERI TU)/TU NON SBAGLI MAI”を歌い優勝しています。彼の前半の絶頂期だったかもしれません。1967年二度目のサンレモ音楽祭に出場しましたが、ルイジ・テンコの自殺騒ぎがあり落着かない大会となりました。そのため、静かなこの曲などは明らかに割を食った感じがします。良い曲でしたが入賞できませんでした。SPF-31201(1967年1月FONIT – FONIT CETRA, Italy)“ジ(GI)/CIELO AZZURRO”SPF-31201 CDI-2005 外人パートナーはポーランドの偉人歌手アンナ・ゲルマン(ANNA GERMAN)でした。CDI-2005(1967年1月CDI – CDI Italy)“ジ(GI)/PRIMA... TU”ボングストは67年サンレモ音楽祭の後フォニットからRCAイタリアーナに移籍します。2年間、特に目立ったヒットもなくシングル盤3枚を残し、1969年クラン・チェレンターノに移籍します、ここでも2年間にシングル盤2枚の発売したのみでした。 1971年古巣リフィに再移籍し6年間在籍しました。1971年1月に出した“QUANDO MI DICI COSI’”がヒット・ランク20位となる久々のヒットとなりました。1973年に“QUATTORO COLPI PER PETROSINO”、“ひと夏の微笑み(TRE SETTIMANE DA RACCONTARE)”、1974年の夏のディスク・フェスティバルの曲“愛の潮騒(PERDONAMI AMORE)”など安定したヒットが戻ってきました。 1曲ヒット・チャート的には成功を収めたとは言えないのですが、一言二言日本語が入っているので、LPに収録されている曲があります。国内シングル盤も出たのですが入手できていません。曲として場ボサ・ノヴァ風の曲です。B面はクラン・チェレンターノ時代に夏のディスク・フェスティバルで第6位になった曲のセルフ・カヴァーです。 HIT-2168 (1974年12月 SEVEN SEAS -キング)"ローザ (ROSA)/想い出の海 (UNA STRISCIA DI MARE)"HIT-2168 RFN・NP-16451 RFN・NP-16451(1971年RI FI - RI FI, Italy)"ROSA (ローザ)/MOON"イタリア盤も一言二言日本語が入っているのか聞いてみたいところです。どうも日本向けだけに、別録音したともおもえないのですが。 1975年ワーナーがイタリアの現地法人WEAイタリアーナを立上げたのを機に、古巣リフィから移籍をしました。この頃を境に、従来のナポリターナやカンツォーネ臭の強いものから、力を抜いた軽快な“ボサ・ノヴァ”のような作風の曲を多く歌うようになりました。また以前は“クルーナー”のフランク・シナトラにたとえられ、イタリアの“フランク・シナトラ”とも呼ばれ、シナトラの歌を沢山カヴァーをしています。後でLP盤をまとめて紹介しますが、WEA時代のアルバム“昼と夜”に収録されている“力の限り(PIETRA SU PIERA)”は1977年のヒット・ランクに21週ランク・インし最高15位の大ヒットとなりました。P-10421・W (1977年11月25日 WARNER Bros. -ワーナー・パイオニア)“昼と夜/フレッド・ボングスト(IL GIORNO E LA NOTTE/FRED BONGUSTO)” 1.力の限り (PIETRA SU PIERA)2.ぼくを見つめて (SARA' PER COME MI GUARDI)3.海の上のテラス (UNA ROTONDA SUL MARE)4.夢見るフレッド (FRED CON FANTASIA)5.アンコーラ (ANCORA)6.イン・カリフォルニア (IN CALIFORNIA)7.オー・ソレ・ミオ ('O SOLE MIO)8.一緒に踊ろう (BALLIAMO)9.昼と夜 (IL GIORNO E LA NOTTE)10.きみはマンドリン (LEI E IL MANDOLINO)11.ぼくはブルー・ム-ン (MI CHIAMAVANO BLUE MOON)SR- 880 (1974年12月 SEVEN SEAS – キング.)“ローザ/フレッド・ボングスト(ROSA/FRED BONGUSTO)”1.ローザ [日] (ROSA [J])2.愛は秘密 (IL NOSTRO AMOR SEGRETO)3.ひと夏の微笑み (TRE SETTIMANE DA RACCONTARE)4.風を追う心 (DOMANI NON M'ASPETTAR)5.ドーチェ・ドーチェ (DOCE, DOCE)6.青い体験 (MALIZIA)7.夢のひととき (TIEMPO D'AMMORE)8.カタリ・カタリ (CORE 'NGRATO)9.ヴェニスの愛 (ANONIMO VENEZIANO)10.想い出の海 (UNA STRISCIA DI MARE)11.マイ・ウェイ (LA MIA VIA)12.愛をもう一度 (LET ME TRY AGAIN) 7. フレッド・ボングストとグロリア・クリスティアン (BONGUSTO,FRED e CRISTIAN,GROLIA) グロリア・クリスティアンは一度は紹介したいナポリの粋なお姐さんです。日本ではデュエットしているこの1曲だけしか出ていません。SR- 880 LAX- 108 LAX- 108 (1975年1月 SEVEN SEAS – MALIZIA/FRED BONGUSTO)”1.青い体験 (MALIZIA)2. 想い出の海 (UNA STRISCIA DI MARE)3. ローザ (ROSA)4.恋人よここに (AMORE FERMATI)5.君が恋を (SE T'INNAMORERAI)6.君が君でなかったら (SE TU NON FOSSI BELLA COME SEI)7.二つの瞳 (PRIMA C'ERI TU)8.あなたと一緒の時 (QUANNO STAJE CU MME)9.ジ (GI)10.明日を待とう (ASPETTA DOMANI)
2012.04.30
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ナポリターナ歌手、イタリアン・ボッサ歌手、そして映画音楽のコンポーザー。日本で一番知られているのは映画音楽コンポーザーではなくマカロニ・ウェスタンの主題歌を歌ったことかもしれません。若い人なら二番目がイタリアン・ボッサの歌手と思います。本来の歌手、カンツォーネ、ナポリターナの歌手が一番知られてでしょう。 今回のオークションの出品もCDのSP/CR-20021 "ザ・メイル・タイガー/フレッド・ボングスト(IL TIGRE/FRED BONGUSTO)"発売時定価2,520円(1998年発売 AVANZ - アヴァンツ)の国内盤、1967年イタリア映画、日本公開69年9月タイトルは「カロリーナ」。ディーノ・リージ監督、ヴィットリオ・ガスマン、アン=マーグレット主演。息子の失恋相手に恋をした大企業の重役が、若いカロリーナに振り回されるという喜劇。音楽はフレッド・ボングスト、本格的に映画音楽を作ったのはこの作品が初めてのようです。 SP/CR-20021 SP/CR-20008 そのほかにアヴァンツからはSP/CR-20008 "ザ・ディヴォース/フレッド・ボングスト(IL DIVORZIO/FRED BONGUSTO)"発売時定価2,520円(1997年発売 AVANZ - アヴァンツ)の国内盤。1970年イタリア映画、日本未公開。ロベルト・グェリアーリ監督、ナディア・カッシーニ、ニーノ・カステルヌオーヴォ主演、倦怠期を迎えた中年男女の恋愛コメディ。ボングスト5作目の映画音楽。 SP/CR-20006 "ザ・ディテクティヴ/フレッド・ボングスト(オリジナル・サウンドトラック/FRED BONGUSTO)"発売時定価2,520円(1997年発売 AVANZ - アヴァンツ)の国内盤。1969年イタリア映画、70年5月日本公開タイトル「夜の刑事」。ロモロ・グェッリエリ監督、フランコ・ネロ、フリロンダ・ボルカン主演、金のためなら多少汚いこともする刑事が、富豪から息子の女に手を切らすように頼まれる。その女の出ている劇長主が殺される。刑事は一枚の写真を手掛かりに捜査を始めるが... 。ボングスト3作目の映画音楽。 SP/CR-20006 HIT-1753 映画公開当時にシングル盤のみが発売された。HIT-1753(1970年5月1日SEVEN SEAS - キング)"夜の刑事(UN DETECTIVE)/ 〃 パート2(UN DETECTIVE (Part.2))" その他に映画音楽関係はFON- 1042 (FONTANA -日本ビクター) "あゝ結婚(O CIELO CE MANNA STI'CCOSE)/私にすべてを告げて(TUTTI MI DI CONO)"発売時定価 330円(1965年4月)の盤です。1964年イタリア映画、65年5月日本公開。ヴィットリオ・デ・シーカの監督、ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ主演の結婚にまつわる悲喜こもごものコメディ。フレッド・ボングストの歌に関しては、私も映画を見ていないので詳しいことは分かりません。個人的にはカンツォーネとして聞いています。 イタリアのシングル盤(CRA-91943)を見つけました。曲目編成も国内盤と同じで、サントラ盤であることは間違いなさそうです。 FON- 1042 CRA-91943 HIT-1362 (SEVEN SEAS - キング) "荒野の1ドル銀貨(A MAN... A STORY)"ジャンニ・フェリオ楽団 (GIANNI FERRIO)/フレッド・ボングスト(FRED BONGUSTO)発売時定価 370円(1966年7月20日)の盤です。1965年イタリア映画、67年9月日本公開。1965年イタリア・フランス映画。66年7月日本公開。モンゴメリー・ウッド(ジュリアーノ・ジェンマ)主演。悪党に殺された弟の敵討ちをする。主人公が撃たれるが、胸の弟にもらった1ドル銀貨に弾が当たり救われたという話。音楽はジャンニ・フェッリオ。最盛期のマカロニ・ウェスタンの主題歌は大物歌手がこぞって歌いました。この曲のイタリア語ヴァージョンは"君が君でなかったら(SE TU NON FOSSI BELLA COME SEI)"は1965年年間ベスト・セラー47位となりカンツォニッシマでも歌われました。 HIT-1362 HIT-1439 HIT-1439 (SEVEN SEAS -キング) "続・さすらいの一匹狼(ADIOS GRINGO)/ジ(GI)"発売時定価 370円(1967年6月10日 SEVEN SEAS - キング)の盤です。1965年イタリア映画、67年9月日本公開。ジョージ・フィンレイの監督、ジュリアーノ・ジェンマ主演、フレッド・ボングスが歌うマカロニ・ウェスタンの主題歌です。濡れ衣を着せられた主人公が荒野で一人の女を助けたその女を襲って捨てた三人組が罪をかぶせた連中、ガンマンの復讐の旅が始まる。ボングストの"ドス"の聞いた声が効果的な曲でした。B面は1967年サンレモ音楽祭の参加曲、ルイジ・テンコの自殺騒ぎがあり落着かない大会となったため、静かなこの曲などは明らかに割を食った感じがします。 FM-1091 FM-1091 (SEVEN SEAS -キング) "続・青い体験 (PECCATO VENIALE)/フリーダ(FRIDA)"発売時定価 500円(1975年8.月SEVEN SEAS - キング)の盤です。1975年イタリア映画、75年8月日本公開。サルヴァトーレ・サンペリの監督、ラウラ・アントネッリ主演、フレッド・ボングス音楽。私の愛の喜びを教えたくれたのは、恋人の弟! イタリアお得意の青春ラヴ・コメディ。 "荒野の1ドル銀貨"の定番商品2枚を紹介しておりましょう。FM-1010 (SEVEN SEAS -キング) "真昼の用心棒 (BACK HOME SOMEDAY)/荒野の1ドル銀貨(A MAN... A STORY)" セルジョ・エンドリゴ(SERGIO ENDORIG)/フレッド・ボングスト(FRED BONGUSTO)発売時定価 500円(1972年5月5日SEVEN SEAS - キング)の盤です。 FM-1010 FMS-1013 FMS-1013 (SEVEN SEAS -キング) "荒野の1ドル銀貨(A MAN... A STORY)/真昼の用心棒 (BACK HOME SOMEDAY)"フレッド・ボングスト(FRED BONGUSTO)/セルジョ・エンドリゴ(SERGIO ENDORIG)発売時定価 非表示(1977年7月SEVEN SEAS - キング)の盤です。 次回はフレッド・ボングスト、本来のカンツォーネ、ナポリターナ歌手のことをお話し、国内盤LPもご紹介しましょう。
2012.04.29
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ヤフー・オークションへ「映画音楽のレコード」の出品に一区切りつけ、今は落札していただいたレコードの仕分けと発送の準備で、てんやわんや(獅子、相当の年配の人しか分からないでしょう、なら「ピッ、ピッ、ピヨコちゃんじゃ…」)もっと混乱しそうなで止めておきます。 ミルバは “続・世界残酷物語”と“愛のフィナーレ”を出品しました。“愛のフィナーレ”はオークションの中で場違いの感じがあったかも知れませんが、敢えて日本語の曲を入れました。この曲、多分国内シングル盤としては一番売れたのではないでしょうか? ポリドール盤が! オークションの説明文は、『キング(SEVEN SEAS)HIT-1600 “愛のフィナーレ[日](FINALE D'AMORE [J])/ゆきずりの人[日](LE TEMPS EST LOIN [J])” ミルバ(MILVA)、発売時定価400円(1969年4月発売)・・・・“愛のフィナーレ”はHIT-1488(68年1月)、この盤と同じカップリングで初盤がザ・ピーナッツと同時期に発売されました(BS- 778“恋のオフェリア”のB面として)。そして映画「津軽絶唱」で使われることになり再発売されました。皆さんが一番目にするのはDP-1726(1970年8月発売POLYDOR -日本グラモフォン)だと思います。ミルバの所属したRICORDIの日本での販売権が70年春にキングから日本グラモフォンに移籍したためです。その為、この盤は約1年ほどしか発売されなかった貴重盤となりました。』 ミルバやクラウディオ・ビルラなどの代表作は?あるいは国内盤で一番売れた曲は?と言うと、日本の曲を日本語で歌っていたり、ニコ・フィデンコ、セルジョ・エンドリゴ、フレッド・ボングスト、アリダ・ケッリ等々は映画音楽であったりして、本来のイタリアのカンツォーネの曲を知っているのは、かなりのファンの人たちに限られてきます。こう嘆いても仕方がないので、居直ってミルバほかの「愛のフナーレ」を並べてみましょう。まずはザ・ピーナッツと共作として出た初盤です。HIT-1488(1968年1月 SEVEN SEAS - キング)“愛のフィナ-レ [日](FINALE D'AMORE [J])/ゆきずりの人 [日](LE TEMPS EST LOIN [J])”HIT-1488 BS- 778 BS- 778(1968年2.月1日KING -キング)“恋のオフェリア/愛のフィナ-レ”両面ともなかにし礼作詞、宮川泰作曲です。つぎがオークションに出品した映画「津軽絶唱」に使われた盤です。1969年東宝、岡本愛彦監督、北大路欣也、星由里子主演、なんと英語のタイトルが“Gone with Love, Come with Memory”だそうです。知りませんでしたHIT-1600 DP-1726 最後が一番お目にかかるDP-1726(1970年8月発売POLYDOR -日本グラモフォン)B面が“世界は二人のために [伊](QUELLA ROSA)”同じポリドールということで菅原洋一もこの盤に合わせてカヴァーしました。DR-1541(1970年9月1日発売POLYDOR -日本グラモフォン)“愛のフィナ-レ/渚の二人”DR-1541 SKW- 47~8 もっとシングル盤でカヴァーがあるかと探しているのですが、案外ありませんでした。変わったところで布施明の英語ヴァージョンがSKW- 47~8(1972年KING -キング)“マイ・フェイ/布施明”に収録されています。1枚目が布施明の自作曲、2枚目が宮川泰の作品集という仕立てです。 ウェブで検索していると尾崎紀世彦、越路吹雪、欧陽菲菲、藤村みきなどの名前が出てきますが、スタジオ録音盤があるのは尾崎紀世彦くらいなのかな?という感じです。私の持っているのは沢たまき、彼女のアルバムにも収録されています。SJX- 214(1975年 VICTOR -日本ビクター)“夜のためいき/沢たまき”SJX- 214 GXC- 43 演奏物ですが、筒井広志オーケストラの物もありました。GXC- 43(1978年 3月21日 SEVEN SEAS – キング)“カラオケ・カンツォーネ編オリジナル・レコーディング・オーケストラ(CANZONE/BEST OF BACKING TRACKS)”V.A.最後に本来ならザ・ピーナッツの歌で収録されてもおかしくないはずですが、日本人歌手の中にただ一人ミルバの歌がCDの全集に採用された例です。私はこの1枚だけ持っていますが、ひょっとすると通販商品かもしれません。DRF-3717(1999年 RCA/MINORPHONE -BMGジャパン)“なかにし礼大全集17 石狩挽歌~愛のフィナーレ” DRF-3717 事ここまでくれば初盤のB面“ゆきずりの人 [日](LE TEMPS EST LOIN [J])”について、少しお話しましょう。見てお分かりのようにフランス語です。フランスのマイナー・レーベルでレ・ギターレス・デ・エンパイアーが1964年にヒットさせたとしか分かりません。日本では坂本スミ子FS- 8(1967年12月25日 PHILIPS - 日本ビクター)“朝も夜も/ゆきずりの人”が出ています。時期としてはミルバとほぼ同時期に出されています。現物を探していますが、いまだ入手できていません。FS- 8 US- 563 演奏物ですがUS- 563(1968年1月10日 UNION -テイチク)“ゆきずりの人(LE TEMPS EST LOIN)/浮気ごころ(IL FAUT LUI PADRONNER)” エディ・プロコフスキー と ザ・ラーク (EDDIE PROKOVSKY & THE LARK) 、東京のクラブまわりをしていたバンドのようですが、どこまで外人なのかもわかりません。 また、この曲は1980年初め頃、テレビ・ドラマの主題歌につかわれ、岸洋子が歌ったとの情報もありますが、確認できていません。坂本スミ子、岸洋子の歌はどんなものだったのか、ぜひ聞いてみたいものです。誰か情報を持っていらっしゃる方はありませんでしょうか。
2012.04.27
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4月23日で、3月末から再開したヤフー・オークションへの「映画音楽のレコード」の出品を終えました。この後は「本業」カンツォーネの出品ですが、ゴールデン・ウィークにも入りますので、しばらく時間をおいてからにするつもりです。 1ヶ月弱ですが作業している間に、冬のような春から、初夏のような春に季節はうつり替わっておりました。少々お疲れなのか、気温に体が付いていっていないのかダルさを感じております。 さて、中古屋のオジサンに勧められるまま注文した新品CDはこのところハズレまくっていましたが、久しぶりにまあ聞ける盤にあたりました(と言うよりは自分の知っている曲が入っている盤に)。 この盤、日本では3月31日頃に出たようです。一般価格(税込)¥2,825となっておりました、Webを探してみてください。 IRM- 913・CD (2012年 IRMA - IRMA, Italy) "スイート・カテリーナ/ヴィンテージ・カクテル・ビート (SWEET CATERINA/VINTAGE COCKTAIL BEAT)" [歌] スイート・カテリーナ (SWEET CATERINA) 1.UN ESTATE FA (ミスター・サマータイム[伊])2.SPLENDIDO SPLENDETE (スプレンディ-ド)3.RUMORE (ルモーレ)4.ECLISSE TWIST (太陽はひとりぼっち)5.CONVERSAZIONE (ふたりの囁き)6.SOLO TU (ソロ・トゥ)7.CARTOLINE8.BELL'AMORE9.COM'E' BUIA LA CITTA' (消えゆく太陽[伊・英])10.PAROLE PAROLE (甘い囁き)11.E LA LUNA BUSSO' (月のノック)12.LA NOTTE (夜のメロディー [伊]) 本名はカテリーナ・ソルダーティ(CATERINA SOLDATI)、Webを探してみたのですがバイオグラフィーは分かりませんでした。2008年のカストロカーロに参加、2010年の新人発掘フェスティヴァルTNTに招待されています。声の質は少し低め、イルマ・レコードのラウンジ系、ユーロ・ボッサを歌うには最適名声でしょう。声を"張る"となかなか色気の声で、しっかり歌っているところが将来、楽しみです。若き日のイヴァ・ザニッキに似ているところもあります。ジョルジァのように化けるかもしれません。 1. "ミスター・サマータイム" 日本でもサーカスがヒットさせた曲で掴みはOkでしょう。この曲自体フランスのミッシェル・フュガンの"愛の歴史(UNE BELLE HISTOIRE)なのでこの位置いても違和感なし、というところでしょうか。 2."スプレンディ-ド" ドナテラ・レットーレの1979年のディスコ系ヒット曲、この頃のヒット・パレードは外国曲に占められていましたが、レットーレの曲はイタリア人だけなら第6位の大ヒットでした。 3."ルモーレ" ラファエラ・カーラの1974年のディスコ系ヒット曲。ラフェエラは歌って、踊って、演技して、司会をするイタリアを代表する"ショウ・ガール"。カンツォニッシマの総合司会もしています。 4."太陽はひとりぼっち" 1962年のミケランジェロ・アントニオーニ監督、アラン・ドロン、モニカ・ヴィッティ主演のイタリア・フランス映画。ジョヴァンニ・フスコの音楽、この曲はインストでヒットしましたが、ミーナが歌ったことでも良く知られています。日本ではLL- 5023 (1963年10月 MGM -日本コロムビア) "ヴォラ・ヴォラ(VOLA VOLA DA ME)/太陽はひとりぼっち(ECLISSE TWIST)"で発売されています。 LL- 5023 SFON- 1010 5."ふたりの囁き" リフィ時代の最後の年1967年のミーナの曲。ラクキングではそう目立つ曲でありませんでしたが、日本ではSFON- 1010 (1968年2月25日 FONTANA -日本ビクタ-) "ラ・バンダ(LA BANDA)/ふたりの囁き(CONVERSAZIONE)"で発売されています。 6."ソロ・トゥ" 1977年から78年にかけてヒットしたマティア・バザールの曲。10週ランク・インし1位となりました。5枚目のシングル盤で、スペイン語ヴァージョンも成功しミケール・ボゼほか多くのカヴァーも作られたようです。イタリアのシングル盤はAR-00793 (1977年 ARISTON - ARISTON, Italy)"ソロ・トゥ(SOLO TU)/一時のために...そして(PER UN MINUTO E POI...)" AR-00793 RFN・NP-16232 7. カルトーネ(CARTOLINE) 意味は絵の下書きのこと。日本では未発売のミーナの曲。RFN・NP-16232(1967年10月 RIFI - RIFI, Italy) "別れられない(TU NON MI LASCERAI)/カルトーネ(CARTOLINE)"、ブルーノ・カンフォーラの曲です。 8. ベル・アモーレ(BELL'AMORE) リッカルド・ロンカーリ(RICCARDO RONCAGLI)とカテリーナ・ソルダーティ(CATERINA SOLDATI)の作。自作のオリジナル曲のようです。 9. 消えゆく太陽 (AIN'T NO SUNSHINE)1971年にビル・ウィザース(BILL WITHERS)が放ったヒット曲、当時日本ではA&Mレーベルで発売されてます。トム・ジョーンズほか多くの歌手がカヴァーしており、カテリーナは前半をイタリア語、後半を英語で歌っています。 10. 甘い囁き(パローレ・パローレ) 1972年ミーナ とアルベルト・ルーポがデュエットして大ヒットしました。日本ではダリダとアラン・ドロンのほうがヒットしたため、オリジナルがミーナであることを知らない人もいるようです。ミーナのシングル盤は2度発売されました。EOR-10186 (1972年12月 ODEON -東芝音楽工業.)、EOR-10532 (1974年6月 ODEON -東芝EMI.)"パロ-レ、パロ-レ(甘い囁き)(PAROLE PAROLE)/アダージョ(ADAGIO)"EOR-10186 EOR-10532 11. 月のノック(仮) ロレダーナ・ベルテの1979年のヒット曲。マリオ・ラヴェッツィ、オスカー・アヴォガドロ、ダニエレ・パーチェの作。日本未発売の曲です。 12.夜のメロディー [伊] 日本でもおなじみの"夜のメロディー(LA NUIT)"のイタリア語ヴァージョン。1965年アダモのイタリア語ヴァージョンの"LA NOTTE"は28週ランク・イン、最高位2位の大ヒットとなりました。 太字の曲名は国内盤で発売されている曲です。 こうして曲目を見るとミーナが4曲で圧倒的ですが、レットーレ、ロレダーナ・ベルテ、ラファエラ・カーラ、マティア・バザールのアントネラ・ルッジェーロと強烈な個性の歌手たちの歌を選んでいます。しばらく彼女に注目してみたいと思っています。 サンプル曲が聴けますhttp://www.musicline.de/de/player_flash/8033237769138/0/3/50/product
2012.04.25
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オークションもなんとか順調に入札していただいております。映画「砂上物語」の2件も複数のご入札がありました。昨年秋、出品を初めて間もない頃にこの2枚のシングル盤を出品したのですが、なかなか入札がされず、若干値引きをしてやっと落札してもらえました。今回は映画音楽一本に絞ったので、皆さんに出品を見てもらえたのが良かったのかもしれません。出品のアドレス cnz27hiro http://openuser.auctions.yahoo.co.jp/jp/user/cnz27hrio ですJET-1371 (1964年4月GLOBE –日本ビクター) “砂の上のバラ-ド(黒い星)(STELLE NERE)/私のロボット(SONO UN ROBOT)” キコ・フスコ(KICO FUSCO)JET-1371 SS-1462 SS-1462 ((1964年8月 VICTOR –日本ビクター)“砂上物語(STORIE SULLA SABBIA)/愛する恋人に会う時(QUANDO VEDRETE IL MIO CARO AMORE)”カルロ・フェラーラ楽団(CARLO FERRA'RA)/ドナテラ・モレッティ(DONATELLA MORETTI) これからお話しするのはSS-1462 のB面に入っているドナテラ・モレッティのことです。ビクターはこの当時(1964年以前)カンツォーネに力を入れておりキング・レコードと競っていました。というより各社満遍なく可なり力を入れておりました。チンクェッティの“夢みる想い”前、直後の黎明期のお話です。64年9月にはRCAの歌手9人が全国13都市16公演のツアーにやって来ました。ニコ・フィデンコを筆頭にジノ・パオーリ、新人ホープでジャンニ・モランディもいました。当時のビクターの方式は有名な(売れそうな)イタリア映画音楽のB面にカンツォーネ歌手の歌を入れるという方法を取って いました。その後キングはチンクェッティのサンレモ曲に新人のカテリーナ・カセルリやマッシーモ・ラニエリを入れる作戦を取りました。話を元に戻しましょう。同じことを映画「砂上物語」のB面に当時清純派アイドルとして売出していたドナテラ・モレッティの“愛する恋人に逢う時”をいれました。62年にデビューし4枚目のシングル盤(63年)の曲です。また彼女最大のヒット曲でもありました。PM-3229 (1963. RCA – RCA ITALIANA) “QUANDO VEDRETE IL MIO CARO AMORE (愛する恋人に会う時)/ MATRIMONIO D'INTERESSE”PM45-3229 PM45-3114 PM45-3114 (1962. RCA – RCA ITALIANA) “L'ABBRACCIO/ SE POTESSI” なにしろデビューは幸運にも恵まれたとしても第1回カンタジーロのジローネB(新人部門)でいきなり優勝、総合順位でも第3位になってしてしまったのです。曲は“ラ・ノビア”の創唱歌手アントニオ・プリエートの曲“EL BRANZO” をカヴァーしたものです。翌年63年のカンタジーロにはジローネA(スター部門)の出場で、第4位“私の20年間をどうするつもり?(COSA FAI DEI MIEI VENT'ANNI)”、64年“恋の法則(LA LEGGE DELL'AMORE)”(この年度は優勝曲のみ決定)、65年“あなたは出て行く(TI VEDO USCIRE)”第7位、66年“海上の月の光(CHIARO DI LUNA SUL MARE)”第6位とRCAイタリアーナに在籍中は第1回から連続出場を果たしました。PM45-3319 (1965. 6. RCA – RCA ITALIANA)“TI VEDO USCIRE(あなたは出て行く)/NON M'IMPORTA PIU'”"あなたは出てゆく"はシラ・ブラックのOR- 1568(1966. 9. 5 ODEON - 東芝音楽工業)"忘れたいの(DON'T ANSWER ME)/アルフィー(ALFIE)"の"忘れたいの"の元曲です。シラ・ブラックの盤を探しています。せめてジャケット画像だけでも! PM45-3319 カンタジーロに強いRCAイタリアーナもサンレモ音楽祭に関してはゴタゴタ続きで、1965年は出場辞退、翌66年は変則的にエドアルド・ヴィアンネロのみの出場となりました。大会社RCAイタリアーナではドナテラ・モレッティでも出場順は10番目以下で、いくら待ってもサンレモ音楽祭に出場は出来そうもありません。そうする内に、人気も下降気味だったニコ・フィデンコが新興マイナー・レーベル、パレード(PARADE)に移籍します。マカロニ・ウェスタンのサントラ・ファンにはかなり知られた会社です。ドナテラもフィデンコの後を追うかのようにRCAをやめパレードに移籍します。そして彼女も念願かない1967年のサンレモ音楽祭に出場出来ました。PRC-5024 (1967. 1.PARADE – PARADE,Italy) “想いをこめて(UNA RAGAZZA)/UN AMORE”PRC-5024 HIT-1434 HIT-1434 (1967. 5.10 SEVEN SEA - キング) “ガンマン無頼(TEXAS ADDIO)/想いをこめて(UNA RAGAZZA)” ドン・ポウエル(DON POWELL)/ドナテラ・モレッティ(DONATELLA MORETTI)残念ながら、ジャケットに彼女の名前も写真もありませんが、立派にサンレモ曲は国内盤でも発売されました。この後、日本では彼女の名前を見なくなりました。この辺りは以前ブログに書いたロベルタ・マッツォーニによく似ています。この後の部分は同じくブログに書いたミランダ・マルティーノ(MIRANDA MARTINO)に似ています。しかし33年後2000年になって突如、ドナテラ・モレッティの名前が出てきました。なんど彼女の曲がエンニオ・モリコーネのアレンジだったことでCD化されて国内盤が出されました。BVCM-37063~72 (2000. 3.23 RCA - BMGファンハウス) “エンニオ・モリコーネ・クロニクル(THE ENNIO MORRICONE CHRONICLES)” 収録曲は3曲4.愛する恋人に会う時 (QUANDO VEDRETE IL MIO CARO AMORE)5.小さな雫 (MILLE GOCCE PICCOLINE)6.一年以上も (ERA PIU' DI UN ANNO)BVCM-37063~72 BVCM-37208~9 BVCM-37208^9 (2001. 4.25 RCA -BMGファンハウス) “エンニオ・モリコーネ/アルティメット・イタリアン・ポップス・コレクション(ENNIO MORRICONE/40th COMMEMORATION : ULTIMATE ITALIAN POPS COLLECTION)”11.私の20年間をどうするつもり? (COSA FAI DEI MIEI VENT'ANNI)12.海である日 (UN GIORNO DI MARE)話は前後しますが、彼女の“愛する恋人に会う時”はSHP-5337(1964. 8. VICTOR -日本ビクター) “太陽! 恋! 歌!(FESTIVAL IN CASA)” にも収録されています。このLPはイタリア本国でサンレモ音楽祭に参加できない自社の歌手だけの音楽祭をしたアルバムです。 SHP-5337 最後の彼女のバイオグラフィーとイタリアのファースト・アルバム(今年の初め幸運にも入手したもの)を紹介します。PML-10355 (1963. RCA – RCA ITALIANA) “ドナテラ・モレッティ/16才の日記(DONATELLA MORETTI/DIARIO DI UNA SEDICENNE)” 1.MILLE GOCCE PICCOLINE (小さな雫)2.LE STELLE IN MANO3.SANTI DI CIOCCOLATA4.NON TEMERE5.TI CHIEDO SCUSA6.NESSUNO SA7.MATRINONIO D'INTERESSE8.QUANDO VEDRETE IL MIO CARO AMORE (愛する恋人に会う時)9.UNO SOLO10.NON ME NE IMPORTA NIENTE DELLA GENTE11.NON PUOI AVERE SCORDATO12.PASSERANNO ※アレンジはエンニオ・モリコーネドナテラ・モレッティ(DONATELLA MORETTI) 1942年9月17日ペルージャ生。これまで書きましたように、華々しく第1回カンタジーロ新人部門優勝でデビュー、清純派アイドルとして活躍しました。その後1967年マイナー・レーベル「パレード」でサンレモ音楽祭出場を果たしました。アイドルには終止符を打ちました。 71年ナポリのキング・ユニヴァーサル(ペピーノ・ガリアルディもいた会社)に移籍、カンタウトゥーリたちの曲を集めた“Storia di storie,”を、翌72年アルバム“Conto terzi” 出しました。その後は1、2に1枚程度シングル盤かアルバムを出し、2000年にはルイス・バカロフ(Luis Enrique Bacalov)らと子供向け音楽のアルバム“ZUCCHERO FILATO”も制作しております。
2012.04.17
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久しぶりに映画音楽を探しまわり、「ブ-ベの恋人」のレコードにヴァリエーションが多いのに、“今更”気づきました。まずLP盤、初盤が1964年10月にSFON- 7039(FONTANA - 日本ビクター)が発売されました。 その後1977年1月にFDX- 281(FONTANA - 日本フォノグラム)が再発売されました。初盤の最大の特徴、デカデカのCAMマークとオリジナルのレコード番号が消えてしまったのは残念です。1970年8月にビクターからフォノグラムが独立しているので、SFON- 7039(FONTANA - 日本フォノグラム)という盤があるはずです。私は(面倒臭いので)確認していません。お持ちの方があれば教えてください。SFON- 7039 FDX- 281 1.ブーベのブルース (BUBE)2.ステファーノ (STEFANO)3.回想 (RIEVOCAZIONE)4.除隊 (LIBERAZIONE)5.ブーベよ、さようなら (BUBE, ADDIO!)6.哀惜 (...UN RIMPIANTO)7.望みも消えて (DESIDERIO SPENTO)8.あの人はもう来ない (MALINCONIA LONTANA)9.絶望の孤独 (PASSI)10.夜が来る (VIENE LA SERA)11.川に霧がたち (NEBBIA SUL FIUME)12.マーラ...君を愛す (MARA... T'AMO)13.偽り (NASCOSTI!)14.悲しき追憶 (RICORDO TRAGICO)15.いなかの市 (MERCATO PAESANO)16.目覚め (RISCEGLIO)17.不安 (ANSIE)18.遠い町 (CITTA LONTANO)※19. 再会(あなたはまだ1人?) (SEI TU SOLA)※20. ブーベの恋人 (LA RAGAZZA DI BUBE) ※印 CDで追加の2曲WWCP-7203 KICP-3211 CDは2枚出ているのを確認していますが、ひょっとすると他にも出ているかもしれません。下記の盤以外で発売されているようなら教えてください。WWCP-7203 (1992年12月12日 SEVEN SEAS - ウェイヴ(制作キング)) とKICP-3211 (2007年3月 7日SEVEN SEAS - キング) です。CD化で2曲追加されました。コンパクト盤、“4曲入り”と言われている17cm33・1/3rpm のミニアルバムが1枚、SFON- 3007 (1964年10月 FONTANA - 日本ビクター)“ブ-ベの恋人(LA RAGAZZA DI BUBE)” SFON- 3007 1.ブーベの恋人 (LA RAGAZZA DI BUBE)2.ブーベのブルース (BUBE)3.ブーベよ、さようなら (BUBE, ADDIO!)4.ブーベの恋人 愛のテーマ (MARA... T'AMO)最後がシングル盤です。これはかなりのヴァリエーションがあります。まず初盤です。FON- 1038 (1964年10月 FONTANA - 日本ビクター)“ブーベの恋人 (LA RAGAZZA DI BUBE)/ブーベのブルース (BUBE)”多分初版だと思います。ピクチャー・レーベル、三つ折ジャケット。 この初盤初版に)販促用5F- 5019ソノシート (FLEX)付きというのがあります。サウンド・トラックからダイレクトにトラックダウンした音声にナレーションを入れたものです。 5F- 5019 いつ頃から使われたのかよく分かりませんが、二つ折りジャケットがあります。 ←右上のジャケットが一番見かけるものです。初盤三版 準新譜1969年 2月再発売の一枚ジャケットです、右下の表記が「日本ビクターのフォンタナレコード」になっています。 初盤三版と同じデザインですが、1970年8月フィリップス・グループが日本ビクターから独立し、日本フォノグラムになって以降に使われたのか初盤四版です。右下の表記が「フィリップス・レコード・グループのフォンタナレコード」に変わりました。 ← FD- 1009 FD- 1009 (1970年10月 FONTANA - 日本フォノグラム)“ブーベの恋人 (LA RAGAZZA DI BUBE)/ブーベのブルース (BUBE)”カスタム・エバーグリーン・シリーズとして発売された再盤です。定番商品として長くカタログに置いておく盤として出されています。初盤四版(レア物か!)がどのくらい重なって出ていたかは良く分かっていません。FD- 2030 (1976年2月 PHILIPS - 日本フォノグラム)“ブーベの恋人 (LA RAGAZZA DI BUBE)/ブーベのブルース (BUBE)”フォンタナ・レーベルが整理されフィリップス・レーベルに統合された後の三盤です。フィリップス・オリジナル・サウンド・トラック・コレクションの1枚として発売されました。FD- 2030 6PP-1039 6PP-1039 (1980年3月25日PHILIPS - 日本フォノグラム) “ブーベの恋人 メイン・テーマ (LA RAGAZZA DI BUBE MAIN THEME)/ブーベのテーマ (BUBE)”ニュー・ベスト・カップリング・シリーズとして日本フォノグラム(アナログ・シングル盤としても)最後の四盤です。今までのB面のタイトル“ブーベのブルース”は「いかがなものか」という話となったのでしょう、日本語タイトルを変更しました。この“ブーベの恋人”のヒットにより日本ビクターは1965年初めから2年間CAMを独立レーベルとして発売したのでした。「日本版ウィキペディア」に書かれている“ブーベの恋人”のカヴァー曲を最後に紹介しておきましょう。まずはCAMレーベルを称えCAM- 1006 (1965年11月 CAM – 日本ビクター) “波止場のテーマ(UNNI SI)/ブーベの恋人(LA RAGAZZA DI BUBE)” アリダ・ケッリ (ALIDA CHELLI)CAM- 1006 SPV- 25 SPV- 25 (1964年10月25日 VICTOR - 日本ビクター モノラル盤はSV-6818)“ブーベの恋人[日](LA RAGAZZA DI BUBE [J])/夢見るバラの乙女” いしだ あゆみ(ISHIDA,AYUMI)、デビュー後半年たった8枚目のシングル盤でした。BS-7053 (1964年11月. KING – キング)“マイ・ラヴ/ブーベの恋人[日](LA RAGAZZA DI BUBE [J])” ザ・ピーナッツBS-7053 SDR-1056 SDR-1056 (1965年1月 POLYDOR -日本グラモフォン) “ラ・マンマ[日](LA MAMMA [J])/ブ-ベの恋人[日](RAGAZZA DI BUBE [J])” 小林 暁美LL- 681・JC (1964年11月. CBS COLUMBIA –日本コロムビア)“ブーベの恋人(LA RAGAZZA DI BUBE)/夜は恋人(MEA CULPA)” ムービーランド・シンフォネットLL- 681・JC BS-7052 BS-7052 (1964年KING – キング)“ブーベの恋人(LA RAGAZZA DI BUBE)/スェーデンの城(CHATEUA EN SUE'DE)” レオン・ポップスLPにしか収録されていないと思いますが、珍しいところでは麻丘めぐみ、グラシェラ・スサーナも歌っています。SJV- 820~1(1975年12月 VICTOR)“麻丘 めぐみ/ベスト・コレクション'76”SJV- 820~1 ETP-90095 ETP-90095 (1980年 EXPRESS - 東芝EMI) “グラシェラ・スサーナ/哀愁のスクリーン・テーマVol.3(GRACIELA SUSANA/SCREEN THEMES Vol.3)”ところでブーベ(BUBE)は男性の名前です。ついクラウディア・カルディナーレのやっている女性名と間違えそうになるのは私だけでしょうか?「ブーベの彼女」ですから男性ですね!
2012.04.14
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オークションの説明文ばかり載せて申し訳ありませんでした。 オークションの出品作業に入ると結局一日時間を取られてしまいます。 映画音楽はかなり需要があると思い先に始めたのですが、結果はなかなか厳しいものがあります。 ラシイ物はマニアに行き渡り、よほどの物でなければ関心をひかないようです。 アルバムはあまり持っていなかったので、ほとんど出しましたが(当然、自分が要る物を除いて! 本当はそちらの方を出せば、即、入札されるのでしょうね)、シングル盤はまだ半分くらいのこっていますが、入札の状況をみて今後出品するかどうか考えようかと思っています。 最近買った物を少し紹介しましょう。先週月曜日に今年のサンレモのコンピを2枚。これは誰かが書くでしょうから、横に置いておいて! とはいえこの十年サンレモの盤を聞くのは、作業をしながらうしろで流しています。誰が歌っているのも、第何位かも知らない状態で聞いてみます。どの曲が印象に残るか!優勝が決まった時点で、RAIのサイトでエンマの優勝発表の映像を見たとき、なかなか良いのでは、と思ったのですが。CDではいつエンマの曲があったかも覚えていませんでした。声に特徴があったのはエウジェニオ・フィナルディだけでした。2795267 88691-94680・2 さて、今日のタイトルにしたヤフ・オク落札のシングル盤です。N- 531 N- 531 (1965年 NET - SIDET, Italy) "恋は君のもの(PRIMA O POI)/愛の想いは [伊](E PIU' TI AMO(PLUS JE T'ENTENDS [I]))" データ的には、となります。 これはまったく偶然の幸いで、普通はなかなかデータが分からないものです。さらに偶然にもジャケット(スリーブ)画像を見つけました。 この盤はA面よりB面のフランコ・バッティアートの方がメインです。イタリア・ポピュラー音楽界の鬼才、プログレッシブ歌手アリーチェ(ALICE)、ジュニ・ルッソ(GIUNI RUSSO)などを発掘し育てました。プロ・グレの人の話ですと、BLA BLAレコードに入るまで(60年代)は、けっこう普通の歌手だったそうです。 アリーチェはカルラ・ビッシ(CARLA BISSI)として72年のサンレモ音楽祭に"さよならを云った心(IL MIO CUORE SE NE VA)"、ジュニは68年サンレモ音楽祭でジュシー・ロメオ(GIUSY ROMEO)の名で"ノー・アモ-レ(NO AMORE)"を歌い、いずれも参加にとどまり、そう目立つこともない普通の女性歌手でした。CI-20314 SCMQ-7082 フランコ・バッティアートの経歴とディスコ・グラフィーは下記のウィキペディアをご覧ください。http://it.wikipedia.org/wiki/Franco_Battiato http://it.wikipedia.org/wiki/Discografia_di_Franco_Battiato 今回落札したのは、ディスコ・フラフィーのシングル欄に載っている2番目の盤です。会社は私のブログの「アル・バーノを世に出したロベルタ・マッツォーニ(ROBERTA MAZZONI)」で書いたNETでした。バッティアートの場合もまだ素人同様の歌手で有名な曲を歌わされていました。"愛の想いは"はフランスRCA時代のアラン・バリエールの曲です。 RCA-5058 (1973年 6月RCA - ビクター音楽産業) "マ・ヴィ(私の人生)/アラン・バリエール(ALAIN BARRIE'RE)" 1.マ・ヴィ (MA VIE)2.愛の想いは (PLUS JE T'ENTENDS)3.マリージョコンド (LA MARIE-JOCONDE)4.愛のバラード (LA BALLADE DES AMOURS)5.アル・カンタラからもどろう (JE REVIENDRAI D'AL CANTANA)6.ドミノ (DOMINO)7.愛しあったとき (ELLE E'TAIT SI JOLIE)8.キャシー (CATHY)9.さらばカラムー (ADIO KARAMOU)10.道 (LA ROUTE)11.王と王女の嘆き ()COMPLAINTE DU ROI ET DE LA REINE12.枯葉 (LES FEUILLES MORTES) イタリア語版はジーノ・パオーリの作詞です。パオーリ自身も歌っていますし、バッティアートの歌い方はパオーリのをコピーしているようです。この曲は、私のブログの「ルーチョ・ダッラ(ルチオ・ダルラ)逝く」で少し触れましたが、ここで改めてご紹介します。私の持っているのはアメリカ盤です。PML-10408(1965年 RCA - RCA,USA) "ジーノ・パオーリ/スタジオA(GINO PAOLI ALLO STUDIO A)" 1.LEI STA CON TE (あなたと共に)2.IL TUO AMORE (君の愛)3PRIMA DI VEDERTI4.VIVRO' (MA VIE) (マ・ヴィ)5.E PIU' TI AMO (PLUS JE T'ENTENDS) (愛の想いは)6.PIANO (WHERE DID OUR LOVE GO) (愛はどこへ行ったの)7.SAPORE DI SALE (恋は塩味)8.CHE COSA C'E (どうしたの?)9.L'ORA DI PIANGERE (REMEMBER~WALKIN' IN THE SAND) (リメンバ-~渚のおもいで)10.IL CIELO IN UNA STANZA (しあわせがいっぱい)11.IL POETA (詩人)12.RIMPIANGERAI, RIMPIANGERAI (リピアンジェライ) 6=アンナ・マリア・イッツォ (後ナンシー・クオモ) (ANNA MARIA IZZO (NANCY COUOMO) 9=ルチオ・ダルラ (LUCIO DALLA) もののツイデです。落札した盤のA面も紹介しておきましょう。"恋は君のもの(PRIMA O POI)" 1965年サンレモ音楽祭の入賞曲です。前にも書いたようにサンレモ音楽祭は新曲コンテストです。1965年1月以前にレコード化されることがないので、「標準化石」の役割を果たしています。歌手のエツォ・デ・グラディ(EZIO DE GRADI)は日本でレコードも出ている歌手です。 聞いたこともない!たぶんそうでしょう。 SJET- 227 (1964年11月 GLOBE - 日本ビクター) "夢みる想い(ITALIAN CANZONE FESTIVAL)"1.夢みる想い (NON HO L'ETA' (PER AMARTI))2.小さなキッス (UN BACIO PICCOLISSIMO)3.ほほにかかる涙 (UNA LACRIMA SUL VISO)4.ベビ-に逢うとき (QUANDO VEDRAI LA MIA RAGAZZA) 1=リタ・ベルトーニ (RITA BERTONI); 2=クレト・コロンボ (CLETO COLOMBO); 3=レロ・ツァネッティ (LELLO ZANETTI); 4=エツォ・デ・グラディ (EZIO DE GRADI)SJET- 227 JET-7196 JET-7196 (1964年9月GLOBE - 日本ビクター)"イタリアン・カンツォーネ・フェスティバル(ITALIAN CANZONE FESTIVAL Vol.1)1.夢みる片想い (NON HO L'ETA' (PER AMARTI))※2.ベビーに逢うとき (QUANDO VEDRAI LA MIA RAGAZZA)※3.ほゝにかかる涙 (UNA LACRIMA SUL VISO)※4.はじめてのデート (LA PRIMA CHE INCONTRO)※5.今夜はノー・ノー・ノー (STASERA NO NO NO)※6.一日20キロ (20KM. AL GIORNO)※7.小さなキッス (UN BACIO PICCOLISSIMO)※8.ノン・ムッシュ (NON MONSIEUS)9.悲しき土曜日 (SABATO TRISTE)10.飛びこみ (TUFFIAMOCI!)11.私の小さな汽車 (IL MIO TRENINO)12.最初に云って (PRIMA DI TE, DOPO DI TE)13.土曜日の夜 (SABATO SERA)※14.とっても幸せ (COSI FELICE)※ 1,12=リタ・ベルトーニ (RITA BERTONI); 2,4=エツォ・デ・グラディ (EZIO DE GRADI); 3,14=レロ・ツァネッティ (LELLO ZANETTI); 7,13=クレト・コロンボ (CLETO COLOMBO);5,6=ジャンカルロ・マルケッティ (GIANCARLO MARCHETTI);8,10=グラツィエラ・カリー (GRAZIELLA CALY); 11=カーラ・フェラーリ (CARLA FERRARI);9=レナート・スタビリーニ(RENATO STABILINI); ※1964年サンレモ音楽祭の曲です。 まさに素人同然の歌手に有名な曲を歌わせています。 ビクター・ワールド・グループのドリゥム(DURIUM)はリトル・トニーしか出場していなかったので、サンレモのアルバムを出すため、名も知れないNETの原盤を使った様子が見て取れます。NETの会社のことは以下イタリア版ウィキペディアをご参照ください。NET http://it.wikipedia.org/wiki/Nuova_Enigmistica_Tascabile この中でもエツォ・デ・グラディ、グラツィエラ・カリー(CALYの場合とKALYのスペルを使っていることもあるようです)、クレト・コロンボはYou-Tubeにも投稿があるようです。興味があれば探してみてください。
2012.04.10
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今回のヤフー・オークションに幾つかのオムニバス(コンピレーション)盤を出品したが、アクセス数からみると芳しい数字ではないようです。 色々な物を出しているのでそれぞれの数字をだすと、入札を煽るような行為になりかねないので、詳しい数字を出すのは控えます。 普通のポピュラー曲のオムニバス盤も難しかったですが、映画音楽もやはり難しいようです。私の分野としてそれぞれの盤の面白い曲を書いたのですが、決して万人向けでもなく、なんとなく"オムニバス"盤は「安物の寄せ集め」感が持たれるのでしょうか?私のメイン・テーマのカンツォーネはそのオムニバス盤にしか入っていない重要な曲がなんと多いことか、私はオムニバス盤をかなり大切に扱っています。 その中でリズ・オルトラーニの"クレオパトラ"があります。レコードのクレジット通りかけば、リズ・オルトラーニ指揮ローマ・サンド・ステージ・オーケストラとなります。本当に超大作であり超トラブル大作だったようです。日本版ウィキペディア"クレオパトラ (1963年の映画)" http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%91%E3%83%88%E3%83%A9_(1963%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)をご参考にご覧ください。タイトルが変わった話は、2部構成の予定が合併縮小版になったのですね。その辺の話がごちゃごちゃになっていました。 リズ・オルトラーニのサントラ音楽のことはどこにも書いていませんでした。後でLPとシングル盤を紹介しますが、曲目的には「アントニオとクレオパトラ」編のほうではなかったかという気がします。 SS-1377 (1963.11. VICTOR - 日本ビクター)"シーザーとクレオパトラ(CAESAR AND CLEOPATRA THEME)/アントニオとクレオパトラ(ANTONY AND CLEOPATRA THEME)SS-1377 SHP-5254 SHP-5254 (1963.11. VICTOR - 日本ビクター)"クレオパトラ(THE THEMES FROM"CLEOPATRA")1.アントニオとクレオパトラ (ANTONY AND CLEOPATRA THEME)2.クレオパトラの宮殿音楽 (CLEOPATRA'S PALACE MUSIC)3.愛と憎しみ (LOVE AND HATE)4.クレオパトラの御座船 (CLEOPATRA'S BARGE)5.シーザーとクレオパトラ (CAESAR AND CLEOPATRA THEME)6.シーザーへの贈りもの (A GIFT FOR CAESAR)7.アントニオ (ANTONY)8.クレオパトラ、ローマへ (CLEOPATRA ENTERS ROME)9.アントニオとクレオパトラ (ANTONY AND CLEOPATRA THEME (REPRISE)) オークションにかまけてブログが疎かになっているのが気になっていました。取りあえず1本。 さあ出品をお約束した第二弾分、写真は用意できたので説明文を書きながら、チェックのため1枚1枚聞いていきます。 (これもなかなか重労働なのです)自分の出品のアドレスを書いていませんでしたね cnz27hiro http://openuser.auctions.yahoo.co.jp/jp/user/cnz27hrio です 注)今日紹介したシングル盤、LP盤は出品しておりません。
2012.04.05
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