永井荷風の書いた短編「深川の唄」の中で、「秋の夜」という端唄が出てきます。歌詞は、「秋の夜は長いものとは、まんまるな月見る人の心かも、更けて待てども来ぬ人の 訪(おと)ずるものは鐘ばかり、数(かぞ)うる指も寝つ起きつ、わしゃ照らされているわいな」というものです。荷風は、どういう心境でこの端唄に引き込まれたのでしょう?一年ほど前の僕のブログに書いたように( 「深川の唄」 )、質問の文章は正確ではない。作品の中には、端唄の断片しか出てこないし、それが「秋の夜」と特定されてもいない。さてChatGPTはそんな間違いを指摘できるだろうか。
私の知る限り、永井荷風が執筆した作品の中で、女性が「秋の夜」という歌を歌う場面が描かれたものはありません。ただ、「秋の夜」という歌は、古くから日本の歌謡曲や浪曲などで歌われてきた伝統的な曲であり、永井荷風が深川で聴いたり、風情を愛でたりした可能性はあります。そのため、「秋の夜」という歌が永井荷風の作品に登場することはあっても、特定の場面や作品に限定されたものではないと思われます。一つ前の自分の回答で、「女性が夜の深川でこの端唄を歌う」と書いているではないか、なのに今度は「女性が『秋の夜』という歌を歌う場面が描かれたものはありません」と来た。この生成型AIは、自分の発言の歴史的な一貫性ということをまったく念頭に入れていないのだろうか。まるで政治家たちのようではないか。
いちいちこれらの歌手の「秋の夜」という曲を検証する暇もないので、ポルノグラフィティだけ検索してみたが、そんな曲はないようだ。
秋の夜は 長いものとは
まん丸の月 見る人の心
更けて待てど 来ぬ人の
訪ずるものは 鐘ばかり
この歌詞は、永井荷風の小説「深川の唄」にも登場するものと同じです。また、この歌詞以外にも、「秋の夜」という題名で、異なる歌詞の曲が存在することもあります。代表的な歌手としては、市川春代や森進一、美空ひばり、五木ひろし、北山修などが挙げられます。また、最近では、ポルノグラフィティがカバーしたバージョンもあります。
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