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池袋の新文芸座で石井輝男監督追悼特集をやっています。東映異常性愛路線の中でもカルト中のカルトと伝説的に語られる『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』をついに観ました。このソフト化不可能と言われる映画の名はつとに耳にしていましたが、名画座か海賊版ビデオで観るしか方法がないので、いままで「観たいなぁ…」と思ってはいましたが、東京から離れていたこともあり、なかなか機会に恵まれなかったのです。そもそも僕は石井輝男の映画は『網走番外地』のいくつかと、『直撃地獄拳』と、『地獄』と、『忘八武士道』くらいしか観たことがありませんでした。いわゆる東映異常性愛路線というやつもこれが初見。『奇形人間』と一緒に、撮影所の助監督が批判声明を出したと言われる『徳川いれずみ師 責め地獄』をやってたので、それも観た。エログロナンセンス極まれりというか、『ホーリーマウンテン』に優るとも劣らない衝撃を受けました。すっごい面白い! 『いれずみ師』のオープニングの残酷描写にタイトルがばーんと赤い文字で出るのが死ぬほどかっこいい! そしてものすごい練りに練られた脚本、ちゃんと娯楽として成立してるところが最高です。彫り物対決の二段攻めにどぎも抜かれ、股裂きラストで完の文字がスクリーンに浮かぶという、開いた口の塞がらない展開に思わず笑うしかありません。そして『恐怖奇形人間』。江戸川乱歩の『パノラマ島奇譚』ってこんな話だったけ? 人権に抵触しまくった狂った描写が頻出するので絶対にDVD化することはないのだろうけど、もしこれからの人生で観ることのできる機会がありましたら、皆さん是非一度は観ておくべき映画だと断言しますよ。名画座のプログラムをこまめにチェックしてれば観る機会はきっとやってきます。前半は割りと普通のサスペンス仕立てで、ちょっと退屈だったりするのですが、後半、島に渡って土方巽の暗黒舞踊がスクリーン所狭しと踊り狂ってからがエライことになってきます。「奇形人間の王国を築くんだ!」と言う土方巽の狂いっぷりに惚れ惚れします。男女のシャム双子(もうこの時点で各方面から非難の声が聞こえてきそうですね!)と恋に落ちる主人公。愛する男の死骸をついばむ蟹を貪り食って生を繋ぐ洞窟に捕らわれた母親。島中に溢れかえる奇形にされた人間達。気持ち悪いよー! そして突如登場する明智小五郎。映画史上最大の衝撃的ラストらしい、人間花火で場内大拍手。「おかあさーん!」って……有り得ないラストだよ、まったくもう(笑)。お腹いっぱいで劇場を後にして、ぐったり疲れてしまいましたとさ…。石井輝男はすごいなあ…他の映画もぜひ観てみようと思いました。「おかあさーん!」どっかーん! ああ…たぶん一生忘れないな、あのラストは…。
Oct 29, 2005
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「ロックとは生き様である」なんて時代がかった言い方すると、目くじら立てる人がいる。90年代半ば、日本では定着するはずがないと思われたテクノ、ヒップホップ、ハウスなんかがクラブ・カルチャー(とドラッグ)とともに、またたくまに普及すると、一挙にロックという音楽はダサいものに成り下がってしまいました。確かにその頃はといえば思い出したくもないブリット・ポップ全盛期、ニルヴァーナ亡き後、オルタナティブはメインストリームに吸い上げられ、苦悩を気取るのがファッションと化し、猫も杓子もディストーションにシャウト、曲は強弱法の繰り返し。インディーのモラトリアム小僧達はひたすら地味な活動を続けていました。チャートは金の匂いしかしないブラック・ミュージックで席巻され、こりゃ本当にロックは死んだも同然。レニー・クラヴィッツあたりが「ロック・イズ・デッド」なんて歌ってりゃ、そりゃご臨終ですよ、とほほ…な有様。と思ったら、レディオヘッドがテクノ、ハウス、クラウト、現代音楽を導入(たぶん彼らはCANになりたかったんだろうね…)。そしたら、それが流行として定着してしまったのです。ああー! つまんないね!いまのそういうバンドに僕はロックな魂を感じません。多分それは僕がオヤジ化してる証拠かもしれませんが、やっぱり僕はロックとは…音楽とは…人間の魂の感情の生き様の表現だと思っているのですよ。「エゴを撒き散らすロックスターは時代遅れ」「リズム音楽として8ビートも16ビートも弱い」「ギターソロを弾いて陶酔してるギタリストはステージでマスターベーションしているに過ぎない」ああー! はいはい! あんたは正しいよ!じゃあ、こんな歌を歌う人のことを、どう思う?(言葉で伝えたいことや/きかせたい歌が/ありすぎて ありすぎて WOW/MiYOU MiYOU たぶん何もしてやれない/だけど今そばにいてあげるよ/少しだけ……)なんてことないラブソング? いや違う。これは池田貴族が癌で死ぬ直前に発表された歌なのだ。MiYOUとは幼い娘さんのこと。病院のベッドに横たわる池田貴族のもとにやって来た、みうらじゅんが「もう一度いっしょに何かやろうか?」「今の貴族にしか歌えない歌。カラオケで誰が歌っても嘘に聞こえる歌。辛いだろうが今の気持ちを詞にしてみないか?」と持ちかけて作られたアルバムがこの『MiYOU』なのだ。人生の切り売り? 露悪趣味? お涙頂戴のメロドラマ? ああー! だからあんたは正しいってば! だからちょっと黙ってろ!僕はこのアルバムにロックを感じる。このアルバムに参加した実に多くの人達の池田貴族に対する愛を感じる。そして池田貴族の死と向かい合って生きることに対する複雑な感情に素直に感動する。「音楽は音楽じゃん」って、ほんとその通り。でもそれだけじゃ物足りないオヤジ感性の人間もいるのだよ。そこのCISCOの袋持ってあるく似非DJめ! 俺は最近レコミンツとディスク・ユニオンでしかCD買ってないぞ! 悪いか? 今度モダーン・ミュージックに行きたいぞ! 悪いか? くやしかったらURCから聴き直せっつうの! ついでに今出てるニルヴァーナのあのCD! あれはカートが最も憎んだ形の商業主義じゃないのか? 草葉の陰でカートは激怒してると思うぞ! クリスにデイブお前ら一体どうした? こんちくしょう!
Oct 27, 2005
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銀河ヒッチハイク・ガイドの続編『宇宙の果てのレストラン』読了。ああー! はやく続きが読みたい! 訳者の方、頑張ってください! 全5作完訳してね!というわけで、「宇宙、生命、その他もろもろ」についての究極の問いと究極の答を求める(答は42と分かっている)地球の生き残りとヒッチハイカーと元銀河大統領と鬱型ロボットのSFコメディの傑作なわけです。宇宙を支配する男、太陽に宇宙船を突っ込ませる大爆音ロックバンド、不必要なノータリン集団を冷凍睡眠させてどこぞの惑星に不時着する箱舟やらのエピソードが、おそらく今後の伏線になっているのでしょう。僕のお気に入りのいつも調子が最悪で落ち込んでいるロボットのマーヴィンの見せ場が増えていて、にっこり。でもマーヴィン、敵に襲われた一行の囮にさせられたり、5760億3579年間置き去りにされたり、太陽に突っ込む宇宙船に取り残されたりして、あいかわらず可哀想(笑)。というか、その宇宙船から逃げ出せたのかどうか不明。まさか死んじゃってないとは思うんだけど、うーん…やっぱり続きが気になるよー!本書中マーヴィンが最高に輝いていたやりとりを引用「いい加減にしてよ、このネジのゆるんだみじめったらしい鉄くずが……」「どういうご用件ですかって訊いてくれないんですか」昆虫は口をつぐんだ。細長い舌が飛び出し、目玉をなめて、また引っ込んだ。「訊く意味があるの?」「この世に意味のあることなんてあるんですか?」マーヴィンは即座に答えた。「どう、いう、ご用件、です、か?」「人を探してるんです」「だれを?」昆虫はきいきい声で尋ねた。「ゼイフォード・ビーブルブロックスです」とマーヴィン。「あそこにいるあの人」昆虫は怒り狂って全身を震わせた。口もきけないほどだった。「知ってるのなら、なんだって訊くのよ!」「ただ話がしたかったんです」マーヴィンは言った。「なんですって!」「情けない話でしょ?」ははは……ほんと最高に可愛い奴ですね、マーヴィン。
Oct 25, 2005
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映画がすっかりお気に入りなので原作も読んでみました。ダグラス・アダムス『銀河ヒッチハイク・ガイド』。なぜか新宿あたりの大きな本屋の店頭にも置いていなくて、注文しようかな…と思ってた矢先、神田の岩波ブックセンターで発見しました。内容は映画と大体同じ。でも映画で大きく取り上げられたイルカのくだりは、原作ではあまり重要な部分ではなかったみたい。僕としては鬱型ロボット・マーヴィンの台詞が映画より多いので、それを楽しみに読みました。マーヴィンは本当に可愛い奴です。「先にお断りしておきますが、わたしはとても気が滅入っています」これが登場して最初の発言です(笑)。「うっとうしいやつだと思ったでしょ?」「うっとうしいやつだと思われたくないんです」「これ以上に悪くなりようがないと思うと、とたんにもっと悪くなる」「話をしたいふりなんかしないでください。あなたがわたしを嫌っているのはわかっているんです」とかとかとか…大好きだー、マーヴィン! 映画のテンポのはやい展開で、うっかり見落としていた部分というのも、これを読むと理解の助けになるはず。地球の本当の役割とか、ゼイフォードの人格とか、ヴォゴン人の詩の内容とか(これは別にどうでもいいけど)…。しかしダグラス・アダムス面白いです。早川から出てないので、すぐ絶版になってしまったらしい(新潮社め!)。ヴォネガットを心優しいニヒリストと呼ぶなら、ダグラス・アダムスはニヒルなモラリストってところでしょうか? まあ典型的なイギリス人とでもいうべき皮肉の効いたユーモア。コメディなのでSFマニア以外の方にも受け入れられて然るべき傑作でしょう。なにはともあれマーヴィンです。さっそく続編『宇宙の果てのレストラン』を読みます。
Oct 16, 2005
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『マカロニ・ウェスタン 800発の銃弾』を観てきました。西部劇好きと思わしきオジサン率高し。無駄にオシャレで上品ぶった映画館アミューズCQNに頭の禿げあがったオジサンがたむろする光景を眺めつつ席に沈む。かつてマカロニ・ウェスタンのロケ地だったスペインはアルメリアの「テキサス・ハリウッド」はいまやウェスタン村となって、スタントマン達が西部劇ショーをやって細々としていた。そのウェスタン村のリーダー、フリアンはクリント・イーストウッドのスタントをやったというのが自慢。フリアンは息子を映画の撮影中に自らのミスで死なせてしまって以来、映画から干されている。西部劇ブームはとうの昔、ウェスタン村も寂れて、滅び行くの待つばかり。そんなウェスタン村にある日、フリアンの孫のカルロスが訪ねてくる。最初は邪険にしていたフリアンも、いつしかカルロスに心を許すようになる。カルロスや娼館の娼婦達をまじえてウェスタン村のスタッフ達の乱痴気騒ぎ(このシーンが最高に楽しいよ!)。しかしカルロスの母親が怒り心頭でウェスタン村に息子を取り返しにやって来る。彼女は夫の死の原因であるフリアンを許さない。彼女はアメリカ人向けのテーマ・パークを建設するための土地にウェスタン村に目を付け、土地を買収。ウェスタン村は取り壊しが決定してしまう。フリアン達はウェスタン村を、そして男の誇りを守るためにウェスタン村に立て篭もり、警察と機動隊の包囲に抵抗する。マカロニ・ウェスタンというマガイモノのジャンル映画はいまや好事家のコレクションと化した感がありますが、映画が女性向けの娯楽になったかのような現代には、まあ仕方ないでしょう。埃っぽくて、男臭くて、馬鹿馬鹿しくて、やりすぎ感が溢れてるマカロニ・ウェスタンはジョークみたいなものなのでしょう。でも、そんな映画に愛情を寄せてやまない時代遅れな人達には、この「時代に取り残された男達の誇りと自滅の美学」いわばサム・ペキンパー主義(笑)に溢れまくった本作に涙を滲ませること請け合い。「人生にはつらいこともある。想像を超えるほど。しかし運命からは逃げられん。だから精一杯楽しまないと。楽しみを放棄するのは、罪深いことなんだ」なんて…同感です。
Oct 15, 2005
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岩波ホールなんて何年ぶりに行ったのだろうか…? 『亀も空を飛ぶ』という映画を観に行った。米軍によるイラク侵攻前後のクルディスタンの小さな村に生きる子供達の物語。アメリカびいきの頭の切れる少年サテライトは子供達のリーダーで、地雷を掘り出して国連の出先機関に売って生活費を稼ぎ、親を失った子供達をまとめている。大人達も、利口なサテライトに何かと頼っていた。アメリカとの戦争の気配が近付いて、大人達は衛星放送でアメリカのニュースを見て情報を得ようと、サテライトにパラボア・アンテナを設置してもらう。ニュースは見れたが、英語が分からず、その内容は理解不能。一方、サテライトは、赤ん坊を抱いた難民の少女と出会い恋をする。そして、その少女の両腕を失った兄は不思議な予知能力を持っていた。子供達が自分達の力で共同体を作り生きているという設定が面白い。岩波ホール的な退屈さは少なくとも感じられなかった。ユーモアとペーソスのバランスに律儀に気を配られている気がする。子供達もみんな可愛い。でも想像と違って、この映画には何かが足りない。何か、というのは明らかで、それは紛れもなく「アメリカ」の存在なのだ。この映画にはアメリカ軍の侵攻を描いてはいない。悪として描かれるのはフセイン、悲劇として描かれるのはクルド人の虐殺。監督はイランのクルド人バフマン・ゴバディ、彼の名誉のために付け加えておくと、アメリカの存在が希薄なのは恐らく意図的ではないと思う。イランの映画監督といえば、僕の嫌いなキアロスタミがいるけど、キアロスタミに較べれば、本当にすごく良い映画だと思う。でも、やっぱりイラク戦争を語るのにアメリカが抜け落ちているのは納得できない。そして、あのラストもいただけない。この映画には、最も重要なものが決定的に欠けているのである。それは何かって? 惨劇の事実と、希望なのだよ!
Oct 12, 2005
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今日の仕事には苛々させられた…。監督とデリバリーの段取りが、まるでなってない! ……あ、こっちの話です。ところで明日から大阪・京都に行ってきます。三連休の人込みに酔い、当然のごとく酒に呑まれてこようと思います。なあんにも考えずに、観光してきまーす!
Oct 7, 2005
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なんだこれ…面白過ぎる…!木村哲人『テロ爆弾の系譜-バクダン製造者の告白-』読了。テロルの恐怖が吹き荒れる、こんな時代にこそ読んでおくべき一冊だと思います。著者の木村哲人さんは映画、テレビ業界で録音技師として活躍した人らしい。いわゆる技術者。ひらたく言って機械オタク。木村さんの書いた音響効果の解説『音を作る』はアホンダラ三谷幸喜の『ラヂオの時間』の原作になったらしい…。この物騒なタイトルの本の骨子は4点。(1)タイトル通りテロ爆弾の歴史的考察。(2)著者本人の爆弾製造と、そこに絡んでくる共産党、そして何者かによる陰謀。(3)『球根栽培法』にまつわる謎。(4)日本のテロおよび暴力革命神話の解体。(1)に関しては、モロトフのカクテル(火炎瓶)から始り、ロシア革命で皇帝を爆殺したグリネイド(着発式手投弾)を発明した天才キバリチッチの挿話、そして日本における鯉沼九八郎の爆裂弾そして自由党の顛末などが描かれる。(2)こそ最もスリリングな部分。子供の頃から機械好きだった著者は戦時中の雰囲気に影響されてか、兵器マニアでもあった。幸い叔父さんが軍の兵器廠に勤めていたり、かの鯉沼九八郎の爆裂弾の製法が伝わっている家だったりした(なぜ伝わってるかは本を読んでみて!)りで、環境的には万全。さて昭和26年、19歳の木村さんは、共産党の友人がいて、ある日『球根栽培法』というパンフレットを見せてもらう。これは当時の共産党がゲリラ戦に備えて党員に配ったといわれる武器製造パンフレットであり後の『栄養分析表』や『腹腹時計』のルーツであると言われている。しかし木村さんは『球根栽培法』を読んで「インチキだ」と憤慨する。兵器マニアの木村さんにとっては、あまりにもお粗末で実用に耐えず、間違いだらけの内容だったのだ。それでその友人に『球根栽培法』を返し、その内容を貶したところ、日共地区軍事委員会の会議に呼ばれる(!)。そこで『球根栽培法』の誤りを指摘したところ、「じゃあ、実用に耐える爆弾を作ってよ」と頼まれてしまうのだった。そこで木村さんは鯉沼式爆裂弾と地雷を作り、共産党員を驚嘆させる。「血のメーデー」直後のある日、日共中央軍事委員会から接触があり、「君は今日から中央直属の武器研究員だ」と言われてしまう。アジトと資金を調達してもらい、木村さんは学校にも行かずに爆弾研究にあけくれ、ついに着発手投弾を完成させる。だが、ある日突然、木村さんはアジトの一室に監禁されてしまう。その頃、共産党内では武力路線が衰えていた。殺されると思った木村さんは持っていた睡眠薬を服用して自殺を図るが一命は取り留めて病院に担ぎ込まれ、ことの真相は有耶無耶のうちに終ってしまう。だが間違いなく木村さんはスパイによって共産党中央から隔離されていた。公安による仕業か、共産党内の非武装派の仕業か、謎は明らかにされないが、ともかく共産党の軍事組織である中核自衛隊は何の武装も持つことは出来なかった。もし木村さんがスパイの罠に落ちることなく共産党のキバリチッチ、鯉沼九八郎となっていたら……。(3)そして件の『球根栽培法』の謎。なぜこのようなインチキ教本が共産党内部で出回っていたのか? 木村さんは、独自の調査で、おそらくこれが、旧日本軍スパイ養成学校、陸軍中野学校とアメリカ軍の知識を援用したものだと推測。要するにこれも武装路線に走る共産党を内部から武装させないためのスパイ工作に他ならないというのだ。これが事実ならば、いまだに、おどろおどろしく語られる『腹腹時計』なども、実は体制側のデコイなのかもしれない。(4)そして、最も重要なのがこの点、日本のテロの幼稚さ。木村さんは過去に作られたテロ爆弾を実際に再現し、実験し、そして共産党の実情や、不可解な陰謀に巻き込まれたりして、日本の革命家たちの無知、浅慮について思い知らされる。例えば、大逆事件に使われるはずだった爆弾を再現したら、直径3センチほどの花火程度の玩具が出来あがった。こんなもので人を殺すことは絶対に不可能なのだ。それを事前に大した実験もせず、大言壮語を吐いて、天皇殺害を企図し、結果、幸徳秋水以下24名が刑場の露と消えるのである。日本の革命家は理論家になろうとしてばかりで、技術者になろうとはしない。それが問題だ。共産党の軍事組織が聞いて呆れる、何が中核自衛隊だ。銃も爆弾も地雷も作れずに鉄パイプを振り回して武装革命だなんて、それは革命ではなく、革命ごっこではないのか? 著者はそう言いたいのだ。木村さんの作った爆弾は使用されなかった。木村さんはテロを肯定しているわけでもない。木村さんは兵器マニアで機械好きなだけで、特定のイデオロギーのシンパなわけではない。無差別テロを憎んでいる人だ。だが、テロを否定してるわけでもないのだ。一発の爆弾で世界が変わることがある。もし、本当に世界を変えなければならない事態がやってきたら、あなたは爆弾を投げる勇気があるのだろうか? 僕は?「憎しみのためのテロに荷担することはできない」と有島武郎はギロチン社のメンバーに資金カンパした時に言った。ロシア革命の際、皇帝を爆殺したソフィア・ペロヴスカヤ、この若い美貌の女性は何不自由ない貴族の生活を捨て無残な死と隣り合わせのテロリストの道を選び、爆弾に倒れた皇帝の身体を抱いて泣き「はやくお医者を!」と叫んだ。それから「貴方はお父様のところへ旅立つのよ、それはロシア人民のためなのです」と言った。心優しきテロリストたち…。テロ…。もちろんそれは殺人であり犯罪である。だが、人間にとって最も大切なのは「必要な時に必要なことをする勇気」ではないのか? だったらテロでしか権力に対抗する手段がないときに、それをしないのは怯惰なのだ。そしてテロは大衆の支持が必要だ。それがなければ、それこそテロリストは、ただの殺人者でしかない。心優しきテロリストたち、あなたがたは今誰と戦っているのか? 願わくば、あなたが憎しみのため、人を殺していないことを…。
Oct 4, 2005
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僕はテレビを朝の30分くらいしか見ないので、いまいち良く分からないのだけれど、今度はバリでテロがあったらしいですね。観光客が撮ったとおぼしき映像を見て「ひどいなあ…」と普通に思う。…思うのだけれど、それはあくまで日本人の感覚。論理的には、やっぱり一概に否定することはできません。TPOを入れ替えてしまえば、思想だのパラダイムだの常識なんてものは、すっかり変わってしまうはず。イスラム原理主義の過激派の犯行らしいのですが、これを「宗教の問題だ」と言って、理解の埒外に置こうとするのは間違っている。こう言うことは可能だろうか? 「宗教問題、民族問題、国家問題など本当は存在しない。存在するのはただ、経済問題なのである」。すべては地続きであることを忘れてはならない。今回の被害者の中に日本人も含まれていたことは、端的にそういうことを示唆するものだ。良く知らないけど、バリ島って観光産業で成り立ってるんじゃないの? このテロで観光客が減れば、現政権に大打撃を与えられるってことだ。自己責任っていやな論調があったけど、でもあれは、本当に哲学的に考えてみれば、当然なことなんですよ。僕らは、国家にもイデオロギーにも法律にも縛られない自由がある。権利ではなく自由。言いたいことが伝わらないと思うけど、旅行するのにも、色々、考えた方が良いよってことですね。まあそれはともかく…これから観たい映画。『マカロニ・ウエスタン 800発の銃弾』絶対観ます!『亀も空を飛ぶ』面白そう。『東京ゾンビ』予告を観たら、何か本格的だったよ。
Oct 3, 2005
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ヴィンチェンゾ・ナタリ待望の新作『ナッシング』観てきた。なんとこれはコメディーだった。あんまり笑えないけど…。二人のダメ男が主人公。極度の臆病者のアンドリューと、抜けてる自己中男デイブは一緒に暮していたけれど、デイブが「彼女と暮すから」と言って出ていってしまう。ところが、そのデイブの彼女はデイブの会社の金を横領するのにデイブを利用していただけだった。デイブは結局、アンドリューの家に舞い戻る。家を売り払って遠くへ逃げようと言い出すデイブ。そこに役所からオッサンがやってきて「この家を取り壊します」。解体屋がすぐにやってくる。さらにデイブのもとに警察が横領事件のことを聞きにやって来る。またさらにアンドリューは幼女暴行のあらぬ疑いをかけられ彼のもとにも警察がやってくる。窓から発煙筒が投げ込まれ、警察が侵入しようとしてくる。その時、デイブとアンドリューが叫ぶ「放っといてくれ!」すると世界が消失する。何もない空間に家だけが、ぽっかり浮かんでいた。奇才という呼名がこれほどにふさわしい監督もいないであろうヴィンチェンゾ・ナタリですが、今回もまた珍妙な映画を撮ったものですな…。でも大傑作『CUBE』や『カンパニー・マン』のようなロジカルなサスペンスを想像してると肩透かしをくらうでしょう。絵的にも、「何もない世界」の真っ白い空間が広がってるだけなので途中から退屈気味に…。個人的には世界が消失するまでのドタバタ劇が最高に面白かった分、どうも中盤からはイマイチかなぁ…。前ニ作、特に『CUBE』にあった現代社会の得体の知れなさを描くような風刺の要素が皆無、本当に単純に「世界がなくなっちゃう」というワン・アイディアでもって一本、映画を撮っちゃったんだろうな、勢いで。
Oct 2, 2005
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保坂正康著『死なう団事件 軍国主義下の狂信と弾圧』を読む。写真は紀伊国屋の再版だけど、僕が買ったのはれんが書房新社の絶版本。裏表紙に「死なう 死なう 死なう」って書いてある(笑)。「死のう団」というのは興味があったのだけど、どんなものだったのかは全然知らなかった。その全貌が本書を読んで明らかになりました。というか宗教だったのか。昭和初期、日蓮主義者・江川桜堂が既成宗教の堕落に怒り、真日蓮主義復興のため日蓮会を設立。暗い世相と桜堂のカリスマによって、段々、日蓮会の規模は大きくなる。しかし、既成宗教の批判から立ち上げられた日蓮会は次第に過激分子を内包し、血盟団や5・15事件らの影響もあってか、彼らは「行動」を希求するようになってくる。日蓮が強調したという「不借身命」をキーワードに、日蓮会の思想は「死のう!」という叫びに熱狂する。つまり、理想のために身命を投げ打つということなのだけど、その熱狂は「死」そのものに傾いていく。この「死のう団」が羽織袴姿で「死のう! 死のう!」と叫びながら鎌倉八幡宮に行く途中、横浜で逮捕されてしまう。ここで自体は急変する。警察は「死のう団」をテロ集団と決めつけ拷問する。これには裏がある。「死のう団」は東京の組織だが、逮捕されたのは神奈川。警視庁では血盟団や5・15事件でめざましい成果を上げていたのに対し、神奈川県警は何の活躍もしていないで焦っていた。そこに「死のう団」が引っかかったてきたのである。「死のう団」が本当にテロ集団ならば、警視庁管轄の組織を、神奈川県警が一網打尽にすれば、警視庁の鼻をあかせるわけだ。だから神奈川県警としては、「死のう団」は是が非でも「テロ計画」の自供が欲しくて、激しい拷問が加えられたのである。とはいえ、神奈川県警特高の恐ろしさは、「死のう団事件」に限った話ではないようで、共産党員などからも神奈川県警の特高は「カナトク」などと呼ばれていたほどらしい。しかし特高も「死のう団」をテロ集団と認められる証拠を掴むことは出来なかった。釈放された「死のう団」ではあるが、社会的に抹殺されたも同然で活動はできなくなってしまう。信者達は去り、世間からは白い目で見られ、だがそれが残った者達にとっては狂信の糧となる。そして「死のう団」は警察を告訴する。この時点で「死のう団」は宗教団体ではなく「反権力団体」へと、その様相を変えていくのである。さて警察では拷問や虐待の事実が明るみに出るのを恐れて、「死のう団」に告訴取り消しの要望を出すが、「死のう団」は拒絶。その後も警察はあの手この手で告訴取り消しのお願いをしてくる。だが結局はものわかれに終わり、告訴状は検事局で闇に葬られてしまう。そして昭和12年2月17日。宮城前、警視庁、国会議事堂などで5人の男が切腹する。「死のう団事件」である。「死のう団」盟主、江川桜堂はこの計画には乗り気ではなかったが、瓦解する組織と死に逸る若い信者を止めることはできないと悟り、行動を許した。しかし本当に死ぬことは許さなかったのだ。だから5人はいずれも軽傷だった。しかし、このハラキリ・デモも何の効果もなく、「死のう団」は壊滅。盟主・桜堂も病没。事件は忘れ去られてしまう。時代は大東亜戦争の幕を上げようとしていた。「お国のために死のう!」と、日本人全員が「死のう団」となっていく……そんな時代のお話です。
Oct 1, 2005
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