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★アレッサンドラ・カッザチャ (vf) Alessandra Casaccia 1950 年 12 月 12 日〜1995 年 6 月 25 日、ローマの北北東アドリア海沿いにあるアンコーナの郊外の小都市ファルコナーラ・マリッティマ(Falconara Marittima)生、没、歌手。 AR-0316 アレッサンドラはデビューする前、ナポリで歌っていました。1967年のカストロカーロ新人コンテストに出場、その年のミーナの曲“Se c'è una cosa che mi fa impazzire”で最終選考に残りアリストンにスカウトされます。 デビューは翌68年の夏のディスク・フェスティヴァル参加曲“Vedo il sole a mezzanotte”で、新人としては成功でした。B面は彼女の故郷に近いペサーノ音楽祭の出場曲です。 AR-0252 (1967 ARISTON – ARISTON) Vedo Il Sole A Mezzanotte/Quel Ragazzo Che Non Sorride Mai AR-0252 AR-0278 AR-0278 (1968 ARISTON - ARISTON) NELLA VALIGIA DELLE MIE VACANZE/RAGAZZO STRANO 2枚目はTV番組「La valigia delle mie vacanze」のテーマ曲。3枚目はカストロカーロと同様なバリで行われる「成功の帆船(CARAVELLA DEI SUCCESSI)」、通称カラヴェッラ・デイ・バリ参加曲、オーガナイザーがジャンニ・ラヴェーラでサンレモ音楽祭の登竜門でもありました。 AR-0293 (1968 ARISTON - ARISTON) UN VOLO NELLA NOTTE/RAGAZZO CIAO AR-0293 AR-0305 AR-0305 (1969 ARISTON - ARISTON) Piccola piccola (ピッコラ・ピッコラ)/ Un volo nella notte 幸運にもデビュー翌年“ピッコラ・ピッコラ”で69年サンレモ音楽祭に初出場で11位入賞します。69年2枚目は夏向けの曲として発売。(顔写真用画像をご参照) AR-0316 (1969 ARISTON - ARISTON) Bocca Taci/ Addeso Siamo Pari 3枚目は初めてのカヴァー曲。A面は米国ルウ・クリスティーの“Cantebury Road”、B面は英国イーコールズの“Michael And The Slipper Tree”です。 AR-0334 (1969 ARISTON - ARISTON) Mi Sentivo Una Regina (Cantebury Road)/ Michael E Le Sue Pantofole (Michael And The Slipper Tree) AR-0334 AR-0354 AR-0354 (1970 ARISTON - ARISTON) Il cuore scoppierà/Per strada nasce l'amore A面は70年サンレモ音楽祭で“今ぼくは生きる(ORA VIVO)”を出品したファヴァータとパガーニの曲です。 彼女の最後のシングル。情報不足でレコード番号不明、B面は“Per strada nasce l'amore”との説もある。 AR-0XXX (1971 ARISTON - ARISTON) mangerei una mela (Dama valete e rei)/come stai tu AR-0XXX その後歌手から画家に転身し75年には引退、結婚、二児の母になります。95年16才の息子が軽飛行機の練習中、彼女と教官と共にアンコーナ近海で墜落、45才の若さで亡くなりました。
2015.01.31
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アレッサンドラ・カッザチャの国内盤 GXF- 81〜90 (179年2月5日 SEVEN SEAS - キング) 30cm 10LP Boxサン・レモ音楽祭大全集 (FESTIVAL DI SAN REMO) 7-9.ピッコラ・ピッコラ (Piccola piccola) GXF- 81〜90 ★ボビー・ソロ (vm) Bobby Solo 本名ロベルト サッティ、1945年3月18日ローマ生、自作自演歌手。 1980年代後半から90年代初めに、ロザンナ・フラテルロ(ROSANNA FRATELLO)、ボビー・ソロ(BOBY SOLO)とリトル・トニー(LITTLE TONY)の三人でロボット(RO.BO.T.)というユニットを組み、活動する。 SRL-10・527 1965年サンレモ音楽祭で“君に涙とほほえみを”で優勝し、「天狗」になったボビーは急速に人気を落とします。徐々にヒットも出、69年サンレモ音楽祭でニ度目の優勝を果たします。最も華やかな時代の最後のピークを迎えました。“涙のさだめ”は年間ヒットランク24位の大ヒットとなり、ボビーの面目を保ちました。 2枚目のシングル盤“Domenica d'agosto (8月の日曜日)”はジャンニ・モランディの作曲にもかかわらず、あまりヒットせず国内盤の発売もされませんでした。この年の曲で国内盤がでたのは“涙のさだめ”のみです。というのも翌70年にリコルディの国内販売権がキングから日本グラモフォン(ポリドール)に移り、キング盤がすぐに廃盤、また新曲もすぐに出なかったためです。 アルバムは2枚ベスト盤と“ボビー・ソロ、フォークを歌う”の2枚、“フォーク”は原盤通りの形で1970年8月に日本グラモフォンから発売されました。 SRL-10・527 (1969年2月 Ricordi – Ricordi) Zingara (涙のさだめ)/Piccola ragazza triste SRL-10・527 SRL-10・545 SRL-10・545 (1969年 Ricordi – Ricordi) Domenica d'agosto (8月の日曜日)/Una donna che passò SMRP-9064 (1969年 Ricordi – Ricordi) Il meglio di Bobby Solo 1.Siesta (昼の夢) 2.La casa del Signore (CRYING IN THE CHAPEL [I] 涙のチャペル [伊]) 3.Non c'è più niente da fare (想い出の夢) 4.Una lacrima sul viso (ほほにかかる涙) 5.San Francisco - (SAN FRANCISCO (BE SURE TO WE'RE FLOWERS IN YOUR HAIR) 花のサンフランシスコ) 6.Ora che sei già una donna (想い出を失って) 7..Zingara (涙のさだめ) 8.Domenica d'agosto 9.Amore mi manchi (Honey ハニー) 10.Una granita al limone (If You Can Put That in a Bottle) 11.Se piangi, se ridi (君に涙とほほえみを) 12.Cristina (すてきなクリスティーナ) SMRP-9064 SMRL-6065
2015.01.31
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SMRL-6065 (1969年11月 Ricordi – Ricordi) Bobby folk (ボビー・ソロ、フォークを歌う) 1.Jean (ジーン) 2.La fiera del perdono (SCARBOROUGH FAIR [I] スカボロ・フェア [伊]) 3.Addio Angelina (FAREWELL ANGELINA さよならアンジェリーナ) 4.Quanto t'amo (QUE JE T'AIME [I] (ク・ジュティーム [伊])とどかぬ愛) 5.Nulla di me (ALL MY SORROWS 私の試練) 6.In The Ghetto (イン・ザ・ゲットー (ERA NEGRO)) 7.È inutile sedersi e domandarsi (DON'T THINK TWICE,IT'S ALL RIGHT くよくよするなよ) 8.Lo straniero (LE METEQUE [I] (異国の人 [伊]) 見知らぬ人) 9.Mrs. Robinson (ミセス・ロビンソン) 10.Senti come ride (聞いてごらん) 11.Portami con te (FLY ME TO THE MOON [I] フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン [伊]) 12.Argento e blu (銀と空色) ボビー・ソロの国内盤 SR- 160 (1969年2月10日 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP ボビー・ソロ/ベスト・スター・ベスト・アルバム (BOBBY SOLO/BEST STAR BEST ALBUM) 1.少女 (CANTA RAGAZZINA) 2.モア (TI GUARDERO' NEL CUORE) 3.ノン・ディメンティカール (NON DIMENTICAR (DON'T FORGET)) 4.セレネッラ (SERENELLA) 5.想い出の夢 (NON C'E' PIU' NIENTE DA FARE) 6.あふれる涙 [伊] (PER FAR PIANGERE UN UOMO (TO MAKE A BIG MAN CRY [I])) 元曲P.J.プロビー 7.激しく愛す (TE VOGLIO BENE ASSAIE) 8.枯葉 LES FEUILLES MORTES 9.魅惑のワルツ (FASCINATION) 10.スターダスト (STARDUST) 11.トゥナイト (TONIGHT) 12.ムーン・リバー (MOON RIVER) 13.ネイチュア・ボ-イ (NATURE BOY) 14.ムーラン・ルージュ (MOULIN ROUGE) SR- 160 HIT-1616 HIT-1616 (1969年3月 SEVEN SEAS - キング) 涙のさだめ (ZINGARA)/消えたほほえみ (UN SORRISO) ボビー・ソロ/ミルバ (MILVA) PS- 123 (1969年4月 SEVEN SEAS - キング) 17cm CP第19回サン・レモ音楽祭第1集 (FESTIVAL DI SAN REMO 1969 Vol.1) 1.涙のさだめ (ZINGARA) PS- 123 GW- 17〜8 GW- 17〜8 (1969年4月 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP第19回サンレモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1969) 1-1.涙のさだめ (ZINGARA)
2015.01.31
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PS- 144 (1969年7月SEVEN SEAS - キング) 17cm CP 涙のさだめ/ボビー・ソロ (?) 1.涙のさだめ (ZINGARA) 2.昼の夢 (SIESTA) 3.ハニー (HONEY) 4.愛の喜び (TE NE VAI) PS- 144 SR- 274 SR- 274 (1969年 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP涙のさだめ/ボビー・ソロ (ZINGARA/BOBBY SOLO) 1.涙のさだめ (ZINGARA) 2.昼の夢 (SIESTA) 3.君なき思い (ORA LO SO) 4.ハニー (AMORE MI MANCHI) 5.いつものように (COME SEMPRE) 6.コングラチュレーションズ (CONGRATULATIONS) 7.さよなら恋人 (L'ULTIMO GOODBYE) 8.さよなら恋人 [日] (L'ULTIMO GOODBYE [J]) 9.想いはるかに (I MIEI PENSIERI) 10.花のサンフランシスコ (SAN FRANCISCO (BE SURE TO WE'RE FLOWERS IN YOUR HAIR)) 11.君に歌うセレナード (LA SSTESSA SERANATA) 12.消え去りし恋 (SONO SOLO ORMAI)} 13.希望の緑 (VERDE)} 14.愛の喜び (TE NE VAI) HIT-1656 (1969年8月10日 SEVEN SEAS - キング) さよなら恋人 [日] (L'ULTIMO GOODBYE [J])/さよなら恋人 (L'ULTIMO GOODBYE) HIT-1656 SR- 313〜5 SR- 313〜5 (1969年10月20日 SEVEN SEAS - キング) 30cm 3LP Boxカンツォーネ・スター大名鑑 (PANORAMA DI CANTANTI) 1-13.涙のさだめ (ZINGARA) ボビー・ソロ6は1970年サンレモ音楽祭の後に続きます
2015.01.31
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★イザベラ・ヤンネッティ (vf) Isabella Iannetti本名カルメラ・ヤンネッティ(Carmela Iannetti)、1946 年 4 月 25 日最南部プリーリア州バリから西北西30kmにある小都市トラーニ(Trani) 生、歌手。 ms・A-77140 歌、ギター、ピアノを勉強し、1963年エンツォ・ラダエリと芸能週刊誌“TVソリージ・エ・カンツォーニ”が主催するコンテストに優勝しました。ラダエリは60、61年のサンレモ音楽祭のオーガナイザーもした大物興行師で、62年からカンタジーロを始め、彼女は63年カンタジーロのジローネB(新人部門)の出場権を得ました。 イザベラはドゥリウム(Durium)レコードのサブレーベル、ロイヤル(Royal)と契約。デビュー曲でカンタジーロの出場曲“土曜の夜のあなた”はアドリアーノ・チェレンターノがスペインだけで発売したスペインの曲“Te han visto con otro”のイタリア版です。人気絶頂のリタ・パヴォーネ(Rita Pavone)のような曲で、ジローネB2位、年間ヒットランク59位となる大ヒットでした。QC・A-1290 (1963年6月 Royal – Durium) T'hanno vista domenica sera (土曜の夜のあなた)/In cima ai miei pensieriQC・A-1290 QC・A-1300 QC・A-1300 (1963年Royal – Durium) Un ragazzo così/Non lo farò mai più2枚目のシングルはA面がモゴール作詞カッシーノ作曲、B面がレヴェルベリ兄弟作でした。次はTV番組「ディズニー・パレード2(Disney Parade n°2)」のテーマ曲“Il gatto e la volpe”、ジャケットも黒ネコとキツネのぬいぐるみを持ったイザベラです。このジャケットが日本で出ました。但し彼女のレコードではありませんが、当時の日本ビクターがやったジャケットの使い回しのおかげでお目にかかれました。QC・A-1310 (1963年Royal – Durium) Il gatto e la volpe/Ma lo vuoi capireQC・A-1310 SJET- 247 SJET- 247 (1965年4月GLOBE – 日本ビクター) 17cmCP アンジェリータ/ファウスト・パペッティ (ANGELITA DI ANZIO) 4枚目からのロイヤルが親レーベルのドゥリウムに吸収されますが、レコード番号はQCがそのまま使われました。この64年カンタジ-ロの出場曲“御自由に”は、レスリー・ゴーアの“恋と涙の17才(You Don't Own Me)”のカヴァー曲で、早くもジローネA(スター部門)に格上げされ12位入賞しますが大ヒットになりませんでした。QC・A-1319 (1964年Durium – Durium) Va...tu sei libero (御自由に)/Sola fra sole e saleQC・A-1319 QC・A-1330 QC・A-1330 (1964年Durium – Durium) Quanti ragazzi/Difenderò il mio amore デビュー曲のヒット再来を願ったのかチェレンターノとドン・バッキーが作った“” Quanti ragazziを5枚目に選び、ちょっとしたヒットになります。 65年1枚目は夏のディスク・フェスティヴァルに初参加した“とっても愛してる”でした。結果は7位入賞の好成績、年間ランキング42位の大ヒット、夏のディスクの常連になります。QC・A-1336 (1965年Durium – Durium) Sono tanto innamorata (とっても愛してる)/No, non ti lascerò QC・A-1336 QC・A-1346 QC・A-1346 (1965年Durium – Durium) Guardame (私を見つめて)/Core napulitano (ナポリの心) 積極的に音楽祭に出場します。65年ナポリ音楽祭に2曲。“ナポリの心”はマリオ・アッバーテのパートナーで優勝候補、“私を見つめて”はヌンツィオ・ガロの相手で入賞しています。65年最後3枚目は両面恩師フランコ・カッサーノの曲でした。
2015.01.28
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2QC・A-1351 (1965年Durium – Durium) Vivrei di pane/M'hai detto ciaoQC・A-1351 QC・A-1356 QC・A-1356 (1966年Durium – Durium) L'amore nei ragazzi come noi/C'è lui che mi consola66年は2枚のシングル盤と彼女唯一のアルバム(LP)が出ました。1枚目が夏のディスク出場、マルタ音楽祭優勝曲で、両面カッサーノの作曲です。この年3枚目はレモ・ジェルマーニがパートナーのバラのフェスティヴァル入賞です。QC・A-1362 (1966年Durium – Durium) Una danza al chiar di luna/Parla con lui QC・A-1362 彼女初、唯一のアルバムです(最初の顔写真用画像をご参照)ms・A-77140 (1966 Durium - Durium) 30cmLP Isabella Iannetti – Ecco1. Sono tanto innamorata (とっても愛してる)2.Vivrei Di Pane3.La Felicita'4.Quanti Ragazzi5.In Cima Ai Miei Pensieri6.M'hai Detto Ciao7.L'amore Nei Ragazzi Come Noi8. C'e' Lui Che Mi Consola9.T'hanno vista domenica sera (土曜の夜のあなた)10. Va...tu sei libero (御自由にYou Don't Own Me(恋と涙の17才))11.No, Non Ti Lascero'12.Sola Fra Sole E Sale※太字は唯一曲、ジャケット画像はプロモ盤のもの、ブラジルでも67年に発売。 67年1枚目は夏のディスクの曲“走りましょう”、10位入賞し年間ランキング50位の大ヒットとなっています。QC・A-1379 (1967年Durium – Durium) Corriamo (走りましょう)/Chiedilo al tuo cuoreQC・A-1379 QC・A-1383 QC・A-1383 (1967年Durium – Durium) Una testa dura/Come puoi dimenticare 2枚目はバラのフェスティヴァルでクラウディオ・リッピとレ・サーフのパートナーで観光賞を受賞した曲です。 残る音楽祭はサンレモで、68年に彼女は“今宵あなたが聞く歌は”でノミネートされます。最終的に日本の岸洋子、アンナリタ・スピナーチになります。イザベラ向きの曲ではなかったと思います。
2015.01.28
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3QC・A-1385 (1968年Durium – Durium) Stanotte sentirai una canzone (今宵あなたが聞く歌は)/Un riflesso nell'acqua QC・A-1385 QC・A-1386 QC・A-1386 (1968年Durium – Durium) Ricorda Ricorda/Melodia 次は夏のディスクに“Ricorda Ricorda”を出しますが、参加曲に終わります。曲調を変えた“È stato bello per me”で大人の歌手を目指しているようですが、成功したと思えません。 QC・A-1390 (1968年Durium – Durium) È stato bello per me/Un amore inutile QC・A-1390 QC・A-1393 QC・A-1393 (1968年Durium – Durium) Natale è qui/Buon Natale mio amor 68年の最後はクリスマス・ソングを発売しました。 69年念願かなってサンレモ音楽祭に出場します。唯一のサンレモですがレモ・メミージの曲は難しく参加曲に終わります。 QC・A-1394 (1969年Durium – Durium) Una famiglia/Il tic tac del cuore QC・A-1394 QC・A-1396 QC・A-1396 (1969年Durium – Durium) Cuore Innamorato (恋する心)/Il tic tac del cuore (心のときめき) 元のスタイルに戻し夏のディスクに“恋する心”で挑戦し、7位入賞、年間ランキング65位で久々のヒットに恵まれます。日本でも唯一のシングル盤が発売されました。69年最後の曲“La lettera”はヒットで余裕をを持ち、発売したような盤でした。 QC・A-1399 (1969年10月 Durium – Durium) La lettera/Ora che ti amo QC・A-1399 QC・A-1400 QC・A-1400 (1970年Durium – Durium) Il mare in cartolina/Guance rosse 70年夏のディスクの曲です。順位入賞までは至りません。2枚目も歌も上手くなり良い曲ですがヒットに結びつきません。 QC・A-1401 (1970年Durium – Durium) Falsità/L'ultimo cuore QC・A-1401 QC・A-1402 QC・A-1402 (1971年Durium – Durium) Senza sole/Cuore bugiardo 71、72年に1枚づつ出しますが、ヒットになりません。 QC・A-1403 (1972年Durium – Durium) Partita per amore/Caschi il mondo QC・A-1403 Ld・A-7667 Ld・A-7667 (1975年Durium – Durium) Gente del circo/Cronaca: ore 6 久々75年にシングル盤を出しましたがこれを最後に76年引退し家庭に入りました。98年懐メロ歌手としてTVに出演、時たまTVに出て歌っているようです。
2015.01.28
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イザベラ・ヤンネッティの国内盤 JET-1942 (1970年3月 GLOBE - 日本ビクター) 恋する心 (CUORE INNAMORATO)/心のときめき (IL TIC TAC DEL CUORE) JET-1942 VFC-5001〜11 VFC-5001〜11 (1973年 GLOBE - ビクターファミリークラブ(日本ビクター)) 30cm 11LP Boxビクター・ゴールデン・アルバム世界の旅情 2-11.恋する心 (CUORE INNAMORATO)
2015.01.28
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★ドン・バッキー (vm) Don Backy 本名アルド・カポーニ(Aldo Caponi)1939年8月 21日、フィレンツェとピサの中間にある町サンタ・クローチェ・スッラルノ((Santa Croce sull'Arno)生、自作自演歌手、俳優、画家。 DB-006 1967年サンレモ音楽祭で“涙に咲く花(L'immensità)”で成功したドン・バッキーは万全の態勢で68年サンレモに臨みました。大会規則で作曲は一人1曲に制限されていましたが、ラ・ヴァッをレ(E.La Valle)と共作で“カーザ・ビアンカ”をデット・マリアーノ(D.Mariano)と共作で“カンツォーネ”を出品し、彼自身はミルバをパートナーに“カンツォーネ”を歌う予定にしていました。ところが親分アドリアーノ・チェレンターノが曲を横取りし、しかも3位入賞しました。 怒ったバッキーはクランを飛び出し、チェレンターノの下から共に去った作曲家デット・マリアーノ、クランのブランドを起上げジャケットなどを受持ったグラフィック・デザイナーのマリオ・モレッティと自分のレーベルのアミコを起こしました。ドン・バッキーの2曲は2社から発売されます。この版権をめぐる裁判は74年まで続きました。 この年イタリアでは極めて早い時期にコンセプト・アルバムを作っています。“LE QUATTORO STAGIONI DI DON BACKY(ドン・バッキーの四季)”はデット・マリアーノと作った1月から12月までの12曲を歌い、マリオ・モレッティ(Mario Moletti)書いたイラストのリーフ・レットをつけたアルバムでした。このアルバムは69のベスト・セラー・アルバム27位になっています。 DB-7001 (1968 年12月 AMICO - CA.DI.) LE QUATTRO STAGIONI DI DON BACKY 1.花を夢みて (GENNAIO) 2.二月 (FEBRAIO) 3.三月 (MARZO) 4.愛の言葉 (APRILE) 5.五月 (MAGGIO) 6.花にそむいて (GIUGNO) 7.君なきワルツ (LUGLIO) 8.夏に失う (AGOSTO) 9.九月 (SETTEMBRE) 10.十月 (OTTOBRE) 11.ほほえみの中に (NOVENMBRE) 12.雪が降る (DICEMBRE) DB-7001 ACC・LP-40009 一方クラン・チェレンターノ側もドン・バッキーへの判官贔屓人気を利用して、彼のアルバムを出しています。
2015.01.25
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ACC・LP-40009 (1968 Clan Celentano - Clan Celentano) Casa bianca 1.CASA BIANCA (カーザ・ビアンカ) 2. I GOT A WOMAN (I GOT A WOMAN アイ・ガット・ア・ウ-マンRay Charles) 3. MI MERAVIGLIO 4.BUM-BUM-BUM 5.LA TUA VOCE (AND I LOVE HERアンド・アイ・ラヴ・ハー Beatles 6. IN UNA CASA SENZA SOLE (? - ?) 7.POESIA (ポエジア) 8.RITORNA DA ME (MY BLUE HEAVEN 私の青空 Gene Austin, Fats Domino)) 9.CANZONE (カンツォーネ) 10. SOLO ME NE VO (IN CERCA DI TE (SOLA ME NE VO PER LA CITTA') 彼女は私をさがしてる) 11.QUANDO UN UOMO NON SA AMARE (WHEN A MAN LOVES A WOMAN 男が女を愛する時Percy Sledge) 12. L'EGOISTA ドン・バッキーは多彩な人で、後々映画俳優として多くの作品に出演していますが、68年「サテリコン(Satyricon)」に出演しています。と言ってもフェデリコ・フェリーニ(Federico Fellini)監督作品ではなく、ジャン・ルイジ・ポリドーロ(Gian Luigi Polidoro)監督が作ったエロティック・コメディーのパロディー映画でした。 Satyricon di Gian Luigi Polidoro 彼は69年サンレモ音楽祭には自作の“消えたほほえみ”を再びミルバのパートナーで雪辱の3位入賞(年間ヒット45位)を果たしています。ドン・バッキーはアミコに6枚のシングルと2枚のアルバムを残し70年にCGDへ移籍しました。 CGD移籍第1作はカンタジーロ出場曲“愛に泣く(CRONACA)”でした。この年は元の親分がカンタジーロの途中でエスケープし入賞順位なしでしたがカンツォニッシマ第1回戦でも歌い、年間ヒットランキング83位で成功したといえます。 N-9795 (1970年6月 CGD – CGD) Nostalgia/Cronaca (愛に泣く) N-9795 CGD- 107 CGD- 107 (1971年2月 CGD – CGD) Bianchi cristalli sereni (水晶の瞳)/La primavera (春) 続く第2作は71年、3度目で最後となるサンレモ音楽祭に出場し、自作“水晶の瞳(Bianchi cristalli sereni)”を当時売出し中のナンニ・ナザーロ(Gianni Nazzaro)をパートナーに歌い7位入賞、年間ヒットランキング66位のヒット曲になりました。 この曲が後々有名になるのですが、当時RCA Italianaでデビューしたてのクラウディオ・バリオーニ(Claudio Baglioni)がRCAのサンレモ・オムニバス盤にカヴァー曲を歌っていたことでした。 CGDではシングル盤をあと1枚とアルバム1枚を出しています。CGD最後の曲“幻想”は71年〜72年のカンツォニッシマ第1回戦で歌われました。 CGD- 121 (1971年 CGD – CGD) Fantasia (幻想)/La mia anima CGD- 121 FGL-5085
2015.01.25
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FGL-5085 (1971 年 CGD – CGD) Fantasia (幻想) 1.FANTASIA (幻想)2.BIANCHI CRISTALLI SERENI (水晶の瞳)3.NOSTALGIA (ノスタルジア)4.L'INFINITO5.IL CIRCO (サーカス)6.CRONACA (愛に泣く)7.LA MIA ANIMA (わたしの魂)8.PRIMAVERA (春)9.CANDIDA LUNA (輝く月)10.RIMA (リマ)RAR・NP-77580 (1972 Rare – SIF) Folcacchio's story/Una rosa, una rosa, una rosa e una rosa RAR・NP-77580 900-102 900-102 (1973 Love - Messaggerie Musicali) Via Marconi 44/Sognando fumo 72年バークレイのイタリア法人SIFのラーレから1枚、翌73年旧友デット・マリアーノの起上げたラヴから1枚シングルを出し、RCAイタリアーナと契約を結びます。 彼の人気のピークはCGDの頃までで、次第に一般的な人気には翳りが出ています。またカンツォーネ界自体も70年代半ばには、流行歌手たちの人気は急激になくなり、フォークやロックを基調とするルチオ・バティスティを代表する自作自演歌手(カンタウトゥーリ)の時代となります。しかし今回、彼のディスコグラフィーを調べるとマニアに絶大な人気があったのを再認識しました。 ドン・バッキーの国内盤GW- 310~2 (1970年12月1日 SEVEN SEAS – キング) 30cm 3LP 決定盤!カンツォーネ大全集 (GOLDEN CANZONE BEST HITS) 1-2.カーザ・ビアンカ (CASA BIANCA)GW- 310~2 SR- 605~6 SR- 605~6 (1971年3月10日 SEVEN SEAS – キング) 30cm 2LP サンレモ音楽祭のすべて第3集 (FESTIVAL DI SAN REMO (III)) 1-14.カンツォーネ (CANZONE) 2-6.消え去ったほほえみ (UN SORRISO) GW- 113~4 (1971年4月10日 SEVEN SEAS – キング) 30cm 2LP ゴールデン・ヤング・カンツォーネ・ダブル・デラックス (GOLDEN YOUNG CANZONE DOUBLE DELUXE) 1-7.カーザ・ビアンカ (CASA BIANCA) GW- 113~4 GW- 119~20 GW- 119~20 (1971年5月1日 SEVEN SEAS – キング) 30cm 2LP 第21回サンレモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1971) 1-10.水晶の瞳 (BIANCHI CRISTALLI SERENI) SR- 609~10 (1971年5月10日 SEVEN SEAS – キング) 30cm 2LP カンツォニッシマのすべて第2集 (CANZONISSIMA (II) 1-11. 愛に泣く (CRONACA) SR- 609~10 SR- 613~4 SR- 613~4 (1971年7月10日 SEVEN SEAS – キング) 30cm 2LP カンタジーロのすべて (CANTAGIRO) 1-2.アミコ (AMICO)
2015.01.25
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SR- 748~9 (1972年4月5日 SEVEN SEAS – キング) 30cm 2LP カンツォニッシマ1971~72 (CANZONISSIMA 1971~72) 2-10.幻想 (FANTASIA) SR- 748~9 HIT-2053 HIT-2053 (1972年9月 SEVEN SEAS – キング) ポエジア (POESIA)/涙に咲く花 (L'IMMENSITA') GW- 259~60 (1974年2月 SEVEN SEAS – キング) 30cm 2LP カンツォーネ・ゴ-ルデン・ベスト・ダブル・デラックス (CANZONE GOLDEN BEST DOUBLE DELUXE) 2-3. ポエジア (POESIA) GW- 259~60 GXF- 31~5 GXF- 31~5 (1976年6月21日 SEVEN SEAS – キング) 30cm 5LP Box カンツォーネの歴史 (LA STORIA DI CANZONE ITALIANA) 5-4.カーザ・ビアンカ (CASA BIANCA) 続きは1971年サンレモ音楽祭の後、ドン・バッキー3になります
2015.01.25
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最初にウィルマ・ゴイクの歌手名につきまして、イタリアはゴイクでなく、ゴイチに近い発音です。私のブログでは、デビュー当時からの日本流のウィルマ・ゴイクを使います。悪しからず! サンレモの歌手たち 89 ウィルマ・ゴイク 1 (http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/9762712.html) サンレモの歌手たち 109 ウィルマ・ゴイク 2(http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/10085226.html) サンレモの歌手たち 109 ウィルマ・ゴイク 3(http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/10727416.html) サンレモの歌手たち 190 ウィルマ・ゴイク 4(http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/11419395.html) サンレモの歌手たち 135 エドアルド・ヴィアネッロ2 (ヴィアネラ、ウィルマ・ゴイク) http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/10739601.html の続きです、あわせご覧ください。 ★ウィルマ・ゴイク (vf) Wilma Goich 1945 年10月16日ジェノヴァの西40kmの小都市カイロ・モンテノッテ(Cairo Montenotte,)生、歌手。一時期エドアルド・ヴィアネッロ(Edoardo Vianello) と夫婦のデュエット・チーム、ヴィアネラ(I Vianella)として活動。 ZA-50060 産休復帰は夫エドアルド・ヴィアネッロと設立したアポロ(Apollo)・レーベルからで、多くは夫婦デュオのヴィアネラとして音楽活動をしましたが、時折ソロ歌手としてもレコードを出しています。復帰の第1弾はフランシス・レイ作曲でフランスのジャクリーヌ・デュラック(Jacqueline Dulac)歌った“Venise Sous La Neige”のイタリア語ヴァージョン “…e Fuori Tanta Neve”でした。落着いた彼女向きの曲でしたが、ヒットしたとは言えません。 ZA-50009 (1970年2月Apollo – RCA Italiana) ...e fuori tanta neve (Venise Sous La Neige)/Che giornoZA-50009 ZA-50060 (1970年Apollo – RCA Italiana)Presso la fontana/Colori 復帰後の大きな仕事は年末から翌年正月に行われているカンツォニッシマの出場で、“Presso la fontana”を歌いましたが、1回戦で敗退しました。翌71年にもう一枚シングル盤をだしますが、ソロ歌手としての活動は停止し、夫エドアルド・ヴィアネッロとのデュオ・チーム、イ・ヴィアネラとして専念します。 ZA-50175(1971年Apollo – RCA Italiana)L'uomo ferito/Suona, suona ZA-50175 ZA-50095 ZA-50095(1971年6月Apollo – RCA Italiana) Vojo er canto de 'na canzone (Voglio er canto d'una canzone)/Bikini blu ヴィアネラとしての初リリースはローマ方言の曲“Vojo er canto de 'na canzone”で、78年に解散するまで10年近く活動を続けました。72年夏のディスク・フェスティヴァル第3位“ボルガ-タの人々(Semo gente de borgata)”は年間ランキング31位の大ヒットに、翌73年には“私の息子(Fijo mio)”が4位になり、年間ランキングでは98位になっています。 自分たちのレーベル「アポロ」を閉じて、アリストンと契約をします。アポロで最後の曲“Canto d'amore di Homeide”は74年の年間ランク50位に入るヒットとなりました。会社を変わっても夏のディスクには常連で74年7位“秋風に帰る(Volo di rondine)”、年末のカンツォニッシマには“愛につつまれて(Noi nun moriremo mai)”(75年年間ランク97位)なども歌っています。
2015.01.22
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ZA-50215(1972年Apollo – RCA Italiana) Amore amore, amore amore/La festa de Cristo re ZA-50215 ZA-50220 ZA-50220 (1972年Apollo – RCA Italiana) Semo gente de borgata/Tu padre co' tu madre ZA-50235 (1972年Apollo – RCA Italiana) Roma parlaje tu/Roma mia ZA-50235 ZA-50280 ZA-50280 (1973年Apollo – RCA Italiana) Fijo mio/Te vojo bene ZA-50450 (1973年Apollo – RCA Italiana) Canto d'amore di Homeide/Tenendoci per zampa ZA-50450 AR-0629 AR-0629 (1974年 Ariston - Ariston) Volo di rondine/La mela AR-0657 (1974年 Ariston - Ariston) Noi nun moriremo mai/La vita de campagna AR-0657 AR-0693 AR-0693 (1975年 Ariston - Ariston) L'amici mia/Pazzi noi AR-0697 (1975年 Ariston – Ariston) Vestiti usciamo/Guarda AR-0697 ウィルマ・ゴイクの国内盤(ポリドール時代(77~79年)) MW-8001~2 (1973年6月 RICORDI - ポリドール) 30cm 2LP グロリアス20/カンツォーネ (GLORIOUS 20/CANZONE)“ 1-5.花咲く丘に涙して (LE COLLINE SONO IN FIORE) 2-9.あこがれはいつも心に (HO BISOGNO DI VEDERTI) MW-8001~2 MW-9041~2 MW-9041~2 (1973年8月1日 RICORDI - ポリドール) 30cm 2LPゴールデン・カンツォーネ・パーフェクト・コレクション (GOLDEN CANZONE PARFECT COLLECTIONS) 1-3.あこがれはいつも心に (HO BISOGNO DI VEDERTI) 1-8.花のささやき (IN UN FIORE) 1-12.愛のめざめ (HO CAPITO CHE TI AMO) 2-1.花咲く丘に涙して (LE COLLINE SONO IN FIORE) 2-11.夢みる想い (NON HO L'ETA' (PER AMARTI)) 2-13.ささやく瞳 (GLI OCCHI MIEI)
2015.01.22
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DW-3003 (1973年11月 RICORDI - ポリドール) 花咲く丘に涙して (LE COLLINE SONO IN FIORE)/あこがれはいつも心に (HO BISOGNO DI VEDERTI) DW-3003 MP-9459~60 MP-9459~60 (1974年1月POLYDOR - ポリドール) 30cm 2LP ゴールデン・オリジナル・ヒット・トップ30 (GOLDEN ORIGINAL HITS TOP 30) 2-5.花咲く丘に涙して (LE COLLINE SONO IN FIORE) MW-9801~2 (1974年4月 RICORDI - ポリドール) 30cm 2LPパーフェクト・シリーズ・カンツォーネ (PERTECT SERIES CANZONE) 2-6.花咲く丘に涙して (LE COLLINE SONO IN FIORE) MW-9801~2 MW-3001 MW-3001 (1975年4月 RICORDI - ポリドール) 30cmLPほほにかかる涙 (JOY FOREVER CANZONE UNA LACRIMA SUL VISO) 2.花咲く丘に涙して (LE COLLINE SONO IN FIORE) 7.花のささやき (IN UN FIORE) 11.夢みる想い (NON HO L'ETA' (PER AMARTI)) MW-8629~30 (1975年11月 RICORDI - ポリドール) 30cm 2LPパーフェクト/カンツォーネのすべて (PERFECT-AMOR, AMOR) 1-7.花咲く丘に涙して (LE COLLINE SONO IN FIORE) 1-10あこがれはいつも心に (HO BISOGNO DI VEDERTI) 1-12.愛のめざめ (HO CAPITO CHE TI AMO) 2-3.ささやく瞳 (GLI OCCHI MIEI) 2-7.花のささやき (IN UN FIORE) MW-8629~30 MW-2154 MW-2154 (1975年12月 RICORDI - ポリドール) 30cmLPウィルマ・ゴイク・ゴールデン・ベスト・アルバム (WILMA GOICH GOLDEN BEST ALBUM) 1.花咲く丘に涙して (LE COLLINE SONO IN FIORE) 2.あこがれはいつも心に (HO BISOGNO DI VEDERTI) 3.バーチ・バーチ・バーチ (BACI BACI BACI) 4.夜の想い (SE STASERA SONO QUI) 5.あこがれの瞳 (OCCHI INNAMORATI) 6.ラヴ・ミー・テンダー [伊] (DOLCEMENTE) 7.花のささやき (IN UN FIORE) 8.愛のめざめ (HO CAPITO CHE TI AMO) 9..私のために涙して (QUANDO PIANGI) 10アリヴェデルチ・アモーレ・チャオ (IL PROFUMO DELL'ERBA) 11.悲しい運命 (INVECE NO) 12.星があるなら (SE C'E UNA STELLA) 13.ささやく瞳 (GLI OCCHI MIEI) 14.夢みる想い (NON HO L'ETA) MW-2176 (1976年6月 RICORDI - ポリドール) 30cmLP カンツォーネ・ヒット大全集Vol.1 (HISTORY OF GOLDEN CANZONE Vol.1) 12.夢みる想い (NON HO L'ETA) MW-2176 MW-2177
2015.01.22
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MW-2177 (1976年7月 RICORDI - ポリドール) 30cmLP カンツォーネ・ヒット大全集Vol.II (HISTORY OF GOLDEN CANZONE Vol.II)3. 11.悲しい運命 (INVECE NO)5.ラヴ・ミー・テンダー [伊] (DOLCEMENTE)8あこがれはいつも心に (HO BISOGNO DI VEDERTI)9.アリヴェデルチ・アモーレ・チャオ (IL PROFUMO DELL'ERBA)12.花咲く丘に涙して (LE COLLINE SONO IN FIORE)MW-2178 (1976年8月 RICORDI - ポリドール) 30cmLP カンツォーネ・ヒット大全集Vol.III (HISTORY OF GOLDEN CANZONE Vol.III) 1.花のささやき (IN UN FIORE) 2.恋に御用心[日] (ATTENTI ALL'AMORE [J]) 10.夜の想い (SE STASERA SONO QUI) 12.ささやく瞳 (GLI OCCHI MIEI) MW-2178 MW-2179 MW-2179 (1976年9月 RICORDI - ポリドール) 30cmLP カンツォーネ・ヒット大全集Vol.IV (HISTORY OF GOLDEN CANZONE Vol.IV) 3.バーチ・バーチ・バーチ (BACI BACI BACI) DWQ-6046 (1977年12月 RICORDI - ポリドール) 花のささやき (IN UN FIORE)/夢の誓い (PER VEDERE QUANTO E' GRANDE IL MONDO) DWQ-6046 MWX-9951~3 MWX-9951~3 (1977年12月1日 RICORDI - ポリドール) 30cm 3LPゴールデン・カンツォーネ・ベスト・コレクション (GOLD CANZONE BEST COLLECTION) 1-5.ささやく瞳 (GLI OCCHI MIEI) 1-7.花咲く丘に涙して (LE COLLINE SONO IN FIORE) 1-10.バーチ・バーチ・バーチ (BACI BACI BACI) 2-1.夢みる想い (NON HO L'ETA) 2-8.愛のめざめ (HO CAPITO CHE TI AMO) 3-6.花のささやき (IN UN FIORE) 3-8.恋に御用心[日] (ATTENTI ALL'AMORE [J]) NDL- 901・9 (197?年 RICORDI -日本ディスクライブラリー(ポリドール制作)) 30cm LP或る愛の物語/カンツォーネ「君に涙とほほえみを」 (HISTORIA DE UN AMOR/CANZONE “SE PIANGI, SE RIDI”) 特販品 4.花咲く丘に涙して (LE COLLINE SONO IN FIORE) 5.花のささやき (IN UN FIORE) 6.ささやく瞳 (GLI OCCHI MIEI) NDL- 901・9 1994年サンレモ音楽祭の後に(ウィルマ・ゴイク6)が続きます
2015.01.22
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★ソニア Sonia (vf) 本名ソニア・ナターリ、1951年8月17日フィレンツェ北西郊外にある中都市プラト(Prato)生、歌手。ソニア&レ・ソレッレ(Sonia e le Sorelle 日本ではソニア・シスターズと言われこともある)のリード・ヴォーカル。 MQ-2088 父は芸術家で、ソニアは既に役者をしている姉達ナディア(Nadia)、ルアナ(Luana)と流行の英国風ビートニック・バンドを真似て、ソニア&レ・ソレッレ(Sonia e le Sorelle)を作りました。1963年、ソニアが12歳の時でした。フィレンツェで地元出身の有名歌手ナルチソ・パリーニのラジオ番組で歌うようになり、彼の所属レコード会社V.C.M.と契約することが出来ました。 バンドのデビューは64年7月、ローマのバラのフェスティヴァルに参加した“Se mi lascio baciare”と言うハリ・ガリーの曲で、マイク・ボンジョルノのクイズ番組「La Fiera dei Sogni」にも使用されました。 65年カンタジーロのジローネB(新人部門)に“Sulla sabbia c'era lei”で参加、曲は米国男性歌手ジュウェル・エーケンズ(Jewel Akens)の“ザ・バーズ・アンド・ザ・ビーズ(The birds and the bees)”のイタリア語版が3枚目でした。この曲はディノ・リージ(Dino Risi)監督の喜劇映画“L'ombrellone”に使われています。 4枚目は両面65年バラのフェスティヴァル参加曲で“La ragazza può fare”と“No, ragazzo, no”です。 翌年66年カンタジーロにはジローネA(スター部門)で出場できるようになり、“恋のために(Lo faccio per amore)”が11位入賞、そのB面はルル(Lulu)の“心変わり(He don't want your love anymore)”のイタリア語カヴァー曲で順調な歩みと思われました。 しかし、10月のバラのフェスティヴァル(形式変更で1曲をダブル・キャスト「サンレモ方式」で歌う)の曲“Un riparo per noi”はV.C.M.の看板バンド、ノマーディ(I Nomadi)がパートナーでした。この曲は英国のバンド、トロッグスの“僕はあなたに首ったけ(With a Girl like You)”のイタリア語カヴァーですが、元曲にないイタリア語の歌詞の内容が物議をかもし、発禁処分となります。 この煽りを受け、67年バンドは解散し、彼女はソロ活動を始めます。第一弾はシェール(Cher)の““ママ(MAMA (WHEN MY DOLLIES HAVE BABIES))”のイタリア語版で結果は成功でした。その後67年バラのフェスティヴァルでピノ・ドナッジォ(Pino Donaggio)の曲“ジャンニ(Gianni)”を歌いました。 翌68年のフェスティヴァル・バールとセッテ・ヴォーチには、 “Cammino sulle nuvole”を歌った後“Cammino sulle nuvole”と“Tanti auguri amore”2枚のシングル盤を出します。一方バンドはレ・ソレッレとして2枚出しますが休眠状態となります。 ソニアは69年サンレモ音楽祭にアルマンド・サヴィーニ(Armando Savini)と共に“あなただけしか(Non c'è che lei)”を歌いますが参加曲に終わりました。その年渡米しシェールと共演することが出来ました。音楽活動は低調となり、名前が出たのは73年トニー・クッキアーラのミュージカル「Caino e Abele」でした。ギターが弾けてフォークに興味を持つ彼女はフォーク歌手の道を進んだようです。なお姉のルアナは故郷に戻り音楽療法もする音楽の先生になりました。ソニア&レ・ソレッレ(バンド)MQ-1906 (1964年7月 La Voce Del Padrone V.C.M.) Se mi lascio baciar/Non ti accorgi di meMQ-1906 MQ-1941 MQ-1941 (1964 La Voce Del Padrone V.C.M.) Bianco, rosso, giallo, rosa/Non sei più niente per meMQ-1973 (1965 La Voce Del Padrone V.C.M.) Sulla sabbia c'era lei(The birds and the beesザ・バーズ・アンド・ザ・ビーズ)/Tutto quello che piace a me MQ-1973 MQ-2000 MQ-2000 (1965 La Voce Del Padrone V.C.M.) La ragazza può fare/No, ragazzoMQ-2036 (1966 La Voce Del Padrone V.C.M.) Lo faccio per amore/Un colpo di sole (He don't want your love anymore心変わり)MQ-2036 MQ-2062 MQ-2062 (1966 La Voce Del Padrone V.C.M.) Un riparo per noi/Lo faccio per amoreMQ-2118 (1968 La Voce Del Padrone V.C.M.) Salomone pirata pacioccone/Geo e Gea (レ・ソレッレとして)MQ-2118 MQ-2150 MQ-2150 (1968 La Voce Del Padrone V.C.M.) Olivella e Mariarosa/Giro girotondo ((レ・ソレッレとして)ソニア(ソロ歌手)MQ-2088 (1967 La Voce Del Padrone V.C.M.) Mama/Mondo MQ-2104 (1967La Voce Del Padrone V.C.M.) Gianni/QuiMQ-2104 MQ-2126 MQ-2126 (1968 La Voce Del Padrone V.C.M.) Cammino sulle nuvole/Ascoltatemi MQ-2140 (1968 La Voce Del Padrone V.C.M.) Tanti auguri amore/Johnny MQ-2140 MQ-2153 MQ-2153 (1969 La Voce Del Padrone V.C.M.) Non c'è che lui (あなただけしか)/Due mani, due aliソニアの国内盤はありません★ザ・スウィート・インスピレーションズ The Sweet Inspirations (coro=a)アメリカのR&B、ゴスペル・女声コーラス・グループ。サンレモ音楽祭出場時は4人のメンバー、・シシー・ヒューストン(Cissy Houston)旧姓エミリー・ドリンカード(Emily Drinkard )1933年9月20日米国ニュージャージー州ニューアーク生。・エステル・ブラウン(Estelle Brown)・ミルナ・スミス(Myrna Smith)本名ミルナ・スミス・シェーリング(Myrna Smith-Schilling)1941年5月28日生、2010年12月24日米国カリフォルニア州カノガパーク(Canoga Park)没。 ・シルヴィア・シェムウェル(Sylvia Shemwell)1941年6年30日米国ノース・カロライナ州フェイエットヴィル(Fayetteville)生、2010年2月13日米国カリフォルニア州ロス・アンジェルス(Los Angeles)没。 源は1950年代にホイットニー・ヒューストン(Whitney Houston)の母となるエミリー・ドリンカードとディー・ディー・ワーウィック(Dee Dee Warwick)、ディンヌ・ワーウィック(Dionne Warwick)の母リー(Lee)姉妹が中心となるゴスペル・コーラス・グループ、ドリンカード・シスタース(The Drinkard Singers)まで遡ります。それに家族、親戚、友人ジュディー・ジュオンズ(Judy Guions 後の歌手ジュディー・クレイ(Judy Clay))たちが参加し、59年ニューポート・ジャス・フェスティヴァルに出場しました。 60年代に入りディー・ディーとディオンヌにトリス・ドロイ(Doris Troy)が録音バック・コーラスとして働きながら、ディオンヌとドリスはソロ歌手活動もしました。63年ドリスがシシー・ヒューストンとディオンヌがジュディー・クレイの妹シルヴィア・シェムウェルと交代しました。 65年ディーディーがソロ歌手として独立、ミルナ・スミスと交代した時にシシーがリーダーとなり、間もなくエステル・ブラウンが加入しました。そしてアトランティック・レコードの録音バッキング・コーラスとして活動開始し、スウィート・インスピレーションズの基礎となりました。このグループ名でレコードを出したのは67年から71年ころの短い期間です。 サンレモ音楽祭にはオリジナル・メンバーの最後期69年1月に出場し、ウィルマ・ゴイクの“バーチ・バーチ・バーチ(Baci baci baci)“のパートナーとなりましたが入賞できませんでした。69年10月を最後にリーダーのシシーがソロ歌手活のため脱退し、その後メンバーチェンジを繰返しながら活動を続け、特にプレスリーのバック・コーラスとして知られます。スウィート・インスピレーションズのイタリア関係国内盤はありません。DAT-1057 (1968年8月15日 ATLANTIC - 日本グラモフォン) スウィ-ト・インスピレイション (SWEET INSPIRATION)/愚かな私 (OH! WHAT A FOOL I'VE BEEN)DAT-1057 DT-1092 DT-1092 (1969年4月5日 ATLANTIC - 日本グラモフォン) アンチェインド・メロディー (UNCHAINED MELODY)/ラヴ・サムバディ (TO LOVE SOMEBODY)DT-1120 (1969年9月5日 ATLANTIC - 日本グラモフォン) スウィート・フォー・マイ・スウィート(SWEETS FOR MAY SWEET)/ リトル・オーダー (GET A LITTLE ORDER)
2015.01.19
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★ブレントン・ウッズ Brenton Wood (vm=a) 本名アルフレッド・ジェシー・スミス(Alfred Jesse Smith)、1941 年 7 月 26 日、米国ルイジアナ州の北西端にある中都市シュリーブ・ポート(Shreveport)生、アメリカの歌手、ソング・ライター。 正しい読みはブレントン・ウッドですが、ここでは彼の代表作“ウーガム・ブーガム・ソング”と“ギミ・リトル・サイン”が紹介された当時のブレントン・ウッズを使用いたします。悪しからず! サンレモ音楽祭出場は1969年参加曲“汽車(Il treno)”のみ。 ウッドは子供の頃、家族はロサンゼルスの港に近いサン・、ペドロに引越し、彼はサン・ペドロ高校に入学しましたが、コンプトンに引越ししてコンプトン高校に転校しました。アルフレッドはそこで陸上部に入り、いくつかの輝かしい賞を受賞しました。 高校卒業後、彼はイースト・ロサンゼルス大学に在籍。すぐに、ブレントン・ウッド芸名を付けました。それは彼の故郷カリフォルニア州のロサンゼルスにある高級住宅地の地名ブレントウッドから思いついたものでした。 この時期にジェシー・ベルヴィン(Jesse Belvin)、サム・クック(Sam Cooke)に触発され、彼の音楽的な興味は目覚めました。彼はソング・ライターの才能を育み、有能なピアニストになります 63年、彼の初期のシングル盤、ブレント(“Hide-A-Way”)やワンダ(“I Want Love”)で吹き込んだものは明らかに失敗でした。ウッドは改めてハリウッドにある独立系レーベルのダブル・ショット(活動期間1966〜72年)と契約し、“ウーガム・ブーガム・ソング(The Oogum Boogum Song)”を録音しました。この曲は カリフォルニア南部のFM曲から火が付き、1967 年の春に米国ビルボードのR&Bチャート19位、 同ホット100の34位になる大ヒット、イタリアの週間ランク30位(3週在位)のヒットとなりました。 その後にリリースしたシングル盤“ギミ・リトル・サイン(Gimme Little Sign)”がポップス・チャート9位、R&Bチャート19位のミリオン・ヒットになったばかりでなく、全英ヒット2位、イタリアでは68年週間ランクで17週ランク・インし、ついには1位になり、彼の代表作となりました。 67年3枚目が“ベイビー・ユー・ガット・イット (BABY YOU GOT IT)”はホット100の34位のR&Bチャート30位、と一躍ヒット歌手の仲間入りをします。68には“恋のラヴィ・ダヴィ(Lovey Dovey Kinda Lovin')”がホット100の99位に入ったものの、その後はランク・インできません。 イタリアでは“Gimme Little Sign”が年間ヒットランキングに16位になるメガ・ヒットとなり、翌69年のサンレモ音楽でロザンナ・フラレルロと“汽車(Il treno)”を歌いますが参加曲に終わりました。 BD-8001 (1968 Belldisc - Belldisc Italiana) Gimme Little Sign (ギミ・リトル・サイン)/I Think You've Got Your Fools Mixed Up BD-8001 BD-8017 BD-8017 (1969 Belldisc - Belldisc Italiana) Il Tuo Ritorno/A Change Is Gonna Come (チェンジ・イズ・ゴナ・カム) サンレモ音楽祭後、ベルディスクの看板デュオのサリス&サリス(Salos & Salis)の書いた曲“Il Tuo Ritorno”をイタリア・ローカルで発売、B面はサンレモ参加曲のB面の曲が流用されました。
2015.01.16
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69年の秋に来日。米国ヒット・チャートに再登場するのは77年シャーリー・グッドマン(Shirley Goodman)とのデュエット曲“Come Softly to Me”(R&Bチャート92位)でした。 ブレントン・ウッズの国内盤(イタリア関係はありません) LR- 1938 (1968年7月10日 LIBERTY - 東芝音楽工業) ギミ・リトル・サイン (GIMME LITTLE SIGN)/恋のラヴィ・ダヴィ (LOVEY DOVEY KIND LOVIN') ブレントン・ウッズ LR- 1938 LR- 2118 LR- 2118 (1968年11月1日 LIBERTY - 東芝音楽工業) ウーガム・ブーガム・ソング (THE OOGUM BOOGUM SONG)/君が好きだよ (I LIKE THE WAY YOU LOVE ME) ブレントン・ウッズ LR- 2167 (1969年2月1日 LIBERTY - 東芝音楽工業) 恋はゲームで (IT'S JUST A GAME, LOVE)/トラブル (TROUBLE) 以降ブレントン・ウッド LR- 2167 LR- 2270 LR- 2270 (1969年6月10日 LIBERTY -東芝音楽工業) チェンジ・イズ・ゴナ・カム (A CHANGE IS GONNA COME)/何処へ (WHERE WERE YOU) LR- 2325 (1969年9月1日 LIBERTY - 東芝音楽工業) 恋のチャンス (TAKE A CHANCE)/ちっちゃな恋 (A LITTLE BIT OF LOVE) LR- 2325 LR- 2497 LR- 2497 (1970年5月5日 LIBERTY - 東芝音楽工業) 恋の爆弾 (GREAT BIG BANDIE OF LOVE)/もらったかい? (CAN YOU GET IT)
2015.01.16
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LR- 2853 (1971年8月25日 LIBERTY - 東芝音楽工業) ラ・ティータ (SAD LITTLE SONG)/フー・バット・ア・フール (WHO BUT A FOOL) LR- 2853 IJR-10839 IJR-10839 (1975年10月 MIDGET - 東芝EMI) オール・ザット・ジャズ (ALL THAT JAZZ)/レイニン・ラヴ (RAININ' LOVE) LP- 8529 LP- 8529 (1968年X月XX日 LIBERTY - 東芝音楽工業) ギミ・リトル・サイン/ブレントン・ウッド登場 (GIMME LITTLE SIGN/BRENTON WOOD) ブレントン・ウッド★レオナルド Leonardo (vm)本名レオナルド・マリノ(Leonardo Marino)1945年10月18日ミラノ生、歌手、俳優。 AR- 259 資料が少ない歌手の一人です。1965年、前年出来たばかりのアリストンから“Joanathan”デビューしました。AR-090〜091 (1965 Ariston - Ariston) Joanathan/E va, se hai decisoAR-090〜091 AR- 168 AR- 168 (1967 Ariston - Ariston) Pioggia nelle strade/Giù in città67年2枚目のシングルを出しますが、注目されることはありません。ただ声質がトム・ジョーンズやエンゲルベルト・フンパーディンクに似ていたので彼らのカヴァーを出すようになります。AR- 202 (1967 Ariston - Ariston) Please amore(Release meリリース・ミー)/L'erba verde di casa mia (Green Green Grass Of Home思い出のグリーングラス)AR- 202 AR- 216 AR- 216 (1968 Ariston - Ariston) L'erba verde di casa mia (思い出のグリーングラス)/Questa specie d'amoreAR- 259 (1968 Ariston - Ariston) La nostra favola (デライラ DELILAH)/Io per lei (トゥー・ギヴ TO GIVE))6枚目が米国のブレンダン・ハンロン(Brendan Hanlon)のカヴァー“Rose per te”。AR- 282 (1968 Ariston - Ariston) Rose per te (Roses For Her (Heartaches For Me)/Una strega dagli occhi bluAR- 282 AR- 285 AR- 285 (1968 Ariston - Ariston) La freccia nera/Il bene che volevo a leiLa freccia nera”は68年12月から69年2月に放送されたTVドラマと同名のテーマ。リズ・オルトラーニの作曲でレオナルド最大のヒット曲になりました。そのお蔭で翌69年サンレモ音楽祭にニュー・トロスルが歌った“君だけのぼく(Io che ho te)”出場しました。結果は参加曲。続いてエンゲルのカヴァー曲“心の太陽”でカンタジーロに参加しました。AR- 285 (1969 Ariston - Ariston) Io che ho te(君だけのぼく)/Quanto bene (Ariston, AR- 306)AR- 306 AR- 324 AR- 324 (1969 Ariston - Ariston) Il sole nel cuore (心の太陽Happy Heartハッピー・ハート) /La più vera (Trueトゥルー)リフィのサブ・レーベルVarietyに移籍。71年第1弾をだします。FNP・NP-10166 (1971 Variety – Ri Fi) Come sei sola Teresa/Un albero di meleFNP・NP-10166 FNP・NP-10183 FNP・NP-10183 (1972 Variety – Ri Fi) Giramondo/C'è un po' di vento fuori72年ロベルト・ヴェッキオーニ作詞の、曲“Giramondo”で参加、その後はトニー・クッキアーラのミュージカル「CAINO E ABELE」、「PIPINO IL BREVE」などに出演、ミュージカル俳優業を本職としていきました。レオナルドの国内盤はありませ
2015.01.16
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