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若松孝ニ監督、内田裕也主演、『餌食』。あれ…? これって……。全然知らなかったんですが『魚からダイオキシン』ってリメイクだったのですね? その元ネタがこの映画です。『魚からダイオキシン』では、裕也さんはクルド人の難民の音楽を世に広めるためコンサートを開こうとしますが、『餌食』ではレゲエ。映画の中で流れるのはピーター・トッシュとマトゥンビだけですが。内容は『魚からダイオキシン』とまったく同じ。『魚からダイオキシン』は、『餌食』のプロットをそのまま借りて、デティールを細かくし、裕也さんの都知事選騒動を交えて、リメイクされている。『~ダイオキシン』では本木雅弘が異彩を放ち、軍艦島でのロケが素晴らしかったですが、ラストは『餌食』の方が衝撃的です。長い海外生活から日本へ帰ってきたロックンローラー内田裕也は、衝撃を受けたレゲエのテープを持って、昔の音楽仲間がやってる音楽会社へ行く。日本でレゲエ・バンドを呼んでコンサートを開こうと持ちかける。しかし、昔の仲間は音楽業界に寄生する商売人と化していた。アイドル歌手が幅をきかし、プロモーターは外タレのための薬のルートを独占し、すべてが腐りきっていた。裕也さんのかつての恋人も、業界の食い物にされ、今では薬漬けにされ、外タレ用のセックス処理係となってしまっていた。裕也さんは、ひょんなことから知り合った元暴走族の青年が居候してる家に転がり込む、そこには青年の彼女の女子高生と謎の老人がいた。女子高生はピンサロのホステス、老人は古い拳銃を磨く元ヴァイオリニスト。昔の仲間に絶望した裕也さんは「てめえらとは組まないことにした」と吐き捨てる。すると仲間たちに「お前みたいのをロック乞食と言うんだよ」と侮蔑の言葉をかけられ、さらに裕也さんが呼ぼうとしていたレゲエ・バンドのメンバーがロシアン・ルーレットで運悪く死んでしまったということを知らされる。昔の恋人に会った裕也さんは、禁断症状に苦しむ彼女を見て、首を締める。「天使に会ったら、よろしくな」。老人に拳銃を借り、元暴走族の青年とともに、昔の仲間であり、恋人を薬漬けにした音楽会社の社長のもとに向かう裕也さん。丁度、社長はヘロインの取引中だった。銃撃戦の末、金とヘロインを手にした裕也さん。一人生き残った社長にロシアン・ルーレット! カチリ! 空砲。「お前は運が良いなあ…」。失禁して気を失った社長はそのままに、その場を去る裕也さん。しかし、青年は腹を撃たれていた。バイクに乗って疾走する二人。死んでしまった青年を見て、女子高生は泣く。老人は裕也さんから返してもらった拳銃を夜明けの町に向って撃つ。その後、老人は車に轢かれて死ぬ。絶叫してビルの屋上に駆け上る裕也さん。ビルの上から、雑踏の一般市民を次々と狙撃。やがて裕也さんも駈け付けた警官に撃たれて死んでしまう。最後は裕也さんがコンサートを開くはずだった野球場で一人踊る女子高生。素晴らしい。マトゥンビのCDを棚から探して聴き直してみよう。その後、『魚からダイオキシン』も見直してみた。どっちも良い映画だな。「商売もいいだろう。でも耳は腐らせるなよ・・・」。肝に銘じろよ。
Nov 30, 2005
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なんで僕はこんなものにばかり惹かれてしまうのでしょうか…?福満しげゆき『僕の小規模な失敗』というマンガなのですが…。「このままじゃダメになる… すべてがダメになる 大いなる予感!」「恋愛ゲームに参加できず、学歴コースからも脱落し、現状打破をねらった漫画コンクールでは相手にされない、そんな主人公の将来は一体どうなる?」という帯の文句もあんまりなマンガ。「一体どうなる?」なんて聞かれても、「どうにもならないよ…」としか答えられません。まあ誰しも身に覚えがあるはずの思春期の苦悩(身に覚えのないような人ととは絶対に分かり合えません!)が、悶々と続く。痛いなあ…。僕が最近、同人誌用に書いた小説も似たような感じだったので、がっくり落ち込む。誰かもっと明るい話をしてください。もっと笑えるようなヤツを!
Nov 29, 2005
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70年代初頭、ロックンロールの魔法にとりつかれた15歳の少年は、ローリングストーン誌のライターとして、レッド・ツェッペリン、イーグルス、デビッド・ボウイ、ザ・フーなど大物達と仕事をする。少年の名はキャメロン・クロウ。古き良きロックンロールの時代のささやかな伝説。キャメロン・クロウはその後、映画監督へと転進。その半生を『あの頃ペニー・レインと』という自伝的な映画を撮るまでに。そのあまりにもピュアなロックに対する憧憬が、観てる者を恥ずかしくさせなくもないけど、そんなセンチメンタルな気分は分からないでもない。そのキャメロン・クロウの新作、『エリザベスタウン』を観た。某スニーカー会社で自分がデザインした靴のプロジェクトをまかされたオーランド・ブルーム。でも、発売されてみると「こんなもん履くくらいなら、裸足の方がマシ」とか大酷評をくらって、会社に天文学的な損害を与えてしまう。仕事は当然クビ、恋人にも捨てられ、人生に絶望したオーランドは自殺しようとする。ところが、そこに妹から「お父さんが死んじゃった」と電話がある。父親は故郷に遊びに行って、そこで突然、急逝してしまったらしい。「お母さん(スーザン・サランドン)が動転してるから、お兄ちゃんが遺体を引き取りに行って」とのこと。そんなわけでオーランドは父の故郷であるケンタッキー州はエリザベスタウンまで出向くはめになる。飛行機に乗ると、自分以外誰も乗っていない。しかも、スチュワーデス(キルステン・ダンスト)がしつこく、わけの分からない話をしてくる。もらった地図には電話番号が…。エリザベスタウンに辿り着いてみると、親戚や町中の人達が、自分の父親の死を悼んで、勝手に葬儀の段取りを進めている。泊まったホテルでは馬鹿カップルの結婚式でドンチャン騒ぎ。妹からは「お母さんが、車の修理を始めたり、料理をしだしたり、タップダンスを習ったりして、訳が分からないから、早く帰ってきて!」と泣きの電話がかかってくる。疲れ果てたオーランド君はついついキルステン・ダンストに電話をかけてしまう。すると…。しみじみとしてしまうなぁ…。でも女性が観たら「なんかこれ、男が勝手に女に抱いてる理想、というか妄想じゃないの?」とか思うかもね。この映画のキルステン・ダンストは限りなく魅力的ですが、現実にこんな女性いるわけない。キャメロン・クロウっぽいなぁ…って思った。女性に対して何かコンプレックスあるよね、絶対、キャメロン・クロウって(『バニラ・スカイ』とか)。でもでも、僕は良い映画だなって思いました。車欲しい(免許も持ってないけど…)。あと、この映画のテーマ曲は、レイナード・スキナードの「フリー・バード」です…うーん…微妙! あとスーザン・サランドンが葬式の時、みんなの前でエロ話(笑)をした後「ムーン・リバー」をかけてタップダンス(しかも思いっきり下手)するシーンに苦笑しつつも感動しました。
Nov 28, 2005
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石井輝男に心を奪われてる間に、観たいと思ってた映画のいくつかがとっくに公開されてて、『親切なクムジャさん』を慌てて見に行きました。『JSA』という朝鮮半島分断の物語の中でも最も美しく悲しいファンタジーを撮ったパク・チャヌク監督の『復讐者に憐れみを』『オールド・ボーイ』に続く復讐三部作の最後を飾る『親切なクムジャさん』。なぜか劇場のおばさん率が高い。まさか『オールド・ボーイ』の高評価の影響か? いやいや多分「韓流ブーム」の一環なのでしょう。でも、おばさん、それは完全に間違ってるよ! タイトルに騙されてるよ! この監督は、絶対頭おかしいんだから! 観る者の気分をどん底に落とすために映画撮ってるに違いないんだから! 当然の如く、映画が進むと、滅茶苦茶、陰惨なシーンが続いて、おばさん達ドン引きしてる…。なんかちょっと可哀想ですね。というかクムジャさん恐い。男に裏切られて無実の罪を着せられて刑務所に服役してクムジャさんは、13年かけて復讐計画をたて、刑務所仲間の協力を得て、男を捕らえる。そして…そして…そして…ああ…こっからが血も涙もない展開で、「なんでこんな救いのない映画ばかり撮るんだろうなぁ…」と暗澹としてしまう。観客にトラウマを残すこと必至の内容。でもやたらスタイリッシュな映像と演出は相変わらずで、観終わった後は「やっぱ、すごいや。この監督…」と溜息まじりに呟かずにはおれませんでした。人にはお勧めできませんが、凄い映画であることは間違いありません。しかし、パク・チャヌク監督の今後はどうなるのでしょう? その後、心癒されたくなって『エリザベスタウン』も観たのですが、これは全然凄い映画ではなく、普通に良い映画でした。というかしみじみと感動してしまいました。ちょっと涙腺緩んじゃう感じ。感想はまた今度書きますが、今日はキルスティン・ダンスト(この人、絶対に良い娘だよね!)に救われた気がします。クムジャさん恐いクムジャさん恐いクムジャさん恐い…。
Nov 20, 2005
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アナーキストがナショナリズムを語るとどうなるのか? その答は例えばこうだ。舛田利雄監督、笠原和夫脚本による1980年の映画『二百三高地』。日本とは? 日本人とは? 戦争とは? 戦後民主主義と義務教育によって洗脳されてしまった僕達にとって、アメリカ占領以前の歴史とは負の歴史であり、タブーであった。自由主義史観というのは、それらを否定するのは良いとしても非常に中央集権国家の幻想に捕らわれていて、まったく妄想としか思えない。そうではなくて、もっと自由に歴史を俯瞰することはできないものか…? 例えば竹中労の著書を、石原莞爾という人物を、そして笠原和夫の脚本を見よ。思えば、日本の戦後知識人というのは、戦争に無理矢理駆り出されて酷い目にあった若者達であって、そんな彼らが日本という国家を敵視するのは当然なのかもしれない。そして、そんな知識人達に影響されてしまったのが、戦後史の問題点のひとつではないのか? 戦前が暗い時代だったって? 本当に? 天皇陛下万歳と叫んで死んでいった人達はみんな狂ってたって? 本当に? 我々は二度と同じ過ちを繰り返さないって? 本当に? 僕はそうは思わない。いつの時代、どこの国に生まれたって、人間は根本的には変わらないはずだ。もちろんパラダイムとか、エピステーメーとかいうのはあるだろう。でも、たった60年そこら昔の話だよ? 僕らのおじいちゃんが、僕らと全然違う人間だったって、どの口が言いきれるというのでしょう? こんな簡単なことがまるで理解されなかったであろう80年代というポスト・モダンでニューアカでハイ・イメージ論で差異で戯れて脱構築な時代に、笠原和夫が世に問うた「戦争三部作」、その第一弾にして最高傑作、それが『二百三高地』です。二百三高地は、いうまでもなく日露戦争における旅順攻略の激戦地。これは旅順攻略を、国家指導者、兵士達、銃後の民衆をまったく同等に描いた映画なのです。不平等条約に囲い込まれ、欧米列強の帝国主義がアジア全域に及ぶ時代、このままでは日本は列強の属国と化してしまう、と朝鮮半島にまで進出したロシアに脅威を抱く日本政府。ロシアとの戦争は免れない。しかし及び腰の伊藤博文に児玉源太郎(丹波哲郎が怪演)は、「戦争してもせいぜい五分五分、だがいま戦争しなければこの先、日本が勝つ見込みは絶対にない」と開戦を要求。無茶は承知、「自分は身命を賭ける。閣下にも死んで頂く。天皇陛下にも前線に出て頂くかもしれない」と大上段に説得。そして日露戦争は始る。緒戦の快進撃。そして難攻不落の旅順要塞へ。来るべき艦隊決戦の前に、旅順にいるロシア艦艇を撃滅しなければならない。陸軍を率いるのは乃木希典大将。学校の教師のあおい輝彦はトルストイを敬愛している。ロシア人の牧師のいる教会で夏目雅子(最高に美しいです)と出会う。しかし、あおい輝彦にも出征の命令が下る。夏目雅子に思慕を打ち明けられるあおい輝彦。「絶対に帰ってくる」とお決まりの台詞。「美しい国日本 美しい国ロシア」あおい輝彦は学校の子供達の前で黒板にそう書き、ロシアを憎むなと教え、自分が帰ってくるまでこの文字を消すなと教える。ロシア語が話せて、教師という立場のあおい輝彦は士官待遇で部下を持つが、その面々はヤクザ、遊郭の太鼓持ち、豆腐屋、女房に先立たれ子供二人を路頭に迷わせてしまう冴えない中年……と前途多難。そして旅順の大攻防戦が始る…のだが、戦力差は圧倒的にロシア有利。ひたすら突撃するだけの日本兵はロシアの機関銃の餌食になって各部隊全滅しまくり。戦線は膠着状態に。いたずらに死んでいく日本兵。内地の乃木大将の家には「人殺し」「無能者」などと叫んで石を投げる民衆。戦争ごっこに興じる子供達の目の前に戦死した兵士の遺骨を抱えた家族達の葬列が長く続く。あおい輝彦の小隊では、子供達が心配で逃げ出そうとする中年をヤクザが捕まえる。中年の右手を撃ち抜こうとするヤクザ。「銃が撃てなきゃ、お前は帰れるだろ?」。ぎくしゃくしてた兵士達の間に死線をくぐり抜けた者同士の友情がうまれていたのだ。しかし中年は「俺はみんなと一緒に帰りたいんだ」と戦場に残ることを決意する。遊郭の太鼓持ちが「死んでも墓がないよ」と言うと、ヤクザが「だったら俺の墓に一緒に入ればいい」と言う。ちなみにこのヤクザは佐藤允さんが演じてます。いい役者さんですね。日露戦争の時代には、休戦の一日というものがあって、その一日は日本兵もロシア兵も戦場に入り乱れてお互いに肩を叩いたり、酒を酌み交わしたりしてる。この映画ではちゃんとロシア兵の描写もあって、作劇上の悪役というものが存在しない。捕虜尋問の際、ロシア語ができるあおい輝彦は通訳として臨席する。乃木大将から捕虜は人道的に扱うように厳命されているのだが、「お前ら日本人は猿だ」と罵られ、あおい輝彦は通訳せずに捕虜を撃ち殺してしまう。軍令違反を問われたあおい輝彦は絶叫する。「私達、死んでいく前線の兵士には、国家も、天皇も、陸軍も、軍規もない。ただ苦しみがあるだけだ!」「私はすべてのロシア人を憎む」。死体で埋まった二百三高地。そこにかぶさる、さだまさしの「防人の唄」。山は死にますか~♪ その歌詞が真っ黒な画面にテロップで流れる(この辺、狂ってる。とりあえず笑っておこう)。最後の突撃でついに二百三高地は落ちる。そこから見下ろせるのは旅順要塞と港に停泊するロシア艦艇! 砲撃により、ついにロシア艦艇を撃滅し、旅順要塞も落ちる。その戦闘の中であおい輝彦は死ぬ。あおい輝彦の部下で生き残ったのはヤクザと豆腐屋だけだった。内地、旅順陥落の報に喜ぶ人々は乃木大将の家のまわりで歓呼の声をあげる、「乃木大将万歳!」。あおい輝彦の学校に新しい教師がやってくる。夏目雅子だった。黒板にあおい輝彦のように「美しい国日本 美しいロシア」と書こうとして、しかし「ロシア」は書けずに教室を飛び出して彼女は泣き崩れてしまう。明治天皇の前で戦勝報告をする乃木大将。報告書を読み上げる手が途中で震えだす。声を詰まらせ、膝を折り泣き崩れる。この仲代達矢の演技も鬼気迫るものがある。その乃木大将の肩に手をそっと置く明治天皇。映画は最後、伊藤博文暗殺、明治天皇崩御、乃木希典自刃の文字で終る。以上、おぼろげな記憶で内容を書き出してみましたが、この映画の素晴らしさを全然伝えられていない気がする。とくにあおい輝彦の台詞がちょっと良く思い出せない。もっとすごいんですよ、本当は。笠原和夫脚本作については、次回『大日本帝国』に続く。続くのか…?
Nov 16, 2005
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en-taxi最新号の付録に『実録・共産党』の脚本がついている。知ってる人は知ってると思いますが、『実録・共産党』は、深作欣ニ監督、笠原和夫脚本の『仁義なき戦い』の反体制アナーキストコンビによる、戦前の共産党の実態を東映実録路線で映画化しようとした幻の企画。笠原和夫という取材魔の脚本家は、資料調査、実地調査はいうに及ばず事件関係者に直接話を聞きに行くほどの徹底ぶりで、特に歴史認識に関して、かなり異質なものを感じさせる。戦後民主主義、高度経済成長に対する疑惑が滲み出ている。そしてそのような視点はアナーキストでなければ得られないものなのです。さて、『実録・共産党』の脚本は、渡辺政之輔、徳田球一を中心に、初期共産党の弾圧の歴史を、『仁義なき戦い』方式で描かれている。多分、映画化されたら『仁義なき戦い』の一作目に近い雰囲気の映画になったんだと思う。とにかく、最初からやたら人が死んでいく。しかもみんな若くて、20歳そこそこの青年達。関東大震災の際に次々と警察に捕まって処刑されていく社会主義者達。それでも活動を諦めない人々。治安維持法公布。渡政の死。芋づる式の逮捕。裁判。転向。そして太平洋戦争勃発。その間に社会主義者の若者達はいとも簡単に殺されていく。これはそんな青春の物語のようでもある。映画化されていれば、『日本暗殺秘録』に優るとも劣らぬ傑作となったことでしょう。
Nov 15, 2005
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新文芸座での石井輝男監督追悼特集も最終日。この日は『地獄』と遺作『盲獣VS一寸法師』二本立て。『地獄』はいうまでもなく、宮崎勤、オウム真理教なんかの遅々として進まない裁判状況に業を煮やした石井監督が、「だったら俺が裁いてやる!」と映画で、地獄の裁きを下すというトンデモ映画。砒素カレーの林ますみとか、オウムを弁護してた筑紫さんとか、中沢教授なんかも、地獄責めをくらっております。この映画、『神曲』のパロディなのだなぁ…と、ふと思いました。ダンテが権力の座から追い落とされて、ルサンチマンから書かれたとしか思えない『神曲』の「地獄篇」には、彼の政敵とかが地獄に落ちて悲惨な目にあっているのです。『神曲』なんて詠んだことある人めったにいないでしょうが、僕はこれ大好きなのです。笑えるのが、ソクラテスとか古代ギリシャの哲学者とかが天国に行けずに煉獄という天国と地獄の狭間にたむろしていること。その理由がキリスト教の信者じゃないから。そりゃあんた、キリスト生まれてないもんね…その時代(笑)。一目惚れした少女ベアトリーチェを天使と同列にしちゃう妄想大暴走の「天国篇」は退屈極まりないですが、「地獄篇」は最高ですよ。それにしても『地獄』は変な映画です。映画的には破綻しまくっているのでしょうが、送り手の伝えたいことが、これほどはっきりと伝わってくる映画というものも相当、珍しいのではないでしょうか? アメリカでブッシュやラムズフェルドや大企業のCEOが地獄の業火で焼かれる映画を誰か撮らないものですかね?『盲獣VS一寸法師』の方は、良く分かりませんでした…。それにしても石井監督は暗黒舞踊が余程お好きだったのでしょうね…。
Nov 11, 2005
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仲間とやってる同人誌用の小説約50枚を書き上げへとへと。そして通勤用に持ち歩いていた文庫本が中上健次『十九歳の地図』。ああ…なんかかぶってる気がする…。読んでて辛かった。中上健次は言うまでもなく天才ですが、今の僕にはこの内容はきついですよ。この主人公はまだ十九歳だから許されるけど、僕なんて…僕なんて…ああっ!何もそんなに世界を憎まなくたっていいじゃないか? 世の中には素敵なことだっていっぱい溢れてるよ…多分。なんて。しかし、何だって僕は中上健次なんて読み返しているのでしょうか…? なんかもっと軽いものを読みたくなってきた。それなのになぜか今手元に『「あさま山荘」籠城』なんて本が…読まなきゃいいのに、多分、明日ポケットに忍ばせるのでしょう。こんな自分が嫌だ。もう少し、リラックスしないと、精神的にはちきれそうです。最近、疲れ易いからかなぁ…? 体力つけるために運動でもしようかな? なんて。というか書評になってないね。中上健次に関して、別に言うことなんてないけどさ。うらぶれた若者が読んだら、絶対、影響を受けると思う。中上健次の文体はよく「謳いあげるような」と評されるんだけど、僕が死ぬほど好きな『岬』あたりに較べると、まだまだ文体がこなれていない気もする(←不遜!)。この時点で充分に偉大な作家ですが、ここからさらにとんでもない大作を書くんですよね…この人。こんな化物には絶対に勝てっこないよ。別に勝負を挑む気すらないんですが…。しかし上手いですよね。公衆電話で世界に繋がってる(しかもネガティブに)、どうにもならない孤独な主人公の、その世界に対する無尽蔵の憎悪。ああー辛い。誰かオブラートちょうだい!
Nov 8, 2005
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またまた新文芸座へ石井輝男追悼特集を観に行く。本日のプログラムはかの『直撃地獄拳 大逆転』と『ポルノ時代劇 忘八武士道』。杉作J太郎とリリー・フランキーのトークショー付き。なので、午前中から異様な混みよう。相変わらず男性率および中年率高し。休憩時間に男性トイレが長蛇の列というめったに見られない光景がおかしい。よぼよぼのお爺ちゃんとかも一人で来てたけど、何か将来の自分の姿を見ているようで切なくなってしまいました…。長生きしたら名画座に痛風の足を引きずって通う孤独な老人になるのだろうなぁ…さみしいよ。『キル・ビルVOL1』が偉大だと思った理由の一つが、最後のクライマックスの大激闘シーン。最後にドカンと立ち回るのが、娯楽アクション映画の必要不可欠な鉄則だと思うのですが、それをタランティーノは、やりすぎなくらい押さえていて大好きでした。タランティーノ自体は、僕はそんなに評価してるわけではないですが、あの映画だけはやっぱ好きです。で、おそらくその『キル・ビル』にも影響を与えたと思われる『忘八武士道』も、またそういう意味で完璧に鉄則に忠実で最高でした。手足バラバラ、耳も頭も吹っ飛び、血が吹き出しまくる演出は偉大なる三隅研次『子連れ狼』に対する、石井輝男からの返答なのでしょう。孝、悌、忠、信、礼、義、廉、恥の八つの人の道を忘れた忘八者が取りしきる遊郭吉原の用心棒に雇われた、お尋ね者の明日死能(丹波哲郎!)が、妖刀・鬼包丁で私娼窟を叩き潰していく。吉原の忘八者、私娼窟のヤクザ、御上、それぞれの陰謀と、自らが利用されているのを薄々感じながらも、容赦なく立ちふさがる敵を叩っ斬っていく死能。最後、雪降る中、阿片漬けにされた死能が群がる御用役人たちを次々と斬り殺して行くシーンのカッコイイこと! アンヌ隊員も惜しげもなく脱いでますが…いいのでしょうかね?そして『直撃地獄拳 大逆転』。この(一部で)有名な映画を僕が昔観たのは高校生くらいの頃だったけど内容を全然忘れていないのにびっくりした。それだけ印象に残っていたのでしょうね。あらためて観ても馬鹿馬鹿しい。でも最高に面白いね。みんなお洒落な格好してるのが新鮮だった。千葉真一が鎧の中に隠れてるシーンは相変わらず笑います。佐藤允さんの飛行機操縦シーンとかほんと最高(笑)。郷えい治の「やばいよぉ~」って情けない声も良い。ああー面白かった。と映画館を後にする喜びは何物にも変え難い。こういう映画を撮る人はもういないでしょうね。そういう時代でもないんでしょうし。いい加減、恋愛とかサイコスリラーとか飽きたんですけど…。やっぱアクションだよね。娯楽に徹する気概を持ち合わせた表現者を待ち望みます。芸術性とか、感動とか、後から付いてくるものを、狙ってやるのは、もうやめにして下さい。
Nov 5, 2005
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タワーレコードのアヴァンギャルド・コーナーでSPKの『Auto Da Fe』が売ってた。懐かしいなと思って、店員さんの手書きコメントを読むと、どうやら貴重な入荷のようだ。ふーん、これって今、廃盤なのかあ…。昔の話ですが、僕はニルヴァーナというバンドが消滅してから、ロックに興味がなくなって、URCとかノイズとかサイケとか現代音楽とかを聴いていた時期がありました。高校生の終わりくらい。でもある日、こんな音楽ばっかり聴いてたらダメな人になってしまうと気付き、CDを売り払い、ボブ・ディランやジミヘンやデビッド・ボウイとか所謂ロック・クラシックを聴いて、なんとか立ち直った(?)のでした。しかし、最近、また趣味が一回りした感があります。そこでSPKをCDの山の中から引っ張り出して聴きなおしてみました。というか、何だかんだ言ってちゃんと手元に残ってるのが因果なもんだ・・・。SPK。オーストラリアのユニット。いわゆるインダストリアル・ミュージックという、テクノ・ポップの異種。NINの源流といえば今時のロック小僧には分かりやすいかな? ノイズと絶叫と過剰なパフォーマンス。精神病院の看護人グレアム・レベルと患者(!)のニール・ヒルによって結成されたという恐るべきユニットです。SPKとはSozialistische Patienten Kollektive(社会主義患者集団)の略で、同名の政治組織が、その名の由来。とにかく、とにかく喧しい音に乗っかって「殺せ! 殺せ! 殺せ!」とか叫んでる(んだと思う…)。でも今聴くと、意外にノイズって感じじゃなくて、ちゃんと曲として聞こえてくる。というか、カッコイイ! 高校生の頃はやさぐれの極地でこんな音楽をヘッドホンで聴いて「気が狂う」とか思ってたけど、いまとなっては笑えてきます。SPKも、あの頃の自分のこともね。ちなみにニール・ヒルはその後、自殺という実に出来過ぎな結末を迎え、グレアムはやたらポップなことやって顰蹙かったり、いまは映画音楽やったりしていて、こっちはこっちで、まあ良くある結末ではある。しかしまあ、「狂気」というのは、人が思うほどロマンチックなものではなくて、パターン化しているものなのですが、安易な芸術家ほど、そこらへんを履き違えてこまりものだ…と常々思っています。まあ僕が心理学専攻だったから、そう思うだけかもしれないけど、ダリってのは僕の中で安易さの塊みたいに見えて昔っから嫌いなのです。精神病を特殊なものとして自らの埒外に置こうとする考えは実は二重の差別なのです。ラカンを引くまでもなく、精神もまた言語によって構造化されている以上、自分と地続きなものなのです。まあ、僕は精神分析学は好きではありませんがね。分かってない人が多いので一応、言っておきますが、心理学という学問は「人間の自由意思」を否定する学問なのですよ。精神分析学は無意識によって、認知心理学がシステムによって、行動主義がSR結合によって、そして大脳生理学がそれらの証左となっているのです。さらに言うと、それら狂気は権力によって措定されています。ここで言う権力とは、国家権力という狭義の意味ではなく、人間の集団が秩序だって上手く生きていくための流れのことですが。まあ、あまり安易に狂気を語るべきではありません。狂気なんてものは本当は存在しないのです、というのが僕の結論。SPKはそういう意味で「分かりやす過ぎる」のですが、音楽ってのは不思議なもので、本人達が真面目にやってても、聴いてるこっちとしては笑えるものになってしまっていたりするので、直接身体に機能する音楽の面白さってのは、とても大脳生理学的なのです(笑)。
Nov 4, 2005
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