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2003年最後の日です。いい年でした。一緒に遊んでくださって、ありがとうございました♪私にとって今年はなんだかいろいろ変化があった年なんですが、その前にあった転機は1999年かな。だいたい4年周期なのか。ネットにのめりこみ、古いレコードや雑誌を集めるようになりました。それがひと区切りついたのが今年。閉じこもっていた殻がはじけて壊れたようです。音響カプラを黒電話にはめて300bps程度で通信を始めたのが80年代半ば。今の高校生が生まれたころです。データが一行ずつ送られてきて、PCの画面に文字を書き込むのが見えるような速度の、パソコン通信でした。それから数年後、東京で食い詰めた時に仕事をもらったのは、NiftyServeの掲示板でした。まだ商取引などの規制がほとんどなかったので、人材募集のような書き込みもあったのです。楽天広場住民ミドル英二さん(大勝文仁さん)の編集プロダクションで仕事をいただいて窮地を逃れたりしたこともあります。その会社もたたんでしまわれるそうで、ずいぶんあっという間に時が流れたのだなあと、感慨深いものがあります。前回の転機の前年、つまりフランスでワールドカップが行なわれたころだと思いますが、そのころに買った箸置きが出てきました。ヒナに似ているので嬉しくなって買ったものです。ずっと箸置きなんぞ使ったことがなかったので、妙な気分です。幻子心母は「しっぽが違うね」などと妙なこだわりを見せています。ヒナの尻尾は黒いのです。時々屋上駐車場で夕陽を写している、IPのテナントに入っている店で買いました。風水猫と書いて、ぶす猫と読ませるようです。失礼ね、ヒナはおぶすじゃありませんわ。大晦日は東京に出かけておのぼりさんになるので、日録の更新は大幅に遅れると思います。ずいぶんひさしぶりに渡さんが歌うところを観ることになっています。おのぼりさんを引率してくださる方とは、初めてお会いします。二十年近いネット生活で、初めてのオフです。(うるとびーずさんの言い方だと密会。)楽天広場では「幻泉館 主人」の人格がずいぶんふくれあがってしまったので、現実の自分を見てがっかりされるのではないかと不安でなりませんでした。今はとても楽しみです。日々の暮らしの中でのつらいことや悲しいことを今はあまり書いていませんが、この大晦日を楽しみにがんばったようなものです。楽しんで参ります。行ってきます♪みなさん、よいお年を!
2003.12.31
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【追記】No.2夕刻、浜へ夕陽を見に行く。明日は東京へでかけておのぼりさんになるので、これが年内最後の夕陽撮影。いわゆる撮り納め。平日だけど年末休暇らしく、人が多い。離れたところで、UAを大音量でかけて騒いでいる人たちがいた。私が帰りにかけていたCDは、サイモン&ガーファンクルのベスト盤、「ニューヨークの少年」が良かったです。更新しました。夕陽が好き![I Love Sunset!]【追記】No.1ついさっきまで本文をいじりまくっていたのですが、この辺でバグを固定。後は追記扱いとします。歌詞の中の語句が問題となった場合は、該当部分に手を加えることによって放送できるようにすることもよくありました。秀0430さんへのレスに書きましたが、小室等さんは「街と飛行船」の中の問題部分を、逆回転して貼り付けました。今音源が手に入った場合は、PCに取り込めば編集して演奏を復元することができます。ドキュメンタリー『放送禁止歌』で胸が痛むのは、山平和彦という新人歌手が「放送禁止歌手」というラベルを貼られることによって、歌えなくなってしまったことです。ファーストアルバムは何曲も実質的な放送禁止歌となっています。要するにアルバムタイトルに対する報復行為でしょう。それは抽象的な組織といったものやメディア一般が行なったのではありません。実際にはある一人の人物が、気に食わん奴だとカチンときて指定したはずなのです。本当はその人物を確定して、話を聞いてもらいたかったと思います。山平和彦さんは叙情的なソングライター&歌手でした。ファーストアルバムに入っている「月経」は野田寿子さんの詩に曲をつけたもの。ナチスの収容所の中で初潮を迎えた少女が、そのことで自らの生を確認するという曲です。このタイトルと内容が「公序良俗になじまない」のなら、公序良俗なんてバカなものは要らないでしょう。事情により、更新が全然間に合わず。年内の仕事がほぼ終わったので、まるで力が入らないのでございます。ふにゃふにゃ。『放送禁止歌』について書こうと思っていたのですが、少しずつメモを追加していく予定です。「放送禁止歌」そのものについてよりも、むしろ言語と差別についての考えを書いておきたかったのですが、ちょっと無理かな。いろいろ言いたいことがあるのが、かえって書きにくくなっている理由かもしれません。一つの歌の運命について調べたりした方が書きやすいでしょうね。フジTVの深夜枠NONFIXで放映された『放送禁止歌 ~唄っているのは誰? 規制するのは誰?~(1999)』がどうしても見たかったので、おなじみの某業界人氏に頼んで送っていただいた。SkyPerfecTVでリピートしてくれたはずなのだが、見逃した。問い合わせても、何の音沙汰もない。もう何年も見たかったので、大感激。御恩は一生忘れません、わんわん。ところでフジTVのことをCXと呼んだりするのは、あんまり好きではない。お上から賜った放送事業の免許という感じがしていやだ。そういう人はNHKのことをAKとかBKとか呼んでるのかな?ちなみに、サッカーどころであるのどかな県のNHKは、PKなんです。以前はそういうサッカー番組をやってくれてました。番組から生まれた書籍『放送禁止歌』のおかげで番組の内容はよくわかっていたので、実際に見ると拍子抜けする部分も多い。でも、たとえばあまり目にすることのない現在の(1999年だが)山平和彦さんの姿は、映像だからこその説得力がある。歌詞に詰まってもう一度途中から歌いなおすところなど、これがドキュメンタリーのおもしろさだなあと感心する。書籍はまず番組制作の翌年、2000年に解放出版社から発行された。A5判並製本文189p定価1800円+悪税かなり売れたのではないかと思う。私も会う人ごとにこの本を薦めていた。目次は下記の通りだが、番組制作に関して丁寧に説明していて、放映時に見ることができなくても、制作者の意図はよくわかった。第1章 テレビから消えた放送禁止歌(企画の出発点―闇に消えた放送禁止歌 企画着手―放送禁止の歌をどうやって放送するんだよ? ほか)第2章 放送禁止歌、それぞれの具体的な背景(放送禁止歌と発売禁止歌 有線放送で流される放送禁止歌 ほか)第3章 放送禁止歌・日本VSアメリカ―デーブ・スペクターとの対話(アメリカ初期の放送禁止歌―性を連想させる歌はご法度 アメリカ"表現の自由"をめぐる闘い―検閲は反対だが、創意工夫は必要 ほか)第4章 部落差別と放送禁止歌(『竹田の子守唄』のルーツを訪ねて 大ヒットフォーク『竹田の子守唄』の系譜 ほか)「放送禁止歌」掲載曲名リスト解放出版社版は現在も入手可能なのだが、今年の6月に光文社の「知恵の森文庫」に入った。定価が648円+悪税。さらに入手しやすくなったのは良いことだと思うのだが、解放出版社は大丈夫なのだろうか。具体的に個々の歌を追っているのだが、高田渡「自衛隊に入ろう」、山平和彦「放送禁止歌」、赤い鳥「竹田の子守唄」、岡林信康「手紙」といったところがそれぞれヤマとなっている。惜しいのは、岡林信康さんが姿を見せないことだ。amazon/avexの復刻盤でごっそり曲が削られたのだが、岡林さんには姿を現わしていただきたい。御本人は消したい過去なのかもしれないが、こっそりと消すにはあまりにも大きな存在なのだ。少なくとも、なかったことにするのは歴史の歪曲だ。過去の日録で「放送禁止歌」について書こうとして、何度も失敗しております。代表は岡林信康「アメリカちゃん」(1969年)よろしかったら御参照ください。番組の結論は明快で、日記本文より先にレスを付けてくださったDr.悠々さんのおっしゃる通り、勝手な自主規制のために放送しなくなってしまったのだ。「解放同盟の糾弾を受けたくない」という、自己保身による自主規制である。これで「解同は恐い」というイメージがさらに増幅された。思想統制を行ないたい者の、思うがツボといったところだろう。この無限に続く無責任の構造は、故丸山真男氏が分析してみせた天皇制の思想構造と、なんとよく似ていることか。まともに勉強しなかったのだが、僕が政治学などという学問を専攻したのは、高校生の時に丸山真男さんの本を読んだことによる。岩波新書の『日本の思想』と、未来社から出ていた『現代政治の思想と行動』。この2冊に、本当のインテリとはこういうものなんだろうとイカレタのである。団塊の世代とやらの全共闘が、丸山真男を近代主義と批判して簡単に切って捨てたのにはまったく共感できなかった。文庫版のためのあとがきで、森達也さんは9.11の追悼ライブでニール・ヤングがあえて放送禁止歌扱いになっていた「イマジン」を歌ったことを取り上げている。一人の勇気がいかに貴重で大きな影響力を持つか。あのニール・ヤングには、胸が熱くなった。森達也さんは僕と同じ年齢らしい。
2003.12.30
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【追記】No.4スケジュールを間違えていたので、ぽっかり予定に穴が空いた。ひま。やらなければならないことは山のようにあるのだが、なんだか気が抜けてしまった。こういう時に風邪をひきやすいので、要注意。今日はいい天気なんだけど、風が強くて寒いです。【追記】No.3ところでついでにおいしいものの話をしておきますと、採れたての菜っ葉はとてもおいしいです。日録に登場していませんが、畑に行った日は採ったばかりの葉物が食卓に上ります。今夜はチンゲンサイ。ゆでてそのまま食べるのが好きです。こういうものを見るとすぐにドレッシングのようなものを掛けたがる方がいますが、そのままの方がおいしいと思います。味噌汁にちょっと浸すなんてのでもいいですね。採れたての野菜の甘みがわかる程度の味付けで。質素な食卓ですが、実はかなり贅沢な味ですよ。【追記】No.2湯上がり♪あの憎らしい乾パンめ。風呂の行き帰りに一枚ずつ成敗してくれたわ。後はおいしいコーヒーが恐い。これはキャラ違うな。どちらかというとchappiさんだ。【追記】No.1だいたい暮れは普段より忙しいスケジュールになっている。そのうえ大掃除をしろというのは無理だ、そりゃ。といきなりな言い訳。まっとうに生きてきた幻子心母は、私のエリアを除いて着実に掃除をしたらしい。我が母ながら、立派なものである。今年のヒットは、「乾パン」。大きな缶であります。東海大地震というものがおきたら、役に立つらしい。だが、賞味期限があるので、時々入れ替えなければならない。「食べておいてね」と、テーブルの上にこの缶が置いてある。嬉しい。好きなんだわ、乾パン。通り掛かる度に蓋を開けて一つつまんでしまう。眠っているヒナの側を通る度にちょっかいを出すのと似ている。自然に手が出てしまう。この、ぎしっと詰まった感じがいい。いかにも非常時に生命を救ってくれそうだ。しかし、あまり平時にかみしめていてはいけない。血となり肉となるというより、すべて皮下脂肪になってくれそうだ。肝臓にも付いてくれるかもしれない。しかし、乾パン。あの乾パンが、食べてくれと、誘惑しているのだ。これから風呂に入るのだが、その前を通らなければならない。乾パンめ。12月28日の夕陽に映えた富士山です。めでたい感じがしますな。夕陽が好き![I Love Sunset!]朝日を撮ってくれとの声があるのですが、朝日は海から昇ってこないのです。御了承くださいませ。今日は毎年恒例のもちつき。親父様が元気だったころは早朝5時というとんでもない時刻につき始めたものだが、今は私の朝食前。つまり、世間的には昼前であります。ここ数年、準備段階では「来年は買ってこよう」と弱音を吐く幻子心母だが、いざつき始めると「やっぱりこれでなきゃ」ということになる。雑煮の中でとけた場合も、買ってきた切り餅ではあんまりおいしくない。そういえば数年前に大手の切り餅に米粉が混ぜてあって、営業停止処分をくらったのではなかったか。変だと思ってたんだよなあ。とにかくこの石臼が、普通に運ぼうとしても、びくともしません。やっとの思いで少しずつ回転させるように、引っ張り出してくるのです。だいたいつき始めは、つき方を忘れています。ぺったんぺったんつく前にひょいひょいと軽くついて固めます。そうしないともち米が飛び散るのです。杵の重さを利用して、あまり力を込めずにずしっと振り下ろします。これは気持ちいい。時々幻子心母が手返しを入れます。恐いよなあ。これは一度もやったことがありません。おそなえのような、ざらっとした粗いお餅が好きなので、あっという間につき上がります。なれてきたなと思ったらもう終わり。まあ、それぐらいがいいんでしょうね。翌日あちこち痛くなっても困る。左側の画像のもう少し大きいものが、本館の幻泉館掲示板に貼ってあります。よろしかったらご覧ください。掲示板の画像はサムネイル表示なので、クリックするともっと大きな画像が表示されます。70年代サブカルチャーとはまったく関係ないですね。特に苦情も来ませんが、小心者なんで少し気にしています。港からの帰りにジャクソン・ブラウンを聴いていたなんてのでよろしいでしょうか。幻泉館本館
2003.12.29
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【追記】No.3畑仕事を簡単に終えて、夕陽の撮影に出る。いつもは千本公園というところに車を停めるのだが、今日は外港近くの港口公園。結局堤防の上をいつもの方向へ歩いていって写真を撮った。人が少なくて寂しい。更新しました。夕陽が好き![I Love Sunset!]【追記】No.2ふうっ、もちつき終了。二升しかつかないので、あっという間に終わった。詳細は翌日分日記にまわるのかな。【追記】No.1izumatsu氏よりビデオが届く。大感激であります。休みなので、安心してビデオを見ることができた。驚いたのは、映像のグレードが低いこと。悪い意味で言っているのではない。どこぞの国営放送のように潤沢な資金を使って撮るのではなく、たとえば家庭用ビデオカメラに近いような機材で機動性を生かした、低予算制作の心意気のようなものを感じる。先に本を読んでしまっているので、たとえば山平和彦さんの複雑な表情の意味がわかってしまっているのがやや残念ではある。今夜にでもmpegに落としてみようと思っている。年内の仕事もほとんどケリがついた。明日の日曜日はお休みで、お餅をついたり、畑仕事をしたり。まだ29日(月)と30日(火)にも仕事をするのだが、もう山場は越えたので、後片付けに近いです。脱力。今年どんな本を読んだかなということで、本館より蔵出しいたします。追記はどうなるかわかりません。【2003年2月11日付日録】[「サヨナラ」ダケガ人生ダ]今日はまだ2/9(日)です。昨夜かなり雨が降っていたのですが、明けて快晴。気温も上がり、「春が来た!」という感じの好日でした。「ばあさんボケたぞ」という不安な連絡が入ったので、隣町へ見舞いに。とにかく周りにold womenが多いので、暑さ寒さが厳しい時にはヒヤヒヤします。行ってみれば心配したほどではなかったので、ちょい一安心。持っていった見舞い品の数倍お土産を貰って帰ってきました。なんとなく朝貢外交。大島渚監督に『儀式』という映画がありましたな。そんなに好きな映画でもないのですが、妙に思い出すんです。冠婚葬祭の時にだけ会う親戚の人達。私は宴席が苦手なので、長じてからもわりとお子ちゃま担当であります。で、時の流れは頭ではわかっているつもりなのですが、ちびっ子のころに遊んでやったやつが、いきなりサラリーマンくさいおやじになって出てきたりするわけです。儀式のウラシマ効果?ちゃうちゃう、こっちもしっかり歳とってるんですなあ。え~、今日も私の好きなやつ。 コノサカヅキヲ受ケテクレ ドウゾナミナミツガシテオクレ ハナニアラシノタトヘモアルゾ 「サヨナラ」ダケガ人生ダ『「グッド・バイ」作者の言葉 』によればこうなる。 >唐詩選の五言絶句の中に、人生足別離の一句があり、私の或る先輩はこれを「サヨナラ」ダケガ人生ダ、と訳した。「グッド・バイ」作者は森田童子じゃないよ、太宰治だよぉ。「或る先輩」というのは『富嶽百景』なんかにも登場する、井伏鱒二さんです。井伏鱒二さんはおもしろい小説をたくさん残していますが、『厄除け詩集』という詩集もありまして、これがいいんですわ。その中で一番有名なのがこれですね。薄いのに高い本だなあと思っていたのですが、文庫に入りました。講談社文芸文庫、940-、やっぱちょっと高いですね。高校の漢文の授業で習ったような有名な漢詩を、わかりやすい日本語に訳したものを漢詩戯訳と呼ぶんだそうです。他の人のも読んでみたいと思っていたら、本屋さんで新刊の棚に並んでいました。それが松下緑『漢詩七五訳に遊ぶ 「サヨナラ」ダケガ人生カ』(集英社 1500円+悪税)です。帯に俵万智さんの名前が出ていたりするので、やっぱり女性の歌人なのかなあと思ったら、全然違いました。1928年生まれで、日通総合研究所に勤めていた方だそうです。97年に亡くなったそうですが、『湖畔吟遊』という個人誌に連載した漢詩戯訳からより抜いて一冊にまとめた本だということです。漢文の授業というと、もうただただ眠いというような思い出しかないんです。ああ、漢詩というのは、やたらにお酒の話が多くて、高校の授業でこれはいいのかと思ったものでした。漢文をノートに横書きで書いていたのを見つかって怒られましたっけ。でも、漢文の教師というキャラクターはわりと好きです。イギリスあたりを舞台にした映画だと、ラテン語の教師ということになりますね。シャバっ気がまるでないところがいいんでしょうな。数学教師もそうなりそうな気がするんですが、こちらは大学入試を意識しまくりで、かえってシャバっ気が強かったりします。今は違うと思いますが、昔の英語教師は漢文の教師みたいな人が多かったです。ジェントルマンで、モームとかオーウェルとかを嬉しそうに語るんですわ。今は英語屋になりさがって、おそらく高校の英語教師の知的水準は昔よりかなり落ちてると思いますよ。すくなくとも、のどかな県のんびり市ではそうなってます。あ、高橋和巳とか中島敦とか、中国文学・漢文文化から出た作家は好きだなあ。で、まあこの漢詩戯訳ですが、かなりの教養がないとできないワザです。漢詩の教養よりも、日本語の表現力がないとダメですね。陶淵明「帰去来の辞」を、松下さんは「サア帰ルンダ フルサトヘ」と訳しています。これだけだとわかりにくいと思いますが、なかなかすごいです。みずみずしくて、なおかつ俗に流れすぎてもいません。六十歳代でこういう戯訳をやっていたんだそうです。う~ん。これは知っている漢詩の方がずっとおもしろいです。あれをどう訳してるんだろう。で、ハマってると嬉しいです。冒頭の井伏鱒二訳は于武陵「勧酒」です。なんといっても井伏訳があまりにも名訳なので、さすがに松下訳も今ひとつに見えてしまいます。と思って読んでいたら、井伏鱒二訳にネタ本があるという記述がありました。あ、そうだったんだ。いやあ、初めて知りました、面目ない。井伏訳漢詩は『厄除け詩集』に17首載っているのですが、そのうちの始めの10首は、18世紀の俳人中島潜魚庵『唐詩選和訓』からの引き写しなんだそうです。いやあ、ガックリ来るなあ。まあ、<「サヨナラ」ダケガ人生ダ>は井伏さんのオリジナル訳らしいんで、不幸中の幸い。一応于武陵「勧酒」の書き下し訳も書いておきます。横書きなんで、漢文の先生に怒られそうですが。 酒を勧む 于武陵 君に勧む金屈巵 満酌辞するを須いず 花発けば風雨多く 人生別離足る
2003.12.28
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【追記】No.2いやはや、年末ですな。さすがの私も忙しい。まだまだ仕事が残ってます。昨夜は年賀状の宛名書きをほぼ仕上げた。終わった!と思った後に「喪中」の方々がいるのに気づいてしまった。ただ、今年お世話になったお礼が言いたい人がいる。封筒に入れて年内に手渡すことにした。それも妙だが。【追記】No.1どこかで書いたつもりだったのですが、マエさんのところでお伺いをたてたところ未出のようなので、書いておきます。高校生の時に凍死体を見ました。もう春でした。1973年か1974年。のんびり市はあたたかいので、草を敷いて眠っても大丈夫そうな陽気でした。朝、自転車で坂道を上っていくと、道端に労務者ふうのおっさんが気持ちよさそうに寝てました。ああいいなぁ、もう少し寝ていたかったなぁと学校に着くと、さきほどのおっさんのあたりに救急車とパトカーが。死んでたんだそうですわ。幸せそうでした。ワイン好きな主婦の方、オリオンビール好きな三線プレイヤーの方、飲み過ぎにはご注意ください。北九州の若松にできた大学院に行っているたけぴい君(仮名♂二十代)が、おみやげに「博多通りもん」を買ってきてくれた。おお、これこれ。地元ではテレビCMが流れていて、『博多っ子純情』作者のはせがわほうせいさんが出演しているのだという。実写のはせがわさんと、アニメの主人公。これはかなり見てみたい。聞くと、アニメでヒロインも出ているとか。これは私の記憶に残るchappiさんそのものなのである。たけぴい君は『博多っ子純情』を知らないようなので、キャラクターの特徴を言って確認する。おさげ髪で、そばかすがあって……。やっぱりそうらしい。のどかな県の地方CMでは、「こっこ」というお菓子がある。はしのえみさんが出演している。おみやげのお菓子としては悪くないと思うのだが、たけぴい君の説では、「うなぎパイ」の方が喜ばれるらしい。全国的な知名度が違うものな。区切りとかけじめとかといったものとはほとんど縁がない。高校も大学も卒業式に出なかったようなので、ぼんやりと学生気分のまま年をとってしまった。ついでに言えば、努力とか忍耐も苦手だ。だらだらと生き延びてきた。でも、昨夜思いついてしまったので、いいきなり私の2003年CDベスト1。昨日書いた『やちまた』はずいぶん前に出版された本だ。それでも今年のベスト1。CDの方はそれより少しマシで、去年の大晦日に発売されたもの。昨年新結成&解散したザ・フォーク・クルセダーズ『新結成記念 解散音楽會』。本当はアルバム『戦争と平和』や、NHKで放映されたコンサートの模様も込みでベスト1としたい。おかげで今年はずっとマーチンの音が頭の中で鳴り続け、D-28という分不相応なものまで買ってしまった。他人の死と自分の死について考えるきっかけの一つにもなったものだ。大きく言えば、私の生き方を変えたCDです。次点で五つの赤い風船の復刻盤『ゲームは終わり』を挙げておきます。
2003.12.27
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あやりん(仮名♀十代)が、約束のお手製ケーキをもってきてくれた。約束というのは、私の誕生日に焼いてくれるというもの。だいぶ遅くなって、クリスマスと合体してしまった。ジョン・レノンのCDを聴きながら、みんなでいただいた。おいしかったですよ。御馳走様でした。先日のことだが、僕がデインジャラスという修飾語を付けて呼んでいる娘が、川上弘美さんの本を持っていた。冒頭を読ませてもらうとおもしろいので、いたずらごころから「朗読してあげよう」と、読んであげた。女性の声でゆったりと読んだ方がいいのだろうが、少し速いかなというぐらいの速度で読み上げてみた。間の取り方が良ければ、この方がわかりやすいのだ。モグラの出てくる短いエピソードをさっと読み終えた。朗読の出来は悪くないなと思った。もう二十年ほども経ってしまった。そのころはよく女の子たちに詩を朗読したものだ。ちょうどうるとびーずさんやらいばあさんぐらいの女の子たち。あまり多い人数の前ではやらない。ささやきがはっきり聞こえるくらいの人数。自作の詩でないのが残念だが、それは恥ずかしすぎる。村上春樹さんという作家の作品はある時期からあまり好きでなくなった。その境界線上ぐらいにある『ノルウェーの森』。誰かごく少数の者のためだけのエンターテイナー。登場人物のそういう生き方には親近感を覚えた。公開日記という不思議なものを続けている。深夜放送のリクエストカードとDJというたとえ話をしたのだが、時々だれか一人に向けて語りかけている場合がある。万人に「それは私だ」と思わせるような商売人の技術は、あいにく持ち合わせていない。今あなたにこれだけは伝えておきたいと、そんなふうに思うことが時々あるものだ。深夜放送自体がそんな側面を持っていたかもしれない。複製技術は、一人に向けた心情吐露を無数のひとりひとりに届けてくれる。思いはどうつながるのだろう。もともと広場ではなくて、そんな孤独な、片方向の通信だったのか。CQ, CQ...はっと我に返ると、近くで聞いていた他の娘が言った。「モグラって名前の人がいるのね」それは違うんだが。 今年読んだ本のベストは、足立巻一さんの『やちまた』。後ほど、本館に書き散らしたメモを拾い集めて【追記】で書き足しておきます。【追記】本館日録より[2003年2月13日]一年近く前に買って読み始めたはずの本を発掘。しまった!これは絶対に面白いはずだと思ったのに、何かドタバタ用事が入って、そのまま忘れていたらしい。かなりお馬鹿さんである。最初から読みなおしね。足立巻一『やちまた』上・下(朝日文芸文庫)であります。本居宣長の息子・本居春庭の評伝です。なんですが、同時に足立巻一さんの自伝的作品でもあります。本居春庭という人は、日本語の「四段活用」「変格活用」なんかを整理して命名した学者です。その著書『詞の八衢』からこの本のタイトル『やちまた』が採られています。八衢(やちまた)ってなんだかわかりませんので、広辞苑を引いてみます。 * 道が八つに分れた所。また、道がいくつにも分れた所。迷いやすいたとえにもいう。天皇機関説事件の当時、神宮皇学館という国学の学校にいた足立さんの青春時代から話が始まる。友人の名前は俳号で語られ、たとえば「腸」であったり、「遮莫」であったりする。そして、教授の講義の中でごく普通に本居春庭のことを知り、興味をもったので調べ始める。なんだかつまらなそうに聞こえるかもしれないが、これが実におもしろいのです。大怪物・本居宣長の業績は、その弟子たちによって二系統に分かれたとされている。伴信友らの考証学系と、平田篤胤の復古神道である。この後者が明治維新正当化のイデオロギーとなり、さらに大日本帝国の超国家主義を生み出していく。それがワタクシが大学での専門として、実はかなり好きだった「国語」を選ばなかった理由でもある。はっきりと対象化できていたわけではなかったが、日本語への「国学」の呪縛を感じていたからである。おっと話を急ぎすぎた。日本語文法の研究という地味な世界の話なのだが、足立巻一さんの青春と、本居春庭さんの青春と、さらにさまざまな国学者のお話を、ゆっくりと楽しませていただくことにします。[2003年2月21日]ワタクシ、本を読むスピードはかなり速い方なんですが、『やちまた』は異様に時間がかかってます。置き忘れたなんていう事件もあったのですが、本当に細切れにゆっくり進んでるんですな。やっと上巻が終わろうというところ。第九章で足立さんの学生時代最後の夏休みが終わり、知人が出征していく。僧義門という文法学者が、かなり共感をもって語られる。本居春庭の業績を真に理解して用言の分析を科学的に進めたのは鈴屋一門ではなく、門外の人義門であったと。動詞の活用を現代文法と同じ六種(将然、連用、截断、連体、已然、希求)に分類し、春庭が及ばなかった形容詞の活用法則を発見したのが、この人である。宣長、春庭をそれぞれ文化、文政の人とイメージすれば、義門は天保の人である。今の目から見れば、明治維新もすぐそこまで迫っている。そして第十章が前半のクライマックス、平田篤胤である。国学の四大人とは平田派が言っていることなのでかなり眉唾なのだが、確かに日本の歴史に大きな影響を与えてしまったということでは大物である。彼の復古神道が攘夷運動に大きな影響を与え、明治維新のイデオロギー的背景となる。さらには大東亜戦争の際の超国家主義にまで直結する。なおかつ、今なおこれを根拠に日本の歴史を改竄しようという「教育学者」までいるのだから困ったものである。で、まあかなりファナティックなイメージを抱いていたのだが、平田篤胤さん自体はかなり興味深い怪物である。生活に困窮しながら万巻の書を読み込み、それを再構成して強烈に主張する。二・二六事件の黒幕として処刑されてしまった北一輝を思い出す。ポイントは、江戸時代の復古神道が決して上から与えられたものではなかったということ。篤胤さんはアカデミズムから弾き出された草莽の国学者(というより宗教家)であり、その復古神道を熱狂的に受け入れたのは攘夷派の武士だけではなかったということだ。江戸末期に「ええじゃないか」と爆発した民衆が、篤胤さんの復古神道を熱狂的に受け入れたのである。明治維新がどのような革命であったかということは、日本の歴史学の大きなテーマだった。植民地化を逃れて近代国家として生まれ変わるために利用できるイデオロギーは、少なくとも江戸末期にはこれ以外なかったのだろう。この時点では、ある意味で復古神道は日本を救ったのかもしれない。しかし、明治期に入ってからは、それに代わりうる勢力がいくつも登場するのである。たとえば自由民権運動の際、フランスから持ち込まれた自由・平等といった概念は、直接に多摩地区の百姓たちの心に届いていた。平成の今よりも、人々はもっと自由に自分たちの国のことを考えていたと言えるかもしれない。自分たちで憲法の私案まで作り出していたのだから。ちょいと先走り過ぎたな。まだまだゆっくり楽しみます、『やちまた』。[2003年2月22日]『やちまた』メモ本居宣長→伴信伴(史学)・本居春庭(語学)・萩原広道(源氏物語研究)・小国重年(歌格研究)という、実証的研究、学問の流れ。神話学・民俗学研究の流れは、他ならぬ平田篤胤によって断ち切られてしまう。篤胤の神学は学問としての業績はあまり残さなかったが、「狂気をはらんだ思想は、動乱期をゆり動かす一つのエネルギーとなった。むしろ、篤胤は死後に維新の呪術者と化した。」[2003年2月23日]ゆっくりと楽しんでいた『やちまた』なのだが、下巻に入ると突然スピードが上がってしまった。国学者たちの評伝部分が減り、著者足立巻一さんの自伝的記述が増えたためである。出征し、戦争が終わり、上巻で描かれた友人たちが亡くなっていく。学校を出てからの時の流れが速い、速い。自分の来し方を考えても、まあそんな感じだわな。時の流れが急に速くなったのは、著者がしばらく本居春庭から離れていたせいもある。日々の暮らしに追われ、いつのまにか人が変わり、去り、ふと時の流れに気づく。そこで自分の人生の意味を考えると、原点を思い出す……ものらしい。そういえばうちのおやじさん、死ぬ数年前からめちゃくちゃに軍歌のレコードを聴いてたな。稲荷神社と航空基地で有名な隣県の都市に何度も行きたがった。空襲や神風特攻隊に直接関係はなかったのだが、晩年の思いはそこに向かっていたようだ。それが彼の青春であり、原点だったのだな。思えばワタクシめもここ数年、70年代のレコードをデジタル化したり、楽譜を集めたり、尋常ではないのめり込みようだ。危ないかもしんない。気をつけよ。[2003年2月25日]足立巻一『やちまた』上・下(朝日文芸文庫)読了。やけに時間がかかったが、こういう読み方をして良い本だと思う。面白い本に出会って、それがだいぶ前に刊行されたものだと、どうしてもっと早く巡りあわなかったのかと悔しく思うものだが、『やちまた』の場合はこれも例外。今読んだからこそ、時の流れが身に沁みて感じられるのではないだろうか。終盤、資料の発見が山場といえば山場なのだが、淡々と考察を続ける足立さんの人生と、本居春庭の生涯、そして様々な国学者、足立さんの友人たち、この描写が不思議に胸を打つのである。日本語の文法学については門外漢のワタクシだが、盲目の文法学者・本居春庭を追い続ける足立さんの話はとてもおもしろかった。そういえば「国語学会」か「日本語学会」か学会の名称変更に関して、会員の郵送による投票が行なわれていたはず。変更が決まったのだろうか。【Lycosダイアリー書き込み分】[2003/02/25(火)] 日本語は国学から解放されるべき「国語」という名称は「国家語」という用語と紛らわしいし、なんといっても国学の呪縛が強すぎると、個人的に(おいおい、門外漢だぜ)は思う。本居宣長、本居春庭、僧義門といった国学者たちは実証主義的に、まさに国語学の基礎を築いた。が、おなじみの国学者・平田篤胤は日本語学者ではない。「狂気の天才」「怪物」ではあるが、学者ではなく、宗教者なのである。国学の四大人という言い方は平田派が言っていることなのでかなり眉唾なのだが、確かに日本の歴史に大きな影響を与えてしまったということでは大物である。彼の復古神道が攘夷運動の理論的根拠となり、明治維新のイデオロギー的背景となる。 さらには大東亜戦争の際の超国家主義にまで直結する。なおかつ、今なおこれを根拠に日本の歴史を改竄しようという「教育学者」までいるのだからいやはや困ったものである。確かに日本が植民地化を逃れて近代国家として生まれ変わるために利用できるイデオロギーは、少なくとも江戸末期にはこれ以外なかったのだろう。この時点では、ある意味で復古神道は日本を救ったのかもしれない。しかし明治期に入ってからは、それに代わりうる勢力がいくつも登場するのである。たとえば『三酔人経綸問答』は中江兆民の頭の中のドラマではなく、当時の思潮を面白く戯画化してみせたものであろう。自由民権運動の時代に日本人は、実は平成の現在よりももっと自由に国家の在り方を論じていたのである。色川大吉『明治精神史』に描かれる憲法草案などもその具体例であろう。[追記]国語学会が「日本語学会」に改称決定日本語学会 776/1170改称決定ですね。
2003.12.26
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メリー・クリスマス♪平和をわれらに!【追記】NO.3幻泉館鯖御利用の皆様へ業務連絡です~☆☆☆「goodmusic.dyndns.org」のDNSが更新できていないようです。URLの該当部分を「goodmusic.ddo.jp」に変えて御利用ください。お手数かけて申し訳ございません。更新作業は午後11時以降になると思います。【追記】No.2幻泉館鯖の一時停止は終了いたしました。(わかりにくいな、つながった、ということです。)無事にDNSにIP更新情報を流すことができたはず。(これもわかりにくいな。)ルータの仕様によりLAN内から確認することができませんが、楽天広場の情報が伝わってきたので、大丈夫でしょう。ご迷惑をおかけいたしました。【追記】No.1あらあら、またタイトル曲に何もふれてなかった。24日の夕刻、浜から家に帰る時に聴いてました。ベスト盤の画像だけ出しておきます。 月明かり 鏡と祝う 降誕祭 (幻)高校生の時に作った句です。お恥ずかしい。毎年イブは家で静かに平和の祈りを捧げています。ウソです。ふて寝しています。というより、疲れを癒しています。スケジュールの都合上、必ずこうなります。宵の口寝て、深夜に夜なべ仕事と年賀状の宛名書き。例年特別な感慨はないのですが、今年は妙に人恋しいような気がします。去年のイブは何をしていたのかと過去日録をまさぐると、既に自家引用済み。午後街にふらふら出て、雑誌を買っているのですね。そうか、街で聖歌聴いてくればよかったな。さきほど24日付日録@楽天にアップした高校生カップルの別画像を揚げておきまする。普通はこういう二人連れを見ると心の中で「バカップルめ」とか思うんですが、夕陽を眺める人たちだと、なんだか私はにこにこしてしまうのです。この高校生君たちは、二人の間の空間的距離も初々しい感じで良かったのね。隣町のマンモス大学附属高校に通っている少年少女です。夕陽が好き![I Love Sunset!]
2003.12.25
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【追記】No.4今日は早く帰れることになったので、浜に立ち寄って夕陽を眺めた。平日なので人は少ない。並んで腰を下ろして夕陽を見ている高校生のカップルがほほえましかった。イブの夕陽じゃないか。そういう高校生活を送ることができなかったので、ちょっとうらやましかった。帰りの車の中では、ジョン・レノンのHappy Xmas (War Is Over)を聴いた。夕陽が好き![I Love Sunset!]更新しました♪【追記】No.3NTTの工事により、12/25(木)の早朝より幻泉館本館サーバが停止する可能性があります。最悪の場合、25日いっぱいサーバが停止します。幻泉館本館へのアクセスだけでなく、店子の皆様のホームページに影響が出て、掲示板が使えなかったり画像が表示されなかったりという不都合が出てきます。ご迷惑をおかけしますが、御容赦くださいませ。雑煮自慢参加者熱烈募集中雑煮会の告知ページ↓参加ご希望の方はこちらで一言書き込んでください。新春 オンラインおらが雑煮品評会【追記】No.2世間様ではクリスマスイブなのだそうな。まるで関係ないのだが、それでもあたたかいクリスマスプレゼントをいただいたので、気持ちがあたたかくなったような気がする。今日は夕方ヒマができるので、夕陽を見に行けるかも♪【追記】No.1友部正人さんの傑作「乾杯」は浅間山荘事件のことを歌っている。日本のトーキング・ブルースといえば、この曲だろう。長かった2月28日。この歌のおかげで、僕はその日付を覚えている。> ついさっきは > 駅で腹を押さえて倒れていた労務者にはさわろうともしなかったくせに> 泰子さんにだけはさわりたいらしいgoogleで検索したら、全歌詞を掲載しているサイトがありました。みんな泰子さんには触りたかった祝日に仕事をして帰宅し、遅い夕食をとる。テレビでは、あさま山荘事件をモデルにした映画を流していた。途中からだが、結局ちらちら見てしまう。映画は映画、おもしろく作ってある。役所広司さんが原作者の役だと思うと、ちょっと興ざめ。1972年の日本人には見えない。たとえば高校生や大学生がこれを見て、浅間山荘の事件をこのようなものだと思い込むのだろうか。もちろん書かれた歴史ではないのだが、ひとびとにとっての歴史が、このようなものででっちあげられていくのかもしれない。今の高校生諸君は、バブルの時代すら知らない世代なのである。本館日録で「赤軍」をキーワードにして検索。ヒットした日の日録をそのままアップしておきます。去年から今年にかけて赤軍派関係資料を読み漁ったのだが、植垣康博氏の本で印象的だったのは、彼らの歌である。軍事訓練のためにこもった山中で、彼らは歌を歌う。革命家になるために、同志的団結のために、彼らは歌を歌った。まじめな明るい歌声が、山中に響いたことだろう。だが、その歌声はすぐに消えて、彼らは冬の寒い山の中で迷ってしまったのだ。さて、今夜は自分の分の年賀状を作らねば。【2003年6月8日付日録】[連合赤軍事件]6/7(土)深夜です。夜なべ仕事で中断していた『一九七二』を読み進める。やはり山場は「連合赤軍事件」である。当事者である3人の著書の該当箇所を対照するという地味な作業が一番読ませてくれる。これはいつかやろうと思っていた作業。やられたね。永田洋子『十六の墓標 上・下』『続 十六の墓標』坂口弘『あさま山荘1972 上・下』『続 あさま山荘1972』植垣康博『兵士たちの連合赤軍』『連合赤軍27年目の証言』どれも発行は彩流社。先日寝室の掃除をして赤軍関係の箱に入れた中にすべてある。自称危機管理のプロ佐々淳行の著書は事件を振り返るのにまったく役に立たない。また、ニュージャーナリズムとして売れたらしい角間隆『赤い雪』も、扇情的な記述に終始した駄作である。それにくらべて、この3人の当事者の本は自らの死と向かい合った真剣な記述であり、基本資料として重要である。永田・坂口は京浜安保共闘から連合赤軍の幹部、植垣が赤軍派からの兵士。赤軍派から連合赤軍結党の責任者となった森恒夫の回想がないのが惜しまれる。森恒夫は、けっして自殺してはならなかったのだ。「森さん、ずるい」という永田洋子の感想は正しい。オウム真理教事件がよく連合赤軍事件と比べられるのだが、二つの事件は明らかに質が違う。連合赤軍の連中は、同志殺しや銃撃戦という突出した事件を引き起こしたのだが、論理的に思考し、語ることができる。宗教カルトに比べれば、ずっと普通の感覚を持った人たちなのである。ただ、好漢バロン植垣氏の著書で私が違和感を抱いたのは、すぐに「結婚」と言い出してしまうようなところです。閉鎖的なオコト社会を作り出していた赤軍派の兵士は、妙に純情で潔癖だったりする。悪意をもって描かれた連合赤軍モノのドラマなどとは、むしろ逆である。また、非常によく歌を歌う。もちろん当時流行っていた歌謡曲や反戦フォーク、そして最盛期を越えようとしていた反抗的なロックなんかではない。もっと古典的なコーラスであり、革命歌なのである。とってもマジメなのだ。後付けの知恵で言えば、連合赤軍事件の悲劇は本来まったく別の戦略を持っていた二つのセクトが野合したところに始まる。今夜はこれから『一九七二』の続きを読んで、それから寝床で『うしおととら』。とりあえず10巻目まで預かってます。明日読んでしまおう。
2003.12.24
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【追記】No.3昼食をとってから仕事に出かけようとしたら、ヒナが気持ちよさそうに寝ていた。二階の廊下はサンルームと化している。とってもうらやましかった。ヒナはいいなあ。今日は祝日なのだそうな。非国民なんで関係ない。でも、お正月みたいに静かで天気がいい。いい日だ。【追記】No.2追記で蔵出しは珍しいですが、忘れていたことを思い出したのです。一番下に書いてある、CD版『フィールド・フォークvol.1』はオリジナルのアナログLP版より一曲少ないのです。その説明。【2003年1月22日付日録より】[朝の四時から]お世話になっている大怪人野音氏の指摘で、CD版『フィールド・フォークvol.1』はアナログLPより1曲少ないことを知る。アナログ盤を引っ張り出してみると、「朝の四時から」。なるほど。107ソング・ブック・シリーズでも、CD復刻ではその曲が削られていた。これは「スキー」という童謡の替え歌ですね。 ♪ 山はしろがね~♪で始まるアレです。ナターシャ・セブンは地元の小学生と一緒に楽しく演奏してました。替え歌の歌詞は ♪ 朝の四時ごろ 空弁当下げて ♪ ウチを出て行く おやじの姿 ♪ ズボンはぼろぼろ 股引き履いて ♪ あ~あ、哀れなおやじの姿三行目が二番では ♪ パンツはぼろぼろ 中身が見える ♪三番では ♪ 靴はぼろぼろ ぼろ足袋履いて ♪懐かしくも下品で楽しく悲しい歌詞ではありませんか。元歌の著作権者を調べてみます。→「スキー」 作詞:時雨音羽 作曲:平井康三郎作曲は元大阪音楽大教授の平井康三郎さんで2002年11月30日逝去、享年92。ごく最近までお元気だったわけです。作詞の時雨音羽さんは「出船の港」「君恋し」「フニクリ・フニクラ」といったところが代表曲で、1980年に逝去。大物ですね。これでは、この替え歌は収録できなかっただろうなという結論に達しました。【追記】No.1おお、書き忘れておりました。わざとじゃないのよ。雑煮「のようなもの」路線もアリかも。雑煮自慢参加者熱烈募集中雑煮会の告知ページ参加ご希望の方はこちらで一言書き込んでください。 ↓ ↓ ↓新春 オンラインおらが雑煮品評会坂庭しょうごさんの訃報を聞いて、ザ・ナターシャー・セブンのCDを発掘する。107ソングブック全集はボックスセットを購入したので、いつもと違ってすぐに見つかった。全集はオリジナル・アルバム11枚に、「おまけ 完成記念発表会」が付いた12枚。LPで各アルバムに付いていた解説&楽譜が、ソングブックとして一冊に製本されている。(A4判128p)LPで発売当時は、数枚しか買うことができなかった。よく聴いたそのアルバムが結局CDでもお気に入りとなっている。たぶんizumatsu氏のところで聴いて、いいなと思って買ったのだと思う。それが『vol.7 山と川。フィールド・フォーク編』だ。パブロ・ネルーダの詞を笠木透さんが訳した「山と川-おいで一緒に-」をはじめ、「私の子供達へ-父さんの子守唄-」「わが大地のうた」「川のほとり」といった、笠木透さんの傑作曲が収録されている。「フィールド・フォーク」だけあって、録音は主に名田庄村で行なわれたもの。森の中で、風の音や、鳥の声、虫の羽音などと共に歌がある。坂庭しょうごさんの訃報を聞いた後なので、「川のほとり」が胸にしみる。 ♪ 人は去り 時は流れ ♪ 変わってゆくのか かなしいぞ人が老い、逝ってしまうのは避けられない。ザ・ナターシャー・セブンは107ソングブックの4人にメンバーが固定するまで、いろいろメンバーが変わっている。1972年に『高石ともやとザ・ナターシャー・セブン』が出た時には、坂庭しょうごさんはいない。高石ともや:ギター&ヴォーカル城田純二:バンジョー金海孝寛:マンドリン東理夫:ベースアルバムには歌詞&コードの他に「マンドリン即席教室」が書かれていたりする。CDでの復刻時にはこれが実に小さくて見にくい。拡大コピーをしないと、読めないだろう。107ソングブックのシリーズを作ったメンバーがおなじみのザ・ナターシャー・セブン。高石ともや城田じゅんじ坂庭しょうご木田たかすけ80年に木田たかすけさんが交通事故で亡くなり、つい先日坂庭しょうごさんが癌で亡くなった。昨日も書いたが、まるでビートルズのように、4人が2人になってしまった。本館より、ザ・ナターシャー・セブンについて触れた日録を蔵出しします。関係ない話がだらだらと長くて、最期にちらっと出てくるだけです。ちょっと忙しくて編集するのも面倒なので、そのまま行ってしまいま~す。【2003年1月21日付日録】[ きだみのる「気違い部落周游紀行」 ]世間的にはのんびりとした、土曜日の午後、車でとろとろ職場へ向かう。運動不足なんで、片道30分、歩いた方がいいよなあなどと考えていると、信号待ちで前に止まったCIMAが妙。大きい車だけど、それでもちょっとセンターライン越えるのはどうかしら。と、突然ティッシュをポイッ。一瞬コラコラとクラクションを鳴らそうとしたが、イヤな予感がするのでぐっと我慢。動き出すと、いきなりトランクが開く。あ、蛇行してる。あ、またティッシュ投げ捨て。あ、急ブレーキ。車間距離をめちゃくちゃたっぷりとりましたが、さすがに後続車も気づいたらしくて、みんな静かに見守っているだけです。その車はいつも私が立ち寄るセブンイレブンの前で急停車。ここぞとばかりにワタクシ+後続車群はアクセルを踏み込んで、危険地帯を脱したのでした。無免許なのか酔っ払いなのかシャブ中なのか、まあとりあえずヤっちゃん系でした。これって、オレの日常のヒトコマ。いいのか、のどかな県のんびり市?「きだみのる」の『気違い部落周游紀行』が冨山房百科文庫に入って、書店でよく見かけたのが80年代。買いそびれているうちに見かけなくなって、「絶版」などという噂を聞いて入手は断念していた。のだが、今日本屋さんを覗いたら堂々と陳列されていましたわ。買いました『気違い部落周游紀行』、定価1200円+悪税です。どぎついタイトルだよね。元々岩波書店の雑誌「世界」に連載されていたのだというから、驚き。「部落」はもちろん居住地域としての「集落」の意味であり、差別的な意図はまったくない。「気違い」の方も単なる記号として用いたというような弁明が中に書いてあるのだが、この語の方は完全にシロではない。ただ、それは今の世間様一般よりも、もっとちゃんとシロいと思うよ。きだみのる(山田吉彦)というのは不思議な人で、現在なら存在不可能でありそうな、在野の社会学者でありました。デュルケームを訳したりしてますが、なんといっても岩波文庫『ファーブル昆虫記』を林達夫と共訳していたというのがわかりやすい。ただ、林達夫は後できだのことをめちゃくちゃ言ってるらしいです。あ、『昆虫記』と言えば、あの大杉栄も翻訳しています。『気違い部落周游紀行』は第二次大戦敗戦直後、東京都下の山村での暮らしをおもしろおかしく書いたものであります。おもしろおかしく、なんですけどかなり衒学的(ぺだんちっく)でありまして、なおかつ村を社会学的に分析してしまいます。そういうことしたら、ムラには暮らせなくなるよね。幸か不幸かこの本はヒットして毎日文化賞を受賞する。それを機にきだみのるは「気違い部落」をキーワードに、放浪作家として後半生を送るのであります。このきだみのるが晩年一緒に放浪していた娘がいたのだが、その子は岩手県の山村にある小学校(分校)の教師夫妻に預けられる。その教員佐々木久雄さんが三好京三名で発表した小説が『子育てごっこ』です。直木賞受賞作、かな。実に数奇でありますね。『子育てごっこ』は映画化され、加藤剛と栗原小巻が夫妻を演じてます。娘を演じていた子役さんは牛原千恵ちゃん。NHKのドラマで今江祥智さんの作品をもとにした『優しさごっこ』でも、印象に残る演技をしてました。80年代半ばかな。きだみのるはもうボロクソに描かれてます。11歳の娘も野性児オオカミ少女扱い。それをまっとうに教育しようとする教師夫妻という、まあ感動バナでしょ?佐々木先生はいろいろな教育改革を実践していたということで、今も教育のお手本のように語られることがあるようです。ところが、娘さんグレて「積み木くずし」状態。その報道の中で、娘がまだかなり幼いうちに三好京三が手を出して性的関係を持ったなんつうのがバレてしまいます。いやはや、何がなんだか。------------------------------------------------ヤフオクで落札したCD『フィールド・フォーク from NAKATSUGAWA』が届く。このグループは表記がいろいろなんだけど、このアルバムでは「高石ともやとザ・ナターシャー・セブン」。文字どおりのひとびと音楽で、このアルバムは笠木透率いる我夢土下座のコンサート。波乱の第3回フォークジャンボリー(1971)を最後に、笠木透さんはジャンボリーをやめ、フィールド・フォーク・ムーブメントを始めます。自然の中で、野外活動とともに歌う歌ですね。バックパッカーは持ち運びに便利だけど、音が小さいから外ではキビシイよなあ。マーチンだったら図体も音もでかいD-45……ええなあ。フィールド・フォーク Vol.1 from NAKATSUGAWA(1972) 1. ほっちょせ節 2. 野茨鳩 3. 川下りブラック・ジャック 4. いの字の唄 5. 海に向かって 6. 付知の子守唄 7. 私の子供達へ 8. 青春の唄 9. 瀬戸の子守唄10. フィールド・フォーク・ラグ11. めぐりあい12. 親父の人生 13. 朝の四時ごろ 14. 音頭与三郎高石ともやとザ・ナターシャー・セブン(城田じゅんじ、金海たかひろ)我夢土下座、山本よしき、高石とし子
2003.12.23
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【追記】No.3冬至でございます。夕餉にはカボチャの煮物、お風呂には柚子が予定されています。こういう習慣は大好きです。お雑煮毎日でも、いいけど、正月は明けて七草粥や小豆粥もまた大好きなのでございます。芋、豆、栗、かぼちゃ、いいですね。こういうところもおばちゃん体質と呼ばれるユエンですな。夜泣きじじいなんだけど。【追記】No.2坂庭省吾さんが亡くなったらしい。まったく知らなかった。え?という印象。怪人野音氏に教えられて、オフィシャルサイトに行ってみる。BBSに書いてあった。そうか、亡くなったのか。享年53。合掌。【追記】No.1mae_coさんから「雑煮自慢」関連の連絡です。よろしく♪-----------------------------------------大家様、雑煮会の告知ページをつくりました。ご覧になってください。トップページから別窓で開きます。http://www.funk.ne.jp/~mae_web/-----------------------------------------年忘れプチコスプレ劇場終了!今回も楽しく遊ばせていただきました。ありがとうございました。書き込むことはできませんが、しばらくはこのまま放置しておきますので、どんなアホなことが行なわれていたのか、ご覧ください。事情により日録は更新できず。これから忙しいので、あまり【追記】もできないかもしれません。とりあえずお雑煮が楽しみ、ですよね?ということで、本館過去日録からもちつきモノを蔵出し。ベタですが、もちろんこの宣伝。雑煮自慢参加者熱烈募集中こちらで一言書き込んでください。↓新春 オンラインおらが雑煮品評会【2002年12月29日付日録】[餅搗き♪]今日は餅搗きだったのです。(12/28)「くんち餅はいかん」というので、毎年28日か30日に搗きます。道具が一式揃っているので、使わないとダメになるからということもあります。やっぱ暮れには餅搗きしないと、ということもあります。(それなら大掃除しろよ、おい。)でもまあ、なんと言っても手で搗いた餅がうまいということですな、私の動機は。あの、粗い、ザラっとした餅が、ンマイ!幻子心母は少し音を上げております。しかし独りでは搗けないので、まだまだ頑張ってもらいます。亡父は遠州の出でありました。すぐ隣の三河では良い石が採れたようで、その地方から遠州にかけては、餅搗き用の臼に石材が用いられることが多かったようなんですな。それで、うちの餅搗き臼も御影石製なのです。あんまり見かけませんよね。したがって、幻泉館主人幼少の砌(みぎり・おー、こう書くんだ)、おもしろくてためになる大日本講談社の絵本などで「さるかにがっせん」を見ては、「どうしてうちのうすとちがうんだろう?」と寂しく思ったものでした。もう一つ不思議なことがありました。朝5時ごろから餅搗きを始めるのです。元々亡父は大変な早起きさんで、高校生の私がオールナイトニッポンのエンディングや、「早起きも一度劇場」という古典芸能番組を聴きながら寝つこうとしていると(これは遅過ぎ)、元気に家中の掃除を始めたりしていました。私は朦朧としたままひと臼搗かされていたわけですな。餅搗きとはそういうものなんだと思いこんでいたのですが、どうも世間様は少し違うようだと、高校を卒業するころには気づき始めました。(もっと早く気づけよ)テレビなんぞで流れる餅搗き風景は当然昼間なのですが、あれはイベントだから特別に昼間やっているものだと思いこんでいたのですね。普通の家では、早朝に餅搗きをするのだろうと。昼間だと痛みやすいんじゃないかとか、勝手に思っていました。この謎が解けたのは、実はほんの数年前のことです。父方の親戚が言うのには、昔実家が饅頭屋をやっていたことがあるのだと。想像するに、常に営業していたわけではなくて、農閑期にいわゆる賃餅を搗いていたりしたのではなかろうかと。んなこと聞いてね~よ、プロだったんじゃん、でした。もちろん今は昼間、ぺったんぺったんしております。本当はぺったんじゃないな。振りがキマルと、ズシっといい音がします。元剣道部(関係ない)、このズシっが好きなのかもしれないですね。だらだらすんません、石の臼に話が戻るんですが、インターネットの通信販売サイトで見つけました。なんと「京セラ」の販売です。見た感じ、同じような臼です。うちでは下に台座はありません。だから杵を振り下ろした時にいい音がするのだと思います。位置が高いと、軽くしか搗けないんじゃないかな。それに、この臼めちゃくちゃ重いんですわ。一人では絶対持ち上げられない。というか、びくともしません。二人懸りでも、台座に持ち上げるのはきついと思います。だから、少しずつ回転させるようにして移動させるのです。あ、「京セラ」のはサイズが全然違うわ。うちのはもっとずっと大きいです。うちの家宝ってば、この石の臼じゃないかな。かなり昔から、たぶん昭和になるずっと前から使っているはずです。餅搗きの後、形だけの墓参りと、ゴミ処理の畑仕事。のどかな好日でありました。布団も干したぜ♪あ、年内まだまだ仕事あります。今日はたまたま休日になっただけです。「京セラ」餅搗き用石臼
2003.12.22
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【追記】No.8さあ、もう残り時間もわずか!年忘れプチコスプレ劇場閉幕間近!主催者chappiさんの大技が出ました!これでキマリか?24:00にファイルをロックして、書き込めなくします。言いたいことがあるなら今のうちだぞぉ~!【追記】No.7これは今日の富士山。夕陽が好き![I Love Sunset!] 更新しました。【追記】No.6畑仕事をしてから、浜へ夕陽を観に行く。天気が良くて風がないので、人出が多い。夕陽に向かって太鼓を叩く若者たちがいて、「おお!」と思ったのだが、あまり長い時間やらない。高価なカメラを抱えたおじさんたちに囲まれると嬉しそう。もう少し楽しく続けてほしかったな。【追記】No.5年忘れプチコスプレ劇場の開催期間も、あと12時間を切りました。あなたのお気に入り演技はどれだったでしょうか。別に順位は付けませんが、いちばん心に残った、キモを冷やした演技にレスを付けて、上に浮上させてくださいね。今まで黙ってご覧になっていた方も、ぜひひとこと書き込んでくださいませ♪【追記】No.4izumatsuさんは高校駅伝見てるのかな?午前中の女子でのんびり西高が出てるはずですが、どうだったのかしら。今日は天気が良いので、2階の廊下はサンルーム。せっかく幅が一間あるのに、野積みにした本で狭くなってる。そのさらにその上に載せた、IBMから貰った未開封の鞄がヒナの昼寝用ベッドになってます。いつでも同じような写真ですね。これは今の様子です。【追記】No.3雑煮自慢参加者熱烈募集中こちらで一言書き込んでください。↓新春 オンラインおらが雑煮品評会【追記】No.2土曜日の朝は、雪がほとんど降らないはずののんびり市でも、雪が降ったのだそうな。もちろん積もるはずもなく、私が目覚めた時には普通の晴れの日。人から聞くまで全然知りませんでした。 ♪ 目覚めた時には いつでも晴れてるそんな歌がありましたっけね。【追記】No.1年忘れプチコスプレ劇場最終日[ 会場はこちらです~♪ ]もう誰にも相手にされなくなったとの噂もある「楽天年忘れプチコスプレ劇場」ですが、残すところ一日となりました。12月21日(日)24時にファイルをロックして、書き込めないようにいたします。書き込める間にぜひ全部のスレッドを見直して、コメントをつけていただきたいと存じます。主催者chappiさんの連続技は爆笑必死!幻の新人による、さらなる弩級の演技が噂されておりますぞ!躊躇しているあなた、大丈夫です、恥ずかしくなんかありません、駆け込みアップだ~!どたばたしながらも、昨日分の日録は結構連続追記できてしまいました。幻子心母の年賀状はとりあえず50枚刷り出してみる。後で本当はここをこうしてほしかったなどとぐずぐず言われると面倒なので、本番だけど見本刷り。NTTから工事によるBフレッツ接続中断のお知らせが届きました。12月25日(木)の朝。切断自体は短いのですが、工事後TCP/IPを確立できなくなることが多いようです。そのような場合、NTTに問い合わせても、障害は発生していないという返事しか返ってきません。昼までに再接続できない場合は午後11時ごろまで幻泉館のサーバが停止することになります。その場合は店子の皆さんにご迷惑をおかけすることになります。「万が一」よりもずっ確率が高いので、心の準備をしておいてくださいませ。申し訳ございません。しかし、NTTというのは実に腹立たしい。電話加入債券である。前にも書いたが、ほとんど無価値になってしまった。日本全体でいったいいくら、顧客=国民は電話債券の含み損を被ったのか。赤字のために殺された国鉄がかわいそうだ。赤字だからこそ国が運営しなければならなかったのだろう。利益が出るなら民間がやればいい。国民の財産を私有化するというのは、日本資本主義発達史みたいなものだな。いったい郵政はどうなるのか。国際的郵便研究家トマス・ピンチョンによれば、郵便事業は中世から続く国際的地下組織によるものである。大きな声では言えないのだが、日本ではその組織の出張所入り口のドアを開けるには、走っている郵便車両の〒マークに触るのだそうな。ここだけの秘密だぜ。日本のネオナチと呼ばれる新国家主義者コイズミ君は、この秘密組織にハメられたのではないか。つまらないことにいちいち感動してみせている場合ではないのだ。ほら、今また3丁目にある特定郵便局が夕陽の下で競りにかけられた。「次、競売番号49!」
2003.12.21
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【追記】No.5ドタバタひっそり開催中の「楽天広場年忘れプチコスプレ劇場」、最終日は明日の日曜日です。まだ間に合うわ、あなたの隠し芸、ちがう、仮装、違う、プチコスプレ。ここらで今までの演技をひととおり振り返ってみてはいかが?[ 会場はこちらです~♪ ]【追記】No.4mae_coさん「新春 オンラインおらが雑煮品評会」始動。ところが、参加希望表明が2桁にならないと始めないなどと言い出してます。しょうがないなあ。mae_coさんが独りでバリバリ書いてもおもしろいはずなんだけど、お雑煮品評会で遊びたい人はここでコメント付けてくださ~い!mae_coさんは永遠の文学少女。楽天ではネコかぶってますけど、まさに手練の最高級日記作家ですよ。キーワードは川上弘美、勝井祐二。【追記】No.3それでね、「はっぴいえんど」の音なんですよね。わが心の師匠高田渡大人『ごあいさつ』といい、復刻盤許可出してくださいよエンヤトット岡林信康さん『見るまえに跳べ』といい、はっぴいえんどのメンバーが入っているのだ。シェケナベイベ内田裕也さんも怒るはずだわ。ミニバンド従えたよしだたくろうさんもうらやましがるはずだわ。「はっぴいえんど史観」には居心地の悪いものを感じるけど、このころ確かに大活躍して、とても大きな足跡を残しているのです。のどかな始まりの「待ちすぎた僕はとても疲れてしまった」、UAじゃないのよ「ミルクティー」もいい曲ですが、脳天気で好きなのが、「寝図美よこれが太平洋だ」。ビートルズがスタジオであれこれ楽しみながら録音していたのを真似た感じね。「寝図美」はネコの名前です。ヒナを浜に連れていっても、ダメだろうな。だいたい車に乗るのを怖がる。先代の大物チビ君は、車に乗るのが大好きだった。大菜園に連れていくと、喜んで畑の中を走り回り、穴を掘ったりして遊んでいた。本当に犬みたいなやつでした。チビに太平洋を見せてやりたかったな。きっと喜んだと思うよ。【追記】No.2ほい、またまたまたまた忘れてました。残る期間はあと二日!天然炸裂chappiさんの隠し球と、天使の降臨はどうなる?【追記】No.1湯上がりにヨーグルトなんぞ食べてます。ヒナがお風呂を覗いて入れてくれぃと騒いでました。濡れるのが嫌いなくせに、探検したくて仕方がないのです。今夜は夜なべ仕事ではなくて、幻子心母の年賀状作り。本当は喪中だろうが、なんだけど全然気にしない人です。プリンタのトラブルで少し悩んだのです。結局ばあさまの遺産の末端おこづかいがちょうどレーザーカラープリンタの金額ぐらいだったので、新プリンタを買ってきたのであります。てなことをしております。1曲め、「満足できるかな」はまあ、すごい曲です。ぎーこら、ぎーこら。ただ、なんといっても「カレーライス」だなあ。シングル盤も欲しかったけど、両方は買えなかった。シングルはフィドルが入ってて、「カレーライス」に関してはそっちの方が好きだったんです。これ、スリーフィンガーなんですよね。中3の時に受験勉強もせずに、一所懸命練習しました。今でも、馴染みのないギターに触れた時は、いつのまにか自然に「カレーライス」のイントロを弾いてしまいます。[G → Am](3カポぐらい)のタンタ、タラ、タン、タン~の音が好き♪昨日のジャネット・リンのパネルに引き続き、エンケンのポスターを貼った自作パネル。これは発掘ではなくて、プリンタ台にしている小さな机の下にずっと転がっていたもの。『満足できるかな』(1971年)のおまけのポスターです。日本のニール・ヤングなんて呼ばれたりしてました。本当はこのアルバムにまつわる話を書くつもりだったのですが、ちょっと時間がありません。今ちょっと忙しいのです。できるだけ【追記】したいですけど、無理かも。おわびに、当時の幻ちゃんの写真を付けておきます。高校の卒業アルバムの雁首写真。恥ずかしいので半分だけ。以前プロフィールに使ったらこれは誰なんじゃいと、不評だったものです。すんません、歩く諸行無常です。まったくの別人28号です。本当は中学校の卒業アルバムから載せた方が、ジャネット・リンや『満足できるかな』のころに近いのですが、アルバムを発掘している時間もちょっとありません。遠藤賢司『満足できるかな』(1971年)1. 満足できるかな2. カレーライス3. おやすみ4. 待ちすぎた僕はとても疲れてしまった5. 外は暑いのに6. 今日はとってもいい日みたい7. 寝図美よこれが太平洋だ8. ミルク・ティー9. 早く帰ろう10. 雪見酒11. 君はまだ帰ってこない
2003.12.20
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【追記】No.1来年のことを言うので笑ってやってください。楽天広場住民mae_coさん(元Lycos難民 関東在住)が「オンラインおらが雑煮品評会」の企画を立案中です。切り餅、丸餅、あんこ入り丸餅、焼き餅、尻餅などお餅の様式から、味噌、おすましなどお汁の具合、こんなに特殊な具を入れるなど、我が家のお雑煮を自慢しあいましょう。ちなみに、幻泉館ではこんな感じ。mae_coさんの掲示板への書き込みから自家引用します。-------------------------------------------------うちはおすまし。ただし、餅が少し溶け出したくらいのどろどろが私は好きです。澄んでなんかいない。今は亡き、従姉の亭主が「幻泉館のような味噌雑煮がいいな」と言っていたそうだが、それは違う。醤油なのに味噌っぽい、下品な雑煮なのであります。また、カシワなども入れずに、野菜たっぷりの方が好き。これはもはや雑煮ではないとの説も。一年中この食事でもかまわない。-------------------------------------------------いよいよ楽天広場幻の住民、主催者chappiさんが登場!この天然炸裂に勝てるのは誰?後半に突入した「楽天広場年忘れプチコスプレ劇場」。会場はこちらです。http://goodmusic.ddo.jp/~chappi/index.cgi調べ物をするために書庫を漁っていたら、思いがけなく懐かしいものを発掘してしまった。少し気になっていたものだ。やっぱり捨ててなかった。良かった。胸のところに大きな傷がついてしまったのが残念だが、三十年以上経ってもあの笑顔はそのままだった。ジャネット・リン♪Love, Peace & LifeJanet Lynn1971年の秋から1972年の春にかけて、僕はとてもヒマだった。同級生たちが一所懸命に受験勉強をしているのに、ギターを弾いたり、本を読んだり、深夜放送を聴いたり、もしかしたら生涯で一番のんびりできた半年かもしれない。これは当時の「のどかな県」の高校入試システムのおかげである。中学と高校の談合入試。内申書で公立高校八割の合格者がほぼ確定していた。私立にいたっては、100%決まっていたはずだ。だから、ほぼ満点に近い内申点をもらっていた僕は極楽生活を楽しんでいた。周囲は受験生だからと気をつかってくれるのだが、本人は何のプレッシャーもなく、早く高校生になりたいなあとのらくらしていた。それでマジメに高校の勉強の予習でもしていれば、今頃は高級官僚になって悪いことをいっぱいしていたかもしれない。これで良かったのだ。あれ?アイドルに夢中になったことがないなどと書いたような気がするが、ちょっと訂正。ジャネット・リン(敬称略)、大好きでした。別にフィギュア・スケートのファンでもなんでもない。札幌オリンピックであの演技を見て、いいなあと思っただけ。特にファンとしての活動なんぞもしていない。ただ、このパネルを作って飾っただけである。もう高校に入ってからだと思う。街でポスターを見かけて買った。千円はしなかったと思うのだが、月々のおこづかいを考えると、かなりの痛手を被る額だったはずだ。画鋲なんか使ったらもったいない。自分でパネルを作ることにした。近所に製材所があったので、そこへ行ってベニヤ板と角材を買った。金額をまったく覚えていないので、もしかしたらもらったのかもしれない。写真屋さんに行って、緑色の紙テープを買った。水に濡らして接着するやつだ。ポスターより少し小さめに板を切ってヘリを角材で補強する。糊を水でむちゃくちゃに薄めてポスターを貼る。紙テープで四方を止めてできあがり。日曜日を丸々一日つかって慎重に作業をしただけあって、出来上がりは申し分なかった。これに味をしめて、遠藤賢司『満足できるかな』を買った時に付いていたエンケンのポスターもパネルにしてみた。愛情が足りなかったようで、角材に少し隙間ができたのは残念であった。これはLPのジャケット2枚分の大きさでそれほど邪魔になるものではないので、書斎に転がっている。あさま山荘、連合赤軍事件の冬、僕は札幌オリンピックを楽しみ、ジャネット・リンの天使の笑顔に夢中になっていた。冬季オリンピックに関しては、長野での開催に関してなど実は書きたいことがいろいろあるのだが、【追記】はちょっと無理かも。
2003.12.19
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【追記】開催期間の半分が終わった、chappiさん炸裂企画「楽天広場年忘れプチコスプレ劇場」、私も毎日なんとか演技を続けております。ここまでネット上に恥を晒すことになろうとは思いませんでした。もうヤケです。なんでもやっちゃいます。まだご覧になっていない方、私の演じた「私のお気に入り」はこんなものです。 この画像だけで何を演じているのかわかった方、あなたそれはまずいかもしれません。私のは最低線でありまして、他の方々はもっとぶっとんでいます。うるとびーずさん演じるところの「幻泉館主人」や「貞子」など、いかに手をかけずに化けるか、プチコスプレの真髄をぜひご覧あれ。はい、しつこく宣伝、プチコスプレ会場。http://goodmusic.ddo.jp/~chappi/index.cgiところで、このイベントの副産物として「夜泣きじじい」なるハンドルがある。どうもこれがしっくりくる。「幻泉館主人」って、偉そうなんだよね。呼びかける時も困るみたい。ちょっと長いし、切って「御主人さん」もなんだかな。らいばあさんが編み出した「幻ちゃん」は悪くないけど、どうもいじめられキャラらしい。やだ、いぢめないで。今リアルパースンが呼ばれてる「★☆やん」でもいいんだけどさ、一応本名出してないんで、あまり好ましくない。本人は子泣きじじいみたいなものだし、昔の歌聴いて泣いてる「夜泣きじじい」、いい感じ。略称「じじい」も、なかなかいいじゃん。忙しくてまだ何も書けないので、とりあえず本館より蔵出し。漠然とした危機感を抱いていたようです。日本よ、日本人よ、いつからお前はそんなに偉くなったんだ?【2003年8月7日付日録】[大きくおなり 優しくおなり]ウィッシュというその昔のフォーク・デュオのベスト盤を買う。実はYAMAHAのポプコン系はあまり好きではない。午前1時から始まるオールナイトニッポン。それを聴く前に30分、仕方なく聴き流していた番組が「コッキーポップ」だった。なんだろうな、あの臭さは。それでも、今聴くとちょっとほろっとくる曲もある。谷山浩子さんの「カントリー・ガール」なんかそうかな。ウィッシュは「お葬式」という曲が有名なのだが、「六月の子守唄」、より正確にはその一節だけが妙に心に残っているのだ。 ♪ 大きくおなり 優しくおなり ひたすら子供に優しくなれと祈る。きっと私も、そんな子育てをしてみたかったのだと思う。優しいひとになりたかったし、優しいひとを求めていたし、優しいひとを育てたかった。これからだと子供が成人するまで面倒を見てやることができないから、もう私が子供を作ることはないだろう。それだけがこの世に、心残りかな。優しくおなり。松下竜一さんの『豆腐屋の四季』に、似たような言葉が出てくる。今手元にないので曖昧なのだが、幼い日の竜一さんが、自分の片目に星が入っていて見えないことで、母親をなじる。お母さんは、空の星が流れて竜一さんの目に入ったという話をする。そしてただただ優しかれ、優しくなれと竜一さんを育てるのである。自費出版だった『豆腐屋の四季』が講談社から出版されてベストセラーになるのが1969年。緒方挙主演のテレビドラマを毎週見たものだった。少し調子のいい弟役を林隆三さんが演じていた。貧しくとも誠実に生きる主人公の姿に、日本中が共感できた時代だったのだ。その少し前から東芝日曜劇場で時々やっていたシリーズに「天国の父ちゃんこんにちは」というのがあった。森光子さんが演じる「日比野さん」が、「こんちわ~、パンツ屋です!」と、行商をして松山省二さん、二木てるみさんといった子供たちを育てる話。話がビンボです。泣けるんです。最後に森光子さんが、今は亡き「父ちゃん」がプロポーズした時の言葉を朗読するのがお約束。> 貧しいから> あなたにあげられるものといったら、> さわやかな五月の若葉と、> 精一杯愛する心だけです。> でも、結婚してくれますか。うろ覚えなので、少し違うかもしれない。今思うと、貧しいけれど、ではない。貧しいから、愛と優しさに満ちていたのだ。いま、優しく生きることは困難だと思う。目をつぶって、耳をふさいでいるのは、それは優しくなんてない。見るべきものを見て、聞くべきことを聞いて、怒るべきことを怒り、そしてなおかつ優しく生きたい。
2003.12.18
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【追記】No.2ところで昨日の日録で蔵出しの「ヒナの由来」が意外にウケてしまったので、調子に乗って補足しておきます。ヒナは若く見えますが、実は結構トシです。人類の年齢に換算すると、そろそろ私を追い越していると思います。(すげえトシじゃんね)そのころ、佐伯日菜子さんはまだそれほど多くのお仕事をしていませんでした。どうしてこんな夜泣きじじいが、かわいいお嬢さん佐伯日菜子さんの名前を知ったのか?デビュー作を観たからです。『毎日が夏休み』(1994年)。原作のマンガが大島弓子さんで、監督が金子修介さん。素敵なお父さん役を、佐野史郎さんが演ってます。ね、わかってくれる人はわかってくれると思います♪(あたりまえだわな)【追記】No.1 プチコスプレ会場http://goodmusic.ddo.jp/~chappi/index.cgiまたまたまた忘れておりました。わざとやってるんじゃないかってぐらいアホ。けっしてそのようなことはございません。本命さんが風邪でダウンして停滞気味だけどそれでも、絶賛開演中!ふるって御参加くださいませ。今年の夏、2003年8月。僕はものごころついてから一番静かな夏休みをすごした。宿題を抱えた一週間だったが、雨が続いて、どこにもでかけなかった。唯一のイベントは、かわいい子供のお見舞い。浜の近くにあるおうちに少しの間お邪魔しただけだ。雨上がりの深夜に散歩をした。普段はは暴走族がゆっくりと駆け抜けるような通りに、車がまったく通っていない。夜空を見上げると、いつもより少しだけ星が多かった。ふっと口をついて出たのが、「少年」という曲。 ♪ 去年の ぼくの心の中は Am E7 F6 Am ♪ ひどく おだやかで静かだった Am G7 C E7北原早苗さんの「少年」(1970年)である。作詞が万里村ゆき子さん、作曲が加藤和彦さん(!)。静かに思春期の少年の心情を歌っていて、身に覚えのある元少年としては、胸が痛くなるような曲だ。実はこの北原早苗さんのことはほとんど知らない。「北原早苗、トン子です!」という声を聞いたことがあるような気もするのだが、番組はまったく記憶にない。AM放送のスポットCMで、この冒頭をよく耳にしたのかもしれない。まだ吉田拓郎さんが出現する前、フォーク調歌謡曲である。僕はまだ中学2年生だった。もうすぐ「14歳」。中学生のころ、僕は抜群の優等生だった。多少ひねくれた発言はするものの、学校の授業を聞いているだけでテストではほぼ満点が取れたし、剣道部で毎日まじめに練習していた。田舎の中学校なので男子は全員坊主刈り。時々セルフレームのメガネを掛ける、かわいい(ホント!)優等生だった。でも、僕の心の中が「ひどくおだやかで静か」だったことなどない。それから十年近くの間、痛いほどの感受性に苦しみ、常に狂気と隣り合わせのところにいた。僕が「酒鬼薔薇少年」にならなかったのは、たぶん運が良かっただけなのだ。 ♪ ともだちの生きかた おんなのひとのにおい E7 A C#m Bm7 E7 ♪ だれかのうわさや ふしぎな胸さわぎ E7 F#m C#m D E7今年の夏、僕の心がひどく穏やかで静かだったのは、そんなものをすべて切り落したからにすぎない。心を乱すものから逃げ出して、雨上がりの夜空を見上げていたのだ。それが2003年8月の20日過ぎ。一週間ほどして、僕はなにげなく「楽天広場」に日記をアップし始めた。北原早苗さんの「少年」は数年前に投げ売りの中古でシングルレコードを買ったのだが、手製復刻CDがどこかに沈んでしまった。また作業をするのは面倒なので検索してみたら、CDで発売されていた。単独ではなく、「極・奥のフォーク道」という企画もので、4枚組。今手に入るのかどうか知らないが、同じDisc3には、> ひとつぶの涙/シモンズ> 花のように/ベッツィ&クリス> 一人の道/ピンク・ピクルス> 比叡おろし/小林啓子といった曲が並んでいて、これはちょっと聴いてみたいラインナップでありました。
2003.12.17
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【追記】No.4 (【追記】No.2は一番下にあります。)調子が悪いので横になって、でもPCをいじってうだうだしていたら、大事な約束をすっぽかしてしまった。時間に几帳面な幻泉館主人にとっては(ホントだってば!)、珍しいことである。連絡がきたので、なんとか待っていてもらう。思わぬ不覚でありました。反省。【追記】No.3ひさしぶりにテレビのニュース番組を見て感じました。テレビを見ていると、自衛隊派兵が当然のことのように思わされる。2003年の[9.11]とは、チリのアジェンデ政権が軍事クーデターで倒された日から、ちょうど三十周年に当たる日でした。中南米の危機構造はずっと続いています。アメリカは今またアラブを中南米化しつつあります。このままでは、戦争状態がずっと続いてしまうことでしょう。ぜひご覧になってください。【2003年9月24日付 幻泉館日録@楽天】 [ 人生よ、ありがとう:サンチャゴに雨が降る ]【追記】No.1 プチコスプレ会場http://goodmusic.ddo.jp/~chappi/index.cgiまたまた忘れておりました。これを書いておかなければならないのだった。ぼちぼち誰からも相手にされなくなったけどそれでも、絶賛開演中!ふるって御参加くださいませ。事情により、日録の更新ができずにおります。とりあえず本館より蔵出し。めちゃくちゃ季節ハズレですが、ヒナ祭りのころに、うちの猫ヒナの名前の由来を書いたものです。画像も既出モノ。今寝てるんで、起こすわけにもまいりません。また【追記】できるかな?----------------------------------------------【2003年3月4日付日録より】[ヒナの由来]今日はまだ3/3(月)です。雛祭り。うちの猫の名前がヒナなんで、めでたいです。で、雛祭りって何だろうと思って広辞苑を引いてみます。> 五節句の一へ? 五節句って聞いたことあるけど、知りません。> 1月7日・3月3日・5月5日・7月7日・9月9日はぁ。それぞれ名前があって、人日、上巳、端午、七夕、重陽なんだそうです。だんだん深みにはまってきたな。もちろん本来は全部陰暦ですね。上巳の節句は陰暦三月始めの巳の日だったのが、三日に変わったんだそうです。宮中行事もあるんですね、国民の祝日にしてくれ。祝祭日とまとめて言ってしまいますが、本来祭日は宮中行事のある日のことです。さて、ヒナです。鄙(読めるけど書けません)は田舎を意味します。雛(読めるけど書けません)はいろいろな意味があります。広辞苑では雛の一つ目に「孵化して間もない鳥の子」と出ています。「ひよこ」「ひなどり」。うちに来たばかりのヒナはキツネザルみたいな赤ん坊で、確かにこんな感じでした。でも、命名の由来はこれではありません。雛の二つ目の意味に「女児などの玩具とする小さい人形」と出ています。雛祭りの雛人形ですね、「女児など」という説明が不思議です。辞書編纂者は「など」にどんな意味をこめたのでしょう。男児ではなさそうだなあ。元女児の人達かなあ。そーゆーことを言うと、セクハラだと怒られます。上巳の節句には、「女児のある家で幸福・成長を祈って雛壇を設けて雛人形を飾り、調度品を具え、菱餅・白酒・桃の花などを供える」のだそうです。それが雛祭り。雛人形って、小さいときは恐かったなあ。首を外して仕舞ってあるでしょ、あの首が夢に出そうでたまらなかったです。雛の三つ目の意味に「小さい、愛らしい意」とあります。おお、これこれ、サンスクリット語から入ったのでしょうか?先代の猫が「チビ」君だったので、「ヒナ」ちゃんは同じ意味になります。大乗仏教のことをマハーヤーナと言いますね。(Mahayana = great vehicle)インドのガンジーさん、前に付けるマハトマは尊称で「大聖」です。(Mahatma Gandhi)オウム真理教直営のPCショップだった「Maha posya」は「偉大なる繁栄」という意味なんだそうです。で、大乗仏教の側から衆生済度を忘れて自己の解脱だけを求める立場を批判して遣うのが「小乗仏教」。小さいというより劣ったという語感ですが、ヒナヤーナですね。まあ小さい乗り物。(Hinayana = lesser vehicle)でも、ヒナの由来はこの意味でもありません。実を申しますと、女優の佐伯日菜子さんの「ヒナ」でございます。器量良しに育てよという願い?(語尾を揚げるなよ、気持ち悪い)でも、日菜子さん、ずいぶん天然ぼけ入った人みたいですね。以前BSの深夜番組でよくお見掛けしましたが、テンポが妙でした。「貞子」やったり、「エコエコアザラク」だったり、「ギプス」だったり、あんまり普通の役やりませんなあ。佐伯日菜子さんofficial site【追記】No.2メーテルリンクの『青い鳥』。なんだか結論が説教臭いくていやなんだけど、「青い鳥」を求めて旅に出るというのがとても魅力的なんだよね。『銀河鉄道999』のメーテルって、メーテルリンクから採ったのかしら。どうにもならない時、二つの種類の行動がある。自殺するタイプと、家出するタイプと。ウソです。二分法で語る人はウソが多いので気をつけてください。人を追い詰めるためにこういう言い方をしたがる人物がいて、大迷惑を被りました。私はそういうものに騙されないので、そいつは私のことを避けてました。きっと天敵のように見えたのでしょう。こそこそ逃げ回っては「こっち側」「あっち側」というように人を分類していたようです。吉本隆明かぶれの自称「文学者」です。人を「政治家」と「文学者」の二つに分けてました。吉本さん御本人はいい方なのですが、かぶれちゃってるやつには碌なのがいなかったです。吉本隆明と並び称されていたのが谷川雁で、私たちの年代で谷川かぶれというのはあまりいませんでしたが、かぶれちゃってる人は、もっとずっとまともだったように思います。思想の持つ傾向というのがあって、吉本教はあまり人を育てなかったように思います。ここ十年、とにかく忙しさのおかげで何も考えずに暮らしてきました。ほとんど外へ出ることもない、ひきこもりおやじみたいなものです。でも、ウソの二分類をすれば、私は明らかに家出型の人間です。放り出して逃げちゃう。不思議に自殺未遂との遭遇率が高いという話は書いたでしょうか。一人の人間が繰り返して未遂を計るというのではなくて、いろいろな人の自殺未遂です。農薬を飲んだ未遂者を救急センターに運び、医師と共に水を大量に飲ませて吐かせたこともあります。いくら水で薄めても、吐瀉する水はいつまでも農薬臭いのです。睡眠薬。睡眠薬+リストカット。普通、こんなに遭遇するものなのでしょうか。それとも、ほかならぬ私自身がそうさせてしまったのでしょうか。私自身は痛いのや苦しいのが嫌いなので、自殺を考えたとしても実際にそんなことまでしたことはありません。立ち会ってしまった現場では、とにかく未遂者の命を救わなければならないのだということだけしか考えていません。ただひたすら急いで動いているだけです。「死んじゃダメだ」と言いながら泣いています。ここのお客様はご存知ないでしょうが、幻泉館主人はかなりの泣き虫です。その時に「死なせて」と懇願されたり、「どうして助けたんだ」と責められたことはありません。動きの鈍くなった未遂者たちは、みんな素直に言うことを聞き、助かろうとしてくれました。でも、もしその時に「どうして死んではいけないのか」と反問されていたら、私は説得力のある言葉を発することはできなかったことでしょう。人はなぜ生きなければならないんだろう。不惑を越えても、なかなかその答えが見つかりませんでした。高橋和巳が『邪宗門』で「ひのもと救霊会」の教義に自殺容認を仕掛けています。それが虚構を構築するうえでの創作なのか、モデルとなった大本が本当にそうなのか、私は知りません。「おかえり」と迎えてくれるあたたかい場所が、「死んでもいいんだよ」と包んでくれるという設定は、魅力的だと思いました。大本の人に会ってみても、それは創作だと言われるだけでした。でも、そのおかげで後になって答えを見つけるきっかけにはなったようです。人は生きなければならない。いいんだよ、無理なら放り投げりゃ。
2003.12.16
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【追記】No.4 (一番下に【追記】No.3があります)天気がいいので、2階の廊下がサンルームと化していた。ヒナが昼寝。いいなあ。お、そろそろ夕陽だ。抜け出せるかな?【追記】No.2 昨日(14日)撮影。夕陽が好き![I Love Sunset!] 更新しました。【追記】No.1プチコスプレ会場http://goodmusic.ddo.jp/~chappi/index.cgiまた忘れておりました。これを書いておかなければならないのだった。ヒンシュク買いながらも、絶賛開演中!ふるって御参加くださいませ。高野悦子さんの『二十歳の原点』って映画になってたんだなぁ。知らなかった。四人囃子のサントラ盤もまるで知らない。二十歳の原点原作が1971年で映画は1973年。売れたんだろうな。原作はいつかどこかで読んだはずなんだけど、あんまり覚えていない。いや、覚えてるんだけど、混ざっちゃってるんです。拾った日記と。今は、そんなことはしないんだけど、80年代末から90年代初めにかけて都内某所に暮らしていたころ、よく本を拾いました。きちっと結束してゴミに出してあるやつ。うちにある筒井康隆全集なんて、そうやって拾ったものです。すいません、ビンボだったんです。総会屋さんが出してる紳士録を拾ったことがあって、中を読んでもつまらないし、普通の古本屋さんではあんまり評価されない。そこで神保町の名簿専門古書店に持っていった。一緒にいったやつと、「牛丼大盛り+卵+お新香」というフルコースの上に、珈琲館のコーヒーまで飲んで、さらにおつりが来るという大贅沢ができたのであった。今、資源ゴミで出してあるやつなんかはダメよ。犯罪になるみたいだから。何の話だ?そうそう、日記を拾ったんだった。ある夜、映画のパンフレット類がかなりたくさん入った結束を見かけたのです。なんだ、金田一シリーズかと思ったのですが、ちょっとはみ出していたところに「寺山修司」の文字が。それで、どっこいしょと持って帰りました。不要な分はまたしっかり結束して戻すつもりでした。ところが、その中に入ってたんですね、日記が。それから、手書きの詩集。短大卒業時の寄せ書きなんかも入ってて、個人情報満載。さらに、かなり正直に、日々の事実と感想が書いてあるのです。う……。徹夜して読んじゃいました。読んだ内容はここに書けないんですが、一つだけ。自他共に認める、大場久美子似だったようです。(アイドル時代のね)どうしてこんなことを思い出したかというと、さっきどこかで「大場久美子」という名前を見かけたのと(あ、ある方のメッセージだ!)、イルカさんの「ママの日記帳(ダイアリー)」という曲を聴きたくなったからなのです。家捜ししたけど、幻泉館をなめちゃいけない。聴きたいCDなんてそうそう簡単に出てくるものじゃない。というか、CD持ってないかも。amazonで検索したら、『あしたの君へ』(1980年)というライブアルバムに入っていたようです。冬馬クンがずるずるハイハイしてますって時。アイドル石野真子ちゃんに作ったら内容が幼すぎたのでボツになっちゃった。だから私が歌っちゃう。そんなことを言ってたと思います。>2年間の冬眠の後に行なわれた’79年12月1,2日渋谷公会堂でのライヴ。それで、日記について考察しようと思ったのですね。ここで力尽きました。後はまたぼちぼちと【追記】で。【追記】No.3そう、それで日記だ。幻泉館日録@楽天はあまり日常雑記を書いていない。やはりちょうど昔の深夜放送のDJがネタとして触れる程度のことしか書いていない。あまり個人情報をさらしたくないということもあるし、まったく面識のない人に私の身辺雑記をおもしろく読んでもらうほどの文章力は持ち合わせていない。だから日記らしくない日記、深夜放送のリクエストカード兼DJみたいなことになっている。本館の方では身辺雑記も書くつもりだったのだが、ちょっと時間も足りなくて、おルスになっている。本館は知人ばかりが読んでいるので、近況報告のつもりもあった。元々日記が書きたくて自宅サーバなど始めたのではない。それは逆で、前から自分で公開サーバを作ってみたかっただけのことなのだ。Apacheを外に向かって開いてみたかっただけ。ホームページの更新になるべく手をかけないようにするには、日記用スクリプトを拾ってくるのが楽だろうということで、今の幻泉館本館ができあがった。本末転倒で、今は楽天で日記を書いている方が楽しくなってしまった。もっとも、サーバを立てているおかげで簡単に掲示板を作ってアホなお祭りをしたり、楽天側を監視することもできる。一時期は楽天広場住民に読んでほしくないことを本館で書くということもしてみた。これは失敗。だって、来てねとリンク張ってるんだもの。油断して吐露した心情を当事者に読まれるなどという失態があったりする。実に恥ずかしいことであります。読まれることを前提として書いているのが公開日記なのに、不思議ですね。後悔日記。公開日記ではない、自分が読む日記は?基本的には、ウェブにそんなものをおいてはいけません。安全確保できないので、他人に読まれたくないことは、非公開となっていても、絶対に書き込まない方がよろしいです。自分だけが読む日記。人によって違うのだろうが、その日に考えたことや心情吐露は、後になると意外になんのことだわからなかったりする。日記を破いてすてたくなったりもする。実際、私は何度も破って捨てた。それも後に悔やむことになるのだが。学生時代、克明に金銭出納簿をつけていた。その日に何をしたかがよくわかる。私の場合は、[金銭出納簿=日記]で全然かまわない。ただ、経済活動をまったく行なわない日もある。あまりうまくいったことがないのだが、飲み食いしたものを克明に記録するのがいいのかもしれない。正岡子規が、食べたものを淡々と書きつづってましたね。子規先生は菓子パンなんぞが大好き。もう身体が弱っていて受け付けないので、吐いたりしながらも、やたらに食い意地が張ってます。印象的なのは、時々リッチな膳を注文して、一度では食べきれないので、また煮直したりして食べるのです。世話をしてくれている母親と妹(だったっっけ?)には何もやらないのというのが強烈でした。で、気づいたのです。楽天広場の非公開日記。何のためにあるのかと思ったら、おこづかい帳と食い物の記録に使えばいいんじゃないかと。万一情報が洩れても、あまりさしつかえないだろうし。ただし、それを公開する勇気は、私にはありません。あとは『アンネの日記』の、父親が改変した部分や、この出版物の意味について書きたかったのですが、それはまたの機会に。パンタさんの『クリスタル・ナハト』の時かな。
2003.12.15
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【追記】No.5本日の撮影。千本浜より夕陽に映える富士山。のんびり市からだと、手前の愛鷹山が富士山をだいぶ隠してしまいます。幻泉館は山に近い住宅地にあるので、こんなには見えません。他の画像はまだアップしていません。【追記】No.4日曜日らしく、畑仕事と浜での夕陽撮影。幻泉館大菜園の綿花は霜枯れていた。明け方寒かったものなあ。同様に立ち枯れた里芋やエンジェル・トランペットも撮影したのだが、夕陽を撮る時に誤って削除してしまった。1枚削除のつもりで全削除してしまったのだ。あほぉ。幻子心母は綿花の実を割ってみて、まだだねえとつぶやく。時期が遅かったからいかんので、今度は3月に種を蒔くと言っている。それでさ、綿花栽培してどうするのよ。どうもこの人は種を見ると蒔いてしまう癖があるらしい。もう三十年以上も昔のことだが、家で十姉妹を飼っていた時には、餌の麻の実を蒔いて栽培していたらしい。知らなかった。あんた、そりゃ犯罪でんがな。【追記】No.3「もう戦争はいらない」バッジが届いた。20しか頼まなかったので、あっという間に捌けそう。郵送分はコピーした署名用紙も入れたので、封筒がふくらんでしまう。「憲法改悪に反対し、9条をまもり、平和のために生かすことを求めます」という署名用紙である。ひごろそういう活動をまったくしたことない私がこんなふうに動くのは、今までこんなに大きな危機感を抱いたことがないからだ。大変なことが起きつつあるのだとわかってほしい。このままでは、来年は憲法9条が削られる年になる。2004年を憲法改悪の年にしてはならない。【追記】No.2プチコスプレ会場http://goodmusic.ddo.jp/~chappi/index.cgi忘れておりました。これを書いておかなければならないのだった。大好評のうちに絶賛開演中!なのであります。ホントよ。【追記】No.1ところで一般に斉藤哲夫さんがメジャーでブレイクしたとされるのは、1981年の「いまのキミはピカピカに光って」です。ミノルタの大ヒットCMで流れていた曲です。木の枝の下で宮崎美子さんがきょろきょろと辺りを見て、それから水着に着替えるCM。とってもかわいかったですね。宮崎美子(淑子)さんは当時まだ熊本大学の学生さんでした。1980年、篠山紀信さんの撮影ということで現役大学生を公募したのに応じて、「週刊朝日」の表紙に載ったのがきっかけです。同様なデビューの仕方をした熊本大学の学生さんに、斉藤慶子さんがいます。このお二方はともにとてもかわいい方なのですが、知性という点ではかなり差があるように思います。その差が、つまり斉藤さんは「共通一次世代」であるということです。不思議なのですが、「センター試験世代」という言い方はまったくしません。でも、80年ごろには、「共通一次世代」ということが盛んに言われました。新しく入学してきた学生たちの学力水準があまりにも低いので、大学の先生たちが危機感を抱いたのです。今「センター試験世代」ということがあまり言われないのは、問題が解決したからではありません。センター試験を前提としているために、そのような問題意識がないのです。やめればいいのに。文部省の大学入試センターは、自力でデータを活用することができません。大予備校が独自に集計した結果を分析して、「ボーダー予想」を発表することによって、受験のシステムが機能しているのです。あほらしいこっちゃです。入学試験、要りません。マジメに勉強しない学生に単位を認定しなければ良いだけなのですから。「いまのキミはピカピカに光って」の大ヒットは、70年代の斉藤哲夫さんを知っている人にはちょっとショックでした。これもまた極端な言い方なのですが、斉藤哲夫さんは「若き哲学者」というイメージでとらえられていたからです。70年代初めに中学生だった僕は、URCのレコードをそれほど買うことができませんでした。ごくわずか買うことができたレコードの一枚が、斉藤哲夫さんの「されど私の人生」です。『たくろう・オン・ステージ ともだち』で吉田拓郎さんが歌っているので、当時の斉藤哲夫さんの曲の中では格段に知名度の高い曲です。 ♪ もう どうでも いいのさ ♪ つまらぬことは 考えないで喉から絞り出すような声で、虚無的な歌詞を歌っていました。とても魅力的な曲なのですが、斉藤さんは実はとてもポップな感覚の曲が得意なのです。貼られたラベルに振り回されたような、不運なシンガー・ソング・ライターだと言えるでしょう。だらだらと仕事をしながら、MDにダビングした五つの赤い風船の『ゲームは終わり』を聴く。1枚目冒頭、長野隆さんの語りにかぶさる「私は地の果てまで」がいい。これは元々上映と演奏は別だよなぁ。同時には無理だもんなぁ。3枚目の冒頭が斉藤哲夫さんの「吉祥寺」。吉祥寺南口の風景が頭に浮かぶ。今と少し違う、70年代後半。国鉄の駅ビル「ロンロン」ができたばかり。 ♪ 武蔵野の道は 森の道ハイファイセットと田中星児さんが歌った2曲が入ったソノシートをもらった。マクドナルドやMUJIの建物はまだない。南口に出て、今とまったく同じようにバスをやりすごして細い道を渡る。ブックスいずみで少し立ち読みをしてから、講談社漫画文庫の新刊をチェックする。『男おいどん』の次の巻は出てるかな?水道道路を渡り、小田急のバス停の人混みを通り抜けて左に曲がる。丸井はもうできていた。井の頭不動産のおやじさんは、マンガにしやすい。さっぱりとした角刈りにメガネをかけていて、てきぱきとお客さんを迎え入れる。焼き鳥屋さん、いせやさん、焼きとうもろこしの屋台。当時は、公園に入ってしまうと平日の人通りは少なかった。橋を渡って少し広くなったところに交番があるのだが、でも痴漢によく遭ったのもこのあたり。オレは男だ!夜遅くなると、こんなところでこんなことまでしちゃっていいのかというようなカップルがいた。昼間は、そこを少し左に歩いたあたりでベンチに腰を下ろして、池と空を見ていたものだ。斉藤哲夫さんの「吉祥寺」のバックはアーリー・タイムス・ストリングス・バンド。印象的なアコーディオンを演奏しているのが竹田裕美子さんで、このコンサートがデビューなんだそうな。今は五つの赤い風船2000に参加している。>アーリー・タイムス・ストリングス・バンドは吉祥寺の古い一軒家のガラクタの中から生まれ、旅をして、たどり着いた純白の四角い部屋でとうとう崩壊しました。CDがオフノートから出ています。力尽きました。またぼちぼち追記します。
2003.12.14
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【追記】No.6プチコスプレ会場http://goodmusic.ddo.jp/~chappi/index.cgi急げ、一番乗り!お~い、主催者chappiさん~、どこにいるの~???【追記】No.5まだ仕事してます。プチコスプレ会場をちゃんときれいに整える時間がないかもしれません。ゴタゴタしてますが、時間が来たら、この上に【追記】No.6でURLを書き込むことにいたします。【追記】No.4もうすぐだよ、プチコスプレ!午前零時にURL発表します。画像を準備してね♪【追記】No.3あったかいなあ。ぬくぬく。なんだかとってもいい夢(ひ・み・つ)♪とろ~り。はっと気づくと、もう昼下がり。ヤバっ、今日は仕事だ!という大寝坊でした。ひさびさの大失策でございます。やっと事務所で一息ついたところ。そうだ、プチコスプレ今夜からじゃん。会場の飾り付けは顰蹙モノです。いやな予感がしたんだ。日付が変わったらURLを発表します。あ、主催者chappiさん、画像アップできないんだっけ?そうすると私が桜一号出しておかないといけないのか?こりゃ忙しいな。さて、何に化ける?My Favorite Things ...楽天広場年忘れプチコスプレ劇場は今夜24:00から開催です。気軽に御参加ください。【追記】No.1 (No.2は一番下です)今夜は楽天広場のシステム、ぐらぐらですね。いろいろ見えたり見えなかったり。ちょっとやることもあるので、日記の更新は夜が明けてからにします。更新を期待していらしてくださった方、ごめんなさい。みんな忘れちゃったと思いますけど、明日の夜から1週間+24時間開くんですよぉ!こんな時にこんなアホなことやってていいのか?いいんです。わいわい楽しみながら、平和の大切さを訴えてください。(無理があるぞ)告知文再掲します。ふるって御参加くださいませ。--------------------------------------------「楽天広場年忘れプチコスプレ劇場」しませんか?場所:幻泉館特設プチコスプレ会場 URLは開始時刻にここ、幻泉館日録@楽天にて発表期間:12月14日(日)00:00 ~ 21日(日)24:00お題:私のお気に入り(美少年,美少女、大根,天使など)画像を出展する方も見てる方もやさしいコメントをしてあげてください。お問い合わせは、幻泉館主人またはizumatsuさんまで。 主催者chappi--------------------------------------------【追記】No.2幻子心母は退職教員であります。教え子からの手紙の返事に困っていた。今度小学校に上がるお子さんに少し障碍があるのだが、それで迷っているのだそうな。選べるのなら普通学級に行った方がいいよと、後押ししてあげた。そう言い切るのにためらいを感じていたようだ。この前近所を歩いていて、小さなタバコ屋さんが店仕舞いしていたのに気づいた。いつもおばあさんが店番をしていたのだが、奥には身体の不自由な息子さんが横になっているのが見えていた。いやでも人は年をとっていくのだが、おばあさんはその息子さんのことが一番気掛かりだったはずだ。自分が死んだらこの子はどうなる。人一倍大きな思いを残して、先にこの世を去らなければならない。できるだけ自立できるようにしておかなければ。小樽の大学を出た「田中さん」は、新聞記者だった。商業紙ではなくて、政党の機関紙の記者。商科大学の出身だが、革命のための経済学が自分の未完の卒業論文なのだと言っていた。ローザ・ルクセンブルク。本当は経済学ではなくて、革命のロマンを描きたかったのだろう。田中さんの家は障害児を普通学級に入れようという運動の事務局になっていた。格別その理論とも実践とも関係はなかったのだが、人から頼まれて通信の発送作業を手伝いに行った。音楽を聴いておしゃべりをしながら、淡々と折り込み作業をする。いろいろな人と会えて楽しかったし、飯と風呂を御馳走になるのが嬉しかった。そうだ、無一文で引っ越しをした後で、金がなかったのだ。僕は大好きな吉祥寺の町から出て行かなければならなかった。本郷にある小さな会社に勤めるようになっていたので、保証人と月々の給料は確保できる。早稲田にある不動産屋に飛び込んで、事情を話した。「おばさんに任せなさい」と、不動産屋のおばちゃんが言ってくれた。「そういうことならいい人がいるよ。」安部球場の裏にある駄菓子屋の二階を紹介してくれた。部屋代を持って行くと、店番をしていたおばあちゃんがお菓子をくれた。Izumatsuクン、六本木の町とは大違いだろう。あのころはまだ人情が残っていたよ。安部球場も、その駄菓子屋も、今はもうないけどな。ローザで思い出した。今年の春かな、夜中にテレビを点けたら、どんとの「魚ごっこ」が流れていてびっくりした。ボ・ガンボスのライブ番組かと思ったら、そうではなくて「秘蔵映像一挙公開シンガーソングライター夢の名曲集」というめちゃくちゃなタイトルの番組だった。佐野史郎さんと、コロコロっとしたアナウンサーさんが司会。どんとさんが亡くなって3年も経つんだ。西岡恭蔵さんが亡くなって、もうすぐ4年。そんなに時間が経過したという実感がまるでない。薄い時間を生きているのだろう。この春には古尾谷雅人さんも亡くなった。同世代なのでショックでした。今の若者には、『金田一少年の事件簿』の剣持警部なのかな。私にとっては、なんといっても大森一樹監督『ヒポクラテスたち』(1980年)の主人公、愛作君です。軽妙に描かれているのだが、医師になることをやめた大森一樹監督の苦悩が反映されている。同級生を演じる伊藤蘭たちや寮生の阿藤海、内藤剛志、斉藤洋介といった面々の青春群像が楽しく、痛ましい。大森監督が、内藤さんや斉藤さんたちと『ヒポクラテスたち』の続編を作ろうと話していたそうだ。医師になった(あるいはならなかった)「その後のヒポクラテス」たちは見てみたかった。そうか、続編作っても伊藤蘭は出ないのか。ところで、同級生・王君を演じているのは、東陽一監督『サード』(1978年)の、少年院で短歌を詠んでいた少年なのであった。なんて名前だったかな。
2003.12.13
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【追記】No.3のんびり東高校のクラス討論。イラクへの自衛隊派遣は賛成反対がほぼ同数だったそうだ。これを聞いて最初はがっかりしたのだが、それほど悲観的な状況でもなさそう。「必要なんでしょ」というのが、賛成の根拠らしい。まだ考えていないのだ。試験期間だったので、ここ数日テレビや新聞に接していなかった子供たち。その半数の者が「反対だ」と言いきれるというのは、むしろ心強いのではないか。【追記】No.212日正午からここの「最近のアクセス一覧」が「ゲストさん」で埋めつくされた。おお、すっかり忘れていた。昨夜と同じ連中らしい。ちょっと調べておこう。楽天のシステムに頼っているとIPを全部見ることができない。そこで自前のサーバでちょこっと仕掛けを作っておくと、丸見えになる。どうも「ファシズムの露払い」連中ではないらしい。連続して足跡を残したものは、JRの関連情報会社の管理下にあるIP。Yahoo!で「幻泉館」を検索した結果から、幻泉館日録@楽天にアクセスしている。一人でアクセスしているのに続けて足跡を残してしまうのは、そのJR関連企業のプロクシサーバが、複数のIPからリクエストを出しているからだった。何のことはない、幽霊の正体見たり枯れ尾花。普通のお客様でありました。幻泉館日録@楽天の昨日11日のアクセス数は458。「前日のアクセス数」は音楽ジャンルで15位に入っているのだが、この数字がどれだけ当てにならないかがわかる。実際に訪れてくれる方の人数は100人に達しないだろうし、日録を読んでくださった方はさらにその半分の50人にも満たないと思う。イメージとしては、学校の教室の中でクラスのみんなに向かってDJごっこをしている感じ。カウンターの数は十分の一ぐらいに考えた方がよさそうだ。まさに幻泉館こそ「張り子の虎」である。一見華々しく反戦を訴えているように見えるかもしれないが、私の言葉はそれほど多くの人には達していない。もちろん、今までこの楽天広場で卑劣で陰湿な攻撃を仕掛けた連中も同様である。恐い連中に取り囲まれてリンチを受けたような気がした人が多いようだが、そんなひどい卑怯者の数も、たかがしれているのだ。「張り子の虎」におびえる必要はないよ。繰り返すけれど、楽天広場は、普通の人たちが普通の感覚でネットを楽しめる。スノッブなネットワーカーではない、普通の人たちと楽しい付き合いができる。(私はヘンな人かもしれないが)だから、僕は楽天の住民が好きだ。それをほんのごく一部の卑怯な乱暴者が壊したりするのは許せない。【追記】No.1なんたらの世代といったような言い方はあまり好きではない。そりゃ、同じ年齢で同じ時代の空気を吸ったら、似たようなところも出てくるわ。でも、あんな連中と一括りで見られたくないなんて反発も感じるものだ。そういう予防線を張っておいて、いまどきの若いもんのことぢゃ、ごほっ。いまどきの若者、悪くないんじゃないか、と思う。幻泉館主人は天上天下唯一独身なのであるが、同級生の子供たちぐらいの若者。つまり、今高校生ぐらいの子供たちは戦争の話をとても素直に聞いてくれるように思う。ブランド品のバーゲンに群がったような世代より、話がしやすいような気がする。反戦バッジみたいなものも素直に欲しがる。黙っていてはわからない。話をしてみるものだな。これはただ単に、私が年をとって心身ともに丸くなったからなのかしらん。もう2年も経ってしまったのだが、『頭脳警察1』のCD復刻盤発売は事件だった。その直前に[ヤフー! オークション]でLPが30万円まで競り上がったのを見ていただけに驚きだった。意外なことに、同時代では聴いていない若者が頭脳警察の音源を集めていたりしたようだ。パンタさんはPANTA&HALや『クリスタル ナハト』の方がいいのになあと思う。頭脳警察に「いとこの結婚式」という曲がある。これは『頭脳警察2』に入っているのかな。そうだ、そうだ。1972年発売、一ヶ月後に発売禁止。そうか、五つの赤い風船の解散コンサートと同じ年。樹村みのりさんのともだちが、冬の寒い山の中で道に迷った年。沖縄が日本に復帰した年。そしてこの年、僕は高校に入学したのだ。「いとこの結婚式」、音は結構のどか。言葉がうわすべりせずに、世間様が凝縮されたようなハレの場が居心地悪いなあという違和感がよくわかる。 ♪ 結婚式に出たんだ いとこの結婚式にネクタイ絞めて結婚式なんかに出ちまったぜという、若くてなんだかかわいいパンタさん。 ♪ 結婚式に出たんだ 凡人面さらしていとこの結婚式なんですけど、うちで私だけ呼ばれなかったことがあるんです。80年代の初め。一つ年下の従妹が防衛大卒の自衛官と結婚した時。式は東京で、うちの家族で私だけ東京にいたのにね。両親は怒ってましたが、私はかえってほっとしてました。従妹夫妻はその後海外で大使館勤務をしてました。昔の言い方だと駐在武官ね。(今も言うのか? 軍人はいないはずなんだが。)現地で人脈を築くのと、新聞読んで情報収集するのがお仕事なんでしょう。いわゆるスパイの一つの形ですな。それまで特に仲たがいしてたわけでもないし、高校は都会の一流進学高に行かないかなんて誘われてたようなおうちなんだけど、なぜ呼ばれなかったのか、その時はわかりませんでした。後から考えると、当時私のいた会社が反戦自衛官の本なんかも出してたからだと思います。わたしゃまったく関係なかったのになぁ。そこのおうちの叔父さん、つまり従妹のお父さんは、母が苦労して育てた弟妹の一人。その人だけ飛び抜けて上昇志向が強くて、何かとうまく立ち回ろうとするので、今は兄弟の中で評判悪いんです。そうそう、私が国営放送協会の下請けみたいな仕事をしてた時は嬉しそうにすりよってきたものなぁ。学歴も、誰の後ろ盾もなかったから、成り上がろうとするとそうなっちゃうんだろうな。私が小さいころはとってもいい叔父さんだったのになあ。根なし草だった一族がのんびり市あたりに集まってきて、今は隣町にいる叔父が毎週手作りの農作物を持ってきてくれる。上昇叔父さんは東伊豆の別荘地で週末を過ごしているそうなので近いんだけど、大勢いる兄弟は誰も行かない。やっぱり人情ってのは、物の豊かさと反比例するものだという、きわめて卑近な例でした。『頭脳警察セカンド』(1972)1. 銃をとれ! ~マラブンタ・バレー2. さようなら世界夫人よ3. コミック雑誌なんか要らない4. それでも私は5. 軍靴の響き6. いとこの結婚式7. 暗闇の人生8. ふりかえってみたら9. お前と別れたい
2003.12.12
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【追記】No.6忙しくてドタバタしている間に、下記の「ゲストさん」たちは消えたようですね。う~ん?【追記】No.5おお、出先から覗いたら、やけに「ゲストさん」が増えてるね。そうか、これがファシズムの露払い野郎どもか。ここでもう一度書いておこう。私は自前で鯖を運営しているので、このアクセスログはしっかり記録しています。つまらん漏れ串とやらは意味がないので、間違えないように。フェアプレイは時期尚早。律儀者なのでしっかりお礼に伺います。【追記】No.4タイトルを「派遣」から「派兵」に変更した。軍隊持ってないはずなのにな。派兵できちゃうなんてすごいわ。呼ばれてないし。どこが「自衛」なんだ。大人ってウソツキ。【追記】No.3ハートロゴ反戦ワッペン「戦争反対」がなくなったので、メールを出して注文した。私が付けているのを見て、若者が欲しがるのだ。ワッペンというと布製で縫いつけるイメージがあるけど、これはプラスチック製のバッジです。「そういう団体に入っているの?」と聞かれるのが不思議。セクトが嫌いなんで、その手の団体には加入しません。ただただ、戦争反対の意思表示のためです。欲しがる人にはあげています。お金出して買ってもいい方は、下記URLへどうぞ。反戦ワッペン【追記】No.2今CDの3枚目を聴いている。まさか岡林さんの声だけ消してあったりしないだろうなと思ったのだが、さすがにそんな手の込んだことはしていない。元盤通りの「ランブリングボーイ」と「アイシャルビーリリースト」である。ただ、ベストの演奏ではない。オールナイトライブでの「アイシャルビーリリースト」で、まるで泣いているかのように声をつまらせる、あの方がいい。 夕陽が好き![I Love Sunset!]数枚ですが、更新しました。【追記】No.1タイトルだけ先に「イラクへの自衛隊派遣に反対します。」などと書いたものだから、ガツーンと反戦論文など展開することが期待されているのかもしれませんが、そうはイカの金ちゃん国家。タイトルと中身があんまり関係ないのが幻泉館日録です。毎度おなじみのことじゃないですか。ひらきなおってどうする、ごめんなさい。代わりに、トップページにその旨掲げておきました。自衛隊派遣に反対する側に立証責任はありませんよ。なんとでも言うがいい。「反対のための反対」で結構。ただな、戦争への道は許さないよ。実は、CAT-Oさんが幻の日記で「ゲンセンカン主人泣いて喜ぶ」と書いていたCDのことで頭がいっぱいなんです。AVEXとAMAZONの共同企画、URC音源の復刻CDは、前回完全にハズレでした。岡林信康さんの曲がすべてダマでカットしてあったのだから。ただ、今回はなんだか気を持たせるような告知がありました。もしかして?そう、夜中に封を開けてみたら、ちゃんと全曲収録されていたのです。アリモノの音源で作った3枚組のCDが3千円というのはちょっと高い気がするけど、これは絶対に「買い」です。ディスク1とディスク2は1972年7月30日の東京文京公会堂”見おさめコンサート”。五つの赤い風船だけの演奏で、当初はこの2枚だけで復刻される予定だった。でも、よく頑張ってくれた。ディスク3、映像も残っている1972年8月31日の東京日比谷野外音楽堂”追い出しコンサート”。全曲収録してくれました♪♪♪ネックだった、岡林信康さんの名前がクレジットにありません。斉藤哲夫さんの「吉祥寺」、実にいいですよ。今五つの赤い風船2000に参加している竹田裕美子さんは、このコンサートがデビューだそうです。なぎらけんいちさんが飛び入りに近い形で「悲惨な戦い」を演奏したも、このコンサートです。あまりにも他と雰囲気が違うので、このアルバムには収録されなかったんだそうです。ゲームは終わり五つの赤い風船解散記念実況盤ディスク: 11.私は地の果てまで2.ふる里の言葉は3.美しいものは4.そんな気が…5.まぼろしの翼とともに6.ささ舟7.もしもボクの背中に羽根が生えてたら8.殺してしまおうディスク: 21.おとぎ話を聞きたいの2.どこかの星に伝えて下さい3.血まみれの鳩4.ボクは風5.遠い世界に6.これがボクらの道なのかディスク: 31.あいさつ / 山本コウタロウ2.吉祥寺 / 斉藤哲夫とアーリータイムス・ストリングスバンド3.その気になれば / 中川イサト4.こがらし・えれじい / 加川 良と西岡たかし5.追放の歌 / IMOバンド (長野 隆・太田ぼう・金森幸介・上田康彦・秋山たかし)6.ランブリングボーイ / 西岡たかし・加藤和彦・中川イサト・長野 隆7.アイシャルビーリリースト / 西岡たかし・加藤和彦・中川イサト・長野 隆8.時は変ってしまった / 全員合唱9.遠い世界に / 全員合唱10.これがボクらの道なのか / 全員合唱ただいま帰ってきたばかりでございます。とりあえず過去日録より蔵出し。追記で今日の日記をぼちぼちと書いていきます。【2003年5月5日付日録より】板倉聖宣重弘忠晴『日本の戦争の歴史 明治以降の日本と戦争』仮説社本体1600円+悪税明治以降の日本の戦争の歴史を、「戦争の事実」だけから記述したもの。実際は戊辰戦争の内容も含まれているが、戦死者数や戦病死者数にはおそらく常識的なイメージから離れた意外な事実が明らかにされる……と思うよ。第1部 日本の戦争の歴史とその背景仮説実験授業の授業書。年号に関しては易しいような気もするが、植民地や宣戦布告に関しては、並みの大学受験生では全問正解は無理かな。第2部 戦没者数で見る日本の戦争この本の白眉。戊辰戦争・西南戦争という内戦のイメージが変わるかも。森林太郎(鴎外)が陸軍軍医上層部として東大医学部の教授たちと共に大失策をしている。現代で言えばHIV感染を防げなかった官僚に匹敵する。第3部 宣戦布告の詔勅大日本帝国はあれだけ戦争をしておいて、正式な宣戦布告は意外に少ない。その原文のカタカナをひらがなに改め、ふりがなと句読点を付けて掲載。もちろん正義の主張ばかりである。戦争はこんなふうに始められるんだ。
2003.12.11
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【追記】No.3.5本日の夕陽【追記】No.2.5寒くて目が覚めてしまったわ。ちゃんとした布団を出さないといけないな。なんだか心も寒い。あのどうしようもないおやじというイメージの人が首相を続けていれば、絶対に海外派兵なんて国民は許さなかっただろうに。さわやかに踊り出た政治家は恐い。やっぱり「ファシズムはさわやかに登場する」のだ。どうしてこんな時期にあんな人物が防衛庁長官をやっているのか、ではない。あんな人物が防衛庁長官をやっているから、こんな事態になってしまったのだ。都知事が無責任な極右的発言を繰り返すのを許すだけでなく喝采を送ったりする国民。幻ちゃんみたいな日和見クンが極左に見えたりするのは、国民の「常識」が急速に右旋回したからだ。でも、本当にそれが常識なのか?寒い、寒い。【追記】No.1.5夕陽好き、満月好きが知られてきたので、時々携帯にもメールをもらうようになった。実は昨日の追記の前にもメールをもらったのだ。「月、すごいきれいですよ!!」まったく別の場所で同じ月を見て、きれいだなあと思っているのはいいなと思う。のんびり市は夜空が明るいので、星は少ないと思う。でも、今夜の月ははっきり輝いていました。空が落ちてきたらどうしよう。杞憂の話が好きだ。ありえないようなことを心配することを愚かだと言っているのだが、でも、初めてその話を読んだ時から、その人はなんだか素敵だなと思った。「空が落ちてきたらどうしよう」ナベサダさんがそういう曲を演奏してたな。銀座のクラブで演奏したライブだったと思う。まあ、そんな言葉が好きなんてのは夢想家の証明だ。 ♪ You may say I’m a dreamer ♪ But I’m not the only one ♪ I hope some day you’ll join us ♪ And the world will be as one.--------------------------------------------「楽天広場年忘れプチコスプレ劇場」しませんか?場所:幻泉館特設プチコスプレ会場 URLは開始時刻にここ、幻泉館日録@楽天にて発表期間:12月14日(日)00:00 ~ 21日(日)24:00お題:私のお気に入り(美少年,美少女、大根,天使など)画像を出展する方も見てる方もやさしいコメントをしてあげてください。お問い合わせは、幻泉館主人またはizumatsuさんまで。 主催者chappi--------------------------------------------主催者chappiさんが「コスプレ大会」の告知文を書いてくださいました。本当はもっとめちゃくちゃ炸裂していたのですが、「幻泉館閻魔大王様の検閲」で簡素なものとなってしまいました。chappiさんは楽天広場参入予定なのですが、忙しいため今はizumatsuさんの非楽天サイトの掲示板に常駐しています。幻泉館本館の掲示板にも訪れてくださっています。お問い合わせや建設的御意見、提案などは上記掲示板へお願いします。chappiさんはまだホームページがないので簡単に御紹介しておくと、要するに永遠の美少女です。もずくに化けたり、猫に化けたり、とっても素敵な方です。せっかくなので、下にchappiさんが作った原案二つを付記しておきます。「禁じ手」に関しては何も決めていません。参加者の良識でイケルと思います。--------------------------------------------ラフ案(1)お題:「2003年よさようなら楽天プチコスプレッソ」趣旨:する方も見る方も今年最後の華麗な炸裂。テーマはご自由。お気に入りのエスプレッソをちびちびやりながら、鑑賞&思いやりのあるコメント、過ぎ行く年に別れを告げる。心構え:仮装ではなく、上品なコスプレにてっすること。 あくまでも「プチ」。 「上品」と「プチ」の解釈は各自にまかせます。「禁じ手」に追記。美しいうしろ姿OK。ただし、お尻と大草原の輝きを強調してはならない。ひざから下は露出OK.ただし、つめは切っておくこと。男性の方はすね毛はそってください。手作りのコスプレッソグッズや、そのへんにころがっているものならOK.ただし、生ものはなるべく使用しないこと。ラフ案(2)「さようなら2003年楽天プチコスプレ劇場」―今年最後のお楽しみ。ぷちっとはじけてこすぷれようよ。よってみてね,さわってみてね(画面だけ)。テーマはご自由、お気の召すまま。画像アップに胸おどらそう。場所:幻泉館特別記念シアター「コスプレの間」期間:12月14日~20日主催:chappi協賛:幻泉館主人、izumatsuさんおひまな方は何点でも出展できます。作品を出した方も、見てるだけの方も、やさしいコメントしてあげて下さい。お願い 1.素顔の露出はお断りいたします。お尻以外のうしろ姿は大丈夫です。 2.下半身の露出はお断りいたします。 ひざから下は大丈夫ですが、できればすね毛はそっておいてください。 3.コスプレのための高価なお買い物はお控えください。 手作り、そのへんにころがってるもので大丈夫。 にゃんこさんでも。--------------------------------------------寒いので寝床に潜り込み、先日届いた『黒旗水滸伝 大正地獄篇 上巻』をぱらぱらと読む。例の総会屋系新左翼雑誌『現代の眼』の1975年10月号~1980年7月号に掲載された作品である。上段三分の二を若きかわぐちかいじが描き、下段三分の一に竹中労の文章が綴られる。ただし、上の絵の中にも下と並行して竹中労の話が書かれている。連載中にとびとびで読んでいたのだが、三十年近く経ってやっとまとまった形で読めるようになるとは思わなかった。冒頭「梁山泊宣言」の後には「プロロオグ」として上段の絵物語では、八重山群島のマラリヤが描かれる。ニッポン、ヤマトによって作り出された地獄である。「言遣り節」が引用される。 ♪ 譬りばん物無ぬ 比びりばん事無ぬ ♪ 肝絶いて 胸煙立ち通し 何にたとえようもなく くらべることもできぬこの悲惨苦を 心絶えるばかりに胸を焼く 俺たちの悲しみを……下段は連載開始の口上。”辺境”より出撃せよ!!懐かしいアジテーションだ。被差別窮民革命を訴え、既成左翼に対する批判が続く。そうか、こんなふうに始まっていたのか。大正期アナキスト列伝だと思っていたら、「現代」の話が続くのである。ただ、東アジア反日武装戦線の手法を批判し、「花」こそが武器でなければならないと訴えている。意外な主張だが、竹中労さんは芸能ジャーナリストだったのだということを思い出す。最後の著書『「たま」の本』では、「たま」を現代のビートルズと持ち上げていた。琉球やアイヌは国内の辺境であったが、つまりそれは国外であるべきだという主張を含んでいる。琉球共和国やウレシパ・モシリが独立運動を展開させたら、ニッポン・ヤマトは圧殺にかかるはずだ。かつて日本の植民地であった国々は、当時の辺境である。izumatsu君が書いているが、彼のお母さんは植民地時代の朝鮮で生まれた。自分が生まれ、そして温かく育んでくれた土地が植民地だったのである。私の母はizumatsu君のお母さんと同じ年齢で、やはり植民地時代の台湾で生まれた。小さいころに引き揚げてきたのだが、やはり温かい故郷として台湾が感じられるようだ。母は親を早く亡くしたので弟妹を抱えて苦労することになった。女学校を卒業すると、東京都の教員養成所で促成教育によって小学校の教員になる。戦争中だったので、なんと半年で教師を作り上げていたのだそうだ。そしてすぐに学童疎開の引率という、大変な仕事をすることとなった。母には、食べ物を均等に分けることができるという特技がある。どんな形のものでも、どんなに種類が混ざっていても、選ぶ側が考え込むほどに、どれをとっても同じ価値に見えるように分割できるのだ。飢えた幼い子供たちの前で食べ物を分けて配るということをしていたからだ。それを、今で言えば高校を出たばかりの若い娘が毎日毎日仕事でやっていたのである。戦争が生んだ悲しい特技だ。もう一つ特技がある。人の死ぬ日がわかる。「今日だよ」と、医者よりも先に当ててしまう。幼い頃からあまりにも多くの死を看取ってきたからなのだろう。先代の猫チビ君も、そうやって畳の上で死んだのだった。
2003.12.10
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【追記】No.4きれいな夕陽だった。撮影に出ることができず、残念。【追記】No.3今年の夏、渡辺多恵子さんの『はじめちゃんが一番!』を借りた。というより、若者におしつけられた。で、おもしろく読んでしまった。ギャグが基調のアイドルミーハーマンガなのだが、心に残るエピソードもいくつかあった。第10巻にある、「かずや君」と「佐伯ゲロ子」の話にはほろっときてしまう。僕が発した心ない一言で、どれだけの人の心を傷つけてきたことだろう。死んでしまった者にはもう謝れない。化けて出てきてくれないものか。マンガの方は救いを描いてくれているが、現実にはそんな救いは用意されていない。思い残しを胸に抱いて人は逝き、同様に思い残しを胸に抱いて人は生き続ける。 > 言えなかった一言を > 空に向けて言うことに > > 何か意味が > あるんだろうかちょうどそのころ、僕はある方から一通の手紙を受け取った。そういう言葉は書いてないのだが、僕にはこう読めた。「☆★やん、人を愛しなさい」本当になんということはない、時候のあいさつのような手紙に落涙した。ずっと人はどうして生きなければならないか考えていた、その答えをもらったように思った。「人は人を幸せにするために生きなければならないんだよ」このごろ、よく空を見る。夕陽もいいけど、満月の夕もとても良かった。知らない間に、言えなかった一言を空に向けて投げかけて、心を浄化してもらっているのかもしれない。【追記】No.2「深夜放送」を本館日録で検索してみる。意外にあまり書いてない。その中から、日付は去年のクリスマスだけど、内容はクリスマスイブのことが書いてあるものを蔵出しいたします。元々お祭りは好きなんだけど、クリスマスというのは毎年実に縁のないお祭りなんです。なんせ0勝十敗ですから。(なんのこっちゃ)そういえばずっと飲みに行ってなかったのは、カラオケのせいもあるな。「飲みに行く」=「カラオケ」みたいな人しか近くにいないので、毎回パスしてるんですね。「九州県人会」みたいな宴会も嫌いです。嫌な思いを我慢してその場にいるよりは、さっさと帰ってしまうのです。協調性ないです。職場でこんなのが部下にいたら、操作性最低です。のどかな県のんびり市は、文化果つる地でもありまして、パチンコ屋さんとカラオケ屋さんばかりが栄えているところです。ついでに書いておくと、天下り土建屋行政でもあります。あんまり悪口は書きたくないので、はい、以下自家引用。-----------------------------------------------【2002年12月25日付日録】 [ めりくり! 雑誌三昧 ]クリスマスイブの午後、ふらふらと繁華街へ。あれれ、人がいない。地方都市の平日の午後、まあこんなものなのか。KFC前の人の列と、聖歌を歌う合唱隊以外は、さびしいものでありました。本屋さんでいろいろな雑誌を購入。『文芸ポスト』冬号 特集「深夜放送の黄金時代」小学館 定価780円『SFマガジン』1月号 特集「フィリップ・K・ディック 原作映画の世界」 早川書房 定価890円『季刊サッカー批評』issue17 特集「LIVING FOOTBALL 2003」 双葉社 定価1143円+悪税『季刊本とコンピュータ』2002冬号 トランスアート 定価1500円+悪税『月刊SkyPerfecTV!』1月号 ぴあ 定価480円『SFマガジン』って、買うの何年ぶりだろう。何十年ぶりかも。いちばん一所懸命に読んだのは、小中学校のころ図書館で借りて読んだころかな。筒井康隆センセイの「脱走と追跡のサンバ」は、雑誌で読んでびっくりした憶えがある。壊れた列車が走っているような挿絵が良かった。今回はディックの特集なので購入した。『シナリオ版 ユービック』が読みたかったのです。翻訳が浅倉久志さんというのがいい。どんな人なのかまったく知らないけど、この人のディックがいいと思う。『文芸ポスト』は付録にCDが付いているので買った。オールナイトニッポン、パックインミュージック、セイヤング!の深夜放送御三家の音源入り。早速聴いたのだが、予想より収録時間が短くてやや欲求不満。この雑誌、特集以外にワタクシが読むところがないのですよ。 * 「オールナイトニッポン」(ニッポン放送) * 『亀渕昭信「ビアフラ食料支援!呼びかけ編」・1970年1月25日放送分』 * 「セイ!ヤング」(文化放送) * 『谷村新司&ばんばひろふみ「来年の星座占い」・1977年11月24日放送分』 * 「パックインミュージック」(TBSラジオ) * 『林美雄「パックインミュージック最終回」・1982年7月31日放送分』 * 『桝井論平「桝井論平30歳になる」・1969年11月16日放送分』 * 『野沢那智&白石冬美「ナッチャコパック最終回」・1982年7月30日放送分』【追記】No.1[ 桜 葉 ]さんは末期ガンの患者でした。余命半年という宣告を受けて、来年の桜の花はもう見ることができないだろうということで、ハンドルを[ 桜 葉 ]に変えたのだったと記憶しています。本当は「頑張ってください」と書き込みたかったのですが、自分よりもずっと頑張って生きている人には不遜だと思い、書き込むことができませんでした。黙ってリンクに追加したところ、私の日記を読んでいてくださったようです。[ 桜 葉 ]さんは幻泉館日録@楽天に、足跡を残していってくださいました。彼のサイトでは見えなかった、ある人物像が少しだけ見えます。10月4日(土) ♪満鉄の金ポタンのパカヤロウ♪10月31日(金) 岡林信康「山谷ブルース」(1969年)楽天広場の良さというのは、こんなふうに、PCおたくでも通信おたくでもない普通の人が普通にサイトを作れることにあると思う。もちろん、「楽天市場」のシステムに取り込もうとする商売の一部であるし、ファシズムの露払いのような連中も群れる。ただ、それは私たちが生きているリアル・ワールドでも同じことだろう。前から感じていたことだが、楽天広場は中学生・高校生の時に私が浸った「深夜放送」の世界にも似たところがある。御多分にもれず、私もDJというのになりたかった。今のDJとはだいぶ違うよ。ハガキを読んで、曲をかけるんだ。受験生、トラックの運転手さん、それから長期の入院生活を送っている人。深夜の「もうひとつの広場」はこんな人たちが集まる場所だった。結局立教大学に進学したと思うのだが、「早稲田の星」というペンネームの予備校生が有名人だったりしたなあ。長く続いている番組だと、常連さんの中で亡くなる人もいる。局アナのくせに、亡くなった人の最後のリクエストカードを読み上げながら泣いてしまう。聴いている僕たちも、友人が死んだかのように、放送を聴きながら泣いてしまうのだ。僕が今こんなふうに日記らしくない日記を書いているのは、凝りに凝ったリクエストカードを書いているようなものなのかもしれない。おまけに自分でそれを読み上げるDJの役までこなしている。編集ページに[日記リンクした数]が一つ減っていた。[ 桜 葉 ]さんのサイトが消えたのである。[ 桜 葉 ]さんからサイトを一旦閉鎖するというご連絡をいただいた。ただ一方的にリンクをさせていただき、黙って見ていただけなのに、申し訳ない。書き込む勇気がありませんでした。いつかまたお会いできる日を待っています。お風呂に入ってあたたまってから、追記で日録を書くことにいたします。
2003.12.09
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【追記】No.4月がきれいだよ!【追記】No.3二日酔いの頭痛も収まらないうちに新企画です。[プチコスプレ大会/年忘れ楽天仮装大会(仮)(名称未定)]主催者 chappiさん何も決まっていません。chappiさんが考えてくれます。(たぶん)以下、私が思いついたガイドライン。会場:幻泉館鯖特設掲示板(おなじみのやつなら簡単)開催期間:一週間程度テーマを決めて、各自アップした画像に参加者がコメントを付ける。[禁じ手]社会不安を避けるため、素顔を露出してはならない。社会不安を避けるため、下半身を露出してはならない。家庭不安を避けるため、仮装用アイテムを新規に購入してはならない。どないでっしゃろ、主催者さん?待てよ、これは個人的に嫌な予感がしてきたぞ……。【追記】No.2思えばヒマな喫茶店のマスターというものに憧れていたのだった。昨夜はひねもす庵ご主人がミストレス。どんなレコードでもかかって、あっちこっちで雑然と勝手なおしゃべりをしているというのは、いい感じ。吉祥寺にあった「火薬庫 ぐゎらん堂」を思い出しました。楽しい酔客のおしゃべりは閲覧できるようにしてあります。夏見還さんのところからどうぞ。【追記】No.1今、CDを聴きながら書いている。ソウル・フラワー・ユニオンの『marginal moon』。正確には SOUL FLOWER UNION with DONAL LUNNY BANDの、だな。「満月の夕」は今夜のテーマソングだったかもしれない。日曜深夜、布団に潜っています。本当にずいぶんひさしぶりに酒を飲んだ。独りで飲んではいかんなあと飲まないできたのだが、ネット忘年会のおかげでおいしく飲めた。今日ののんびり市はよく晴れてくれたのだが、とにかく風が強かった。午後、畑仕事を済ませてから浜へ行った。少し早かったが、買い物をしなければならないのだ。きれいな空だったが、風が強いので、やはり300mmは持っていってもきつかっただろう。いつもは撮らない方向、つまり堤防や富士山の入った写真も撮った。みんな、見ておくれ、これがボクの故郷だ。とってもいいところだ。夕陽を見に浜へ行く人たちも、いい人たちだ。これは日没後なんだけど、遠くにハイドナンが見えるようじゃないか。夕陽が好き![I Love Sunset!]酒屋さんに行ってみる。中学生の時世話になった国語の先生の実家だ。店は先生の弟さんが継いだ。きっとその方が良かったんだろう。黒糖焼酎を買った。ワインも気になったが、そんなには飲めない。思いついて事務所に寄り、ずっと前のお中元かお歳暮でもらった缶ビールをもらって帰る。家の冷蔵庫にも怪しい缶チュウハイがひそんでいたので、飲むものはずいぶん用意できた。幻泉館鯖に会場の準備をして、アップ用の画像も撮影しておく。楽しい作業だった。祭りは準備が楽しい。突然訪れた祝祭に、いちばん楽しんだのはたぶんボクだ。ネット忘年会の最中はかなり忙しかった。変なやつが入ってこないかずっとモニターしていたから。最初はどうなるのだろうと思ったが、参加者が本当に酔っ払いになると、宴会らしくなった。宴半ばはキーボードを打つ手もあやしくなったのだが、そのうちに冷めてしまった。楽しかったよ。みんな、ありがとう。ネット忘年会が終わりました。疲れましたが、楽しかったです。ずいぶん久しぶりにお酒を飲みました。
2003.12.08
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【追記】No.4ただいま宴会中。盛り上がってきましたぞぉ。よっぱの集まりです。【追記】No.3夕陽が好き![I Love Sunset!] 更新しました。さあ、ネットで乾杯! まであと30分を切りましたよ。【追記】No.2ネット忘年会の準備などしております。いや、たいしたことをしてるわけではありませんが、ちょっとセキュリティ上の工夫を。詳細は言えませんのよ。10:00pmに夏見還さんがURLを発表します。今日は畑仕事と夕陽散策というおなじみの日曜日。それにちょっと買い物が加わりました。お酒を買ったなんて、何年ぶりかしら。さ、今度は自分の飲み食いの準備です。Yahoo! PHOTOSが混雑していて、「夕陽が好き![I Love Sunset!] 」は更新途中です。【追記】No.1[ネット忘年会のお知らせ]今日はキツイ一日だったぜ、の夜。 ♪ It’ s been a hard day’s night ♪突然判明したことなのだが、幻泉館はなぜかご婦人の酔客が多いらしいのだ。いや、実はうすうす感づいてはいたかもしれない。(もっとも、私もシラフとはいえ常に睡眠不足で、酔っ払いみたいなものなのだが。)かねてより幻泉館主人はひねもす庵夏見還さんのファンである。夏見還さんには大虎説もあるのだが、本当のところはさだかではない。大のお祭り好きであることは確かだ。幻泉館掲示板を御覧いただけばわかるが、今回珍しく素面の夏見還さんがヴァーチャル忘年会を企画した。単なる思いつきなどと言ってはいけない。厳格な禁酒主義者である幻泉館主人が(ウソです)、何年ぶりかで酒を飲もうと思い立ったのである。明けて日曜日、酒とつまみを買って来よう。お気に入りのCDも用意したいものである。会場URLの発表と同時に乾杯である。もちろん酒と料理と音楽は各自準備すること。デジカメを用意することが望ましいが、もちろん言葉による描写で十分だと思う。ふるって御参加いただきたい。以下、夏見還さんによる告知文であります。-------------------------------------------告知!ネット忘年会@楽天!! 12月7日(日)楽天広場住人の皆様、今年も1年楽天ライフおつかれさまでした!突然ですが、ネット上で忘年会を開きませんか?日時 2003年12月7日(日) 22:00~翌2:00場所 臨時掲示板「不眠酒場」 URLは、22:00に公表いたします。 (幻泉館主人様のご厚意によりご提供)内容 皆様で一斉に飲み始めるだけ!!持込 歓迎!!というか、飲んでるお酒・おつまみの画像をアップしましょう~♪皆様のご参加おまちしております♪-------------------------------------------昨夜の夜なべ仕事が響いて、本日は使い物にならない幻泉館主人でございます。昨日に引き続き、新生フォークル関係の記述を本館過去日録より蔵出しいたします。どうも今年の正月は寝たきりだったようですな。おお、忘れてたわ。文中に出てくるマーチン・バックパッカーは、とても弾きにくい、おもちゃのようなギターです。引っ張り出して弾いてあげないとね。新生フォークルの新曲であった「感謝」は、ここ数年の自分にとっての身近な死と思いが直結します。コンサートでの和太鼓の重低音とリコーダーが印象的。人の死と向いあい、自分が死に臨む。こわがらなくていいんだよと語りかける、静かな佳曲です。【2003年1月4日付日録】[マーチンと和太鼓、生と死]今日は正月の二日です。完全にヒッキー。布団を干すので物干し台に出ただけです。布団を干すと寝正月ができない……こともない。二階の南向き縁側は幅が1間(畳の長い方ね)あり、冬場はサンルームと化すのである。ところが周囲が3階建てに立て替えたりしているので、日照がだいぶ減ってしまった。なおかつ、干した布団によって日光が遮られているのである。それでも廊下には一筋の光が。陽光の細い帯に沿ってごろりと横になる。うう、気持ちいい。ところがところが、お日様は少しずつ動くのですね。ちょっと冷えたなあと思って、こちらもじわりと移動。これが昼下がりの1時間。その後、録りためた映像を少し整理。PCに録画したものを圧縮して、CD-Rに焼いておくわけです。「フォークル2002りみてっど」はとても良かったので、2時間ものをCD-R2枚に分けて収めるという、ちょっと贅沢な圧縮率。映像は[MPEG-1 640*480 1150kbps]という設定。このぐらいの設定なら、原寸再生でかなりきれいに見ることができます。ネーネーズはどうもメンバー違うなあと思ったら、やはり生まれ変わったネーネーズでありました。北山修さんは前半マーチンベースという、ギター型のアコースティック・ベースを抱えて出ていました。コンサート終盤、なんとマーチン・バックパッカーに持ち替え。おもちゃみたいなものですが、我が愛器でんがな。ちょっと弾きにくいし、音が小さいのですが、軽くて良いですよ。加藤&坂崎という名手がいるので、じゃらじゃら鳴らしてれば良かったのでしょう。ザ・フォーク・クルセダーズ 弐千弐年りみてっど手前のギターに注目今日(1/4)から仕事。通常の月曜日がうんじゃらげなら、まとまった休みの後は大うんじゃらげですなあ。昨日の3日は寒い雨で、微熱があったらしくて本当に寝たきり。どんよりとブルーですわ。昨日(1/3)は寝ている間、ずっとザ・フォーク・クルセダーズのCDを聴いていました。彼らはもう一枚『フォークル「DAIKU」を歌う』というマキシシングルを出しているのですが、それを除いて2枚のアルバムを聴きながら考えたこと。なぜ加藤和彦さんは今フォークルをやったのか?なぜ「はしだのりひこ」ではなく、坂崎幸之助だったのか?こんな疑問を抱きながらCDを聞いていてぼーっとした頭に響いてきたのは、二つの音でした。一つはマーチン。生ギターを弾きながら歌うというのは、加藤さんの音楽の原点です。おそらくは都立墨田川高校「フォークソング同好会」のころとまったく変わらない、永遠のフォーク少年坂崎幸之助氏。この人は30年前のフォーク事情の歩く蓄音機みたいなもので、実に器用にギターと歌真似をこなしてしまう。それも、本当に楽しそうにやってくれる。加藤和彦本人が忘れていることも、ギター一本でじゃんじゃん再現してしまうのだ。新フォークル結成の、直接のきっかけは坂崎氏のギター演奏。自主制作盤『ハレンチ』を作った時に端田宣彦はいなかったのだから、彼は必須ではなかった。むしろ何でも器用に、しかも楽しく再現してくれる坂崎クンの方が必須だったのである。「懐メロ」や「旧友再会」にしたくはなかったということもあるだろう。マーチンの音を基本とした演奏に、ビートルズを彷彿とさせる、遊び心をたっぷりのレコーディング。そこで新しい冒険を試してみたかったはずなのだ。吉田拓郎さんは「結婚しようよ」の大ヒットによって、メジャーで大ブレイクしました。そこから日本の歌謡界とアングラ系フォークは終焉を迎え、ニューミュージックなんて言葉が生まれてしまいます。あの曲で、おそらく12弦ギターをボトルネック奏法でジャラジャラ弾いていたのが加藤和彦さんですね。加藤さんは生ギターの名手でもあったのです。「11月3日(雨ニモマケズ)」の弾き語りや「ライカはローリングストーン」でのディランの歌まねは、その自然な結果でしょう。しかし、Martin D-45Custom、いい音です。もちろん私がいじっても、あんなにいい音は出ません。解散ステージで坂崎氏にMartinを贈るの図は、本当に感謝していたからだろうし、そしてまたこの冒険が「終わったね」という宣言でもあったのだろう。幸ちゃんも、本当に嬉しそうで良かったすね。さて、もう一つの音は和太鼓です。ズシンズシンという重低音は、MP3なんぞでは再生できません。ラジカセなんかに合わせた音作りでCDを売っているから、消費者がMP3に走るんであって、こういう音を作れば、ちゃんとしたステレオで聴きたくなるのになあと思いました。和太鼓と一緒に演奏されているのは、バグパイプやアコーディオンといった、「スラー」系の楽器。リコーダーもタンギングしない奏法(何て言うの?)でかぶせている。滑らかな音と和太鼓で表現された曲は、「感謝」「花はどこへ行った」「花(すべての人の心に花を)」。「感謝」は御霊を送り、そして自らがこの世を去ろうとする思い残しの歌でもある。「花はどこへ行った」は兵士が墓地に眠り、花が咲くという内容。この二曲は、加藤さんが近くに感じている死というものを静かに歌い上げているのである。安井かずみさんが亡くなる際に加藤さんが何を思い、そして何をしたのか、私はまったく知らない。ただ、愛する者の死と、いつか必ず訪れる自らの死を考え、そして表現しなければならないと感じていたことは確かだろう。アコースティックな音を使った、この重低音が音楽家としての彼の解答ではないのかしら。(いいかげんなことを言ってます、ワタクシ。全部憶測。)このように新フォークルが成立していたと思うのであります。このアルバム2枚に感想を述べている人は多いのだが、どこぞのサイトではなぜ「ヨイトマケの唄」があるのかわからんと書いてありました。あれはですね、加藤さんがシャンソン大好きだからだと思いますよ。日本の大シャンソン歌手美輪明宏さんの曲ですから、アリでしょう。シャンソンって、わりとベタベタの人生哀歌でしょ。だからあれで良いのです。
2003.12.07
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【追記】No.3「ザ・フォーク・クルセダーズ 新結成解散音楽會」の模様はこちらで詳しく読めます。《ザ・フォーク・クルセダーズについての特別講義》【追記】No.2冷たい雨が降っております。灯油がなくなったので、仕事にでかける前に買ってこなければならない。ヒナは猫らしい猫なので寒いと丸くなってます。先代猫のチビ君は犬みたいなやつだったので、珍しく降った雪に喜んで庭を駆け回ってましたっけ。【追記】No.1これも部分的蔵出し。【2003年1月7日付日録】より抜粋CS JNNニュースバードで1968年1月1日放映の『天国で明けた’68』をやってくれました。内容は「ザ・フォーク・クルセイダーズ」へのインタビュー構成。(グループ名の表記がその後変わります。クルセイダーズ→クルセダーズ)今見ると実に珍妙で、大人がいかに彼らを理解できていなかったかがわかります。番組に登場する大人よりも、街頭インタビューで答えている中学生の方が、よっぽど正確に受け止めて、きちんと答えているのです。あの中学生がすごいのか?今、どんなおっさんになっていることでしょう。加藤&北山の御大二人も、意外に「良い子」を演じています。端田氏にいたっては、やや番組に迎合している風でさえあります。数年後のフォークジャンボリーで糾弾されても仕方ないかな、という露出の仕方でした。番組の後半が立川談志師匠の演説で終わっているのが残念。ちょっと忙しいので、とりあえず蔵出し。どれだけ追記できるか不明です。大晦日の夜中に書いたらしいです。これで正月は新生フォークルにはまったのだった。-----------------------------------------------【2003年1月2日付日録】[『戦争と平和』『解散音楽會』]今や毎日これなしでは何もできなくなったブラウザですが(おいおい)、WidnowsではNetscape一辺倒だったワタクシもInternet Explorerをだいぶ使うようになりました。ただし、裸のIEは使いにくいのでダメです。Sleipnirをかぶせて使っているのです。さすがに「窓の杜大賞2002」を獲得しただけのことはあります。便利よ。窓の杜大賞Sleipnir オフィシャルサイト-----------------------------------------------NHK BS-2で放映していたコンサートが本当に楽しそうだったので、昨日の大晦日に買ってきたCD。国内盤の新譜は値段が高いので贅沢品だと思うが、まあ自分にお年玉。(いつまで貰ってるんだ)せっかくだから「ご自由にお持ちください」のハリポタ・ポスター1枚、NEC「バザールでござ~る」のマウスパッドを2枚いただいてきました。我ながら実にオバさん体質です。そんなもん要らないだろ。ハイ。そう、一応年は明けたのだが、まだ大晦日の夜なのよ。延々とCD-Rを焼きながら、それとは別にCD→MDなどという作業をしていました。車にMDプレイヤーが付いていたのがきっかけで、眠っていたMDウォークマンも復活。MDはかさばらなくて良いのですが、困るのはラベルだよなあ。なんつっても字がヘタクソ!だから。カセットテープの時のようにPCでラベルは作れないもんなあ……と思っていたのですが、作れてしまいました。力いっぱい縮小印刷して、細心の注意で切り貼り。これはいけます。ワープロソフトを使うより、htmlの方が楽ちんです。この前西岡恭蔵さんのベスト盤で味をしめたのですね。輸入盤で買った『I Am Sam』『Steal This Movie』のサントラ盤とか、昨日届いたDylanの75年ライブ盤とか、聴きながらダビングしてるから時間がかかるのよ。で、そんなアホな作業をしていたら、いつのまにか年が明けていました。思えば、高校生の頃の年越しとまったく変わっていないような。ザ・フォーク・クルセダーズ『新結成記念 解散音楽會』 テレビで流したのと同じコンサートです。 口上の化粧を落とす時間を稼ぐために、ゲストが延々とおしゃべり。 映像のカメ&アンコーに感激しました。1.口上2.紀元弐阡年3.グァンタナメラ 北山修九州大学教授が平和を訴えます4.コキリコの唄5.今日の料理テーマ 食文化の歌ね6.山羊さんゆうびん7.巌流島(The King of Three Fingers)8.きつね9.戦争はしらない10.花のかおりに11.戦争を知らない子供たち12.大統領殿 ボリス・ヴィアンの作詞とは知らなんだ13.感謝 新生フォークルの代表曲14.花はどこへ行った15.花(すべての人の心に花を) ネーネーズが参加。活動再開したのか?【追記】No.0 「モー娘。」方式で復活したのですね。16.悲しくてやりきれない17.イムジン河18.あの素晴らしい愛をもう一度 中3の時の個人的な思い出が蘇ってきて……19.ライカはローリング・ストーン とっても楽しい曲ですよ。 リフレインするタイトルはもちろんDylanの名曲から。 解説したら艶消しでんがな。20.帰って来たヨッパライ21.イムジン河--春22.平和について23.Sakura 『戦争と平和 』1.芸術家、科学者、そして宗教家2.あの素晴らしい愛をもう一度3.11月3日(雨ニモ負ケズ)4.感謝5.Somos El Barco6.巌流島(The King of Three Fingers)Jingle Bells7.ヨイトマケの唄8.あわて床屋9.今日の料理テーマ ~鯨のステーキ・グリーン・ピース添え -The parade of the wooden soldiersより-10.ライカはローリング・ストーン11.カオリ No.512.悲しみは言葉にならない13.花はどこへ行った14.花(すべての人の心に花を)15.白い色は恋人の色 初めて買ったレコードはベッツィ&クリスが歌ったこの曲16.平和について
2003.12.06
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【追記】No.4今日は雨なので夕陽がない。仕事をちょっとさぼって手元のキーホルダーを撮影、今や猫画像掲示板と化した本館掲示板にアップ。ついでにこちらにも掲載しておきます。光っちゃったけど、忙しいからやりなおしはしませんのです。別にコレクターではないのですが、ディック・ブルーナのキャラクターにうちのヒナ似の猫がいるのを知ってから、見かけるとついつい買ってしまいます。隣はやはりコレクターじゃないけど見かけると買ってしまうC.F.Martinグッズ。革の部分がピックケースになっているキーホルダーです。【追記】No.3冷たい雨が本格的な降りになった。苦手だ。せっかく早目に起きたのに、また布団の中に潜り込んでしまう。寒さに弱いのです。昨夜は仕事を途中で放ったまま、届いた本をぱらぱら眺めていた。それがいけないね。いくらでも眠れそう。【追記】No.2昨日の日録に書いた画像です。アグネス(敬称略)の「白い靴下は似合わない」(1975年)を思い出していました。数枚ですが、夕陽が好き![I Love Sunset!]を更新しました。【追記】No.1『天使の恍惚』を見に行ったのは、大学生の時です。いくら鈍感な私でも、高校生の時に女の子を引き連れて見には行かない。サークルには他大学の女子学生(お嬢様たち)が結構来ていたのです。なんとも恥ずかしいことを平気でやっていたものですな。先日の色占いですが、生身の幻泉館主人をご存知の方々は冗談としておもしろがってくれました。「白」「奇跡の天使」「やさしさ 100%」「野心度 0%」本人とのギャップがおもしろいんです。で、次々に色占いを試してみました。私の周囲には緑色が多かったようです。クールな娘が金色だったのには大受け。グループとしてはおおむね正しく分類されるようです。でも、詳細はおもしろおかしくしてあるのね。ところが、善良なる楽天広場住民の方々の中には、本当に天使のような人間だと思い込んでしまう方もいらっしゃるようです。プロフィールが変質者コスプレなのに。天使ねえ……。『傷だらけの天使』(1974年)は萩原健一さんと水谷豊さんの出ていたテレビドラマ。音楽は井上尭之さんと大野克夫さんが担当していた。『俺たちは天使だ!』(1979年)は沖雅也さん主演のテレビドラマ。沖雅也さんはNHKがつかこうへいさんの『かけおち’83』を作った時に、目をぎらぎらさせたものすごい演技をしていたが、そのまま涅槃に逝ってしまった。天使というのはドラマや映画のタイトルで好まれるのだな。70年代の映画で天使といえば、それは若松孝二監督の『天使の恍惚』(1972年)だろう。昨日の蔵出し日録と同様、アメリカでDVDが出ていたので、それを購入したもの。『天使の恍惚』[スタッフ&キャスト]足立正生さん、和光晴生さんといった方々は日本赤軍(アラブ赤軍)に合流してしまいます。その前年若松プロは『赤軍-PFLP 世界戦争宣言』(1971年)というドキュメンタリーを作っていたのでありました。そういえば、北朝鮮に行ったよど号グループの中には、伝説のバンドのメンバーだった人がいましたね。この映画、革命がテーマなのに、ピンク映画なんです。エッチな映画は苦手領域なので、サークルの女の子たちを連れて場末の映画館に行き、余計にきまずい思いをしました。こういうことしてるから自称0勝十敗に終わったのですな、ワタクシ。女性の裸が出てくると画面に色が付く、パートカラーでした。映像とセリフの内容の乖離ということでは、チャールズ・シュルツさんの「ピーナッツ」、あのチャーリー・ブラウンみたいだなあと思いました。音楽は山下洋輔さんだし、おもしろいといえばおもしろいのですがね。で、結論。「僕は天使ぢゃないよ」。
2003.12.05
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【追記】No.3好天だったのに、夕刻は雲が出てしまう。ただ、空はとてもきれいな色になってきたぞぉ。ということで、「ちょっと買い物」などとつぶやいて外に出る。旧国道1号線なら空が開けているだろうと少し歩いていくと、これが当て外れ。意外に高い建物が多いのだな。歩道橋に昇って、小さな空を少しでも広げる。落ち葉が舞って、アグネス・チャン(敬称略)の歌など思い出す。マスクしてなくて良かった。それでは明らかに変質者キャラだから、通り過ぎる女子高生たちの視線が痛いのであります。車のドアミラーに映る空って、きれいだよなあ。いつもそう思う。【追記】No.2浦和レッズの監督にギドが就任するらしい。あの人好きだな。ブッフバルト、いいよなあ。自分がいろいろ小さくできているので、大きくて強い、でも心優しいといったひとにあこがれるようだ。『黒旗水滸伝』の支払い送金のために、また郵便局に寄らなければならない。郵便振替や郵便貯金が銀行の送金システムから外れてるのはとても不便。郵便局はすぐそばにあるのだが、私の場合は窓口の開いている時間の問題なのです。コンビニやジャパンネット銀行のように、いつでも送金手続ができないとつらいのです。私がちゃんと朝起きればいいだけか。【追記】No.1どこかで書いたような気がしていたのですが、見当たらない。楽天住民の皆様の中には画像処理で苦労をなさってる方がいらっしゃるようなので、優れモノのソフトを御紹介いたします。LinuxやFreeBSDではおなじみのGimpというソフトです。「オープンソース」と呼ばれる、自由な配付が認められたフリーソフト。それをWindows用に移植したものです。Gimp for Windows【 「画像の倉庫」がいっぱい?】にも転記しておきます。今夜もちょいと忙しいので、本館より蔵出しいたします。追記の嵐ができるかどうか?【2003年1月24日付日録】[絵の中のぼくの村]先代の飼い猫チビ君がこの一帯に君臨していたころ、幻泉館は猫屋敷でありました。大物猫チビ様に牝が擦り寄ってくるということもありましたが、庭にキウィの木があるためでもありました。あのキウィという不思議な植物はマタタビ科の落葉蔓性木本でありまして、猫に対してマタタビ効果があるのです。高田渡さんと裸足の王者アベベの間ぐらいの顔をした寡黙な棟梁が、口約束で気軽にキウィ棚を作ってくれました。幻泉館大庭園のキウィ棚周辺では、毎日のようにキウィの葉で猫がマリファナ・パーティを繰り広げては、ゴロニャンしていたのでございます。それが十年ほど前のことでしょうか。チビ君も棟梁も、もうこの世にはいません。嫌になるほど採れたキウィの実も、そうは生らなくなりました。近所にたくさんいた猫たちも、消えてしまいました。野良猫が暮らしにくくなったのでしょう。どうも猫社会にはなじめなかったようなヒナ様だけが、日だまりで泰平の惰眠をむさぼっております。ところで皆さん(って誰だよ)は川で泳いだことがありますか?幻泉館主人幼少の砌(出た出た、ミギリね)、親戚の伯父さんが田舎の駐在さんをしていました。貧乏人の一族なので、警官とか教員が多いのです。今では蒸気機関車いわゆるSLで有名になった大井川鉄道という路線があります。ラックレールという歯形レールを使って急坂を登り降りする、アプト式鉄道でも有名です。当時はディーゼル車でしたが、金谷駅から大井川鉄道に乗ってどんどん山の中に入っていきます。温泉のある駅で降りて、さらに田舎のバスでもっともっと山の中に入っていきます。大きなダムの辺りでは、バスの窓から道路が見えません。窓から見えるのは、いきなり谷底。もうスリル満点。それでもさすがに飽きたころにバスを降りて、さらに急な坂道を登って村に入るのです。田舎の駐在所は小学校(分校だべなあ)に隣接してあり、就学以前の幻泉館主人(かわいい)は、夏休みの小学校の校庭で自由に遊んだものでした。そして、従姉に連れられて川へ泳ぎに行くのです。まだちゃんと泳げませんから、正確には流されに行くのです。都会から来た(おいおい)チビっ子なのでまあオミソなんですが、地元のガキ大将たちは危険がないように気をつかってくれます。昔のガキ大将は社会のルールを教えたり、安全に気を使ったり、遊びを考え出したり、なかなか偉かったのですよ。吊り橋のある清流で、沢蟹とたわむれる日々。おお、いろいろ思い出してきたぞ。幸せな田舎の原風景です。もうン十年も昔の風景ですが、まだかなり残っているのではないかと想像しています。そういえば、その後その近くにある寸又峡温泉で金嬉老事件が起こりました。うちのおやじ、妙に感情移入してたなあ。金嬉老さん好きだったみたい。東陽一監督に「絵の中のぼくの村」(1996年シグロ作品)という佳作があります。絵本作家田島征三さんの「絵の中のぼくの村」が原作で、まだ戦後といった時代。双子の征彦・征三兄弟が清流のある村で暮らす様子を美しく描いています。DVD出たら買おうかなと思っていたら、米国版DVDを見つけました。外国ではちゃんとDVDになっているというのが不思議ですね。なんつっても子役が抜群にいいし、母親役の原田美枝子さんの演技も他の映画よりだいぶいい感じです。お父さん役の長塚京三もシブくていい。懐かしい父親像です。原作にない老婆や妖怪のようなものに関しては評価が分かれるところだと思います。オキナワ映画によく使われますね。昔は琉球だけでなく、いろんな場所に霊が社会的に存在していたのでしょう。映画としてアリだと思います。Village Of Dreams [DVD] (1996)
2003.12.04
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【追記】No.5郵便局へでかけて不在配達通知のあった郵便物を受け取る。『黒旗水滸伝』上巻。1冊だけ出てきたので送りましょうかと、ご連絡をいただいていたものである。流通を下請けに任せている出版社ではこういうことはないが、小零細出版社ではわりとあることですね。昨日も受け取りに行ったのだが、それで運転免許証を出したまま行方不明になっていた。いやだなあと思っていたら、ちゃんと車の中から出てきました。よかった♪ちなみに、昨日受け取った小包が、おみやげの温泉まんじゅう。今日は朝のうち雨。昼過ぎに晴れたので夕焼けに期待したのだが、またどんより曇ってしまいました。かろうじて数枚写したが。【追記】No.4お世話になっているCAT-Oさんのお誕生日なのでありました。めでたいですよ、ええ。おめでとうございます。末期癌の桜葉さん、「詩のボクシング」の予選で勝ち残っているようなのだが、楽しみにしているという12月6日は地区決勝なのだろうか。かろやかに書き込んでくることができない自分がふがいない。【追記】No.3大寝坊して、昼過ぎに本日の第一食(朝飯というと笑われる)。独りでぼそぼそ食事をしているのも寂しいのでテレビをつける。すでにNHKのニュースの時間は終わって、「ひるのプレゼント」(だったっけ?)というような番組をやっている。日本橋でんでんタウン。ああ、いいな。暮れになると、あの秋葉原の雑踏の中にいたくなる。なんだ、デジタル地上波の宣伝か。国策番組は見たくないので、テレビを消す。アナログ波があと数年でなくなるというのが理解できない。結局失敗したハイビジョンを、デジタル化でおかみが押しつけようというものだろう。住基ネットでとんでも発言を繰り返していた大臣の顔など思い浮かべてしまう。電波行政は郵政省か。省内の暗闘の結果、いったい誰が何のためにデジタル化移行を決めたのか。こんな国策番組をハイビジョンで見たいなんぞとは思わんぞ。【追記】No.2サッカーはドバイでやっている、ワールドユース2003 UAE大会なのであった。手がお留守になってしまった。残り5分で1-3と負けてる。う~ん、惜しい!あ……1-4で負け~。まだ決勝トーナメント進出はアリね。【追記】No.1湯上がりに頂き物の温泉饅頭など頬張る。伊豆長岡温泉あずさ。もう一軒有名な店があったと思う。桜・草・鴬の三色。夜中にンなもの食ってちゃいけない。濃いお茶が飲みたくなるが、コーヒーで代用。ん~、やっぱりお茶だったな。一服して、ちょっと夜なべ仕事。ありゃ、サッカー、日本vsコロンビアっての中継してる。なんだ?はいはい、大人メール相談室です。☆★ちゃん、あのね、反戦に理論武装は要りませんよ。言葉で他人を説得する必要があるのは、戦争をやりたい連中です。殺すな殺されるなこれで十分です。ね?昨年の新生フォーク・クルセダーズで加藤和彦さんが「ヨイトマケの唄」を歌ったときに、最初はなぜなんだと思ったが、聴き終わって合点がいった。これはシャンソンなのである。元々の丸山明宏さんはシャンソン歌手。おしゃれな加藤さんも、市井の人の愛と悲しみをシャンソンで歌ったのだ。「ヨイトマケの唄」[歌詞]「拝啓大統領殿」もシャンソンだった。この曲を最初に聴いたのは、高石友也さんの歌だったろうか。「拝啓大統領殿」[歌詞&コード]わが心の師匠高田渡大人も「おなじみの短い手紙」というタイトルで歌っている。徴兵を拒否して逃げ出すというこの歌を、私はずっとアメリカン・フォークだと思い込んでいた。曲調は全然違うのに、高石友也さんが歌っていたし、ヴェトナム反戦で歌われていたので、そんなふうに思い込んでいたのである。もちろんアメリカでもヴェトナム反戦で歌われていたのだろう。PP&Mはちゃんとフランス語バージョンで歌っていた。あのボリス・ヴィアンの「脱走兵」という曲だった。つまり、フランスの反戦歌なのである。おそらくアルジェリア独立戦争の際に歌われたのだろうが、フランスは私にとって鬼門なので、これ以上はよくわからない。興味を持った方は、ツバルさんやうるとびーずさんといった、御専門の方々に聞いてください。LE DESERTEURParoles : Boris VianMusique : Harold Berg「脱走兵」[原詞&コード]「脱走兵」 [訳詞]受験生ブルース/高石友也フォーク・アルバム第2集~第2回・高石友也リサイタル実況より~(1968年)1. 受験生ブルース2. あの人の日曜日3. お父帰れや4. とび職ぐらし5. のんき節6. 時代は変わる7. 想い出の赤いヤッケ8. 一人の手9. 旅だつ人10. あるおっさん云いはった11. 拝啓大統領殿12. 橋を作ったのはこの俺だ13. 新しい日14. We Shall Overcome[CD ボーナス・トラック]15. 受験生ブルース(シングル・ヴァージョン)16. 友よ17. 北の国へ(シングル・ヴァージョン)18. 主婦のブルース
2003.12.03
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【追記】No.6きれいな夕陽でした。車で走り回っていたので撮影できず、残念。明日晴れますように。【追記】No.5「深夜放送ファン 北山修 さよなら特集」スタートが1万円の値付けはすごいなあ。http://page2.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b45634094【追記】No.4スピルバーグ監督の場合は、これがそのまま国威高揚映画になっても不思議じゃないという感じがするんだな。私は。ロバート・アルトマン監督のような、もっと雑然として、権威や権力をおちょくった映画の方が好きだわ。【追記】No.3そういえば、年賀状の準備をしなければならない。いや、わたしゃ数がしれてるんです。年賀状はずっと出さない習慣だったんです。おっ母さんが退職教員なんで、結構数が多い。見本を何種類かプリントアウトして、選んでもらいます。ちゃんと1枚ずつコメントを付ける人なんで、早目に出さないと。日ごろ使っていないインクジェットプリンタが不安だな。インクが固まって糞詰まり(失礼)になっていたらアウト。あ、来年サル年じゃないですか。年男。幸い同級生が楽天になだれこんでくれたので、あまり気にならない。いや、そういう問題じゃないか。おお、仕事かかえてるとキーボード打つ指が走るね、izumatsu君。【追記】No.2安かったので衝動買いしたDVD『AMISTAD』を見ながら、だらだら夜なべ仕事。DVDは英語音声に英語字幕を表示できるのがよろしいね。英語の勉強のつもりで見ているひとは、日本語字幕だとあまり効果がないと思いますよ。って、見てたら仕事にならないじゃん。しかし、どうしてこうスピルバーグ君の映画に、私は皮相な印象をもってしまうのかなあ。実に感動的な話だし、役者さんもいい演技してるし、映像もしっかり金かけて作っているはずなのに、いまひとつちゃちな作り物という感じがする。【追記】No.1どうもこの時間帯は更新した直後に結果がちゃんと反映されているように見えないことがありますね。実際には書き込まれているんだけど、日記やレスが見えなくなることがある。あわてないで何度か一覧なんぞ行ったりきたりすればいいのかな。と、いきなりの追記でした。お風呂入ってこよ。今夜は忙しいので、またまた本館過去日録から抜粋。私は一時期、「guts」「新譜ジャーナル」「ヤングギター」といった、楽譜の載っている古雑誌をぼつぼつと買っていたのですが、ヤフオクなんぞで価格が上がってしまったので、このごろはあまり買わなくなりました。すると、まさにそんな曲を集めたような本が続けて出たのです。なんといっても歌える率が高いのが『セメント・フォーク大全集』。『フォーク・ビレッジ』の方は人に貸してしまいました。夜なべ仕事の逃避に、ちょこちょこ追記更新すると思います。[2003年2月27日付日録]『セメント・フォーク大全集』自由国民社 本体1500円+悪税昨年はCDと連動した企画物の『フォーク・ビレッジ』(ソニー・マガジンズ)というのを買いました。それに似てるんですが、違うのはこの本が雑誌「新譜ジャーナル」のページからそのまま版を作っていること。したがって印刷が少し汚くなるのですが、当時の新譜情報やらアドバイスやらがそのまま入っているということです。これは494曲収録。『フォーク・ビレッジ』の1001曲と比べると半分ですが、その分濃ゆ~い感あり。「新譜ジャーナル」が「シンプジャーナル」になったのも知らないし、廃刊(1990年)も知りませんでした。編集協力として表紙に「坂崎幸之助」の名前があります。あの人の場合は本当に選曲などしっかりやってると思います。[2003年3月26日付日録]夜中にギターを引っ張り出し、歌を歌う。指が動かない。声も出ない。もどかしい。それでも、なんだか喉の奥が懐かしさで熱くなる。ワタクシ、カラオケだめなんです。先日買った『セメント・フォーク大全集』、変なタイトルですが、やはりすぐれものです。『フォーク・ビレッジ』は1001曲という怒涛の収録数ですが、基本は歌詞にコードを付けただけ。選曲もいまいち。取り柄は、各社CDとの企画物なので、CDを買えばお手本が手に入るというところ。『セメント』の方は雑誌の抜き刷り(というより雑誌からのダイレクト製版か)なので、楽譜が基本。怪しいうろ覚えのメロディも、しっかり確認できます。それに、何といっても私の「歌うぞ!」率が高い。歌い手さんの名前のあいうえお順なので、「赤い鳥」みっちり歌って、「あがた森魚」さん。「冬のサナトリウム」好きなんですわ。鶏の首を絞めるような声で歌いながら、ほろっときてしまいました。この曲、元ちとせさんも歌ってますね。ああ、すっげえ忙しいのに、また夜中に逃避してしまった。
2003.12.02
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【追記】実はジャケット画像を間違えて、裏をスキャンしておりました。でも、ほぼ同じですから。風船はこのURCから出ていたオリジナルアルバムがすべて入手できなくなっているというのが寂しいです。12月なのであります。この時期になれば、来年のことを言っても鬼が笑いません。普段は一週間以上先のことを考えない幻泉館主人にも、いろいろやらなければならないことがでてきます。来年の手帳はちくま文庫の文庫手帳を買ってきました。取材で動き回っていた時は毎日人に会う約束や制作スケジュールをきちっと書き込む必要があったのですが、今はあまり必要ない生活です。事務所の机の上のカレンダーで事足りてしまう。新潮社のシンプルな革手帳はかっこいいのだが、なにぶん高すぎる。今度からこの文庫手帳にしよう。ということで、定価580円+悪税。これにamazonの文庫カバーを付けました。来年のカレンダーも、少し前にamazonで購入しました。輸入もの。普通は輸入カレンダーは「国民の祝日」がなくて困るのです。私は幸か不幸か祝日と関係ない生活なので、輸入カレンダーでも困らなくなりました。U2とビートルズ、2種類購入いたしました。両方ともLPジャケットのサイズです。 楽天のネタにしようと思って表紙をスキャナーにかけました。サイズが大きいので、うちのA4スキャナーでは完全にはみでます。こういう場合はamazonなんぞで画像を拾ってきてお茶を濁す。で、濁そうと思って驚きました。表紙が全然違うのな。いくつもバージョンがあるというより、製作前の段階で見本画像を適当に作って流してしまうのだと思う。左に並べたものがそれであります。上から2004 The Beatles Calendar 見本2004 U2 Calendar 見本2004 The Beatles Calendar 現物(実際は正方形)2004 U2 Calendar 現物(実際は正方形)ま、現物の方ができがいいし、実際に表紙を見ている期間はないので、特に問題はありません。五つの赤い風船の実質的なラストアルバムは、1971年に発売された「アルバム第5集」のPart 1『New Sky』とPart 2『Flight』である。本来は2枚組みとして作ったアルバムなのだが、おそらく営業上の理由から二つに分けられることになった。『New Sky』は大作「時々それは」を含む、怪物のような傑作アルバム。だが、当時の雰囲気を思い出すと、友人のさわやかなお姉さんがレコードに合わせて歌っていたように、『Flight』の方が普通に風船の楽しいアルバムとして受け入れられていたのではないかと思う。「ボクは風」や「風がなにかを…」のように、いろいろな楽器が鳴って風船の独特なコーラスが聞こえる曲は、『Flight』の方に入っている。なぜか第2集である『Flight』の方が先に発売されたように記憶しているが、そのせいもあるかもしれない。末期風船の楽曲の特徴としては、シンプルなギターの静かなストロークにベースの音がからむアレンジが挙げられる。ボーカルもコーラスではなくて、一人語りに近い。「私は地の果てまで」もその一つで、私が夜中によく歌う曲でもある。以前書いた「ふる里の言葉は」もそうだ。意外に人気があるのが、この「小石を蹴ってみよう」。 ♪ 小石を蹴ってみよう 遠くまで飛んで ♪ あなたの所まで 届くかもしれない ♪ 私のあついおもいを はこんでフー子ちゃんこと藤原秀子さんが静かに歌います。もちろんロベルト・カルロスのように助走をつけて思いっきり蹴ってはいけません。事故が起こります。その前の曲「つまらない…」にあるように、「バスの中にちょこんと居たり」「田舎の道にふらりと居たり」「山をあおいで涙みせたり」しているフー子ちゃんがそのまま、「つまんないなあ…」と、ちょこんと小石を蹴るのです。小石は物理的な力で飛んでいくのではなく、熱い思いがどこまでもどこまでも小石を運んでいくのです。地球の反対側まで、私の蹴った小石は最初の一年間なんとか飛んでくれました。二年目は、届かなくなったのか、飛んでいかなくなったのか、よくわかりません。少なくとも受け取ってもらえなくなりました。だから今はもう、私がそこへ向けて小石を蹴ることもなくなってしまいました。
2003.12.01
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