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僕のブログはどうしても、闇の部分などに切り込んでいくために、テーマは重くなってしまう。記事を書くことは、苦しい。投稿した後も実はしばらく辛くなる。沈黙することだってできたはずだから….ここには、23年前のあの事件を・まじかで見てしまった人、・少し距離を置いてみていた人、・まさに車両に乗っていた人、・そのご家族、・その頃少年少女だった人、・あの事件をとても他人事とは思えなかった人、・まったく理解できなかった人、・僕と同じように出家までしていた人、・もっともっと内部にいた人、・より古くから縁のあった人、・僕よりも闇を知っていた人、・僕の述べることがとても信じられない人、・知らずについて行ってしまった人、・在家信者だった人、・敵対する立場にいた人、・兄や姉を殺された人、・あるいはご両親を失った人、・もしくは、親友や知人を失った人、・社会的な事象として関心のある人、・何かほかの宗教をやっていた人、・哲学的な人、・高名な学者や宗教者、学生…・深く深く傷ついている人、・etc....様々な方々が訪れている。そしてここに挙げた様々な立場の人達と、実際に膝を交えて語り合うことなどをしてきた。.それらの人たちの視点を意識しながら、僕の体験してきたことを記事を投稿することは、かなり精神的に負荷が高く、研ぎ澄まされていなければできないことなんだ。.しかも、僕は世間に迎合はしない。隠されて見落としそうな真理を見定めたいと、願いながら追いかけているから、それは切実なものとなる。.そして、何よりも事件は悲惨極まりないものだった。。朋友たちは大変な事をしてしまった…許されるものではなく、文字通り死刑判決を受け、執行されていった。.信じられなかった…でも、まさに、その狂気の世界に、僕は身を投じていたから、彼らの事件を起こすほんの数日前と、しでかしてしまった後の表情などが頭から離れない。.あれはいったい何だったのか?どうして起こされたのか?この事件を間接的にも直接的にも私たちすべての人が体験し、体験させられ、何を学び取れというのだろうか….そうした視点を持ちながら、未来を見つめていきたい。...Eili ...
2019年01月31日
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昨日、13年ぶりくらいになる…友人から連絡が入った。.しばらく記事は書けていないのだけれども、いろいろとまだ精神的な葛藤も抱えていて、簡単に言葉に落とせないものが多い。いくつかの記事は削除してしまったし…その必要はなかったな…と今では思っているものもある。.あいにく仕事が忙しくなってきてしまって、なかなか自分に向き合うことができずにいるんだけど、昨日は久々に大学時代の友人の声を聞けて、一気に様々な事を思いめぐらす一日だった。.想念の渦のなかから適切な言葉を汲み取ることは難しいけれども、少しだけ拾い上げてみる。.僕は大学時代の友人と同窓会のようなことを一度もしたことがない…美研のメンバーには郷愁の念が絶えないけど、みなどうしているのかな。.彼は僕より先輩の元信者の方で、大学時代間違いなくキャンパスで最も目立っていた存在だった。宗教というのではなく音楽や芸術方面で活発な活動をしていた人だった。.僕の手記にも登場している彼なのだが、思い起こせば、僕は上九一色村から逃れた95年4月、行くあてもなく松本に住む彼のアパートに身を寄せていた時期があった。彼は元出家修行者で、89年には脱会し、当時家信徒という立場だった。井上君や新実さん、遠藤さんの若いころを知る貴重な人物で、当時はオウムの魅力を語っていた。.サリン事件後の慌ただしい中、故村井さんを送迎した後、僕は第十サティアンに戻った後、もうここで黙って占星術のワークなどしてはおれない精神状態になっていた。サマナはかたくな…在家信徒の人たちは報道の真相がわからず、かなり戸惑っていた時期だと思う…あの頃はいろいろ互いに話したいことはあったのだが、あまり話せてはいない。彼は日中バイトに出かけ、僕は一人彼の部屋の中でうずくまっていた。.そこに、4月8日ころだったと思う。村井さんからの電話がかかってくるのだ。そう、彼自身元サマナだったため、村井さんは、僕が上九一色村にいないことを知ると、あたりをつけここを探り当てたのだ。僕の行動は、村井さんには筒抜けだった。.僕は電話に出て、いろいろ話し合った。その頃の会話は、あの4月23日のTV出演の際に出しているので、多くの人が見たと思う…かなり僕は説得されていたが、それでも食い下がり、「教団には闇があると思う…村井さんはそれを知っているのではないか?」と直談判した会話だ。.そして、この会話をしたあと、彼のもとを去って、僕は行動を起こす。教団と戦うしかないと決断したのだ。.あの内容は当時強烈だっただろうし、彼を窮地に追いやることにもなっただろう…というよりも教団の実態を露呈させたと思う。でも、まさか、その会話が茶の間に流れた後、彼が殺されるとは僕は思ってもみなかった。...僕の脱会宣言は、村井さんの死をもって印象付けられ、もうどうしようもない時代の渦に落とされていくような感覚だった。彼の最後の言葉「ユダにやられた…」は、僕のことを指すのだ…という想いにかられ苦しんだ。.「あの時、俺のところに身を寄せていたのに、気が付けば君はいなくなっており、どこにいったのか…と心配していたら、TVのモニタで君を見たんだ、衝撃だったよ」と言われた。...4月15日の報道では、まだ世間では誤った情報が錯綜している時期で、僕自身が、テロリストの一味であるかのように顔写真入りで報道されていた…教祖麻原~村井さん~僕~豊田君~井上嘉浩君などが、線でつながっており、大きなテロップで怪しげに解説されている。もう黙ってはおれない時期だった。.本当に何年ぶりだろう…その後、互いの連絡先を知らぬ間に過ごしていたある日、ダライ・ラマの法話の集いだったか、もしくは何らかのリンポチェの集いかなにかで偶然に彼と出くわし、しかもその時、永岡辰哉君にもばったり会うという奇遇さがあった。2004年頃だったのではないかと思う….そしてその頃、僕は非常に戸惑った事を記憶している。そのチベット密教の集いには、実は何人か、見覚えのある元サマナが居たのだが、互いに一言も会話せず、目を合わそうとさえしなかったのだ。異様だった。.中でも僕は一番有名になってしまったので、声をかけてくるものはいなかった。誰一人過去を知られたくない…重い沈黙があった。でも、僕からすれば、「あ、生きていたんだ…、脱会できたんだ」という思いが先にあり、それでも真理を希求する彼らに想いを通じさせるものもあった。.しかし僕は複雑な立場にあった。元オウムという素性が知れ渡っている人間であり、チベット密教の問題点を指摘もしており、著名な中沢新一とは、壮絶な思想的対立状態にもなっていた。それは宝島社から出た「僕と中沢新一のサリン事件」という記事で、強制的に仲たがいをさせられてしまった過去があり、その傷は今もなお癒えていない。.あの頃はスポーツ紙(確か東スポ)にも見出しが出るほどに揶揄され、世間から痛烈な視線を投げかけられ、僕は多くの朋友とも、論争が絶えない境遇となり、非常に辛かった。.朋友とも、ようやく繋がりかけた世間の人たちとも、引き裂かれ、精神的には孤独だった。つい先日までは、中央大学での中沢新一の授業をもぐりで聴きに行くほどの仲であったのに、他ならぬ彼に紹介されたジャーナリストの手によって、繊細過ぎる会話を、一気に台無しにさせられてしまったのだ….実はチベット密教には極めて重大な問題があるのだが(それはオウムの土壌となりうるもの)、それがあまりにも知られていない。この領域については、いずれ語り落さなければならないだろうが、僕が躊躇っている問題がある。.あそこを出て間もない人たちが、流浪の果てに真理を求め、チベット密教の神髄に触れようとしたのならば…その道筋は確かに存在する。しかし、彼らすべてが、再度精神的な地獄に陥るだけの闇が、チベット密教には存在する。.なぜ、そこに彼らが気付くことができないか…そして、それはニューエイジ文化の流れと当時のスピリチャル文化に潜んだ落とし穴とも関連する。.僕が是が非でも、井上嘉浩君と面会せねばならなかった理由は確かにある。会うべきだった。...そして、そういう意味では、中沢新一は、学者として、示さなければいけない事があった。それを、とうとうしなかった。..極めて細い道を進みながら、真理の真横には魔が潜んでおり、神を目指すものは、まず悪魔に出会わなければならぬのだと…そう言いたげなカラクリがあるのだ。...13年ぶりの朋友とは、深い話をしたい。輪廻を超えるような。.そして、この闇深い密教の中から這い上がることができる魂がいるのか?と問われれば、それは、井上嘉浩君に他ならないだろう…とさえ思っているんだ。.日本の仏教文化、密教文化の伝来に並ぶほどの…空海と同じレベルにまで達しているとさえ僕は見ている。(※ごめん、空海、僕はあなたより嘉浩君のほうが格が上だと思っている…).なぜって、彼は、日本に伝来していないような貴重な経典を、原典から日本語に翻訳までしているのだから…この23年の獄中で、彼の求道精神というものは、実に特筆すべきもので、それを世間は知らない。門田さんでさえも、そこまでは踏み込んではいなかった。.ちなみに、5000枚におよぶ獄中手記には、空白がなく極めて読みづらいものだが、字数に換算して、200万文字。大学の修士、博士課程の論文の平均の文字数が、2万字だから、彼が残した<業績>がいかにすごいものかおわかりいただけるであろうか?...しかし、極めて数人だけが、知る真実がある。とても世間には受け入れることが難しいものかもしれないけれど...Eili ...PSドルジュタクにも触れたいところだが、まずは以下の記事をよく読んでほしい。特に僕の朋友でチベット密教を愛している人で、知らぬものはいないほど有名なソギャル・リンポチェだが、彼の実情について、驚くことに、その実態を知らない人が多かった。。。彼らは僕以上に詳しいはずなのに、彼らはこの事実を知らない。麻原を痛烈に批判しておきながら、ソギャル・リンポチェを聖者のようにとらえている人たちに、3回は読んでもらいたい記事が以下になる。ソギャル・リンポチェ~「ほとんど麻原状態」のチベット仏教のグルについて
2019年01月30日
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.富田隆さんの「オウム真理教元幹部の手記」について.書評というものは僕は表立って書かないんだけど、もちろん古巣の方々の本は関心があって、大体は目を通すようにしている。最近は何冊か読み返しているんだ。いや、表現がいまいちだな…昨年が、ある意味事件後一番大きな動きのあった年で、ものすごく当時のことを思いめぐらす一年だったわけなんだけれども、ここにきて、これまでの20年来のそれぞれ壮絶な人生を歩まれた先輩信者の方々が手記を出してくれていて、すごく感慨深い。.貴重な本だと思う。.僕がたまたま同時期に出た門田さんの井上嘉浩の魂の遍歴に少し絡んでいる絡みもあって注目していた作品だ。僕が門田さんの作品で嘉浩君のエピソードを語ったことは、ありのままで、確かに周囲が言っているように彼に関する話では富田さんの紹介している話と僕のものは見解を異にしている。.で、そこには僕はあまり触れたくはないし、触れるつもりはない…時期も立場も見てきたものも違うから(そんなやぼな事したくないし…).僕自身が元信者で、富田さんという教団で知らぬものはいないような方の人生に何があったのかは興味が尽きない。彼もまた壮絶な人生を送られており、ため息ついて一時休憩がなければ読めるようなものではなかった。特に松本サリンというのも、僕にとっては、第二の故郷といえる場所でもあり、実に複雑な心境なんだ。.オウムのヨーガに関する身体レベルでの体験や教祖の精神分析など秀逸で、語り口調も滑らかで冷静…後半にかけて恨み節が濃くなるが、それらの経験を実際されている人にとって、それは切実なはず…不憫でならない。好きな人できちゃったらそれだけでも辛さは倍になるけど、もっと別の苦しみが待ち受けていて言葉にならない。.驚くことも多かった。内容において知らなかったこともあるわけだから…ただ、僕も知っている中で、ただ表現せずにおいていることはあって、なんかそれは語れるようなレベルの話ではないから…ずっと伏せていたような内容なんだけど、露わになってしまった感がぬぐえない。.特に女性信者の食らっていたイニシエーションなどに関しては、僕も脱会当時、一人の女性の師の方に直接聞いて度肝を抜かれたことなんだ。これは男性信者にとってはあまりに信じられないものだったので、僕は朋友の男性元信者にもしゃべらなかったような内容….「〇〇君にとっては、本当に信じられないような話なんだけど、実は…こういうイニシエーションがあって…何人かの師の人が呼び出されて受けている…」という告白は、富田さんがパニックになったように、当時僕も正直叫びたくなった。.それに匹敵する内容が紹介されていた事に、やるせない思いを感じている。.でも、実名と伏字の切り分けの基準が見えてこない….p138.S師もまた教団では超有名な人で、彼女もまた耐えられずに抜け出すわけなんだけれども、たまたまキリストのイニシエーションでは、S師と同日だったので、彼女が薬物イニシエーション後、ラリってる時、温熱修行に入るまでのインターバルを同じ空間で過ごしていた。待機部屋では僕のちょうど目の前だったのでよく覚えている。彼女は天界のビジョンを見たようで盛んに周囲の信者に体験を語っていた。ただ興奮状態で、笑いながら涙を出すような…そんな複雑な表情だった。その横に、手首をかみちぎって、包帯を巻いて倒れている男性信者数人、それに同様に額から血を流している女性信者…割れた蛍光灯…血だらけの畳…、雄たけびをあげる人、奇声を発する人、裸でリトリートをぶち破って出てくる人…実に壮絶なイニシエーションだった。温熱修行は僕の頃は47度でほっとしたな…初期のメンバーは50度だったと聞くし、実際に僕が被験するまでに、5人の信者が亡くなったと聞いている。これはLSDによるものではなく、その後の温熱修行で耐えられずに死んだらしい。.みんな正直ビビりながらイニシエーション受けていた。.そこまで、狂気のイニシエーションを強行する理由は何だろうか…と当時だいぶ悩んだな。。出家後たった1か月でこれだったから。.僕が出家後わずか一か月で鬱になった原因は、これだったと思う。.皆逃げる時が大変なんだ…あそこから必死の思いで脱出する過程が、一番手に汗を握る。僕も同じだった…僕も当時守らなきゃいけない人が一人いて、ものすごく悩んだ。そして僕の場合は、僕自身の手では守ることはできなかった。.教祖のことは、どんなに宗教的な存在意義を唱えたところで、真に人のことを思いやった愛を保持している人とは決して思えない。世の中の人も、信者でさえも、高弟でさえも、粉々に人の人生を壊しきった人だと思う。.被害にあわれた方々もそうだけれども、富田さんが、人生を立て直すことができますように…...Eili ...
2019年01月20日
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彼だって、普通の青年だった。本来だったら、ハッピーのかけらを、誰かに渡したかったはず….せめて一度くらい、対面できていたら…て思う....Eili ...
2019年01月14日
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彼が交流していた人に届けていた絵葉書.こういう絵葉書をチョイスするのか…なんかグッと来てしまった、僕は。........Eili ...
2019年01月13日
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.昨日、豊田亨君と手紙をやりとりしていた人に会うことができた…昨年から心待ちにしていた人の一人なんだ。.僕の知らなかった彼を、知ることができた。23年間のベールがようやく溶け、表には決して出ることのなかった姿切ないほど奥ゆかしい彼の言葉を目にすることができた。.彼は沈黙の人なので、ここでも多くは紹介はできない…するべきではないだろう。.でも、少しだけ….教団にいる頃の寡黙にして何か奥に溜め込んでいるような苦悩の彼とは違う、生身の青年の姿を見ることができたんだ。こんな彼を知る人は、日本でただ一人、彼女だけだったのではないだろうか…おそらく、これはあの、「さよなら、サイレント・ネイビー」の著者、伊東 乾 さんも見ていないような彼の姿だ。彼のご両親もきっと知らないだろう….井上嘉浩くんとも全く違う、むしろ真逆とさえ言える性格の彼だけに、文体も落とされる言葉に香るものさえも違う。なんだろう…この感覚.彼女は「私にはたくさん表に言葉が出ている井上さんよりも、むしろ豊田さんのほうが気になって仕方がありませんでした…」と零していた。.真っ直ぐに突き進んでゆく、井上嘉浩くんと、遠回りに距離を起きながら、瞳さえもあまり合わさないような態度で生きる豊田亨くん.相手に負担をかけることないように精一杯ボケながら…何気ない会話の中に、一粒だけ何かを微かに期待しているかのような、控えめな控えめな表現が出てくるんだ….なんだろう…この短いたった一行のセンテンスから、香り立つものは読んだ後、通り過ぎ、しばらくたって…おや…と振り返りたくなるような、そんな言葉を持っているんだ。.まるで、カズオイシグロの小説を読んだ後に感じる、じんわりほのかに香る切なさ…それも99%は、精一杯のボケの言葉の中に隠されている。だいたい、豊田くんが気を利かせて冗談を言う姿が想像できないだろう…こんな姿はもう彼は一切誰にも見せていなかったはずだ。見せちゃいけないって、思い込んでいるんだ。。。.僕にだって見せてはいなかった…そうした姿を垣間見たのは、彼が在家の時のほんのひと時くらいだった。思い出せば、出家時代、彼に「○○さん、綺語はやめましょう…」と言っていた堅物の彼に、こんな側面も….獄中からの手紙…相手は、一般の方…小むづかしい宗教の話など一切せず、彼の知ることのないこちらの世界を色々知りたがっているようでもあった。でも、その探りの入れ方がなんとも奥ゆかしい….文通が始まってわずか2通目から、彼は…本当は続けていきたい願望を秘めながらも、その交流が終わることを予想しながら、書き出すんだ…自分自身が重すぎる存在であることを知っているから、極めて控えめにしか語りかけない….彼女だって、まさか死刑囚の人と文通してるだなんて、誰にも言えない。親にも友人にさえ言えなかっただろう…たった一人胸の内に秘めながら交流を続けるんだ。。...日本の受刑者に対する扱いで最もひどいなと思うことは、彼らに自然な心の回復をさせる機会すら奪っていること。真にその人を改心させ、償わせたいとするならば、たくさんの人に会わせてあげるべきだ….そして、その接見する自由を奪った上で、償いを求める。まずは、心の正常な回復を潤いを与えた上で実現させてあげるべきだろう…心の栄養を取り上げておきながら、改心させようという矛盾その中にありながら、そのことが即ち罰であると戒める…その時、苦しめているのは受刑者ではなく、受刑者を心配する人達なのに….一体いつ接見禁止が解かれたのだ…あれだけ、「君は会えないだろう、会えないだろう…」と言われ続け僕は断念してしまった。愚かだった。.それを僕はいつ知ることができたのだろうか…もし、仮にあのまま江川さんや滝本さんとの交流を絶やさなければ、それらの情報は入っていたのかもしれない…でも、3年に及ぶ傍聴生活に限界が来た時、僕は、ほとんどオウム関連の人達とは話さなくなっていった。.もう 詩 しか書けなくなっていたし思いっきり暗くなって抜け出せなくなっていた、あの頃は.彼にとって、手紙という交流は唯一の安らぎだったのだろうか…針のむしろにいるような状況の中で、心を通じ合わせる人がたった一人でもいること….それは救いだ人間にとっていや、世界にとっても…...Eili ...
2019年01月13日
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..もし僕たちに二人の友人がいてその両方が、全く反対の谷に落ちてしまったとしたら僕たちは…どうすればよいのだろう.その谷は深く険しく…とても無傷では済まない.ただ僕たちは目の当たりにしてしまったのだ.一方は直接の被害を受け、心身ともに深い傷を負いもう一方は魔に侵されて、心を壊され気絶する.そんな彼らには同じ時代に生まれ同じ陽の元で生活し同じ空気を吸っていたものとして.何を語りかけてあげられるだろう…もう、僕には言葉が見つからない.ただ、深い沈黙の中で微かに奏でられる琴の音のような.そんな旋律だけが僕には聞こえてくる….ただただ包み込むような弦の音色だけが僕たちを時間をかけてゆっくりと守ってくれるような気がする..クリムゾンコレクション 癒し...Eili ...
2019年01月12日
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奇跡を求めて…生きてきた感じがします。それは、とても信じられないことで、無理、無謀、起こりえない事…いかようにも表現できるだろうけれども神秘体験ではないです。そんなものをもはや求めてはいません。.傷つけてしまった人達と、回復不能まで傷ついてしまった人達が、互いの世界を垣間見る事ができるだろうか…この両極端まで引き裂かれてしまった人達にとって、互いを思いやることは果たして可能なのか…という視点でした。.僕は、それを楔のように胸に刺し抜いて、呼吸を続けてきた気がします。それは長く、沈鬱で、やはり不可能なほど困難なこと….今だって…傷はうずき、痛くないといえば嘘になります。空中でぶつかり合い、地上に落ちてしまった瀕死の小鳥たちが居ます。もう、彼らは死にそうです….でも片方が、一言だけ…「ぴよ」と鳴き、もう片方からも「ぴよ」と鳴いたのを.僕は聞けたのです。.もう、思い残すことなんてないほどにいたわってあげたい…ていう気が沸き起こりました。...Eili ...
2019年01月11日
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僕はオウムのその後に、同じようなものが出てくるとは思っていない。歴史は繰り返すと言うけれども、今度の時代はあらゆるものが昔の焼き直しにはいかない時代だと感じている。第一、オウムの焼き直しであれば、ああ、かつて日本に大被害をもたらしたあれね…となるだろうが、たぶんそんなに単純ではないだろう。密教が密教でなくなってしまった時代だ。もう誰も「秘密」になどできなくなってしまった時代…それが現代の特徴の一つだろう。.で、うやうやしく実は深い教えはね…と小出しにもったいぶる必要もない。ネットで調べれば、出てきちゃう時代になった。.その代わり、その信憑性が果てしなく疑わしい時代に突入してもいる。でもそれはよく考えてみたら今までだってそうなのだ。文献が古いから真理というわけでもない。文献がどこかに隠されていたからって真理なわけではない。.この点多くの人が混同している。確かに秘密にされると、人は知りたくなるし、その情報の価値を上げることに成功する。そして、ごく少数の人間に、うやうやしく開示された時、それは効果を発揮する。.それ自体が、虚構なのだ。極めて稚拙…であるが、当時の学者も含めてこれを誤読し、ロマンを持って嘘を信じたのだ。愚かにも。今でさえ、それをうやうやしく、真に優れた高度な教えと捉えている者たちの、なんと旧石器な考え方だろう….これは、僕の今まで付き合ってきた朋友にも言えることだが、ほとんどの人がこの点において目を覚ましていない。今年になって、テーマとして、オウム後の世界を模索する事にしたわけだけど、ちょっと乗り遅れているのはこの手の人達だ。.スピリチュアルをやっている人達が、本当に旧石器的で悲しくなっている。これは20年後に出会った朋友達の半分に、この傾向があったわけなんだけど、僕は彼らが唱えるほど、彼らに幸せを感じなかった。.僕は、こんなんだから(まあ、ブログは暗いよね…)、よく言われる。「君は傷ついているようだから、癒やしてあげよう…」「君はまだ悩んでいるようんだね、僕は脱したから、君に僕の掴んだ真理を語ってあげよう…」「貴方には、情けをかけてあげたくなる」.でもね、全くもって、反対だと思うよ…どうして成長しなかったんだ…と心の底で感じながら、彼らの慈愛をこちょばゆく受け止め、そのスピリチャルに救われているらしい彼らの言説を辛抱強く聴いていて、最後にこう言いたくなるんだ。.仕事しようぜ…そんなことよりも.とっかえひっかえ新しいスピリチュアル用語で自分をけむに撒くのは辞めてさ…もう20代ではないんだし….また、僕は宗教の教説をたくさん勉強して、説教垂れているばかりの朋友にも、実はげんなりしている。色々勉強できることはある、確かに。仏教なんて奥が深いよ。全く。でも、なんだかそれを体得した如く語っている人が、実感として体感しているようにも思えなくって…なんだか悲しかったのも事実だ。仏教の空の思想を切々と唱えられて、そこに自分は到達したがごとく説教を垂れ、被害者には一切意識を傾けない自己中の脱会信者にも、表に立って実名顔出しで社会の中で戦ってきた僕の気持ちなどわかりはしないな…と思っている。.そんなことよりも、一曲のすばらしい音楽を聴いて、心の奥が打ち震えているとき、教説によらない真実の愛を感じたりするしもはやそれは説得される必要もないんだ。包み込まれるから。.脱宗教の境地…これについては、前にどこかの記事で触れていると思うけれども、宗教ですらないという感覚は真実。僕がこれを言い出すと、ほとんどの人が黙り込んだ。僕の場合、朋友のほとんどが宗教的なやつや、実際に宗教を実践していたりする人が多いから、その人達に敬意を払いつつ、やんわりと異なる方向性を示しているだけなんだ。.まあ、でも井上嘉浩くんの魂の遍歴には、着目していて、彼がどんな思想に触れて感銘を受けたのかなどは、なぞらえながら味わうような感じかな…彼のことを僕は見捨てられないんだ。そしてやるんだったら、徹底的に彼ほどやってみて掴み取った真理があるわけなんだから、彼が獄中で掴んだ精神は、なにか書籍で書いている有り難い言葉なんかより、遥かに珠玉の宝の言葉だと僕は思っている。.僕が今回残念に思ったのは、もし僕が面会できるほどの人間であったのならば、まずはとっかかりとしてクリシュナムルティを彼に紹介しただろうということ。どうやら彼の獄中生活でKの思想には触れている形跡がない…とても残念なことだと思っている。.縁ある支援者は数少ない。親鸞の教えやチベット密教の教えで、それぞれパイプを繋いだ人が彼の魂を救う手立てを考えていたようだけど、僕は、実は親鸞の教えでも、チベット密教の教えでも彼を救うことなんかできないんだって思っている。またそもそもキリスト教との縁があるわけでなし、それで彼が満足するとも思えない。.もちろん、いい教えもあるだろうし、そこに示唆がある言説も存在したと思う。でも、そうしたものをすべて、否定し去るほどの思想をなし得たクリシュナムルティはもっと深遠だっただろうし、もし僕が彼と交流していたら、活発な話ができていたのではないかと思う。.そして、ずいぶんと違和感を感じてならなかったのは、まるで、井上嘉浩くんの魂を下に見て、間違ってしまった人を教え諭す側になることの傲慢ささえも僕は感じてならなかった。.実に井上嘉浩という人物は、そうした事でくくれない人物で、彼の悔いる姿は情けないそれなのであろうか?言葉を発すれば誤解を招いているし、いくらでも彼に一言言いたくなる想いは生じるだろうけれども、彼が事件を反芻しながら己の魂を磨き上げようとするあの姿は、…あの真剣な修行に打ち込む姿は、宝だよ。.その姿勢をもって「やれやれ、彼はまだ修行に執着しているのか…」と高みに立って見下している学者や僧侶の方々が多い。そして、彼らはこう言うんだ。「…かわいそうに彼はまだオウムが抜けていなかったようだね…」.ああ、まるでわかっていないよ。彼の姿を僕は全く見下せない。...こんな体験をする人はそうそういないんだ。まあ、確かに何らかのダルマを必要としている点で、僕の現在の方向性と、彼は違う。異なるが、彼の魂が稀有なものであることに変わりはないと思う。...僕たちの時代は次の時代にシフトする。もう戦うべき相手は、人間同士ではない…人間同士での争いはまだ絶えないだろうが、本当に恐ろしいことはそれではない。人類が作り出した至極の知性AIとビックデータのネットワークに、僕たちは誰一人逃れることのできない時代が到来する。.問題は、人間に解くことが難しかったその問題を、AIに託してしまう…いや自ら勧んで自分たちの権利を譲渡する事をもはや避けられなくなってしまい、我々は、情感を持たない完璧に純粋な知性だけのAIに、自らの生存の有り様を選別させられるのだ。もう、情状酌量の予知などない。データの説得力が数値となって現れるのだから。.未来予知技術の使われ方は手厳しい…あなたが、この会社に貢献できる可能性は、○○%であり、数年後○○%に下降することが確率95%で推測され、よって不合格になります…という時代が、まもなくやってくる。.そして刑期を終えた受刑者も不憫でならない。あなたが再犯する可能性は○○%と予測され、その精度は95%になります。、よって仮釈放の権利を剥奪することになります。次の申請まで刑期を伸ばします….これは、もう既にアメリカの一部の州の刑務所で取り入れられているシステムだ。...Eili ...
2019年01月05日
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人類のみ、フィクションを信じる力が備わっていた。それはリアルなものしか信じられないネアンデルタール人にはなかったものだった。そしてその事が、集団の力を結束した。そして個としての能力で劣るホモ・サピエンスが、彼らを結果的に駆逐する原動力となった。地球という惑星を種として支配したのはホモ・サピエンスだった。.そのフィクションとは、見えないもの、想像的な架空の存在だった。それは「宗教」になり、神を生み出し、幻想の中で獣を生み出し文化的な生活を豊かにした。人の間の諸生活においても「貨幣」と言ったフィクションなくして現在は成り立たない。我々の没入しきっている資本主義だって、それは壮大なフィクションの中での世界だと言える。.見えないものを、信じ、共有することで成り立っている世界…それが我々人類の姿だという。.そして、それを俯瞰的に見るには歴史を紐解き、様々な領域の分野に首をつっこんでいかなければ視点が得られないが、ここにオウム事件がある….この事件と、この事件を起こした教団は、歴史的に観て、ホモ・サピエンスの歴史の縮図とも捉えることが可能だと思う…優位に立つこと、闘いの肯定、他を破壊することで新たな世界を創造しようとしたこと…まさにヒンズー神話さながらに、それに沿って活動した、神話の世界の転写世界だったのだ。誇張する必要もない。寓話ではなかった。サブカルチャーではなかった。私達はそれを見た。僕は内部から…多くの人は外部からその様を見ることになった。.フィクションを信じる力が強いと、歴史は動かされる。.ある特定の集団において、共通のストーリーを共有し、彼らが暴走する時、それはとてつもないエネルギーを秘める。それは今まで国家間の戦争だった。しかし近年は違う。もう少し小さな集団で可能な時代に突入した。これをキリスト教の十字軍の遠征に視点を落としてみても感嘆とする思いに駆られるだろう。僕らは歴史を俯瞰する視点を、後世代の人間として、特権を得ている。歴史を学ぶ姿勢は重要だろう。.そして、同じように、誕生からわずか10年の興亡で、野心と破壊の限りを尽くし、全人類抹殺するだけの致死量のサリン製造を目論んだ人物・麻原がいた。その幻想を誇大妄想として病理的に決着を付けることも可能だが、その決着に喜びも安心も得られるものでもない。。。.歴史的事象を生々しく、人生に刻んだものとして、僕は、この後の時代はどう移り変わろうとしているのか目が離せない。.人間が最も危険であることに、我々自身が気づいてしまった。そして、より公平で精度の高い、AIに意志を託してしまう時代が到来しようとしている…いや、もう既に「到来した」と言えると思う。.中国では、すでに研究段階で導入されている、交通課の犯罪予知システムでは、顔認識だけで、その素性のものが、何%の確率で、どのような犯罪を未来に犯す危険性が有るのかを、瞬時に割り出せる。.それはビックデータと照合される。どのような顔の特徴のものがスピード違反や窃盗する可能性が、何%あるのか…それが監視されている。.犯罪を犯す前に抑止を…というスローガンのもと、高速道路に仕掛けられた、顔認証システムで、まだスピード違反を犯す前に検挙することができる…という研究論文が存在するのだ。.これは未来の話ではない。今これから起こる世界の秩序に向けて、人は不完全な人による監視を捨てて、正確なデータを蓄積しながら予測システムのもと、AIを駆使して、機械に人生を判定される世界が誕生するのだ。.数十年後の話ではない、おそらく数年後…サウジアラビアや中国、シンガポールなど、導入され始めるだろう…...Eili ...
2019年01月04日
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.今年のテーマは、もっと包含的な人類の進化に向けた考察をしていきたいと考えている。もちろん、オウム問題はリアルに僕達の前で起こった事実だし、まだしばらくは死刑執行を巡る、振り返り的な考察が続くとはいえ、この世界は止まってはくれない。先に進むのだ…では、どこに向かって?.このテーマは、大昔から繰り返されている命題ではあるが、この数年の時期ほど重要な時期はないだろう…もう既に始まっているとさえ言える。新しい生命が始まっている。(※生命と言えるだろうか…むしろ純粋知能としての意志だろうか…)AIを通じてアンドロイドが、世界の基準を提示し、それに抗うことが不可能な時代がもう到来してしまった…と言える。.ここで、僕たちは、ホモ・サピエンスとして、常に種族の頂点を目指し、非かいながらも生存を脅かされる度に、他を出し抜き、一歩でも前へ進もうとしてきた事実に目を落とさなければならない。.今我々が、ここに生をとどめているのは、歴史上、最も残酷な民だったからに他ならない…それは直接手を下さない「平和を望む人たち」ですら、その生まれは、その闘争原理の中から産み出された魂なのだ。.オウム事件は縮図であり、何度でも、その事件の中に隠されている「人類の性」的なものを垣間見せてくれる歴史的地図となった。僕は彼らが「超人」を目指したことに着目している。それは、実は、こちらの世界でも、すべての人が逃れられない方向なのだ…といえる。これに反駁する理論は多数存在する。.まずは、諸概念を並列に並べて、和を持って世界を統一する理想の話が、平和理に語られる。そして、もっとリアルな現状として、資本主義的な側面から、いかに人が貪欲に、上を目指し、あわよくば独り占めにし、抜け目なく支配し、他を奴属状態に置くことに、なんの躊躇いも持たないのかを、事例を元に示される。.そして、そこからの開放を求める「力ない」運動や、ブルジョアに身を置きながらプロレタリアートを気取り、世論と迎合する人達。それは安全な地に身を置き、TVのモニタで災害現場の報道を見ながら、ため息をつくのに似ている。.欺瞞はいくらでも見つかる。そしてそうした視点を若い頃に芽生えさせて、宗教なり、カルトなりに傾倒したとして、20数年後の結果はいかほどだろうか?.僕は、知人に壮絶な人生を歩んでいる方が多い。そして、彼らは間違いなく、この資本主義、貨幣経済の枠組みからの脱落者として、先の世界を夢想した。僕もだ。そして彼らは青臭い若者として当時だいぶやり込められたが、違和感があった。それは批判する方々の多くが、ではその先を自分なりに見出しているのかと問われれば、そのような方は自分の記憶のある限りいなかった。.それでも、学識有る学者の方々と対談などすると、それはとても有意義な話もすることができた。ただし、決して他に意志を委ねることのない彼らは、一線を超えた我々「宗教者」に未開の地の住人のごとく、不思議な視線を投げかけた。そして若干の羨望も見逃せなかった。.その先で体験できる秘境的な文化を垣間見てみたかったという願望は、どの聡明な学者にも感じたのである。.そこで、僕は「ごく一部の人が触れられる」と言われる「真理」を目指した。そしてそれは密教の中ではうやうやしく高度な教えとして丁重に埋蔵され、それが開示される時に、秘伝としての価値は衆生にわからむものと説明された。.ここにトリックがあるのは言うまでもないだろう…10世紀のチベット密教などに、聖なるものなどない…あれは、最もおぞましい類の「魔の教え」そのものだ…ゲルク派が主流になったのは、他のニンマ派やカギュ派以上に、力強い宗教的暴力を持っていたからに他ならない。それをダライ・ラマは言わない。ひた隠しにしながら、今日に至っている。.そして、それは一宗教に限ったものではなく、この世に普及しているほとんどすべての宗派に、争いと闘いの血なまぐさい歴史が折り畳まれている。.ただ、われわれは、その顕教的な側面に、たまたま道徳的に沿った安全で有り難いとされる教えの外壁に守られながら退避している。時代の移り変わりにも…しかし、それは、崩されるのだ。.神は守りはしない….この古臭いそれぞれの宗派の教えに沿いながら生活している何十億の人達がいる中で、ごく1%にも満たない人が、進化を勝ち得ている。古臭い宗教的文化と、現在の資本主義は、まことに彼らに都合がよく、まさに<支配しきった>と言える一歩手前まで来ている。.ワーキング・プア…なぜ、彼らをそれまでの「奴隷」だと種を明かさないのだろう…僕たちは、なべて騙されてきている。それは、カルトのマインドコントロールのようなわかりやすい縮図ではなく、こちらの世界そのものが包み込まれてしまっているマインドコントロールに人々は為す術はない。.社畜…なんと自虐的で本質を突き、そして、緩やかな牢獄に集っている様を表現しているものはないだろう….ここで綺麗事はよそう。そうした中にいる。やるせない思いには、酒やドラッグ以外にもっと手軽で高度な幻惑作用の世界が待っている。ネット世界やゲームの世界だ。.彼らは、そこで現実の生活を忘れるだけでなく、仮想世界で英雄になることで、擬似的な満足感を得ているのだ。性欲だってそう、もうリアルに異性を求めなくたってやっていける時代。.こんな時代は、20年前はなかったのだ。1995年…ここから変わったのだ。.僕らがどのような世界に移行しようとしているのか…それを真剣に見定めていかなければならない。...Eili ...
2019年01月03日
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.本当は、家族全員と…と言いたいところだけれども、僕の家族はそんなに単純にはいかなくって、もし家族三人の中で神様がたった一人にしか会わせてくれぬというのならば、そんな意地悪な事を言うのであれば、僕は迷わず母さんを選ぶ….本当に長い間断絶しており、そしてまた深く傷ついていた僕なんだけれども…二度と来るでない…とまで言われた家族だけれども、僕がそれでも細い糸のように手繰り寄せたいのは母さんだ…父も姉もをれを全くわかっていない….本当は、父と母に謝ろうとして何年ぶりかに近づいたのにそれを拒んだ姉によって、僕はもう機会を失ったのだ父もそれにならい拒絶した.でも昨日元旦の夜遅くに、はじめて母の方から電話が届いた僕の方からすることがあっても、母の方からかけてくることがない電話にはじめて出て二人で密かに会う約束をしたんだ….もう父にも姉にも邪魔されずに、実家にもよらずに会うしかない…手紙だって、父と姉の目に止まれば、「出すでない!」と怒られる始末…手紙は読んでももらえない….こんなの信頼をおける家族では決してないよ…だから出家までしたんだよ.でも、僕は彼らを否定したいわけではない…むしろその逆さ数年ぶりに会いに行き、今までの苦労や心配かけてきたこと全てを謝罪し自分を導いてくれた人(井上嘉浩くん)がこんな人だったんだて事を…最後に話したかったんだ彼は最後には、ご両親の愛のもとに帰還したんだ…てその事を伝えたかったんだ。門田さんの本を渡しながら….なのにひどい扱いだった…で、僕は機会を永遠に奪われたんだ…姉の家でもないくせに、「二度と来るな、永遠に」とまで突然激昂し、静かな話をすることもできなかったそして危篤状態で生死の境にいた祖母の状況すら教えてくれなかった。昨日元旦に知った。あの日、姉が僕を退け追い出したちょうどその後に、祖母は亡くなったようなんだ。.葬儀にすら呼んでもらえなかった…それどころか知らせてももらえなかった。あけましておめでとうの返事すら来ない….な、なんてひどい家族だろう。.彼女が僕を拒絶し追い出した後、齢100に近い祖母が亡くなったのだ。本当はその祖母の危篤が近づけてくれた縁なのに、それで僕は会いに行ったのに姉はそれを木っ端微塵に台無しにし、それに習って家族の誰一人、僕に祖母の他界の知らせをしてこなかったのだ。僕は間違っても失礼な態度は示していなかった….あれから16日が経過し、母から一本の電話が入る…泣いているようだった。僕は心配でならないと伝えると、彼女も僕が心配でならなかったと言ってもらえ、家族がいると何も話すことができないから…と密かに会う約束をした。.家族が自分の信頼の置ける人ではない…そんな人だっているそれでも、何とかか細い縁をつなぎとめたい…そんな想いはある.だって23年だもの…彼らが罪の精算をしたというのならば、僕だってそれに合わせてしたいんだ…するべきだ.僕はどんなに妨害されても、母さんにだけは会いに行くつもり携帯もスマホも使い方わからない母さんだけど…それは情弱なだけ手紙も読んでもらえない母だけど…それはおそらく、当時を思い出しそうで辛いから….苦労かけた事、心配かけたことそれを心の底から悔やんだことだけは伝えたい.だって、それは、僕の信頼していた朋友だって、苦しみの中でまず真っ先にしたことなんだ…僕はこれさえクリアーされれば、前に進めるような気がする。...Eili ...
2019年01月02日
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今年は、明るい一年にしたいです。もちろん歴史を踏まえた上で…それをしっかりと胸に秘めながら乗り越えていきたいです。.変化の年であり、ホモ・サピエンスの生き様を強く感じさせる時代に突入してきたと思います。今までの人類の諸々の文化を包含して、次の時代がどのように訪れるてくるのかをじっくり観察しながら、大切に過ごしていきたいと思います。...Eili .....2019-01-01
2019年01月01日
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