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【追記】No.3ヒマになってしまったので、浜へ夕陽を撮りに走る。今日は人出が多かった。中国語を話す人たちが記念写真を撮っている。下の画像の娘さん(推定二十代)は手帳を広げていたが、結局夕陽を眺めただけで何も書いていないようだった。日が沈むと自転車で帰っていった。画像のアップは深夜に作業します。【追記】No.2本日のヒナのひるね。隙間にはまっています。いまひとつ心地好くないらしく、眠りが浅いですね。でも、眠気が勝ってしまい、寝相を変えられずにいます。む~。【追記】No.1うるとびーずさんの朝陽と夕陽、どっちが好き?、朝陽派が優勢ですね。私は圧倒的に夕陽が好きなんで意外に思いました。もちろん夕暮れとセットです。晩秋の夕暮れ、いいなあ。ところで私は日本語入力に「松茸」を使っています。元々の登録語彙が少ない方が使いやすいのです。必要な言葉は自分で登録していく。「夕陽」は一発で変換できるんですが、「朝陽」という言葉は入っていませんでした。あれは「旭」なのかな。「ブランデー、お湯で割ったらアメリカン」こんなアホなキャッチコピーをヒットさせたメーカーがありました。水割りウィスキーというものを日本に普及させて成長した会社らしいです。本物を作って売ることができなかったので、ニセモノをそれらしく飲む工夫だったとも言えます。「ブレンドを、お湯で割ったらアメリカン」コーヒーチェーン店で本当にブレンドにお湯を足しているのを見てびっくりしました。本格コーヒーじゃないよという証明ですな。60年代末から70年代初頭のTVCMでおもしろいなあというのを連発していたのは、サントリーと資生堂だった。今はテレビを見ないので、知らない。他の時代も知らない。この二社に共通しているのは、実体のない商品を売っていたことだ。「薬九層倍」という悪口があるが、それに近い。イメージを売ることに金をかけて、がらくたを高く売りつけていたのである。1ドルが360円だった時代。外国から輸入する本物は、今では考えられないぐらい高い値段で売られていた。だから、普通の人が普通に飲むウィスキーとしては、ちょうど日本人の身の丈に合ったウィスキーだったのかもしれない。水割りが濃いだ薄いだ一気飲みだと馬鹿な文化を作り上げた。早稲田のアホ学生ワダさんたちを生み出したのも、水割り文化なんだろう。70年代後半に学生時代を送った私たちは、飲み屋でウィスキーのボトルといえばサントリー・ホワイトだったのかな。オールドだと少し高級というイメージがあった。その少し前に読んだ故つりたくにこさんのマンガでも、オールドが高級酒という文脈で登場していたな。実家で亡父が普段飲んでいたのは、レッドだった。安ウィスキーだ。水割りにはしていなかったと思う。そうそう、伯父はハイボールだった。子供には炭酸水が珍しかった。あんなまがいものみたいな安酒で、でもにこにこと楽しそうに飲んでいたな。酒で苦労する家庭は多いそうなのだが、不思議に家の酒席に悪い思い出はない。父は人が集まるのが好きだったので、とにかくいつも大きなテーブルを欲しがっていた。ナッツやいかのくんせいといったおつまみを少しもらうのが好きだった。今でもウィスキーを飲む時は、そんな乾きものがないとちょっと寂しい。水割りはなんだか気持ち悪い。
2004.01.31
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♪ どうして旅に出なかったんだ ぼうや ♪ あんなに行きたがっていたじゃないか ♪ どうして旅に出なかったんだ ぼうや ♪ 行かなくてもおんなじだと思ったのかい 友部正人「どうして旅に出なかったんだ」【追記】No.5ところで、私の愛車はめちゃくちゃ走りのいいミニバンなんです。荷物を積んで遠くに行きたくなる車です。平和のためのキャラバンに最適です。楽器を積んで、歌を歌って回れるよ。私の持っているイメージでは、「旅」は資本主義的生産からの脱落を意味するんだけど、普通は観光産業のお客さんになることらしい。【追記】No.4それで「旅」というと、生ゴミが食えるかというところまで行ってしまうのだ。寄せ場で年寄り向きの半端な仕事にありつき、なんとかドヤに入れる金を稼げるかどうかのギリギリな暮らし。暮らしとは言えない毎日。「旅」の果てにはそんな日々が待っている。高校への通学途中に見かけた、凍死したおっさん。暖かなのんびり市でもあんなふうになってしまうんだ。この季節、陸を敷いては眠れない。【追記】No.3私は「旅」を「tour」や「trip」というより「journey」でイメージしておりました。つまりそれは観光旅行やすぐ帰ってくる周遊旅行ではなくて、陸路の長い旅で、再び帰ってくることを必ずしも意味しないと受け取っていたのです。「旅」には感傷的なイメージが含まれます。ところがもともと「たび」という言葉は単に住居を離れることを指していて、必ずしも遠い土地に行くことに限らないのですね。数日間の観光旅行を「旅」と呼ぶことに抵抗のある私は、少し勘違いしていたらしいです。なんだ、やっぱりそこのタバコ屋の角を曲がれば、もう旅なんだ。それでも、ほんの数万円で太平洋の観光地にほいほい行ってくることができる今と違って、少し前まで旅はやはり危険でつらいものだったんだろうな。以前は色の付いたメガネなどかけていなかったので、見るからに人畜無害、絶対安全キャラの私は新幹線の中でよくお年寄りの話を聞かされました。たぶん家族にも話せなかった遠い過去の体験を話してくれたり、その際の心情を吐露してくれました。仕事で独居老人のお話を聞いて回った時も、妙にスムーズにいきました。他のおばあさんから「あの人絶対に他人を部屋に入れなかったのよ」などと言われるようなおばあさんの部屋にも気軽に入れてもらいました。なんでしょう、三つ子の魂百までで、おばあちゃん子だったせいなんでしょうか。「主人は発展家でございまして」と、数十年前に亡くなった亭主の行状を聞かされると、私も応答に困るのですが、適当な相づちを打つと、おばあさんはいくらでも昔の話をしてくれるのです。家を飛び出してきてしまったけどやっぱり帰るというおばあさんに話しかけられたことがあります。話を聞いてもらったお礼にと、おばあさんが食べるはずだったお弁当や蒲鉾をいただきました。なんだか悲しい弁当なんですが、持って帰ってぺろりとたいらげちゃうところがワタクシ。お気持ちを無駄にしちゃいかんでしょ、やっぱり。【追記】No.2タイトルだけでDr.悠々さんがレスを付けてくださったので、やっぱり「どうして旅に出なかったんだ」について書かなければいけないな。書かない詩人、歌わない歌手、描かないマンガ家……。どこかで聞いたなと思ったら、永島慎二さんの『若者たち』だ。PANTAさんの「マーラーズ・パーラー」にも似たようなフレーズがあったような。 ♪ どうして旅に出なかったんだ ぼうや金とヒマ、必ずどちらかが欠けていたんだよなぁ。だから旅行らしい旅行に行ったことがない。何が新東京国際空港だ。ナリタは廃港にせにゃならぬ。こういう反発もあったわ。北アメリカ西海岸経由で入ってきたインド趣味にも違和感があった。そんなに遠い昔ではない、もっと海外旅行が安くなってから。フランスはそんなに遠いところではなくなったけれど、僕はそこへに行かなかった。その土地に行きたくなかったのではない、その人に会いたくなかったのだろう。なに、別に外国でなくていいんだ。そこの横丁の角を曲がってしまえば、放浪が始まる。トラックの助手席、ヒッピーの流れついた島、寄せ場。霊場をぐるぐると回り続けても良かったんじゃないか。【追記】No.1某大手スーパーへ夕陽の撮影に行き、ついでにヒナの餌を買ってきました。いわゆるネコ缶とカリカリです。目だけ食いしん坊なんで、大きい缶はダメなんです。いつも目玉商品ばかりなので、少し不憫じゃ。いよいよ真打ち登場!われらが妖怪仲間、異能の人、chappiさんが楽天デビューしました。chappi-chappiのとんぴん日記プチコスプレ主催者だった、あの方です。おもしろい日記になることは必定なので、皆様どんどん煽ってあげてください。え~、本日の日記がまるで書けていません。ぼつぼつと【追記】で参ります。タイトルは変わるかもしれません。更新しました。夕陽が好き![I Love Sunset!]
2004.01.30
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【追記】No.3本日の夕陽。IP屋上駐車場より。他の夕陽画像は深夜にアップします。【追記】No.2私がリンクしている方が、少しトラブっているらしい。相手は毎度おなじみ2ちゃんねら~?またかよ。彼女は元ライコス難民の手練なのでおそらく心配は要らないだろうし、トラブル相手の知的水準がまたまったく問題にならないほどおそまつらしいので、こんなことも楽しんでいるのかもしれない。そのおそまつ君、何があったのかとちょっと見ていただけで、ここや本館の方まで覗きに来ている。卑怯者というのはやはり気が小さいんだな。余計なことで消耗したくないから、こっちで面倒なことはしないでおくれな。【追記】No.1楽天広場の生活では相手の声は聞こえないはずなのに、それでもやたらに声の大きい人がいたり、早口な人がいるのはおかしいですね。私がトップに貼っている「the Blue Ribbon Online Free Speech Campaign」をお気に召さない方が、いきなり大声で怒鳴っていったのには笑ってしまいました。リアルパースンの彼が本当に大声なのかというと、そうでもなさそうです。匿名性の陰に隠れていきなり無礼なことを言い出す卑怯者は、実はとても気が小さかったりします。匿名を前提とする巨大掲示板でネットに慣れた人にありがちですね。本名を言い当てるとおとなしくなってしまうのは、民話に現われる鬼のようです。張り子の虎を見抜くのが、インターネットにおけるメディア・リテラシー(読み書き能力)の基本なのでしょう。冗談や責任回避で「ネット人格」などという言葉を使っていたのですが、楽天広場のシステムでは、それはなかなか難しいですね。本来の自分とまったく違う人格をネットでデビューさせようなんて、よっぽど根性がないと続かない。一ヵ月もすれば、地金が出てきてしまう。書いたものを掲げておくだけならもっともつかもしれないけど、楽天には出会い加速装置が付いているので、掲示板やメッセージで他者と関わらざるをえない。「ぼく」だけでは「ぼく」は成立しない。他者との関係性で「ぼくがぼくであること」ができあがる。多少は歪みや偏りができたとしても、結局は原寸大の「ぼく」が登場してしまうのだ。まったく意味合いの違う賞なのだが、芥川賞とアカデミー賞、この二つは学生時代に友達との会話に上った。ただ、私はこの両者にあまり興味がなかった。むしろ苦手な作品群なので敬遠することが多かったのではないだろうか。それでも、受賞直後に読んでしまった芥川賞作品などというのがある。『限りなく透明に近いブルー』(1976年)と『僕って何』(1977年)。どちらもあまり良い印象は持たなかったように思う。村上作品はひどく時代錯誤な感じがした。三田作品は、主人公に似てるんじゃないかと言われて、ひどく不愉快だった。この作家さんたち、商売が上手そうだなと思った。そんなちんまい「アイデンティティの喪失感」にみんな悩んでいたのかしら?マーケティングの時代を近い将来に控え、学生たちは嬉々として紺色のスーツに身を包んでいったのではなかったか。NHKに少年ドラマシリーズというのがありました。その最初のころの数本は見たようです。1972年から1973年、高校生にもなってこんなものを見ていたのはどうなんでしょう。でも、おもしろかった。「タイムトラベラー」(1972年)「怪人オヨヨ」(1972年)「どっちがどっち」(1972年)「けんかえれじい」(1973年)こんなものでしょうか。「けんかえれじい」は麒六の役を山田政直君という子役がやっていて、なかなか良かったです。後年政治家の秘書になって選挙に立候補したのには驚きました。残念ながら1973年の「つぶやき岩の秘密」や「ぼくがぼくであること」までは見ていません。せっかくだから見れば良かったのに。
2004.01.29
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【追記】No.4昨日のレスでにゃんpiさんが付けてくれたレス、やっと話がわかりました。世間様ではこのニュースで盛り上がっているのですか。国会議員の学歴詐称というのは、わざわざ私が怒るなことでもないような。googleしてみたら、実にこだわっている人もいるのだなと了解しました。http://www.geocities.jp/dinepepper/【追記】No.3ところで暮れに高校の卒業写真を載せたのでありますが、画像は昨年の3月ごろに作ったものです。人に請われて高校の卒業アルバムを持っていったところ、話が結構盛り上がりました。年代が全然違うのに、あの子がかっこいいだのとぐだぐだ話せるものなんですな。私の卒業写真は長い髪を後ろに回してごまかしています。わりと評判が良くて携帯で撮影したりしてる人もいたのですが、うまく撮れないようなのでスキャナーで取り込みました。サイズを携帯の壁紙用に調節して送ってあげたところ、一部でブームになったのです。実存しない虚像だという気安さから、携帯電話の壁紙にしてくれたのです。母親と娘二人が喜んで壁紙に使ったという伝説まで生まれました。本人がオチになってしまうという、捨て身の冗談です。諸行無常……南無阿弥陀仏……そのままネットで公開するとウソツキ呼ばわりされてしまうので、顔を半分にカットしました。それで、またユーミンの、ハイファイセットの、「卒業写真」なんですが、身勝手な歌ですよね。私は現実を生きてどんどん変わるけど、あなたはそのまま変わらずにいて私を見守っていて。私とあなたの実存が関わることはもうないのであります。ただ思い出を歌う歌。ま、身に覚えがあるから、身勝手な自分の気持ちを歌ってくれてるなという部分があって、ほろっときちゃうんですけどね。【追記】No.2更新しました。夕陽が好き![I Love Sunset!]【追記】No.1戦争中の教員養成所がどんなものかよくわからない。教師陣は著名な方が多かったそうで、宮城道雄さんの演奏を聴いたりしたと言っていた。イメージとしては、今で言えば本来短大卒で取れる免許が、半年間の専門学校での集中講義で取得できるといった感じかな。実際に東京都採用となった母がやった仕事は学校で授業をするのではなくて、小学生たちをひきつれて集団生活を行なうことだった。どんな食べ物でも均等に分けることができるという特技を身につけたような仕事だ。今回初めて聞いた話だが、富士山の近くで疎開した時にはB29をたくさん見たという。爆撃機が富士山を目標に飛来し、それから東西に分かれて飛んで行く。B29が墜落するところを一度目撃した。ものすごい音をたててから、落ちて行ったそうだ。撃墜されたのか、故障なのかまったくわからない。報道というものが存在しなかったから、噂話を聞くしかなかったのだという。戦後に九州で受け持った子供たちとは、一緒に遊んだという記憶ばかり残っているようだ。机を片付けてままごと遊びをしたそうだ。のんびり市ではもっと普通の教員の顔をしていたので、若き日の母の教員生活を見てみたかったと思う。そのころ、母はまだ十代の娘だったのである。幻子心母はその昔小学校の教員をしていました。戦争中に都立の教員養成所で促成栽培された教師です。すぐに子供たちを連れて学童疎開。最初に富士山の近くに疎開したのですが、米兵が上陸して本土決戦になると危険だというので、青森に再疎開しました。そこで敗戦を迎えたそうです。戦後しばらくの間は、九州にある学校で教員をしていました。その時の教え子から電話があったのだそうです。「先生、同窓会に来ていただけませんか?」教え子たちは64歳になるそうです。暖かくなってからならいいよと返事をしたそうです。隣町に暮らす弟を連れて、兄弟同様に育った従弟たちにも会いたいようです。物故者も多く、墓参りも兼ね、もしかしたらこれが最後だという思いもあるのかもしれません。この春。穏やかな気候が続いてほしいものだと思います。夕陽画像など、この後にぼちぼちと追記していきます。とりあえず、お風呂に入ってきます。
2004.01.28
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【追記】No.2ちょこっと畑仕事をしたり、夕陽を撮影に出たり。ただいま仕事中なので(おいおい)、夕陽画像のアップは深夜になります。今のところ充実した一日っぽいぞ。【追記】No.1お寒うございます。ヒナめもお出かけしたいのですが、外が寒いのでぐずぐずしています。コイズミさん、あんた、ブッシュの何なのさ?私は元気なのですが、諸事情により日記が更新できず。本館過去日録を「辺見庸」で検索してヒットしたものをアップしておきます。---------------------------------------------------辺見庸『単独発言』より「汝が望みを、おのが生命に応じてはかれよ」。なぜなら、欲望はわれわれを焼き焦がし、実現できるという過信がわれわれを滅ぼすから。欲にまかせ何事かを得れば得るだけ、人間は命を縮めるものだから。---------------------------------------------------【2003年5月13日付日録より】[ 単独発言 私はブッシュの敵である ]5/11(日)です。夕食後、先週と同様に爆睡。夜10時過ぎにムクっと起き上がり、10日発売の雑誌『噂の真相』6月号を買いに近所のTSUTAYAに出かける。ついでに、平積みになっていた辺見庸さんの『単独発言 私はブッシュの敵である』(角川文庫)を購入。会員カードが期限切れだったが、更新せず。『噂の真相』は蓮池兄さんの個人情報が気になる。表紙に「◎北朝鮮外交を操る■蓮池透の正体 ◎◎◎北朝鮮との戦争を扇動するような言動の数々……。家族会を牛耳る人物の思想的ルーツとは?」と書かれている。ニュースステーションで久米宏さんが蓮池透さんの職業について触れた時、「大きなお世話だ」と怒ってみせた蓮池さんだが、既に公人として活動している人がそれは変だと思った。それとまったく同じ論理で、『噂の真相』は蓮池透さんの個人情報を掲載している。『噂の真相』は来年3月で廃刊だそうだが、個人情報保護法という悪法の下で、頑張ってくれる雑誌が減るのはつらい。原発関連企業とは聞いていたが、蓮池透さんは東京電力の社員であった。ただし、2002年からは核廃棄物関連企業「日本原燃」に出向、燃料製造部副部長の職にあるそうだ。核廃棄物からプルトニウムを抽出する「プルサーマル計画」を担当している。つまり、日本国の核兵器所有プログラムを担っているのである。「家族会」の主張とプルトニウム抽出があまりにもシンクロしているのが恐ろしい。上の情報は雑誌『噂の真相』の記事からの引用であるが、もし私が個人的に調査した結果でこれを書いていたとしたら、個人情報保護法の下では完全にアウトになるものと思われる。どんどん思想統制が進んでいるのだよ。『単独発言 私はブッシュの敵である』は単行本に一章加筆し、姜尚中さんが解説を付けたもの。単行本の際の副題は「99年の反動からアフガン報復戦争まで」。正直な話、副題に惹かれて買ったのである。編集者の意図に乗せられたね。2001年3月にタリバンがバーミアンの石仏を破壊した時、報道に接した大方の日本人の反応は「なんたる蛮行」だったと思う。その時、アフガンの飢餓や難民に思いを馳せることができた日本人は何人いたのだろう。辺見さんはイランの映画監督・作家モフセン・マフバルフの言葉を引用している。 > ついに私は、(バーミアンの)石像は、誰が破壊したのでも >ないという結論に 達した。仏像は、恥辱のために崩れ落ちた >のだ。アフガニスタンの虐げられた人びとに対し世界がここ >まで無関心であることを恥じ、自らの偉大さなど何の足しに >もならないと知って砕けたのだ。貧しい各民族が住まうアフガンだからこそ、虚偽でしかないブッシュの「善」と「正義」は、カンダハル周辺にデイジーカッターを使用することができた。強化型クラスター爆弾、「劣化」ウラン弾が使用されたイラクも同様であったし、おそらく将来は北朝鮮に対してもそのような蛮行が可能なのだろう。日本の主要メディアは、ニューヨークに対する過剰な関心と、アフガンに対する無関心によって、ブッシュの味方をしている。
2004.01.27
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ふらりと入った本屋さんで、文庫本を一冊購入。辺見庸さんの『独航記』(角川文庫)。このごろテレビのニュース番組などを眺めると、実に偏った印象を受けて不愉快になっていたので、自分のバランス感覚を思い出すのに好著だろうと思う。まさにパラ読み。いろいろ触発されるところがある。タイトルでひきつけられたのが、「マチェクに自分重ねた」。もちろんアンジェイ・ワイダ『灰とダイヤモンド』のこと。>しかし、私はそうした政治性ではなく、チブルスキー演じるマチェクの自暴自棄と、どこか気だるい孤独感、そして彼の死に様に、より強く魅かれたのだと思う。そうそう。そんなんで、私のメガネも色が付いているのでしょう。結びの、女のセリフも思い当たる節があるぞ。>「チブルスキーって外人のくせに顔が大きいから好きじゃないのよ」
2004.01.26
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昨日に続いて今日も懐かしい人が登場。ブンちゃん(仮名♀二十代)は、結婚を控えてるそうな。やけにそんな話が集中するのね。年下の彼氏を捕まえたんだと。ブンちゃんは気配りをする面倒見のいい人なので、いい家庭ができることでしょう。おみやげにシュークリームをいただく。今日はバテバテ。日ごろまじめに仕事をしていないので、たまに集中すると疲れること。アート・ガーファンクルさんがマリファナで捕まったそうで、なんだかアナクロな雰囲気のニュース。ガーファンクルさんを過去日録で検索して、ヒットしたやつを蔵出しします。【2002年12月10日付日録より】[ 愛の狩人 ]先週録画した映画をぼちぼちと整理する。なかなかゆっくり観ている時間がないので、「いつか」に備えて。Someday never comes って言うけどね。CSで放映した『不確かなメロディ』。ラフィタフィの2000年ツアーを記録した音楽モノ。要するにキヨシローさん。これはまあ、VCDにしておけばよろしかろう。HDDにMPEG-1フォーマットで録画したものを、TMPGEncで圧縮する。[設定メモ] 約91分 ビデオストリーム サイズ 352*240 ビットレート 720kbits/sec オーディオ 44100Hz 256kbits/secこれで685MBとなり、CD-R1枚に収まる。同様にBSで放映した『愛の狩人』約94分。上と同じ設定で約707MB。730MBぐらいまでなら、普通に700MBのCD-Rに収まる。この『愛の狩人』というのは、じつに妙な映画であるのよ。原題は"Carnal Knowledge"(肉体の知識?)、1971年の制作です。監督は『卒業』のマイク・ニコルズ、『シルクウッド』『ワーキング・ガール』『心の旅』あたりの評判がよろしいようですが、私の場合は『キャッチ22』なんぞが好みです。俳優さんはジャック・ニコルソン、アート・ガーファンクル、キャンディス・バーゲン、アン・マーグレットとかなり豪華なんですが、出来としては「?」です。やっぱ「ヰタ・セクスアリス」ものとでも言うのかなあ。見るからに「いい人」ふうのガーファンクル君と、「悪いやつ」ふうのニコルソン君が学生時代に親友でありまして、いわゆる初体験をめぐってちょいごたごたあって、そして齢を重ねて後日談があって。たいした映画じゃないっぽいでしょ、そうなんです。でも、何かがひっかかるんだな。川本三郎さんが、お嬢様キャンディス・バーゲンが「大学はスミス」よみたいなことを言う時の、その発音がひっかかったぜとどこかに書いていたような気がします。「聖心からお茶よ」みたいな感じ?そのすぐ後に、当時ロマンポルノ路線だった日活で『恋の狩人』というよく似たタイトルのシリーズが作られてます。この辺の映画がはワイセツ容疑で摘発され、いわゆる「日活ロマンポルノ裁判」が始まりました。よい子だったのでそういう映画は見に行きませんでしたが(行けませんでしたが)、硬派の映画雑誌を読んでは、裁判の情報を仕入れたものでした。こういうことはいくらでもくだらないことが書けてしまうので、この辺でやめておこう。『愛の狩人』の方だが、しり切れとんぼでむなしいエンディングに対して、冒頭はかなりいい感じ。「ムーンライト・セレナーデ」をバックにクレジットが流れるのですが、それに野郎二人の対話がかぶさります。 * どっちがいい * え? * 愛したい? それとも愛されたい? * 相思相愛 * そうでない場合は? * どっちか選べってこと? * そう * あえて言うなら愛する方かな * 僕もだ * 傷つかない程度にこの後、具体的にガールフレンドの名前を挙げてなんだかんだ言うわけです。ネタバレ的に言ってしまうと、この愛すべき悪童たちは、結局自分が傷つく程度までひとを愛してしまうわけですな。ま、このイントロで想像つくか。
2004.01.25
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【追記】No.2今日は「男らしいってわかるかい」のタイトルに釣られた方が多いようですね。中身がなくて申し訳ございません。艶消しにちょっと解説。これはディランIIが歌った、ボブ・ディランの"I Shall Be Released"の邦題です。名盤『きのうの思い出に別れをつげるんだもの』(1972)に入ってます。ついでにしつこく自己宣伝。♪満鉄の金ポタンのパカヤロウ♪【追記】No.1いまひとつ晴れず。昨夜は肩や腰が猛烈にだるくなったので仕事を放り出して寝てしまいました。インフルエンザにかかった人と接したので、大事をとったというところ。それで午前中からぼつぼつとお仕事。ちょっとだけ真人間。灯油を買いに行かなくては。ひさしぶりにカメちゃん(仮名♀二十代)が現われる。以前「結婚するんだよ~!」と言っていたので尋ねると、あれはダメになったのだと言う。それで、酒も入っていないのに男の優しさについてひとくさり。>優しい男って、単に優柔不断である場合が多いんじゃないか。>中途半端に優しいけど、あれは本当の優しさじゃない。何があったのか知りませんが、とても耳が痛いお話でございました。いまどきの男、じゃないんだけどね、私は。圧倒的な優しさというのは、おそろしいほどの強さが必要なものなのだろう。酔っ払いの人生論や恋愛論みたいなことをうだうだと考える夕でございました。夜なべ仕事があるので、また本館より蔵出しいたします。ほぼ一年前の日記から適当に。【2003年2月5日付日録より】[ 詩人の肩書き ]シニード・オコナーを聴いていたら、やっぱり坊主頭娘のまゆぞう(仮名♀十代)が「あ、癒し系だね♪」と言って持っていってしまったので、もっぱらトレーシー・チャップマンを聴いております。あたしゃやっぱりこっちの方が好きだな。一見(一聴?)シンプルなアレンジだけど、すごい音出してます。これはトラックダウンにめちゃくちゃ時間かけてますよ。トレーシーの歌も似てますね。すごく素朴でシンプルそうだけど、深いです。誰でも生きていくうえで、自分なりの経験則を発見するものである。たとえば隣家で子供が大騒ぎしている翌日は雨が降るとか(実話)。70年代・80年代に私が獲得した経験則は、「やたらに吉本隆明を口にするやつはロクなもんじゃない。決して信頼するなかれ」である。90年代以降は通用しない。ご本人が単なるばななのパパに成り下がり、終わってしまったからである。今の若い人はよく知らないだろうから軽く説明しておくと、在野の思想家として非アカデミズムの言論界に大きな影響を与えた人です。本人はそれなりに偉い。自分の頭で読み、考える人でありました。なんで過去形なんだ。「自立」がキーワードで、「試行」というミニコミがその拠点でした。一般には「共同幻想」がキーワードです。で、この言葉を振り回したがるのが、自分の頭で考えない似非インテリばかりで、私は実生活上で多大なる迷惑を被ったのであります。すっごくエピゴーネン(追随者・模倣者・亜流)が多いという、不幸な思想家・評論家です。人を育てるということができない人だったんですね。前置きが長いですね。今日はまだ日曜日、のどかな県のんびり市でも珍しく雪が舞いました。先週は風邪でダウンしていたので2週間分の生ごみを菜園に埋めて、毎日新聞を買ってきました。テレビ欄と読書欄が目当てです。ああ、やっと出てきたぞ、吉本隆明さん。「吉本隆明が読む 現代日本の詩歌」という連載がありまして、今日は「~41~ 入沢康夫と天沢退二郎」でした。この連載、いいんですよ、肩の力が抜けてて。今回は筑摩書房で出している宮澤賢治全集を誉めております。「銀河鉄道の夜」に出てくる、夢の中のジョバンニと溺死したカンパネルラ。その地上の母と天上の母。この二人の母を読み分けたのが、入沢・天沢の功績だと評価しているのである。これは日蓮が古典「法華経」の中で評価した二人の母なのである……そうな。こちらは知らないんだから、へへえと恐れ入る他ありませんが、おもしろいですなあ。この天沢退二郎さんは高名なフランス文学者にして大学教授、なおかつかつてはかなりの論客として有名だった方です。だけど、なんといっても良いのは『中島みゆきを求めて』という本が好著です。尾崎翠全集を出している創樹社から80年代前半に出た本なんですが、今は河出文庫に入ってます。今とは違う独特の世界を作り出していた中島みゆきさんに論客天沢退二郎がメロメロになっている様子が正直に書いてあって、実に微笑ましいです。
2004.01.24
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【追記】No.2あまりの眠さに、仕事を放り出して浜に車を走らせる。きれいな夕陽で目が覚めるだろう。どころか、えらい天候でありました。堤防を隔てても、車の窓に波のしぶきが飛んで来る。堤防の上には誰もいない。海の方を向くと呼吸がまったくできない。カメラを構えても、風で手がぐらぐらする。寒い!口の周りがいきなり塩辛くなってます。それでも何枚か撮影してきました。なんなんだ、この情熱は。更新しました。 夕陽が好き![I Love Sunset!] 【追記】No.1寒いですな、眠いですな、忙しいですな。こういう時にはサイトをガンガン更新したくなるけど、じっと我慢。出がけに撮ったヒナ画像だけアップしておきます。珍しく外を眺めています。もっともこの数秒後にはまたごろりとしてしまいました。先代チビ君はボス猫だったので、本当にいつも縄張りを巡回していました。ヒナの場合は「見張り塔からちょっと」。ふと思いついて友部正人さんのCDを引っ張り出す。意外に枚数が少ない。再発できないものが多かったのかな。「一本道」「まるで正直者のように」はURC時代の曲。その後のメジャーでは「レコ倫」「自主規制」にひっかかって、アルバムを出し続けることができなかった。「どうして旅に出なかったんだ」「空が落ちて来る」、タイトルだけ眺めていてもステキだ。「中道商店街」は、もちろん吉祥寺の、あの商店街。友部正人「はじめぼくはひとりだった」(1976年) ♪ はじめぼくはひとりだった ♪ 線路端にもたれ大きな月を見ていた ♪ 離しかけるのもぼくならば ♪ それに答えるのもぼくだった ♪ 目の前を貨物列車が通り過ぎて行った独りであることの幸せを歌った佳曲。1987年よみうりホールでのライブ盤はこれが1曲目で、アルバムタイトルにもなっている。これはデビュー15周年コンサート。オリジナル40曲を5時間以上かけて歌ったのだそうな。「びっこのポーの最後」をSIONが一緒に歌っているのが嬉しい。繰り返して孤独を歌うこの曲、最後に大逆転の言葉があります。どうしよう。えい、書いてしまえ。 ♪ ある日ぼくは素敵な言葉を見つけた ♪ そしてはじめてさびしさを知った「はじめぼくはひとりだった」というタイトルでこれは予感できてるよね。つまり、「ぼくはひとりじゃない」っていうことだ。そうだ、デビュー30周年記念のライブアルバムも出ているはずだ。買わなくては。
2004.01.23
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【追記】No.3キクチ先生からパンをいただいた。キクチ先生は母の退職教員仲間。なぜか隣県蒲鉾市で買ってきたパン。あんぱんと甘食。あんぱんはともかく、甘食なんて食べるの何年ぶりだろう。事務所でおやつにいただいた。なるほど、甘いわ。ふと、とても懐かしい思い出が甦った。これ、本当にそっくりだったなあ。女の子たちが胸に当てていたアレ。本当はなんて呼ぶのか知らないけど、あの子たちは確かに甘食と呼んでいたぞ。学生時代、女の子の部屋で食事を御馳走になったのだ。それで、これは何だかわかるかと見せてくれたのが、この甘食によく似たもの。さすがになんだかわからないということはなく、ああ、これがそうなのかと感心しました。本当に甘食じゃん。感触は本当の甘食よりふわふわしていて、もっと甘食らしかった。あ、違いますよ、身につけているものじゃなくて、小さなタンスからごそごそ出してきたんですよ。後日その子の友人たちは彼女を大いに責めたそうです。どーゆーつもりでそんなものを見せたのか。いえ、私はとてもおもしろかったので、見せた本人も満足していたようですよ。実を言うと、一度だけ彼女のおでこにキスをしたことがあります。それだけです。【追記】No.2おはようございます。とてもいい天気。だけど、風が強いのです。風がなければとても暖かいはず。うちのサンルームはぽかぽかですけどね。あちこちで真人間化したと言われてますが、残念ながらそうではございません。昨夜は逃避欲求の方が勝っただけで、おそらく今夜はひーひー泣きながら夜なべ仕事をしております。できるだけ昼間がんばりますが、もう無理だ、が見えている。【追記】No.1川上弘美さんの『センセイの鞄』のこと。ポール・マザースキー監督の『ハリーとトント』(1974年)を思い出したのです。物語は全然別物ですよ。登場する爺様のことです。謹厳実直に教員を続けてきた、というようなキャラクターが似てるのかなと思ったのです。2003年09月16日 ハリーとトントプロフィールの「好きな映画」はタイトルを全部削って監督名だけにしてしまいましたが、楽天に参入した直後は『ハリーとトント』を書いていたのですね。自分が悪いのではありますが、まあ仕事をためたので忙しいこと。反省。あっという間に日付が変わる時刻になってしまったので、本館より蔵出しいたします。去年の今頃を覗いてみて、忘れていたものを見つけました。風邪がはやっているようです。とにかく今倒れるとアウトなので、がんばらねば。皆さんも気をつけてください。【2003年1月29日付日録より】[林光一さん、深沢七郎さん] 天気 : 晴れ とても さぶっ さぶっそういえば林光一さんという作家がいました。フランスワールドカップの年になくなっています。山谷で暮らす放浪作家でした。そ、昨日の山谷バナの続き、おクスリは関係ないです。愛川欽也主演『キンキンのルンペン大将』(1976年)という映画にもルンペン役で出てるはず……と思って調べたら、『金髪トルコ嬢(秘)SEX狂宴』(1975年)というすごいタイトルの映画にも出てますね。享年79ということなので、ヤマの住人としては異例の長命だと思います。山谷では四十歳代で老人の風貌になり、五十歳代で亡くなる方が多いそうですから。本が売れた時には深夜放送でスペシャル番組を担当したこともあったと思います。この人がマスコミに登場した頃、すごく気になったのでよく覚えているのです。気になった理由がですね、私の高校・大学の先輩だということなのであります。(林さんは旧制ですが)それで財閥系の信託銀行に就職なさったそうで、私よりずっとまっとうです。ちゃんと結婚して所帯も持ったそうで、さらに私よりずっとまっとうです。それがなぜドヤ暮らしをするようになったのか、肝心なところはよくわからないんです。ただ、自由に生きたと言っていたので、やっぱりまっとうに生きることができたのでしょう。う~ん、顔がなあ、『楢山節考』の深沢七郎さんと混ざっちゃってんだなあ。深沢七郎さんも不思議な生き方をした人ですね。達人の顔なのでしょうか。『楢山節考』を発表した時深沢さんは日劇ミュージックホールでギターを弾いていたそうです。カッパブックスから自伝エッセイ+楽譜集のような本を出していて、私大昔に買いました。『楢山節考』の舞台は信州なんですが、出身地甲州を思い浮かべて書いていたそうです。1958年に木下恵介監督が、1983年に今村昌平監督が映画化してますね。どちらの映画でも母親役の女優(田中絹代・坂本スミ子)が歯を抜いて演じたというのが壮絶。『戦場のメリークリスマス』でカンヌのグランプリ獲りを宣言していた大島渚監督はちょいかわいそうでした。どう考えてもカンヌでは『楢山節考』の方が受けるわな。その後『風流夢譚』事件(嶋中事件)が起こります。1960年12月号「中央公論」に掲載された『風流夢譚』を読んで怒ったアホな右翼が、61年2月に中央公論社社長嶋中鵬二宅を襲い、社長夫人に重傷を負わせ、お手伝いさんを殺してしまうのであります。この前年、60年安保の年には浅沼稲次郎社会党委員長が日比谷公会堂で刺殺されたばかりです。掲載に関しては相談を受けた三島由紀夫が『憂国』を一気に書き上げて、「並べて掲載すれば毒が消える」と言ったという伝説もありますが、中央公論社は実に簡単にテロに屈してしまいます。深沢七郎さんは姿をくらまし、放浪生活をすることになります。そして、「ラブミー牧場」だの、今川焼の「夢屋」だのと、もう私にはわけわかりません。かなりの変人ぶりだったそうです、金嬉老が逮捕された時の様子には変装した警官たちのことを「卑怯だ」と怒っていたそうな。深沢七郎自身は「人が亡くなっているのだから」と、『風流夢譚』の出版を二度と許可しなかったそうだが、海賊版はかなり出回っている。同じ時期、1961年2月号の「文学界」には大江健三郎『セブンティーン』の続編『政治少年死す』が掲載されたのだが、右翼のテロにビビった大江さんがお蔵入りさせてしまいました。だいたいこの2作品がセットで、海賊版として出回っていました。雑誌「玄海」のコピー売ってたって書いてたのは誰だったけな?探せば家のどこかにあるはずなので、興味のある方はお気軽にどうぞ。
2004.01.22
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幻泉館主人は唯物論者なので、怪力乱神を語ることはない。川上弘美さんの『パレード』を買った。あっという間に読み終える。完結した作品世界に加えられた「追記」のようなもの。本編がダメな人にはダメだろうし、好きな人はぜひ読むべきお話。『センセイの鞄』のいつかどこかであったかもしれないエピソード。川上弘美さんの作品は異界との接点があいまいで境界がよくわからないところが魅力だと思っていた。本編『センセイの鞄』はそういう世界ではない。外伝『パレード』は、むしろその本来の世界。吉田秋生さんが描いていた「ざしきわらし」の世界に似ている。異界との回路が通じるということは、その心の純粋さの証しなのである。
2004.01.21
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【追記】No.1小豆粥。日付が違うじゃん。事情があって15日にできなかったので、今朝となりました。七草をやっているので「片粥じゃいけない」ということなのだが、なに、好きな食い物なのであります。いただきものの京漬物各種がとてもおいしゅうございました。余った小豆がお汁粉になります。『センセイの鞄』読了。たぶん年寄りと娘のような教え子の恋物語という設定自体で嫌悪感を催す人もいることだろう。私の場合は一箇所落涙。どこでかはひ・み・つ。いい天気。日ごろの行ないがとてもよろしいから。出かけてまいります♪野沢享司さんという「不遇の天才シンガー」がいる。URCで出した『白昼夢』(1972年)ではミッチー及川光博さんのような風貌をしている。不思議な魅力に満ちたアルバムで、歪んだ童話のような世界。今だとアシッド・フォークという呼び方をするのかもしれない。知人のらりこさん(仮名♀二十代さまよいびと)は「だりだりでぃんどん」が心地好いと言っていた。野沢さん、今は宇都宮で忍者をしているのだそうな。野澤享司の世界最近amazon/AVEXで復刻したURC音源の復刻盤『されど私の人生 ~埋もれ火のアンソロジー~』には、「築地の歌」と「アルバートが唄っている」の2曲が収録されている。そういえば、斉藤哲夫さんの「吉祥寺」に出てくる「君」とは、この野沢享司さんのことではなかったろうか。アルバートという少年は、勝手に黒人だと思い込んでいた。たぶん私の思い込みだ。ラングストン・ヒューズの詩からの連想である。友部正人さんの名曲「乾杯」に出てくる ♪500円分の切符をくだせえ♪ もラングストン・ヒューズだと思っていたのだが、今その元詩が見つからない。思い違いかもしれない。ふとラングストン・ヒューズの原詩を読んだことがないのに気づいた。国文社から出ている訳詩は揃えたのだが、原詩を知らない。早速amazonで検索してみる。ペーパーバックのselected版を2種類発注。本人が朗読しているというカセット、CD、ビデオも頼んだ。どれも輸入盤なので安いのです。楽しみ♪野沢享司『白昼夢』(1972年)1. 築地の唄2. アルバートが唄ってる3. 街の路地裏4. 揺籃の振動に身を任せて5. 遊びませう6. 愚痴7. 空中に遊ぶ空想家の夢(笛吹童子のバラード)8. 回転木馬の切符切りのおじさん9. だりだりでぃんどん10. お菓子屋さんになれたからといって毎日おいしいケーキが食べられるとは限りません11. 可愛い息子/僕は一体誰でせう12. 静寂13. 築地の唄(チェレスタ)川上弘美『センセイの鞄』を、急いで読むことにする。『パレード』がサイドストーリーだから、後で必ず読むようにと、川上ファンの助言。へい、了解。明日はまた丸一日行方不明になります。記憶も喪失しますので、追わないでください。
2004.01.20
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【追記】No.4夏見還さんのところでSPAMが出てきたので、ちょっと思い出したことども。最近、事務所の近くの安いおにぎり屋さんでSPAM缶売ってるのを見かけました。不思議に思ったのですが、そうか、今は沖縄食材なんだ。安く売ってたと思います。ホウレンソウの缶詰、食べたことあります?どろっとくすんだ色のアレ、やっぱりまずい食い物という了解が前提となっています。あまりに評判が悪いので、『ポパイ』が生まれたわけです。「ドクター・ペッパー」という飲み物があります。ボトラーが分かれていた一時期には、「ミスター・ピブ」という別の名前の同じ飲料もありました。デビッド・リンチの『ツイン・ピークス』では本来とてもまずいファミレスのコーヒーやチェリー・パイを「バカウマ!」などとくすぐりに取り入れてましたね。あれと同様、まずい飲み物だという常識があります。それでアメリカのテレビ番組ではそれをおちょくったギャグなんぞがありました。「俺、今まで隠していたけど、実はペッパーなんだ」「え、君もか? 俺も本当はペッパーなんだよ」ペッパー好きのカミングアウトです。で、ランチョンミートのようなポーク缶詰も、普通はこのようなマズイことが常識となっているような文脈で現われることが多いようであります。空飛ぶモンティ・パイソン 第25話 スパム・スケッチデジタル辞典 [スパム(spam/すぱむ)]ITmediaニュース [スパム? SPAM? 迷惑メールめぐる「名前」騒動]ランチョンミートそのまま食べると、やっぱりまずいと思います。食材なので、そのまま食べるのがいけない。あたりまえですが、おいしく料理すればおいしいでしょう。【追記】No.3晴れたので洗濯物を外に出して出てきました。ごきげん♪おてんとうさまってのはたいしたものです。【追記】No.2よく誤解されるのだが、私は学生運動というものとは一切縁がない。それは一つには、大学で所属していたサークルが参加している文化団体連合が、内ゲバを繰り返している□○派の拠点だったからだ。そんなものに巻き込まれたくなかった。対立セクトの幹部の私信を盗聴し、それを革命的戦果として発表しているのを見かけたことがある。その御仁が家人にお茶漬け海苔の差し入れを要求していたというのだ。それは反革命的行為であるらしい。普通の感覚だったら、こんなことを誇らしげに書くような連中とは友達になりたくない。□○派には革命など絶対にできないだろうと思った。連中は何を食って生きていたのだろうか。あ、学生会館地下の120円カレーは食ってるらしかったわ。【追記】No.1土曜日の昼御飯。給食がないので、家に帰って冷や飯を食べていたな。冷や飯好きなんですよ。母が勤めに出ていたので、小学生の時はおばあちゃんが御飯を作ってくれた。油揚げを火であぶってちょっと醤油をたらす。キュウリの糠漬け。結局こんなものが好物なんだな。とろろ昆布の即席汁が出ることもあったが、これはなくてもかまわない。そうそう、永谷園のお茶漬け海苔。今食べると、塩がきつすぎるように思う。広重の東海道五十三次が一枚入っていた。何枚か集めて送ると、セットが送られてきたのだったかしら。丸美屋のふりかけ、「のりたま」「すきやきふりかけ」なんてのもあったが、絶対にお茶漬けの方が好きだった。噛むのが面倒な、麺好き体質だからかしら。陽に干した布団に潜り込んでぬくぬくしていたら、寝入ってしまった。午後8時ごろ。ぐっすり眠ってハッと目を覚ます。あ。もうすぐ11時。寝ぼけ電話をかけて楽天のレスを付け、おなかが空いているのに気づく。いただきものの「海苔茶漬け」が一袋、食べておくれというようにテーブルの上に転がっている。ふふ、しかたのないやつだ、食べてやろう。ワサビが利いていてういやつじゃ。冷蔵庫を開けると、やはりいただきもののロールケーキが食べておくれというように転がっている。ふふ、しかたのないやつだ、食べてやろう。外周はスポンジだが、中がパイ生地の上品なやつ。もぐもぐと成敗してしまうと、ちょっと食い過ぎ。なんだか気持ち悪い。てなことしてたので、日記が書けておりません。パッと頭に浮かんだのは『アメリ』。シンクロじゃなくて、数カ所でこのタイトルを見かけたからです。ジュネ&キャロの映画、好きなんですよ。もう一つ浮かんだのは「乾杯」。ナガブチじゃなくて、友部正人。「一本道」について書こうと思ったら、既に日録で書いていた。う~ん、とりあえずこのままアップしてしまおう。追記がどう転ぶのか、未定です。更新しました。夕陽が好き![I Love Sunset!]
2004.01.19
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【追記】No.2静かな日曜日。非人情の世界から脱したので、とても寂しくもある。晴れ上がってくれたので、布団を干す。ずいぶんひさしぶりじゃないか。サンルームと化した廊下で寝ているヒナにちょっかいを出して、写真を撮る。ずいぶんたまった生ごみを車に積んで、大菜園へ埋めに行く。きれいな夕陽を見ることができるだろうと思っていたが、夕方には雲が出てきてしまった。夕陽画像は明日付けの日録で。【追記】No.1雨上がりの朝。晴れ間も見えて気持ちがいい。お天気屋だな。みなさんがやけに勧めるものだから、他の本のついでにamazonで『センセイの鞄』を注文しておいた。あっという間に届く。あっという間に読んでしまってはもったいないので、わざとゆっくり読む。腰巻きに> 小泉今日子> 柄本明> ドラマ化決定!とあって、写真が印刷されている。とてもハマった配役だと思うのだが、それだけに読む前に見てしまったのは残念。どうしたって台詞がキョンキョンと柄本さんの声で聞こえてしまう。演出久世光彦というのも、どこかで見たような小料理屋になってそう。 ♪ 昼ごろ目をさまし あんたは出かけてくる『大阪へやって来た』(1972年)は、友部正人さんのファーストアルバム。URCでもう一枚『にんじん』(1973年)も出しているが、どちらも傑作だ。『大阪へやって来た』は学生時代に銀座ソニービルあたりの中古レコード屋さんで買ったのではなかったろうか。地下鉄で置き忘れて、渋谷の駅で返してもらった時、とても嬉しかった。ずっと電車に乗らない生活をしているので忘れていたのだが、幻泉館主人は電車の中にモノを忘れてきてしまう人間である。傘は天下の回りものであるが、必ず供給側だ。お勤めをしていた時は傘を手に持っていると必ず忘れた。仕方がないので、東急ハンズでベルト付きの傘を買った。柄尻と先端に金具が付けてあり、ベルトの端を留める。手に持っていては忘れてしまうので、巌流佐々木小次郎のように背にかついだ。恥ずかしい格好だが、これでようやく忘れなくなった。90年ごろのことだ。オクトパスアーミーあたりで、安物の黒いレインコートと、レインハットを買った。これで黒い傘を背に差す。つげさんのマンガに出てくる鳥男のようだ。ただ、今のような色眼鏡は掛けていなかった。 ♪ まるで正直者のように あんたは優しくほほえむ アルバム冒頭曲「大阪へやって来た」は圧倒的だ。ギター1丁とブルースハープで、この迫力はすごい。でも、このアルバムで一番好きなのは「まるで正直者のように」かな。アナログ盤ではA面の最後である4曲目、ゆっくりとしたフォークロックで、にぎやかにいろいろな楽器の音が入っている。ギター・ハモニカ・唄:友部正人ピアノ:緒方和也フラットマンドリン:高田渡ベース:宇野主人ドラムス:江戸門弾鉄細野さん、松本さんが怪しい名前で参加している。この人たちは当時すごいアルバムをいろいろ作っていたのだなあ。ジャケットの絵は真崎守さん。数年後、僕はこの人が表紙を描いていた雑誌に、書評を何本か書かせてもらったのだ。友部正人『大阪へやって来た』(1972年)1. 大阪へやって来た2. 酔っぱらい3. もしもし4. まるで正直者のように5. 真知子ちゃんに6. 梅雨どきのブルース7. まちは裸ですわりこんでいる8. 公園のベンチで[現在はエイベックスよりCDエクストラで発売]定価1700円+悪税
2004.01.18
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【追記】No.3幻泉館サーバ復活したはずです。ご迷惑をおかけしました。DNSは更新されていましたが、肝心のサーバ用PCの電源が切れていたのでございます。古いノートPCが頑張っているので、勘弁してやってください。【追記】No.2ふと見つけたサイト満月の夕/平安隆による沖縄語歌詞&コード【追記】No.1また雪が舞い始めました。近隣の他の地域では積もっていることでしょう。ただいま幻泉館鯖が利用できません。IPがころころ切り替わっているようです。セキュリティのため外部から操作できないようにしてあるので、午後11時ころまで停止状態になります。ご迷惑をおかけして申し訳ございません。chappiさんへのレスを付けていて、こういうマンガを思い出しました。幻泉館主人はリアルタイムで読んではいません。友達のお兄ちゃんといったあたりのを後から読ませてもらったのだと思います。私の場合は従姉が同居していたので、「少女フレンド」「マーガレット」「セブンティーン」なんぞで育ってしまったのです。桑田次郎さんの『まぼろし探偵』堀江卓さんの『矢車剣之助』昨夜来、小銭入れが行方不明。中身はあまりない。けれど、小銭入れがないと困る。お金持ちではないけれど小銭持ちなので、あちこちのポケットがじゃらじゃらいってしまう。小さなころ、家にジョン F. ケネディの伝記本があった。文庫本で、ベストセラーになったものだろう。同居していた従姉ちゃんが買って、感想文かなんか書いたんだ。当時の少女向け雑誌には、ケネディ家に関する読み物などが載っていた。そのノリで買ったんだろうな。易しい本だったので、小学校の低学年だった私も読ませてもらった。ジャクリーンとお見合いのようにして会うのだが、ポケットにやたらに小銭を詰め込んで、それをじゃらじゃら散らかしてしまうといったような描写があった。ま、かわいい人、みたいな感じ。身の周りにこだわらない善人であることを強調するエピソードかね。もちろん幻泉館主人はいい人なのだが、じゃらじゃらちらかるのは困る。小銭入れがないとそういう状態になってしまう。しかたがないので、なるべく似たようなものを買った。同じものがなく、色違いになった。使い勝手が似たものはその1種類しかなかった。妙にこれだけ安い。まあ、いいか。毎度おなじみヒナの昼寝。16日金曜日の昼下がりです。田山雅充「春うらら」(1976年)この曲は本来私の守備範囲外であります。南沙織「人恋しくて」のコンビが作った名曲。特に好きというわけでもないのですが、こたつとお鍋などと考えると、ふとこの妙にエッチな歌を思い出します。ああ、お鍋好きなんだよなあ。職場で勝手にお鍋大会やってヒンシュク買ったこともあります。今日もそのお鍋欲求が急に高まったのです。お鍋したい!水炊きが好きですな。つまり、おつゆそのものには味付けをしない。野菜たっぷり。末期にうどんや御飯を入れるのではなくて、翌朝雑炊にするというのがいいです。もう十年以上こたつというものを使ってない。こたつでお鍋。いいなあ。寒さにめげているのでしょうか。
2004.01.17
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【追記】No.2季節商品の「いちごミルキー」を購入。こうしてみるとオリジナルのペコちゃんは眉毛を剃っているらしい。意外に不良だ。【追記】No.1自分の葬式をやってもらうことになっちゃったら、どんな曲を流してもらいたいだろう。ダイアナさんの葬儀でパッヘルベルのカノンが流れてたなあ。いかにも葬式らしいので不可。諸口あきらさんで「リターン・トゥ・パラダイス」ってのがあったな。あ、ダメだ、元々そういう歌だ。 ♪ 俺が死んだら 埋めてくれるな考えてみると、好きな曲は暗いのばっかりだ。我が心の師匠高田渡大人「生活の柄」「ブラザー軒」「夕暮れ」、どれも結構はまっててダメだなあ。せいぜい「自転車に乗って」がいい感じかも。なんだ、それならアレがあるじゃないか。日本の歌謡曲を変えた、あのヒット曲。絶対に葬式でかからない曲。加藤和彦さんも参加してるぞ。決定!吉田拓郎「結婚しようよ」(1972年)イケナイでしょうか?今日は葬式。通夜か葬式のどちらかだけ出ればいいよという声もあったのだが、この地域では両方出るものらしい。午前中に告別式があり、午後に本葬儀。昨日の通夜とほぼ同じ人数。半世紀近く地域のアマチュア無線クラブで活躍なさった方なので、その方面の友人が多いようだ。同行の「&」氏の解説によれば、純粋に技術的な興味で集まっているクラブというより、バーベキュー大会やソフトボール大会といった、家族ぐるみのお付き合いをするクラブだったそうだ。地域では最大のクラブらしい。福島原発の見学旅行などと言っている。電力会社で勤め上げたエンジニアなのである。まっとうに暮らしてきた方の葬儀。直接の知り合いではないので、客観的な見方になってしまう。派手な被りモノを身につけた坊さんが、「カ~ッツッ!」などとこけおどしのような声を挙げる。シンバルが鳴らされる。これは日蓮宗系かな。浄土真宗のもっと簡素な葬儀に慣れているので、ちょっと鼻白む。俺が死んだら、こんなことはしてほしくないな。帰りの車の中で「&」氏ともそんな話をする。彼の場合は、明るい音楽でもかけてもらいたいそうだ。「葬式用に明るいビデオを撮っておきたいね。」「じゃ、バイバイ! なんてね。」「もうそういう商売があるみたいね。」本当のことを言うと、私の場合は葬儀も要らない。私が生きていたことを時々思い出してくれる人がいるなら、それで十分満足だ。生きることをやめた身体も、わざわざ焼かなくていい。切り刻んで、腹を空かせた野良猫にでも食わせてやりたい。そんなことを生き残った者に頼むと、たぶん警察に捕まってしまうので頼めない。残念だ。交通事故やぽっくり病なんぞでいつ死ぬかわからない。このままでは少しモノを残してしまう。どうしようか。金銭や不動産は権利のある者が分けてくれればいい。家中を埋めつくした書籍雑誌レコードCDが困るな。中にはかなり珍しいものもあるのだが、分類が済んでいなければまったくのゴミだ。友人たちに好きに持っていってもらうというのが、たぶん一番生かせる方法か。PCやカメラも同様。サーバは電源が切れるか、IPが変わったら終わりだ。友人か……いないんだな、これが。年賀状を交わした人たちということにしようか。もちろん楽天の妖怪仲間たちも入る。ただ、遠くからわざわざ来てもらうほどのものでもない。漱石、芥川、賢治、啄木、獏、マーク・トウェイン……全集が揃っているものはバラさないでもらってほしい。ギターだけは、弟子である娘たちで分けてもらいたい。こんなものかな。あっけないね。
2004.01.16
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【追記】No.3ところで追記No.2の「ネクタイの結び方」にはオチがあるのです。幻泉館主人はいつも同じ格好をしていると思われているようだが、それは間違いであります。意外な衣装持ち。ただ、小さなころからの癖でカタキのように同じ服ばかり着てしまうのだ。ネクタイも結構持っている。きれいな手作りネクタイなんてのも何本かあるんだよ。でも、全然使っていない。ネクタイをしなければならない服が嫌いなのと、途中で崩れるのがいやなのだ。ほいほいとネットに顔をさらけ出しているからナルちゃんかとも思われているようだが、鏡が嫌い。鏡を見てネクタイを直すのが嫌なんだね。それでも葬式なんぞには黒いネクタイを締めなければならない。そこで愛用しているのが、首に掛けて紐を引っ張るだけという情けないネクタイ。え~、便利です。で、先日その紐がジッパーになっているのを見つけたので試しに一本買ってみました。それが画像右側のもの。どちらも裏側です。最近知ったのですが、高校の制服のネクタイはホックで留めるようになっていたりするのですね。仲間~♪【追記】No.2別にネクタイ嫌いじゃないんですよ。高校生の時に『メンズクラブ』のアイビー特集の増刊号なんぞ買って結び方を学習したりしました。この雑誌、まだとってあります。プレーンノット、ウィンザーノット、セミウィンザーノット、3種類も学習したのです。でも、いわゆるスーツを着ないので、ネクタイ要らんのです。エライ人にインタビューする時にはネクタイするようにとか言われましたけど、ちゃんとポイントを突いたこと言ってれば全然問題なかったすね。おお、「ネクタイの結び方」簡単に調べられますな。ネクタイの結び方ネクタイの結び方ネクタイの結び方 ここが最強かなネクタイ 結び方ボウタイ(蝶ネクタイも出てます)ネクタイの結び方ネクタイの結び方いくらでも出てきます。【追記】No.1とても恐い夢を見て、はっと目が覚めた。午前5時。人に裏切られる夢だ。どちらかと言えば楽しい夢を意識して見ることができる方なので、意外だった。一人の人間のはずなのに、ぱっと他の人格に変っている。何か言葉を交わして、またぱっと他の人間に変る。過去に出会った人たちが順に挨拶に来ているかのようだった。人を裏切った自分も、その中に入っていたのかもしれない。そんなのはもう嫌だ。一緒に来たはずなのに、振り返ると誰もいない。学生時代、狭い第一学生会館の階段で声をかけられた。「君、のんびり東高だよね?」にこにこと、確かに見覚えのある童顔。話をしたことはなかったが、高校の同級生だった。空手部だった彼は理工学部にいて、ここに絵を描きに来ているのだという。少し話をして、また会おうねと別れた。さわやかな、好青年だった。数日後、彼が亡くなったことを聞いた。本当に「ぽっくり病」だった。高校を出てから初めて接した、同級生の訃報だった。職場の知人宅の通夜。礼服を引っ張り出して、ほぼ七五三状態。友人の結婚式などで着た服はもうお払い箱にしたので、これは親父様の葬式用にあわてて買った服か。「喪」にしか使ってない。不祝儀袋がよくわからない。礼儀の達人ハマパパに電話して、どうすればいいのか尋ねる。あ、ふくさ忘れた。焼香だけ済ませ、途中で退出させていただく。缶ビールと缶ジュースを1本ずつ受け取って帰る。電力会社に勤務していた方だったので、職場関係者でかなり立派な通夜になっていた。あまり悲痛な表情はなかった。明日は早出で葬儀に列席。何もしていないのだが、疲れた。本館過去日録で「葬」を検索してみる。妙なものがひっかかったので、蔵出ししておきます。【2002年11月20日付日録より】[ 怪力乱神を語らず ]神も仏も信じぬ唯物論者のつもりなので、普段私が怪力乱神を語ることはない。タクヤ君(仮名♂)がニコニコして言う。「UFOって信じてますか?」信じるもなにも正体がわからなきゃ、飛んでるものはみんなUFOだろうなどと思う。アメリカではUFOカルトが多いそうだ。疑似科学の衣をまとった宗教団体。超越的なものの象徴、キリスト教のパロディである。しかし、タクヤ君のこのイントロはどう考えても「ボクはUFO信じてます」だよなあ。黙っていると、さらにニコニコが続く。「えへへ、UFOいるんですよ。見ちゃった♪」「?」「部屋の中で目の前をスーっと。」「小さいの?」「これぐらい。」掌に載るぐらいなのである。「それでね、カーテンの陰に隠れて。」ゴキブリみたいなやつである。「いつのまにか窓の外に浮かんでた。」「う~ん。君ね、小人の大名行列とか見えない?」「そんなもの見えるわけないでしょ。UFOはいるんですよ~。」「う~ん。」夢を見た。宴席である。いや、普通に何か食べようとしていたら、いつのまにか宴席になっているのだ。ただ、冠婚葬祭とは関係ないということだけははっきりしている。10年以上前に死んだ父親と、さらにその5年ほど前に死んだ伯父がいる。伯父は大理石で作った像のように立派で、しかも動かない。父はグルグルと喉を鳴らして何かを言う。ちゃんとした言葉になっていないのだが、喉頭癌なのを気に病んでいるのだとわかる。初期だから治療すれば治るよということを伝える。【追記】亡父は喉頭癌ではなかった。まったく夢の中の話。
2004.01.15
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今日楠勝平さんのことを思い出したのは、夕陽を見にいった帰りにふと自分が自然の中に溶け込んでしまうような感じがしたから。五つの赤い風船に「美しいものは」という曲があるけど、それに近い感じ。 ♪ 山を見ていると ♪ 家も車も道も 何もほしくなくなる ♪ 私もいなくていいそう、私もいなくていいという、この感じ。すっと夕焼け空の中に自分が溶け込んでいって、それで何もなくなる。そこに美しいものが残っているのだから、いいじゃないか。現実感覚の喪失というのは非常に危険なことなんだけど、いつからかそんなふうに生きてきたように思う。不思議なことに、ぎらぎらと感受性が痛かったころには、むしろ日々の生活に現実感があったようだ。自分の周囲に確固とした現実社会があるように感じていた。その中で他人の痛みのわからない王様になっていたのだろう。いつどこでそれが崩れてしまったのかわからない。学校を卒業するのに就職活動をしなかったという時は、もうそうなっていたのだと思う。ソルジェニーツィンが『イワン・デニーソヴィチの一日』で描いた主人公のように、目の前のことだけを一所懸命にこすっからくがんばってしまう。一週間以上先のことはわからない、考えない。これが二十年以上続いてきたような気がする。現実感覚が希薄なので、あまり恐いものはない。元が小心者なので、人前で話をしたりするのは恥ずかしいのだが、世間で恐いとされているようなものには恐怖感を持たない。どこかの組の親分さんと話をした時も、筋を通せば大丈夫だとにこにこしていた。チンピラ君たちにはからまれるといやなので近づかない。接近遭遇してしまった場合も、わあわあ吠え立てる声はどこか遠くで鳴っているようで、あまり意味をもたない。うるさいなあと思うだけだ。相対化の罠と言えるかもしれない。絶対的な価値観を持たないと、なんでも、どうでもよくなる。不思議に目の前の仕事だけは一所懸命やろうとするのだが、それが失敗に終わっても本当に残念だとは思えない。それで生きたと言えるのか?自然の美しさに接すると、この暮らしの軽さが本当に重量を失ってしまう。ふっと存在が消えて、それで幸せでも不幸でもなくなる。自殺未遂者に対して説得力のある言葉を持っていないというのも、おそらく同じことだったのだろう。長い時間をかけて、どうすれば相対化の罠から抜けることができるかという解答は得た。ここでは書かないが、今やっとそこから抜け出せそうなところまで来たのだと思う。もう遅すぎたのかもしれないが。少しずつ身の周りを片付けておかなくては。さて、俺の借金全部でなんぼや?
2004.01.14
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【追記】No.1今日の午後は葬儀日程の確認で待機していたのだが、結局明日通夜、明後日葬式ということになった。あわてて浜へ夕陽の撮影に。これがまあ、すごい強風。堤防の上には誰も人がいない。普通に立っていられないんですもの。階段の手すりにつかまって撮影しましたが、波のしぶきが飛んでくるんです。空は晴れているのに水平線近くに雲が出てしまったのも残念。撮影が終わると、唇が塩辛くなってました。更新しました。夕陽が好き![I Love Sunset!]楠勝平さんというマンガ家がいたのをご存知だろうか。白土三平さんのアシスタントをしていた、『ガロ』の作家。1974年に30歳で亡くなった。画像付きで作品リストを掲載しているサイトを見つけたので、ご覧になってください。だいたい雰囲気がわかると思います。作品リスト心臓弁膜症だったそうで、緩い坂道でも長い時間をかけないと歩けないというほど身体が弱かったそうだ。サナトリウムを舞台としたようなマンガもあったが、江戸時代を舞台とした人情ものが得意だった。とても現実感覚を喪失したような登場人物が描かれることがあったのは、自分の生命があまり残っていないと知っていたからかもしれない。「生命紙風船」といったようなふわりとした人が出てくるのだ。そうでなくても、死と隣接した話が多い。一昨年だと思うが、青林工芸舎から作品集が出ているのを知って、あわてて注文した覚えがある。今はamazonで検索すると品切れ表示になってしまう。あら、本が見つからないわ。雑誌『ガロ』の別冊特集号を例によって格安で入手したはずなのだが、これも今発掘できない。あらあら。
2004.01.13
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【追記】No.2「荒れろ、成人式!」で思い出したのだが、新藤兼人監督の『裸の十九才』(1970年)は、永山則夫さんがモデルでした。少年法や刑法をいじることに関して私が知った最初の事件。それから印象的な事件が起きる度に、年齢の線引きを下げろという声が大きくなった。一般的には、法の精神はもう無効化しているのだろうか。【追記】No.1今日は家でのんびりの休日。天気が良いので、洗濯をしています。暮れに大掃除をしていないので、部屋の大片付けもしなければなりません。古層の発掘まではいかないかな。とりあえず去年の層は片付けたい。成人式のニュースはあまり興味がない。お上がやる式典なんぞは元々出ない。そのために晴れ着をあつらえるというのもいやだった。僕よりほんの少し年下の女の子なのだが、お父さんがいなかった。お母さんが振り袖を作ってあげると言ったのだが、無理をしなくていいとスーツで出席した。人づてに聞いたのだが、やっぱり肩身の狭い思いをして泣いていたそうだ。悔しかっただろうな。僕なんかに覚えていてもらっても何もいいことはないのだが、でもその子の勇気を僕はずっと忘れない。荒れる成人式、いいじゃないか。そういう若者を生み出した責任は、壇上で説教垂れてるあんたたちにあるんだ。荒れろ、成人式!高田渡さんのBOXセットで、永山則夫さんの詩に曲を付けた「ミミズのうた」をひさしぶりに聴いた。 ♪ 目ない 足ない おまえはミミズ ♪ 真っ暗な人生に ♪ 何の為生きるの永山則夫さんの『無知の涙』は合同出版から出ていた単行本を立ち読みしたのではなかったろうか。細字で綿綿と綴った文字と、少年時代の永山則夫さんの顔写真が印象的だった。中学生から高校生にかけて、そんなふうにして何冊か本を読んだものだった。「連続射殺魔永山則夫」の手記は強烈だった。今を生きている、自分と同じ時代の若者が、そのような貧困にあえいでいるなどとはまったく思っていなかったのだ。ただ、言われてみればまったく想像不可能な貧困ではなかった。かすかに記憶に残る60年安保のころ、周囲にはまだ「戦後」が残っていた。ちょっと忙しいので、本館より戦後の「貧困」について少し触れたものを自家引用いたします。【2002年12月6日付日録】[愛と希望の街]深夜に放映されていた『愛と希望の街』(1959年松竹)。なんともベタなタイトルなので気づかない人も多いのだろうが、これが大島渚監督27歳のデビュー作なのである。映画の黄金時代、この年齢で監督になるのは大抜擢だったらしいよ。今はその気になれば一応映画監督にはなれるものね。松竹城戸四郎が大島のシナリオを大いに買ったのだそうな。今見ると、ビンボーです、本当に。今の子はこれがニッポンだなんて信じないかもしれない。主人公の少年(中3)、母親は靴磨き、妹は知的障害、赤貧であります。少年が鳩を売る→鳩は帰巣本能によって帰ってくる→少年が鳩を売る→ところが永久機関は存在しないのね。少年がブルジョアお嬢様に鳩を売る。それがね……。大島渚は「鳩を売る少年」というタイトルでシナリオを書いたんだそうな。それが会社側の意向で→「怒りの街」→「愛と怒りの街」→「愛と悲しみの街」→「愛と希望の街」どんどん変わっていってしまったんだそうです。「松竹では怒りと悲しみと希望が同じなのか」と大島さん、荒れたそうです。見るのが少しかったるいのではあるが、やっぱり大島は大監督なんだと思ってあげていい。「鳩」は売春の隠喩だという話だが、「鳩を売る少年」とすることによって、大メジャーで作ることができたんだね。映像が意外にきれいなのは、放映がデジタル化されたDVDを元にしてるからかな。
2004.01.12
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【追記】No.2アダムスキー型円盤に拉致され、アルコール浸け標本になっていました。丸一日記憶が欠落しています。【追記】No.1「つまみぐいしたら、最後まで責任持ちなさい」なんだか猫に説教する声で目が覚めた。ヒナはマグカップが大好き。必ず中をチェックして、牛乳だとうれしそうにぺちゃぺちゃやる。このごろは冷めた日本茶も飲むらしい。悪いことをしているというのはわかるので、そのスリルがたまらなく好きなようだ。さて、今日は留守にしますわ。いってきます♪夕陽画像更新しました。1月10日夕刻の空です。世間様は三連休だそうですが、この間私の休みは日曜日だけです。ところが、世間様と同様にうかれでることにいたしました。街行きです。明日は更新できないかも、です。今夜の追記もどうかな?夕陽が好き![I Love Sunset!]出がけにベルウッドの復刻CDが届く。『西岡恭蔵 BOX』と『高田渡 BOX』。渡さんの方はベルウッドでの3枚のアルバム。既に全部持っているので、本当にただファンだから購入させていただいたものなので、あわてて開封する必要もない……のだが、開けてしまいました。きれいにとっておいてオークションで売ろうなどとは毛頭考えていない。待ちに待った、というのは西岡恭蔵、ゾウさんの方。傑作『ディランにて』(1972年)は持っているのだが、『街行き村行き』(1974年)がずっと入手不能だったアルバム。これは嬉しい。2枚で3000円なので、『ディランにて』を持っていない人は絶対に買い。『街行き村行き』(1974年)1. 村の村長さん2. 春一番3. どぶろく源さん4. パラソルさして5. ひまわり村の通り雨6. 飾り窓の君7. 海ほうずき吹き8. うらない師のバラード9. 朝の散歩道10. 街行き村行き2曲目「春一番」は、私にとっては幻のコンサート、春一番のテーマソング。8曲目「うらない師のバラード」は、寺山修司&浅川マキの世界と「下町のディラン」の間ぐらいの感じ。ラスト「街行き村行き」好きです。『ディランにて』(1972年)1. サーカスにはピエロが2. 下町のディラン3. 谷間を下って4. 君住む街に5. 風を待つ船6. 丘の上の英雄さん7. 君の窓から8. 僕の女王様9. プカプカ10. 街の君11. 終わりの来る前に12. サーカスの終わりやっぱりファーストアルバムの方がなじみがあるし、これは傑作だと思います。
2004.01.11
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【追記】No.5 (追記No.1とNo.2は一番下にあります。)gabby03さんはpoisson d’avrilさんに生まれ変わったのでありました。再生おめでとうございます♪ネットはいくらでもクリアーしてやり直しがきくのがいいね。幻ちゃんの場合は実人生でもそんなもんだと思い込んでいるので、気楽に生きてます。【追記】No.4 楽天から消えてしまったのは、gabby03さんのサイトだった。マダムは登場人物の一覧まで作ったいたから、なにか不都合でもあったのかもしれない。リアルパースンの人間関係をどこまで書けるか、難しいところではある。ご覧になっていたら、本館の方ででもこっそりご連絡くださいな。寂しいですよ。【追記】No.3Ingrid Thulin (イングリッド・チューリン)が亡くなったようだ。ベルイマン監督の映画でおなじみだった。今夜は映画のことでも書こうかな。今日は日録が全然間に合わない。こういう場合、二つの方法がある。一つは毎度おなじみ「蔵出し」。本館から古い日記を適当に選んでアップしてしまうもの。これはちと心苦しい。だらだら身辺雑記を綴ったものが多いので、何かについてある程度まとめて書いてあるものは、数にも限りがある。もう一つは、こういうことについて書くよとぶちあげておいて、少しずつ書き足すもの。これでも本当に忙しい時にはできないし、最初の話題と全然違うものになってしまうことが多いので、やっぱりちと心苦しい。それでもどこかレスの付けやすいところを探して何か書いてくださる方がいらっしゃるのはありがたいものであります。今夜は何について書こうか。一番気になっていることについては、実は書けない。他人様に迷惑をかけたりするといけないから。で、それ以外のことって、今あまり頭にないのです。困った……。「幻泉館日録@楽天」のジャンルは「音楽」なんですよね。あんまり音楽について書いてないなあ。それで、ある時自分でテーマを作ってから、内容に関係なく必ずその「70年代サブカルチャー」にしちゃってるんですよね。実は、あんまり70年代のことも書いてないか。懐かし屋さんだと思ってる人もいるようですが、懐古趣味というより、原点を自分の思春期に求めているというつもりなんです。よし、仮題「原点が存在する」で行こう。これは学生時代に読んだ谷川雁さんの著書のタイトルです。家出のすすめで少しだけ触れました。谷川雁さんの沈黙の時代に、潮出版社から次々に出された雁さんの本を読みました。復刊のような形です。『谷川雁詩集』『原点が存在する』『工作者宣言』「サークル村」も既に遠い過去のことであり、雁さんが「私の中の瞬間の王は死んだ」と書いて詩をやめてからは、さらに長い年月が経っていました。でも、私にとって彼はまず詩人でした。後に同じ潮出版社から『賢治初期童話考』が出た時には驚きました。お、時間だ。後でぽつりぽつりと追記を書くと思うのですが、やはりまだ何を書くのか決まっていません。谷川雁さんとはまったく関係なく、とりあえず、「原点が存在する」。お風呂入ってきます。【追記】No.1困った時のヒナ頼み。昨日の昼寝画像、別テイクです。行ってくるよと声をかけたら、なにか言って寝返りを打ったところです。そうか、世間様は三連休なんですね。月曜日は仕事の予定が入っているので、全然気づいておりませんでした。この非国民めが。昨夜に引き続き、ビデオテープを発掘する。NHKで放映した矢井田瞳(ヤイコ)の番組。これは一度見た覚えがある。もう一度見たら消そうと思い、ぼおっと眺める。ああ、やっぱりギター娘だったんだよなあ。思ったより短くてなんだか寂しくなってしまったので、五つの赤い風船のDVDをかける。もちろん再結成した2000の方で、大晦日に観てきたあのメンバーだ。「恋は風にのって」 ♪ 僕が 恋をしたとき あなたは うれしそう ♪ 僕が 恋をしたとき あなたは 悲しそうこの曲は大晦日にやってくれた。やっぱり西岡さんの声が出ていないのが悲しかった。フー子ちゃんがいたとしても、あのコーラスにはならなかっただろう。新生風船は、青木まり子さんのボーカルでいいのだ。 ♪ 君は 恋をしたのね とても 悲しいわ ♪ 君は 恋をしたのね こんなに 苦しいの【追記】No.2「原点」と似た言葉に「原風景」がある。どちらも好きな言葉なのだが、方向性には大きな違いがあるように思う。原点は己の闘いの出発点。ここしかないという、力の凝縮したぎりぎりのポイント。原風景は広がりを持っているが、懐古的な響きを持った、遠いところにあるように思う。『戦後の原風景』、悪くないタイトルだと思う。小さな編集プロダクションを出版社にしようとしたことがあった。プロダクションの社長は、以前零細出版社に在籍して多少は取次のことも知っていた僕に期待していたのだと思う。数冊の本を作ることなら誰にでもできる。でも、それでは取次は口座を開かない。「毎月2点発行して、2年間出し続けるだけの企画を揃えてください。」僕はこういう要求を出して、実際に取材を始めた。『戦後の原風景』は、バブル崩壊時に立てた企画だった。これから大きく変わっていくはずであった日本の経済史を、新進気鋭の経済学者に書いてもらう。社会学者でもいいだろう。郊外に移転した大学まででかけていった。他にもいくつかの企画を並行して動かしていかなければならない。執筆依頼できそうなライターに集まってもらった。食事をしながら、1本の企画を任せることができる人かどうか探る。雑誌の記事を書いて暮らしているライターたちには、少し荷が重そうだった。原稿用紙数十枚程度の原稿をそつなくまとめることはできるだろうが、一冊の本を書き上げることができるのか、あやしかった。特に男性は、売り込みには慣れているのだろうが光るものを感じない人が多かった。それなら僕が書いた方がいいだろうという企画もあった。『ロリコン』の若者を取材するドキュメンタリーが余ってしまった。月刊誌の短期集中連載の要領で、何人かつかまえて話を聞けば本にまとまるだろうとたかをくくり、取材を始めた。NiftyServeでいわゆるロリコンの若者を見つけては、取材の交渉をした。実際に名古屋まで会いに行って、取材をさせてもらった。まさにバブル経済の崩壊によってプロダクションの資金繰りがうまくいかなくなり、企画はすべてストップした。社員は自分の企画を持って辞めていった。あの時の仲間たちは今どうしているのだろう。君の企画は、ちゃんと本になったのですか?
2004.01.10
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【追記】No.4「日記リンクした数」と「日記リンクされた数」が共に一つずつ減っていた。以前よく楽天側からページを削除されていた方ではなかった。楽天を去ったのがいったい誰なのか、すぐにわからないのがもどかしい。【追記】No.3いつもおんなじ、ヒナのひるね。天気がいいので本当にサンルーム。寝返りを打った後なので、身体に筋が付いてます。顔に畳の跡が付く、あの感じね。猫社会には馴染めなかったけど、うちで大威張りの天下泰平娘です。【追記】No.2快晴。どうもお天気屋らしいので、とても気分がいい。『山と川。』を引っ張り出して聴いている。「わが大地のうた」がいい。東京で暮らしている時、山が見えないのは不安だった。テトリスみたいな空。夕焼けはきれいだったな。離れてみると、時々恋しくなる。ビルの谷間は寂しいけど、横町の路地は温かかった。【追記】No.1本の山が崩れたのを片付けていたら、まだ見ていないビデオを発見した。NHK BS-2で放映したらしい『生きたい』(新藤兼人監督1999年)。いつ録画したのか、まったく記憶にない。だらだらと観ている。奇妙な喜劇でおもしろい。幻ちゃん真人間化失敗か?川上弘美さんの本のことで、とっても嬉しいメッセージをいただきました。ありがとう。以前日録に書いたことを思い出した。楽天に転載したかどうか覚えていない。「愛されない」というのはつらいことだね。でも、本当につらいのは「愛する者がいない」ということなんじゃないだろうか。「人を愛しないさい」と語りかけてもらい、いろいろなことを考えた。人は人を幸せにできるんだ。本当にありがとう。昼下がり、仕事をさぼって駅前の商店街をぶらぶらする。職場からすぐのところなのだが、ひさしぶりだ。駅近くの商店街はずいぶんさびれてしまった。小さなころはこの近くの下町に暮らしていて、街はぴかぴか輝いていた記憶があるので、なんだか寂しい。その代わりに幻泉館周辺に国道一号線の新道ができて、郊外型店舗でにぎやかに栄えている。ふわふわもこもこのスリッパを買おうと思って、駅前のデパートに行ったのだ。このデパートへの幻子心母の信頼感は揺るぎないものがあり、あそこならと勧められた。池袋で派手なデパート戦争を展開していた有名店だが、1950年代末に地方の支店として真っ先に作られた。60年代から70年代、たとえばこの店の外商が家に来ていれば、確かにこの地方都市ではステータスだったのかもしれない。お値段は少し高いけれど、品物がしっかりしているからと、幻子心母が頼りにしている店だった。当時ののどかな市民は多かれ少なかれ似たようなイメージを、そのデパートに抱いていたと思う。だが、80年代以降、明らかにこの店は営業努力を怠っていた。駅の反対側には広い駐車場を備えた大型店舗が次々にできていった。人の流れが変わったのに、駅前のデパートと商店街はそれを引き戻す努力を十分には行なわなかった。特にこの有名デパートはそのブランドイメージにあぐらをかいていた。衣類はおばさん向けのものに絞り込み、売り場担当の案内サービスなどをアピールしていた。しかし、もう年寄りしか行かないだろう。文具売り場やスポーツ用品など一切なくなってしまった。今の若者がこのデパートにでかけるのは、一階に入っているパン屋さんと、最上階近くに追いやられているMUJIショップだけである。それで、本来の目的のふわふわもこもこスリッパ。家庭用品雑貨売り場というところに行くと、スリッパのコーナーがあった。やはり思ったほどの種類はない。一番近いのは豹柄……あゆ……。だめだ、こりゃ。あきらめてMUJI SHOPに立ち寄る。ここが幻ちゃんのおばさん体質たる所以で、季節のお買い得品、すなわち値引き品の吟味に専念する。安いわ~、これ。ということで1着1300円に値下がりしたシャツを4着。洗えるスリッパ 600円。カレンダー小 200円。こんなものを購入して結局はニコニコと店を出たのであった。川上弘美さんの本を買おうと思っていたのを思い出す。なるべく古いものから読みたいので、文庫本を適当に4冊選んで購入する。あ、このうちの一冊、カバーデザインは高校の同級生君だ。特につきあいはないのだが、名前を見掛けるとやっぱり嬉しい。名前がそっくりなので、時々間違えられたっけ。川上弘美さんの本はよく誰かしらが持っていてちょこちょこと読んでいたのだが、たぶん買うのは初めて。一見簡単にまねできそうな文体だが、私にはできない。その外形が言いそうな内容まである程度模写できないとおもしろくもなんともないでしょ。幻ちゃんでは「私」になれないのだ。『物語が、始まる』中公文庫 『神様』中公文庫『蛇を踏む』文春文庫『溺レる』文春文庫あら、テーマまったく関係ないじゃん。え~、今日は買い物から帰った後、ずっとディランを聴いてたんですよ。MDで作ったマイベスト。これ聴きながら書いてたということで。My Best Dylans #1 / 9月9日My Best Dylans #2 / 9月10日
2004.01.09
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いつもほとんど同じ画像ですが、紛れもなく2004年1月7日の、ヒナのひるねです。デジカメの進化に驚いて、自分のPC史など思い出していました。80年代半ばごろからですから、二十年近く。すぐに電話回線とつなげたので、ネット歴も同様です。8ビットのおもちゃみたいなPCから始めて、最近やっと本当に道具として熟成してきたと感じられるようになるまで、二十年。思い出すことどもを、少しずつ書き足していきます。自分にとって最も大きなのは、WEBの文体の発見かなとも思っています。もうひとつは、「全地球カタログ」かな。お風呂に入って身体を温めてきます。では、のちほど♪【追記】No.1更新しました。夕陽が好き![I Love Sunset!]【追記】No.22003年は阪神タイガースが優勝しました。あれから18年も経つのか。日航機が御巣鷹の尾根に落ちたあの夏。当時のタイガースと比べると、選手のキャラクターが弱いなあ。監督と伊良部やムーアはいしいひさいちのマンガになるが、他はちょっと。読売巨人軍みたいになったらつまらんぞ。って、今は野球見てないんですけど。阪神ファンなのかというと、そうでもありません。オルターナティブな生き方をしているので、自然に軍隊を名乗るチームよりは好きなだけです。アンチ巨人という言い方は好きじゃないですね。阪神文化圏にはあまり縁がないので、セントラル・リーグだったら古田君のチームや人のいい監督がいるとても弱いチームの方が好きかも。いずれにせよ、あんまり興味ないんですな、今は。Jリーグだったらエスパルス。やっぱりオルターナティブなチームになってしまったなあ。以前たけぴぃ君(仮名♂20代)とそんな話をしたことがありました。ワタクシ、どうしてもトップを選べないんです。自動車:日産→スバル(OPEL)カメラ:ペンタックス、コンタックス携帯:auPC:FM-77→EPSON→EPSONダイレクトノートPC:東芝→IBMブラウザ:Netscape日本語FEP:松茸ほかにもなかったかな。CSはディレクTVを選んだら、なくなってPerfecTVと契約させられてしまいました。本来ならば鯖はLinuxではなくて、FreeBSDを使うべきだったな。新聞は朝日で、日曜には毎日も買う。それで、最初に買ったPCが富士通のFM-77だったのはなぜかというと、ソフトバンクの雑誌がいちばんおもしろかったからです。ちょっと説明が必要ですね。8ビット機が主流PCだった時代、まだWindowsはありませんでした。各社のPCは、それぞれ独自の仕様を持つ、互換性のないBASICで動いていました。おおむねマイクロソフトから購入したBASICに機能拡張したものです。ソフトバンクはそれぞれの機種に応じた月刊誌を出していたのです。機種別雑誌だと、富士通のFMシリーズを対象とした『Oh! FM』がいちばんおもしろかったのです。F-BASICを搭載したFM-7は、NECのPC-8801のライバル機でした。シャープはMZシリーズとXシリーズの2機種に力が分散してしまったのが仇となったようです。東芝は……CMに登場するタレントが故岡田有希子、横山やすし&一八親子と、呪われているという冗談がありました。あら、なかなかたどり着きませんな。【追記】No.3インターネット以前のパソコン通信では、通信費が最大のネックとなっていた。いわゆる草の根ネットでない商用ネットでは、接続している時間かデータ量によって課金される従量制となっていた。アメリカのCompuServeを模して作られたNiftyServeでは、会員がシスオペとなって各フォーラムを運営していた。一般会員がそのフォーラムに入って活動している時間が多ければ、Niftyの売り上げが増える。したがって、元々は普通の会員だったシスオペに対してペイバックが行なわれた。まだオンラインで画像を見ている人は少なかっただろうが、御多分にもれずスケベ画像はメディアのブレイクスルーに大きな貢献をしたようだ。これはどうにも気持ちが悪かった。マジメに議論を戦わせる場で、仕切り役が金儲けをしたりするのは不思議だった。今でも、たとえば楽天広場をビジネスチャンスの場として利用するのはあまり好きではない。道楽でやっているので、金とヒマは注ぎ込むものなのだ。もちろん金儲けをしたい人の邪魔をするつもりはない。その代わり、私のヒマはかすめとらないでもらいたい。ネットに払う金の他に、純然たる通信費も問題となった。日本でネットが広がる最大の障害となるのが、NTTであることは明らかだった。音響カプラは雑音を拾うと、データ通信に失敗した。私のは安い簡易型のカプラだったので周囲の音を拾いやすかった。受話器とカプラを布団の中に押し込んで使っていた。モデムを初めてつないだ時は、音楽を聴きながら通信できるのに感動したものだ。しかし、モデムをつなぐだけでもNTTにお伺を立てて許可をいただかなければならなかった。電話料金も、アメリカと比べるとめちゃくちゃ高かった。のんびり市でパソコン通信をしようとすると、最初は長距離電話をかけなければならなかった。地元にいい草の根ネットができれば良かったのだが、青年会議所といったようなところが始めたネットは見事にコケた。「大手企業がバックについているから安心」というような姿勢では、草の根ネットは育たない。アメリカでは「the WHOLE EARTH CATALOG」を出していたような連中がネットになだれこんでいると耳にした。そう、私は初めからカウンター・カルチャーを期待してネットを始めたのです。アマチュア無線の連中がRADIO BBSというのを始めていたが、それに参加しようとは思わなかった。免許が必要なところでやりたくはなかったのだ。お上の試験を受けて合格しなければインターネットに接続することができないということになっていたら、私はインターネットに魅力を感じなかったことだろう。
2004.01.08
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【追記】No.3お問い合わせをいただいたのですが、年末年始に行なったイベントの会場は閲覧が可能です。ページトップ右下[ お気に入り一覧 ]から行けますが、以下の3ヵ所です。【祭りのあと】顰蹙イベント会場不眠酒場 「ネット忘年会」会場。現在休業中。プチコスプレ会場 「プチコスプレ劇場」会場。現在休業中雑煮自慢 「雑煮自慢大会」会場。現在休業中。【追記】No.2午後になって曇ってしまったのだが、きれいな夕陽が見えたので仕事を抜けてIPへ走る。ふとメモリーカードを買うことを思いつく。付属していた16MBのSDメモリーカードでは、12枚しか撮影できないのだ。浜へ撮影に行くときなどはPentaxのカメラを持って行くのでまったく問題ないのだが、実は東京でオフをした時、もっと写真を撮っておきたかったのだ。奮発して128MBのSDメモリーカードを買って事務所に戻る。差し替えて驚いた。残り撮影枚数、99枚。2560*1920の画像が99枚はすごい。普通はそんなに貯めないと思うのだが、これで出先でも安心。今のところバッテリーも長持ちしているが、次ぎはそのあたりの問題かな。【追記】No.1七草粥をいただいてまいりました。大根がなかったんで、蕪。他には菜の花しかなくて、種類が少なくなってしまったのが残念。あまり塩味は付けなない方がいいですね。野菜の味と香りがおいしゅうございました。外に出してあったお餅は黴が出てきました。あ~あ、お正月終わっちゃった。夕方買い物に出たのだが、買いたいものが二つあった。一つは百人一首のCD。これがなかなか見つからないのだ。CDショップと本屋さんにはない。おかしいなあと思って結局おもちゃ売り場に行くと、なんのことはないかるたにおまけでCDが付いているのだ。かるたの封は切っていないが、CDの方を繰り返して聴く。なるほどなあ、便利になったものだ。ランダム演奏で読み上げさせればいいのですね。お手つき用に1首余分な歌を読み上げていたのは、ちょっといただけない。二十年ほど前に在籍していた零細出版社では、古典的ないろはかるたを出していた。私が入る前には秋に行商のように注文をとって、正月の餅代を稼いでいたそうだ。私の時には生協で注文をとったり、都内の絵本ショップにおいてもらったりした。もう一つ買いたかったのは、スリッパ。冬用のもこもこしたやつだ。今使っているのは、買ってから十年以上経つ。あらいぐまなのかな、タヌキなのかな、とにかく動物の顔になっているもの。コタツを使わなくなったので、部屋履きとして必需品。毎年大活躍してきたので、もう片方のやつは鼻を模したボタンが取れているし、底もだいぶすりきれた。とっくにお役払いをしてあげなければいけないのだが、なかなか気に入るものがない。だいたい私は小さなころから、同じものばかり着てしまうという癖がある。「かたきのように」というやつ。あ、思い出した。パンツ画像があったな。妙なものを蔵出ししておきます。【2003年4月5日付日録より】[アトムの子]さあ、幻泉館日録もいよいよ下ネタだ。しかも画像付き。申し訳ないが、未使用だ。買ったばかりだもので。今日は明らかにハズレの日。だから、買い物でむしゃくしゃを発散させようとしたのです。でも、買うものがなかったのね。しょうがないからパンツ買いました、パンツ。トランクス型です。おやぢのパンツ画像、最低ですね。もうすぐアトムの誕生日なので、そういうグッズが多いらしい。けど、記念品を買おうとも思わないのです。ふと目に入ったこんなもの買ったのは、単に必要なのを思い出したから。2枚1,280円、同じ柄のを買いました。小学生のころにアトムのパジャマを着てたのも思い出しました。だいたい昭和30年代生まれのおじさんたちは、「アトムの子」です。1980年代の子供達をあまり「ドラえもんの子」とは言えないと思うけど、ぼくらはやっぱり「アトムの子」なんです。ここで普段苦手な「ぼくら」という言葉を使ったのは、当時の雑誌でそういうのがあったからです。70年代80年代は週刊少年マンガ誌が栄えましたが、それ以前は月刊漫画雑誌の時代だったのです。鉄腕アトムが連載されていたのは『少年』。ほかに『ぼくら』『冒険王』『漫画王』なんてのがあったのです。月刊誌ですから、一月の間に何度も繰り返して読みます。善悪の判断基準を、アトムの苦悩とともに学んだりしました。誰かもそんなことを書いていましたが、ぼくらは少年時代にアトムと一緒に21世紀を生きてしまいました。だから、現実に訪れた21世紀は、実は間違った現実なのだという認識を密かに抱いています。
2004.01.07
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【追記】No.2夕方仕事を抜け出してお買い物。ついでにちょこっと夕陽を撮影する。逆だな、夕陽が見たくて買い物に出たんだ。静かな日常が始まったのだと実感する。更新しました。夕陽が好き![I Love Sunset!]【追記】No.1布団に潜って午前2時にすっと寝入る。普通の人なら夜更かししたなあということなのだろうが、私の場合だと宵の口に寝コケたぐらいの感じ。年末年始にはじけてそのまま仕事始めに突入した疲れが出たのだろう。午前7時に目が覚める。爽快。も、も、もしかして真人間に生まれ変われるのかしらん?ちょっと忙しいので、本館より蔵出しにてごめんなさいませ。【2003年2月9日付日録】[ウレシパモシリ共和国 / 琉球共和国]今年に入って、「週刊金曜日」が少しリニューアルして読みやすくなった。記事のバラエティが増えて、雑誌っぽく、有り体に言えば昔の「週刊 朝日ジャーナル」っぽくなったのだ。今日(あは、金曜日です)届いた最新号の音楽欄は『ボブ・ディラン ライブ1975』の紹介記事でした。幻泉館日録・元旦に出てくるCDですね。→Bob Dylan Live 1975 (The Bootleg Series Volume 5) (With Limited Edition Bonus DVD)生田卍さんという人が書いているのだが、実にツボを得ていてよろしいです。ボブ・ディランが最も油の乗っていた時期の、「ローリング・サンダー・レビュー」というツアー。プロデュースしたのがジャック・エリオットとアレン・ギンズバーグだそうです。様々なミュージシャンを柔軟に参加させて、即興性・演劇性を前面に出した、終始突っ込み気味の畳みかけるような疾走感。そうそうそう。「ハリケーン」や「ハッティ・キャロルの寂しい死」は私のお気に入りです。「ハリケーン」は映画にもなった冤罪事件を扱ったもの。黒人への差別に抗議して、当時のディラン様は顔を白塗りにしてステージに立っていました。「ハッティ・キャロルの寂しい死」はあがた森魚さんの絶唱もありますが、吉田拓郎「島田準子が吉田拓郎に与えた多大なる影響」の元歌でもあります。悲惨な人種差別を歌った曲を、徹底的に私的な恋の歌にしちゃうところが拓郎さんですな。生田さんは「ウディ・ガスリーズ教室」と書いてますが、そうそう、ボブ・ディラン様もガスリーズ・チルドレンでありました。音楽仲間の怪人きりぽんさん(仮名♂40代?)がドアーズのコンサートを観に美国へ旅立ってしまいました。で、出発前にNHK人間講座で永六輔さんが「人はなぜ歌うか」ってのを始めたよと教えてくれました。再々放送ぐらいで観るとして、「テキスト」を買ってきました。ついでに買ったのが 保阪正康『昭和史 七つの謎』講談社文庫 松下緑『漢詩七五訳に遊ぶ 「サヨナラ」ダケガ人生カ』集英社いやあ、楽しいものがたくさんあるので、いくら時間があっても足りない。とりあえず眠い目をこすりながら『昭和史 七つの謎』。第1話「日本の<文化大革命>は、なぜ起きたか?」保阪さんは1933年(昭和8年)を契機に日本の社会状況が「文化大革命」化したと分析する。この時期の日本の超国家主義を毛沢東の永久革命に似ていると決めつけるのは納得できないが、確かに日本全体が宗教カルトのようになったのは事実だ。なるほどと思ったのは、こんな方向付けを行なった「犯人」、責任者である。陸軍首脳部、つまり陸軍省が犯人であるのは論を待たない。誰もが認めるところだろう。それに結託した共犯者を保坂さんは1933年から約6年間の文部大臣と文部官僚であるとする。文部大臣は、あの鳩山兄弟の祖父に始まる人々である。歴代文部大臣この文部大臣と文部官僚は、「教育」の名のもとに当時の日本国民から知性を封殺したのである。陸軍だけで暴走などできなかった。こいつらがいかんのである。官僚は当然戦後も責任など取らずに生き延びたぞ。民主党の党首だったお兄ちゃんは「だってお坊ちゃんなんだからしょうがない」とか開き直ってましたな。爺さんの戦争責任とか考えたことあるんだろうか。戦犯指定は「家」に降りかかった災難ぐらいに思ってるんじゃなかろうか。(根拠はないすよ、私の想像です。)いくぶんなりとも当時の文化状況を知っていたら、オウム真理教の国家ごっこも、金ちゃん国家の首領様も笑うことはできないと思うよ。半世紀以上も前、大昔のことだから関係ない、ではありません。間違いだらけのしょうもない「歴史教科書」を押しつけようとしている連中は、そんな文化状況の再現を狙ってるんだから。え~、ここから金曜深夜です。ちょっと日付足踏み。日本というのは、不思議な国名です。だいたい読み方がわからない。「にほん」なのか「にっぽん」なのか。どちらも音便が発生していて、文字の音と違います。「にちほん」「じつぽん」はダメなんでしょうか。「じゃぱん」「はぽん」「いるぼん」でもいいんでしょうか。「じぱんぐ」や「やまと」なんてのもあります。国の主人が誰なのか名乗っていないのも珍しいようです。象徴天皇制なので、「共和国」ではありません。形式的には立憲君主国家らしいのですが、「王国」「帝国」でもありません。おら、ハダカで恥ずかしいだ。保阪正康『昭和史 七つの謎』など読みながら、こんなことを考えてました。1945年8月のポツダム宣言受諾前後、戦後日本の占領政策を巡って凄まじい駆け引きがあったのですね。米英は、ドイツのようにある共通の常識・文化を持った文明国だとは、日本を見ていなかった。日本にはレジスタンスが存在しなかったのだから、そう見られても仕方がないですね。ソ連に手出しされたくないので原爆を投下したのも、黄色人種ならいいやという側面があったようです。カナダの元首相が出した回顧録にも、そんなことが書いてありましたね。「核兵器が用いられたのが黄色人種に対してであったのは、不幸中の幸いである」ってなことが。でまあ、対ソ戦略の意図をもって、戦争責任が棚上げされてしまったわけです。天皇の命令によって、連合国による占領はまったく平和に開始されました。マッカーサーの「日本人は十二歳」という発言は、これから文明人として教育してやろうという宣言でもありました。いや、戦争責任者、実にうまいことやりましたな。太平洋戦争を始めたのは海軍なのに、東京裁判で絞首刑になったのは陸軍の軍人ばかりです。東京裁判(極東国際軍事裁判)で平和に対する罪(侵略戦争の共同謀議に加わった罪)に問われた人達が、いわゆるA級戦犯。被告の特定と量刑には、大いに疑問が残ることは確かです。最も大きな疑問は、なぜ天皇の戦争責任が問われなかったのかということですが、これは前記占領政策のために、問わないことを前提としてしまったからですね。保坂さんによれば、そのために海軍も免責されてしまったようです。そして、陸軍の一部に全責任を負わせました。ところでこのA級戦犯が収容されていたのが昔の東京拘置所、いわゆる巣鴨プリズンですね。今はサンシャイン60が建っています。東池袋中央公園にはその碑が残っています。東京裁判には多くの疑問と謎が残るのだが、もし日本が戦勝国になっていたら、これほどまともな裁判を行なうことは絶対になかったことだろう。これは推測というより、歴史的事実であります。敗戦までの日本がどれだけ国際法なんてものを無視したか。あるいは無知であったか。ね。ご存知フィリップ K. ディックに『高い城の男』という作品があります。日独の枢軸国側が勝利したパラレル・ワールドを描いた小説です。傑作という評判なんですが、お馬鹿なことにプロットをすっかり忘れてしまいました。ただ、「易経」に従って行動を決定するといったような、アメリカ西海岸的東洋趣味の描写があったのを覚えています。これがニッポンのイメージなんだよなあ。あ、だらだらすんません、今夜ヒマなんです。それで、歴史のれば・たらなんですが、もしあのころ、スターリンがもう少しうまく立ち回っていれば、日本の一部はソ連に占領されていたんですね。北海道、あるいは北北海道が千島・樺太あたりと一緒にされて、日本ではない国になっていたかもしれない。保阪さんの場合は「東日本社会主義人民共和国」と書いていますが、「東」はなかっただろうなあ。東西ドイツ、南北ベトナム、南北朝鮮といった分断国家の悲劇を回避することができたのだから、実にうまく立ち回った(というか運が良かった)のだと思います。その犠牲になったのが沖縄です。実際に地上戦が行なわれ、久米島にいたっては、日本軍によって住民が虐殺されるなんていうことさえありました。ニッポン全体が独立国家に戻った後も占領が続き、ニッポンに返還されたのは1972年です。今もなお「象の檻」があったりするのはご存知のとおり。こんな仕打ちを受けるより、独立国家になった方が幸せだったのではないかとも思います。映画『ウンタマギルー』には琉球独立党という愉快な連中が出てきますね。琉球独立党は実在の政治的党派でありました。ヨーロッパの、ポルトガル、スペイン、カタロニア、バスク、あの辺の国境は、実に摩訶不思議ですよね。歴史的たら・れば次第では、今沖縄が日本でなくても何の不思議もありません。そういえば池袋に話が戻るんですが、某中華料理店の2階には台湾独立党の闘士という爺さんが潜んでいましたぞ。あ、中東の国境の方がめちゃくちゃだ。問題のイラク、クウェートあたりの国境って、実にいいかげんに作られたものですわな。イスラエルにいたっては今も無茶して広げてます。さて、それで保阪さんはソ連に占領されて東側陣営に入る幻の国家を「東日本社会主義人民共和国」と名付けましたが、私だったらそれは東日本の先住民、アイヌの共和国であってほしいですね。名付けて「ウレシパモシリ共和国」。どうせもうすぐ日本国憲法改正論議が首相近辺から出されることと思います。私も憲法改正には賛成です。第1章を削って、「ニッポン共和国憲法」と名前を変える。ダメっすか?ダメらしいんで、幻の琉球共和国とウレシパモシリ共和国に期待します♪吉里吉里共和国でも、でんがなまんがな共和国でも、どってんばってん共和国でもいいぞ。
2004.01.06
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多少時間的な無理をしてオフ会に強行参加したので、帳尻合わせに必死な一日。これからまた夜なべ仕事などせにゃならぬ。祭りのあとって寂しいな。極端な言い方をすれば、もしかしたらもう二度と会えない人たちかもしれないのだし。とても楽しかったですよ、ありがとうございました。ちょっとスクラッチから日録を書く余裕がないので、蔵出しいたします。単にまたパティ・スミスが聴きたくなったので本館日録で検索してヒットしたページ。時々無性に聴きたくなることがあるのです。【2003年6月23日付日録】[ Patti Smith 発注 ]6/21(土)深夜です。眠いっす。昨夜朝までサッカーの試合を見ていたから、ではありません。このごろは毎日がそんな生活時間帯なのです。一週間の疲れがたまったという感じですね。ふとパティ・スミスが聴きたくなる。え~っと、CDは買ってないか。amazonで検索すると、不思議なことに日本盤も輸入盤もほとんど値段が変わらない。こういうのは珍しいな。まだまだ現役で頑張ってるようだが、うち(幻泉館っす)は元々70年代が専門なので、初期の3枚ぐらいが良かろう。そうか、私の学生時代と重なるんだな。歌詞を載せてるサイトを見つけました。lyrics to patti smith songs私の好きな曲"Pissing in a River"の冒頭はこんなです。 ♪ Pissing in a river, watching it rise ♪ Tattoo fingers shy away from me ♪ Voices voices mesmerize ♪ Voices voices beckoning sea ♪ Come come come come back come back ♪ Come back come back come back ちゃんと韻を踏んでるすね。ああ、HORSESの写真は、今は亡きメイプルソープだ。ジョン・レノンの写真も、メイプルソープのやつがいいよな。HORSES(1975) / RADIO ETHIOPIA(1976) / EASTER(1978)あのジョージ・オーウェルが「隠れ共産主義者」のリストを英外務省情報調査局に提供していたというニュースがありました。死の前年である1949年のことだそうです。さらにその前年が1948年で、『1984年』を発表した年ですね。なんか反共の闘士みたいになっちゃってますなあ。晩節を汚したというのでしょうか。リストに挙げられたのは作家、俳優、学者、ジャーナリストで、38人。「隠れ共産主義者、共産主義のシンパ、あるいはその傾向があり、信用ができない」と付記され、チャップリンの名もあったそうな。どうも英国情報機関の女性職員に懸想して求婚などしていたそうだ。結核を煩った晩年、女の色香に迷ってリストを作ってしまった……という報道です。動機としてはほほえましいかもしれないが、しかし、オーウェルが密告者かあ、ショックですわ。朝鮮半島で大動乱があり、アメリカでマッカーシー議員が率いる非米活動委員会現代による魔女狩り「赤狩り/レッドパージ」が吹き荒れる直前のことである。オーウェルさんには、マッカーシー旋風を見てもらいたかったと思います。私を直接ご存知の方はおわかりと思いますが、ワタクシは共産主義者ではありません。清く正しい前衛党の皆さんからは、むしろ嫌われるタイプの人間です。でも、自分が狩られたくないので、「赤狩り」のような動きには反対します。北朝鮮による拉致事件が大きく報道されるようになってから、「赤狩り」をしたいと思っている連中の声がやけに大きいので、不安です。ところで、日本共産党さんであるが、綱領を全面改定するそうだ。「君主制廃止の削除」「自衛隊容認」やはり元前衛党としか言いようがない。それでも公安調査庁は共産党対策として予算を分捕るのだろう。
2004.01.05
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[雑煮自慢開催中!!]大団円迫る!終了時刻は[ 1月4日24:00 / 1月5日00:00 ]雑煮自慢大会 会場はこちらです♪太陽がまぶしいです。正月休みが明けた初日。実は朝帰りからの仕事でございます。日録の更新も、雑煮自慢の管理もほっぽりだして、困ったものです。大変申し訳ございません。タイトルからおわかりになると思いますが、新宿で待ち合わせて、新宿&吉祥寺で午後3時から朝まで飲み通し。今までの静かな生活がウソのようにはじけまくってしまいました。ぼつぼつと更新してまいります。何をしてきたのかというと、うるとびーずさんと匿名希望氏の「密会」(オフ会)に飛び入り参加してきたのでございます。早晩豆腐の角にでも頭をぶつけて落命しそうな所業ですな。寝ぼけたまま家を出て新幹線に飛び乗り、品川駅で降りました。ここでふと周囲が妙にまぶしいのに気づきました。あ、メガネ替えてない。枕許でノートPCをいじる時の寝床メガネのままでした。在来線との乗り換え口で岡田真澄さんを見掛けました。幻ちゃんは小さいので、空を見上げるような角度になります。恰幅がよろしいですが、とってもかっこいい方でした。ちいさなお嬢さんの手を引いてました。まだ時間が早いので、駅構内BECK’Sでホットドッグ&コーヒー。ハンバーガーよりホットドッグの方がずっと好きなんです。こんなの食べるのもずいぶんひさしぶり。ここでカメラバッグの中に転がっていたおなじみの変装用「マスク」を着用します。【新宿】新宿アルタ前午後3時。いきなり匿名希望氏に発見されます。「とてもあやしい」そうです。やっぱり一目でわかったとか。同様にマスクをかけて人待ち顔のうるとびーずさんをすぐに発見。しかし、みんな初対面なのに昔からよく見知った人たちのような気がするのはなぜでしょうか。食事ができるところを探そうということになったのですが、ふと歌舞伎町の噴水跡が見たくなりました。蓋がしてあるところは見たのですが、もっと平らに均してからは初めてです。お店はまだ閉まっているところが多そうなのですが、学生時代に行ったことのある「セントラルパーク」を覗くと営業中。いきなり生ビールで乾杯という展開になってしまいました。いいんだ、まだ正月だから。このお店はizumatsuさんも行ったことがあると思います。ステージでジョージ川口さんの演奏を見たことがあります。我々の学生時代はまだできてからそんなに経っていなかったのですね。箸袋にこう書いてあります。>ととや NEW YORK>せんとらる ぱぁーく>>Let’s Zapping-を提唱して30年>父母も通った青春の道-大型パブの草分けだそうです。ピザなんぞほおばりながら、生ビールをおかわり!初対面とは思えぬ話の盛り上がりに、ピッチが上がります。お~い、まだ日は高いんだぞぉ。3人とも完全にできあがっております。【吉祥寺】No.1夕方の酔っ払い3人、吉祥寺に行こうということで盛り上がってしまいました。想いは様々だったかも。中央線のホームで友部正人さんの曲を口ずさんだり、幻ちゃんもごきげんです。吉祥寺駅南口の階段を降りながら、斉藤哲夫さんの曲を歌っています。丸井の角を曲がり、新しくなったお店を眺めながら公園へ。残念ながら、「いせや」はお休みでした。野外ステージの近くではギターを弾いている人がいます。その人をアメリカ人らしき方々が囲んで何かわーわー言っています。その中へうるとびーずさんがやはり英語でわーわー言って入っていくのですが、そちらには目もくれず、幻ちゃんはステージに上がります。まだ夕方だよ、酔っ払いたち。それから多少迷ったりしながら、懐かしい「のろ」にたどり着きます。営業中!新宿のセントラルパークでも一番乗りだったのですが、ここでも一番乗り。なおかつ既に酔っ払った3人。私は焼酎の湯割りからジントニックへ。何杯でも飲めるぞぉ???カウンターに置いてあった斉藤哲夫さんのCDを買って帰ろうと思っていたのに、買い忘れました。残念。「のろ」によく行ったのは、80年代の初めです。お店の中の雰囲気は今もまったく変わっていません。かかる音楽もジャストフィット。私は壁に向かって座っていたのですが、振り返ると懐かしい人たちが飲んでいるのではないかと思えました。うるちゃん&匿名希望氏もくつろげたようで、良かったです。【吉祥寺】No.2実家へ帰らなければならないうるとびーずさんを吉祥寺駅で見送り、酔漢二人は再び吉祥寺の街へ。今度は友部正人さんの歌に出てくる「中道通り商店街」へ。ラーメン屋「よしのや」さんや、焼き鳥「みすず」さんは健在。ウニタがあったところが新しい建物に変わっているのは知っていた。郵便局もきれいになった。路地を曲がって「まめ蔵」のあるところは、シャッターが降りていた。それから東急裏、伝説の「火薬庫・ぐゎらん堂」跡地。雄弁に過去の姿を語り伝える幻ちゃんであった。この時点で「朝帰り」を覚悟。伊勢丹の西側にある小洒落た通りにある、「more」に入った。ジャズ喫茶の名門「meg」の姉妹店である。楽しくお酒が飲める店。ここではアイリッシュ・ウィスキーのロック。ぐだぐだニコニコと杯を重ねる。もう電車はない。吉祥寺の夜が更けていく。
2004.01.04
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[雑煮自慢開催中!!]終了時刻は[ 1月4日24:00 / 1月5日00:00 ]雑煮自慢大会 会場はこちらです♪更新しました。夕陽が好き![I Love Sunset!]ここ十年ほどの間、私の年末年始休みは大晦日と三が日だけです。今回もそうです。ああ、もうすぐ休みが終わる。しまった、ちょっと宿題があったんだ。夕陽の撮影で身体を冷やしたらしく、ちょっと熱っぽい。とりあえず今日は布団に潜ろう。大晦日の妙なコンサートで渡さんが1曲だけだったのでちょっと欲求不満。2枚組みの『Best Live』など引っ張り出してぐるぐる聴く。そうそう、これこれ。大晦日からずっと僕は「夕暮れ」を口ずさんでいたのだ。黒田三郎さんの詩に、高田渡さんが曲を付けた作品。ライブでは「明るい曲がなくてすいません」なんて言ってる。 ♪ 夕暮れの町で ♪ 僕は見る ♪ 自分の場所からはみ出してしまった ♪ 多くのひとびとを実は、渡さんは原作の詩を少し改変して曲を付けることが多い。上の部分では3行目「はみ出してしまった」は、黒田さんの原詩では「はみ出てしまった」。この先では、かなり大胆な改変を行なっている。一連そっくり言葉遣いが入れ替わっているところもある。先に渡さんの歌を知ってしまった身としては、少し原詩の響きが居心地悪く感じられる。対照して並べてあるサイトを見つけたので、興味のある方はご覧ください。安藤文隆のエッセイ銀座ライオンのようなビヤホールなのである。吉祥寺の「いせや」や「下駄屋」ではない。渡さんではなく、黒田三郎さんの世界。以前の渡さんは、リフレインなんかののために少し原詩をいじるといった感じだった。ところが、「夕暮れ」では書き換えの水準がそのようなものではなくなっている。上記サイト安藤文隆氏は、渡さんの「夕暮れ」では絶望感や無力感が強調されていると分析している。原作の「夕暮れ」は「哀しいながらも哀しさのやり過ごし方を熟知した達人・黒田三郎ならではの確信と安定感」を感じるという。見事な分析というほかなく、ただ脱帽である。伝説のステージ泥酔事件や、実際に私が目撃した吉祥寺東急裏おまわりさんと口論事件など、渡さんはついついおもしろく語りたくなるが、哀しい歌うたいなのである。以前高田渡「火吹き竹」(1973)というタイトルで、『世界・わが心の旅「ドイツ 僕と生きてきた詩(うた)」高田渡』という番組のことを自家引用しました。ドイツ人の多くが滑稽だと感じるリンゲルナッツの「すかんぽ」を渡さんは哀感こめて歌うのです。ふと、こんな光景が頭に浮かびました。まっさらな原稿用紙に、丁寧に丁寧に言葉を書く渡さん。ほんの少し書き換えては、納得できずにまた別の原稿用紙を引っ張り出す。他人が見てもその違いがわからないほどの書き換えを、ほんの少しずつ加えていく。何度も何度も繰り返して。そう、ちょうど山之口獏、獏さんが詩を書く時のように。
2004.01.03
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【追記】No.3どたばた用事を片付けて、浜へ夕陽を見に行ってきました。昼間はぽかぽか陽気だったのに、曇ってしまい、風がめちゃくちゃ寒くて参りました。ほとんど人がいないのに、撮影をしている人は元旦より多かったです。元気にはしゃいでいたのが、外国人の人たち。大きな波を喜んでいました。夕陽画像は明日付けの日録にアップします。【追記】No.2それで、年賀状不配問題はあっさり解決してしまいました。昼前に元日配達分を持ってきてくれたようです。まだ昨年の半分にも満たないようですが、幻子心母がお詫び用タオルを受け取ってしまったので、これで終了。呼ぶように言っておけばよかった。あのうち(の息子)はうるさいということで、必死になって探したのでしょう。おそらく「誤配」は本当だったのでしょう。あとは説明がめちゃくちゃでしたが。あ~あ、終わっちゃった。【追記】No.1ほとんど寝ていないのだが、朝目を覚ましてしまう。おなかが空いたので、まだお澄まし状態の雑煮を食べようとしたら、餅が入っていない。それでお餅を入れてぼぉっと待つ。あ、郵便局に電話しておこう。年賀状の不配・紛失はよくあるようだ。izumatsuさんの他にも、そんなことがあったという連絡をいただく。黙っているとそのままになってしまいそうなので、電話をかけることにした。雑煮に餅が入っていなかったおかげである。電話が「集配課」に回されると、「住所は?」と聞かれる。ちょっとむっとしたので、名前は言わない。その人物がなかなか電話にもどってこないので、ぼぉっと待つ。あ、風水猫は他にも買ったわ。電話の近くに、活躍中の風水猫が一匹。担当氏が電話に戻る。「これから見るところですから」いきなり訳がわからない。お客さんがポストに入れたから、その中から発見するという主旨のことをおっしゃる。お客って誰だ?説明になっていないので、もう一段階「むっ」のレベルが上がる。これで2「むっ」である。ここで自分の中で確認する。けっして怒鳴ってはいけない。「調査してご説明をいただくことになっています。まったく聞いてませんよ。見つかったのですか?」またほうっておかれて、「むっ」がさらに3つほど増える。また同じ人物が出ても、要領を得ない。誤配をして、その家の人がポストに投函したと言いたいらしい。後ろで騒がしい音がして聞き取りにくくなる。結局他の人物が電話に出ることになる。後ろの音が静かになる。「だいたいそちらの不手際で、ご連絡をくださることになっているのに、どうして私が電話代払って待たされてるんですか?」我ながら言うことがみみっちい。とりあえず発見した分だけすぐに届けてくれるという話になった。雑煮を食べて書斎のPCに向かうと、郵便局の人が年賀状を持ってきてくれた。粗品を渡そうとするのを押し返して、持ってきた年賀状をチェックする。ここで発見してしまったのだよ、29日に大阪で投函してくれたかわいい年賀状を。「ウソですね。これは元旦配達分ではありません。明日の配達分です。昨夜確認してあります。これは29日に大阪で投函されたものです。元旦配達分はどうなったんですか?」だいたい、同じブロックの家に誤配されていたら、ポストに入れるのではなく直接うちに持ってきてくれる。郵便局の説明が実に怪しい。「わざわざ持ってきていただいて御苦労様でした。でも、説明がウソなのでとても怒っていたとお伝えください。」さて、どうなるんでしょうか?[雑煮自慢開催中!!]王道関東雑煮、本格京都雑煮、細密創作雑煮、厚顔無恥餅粥……終了時刻は[ 1月4日24:00 / 1月5日00:00 ]雑煮自慢大会 会場はこちらです♪元旦の午後7-11に出かけて、毎日新聞と「のどかな新聞」を買ってきました。毎年の習慣です。分厚いので得した気になるのと(おばちゃん体質)、1月2日に新聞がなくて寂しい、一応テレビ欄をチェックしておきたい、なんてところでしょうか。大学を出てからしばらく7-11のバイトをして暮らしていたのですが、おなじみの新聞配達のみなさん、大変そうでしたね。元旦の新聞配達は普段の2倍あるから。一度で回れるところを、2回に分けないと配達できない。かわいそうでした。「がんばってね!」そんな挨拶で、彼らとの一年が始まりました。私は人の名前と顔を覚えるのは苦手なのですが、お客さんで来たことがあるかどうかは、すぐにわかりました。たぶん一度でもお店に来たという方はわかりました。吉祥寺ウニタというちょっと特殊な本屋さんで店番をしている時もそうでした。他の方もそうなんでしょうか。初日の入り。山からのんびり市の街と海と夕陽が見えないかと思ったが、それは無理だと再確認。山中の運動公園では、夕陽は西の山に沈むのである。それから急いで浜に向かった。夕陽を見にきた人は多かったけど、撮影してる人はあまりいませんでした。小さな子供を連れた若夫婦が、太陽に向かって手を合わせて拝んでいました。子供の将来を祈っていたのでしょうか。のんびり高等女学校出身だった故浦辺粂子さんは、「徹子の部屋」に出演した際に、のんびり市では毎朝富士山を拝むということをおっしゃってました。実際はそういう人は少ないだろうけど、気持ちはなんとなくわかります。更新しました。夕陽が好き![I Love Sunset!]富士山や夕陽に手を合わせる気持ちはわかる。お祭りは好きだから、初詣に行くのもかまわない。しかし、「初」だけで別に神社を拝む気にはならない。実際、初詣など何十年行ってない。靖国神社に参拝しようという気にはならない。それは断じて、「どこの国にもある自然な宗教行為」なんかではない。過去日録より蔵出しします。靖国神社を日本にある「一番偉い神社」だと思っている人がいるようですが、それは違います。ある目的のために作られた、数ある神社の中の一つにすぎません。ただ、歴史的には非常に重要であった、つまり重い過去を持った神社ではあります。【2003年4月26日付日録より】[靖国神社 そこに祀られている人々]amazonより板倉聖宣さんの本が届く。朝日選書『日本史再発見』四六判並製本文312p 定価:本体1300円+悪税「理系の視点から」と副題が付いている。『科学朝日』1991年1月号~1992年12月号に連載されたもの。第一部「車と乗り物の歴史」第二部「数字で見る江戸時代」仮説社『差別と迷信 被差別部落の歴史』B6判並製本文248p 定価:本体2000円+悪税住本健次氏との共著。仮説実験授業の形式に従って解説。授業書付き。仮説社『靖国神社』文庫判本文60p 定価:本体500円+悪税仮説実験授業のミニ授業書。さて、仮説実験授業とは、国立教育研究所に勤務していた板倉聖宣さんが提唱している授業方法です。1963年に始めたそうなので、もう40年の歴史があるのですね。あらかじめ準備しておいた授業書にしたがって、「問題→予想(仮説)→討論→実験」を繰り返して、科学的認識、科学的思考を教育することを意図してます。>科学的認識は,対象に対して目的意識的に問いかける実践(実験)によってのみ成立し,>未知の現象を正しく予言しうるような知識体系の増大確保を意図するものである。こう書くと難しいのですが、一見クイズ形式の「たのしい授業」です。板倉さんの専門は科学史なので、当初の授業書は理科教育でした。それが、歴史や地理といった「社会科学」の分野にまで広がっていきます。私がそのあたりのものを読んだのは80年ごろで、それまで漠然と知っていた日本史の知識が、科学とはかけはなれていることに気づいて愕然としたものです。板倉さんも『日本史最発見』の序文で、かなり意識して挑発的に歴史学の非科学性を説いています。実証的であることと、科学的であることは違うのです。わかりやすい例としていろいろな本に書いてあるのは、江戸時代の米です。間違った思い込みでありがちなのが、「江戸時代は年貢で米を持っていかれるので、百姓は粟稗の類いを食べていた」。当時の人口の九割の人間が百姓なんですから、彼らが消費しなければ米が余ってしまってしかたがない。最終的には生産された米のほとんどを百姓が消費するのです。ただ、百姓は自分で生産した米を貨幣で買い戻さなければならない。これは誤ったイメージを抱いていることが多いですね。今の高校では、正しいイメージを教えてくれるのでしょうか?『靖国神社』は授業書のコンパクト版で、靖国神社に関するクイズ集のような感じ。あっという間に読めます。本当は多人数でわいわいやる方がよろしい。副題が「そこに祀られている人々」で、この神社が何なのかをわかりやすく解説しています。ここで質問。つぎの中で、靖国神社に祀られているのは誰でしょう?1. 坂本龍馬2. 西郷隆盛3. 大久保利通4. 乃木希典5. 東郷平八郎ネタバレになるので、答えは書きません。人数もここには書きません。さて、大晦日おのぼりさんの続きです。アフターコンサート。本館の方だけに書いておこうと思いましたが、ええい、転記。腹減ったからメシだねということで行ったのが、109。コギャルの巣窟を見せてくださるという、引率者の方のありがた~いお心遣いです。8階にあるバンコク屋台料理「チャンパー」。コギャルなんぞ影も形もありません。というか、お客なんぞ一人もいません。厨房にはたくさん人がいるのに。ちょっとびびりましたぞ。飲み食いしているうちに少しお客さんが来てお店らしくなりましたが、大晦日ってそんなものなんですね。レシートを見ると、お店を出たのが19:31。この時間でも、既にラストオーダーを聞きにきたりしてました。お店には外国人の方々がたくさん集まってきていました。これから年越しのイベントだったのでしょう。どこで何をするのかしら。109もシャッター降りまくってました。もう少しで閉じ込められるところ。それはそれでおもしろかったでしょうね。レシートから二人で飲み食いしたものを書き写しておきます。何がなんだかわからないけど、カオスウェイから下がビールかな。人数 2名トートマンプラソムタムパッメアムアンキオワンカオスウェイ 4×シンハー 2×シンハーゴールドビールは元々好きなんですけど、30代の間は痛風だったので、自粛しておりました。不惑を越えたらなぜか治っていたので解禁なんですが、独りで飲むとアル中になるので、ほとんど飲んでいません。とってもおいしかったですよ。
2004.01.02
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【追記】No.4(追記No.1は一番下にあります。)2004年冒頭のイベント、オンラインお雑煮新年会がもうすぐ始まります♪とってもおいしい我が家の雑煮、オリジナル雑煮、「雑煮、のようなもの」等々御自由に投稿なさってください。コメントは新スレッドを立てずに、[RES]の形でお願いします。開始時刻は[ 1月1日24:00 / 1月2日00:00 ]終了時刻は[ 1月4日24:00 / 1月5日00:00 ]雑煮自慢大会 会場はこちら♪【追記】No.3初日の入りを撮影して参りました。人出は多かったけど、撮影してる人はあまりいませんでした。ところで初事件。うちに年賀状が一枚も来なかったのです。やっぱりひきこもってるとねえ。違います。私はそれほどの数ではありませんが、幻子心母は退職教員なんで、絶対に三桁の枚数の年賀状が届きます。午後に何度も郵便局に電話をしていたようですがつながらず、5時ごろ私が夕陽撮影から戻ると、ちょうど郵便局の方がうちに来ました。周囲のお宅はみんな届いているそうです。うちだけゼロ枚。バイトの高校生君が、「この家には一枚もなかった」と証言しているようです。お~い、それはありえないんだよぉ。どうなるのかしら。成り行きを実況中継しましょうか。【追記】No.2フィナーレの全員歌唱「遠い世界に」ですが、高田渡さんは一番しか歌えないことが判明。間近でにこにこもごもごごまかしているのを見ました。司会コウタローさんが言ってました。「すごいなあ、渡も楽譜見ないで歌えるようになったんだ。すると『もう見えないんだ』と言われました。」捨て身の冗談ですな。明日は我が身。皆様、明けましておめでとうございます♪本年もよろしくお願いいたします。2004年の正月といえば、あなた、お雑煮を自慢する時が来たのでありますよ。雑煮自慢大会、開始時刻は2日午前0時ジャストです。会場URLは、1日午後7時頃に発表します。さて、年は明けたのですが、日録の内容は2003年最後の日、大晦日に幻泉館主人がおのぼりさんとなって渋谷をうろうろした話です。まず朝なのですが、乗ろうと思っていた新幹線こだま号に乗れませんでした。あらま。ところが、そのすぐ後に来たひかり号が停車してくれ、なおかつ品川駅に停まる。知らない間にずいぶん便利になっているので、まず驚きました。渋谷駅から外に出ると、中国喜び組の映像がガンガン流れていて、まあさすが大都会。なんとかビジョンの数がずいぶん増えていました。意外に人の数が少ないのにも驚きました。ただ、人の動きとテンポが合いません。そうそう、こういうことは何度も経験しているので、あまり気にはなりません。モアイ像の近くで救世軍の演奏をぼおっと眺めて、目を人込みに順応させます。引率をお願いした方(妙齢の美女♪匿名希望)に携帯でメールを出して、「もう着いちゃったよ~」と泣き言を言う。某国営放送へ通っていた時によく朝食をとった「アートコーヒー」を待ち合わせの場所に考えていたのだが、もうその店はなくなっていた。「カラオケ歌広場」がある所かなあ。他人様を急かしておいて、自分はぶらぶらと街の変化を確認して歩く。それで「竹久夢二居住地跡」なんてのを見つける。これは引率者さんに撮影してもらおう。人が少ないので、待ち合わせはハチ公の尻尾あたりということにした。携帯でメールを送る。「幻ちゃんを探せ♪」初対面なので、わかりやすいように楽天のプロフィール画像に似せることにした。大サービスでマスクを付ける。一発でわかったそうです。でも、わかりやすくあるが、すっと引かれてしまった。どう見ても、あぶない人なんだそうな。そうまでおっしゃるのならと、せっかくだから上京記念の写真を撮ってもらう。それが下の画像です。肝心のコンサートについては、後で書きます。[この項続く]【追記】No.1さて、ずいぶん早く渋谷に着いてしまったのに、アホな写真を撮ったりしてぐずぐずしていたので、渋谷公会堂に滑り込んだのは開演直前でした。一目見て、観客の年齢層が非常に偏っていることがよくわかります。ずばり50代の面々。幻泉館主人が「若手」、引率者さんは娘みたいなものです。おかしいのは、ステージ上で機材を動かしているのも、観客と同じ世代でありそうなこと。これがいったい何のコンサートなのかというと、タイトル長いんです。 「パックイン・ミュージック」Presents あのラジオ、あの歌、あの青春 Part.2去年Part.1があったんですね。TBSのオフィシャルサイトでは、こんなふうに書いてます。----------------------------------------------------TBSラジオ伝説の深夜番組「パックイン・ミュージック」の名物パーソナリティー「ナッチャコ」こと野沢那智&白石冬美が、70~80年代のフォークソングの名曲とともに大晦日に渋谷で年忘れコンサート!!----------------------------------------------------もうレトロ一色、開演前にはPP&Mが流れています。最初に野沢那智さん、白石冬美さんの語り。このお二人は最後にもう一度出てきて、コンサートを閉めました。実際に進行上の司会は山本コウタローさんと山田パンダさん。ノリノリで踊るといったようなコンサートではなく、風邪をひいたおじさんたちが座席に座っておなじみ曲を口ずさむといった感じの催しものでした。基本は出演者の生ギター弾き語り。前から3列目の席だったので、それほど興味のない曲でもギターを弾く手許を見ていて楽しかったです。「ギター弾こう!」と思いました。ストーブをつけるようになって部屋からギターを避難させたので、このごろあんまりいじってなかったのです。山田パンダさんは予想より良かったです。「別格」出演者を除いてはみんな1曲ずつだったのが寂しい。斉藤哲夫さんが「吉祥寺」を歌ってくれたのは嬉しかったです。高田渡さんは、中川イサトさんのギターと竹田裕美子さんのアコーディオンがバックに付きました。「え、これだけなの?」引率者さんも思わずつぶやいてましたぞ、寂しい!三浦和人さんから太田裕美さんまではかなり歌謡ショーの雰囲気。山木康世さんの弾き語りは迫力がありました。佐田玲子さんは白鳥座をやっているころに昼間のラジオ番組をよく聴きましたが、それは80年代半ばのこと。生ギターだったのでステージを見ていましたが、沢田聖子さんと太田裕美さんの時はピアノの陰になってしまって見えないので、睡魔と闘っておりました。この日一番良かったのは、木村充輝さんの弾き語り。この曲なんだっけなあと思っていたら、リフレインで、♪ケセラ ケセラ ケセラ~♪ああ、そうだ、ホセ・フェリシアーノでヒットした「ケサラ」だ。どうも観客には木村さんも「ケサラ」もほとんど知られていなかったようですが、歌は染み透っていったようです。しかしまあ、顔が丸くなられて、あの語りといい、ジミー大西画伯に近いものがありました。はしだのりひこさんは枯れた落語家さんのようにボケをかましまくって、さすがに元フォークル。ただ、一昨年末の新生フォークルが坂崎幸之助さんだったのは、やはり正しかっのだろうと、ステージを観て思いました。そういう意味では五つの赤い風船も、フー子ちゃんでなくて青木まり子さんが歌うことに意味があるのでしょう。フー子ちゃんで聴きたいですけどね。後が詰まっているようで、懐メロおやぢたちは午後5時に会場を追い出されました。すぐ側のNHKホールではあの赤白に分かれた戦争ごっこが行なわれることになっていました。お腹が空いたので渋谷で食事をすることになったのですが、しかし大晦日の渋谷、人が少なくて寂しかったです。以下、いいかげんな概要です。山本コウタロー:岬めぐり山田パンダ:僕の胸でおやすみ斉藤哲夫:吉祥寺高田渡:生活の柄三浦和人(元雅夢): 愛はかげろう大久保一久(元猫・元風):?山木康世(元ふきのとう):思えば遠くに来たもんだ佐田玲子:?沢田聖子:?太田裕美:木綿のハンカチーフ/?木村充輝(元憂歌団):ケサラはしだのりひこ:風/イムジン河五つの赤い風船:恋は風に乗って/これがボクらの道なのかはしだのりひこ:花嫁全員:遠い世界に
2004.01.01
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