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娘が今日、大学の合格を一ついただきました。第一志望の学部はまだこれからですが、親としては、すごくほっとしました。息子はまだまだシューカツの真っ最中だし、娘もまだまだこれから大学生活はありますが、この先はもう親があれこれいってもしょうがないし、遠くからそーっと見守っていくしかありません。(いや、ここで子供たちから、今だって十分うるさいし、干渉してるだろってつっこみがありそうだけど。)それでも、一応もうこれで、子育てはおしまい。今までは、子供を育ててることで、書きにくかったことを、これからは遠慮なくブログに書きたいので、ここで一回、子育てブログは、おしまい。ということにしたいと、思うのです。カテゴリもとりあえず、映画にしちゃいました。映画だいすきなわけじゃないですけど。でもまだ、もちろん、子供たちのことを書くことはあるとは、思います。ブログはあいかわらずですが。第一志望の受験はまだ、これから。まだまだいろいろ大変なのは、かわらないです。
2011年02月09日
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オンラインゲームに飽きたので、フラッと、買ってしまいました。ゲーム内アニメがジブリだったのも、理由の一つです。とりあえずストーリー部分はクリアしましたが、ゲーム自体はそれほどは面白くなかったです。そんなに悪くはないと、思いますし、物語自体は、ジブリらしい感じもして、深みもあり、面白かったのではないかと思います。でも、ゲーム自体はなんだか相変わらず。それと、たいしてキャラクターを強くしなくても、どんどんすすめてしまうので、子供向きにつくってあるような。クリア後の世界は、ある意味モンスター養成ゲームなので、ポケモンに近いですが、だったら、ポケモンやったほうがよっぽど充実してますよね。とりあえず、最後の塔のラストボス倒すと終わりみたい。そこまでいくのが、ちっょと作業なので、いささかうんざりはしたけど、オンラインゲームほどのマゾさはないので、とりあえずそこまではクリアするつもり。ちなみに、プレステで次のシリーズ発売だそうですが、そのためにハード買うのはちょっとねえ。DSもってたから、かったけど。やっぱり最近はオフラインでも、オモシロイゲーム減りましたねぇ。FFやりたいけど、PS3買うには、決心がいるしな。 【新品】発売中!(2010年12月9日発売)【特価★魔法指南書マジックマスター同梱】任天堂DSソフ...価格:3,980円(税込、送料別)
2011年02月02日
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オフラインゲームが次々とハードを作り替えていくことにうんざりして、はじめたオンラインゲーム。最近かなりうんざりしてきました。とにかく作業作業作業で、まるで、機械に奴隷としてこきつかわれているような気分です。毎日うんざり、ため息をつきながらの作業に、さすがに、ゲームをやめてしまいました。実際には、『チョコットランド』と、『みんなの冒険大陸カナン』くらいしか、やりこんでいませんが、プレイヤーを毎日インさせるために、一日にできる上限を作ってあったり、とにかく毎日インしないともらえない経験値やアイテムなどあったり、ゲームをするために必要なゲーム内マネーを稼ぐためのバイトなどが、延々とつづき、それをやらないと、ゲーム自体が遊べない、必要なアイテムを買えない、ダンジョンの入場チケットが買えないといった制約の数々。また、他のゲームをしているゲーマーさんののブログを読んでいても、レベルがあがっていくほど、マゾというしかないような仕様。オンラインゲームは、オフラインゲームとは、まったくちがうのだなと、最近つくづく認識しました。レベルをあげるほどたのしいというのは、オフラインゲームの常識は通用しない。オフラインゲームは、そもそも、レベルが上がるほど、強くなっていくので、モンスターをばんばん倒せる爽快感と、それに伴い、お金もどんどんはいって、ゲーム後半は、お金に困ることもなく、マップのどこでもサクサク移動出来て、とにかくレベルが上がるほど楽しい。ところがオンラインゲームでは、レベルがあがるほど経験値が稼ぎにくく、やってもやっても上がらい上に、運営側が儲けるために、ゲーム内マネーは、常になかなか稼げない金欠との戦い。また、ゲームの中のマップを作ることと、維持することに、手間とお金がかかるので、なるべく同じマップを何度も使って、(というか、ほぼ永遠に同じマップのなかをぐるぐるするだけ。)プレイヤーを遊ばせる作り。なかなか新マップがでないので、プレイヤーのほうが飽きてきてしまいます。しかも、大概のゲームは、「指定したモンスターを指定した数だけ倒してくるとアイテムや経験値お金がもらえる」というクエストをひたすら繰り返していくというもの。さすがに、プレイヤーがあきてきて、大概のプレイヤーは、ゲームが全マップ解放してラストボスを倒すところまで行く前に、やめてしまいます。そして、ほかのゲームにうつっていくわけだけど、だいたいどのゲームもRPGゲームのパターンは、ほぼ同じ。微妙にシステムや、キャラクターや、世界観が違うだけ。あとは、ゲームの運営会社がいかに、プレイヤーであるお客さんたちをあきさせないようにするか、怒らせないようにするか、課金してくれるようにするかの勝負です。かつてやっていたような、わくわくするようなゲームのおもしろさがなくなってきたし、なんだかもうあきたなぁと、感じる今日この頃。ゲームのせいだけでなく、私自身がいい加減、ゲームというものに飽きてきただけなのかも。とも、思えてしまいますが。それにしても、基本無料といいながら、ゲームを遊ぶためのゲーム内アイテムが、リアルマネーでしか入手できないというのは、なにか、ゲームの本質から激しく逸脱しているのでは。しかも、それが意外と馬鹿にならないくらいかかる。私個人にしていえば、ジンクスがあって、課金すると、何らかの理由でそのゲームをしなくなってしまうのですけどね。それと、課金するととたんにすごくばかばかしくなってきてしまうのです。のめりこんでお金をそそぎこむようになったらどうしようと、思っていたのですが、実際には、反対でした。だから、もう課金したくありません。課金をするなら、ゲームをすること自体に課金して、ゲームの中はいっさい課金なしのゲームがしたいと、最近は思います。ゲームをするならやはり、ゲーム内アイテムは、ゲームをすることでゲットしたいですね。それが、そもそもゲームってものであって、リアルマネーをかけるほどゲーム内キャラクターが強くなるのでは、いったいなんで、ゲームしてるんだか、わからない。働いている会社員は時間がないから、時間をリアルマネーで買うように、課金しているようですが、そういう方向性のゲームづくりが非課金のゲーマーを白けさせる。非課金のゲーマーがいなくなれば、ゲーム内人口がへって、課金プレイヤーもまた、つまらなくなっていなくなる。あるいは、課金の結果キャラクターが群を抜いて速いスピードで強くなってしまうために、カウンターストップのところまですぐにいってしまい、つまらなくなって、やめてしまう。トップグループの強いプレイヤーが、いなくなることで、ゲームの勢いが落ちて、その後続のプレイヤーたちもやめてしまう。オンラインゲームというのは、課金者と非課金者のバランスや、ゲーム全体のバランス、新マップ解放のタイミングなど、結構運営がむずかしいものだと、最近つくづく思います。それでもなお、一番思うのは、ゲーム内の武器を作るためのシステムがあまりにもマゾすぎる。やってもやってもアイテムがなかな手に入らなかったり、合成したら、なくなってしまうなど。遊びなのに、心理的にすごく追いつめられて、嫌気がさしてきたり、情けなくなったり、かなしくなったり、いらいらしたり。そんなことがすごく多い。これやってて、ほかのプレイヤーさんたちは、本当にたのしいのかな?と、思うこともしばしば。レアアイテムを手にいれるためにえんえん5時間くらいひとりでこもってやりつづけたとか、そんな書き込みを読んでいると、ゲームってなに?と、本当に思う。オンラインゲームに共通するこのマゾい構造を何とかしてほしいですね。現在のゲームはどれも、一日3時間くらいで遊んで行くとすると、だいたいクリアするまで10年はかかるのでは?とも思える作りですが、10年も同じゲームをプレイヤーがやると思うのでしょうか。大概は長くても、3年くらいでいくらなんでも飽きるのでは。3年くらいで、ラストボスをたおして、クリアできるようなゲームを作ってほしいですね。運営側は本気で自分の作ったゲームを自分で一からキャラクター作成して遊んでみてほしいですね。いかに今のオンラインゲームがマゾくて、運営側の都合重視でつくってあるか。感じて、体感してほしい。最低、作った装備はなくならない、レベルダウンしない、アイテム集めが大変すぎない。くらいにはしてほしい。ヒトが楽をするためのコンピューターに、奴隷のようなことをさせられるオンラインゲームの今のあり方って何。今だに、いままでで、一番おもしろいゲームは、「ファイナルファンタジー7」なんですよねえ。レベルがどんどん上がって、ストーリーがあって、マップがどんどんすすんでいくわくわく感は、いまだにわすれられません。もっとたのしいオンラインゲームに会いたいです。
2011年01月31日
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世界一のSNS「フェイス・ブック」をつくった、マーク・ザッカーバーグの物語。さて、この映画をみて、最大のポイントは、マーク、本当にいやなやつなのか?というところ。フェイス・ブックをつくるために、友達をきりすてる、いやな奴というかかれ方。しかし、そもそも、彼は、友達をつくろうとか、周りの人間を友達だとか、おもっていたのだろうか。「フェイス・ブック」を作る。これは、あきらかに、ビジネス的行為だ。普通は、大学は、勉強して、友達をつくって、社会に出る前の段階の場所だ。そして、社会にでてから、ビジネスという視点での対人を学んでいく。ビジネス社会では、人間性以前に、まず、組織の仕事の利益を上げることが最優先。そのためには、ひとを切り捨てたり、非人間的な行為を涙をのんで、やらなければならなかったりする。そして、マークの場合は、その能力ゆえに、すでに、大学という場所でもうビジネスになっていた。大学の周りの人間たちもまた、彼のビジネスのための人材にすぎなかったのではないのだろうか。彼にとって、ハーバード大学という場は、学生生活の場でも、人間関係育成の場でもなく、すでに、ビジネスのための場所であり、彼の意識の中はもうすでに、ビジネス視点、ビジネス的価値観になっていたのでは。そこが、普通の学生たちとの決定的な違いであり、周りは、学生同士の、友人的なつながりとして、マークにかかわっているゆえに、彼の中の認識にきづかない。それが、マークと、彼にかかわる人間たちとのあいだで、ずれが生じる理由なのでは。マークは、ウィンクルボス兄弟からは、SNSのアイデアだけをもらうけれど、共同経営者としては、認めなかった。また、友人の、エドゥアルドにたいしては、出資者という視点でしかみていない。だから、エドゥアルドが、口座凍結した段階で、すっぱりときりすてている。この一連の行為は、友人関係としてみれば、ひどいけれど、ビジネス社会の関係であれば、どこでもやっている普通のことなのでは。マークが大学生ゆえに、人間性という視点でみてしまうけれど、マークは、そのスペシャルに有能な能力ゆえに、大学時代すでにもう、ビジネスという世界にすんでしまっていたのだろう。かくして、マークは、世界に冠たるSNSのサイト「フェイス・ブック」を作り上げ、ビジネスとしての、成功を収める。けれどそれではいったい、彼はどこで友人をつくり、どこで、人間らしい生活と、関係性を手にいれるのだろうか。その優秀さゆえに人より先に一足飛びにビジネス社会に飛び込んでしまったマーク。普通の人間たちが学生という意識から、ビジネスマンとしての認識、価値観に移行していくことに苦労するものなのに。ところで、この映画をみていて、なぜ、アメリカではネット上の名前に実名を使い、日本では、ハンドルネームを使うのかよくわかりました。フェイス・ブックは、そもそもは、ハーバード大学内での、学生名鑑を作るためのものであり、これを通して、実際の学生どうしの交際を助けるためのもの。だから、実名でなければ、意味ありません。けれど、日本では、まず、ネット上での掲示板など、うっかり中傷など書いたり、ネット上で、もめたりすれば、リアルでのしかえしがあったりしました。そんなことのあとでできたのが、ミキシィなので、うっかり、ネット上に実名をだせない土壌ができてからのSNS。しかも、SNS登録の際に実名をいれておくと、検索でみつけられてしまう危険性もあり、すでに、日本のネット内では、実名は使えない状況ができあがってしまっているから。さてこの映画、シナリオのテンポがものすごく速く、過去と未来の場面が交互にでてきてたりして、結構わかりにくいです。ぼーっとしてると、ちんぷんかんぷんだったりします。とくに冒頭のエリカとマークの会話シーン。結構重要なのに、最初のシーンなので、よくわかんないで、集中しないで、みてると、わけわかんなかったりして、大事な部分を見落としてしまいます。とくに、おもしろかったのかも、わかんないですが、とにかくテンポがはやいので、飽きることはなかったかも。とりあえず、時代の話題作なので、みておいてもいいかも。 【送料無料】facebook完全活用本価格:1,260円(税込、送料別)・ソーシャル・ネットワーク@ぴあ映画生活
2011年01月22日
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以下えんえんと愚痴なので、つまんないですから、読まないでください。もともと9月に転んだ拍子に右足のひざをコンクリにゲキぶつけました。それ以来ずーっと接骨通い。階段降りる時がつらいのですね。毎日通って、電気かけてます。しかも、自転車乗れないし、長時間あるくのもつらいので、買い物もままならず。まとめて日曜に主人と車で買い出しに行って、それだけでも、ゲキつかれましたので。その頃はたいへんでした。にもかかわらず、オンラインゲームなんかやってて、だんだん披露が蓄積していったのですね。しかも、ゲームのせいで夜ふかししたり、頭痛いのに、無理してゲームしたり。うーん。どう考えても、自制心のない自分がわるいですね。はい。動けないからまあ、ゲームするしかないってのもあったかも。もう、11月の後半はかなり疲れがたまっていて、頭は痛いは、肩はこってるは、しかも冬ですから、背中全体もこってまして。そのせいでさらに頭いたくなるという、負のスパイラル。しかも、子供たちは、受験と就職活動の時期。娘の面倒見なくちゃなーっと思いつつ、だらだらとゲームしつづけていたし。問題集とか勉強とか相談したりして、ご飯もちゃんとつくってたべさせなきゃいけないのに、ゲームしてると、そのせいで疲れてきて、ご飯作る元気もなくなってきたり。こんなことじゃいけないと、思いながらだらだらと。今思っても、最悪だったかも。で、11月の末にこのままこんなことつづけてちゃいけないなっというのと、ちょっとしたトラブルのせいで、これはもう、このタイミングで、すぱーっとゲームは、いったんやめて、家のことと、子供の面倒と、つかれきってる体をやすめるのと、ちゃんとしなくちゃってことで、すぱーっとオンラインゲームをやめてみました。ずーっと治らなかった頭痛と疲れが治るのに、一週間から二週間くらいかかったのでした。でも、頭痛が治って、疲れもだいぶとれたと、おもったのですが、肩こりというか、背中のこりが、どうしても治らない。背中全体がこっていて、痛くて痛くて。マッサージ機をかけても、しっくり治らないし。まあ体調の悪い時はいつもだけど、なんかずーっと一生治んないような気がするものです。あまりにもなおらないので、コマーシャルでやっていたアクテージSN錠というのをかってみました。一日三回一錠づつ。 アクテージSN錠(84錠)【第3類医薬品】価格:4,580円(税込、送料別)いやあこれが、結構効いた。いままで、痛くていたくて、こっててこっててどうしようもなかった首の凝りと肩のこりと背中のこりがなくなりました。びっくりです。二週間飲んでたら、すっきり。もんでももんでも、トクホン貼ってもだめだったのに。ちょうどひと瓶で二週間分なのよ。でもなくなって、のまないでいるとね、またちょっとこってくるんですね。だから、冬の間はしばらくのんでいようかと、思います。室井茂さんが、コマーシャルしてますね。ほんとに効くとは、思わなかった。それでも、お正月の三が日もつかれたかも。旦那の実家と私の実家に行って、三日目は、初もうで。なんかねえ。これが疲れるんだよねえ。お正月くらい、実家なんかいかないで、家でのんびりしたいです。実家にいっても、母親の口うるさい説教にうんざりだし。旦那の実家に行っても、狭い六畳間に座って碌な話もせず、黙ってもくもくとたべるだけ。すんごーくつまらない。これを結婚いらい20年以上やってたんだものねえ。いいかげん、飽きたなぁ。ていうか、つらいんです。ほんとはいきたくないけど、いかないわけにもいかないし、たのしくないし。お正月が来るのが憂鬱。来年は、お年始なんかやめて、お正月は温泉に旅行しちゃいたいです。さて、現在。我が家の和室の居間は、炬燵の周りが問題集と学校案内と、ノートと、会社案内とまんが本で、ぐちゃぐちゃです。それをみていると、頭のなかがぐるぐるしてきて、なにがなんだか、わかんなくなってきます。判断力も思考力も、溶けて混ざって、私の頭の中で、ぐるぐる。とりあえず、出願だけは、おわったので、少しだけましになったけど。はーーーーーーーーーー。早く終わんないかな。
2011年01月20日
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昨日やっと出願完了しました。なんかちょっとだけホッとしました。抑えの二校が同じ受験日のせいで、土壇場までどうするかきめられず、今回はほんとにつかれました。カレンダーみるとなんか、気分悪くなってくるという・・・・・。おにーちゃんの時の方がなんか楽だったかも。気持ちのどこかに絶対受かるっていうのがあったからね。今回はぎりぎりのところなので、はらはらどきどきずきずき。しかももう、センター試験はあさってです。世が世なら女の子なんて、高卒ではたらいてたはずなのになぁ。私の高校生の時代なら、このくらいの学力でも、就職なんてあったはず。なんか時代がかわりましたね。でも、先日のクローズアップ現代、見ていて、やっぱり女性も働いて生きていく時代なんだなぁって、つくづく思ったのでした。生涯モチベーションを持って働ける自分にあったいい仕事につくためにも、大学に入って勉強をして、それなりのものを身につけてほしいと、思います。がんばれ受験生。
2011年01月13日
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はいはいとうとうブログも1000件目となりました。999件を書いたときに次が1000件目だっときづいて、記念すべき1000件目は何を書こうかなー、できれば、明るい話題にしたい、と思っていましたが、なんと、こんなネタにってしまいました。すごくなさけない。というのは、たったいま、メールで就職活動中の学生に日本郵政グループから、今年度の郵便事業株式会社の学生の採用はいっさいありませんというお知らせがきたんですね。しかも、なんと、今までに何度も何度も、就職説明会をひらいて、エントリーのお知らせのメールも来ていたんてすね。今まで何度も、説明会に足を運んで貴重な時間を費やしてきた、学生さんたちに対して、いくらなんでもひどいのでは。少なくとも、採用予定は、説明会を開く前に決めておくべきでは。郵政に入りたいと、思っていた学生さんは、さぞやがっかりしているはず。こんなじゃ、日本郵政、おかしくなるの無理ないですよねえ。内部でなにか、大きな変革の兆しでもあるのでしょうか。まさにいま、うちの息子も、就職活動真っ最中です。しかし、依然と違って、安定性を郵政に求めるのは今は、無理みたいですね。ちなみにうちの子は、郵政は考えてなかったそうですが。もっとも以前には、内定決まってしばらくしてから、取り消しとか、会社がつぶれたとか、ありましたからねえ。それよりましかも。
2011年01月12日
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今年もよい年でありますように。っていうか、いい年だったかなぁ。今年はいよいよ、就職活動本番です。そして、下の子は、受験です。しかしあの、就活のための、ネットエントリーって意味あるのですかね。エントリーできる時間にインしてまっていても、時間になった途端ものすごいアクセスの集中で、ほとんど入れません。当然はいれません。そして、当然予約も取れません。早い者勝ちっていうよりも、運。と、すごく性能のいいパソコンをもっているかどうかで、きまるのではないでしょうか。ほとんどの人は、予約も取れずに終わる。ネットを使った説明会の申し込みって、システム改善すべきではないかと、思います。私も息子にたのまれて、何回かやってみたけど、ぜんぜんとれませんでした。速く就職きまるといいなぁ。娘のほうもなかなか受験スケジュールがきまらずに、四苦八苦しました。受けたい学部がきまらず、やっと、国際関係ということになっても、受ける大学の受験日が近いので、すごくスケジュールがたてずらい。三日も連続では、体力的にもたないだろうし、二日連続までが、限界かなぁっと、思いつつ、やはり、連日の受験になってしまいそうです。息子の時は、ぜんぶ一週間以上それぞれあいていたので、いま思うとずいぶん余裕のあるスケジュールだったのですね。とりあえず、だいたいきまってはきましたが、どうなることやら。願書も年末になってやっと、かきあげまして、あとは、写真と、学部のシールをはるだけです。新学期になったら、調査書をもらって、いよいよ出願です。こちらも、よい結果がでますように。
2011年01月01日
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ずいぶん昔に読んだのだけは覚えいるのだけど、ストーリーの記憶が全くない。驚くくほどない。ずいぶん暗い話なのに、なぜか面白かったのだけ覚えている。今回映画をみていて、これはたしかに、当時の私にはまったく理解できなかったろうなぁっと、思う。タイトルの出展がビートルズの歌のタイトルそのままと知ったのも今回はじめて。そうだったのか。「ノルウェイの森」は、ヨーロッパの高級家具のブランド名らしい。で、じゃあビートルズの歌の中にでてくる女の子の部屋の中に高級家具のタンスとかでてくるのかっていうと、そんなわけはなくて。じゃあ、「ノルウェイの森」ってなにっていうと、私の考えるところでは、たぶん、ベットなんだと思う。女の子の部屋には椅子がないというより、ペット以外の家具はたぶんぜんぜんなくて、部屋の中にペットだけ。歌の中のそういう寂獏とした部屋にすんでいるという、現実感、生きているという生命感のない女性。それが、物語の中の菊池凛子演じる直子何だと思う。映画では直子にスポットをあててえがいているけれど、作者が描き出したかったキャラクターは、ミドリのほうなんじゃないかと思う。好きな男と愛し合うことのできない直子。そんな自分という存在に絶望し、どうしても、立ち直れずに自殺ししまう直子。男に奉仕することはできても、自分のために生きることのできない直子。彼女の存在は『娼婦』とう女性の一種を象徴している。ベットしかない部屋というのは、まさに娼婦の部屋そのもなのだ。好きでない男には、欲情することも、誘うこともできるのに、惚れた男と愛し合えない彼女はまさに娼婦そのもの。そしてまた、主人公ワタナベの先輩的友人の永沢の恋人ハツミ。たぶん有名な女子大に通うお金持ちのお嬢さん。恋人がほかの女と遊びまくっていることを知りながら、それを非難できず、黙って容認するしかない彼女の立場は、まさに昔ながらの良家の奥さん。直子もハツミも男にとって都合のいい女性そのもの。日本古来の典型的な二つの女性パターンそのものだ。浮気する夫を黙ってみまもりたてなければならない良家の本妻さん。男のために日蔭の立場でいきるお妾さん。男性の欲望のためだけにそんざいする娼婦たち。そして、直子もハツミも二人とも自殺してしまう。その一方で、物語途中から登場してくるミドリは、四年制大学に通う普通の女の子。母を失い、父親には、子供より奥さんのほうが大事といわれてしまう家庭環境でそれほど明るいともおもえないのだが、男性に対して、自分を犠牲にしてでも、私を心底愛してほしいと、はっきりいえるほどの、自分を持っている。好きな相手が声をかけてきても、気に入らなければ、しらんぷりもするし、男に尽くすというような日本古来の女性とは、正反対なキャラクター。言いたいことは周りを気にせずにずばずば言うし、直子、ハツミとは、まったくちがう。ミドリの父親は、亡くなった妻をとことん愛していたらしく、妻が死ぬくらいなら、お前たちが死んだほうがよかったととうの子供に向かってはっきり言うほど惚れていたらしい。親にこんなこと言われちゃうなんて、こどもとしては、かなりひどいなと、最初は思った。けれど、ここまで妻をあいしてる父親。そういう家庭は、そんな悪くないかもしれない。そして、夫にそこまでいわせるほど惚れられるような妻ってどんな素敵な女性なのだろう。そして、そんな女性の遺伝子をもち、そんな女性にそだてられたミドリが、自分というものをしっかりもっていて、自分の生きたいように生きていて、男につくしたりなんかしなくって、そして、自分をとことん愛してほしいと、はっきりいえるような強さをもっている。そんな女性にそだつのは、あたりまえかもしれない。歌の中で最後に明日は仕事をしなくっゃと言いつつ、男性と愛し合うことなく、鳥になって飛んで行ってしまった女性は、まさに、男に頼らず自立していきていく女性そのものを象徴的に描き出している。作者の村上春樹は、そういう捉え方をして、この歌からこの物語を描き出したのだと、思う。学生運動のはげしかったあの時代。日本の国の社会的価値観の激変していく中で、女性としての生き方もまた、激しく変わっていった時代。直子にひかれ、ハツミの生き方をみながらも、最後にミドリという新しい女性に出会い、ひかれていくワタナベという男もまた、時代の象徴的な存在であるのかもしれない。ところで、かなり大事なキャストのミドリが新人さんで、なーんか存在感薄いし、台詞は棒読みだし、なぜワタナベがミドリに魅かれていくのか、ミドリがなぜ魅力的な女性なのか。自分を愛してほしいというミドリの台詞も説得力なし。ミドリだけみてると、作者の言いたい大事なことはぜんぜん伝わってこないし、ジーンとこないし、感動しないし。菊池凛子の方にスポットあてられてて、ちがうんじゃねっと私なんかは思ったんだけどねぇ。もともとは、上野樹理が予定されていたらしく。でも、彼女は「ノダメ」のイメージがはりついちっゃたしねぇ。上野樹理が演じてたら、どんなだったかなぁ。ミドリに既存のイメージをつけたくなくて、新人さん選んだのだとは思いますが、彼女はこの役どころの意味を本当には理解していないでしょうねえ。たぶん。原作は名作なのかもしれないけど、今回の映画はいまいちだったかなと、思います。見てるぶんには面白かったけど。 【送料無料】ノルウェイの森(上)価格:540円(税込、送料別) 【送料無料】ノルウェイの森(下)価格:540円(税込、送料別)
2010年12月23日
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久々に映画館にいって、映画を観てきました。オンラインゲームにはまってたのと、体調もわるかったのと、足を痛めていたせいで、だいぶごぶさたでした。それにさぁ。映画みてると、ねちゃうのよねえ。お金払って寝るのはやだから、体調良くないといけません。で、今回の映画。すごくよかった。おもしろかった。もちろん、寝ませんでした。NHKの大河ドラマの『新撰組』で、やまなみさんを演じる堺正人を見て以来のファンなのですが、今回もよかったです。ストーリーも演出も、ごくごく普通によかったので、とくに書くことないくらい。とにかく素直によい映画で、すっきりと楽しませていただきました。淡々と描かれていて、とくに大きな事件もありません。けれど、全編を観終わって、つらつらと考えてみると、ああこんな物語だったんだなと、思い当たるものがありました。それは、プライドってなんですかって。いうことかと。とくに武士のプライドって何。世間体や見栄を優先して、お金がないのに、無理をする。それは今も昔も同じこと。江戸時代末期の武家といえば、歴史でならったところによると、かなりお金がなくて困っていたはずなのに、物語の中では相当高価なはずの鯛が祝いの膳に一人一匹づつ、出されていました。ずいぶん余裕のあるおうちだなあと思っていたら、やはり、物語の進むうちに家計が借金だらけとわかってきます。その時主人公の猪山直之は、世間体や対面を優先することのほうがずっとはずかしいことだと、考えます。そして、借金返済のために家財のほとんどを売り払います。そなことをしたら、家の財政が苦しいことが世間にしれてしまうと、家族は反対しますが、彼は心を鬼にして実行します。けれど、そののち、わが子が道で拾った四文銭を拾うことには厳しくとがめます。金を拾うなんて乞食のすることだ。武士としてそんな恥ずかしいことは許せないっと。また、勤め先の加賀藩の内部の不正に気付き、自分の立場のあやうさを知りながらも、告発しようとします。それは、結局握りつぶされてしまいますが、彼は自分の仕事を正しくやりぬくことに、やはり、算用ものとしての、プライドを優先させたのでした。本当のプライドってなんだろう。と。つくづく考えさせられる物語でした。ほんとうのプライドを守って生きていく。見栄や、外聞や、世間体や、欲望や、そんなものに負けそうになってしまうのが人の常。そんななかで、本当のプライドを守りながら生きていくって、難しい。すんごくむずかしい。考えさせられる物語として、とてもよくできていたように思います。外国映画にめっきり魅力を感じなくなったこの数年。そして、なぜか、邦画のほうはいままでの泥臭さや、とろさや、対応の悪さや、オキマリパターンの詰まんないストーリー構成といった、部分を少しづつ改善して、良品を生み始めているような気がします。これからは、邦画を見る機会のほうが増えそうな気がします。とりあえず、このあと、ハリーポッターとヤマトがみたいです。あと、ノルウェイの森もみたい。原作かなり昔に読んで面白かったことしか覚えていない。すごく暗い話なのに、なぜかおもしろかった。あとは、ぐずぐずしてたら、『桜田門外の変』の上映終わってしまいました。残念。「のぼうの城」は、いつできるんだろう。楽しみです。こっちは漫画で読んでしまってストーリーしってるけど、映画にするとどうなるのかたのしみです。 武士の家計簿価格:714円(税込、送料別)・武士の家計簿@ぴあ映画生活
2010年12月08日
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こんなに才能ある人だったんだなぁっと、つくづく。マイケル・ジャクソンの名前はもちろん知っていたし。そりゃまあ、あれだけ有名な人だからね。でも、たまにテレビで見るくらい。ムーンウォークももちろん知ってたけど、ステージを見たことはなかったわけで。なんとも、個性的なキャラクターで、そして、彼の創りだすダンスもまた、独特で、とても、魅力的で、いまさら私がいうまでもなく、才能に溢れているのがわかる。最近つくづく思うけれど、どんなに才能のある優秀な人でも、かならず、コンプレックスや劣等感を持ちながら生きているんだよなぁって、思う。彼は、これほどの才能をもちながらも、自分の中の劣等感にくいつぶされてしまったんだなって。普通、劣等感や、コンプレックスって無能だから、能力がないから、力がないから、だから、持ってるもので、自分以外の人はみんな、有能でって、そんな感覚でいるじゃない。でもねえ。どんなに優秀な人でも、心の何処かに、劣等感や、コンプレックスをもっているものなんだって、認識するようになったのです。あんなに素晴らしい映画をたくさん残したマリリン・モンローも、寂しくて寂しくて、その寂しさに勝てなくて、くいつぶされてしまったんだなあと。マイケルもあれほどの才能を持ちながら、自らのコンプレックスに食いつぶされてしまったのだろうか。それにしても、一糸乱れぬダンス。ダンサー全員が、ほぼ同じタイミングでびしびしびしっと、動いて踊っていく。すんごくすばらしいね。ある意味、マスゲームにもにてるけれど、中国なんかで見るマスゲームに感じる不快感とは、まったく逆に、美しくて素晴らしいなぁっと、思った。大勢が同じ動きを一斉にするところは同じなのに、なんでかなーっと、考えてみると、やっぱりそれは、ダンサーたちのひとりひとりが、自分の意志でやってることだからなんだろうね。あの振付の一つ一つも、みんなマイケルの創りだすもの。ほんとにすばらしい。こんなすごい才能のある人だったんだよねえ。もったいない。 マイケル・ジャクソン THIS IS IT価格:2,016円(税込、送料別)
2010年11月01日
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物語はシャッターアイランドとよばれる、俗世とは隔離された、精神病院のある島。主人公テディは、連邦保安官として、行方不明となった、女性を探すためにやってくる。ミステリアスな展開の果てに、真実がだんだんと明らかになっていく。真実は、うつ病となって、我が子を殺した妻、その妻をころした主人公。の物語なのだったのだ。テディは、そのあたりの過酷な現実故に、妄想の虜となり、精神病患者としてこの島に隔離されていたのだった。精神医たちは、何度か彼を治療し、彼が逃げている現実へと引き戻すのだけれど、現実のつらさのあまり、何度ひきもどしてもまた、妄想の中に戻ってしまう。そして、なんども連れ戻される辛さ故に最後にはもう、ロボトミー手術という、辛い現実から完全に隔離されるという選択肢を主人公は選ぶのだ。実際なんども妄想に戻ってしまうということは、本人がそれを望んでいるからであって、それにもかかわらず、治療して、現実を認識させることこそが正しいと信じている医療スタッフがわ。主治医といい、院長といい。お医者さんて、患者が望んでいることより、医療的に、あるいは、社会的に正しいと言われる対応、つまりは、治療をするけれど、必ずしも、患者側は、それを望んでいるとは、かぎらないんじゃないかと、私も往々にして、思うことがあるけれど、この物語の場合なんか、まさにその、極端な、ケース。物語は、ばらばらだったジグソーパズルが、ひとつひとつ組み合わさって、完成された絵になっていくような感じだった。そして実は、主人公が最後に漏らす一言こそが、その最後の一ピースだったりする。「モンスターとして、生きるのか、善人として死ぬのか。」まるで、シェイクスピアの戯曲の主人公ハムレットのように、最後の一言がぴたっと、ハメられた時、物語は完成するのだ。自分をモンスターと呼ぶほどの辛い現実。現実と妄想の間をなんどもゆききする主人公。本当にどっちがいいと、いえますかと、作者は問う。あなたなら、どちらを選びますか。妄想に走りたいほどの厳しい現実を、なんで一一もどそうとするのか。あの院長さん。何度、現実に戻しても、妄想の中に戻ってしまうのだとしたら、それはもうほんとに、自分の現実がいやでいやでしょうがないからなんだろうと、思います。だとしたら、現実にもどすという精神医の行為は、ホントは正しくないのかもしれません。妄想の中に置いといてあげたほうがいいのかもね。それなのに、なんども、現実に戻されてしまう苦痛、にもかかわらず、自殺も、死刑もありえないのだとしたら、主人公としては、最後には、脳手術によって、その辛い現実を永遠に忘却するしかないのかもしれません。たとえ、それによって、自己や自我が失われてしまうとしても。現実から逃げ、シャッターをおろして、妄想の世界にと逃げていく、あるいは、ロボトミー手術によって、完全にシャッターをおろしてしまう、結末。タイトルは、まさにそういうことだったのですね。ああ、生きてくってしんどい。私も、妄想に逃げたいなーっと思う、今日この頃。それにしても、分かりにくい映画でした。ディカプリオって、不思議な俳優さんです。あいかわらず。そして、なんか、ゲームしてるような雰囲気のの映画でした。ストーリー自体は、よくあるお話です。ただね。ラストの数シーンにえがかれている場面によって、今までのこの手の物語とは、ちっょと違った、テーマを語っているのかもしれません。それをどう読み解くか、解釈するかは、本当に人それぞれ。ただ、私には、辛い現実は、うけいれうるものなのか、逃げてもいいものなのか。現実って、厳しい。そして、生きていくって。しんどい。ただ、主人公は、最初の妻のうつ病っていう段階で、現実逃避せずに、立ち向かっていれば、あそこまで悲惨なことには、ならなかったのでは。対処はお早めに。風邪もひきはじめが大事に。 【送料無料】 DVD/洋画/シャッター アイランド/PPA-114536価格:4,179円(税込、送料込)
2010年10月26日
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最近マックがいろいろとチキン商品だしてるけど、なーんかマックノチキンて、まずい。ジャーマンソーセージとかいうから、チキンじゃないのかとおもったら、チキンと一緒にうすーいソーセージがはいってるだけ。チキンが売りの商品なのに、商品名が、「ジャーマンソーセージ」って、なにかんがえてるのかよくわからない。しかも、ソーセージまでまずい。やっぱり、クォーターパウンダー食べてたほうが良かった。チキンはやはし、ケンタッキーだよね。 翌日配送可★5,000円以上ご購入で送料無料★[ドイツ土産] ドフラー ジャーマンソーセージ (ド...価格:1,155円(税込、送料別)
2010年10月26日
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もっと前に書くべきネタでしたが、どうもかきあげかねていままでずるずると。でも、政府が言う「理系ばなれ」って納得いかない。だって、毎年毎年、東大理や、東工大や、理科大に入りたくても、合格できない、理系志望の受験生はいっぱいいるのに。それなのに、理系ばなれだから、小学校あたりから、理科教育をちゃんとしないとだめなんじゃないかって、なんか、話の焦点がずれていませんか。小学校あたりが問題なんじゃなくて、理系学部に進んだ、学生たちが、いざ就職になると、理系の職場の給与の悪さや、待遇のわるさ、どんなに研究にうちこんでもむくわれない、今の日本の理系の職場の現状ゆえに、理系ではなく、文系の職場に就職してしまうことに、問題はあるはずなのに。「理系ばなれとか、小学校教育がとか、まるで、理科を勉強するのがいやな国民が悪いみたいな、言い訳のしかたって、なんなのって、ずーっとおもってましたが。とりあえず、言いたいのは、そのあたり。やっと、かけた。で、今日はここまで。 理系の人々価格:1,000円(税込、送料別) 「理系」という生き方価格:560円(税込、送料別)
2010年10月26日
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子供たちがね、東京女子大の過去問をみて、むずかしすぎるっていうのですね。特に日本史の問題が受験勉強の範囲を逸脱した、変な問題ばっかりだって。私はめんどーなので、あんまり過去問のチェックとか、してないのですが。たとえば、第二次大戦中、東南アジアで、日本軍が捕虜を酷使しつつ、作った鉄道の名前はなにかって。息子に言わせると、こんなの知ってるわけないって。でもねえ。この問題みてて、私もちろん答えはわかんなかったけど、脳裏によぎったのは、『戦場にかける橋』っていう映画です。これ、結構有名な映画です。古い映画なので、テレビでも、なんども再放送されてるし、私もネットでみました。たしか、このブログに感想も書きました。その映画で、つくってるのが、この鉄道が通る橋なんですよね。とりあえず、正解は「泰緬鉄道」なんですね。まあ、映画はみてたけど、この鉄道の名前は覚えていませんでした。だから、意味なし?それでもね。すごく難問そうにみえるけれど、この手のインテリジェンスな映画とか、好きで、よく見てるような受験生。ただ、塾でしこまれた、受験勉強だけやってるような、受験生じゃなくて、本当に勉強っていうか。学問っていうか、知性っていうか、知識とか、映画とか、本とか、受験勉強じゃない、勉強の好きな学生を大学は、ほしいんじゃないのかなーっと、ちょっと思ってしまいました。受験の範囲を逸脱しない、ストレートで素直でまともな入試問題はたしかに、いいかもしれませんし、最近の塾はそういうまともな入試問題を出して欲しいと、言います。私も、そうなのかっと、思ってました。息子に言わせると、明治大学のもんだいなんか、そうらしいです。でもねえ。そういうまとも名前問題って、結局、真面目に塾に通って、とりあえず、受験勉強を素直にやった、あるいは、塾や予備校にしこまれた、本当の本当は勉強なんか嫌いな、受験生には都合のいい問題でしかないんじゃないかと。塾や予備校には、都合のいい入試問題です。でも、そういうのって、いい点とれて、合格しても、結局いざ大学はいったら、勉強しないで、あそんでばかりいる学生になっちゃうんじゃないのですか。なんで、大学はいったとたん、勉強はしない、授業はさぼる、昼間では寝てる。そんな大学生ってなんなのって、思う。そんなのじゃなくてさ、せっかく大学はいったんなら、大学でしかできない勉強したらいいのに。「戦場にかける橋」みたいな映画見たり、勉強することをたのしんでいますか。学生本来のもつ気質をためす出題。私立大学なんだから、そんなくせのある問題だしたった、いいんじゃないのですかって、私は思ったのです。ちなみに娘は、勉強すきじゃないのに、そんな映画なんてみないのに、そんな出題されても、困る。東女はいやだーっといい出してしまいました。私は、結構いい学校だと、おもうんですけどね。去年いったオープンカレッジでも、世界史のお試し講義では、ホロコーストやってたし。人権とか、そういうことに、こだわってる大学なのかなーっとおもいましたが。女子大は偏差値のわりに、意外と難しくて、意外と受かりにくいそうです。もう10ガツですが、未だに、煮詰まっていかない娘の受験。こまったものだなぁ。
2010年10月11日
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息子は三年生になりました。そして、娘はいま受験生。ブログを書く事にちょっと飽きて、しばらくご無沙汰している間にも、子供たちは成長しています。結局どうしても、関心事は子供のことで、記事を書こうとすると、こどものことになっちゃうなぁと、つくづく。三年生の秋。いよいよ就職活動も始まろうという時期なのだけれど、これだけ時代の変化が激しいと、いったいどうアドバイスしたらいいのか、途方にくれる一方です。かつてはただひたすらに、大手企業をめざしていたけれど、大企業といえども、いつつぶれるともしれないし、この先はたして、どんな会社どんな仕事をめざしていけばいいのか。できれば、なんにも言わずにだまって本人のやりたいように見守っている方がいい。それでも、分かっているとばかり思っていたことを、しらなかったり、わかっていなかったり、そんなことも多い。この先世の中はどうなるのか。途方にくれるばかりです。そして、親である私も夫も、そろそろ老後の生活が、心配な年齢にもなってきました。定年後、僅かな収入でいったいどうやって暮らしていくのか。年金だけで、くらせるものなのかどうか。今までだって、収入と支出はトントンのぎりぎりで、さきのことどころでもなかったし、昔は老後は子供にみてもらえばすんだのに、今は子供たちだって、自分たちの暮らしでせいいっぱい。収入は減る一方だし、いつも体の何処かがこわれていたり、つかれていたり。なんとなーくどうしたものか、考えるのもいやで、どうにもこまっているこのごろ。先日、お勝手口で、足をすべらして、右足をーの膝の内側をうってしまい、膝を折ることができなくて、包帯をまいて、割り箸のような感じで歩いてます。とうぜん、買い物もいけないし、あそびにもいけないし、家にじっとしてるしかないので、ちとつらい。さすがにあきました。まあ、すでに、一ヶ月近くたっているので、そろそろ治ってきました。もう少ししたら、またでかけられるでしょう。季節がだんだん秋らしくなって、時折、外にでると、気持ちのいい風が吹いています。いろんな憂いが、なんとかなる日はくるのかなぁ。はぁ。
2010年10月05日
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オンラインゲームにはまってるのと、もう書きたいことはだいたいかいたなーっていう満足感でめっきりごぶさた。でも、ずーっとかかずにいると、なんとなく、無意識にストレスがたまっていて、それをリアルかどこかで、晴らしてる感じがする。よくない。やっぱりたまに文章書かないと。でも、更新しないので、カウンター伸びないよなあっと思いつつ、もう少しで、40万いくわっと、おもってたら、今日みたら、40万超えてました。祝っ。めでたいね。さぼってるので、すーっかり読まれてないんで、なんともいえませんが。ふはは。
2010年09月17日
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ほうとうをたべて、そのあとは、富士山の周りをぐるっとまわりつつ、朝霧高原へ。朝霧高原にある富士花鳥園に以前から一度行ってみたかったのです。あまり知られていないところではないかとおもうのですが、いざいってみるとなかなかおもしろいところでした。まず入り口がすごい。昔の名主か何かの大きなお屋敷を買い取って改装したようなつくりです。なんかすごいぼろくて大丈夫かなーとおもったけど、中はすごくきれいな温室。ベゴニアだらけ。しかも、でかい。インコのえさを買って中にはいると、慣れた手乗りのインコたちが、肩や手に乗ってきて、餌をたべます。かわいーいけど、慣れない旦那はこわかったそうです。私は餌かわなかったのですが、それでも、一匹、肩にやってきました。餌もってないのごめんねーっといったら、すぐとんでっちっゃた。なつかしかった。そのあと温室の外にでると、エミュー牧場がありまして、柵の中に入って、餌をあげてもいいらしいけど、さすがにこわい。ので、はいりませんでした。でも、入ってると人いたのよねぇ。だって、高さが自分と同じ鳥ってこわいやん。そのあとは、ちょうどバードショーやってました。ふくろうとはやぶさとホークだったかな。ぱーっととんできて、係の人のてにとまります。それから、空中の偽物の獲物をつかまえたりとか、みせてくれました。私以上に旦那のほうがおもしろかったようで。ふくろうしゃん。モフモフしてて、すごくかわいかった。以上でおしまいです。このあとは、富士宮にでて、高速で帰宅。富士宮で富士宮やきそばをたべたかったのだけど、ついたときが3時くらいで、まだおなかいっぱい。さすがに食べる気になれず、焼きそばは次の機会にってことで、もう帰路についてしまいました。来年はどこにいくのかなー。
2010年08月24日
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一夜あけまして、朝です。朝ごはんです。オーベルジュの割に意外とあっさりした朝ごはんでした。あれーーーーーこんなものなの。昨夜たっぷり食べたんだから、少なめなほうがいいでしょってことでしょうか。オーベルジュのレストラン内昨夜は暗くて、よくわかんなかったけど、朝は明るいので撮影できましたね。そんなに広くはないです。この日は夜なかから雨が降り出しまして、観光は室内系の所に行くしかありませんでした。というわけで、美術館を二か所。この辺りはこの手のところだけはいっぱいあるんですよねえ。最初は富士急ハイランドの中にある富士美術館いろんな画家のかいた富士山の絵だけを集めて、展示してありました。川端龍子のやつがよかった。でもって次は、このはな美術館です。ダヤンの原画が展示してあります。建物だけでもすんごくかわいくて。名前はしってるし、ダヤンも知ってたけど、絵本はほぼ見たことなかったのですが、原画で見るダヤンは寸ごくかわいくて、素敵でした。で、おもわず絵本を買いたくなったんだけど、いざ、売店で絵本を見ると、原画のもつ魅力はぜんぜんなくって、結局買うのをやめてしまいました。やっぱり、絵は原画に限ります。色の発色も魅力も迫力もやっぱり、原画だからこそ。で、ダヤングッズをなにか買おうと思って、売店をずーっと見てたんだけど、買って帰ったそれを見るたびにダヤンだわかわいいーーーっと気持ちを盛りたてるのがすごく面倒な気がして、結局なにも買わずに帰ってきました。なんかね。そういうのが、自分の中で変わったなーっと、思うの。もういろんなところに行って、いろんなものをみて、食べて、買って、気がすんじゃってるのね。若いころのようにあそこもここも行きたい、あれもこれもほしいっていうようなそんな気持ちはなくなってきていて、こういうのを老成するっていうのかなっと、ちょっとそう思いました。旅行も手軽なところで、のんびりでいいやーっと、思うようになりました。それでも、この日も美術館二つと鳥獣花園にいったりしてるんだから、どうしてどうして、まだまだかもしれません。そのあとは、空腹にこたえて、ほうとう屋さんへ。雨のせいで意外とすずしくて、なつなんだけど、ほうとうたべたいって、そんな気分になりました。ほうとうも最近は結構知名度があがってきて、山梨に行くと多くのほうとう屋さんをみかけるようになりました。この火いったのは、ほうとう不動」というお店。ほうとう一種類しかないという。ほうとうしか売らないというまさに専門店。しかも、すごくおおきな鉄鍋に野菜とほうとうがたっぷり入って出てきます。バイトかなんかのお兄さんたちが両手にあっつーいほうとう鍋をもって、運んできてくれます。すごく熱いのよー。やけどしたくらい。で、最初は、生煮えかなってくらいのほうとうが食べてる間に煮えてきて、食べ終わる頃にはちょうど良くなってます。おいしかったです。ごちそうさまです。で、このお店、この後車で移動中にも二軒くらい見かけまして。支店がいっぱいあるらしいです。どうも、システム化されてるようで。もしかしていずれ、東京にもチェーン店ができるんじゃないかとそうおもわせるような勢いを感じました。さて、この後は朝霧高原の富士花鳥園にいきます。
2010年08月23日
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今回のお宿は山中湖のそばの「オーベルジュ・フォンテーヌ・ブロー」です。今回の旅はめずらしくほとんどを旦那様がきめました。前々からオーベルジュに泊まりたいということと、忍野八海にもう一度いきたいということで、でも、その後の行程は結局私がきめたんだけどね。というわけで、つきました。別荘地のど真ん中。さすがに、寒いようなすずしさ。そして、敷地の中だけフランスのようです。お部屋は一階にひとつだけあるお部屋。ちっょと僻地な部屋?二階がよかったのに、なんでかなぁ。夕食のレストランの席も、座ってるすぐ横がワインのはいってるガラスの冷蔵庫。なんかどうかんがえても、末席。今回すごく扱い悪かったきがするんだけど、気のせいかなぁ。でも、ごはんたべてて、横が冷蔵庫っていい気持ちしないよねえ。食事が売りのオーベルジュなのに、なんでこんな席作るんだろう。せめて、冷蔵庫と席の間に綺麗な模様のついた衝立とかおいてあれば、席の雰囲気は180度かわるのになぁ。オベルジュなんだから、そういう細かいことにできれば、気を配って欲しいんだけどなぁ。そういえば、客室でも、お茶は、用意してあったんだけど、お茶のためのお水はバストイレ付きの洗面の水道から汲むんだよねぇ。いつも、旅館でもそうなんだけど、トイレのすぐ横のところから飲み水を汲むってすごく気持ち悪いんだけど。そういうこと、考えないのかなぁ。日本の水道水はきれいだけど、これはやっぱり気持ちの問題。せめて、部屋にスカイ道水でいいから、ペットボトルに汲んだものを置いといてほしいなぁ。と、思ったのでした。でも、ここ、お風呂は3室もあって、ほどほどの広さで温泉水を使ってあって、それはよかったです。写真とってないけど。でもって、お夕飯でーす。これが前菜。お魚のムースだったかな。テリーヌだったかな。時間たっちっゃたので、忘れてしまいました。でも、お魚を細かくして、ねってあるって結局、日本人にとつては、結局かまぼこなのよねえ。どうしても、かまぼこの味なんだよねぇ。まあ、いまどき、練り物って外国でも、人気あるらしいですけど。このあとスープがでたんだけど、写真はカット。スープは画像いれるほどでもないので。野菜とパスタのトマト味のスープでした。スズキのポワレうわぁ、ほんとうろおぼえ。でも、ポワレットなに。とにかくおいしかったけどね。果物も入ってる口直しのヨーグルト。ですね。でもって、メインディッシュ。牛フィレ肉とお野菜最後デザート。チェリーのタルトと果物。はぁあ。お腹いっぱい。この日は我が家とおなじ熟年の子育ての終わったご夫婦が多かったです。二カップルで一緒に来ているグループと、あとは、小さい子のいる大グループもいたかな。でも、うちもだけど、熟年いやそこまでいかないけど、長年の夫婦となると、仲が良くても、もうずーっと一緒にいるので、話すことなんてなくて、こういうコース料理って時間かかるから、退屈でねぇ。コース料理ってみんなでおしゃべりしながら、ゆっくりゆっくりたべるものなんだけど、うちみたいに中年の夫婦だけで、コース料理って話すことも尽きてるし、次の料理がでてくるまで時間かかるし、その間パンたべるしかないし、できれじ、もっと早いターンで料理でてきてほしいなぁっと、思ってしまいました。もったいつけてごはんたらたら食べるのって、めんどくさい。日本旅館だと、ほぼ最初からお料理全部並んでるから、さくさくさくっと、たべちゃえるのになぁっと、今回つくづく思ったのでした。ドレスコードも多少気にしなきゃなんないし。と、旦那にやらせておいて、不満たらたらのわがままな奥様なのでした。実のところ、フランス料理食べあきてるせいもあるんですが。でも、おいしかったけど。わはは。
2010年08月18日
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お蕎麦をたべたら、次は忍野八海へ。以前来たときは全部みきれなかったので、全部みたいし、もう一度ゆっくりみてみたいなということで、やってきました。富士山からの湧き水がわいて8つの池というか、沼ができているところでしょうか。水がすごく綺麗で、透明度が高いので、有名なところだったと、おもいます。水深10mもあるのだとか。中では鯉だか、マスだか、鮎だかが、泳いでます。なんだったっけ。本当に透明度がたかくて、10mもあるのに、池の底までみえる。10mもあるようにみえない。すごくきれい。ただ、光の反射もあって、それを写真に撮るのが、すごくむずかしい。どうしても、水面の光が白く写ってしまって、中がみえなくなってしまう。はじめて、露出調整とかもしてみましたが、娘が一緒ならもっといろいろやってくれて、うまくとれたと、おもうのですが、私には所詮ここまでが、限度です。それでも、こんなにきれいなのです。でもねえ、ここ。これほどの美しい沼なのに、沼のすぐ横に観光用の売店が沼のぎりぎりまで、たててあるのですよ。一番のメインの沼なんかは、お土産物屋さんの店内を通らないと、いけないようになってるんですよね。まだ、いろいろな規制の出来る前に、つくられた、観光名所なんでしょうね。いまだったら、こんな作り方はありえないのですが、本当に信じられない感じなんだけど。沼の周りもコンクリでかためてあるのですよ。これをつくるために、沼や、沼の水が汚れることがなかったのでしょうかねぇ。もう、いまさらなので、なんのかんのといっても、しかたないんだけど、幾度にすごいと、感心してしまいます。このあとは、いよいよオーベルジュにいきまーす。。
2010年08月17日
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アウトレットパークのあとは以前からずっといきたかったおそばやさんへ。以前テレビでみて、ネットで場所を確認しつつ、いつか行こうとおもっていた、知るひとぞしる手打ちそばのおみせです。ずーっと田んぼの続く中にぽつんと一軒だけのお店で、知らないと絶対おそば屋さんなんてきづかない。そんなところです。いざついてみると、きているお客さんたちも、結構ハイソなわざわざ遠くまで手打ちそばを食べに来る特別に雰囲気のお客さんが多くて。ここは、東京の麻布か広尾ですかって、雰囲気がなんとなーくしたのですが。とまってる車も外車が多いの。みんなおいしいお蕎麦が大好きなんですね。でもって、富士山麓は水がいいからなのか、このあたり、ほんとにおそば屋さんが多いです。お店自体は古い民家を買って、改造したのかなと、いう雰囲気。でも、中はいろいろと手直ししてあって、綺麗になってます。台所があって、縁側があって、奥の間と床の間とって。田舎のおうちに行って、ご馳走して頂いてるような感じです。そして、でてきた天ざる。天ぷらのひとつひとつがすごく上手に揚げてあるのですね。私も今度、このくらい小さめに野菜を切って、このくらい丁寧に揚げて天ぷらをつくってみようかなーっと、そう、思ったのでした。そして、当然手打ちのお蕎麦がとーってもおいしかったです。このあとは、忍野八海にいきます。。
2010年08月16日
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今年はむすめが受験生ということもあって一泊で、近いところに気楽な旅行ということとなりました。子供たちはふたりとも自宅で留守番。そして、一度はいってみたいねとおもっていたオーベルジュに泊まりました。目的地は富士山のふもと、山中湖の湖畔です。とりあえず東名高速で御殿場まで。かなり時間があったので、御殿場のアウトレットパークなよることにしました。高速を出てすぐのところのパーキングにとめて、送迎バスで、パークまで。はじめてですー。でも、高いからみるだけ。ほとんどのものは高くて買えません。おおーーーというわけで、まずは、カフェでお茶。すんごいおいしそうなサンドイッチがあったんだけど、このあと、おそば屋さんにいく予定があったので、お茶だけでがまんしました。でも、ここのコーヒーものすごくおいしかったと、のちのちまで、旦那はいってました。わたしは、アイスティーをのみましたが、たしかに、すごくうまくいれてありました。紅茶ってコーヒー以上にむずかしくて、というか、日本ではまだ紅茶のちゃんとした入れ方が普及していないので、体外はだしすぎで渋いか、だてなくて、うすいかどっちかなんだけど、ここの紅茶はしぶくなくでもねしっかり紅茶の味がでていて、アイスティーなのに、しっかりおいしかったです。で、旦那がオチャしてる間にいろいろとひとりでみてみました。中はかなり広くて、一日でもみていられそうなんだけど、まあ、たまたまよっただけなので、ささーとみただけでしたが。それでも、一応、エドウィンのチェック柄のシャツを2枚買いました。そしても早々に退却。次は御殿場の知る人ぞ知るないしょのお蕎麦やさんにいきまーす。。
2010年08月15日
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アリアドネーという名前がヒロインにつけられていることですでに、物語の見事な伏線がひかれていたのだと、映画を見終わったときにやっと、きづいた。アリアドネーは、ミノタウロスをたおすために迷宮にはいっていくテセウスに、無事に迷宮から戻れるようにと糸巻きをもたせた、クレタの王女の名前だ。物語のヒロインにこの名前がついていたということは、主人公のコブが無事に多重構造の夢の迷宮から出てくるであろうことを暗示していたのだ。あまりに眠くてなんどもうとうとしながらみていたので、物語のだいたいのすじしかわからないけれど、それなりにみごたえのある映画でした。だれでも、心の奥にミノタウロスのような、怪獣という心の闇を抱えているのだろうか。企業がらみの重要なキーワードを盗み出すというアクション系の映画の形をとっているけれど、実は人の心の闇、心の深淵を除き、自分の中の闇と対峙し、戦い、解き放たれていく物語だった。主人公コブは、死んだはずの妻との現実と夢の境界をさまよいながら、自分の中の現実をみつめていく。そしてまた、ビジネスの対象であるはずのロバートもまた、夢の中で、父親との確執から開放される。お前が私の真似をするのがいやだったのだっと、父親は言う。ロバートのゆめのなかなのに、どうして父親の本心が語られるのだろう。それは、本当は、伝わっているはずのメッセージをうけとっているはずなのに、気づかないふりを、無意識にしていたからなのではないのだろうか。ひとはおうおうにして、本当はとっくにわかっていながら、気づいていないふりをする。けれど、ロバートは、聞いていたのに、気づいていないふりをして、ずっときづついていた、心と、父親から受け取っていたはずの、メッセージを夢のなかで明確にする。「私の真似ではなく、自分の本心で生きろっ。」と。そして、主人公コブもまた、妻モルという潜在意識のモンスターから開放される。深い深い何層にもかさなる夢の迷宮から、ヒロインアリアドネーは、二人の男たちを救い出すための、糸巻きをもって、物語を完成させてくれたのだと、思う。それにしても、アリアドネーって綺麗な名前ですね。大好き。ディカプリオってそんなに名優だとも、思えないんだけど、なぜか彼のでてる映画はだいたいおもしろいんですよね。不思議だなぁ。なんでだろ。作品のよしあしを見極める眼力があるんですかね。それにしても、潜在意識を知らない間に植え付けられちゃうって、こわいなぁ。そういうことって、ほんとのところ、どこまでできるものなんでしょうねえ。でもって、植え付けられたものが実はうそって、気づくにはどうしたらいいのかなぁ。じつは、こんなおおがりなことじゃなくたって、今現在のわたしたちだって、普通の普段の生活の中で、結構いろんな価値観や、考え方を植え付けられているんだよねぇ。自分の考えだと、思っていることが実は、マスコミやテレビや、本や雑誌や、そんな色々なものからの受け売りだったり、それらからの洗脳だったりすることって、結構あるんだよね。自分が当たり前に思ってることの一つ一つをほんとにほんとかって、たまにはよーく考えなおしてみる必要もあるんじゃないですかって、ほんとに思います。 インセプション@ぴあ映画生活
2010年08月12日
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人がみえないもの、みないもの、を見ることのできる感性。けれど、それはかならず、心に痛みをともなっている。それでもその痛みにたえてでも、やはり、その感性をもっていたいと、思う。私はまあどちらかと言えば暗い方の人間なので、ずっとずっと明るくて、人付き合いが上手でタフな人たちが、うらやましかったし、そうなりたいと、思っていた。けれど、ずっとみていると、そういう人たちは、ふしぎなことに明る分、どこか鈍くて、私に当たり前に見えるもの、見抜けるものきづけるもが、まったく見えていなかったり、きづかなかったりするらしい。アリエッティの評判は、あまりよくないと聞き、すでに見た人の感想ではそんなによくなかったと、いわれ、そうなのか、と、そうおもいつつも、やはりみたくて、劇場に足を運んだ。けれど、前評判とは裏腹に、十分よい作品だったと、思う。なぜ、この作品がつまらなかったのだろう。感想を聞かせてもらった相手は、明るくて可愛くて、わたしなんかとちがって、すこぶる素直で性格もいい人だ。それにもかかわらず、物の見方はこんなにちがうのだろうか。彼女が見落としたものをわたしは、見落とさなかったと、言えるのだろうか。明るいということが羨ましくはあっても、それとは別に私自身が持っている感性によって、他の人達が見落としてしまう人生の中のたくさんの感動を味わうことができるのであれば、もう明るくなくても、別にいいんじゃないかと、最近ふっとそう、思うようになった。明るいとか暗いとかもうそんなことはどうでもよくて、私は私なりにいきていけばいいんだと、そう思うようになったかもしれない。「君は僕の心臓の一部だ。」これは物語のラストで、しょうがアリエッティとの最後のわかれのシーンでいう最後の言葉だけれど、心臓は、ハートであり、心であり、最後の最後の別れでアリエッティと会うために走って駆けつけたしょうの胸の痛みは持病の心臓のいたみだったのか、それとも、心の痛みだったのか。普通の人ならまず見ることのできない小人という、異種の存在を視覚できる感性は、しょうに心の痛みをともなわせつつ、それでも、なお、アリエッティという存在は、彼にとって、それでも、出会えて良かったと思う、そういう存在なんだろうと思う。久しぶりのジブリ作品でした。あいかわらず、美しい背景の作画ですが、ちょっと書き込みすぎで、濃すぎで、遠景もかかわらず、てまえとおなじくらい、線が太くて、色が濃かったりするのは、ちょっとどうかなぁっと、思ったのでした。それと、物語上重要な存在であるカラスの描き方が、アクションものっぽくて、ちょっとジブリらしくなくて、物語のファンタジー性を壊している気がしないでもなかったのでした。そこだけ異様な異質な感じなんだもの。病がちでひよわなはずのしょうがアリエッティからみると、たくましい巨人なわけで、そのあたりの微妙描き分けがなんともむずかしいですよねぇ。小人の暮らしの中の生活用品の一つ一つが実に微細で、これを小人のお父さんは、人間世界にあるものをみながら、ひとつひとつ、自作していったのでしょうか。それはそれですごいなぁっと、思うんだけど、それにもかかわらず、あのすばらしいドールハウスの中のものは、絶対もちかえらなかったわけですよねえ。ドールハウスの中の特に台所のものなんか、もってかえれば、きっと小人のお母さんは喜ぶはずたと、彼は知っていたはずだと、思うんだけど、ひとつくらい借りても、わかんないんじゃないのとか、思うんだけど、彼は、あれらのものには、ぜったい手を出さなかったのですよねえ。そういう深さっていうのが、素敵。アリエッティもかわいいけど、あのお父さんなかなかナイスガイだなぁ。かっこよかったぁ。 ジス・イズ・アニメーション 借りぐらしのアリエッティ価格:950円(税込、送料別) ・借りぐらしのアリエッティ@ぴあ映画生活
2010年07月28日
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めっきりごぶさたである。なんかねえもう、書きたいことは大体書いちゃったかなぁっていうのと、最近はオンラインゲームにどっぷり使っていて、ほとんどそっちに時間つかってるなぁって、そんなこんなで、ブログもごぶさた。もうかかなくてもいいかなぁとかって、思ってたんだけど、ずーっと書かないでいると、やっぱりこう自分の中にたまってくるものがあって、どこかでなんとなく、イライラ。やっぱり、文章書いて自己発散って必要かもしれない。選挙でしたね。私は、民主党にいれたんだけど、やっぱ負けちっゃた。死票ってやつですかねぇ。でも、もう少し民主党に頑張ってみて欲しい。それにしてもわたし、ずーっと前からなんだだか理由はわかんないんだけど小沢さんがきらいだった。それなりの人物に見えるのになぜか今ひとつのところでトップになれない。不思議な人ですねえ。そういうことが本人も自分の中で納得いかなくて、自分の考えてること、思ってることがうまく表に出せないっていうか、自己実現できないっていうか、そういうイライラを本人もかんじているのでしょうねぇ。なにかがどこかで、はてしなく下手なんだろうなぁ。でもって、この獅子身中の虫のせいで、民主党はどうにも泥沼らしいですね。でも集団てものはかならず、こういう穴を抱えてしまうものだと思うし、そういうほつれを以下にうまく繕えるかが、勝負のきめてなわけで。小沢問題をうまく解決できるかどうかが、この先の民主党の命運を分けるのでしょうねえ。いままで、小沢さんにたよりすぎ?良い人材そろってるんだから、そろそろ親離れして自分の意志と頭で行動してほしいと、思いますですね。
2010年07月14日
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なかなかすごい映画でした。結局男なんて女を欲望の対象としか思ってないのよねえっと、まあ、そういう感想で終わらせてもいいっちゃいいんだけどね。 男性の欲望を満たすための玩具としての空気人形。その人形がある日、心を持ってしまう。主である男のいない間に人形は外に飛び出し、いろんなことを経験し見聞きし、ひととかかわりっていく。はじめは女もできないしょうがない男だから、人形を相手に暮らしている寂しい男なんだと思っていた。けれど、話を見ていくうちにどうやら結婚して子供もいながら、妻や子供や家族と関わることの煩わしさがいやでわかれてしまって、そして、ひとりで暮らしいているらしい。心も意志もなく、自分の好き勝手にできる人形のほうがいいらしい。そして、主人公(人形だけどね)が知りあう優しい男性順一もまた、人形の体の中を自分の息で満たそうとする。それは、彼女自身は望まないことかもしれないのに。優しそうな彼もまた、やっぱり彼女を支配しようとする。人は人を支配するのが好きなのか。自分のいいなりになる相手が欲しいだけなのだろうか。男が女を支配する。そのまた逆に夫を支配する妻もまたいるものだし、女の集団というものは、ボスとそれに素直に従う手下のような女性たちによって出来上がっているものだし。そんな集団はボスに逆らった途端に弾かれる。素直に従っている間はとっても楽なんだろうけれどね。人形が心を持ったことにきづいたとたんに男はあたらしい心をもたない人形をまた、買ってきてしまう。「そんなのはいやなんだ。わずらわしいんだよ。」自分の意のままになる相手がほしいだけ。そんな彼もまた、職場では人に支配され、言うがままに動くしかない。他人の意志のままに生きていればそれはとても楽なことだけれど、でも、人間は心と意志をもっているものだし。心を持った主人公の人形は、男のもとを出ていくしかなくなる。順一のもとにやってきたけれど、順一もまた、彼女を支配しようとする。彼に支配されるのと同じように、彼女もまた、彼を支配しようとしたとき、順一もまた人形になってしまうとも言える。順一も自分と同じ空気人形だと、誤解した彼女は、順一の体を傷つけて、空気を抜いて、彼が彼女にしたように、彼の中にも自分の息を入れようとする。でも、順一は人間だから、さされて血を流し、死んでしまう。人を支配することなんて、所詮できない。そして、他人に支配されることをきらい、自分の心と意志とを持ったとき、人は、(人形もね)孤独と向きあわなければならなくなる。「つらいことだけじゃなくて、いいことも、ありましたか。綺麗なものを見ることはできましたか。」彼女を作った人形師が聞く。「ええ、すこしだけ。」孤独の寂しさも、辛さも、それでもなお、生きていくことも。支配されることも、支配する事もなく、心をもって生きていることの中で、美しくて、素敵なものに出会えたのならば、それはそれで、人形にとっても、人にとっても、いきたかいも、生まれたかいも、あったかもしれない。人形役のペ・ドゥナさんの演技がなんとも、絶妙で、人形からだんだん心と意志をもった存在へと変わっていくその変化をとてもこまやかにかわいらしく、演じてくれていて、彼女の演技あってこその映画だなあと、思いました。かわいかったです。そして、こんなにかわいいのに、こんな壮絶な役どころを無理なく演じていて、感服しちゃいました。・空気人形@ぴあ映画生活
2010年05月27日
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大賞をとるほどの作品が、なぜ日本公開されなかったのだろう。そして、上映館もとても限られていて、観客もすこぶるすくなかった。戦地での爆弾処理班の活動と主人公の心の変遷を追いかけていく、ハードで、地味で、でも嘘くさい派手さのない映画は、それなりに面白かったと、思う。戦場で、生き残るのと、普通の日常の社会の中で生き抜いていくのと、いったい、どっちが大変なんだろうかと、ふと、考えてしまった。普通であれば、戦場の方が過酷であろうと、誰もが思う。実際私も、戦場なんて、行きたくないし。でも、けれど、実際のところ、平和であるはずの普通の社会の中であっても、生き延びて、生き続けていかなければならないのは、それはそれで、それなりに、結構過酷でしんどいことだ。と、思う。実際そのハードさに、自殺する人々も何人もいるじゃないか。ラスト近くになって、主人公は、爆弾処理班として、イラクの地での過酷な任務を終えたあと、平和な本国に戻ってくる。休日のスーパーでの買い物。何気ない平和でのどかな日常。けれど、その巨大スーパーの中で、フロアの端から端まで並ぶ、シリアルを見たとき、主人公はどれを選んでいいのか戸惑う。物の溢れる巨大スーパーの中で、欲しいものも見つけられない。大きなカートのなかには、一つか二つしか入っていない。すべてが平和で自分の意志で選びとって生きていける、いや、生きていかなければならない、平和な生活は、あるいは、戦場以上に過酷なんだろうか。戦地にいれば、すべての食料も、住まいも、衣服も、仕事も、すべて、軍から与えられる。そこに、選択肢も、迷いも、戸惑いも、ない。ただ、死への不安だけがあるだけ。任務を終えて、本国に戻った主人公は、ラスト、結局また、戦地にと戻ってしまう。常に死と隣り合わせで、生き残ることに必死のハズの戦場が、主人公にとっては、平和な本国よりずっと、生きていくのが楽なところだったのだろうか。平和で豊かな今の現代社会。それでいながら、その選択肢の多さと、本当はとても、過酷で、仕事につけなければ、いつ路頭に迷い、住まいも金も食べ物もなくなって、生き続けることができなくなってしまうかもしれない過酷さは、普段はなかなか見えなくて、気づかないけれど、とてもとても、きつくて、 きびしいところだったりする。タイトルのハートロッカーは、ココロが壊れた人ってことらしい。せっかく平和な本国にもどってきたのに、戦場のスリリングさが忘れられなくて、結局また、戦地に戻ってしまう人たちがいるらしい。平和な社会に暮らす私たちからみれば、スリリングで人殺しの当たり前な戦場の方がいいなんて、壊れてると、思うけれど。では、彼らの心の中には、何があるんだろう。ちょっと前に話題になった映画「父親たちの星条旗」でも、メインキャラクター3人のうちのひとりは、本国での暮らしの辛さにもう一度戦地もどってしまった。そんな部分があった。かれは、戦地の快楽をもとめたのではなく、苦境の中で仲間同士助け合っていく温かさの方が、平和でありながら、他人を見下し厳しくせめぎあっていきていかなければならない、本国の暮らしよりずっとずっと生きやすかったのだろう。戦地から本国に戻って、また、戦地にと戻ってしまう兵士たちの、心のなかには、何があるんだろう。彼らの心を破壊したのは、戦場の快楽なのか、それとも、平和でありながら実はとても過酷な人々のどよめく本国の普通の暮らしの中なのだろうか。。
2010年05月14日
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あたらしく、パソコンをかいました。オンラインゲームをしてるのもあって、やっぱりハイスペックの奴がほしい。今のパソコンはもう、ディスクの中がいっぱいのぎりぎりで、いつも、ディカバリしたり、軽くする努力はしてるけど、限界がある。いつもよく使う、Cのディスクのほうが、スペックが少ないというのも、理由のひとつ。Dの方は、まだまだ、空きたっぷりなんですけどねえ。 しりあいに、テラの奴を買った人もいるけど、まあそこまでいかなくても、とりあえず、せめて、5Gで、500がほしいということで買ってきました。売り場には、あたりまえのように、すでに、1000が並んでもいました。セパレートを買いたいなっとも思うけど、やっぱり、それ専用の場所に置くとなると、コタツで、パソコンてわけにいかなくなるのが、いやで、やっぱり、小心者らしく、ノート買ってしまいました。 さて、ここでつくづく、今のパソコンといい、テレビといい、企画がね、いままでとかわってて、やたら横に長い。とっても、不便。大画面のはずなのに、実質は、画面は、小さくなってる。家に帰って、いつものゲームはじめたら、いままでの、パソコンより、ゲーム画面が、小さい。「横長のせいっ」と、娘にびしっと、指摘されてしまいました。お店じゃそこまで、気がつかなかった。おかげで、チャット欄とかの字がやたら、ちいさくて、老眼の身には、とっても、つらい。おもわず、お店にもどって、大画面のセパレートとか、買いなおしたくなってきました。 映画のサイズにあわせてるみたいな気がするんだけど、それってどうよって、つくづく思う。テレビもパソコンもいままでの、既存のサイズのほうがいい。なんで、映画のサイズにそろえなきゃなんないのかなぁ。 使いにくいったら、ありゃしない。勘弁してほしいですね。 電気屋さんたちは、画像の見よさとか、性能とかを売りに、映画とかを見るために高いやつ買ってもらおうとか、考えてるかもしれないけど、今の世代すでに、テレビなんて、ろくすっぽ見ない上に、下手するとこのさき、映画もみなくなってくかも。 だって、パソコンで、あそぶのに、忙しいんだもの。 テレビとか、映画より、ネットで、ゲームとか、そんなご時勢に、こんな横長画面って、ほんとに、迷惑。 実際、ネットみていて、一番うざいのってさあ、やたらと、下に、スクロールしないとならない、ブログや、サイト、じゃない。なのに、ますます画面が、横長になったら、ますまスクロールの手間が増えるばかり。 わたしとしては、既存のサイズを死守してほしいなぁっと、思ったのに。 せっかく、スペックの増えたパソコン買ったのに、古い方のハパソコンのほうがいいなっとか、思ってしまいました。今も、古い方のパソコンで、記事書いてます。 ちなみに、あたらしいパソコンを買ったのは、別に、ゲームのためじゃなくて、家族4人で、1台のパソコンは、さすがに、ムリだなっと、感じてきたからです。この先、息子が、大学のゼミのレポート書いたり、、就活のエントリーしたりするのに、やたら使うようになるとなると、その間、彼にパソコンとられるのは、ちっょとかなわないなあっと、思いましたしね。ちなみに、息子には、自分でバイトして、パソコンを買うように再三再四いってきましたが、本人自分で買うほどの要求はなく、結局こっちがおれるしかなくというか、 私がパソコン使ってるとだんなが機嫌悪いからね。自分がみれないわけだから。私、パサコン占有しすぎてるのです。 最近、テレビのコマーシャルでも、二台目のパソコンーーーーって、コマーシャルがやたら、わが家の状況と、シンクロして見えてましたから。 つまり、やっぱり、ゲームのためか。 とにかく。横長画面。やめてほしいです。メーカーさま。
2010年04月27日
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NHKのテレビ番組をみていたら、今日のテーマは「普通」の分析だった。「普通」が流行ってるんだって。でもふつうは、普通だからこそ、普通なのにね。普通を低く評価する高齢世代。普通が高く評価される若い世代。普通が流行っているんだそうです。きびしい時代だからこそ、「普通」であることがむずかしくて、だから、普通はいいこと。なんだって。時代とともに、「普通」が高く評価される時代なんだそうです。でも、普通はふつうだからこそ、普通なの。「普通」を、世間や社会の「評価」で分析したら、それはもう「普通」じゃなくなってくる。そしたら、ふつうはふつうじゃないのに。なんでもかんでも、評価して、点数つけちゃう。まさに日本てそういう国。でも、点数つけて、評価したら、それはもう「ふつう」じゃないの。「ふつう」はほんとは、そんなところとは、ぜんぜん違うところにあるもの。いいものでも、悪いものでもなく、なんの評価も価値もいらないところに、普通はあるの。
2010年04月22日
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塾でバイトてる息子。この春休みもそのきでいたら、なんと、2コマしか入りませんでした。2ヶ月も春休みで、バイトに時間だけって。ぜんぜん生徒さん来ないそうです。塾、がらがら。そういえば、娘の言っていたところも、この2月いっぱいで、集団授業は閉鎖。個別だけとなりました。個別で、ろくでもない大学生講師にならったって、お金すてるようなみのなので、やめまして、大手のところに春季からいかせることにしましたが、はたしてやくにたつのか、とっても微妙です。いま、いろんな有名どころの塾がさらに大手の予備校にどんどん吸収されているらしく、ニュースを聞くたんびに、ぎょぎょっとします。娘のいっていた塾でも、もう家計がくるしいので、進学自体をやめるとい生徒さんもいたそうです。いちまでも、悠長に教育費にお金かけられないほど、世の中、ほんとに不景気なんだなーっと、しみじみ感じます。その不景気のこのご時勢に、2ヶ月まるまるあそんでいたうちの息子もかんがえものですが。不景気すぎて、子ども手当てをだす財源すら、みつからない、日本なんですねえ。
2010年03月24日
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先日、区の講習会に参加した。視覚障害の人のためにパソコンによる音声図書の編集ボランティアをするための技術の習得のためのものだ。わたしにもこれくらいのポランティアならできるかなぁと、とりあえず、参加してみた。講習の後、希望者はそのまま、その講習会を主催したボランティア団体にはいって、本の修正に参加することになる。 しかし、参加してみて、これはちょっとやってらんないなあとも思った。技術自体はたいしたことは、ない。はじめは、てまどっても、たぶん、やっていればそこそこなれて、できるようになると思う。ただ、コレをやるには、お金がかかる。ボランティアなんだけど、あまりにも、持ち出しが多い。ただでさえ、労働力を無償提供するのに、それだけじゃなくて、ボランティアとして、編集をしていくためには、自分のパソコンを使うのはまだしも、編集したデータの保存には、フラッシュメモリーや、外付けHDDなども、自腹で買わなくちゃならないし、本一冊でも、膨大な量のデータをそのつど保存し続けていかなくてはならない。その保存のための自分もちの費用がばかにならない。まして、自分の持っているパソコンといっても、コレだけの仕事をしつづけていけば、やっぱり、パソコンも磨耗するわけで、壊れても、当然自腹で、修理。自分のパソコンを使ってきがるにポランティアなんて感じはしない。ただでさえ、家計の厳しい状況で、こんなことやってられない。 しかも、編集したCDは、特定の機械でなければ再生できない上に、その機械は日本では、1社しか作っていない。その機械も高価で気楽に買える代物でもない。ケイタイやIPODのようにいろんな機能があるわけでもない。結局、使う側は自己負担でいくらか払って、図書館からその機械を借りるしかないらしい。そうしないと、音声図書を聞くことはできない。 リスク高すぎる気がする。 もしその、一つしかない会社がつぶれたら、または、その機械の製造を採算がとれないという理由で、やめてしまったら、どうするのだろう。その機械でしか再生できないものを区の予算をかけて、今までの、テープのものを全て、この先CD化していくのは、リスクがあるきがするのだけど、どうするのだろう。しかも、その作業は、細かい経費は、自腹をきってやっているボランティア団体まかせというのは、どうもよくわからない。 これまでのテープなら、多少の不便はあっても、そこらの電気屋で売っている安いテープレコーダーなどの再生機で十分使えたのに、限定された機械でしか使えないCDにすべて入れ替えてしまうなんて、本当にそんなことしていいのか、すこぶる疑問だった。講習の場で、意見したほうがよかったのだろうか。 世界的には、認められているものらしいけれど、これほど技術革新の激しい時代に、この狭い中でしか使えないものにしてしまっていいのだろうか。 さらに、ボランティアに頼むなら、少なくとも、それにかかる経費を区は援助するべきだろう。たとえ、援助したとしても、民間企業に頼むより、はるかに安くて済むはずだ。 今回の件にかかわらず、ずっとまえから、ボランティアが、無償とはいえ、そのためには、ボランティアをする側は、どうしても、自分のお金を多少使わなければできないことは、言われていてことだ。 その場所に行くまでの、交通費や、食事や、テキスト、必要なものの購入などなど。いままでは、お金持ちの有閑マダムなどが、やっていたので、たとえ、持ち出しになってしまっても、気にならなかったのかも知れない。 でも、これから、ごくごく普通の収入のごくごく普通の人たちがたくさん、ボランティアに参加していく時代になっていくのだとしたら、行政は、そのためにかかる経費くらいは、援助するなり、補助するなり、予算に組むなり、それなりの対応をしていくべものなんじゃないのかと、思う。それでも、ボランティアであれば、労働だけは、無償で供与されのだし、そういうこと、もっと、なんとかしてほしいなぁっと、つくづく思ったのでした。
2010年03月16日
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最近父性の物語を読むことあるいは、見ることが多い気がする。母性愛は有名で、そしてまた、そんなのは、幻想だという、反対論もあるけれど、父性が話題にされることは少ない。先日までみていた、『LOST』は、はじめロビンソンクルーソーの集団版の話かと思っていたら、物語の進んでいくうちにだんだんSFっぽい、ミステリアスな物語になってきた。でも、その物語の中で、たくさんいる登場人物たちの誰もがほぼ、父親とうまくいかずに悩んでいる。そういうエピソードが、毎回一人づつ、語られていく。物語の舞台となる島の中で、どうしても、子どもがうまれないのは、メインキャラクターの一人であるベンが、彼の出生にからんで、妻を失った父親にせめつづけられる彼の恨みがからんでいるよう思えるのだけれど、どうなのだろう。そういう父親というものが、子どもにあたえる影響のこわさとか。そして、ついこないだ読み終わった『プルートゥ』もまた、父性が絡んでいるように思えたのだ。かの巨匠手塚治虫の代表的な作品である『鉄腕アトム』を今話題の浦沢直樹が自分なりにアレンジして、書き上げたものだ。そのもともとのアトムのアニメも、原作も私は見たことも読んだこともないので、どこがどう同じで、どこがどう違うのか、わからない。それでも、アニメ化されていく中で、アトムというキャラクターが一人歩きをはじめて、どんどん美化されていき、作者である手塚虫がもともと考えたものとは、まったくちがうものになってしまったことに、手塚治虫がずっと、不満を持ち続けていたこともまた、割と有名な話だと、思う。作者にとっての作品もまた、自分の子どものようなもので、手塚が理想とするアトムにならなかったことが、彼には、とても苦々しいものだったみたいだ。物語の中でも、アトムを作った天馬博士は、アトムに対して、自分の望むものとはどこかちがうアトムに対して、イラついている。母親は、子育ての段階で、いかに子どもが自分の思うとおりにならないものか、つくづく味合わされて、とりあえず、そこそこに育ってくれればそれでいい、位に思っているものだけれど、父親というのは、息子に対して、要求がきびしいというか、もしかすると、理想の自分をみているのかなと、思う。父親は、娘にたいしては、ただ、かわいいだけなんじゃないかと思うんだけれど、息子に対しての、父の意識ってなんなんだろうと、いつも思う。で、名画なんかでもよく見かける放蕩息子の帰還とか、父息子のいざこざとか、反発とか、断絶とか、島崎藤村の「和解」という小説も、不仲になった父と息子が、最後に和解して、仲直りする物語だし。アニメの『鉄腕アトム』で、見ているときには、ロボットと人間がほぼ同じ立ち居地で、それぞれに人権がみとめられ、友達として、人間とロボットがなかよくしている状況は、ほほえましくて楽しく見えた。でも、『プルートゥ』で、えがかれたロボットと共存する社会はこんなに恐ろしくて怖い社会だったのかと、びっくりした。ロボットが子どもをもったり、家族をもったり、食事をしたり、どこまでいっても、所詮真似事で、人間と同じ暮らしをするイコール同等とは、思えないんだけな。そして、人間のための社会がいつのまにか、ロボットの社会にすりかわっていくのも怖い。そういうロボットたちをつくっている博士たちが、自分の作ったロボットをわが子のようにみている時、愛情なのか、不満なのか、理想どおりならないロボットたちにやっぱりイラついている。そういう物語だったりして、そこに、平和とか、戦争はよくないとか、憎しみやそんないろんなマイナスの感情を語っていたりする物語だったりする。父親は息子に対して、完璧な自分を求めているように見える。そこが母性と違うと思う。じっさいのところ、父親がわが子にたいしてもつ愛情とかって、どんなものなんだろうか。私は女だから、どう考えても、周りの男性たちをみていても、やっぱり、よく分からない。そして、そんな父性を問い直している物語のような気がする。ちなみに、このての物語で、戦争をする人類はおろかでとか、かたられるけれど、人類じゃなくて、戦争するのは、あくまで男性ですから。女性は戦争なんて、そもそも、やらないですから。「戦争をする男性はおろかである」と、書き直して欲しいよね。
2010年02月10日
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ここのところつづくイギリスの歴史シリーズ。どれも楽しくておもしろくて、今回のヴィクトリア女王も、期待してみにいったのですが、今回のものは、いまひとつでした。ヴィクトリアとアルバートがいかに仲のよい夫婦だったかは、有名だけど、実のところどんなだったのかと、楽しみにしてました。 でもね。映画みているとね、どの人がアルバートなのか、わかんなくてさぁ。もう一人いるヴィクトリアの側近と見分けがつかなくて。しかも、アルバートが全然魅力的にみえなくて、いつヴィクリアがアルバートに惚れたのか、アルバートのどんなところに惹かれたのか、ぜんぜんわかんないのです。みていても、アルバートがぜんぜんステキにみえない。頭のいい人物らしいんだけど、セリフで行ってるだけで、見ている読者には、ぜんぜんピンとこない。アルバートの聡明さがわかるようなエピソードとかもないのですよね。唯一アルバートが活躍するのは、ヴィクリアが銃で撃たれそうになった時に身をていして彼女を守った時だけです。 ヴィクリアの話でも、主役はヴィクトリアだけれど、それ以上にアルバートがステキにみえて、そのアルバートに惚れていく、ヴィクトリアの恋心とか、共感してはらはらどきどきしながら、みたかったのですが、そんな感じがぜんぜんないのです。 しかもしかも、だいじな結婚式のシーンなんか、あっというまに、おわっちっゃて、あれ?って、かんじ。そんなーーーー。 最初にでてくる戴冠式のシーンは、なかなか荘厳で感動したのに、なんで大英帝国のクイーンの結婚式があっというまに、終っちゃうのですか。 物語全体が冗長で、結構退屈。途中で飽きてきてしまいました。劇場も混んでいて、窮屈だったし、劇場の中に高低差もなくて、みずらいし。今回はがっかりでした。 さて、次の大英帝国ヒストリーシリーズは、どの部分をやるのかな。次回に期待。
2010年01月29日
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去年のことだけど、ずーっと膝が痛いといっていた母が、とうとう決心して、膝の手術をしました。人工間接をいれる手術です。でもなにしろ、足を切り開いて、骨を入れ替える。それを両足、つまり、二回やるわけですからね。母は、もう高齢で80近い都年だったのです。80をすぎたら、もう手術はやらないものだそうですが、ぎりぎりの年齢、自由にうごけないことの辛さに決心したのです。手術は、ものすごく痛くて、辛かったようです。しかも、手術のあと、まだ痛いのに、すぐにリハビリが始まる。まだ痛い足で、歩く練習をするわけで。それでなくても、膝だけじゃなくて、高齢と肥満のせいで、いろんなところが、もう、使いにくくなっているのに。 しかも、手術のあと、病院でうっかり転んでしまって、腰をうってしまったそうです。病院内なのに、病院はそのことに対しては、あまり対処してくれなかったそうです。家族がかけあって、なんとか診察してもらっても、様子を見ましょうということだけだ、特になにもなく。そのあと、退院後の診察で、腰も、手術しますかといわれたらしいです。 あれだけ、痛い思いをしたのに、結局、母は、さくさく、歩けるようにはなっていません。逆に、障害者の申請をして、タクシー券をもらって、あまりであるけず、家にいることが多くなりました。 高いお金を払って、すごくつらい痛い思いもして、結局、母の望んだ痛みのないさくさくと軽快に動ける生活は、返って来ませんでした。なんだか、釈然としない気持ちてです。病院には母と同じような、高齢の足の痛い女性たちがたくさん入院して、手術していました。あの人たちのどれくらいが、動けるようになったのか。 結局うごけるようにならないのに、病院はどうして、手術を勧めるのでしょう。自分の治した患者さんたちの結局動けるようになっていないその後をみているはずなのに、医師は、なぜ次から次へと、やってくる患者たちに、どんどん手術を勧めるのでしょう。 トシをとってくれば、体のあちこちはいろいろと老朽化して壊れてくるのだから、一部を直しても、また別のどこかが、壊れてくるのだし。もともと人間のからだなんて、50年くらいしか使えないものだとか。耐久消費は、もともと50年なのに、文明の進化で、それより30年も長生きするようになって、いろんな痛みや不便と戦いながら、生きていくのもたいへんだと、思うこのごろ。です。 ちなみに、うちの夫も、去年から膝がいたいらしく、接骨院通いです。夫の場合は、特に故障はないらしく、整形外科にいっても、ぜんぜん直らない。でも、痛い。というわけで、今は、接骨院が良い。西洋医学では、直らないので、東洋医学に頼っているところ。 私も、五十肩で、いま、接骨院通い。 トシとると、話題が暗くなってまいります。わはは。ごめんごめん。
2010年01月25日
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年が明けてすぐにお葬式がありました。姑の兄嫁に当たる人。なくなったのは、年末でしたが、やはりお葬式はね。年があけるまで、保留。 夫の代りに出るようにいわれて、いってきました。 なんかね。最近の都市部は、もう昔のように家で葬式のできる状況ではないので、お葬式専門の業者の斎場で、全てやるようになってきました。お葬式の段取りもみんな、お料理もみんな業者さんが用意してくれます。ラクではあるけれど、なんか、味気ないような気がしてしまいました。通夜の翌日に告別式、火葬場に行く時も業者の人がついてきて、アレもコレも面倒見てくれます。そのあとまた、斎場に戻って、地下の会食室で、初七日もやってしまいます。この二日間でお経を聞くこと三回。ちょっとげんなりしてきます。なんかね。ほんとにすごく形骸化してきてますね。毎度のことながら。業者の係りの人がまるで、ツアーコンダクターのようにみえました。旅行業者とほぼ同じ。とっても、きれいなお姉さんがきびきびと働いていて、その姿は美しかったのですけど。家に帰ってみて、なんだか味気なかった気がしました。私自身が年のせいでもう何度かのお葬式にでてきたせいで、なれちゃったのでしょうか。それでも、父の時は、家で納棺もしたし、一晩お線香をつけてみていたり、もう少しなんかこうあったのですが。 今回のお葬式は、女性のだから、来る人も少なかったし、なんか味気なかったし、さびしかった。 お葬式ってお金かかるし、自分の時もこんなお金のかかることやるのはいやだなっと、いつも思い出します。白洲次郎のように、「戒名不用」なんていえるほどの勇気もないし。でも、二日間で三回もお経ってもうさすがにいやだと、思った。年をとると、お葬式でる階数もふえるし、いやにならないのかな。 私の時は、休日に一回だけ、みんなでお食事して、お線香上げておしまいとか、簡単にならないものかなとか、つくづく考えてしまいました。まあ、自分の死んだ後まで心配してもはじまらないけどねえ。
2010年01月13日
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今年はとうとう、うちの長男も成人です。区役所から成人式の案内もきたけれど、出席はしない予定。なんだかね。いっても、区長の話をきいて、どっかのグループの歌を聴くくらい。私の時はそんなだったので、行くこともないじゃないかなと、思ってしまい、あまり息子に勧めておりません。親がこんななので、本人も行く気なし。しかも、最近の成人式は、へんな中身お子様の新成人による乱闘まがいの状況までニュースになったりしてたし、いく意味が感じられません。 それと、うちは、私立の中高一貫だったのだ、いっても、同級生もいないし。もちろん同じ区内に同じ学校の友達もいるんだけど、みんな地方の大学にいってたりして、こないじゃないかとか、思うらしいです。 そしたら、ちょうど成人式の日に高校の同窓会の案内がきました。なんでこんな日にやるんだろうと、おもったら、やっぱり、私立中にいってると、地もとの成人式に行っても、同級生がいなくてさみしい思いをすることへの配慮なんですね。区の成人式より、母校の同窓会のほうが成人式っぽい。そういうことで、去年なかった同窓会が、今年はおこなわれるわけですね。それも、同期会ですから。 なるほどなあっと、思いました。でもねえ。ホテルでやるから会費が高いんですよね。出してあげるから、行けばっていったんだけど、結局申し込まなかったみたいです。もっと、強く言っても良かったかな。案外みんな来たんじゃないのかな。 でももう、遅い。 それでも、夫の母と、私の母が成人式のお祝いをくれまして、昨日は、お赤飯を持って、スーツを着て、夫と一緒に夫の実家にご挨拶に行かせました。息子の進学のことでいろいろと助けてもくれたのですし、ずーっと心配してもくれたのですから、ちゃんとお礼しにいかなくちゃだめだよと、言い聞かせもしました。 まあせめて、コレくらいのことはしないと、成人になったという自覚は、意識されないですねえ。これでもまだまだだし。就職して働いて、世間の本当の厳しさをしらないと、だめかもしれないけれど。 とにかくとうとう、うちの息子も成人です。親もとして、やれやれです。成人の仕度してるのも、結局親だしねえ。
2010年01月10日
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かってのローランド・エメリッヒ監督が描き出した『インデペンデぺンス・ディ』においてえがきだされた、侵略される側の心理、恐怖。 今回の『アバター』もまた、侵略される側の立場の視点での、心理、恐怖、戸惑いが描かれている。 かつて、アメリカ大陸には、もともとの先住民族が住んでいた。けれどそこに、ヨーロッパから、利益をもとめて、白人たちがやってくる。もともと住んでいる側の都合もなにも関係なく、侵略者たちは、殺戮し、侵略し、アメリカという大陸を自分たちのものにしてしまった。当時の侵略した側にとっては、もともといるネイティブアメリカンや、マヤ文明の人々は、ただのじゃまな存在であり、敵でしかなかった。 けれど、長い時間のはてに、実はもともと住んでいた、ネイティブ側に対して、配慮できるところまで、認識が進んできたようだ。 アバターの物語にでてくる、もともとの民族ナヴィは、、パンドラの星で自分たちの生活と文化と文明を築いて暮らしていた。そこに突然やってきた機械文明を持った他の星からの侵略者「スカイピープル」は、自分たちの利益のために、パンドラの地を侵略していく。映画の中のパンドラの人々ナヴィの姿は、ネイティブアメリカンか、マヤの人々にそっくりなデザインになっている。 そして、そこに、侵略者スカイピープルが、アバターとよばれる人工の身体に精神をおくりこんだ技術によって、 主人公ジェイクは、アバターの身体で、先住民ナヴィの中に入り込んでいく。パンドラの土地にあるレア鉱石を採集することを目的に、鉱石の上に住んでいる彼らと交渉するために送り込まれたはずの主人公ジェイクは、やがて侵略される側の先住民たちの中に入り込み、侵略される側の立場にたち、彼らを助けるために、エイリアンと戦う側となっていく。 アメリカ大陸を侵略し、占領し、先住民たちを殺戮したヨーロッパの白人が、ネイティブアメリカンになって、もともとの侵略される立場のネイティブアメリカンの側につく物語の状況を、パンドラという星を借りて、描き出している映画なのだと、思う。 侵略される側の気持ちを理解して欲しい。自分たちのいままでの行動や歴史は、いったいなんだったのだろうか。 それが、監督ジェームズキャメロンの語るところだろうと、思う。 それにしても、ドラゴンや空飛ぶ生き物に乗って、空を飛んでみたいという夢は、だれでもが一度は、望んだことではないだろうか。飛竜にのって、空を飛ぶ、先住民ナヴィと、主人公ジェイクのシーンは、一番の面白いところ。 けれど、足を怪我して、歩くことのできなくなったジェイクが、アバターとなって、パンドラの大地を冒険し、ナヴィたちの世界に入り込み、恋をして、いくうちに、もともとのリアルの自分より、アバターの自分の方が意識としてメインになっていくあたりは、オンラインゲームにはまりこんで、リアルがだんだんどうでもよくなっていく状況に良く似ていて、ちっょと怖い。オフラインゲームでは、ここまではまり込むことは決してない。物語としては、面白いけれど、ジェイクが最後にアバターの身体に入り込んで、パンドラの地で生きていくことを選択したラストは、一昔前なら爽快であるけれど、コンピュターグラフィックを駆使したこのての映画で、この結末を見るのは、微妙に是非を戸惑う。 さて、その一方で、地球人と先住民ナヴィとの侵略戦争戦で、ジェイクと戦うマイルズ大佐は、「人類を裏切るのか」と、ジェイクにいう。人類のために戦うという大佐の言葉は、見事に洗脳されたものなのか、戦い侵略を正当化するためのものなのか。けれど、実際のところ、パンドラ侵略は高額で売ることで莫大な利益をえるためにパンドラに鉱石採掘と侵略軍を送り込んだ企業のためでしかない。そんな描写に今のアメリカの戦争の真実が語りこまれてもいる。 単純に冒険者としてみれば面白い映画でもある。現在の映像技術ならではの違和感のなさ。ネットのサイトの予告編などで見ている時には、人形のようにもみえるナヴィやパンドラの動物たちが、映画館でみているとすこぶるリアルで、みごとだ。物語にはまり込んで、美しいパンドラの自然の中で、主人公ジェイクとともに、冒険するのも悪くない。 そしてまた、続編の作り安そうな話しでもある。 もういちど、スカイピープルがやってきたら、次はジェイクはどうするのかな。 アバター@ぴあ映画生活
2010年01月07日
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あけましておめでとうございます昨年中は私のブログを読んでくださってアリガトウございました。更新の滞りがちな最近ですが、今年もよろしくお願いいたします。 2010 元旦
2010年01月01日
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やっぱり、シャトレーゼのケーキでは物足りなくて、しかも、生協でクリーム買ってしまっていたので、結局ケーキ作ってしまいました。オーブンがまだ大丈夫と分かったので。いつもスポンジが硬すぎなのは、もしかして焼きすぎかなと、言うことで今回は20分くらいにしてみました。十分この時間で焼けていました。もっとすくない時間でもいいかもしれません。デコレーションは、娘と二人で。私、性格的に美しい盛り付けができませんのです。完成。この時期、イチゴが高いので、缶詰のフルーツを使いました。安いし、手軽だし、結構おいしかったです。ナマクリームを絞ってみたら、白いバラのようになったので、白バラのケーキ。フルーツは、桃とみかんとパイナップル。上の部分は、桃だけです。これが、カットした側面。まだまだスポンジが硬かったので、来年はもっと時間を少なくしてみたいです。その前に他のケーキ焼くかも。やっぱり自家製は、へんなものが入ってなくて、甘いんだけど、サッパリしていて、口に変な味が残らず、ペタペタした気持ち悪さもなくて、おいしいです。ごちそうさまでした。
2009年12月27日
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毎年クリスマスはローストチキンを焼きます。鳥のまるを買って、塩コショウだけして、オーブンで一時間弱。その間は、のーんびり待ってるだけなので、ものすごく楽な料理です。お店で見ていた時は、なんだか大変な料理のイメージだったけど、いざ自分で作ってみると、こんなにらくちんなご馳走もないのです。びっくりなのですぅ。そのほかは、サラダ作って、小松菜いためるだけ。まあ、これは、料理ブログじゃないので、料理自慢の人たちのようなりっぱなお料理とか、美しい盛り付けとかは、到底私には、無理ですが…。でもって、ケーキ。実は今年は、先日オーブンレンジのレンジ機能が壊れました。もしかして、オーブンもだめか?と思ったけど、オーブンの方はとりあえず、大丈夫でした。買っておいた鶏肉、焼けなかったらどうしようと、ひやひやしましたが、無事においしいローストチキンができました。よっかた。ほっ。それで、ケーキまで作るのはさすがに怖いので、買ってくることに。シャトレーゼで買ったブッシュドノエルです。ひさしぶりにクリスマスケーキかってみたら、高い。高いものだったのですねえ。クリスマスケーキって。それで自分で毎年作ってたんだっけ。自分でつくると安いし。でも、スポンジがむずかしくてねえ。ただ、添加物なしの自家製ケーキは、やっぱりおいしいものです。で、シャトレーゼのケーキは、あんまりおいしくなかったです。まずくはないんだけどねえ。なーんかいまいち。これに、うん千円、払ったのだよねえ。クリスマスは、イチゴも、品薄になるし、高くなるし。来年はどうしようかなあ。とりあえず、画像アップなのでした。とにかく今年のクリスマスはおしまいなのです。チキンは、おいしかった。ご馳走様。
2009年12月25日
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夕べ一睡もできませんでした。頭痛いです。夜中にすごく気持ち悪くなってきて、吐き気と腹痛と悪寒。どうにも寒くて、寝られない。電気行火もいれてみたけど、それでも、寒い。トイレにいって、はこうとしたけど、たいして出るものもなし。 風邪か、インフルエンザか。でも、花ものども痛くないし、間接も痛くないし、熱もない。 で、なぜかというと、ずーっと膝と足の痛いうちのダンナがおとといくらいから通いだした接骨院で、超強力なシップ薬をもらってきて、夜もそれをつけていたのだ。どうも、シップくさいなぁと、思いつつ、自分もシップをはっていたので、もっと軽い奴だけど、その成果と思っていた。でも、トイレにいって戻ってみると、寝室の中はシップ薬の強烈なにおいで満ち満ちていたのでした。 子どもが遅くに寝るのでその音がうるさいために、ドアはしめているのですが、そのせいで換気しておらず。やむを得ず夕べは、ドアをあけましたが、そのあとも、結局ねられず、うとうとした所にあの地震。 しかも、昨日は朝出かけようとして、自宅の庭の階段で転んで、いためている治療中の肩を思いっきりうちまして、ジーンとしびれていて、しばらく直らなかったのでした。おかげで免許更新にもいけず。そして、今日もいけず。 呪われている。きのうやけに注意力がないなあと、思っていたけど、そうか、地震のせいで磁気嵐が吹いていたのですね。 もう、最悪です。はやくよくなりますように。
2009年12月18日
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ニコットタウンのマイルームです。焼き鳥屋さんにしてみました。つきを見ながら、焼き鳥片手にぐいっと一杯。いいねいいね。
2009年12月17日
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免許更新に行きました。最近の更新はほんとに手続きが簡素化してきましたね。以前はたくさんいた、更新の書類書きの事務所も二軒だけになっていました。そりゃそうだ。あんなに簡単になったのだもの。 しかし、しかし。です。 私、視力検査で引っかかってしまいました。どうしても、見えない。ぜんぜん見えない。マールい奴のどこの部分があいているのか。ぜんぜんわからない。じっさい、遠くのものになると、ぶれちゃって、はっきり見えない。やはし、視力落ちたのでしょうか。やばい。 九月にうけた健康診断の視力検査では、去年よりは落ちたけれど、一応、1.0と、1.5だったのですよ。なのに、わずか数ヶ月で、こんなにおちちゃうものなのかな。オンラインゲームのしすぎかなぁ。でもでも、そっちより、DSのほうが目に悪いなあって感じします。 もう、年だし。老眼かなぁ。でもね。近くは普通にみえるのです。日常生活は別にぜんぜん困んないの。ただね。遠くだと、ぴんとがあわなくて、画像がぼやけちゃって、わかんないの。 で、検査所の視力検査の機械もね。除くとね。暗いところのものはみえるのですよ。でも、検査する部分の明るいところ、明るくされちゃうと、ぼやけちゃってぜんぜんわかんないの。これって、どういうことかなぁ。いぜんから、ゲームしずきると、ぴんとがあわなくなることがあって、でも、時間がたてばもどったのだけど、もう、もどらなくなってるのでしょうか。 やばい。 どうしよう。メガネつくるしかないのかな。とりあえずまた、違う日に来てねって言われたのですけど、また駄目だったらどうしよう。免許のためだけにメガネつくるかなぁ。 もともと、運転免許も私自身はぜんぜん取る気なくて、親に言われていやいや、やむを得ず取ったのですよね。で、実際、まったく運転してないのですよね。たぶん、この先も運転はしないだろうなぁ。ただね。免許って、身分証明書としては、一番有効度高いんですよね。運転はどうでもいいけれど、身分証明書としての免許がなくなるのはつらいよねえ。ここで、失効しちゃうと、また取るのはもうムリだろうなあ。 どうしよう。視力検査クリアしないと、更新できません。どうしよう。社会的にもね。免許以外の効力のある身分証明書を国でつくってほしいなあと、いつも、思うわけです。健康保険証は、写真ないし、当てになりにくい気がするし、パスポートを持ち歩くのなんて嫌だし。あれももう失効してるしなぁ。でもこれから年をとると、いずれ、どこかで免許は更新できなくなるでしょうねえ。困ったもんだ。
2009年12月11日
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人生に正解はない。 今年の映画の中でもかなりの話題作。見たいと思いつつ、いままでかかった。 インドのスラムで育った無学のはずの青年ジャマールがクイズミリオネアに出場し、全ての問題を正解し、巨額の賞金を手に入れる。スラムで育った彼はなぜ勝利できのか。 クイズミリオネアは、日本でも、放送されていて、司会はミノモンタですね。日本では、全ての人が義務教育なので、ここまで、「教育のない人」と差別的な言われ方をすることはないし、出場者の学歴や出自を取りざたされることはないのに、この映画では、随分司会者があてこすりつづけるものだと、関心しちゃってましたが。それを誰も、批難しないのも、インドというお国柄なのでしょうか。 ふだんめったにみることのないスム街やインドの暮らしぶりがわかって、興味深かったです。 正解すれば、大金2000万ルピー。でも、一問でも、まちがえれば、せっかく獲得したはずの賞金を失う。クイズの進行と平行して、主人公ジャマールの人生が描かれていく。人生もまた、クイズのようにそのつど、いくつかの選択肢があり、正解を選び取っていかなければならない。だけれど、人生には絶対の正解はないし、どれを選らんでも、それが必ず正解とも限らないし、どれも正解であることもある。 私たちもまた、ジャマールのように、人生の中で、選択肢に迷う。受験校はどこにするか。何の職業を選択するか。自分にあった仕事や、学校や学部はどれか。結婚する相手は誰がいいのか。どれが正解か、クイズのように絶対のものはないし、ずっとあとまでいっても、正解はわからないまま。クイズのように、すぐに正解を教えてはもらえない。 ジャマールにとっての正解はラティカだった。ラティカと出会い、一緒に過ごす。悪徳集団に拉致され、逃げ出した時、ラティカと、はぐれてしまう。もう一度ラティカを探し出し、救い出し、けれどまた、別れる。ラティカとの人生がジャマールにとっての正解だけれど、なかなかラティカを選び出せない。 親を失ったジャマールと兄サリームは、人をだましながら生きていくけれど、やがてジャマールは、きちんと働いて生きていく道を選ぶ。けれど、兄サリームは、割のあわない安い労働より、悪いことをして金もうけをする人生を選んでしまう。 ラスト直前でラティカを逃がすという選択肢を選んだサリームは、仲間に殺されてしまう。では、彼の最後に選んだ選択肢は間違えていたのだろうか。ラティカを逃がさなければ、死ぬことはなかったのか。でもたぶん、この時、ラティカを逃がさなくても、いずれ彼は殺されてしまったのではないかと思う。彼は、もっとずっと人生の手前の段階で、選択肢をまちがってしまったのだと、思う。 クイズを正解し続けていくジャマールを、番組を観るインドの人たちは、応援していく。(日本だとやっかみがひがみのほうが多いんじゃないかと思いますけどね。)がんばれと、彼にいう老婆。全てのクイズに正解したジャマールは、大金の賞金を獲得し、ラティカと再会し、ラティカという彼の人生の正解も、選び取ることができる。 どれが正解なのか。でも、人生の中にいる私たちはなかなかどれが正解なのか、分かりにくい。正解を選び取る秘訣はなんなんだろう。正解をみあやまらないためには、どうすればいいんだろう。 常に自分の本音を忘れないこと。人に助けてもらうこと。周りを味方にできること。目先の欲に惑わされないこと。ずるをしないこと。正しく生きていくこと。映画の中のエピソードを見ていくと、こんなところかな。でも、やっぱり、正解を選ぶ出すのは、むずかしい。はあ。子どもの人生の選択肢にまで悩まなきゃならないなんて、親って大変。本人がささっと選んでくれればいいのになぁ。 ラスト、登場人物全員でのインド映画らしいダンスが楽しかった。 ・スラムドッグ$ミリオネア@ぴあ映画生活
2009年12月05日
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スカイツリー見てきました。押上駅を降りるともう、すぐにわかります。川の端に立ってて、結構見物の人たちがわらわらと、記念写真なんかも撮ってました。現在の高さは215mですって。完成すると、600m以上になるわけだから、これからまだこの三倍は、作らなくちゃならないみたいです。そうなったらもう、カメラのファインダーには、はいらないかも。東京タワーの倍の高さだよねえ。これ、倒れてきたらどうなるのでしょう。でも、ちゃんと倒れないように、構造計算してるあのですよねえ。きっと。建築士とか、設計士は、どなた?上の方、まだまだ作業中みたいです。こわいだろうなぁ。わたしこういう高いところ、柵とかがないと、怖くてだめなのよ。でも、東京タワーと、つくりというか、デザインとか、ぜんぜん違うのよね。完成すると、どんな感じになるのでしょうねえ。近くで毎日写真とって、ブログにあげてる人もいるらしいです。東京の新名所です。完成はまだまだ先です。でも、このあたり、ほかになんなもないよ。
2009年12月03日
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のだめの新刊がでたーっと、買ってみたら、グランドフィナーレだってー。なんと最終巻でした。まだまだ続くとおもっていたのに、なに、この終り方。いきなりなので、なにがなんだか良く分からない。こんど時間のある時、最初から通して読めば納得できるのかも。 最初読んでいた時は、まさかのだめがパリの「コンセルバトワール」までいっちゃうとは、思っても見なかった。 コンクールとか、いろいろでてくるけど、のだめは音楽は好きだけど、世界的に有名な音楽家、ピアニストを目指してたわけじゃなくて、幼稚園の先生になりたかっただけ。子どもたちにピアノを弾いてあげたり、自分の作った歌を歌ってあげたり、一緒に歌ったり、そんな風に素朴に、音楽を純粋に楽しみたかっただけ。音楽もスポーツも、もともとは、楽しむためにあるものだったのに、どうして、だんだん競争の道具になっちゃうんだろうね。特に日本はそうですね。運動部に入っても、大会で優勝するための苦しい練習ばっかり。コートや運動場がたらないから、基礎トレばっかり。テニスなら、テニス自体をやりたいのに。なんかまじめにがんばる方向に行ってしまう。 もっと、純粋に気楽に、ノンキに、音楽を楽しみたい。生きることを楽しみたい。 でも、のだめのおかげで、ふだんクラシック音楽に触れない人も、結構クラシックを聞いたり飼ったりした人が増えた気がする。なんか映画が楽しみ。
2009年12月01日
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昔はファミレスにはいって、いろいろあるメニューがどれもおいしそうで、料理を選びながらどれにしようかどんなおいしい料理がでてくるかとわくわくしたものです。でも今は、メニューをみながら、コレを選んで、もし、でてきたものがまずかったらどうしよう。どれだったらまともな味のものがでてくるのかなとドキドキハラハラしながら、選ぶようになった。そこ以外に御店がない時しか、ファミレスにはいりたくないなーっと、思うようになった。最近のファミレスや、レストランは、本当に店員の質も、料理の質も落ちた。経費削減のためにあきらかに素材の材料費を削っている。なるべく単価の安い素材を使ったレシピが作られている。だから、でてくる料理がどうにもおいしくないことがふえた。不況なんだなと思うけれど、それ以外でも、あまりにも経済効率ばかり優先した商売は、あきらかにまずい。いくらなんでも、お客にばればれだ。 昨日もガストにやむを得ず入った。ほかに御店がなかったからだ。メニューをみながら、どれならましなものがでてくるかはらはらしながらたのんだ。今回は幸いなかなかおいしかった。スカイラークがいっせいに閉店して、その中の人材はみんなガストにうつったのかもしれないなと、思った。だから、ガストの中のコックさんたちに腕のいい人たちが増えたのかも。それでも、料理の素材は単価の安いものを選んである。食器もスカイラークのロゴいり。昔、一時期スカイラークは、高級路線でスカイラークガーデンズを作っていた。たしかにおいしかったけれど、ああいうお店は、やはりたまにしか入らない。だからリピーターも少なかったはず。ふつうのファミレスなら、勤め先のそばにあれば毎日でも、ランチに入れるけれど、高級路線のファミレスだと、たまに一、二度入るのがせいぜい。客単価は高くても、リピーターが少なくて、トータルでは儲からなかったんじゃないのかな。 で、そのあとに低級路線のガストができて、結局、本体のスカイラークのほうは、閉店。ガストだけが残った。メニューは、どれも、単価は安い。そういう安いものをセットにして、1000円以下のセットメニューランチがセッティングされている。一つヅツを安くしつつ、客単価を上げる方法みたいだった。 でもまあ、料理はまあまあの味。デザートもなかなかよかった。ただ、お店に入ったとたんに、タバコの煙くさかった。店内は、禁煙席、喫煙席わけてあったけれど、店内が全部たばこくさくって、分煙は実質的にはされていなかった。あれじゃ意味ないですね。料理がおいしくても、たばこくさいお店には二度は行きたくないし、お店の品位が落ちます。きちんと分煙対策して欲しいものです。しっかりしたお店なら、きっちりと区切って、換気扇もしっかりしたものをとりつけていますが、昨日いったお店は、席を分けて、硝子の仕切りがあるだけ。しかも、その仕切りは上のほうが開いているのです。これではぜんぜん意味ないでしょう。煙は上に昇るのですから。 はあ。不景気とはいえ、だからこそ、ファミレスくらい安心しておいしいもの食べたいです。
2009年11月30日
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ブログをかいていますが、私的なことはばれないようになるべく伏せて書くようにはしています。 また、うっかりしたことをかくと、批判をうけたり、炎上したり、自分のブログといっても、なかなかどうして、おもいっきり本音を書くことはしにくいのが事実です。いつも、文章のどこかで、批難をうけないようなフォローの文章をかきたしたりという、気配りや注意が必要になってきます。一度ネットにのった情報は必ずどこかに残されて、自分の記事は消しても、ネット上の記録はのこってしまうのですよね。だから、個人情報やプライバシーに関することは極力書かないように気をつけていなければなりません。 で、そういうことが今問題になっていて、ネット上の情報を消す、忘却の権利というものが法的に整備することが必要と、今も言われているそうです。うーん。日本語ではこう訳されているけれど、もともとの英語とかだと、なんていうのかな。自分のブログでは、自分の意志で削除はできるけれど、検索されて、キャッシュにのこってしまえば、削除した後でも、ネット上にはのこってしまうのですから。 もう少し、使いやすいネットになって欲しいと思うのです。
2009年11月25日
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事業仕分けが進められていて、世の中大騒ぎですね。 スパコンの予算も削られるらしいですね。それはやめてほしいと、私も思います。福祉などを充実することも、弱者を救済することも大事だけど、技術の進歩、向上のための予算は削ってはいけないと、思います。上を削って、社会の底辺にばかり予算を投入すると、社会全体が下のほうにひきずられてしまうから。技術を進歩向上させて、社会の上部を上昇させていくことで、社会の底辺も引きずり上げられて行くのですから。 化学が進んで、飢饉になっても飢えることはなくなったし、医療が進んで病気で死ぬ人が減ったことを考えれば、スーパーコンピューターなどの技術を勧めていくことは、大切なことだと思うのですが。 官僚の天下りによる無駄の削り取り、が目的だったとおもうのに、とにかくなんでもいいから、いろんなものを削り取ることが目的になっちゃってる感じです。 スパコンの予算を削るための審議でレンボウさんが「二番じゃいけないんですか」というシーンがニュースで流れていたけれど、「この人なーんにもわかっていないんじゃないの?」と、ちょっとかなーり不愉快でした。 民主党の幹部は、東工大などの理系の学部を出た人たちが多いのに、何でこのアタリ削られちゃうんでしょうか。 一番になること事態じゃなくて、一番を目指していかないと、二番、三番になるのだって、難しいと思うんだけど。最初から二番をめざすなんて姿勢はおかしいじゃないですか。「二番じゃいけないんですか」というより、問い詰め方はおかしいでしょう。必要であるかもしれないけれど、国の予算も限界があるのだから、なんとか無駄の内容削れる部分を検討してほしいのだと、そういう方向に話をつめていくべきと、思います。 無駄な予算を削るのはいいけれど、技術の部分は削って欲しくないです。
2009年11月23日
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