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通勤電車の中でおでんやカップ麺食べます?>私鉄車内、大学名の入ったジャージー姿の女子大生3人が、熱々のおでんを食べながら談笑している。見かねた高齢の男性が「行儀が悪いな」と一喝。それでも女子大生たちは悪びれる様子もなく、食べ続けていた。地下鉄車内では、携帯電話片手にコンビニ弁当をかき込むサラリーマンの姿があった。車内で立ったままおにぎりを食べるOL、揺れるバスの中でホットコーヒーを飲む男性会社員…。(以上産経ニュースより引用)ん~わからん・・・。以前、電車内の床に中高生4,5人が輪になって座ってお菓子食べたりジュース飲んだりしてるのは見たことあるけれど。社会人も電車内でいろいろ食べるのねぇ・・・。旅行に行くような列車ならお弁当食べたりするけどそれ以外の電車やバスでは物は食べたらいけない。ほかの人に迷惑だし。物を食べるところではない、という認識で私は生きてきたのだけれど。食べている人たちはなぜ電車の中で食べようと思うのか理由がわからない。・・・で考えてみた。なぜ、電車内で食べるのか?コンビニで買ったおにぎりやサンドイッチおでんは、どこで食べるつもりで買うのか。私は自家用車の移動時間が長いので車の中も多いが(おでんは食べない!)普通は家、会社や学校、出かけた先の食事してよいところ、か。「出かけた先の食事してよいところ」・・・実はこれが以外に困る。娘と二人で電車で少々遠出したとき家からおにぎりを持っていくとこれを食べてよい場所がなかなか見つからないのだ。公園ならいいだろうとは思うけれど住宅街でないところで、歩きながら公園を探そうと思うと土地勘のないところではかなり大変。人通りの多い道ではベンチがあってもそこで食べるって感じでもないしバス停のベンチでは人の迷惑だし・・・。何度か困った経験を経て、今は事前に地図で「食事場所」を調べてから行くようにしている。仕事で外出したサラリーマンが昼をコンビニで手早く済まそう、と思ったら買ったものをどこで食べるのか?遅くなった仕事帰り、家まで2時間もかかるとしたら、ちょっと何かを買って、食べたい。・・・どこで?そう考えると、電車だと熱くも寒くもなく快適な中で場合によっては座って食べられる、と思う・・・のだろう。食べながら同時に移動もしてるから時間も無駄にならない。電車の中で飲食しようと思う人にはそれなりの理由もあるように思えてくる。一時期ジベタリアンという言葉がよく使われコンビニの入り口や駐車場、駅などで座り込んで談笑し飲食する人たちがいたけれどあの人たちもきっとそこへ座るなと言われればじゃあどこにいけばいいんだ?と思ったのだろう。他に集まって楽しく過ごせるお金のかからないところがその人たちにとってはないんだろう。街の中に、誰でも無料で使用可能なちょっと安らげる場所がないから「こんなところで」という社会の問題がさまざま起きていると言うことかもしれない。だからと言って、私は電車の中では物を食べることはしないしそうしている人を見て快くは思えない。飴くらいまでならいいと思うがスナック菓子なども食べるものではないと思う。娘にもそう教えている。小さい頃から立ってものを食べてはいけないと言われてきたし。○○○みたいな真似はやめなさい、と親からよく怒られていたと思う。(○○○=今は使ってはいけない言葉?と思うため伏字。)みっともない。はしたない。そんなことしたら人に笑われる。だからよしなさい、とよく言われた。はしたない、なんていう言葉自分で今書きながら久しぶりに出会ったように思う。日本の教育の問題は本当にさまざまあると思うけれど。人として生きていくための大事なことを学ぶ機会は今なくなっているのか?となると、教育とは何を教えているのだろう。受験テクニックよりもっと熱心になるべきことはたくさんあるように思います。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ふ~ん、と思ったら・・・→人気blogランキング いつもありがとう!☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆数年前、できたてシュークリームの店の店頭で、買ったばかりの「できたて」を大勢が立って食べてるのを見てすごくびっくりした。シュークリームって、外で立って食べるものなの???って・・・。今でも外でたったまま食べるのは私にはできないと思う・・・・大阪ではたこ焼きも店の前で立って食べるもの、らしいのだけれど私にはできない・・・
2009年11月19日
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ギフテッドチャイルドのことをTV番組で取り上げてるのを見ました。アメリカではギフテッドチャイルドが学ぶギフテッドスクールがいくつかあるそうで。詳しくはわかりませんでしたけれど能力に見合った教育を受けられるのでしょう。以前娘の先生でアメリカ人の方が娘のことをギフテッドチャイルドだろうと言っていた、と聞きました。そのときは、アメリカにはそんな言い方があるのか、位にしか思わなかったのですが。ギフテッドスクールの様子などを番組で見てやっと具体的にイメージがわかりました。IQなど計ってみたこともないし娘がどうなのかは私にはわかりませんがもしこんな学校が近くにあったら娘が行きたがっただろうと思いました。今通っている学校を娘は大変気に入っていますし勉強も楽しいと言っています。だからよい学校に行くことができて本当によかったと思っています。日本の一般的な小学校では学べないこともたくさん教えてくださり学校にも先生方にも心より感謝しています。でも、時間にもカリキュラムにも限度があってやはり個人個人の能力にぴったりあわせるということは無理なわけで。だから不満があるかと言うとそうでもない。家での勉強が常に彼女にとって新しいことをするようにしているし。そしてなにより「しちだ」のお教室でまさに持てる全能力を育てることをしてくださっている。「しちだ」のお教室はまさに日本のギフテッドスクールだと思う。創設者の七田先生は日本の未来の優れたリーダーを育てるのだとおっしゃっていたし。すべての子供は天才であるともおっしゃっていた。つまり子供すべてがギフテッドなのだと。アメリカは0歳から3歳の教育にも年間16億円もかけているとか。この0歳から3歳の間にギフテッドができあがりその後受け入れる公立ギフテッドスクールがある。そのすべてがいいわけではないとはもちろん思うけれど。日本の学校はこのままでいいのかと。今とはまったく別の教育方法を別の選択肢として国が始めることはできないのかと改めて思ったのでした。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ふ~ん、と思ったら・・・→人気blogランキング いつもありがとう!☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2009年11月17日
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親が自分の不安を子供に押し付けることほど子供が困ることはないと思います。子供は自分にとって精一杯やっていて自分にとって快適に過ごせていて満足している状態だとしても。親がはたから見ていてこうだったらどうしようとかこんなんじゃどうだとかもっとこうでなきゃだめになるとか不安になり。それを子供に、そのままぶつける。子供にとってはすべてうまくいっていていい状態かもしれないのに。何かと比較したり何かで読んだとか聞いたとかを当てはめてしまったり。親がひとりで勝手に心配してひとりで勝手に不安になってるだけなのに。その親の不安のおかげに親が現状を変えなければと余計な決断でもすれば子供にとっては本当にただただ迷惑な話でしかない。不安になって子供にそれを押し付けないようにするためには二つのことが大事と思う。ひとつは自分と子供は別なのだとはっきり認識すること。自分と子供に線引きができていないと自分がそうだから、そうだったからと自分を基に考えてしまう。子供は母親の体を使ってこの世にでてきただけであって母親の分身でもコピーでもない。まったく別の生き物でものすごい能力や感覚を持っている、かもしれないのにそれを見ようとしない。見ることができない。子供は自分とはまったく違うと理解しなければならないと思う。もうひとつは親がきちんと知識を持つこと。知識を持ち、信念を持つことと思う。メディアでこういったと言えば影響され、比較する。よその子がこうだと聞けば現状を比較してこの子はダメだと思う。知識を身につけ子供との付き合いに信念を持っていれば外から入ってきたことが気にはなってもそれに振り回されてしまうことはない。気になる情報がはいったときではあの考え方ではそのことをどう言っているかあの先生はどう捉えているかなど別の角度から物事を見るべきだと思うが。勉強していなければその別の角度の視点を持つことができないと思う。本当にこれでいいのか。大丈夫なのか。親をやっていれば誰だって不安になると思う。でも、それは親の役目でありきちんと親側で解決しようと努力すべきことと思う。子供に親の不安を押し付けてはいけない。なにより親は親として常に勉強していること。これが大事と思う。そして子供をよく見ること。子供の声をよく聞くこと。子供を信用する度量を持てるよう努力すること。親には勉強と努力が必要と思います。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ふ~ん、と思ったら・・・→人気blogランキング いつもありがとう!☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆母親が「心配だから」といい私はたくさんのことをあきらめさせられました。私を信用し、自由にがんばってこい!と送り出して欲しかった。・・・と今になってみれば思います。それだけでなく、母は自分の人生の不安まで私に押し付け。あなただけが頼りだからと自分が生きていくために私をずっと手元においておこうとしました。それを親のためと受け止め自分を抑えていたことが辛かったのだとわかったのはそこから離れて何年も経ってからのこと。子供は親の所有物ではない。親の役目は子供をひとり立ちできるよう育て巣立たせること。自分で親になってこのことを絶対忘れたくないと心に誓った。・・・と思うと私がよい親になるために必要な体験をさせてくれたと今は親に感謝できるようになったわけですが。ずっと辛かったことには変わりない。本当に自分の子供にはこんな思いをさせてはいけないと心から思うのです。
2009年11月12日
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復活しても島大介だけは死んだままなのね・・・かつて「星になって結婚」したはずのあの方たちには娘もできたらしい・・・デスラーもまたまた生き返って出てきたりして・・・ははは~・・・ほんのひとりごとです・・・
2009年11月12日
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私はウエットティッシュが使えない。お店でもらう使い捨ておしぼりもだめ。娘にも使わせなかったのだけれど何年か前、ダンナが食事後に娘の口の周りを使い捨ておしぼりで拭いてしまった。一週間ほど彼女のその部分はかゆくなり赤くはれていた。奇しくもそのとき「やっぱり使わないようにしてきてよかった」と検証ができてしまった。ウエットティッシュや使い捨ておしぼりを普通の水で作ろうと思ったらどうなるか。普通の水とは、水道水、またはそれを浄水したもの。しっかりふたさえしておけば何日間乾燥しない状態でいるか。乾燥しない状態で変なにおいなどしてこないままでいるか・・・。乾燥せず、においもしてこない。『普通の水』でそれが可能とは考えにくい。ならば、市販品の『水』はどうなっているのか・・・。娘を妊娠中、出産前に用意しておくものを知り合いに聞いたところ「おしりふき」が大量に必要といわれ。とりあえずは言われるままに買っておいた。娘が3歳の頃、片付けをしていたら未開封のおしりふきが出てきた。一、二度使ってはみたものの即私たちには不要、と思ったからだ。自分が使いたくないと避けてきた類のものを「使うのが当たり前」といくら雑誌や周囲の人に言われても大切な娘には使えないのだ。今、手が痛い。昨日、出かけた先でつい使い捨ておしぼりを使ってしまったのだ。やっぱりだめだった、とあらためて思い。痛くならない人にもまったく安全、ではないだろうと思うと。痛くなってくれるこの手がありがたいと思える。こうして気づかせ考えさせてくれるのだから。☆ ☆ ☆ ☆ ☆自然流育児のすすめ紙おむつやおしりふきについて書いてあったかどうか、今すぐでないので確認できないけれど。この本と出会ってたくさんの育児の「当たり前」から解放されて楽になったように思います。今まで自分の考えと産院で指導されたことが、育児雑誌などに書いてあることが自分の中でかみあわなかったのです。この本を読んでやっぱりやらなくてよかったんだ!と思い自分にとって自然な子育てをすることができたように思います。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ふ~ん、と思ったら・・・→人気blogランキング いつもありがとう!☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆アトピーなのか、湿疹がたくさんできて赤くなってる赤ちゃんの顔をウエットティッシュで何度も拭いている人を以前みかけました。湿疹がひどくなっているときそういうものでこすると一瞬表面がきれいになったようになります。その後、拭いたものの水分が乾燥するとき猛烈にかゆくなります。拭いてこすられるときもものすごく痛い。皮膚科のお医者さんが常に清潔にするようにとこういうもので拭くことを指導することもあるようですね。湿疹で長年苦しんだ私には聞いただけで痛い話ですけれど・・・
2009年11月01日
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