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あなたの想いに ほっこり ホクホク 心に ポワッ 真っ赤なお花が 咲きました先日、足の調子がよかったので、一人でプラプラと買い物に出掛けました。でもやっぱり疲れたようで、帰りの電車でうとうと・・・。少し熟睡して、ふと目が覚めると、私の前にかわいいおじいちゃんとおばあちゃんが必死に手すりを持って立っているではありませんか!(・・・。・・・・・・・・・・・・よし。)(今日は足の調子もいいし、後2駅やし、いけるやろ!)思い切って席をゆずることに。「・・・あの、どうぞ・・・。」「あら、お嬢ちゃん、ええのー?悪いねぇ。ありがとうな。」「いえ・・・。」病気になって初めて席をゆずるということをしました。なんか、心がすっきり晴れた感じ。私1人が座っていたところに、2人で小さくなってちょこん、ちょこんと座っている姿に、ぷぷぷと微笑んでしまいました。(あー、なんか今日はいいことした!)私にも人に役に立つことができるんだと思うと、なんだかとっても嬉しくなりました。そして、この日わかったことは、誰かに親切にすると、“自分の心が満たされるんだ”ということでした。
2008/06/30
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当たり前って 奇跡かもしれないね1年前の今日は、医師から病気の説明を受けた日です。「脳と脊髄の神経に炎症・・・。これを多発性硬化症MSと言います。」あれから1年。あの時の光景は今でも鮮明に覚えていますが、遠い昔のことのように思えてなりません。(そっかー。まだMS歴1年なんかー。)最近思うことがあるのです。私たちは、今こうやって豊かな世の中に生きています。何不自由なく毎日を過ごしています。でも、世界には飢餓に苦しむ人や病気に苦しむ人など、その日の暮らしもままならない生活をしている人が大勢いるわけです。当たり前のように、日々の暮らしがあって、当たり前のように、大切な家や家族がある。ほんと、すばらしいことです。そんな毎日にこそもっと感謝するべきですよね。
2008/06/29
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心の“ホットライン”、 ありますか?友達がくれたメールです。「尚の辛さを全てわかってあげられることはできひんけど、少しでも軽くする事ならできるからさ。辛い時にはとりあえずホットラインに連絡っていう方法もある事忘れないでネ!」私には中学生の時からの仲のいい友達のグループがあります。みんなで、ご飯を食べに行ったり、旅行に行ったり・・・。楽しい思い出ばかりです。そんな友達に、今年の4月、やっと病気のことを打ち明けました。正直、みんながどんな反応をするのか・・・ドキドキでした。もしかしたら言わない方がいいかもしれない・・・。だけど、大切な友達です。ちゃんと伝えなきゃ。みんなはとても心配してくれました。のんびりとした旅行に行こうとも言ってくれました。「大丈夫?」「調子どうなん?」「休憩する?」「うちらやったら気使わんでいいねんでー。」さりげない気遣いに、良い友達を持ったなぁとつくづく感じます。私にとって、とってもとっても大切な友達たち。一生つき合えると確信しています。みんな、これからもこんな私だけどよろしくね。メールは即保護したよ!!
2008/06/28
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太く 短く 濃く私のピアノの先生には、26歳の娘さんがいます。「よくて、30歳まで・・・。」生まれつきの重い心臓病で余命数年です。幼い頃には20歳までと言われていたそうです。助かる可能性は移植だけ。もちろん、先生も娘さんもその選択はしませんでした。でも、見た目は“普通”です。大学を出て就職もされましたが、今は辞めて派遣の仕事をされています。家には、あちらこちらにかかりつけの病院のtel番号と、救急のtel番号が貼られています。「熟睡なんて、できたことないよ。」「夜中にカタンって音したらビクッてするわ。」「もう、忍耐。それだけ。」こんな生活が26年も続いているのです。不安は計り知れないでしょう。特に20歳を越えてからの生活は想像を絶すると思います。今は一瞬脈が止まることが頻繁に訪れるそうです。「でも、太く短く濃くでいいって言いやるから、私は救われてるわ。」娘さんは幼い頃から自分の病気の事を知っていて、後数年だということもわかっています。・・・私の病気なんか、なんてことないですね。
2008/06/27
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一人 スローライフ病気になって1年。時間がゆーっくり過ぎています。朝、陽の光で目覚めます。時間をかけて朝食を取ります。じっくり新聞を読みます。散歩をします。そうじをします。趣味に時間を費やします。読書をします。お腹が減ったら、食事をします。眠たくなったら寝ます。休みの日はだいたいこんな感じです。時計もあまり見なくなりました。自然に合わせての生活です。これまであまりに時間に追われた生活をしてきたせいで、1日何時間あっても足りないと思っていましたが、病気になり時間の流れが180度変わりました。ゆったりした生活っていいものですよ。老後の生活のようですが、本来私たちが送るべきライフスタイルかもしれませんね。
2008/06/26
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本当は、 ありがとう私がこのブログを通して書きたいことは、特定疾患の難病になった私にしか表現することのできない“言葉”です。心の奥底にある赤裸々な訴えです。昨日とおとといの日記に書いたようなことです。「今日は○○をしました!」「今日は調子がいい!」とか、そういうことではなくて、病気になった本人にしかわからないこと。決してキレイごとばかりじゃないということ。時には卑屈にもなります。だって、私は難病になったんですもの。当然です。でも・・・、でも・・・、本当は家族のなにげない優しさに“ありがとう”の気持ちでいっぱいなんです。お母さん、いつもご飯を作ってくれてありがとう。私がしんどくて寝てる時はそっとそっと足音を立てずに歩いてくれてること知ってるよ。「ありがとう」さりげなく私の好きなスイーツを買ってきて、冷蔵庫に入れてくれてること知ってるよ。「ありがとう」妹のハナ、こっそり私の病気のこと調べて勉強してくれてること知ってるよ。「ありがとう」いつも明るく私に接してくれてること知ってるよ。「ありがとう」“あそこのカフェ休憩しやすいでーあそこのトイレ、化粧室にいすあるでー”外出先で私が休憩しやすい場所探してくれてること知ってるよ。「ありがとう」本当は私中心で家庭が回ってること知ってるよ。「ありがとう、ありがとう」お母さんとハナがいなければ、私はありません。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。心配かけてごめんね。迷惑かけてごめんね。素直になれなくてごめんね。そして、病気になって、ごめんなさい。
2008/06/25
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聞いてよ 私の声 私の叫び 「これからどうするの?」先日、妹に言われた言葉です。「・・・。」「・・・。」「・・・・・・。」・・・そんなもの、こっちが聞きたい。妹は結婚が決まり、来年家を出るそうです。仕事も辞め、新しい仕事を探すと言います。貯金、貯金と言って、節約に励んでいます。「どんな家がいいかなぁ。」「場所はどこらへんがいいかなぁ。」家を探しています。と、毎日結婚まっしぐらです。もちろん、これが結婚までの成り行きだということはわかっています。だけど、妹の結婚を素直に喜んであげられない自分が嫌ですが、一緒にいる私の気持ちはわかってくれているのかと疑問に思うことが多々あるのです。私にはお付き合いをしている人もいません。今後、結婚という選択があるとは、どうしても考えられません。今は、週3日だけアルバイトをしていますが、貯金ができるお給料なんてあるはずがありません。貯金をする意味も見当たりません。今を生きることが精一杯で、先のことなんて考えられる余裕すらありません。同じ家に住んでいても私は蚊帳の外にいる疎外感・・・。時に家族が一番残酷です。誰もなりたくて病気になるわけではありません。でも、なってしまった今、あまりに一般の人と基準が違いすぎて、それが、しんどく辛いのです。そして、それを吐きだす場がないことにストレスを感じます。多発性硬化症MSを発病して1年が経ちました。自分ではもう病気のことを受け入れられていると思っていましたが、やっぱりまだまだ気持ちがついていかないのが、現実みたいですね。
2008/06/24
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居場所は どこでしょう?私は独身なので、ずっと家族と一緒に住んでいます。母、妹と3人です。父は6年前に他界しましたが、その時、4人から3人の生活になったことで、家族関係がギクシャクしました。と言っても、もともと4人の関係がよかったというわけではありません。父は仕事人間で家ではほとんど話しをしませんでした。母は専業主婦で、そんな父に文句一つ言うことなく淡々と家事をこなします。私は高校生の時、不登校・引きこもり・うつだったので、2年間家で過ごしました。妹は至って普通の女の子です。そんな日常でした。それでも、「家族」だったのです。一緒の家にいるだけでしたが、家族として成り立っていました。それが、父がいなくなったことで3人の関係が崩れ、それぞれがしんどい状態が1年ほど続いたように思います。そして、1年前に私が病気になりました。病気になったからというわけではありませんが、発病後、特に家での居づらさを感じています。もう母と妹と楽しく会話をすることができなくなりました。この歳になって独立もできない未熟さ、バリバリ働ける時期に働けない自分に対しての苛立ち、これからも金銭面で母に世話になっていくのだという情けなさ・・・。もちろん、家族に支えてもらっているし、感謝はしています。だけど、本当の心の内を打ち明けられないもどかしさを感じてしまうのです。私の中で複雑な感情が入り交じり、家という圧迫されたカプセルの中が本当にしんどいです。今後、「ここだ!」と思える居場所が見つかるのでしょうか・・・。みなさんは、居場所、ありますか?
2008/06/23
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大事なのは 自分の足で 立ち上がること現在、私は週3日だけアルバイトをしています。発病した時は、おへそからつま先までの強いしびれで入院し、このまま車イスになるかも・・・というところまで歩けなくなりました。今でもしびれは後遺症として残っていますが、でも、徐々に回復して歩けるようになってきた頃から、私にも何かできる仕事があるんじゃないかと思うようになっていきました。私はもともと仕事人間です。仕事がないと自分を保てないところがあります。そこで、バイト誌を持ち帰ってきました。・・・でも、毎週読みあさってもなかなか条件に合う仕事がありません・・・。私は発病した時小学校の先生をしていたので、どうしても子どもに関わる仕事に目が行ってしまい、他の仕事が目に入りませんでした。子どもに関わる仕事は体力仕事になるから無理だとはわかりつつも、どうしても諦めきれない・・・。だって、子どもの笑顔が見たいのですもの。色々考えた結果、今やりたいことをやろう!!それだったら、別に急いで仕事を探しているわけではないし、そんなに体力を使わなくても子どもに関われる仕事の求人をとことん探せばいいと思うようになったのです。そして仕事を探し始めて2ヶ月、退職して7ヶ月半・・・。今私は、子どもの笑顔と一緒にいます。唯一、病気のことが忘れられる瞬間でもあるのです。
2008/06/22
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思いっきり 泣いたら 心に 虹が かかったよちょうど1年前に多発性硬化症MSを発病した時、医師から病気の説明を受けました。その時はまだこの病気の意味が理解できず、まだまだ他人事という感じだったのを覚えています。でも退院後、ネットで特定疾患の難病だと知り、歩けない、職を失う・・・、と普通の生活がどんどん奪われていき、自分がどんなに恐ろしい病気になってしまったのかとリアルに理解できるようになってきた頃から、夜になると必ず泣く・・・という生活になっていきました。夜は不安を誘います。声を押し殺してただただひらすら泣き続けます。というより、勝手に涙が出てきて止まりませんでした。そんな生活が5,6ヶ月続いたように思います。目はぽってりと腫れ、元に戻りませんでした。でも、ずっとブログに載せていた日記を書き終えたことで自分の中で気持ちの切り替えができたのか、不思議とぴたっと涙が出なくなったのです。自分でもよくわかりませんが、心がすっきりとして明日から新たな自分が始まるような気がしました。そう、あれだけ泣いたんだから“雨はもう終わり”って、きれいな虹が出たのかもしれませんね。
2008/06/21
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夢、 あなたに 託します昨年6月、多発性硬化症MSを発病した時、私は小学校の先生をしていました。と言っても講師ですが、5年3組の子どもたちに囲まれ、本当に日々楽しかったです。その時の将来の夢は、小学校の先生。ちゃんと教員採用試験に合格しようと心に決めていました。ところが、MSを発病してしまい、もう学校で働くことはできません。当初は、どうしても小学校の先生になりたかったので、病気になってしまった自分を責めたりしました。なんで病気になったのが私なの?何か悪いことした?私ってそんなに非常識?なんでまた、夢に向かって勉強してる時に・・・。でも、もう仕方ありません。病気になってしまったんですから・・・。だから、参考書や問題集、その他の膨大な資料は友達にあげました。私の周りには学校の先生を目指している友達が2人います。2人とも強く教師になりたいという意志を持っているし、その資質もあると思います。私の夢、託すね。必ず先生になれる日が来るよ。応援してます!
2008/06/20
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ピアノの 旋律に乗せて この想い 届いてますか?私は大学でピアノを専攻していました。1日に何時間もピアノを弾くピアノ漬けの生活。私はもともとテンポの速い曲や、指を速く動かす激しい曲を得意としていました。ちょうど、流れるような美しいきれいな曲が弾けるようになることを課題としていたところです。でも、なかなか自分の思い描くような音色が出ない・・・。父の死後、一段落してからピアノのふたを開けました。“ポロロン・・・”(あれ・・・!?心なしか音が柔らかくなったような・・・。)その時、やっぱり精神面が多分に影響するんだと確信しました。ピアノなんてものは、その人の人柄・経験・人生などがそのまま音として現れます。音色を聴くと、だいたいどんな人なのかがわかってしまうものなのです。あれからもう6年が過ぎましたが、私は今になってお父さんに逢いたいという気持ちが日に日に強くなっているように感じます。・・・お父さん、元気にしてますか?
2008/06/19
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私は あなたのために 何が できましたか?私は現在、27歳です。父、母、3歳下の妹の4人家族でしたが、私が21歳の時に父は他界しました。心臓の解離性大動脈瘤という病気でした。石原裕次郎と同じ病気と言えばおわかりになる方もいらっしゃるかもしれません。父は高血圧でしたが、至って健康でした。いつものように、朝出勤。私は当初大学生で休み期間だったので、その日はたまたま家にいました。1人で・・・。“プルル・・・”夕方telが鳴りました。「はい。」「・・・・・・・。びっくりしないでね。お父さんが今、急に倒れました。土色みたいな顔色になってね。意識はありますが、救急車を呼んでます。また搬送先の病院がわかり次第連絡します。」「・・・。」(・・・へ?・・・貧血?疲れ?・・・救急車って、またそんなおおげさなぁ~!)ところがそのすぐ後、家族全員で病院に来るようにとのこと。母、妹と3人で急いで病院へ向かいました。小さな部屋に通され、担当医からの説明・・・。ペラッと1枚のデータを見せられました。“死亡率78%”(は?・・・。・・・。・・・・・・。え?えええええええ!?)「今から手術をします。」よくても車イス。職場復帰はまず無理。植物状態になるかもしれない・・・。結果、倒れた日から1週間で亡くなりました。手術の麻酔で眠ったっきりです。その時の父の最期の言葉。「尚、すまんのぉ。」涙が止まりませんでした。その後、周りの人に「親孝行なんて何一つできひんかった・・・。」ともらすと、「健康に生きてるだけで親孝行やねんで。」と言われたのを覚えています。・・・でも、今の私にはその健康な身体さえもありません。お父さん、尚はお父さんのために何ができた?
2008/06/18
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前を向いて歩くんだ! ・・・でも、たまに しんどくなっちゃうの今の私は体調が安定してきて3ヶ月ほど経ちます。見違えるほど歩けるようになって普通の生活ができています。この3ヶ月、自分に言い聞かせるように、「前を向かなきゃっ」と日々過ごしてきました。でも、やっぱりそういう自分に対してしんどくなったり、比べたくないけど他人と比べてしまったり・・・、気持ちが空回りしてしまうんですよね。ふと、空虚感というか、孤独感というか、これから私はどうなっていくんだろう考えると不安でたまらなくなります。いつ再発するのか、身体のどこに症状が現れるのか、今後一人で生活していけるのか・・・。誰でも明日のことはわかりません。だけど、もう少し先のことが見えたらどんなに楽かと思ってしまうのです。
2008/06/17
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健康ってそれだけですばらしい私はちょうど1年前にMSを発病しましたが、その時は足の感覚障害から始まりました。ある日突然、両足の裏がビリビリ・・・、何をしていてもビリビリ・・・、四六時中ビリビリしびれ続け、日に日にそのしびれが両足ともまったく同じように上昇。2週間後にはおへそから下すべてがしびれてしまいました。排泄障害も起こりました。そして、検査入院をしたという流れです。本当に歩けなくなってしまい、今年の2月末ぐらいまではその歩けない状態が続いていました。私はこのまま歩けなくなるんじゃないか、車イスになるんじゃないかと真剣に悩みましたが、ありがたいことに今はとても快復してきています。もちろん走ることや、早く歩くことはできません。ゆっくりペンギンのような歩き方ですが、それでも今は、自分の足で歩けています。それだけで、今の私は万々歳なんです!!・・・だから、健康ってそれだけですばらしいことなんですよね。
2008/06/16
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『後悔しないように 今を楽しんで生きる』これが、今の私のモットーです。先日までの日記は、3月に書き終えていたものです。その後、この日記を書き終えたことによって、ゆっくりでいいから前に進み出そうと誓いました。そして思ったことが、“後悔しちゃダメ”ということです。今やりたいことは今やろう。後で後悔しないように、今やっておこう。そう、思うようになりました。私はもともと大学でピアノを専攻していました。大学を卒業した後も発表会に出たり、ピアノを弾くことが日課だったり、私にとってはピアノは散歩感覚のようなものです。それが、病気になったことでまったく弾かないようになっていました。半年はピアノを開けることさえもしませんでした。でも、このままピアノから遠のいたら絶対に後悔すると思ったんです。だから、勇気を出してピアノを開いてみました。半年ぶりの私の音・・・。初めは涙が出ました。こんなにピアノが恋しいと思ったことは初めてかもしれません。そこで、今年は9月にある発表会に出ることにしました!こつこつと今までの感を取り戻しつつ、練習に励みたいと思います。
2008/06/15
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私の日記を読んで下さった方々、コメントを下さった方々、本当にどうもありがとうございました。みなさんの温かい励ましの言葉に救われ、感謝の一言です。この日記は、多発性硬化症(たはつせいこうかしょう)MSを発病し本当に辛くしんどかった時に書いた日記です。まさか私が特定疾患の難病になるなんて思ってもみなかったですし、TVの中の話しだと思っていたのが、実際に自分の身に降りかかり、あまりにショックだったということと、何もかも失い失望した時の心境を書き止めておかないとと思ったのがこの日記を書き始めたきっかけです。(正確に言うと何か書いておかないと自分が保てなかったという言い方の方が正しいですが・・・。)正直、2008年を迎えるつもりはありませんでした。今自分がこの世にいる予定もありませんでした。真剣に死を考えました。でも、そんな自分の気持ちをゆっくり素直に赤裸々に書き留めていく内に、徐々に私にも病気になってやらなければいけないことがあるような気がするようになってきました。そこで、日記をブログにしたのです。難病になるとはどういうことか、健康ってどれだけすばらしいことかということがこの日記を通してお伝えできていればとても嬉しいです。そして、みんな一人じゃない、必ず誰かに支えられているということ、自殺はダメということをどうしても訴えたかったのです。今、MSになりちょうど1年が経ちました。もうこんな日記は書けません。なぜなら、もう、病気は私の一部というように受け入れているからです。1年経ってやっと病気と共に生きていく決心ができました。『後悔しないように、今を楽しんで生きる』この病気は、今後いつ再発して身体のどこに不調が現れるのかわからない病気です。その不安をずっと抱え続けてはいますが、これが今の私のモットーです。ここからは第2部と称して“今の”私を綴っていきたいと思います。これからも私の声にお付き合い下されば嬉しいです!
2008/06/14
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