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そろそろ大学入試も始まったようですね。早稲田にはバンザイ同盟というのが現われて、合格発表を盛り上げたりします。70年代に生まれたサークルのはずなんですが、公式サイトを見に行っても、最近のことしか書いてありません。今の学生さんは知らないんでしょうね。それで「伝統」とやらを誇るのはいかがなものか。なんちって。 →早稲田大学バンザイ同盟そういえばウルフルズのヒット曲に「バンザイ」というのがありました。 ♪ イエーイ! 君を好きでよかった ♪ このままずっと ずっと 死ぬまでハッピーこういうポジティブな歌はいいですね。あれからもう十年経つそうで、十周年記念バージョンというCDが出ました。19曲入り+DVDというので、ちょっと欲しいなと思っています。こういうバンザイはいいんですが、なんとかいう外相が言ってたバンザイはいただけません。「英霊からすれば天皇陛下万歳と言ったのであって、総理大臣万歳と言った人はゼロだ」いったいどれぐらいの人が「天皇陛下万歳」と言って亡くなったのでしょうか。年寄りの話を聞くと、それはフィクションであるように思います。坂本龍馬の名前も勝手に靖国神社の名簿に載せられているそうですが、龍馬がそんなことを言って亡くなったはずもありません。さすが「臣茂」を称した戦後名宰相の孫と、東京新聞筆洗も皮肉を言っていますよ。今の内閣の閣僚は、言ってることがめちゃくちゃですね。自民党+公明党で、恐いものなどないのでしょう。そう、ブッシュのアメリカが好き勝手を言ってるのと同じことです。ところで、天皇を政治的に利用しようとなどしないほんまもんの右翼諸君は、外来語の「万歳」は好まないようですね。やまとことばの「いやさか(弥栄)」などの方がよろしいようです。
2006.01.31
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サン・パイは壁の毛沢東ポスターをちらりと見て、妙なことを言います。「戦争は悪いものではない。人口を減らしてくれる。地球上には戦争を自由に浮かべておけばいいんだ」-----------------------------------------------In my mind's eye, I saw blood being splattered and spilled. Whatever he was getting at, I didn't believe like that. "Does you consience bother you? It doesn't matter, a man's consience is useless, clear or guilty, a live man's is anyway." This conscience stuff would stick in my mind.僕の心の目には、血が跳ね飛ばされてあふれ流れるのが見えた。彼が何を言いたいのであれ、僕にはそんなことは信じられなかった。「良心が痛む? そんなものはどうでもいい。人の良心なんて、何の役にも立たない。清らかだろうが、罪深かろうが、生きている人間の良心なんてのはとにかくそんなもんだ。」この良心の話は、ずっと僕の心にひっかかている。-----------------------------------------------こうしてみると、ディランは真っ直ぐな、良心の人なんですね。学生時代に私が出会った自称インテリたちは、どうにもひねくれまくった、良心のかけらもない奴が多かったのを思い出します。Googleで検索したら、京都大学歴史研究会の方の論文がヒットしました。「人口論」というのは、まゆつばなものが多いように思います。 →中国の人口問題ディランは一つ買い物をすることにします。前に出てきた「世界一のおじいちゃん(WORLD'S GREATEST GRANPA)」というバンパー用ステッカーです。数年でおじいちゃんになるからというようなことを書いています。それも、1ダースぐらい必要になるぞと。あらら、ディランったら。サン・パイはお金を受け取ろうとしませんでした。-----------------------------------------------"Get everything you need, then?" he asked."Yeah, but I need some more," I said.「必要なものはみんな揃ったのかね」と、彼は尋ねた。「ああ、でももっともらってもいいね」と、僕は言った。-----------------------------------------------ただいまp.209です。
2006.01.31
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今日の(1/30)東京新聞「TOKYO発」は、ドキュメンタリー映画『ヨコハマメリー』の紹介だった。中央に、メリーさんの写真が掲載されている。真白な化粧、白いドレス、白いハイヒール。1993年に写真家森日出夫さんが撮影したものだそうだ。異形のメリーさんは、当時70歳ぐらいだろう。都市伝説ではなくて、横浜の街に本当にいた、白いメリーさん。メリーさんは40歳から35年間街に立ち続けた、街娼だった。メリーさんは95年12月に故郷に帰り、そして2005年に亡くなったそうだ。横浜に生き続けていた「戦後」。「横浜はアメリカの国だった」という記憶を、メリーさんは象徴していた。私がアルバイトをしていたコンビニに、奇妙な老婆が現われたことを以前書いたと思う。コーヒーを注文し、それにインスタントコーヒーをぶちこんで飲んでいたおばあさん。メリーさんの写真を見た時に、そのおばあさんを思い出した。 →東京新聞:ヨコハマメリーさん伝説 →神奈川新聞:ヨコハマメリー →港のメリーさん
2006.01.31
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→[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]サン・パイはディランの奥さんが入ってきたので、冗談を言います。「何やってるの? 晩飯かなにかまでいるつもりかね?」-----------------------------------------------A train whistle blew in the distance and brought me to my senses. There was something pleasurable about hearing it. I said I wasn't too positive we could do that.遠くで汽笛が聞こえたので、僕は正気に帰った。汽笛を聞くのはなんだか嬉しいものがある。そこまであつかましいことはできないよと、僕は言った。-----------------------------------------------ディランは列車の音がが好きなんですね。線路を伝わってくる音も好きだし、汽笛も好きだし。電車ではなくて、汽車の方が似合います。-----------------------------------------------Sun Pie wore gold rimmed spectacles. Every once in a while sunlight would shoot off like sparks -- like comets from a dark sky blasting of the rims.サン・パイは金縁のメガネをかけていた。時々日の光が当たって火花のようにきらめいた。暗い空からやって来た彗星がメガネの縁にぶつかったみたいだった。-----------------------------------------------妙なことを覚えているものですね。詩情あふれるというか、あふれすぎかも。「ちょっと前にカントリーの女王がここに来て、真鍮の灰皿を買ったんだ」「誰だったのかな?」「スウィート・キティ・ウェルズ」「ほお」これはわかりません。 →Artist Biography - Kitty Wellsただいまp.208です。 →遠くで汽笛を聞きながら 音量注意!
2006.01.30
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でみ庵さんのところで、P.K.ディックの『スキャナー・ダークリー』が出ているのを知りました。 →フィリップ・K・ディックと江原 啓之を購入以前『暗闇のスキャナー』というタイトルで出ていた本の新訳ですね。それは山形浩生訳。今度は浅倉久志訳。あんまり訳者は意識していなかったけど、ディックの本は浅倉訳がおもしろかったというものが多いのです。後で近くの本屋さんに行ってこよ。そういえばディックの短編集はペーパーバックで何冊か買ったけど、長編は原文で読んだことがなかったのです。急に『火星のタイムスリップ』が読みたくなりました。amazonで検索すると、おお、ありますな。"Martian Time-Slip"がペーパーバックで1190円ナリ(悪税込み)。これだけだと1500円に達しないので、ついでに"A Scanner Darkly"(悪税込 1402円)も頼むか。楽天市場では扱っているところがないし、amazonへはリンク張れないのよ。以前『火星のタイムスリップ』のことは少し書いたなあと思ったら、なんと井上陽水「桜三月散歩道」(1973年) というタイトルの日記でした。一日に一つしか投稿できなかったから、何でも詰め込んでいたんですね。その部分だけ抜いて再掲しておきます。-----------------------------------------------私の好きな小説に、P.K.ディックの『火星のタイムスリップ』というのがあります。すごいタイトルでしょ、「火星」で「タイムスリップ」よ。もう本当に三流空想科学小説という感じ。実際に舞台は火星で、タイムスリップが描いてあるんだから、そのまんまのタイトルなんですが、それでもやっぱり悲しい傑作なのですよ。この作品では分裂病に関して独特の解釈がなされています。ディックによれば、病者は時間の流れ方が違うだけなのである。時間の流れ方が違う世界があれば、病者はそこで自然に暮らせる。だけど、それぞれの世界は互いに認識することができない。病んだ少年を、父親がその時間の流れ方の違う世界へ送り出す。こんな論理で意識と存在を逆転させてしまうのが、ディックの手法です。実際ディックも関係妄想とか被害妄想があったようで、事実はよくわかりませんが、少なくとも本人はFBIと孤独な闘いを続けていたようです。ただ、ディックの場合はそれが独特な作品世界を形作り、傑作群を生み出していったわけですね。幻泉館主人も普通の感覚とは時間の流れ方が少し違うのかもしれません。でも、傑作を生みだしたりしないのが悲しいところですな。-----------------------------------------------
2006.01.29
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→[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]二行開くのですが、話はあまり変わりません。ディランの奥さんは店内を見た後、また外に出てジョン・ルカレ(John le Carre)の本を読んでいました。あれ、ジョン・ルカレって誰だったかな。ああ、そうだ、スパイ小説の大家だ。『寒い国から帰ってきたスパイ』 The Spy Who Came In from the Cold 『鏡の国の戦争』 The Looking Glass War 『パーフェクト・スパイ』 A Perfect Spy 『ドイツの小さな町』 A Small Town in Germany 『ロシア・ハウス』 The Russia House私の場合はタイトルをよく見かけたなという程度で、まるで接点がありませんでした。 →the official John le Carre websiteゴルバチョフ書記長がペレストロイカを推進していたころですね。どんな小説を読んでいたのでしょうか。そういえば、もう少し後のことですが、高田馬場で街頭インタビューの取材をしたことがあります。留学生に出身国を尋ねたら、「ソ連」と答えてからちょっと間を置いて、「ロシアです」と言い直していました。ソ連の崩壊は、ロシアの民族主義高揚と一緒にやってきたんですね。ディランの奥さんそれからまた店内に戻ってきて、眉毛を描いたりしています。出発の準備だということらしいです。
2006.01.29
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朝日新聞の見出しに「過激派」の文字が踊っていた。パレスチナ人民の民意がハマスを支持しているという事実に不満なようだ。選挙の結果で多数を占める党派が「過激派」とは形容矛盾ではないだろうか。朝日は都知事選挙の結果に「極右」と書いてくれたかな。直接抗議の来ない外国のことだと、言いたい放題らしい。御立派なことを言いながら、お気楽な御用新聞ばかりになってもらっては困るわ。NHKじゃないんだから、
2006.01.28
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6月のウィンブルドン大会で名物となっているように、イチゴは夏の果物なのです。でも、隣町がイチゴ狩りを売り物にしていたりするので、私はどうも苺というと早春のような気がしてしまうのです。ところが、このごろは早くも一月から既にイチゴの季節になってしまっているようですね。「苺の季節」というと、なんといってもコールドウェルの短編小説です。初めて読んだのは、従姉が買っていた『週刊セブンティーン』か何かに載っていたのだと思います。『週刊セブンティーン』は1968年創刊だということなので、私は中学生になっていたのでしょう。石井いさみさんが挿絵を描いていたように記憶していますが、これは勘違いかもしれません。 →集英社:発展期その昔に新潮文庫で買った短編集がどこかにあるはずなんですが、そんなに都合よく発掘できるはずもありません。原文"The Strawbery Season"がデジタル化されてないかと探したけれど、だめでした。残念。「苺の季節」は、苺つみの季節労働に励む若者の一瞬を描いた小説です。女の子の襟元から背中に苺を落として、ブラウスの上からぺちゃんと叩いてつぶすといういたずらが流行っていたのですが、主人公の「僕」は女の子の胸元にそれをやってしまったというような話でした。中学生の私は、それにとってもドキドキしたんでしょうね。一時期は高校の英語教科書にも載っていたようですが、私が高校生の時に使った教科書は、それではありませんでした。
2006.01.27
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グッバイ・ザ・ディランII 歌が駆けぬけた! 69-74――糸川燿史写真集シングル「島人ぬ宝」と一緒に注文を出しておいたのが、糸川燿史さんの、この写真集。amazonでは1500円を超えないと、送料を取られてしまうのですよ。1974年に『プレイガイドジャーナル』別冊「ぷがじゃまがじん」第一弾として刊行された本の増補復刻版です。1974年11月30日、大阪中之島公会堂で開かれたザ・ディランIIのラストコンサートをフィナーレに、当時の関西の熱い文化が焼き込まれています。1969年の「ハンパク(反戦のための万国博)」や1970年の国際反戦デーの写真に始まり、喫茶店「ディラン」、26号線、春一番やフォークジャンボリーといったイベント。もちろん若き日のまさじさん、恭蔵さん、永井洋さん、風太さん、友部正人さん、中川五郎さん、イサトさん、加川良さん、渡さん……。黒テントや劇団日本維新派といった劇団や舞踏の写真も多くて楽しいです。----------------------------------------------- すべては「ディラン」からはじまり、 そしてぼくは、そこから飛び立った。 あれから30年。 ぼくは唄うことをやめなかったし、 糸川さんは撮ることをやめなかった。 それは互いに、 自分の心の景色を見つけだすための旅だったからか。 ──大塚まさじ-----------------------------------------------
2006.01.26
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今日(1/25)の東京新聞芸能ワイド面のコラム「言いたい放談」は、「スチャラカ社員」や「てなもんや三度笠」の時代からテレビ番組の名プロデューサーとして知られた澤田隆治さん。私はライブドアの捜査から幹部逮捕の際に繰り返して流された映像をなんだか変だなあと眺めていたのだが、澤田さんもそのことを指摘している。-----------------------------------------------……それまで「時代の寵児」と持ち上げていたテレビは、同一人物の映像を使い、一転してたたく論調のナレーションをつけて放送している。 時間に制限のあるテレビでは、弱点をカバーするためのやむをえない手法なのだが、私は戦後のニュース映画が、戦時中の映像を、戦争犯罪の動かぬ証拠として使っていたのを思い出し、この手法に強い違和感を覚えた。-----------------------------------------------昨年末の株主総会後の忘年会を撮った映像。オウム真理教事件の報道で使われる、選挙運動のステージ映像と、何とよく似ていることか。当然ながら視聴者には、ライブドアという企業が、オウム真理教と似た組織だったという印象が刷り込まれていく。もとより、オウムとライブドアの類似点などいくらでも簡単に見つかる。ただ、そんなことをして遊んでも、あまり意味のある結論が出たりするものではない。分析に意味があるとすれば、それはテレビのあり方を検証するということになるのだろう。 →偽善への自由
2006.01.26
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めずらしくシングルCDを買いました。BEGINのMAXIシングル『島人ぬ宝』。いい曲ですね。でも、実は2曲目に入ってる「波」が聴きたかったのです。どんとの曲。 ♪ 波に抱かれて 島の唄を唄へば ♪ ホロホロ涙が こぼれおちる ♪ ここはお国か 波の音もなくて ♪ 叫んでみたけど 届かぬ想い ♪ お~い お~い お~い 波 ♪ お~い お~い お~い また ♪ お~い お~い お~い 波 ♪ 答へておくれ3曲目はあのものすごく長いタイトルの曲です。「それでも暮らしは続くから 全てを 今 忘れてしまう為には 全てを 今 知っている事が条件で 僕にはとても無理だから 一つづつ忘れて行く為に 愛する人達と手を取り 分けあって せめて思い出さないように 暮らしを続けて行くのです」勝手に改行を入れてしまいましたが、これがタイトルです。歌詞の方がずっと短いのです。
2006.01.26
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ユダヤの民族記を聖典とする一神教の世界では、洪水に神の意志といったイメージがつきまとうのでしょうか。サン・パイは椅子にニス(varnish)を塗っています。周囲が汚れないように、新聞紙を広げています。-----------------------------------------------"That's a weapon," he said, pointing to the newspaper. "I just use it to protect my floor. It's a weapon in the hands of bad people. Miserable devils. They don't know beans." 「そいつは武器だ」と、新聞を指さしながら言った。「俺は床を汚さないように使っているだけだ。悪い奴らの手に渡れば、武器になる。みじめな悪魔だ。知恵なんてまったく持っちゃいない」----------------------------------------------- →あの映画のココがわからない:市民ケーンサン・パイの言葉はいちいち含蓄があるように聞こえます。だからディランもよく覚えているのでしょう。-----------------------------------------------"There's no equality down here. Some of us are special. Some of us are aren't. Some down here are tougher and smarter than others, some are less weaker and less wise. Can't help it. can't help how you're born."「この現世には平等なんてものは存在しない。特別な連中もいるし、そうではない連中もいる。他の者より強くて賢いのもいれば、弱くて賢くないのもいる。それは仕方がない。そういうふうに生まれるのは、仕方がないことなんだ。-----------------------------------------------さらに医者や、病気になる者、工員、統治者、大工、弁護士、こんな職業を挙げて、人間の不平等なることを弁じます。「この世で善なることなんて、もうすべて行なわれてしまったのかもしれない」と、妙に悟ったような言葉の後で、突然ブルース・リーの名前を挙げます。ブルース・リーは悪党を全部やっつけたのだそうです。-----------------------------------------------Sun Pie was one of the most unique characters, the kind of guy who would be a center of a procession in a parade, or maybe he'd be the nucleus of a mob.サン・パイは最高に珍なる人物であった。パレードの行進の中心にいるか、あるいは暴徒の中心人物であるかもしれない、そんな類いのやつだった。-----------------------------------------------ディランはサン・パイの与太話をとてもおもしろがっています。ただいまp.208です。
2006.01.25
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帰るべき時が来たと言いながら、サン・パイとの対話が続きます。-----------------------------------------------"There used to be racetracks and stables around here," he said. "A hurricane came through about a hundred years ago, water twelve feet high. Two thousand people gone -- lost their lives. When the storm comes, you beg the Master, 'If you just keep me from gettign killed, I'll do anything you say.'"「昔はこのあたりに競馬場と厩舎があったんだ」と、彼は言った。「百年ほど前にハリケーンが来て、水位が12フィートも上がった。二百人の人がいなくなった……亡くなったんだ。嵐が来たら、主に祈るんだ。『死なずに済んだら、おっしゃることは何でもします』」-----------------------------------------------実際に昨年のニューオーリンズの惨状を知っているので、このサン・パイの言葉が重く感じられます。-----------------------------------------------"Whom the Master wishes to kill, the Master kills."「主は殺したいと思った者を、殺す」-----------------------------------------------サン・パイは祈るしかないと言うのですが、でも、あれは人災だったのではないでしょうか。行政がきちんと対処していれば、かなりの人数の命が救えたことでしょう。私は小さな頃、狩野川という川の近くで暮らしていました。狩野川台風という有名な台風は記憶にないのですが、橋桁に水死体がひっかかたりしていたそうです。その翌年の伊勢湾台風を最後に、日本では大規模な台風災害はなくなったということです。治水や防災体制が整ったからですね。 →[狩野川台風]私も狩野川の氾濫が一度だけ記憶に残っています。以前書いたことがあると思いますが、近くの神社に避難して、一夜を明かしました。逃げて行く時、既にどぶがあふれていました。社務所のようなところに泊まったのですが、鳥籠にカナリアがいたことを覚えています。夜が明けると、空はもう晴れているのですが、国道一号線が川のようになっていて、ゴムボートで行き来している人達がいました。たぶんまだ買って間もないテレビが水に浸かったので、基盤をむき出しにして縁側で乾かしました。父や母が買っていた文学全集も水に浸かったので、乾かしたはずです。今も、その痕が本に残っています。ただいまp.207です。
2006.01.24
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♪ 烏 なぜ啼くのさすがにこの頃は、この後に続けて「カラスの勝手でしょ」と歌う子はいなくなったのだろうか。もちろん「山に 可愛い七つの 子があるから」カラスは啼くのだ。この「七つ」がどうにも不思議だった。「七羽」と歌ってくれれば疑問はなかったのだが、「七つ」はどうも子の数え方として抵抗があった。七羽というのも、カラスの子としては数が多過ぎるように思った。で、ふと思いついてGoogleで検索したら、一発で疑問が解けたのです。すげえな、クッキー・モンスター。 →七つの子「カラス」で検索すると、トップに来るのは「カラス研究室」というサイトです。とにかくカラスに関しては何でも教えてくれそうですごいです。 →カラスの研究室写真入りでカラスをシチューにして食べてしまうところまで載っていました。ついいろいろと仮託したくなる存在だけに、少し悲しいです。 →「カラスのきのこシチュー」カラスはうちのヒナ(♀猫 10歳)より賢いんだよなあ。明烏、闇夜に烏、鷺を烏、八咫烏、曇り硝子、声を嗄す、尾羽打ち枯らす、マリア・カラス……。
2006.01.24
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私が普段使っているブラウザ(Mozilla Firefox)はクッキーが大好きで、毎日たくさん食べています。アクセスしたサイトが、がんがん食わせてくれるのです。もちろんMicro$oftのInternet Explorerも同様にクッキーが大好きで、たとえば、Windows XPで楽天広場にアクセスすると、[c:\Documents and Settings\gensenkan\Cookies]という場所に、[gensenkan@plaza.rakuten.co.txt]なんて名前のファイルを勝手に作ってしまいます。[gensenkan@plaza.rakuten.co.txt]の中を覗いてみると、接続IPの他にわけのわからない数字がたくさん並んでいます。食らい込んだクッキーは、サイトの方から要求されると、また吐き出すことになっています。このクッキーのおかげで、アクセスする度いちいちパスワードを入力しなくても、ログインした状態を続けていられるのです。Googleで検索をすると、その度に同様なクッキーを食わされます。Googleのクッキー[gensenkan@google.txt]の中には、[ID=][TM=][LM=][S=]などという情報が、数字で記録されています。Googleはこの情報を蓄積して、何かに使うのでしょう。自分のPCの中に勝手な情報を蓄えたり、それを読み込んだりされるのは、あまり気持ちの良いものではありません。そこで、私は毎日クッキーを消去することにしています。Firefoxの場合は消去が簡単にできるようになっていますし、ブラウザを終了する度に消すという設定にもできます。Micro$oftのInternet Explorerを使っている人は平気でクッキーを食いまくって腹一杯になっていることが多いようですが、なるべく消しておいた方がよろしいかと存じますよ。老婆心ながら。
2006.01.23
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困ったなあ。ニューポート・フォーク・フェスティバルのDVDが欲しいんです。amazonで検索したら、日本盤(リージョン 2)が4935円(悪税&送料込)。楽天市場で検索すると、「い~でじ!!」で3944円(悪税込 送料別)。2割引で「い~でじ!!」の方が安いじゃん、なんですが。さらにamazonで検索すると、輸入盤(リージョン 1)なら1815円(悪税&送料込)なんですわ。半分以下。これでは考えてしまうなあ。"No Direction Home"も輸入盤で買ってあることだし、どれか一台のPCのDVDドライブをリージョン1に変更するか。それともリージョンフリーのDVDプレイヤーを購入するか。ヤフオクで検索したら、数千円で買えるみたいなんだよなあ。でも、あんまりプレイヤー増やしたくないんだが。 →DVDプレーヤー & リージョンう~ん。う~ん。
2006.01.23
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昨日のニュースで一番驚いたのは、大学入試センターの記者会見だ。「ICプレイヤーの不具合の申し出はゼロだと思っていた」50万台ものICプレイヤーの再生にまったく不都合が起こらないなどということがあるのだろうか。機器の初期不良、操作ミス、外部の騒音。数百人の申し出で済んだのは、むしろ僥倖と言ってもいいのではないか。元々問題の本質は、まともな入試問題を作れない大学が増えたことにある。作れないんだったら、試験をしなければいいだけだ。でも、もちろんそんなことにはならない。大学入試センター試験という制度は、大予備校が支えているシステムだ。センター試験実施後に各予備校が発表する「ボーダー予想」なしでは、国公立大学の入試は成り立たない。大学入試センターなんぞ行政改革でなくなってもおかしくない組織なのだが、そんな動きはまったくない。原子力発電所。東京証券取引所。大学入試センター。どうしてこうも簡単に巨大システムの無謬性を信じることができるのか。
2006.01.22
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本を職場の引き出しに置き忘れていたので、"CHRONICLES"を読むことができないでおりました。お話を忘れてしまいましたわい。サン・パイはディランに尋ねます。「あんたはお祈りをするんだったな。何を祈るんだ? 世界のために祈るのか?」「自分がもっと優しい人になれるようにって」ディランは世界のために祈るなんて考えたことはなかったそうです。-----------------------------------------------There was still a light drizzle outside, and you could hear it softly on the tin roof. New Orleans was beginning to pull on me and I was feeling the weight of the line.外ではまだ霧雨が降っていて、トタン屋根に当たる音がかすかに聞こえた。ニューオーリンズが僕を引っ張り始めたので、その綱の重さを感じていた。-----------------------------------------------ラジオからは"Sea of Love"が聞こえてきました。"Sea of Love"は検索するとHoneydrippersばかりヒットしてしまうのですが、元々は50年代のヒット曲のようですね。ほお、同名の映画では、Tom Waitsが歌ってるんですか。知らなんだ。 →SEA OF LOVE: Phil Phillips & The Twilights [音量注意!]効果音としてぴったりの曲です。ディランは、どこかに流されていたのが、また戻る時が来たように感じたそうです。録音に戻らなければならない時が近づいてきたのです。張り詰めて疲れきったディランの精神は、休養をとることができたのでしょうか。
2006.01.22
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本館へのコメントで、なもさんが「必勝合格 ダルマサイダー」を教えてくださいました。 →必勝合格 ダルマサイダーホームページに行くと、社長さんが「遠州森町に祀られている由緒正しき天神社で」神主さんに祈願してもらっている画像があって、かなり笑え……ごほん、楽しいです。これは買わなくては。ということで買ってきたのが、下の画像です。一緒に「ハイレルモン」も仕入れてきましたぞ。
2006.01.21
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ひどい話やなあ。米国産輸入牛肉。やっぱりなあ。危うく「貧乏人は肉を食え」になるところじゃった。なになに?小泉政権の経済改革が「所得格差の拡大を加速」させている?小泉政権の経済改革が「生活保護世帯の増加や自殺者の増加」を招いている?小泉政権の経済改革によって「低所得者層の教育機会が奪われて」いる?そんなのは見かけ上の問題だ。と、内閣府の連中が言ってるそうな。古代ギリシャの奴隷のことを思い出したぞ。巧みな動物寓話によって奴隷の心掛けを説いたおかげで、奴隷の身分から解放されたイソップという男のことだ。欲を出してはいけない。今ある物に満足して、マジメに働きなさい。 ♪ そうだよ! ♪ 今いる所が一番いいのさ ♪ オレのこと聞いてりゃ まずまずさ!? ♪ お役人だってテレビで いってたよ! 銭がなけりゃ/高田渡もっとも、イソップも最期は市民たちに殺されたようだがね。
2006.01.21
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父さんが最期に使っていたのは、茶色い革の鞄だった。あれは精一杯の贅沢品だったのだろう。現実に耐えられなくなると、父さんはその鞄を持っていなくなった。山の中の温泉地や、大空襲のあった海軍工廠の町。半世紀近く前に何かを見た場所に、父さんは現われた。思い出と、壊れた夢と、幻と。そんなものを拾っては、鞄に入るだけ詰め込んでいたのだ。他の者にとってはがらくたでも、それを入れる鞄はとびきり上等なものでなければならなかったのだろう。最期の父さんの茶色い鞄は、古い宝箱のような形をしていた。
2006.01.20
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あの頃、父さんは黒い鞄を持って会社に出かけていた。警備の仕事をしていたので、夜勤明けには雨戸を閉めて寝てしまう。鞄は入り口の外の壁に立てかけてある。父さんが眠っている間は、黒い鞄もじっと休んでいる。僕は小学校から帰ると、その鞄に土産が入っていないか覗く。屑菓子が入っていたりするのは、会社に何か物売りが来ると、すぐにかわいそうだと言って買ってしまうからだ。会社に書店の外商の人が来るようになり、創刊されて間もない「週刊少年キング」も持ち帰るようになった。わくわくしながら、雑誌が入っていないか確かめる。毎月刊行される国民百科事典、吉川英治全集。出張をした時は、大人が読む週刊誌も入っていた。タバコのにおいのしみついた、安物の黒い鞄。今思えば薄い鞄なのだが、中が何層にも分かれて、それがいろいろな世界に繋がる入り口のように見えたっけ。
2006.01.20
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♪ あなたは 昭和のサムライよ何の歌かわかりますか?受験浪人のことを歌ってるんです。1975年の曲で「昭和のサムライたち」。歌っていたのは中沢厚子さんで、作詞が松本隆さんです。中沢厚子さんはELECから「いつかある日」などを出していた、きれいな声の正当派フォークともいうべき歌い手さんでした。吉田拓郎さんと「男の子女の娘」をデュエットしている人といった方が、わかりがいいかもしれません。中川五郎さん&高石友也さんの「受験生ブルース」といい、「昭和のサムライたち」といい、当時の深夜放送は受験生文化だったんですね。ナッチャコ(野沢那智&白石冬美)パックには、「早稲田の星」という常連投稿者がいましたっけ。この人は結局立教大学に進学したのだったと思います。中沢厚子さんのファーストアルバムが復刻されるようですが、残念なことにこの曲は入っていません。「昭和のサムライたち」はメジャーデビュー後に出たのでしょう。なぜこんなことを思い出したかというと、受験生向けゲンかつぎのお菓子を買ってきたからです。すごいですよ。おやじギャグのオンパレード。「キットカット」はもう別格のようです。試験に「ウカ~ル」木から落ちない「コアラのマーチ」「さくらさく! コーラ縁起が いいよかん」は、3種類のキャンディです。今週末はセンター試験なんですね。アタシらのころ、そんなものはありませんでした。ま、とりあえず。がんばれ、受験生!
2006.01.19
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サン・パイは自説を展開します。「中国人」は仲間割れを起こしていたので、簡単に白人に征服されてしまった。今また「中国人」がやってくる。それは戦争という形ではない。そのうちペルーあたりまで、「中国人」だらけになってしまう。ラジオからはデール&グレース(Dale and Grace)の"I'm Leaving It Up To You"が流れています。1963年のヒット曲だそうです。 →Dale & Grace - Sweethearts of the Sixties →I'm Leaving It Up To Youん~、ジャケ写真がすごいですなあ。MIDIはリンク切れが多かったのですが、ここなら聴けるようです。すごい曲数のオールディーズですな。ディランの曲も5曲置いてありました。さて、どの曲でしょうか。 →Gecadero's Midi Sequencingディランはサン・パイの顔をどこかで見たような気がするのですが、思い出せません。ゆっくりと話すのに、なぜか騒がしい感じがする話し方なのだそうです。サン・パイの黄禍論もしくは失地回復論を読みながら、ウカマウ集団の映画を思い出しました。 →第一の敵ただいまp.206です。
2006.01.18
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学生時代、帰省すると家に妙な食品があった。NASAの宇宙食云々という能書きの保存食品。東海大地震に備えろと、のんびり市が半ば強制的に買わせたものだ。ヘルメットや懐中電灯はともかく、こんなジャンクを高い値段で、ずいぶんひどい商売をするなと思った。今日の東京新聞「筆洗」は珍しく一商品の話に終始している。非常用品の持ち出し袋は不便なので、ジャケットにポケットをたくさん付けてそこに非常用品を詰め込んだという「防災ジャケット」。袖を取り外して避難靴に転用するというアイデアは、確かに秀逸だ。名前は「ノイエバイタル」で、紐を引けば救命浮袋になるのが、「2型」。「筆洗」に開発した方の電話番号が載っているのも異例。なんとなく楽天市場で検索したら、ちゃんと売っていた。しかし、「ノイエバイタル」が21,000円(悪税・送料込)で、「2型」が37,800円(悪税・送料込)は、ちょっと高いなあ。このお店を見ると、「ノイエバイタル」の収納キットだけだと特別価格5,775円(悪税込・送料別)。私は元々ポケットの多い上着や鞄が好きなので、そういうポケットに詰められるだけ詰め込んでおけばいいのかな。 →「着る」非常持出袋ノイエバイタルV1 →「着る、非常持出袋」ノイエバイタルV2
2006.01.17
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今年もまた1月17日がやってきた。それはまた明日、突然やってくるのかもしれない。瓦礫の中で助けを求めて、焼け死ぬのは私だ。疲れきって仮設の中で孤独な死を迎えるのは、私の母だ。1月17日とは、そういう日なのだ。暮れに沢知恵さんのアルバム『わたしが一番きれいだったとき』を注文した時、一緒にマキシ・シングルの『死んだ男の残したものは/満月の夕』も購入した。そう、「満月の夕」が聴きたかったのだ。この人は情感がこもると、日本語と朝鮮語がまざったような発音で歌う。神戸の震災を歌うにはぴったりかもしれない。歌詞はヒートウェイヴ版の方だった。 →満月の夕:ヒートウェイヴ版歌詞 ♪ 夕暮れが悲しみの街を包む ♪ 見渡すながめに言葉もなく ♪ 行くあてのない怒りだけが ♪ 胸をあつくする ♪ 声のない叫びは煙となり ♪ 風に吹かれ空へと舞い上がる ♪ 言葉にいったい何の意味がある ♪ 乾く冬の夕私の場合、「満月の夕」はSOUL FLOWER WITH DONAL LUNNY BANDのアルバム『MARGINAL MOON』でおなじみ。 →マージナル・ムーンソウル・フラワー版の歌詞はnonkey37さんのところにありました。 →満月の夕 / ソウル・フラワー・ユニオン他にもガガガSP、平安隆さんや酒井俊さんが「満月の夕」をシングルで出しているようだが、まだ聴いたことがありません。1 死んだ男の残したものは(谷川俊太郎:詩/武満 徹:曲) 2 満月の夕(山口 洋、中川 敬:詞/曲) 3 ここにも(沢 知恵:詞/曲)
2006.01.17
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有名公園でブルーズを弾き語りするBroom Duster KANさん。なんといっても聴いてる人を明るくしてくれるのがいいな。ひとりひとりの前まで行って歌ってくれたり、決めポーズも楽しい。サービス曲みたいなのが「テネシー・ワルツ」。これをやると、御年配の方が集まってきて手拍子打ったり、うっとりしたり。それぞれいろんな思い出があるのかもね。我々にとってはオリジナルが江利チエミさんみたいなものなので、カタカナ読んだような日本語式の発音も、とてもしっくり来るのだ。KANさんの場合は「with my darlin'」のところを、「with my baby」と歌う。 →Tennessee Waltz - Patti Page →テネシー・ワルツ(Tennessee Waltz)以前CDを買いそこねたので、今回はしっかり買ってきた。演奏の合間に、店開きしているCDを手にとって千円札壱枚也を置くと、KANさんが「元気だった?」あら、ちゃんと覚えていてくれたんだ。「インパクトあるから」え?アタクシのビジュアルですかい?そんな……。1. Amamian Boogie2. Baby Please Set A Date3. Good Morning Blues4. Got My Mojo Working5. Look On Yonder Wall6. Cross Road Blues7. Sho' Nuff I Do8. Tennessee Waltz9. Mr. Bojangles(Part-2)
2006.01.16
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Mozillaのメーラー、「Thunderbird 1.5 日本語版」が正式リリースされてますね。早速バージョンアップしましょう。 →Thunderbird 1.5 せっかくだから、ブラウザもFirefoxにしてはいかがですか? →Firefox 1.5
2006.01.15
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テレビをつけたら、BEGINの比嘉栄昇さんがCMに出ていた。ああ、暖かいところはいいなあ。一五一会を弾いている。違うな、ちょっと小さくて丸い。普及版の音来(にらい)かな。CMのサイトを見て驚きました。あれは「カナイ」だそうです。 →『海辺のドラフトワン』ところが、Googleで検索しても、まだそんな楽器は売っていないようです。音来はいつのまにかいろいろなバージョンができたようですが、「カナイ」は売っていません。結局、BEGINファンの方のブログでやっと見つけました。 →沖縄ヲ思フファンクラブの会報に載っていたそうです。なんとまあ、「一五一会の赤ちゃん、奏(かない)誕生」なんですね。-----------------------------------------------この奏の特徴は、(1)見た目にも柔らかな卵形の小さなボディであること、(2)ヘッドの裏に半球型の"かかと"がついているため床に置いてもネックが水平になり、そのままでも弾けること、(3)手に優しいガット弦を採用したこと(一五一会や音来はスチール弦)、という3点が挙げられます。画像でお伝えできないのが残念ですが、とにかくカワイイ楽器です。-----------------------------------------------うう。気になります。また欲しくなっちゃいそう。今夜はひさびさに一五一会でちょっと夜泣きです。
2006.01.15
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-----------------------------------------------The Beatles blasted away. Sun Pie put down his tools. Behind the man, there were double screen doors that swung optn to the bayou. ビートルズが吹きやんだ。サン・パイは道具を置いた。その後ろには観音開きの網戸があり、入り江(バイユー)に向かって開かれていた。-----------------------------------------------サン・パイは船の修理もやっていたそうです。何でも屋さんなのね。お、ディランの奥さんが店に入ってきました。退屈したんでしょうか。サン・パイはそちらをちらりと見てから、ディランに話しかけます。「あんたはお祈りをするかい?」「うん、まあ」「それならいい。中国人が占領したら祈らなければならない」おやおや、これは唐突です。「ここは最初中国人がいたんだ。あいつらはインディアンだ。赤人な。コマンチ、スー、アラパホ、シャイアン。みんな中国人なんだよ。キリストが病人を癒していたぐらいのころに、ここへやってきたんだ。女も酋長も、みんな中国から来た。アジアからアラスカを通って、歩いてきて、ここを発見した。ずっと経ってからインディアンになったんだ」先住民の話だったんですね。ベーリング海は昔陸地だったと聞いたことがあるからその話は本当かもしれないと、ディランは納得しています。最初は人種的偏見を煽る話かと思ったら、そうではないんですな。なんだかおもしろそうだと、ディランはサン・パイの話に引き込まれます。 →インディアンの歴史と現在を知る文献ただいまp.205です。
2006.01.15
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幻泉館サーバが停止してヒヤリとしたのですが、結局また順調に動いております。13日の金曜日だったから?ンなわきゃないわな。健気に動く古いノートPCがかわいいので、ちょっとバックアップを取ったり、ログを眺めたりしておりました。この6日間。ひどいなあ、毎日「タリウム+顔写真」や「差別+部落+どこ」という検索語でいろんな連中が飛んで来ます。被差別部落の地名を知りたいという輩が増えています。たとえば「北九州」といったように、地域を特定する検索語を付けていることも多いです。これからは「差別+部落+どこ」で来た連中はIPを公開しようかしら。別に個人情報じゃないよな。ブラウザが勝手に垂れ流してる情報なんだから。 → [差別+部落+どこ] #2防衛大学校から、「昭和維新の歌」を調べに来てますな。これは由々しきコトですぞ。こんな非国民のサイトで「昭和維新の歌」を学習するなんてのは情けないですが。これは珍しく真っ昼間のお客さん。 →昭和維新の歌今週は茨木のり子さんの「わたしが一番きれいだったとき」を検索してやってくる人が多かったようです。アクセス数ベスト1はこれ。 →ピート・シーガー「わたしが一番きれいだったとき」高田渡さんに関する検索で飛んで来た人も多かったようです。毎日数人の方が訪れる感じ。 →高田渡「ブラザー軒」 →高田渡「火吹竹」(1973年) →高田渡生誕会57なぜか今週多かったのが、次のようなもの。テレビで何かやったんでしょうか。 →NHKスペシャル『こども・輝けいのち(1) 「父ちゃん母ちゃん、生きるんや」~大阪・西成 こどもの里』 →オキナワの少年:1970 ぼくたちの青春 →ヤシカ エレクトロ35(1966年~1975年) →平田弘史『血だるま剣法』ディランや拓郎さんに関しては、いつもコンスタントに検索サイトから飛んできます。 →ゲンセンカン主人 / MASKED AND ANONYMOUS →「ペニーレーンでバーボン」(1974年)他に「東へ西へ」や「夢は夜ひらく」といった、曲名をタイトルにしたものは訪問者が多いようですね。そうか、アクセス数を上げたければ、やっぱり有名曲をタイトルにした方がいいのか。あ、お雑煮関係や「花より団子」も、まだまだ結構な数の人が検索してやって来ます。 →雑煮自慢 →花より団子
2006.01.14
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→[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]サン・パイの店で流れていたビートルズは、"Do You Want To Know A Secret?"でした。1963年のアルバム"Please Please Me"に入ってますね。 →Do You Want To Know A Secret? →Do You Want To Know A Secret? : MIDI →Do You Want To Know A Secret? : Lyrics-----------------------------------------------They were so easy to accept, so solid. I rememberd when they first came out. They offered intimacy and companionship like no other group. Their songs would create an empire. It seemed like a long time ago.ビートルズはとてもわかりやすくて、すばらしい。僕は彼らが最初に登場した時のことを思い出した。他のグループにはまったくなかった親近感や仲間意識を提供してくれた。ビートルズの歌は帝国を創り出す。ずっと昔のことのようだった。-----------------------------------------------この時には、もうジョンは亡くなっています。確かにずっと昔のことでした。ビートルズやディランが歌を変えてしまったのですから。ディランは"Do You Want To Know A Secret?"のことを、「完璧な出来の、50年代風の元気なラブバラッド(a perfect '50s sappy )」だと書いています。そして「ビートルズ以外には誰にもこんな歌を作ることはできない」と。元歌は「白雪姫」なんですね。知りませんでした。 →いろんなとこからパロディ
2006.01.14
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【追記】今回はファイルシステムの修復で誤魔化すことができました。一応復旧しました。Linuxは強力です。ただ、元々Windows98で動いていたマシンなので、そろそろ寿命が近いようです。画像倉庫代わりに御利用の方は、早目にデータのバックアップをとっておいてください。幻泉館サーバ機のハードディスクが壊れたようです。緊急メンテナンスに入りますので、しばらく繋がりません。新しいサーバを立てるので、今夜中には無理かもしれません。
2006.01.13
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この店の主人はサン・パイという名の年配の男(old-timer)でした。顔立ちはスラブ人のようだったと書いてあるのですが、どうにも中国系の老人を想像してしまいました。いかんなあ。 →怪人フー・マンチュー博士 →The Fu Manchu Chronology全然フー・マンチューとは違うんですよ。でも、なんだかそんな容貌を想像してしまったのです。ディランの描写によれば、顔は浅黒いけれどスラブ系の顔立ち、そして背が低く筋張った身体で、豹のようだったそうです。上が平らな麦わら帽子をかぶっています。きっと会ってみたくなるような、風変わりな人物だとディランは言っています。外でバタバタやっていた若い娘は女学生のように見えたそうですが、実はこのサン・パイの奥さんだったそうです。ゲゲッ。怪人サン・パイは、椅子を直しているところでした。まるで大聖堂から持ってきたような、背の高い椅子です。一旦分解して、一部分が接着して締めつけてあります。六角柱型の脚にサンドペーパーをかけていました。「釣りの穴場を探してるのかい?」「いや、バイクで通り掛かっただけ」こんなふうに対話が始まります。外に停めた年代物のハーレーを見て、怪人サン・パイは自分も以前似たようなのに乗っていたと言います。「とってもいいものがあるから見ていきなよ」-----------------------------------------------There were posters displayed, one of Bruce Lee, another of Chairman Mao. Behind the counter taped to the mirror was a wide, framed photograph showing the Great Wall of China. On the other brick wall was a jumbo sized American flag.ポスターも飾ってあった。ブルース・リーのポスターに、毛主席のポスター。カウンターの後ろの鏡には、万里の長城を写した枠付きの写真がテープで留めてあった。その反対側の煉瓦の壁には、特大のアメリカ国旗があった。-----------------------------------------------やっぱり奇妙な店です。ラジオからは、ビートルズの曲が流れています。そういった60年代の曲をかける局に合わせてあるのでしょう。ただいまp.204です。
2006.01.13
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アマゾンから友部さんのアルバムが届きました。今年最初のCD購入。昨年の11月に出たアルバムなんですが、なんとなく延ばし延ばしになっていました。「ニレはELM」と「Speak Japnese, American」は、昨年の「春一番2005」の三日目に聴いた曲です。 →[春一番 第3日]去年の春一番は、渡さんを「送る会」みたいでした。アルバムに入っている「朝の電話」は、渡さんが倒れてからの歌です。 ♪ 君が倒れたって聞いてから ♪ 朝の電話が怖かった倒れて12日後、やっぱり朝の電話で、渡さんの訃報を聞いたそうです。お葬式の日が来て、友部さんは渡さんにさよならと言います。 ♪ 棺が霊柩車に納められ ♪ 誰からともなく拍手がおきた ♪ 君はまだそこにいる ♪ 君はまだそこにいるボーナストラックということで「Speak Japanese, American」の別バージョンが最後に入っていますが、この「朝の電話」という曲でアルバムが終わっていた方が良かったなと思います。友部正人/Speak Japanese,American1. Speak Japanese,American2. ニレはELM3. おやすみ12月4. 鎌倉に向かう靴5. トランペットとトレイン6. 楕円の日の丸7. 悲しみの紙8. 朝の電話9. Speak Japanese,Amarican(別ヴァージョン)
2006.01.13
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昔、こんなジョークがあった。-----------------------------------------------1981年、バチカンのサンピエトロ広場でローマ法王ヨハネ・パウロ2世が暴漢に狙撃されたとき、世界中にKGB関与説が流れた。ソ連政府はこの噂を否定するために調査委員会を設置、厳正な調査を実施して結果を発表した。「事件は、法王が先に発砲した」 -----------------------------------------------このジョークの元ネタとなった狙撃犯が出所するというニュースがあった。法王狙撃事件での服役はイタリアで既に終わっており、別件でイスタンブールの刑務所に服役していたのだという。彼が本当に「知りすぎた男」なのかどうか、わからない。トルコ政府は、なんとしてもこの男の生命を守らなければならないのだろう。大変なこっちゃ。
2006.01.12
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「ツタンカーメン王博物館」に近づくと、土産物を売るような店でした。木造の建物は、ポーチの支柱が腐りかけています。店の前には野菜を積んだトラックが停めてあるのですが、もう一台50年代のオールズモビル・ゴールデンロケットが、草の中でブロックに載せて置いてあります。これはすごい車ですよ。レトロな未来。検索したら、おもしろいサイトがヒットしました。リンク先の下の方にある画像が、1954年のゴールデンロケットです。流星号みたい? →CB Pix 7-----------------------------------------------A young girl was on the balcony beating the dust off a rug, dressed in pink gymnastic tights, had long black oiled ringlets and a bath towel around her shoulders. The dust hung like a red cloud in the air. We went up the short steps and I walked in. My wife stayed outside on a wooden swing bench.若い娘がバルコニーで敷物の埃を払っていた。娘の髪は油っぽい長い巻毛で、運動用のピンクのタイツを履いて、肩にバスタオルを掛けていた。埃が赤い雲のように空に舞っていた。短い階段を昇り、僕は中に入った。妻は外で木製の揺れるベンチに座っていた。-----------------------------------------------どうにもやる気のない姉ちゃんが、くつろいだ恰好でバタバタ足拭きマットのようなものを叩いていたんですな。奥さんは中に入る気もしなかったのでしょう。でも、ディランは興味津々です。まったく男ってものは。そんな感じでしょうか。装身具(trinkets)、新聞、お菓子、手工芸品(handcraft items)。このぐらいならわりとまともです。手工芸品は湿原の草で編んだ籠で、それなりに手間をかけたもののようです。でも、陳列ケースには偽物の宝石(sham jewels)が飾ってあります。ヴードゥー教の青いビーズ(blue voodoo beads)や、カトリックの奉納用蝋燭(votive candles)も売っています。なんでしょうな、こりゃ。車のバンパーに貼るステッカー(bumper sticker signs)もあります。「世界一のおじいちゃん(WORLD'S GREATEST GRANPA)」「沈黙(SILENCE)」「がんばれ(KEEP ON TRUCKIN')」ああ、なんだか十年ぐらい前の、うちの近所に似ているみたいです。東名高速道路のインターチェンジを降りてきた道が、がらんとした国道1号線バイパスと交差するあたりに、こんな店が多かったのです。もっと昔には、その辺りに「秘宝館」もありました。この店では、食事もできました。名物のザリガニ料理ですね。-----------------------------------------------There were hog parts hanging from hooks on the walls -- hog jowls, hog ears, make you wanna squeal.壁の鈎には豚の頬肉や豚の耳といった豚の部位がぶらさがっていた。(豚のようにキーキーと)悲鳴を挙げたくなる。-----------------------------------------------さすがに元ユダヤ教徒のディランは豚肉が苦手なようです。 →中島みゆき「夏土産」
2006.01.12
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春一番のスタッフ掲示板を覗いてみたら、山田仁さんという人の訃報があった。> 山田仁くんを知っている人も、> 名前はわからなくても> 「純白ワルツ」> 「赤パン」> 「サングラス」> 「オールバック(もしくは坊主)」> 「恐い風貌のはずなのに子どもになつかれてた」> 兄ちゃんと覚えている人も。え?あの人かな。思い当たる人がいます。そんな恰好で春一番の会場を歩き回っていたスタッフ。亡くなったんだ。やっぱり歌を歌っていた人だったんだなあ。彼の歌を聴くことはなかったけど、去年と一昨年の彼の姿を覚えています。ありがとう。 →Haruichiban-Staff Page →山田仁 LIVEレポート
2006.01.12
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アマゾンで「高田渡URC完全盤」という新譜を見つけた。発売予定日は2006/03/29で、ただいま予約受付中。未CD化のラジオ音源なども含んだ「URC音源コンプリート集」だそうだ。CD4枚組で、5250円(悪税込)ナリ。う~ん。楽天広場ではリンク張れません。
2006.01.11
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二人はアミーリアの近くまで下り、それから引き返します。レースランドの近くでガソリンスタンドに入ると、そこでディランはある建物が気になります。-----------------------------------------------Across a vacant field stood an obscure roadside place, a gaunt shack called King Tut's Museum and it caught my eye. After filling the gas tank, we rode slowly across the cow path to the side of the shack.空き地を挟んだところは道路傍がいいかげんな場所になっていて、そこにある貧相な小屋に「ツタンカーメン王博物館」と書いてあるのが、僕の目を引きつけた。ガソリンを満タンにした後、僕たちは牛の通り道のようなところを渡って、その小屋の脇へゆっくりと近づいた。----------------------------------------------- →Amelia, Louisiana →Raceland, Louisianaツタンカーメンですか。googleで検索してみると、ラスヴェガスに「ツタンカーメン王墳墓美術館(King Tut's Tomb and Museum)」があるそうです。え?違うの?テーマパークみたいなものなんですか?ラスヴェガスでも十分に怪しいです。観光地の純金風呂みたいなものかしらん。 →King Tut's Tomb at Luxorガソリンスタンドから見える「ツタンカーメン王博物館」、確かに気になります。掘っ建て小屋みたいなところにそんな看板が掛かっているんですよね。いったい何が展示してあるというのでしょう。私が学生の頃、故郷ののんびり市には「秘宝館」というものがありました。あそこには何が展示してあったのでしょう。なんといっても同級生の親が勤めていたりするので、気軽に入るわけには行かなかったのですよ。大学で三重県出身の友人に自慢したら、「なんなら~、秘宝館ならうちの方にもあるぞ~」と言われました。当時はあちこちの観光地にあったんですね。お!伊勢の秘宝館は今でも健在なようです。 →元祖国際秘宝館このサイトはすごいですね。トップページに行くと、他にもいろいろな秘宝館が載っています。 →ニッポンの歩きかた-----------------------------------------------日本の怪し気なスポットを、有名所として外国人に紹介するためにつくったこのページ。外国人に間違った日本を広めるのが本来の趣旨だったのですが、秘宝館マニアなページになってます。-----------------------------------------------おお、懐かしい我らがのんびり市の秘宝館も、その跡地が載っているではありませんか。さて、それでディランが見つけた「ツタンカーメン王博物館」とは、何だったんでしょうか。
2006.01.11
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改行して、翌朝の話に変わります。-----------------------------------------------Next day I woke up, felt like I had figured something out, why I wasn't feeling right about the recording sessions. Here's the thing -- I wasn't looking to express myself in any kind of new way. All my ways were intact and had been for years. There wasn't much chance in changing now. I didn't need to climb the next mountain. If anything, what I wanted to do was to secure the place where was at. I wasn't sure Lanois understood that. I guess I made it plain, couldn't put it in so many words.翌日目を覚ますと、何かがわかったような気がした。どうしてレコーディングのセッションに違和感を感じるのか。こういうことだ。僕はどんな新しいやり方ででも、自分を表現したいとは思っていなかった。僕の表現方法はまったくそのままだったし、もう何年もの間そうだった。今はそれを変えるような機会ではない。次の山に登る必要なないのだ。もし望むことがあるとすれば、それは自分のいる場所を確かなものにすることだった。きっとラノワはそのことがわかっていなかった。きっと僕はそれをはっきりと言っていなかっただろうし、多くの言葉を遣って説明することもできなかった。-----------------------------------------------ディランが片手を怪我する前に考え出したという、新しい演奏法の話などとは、矛盾するように思います。この人は、新しくデビューした歌手になったつもりだったのではなかったかしら。ディランはきっかけを見つけては、自分のやっていることを肯定しようとするようですね。夜の間ずっと雨が降ったりやんだりしていました。朝また降り出したので、宿を出るのは遅くなったそうです。-----------------------------------------------The sky was dull gray. We climbed back on the blue Harley and rode down around Lake Verret, riding on high trails, cruising by twisted giant oaks, pecan trees -- vines and cypress stumps down in the swamps.空はどんよりとした灰色だった。僕たちはまた青いハーレーに乗ってヴェレット湖の周囲を回って山道を上り、ねじれた大きな樫やペカンの木、それから蔓や糸杉の脇を走った。----------------------------------------------- →Lake Verret - Belle River →Group Tours Lake Verret on Spring Trip of Basin前日の描写に比べると、なんだかじめっとしてますな。
2006.01.10
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布団の中で寒いなあと思いながら、恐い想像をした。この辺りに大地震が来るぞと言われてもう三十年近く過ぎたのだが、不思議に直撃は受けていない。このまま来ないでいてくれるのだろうか。そういうものは、ある日突然来るのだろう。なるべく暖かくて天気の良い時に、などというものでもない。豪雪に埋もれながら、いいかげんな設計のマンションに暮らしながら、それでもこの日常が永遠に続くかのふりをしながら、私たちは毎日を暮らしている。ふと実朝の歌を思い出した。 時により過ぐれば民の嘆きなり八大竜王雨やめたまへ洪水による民の苦しみを思い、竜王に祈る歌だ。この歌は心に残るが、為政者としてはどうだったんだろう。彼にはどんなことができたのだろうか。 →青空文庫:「歌よみに与ふる書」正岡子規雪やめたまへ。私も祈るのだが、しかしいったい誰に祈ればいいのか。
2006.01.09
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結局夕方になって、ディラン夫妻はナポレオンヴィル(Napoleonville)の近くに泊まることにしました。この地名がよくわからないのですが、ニューオーリンズからは120kmほど離れているようです。東京からだと、ちょうどのんびり市へツーリングに行くぐらいの距離です。以前は大晦日から元旦にかけての夜といえば東京から二輪の大集団が押し寄せたものですが、いまはひっそりとしたものです。ディランは夜明け前に出発して、途中でのんびりと散歩をしたり、名物を食べようとしたりしてたどりついた感じ。オートバイの二人乗りでは、夕方には疲れ果てていたことだと思います。-----------------------------------------------It was a nice ride.-----------------------------------------------バイクを降りての感想です。二人は"bed-and-breakfast cottage"に泊まることにします。リーダーズ英和では、"bed-and-breakfast"だけで「朝食付き宿泊所」なる訳語が書いてあり、「民宿あるいは比較的低価格のホテル」という説明があります。まあ安ホテルなんでしょうが、ちゃんと台所も付いていたそうです。-----------------------------------------------I laid down, listend to the crickets and wildlife out the window in the eerie blackness. I liked the night. Things grow at night. My imagination is available to me at night. All my preconceptions of things away. Sometimes you could be looking for heaven in the wrong places. Sometimes it could be under your feet. Or in your bed.僕は横になって、窓の外の不気味な暗闇から聞こえてくるコオロギや野性動物の声に耳を澄ませた。夜が好ましかった。ものは夜に育つ。僕の想像力も夜になると使える。すべての偏見が消え去る。人は時に誤った場所に天国を探す。それは足の下にあることもある。ベッドの中にあることもある。-----------------------------------------------ただいまp.202です。
2006.01.08
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元旦にヤフオクで渡さんのライブ・ビデオを見つけた。1993年のビデオで、『グラス・ソングス grass songs』。ほ、欲しい……。500円スタートで、終了は1月7日の午後11頃。様子を見ようと思っていたら、さすがに最終日はするすると入札価格が上がり始めた。結局2万7千円ナリ。あはは。またいつか見れるさ。
2006.01.08
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楽天広場のサーバが調子悪いようですね。記事を投稿してからその結果が反映されるまで、ずいぶん時間がかかるようです。幻泉館サーバは、BLOGのシステム「Movable Type」をバージョンアップしてから、速度がずいぶん落ちてしまいました。2002年にはもうWindowsが重くなってOSをLinuxに変えたぐらいですから、パワーが足りないのでしょう。機会があったら、XPも動いていたThinkPadの旧型機にサーバを変えたいと思います。でも、2002年からずっと休まず働いているこいつは、実に偉いやつです。一度お茶をこぼしてダウンしましたが、すぐに復活したのですからたいしたものです。さて、年末年始のアクセスログを眺めてみました。幻泉館本館や、ミラーのブログにどんな人がやってきたかわかります。普段のお客さんが減って、代わりにGoogleやYahoo!で検索してやって来る人が多かったようです。中学生や高校生が冬休みだったせいもあるのでしょうか。気になったのは、毎日「部落」+「どこ?」のような検索語でやってくる人達が増えていることです。「Yahoo!検索」の場合、「部落」+「どこ?」で検索すると、幻泉館本館のページがヒットします。 →[差別+部落+どこ]その後に続くのが、こんなところです。 →徳島県ってどこが部落なの??? →被差別部落ってどこにあるの? →部落民って何?浜松の地区はどこ?Googleでは、この掲示板群はこんな上位には来ません。いずれも匿名で投稿できる掲示板で、差別意識が剥き出しとなった書き込みが多いですね。「部落差別なんてもうないのだから、同和行政は逆差別であり、けしからん」という内容の差別援護射撃も多いのですが、差別的な書き込みと矛盾しているのだから、実にお馬鹿さんです。ここで私が「お馬鹿さん」と言っているのは、こんな書き込みする連中を差別しているのではありませんよ。あほな書き込みをしている奴らを軽蔑し、そして憐れんでいるのです。「勝ち組」「負け組」といった考え方はナンセンスだと思うのですが、彼らは自分がけっして「勝ち組」に入れない「負け組」だと思い込んでいるのです。その鬱憤を、たとえば部落差別によって晴らそうとしているのでしょう。不思議にYahoo!BBで接続してる人が多いですね。コイズミからアベに至る弱者切り捨て行政の下では、こんな哀れな連中が、さらに増えていくことでしょう。
2006.01.07
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食事の後、二人はまたハーレーに乗って南へ下り、ホーマの方へ向かいます。-----------------------------------------------Houman. ホーマ, フーマ 《Louisiana 州南東部 New Orleans の西南西にある市, 3 万》----------------------------------------------------------------------------------------------On the west side of the road there's cattle grazing and egrets, herons with slender legs standing in the shallow bays -- pelicans, houseboats, roadside fishing -- oyster boats, small mud boats --steps that lead to small piers running out into the water.道路の西側では牛が牧草を食べていた。浅い入り江にはほっそりとした脚のシラサギとアオサギがいた。ペリカン、屋形船、沿道での魚釣り。牡蛎漁の船、小さな沼沢地用ボート。水から突き出した、小さな棧橋に通じる階段。-----------------------------------------------のどかな風景です。写真のようにこの風景を覚えているのでしょうね。精神的にきつい録音作業の合間、奥さんと二人で出かけたの本当に楽しかったようです。さらに走る続けて運河を越えると、風景はあまり気持ちの良いものではなくなります。オートバイにとっては非常に危険な砂利道に変わり、水が澱んで、湿った風がいやな臭いを運んできます。向きを変えてまたティボドーに向かいますが、なんだかおもしろくなくなったディランは、妙なことを考えます。今、正反対だったらどうだろう。僕たちは、十分に着込まなければならないような、ユーコン地方を走ってるんだ。ディランは「ごっこ」が大好きなようです。 →ユーコン観光局
2006.01.07
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ハーレーで聖パトリック通りを流すと、豪邸やプランテーション様式の邸宅がありました。古い集会所の横には戦前の裁判所が建っていました。樫の古木と荒れた小屋が並んでいました。ディランの好きそうな風景です。二人だけでこうしているのが、ディランはとても楽しかったそうです。愛妻家なんですよね。午後になっても走り続けていたのですが、喉が乾き、鼻の調子が悪くなってきました。夜明け前から走っているのですから、それは疲れますわ。お腹も空いたので、二人はチェスターズ・サイプレス・イン(Cehster's Cypress Inn)に入りました。鶏と魚と蛙の脚のフライを出す店です。ディランは注文が面倒になってしまい、奥さんに任せてしまいます。-----------------------------------------------The one thing about her that I always loved was that she was never one of those people who thinks that someone else is the answer to their happiness. Me or anybody else. She's always had her own built-in happiness.妻に関して僕がいつも大好きなところは、妻が決して自分の幸福に対して他の誰かがその答えになるような連中の一人ではないということだった。僕でも、他の誰でもない。妻はいつも自身に備わった自分の幸福を持っていた。-----------------------------------------------なんだかわかりにくいのですね。他人様に自分の幸福をゆだねるタイプの女性ではないということでしょう。レストランで何を食べるか決めるぐらいで大仰な物言いですが、そういうことの積み重ねが幸福ですわな。-----------------------------------------------Next thing I knew, fried catfish, okra and Mississippi mud pie came to the table.次に気づいた時には、ナマズのフライと、オクラと、ミシシッピ・マッド・パイがテーブルに運ばれてきた。----------------------------------------------- →fried catfish →okra →Mississippi mud pieディラン自身は幸福の選択を妻に任せてしまったのですが、結局口にしたのは、オニオン・リングだけだったそうです。なんだそりゃ。 →onion rings
2006.01.06
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雪で民家が圧し潰されたというニュースを聞いた。亡くなった方もいるようだ。雪と戦っている人達も多いのだなあ。うちの方では昼ごろ舞っていた雪もすぐにやんでしまい、今は青空が広がっている。すぐとなりの町では少しは積もっていて、高速道路もしばらく通行止めになっていた。雪がほとんど降らないのは、本当にありがたいことだ。雪が十cm以上積もって雪だるまを作ったりしたのは、もう何十年も昔のことになる。よく遊んでくれた伯母や、一緒に育ったエルという犬と一緒に遊んだ。ここでは雪にいい思い出しかない。交通量の多い温暖の地は、雪で苦労したことがない。1972年、日本の大衆文化が大きく変わった年に華やかに登場したのが、田中角栄という政治家だった。ちょうど一世代が過ぎて、彼が作った利権の枠組みが壊されつつある。雪の呪咀から生まれたのが、角栄的なるものなのかもしれない。利権の枠組みを壊すと、封じ込められていた呪咀はどちらに向けて解き放たれるのだろうか。 太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降りつむ。 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降りつむ。 三好達治「雪」
2006.01.05
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二人はまたハーレーに少し乗って、今度は古い給水塔の近くに停車して、散歩します。樹齢約700年の糸杉(cypress)がある道です。この古木のために、道が小さく(dwarfed)見えます。みずみずしいサトウキビ畑に囲まれた泥道、苔(こけ)が積み重なってできた壁が作る迷路。ああ、町を離れたのだと、ディランは感じます。ふと、南仏に逃れたゴッホを思い出しました。 →糸杉のある風景-----------------------------------------------On the bike again we cruised along Pecan Street, then over by St. Joseph's Church, which is modeled after one in Paris or Rome. Inside there's supposed to be the actual severed arm of an early Christian martyr.再びバイクに乗ってペカン通りを流して、それから聖ジョージ教会のそばを通った。この教会はパリかローマの教会を模したものだ。その中には、昔のキリスト教殉教者の実際に切断された腕があるということになっている。-----------------------------------------------通りにはやはり樹木の名が付いていますね。ペカンはヒッコリーの一種だそうです。 →ペカン「聖ジョージ教会」は「聖ヨセフ教会」の方がいいのでしょうか。殉教者の腕云々については調べてみたのですが、よくわかりません。この通りにはニコルズ州立大学もあり、「貧者のハーバード(the poor man's Harvard)」と呼ばれているそうです。あれ、ディランさん、綴りを間違えています。本では"Nichols"になっていますが、検索してみると"Nicholls"のようです。 →Nicholls State University
2006.01.05
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1977年1月4日、拾ったコーラを飲んだ人が死亡するという事件が起きた。品川の青酸入りコーラが置いてあったは、当時建設中だった品川プリンスホテルの前だという。 →青酸コーラ無差別殺人事件私は大学生で、帰省していたはずなのだが、何をしていたのか覚えていない。キャンディーズがククレカレーのCMで「おせちもいいけど、カレーもね」と言い始めたのは、この頃のことだ。拾ったものを食べてはいけないという、当たり前のことを親に言われたのではなかったか。同級生たちも、そんなことを言っていたはずだ。1984年のグリコ・森永事件「かい人21面相」のように強迫を目的としていたわけではない。ただ青酸をばら撒き、人が亡くなっただけである。事件は迷宮入りし、15年の時効もとっくの昔に成立してしまった。犯人は今も生きているのだろうか。今も世間を逆恨みしているのだろうか。
2006.01.04
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