退屈でなにも面白いことがないと思っている人に、長島愛生園でハンセン氏病の治療に当たられていた神谷美恵子氏は次のような話をされている。
毎日退屈だという人は、軽症で身動きの自由が効くような人に多かった。
失明した人の方がかえって精神的にははつらつと生きている場合が少なくなかった。
例えば肢体不自由である上に、視力まで完全に失ってベッドに釘付けでいながら、なお窓外の風物のたたずまいや周囲の人々の動きに耳をすまし、自己の内面に向かって心の目をこらし、そこからくみとるものを歌や俳句の形で表現し、そこに生き生きとした生きがいを感じている人がかなりいる。
ベッドの上に端座し、光を失った目をつぶり、顔をやや斜め上むきにして、じっと考えながら、ポツリポツリ僚友に詩を口授する人の姿。
そこからは、精神の不屈な発展の力が清冽な泉のようにほとばしり出ているのではないか。
肉体的機能が制限された人は、かえってエネルギーと注意が許された狭い「生存の窓口」に集中して、密度の高い精神的産物を作り出しうるのであろう。
そういう人は、自分の不幸や境遇を嘆きひたすら悲しむことから解放されている。
むしろ、きわめて少ない残された自由の中から、それらを存分に活かす道を突き進んでいるのです。
選択肢が限られているので、迷うことなく自分のやりたいことに集中している。
考えて見れば、無制限に自由になんでもできるということは少ない。
様々なしがらみの中で、自由は制限されている。
肝心なことは、不自由なところに注意や意識を向けて、嘆き悲しんだり、精一杯の抵抗をするというのではなく、残された自由の中で自分のできることに精いっぱい取り組むということではなかろうか。
現実を否定するのではなく、そこを出発点として生きていく覚悟を固めることである。
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