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【追記】No.3朝日新聞8/31付夕刊文化欄で内山秀夫さんの訳書が紹介されていた。ヒュー・バイアス著『敵国日本』他三冊。第二次世界大戦当時、軍国主義日本を外国ではどう見ていたかという、当時のベストセラーや研究書の翻訳である。内山さんの懐かしいお顔が微笑んでいた。大教室での講義だが、政治学原論という授業を受けたのを覚えている。本来の担当である内田満先生が留学中のため、私たちの学年は内田先生の友人である内山先生が慶応から代講にいらした。私は勤勉な学生ではなかったが、気どらずに「政治学」を語る内山先生には好感を持った。「幸福論としての政治学」などと題したいいかげんなリポートを出したのだが、意外に点が良かったので、好感を抱いたのかもしれない。自ら晩年だと語る内山さんが民主主義を熱心に語り継ごうとしていることに、胸を打たれた。【追記】No.2それでわがまま姫のヒナは風の音が恐くて、私の寝室でうだうだしています。天下泰平猫です。今年の夏に限ってノミが発生しているのはどうしてかしら。声をかけて振り返ったところを撮った、見返りヒナです。【追記】No.1夏見還さんからレスをいただきましたが、タイトルはさだまさしさんの「雨やどり」から採りました。1977年、ソロになって最初のヒットです。少女マンガ雑誌を読んでいたころなので、『りぼん』の読者層が好みそうな歌だなあと思いました。 ♪ それはまだ 私が神様を信じなかった頃 ♪ 九月のとある木曜日に雨が降りまして ♪ こんな日に素敵な彼が現れないかと ♪ 思ったところへ あなたが雨やどりさだまさし「雨やどり」台風で大変なことになっているところが多いようですが、こちらはまだ小雨が降ったり止んだり、風もありません。深夜には大雨が降るそうなのですが、虫の声も聞こえて静かです。少し前から、うちの軒下に雨やどりをしている連中がいます。チビ猫二匹は今日初めて箱の外へ出て歩き回れるようになりました。まだよちよち歩きです。この画像だと母猫は黒トラに見えますが、実際はキジトラです。少し前のことですが、このキジトラがうちの窓に体をぶつけ、大きな声で鳴いて中に入りたがっていました。おかしいなあと思っていたら、二階の廊下でにゃあにゃあと小さな声がするのです。足踏み式オルガンの、その足で踏むペダルのところに穴が空いています。そこを懐中電灯で照らしてみると、中にチビ猫二匹がいました。まだまったく動けません。飼ってやりたかったのですが、老境が近づいてきたヒナがいじけるといけないので、箱に入れてテラスに出しました。庭があり、駐車場があるので、要するにうちの中とあまり変わらない場所です。数日間は母猫キジトラに抱きついて眠っているだけでしたが、今夜やっと箱の外へ出て歩けるようになったのです。名前はまだありません。
2004.08.31
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【追記】No.4終わっちゃいました、マラソン。妙にかわいい油谷選手、にこにこさわやか諏訪選手が5位と6位で入賞。国近選手が最後に一人抜いて43位、インタビューでしきりにすまないと言っていたが、誰にも恥じることはない。閉会式までは結構時間があるな。寝るか。返す返すも、あの走行妨害男が残念だ。とても後味が悪い。【追記】No.3お、ハプニング。トップを走るブラジルのリマ選手に観客がとびかかって、沿道へ押しやった。これはひどい。何者なんだ、こいつは。アテネ市内に入って二位を走る選手との差は10秒を切ってしまった。これはかわいそうだ。ああ、抜かれた~。【追記】No.232kmを越えて、コースは下りに入る。女子のレースでこのあたりは予習済み。トップグループはかなりばらけて、油谷選手はアトランタとシドニーでメダリストとなったおなじみワイナイナ選手とともに7位あたりにつけている。ワイナイナさんは日本の食べ物で納豆だけは苦手だと、アナウンサーの説明がおかしい。35km地点で、先頭とは一分差。レースの行方はまだわからないぞ。【追記】No.1オリンピック最後の競技、男子マラソンをだらだらと見ている。25kmを超えてやっと集団がばらけてきた。それまで日本選手の姿がさっぱりわからない。女子マラソンのことを考えると、これから急に身体が動かなくなる選手が増えていくのだろうか。油谷繁選手が小柄で、集団の中にいると女子選手のように見える。そんなにテレビのスポーツ観戦など好きではないのだが、それでもアテネ・オリンピックはいろいろ楽しませてもらった。深夜に放送しているというのがいい。あと……やっぱりオリンピック好きなのかな。モスクワやロスの大会以降はなんだかしらけてしまった感があるのだが、それでも東京オリンピックの記憶が蘇る。日本中がお祭りをしていたのだ。新幹線や「体育の日」も、その記憶のかけらのようなものだ。「裸足の王者」アベベ、チャスラフスカ、ショランダー。ニッポン選手が活躍したということよりも、今までまったく知らなかった外国人の活躍が鮮烈に記憶に残った。小学校低学年の僕たちは、毎日オリンピックの真似をして遊んだ。次のメキシコ大会も、ビーモンの幅跳びを目にして驚いた。本当に彼は飛んでいた。サッカーでの日本代表銅メダルは、そのすごさがまだわかっていなかったと思う。マラソンでは君原健二選手……あ、円谷幸吉選手……。1968年1月9日、メキシコ・オリンピックの年の正月明けに円谷幸吉さんは頸動脈を切って、二度と走ることのない人となった。享年27。その遺書の与えるインパクトは強烈だった。 >父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました。 >干し柿、餅も美味しゆうございました。敏雄兄、姉上様、おすし美味しゆうございました。 >克美兄、姉上様、ブドウ酒とリンゴ美味しゆうございました。沢木耕太郎さんをはじめ、何人もの人がこの遺書をめぐるルポルタージュや戯曲を著わしている。 >父上様、母上様。 >幸吉はもうすつかり疲れ切つてしまつて走れません。 >何卒お許し下さい。 >気が休まることもなく御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。 >幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。走るとは、そんなにつらいことなのか。よく考えれば、この遺書が公表されたこと自体が異常なのだ。円谷さんやその家族を追いつめた「国民の期待」とは何だったのか。いったい何者が中傷の言葉をぶつけたのか。数年後、ピンク・ピクルスが「一人の道」という曲を発表した。茶木みやこさんが初めて作曲した歌だという。 ♪ ある日走った その後で ♪ 僕は静かに 考えた ♪ 誰のために 走るのか ♪ 若い力を すり減らし今は中古でないと入手できないようですが、今年の10月21日(国際反戦デー)にピンク・ピクルスのベスト盤が出るようです。そのCDに収録されるはずです。茶木みやこ オフィシャルサイト
2004.08.30
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のんびり市のサンセット・ページェントは早目に中止が決定しました。船団を使った花火などが予定されていたのですが、台風の影響があるということでした。昨夜は会場で市の車がずっと「中止」をスピーカーで知らせていました。本来は祭りがあるはずの時間に行ってみました。夜は物騒なところだったりするのですが、八時ごろになっても親子連れなどが多く、不思議な空間でした。ペンライトを持った小さな子供がいたりしました。楽しみにしていたようなので、これはちょっとかわいそう。小雨が降ったり止んだりだし、波もほとんどないので、実際はできたのですが、中止決定は勇気ある決断だと思います。後の祭りならぬ、幻の祭りを見てきたというところ。そんなにお祭りにでかける方ではないと思うのですが、零細出版社に勤務していたころ、友人に誘われて浅草へサンバカーニバルを見に行ったことがあります。まだ始まったばかりだったので、「そりゃ何ですか」というぐらいの感じ。見に行って驚きました。リオからチームを招いているのはすごかったんですが、地元の商店街チームがさらにすごかった。衣装も踊りもアゼンとしました。日本の土壌に、これか~。不思議な空間でした。浅草のサンバカーニバルは有名になり、今年で24回を迎えたそうです。雨中でのパレードが新聞で記事になっていました。
2004.08.29
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【追記】No.3イラクは何度か惜しい場面もあったのだが、終盤はもうガチガチに堅いイタリアのDFを崩せなかった。残念、1-0でイタリアが銅メダル。【追記】No.2あら、中継ない間にもうイタリアが先制してたわ。イタリア対イラク、前半9分で1-0。楽天広場での書き込み数が [全365件]になっているのに気づいた。あれ、もう一年経ったのかしら。ちょっと早いような気がする。2003年8月30日「楽天広場お試し。」これが初回の書き込みでした。今年は閏年で一日多いのですね。よくまあくだらないことを書き続けているものです。それもほとんどが自分で設定した「70年代サブカルチャー URC,ELEC,ベルウッド」というテーマです。「URC,ELEC,ベルウッド」という部分は削りたいけど、変更できないんです。日記でテーマがあるというのも妙ですが、さすがに行き詰まったとみえて、このごろは身辺雑記も結構書いてますね。ということで、「幻泉館日録@楽天」は、もうすぐ二年目に入ります。特になんということもなく、このままだらだら続けていきます。あ、カウンターの「5013425アクセス(約13773アクセス/日)」なんてのはウソですから、気にしないでください。うちのカウンター、壊れてるんです。ここまで行くとアクセス数なんぞばかばかしくて気にならないので、精神衛生上とてもよろしいようです。【追記】No.1なんだかよくわからないのでシンクロナイズド・スイミングはほとんど見ていないのだが、なんとなくスペイン・チームの演技を見たら、とても楽しかった。白い水着に大きくサルバドール・ダリの顔が描いてある。テーマが「ダリ」なんですね。「柔らかい時計」をシンクロで見るとは思わなかった。それで、サッカーの3位決定戦はまだかしら。放送塔から、明日の夜の花火大会が中止になったというお知らせが流れていた。千本浜のサンセットページェント。去り行く夏を惜しんで八月末に毎年やっているらしいのだが、いつも何かしら用事があって行けなかった。今年は行けるぞと喜んでいたのだが。町内ごとにスピーカーがあって、まあ便利は便利だ。資源ゴミ収集の日など、最大音量で力強く注意するおばんさんの声がおなじみになっていたりする。しかし、ふと自分がプリズナーになったような気がするのだ。英国制作の「the Prisoner」を最初に見たのはNHKだったろうか。『プリズナーNo.6』という邦題はなかなか無機質でいい。常に監視され、絶対に逃れることのできない「村」。風船の化け物に抑え込まれる時、実に息苦しく感じた。いたるところに放送塔が立っていた。スーパー・チャンネル『プリズナーNo.6』のんびり市の各町内会にあるスピーカーは、東海大地震への防災対策として整備された。70年代末のことである。東京にいたので、実家に帰ると妙な食品があった。宇宙食?非常食として市に買わされたのだという。そんながらくたを?どうも妙な斡旋もあったらしい。何か会合に遅刻して、名指しで放送されている人がいた。いくら狭い町内といっても、公のスピーカーだ。たまったものではない。地震戒厳令という言葉が頭をよぎった。何度でも言ってやる。通信傍受法(盗聴法)、住民基本台帳法、有事関連法、そして共謀罪。いや、自由はこの手で守るんだ。「お前はNo.6だ。」「番号なんかで呼ぶな! 私は自由な人間だ……」
2004.08.28
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【追記】No.4女子サッカーは寝てる間にアメリカが優勝してました。残念。ブラジルはチームが若かったです。FWマルタ選手のスピードがすごい、すごい。「ロナウジーニョが出てる?」みたいな顔の選手もいました。誰だったんだろう。次はいよいよ男子決勝。また寝れません。【追記】No.3やった、同点!ブラジルのシュートは2回もポストに当たる。運がないなあ。お~、延長戦~。もうムリ~。Vゴールではなくて前後半30分の延長戦。寝ます~。【追記】No.2あ~、宿題終わった~!夏休みの宿題、もう夏休みが終わってから5日も経ってるわ。んなことやってる間に、テレビでは女子サッカーの決勝、アメリカ対ブラジルをやってます。やっぱりカナリア色を応援しちゃうよ。一次リーグでは2-0でアメリカが勝った組み合わせなんです。アメリカのディフェンスが強いなあ。今日はやけにオフサイドを厳しく取っているように見える。これだったら日本戦……いや、やめておこう。アメリカのキーパー、かっこいいですね。アメリカのサッカーは体力勝負で直線的な印象を受けるんだよなあ。あ、アメリカ先制点!ずっとブラジルが押してたのに、きれいなシュートでした。失礼しました。はらほろひれはれ。お、アメリカ、バックパス。誤審だ、こりゃ。ブラジルの選手が蹴ってる。お~、キーパーよく防いだ。って、アメリカの応援しちゃダメじゃん。前半終了、1-0でアメリカがリード。後半はブラジルの猛攻が見られるはず。眠い……。【追記】No.1夕方のうろこ雲です。雨が近いのかな。学生時代に郵便局の清掃アルバイトをしたことがある。それが形だけのものだったことは以前書いた。出稼ぎの人たちの暮らしをかいま見たのが印象的だったが、もう一つ。大きな郵便局にヤマトのトラックがたくさん出入りしているのに驚いた。ヤマトが「宅急便」を始めたのは1976年。いいかげんなアルバイトをしたのは、その少し後のことだ。今日は黒猫館主人が驚いていた。新聞にヤマト運輸の意見広告が出ていたのだそうな。全面広告で「クロネコヤマトは変えません。」11月18日からローソンでの扱いがなくなるのだという。ローソン批判ではなく、郵政批判だ。[日本郵政公社は独占事業であげた利益をもとに競争しようとしています。]おもしろい広告だと思う。佐川急便が政治家に賄賂を贈ることによって生き延びてきたのと対照的だ。足尾鉱毒事件の時代から、日本の資本主義は国民の財産を一部の者がかすめ取るという構造を持っている。今はNTTがその最たるもの。NTTは電話債券による国民の損失の責任をまったく取らなかった。旧国鉄の、見掛け上の赤字なんてかわいいものだ。がんばれよ、ヤマト運輸!
2004.08.27
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【追記】No.1論外である。何を考えているのだ、東京都教育委員会。扶桑社版歴史教科書(中学生用)を来春開校する都立中高一貫校の教科書として採択した。極右都知事の意向をそのまま反映したということか。ベルウッドの復刻盤がまた届いた。佐藤GWAN博さんの『青空』。オリジナルは1976年に出たアルバムだが、初めて聴く。2001年に出したセカンドアルバム『星空』にも入っている「たんぽぽのお酒」が好きだ。おなじみの演奏は、春一番コンサートのライブ盤に入っているもの。この『青空』の録音では、坂本龍一さんがオルガン/カリンバで参加している。 ♪ 野に咲くライオンの誇り ♪ きらめくたんぽぽの花 ♪ 遠くの氷売り ♪ 小麦畑のにおい作詞は藤本和子さん。ブローティガンの翻訳をしていた藤本さんのことだろうか。これは今夜寝るときに聴くのです。 ♪ あたたかい雨だれ落ちて ♪ お酒になるたんぽぽ ♪ 冬の地下室に ♪ 6月の冒険 ♪ たんぽぽのお酒少年の日の冒険が蘇りそうだ。佐藤博『青空』(1976年)1. かんしゃく玉2. たんぽぽのお酒3. 忘れ物4. かま猫のブルース5. 時間がありすぎて6. ムーンライト・ジャグ・ブルース7. 青空8. 南風9. ことば10. あんた11. 3月31日12. わたしの自転車
2004.08.26
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【追記】No.3オリンピック男子サッカーの決勝はパラグアイ対アルゼンチンということになりました。ワールドカップでは開催地のある大陸のチームが優勝するのが常道ですが、アテネ・オリンピックはコパ・アメリカみたいな決勝になっちゃいました。昨夜は準決勝パラグアイ対イラクの中継がなかったのが残念でございます。【追記】No.2オリンピック、男子サッカーの準決勝イタリア対アルゼンチン。今回のイタリアは失点が多かったなあ。なんといってもアルゼンチンの3点目がすごかった。攻めまくって圧勝。アルゼンチン、ここまで無失点で突っ走ってます。強い。さあ、続けてイラク対パラグアイ戦だ。【追記】No.1いまどき教師のことを「先公」なんて呼ぶ不良はいないと思いますが、「せんこう」は同音異義語が多いんですな。広辞苑の見出しを拾ってみました。意外に天皇関係の言葉が多いです。占考 先公 先后 先考先行 先攻 先後 先皇専行 専攻 浅紅 浅香・桟香・煎香浅黄 染工 穿孔 扇工栓孔 閃光 船工 戦功践行 跣行 潜考 銓衡・選考潜行 潜幸 潜航 選鉱遷幸 繊巧 鮮好 鮮紅 ♪ せんこう花火がほしいんです ♪ 海へ行こうと思います 毎年夏の間に一度は思い出す曲です。これも吉田拓郎さんがメジャーのSONY/ODYSSEYに移籍して最初に出した『元気です。』(1972年)に入っていたんだ。小さなころ、駄菓子屋さんで線香花火だけ売っていたりした。お従姉ちゃんが買うと、一つだけ持たせてもらったりした。ガラス細工を作っている最中のような、あの光っている玉が足に落ちると穴が空くぞと脅されて、腕を力いっぱい前に伸ばして差し出した。持つところも紙でできているこよりのようなのが正統派。細い棒に黒い火薬が付いて蒲の穂のように見えるものもあったな。玉が大きくなって、飛び散る火花がたくさん出ると、ささやかだけど華やかな気分がした。その時間が長く続くとうれしいんだけど、はかないものだ。玉が大きいうちにぽとりと落ちてしまうと、とても寂しかった。夏が終わるね。 ♪ 誰かせんこう花火をください ♪ ひとりぽっちの私に
2004.08.25
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【追記】No.4夢を見た。高校時代の友人たちと故郷の町にいる。空に積乱雲がにょきにょき育つ。「あれはCGだよ。」誰がやっているのか、本当の夏空のように見える。あれは作り物なんだ。空が光り、キノコ雲が育つ。ゆっくりと空を覆っていく。「あれもCGだ。」「やめさせなきゃ。」マンションの窓でDJを気取る若者が目に入る。あいつだ。僕たちは彼に向かって叫び声を挙げようとするのだが、声にならない。声にならない。【追記】No.3女子レスリング72キロ級浜口選手の3位決定戦、圧勝でした。右目が腫れ上がっています。試合中わあわあ叫び続けていたお父さんが、勝った後は口をもぐもぐさせてガルルとにらんでいました。印象に残る銅メダルです。【追記】No.2レスリング女子63キロ級の伊調馨もポイントを先行されながら、逆転の金。いやあ、粘り強い選手ですね。あ、今夜はオリンピック見ないつもりだったのに。【追記】No.1女子レスリング55キロ級の吉田沙保里選手!攻めまくって、気持ちの良い完勝。いや、すっきりしました。コーチを肩車したり、トンボ切ったり、武道だったら怒られるようなことをして喜んでいるのも、嬉しいです。稀代の悪法と呼ばれる法律がある。たとえば土地収用法。足尾鉱毒事件で揺れた村は1907年に土地収用法に基づき強制買収され、水没してしまった。-------------------------------------------------------------- 明治十四年、時の栃木県知事藤川為親氏が,渡良瀬川の魚類を食ふことを禁じて、鉱毒問題の先鋒に叫んで、不幸島根県に追われてより、年を閲すること爰に二十有六年、鉱毒の被害の激甚地として、はたまた瀦水地問題の紛争地として、多年紛糾錯綜の渦中に投ぜられ、何時解決せらるべしとも見えざりし、栃木県下都賀郡谷中は、明治四十年七月五日、遂に政府の兇暴無残なる毒手に破壊せられ終んぬ。 ああ谷中村は遂に滅亡したるか、二十年の久しき、政府当局の暴状を弾劾して、可憐なる村民のために尽悴し来れる、老義人田中正造翁が熱誠は、空しく渡良瀬川の水泡と消え去るべきか。--------------------------------------------------------------上記は荒畑寒村著『谷中村滅亡史』が1970年に新泉社から復刻された版からの「緒言」の引用である。私の手元にあるのは1981年の第17刷なので定価1200円。現在は岩波文庫から定価525円(悪税込)で出ている。当時まだ二十歳だった荒畑寒村さんが著わした『谷中村滅亡史』は、たかが抽象的概念にすぎない国家が具体的な姿をかいま見せるときにどれだけ恐ろしいものか活写している。成田空港建設でも同じように強制代執行が繰り返された。「稀代の」と書いてしまったが、実は結構たくさんある。後に寒村さんが反対していた破壊活動防止法もそうだろう。最近は特に急激に増えている。通信傍受法(盗聴法)、住民基本台帳法、有事関連法。半世紀の日本の歴史を吹き飛ばし、「日本国」を昔の姿に戻すための法整備が着々と進んでいる。今度は「共謀罪」である。組織犯罪処罰法が改正され、「共謀罪」という犯罪が生まれることになる。元々はアメリカからおしつけられた「国際組織犯罪防止条約」のために作られるのだが、市民団体や労組といったまつろわぬ民を狩るために活用されることになるのだろう。これまで厳しく制限されていた盗聴法の運用が緩和されるというのが、実際上の大きな変化になるようだ。実行行為をまったく伴わなくても「共謀」と断定されれば、逮捕される。「共謀した者でも自首すれば刑を軽減する」という条件が付くので、陰湿な密告社会が訪れる。あなたも簡単に犯罪者にされる。
2004.08.24
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【追記】No.1やった!野口選手の走りを最後までドキドキしながら見てしまいました。いやあ、疲れた。個人的には、エチオピアの選手がいると応援したくなります。アベベ選手の記憶がそうさせるのでしょう。少し前に注文しておいたビデオが届いていた。中身がわからないまま注文したものである。Pete Seeger's Family: Sing a Longwith Mike and Peggy SeegerU.S.: 19.95ドル価格: 2,291円(悪税込)ケースに書かれた説明を読むと、ハドソン川の河畔に暮らすピート・シーガーさんの家に音楽好きの親子が集まって楽しんだよ~という内容。マイクさんとペギーさんはピートさんのお子さんなのかな。二人とも器用で、いろいろ楽器を持ち替える。バンジョー、マンドリン、フィドル、オートハープ、ガットギター。ピートさんはほとんどがロング・バンジョーなのだが、最後に一曲だけ12弦ギターで弾き語りをしてくれる。三人のコンサートというよりは、子供たちに遊び歌を教えたりする。二十年以上前、「セサミストリート」にピートさんが出てきた時とほとんど変わらない雰囲気だ。 ♪ みんなであくびをしよう ♪ みんなでくしゃみをしよう ♪ 指を君の鼻に付けて ♪ 指を君の耳に付けてこんな遊び歌が多い。5の段の九九の歌もあった。ピートさんは大きな紙に動物の絵も描いている。PP&Mも子供たちとキャンプで歌うというアルバムを出しているのだが、彼の国のフォーク・シンガーはやはり筋金入りだ。年をとって、小さな子供たちとこんなふうに歌えたらいいなあ。chappiさんなら日本のピート・シーガーになれるかもしれないなと思った。Songs:Come On Join Into the GameHamboneFive Times FiveThe Little RoosterCrawly Creepy Little MouseThis Land is Your LandRiding in My CarEverybody Loves Saturday NightPut Your Finger in the AirThe Garden Song and Sailing Down this Golden River
2004.08.23
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【追記】No.3 asahi.comにひどい見出しが並んでいる。>自衛隊の海外活動を「本来任務」に 防衛庁が格上げ方針 >空中配備レーザー「米国との共同研究も」 石破長官示唆 自衛隊制服組の暴走が結局不問になるわけだ。防衛庁自体が暴走を始めている。戦争への道をひた走る防衛庁長官は、すぐにでも辞めさせなければならないだろう。>政府、武器輸出3原則見直し 日米共同生産解禁を検討 もちろんブッシュの飼い犬首相も替えないといかんのだが。【追記】No.2アマゾンから『小さな恋のメロディ』のDVDが出るよと連絡が来た。3192円(悪税込)で、11月17日発売。う~ん、予約するか……。このところワーム入りのメールが相次いで押し寄せている。知人のどなたか汚染しているのかもしれない。【追記】No.1で、オリンピックのサッカー、イタリア対マリの試合など横目で見ています。ところてんをいただいた。知らなかったが、この界隈の特産品らしい。そういえば小さい頃からところてんはよく食べたし、とても好きだった。二杯酢にわさびと海苔でいただくのがいい。さっき食べたのは辛子が付いていたのだが、そちらの方が正当派かもしれない。学生時代のサークルの先輩で天王寺高校出身の方がいたのだが、ところてんは黒蜜で食べるものだと言っていた。蜜豆や葛切りの仲間みたいなものなので考えてみればおかしくないのだが、どうにも納得できなかった。餡こ入りの餅を雑煮に入れる感じ。この先輩は逸話の多い人で、関西人に対するイメージがこの人によって形成されてしまったのは、人生における失敗のような気がする。 ♪ ほうちょうい~っぽんが十八番のはずなのに、最後の「ぽん」で必ず音を外してた人。あ、この人、24時間テレビの大阪系列局に就職したはずだ。芦屋雁之介のドラマを作って喜んでたところまでは知ってるんだけど、今はどうしているのやら。「愛は地球を救う」のだそうな。今年で27回目を迎えた、NTV系列の24時間テレビ。驚くほど接点がない。70年代の末だと思うが、何かでへとへとに疲れて代々木公園にたどり着いたら、そのイベント直後の散らかった風景が目に入った。「偽善への自由」はテレビの特質だ。愛で地球を救ってくれればいい。Wikipediaによれば、第一回は1978年8月26日から8月27日にかけて。メインテーマ 「寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバスと車椅子を!」綜合司会 「萩本欽一、大竹しのぶ、大橋巨泉、竹下景子」チャリティーパーソナリティー 「ピンクレディー」募金総額 「1,190,118,399円」26回の昨年はメインテーマが「あなたを一番愛する人…」と、何がなんだかわからなくなり、募金総額は「776,638,125円」。物価の上昇を考えると、募金額はかなり減っていると考えるべきだ。本当に募金が目的ならば、やり方を変える方が良いのではないだろうか。明らかに番組は飽きられ、いつのまにかタレントのマラソンが大きな呼び物になっているらしい。今年は杉田かおるさんが走るそうだ。杉田さんが明星学園に通っているころに何度か見かけたが、とてもかわいい娘さんだった。ちょうどこのイベントが始まったころだったろうか。今夜もこの番組を見ることはないと思う。
2004.08.22
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【追記】No.4わはは、ソフトボールまで見てしまった。息のつまるような試合で、宇津木麗華選手が打ってくれました。しかしまあ、自由形の金メダルはすごい。てなわけで、私はお仕事に復帰するはずなんですが、使い物にならんぜ、こりゃ。夏休みの宿題もほとんどやってない……。もう寝よう。【追記】No.3ああ、終わった~、女子サッカー。寂しい~。【追記】No.2え、オフサイドないの?で、ぽろっと失点。私呆然。いいんだ、点取ればいいんだ。走れ! 荒川!【追記】No.1手元が動かない。夜なべ仕事が進まない。女子サッカー見てしまってるのよ。後半始まっての同点には泣けたぞ!今日は私の夏休み最後の日でした。寂しい~!『父と暮せば』を観にいって三省堂本店を覗いて、大いにリフレッシュできたのですが、抱えた宿題は手付かずのままです。どうすんべ、おい。ということも含めて、夏休み最後の日なのでした。あ、オリンピックは女子サッカーの試合があるじゃないか。荒川選手のゴールがみたいぞ。少し宿題減らしておくか。とほほ。更新しました。夕陽が好き![I Love Sunset!]
2004.08.21
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【追記】No.3NHK BS2で「国際スパイ・ゾルゲ 」を見た。明日の夜、篠田正浩監督の『スパイ・ゾルゲ』を放映するのですね。録画しておこう。非常に評判の悪い映画だったけど、なんだか私、波長が合いそうな気がします。夜なべ仕事の友……。【追記】No.2RCサクセション「ぼくの好きな先生」はイントロでカズーを使っていた。リードが1枚あって、自分でう~う~うなって鳴らす簡単な楽器。安いしおもしろそうなのですぐに買ってきて、ハモニカホルダーに挟んで使ってみた。う~ん、かっこ悪い。鳴り物の中間なんですよね。これはもうどこかに行ってしまいました。【追記】No.1吉祥寺の街を初めて訪れた時に驚いたのは、車がバックする誘導をブルースハープでやっている人がいたことだ。中央線の北側、東のキャバレー街に入るあたり。実にかっこよくブルースでオーライオーライとやっていた。さすがに吉祥寺だと感心したのだが、その後二度とそんなワザを見ることはなかった。そんなものだろう。あの人は火薬庫ぐゎらん堂や吉祥寺おばけ屋敷の関係者だったのかしら。もしかしたらシバさんご本人だったのかもしれない。ギターの腕をほめられたことはないのだが、ハモニカは「うまいね」と言われたことがある。練習などしたことがないので、多少心外であった。もちろん松田幸一さんやシバさんのように吹けたわけではない。ギターに合わせて適当にブカブカやっていただけだ。いいかげんにコードを出して途中で口を少し横に広げてぶわ~と音を変えたりするだけ。知らない人にはうまく聞こえるのかもしれない。最初は吉田拓郎さんの弾き語りがとても良かったので、そのマネをしたのだった。ブルースハープと呼ばれる10穴のハモニカと、首に掛けるハモニカホルダーを買った。着脱の度に髪がひっかかって抜けると拓郎さんはこぼしていた。当時の田舎の中学生は坊主刈りだったので、髪の毛なんてひっかかりようがなかったのだ。ああ、うらやましい。ニール・ヤング「孤独の旅路(Heart of Gold)」はギターもハモニカも簡単でかっこよく聞こえるので、みんなが演った。全国の高校の文化祭で、いったい何人の高校生がハモニカホルダーを使って弾き語りしたことだろうか。ただなあ、それだけに歌が聴衆のハートを捕らえるのは難しかったと思うのですよ。80年代はロックバンドがブームだったので、楽器屋さんでハモニカホルダーを見かけることがなくなった。若者に誘われてライブを見に行くこともあったのだが、メンバー紹介ばかりやっていて内輪でもりあがっているのはさびしいものだった。簡単に自分の言葉を弾き語りに載せた70年代の方から、ライブの精神が後退しているように感じたのは年寄りのひがみか。このごろはまたハモニカホルダーを見かけるようになって、うれしいのであります。
2004.08.20
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【追記】No.3そういえば当時の雑誌には、ビンボな役立ち情報がよく載っていました。鉛筆と輪ゴムでカポを作る方法。スチール弦はゆでると少し復活するなんてのもあったと思います。カポは試してみましたが、イケます。弦をゆでるとどうなのかは、試しておりません。【追記】No.2以前にも書いたと思いますが、私が初めてギターを買ったのは中学1年生の時です。お年玉で買ったのだとすれば70年になっていたはずですが、買ってもらったような気がするので、それならまだ69年だったことでしょう。鈴木のガットギターで、6千円のものでした。最初はオルガンで音を合わせて、NHKのギター講座を見て練習しました。タルレガの「ラグリマ(涙)」という曲を弾いた覚えがあります。そのままクラシックを練習すれば良いものを、PP&Mの曲を聴いて自分で歌いたくなりました。それで『ヤングギター』という雑誌を買うようになります。当時の『ヤングギター』はクラシックやジャズ、カレッジフォーク、歌謡曲、なんでもあれのギター総合誌でした。ラテンの人が使うような、サウンドホールに引っ掛けて首から下げるようなストラップを買ったのですが、どうもかっこ悪い感じがしました。それで、ねじ込み式のエンドピンを買ってきて、ガットギターに付けました。オレンジ色のきれいな刺繍のあるストラップを買いました。こういうストラップは一時期見かけなかったのですが、またアコースティックが流行したおかげで復活したようです。PP&Mの「パフ」でスリーフィンガー奏法を練習しました。 ♪ PUFF, the magic dragon lived by the sea ♪ And frolicked in the autumn mist in a land called Honah Lee,そのうちにいわゆるフォークブームが訪れ、『ヤングギター』も日本のフォーク雑誌に変わります。吉田拓郎さんの弾き語りにショックを受け、遠藤賢司さんのギターに魅せられます。スリーフィンガーにちょこっと工夫すると「カレーライス」になることがわかりました。それで、高校に入って買ったのがジャンボのフォークギターなのです。形はマーチンのD-28にそっくりなのですが、後年D-28を入手して、もっと大きくて重かったということに気づきました。1972年に2万5千円で買ったジャンボ。D-28に比べると弾きにくいし、音も少し寂しいのです。でも、やっぱりそれが私の愛器でした。高校の文化祭のステージで、渋谷から新宿まで歩いたデモで、一緒に歌ったギターです。【追記】No.1木島始さんが亡くなったそうだ。悪性リンパ腫。享年76。ラングストン・ヒューズやウォルト・ホイットマンと、おなじみとなったところを案内していただきました。三省堂本店で衝動買いした本、その2。なんだかとてもダサい表紙の楽譜本を手に取った。「70年代フォーク名曲30曲集」という楽譜は既になんらかの形で持っているので不要。普通なら買わないのだが、楽譜以外のページがえらい充実していた。70年代前半の高校生がおなじみだったヤマハやモーリスのモデルのみならず、「ジャンボ」の説明があったのに驚いた。坂崎幸之助さんが高校生のころにジャンボを使っていたということを書いていたが、それ以外にこの名前を目にしたことがなかったのだ。そう、私もまた高校生のころ一緒に泣き笑いした、愛器ジャンボ君である。この本に写真が載っていたジャンボは00-21モデル。キャプションを引用する。---------------------------------------------- マーティン・ギター研究家の草分け的存在ともいえる手工職人、田原良平氏のブランド。アーチド・トップ職人としても著名な鷲見氏も同メーカーで腕を磨いた一人。70年代にダブル・オー・スタイルのモデルをレギュラー化しているあたりはさすが。----------------------------------------------もちろん私の愛器はそんな高級器ではなくて、マーチンのD-28を模した量産モデルだ。いったいどんな人が買うのか不思議な本だが、まあ少なくとも私はジャンボの文字に引かれて、買ってしまったのでありました。シンコー・ミュージック・ムック『70年代日本のフォーク&ギター』 2004年5月9日発行 A4変形判 本文132p 定価:1800円+悪税■日本のフォーク&アコースティック・ギター年表■再現ドキュメント 第3回全日本フォーク・ジャンボリー■出来事で読むフォークの歴史■70年代フォークの流れを追う URCストーリー ベルウッド・ストーリー エレック・ストーリー ユイ音楽工房ストーリー■ポプコンから生まれた名曲とアーチストたち■ガロ....70年代に表れた斬新なコーラス&ギター■日本のアコースティック・ギターの歴史 ヤマハ モーリス S・ヤイリ ヘッドウェイ キャッツ・アイ マスター■これだけは忘れない!ギター弾き語り70年代フォーク名曲30曲集明日への讃歌(アリス)あの素晴らしい愛をもう一度(加藤和彦と北山修)雨が空から降れば(小室等)いちご白書をもう一度(バンバン)一本道(友部正人)贈る言葉(海援隊)面影橋から(及川恒平)悲しくてやりきれない(ザ・フォーク・クルセイダーズ)カレーライス(遠藤賢司)神田川(かぐや姫)今日までそして明日から(吉田拓郎)心もよう(井上陽水)コーヒーブルース(高田渡)酒と泪と男と女(河島英五)さよなら(オフコース)サルビアの花(早川義夫)春夏秋冬(泉谷しげる)精霊流し(さだまさし)戦争を知らない子供たち(ザ・ジローズ)遠い世界に(五つの赤い風船)なごり雪(イルカ)22才の別れ(風)花嫁(はしだのりひことクライマックス)プカプカ(ディランII)望郷(山崎ハコ)ポスターカラー(古井戸)岬めぐり(山本コータローとウィークエンド)夕暮れ時はさびしそう(N.S.P.)若者たち(ザ・ブロードサイド・フォー)わかってください(因幡晃)
2004.08.19
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【追記】No.2いや、すごかった、松坂投手の投球。あんまり応援団の能書きは要らない。試合終了まで見てしまったので、今日も私は使い物になりません。お、今夜は男子サッカーの残り試合があるんですな。【追記】No.1オリンピックの中継で、松岡氏が「解説」で口にした一言が気になった。シドニーでは感じられなかった一体感が、長嶋監督の下で感じられる由。そうなのか?ミスター・アマチュア野球杉浦正則投手に、大学野球のスター、それにプロの選手が加わったプロ・アマ合同チームこそドリーム・チームではなかったのだろうか。本格的にプレイされる地域が非常に限られている「野球」という競技でメダルが取れなかったことはおそらく屈辱的なことだったのだろうが、今回のアテネ大会の代表を「長嶋ジャパン」と呼ぶことも含めて、TBSの放送には違和感を感じた。森達也さんの『放送禁止歌』は番組制作の約1年後2000年に解放出版社から発行された。その中で一章を費やしていた「竹田の子守唄」の話はそれでだいたい終わったのだと思っていた。それで2003年に藤田正さんの『竹田の子守唄』が同じ解放出版社から出た時はなんとなく買わずにいた。映画の帰りに三省堂本店で少し本を見た。他の書店で「品切れ再版未定」になっていてもここには在庫がある場合もあるので、気になっていた本をチェックしていくのだ。それで別の本を探していて、偶然『竹田の子守唄』を目にした。少し値段が高いのだが、楽譜とCDが付いている。赤い鳥がURCから出した「竹田の子守唄」(1969年10月発売)と、部落解放同盟京都府連合会改進支部女性部による「竹田の子守唄(元歌)と「竹田こいこい節」である。赤い鳥→紙ふうせんの後藤悦次郎さんの話からルポが始まる。まだちゃんと読んでいないのだが、本文に森さんの本ほどの印象は残らないような気がする。藤田正『竹田の子守唄 名曲に隠された真実 』解放出版社A5判並製本文167p定価:2200円(悪税込)
2004.08.18
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岩波ホールへ映画を見にいった。黒木和雄監督『父と暮せば』。前売りを買ってあったので入れたが、その回の当日券は売り切れだった。前売りでも定員で締め切って入れなくなるのだが、ゴネて入っている人がいた。理不尽な行為ではあるが、前売り買って入れなかったら、ゴネるべし。岩波ホールでは入れるようだ。通路は補助席がびっしり埋まっていたよ。この映画に人が入るのはいいことだと思う。煩悩をいっぱい抱えたままの明るい幽霊「おとったん」は観客を笑わせてくれる。だからこそ、映画を観ている者は皆涙を流す。作家の想像力が生み出すリアリティとはこういうものだ。元が二人芝居の戯曲なので、原田芳雄さんと宮沢りえさんの対話がほとんどを占める。それだけに、黒木監督の押さえた演出と、入魂のCGが光る。戦争はいかん。戦争を止める、戦争を反対することに、論理は不要だ。詭弁を必要とするのは、戦争をしようとする者たちだけである。奴らが恐れているのは、戦争なんて嫌だという、普通の人々の気持ちだ。生きている者は、死んだ者のおかげで生きている。だからこそ、戦争で何が起きたかを次の世代に伝える義務があるのだ。「おとったん、ありがとありました」井上ひさし『父と暮せば』 新潮文庫 340円(悪税込)
2004.08.17
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ときどき吉祥寺「まめ蔵」のカレーが食べたくなる。本当はその料理自体の味が恋しいのではなくて、そのカレーが象徴している諸々のものどもが恋しくなるのかもしれない。吉祥寺中道商店街から藤村女子学園に抜ける路地に、「まめ蔵」は今も健在だ。70年代末にアルバイトをして暮らしていたころ、このすぐ近くにバイト先の本屋さんがあった。近かったから、休憩時間に時々行った。とにかくお金のない暮らしだったので、「まめ蔵」のカレーは唯一の贅沢だったかもしれない。時間だけはあったので、似たような味のカレーを作ってみたことがある。香辛料と野菜をおろして、ひたすら煮込む。一日目はとにかく水っぽい辛い汁にすぎないのだが、ずっと煮込んでいると、だんだん粘りが出てきて、三日目にはかなりおいしいカレーができた。肉などは最初から入れると崩れて形がなくなってしまうので、最終日に入れるのである。問題は、少量で作ることができないので、一旦作るとカレーばかり食べ続けることになることだった。
2004.08.16
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少年時代をあのONが揃ったジャイアンツの黄金期に過ごし、少年マンガでも正義の味方ジャイアンツというふうに洗脳されたのであるが、いつのまにか大の「巨人軍」嫌いになってしまった。決定的なのは、やはりその横暴さだろう。札ビラで頬を張る。プロ野球チームで唯一「軍」を名乗るあのチームを一言でまとめると、こうなる。「王、金田、広岡、吉田」 →「おう、金だ、拾おうか、よした」こんな冗談があったが、これは事実と違うのでダメだね。リーガ・エスパニョーラのレアル・マドリッドは独裁者フランコのチームだった。カタルーニャのバルセローナがレアルにだけは負けるわけにいかないと、少なくともサポーターは熱く燃える。私は残念ながら塀の向こう側に落ちたことがないが、彼の地で読める新聞は読売新聞だけなのだという。警察官僚のメディア、そして警察官僚の野球チームが読売なのだろう。もちろんフランチャイズなど意味を持たない。「東京=日本」という傲慢な前提である。読売の話はもういい。誰か本当のことを教えてくれ。オリンピック。「虹と雪のバラード」の札幌オリンピック当時、国際オリンピック委員会(IOC)の会長は「ミスター・アマチュアリズム」と呼ばれたアベリー・ブランデージだった。札幌では金メダル候補のカール・シュランツ(オーストリア)がスキー用品のメーカーを宣伝したということで選手村から追放されることとなった。プロとアマは厳格に区別され、金銭を目的としないアマチュアがスポーツの正しいあり方とされていた。まとまりません、この項続く、のかな?さあ、女子サッカーの試合だ。ナイジェリア戦、がんばれよ♪
2004.08.15
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【追記】No.1実に眠くてしかたがなかったのだが、ついついオリンピックの開会式など見てしまう。こんな物を見るのはひさしぶりだ。選手入場の前の見世物はキューブリックの映画を観ているようで、おもしろかった。NHKアナウンサーの解説はもっとずっと少ない方が良かったように思う。この手のものは長野の時にちらりと見たのだが、相撲取りゃ裸で風邪ひかんというような印象しか残っていない。「西武」やに対する反感が先に立っていたからかしら。思えば「世界史」というのは地中海世界の歴史だったのだ。京都人に対する気後れを、もっと深く掘り下げたような劣等複合意識を自分の中に感じる。さて、選手入場が始まった。寝るか。夕陽を眺めながら、「夕陽」といえばどの曲かとぼんやり考える。私が小学生の時にヒットした、ザ・スパイダーズの「夕陽が泣いている」かなあ。あれは浜庫さんの作詞作曲だった。 ♪ 夕焼け 海の夕焼け ♪ 真赤な別れの色だよ早川義夫さんの作詞作曲で「ロールオーバー庫之助」というのがある。もちろんジャックスが演ってたんだけど、岡林信康さんの『見るまえに跳べ』(1970年)に入っていた。東芝EMIが復刻したCDではカットされていた曲。バンダイから出ていた時は入っていたようなので、わざわざ東芝EMIが削ったのである。浜庫さんの著作権継承者に気をつかったのかしら。浜口庫之助さんはわざわざ早川さんが「ぶっとばせ!」と歌うほどの、歌謡曲のヒットメーカーだった。「黄色いさくらんぼ」「バラが咲いた」あたりの曲が引き合いに出されるが、勤務実態がないのに給料を貰ってなおかつ厚生年金を騙し取ろうとしている我が国の首相が大好きな「人生いろいろ」も浜庫さんの作曲だった。サンヨー「薔薇」シリーズのCMソングをご自分で歌っていたが、いい声だなあと思った。作曲家デビューは意外に遅く、40歳になってからだという。1973年に渚まゆみさんと結婚した時は驚いた。年齢差が27歳あったのだ。えらいもんだ(?)。 ♪ 誰かに恋をして ♪ はげしい恋をして ♪ 夕陽が泣いている ♪ 僕の心のように ♪ 夕陽も泣いているのだろう更新しました。夕陽が好き![I Love Sunset!]
2004.08.14
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【追記】No.6読売巨人軍という野球チームが学生野球のスター選手に約200万円の現金を渡していた。事件の道義的責任をとってオーナーが交替した。普通の感覚だったら、このチームは今年のドラフトに参加することはできないだろう。しかし、この時期にこんな不祥事が発覚するということ自体になにか意図的なものを感じるなあ。【追記】No.5ひさびさにヒナのひるね。よく乾いた洗濯物の上で惰眠をむさぼる。ん、惰眠じゃニャ~。【追記】No.4隣町へ梨を買いに行った。幻泉館の地元ではもうあまり見ることができなくなった田園風景が続くので、その梨園「三水園」に出かけるのは好きだ。用水路を泥鰌が泳ぎ、白鷺が舞っている。ところがだいぶ除草剤を撒いたようで、用水端の草がだいぶ枯れていた。残念。三水というのは、新水、幸水、豊水という品種の梨を指すようだ。以前は進物などというと「二十世紀」だったが、このごろはあまり見かけない。中心品種が変わったのだろう。ああ、長十郎もありますね。この梨園は70年代に地元の農家が集まって始めたものだ。利益が上がるようになるまで大変だっただろうなと思う。作業用に頭を切り落した軽トラックがおもしろい。ネットの上からカラスが中をつつこうとしている。この一ヶ月で、一年間の成果を売りつくす。【追記】No.3さあ、夜泣き城のララバイ、後半だ。那須選手が松井選手に交替。自陣で回してると危ない感じがするなあ。DFのミスで失点してるから。小野へのプレッシャーがきついので、小野が前半より後ろに下がってボールを持てるようにするらしい。ヒメネスがとにかくよく動いて活躍しているので、茂庭が対応か。大久保の空手チョップがキーパーに決まる。ファウル取られなくて良かった。お!またPKもらった!また小野が決めて、一点差!後半9分で2-3。おお、森崎惜しいシュート。小野からボールが出るようになって、チャンスが増えた。お、パラグアイのロングシュート、GK曽ケ端が止める。どうも芝生ですべって転ぶ日本選手が多い。明らかに日本が攻めている展開なのだが。あ、やられた。後半16分。2-4。ミスを確実に点に結びつける決定力、すごい。4失点は痛い。森崎が田中に交替。FWを増やして、もう点を取るしかないという展開。残り25分で2点差。ああ、いい展開だったが、田中打てない。チャンスから一転して攻めこまれる。しのいで今度は攻めこむ。大久保のシュートは上に外れる。パラグアイが選手交替で、FWを増やす。また押し込まれてしまった。CKはGK曽ケ端がキャッチ。ああ、高松のヘディング惜しかった~。田中のシュートは左に逸れる。FW高松に代わり、FW平山!頼むよ!おっと危ない。ゴール前で主審にボールが当たってパラグアイボールに。このチーム、攻撃力はあるが、決定力に乏しいフル代表に比べるとDFのミスが多い。よし!大久保の飛び込みで得点!後半36分で1点差!3-4。堅守のパラグアイという印象だったのに、思わぬ乱打戦になってしまった。オフサイドのボールを蹴った田中にイエローカード。もったいないなあ。あああ、CK小野→トゥーリオ、惜しい!残り5分。小野が前を向いてボールを持つと、とても安心できる。ああ、惜しい、オフサイド!小野から平山、トゥーリオ、田中へのボールは、得点の予感がある。ロスタイム4分。おっと、危ない。ロングボールを放り込むのだが、散発。さあ、コーナーキック。ああ、平山のヘディングはGK正面。3-4で敗戦。【追記】No.2フジ系列では藤原紀香さんと吉田秀彦さんのコメント。何の意味があるんだ?いや、タレントさんにはお仕事だという意味があるのだが。【追記】No.1で、夜泣き城のララバイ、今夜もオリンピックのサッカーなど見ております。FWが大久保と高松。パラグアイはブラジルを破って出てきたチームだから、簡単に勝てるわけないわなあ。最初のシュートは阿部のグラウンダー。おっと、前半5分、ゴール前の判断ミスで失点。ああ、那須だナス。あっけないわ。今野のボレーシュート。はずれ。あ、小野が足をひきずってる?ああ、ゴール前で大久保と高松が重なった、残念。お、PKもらった!小野が蹴って同点!前半22分で1-1の同点。さあ、これでサッカーらしくなってきた。パラグアイの動きが速い。うわっ、危ない。徳永にイエロー。わ、直接FK入れられた。前半25分。これで1-2とパラグアイがリード。GK曽ケ端が時間オーバーで間接FKを取られる。続けて日本のファウル。あらあら。なんとか前半のうちに同点にできないか。あ、また失点!前半37分。1-3とパラグアイがリード。ヒメネス&カルドソにやられっぱなし。ああ、前半終了~。昔の知り合いで電話番号の語呂合わせを作るのが得意なやつがいた。そいつの電話番号は「夜に泣く人、皆おいで」だった。ああ、「アザミ嬢」だな、と思った。 ♪ ララバイ ひとりで ♪ 眠れない夜は ♪ ララバイ あたしを ♪ たずねておいで中島みゆきさんのデビュー曲は1975年の「アザミ嬢のララバイ」。元のタイトルは「ララバイ」で、ご本人は今もそう呼んでいるそうだ。ヤマハのポプコン系は今ひとつ好きになれなかったのだが、妙に気になる曲だった。最初の数年、みゆきさんはレコードを買って聴く対象ではなく、ラジオで聴く歌手だった。字でタイトルが「アザミ嬢」だとは知っていたのだが、なぜか聴いているといつもヨーロッパ風の古城を思い浮かべてしまう。頭の中で「アザミ城」になってしまうのだ。しかも、アザミが蔦のような植物になってしまう。今でもわかっていながら、夜の、蔦のようなものがからまった古城を思い浮かべる。夜中にそんなところに行ったら、帰ってこれないぞ。
2004.08.13
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【追記】No.8美浜原発3号機の事故で犠牲になったのは、「下請け」の作業員ではなかった。木内計測は関西電力の子会社、関電興業の下請けである。関西電力から見れば「孫請け」だった。危険作業は必ずそんなところへ外注に出す。コスト削減で経済効率が優先され、安全性が軽視されるのは、自分たちが犠牲になることがないからだ。事故にまで至らずとも、社員と孫請け作業員の被曝線量が桁違いなのは、言うまでもない。【追記】No.7お~、2-2の引き分け~。すごい試合でしたわ。寝るべ。私、明日は使い物になりません。明日も、か。【追記】No.6後半33分、やっとギリシャが得点、これで一点差。今までぶ~たれていた客席がものすごい盛り上がり。残り時間が十分以上あるので、逆転可能。あ、PK!これで同点、2-2。後半37分。韓国苦しい。わたしゃ何実況やってるんだ。【追記】No.5夜なべ仕事は早々に切り上げて、ただぼぉっと韓国対ギリシャのサッカーを見ています。チェルノブイリといえば、80年代後半に安いスパゲッティをしこたま食ったなあ。ヨーロッパの基準値でアウトになった麺が日本へ大量に輸入され、たたき売られていたはずです。おお、ギリシャのDFがオウンゴール!韓国一人少ないのに、2-0とリード。試合時間はあと25分程度か。【追記】No.4韓国対ギリシャ戦を眺めながら少しだけ夜なべ仕事。どっちも気合いが入らないのでいかんね。前半30分で韓国DFがイエローカード2枚で退場処分。いい試合だったから厳しいね。女子のスウェーデンもそうだったけど、少ない人数でのカウンター攻撃はヨーロッパのチームの方が恐い。東アジアのチームは、やはり人数を使って走り回るしかないのかな。その昔ワールドカップ・イングランド大会(1966年)で北朝鮮がイタリアを破って準々決勝に進出したことがある。その試合はまったく見ていないのだが、やはり走力で圧倒したようだ。おお!一人少ない韓国が前半43分に先制!きれいなシュートだ!【追記】No.3お~、終わった~!勝った~!スウェーデン相手に勝ち点3。後半もよく押し上げて、走ってくれました。やっぱうれしいわあ。スウェーデンの選手よりうまいなという印象を受けました。しかし、「なでしこジャパンとはなにか…… そのわかりやすい説明」を誰かしてくれないだろうか。いや、中身じゃなくて、呼称。野球の「長嶋ジャパン」はもっとわかりません。【追記】No.2お風呂上がり~。得点したFW荒川選手は後半途中で交代。男子フル代表DF中沢選手のような頭髪だが、ゴン中山みたいに走りまくってくれました。お疲れさん。これからスウェーデンの猛攻が始まるのか?【追記】No.1お、やった!スウェーデンから先制点。女子サッカー見始めちゃったんだけど、お風呂に入らないと。雑誌『80年代』の別冊として発行された本。『原子力発電とはなにか…… そのわかりやすい説明』。定価850円で、今でも入手可能なはずだ。あ、悪税上乗せね。「80年代別冊」は一冊目がこの本。別冊2『いこうぜ元気印―学校地獄からの脱出』(保坂展人編)。別冊3『からだの言いぶん―しなやかトレーニング・実技編』(津村喬)。こう並べると『80年代』という雑誌の雰囲気がわかるだろうか。『80年代』『クライシス』『インパクト』が70年代末に創刊された新左翼系雑誌御三家。世界がどう変わっていくのか、私にはまったく見当がつかなかった。表紙には一見きれいな砂浜の写真が使われているのだが、よく見ると奇妙な風景だ。カバーの折り込んだところにキャプションが付いている。> カバー写真=島田興生> ビキニ環礁米国核実験場爆心直下の> いっさい植物の生えていない砂浜。> 1976年8月撮影「緑の会」という名前になっているが、つまり広瀬隆さんが作った本だ。スリーマイル以降、チェルノブイリ以前。当時は原子力発電に反対すると「過激派」と思われたりしたのだが、田辺聖子さんが『暮らしの手帖』の連載で採り上げてくださったので売り上げ部数が急に伸びたことを覚えている。高木仁三郎さんもお元気だった。ピート・シーガーさんの「虹の民」を知ったのは、高木さんも来ていた集会だった。『原子力発電とはなにか…… そのわかりやすい説明』 緑の会編集 1981年1月発行 野草社
2004.08.12
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【追記】No.1今日も東京新聞を買った。値段が安いのがよろしい。地元のどかな新聞も安いのだが、共同通信から配信された記事以外はちょっといただけない。東京新聞テレビ欄には横澤彪さんのコラム「言いたい放談」があって、今日は「ブーイングありがとう」。> 「ブーイングをありがとう。おかげで> 優勝できました」というぐらいの余裕> をもちたいものだ。結びの言葉に納得した。オリンピックはひんまがった醜いナショナリズムに結びつきやすいので、心に余裕のない人はあまり見ない方が良いのかもしれない。私は余裕がないので、サッカー以外に見ようと決めている種目はない。早速今夜からサッカーの予選が始る。日本代表が出る女子サッカーではなくて、その後の時間にやるサッカー・男子予選「ギリシャ×韓国」が楽しみ。いきなり絶好調開催国ギリシャと当たる韓国代表チームの活躍に期待したい。「文字の大きさ変更機能」が追加されましたね。ちょっとバランスが悪いのですが、読みにくいとおっしゃる方が多かったので、メイン項目とサブ項目の文字の大きさを「中」に変えました。「読む」ということをしていただきたいのです。それが楽天広場住民の交流ですよね。-----------------------------------夕方、事務所のベランダで蝉が死んでいた。地上に出て一週間、懸命に鳴いて生を終えたのだ。特に傷もないので、生をまっとうできたのだろう。ここ一ヶ月聞こえる蝉しぐれは、同じ蝉が鳴いているのではない。順に地上に現われてはすぐに死んでいく蝉たちなのだ。「ヒグラシは一日で死ぬの?」と訊かれた。「その日暮らし」から来た名前だろうと言うのだ。調べてみると、やはりそうではない。「日を暗す」悲しげな鳴き声だというのが由来なのだそうだ。夏はもうすぐ終わる。
2004.08.11
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【追記】No.4外出している間にルータが暴走していました。そのためしばらくの間幻泉館鯖が利用できなくなっておりました。ご迷惑をおかけして申し訳ございません。そろそろ利用できるはずです。【追記】No.3今日は東京新聞を買ったのだが、朝日の「天声人語」に相当する「筆洗」で加東大介さんの『南の島に雪が降る』を採り上げていた。昔の黒沢映画でおなじみの俳優さんで、沢村貞子さんの弟さん、長門裕之さんと津川雅彦さんの叔父さんに当たる。ニューギニアで飢えやマラリアに苦しむ日本兵を、即席の演芸分隊が鼓舞するという泣き笑いの実体験。加東さんが「文芸春秋」に掲載した手記が1961年に本人の主演で映画化された。1995年にも、高橋和也、根津甚八、菅原文太さんたちの出演で再映画化されている。この原作が知恵の森文庫から復刊されたのだそうな。あの『放送禁止歌』が入った文庫だ。光文社、なかなかいいじゃないか。これは買い、でしょう。『南の島に雪が降る』 加東大介 知恵の森文庫 b か 2-1 定価:780円(悪税込み)【追記】No.2関西電力美浜原発3号機で起きた蒸気漏れ事故では4人が死亡し、7人が重軽傷を負った。全員が下請け会社の社員だというところが、さらに涙を誘う。東海村もそうだった。いつもそうなんだな。大阪天王寺の会社だそうだ。なんだか春一番を思い出して、とても悔しい。原子力関係の事故隠しは、もう常識になっている。今回は本当にそれだけなのか。原子力はことさらに平和利用が強調されてきたが、その開発は常に日本の再軍備化と一体だった。もしかしたら、もう隠れ蓑の原発は要らないというところまで来ているのかもしれない。北朝鮮や中国の脅威を宣伝し、核兵器保有に国民の同意を得る。最悪のシナリオなのだが、もちろんこんなことは私の妄想で終わらせなければならない。【追記】No.1昨日の夕陽画像。別のカメラ(PENTAX)で撮ったものを追加しました。更新しました。夕陽が好き![I Love Sunset!]富士山の万年雪がほとんどなくなったそうだ。山頂の銀明水もほとんど涸れている。今年の暑さでということではなく、このところずっとそうなのだという。富士山周辺には雪解け水が数十年をかけて地表に現われる湧水が多く、あまり水で苦労せずに済んだ。例外は三島の楽寿園で、東レが水を汲み上げ続けたために池の水がまったく涸れてしまった。無残な池の跡地だが、これは富士山周辺の、数十年後の姿を見せてくれているのかもしれない。ピーター・ポール&マリー(Peter, Paul and Mary)「井戸端の女(Jesus Met The Woman)」はヨハネ福音書に由来する歌だ。福音の歌なので、まさにこれがゴスペル。あまり言及されることがなかったと思うが、この人達はとても器用なので、原初的ロックンロールもゴスペルも実に楽しく聴かせてくれる。ボブ・ディラン(Bob Dylan)の「風に吹かれて(Blowin' in the Wind)」をPP&Mで先行ヒットさせたプロデューサーは実に炯眼だったのだなと思う。 ♪ Jesus met the woman at the well ♪ Jesus met the woman at the well ♪ Jesus met the woman at the well ♪ And He told her everything she'd ever doneこの先で夫の数がどうのこうのと歌っているのだが、この歌詞は聖書に出てくる話を知らないと何のことかわからない。イエスさんは喉が渇き、井戸端の女に水を所望する。そこで二人は不思議な対話をするのである。イエスとその弟子たちはファリサイ派(パリサイ派)の弾圧を恐れ、ユダヤを脱出してガリラヤへ向かう。その途中に通りかかったサマリアで、弟子たちは食料の買い出しに走り、喉の渇いたイエスが一人で井戸の水をもらいたいと女に頼む。当時のユダヤ人とサマリア人は反目し合い、会話をすることがなかった。サマリア人はユダヤの異端であり、差別されていた。サマリア人の父祖ヤコブの井戸の水をユダヤ人イエスが欲しがるのは、筋違いだったのだ。譬えの宗教キリスト教の福音書の中でも、ヨハネによる福音書は「霊的」と言われるように、話がいかにも宗教的でわかりにくい。マルコによる福音書などと違い、実際イエスが生きていた時代からはだいぶ下ってしまい、イエスのユダヤ教改革運動とはだいぶ隔たった「キリスト教」ができあがりつつあったのだろう。肉体の「渇き」と物体の「水」は二人の問答の中で、精神の渇きと永遠の「生命の水」の話にすり替えられる。井戸端の女は結婚に失敗している。異端サマリア人の中でもアウトサイダー。その精神の渇きから、イエスとの対話の中で救世主が現われたことに気づき、「その水をください」と言うのである。別にキリスト教について語りたいのではない。私はただ水のことを考えていたのだった。ヨハネがキリスト教に盛りこみたかったことではなく、譬えに「水」が用いられていることに感心する。誰にでもわかる「水」と「渇き」。そして生きていくうえでもっとも大切なものだからこそ、譬えになるのだ。サイパンや広島や長崎の人たちは、水をどれだけ求めても飲むことができず、そのまま亡くなっていった。そこでは普通の水こそが「生命の水」だった。もちろん、南京や重慶にも、同じ光景があったはずなのだ。その光景を想像するだけの努力がなければ、原爆は東洋鬼に下された天罰で終わってしまう。ニッポンの国際責任、結構な話だ。それで、大東亜戦争の責任はちゃんと果たしたのかね?もちろん、最高責任者の責任も含めて。日本ではファシズムに対してレジスタンスが存在しなかった。国民全員が国家神道という怪しげなカルトの信者として振る舞った。その象徴のように見える靖国神社に、総理大臣が参拝している。これはほとんど挑発行動のようなものである。ドイツに留学していた高校生は、一年の間に何度も繰り返し第二次世界大戦を学習させられた。自分たちの手でナチスドイツの記憶を掘り返し、考え、語らなければならない。そういう努力をしなければ、ドイツはユーロの一員として認められないのだ。一件無理なく経済進出したかのように見えても、首相が挑発的に靖国参拝を続け、かつての侵略戦争をまったく反省していないようでは、いつまでも「反日」的感情が続くことだろう。
2004.08.10
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【追記】No.2日没がだいぶ早くなってきた。あと一ヵ月と少しで秋分の日。昼と夜が同じ長さで日没が午後6時になる。まだまだ暑いけれど、秋がそこまで来ているのだな。夕方になってあいにく西の空は雲に覆われてしまったけれど、刻々と変わる雲の色を大勢の人が眺めていた。その美しさは写真には写らない。更新しました。夕陽が好き![I Love Sunset!]【追記】No.1テレビをぼぉっと見ていたら、今日の日付1969年8月9日はシャロン・テートの惨殺遺体が発見された日だと言っていた。以前日記で触れたことがありましたな。ウッドストックの夏です。「マンソンがビートルズから盗んだ歌:U2」小学校5年生の夏休み、家族で九州旅行をした。他に家族で出かけたことなどほとんどないので、いい思い出になっている。父も母も、今の私よりずっと若かった。母が若い頃暮らした唐津はのんびり市とよく似ていたが、海はずっときれいだった。足の下でヤドカリが動いてた。唐津の町で、創刊何号目かの『COM』を買ってもらった。マンガ雑誌を買い与えておけばそれを何度も繰り返して読んでいる、おとなしい少年だったのだ。「火の鳥」や「フーテン」のコマ割りまで覚えてしまった。長崎は原爆と殉教の地だった。共済会提携の安旅館でお風呂に入るとき、とても恐かった覚えがある。どこの土地でも昔から数多くの人が生きて、そして死んだはずなのだが、ここは特別なのだという思いがした。黒いタイルに流れるお湯が恐かったのだ。平和公園の「平和祈念像」の前で写真を撮った。オリンパスペンという、ベストセラーのカメラだった。ハーフサイズといって、35ミリのフィルムで二倍の枚数の写真を撮ることができた。亡き父の撮った写真は肝心の平和祈念像がフレームから外れ、弟も下を向いてしまっている。長崎の「バーチャル観光」サイトによれば、「右手は、天を指して原爆の脅威を示し、水平に伸ばした左手は地上に恒久平和あらしめよと人類に諭し瞼を軽く閉じて犠牲者のめい福を祈っている」。その顔は性別や民族を超えた人類を表すように作られたのだと、当時説明を聞いた覚えがある。行きは寝台特急「さくら」だったが、帰りは鈍行の夜行列車で横になった覚えがある。今思えば貧しい旅行なのだが、もちろん幸せな思い出だ。それから十年近く経って、私は上京して学生生活を送った。井の頭に下宿があったので、毎日井の頭公園の中を通っていた。自然文化園は有料なのでずっと入ったことがなかったのだが、『がきデカ』に出てきた八丈島のきょんがいるというので、友人と見に行った。今はそんなことはないと思うのだが、きょんは放し飼いに近い状態で通路を走り回っていた。そして、井の頭自然文化園に彫刻館があるのを初めて知った。長崎出身の彫刻家、故北村西望氏のアトリエがあり、長崎の平和祈念像の原型となった彫刻が展示されているのだ。なぜアトリエが井の頭自然文化園にあったのかずっと不思議に思っていたが、この平和祈念像を制作できる場所に苦労していた北村氏に、東京都が場所を提供したという経緯があるのだそうな。唐突に感じた平和祈念像だったが、井の頭にこの像があるのは、むしろ自然なことだったのだ。今度吉祥寺に行くことがあったら、寄ってみようと思う。加川良さんの「アイ&アイ」から。 ♪ 水 水 水 水 ♪ 欲しいのは水
2004.08.09
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【追記】No.3アジアカップでの「反日応援」でネット右翼が大喜びしてるようだな。あほか。対立感情を煽ってどうする。そんなやつが他国の「民度」語るなんぞ、これをまさに笑止千万と言うんだよ。【追記】No.2日曜日なので毎日新聞を買った。明日は休刊日らしいので、ちょっと得した気分。週間テレビ番組表を見れば、オリンピック開会式など載っている。おお、知らんかった。別刷りでアテネ五輪開幕直前特集なんかも付いていた。オリンピックなあ。サッカーだけは見ないと。例によって開会式より先。8月12日(木)の深夜2時20分から。忘れないようにしないと。実はオリンピックやワールドカップは、欧米でやってくれた方が私は見やすいのです。バルセロナの時は夜なべ仕事の友にテレビをつけていて、岩崎恭子ちゃんの快挙を見ました。【追記】No.1日記本文に壁紙がかぶってしまうのはなぜなのか、わかりました。「メインの背景色」が「背景色なし」になっていたからです。壁紙を設定していなければ結果は同じなのですが、壁紙がある場合、明示的に「#FFFFFF」を指定しないといけないのですね。「背景色なし」だと、壁紙が表示されてしまうのです。ついでに、「項目名の背景色」を「#EEEEEE」とうっすら灰色にしてみました。本文と区切りがないと、わかりにくいようなのです。後はリンクの色をどうしようかということぐらいかな。八月は亡くなった人を思う月なのだろう。十月は黄昏の国、八月は黄泉の国。生きている者は亡くなった者のことを思い、その思い出と共に生きる。去年の八月はとても静かな八月だった。雨上がりの深夜、大きな病院の駐車場で空を見上げた。星空だけがあった。喜怒哀楽とは関係のない、「空(くう)」だけがあった。-------------------------------------涼みに入った本屋さんで、講談社文庫の『新装版 虚無への供物』を見つけた。上下二巻本になっている。これはずいぶん以前、一冊になっている版を同じ講談社文庫で買ったはずだ。不思議なことにその一巻本も一緒に並んでいる。どこが違うのかと思ったら、文字がだいぶ大きい。中井英夫さんの本を買う人は年齢層が高いのかな。帯に付けられた宣伝文句が京極夏彦さんと綾辻行人さんだというのが、実に今様である。違う版だからと自分に言い訳しながら、読みたくなったので買ってしまう。冒頭を読んで驚いた。こんな始まりだったかしら。本当に何も覚えていないのだ。実に情けない。しかし、何度も楽しめていいじゃないか。かろうじて、洞爺丸事件がこの本の執筆動機になっていたことだけは思い出した。冒頭でも、1954年がどういう年だったかという時代背景をきちっと説明している。1954年9月26日、青函連絡船洞爺丸が出港直後に台風15号のため転覆。死者行方不明者1055名という、とてつもない海難事故となったのである。水上勉さんの『飢餓海峡』も、同じ事故を素材にしている。突然千人を超える人の生命が一瞬のうちに失われてしまう、この理不尽な事故は作家の想像力を大いに刺激したのだろう。中井英夫という作家を知ったのは、70年代末に小さな書店でアルバイトをして暮らしていた時だ。『とらんぷ譚』という不思議な装丁の本に心惹かれ、2割引で買った。滅法おもしろかったので、続けて文庫で『虚無への供物』を買ったのではなかったか。
2004.08.08
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【追記】No.2ひさびさにテレビでサッカー観戦。中田選手のゴールは神の手だったのか?さっきの映像ではわからない。玉田選手の3点目で、頭がすっと軽くなりました。いやあ、アジアカップすごかった。ワールドカップの予選突破は、アジアカップ優勝に匹敵するほどハードなものなんじゃないのか。大変じゃのぉ。【追記】No.1これも前に書いたことだと思うが、ニューヨークの世界貿易センター(WTC)跡地を「グラウンド・ゼロ」と呼ぶのには抵抗がある。「ground zero」は原爆の爆心地ではなかったのか。このままでは核に対する恐怖も、ブッシュが恣意的に決める「テロリズム」への恐怖にすり替えられてしまう。「十字軍」「悪の枢軸」「グラウンド・ゼロ」最初は失言のように見えた言葉が事実を駆逐し、どんどん歴史を捏造していく。 ♪ 広島へ帰ろう ♪ 好きさー! 広島が!1971年の中津川フォークジャンボリー、ビクターSF版に入っていたサブステージでの拓郎さんの「人間なんて」はすごかった。前にも書いたのだが、友人の家で私のこのレコードを聴いていると、小学校の教頭をしていた友人の父親が「気違いか」という差別的言辞を吐いたほどだった。私たちはそれを小気味よく思ったのだ。エレックから出ていた『人間なんて』(1971年)は買わなかった。中学の同級生が買ったので、それを聴かせてもらったのだ。当時は好きなアルバムだからといって、次々に買うことなどできなかった。あいつがこれを買ったから、別のを買おうということになるのだ。「人間なんて」は弾き語りのおとなしいアレンジ。中津川のライブ盤を聴いた時は度胆を抜かれた。その友人の父親は被爆者手帳を持っていた。爆心地近くの片付けをした部隊にいたのだという。私たちが高校生のころは身体を悪くして、家で療養していた。若い頃は楽団にいたのだと、古いギターを見せてくれた。私が大学に合格したのを喜んで、ステーキを御馳走してくれた。そうだ、この人は時々レコード会社の工場から盤を持ってきてくれたのだ。それから数年して、友人の父親は亡くなった。その死は原爆とは直接関係ないものとされた。友人も被曝との因果関係をつきとめようとはしなかった。でも、ヒロシマと聞くと、あの優しかったおじさんを思い出す。巴里雀さん、CAT-Oさん、おてんとさままる。さん、ありがとうございます。レス付けていませんが、亡くなった人のことを思い出すことができました。
2004.08.07
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【追記】No.2浜へ行って驚きました。始めて見ました、サメで「遊泳注意!!」。以前にも出ていたのかしら。西の空は雲で真っ黒になっていて、夕陽はおあずけでした。【追記】No.1タイトルに使った「やさしいにっぽん人」は東陽一監督の映画(1971年制作)から採ったものです。主題歌を主演の緑魔子さんが歌っていました。 ♪ 疲れたら眠りなさい ♪ わたしが歌をうたってあげる作詞は東監督なんですが、作曲は田山雅充さんなんですね。今回知って驚きました。認識や言葉の不確かさを歌っています。 ♪ あなたが森と思っているものは ♪ 死んだ人たちの爪の跡 ♪ あなたが風と思っているものは ♪ まだ生まれていない息子たちの声高校生の女の子たちの会話が耳に入る。私の出身高校の後輩たちではないか。私がいたころは45人のクラスに女子が7人いたのかな。今は男女比が同じぐらいなので、学校の雰囲気もだいぶ変わったのだろう。サッカー部の男の子たちが韓国遠征に行くらしい。といっても、練習試合をした翌日はKリーグの試合を観戦したりで、観光旅行みたいなものらしい。いいことだよな、隣国がちかくなるのは。韓国のサッカー少年たちと友達になって、楽しく国際交流してほしい。女の子たちの一人が妙なことを言い出す。「危ないじゃん! 日本人だってわかったらボコボコにされるよ!」アジアカップでの「反日応援」を韓国のことだと思い込んでいるらしい。さすがに他の女の子たちが、その勘違いを訂正している。無知が悪であることもあるのだ。サッカー部の少年たちは海峡を渡って何を見てくるのだろう。ホイットマンはアメリカを歌う。先住民や黒人を歌う。侵略と虐殺と差別の歴史。それでもホイットマンはアメリカを愛し、アメリカを誇らしげに歌うことができる。私はそんなふうに日本を歌うことができない。そんなふうにアイヌや朝鮮人を歌うことはできない。千本浜の夕陽を愛しているが、「反日」の言葉しか出てこない。「やさしいにっぽん人」よ、私は何よりもお前がダメだと思うのだ。
2004.08.06
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【追記】No.1少しはこの名曲のことにふれないと怒られますので、ちょっとだけ。「祭りのあと」は吉田拓郎さんがメジャーに移籍して出した『元気です。』(1972年)に入っていた名曲です。岡本おさみさんという人はすごい歌詞を書くなあと感心しました。Dr.悠々さんが書いてくださったように、唐突に現れる「慰安」という硬い言葉にインパクトがあるので、まさに通俗的歌謡曲の世界を異化してくれます。 ♪ 日々を慰安が吹き荒れて 帰ってゆける場所がない ♪ 日々を慰安が吹き抜けて 死んでしまうに早すぎる心に響く言葉なのに、聴く度に意味がするりと形を変えてしまいます。いろいろなことを考えてしまいます。「誤解は創造の母である」(鶴見俊輔)そうなので、さまざまな誤解を許してくれる、奥の深い曲だと思います。ただ、このごろは「慰安」という言葉がまったく違う強烈な文脈で遣われるので、「祭りのあと」はかわいそうな曲だなと思います。「comfort(慰安)」に「women(女性)」を続けると、「comfort women」つまり「慰安婦」になってしまいます。この落差は厳しいですね。「pure(純粋な)」にすることという意味の「purification(浄化)」が、「民族浄化」という恐ろしい行動を指して遣われているのを連想します。 ♪ もう笑おう もう笑ってしまおう ♪ 昨日の夢は 冗談だったんだと楽天広場の定期メンテナンスが終わった。終了後は例によって例のごとく、システムが安定しない。混雑じゃなくて混乱だろうということを書いてい人がいたけど、今はまさに大混乱のただ中なのだろう。流行のblogによくあるようなデザインを導入するのは、それはかまわない。しかし、従来の「楽天広場」型のページが今までどおりに表示されないというのは、これは楽天広場の手抜きである。どんなユーザーがどんな形でアクティブなのか、楽天広場は肝心なところを見失っているのではないだろうか。あの手この手を使ってカウンタの数字を上げてランキング上位に名前の載るサイトがアクティブなのではない。互いの日記をちゃんと「読んで」、コメントを「書き込む」人達がアクティブなのだ。今はそんなことをしている時間がないのだが、私は元々HTMLをいじったりするのが好きだ。それで自前鯖まで立ち上げてしまった。ただ、ホームページを作るとき、いくつかの目標を考えた。その中でもっとも重要なのが、「読みやすい」ということだった。どのブラウザで見ても、表示が乱れないこと。文章が読みやすいこと。表示スペースが限られていて、行間の空きも保証されないので、ウェブ用の文体も考えた。原稿用紙を埋めるつもりで文章を書くと、ブラウザではひどく読みにくいのだ。本来は200字程度の一段落でひとかたまりの内容を表現すべきなのだが、ウェブではもっと短く切ることにした。段落は一字下げで表現するのではなく、一行空けることによってスペースを作り出す。論理的な文章であってもなるべく短い文にして、文体も会話体に近いものにする。以前の楽天広場での設定も、幻泉館本館での設定も、フレームの中の小さなスペースに日記本文を表示するようになっていたので、やたらに細切れにした文章を書いていた。その方が読みやすいから。今回試しに楽天広場で広いスペースで本文を表示できるようにしてみた。これだと、以前書いたような文章はスカスカに見えてしまう。読みやすくするには、もう少し普通の文章に近づける必要があるのだろう。楽天広場のデザイナー氏は、ブラウザで文章を読み書きするということをしたことがあるのだろうか。ソニー・マガジンズから出ていた『メイキング・オブ・ブレードランナー』という、実にいいかげんな本のことを思い出してしまったわ。こんないいかげんな改変を繰り返してユーザーがどんどん減っていったら、気づいた時にはもう後の祭りだぜ。
2004.08.05
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【追記】No.1いやあ、管理ページに入れなかったり、操作蹴られたり、うまく動けませんわ。もう連打しかないですな。ブラウザ、リロード!連打、連打、連打!レイアウトのサンプルを見ると、トップページの右にカレンダーを入れることができるようなのですが、どこにあるのか見つかりません。入れたいなあ。どうすればいいんだろう。デザインに関しては、もっと軽くなってからいろいろ試してみたいです。『ゲゲゲの鬼太郎』というタイトルは、どうもしっくりこない。最初に出会った時のタイトルが『墓場の鬼太郎』だったからだろう。これは1965年のこと。貸本時代の『墓場鬼太郎』ではないが、『ゲゲゲの鬼太郎』とはだいぶ雰囲気が違うものだった。後に『ガロ』でも『鬼太郎夜話』を読むことになる。以前書いたのだが、1973年に虫プロが倒産した。「虫プロ倒産(1973年)」そのおかげで、高校生になっていた私は虫プロの「虫コミックス」を捨て値でたくさん買うことができた。同じ古本屋さんで、『カムイ伝』連載していたころの『ガロ』も安く買うことができた。それで『鬼太郎夜話』を読んだり、虫コミックスに入っていた『ゲゲゲの鬼太郎』を入手したのだ。ヒナのワンダーランドで、『ゲゲゲの鬼太郎』を見つけたのである。虫コミックスはほとんど散逸してしまったのだが、『ゲゲゲの鬼太郎』は三巻残っていた。タイトルこそ『ゲゲゲの鬼太郎』になっているが、中身はまぎれもなく小学生のころに読んだ少年マガジン版の『墓場の鬼太郎』だ。タイトルが『ゲゲゲの鬼太郎』に変わったのは、『週刊少年マガジン』に連載中テレビでのアニメ化を狙ってのことだったらしい。実際、1967年に改題した翌年にテレビ放送が始まった。アニメではずいぶんかわいらしくて正義漢になってしまった鬼太郎君だが、結果的にはそれが鬼太郎を社会に認知させたのだから、大成功だろう。主題歌は熊倉一雄さんが歌うアレ。 ♪ ゲッゲッ ゲゲゲのゲ~作詞が水木しげるさん、作曲がいずみたくさんと、実に楽しい曲。番組エンディングに流れていた「カランコロンの歌」は、サザエさんの声でおなじみの加藤みどりさんが歌っていた。 ♪ カラン コロン カランカラン コロンこちらも水木しげる&いずみたくのコンビが作詞作曲であります。あ、関係ないんだけど、人間椅子の皆さんはお元気なのかな。『ゲゲゲの鬼太郎』第一巻「幽霊一家」 昭和47年3月30日発行 定価260円 幽霊一家 手 夜叉 大海獣 おばけナイター 地獄流し 吸血木『ゲゲゲの鬼太郎』第二巻「妖怪大戦争」 昭和47年4月15日発行 定価260円 吸血鬼エリート 水虎 鏡爺 だるま 幽霊電車 妖怪大戦争『ゲゲゲの鬼太郎』第三巻「妖怪獣」 昭和47年4月30日発行 定価260円 妖怪獣 峠の妖怪 見上げ入道 ねこ娘とねずみ男 さら小僧 電気妖怪
2004.08.04
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楽天のシステムがまだ不安定ですね。新しいフォントは、新デザインでないと見にくいようです。楽天の場合は、お仕着せのデザインをそのまま使うと読みやすい表示になるようだ。従来の楽天広場のデザインよりも、いかにも「blog」らしいデザインを勧めている。システムが重いので、デザインの設定など試行錯誤が繰り返せない。ひとつ気づいたのは、壁紙を設定すると日記本文の後ろにも画像が敷かれてしまうこと。前のデザインでは文字用の枠を開けてくれた。壁紙の上に文字を表示するのは読みにくいので、今まで使っていた画像は外した。デフォルトだと「おすすめ新着」の表示が5つになっていますね。これでは足りないので、10に設定しました。わからないのは「カテゴリ」だなあ。どう使うのかよくわからない。誰かが活用しているのを参考にさせていただくことにしよう。混雑する中、少しずつ書き込んでおります。今日は「追記」が多いので、上積みの追記を明記しておりません。
2004.08.03
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アメリカで民主党の大統領候補がラングストン・ヒューズの言葉を引用したと聞いて、ふとウォルト・ホイットマンを読み返そうと思ったのだ。ホイットマンを訳すのには、「ぼく」という一人称がいいなと思う。どうも「わたし」だと今ひとつしっくりこない。ヒナのワンダーランドをひっくり返すと、いろいろ出てきた。いつのまに、こんなにたまったのかしら。思潮社の海外詩文庫『ホイットマン詩集』(木島始 訳編)岩波文庫『対訳 ホイットマン詩集』(木島始 編)岩波文庫『ホイットマン詩集 草の葉』 (杉本喬 鍋島能弘 酒本雅之 訳)岩波文庫『ホイットマン詩集 草の葉』 (杉本喬 1998年改訳版)"Leaves of Grass" SIGNET CLASSIC"Leaves of Grass" MODERN LIBRARY
2004.08.02
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一五一会やバックパッカーを、野外で弾いてまいりました。
2004.08.01
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