2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全3件 (3件中 1-3件目)
1
やっと涼しくなって、ようやくオーブンに火を入れる気になった。夏の土用の日辺りを長夏といって体内の水分調整の為の食養生を心掛けるようにいわれるけれど、気温、湿度共に最高潮の長夏がその文字通り長ーい夏になってしまったから、コレ、全ての制作意欲を奪われた心地だった。脳みそも醗酵してしまったかのようだったけれど、やっと食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋なのだ。私にとっては、料理の秋。よく考えたら料理は読む、動く、食べるの3拍子そろっている気がする。あちこちからレシピを引っ張り出して、粉を捏ねたり、鍋を振ったり、収穫したモノのシゴをするのも大量になると、ほんんとスポーツ(労働?)なのよ。おっと、今日はモロッコで教えてもらったお菓子たちの試作の話だった。おじゃましたお宅で出されたお菓子のレシピや、買って帰った数冊の本を基に、配合を組み立てている。本のレシピには、「1ティースプーン」とか「1スープスプーン」とか「1グラス」という表現がフランス語でならんでいて、しばしば混乱させられる。1ティースプーンとは、その名の如くティースプーンサイズなのだが、要するに小さじ1杯(5cc)位。スープスプーンというのは、いわゆる「テーブルスプーン」ということで考えると大さじ1杯(15cc) 。この辺りは、フランス語の本ということもあり、欧米式にしたがうとしたものの、1グラスって???グラスといえば、ミントティーを入れるあのティーグラスのことかというところまでは何とか察しがつくのだが、一言でグラスといっても、トルコ型、モロッコ型等々で微妙にサイズが違うし、造りが造りなので同じ型のグラスでも、5mlぐらいは誤差がある。どんぶり勘定でお菓子を作るのはなんともチャレンジャーなことだが、手持ちのティーグラス130ccに合わせて計量してみた。それにしても、これは最も簡単だ・・・と、タカを括っていた「コリシラット」という焼き菓子に、こう苦戦させられるとは・・・。コリシラットは、おじゃましたサイダさんのお宅のお手伝いさんが手作りしていたいたのをご馳走になり、すっかり気に入ってしまった。カンパンとクッキー、ビスケットを足して3で割ったような、素朴な焼菓子で、粉と砂糖、サラダオイルの生地に、胡麻とアニスシードを練り込んだだけのシンプルなものだけに、食感が大切。胡麻やアニスを生地と一緒に噛みしめられる位の適度な固さと、小麦粉本来の甘さを感じさせるだけの控え目な砂糖の配合が要なのだ。そうそう、このお菓子の隠し味は、微量加えるオレンジフラワーウォーター。これがちょっと入ると、粉っぽさが消え、アニスと絶妙な味の一体化が起こる。そんなことを計算されてか否かは知らないが、とにかくつい手がとまらなくなるような気さくで美味しいお菓子だった。レシピを書き留めたノートには「小麦粉2キロとサラダオイル500ccに、砂糖が・・・・」とある。いきなり、1単位が大きすぎやしませんか(苦笑)。とりあえず、メモしたノートにある分量の四分の一で取りかかるが、それでもなんだかちょっと小麦粉が多い。まるで餃子の皮でも捏ねているかのようになってきた。この配合で本当に大丈夫なのだろうか。そういえば、このお手伝いさん、読み書きが出来ないっていってたぞ。でも、レシピぐらいならきっと大丈夫かな。ああ、作るところを見せてもらっておけばよかった・・・。何はともあれ、2,3回配合を変えている内に、現地で戴いたのにかなり近い代物が出来上がった。これからモロッコのお菓子を再現するのは、思っていた以上に大変な作業になりそうだなあ)))。
2007.09.30
コメント(0)
ゴーヤジュースといえば、即、沖縄のレモン汁と砂糖を加えて作る苦いものを思い描く。疲れて喉が渇いたときにはこれがなんとも「苦ウマ」の味。苦みが唾液の分泌を促してくれるので、渇き潤い効果も高い。が! 今日ご馳走になったゴーヤジュース(正確にはゴーヤミックスジュースというべきか)は、ひと味ちがう。ジュースの色は・・・黄色。味は、甘い。畑から持ってきたのは、黄色に完熟したゴーヤ。包丁を使うまでもなく、果肉がほろりと崩れ、その中からドロドロを纏った真っ赤な種がこぼれる。こんなになったゴーヤは、もはや使い道などないと、ポイされてしかるべき代物だが、これをバナナと一緒にミキサーでガーッとやると、なんだかトロピカルな雰囲気あふれる「けっこうイケる飲み物」になるのだ。もちろん、栽培している人にしか味わうことのない一品だけど、まあわざわざ作る一品でもない。でも、バナナジュースにちょいと入れて食用になるのなら、栄養価も増してこんな嬉しいことはない。もったいない精神は、時にこんなユニークなドリンクを生む。野菜を作ってみると、一時期に一斉に野菜が出来てしまうという事態に、まま遭遇する。そいうものは、佃煮や酢漬け、干し野菜などにされる他、それでも余ってゴーヤ三昧とか。カボチャ三昧の晩餐にお目見えしたりする。買った野菜でなかなか漬け物はしないよなあ・・・。(もちろん、ここで言う漬け物は、浅漬けではなく、樽に漬けるような本格的なもののこと。)昨年、買ってきた巨大胡瓜と取り寄せた酒粕で作った奈良漬けは、美味しくできたけれど、えらく高くついた。1本当たり、酒粕がかくかく円、みりんに粗目がしかじか円も加わって・・あ、ホーローの容器も漬けモノ用ビニール袋もかったから・・・と、計算すると、一口幾らの算段に至るので、美味しさ半減、止めることにしよう。沢山いただいてきた秋なすやゴーヤ、紫蘇の実を目の前に、どんな保存食を作るか思案しているところだ。
2007.09.29
コメント(0)
子供の頃、病気になると、季節を問わず「ぶどうが食べたい」・・・と悲壮な声を上げていたらしい話を、この時期実家に帰るといつも聞かされる。昭和40年代、水疱瘡の病の床で1月に食べた葡萄は、確かしなびたマスカット。当時、「青いぶどう」と呼んでいた。(父が探し歩いてくれたらしい。)ぶどうといえば、その「青いぶどう」か、種なしぶどう(デラウエア)、黒いぶどう(キャンベルとベリーA?)ぐらいだったような気がする。(巨峰はあったかな??)それが今、ピオーネ、甲斐路、ネオ・マスカット、ロザリオ、レディースフィンガー、パラディ、種なし、種あり、皮も食べられるタイプ等々、いろんな葡萄が出回っている。外国品種の掛け合わせ等々まあ葡萄の種類が多いのは留意することではないけれど、ひとつ、とても気になることがある。キャンベルが見当たらないのだ。あの、ほどよく酸味、甘味、渋みがあって、つまんでいるうちに爪の間まで黒くなってしまうような色素(今時はポリフェノールと言った方がいいのかな?)がトロッとたっぷり皮の内側に付いているキャンベル。種だってさほど大きくない粒の割に3つ4つ入っていて、野生的だった。マスカット、大好きなんだけど、白の後には赤も戴きたいわ))と、ワインじゃないが、黒いぶどうも食べたいじゃないか。ピオーネ、巨峰ほど大粒でも高級でもないのでいいのだ。だって私の脳には葡萄は「つまむ」ものとインプットされているのだ。ピオーネでは、2粒3粒口に入れたらいっぱいになってしまう。ツルッと次々と喉を流れていくほどほどサイズが理想である。先日、偶然通りかかった果物屋さんで、キャンベルの名残濃い小振りの葡萄の房を発見(!)。車を路肩に止めて、いそいそと駆け寄った。久しぶりに味わうキャンベル(風)の味は、子供時代の記憶を甦らせる。「おにいちゃん、食べるの速すぎるよー」兄は種を出さない主義で、ツルツルとお猿のごとくのみこんでいき、葡萄の房はみるみる茎だけに・・・。そこへいくと、皮を手で剥き剥きしないといけないマスカットは、猿の・・・もとい、兄の敬遠しがちな品種だったので、いまでもいただくときにいささか心の余裕がある気がする。(今では皮ごと食べれる「青いぶどう」も出ているから手強いが、当時のものは皮に結構渋みがあって硬かったのだ。)でも、キャンベルは、焼き肉と並んで、せわしく食べる家庭内競争のシンボルだった。久々に手にしたキャンベル(らしき葡萄)を、ゆったりと口に運べる喜びを噛みしめる・・・脳裏によぎる猿兄妹の想い出がちょっと邪魔だけどさ。
2007.09.17
コメント(0)
全3件 (3件中 1-3件目)
1