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おはよう仰向けでは眠れなかった。私の記憶の限り、仰向けでぐっすりと眠ったことは、数年遡っても見当たらない。仰向けで身体を横たえると、背中は痛いし、腰は痛いし、身体がカチンと硬直してとにかく苦痛なのである。楽なのは、うつぶせか横向き。なんと、それは、どうも内臓の調子が良くない証拠なのだそうである。最近、仰向けで目覚めることに気づいた。朝、ぱちっと目が開く時、私は仰向けなのである。寝始める時は今でもうつぶせか横向きなので、まさか私が寝返りを打って、仰向けで眠っていたとは!日々、身体を整える努力をしているつもりだが、やっぱり私、良くなっているのだよ、きっと。
2014/05/31
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価値って なぁに?図書館でたまたま手に取った暮らしに関する本に、「節約の為、美術館には行かずに図録を見る」という文章があった。美術館巡りが趣味の私としては、猛抗議をしたい。本物の芸術を本物の空間で、時間をかけてわざわざ見に行くことに、価値があるのである。節約の為にそれを図録で済ますとは。私、お金はないけど、そこだけは譲れません。
2014/05/30
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風、運ぶ涼やかな風がさーっと吹き、カーテンがふわりと舞い上がる。蛙がゲコゲコゲコゲコと鳴く。初夏、ですね。今日は新月ですよ。
2014/05/29
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バッタも 休憩急激に暑くなりました。と、すぐに歩く速さが落ちてしまいます。日傘は、梅雨明けまで差さずに乗り切りたいなどとここに書いた直後に、差しましたよ。暑さに慣れるまで少し時間がかかりそうですね。ちびバッタ。
2014/05/28
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野花を みならって元気になると、さっさと歩けるようになると、私は忘れてしまう。あの、発病した時の足の不自由さ。そして、感謝の気持ちと謙虚さとを。人は、ずっと過去を引きずり、抱え込んだままでは生きてはいけない。それをバネに、人は知らず知らずの間に大きく成長する。「忘れる」という行いは、ある意味、素晴らしい人間の特性であると思う。ただ、だんだんと邪で邪悪な気持ちがはびこったり、横柄になることだけには、重々気をつけたいものである。私は、あらゆるすべてのものやことに支えられ、生き、今という瞬間を迎えることができている。どんな時も謙虚でありたい。どんな時も感謝の気持ちを込めていたい。来月で、多発性硬化症(MS)を発病して7年を迎えるにあたって、改めて、我が心を振り返る時間を持ちたい。
2014/05/27
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ころりんこちらは、今日はどしゃ降りの一日でした。頭痛がひどかったので、休息。たくさん寝て、少し回復しましたよ。気に入ってます。
2014/05/26
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狐の牡丹パン屋さんで、一人パンを食べていた。隣に座るのは4人の主婦。みんな小学生の子どもがいて、みんな専業主婦らしい。その中の一人が話の主導権を握っていた。「世間では、出産しても正社員として復帰したり、パートに出たりすることが「偉い」と言うけど、働くことがそんなに偉いの?私は母として主婦として一生懸命子育てをすることの方が断然偉いと思うけど」他の3人は頷いて賛成。もちろん、主婦をしながら働くということはとても大変なことだ。私などは、到底できっこない。だけど、私も、心の中では、大きく頷いて、大賛成。狐の牡丹っていう名前なんだって。かわいいね♪
2014/05/25
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『尚のピアノつぶやき帖(ショパンバラード2番) その二十三』なんでこうも、もっさりとしているのだろう。野暮ったいというか、「洗練」という言葉からは一番かけ離れたところにいる気がするのだが。そろそろ、弾いていると、汗ばむ季節になってきたし。…野暮ったくても、ま、いっか。
2014/05/24
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真実「人の考えというのはときに万華鏡のように変わる」「日々の暮らしの中では諍いやいきちがいや仲たがいといったものを始終繰り返していても、嘘偽りのない真実の愛というものは存在しうるのです。私はベッドに向かいながらしみじみ思った。結婚生活とはおかしなものだ、と」「“どこまでも暗い日も明日になれば過去のこと”と言ったのは誰だったか。まったくそのとおりだ」「ええ。何か変化が必要なときもあるものです…」「人はたいてい知りたがらないものです。人がたいてい求めるのは甘い慰めのことばです。希望です。安心させてくれることばを少しずつ、でも、惜しみなく聞かせてもらいたいんです」「<いろんな街の路地裏には、さまざまな人生の味気がしみこんでいる>手塚治虫」「心には、ゆとりもゆるみも必要です」「「ごちそうさま」は、客をもてなそうと食材を集めに走りまわった「馳走」が語源」「沈黙と不動の姿勢は服従の作法なのだ」「この世界はとてもうつくしいところです。そのうつくしい世界をなぜ、後になさりたいのですか?」「死とは悲しいものだ」「おい、おれは死ぬまで、お前につきあってやるぞ」「しかし、老人はいつも海を女性と考えていた。それは大きな恵みを、ときには与え、ときにはお預けにするなにものかだ。たとえ荒々しいふるまい、禍いをもたらすことがあったにしても、それは海みずからどうにもしようのないことじゃないか。月が海を支配しているんだ、それが人間の女たちを支配するように。老人はそう考えている」
2014/05/23
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空に恋してまだ、日傘を差していない。今までは、半年は日傘と共に生活していた。「焼けたくない」というそんな軽いものではなく、私の場合は「焼けられない」。肌が赤くただれて炎症を起こすからである。言ってみれば、日常生活に支障をきたすほど深刻な問題なのである。それが、ここ数年かけて身体を自分で治すようなり、日傘と過ごす時間がめっきり減った。こんなに日差しが強くなってきたのに、肌荒れ一つ起こさない。むしろ、もう少し太陽の光を浴びていたいと思う。人間だって、植物のように光合成をすることは、本当に大切なことだ。身体の奥深くからむくむくと元気になっていく感覚を感じることができる。今のささやかな目標は、梅雨入りするまで日傘を差さずに過ごすこと。本格的に使い始めるのは、梅雨明けにしたい。無理はしないけれど、私、できるかな?ポストカード風に撮ってみた。
2014/05/22
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思慕明日も、「今日」が続きますように…。地元の駅に♪「見守ってね」だって♪
2014/05/21
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生まれたままの 赤ちゃん完全に無職になって、もう3年半が過ぎた。(厳密に言うと、ピアノを一人だけ教えていたが、月にたったの3時間ほどだったので、それは換算されないものとみなしている。)多発性硬化症(MS)を発病した時に就いていた職に、これからも就きたかった。でも、辞めざるを得なくなり、辞めた。少し体調が良くなったので、アルバイトとして、再び諦めきれなかったその職と似た職に就いた。だが、もう、その職そのものに微塵も興味がなくなった。なぜ自分はそんなにその職に就きたかったのか、そこまで固執していたのか、一生懸命考えてみてもわからかった。ただの見栄やプライド、世間の目、周りの評価、そして、そうと決めた自分に対しての挑戦、だけだったように思う。〜しなければならない、自分に勝たなければならない。そればっかり。意固地になり、正直、もう限界だった。そして、病気になった。それで、よかった。少しずつ、そんな我が身を覆う鎧を脱ぎ捨てていった。もう、その職種など眼中にはない。今は、とても身軽。今の私は何にでもなれると思う。興味が沸いたことや素直に好きだと思うことに没頭し、世間や周りの目にはまったく影響されないところで生きている。言ってみれば、今の私は完全なる『白紙』の状態なのだ。なんとなく、これからどういう道へ進みたいか、検討はついている。ここ数年で自然とそうなっていった。できれば、次にするアルバイトはそこへ繋がるものにしたい(もちろん夢も追い続けながら)。『白紙』って、結構な武器になる気はしないか?良い出会いがあるかな?良いご縁があるかな?白紙からの新たなるスタート。必ずやってくることを、信じている。
2014/05/20
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毎日 に 意味があるずっと、妹が「いらない」と言ってくれたWindows XPを使用していました。もしかしたら、勘の鋭い方はお気づきかもしれませんが、パソコンが使えなくなってからは毎日スマホでブログを更新しています。そんな今もスマホで書いています。先日、毎日日記を書いているのに、なぜかところどころ更新しなかった日があることに気付きました。あれ?毎日書いてるのに、と思い、よく調べてみると、他の日に2度日記が更新されていることになっているのです。どうやら、写真を載せる時などはアプリを使ったりしているので、それが原因のようです。今のところ、パソコンは、なければないで特に不自由には感じていませんが、楽天ブログさん、お早めに改善をお願いします。
2014/05/19
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満ち欠け私は本を読むことが好き。だけど、決して読む速さは速くはない。月に満ち欠けがあるように、すごく読みたい時とあまり気分が乗らない時との波もある。小説を読んでいない日はないけれど、一冊を読み切るのに一ヶ月ほどかかる時もあったりするのだ。読みたいと思う本は山のよう。はて、一生かかっても読めるのかしら?バラ園に行ってきたよ!
2014/05/18
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『尚のピアノつぶやき帖(ショパンバラード2番) その二十二』しばらく膠着状態が続いていたが、また少しずつ再開している。せっかく、この曲と決めて練習を始めたのだ。途中で投げ出さず、やっぱり仕上げたい。今日は、まだ音符を追うことに必死で、楽譜に忠実に弾けていないことが課題だと思った(例えば強弱記号など)。それから、私は以前から、月日をかけて何度も何度も弾いて感覚で覚えていくというタイプだった。もちろん、頭でもあれこれ考えて計算しながら弾くのだけど、私は、ある程度弾けるようのなると、どこか自分の感覚に頼るところがある。それが、今はまったく研ぎ澄まされていない。ブランクが、それを鈍くさせたようである。うん、感覚を取り戻すためには、とにかく回数を弾くことに限る。
2014/05/17
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蛙さんの かくれんぼ家の近くで蛙さんたちがずっとゲコゲコ鳴いています。どうしても写真に撮りたいんだけど、どこにいるんだろ〜?探せません(苦笑)笑
2014/05/16
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<もんもん通信 番外編>私は偉そうに言える立場ではない、決して一概には言えない、現代の生活を否定する訳ではない、私だって現代人である、そして、妹も旦那さんもお姑さんも関係は上手くいっているし、一生懸命がんばっている、ということを前置きしておきたいと思います。えー、今日は妹家の暮らしについて。もんたともんじが生まれたことによって、妹家へちょくちょく出かけるようになりました。結婚と同時にマンションを購入したのですが、買った時に一度だけ見に行っただけで、どんな暮らしなのかは知らぬまま(まぁ想像はしていましたが)。その謎に包まれていた暮らしが公になり、この日記を書くに至ります。妹の住む地域は、私の家よりかは田舎です。妹は田舎という言葉をやたらと繰り返して言いますが、その生活はまさに現代を象徴するかのようでした。妹は分刻みで行動します。『無駄な』時間が大嫌いです。頭の回転も速いです。私が「えっ?」と二度目を聞き返したりすると、あからさまに不機嫌な顔をします。一日のスケジュール、いえ、数日後までのスケジュールが、妹の頭の中には既に出来上がっています。まず、食事はタッパーで出てきます。白米をまとめて炊いておき、小分けにして冷凍しておくので、それをレンジで解凍し、そのまま食卓へ並べます(因みに離乳食までも冷凍解凍します)。しかも、タッパーの白米を二人で箸でつつきます。取り皿なんてものはありません。主菜は、冷凍食品かスーパーで買ってきたお惣菜か粉末を調理するものです。かろうじて、汁ものは作るようです。毎日という訳ではありませんが、そういうことが多いようです。それをレンジでチン。またタッパーの登場です。妹家で『お茶』と呼ばれる飲み物は、なぜかルイボスティーです。食器は、景品でもらったものや、百円均一で買ったようなプラスチックの器や、くまちゃんの絵柄が付いたガラスなどです。まるで、おままごとの世界です。それなのに、旦那さんの趣味は料理です(しかもフランス料理)。調味料だけは、ずらりと一人前に並んでいます。お天気が悪い時には、洗濯物を部屋の中に干しますが、その物干し用のラックが食卓の横に設置されているので、そこに吊るされている旦那さんや妹の下着を見ながら食事をします。もんもんの双子用のベビーカーは、何やら今人気だとかいう海外ブランドのお高めのものです。もんもんがぽっこりと収まる小さくて丸い椅子も、何やら今口コミで評判だとかいう海外ブランドのものです。妹夫婦は、海外のブランドが好きなようです。家の中は、空気清浄機やら加湿器やら、何かよくわからない電化製品がたくさんあって、コードが絡まり合っています。なぜかパソコンを3台も所有しています。電動歯ブラシです。テレビは一日中付けっぱなしです。録画も頻繁に始まります。妹の家へ行くと、帰る間際には必ず激しい頭痛に見舞われます。妹の住む市は、子どもの医療費はかからないので、それをいいことに、日課のように病院へ行って薬をもらっています。薬漬けです。ついでに、妹自身の薬も先生にお願いしてもらうそうです。もんもんのカルテ改ざんです。ネットで購入したというもんもんが食事をする時に使用する椅子が、不良品でした。お店とのメールのやり取りが上手くいかず、返品交換の件で、要するにトラブルになったのです。「この忙しい時に」と妹は目を釣り上げて、猛烈な速さでキーボードを打ち、その怒りをぶつけるところがない為、私に小言を言い、チョコレートをボリボリと食べて気持ちを落ち着かせます。(この件は、結局妹側のミスでした。)妹家には、『雑巾やふきん』と名の付くものは存在せず、すべてウェットティッシュです。それらを手洗いすることに、強いストレスを感じるそうです。掃除は、コロコロ(←正式には何と言うのでしょうね)のみです。「汚れが落ちていない」と言って、購入してからそう間もない洗濯機の除菌をします。つまみ洗いという言葉も知らないようです。リビングのど真ん中は、ゴミ袋(注:ゴミ箱ではありません)の定位置です。いつの日だったか、母が「きったない家だわー」と言って帰宅した日を思い出しました。今、女性雑誌には付録が付いていることが主流のようですが、付録が欲しいが為に雑誌を購入し、しばらくのちには、両方ともゴミとなって捨てられています。妹は、お姑さんとは上手くいっている、不満はない、と強調します(ただ、泊まってもらうのは無理、だそうです)。以前、私と3人だけになった時間があったのですが、正直なところ、うっと息が詰まり、妹とお姑さんの様子をちらりちらりと横目で窺ってしまう場面が何度かありました。妹は、どう考えてもお姑さんの助けが必要です。お姑さんは、もともと子ども好きらしく、しかももんもんが初孫なので、口に出しては言いませんが、「『私が』育てている」という空気を少なからず醸し出しているように感じられます。妹は、「そんなに子育てがしたいのなら是非お任せするわ」と、自分は少しでも楽をしたいと思っているに違いありません。お姑さんは、某国立大学を卒業していて、とても頭の回る賢い方です。それは、確かに私も感じました。しかも、驚いたのですが、数十年来、株をしているそうです。妹は、お姑さんを自分の都合の良いように操っているつもりでいるようですが、私からすると、操られているような気もします。まぁ、似た者同士、どっちもどっちです。4月からもんもんが通っている保育所を、妹は絶賛しています。「良い先生だし、融通が効く」と言います。ほほぅ、私はここにポイントがあるのだな、と思いました。というのも、もんじが肺炎で入院している時、もんたを無理言って長時間預かってもらったからです。妹の中では、「良い保育所=融通の効く保育所」という方程式が成り立っているようです。これは、私がピアノを教えている時にも感じたことでした。レッスンの約束をしていても、曜日変更や時間変更なんかは当たり前。直前のキャンセルはまだましな方で、「休みます」の連絡さえ寄越さない親もいました。遅刻なんて、もう慣れ過ぎて、時間通りにレッスンを始められることの方がびっくりして、逆に褒めてしまうほどです。まったくおかしな話です。だから、早々に、私が出向く出張レッスンに切り替えました。決まった曜日に週一回のレッスンを月に四回、という考え方ではなく、月にトータル四回、損なくきちんとお月謝分を消化する、現代の親はそれでいいのです。それでは上達するはずがありません。私のピアノの先生も、それについて嘆いていました。「平気で元旦に連絡もなく子どもを来させるのよ」と。常識も礼儀もひったくれもありません。不届き千万です。現代の親は共働きが多く、忙しいので、「良い先生=融通が効く先生」という風潮にあるようです。でも、悲しいかな、この時代、そうやって親の言いなりにならなければやってはいけない職業なのです。私の周りでは、むしろ、それができる先生が成功しています。少し話が脱線気味ですが、どこか、妹は、すべてにおいて捉え方を間違っています。何を以って、『無駄な』というのでしょう。妹は、『どこへ』向かっているのでしょう。ただ、マンションのローンを返すことと、念願の一軒家を購入するだけのために、節約をしてお金を貯めたいのでしょうか。そもそも、その節約という言葉の意味もまったく以って取り違えているし、妹家は日々の暮らしをあまりにも疎かにしすぎです。何を取り上げても、根本的に考え違いで論外なのです。最大の問題は、それにまったく気づいていないという点にあります。いえ、妹は、自分はそんな現代の暮らしはしていない、と思っているのです。いえいえ、口に出してそう言いました。妹は、夏には仕事に復帰するのです。今の暮らしにますます拍車がかかるのではないかと、私は確信しています。いずれは、暮らしが崩壊しかねません。妹はもとより、この暮らしの中で育てられるもんもんの近い将来が、心配です。思いの外、つらつらと長くなってしまいました。これぐらいにしておきます。前置きを踏まえた上で、備忘録として、今日は綴りました。
2014/05/15
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スマイル上を見ても、キリがない。下を見ても、キリがない。他人と比べてどうこうということではなく、私は、自分の人生を顧みて、最期の瞬間まで、私らしく笑っていたい。スマイル。
2014/05/14
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『尚のピアノつぶやき帖(ショパンバラード2番) その二十一』去年の9月に練習をし始めたショパンのバラード2番。その時、仕上げは一年後にしようと決めたのだが、いつの間にかあれからとっくに8ヶ月が経過していた。なんと、もう5月も半ばではないか。そんなに練習している訳ではないので、仕上げにはまだまだほど遠い。かと言って、期限を延ばしたところで決して上手くなる訳ではない。…仕上がるのだろうか。
2014/05/13
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長所 と 短所私は、日々コツコツと何かを続けることが得意だ。これは、私の長所だと思っている。ただ、短所でもあるような気がして、最近嘆いているのである。例えばピアノ。1年かけて1曲を仕上げようと試みたものの、月に数回の練習をいつしようものかと、頭を悩ませているのである。気分が乗った時に、と思えば、1ヶ月以上も弾かない時があった。じゃあ◯曜日に、と決めれば、あ、お散歩に行っていた。又は、体調が思わしくなく、横になっていた。なかなか気持ちと行動が一致しないのであった。ならば、「毎日」という風に習慣化してしまった方が私にとってはいいらしい。そう、このブログのように。私のこの性格、良いのか悪いのか、あら、若干融通が効かないようである。
2014/05/12
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モラル「少しも取柄のない一日になることはわかっていた。誰の生活にも、そんな日がある」「しかし、電話というものはふしぎな力を持っている。機械に追いつかわれている現代の人間は電話を愛し、憎み、おそれているが、その機能に敬意を払うことを忘れない。酔っていても、忘れはしない。信仰にちかい気持なのだ」「われわれは民主主義と呼ばれる世界に住んでいる。すべては多数決によってきまるんだ。そのとおりに実行されれば、りっぱな理想にちがいない」「『そんな』生活はだれかにまかせよう」「コマーシャルを聞いていると、売ろうとしてるものがなんでもきらいになる」「われわれは社会の道徳(モラル)と個人の道徳がいちじるしく崩れ去ったことを見てきている。人間の品質が低下しているのだ。マス・プロの時代に品質は望めないし、もともと、望んではいない。品質を高めると永持ちするからなのだ。だから、型を変える。いままであった型をむりにすたらせようとする。商業戦術が生んだ詐欺だよ。ことし売ったものは一年たったら流行おくれになるように思わせないと、来年は商品を売ることができない。われわれは世界で一ばんきれいな台所と一ばん光り輝いている浴室を持っている。しかし、一般の主婦はきれいな台所で満足な食事をつくることができないし、光り輝いている浴室はたいていの場合、防臭剤、下剤、睡眠薬それに、化粧品産業と呼ばれている信用だけにたよる事業の商品の陳列所になっている。われわれは世界で一ばんりっぱな包装箱をつくっているんだよ」「さよならをいうのはわずかのあいだ死ぬことだ」
2014/05/10
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リンクいわゆる昭和の時代の日本画は、どこか寂しげな印象を受けるからあまり好きではないのだけれど、それよりずっと昔の屏風絵や掛け軸や水墨画などは大好きである。それらには、必ずと言っていいほど四季が描き込まれている。花や鳥、虫、食べ物、各地の伝統的なお祭りなどから、季節を想像する。これは春だ、これは初夏?それは、改めて日本の風情を誇りに思う瞬間でもある。私は写真を撮ることが趣味である。素人が嗜む程度だけど、とても楽しい。最近では、美術館で鑑賞する作品の中のお花と、自分で撮るお花とが、だんだんと鎖の輪のように繋がるようになってきた。あ、これはいつもあそこに咲くお花だ。あ、これはこの間撮った!そうすると、美術館巡りも写真を撮ることも、両方がますます楽しくなっていき、さらにはお散歩も楽しくなるのであった。百花の王、牡丹です。これは珍しい黄色。
2014/05/10
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おじいちゃんの ぽっけおしりの右のぽっけにはお財布を。おしりの左のぽっけには文庫本を。杖をついて、荷物はたったそれだけ。なんか、いい。鈴の音りんりんりん。
2014/05/09
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まだかな?去年の夏に、こんな事件があった(9/13の日記参照)。その時、左のひざを打撲したのと同時に、両足の親指も付き指のような格好で地面にたたきつけられた。それ以来、実は親指の爪が伸びないのである。両足の親指とも、爪はぼこぼこと波打ち、色が茶色い。何せ、爪が伸びないので、かれこれ8ヶ月ほど一度も切っていない。どうなっているんだか、私の親指。痛みや腫れはとっくに引いたけれど、いつ三日月のような爪をパチンと切れる日が来るのか、いや、来るのか?などと考えながら、日々両足の親指を眺めている。
2014/05/08
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大正解「絵を上手く描きたければ、被写体をよーく見ることだ」「レポートを上手く書きたければ、よーく考えることだ」と、学生時代に熱弁した先生がいたが、いやいや、そうではなくて、もっと、こう、コツというものを教えてよ、と思ったものだった。でも、僅かながら人生経験積んだ今、まったく以ってその通りであると思う。これは、あらゆるすべてのことに、当てはまる。流れ星?
2014/05/07
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馳走数年かけて、生活を見直した。今も、日々見直し続けているところである。その中でも、特に食べる物は、本当に変わった。毎日数杯飲んでいたコーヒーはほぼ飲まなくなり、スーパーやコンビニで売られているような菓子類は一切食べなくなった。母が作る食事は除いて、外食で洋食は食べなくなった。朝ごはんをパンからご飯に変えた。パンを食べるなら、焼き立ての天然酵母のパン屋さんのものを。甘い物を食べる時は、おねえさんのカフェのような手づくりの安心のケーキを。なぜかって、もう化学的な食べ物を、身体が受け付けなくなった。そういうものを食べた数時間後には、必ず激しい胃痛に襲われる。頭で考えるよりも先に、身体が拒否反応を示すようになったのである。いずれは、偏り過ぎない程度に、マクロビオティックなどを勉強したいと思っている。その前にまずはごく一般的な日本の家庭料理を。今は、母の作るご飯を日々感謝しながらいただいているところだ。
2014/05/06
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心の幹いつも冷静沈着に。平常心を保つ。どんな時も自分に意識を集中させ、心を鎮める。私は私。人は人。世間に流され、周りばかりを気にしていた私は、もういない。心を太く、大きく。毎年見に行く地元の鯉のぼり。もう立夏ですね。
2014/05/05
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私だけの 方程式私の中で、「ピアノ=先生」である。いつまでたっても「ピアノ=ピアノ」になんてなりやしない。いくら先生の元を離れたって、引退したって、「ピアノ=先生」であることに変わりはないのだ。この方程式を払拭することはできるのか。いや、一生できないであろう。
2014/05/04
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福音先月、お向かいさんの奥さんが亡くなった。(4/9の日記参照)どうもおばあちゃんがこちらに来ておられるようなのだが、家は深い悲しみを纏っていた。小学生の男の子の姿もまったく見かけなかった。生活音すらしない。ただ、明かりが灯っているだけの家。ところが、先日、一人で壁に向かってキャッチボールをしているところにたまたま出くわしたのだ。私は、なんだかとてもうれしくなり、思わず「こんにちは」と声をかけた。すると、男の子も笑顔で「こんにちは」。まだ小学生なのに、母親を亡くすなんて、なんと辛かったことだろう。「あの男の子はきっと強い大人になる」私の目に狂いはない。
2014/05/03
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葉脈朝一番に口にするものは、ここ数年白湯である。眠っていた身体を、常温より少し熱めの白湯でじんわりと温めてあげる。すると、それが葉脈のように身体の隅々にまで行き渡り、細胞が動き出す。今まで、白湯などというものを飲むなど考えたこともなかった。まず、とてもまずかったし、飲むものではないと思っていた。でも、今はとてもおいしい。鼻もすーっと通る。実は、身体にとっては一番自然で負担のない飲み物だとも思う。そこにレモンをきゅっと絞って飲むのも、また格別。お目覚めの一杯、恵みの一杯。今日は八十八夜。いつの間にやらGWも後半ですね。お出かけの方は気をつけてくださいね。
2014/05/02
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五月晴れ私の生活はとても地味です。寝て、食べて、お散歩をして、本を読んで、写真を撮って、ブログを書く。夜に出歩くことはまったくなく、夕刻にはもう活動の終わりを告げます。日々、その繰り返しです。そして、美術館やお寺や神社へ行って、帰りにカフェでゆっくり過ごすというスパイスが、そんな平坦な日々に少しだけ刺激を与えてくれます。私は、その何気ない日々の淡々とした繰り返しが、自分を高めてくれると思っています。誰の評価でもありません。決めるのは自分自身です。それは、確実に自信となり、明日へ繋がっていくのです。昨日から蛙が鳴いてますよ♪
2014/05/01
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