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百マス計算は、タイムを競いただ計算を速くするためにやるもの、と思われがち。先日TVでは百マス計算をまず、+0の段をやり次は+0の答えの数字を見ながら+1の段に1を足して書き、次は+1を見ながら+2を書くという、計算もせずただ早く終わらせるだけの方法でやっている子供もいると、どちらかの先生がおっしゃっていました。ただ早く計算をできるようにすることには意味がない、考えなくなる、とタイムを競ってやる百マス計算には以前から批判的な見解も多くみられます。百マス計算をさせることによって学校全体の学力を上げた校長、陰山先生。数年前に陰山先生の本を読ませていただいたとき私が百マスについて感じたことはこのような批判とはまったく違います。今その本を読み返さないでこれを書くので読んだ私の見解として書きますが。陰山先生は学力低下は家庭における子供の教育への無関心さによるものと思われ。学校で百マスをタイムを計ってやる、その今日の自分のタイムを少しでも縮めるために家で練習するようにした。タイムを計って計算をするのは一人ではできない。親がタイムを計ってあげ、一緒に見てあげ。どこに時間がかかっているのかどうしたらもっと速くできるのかを親が一緒に考えることをしてほしいから百マスをやる、と言うことだったと思います。ほかの人と競って速いか遅いか他人と競わせるためにタイムを計るのでなく。今の自分を自分の努力で超えていくため。そして親がしっかり子供の現状を見て受け止め一緒によくなる方法を考える。忙しくて勉強を見てあげる時間がない、と言う親でも。百マス一枚するのにかかる時間はわずか。どうしたらいいか考え、やってみてはげます、ほめる、そこまでやってもきっと15分もあればできる。毎日続けることで少しずつ進歩を親も本人も感じ、しっかりとそれを親がほめてあげる。こういうことをやることで親がちゃんと子供のことを見つめる機会を作った。それで家庭での親の子供への接し方が変わって学力向上につながった。・・・という話のように私は理解して思います。百マスをやった目的は「計算を速くさせる事」ではなく。「親が子供をよく見つめるようにすること」にあった。この目的を知らず、ただ計算力をつける方法として「マス」だけが一人歩きし。上記のような方法で子供がとにかく速く書上げすればよいとなってしまうようなやり方をしている指導者もいる、という残念な結果も生まれた、と言うことだと思うのですが。それを取り上げて、百マスや陰山先生を批判するような見解が生じていることは私はとても残念に思っています。娘の学校でもマス計算は時間を計ってやっていましたしうちでも休みの宿題としてやったり。娘が2歳か3歳のころも遊びのひとつとしてやっていました。反射脳を作ってしまい、考えて計算をする力がつかなくなる、と言われていますが。私は見て瞬時に2つの数字の関係がわかるというのはひとつの能力として大事だと思っています。「4 7」を見ると11、3、28がすぐ頭に浮かぶ。これは複雑な計算をやっていくときにとても便利だと思し、害になることもまったくないと思っています。4ケタ5ケタの計算をするときにいちいち指を折って数えているようでは時間がかかって困ります。計算が速くできるようになる練習もある程度必要だと思います。しかしそもそも計算とは何のために必要なのか何のために勉強するのか。物を分けたり、必要な数だけ用意したり買い物をしてお金を使ったり。物を作るときの大きさを考えたりコストを考えたり。計算は、生きていくために必要だからできるようにならなければならないわけで。4+7=という式を見て反射的に答えを書き込めることができても。女の子4人、男の子7人、全員にあげるためにはみかんをいくつ用意したらよいか?という質問に人間とみかんをそれぞれ頭の中にイメージできなければ計算を即答できても意味がない。文章を読んで、理解し、イメージした上で最後に答えを出す過程の記録として式と答えを書く。実物と計算は常に結び付けられる状態でなければならないと思うのです。それには文章を読んで答えを考える問題をやることも必要だと思います。やり方は教えない、見て、思い描き場合によっては絵にして、どんなに時間がかかっても子供が最後までひとりで答えを導く。こういうやり方を提唱される指導者の方々も今はたくさんいらっしゃるようです。そういう問題もインターネットで探せば利用できる物もたくさんあると思います。私は何よりも何事も普段からの親の一言にあると思っています。生活の中で、ちょっと考えさせる。山形から届いたと言うさくらんぼをいただいた。まずは全部数えさせ、家族で同じ数だけ食べられるように分けることをやってもらう。次には同じさくらんぼを3日にわたって食べる、としうち一日はパパが留守、ならば一日一人いくつ食べるとちょうどよいか、とか。実物で数えてもいいし、見ながら頭で考えてもいい。全部食べちゃった後でもあのさくらんぼがもし4673個あったとしたらどうしたらいいか、とか。家族が18人だったらどうだったかとか。クイズのように、聞いてみる。最後まできちんと計算して答えを出すまでしなくてもそんなにたくさんあったら一人1000個は食べられるね、と即答できたら大きな数がイメージできているとわかるし。家族18人って、うちの家族にあと妹何人、弟何人いてほしいか、などという話になってもいいと思う。目の前にあるおいしそうなさくらんぼを見ながらちょっと言ってみる一言で考える空間が広がる。3分でも10分でも、考えながら親子で話ができる。ほんのちょっとした一言で。これが考える力をつけるために一番有効な手段だと私は思っています。物もいらないし、紙や鉛筆が近くになくてもできる。時間もかからない。何とか式も、なんとか塾も。結局みんな、親が子供のことをどれだけ見ているかが一番大事なのではないかと思います。見ようとするきっかけを作ってくれるのが何とか式や何とか塾で。それさえやらせておけば、と方法に依存しては意味がないと思います。スロー問題も、ファースト問題もどっちも必要でどっちも、やり方次第。親の心と言葉次第。私はそう思っています。賢くなるパズル(たし算中級)↑このシリーズもおもしろそうですね。ネットではお試し問題をやることができました。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ふ~ん、と思ったら・・・→人気blogランキング いつもありがとう!☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆朝ごはんを食べて学校に来るように、ということも陰山先生は努力されました。これも朝ごはんを食べないと午前中の集中力がない、との結果だけを取り上げて。親がやらなければ学校や先生が用意するなど朝ごはんを食べさせることだけに注目するような見解もよくみかけます。朝ごはんを食べてこない、という子供は夜早く寝ないから、朝余裕を持って起きられない食欲がない。親が子供の生活習慣をもっと大事に考えてほしいとこれもまた親が子供をよく見つめて欲しいと言うことのひとつと私は捉えました。ようするに陰山先生は学力低下の原因は子供に関心を持たない親にあり、と理解されていると思いました。
2009年06月30日
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久保田カヨ子さん、実にユニークですね。噛むことを教えるのに、なんとステーキを棒状に切って手で持ってかじらせる、とは~!すごいアイディアだと思いました。しかし、うちの子は噛まない、と言う悩み。結構お持ちのママさんは多いんですね。そういえば、うちの子が食べるのを見て「よく噛んでていいわね、うちはぜんぜん噛まなくて」とよく言われたような気がします。うちがよく噛むようになるのに使った食べ物はたくあんでした。たぶん2歳前のことだと思うのですけれど普通にきったたくあん一切れを長くたくさん噛むことをしていました。きっかけは確か、食べているときの音にいろいろと興味を持ちはじめたときに。噛むとすごく大きな音のする食べ物としてたくあんを出したところこれが娘に大変ウケて。娘が口にたくあんを入れると「ぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼり・・・」と私が噛むまねをしながら言って言ってる間中娘はたくあんの噛む音を楽しんでいたのです。これで噛むと食べ物でいろんな音が出て楽しいと思うようになり。これはどんな音?といろいと試すようになったのでした。おせんべいでも「ぼりぼりぼり」とやったし。セロリやきゅうりなどを手で握って塩やみそをつけながらかじって「しょりしょりしょりしょりしょり・・・」もよくやったような気がします。このおかげで楽しんでいる間に噛むことが自然と身についたように思います。たぶん今日は厚切りのステーキ肉を買っているお子さん連れの方がたくさんスーパーで見受けられるでしょう。噛ませなきゃ!とそこだけを見るのでなく食べることを楽しいと思ってもらえる何かを見つけて工夫する。そんな発想でママも楽しんでやったらどうでしょうかね。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ふ~ん、と思ったら・・・→人気blogランキング いつもありがとう!☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆国産野菜オーサワの熟成たくあん(3本入り) 250gくれぐれも良質なたくあんでやってくださいね。
2009年06月22日
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ご両親が外国から移り住んでこられて日本で育った方とお正月について話していたときのこと。私がおせち料理を毎年作るというと。「でも今そんなの誰も食べないんでしょ?」と言われた。おせち料理にはそれぞれ昆布は「よろこぶ」黒豆は「まめに」なるように田作りは田の実りを願って・・・という意味があるんですよ、と話すと。「へぇ~そうなんですか?ぜんぜん知らなかった。」と言われました。生まれてからずっと日本で生活してきたおそらく30代のこの方。今まで周りにいた日本の人たちがどう話していたのかが想像できます。以前、外国から来た人を家に招いて日本の家庭料理でもてなそうと思ったら。何を一体作ったらいいのか?と考え込んでしまった、と言う日記を書いたことがあったと思います。日本の伝統的な食べ物って?家庭料理の代表のように言われてきた肉じゃがは西洋のビーフシチューが起源と言う説もあり。確かに牛肉を食べる習慣のなかった日本の古くからの伝統食ではない。今の日本の家庭では一体何を食べているのか?私は日本の伝統を大切にし子供たちの世代に引き継ぎたいと願っています。茶道を習い始めて改めてそれを強く感じています。相手を慮る(おもんばかる、ってこう書くのね)心。おくゆかしい心。礼儀。所作の美しさ。今の日本で薄れ掛けているものをたくさん感じさせられました。日本の人が大切にしてきたものがお作法にこめられています。お正月に一年間の家族の健康と繁栄を願って食べるおせち料理を。「そんなものいまどき誰も食べないよ。」などと言う大人に、子供たちを育ててはいけない。伝統を大切に子供に伝える。親の大事な役目だと思います。今薄れ掛けているなら娘たちの世代には当たり前のものとなっていて欲しい。今私たち親世代のすべきこと。たくさんあると思います。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ふ~ん、と思ったら・・・→人気blogランキング いつもありがとう!☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆日本人のしきたり↑うちにあり。開いたことあったかな???図説子どもに伝えたい日本人のしきたり↑これよさそうね~♪図書館で探そう♪
2009年06月13日
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脳科学に基づき赤ちゃんを教育する久保田カヨ子さん。前回に続きまたTV番組を見ることができました。感想、実に気持ちがいい。カヨ子さんのおっしゃることは気持ちがいいのです。成績のよい子にするのではなく人間としてすばらしい人に育てること。質の高い人間にするために今できることを探し考えては続けていく。これぞ子育ての楽しみであり目的であると教えられます。「英才教育」「早期教育」という言葉がありそれらが特別なものと思われ。たくさん遊ばなければいけないときに勉強させられてかわいそうだとか。それをやる親は「教育ママ」だとか言われる。「こんな小さいのにお勉強させられてかわいそうね。」子供が遊ぶことはもちろんとても大事。では「遊ぶ」とはどんな行動をさすのか。「勉強させるより遊ばせたい」という親がどれだけ「遊ぶ」ということを真剣に考えているのか。おもちゃをごちゃごちゃに入れた大きなおもちゃ箱を子供の近くに置く。子供を遊ばせるための親の仕事、終わり。これでは子供の遊びの時間を大事にして「遊ばせている」とはいえない。子供の正面に座って、たくさん話しかけながらいろんなものを見せ、触らせ、聞かせ動かせて見せる。たくさん笑わせて、声を出させて興味を持たせる。絵も見せるし写真も見せ、字を書いたものも見せる。物も覚えるし字も覚える。言葉も覚える。楽しくて楽しくて子供はずっと集中し笑い、上機嫌でいる。こうお母さんが一緒に遊んであげることが遊びであって、学びでもある。こういう子供にとって大事な時間をすごすことがなぜ害のように言われるようになったのか。こんな誤解は早くすっかりなくなって欲しい。必要なときに必要なことをしてあげる。子供を育てるうえで当たり前のことだと思う。赤ちゃんの頃娘は、おしゃぶりではなく棒状に切ったにんじんを手に持っていた。口に入れてしゃぶったり吸ったりしていた。まめに消毒したプラスチックのおしゃぶりを口に入れることには意味がないと思ったから。またいつの頃だったかは覚えていないが砂糖や塩、酢など調味料をなめさせたこともあった。世の中にはいろんな味があるということを教えてあげたかった。甘い、しょっぱい、すっぱい、と言う言葉もそのとき一緒に聞かせた。カヨ子さんの言うように、においもたくさんかがせた。娘が今でも何でもにおいをかいでみるのはたぶんそのせいだと思う。私も今でも「においかいでみな」とよく娘に言っている。楽器の音もいろいろ聞かせた。生の音が無理な楽器はCDなども使った。かなりの数の楽器を、音を聞いたらどの楽器か当てられると思う。今も娘は音楽が大好きだ。テレビは1歳半までたくさん見せてしまった。ついている時間が結構長かったと思う。後に反省してただだらだらとつけているのはやめた。1歳半のころそれまでに見ていたテレビのおかげでうちのテレビの下に書いてある「SONY」を指差して「ソニー」と言った。試してみたら「CANON」も「TOSHIBA」も「National」も[MITSUBISHI」もみんな知っていた。ほかにもロゴは見たら読めるものがたくさんあった。余計なものをたくさん頭に入れてしまったと気づいてからはテレビをつけていたことを反省したのだがこのおかげでフラッシュがいかに有効かに気がついた。CMの最後に2秒程度ロゴが映り読み上げられるものばかりを記憶していたからだ。カードをフラッシュで一瞬見せてその間に読むのを繰り返す。これと同じことをCMはしていたのだ。カヨ子さんもテレビは見せていいと言っていた。テレビのつけっぱなしで子供ほったらかしはよくないが有効利用と考えて見せるのはよいことなのかも知れない。その後こんなによく覚える便利な道具なのだからもっとよいものを映し出そうといろんなビデオを見せるようにした。はたらくくるま↑こんなDVDも飽きてもう見ないと言うまで見せた。いろんな変わった車の名前を覚え説明のナレーションまで全部覚えていた。その後は右脳イメージトレーニング はじめての英会話↑このシリーズを利用した。単語フラッシュがたくさん出てくるしとにかくテンポよく展開していくのがよかった。テレビと言う機械も有意義に使っていたと言えるかもしれない。娘は2歳で日本語の本を一人で読み3歳では英語の本を読んでいた。今は小学校高学年用の本を読みどの程度理解しているかはわからないが大人用の本もたくさん読んでいる。日本語で読むのと英語で読むのと理解度に違いはあるかと聞いてみたが(英語版と日本語版両方ある本で比較)今はどちらも変わりないそうだ。家の中で3歳までにやったことのおかげで娘は本をたくさん読むことができる人になった。日本語でも英語でも。カヨ子さんは今の子供たちがかわいそうだと言った。私もやってあげるべきことを何もしてあげないでただ命令だけしているような親を見ると本当に子供が気の毒だと思う。3歳までの間、しっかり育ててあげることで自立心が育つから以降はやかましく世話を焼いたりする必要もない。自分で知りたがるしやりたがる、それに必要な手を貸してあげるだけだ。脳が一番活発に成長している時期に脳をしっかり使うことをさせてあげる。これで一生理解力のある脳でいられることができる。人間にとって一番大事な時期を大切にしてあげて欲しいと思う。世の子を持つ親、すべてに。お教育なんて、と根拠のない偏見にとらわれず子供をよく見て今何を必要としているのか感じ取って努力のできる親でいましょうよ。今やってみようと思う心が子供の将来を作るのですから。久保田カヨ子さん、これからも日本の母の母でいてください、ご指導よろしくお願いします。心より尊敬申し上げます。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ふ~ん、と思ったら・・・→人気blogランキング いつもありがとう!☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2009年06月01日
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