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あれから3年がたちました。死にかけて、2回ほど大きな手術をして、なんとか3年生きました。3年前のあの日々が、雲の中の出来事のようです。あれ以来、パパのことを思い出さない日は一日もないけれども毎日かかさず思い出すのは、最期の日のことです。侘しさも寂しさもむなしさも何も変わらず。
2019.09.11
よく思う。やっぱり、私は、子供のころから一人でいる時間が長すぎたのかな・・と。一緒に暮らしている人とのかかわり方とか、距離感がうまく保てない。10年以上、誰かと暮らしてきたから、最初は寂しく考えるかもしれないけどひとと暮らしていくのは向いてないから、ひとりで生きていったほうがいいのかなと
2019.02.01
私は、真面目すぎると上司から心配されたほどに自分でも真面目に仕事に取り組むことをこころがけている。間違っていることは間違っているというので、社内では煙たがられてるけどお客様からの信頼は厚いし、お客様がお困りとあらば、飛行機にでも新幹線にでも乗ってかけつけたりする。でも・・。必死で仕事をしていても、悪いことばかり起こると、だんだん疲れてくる。仕事中でもかかってくる学校からの電話は、学校トラブルの件で、毎度、会社をでてから、修羅場となる。教会にいくと、自分勝手な人たちが、自分の思い通りのことをしたいと大騒ぎしてる。パパは、いつまで待っても帰ってこない。パパは、何代目かのお弁当箱がこわれて、私がちょっといい感じのお弁当箱を買ったら喜んで、嬉しそうにお弁当箱用の袋を買ってきた。ここに保冷材も入るんだよ・・って嬉しそうにいってた。その光景はいまでもはっきり覚えているけど、ほとんど使うことなく入院・治療・自宅療養でお弁当箱は活用される機会をうしなったまま持ち主を失ってしまった。パパのお弁当箱が壊されたときいたとき、そんなことが改めて思い返された。パパはもう二度と、あのお弁当箱を使うことがないんだから、壊れてもいいんだろうけど、私たちの思い出も一緒に壊れたような気がした。なんか悲しくなった。夜になって仕事が終わっても、罪人には心休まる暇はない。
2018.06.11
会議から戻ったら、すごい数の着信だった。 なにやら下校時のトラブルで、王子が病院に連れていかれ、警察で事情を聞かれるらしい。 じゃあ急いで向かう、、と話してたら、どうやら相手の子の父親が登場したらしい。 、、、。 そうだよね。 私なんかお呼びじゃないよ。 こういう時は父親でしょ、、。 女親なんて、警察からも相手の親からも馬鹿にされて、対等な扱いなんて受けない。 しかも、所詮、女親しかいないから、父親がいないから、こんな騒ぎを起こす子どもになるんだという目で見られるし。 じゃあ私はどうすればいいんだろう。 自分で選んで生き残ったわけじゃないよ。 この世の中の大部分のことは、少しでも傍観者でいられるほうが幸せに暮らせる。 ほかの人たちがそうであるように、私も傍観者でいたかった。 自分は何も大きな望みもなく、ただ日々、コツコツと仕事してるだけなのに、周りはいつも、私を可哀想な人にする。 これといって望みも欲もなく、小さな会社であくせく働き、狭くて古い家でもみんなで暮らせることで充分満足してたのに、周りの人たちはいつも、私から静かな生活を奪って、出来ない事ばかり強いて、出来ないことを責めるんだ、、、
2018.05.25
いいママになりたい。なれないから教会に行こうと思った。でも、なれないまま、パパが死んだ。だから、いいパパであり、いいママになりたくなった。でもなろうと思えば思うほど空回りしている気がする。全然いいパパにもなれないし、いいママにもなれない。限界を感じる。生まれてきたとき、あまりの可愛さに、世界一幸せになってほしいと思ってたのに、どうしてこんなことになっちゃたんだろう・・。
2018.05.21
最近、イライラしている自分を自覚してる。妙なストレスがあると、イライラがずっとおさまらない。最近よく王子が学校にいったか、と色んな人に聞かれる。会う人会う人に聞かれるほど、重要なことなのかな・・。でもしつこく聞かれれば聞かれるほど、自分が責められているようなそんな気がしてくる。学校の先生がICUに登場したとき、結局死ななきゃ、いつまでも追いかけられるのか・・っと、ガッカリした。病気だろうが死にかけていようが息があるうちは、重たいものを背負わされてる。半分以上、担ってくれていた人はもういない。もう無理だよって、思うんだよね。
2018.04.09
パパが死んでから、早くも2度目の新年を迎えてしまった。あちこちでおめでとういう声が聞こえるけど、やっぱり何がめでたいのかさっぱり理解できない。パパが死んだのに、めでたいわけないし。。一応、正月というものがピンときていない王子には、「日本の正月というのは、おじいさん・おばあさんのところにみんなが集まる日で、祖父母・父母・子供 が、みんな集まってごちそうを食べたり、お年玉をもらったり楽しい時間を過ごすという文化があるのだよ」と教えてあげた。まぁ、彼には縁のないことだけど。家族で旅行にいったり、田舎に帰ったりする人がおおいから東京は空気がきれいになったり、人混みが少なくなったりするのです。「みんな、東京に帰ってこなければいいのにね」そうだね。私もそう思うよ。でも、たっぷり楽しんで帰ってきちゃうんだけどね。この国は単一民族のせいか、類似の行動をとる人が多すぎる。同じ行動をとっていないものは、どこか、のけ者のような感覚に陥る。自分で選んで同じ行動をとってないわけではないんだけど・・。・・というか、むしろ、同じ行動をとりたかった。。
2018.01.11
このまえ、ボブが表紙になっているのを見たので久しぶりにビッグイシューを買ってみた。ホームレスも、ホームレスなのは努力が足りないから・・といわれることが多いらしい。王子様の学校の事務員。。私の稼ぎが悪いことを批判してた。私は弊社の中では、マネージャークラスだから給料はよいはずなんだけど公務員とか、メーカー勤務の人からみると、少ないかもしれない。上司に話すと、落ち込むだろうから話さないようにしてる。でも、きっと努力が足りないって、学校の人はそう思ってるんだろうな・・って思う。会社全体がそうなんだから、社長の努力不足?でも、子会社のメンバーはもっと給料少ないよ・・。努力不足? 病気になるまで働いている人だって、うちの会社にはたくさんいるよ。3か月間、1日も休まず働いたこともあるし、毎日朝6:30にきて、終電で帰るなんていう日々をすごしたこともあるし、同僚は半年間、家に帰れず、ついに適応障害になって会社にこられなくなったよ。うつ病になって辞めていく人もたくさんいるし・・。でも努力不足?努力は報われる。報われないのは努力が足りない(そして努力が足りないから稼ぎが悪い)・・・ってひどく仏教的な因果応報的要素を感じるのは私だけだろうか。
2017.12.25
最近、落ち着いたせいか、病気になる前のパパのことを思い出したりするらしい。面白かったから、忘れないうちに書いておこうと思った。この前、一緒に動画をみていたときのこと。。。なんか、私が苦手なおっかない映画があった・・。こういうのムリだなぁ・・っと思ってたら、「オレ、これ、パパに無理やり見せられた」ほう・・。そうですか。。「オレ、別なの見たいっていったのに、これを見るっていわれた」なるほど。。見たいけど、ひとりで見るのは怖いから、誰か巻き込みたい → でもママは絶対いやだという → 王子をまきこむこれですな。。。「車で寝てたらパパに無理やり起こされた。なんでママは寝てていいの?って聞いたら、おまえはママを分かっていない・・といって辛いガムをムリやり食べさせられた」ウケるわ~。面白いじゃん、パパ。(←私には実害がないのでOK)「パパとは全然気があわなかった。ママのほうがいい」まぁ、パパは王子を愛してたからねぇ。厳しいこともいうよね。(あとは、男には優しくない態度をとる人だからね。男は厳しく・・がモットーだったから・・)5年になってもお着換えさせてあげたり、駅まで車で毎朝送ったり、必死で一緒に宿題やったり、相当、全力投球してたよね。私にはできないなぁ。でも、パパがいなくなり、おでかけも、家でゲームしたり映画みたりも、パパがいないと、いまいち盛り上がりに欠けるんだよね・・。
2017.12.07
大事な人を失って、周りの無神経な態度・発言が一番つらいという記事をたくさん見た。わたしもそう思う。パパが死んだ一週間後、興味津々で話を聞き出そうとする人オバチャン。。会いたくて会ってるんじゃなくって、単に同じ教会にいるだけだし、こっちはなるべく避けてるのに、逃がしてくれない。自分や家族がガンになったときのために、ガン哲学外来の話を聞きたいといっていたのは聞いたけど、あなたの見聞を深めるためにパパが死んだわけじゃないよ。興味があるなら、医者に聞きなさい。「ご主人、早かったですね! 1年っていわれても、もっと長くいきるひともたくさんいますよね? 」と、何がいいたいのかさっぱり理解できないことを聞いてくる学校の事務員。殺意すら覚える。ああいう人間と二度と関わりたくないから、世を捨てたいと思うけど、それが許されない。もう、王子が何かするたびに、母子家庭だからと言われる。本人に聞こえるようにいったり、本人がいないところでいったり、いろいろだろうけど、悪いことは全部、母子家庭のせいにされる。まともな人間扱いされない。本人にも何度もいってきたことだけど、大人の社会が見えていないせいかまだ実感できないらしい。そのうち痛いほど理解できるだろうけど。神様はなぜ、人をみんな、同じにつくらなかったのだろうかと、何度思ったことだろう。あのひとよりはまし。自分は守られていて感謝・・っと人が思うために、私は存在しているんだろうか。教会での証の時間という名の、家族円満の自慢話。正直、我慢して聞いているのは苦痛でしかない。子供や孫たちと旅行にいってきました。守られました。感謝です。あの子がこんなに成長しているわかって、本当に守られているなと思って感謝しました。こういった話を何度聞いてきたか、わからない。20代のころから聞いてきたけど、まだ慣れない。子を亡くした親もいるし、親を亡くした子供もいるのに、その前で、嬉しそうにそんな話をするのは、そんな悲しい体験をしたことがないから理解できないのだと、優越感にひたっているようにしか見えない。あんたの理論では、孫や子供を亡くした人や、親をなくした子は守られてない、感謝できないってことになるんだよ。。。。たしかに、この豊かな国では家族旅行はあたりまえのことになってしまうかもしれない。でも、それができない人がいると知っていれば、優越感にひたって自慢話ができる。お祈りしたらガンがなおって感謝です、受験に合格しました・・・も、同じ。同じ病気でも治らない人もいる。死ぬ人もいる。受験に失敗する人もいる、それを知ってるから、「神様が自分のいいなりになってくれた、病気がなおった、試験に受かった」と自慢できるのか・・・、なるほど・・・。誰かが優越感にひたるためには、その陰で悲しむ人は必要不可欠だし、死んだ人間の前で自慢しても、面白くない。だから、悲しんだり苦しんだりする人は生きている必要がある。一部の人には決して手にできないものを持ってるからこそ、「神様に感謝」になる。そのために、私は生かされているんだ。。
2017.10.04
学校で成績会議というのがあり、それが何なのかもわかってはいないけど、そこで王子の名前がでたということで、呼び出された。本人はいらない、親がこいというんだけど、私が勉強するという話ではないんだよね・・・。なんで本人はいらないんだろう・・。全然わからない。勉強させろとかいわれるのはとてもつらい。パパが生きていたころから、あらゆる手をつくしてきた。(特にパパが)全部、無駄だった。一時的に成績をあげることは可能かもしれない。でも、永続的にとなると、脅しだけではどうにもならない。犬と同じで、餌(ごほうび)でつる方法が、よく使われる手法らしいけど、どうして勉強したら、ご褒美あげなきゃならないんだろう・・。不思議でならない。結果的に学校から何かをいわれるたびに、我が家は殺伐とした空気となり、一時的混乱・断絶する・・を繰り返してきた。そのたびに王子は、「明日からやる」だったけど、もちろん、その明日があればいいほうで、三日も続かない。生活のために、会社を休みたくない。ちゃんと来たい。でもこの難題に、パパ抜きで立ち向かうと体調が悪くなり、休むことになる。そもそも、私一人では無理だと分かっているのに、なんで、やってるんだろう・・。パパが死んで1年と1日目。所詮、母子家庭なんだから、問題かかえてあたりまえ。子供ができそこないで当たり前・・とは思ってくれないんだろうか。両親そろっていてできなかったことが、父親なしでできるんだろうか。親と面談すれば、子供の成績はあがるんだろうか。
2017.09.27
昨年、いまごろは・・。ぼちぼち痛みが落ち着き、倦怠感に襲われてた頃。パパがすい臓がんとわかってから、昨年のはじめころまで、パパと同じすい臓がんの人のブログをちょこちょこ見てた。久しぶりに見てみたら、力尽きた人がいたり、パパが死んでからすい臓がんの宣告をうけて戦っている人がいたり。普通の人には当たり前のことなんだろうけど、パパが死んでから、新たにすい臓がんになる人がいて、その家族がいて、私たちの日々が終わってからも、戦いの日々を続けている人たちがいるんだ・・・と、改めて思った。パパと同じ年くらいの人で、パパより早く死んだ人もいた。緩和ケア病棟、お年寄りばっかりで怖いと書いてあった。。。。よかった・・いかなくて・・・。言われてみれば、確かにそうだ。自分がお年寄りになれば気にならないんだろうけど、自分がお年寄りではない場合、お年寄りだらけで、みんな死を待つような状態だったらやっぱり怖いよね。ステージ4bで見つかっても、1年以上生きてる人もいる。パパより年をとってるほうが、長生きできるみたい。パパはジェムザールの耐性がつくのが早かった・・。劇的に効いてただけに。。。それにTS-1が全然効いてなかった。。だからジェムザールをやめてからの数か月の治療は、ほとんど無意味だったってことだ。パパと同じ年くらいの人や、パパよりちょっと上とか、下とか、いろいろな人がいるけど、この人たちと、その家族のブログを読む限り、非常に共感できるものが多い。生きている次元が同じというか・。会社の人も、学校の人も、教会の人も、よく似た別の次元に生きている人にみえる。何年も先の子供の大学受験の話だとか、教会の椅子がどーのだの、台所がどうのだの、みんな、生き続けることが当たり前の人とは、ひどく隔たりを感じる。私たちは、この一年、どうやって生きてきたのか、断片的にしか思い出せない。王子様は、パパと暮らした日が遠い過去のようだといったり、夢の中のようだと言ったりしている。私は、やっぱり同じように感じる。ただ、パパが元気だったころの写真を見ると、私たちにもこんな日があったんだ・・とまるで子供のころ、大好きだった絵本を見るような、そんな気持ちになる。逆にパパが死んだ日が近づくにつれ、1年前をリアルに思い出す。まるでパパがもう一回死ぬみたいな、そんな追い詰められたような危機感に襲われるときがある。受け入れるとか、受け入れられないとか、そういった次元ではなく、恐ろしいものに追いかけられているような、どうにもならないところに追い詰められてるようなそんな感じがする。2年前の、いまごろは、パパがすい臓がんだなんて、誰も知らなかった。1年後に、パパが死んでるなんて、思いもよらなかったころ。そんなときがあったんだ・・。次はどこにいこうか・・とか、来年はどこにいこうか・・とか、そんな、当たり前の人たちと同じように思っていたころが、私たちにもあったんだ・・。そう考え出すと、生きるのがつらくなるので、あれは夢なのだと、絵本の世界のことなのだと、思うようにしている。
2017.09.12
知人の危篤の連絡がきた。いろんなことを思い出す。ちょうど1年前のこと。もっと前に、その人の家に遊びにいったときのこと。あのときは、まさか二人が洗礼受けるとは思ってもみなかった。何回か家に行ったりしていたから、パパが死んだと聞いて、それで、いろいろ考えるところがあり、伝道集会にきたのだと、そう聞いた。そして、パパの受洗からちょうど1年おくれて、洗礼を受けた。それが昨年11月。死というと、直近のパパと、母のことを思い出す。パパは衰弱死に近く、起き上がって死んだくらいだから、最期の最期まで意識はあったけど、母はくも膜下出血で倒れたから、意識はぜんぜん戻らず、そのまま心停止だった。でも、意識レベルがとっても低下していただけで、ギリギリまで声が聞こえていたようだった。だから、最期に、ありがとうと言っておけばよかったな・・っと思ったけど、弟が来てくれたことは、想定外だっただろうから、よかった。家族が死にかけの状態のときは、頭も体も、なんか、普段とは別な状態にある。疲れたとか、眠いとか、そういうのとは別次元に妙な体調であり、頭はほとんど、あんまり考えることができない感じになってる。目の前で次々に巻き起こることに対処すべく、それ以外のことは考えられる状態ではなくなるし。でも、こうして会社の人たちを見ていると、ごく普通の状態でごく普通の日常を過ごしてる。教会はというと、やはりごく普通で、やれ椅子だのカップラーメンだのということに注力しているのを見ていると、当たり前なのかもしれないけど、どこまでいっても他人事の一言に尽きるんだろう。昨年のいまごろも、私たちは必死で死にもの狂いで、朝も夜も関係なく、1年後どころか1か月後もなく、頭の中は混乱するばかりだった。でも、なんだかんだといっても、それは他人から見ると、あくまで他人事だから、教会の人たちも、やっぱり、それはそれ・・で、やれ新しい会堂だの、椅子だのが重要だったんだろうな・・と思うと、自分たちだけが社会から孤立しているようなそんな気持ちになったのは、あながち勘違いではないのだろうと、しみじみ思う。ちょっと寂しいけど。。あれから1年。 移り変わりの早い先進国である日本なので、パパのことは風化され、過去のこととして忘れ去られ、、、それより椅子だよ。なんとも侘しい。当事者にとっては死ぬよりつらいことであっても、第三者には、日常の1コマなんだ。東日本大震災のことも、原発事故のことも、首都圏ではもう過去のことで、災害ならあちこちで起きてるし・・というレベル。原発事故は天災じゃなくて、人災だよ。首都圏の、私たちが使ってる電気のためにあった原子力発電所で起きた事故で、それがために悲しみのなかに死んだ人がいて、いまでも、いろんな人を苦しめてるんだよ、・・・なんてことは、すでに過去のこととして処理されている首都圏の人間の頭の中には何も響かない。かわいそうな人たちのために、私たちの余った時間とお金で何かしてあげましょう・・という気持ちの人はいてもあくまでそれは他人事。自分たちが加害者であるという意識はみじんもない。でも原発事故のことを他人事として捉えているうちは、社会は間違った方向にいくだけだよ。みんなの誤った価値観が、無関心が、あの事故を起こしたんだよ。この恐ろしいほどの社会の流れの速さに、みんな一番大切なことを見失っていて、それ以外のどうでもいいことにばかり目を向けさせられてる。そのことに気づくのは、いつなんだろうか。いよいよ死を自覚したときなんだろうか。
2017.09.07
二学期がはじまったというのに王子さまはまだ学校にいってない。今日はようやく一緒に家をでたのに、電車混雑で乗り換え駅で下車できず、途中で気分が悪くなり、少し休憩したけどダメで、結局家へ。うーん。どうしようかなぁ。。。まぁ、でもこの一年の彼は、いろいろ大変だった。直近のストレスは、いまだ新しい友達になじめないことととか、小学校時代の友達が恋しいことみたいで。。昨年、いまごろの出来事は、未だ記憶に新しい。経験したこともない人には、絶対わからない。想像もしなかったことに、パパがガンになり、あっという間に死にかけの状態になり、昨日できていたことが、今日はできなくなり、日々衰え、死んでいくパパを必死で看病する毎日だった。ちょうどいまごろは、ガン発症依頼、お世話になっていた病院と医師に完全に見捨てられ、どうしたらいいのかわからず、とりあえず、在宅医療に切り替えてはみたものの、在宅の先生がまったくダメダメで、どうにもならないところに追い込まれていたころ。パパも死にそうだったけど、私たちもパパ以外のことが考えられず、文字通り命がけだった。あの経験があるから、のどかにつまらないことにこだわって騒いでいる人や2年も3年も先の心配をしている人と、大きな乖離を感じてしまう。人はみんな死ぬのに、その日がいつきてもおかしくないのだと思っている人って、ほとんどいない。バカなことで大騒ぎしている人や、2・3年後の心配をしている人をみるたびに、この人は、明日死ぬと分かったら、どうするんだろうか・・と思う。自分だけは簡単に死なないという自信は、いったいどこから生まれてくるんだろう。まるで不死であるかのように、生きている。パパがガンになり、苦しい闘病生活を経て死んだことで、私は、世の中のみなさんとさらに大きく離れることになった。ほんとうは、たとえ偽りの生活であっても、みんなと同じがよかった。少数派は生きにくいし、人に理解してもらうのが難しい。教会で1か月に1回ある、証だか幸せ自慢だかわからない話も、うんざりすることがある。病気がなおっただの、家族旅行でのハプニングが、お祈りしたら解決しただの、神様が自分の言うなりになったという自慢話が多い。ただ、最近、自分の思い通りの教会を作りたいという人が増えたような気がする。人間の思い通りにした教会。そこはもはや神の宮ではない。どんな教会を作ろうが自由だとは思うけど、次世代に継承したいとかいって、そんな、一部の人が金の力にものを言わせてやりたいことを実現した教会を押し付けられてはたまらない。
2017.09.05
何を、どういったら、想いが届くのか。届くことはないのか。なんとか野菜やコメを売るため、昼食作成やら出張販売やらあの手この手を打ってる。・・のにね。なんだか、わびしく、やるせなく、やりきれない思いになる。せっせと昼ご飯つくってるのに、人が販売している、その横では、腹が減るからカップラーメン買っておいておけだの、カップラーメンは体に悪いからパックのごはんとかけるものを買って、いつでもチンできるようにしろだのと、なんだか言いたい放題聞こえてきた。自分のやってることが全部、何も、誰にも伝わらないのだと思い知らされた瞬間・・。なんとも侘しい。切実な思いで話をし、販売をしている横で、やれカップラーメンだのパックのごはんだのって・。私の作ったものを食べるくらいなら、カップラーメンがいいと言っているのか、二本松のコメを食べるくらいなら、チンするごはんがいいと言っているのか。しかも自分が用意するから、どうだろうかと聞くならともかく、提案として出して、さも、自分以外の誰に用意させて、自分以外の誰かに管理させようという言い方が、なんとも気に入らない・・・。車で来てるのにコンビニにもいけない・・。いったいコンビニは何十キロ先にあるというのか・・。それとも、自分の車にカップラーメンだのを乗せておくのが嫌だから、邪魔なものは教会においておけという意味? お湯わかすのも面倒くさいから、誰かお湯わかせってこと?あきれた・・。目を覚ませ・・っと思ったけど、寝言じゃないようだし、教会とは、この世の中の象徴だなと思った。世の中のあきれた風潮が、教会には凝縮されている。まともな社会人経験がない人間も多いだけに、始末に負えない非常識さも持ち合わせている。「ママ、よく我慢して、何もいわなかったね」と王子。そうでしょう。えらいでしょ。かなり我慢したよ。おまえの車に1年分のカップラーメン積んでおけ!ばーか!・・・といってテーブル蹴とばしたくなったよ、本当は。でも、この悔しい思いを全部飲み込んでも、それでも野菜と米を売りたいんだよ。それに、わずかながらに理解してくれる人もいる。冬場に、セット野菜の野菜が少ない、加工品が多いと文句いうバカ。冬なのに夏野菜食べたいとかいうバカ。一年中、野菜ができるわけないから。。。。この地はそのように造られてるだろうか。ハウスで作っても手間はかかるし、路地ほどおいしくない。だって夏野菜を冬に作ってるんだから・・。自然に逆らってるんだから。それなのに高いとかいうバカ。造られたようにしか生きられないし、自分の都合だけで、本来の姿を変えようとするから、いろんなところにひずみが生まれるし、そのひずみは結局、一番弱い人間が被ることになってる。でも、何も被らない人間には理解できないのかもしれない。
2017.08.28
ちょうど1年前、パパがほとんど食事できなくなった。腹水のせいだと思ってた。。でも、スープとパンとか、ソーメンとか、ちょっとだけ食べてた。それが一週間後にはヨーグルトだけ・・とかになってた。チョコとミルクの散歩は一緒にいってた。薬もしっかり飲んでた。まだ介護ベットも借りてない頃で、食べられない以外は割と普通で、私は会社に通ってたし、王子は夏休みをのんびりとすごしてた。食べられなくなったら、あと一か月くらい・・って聞いていたけど、歩いてたし、会話も普通で、腹水さえなくなれば楽なんだけどって言ってたから、腹水をなんとかすればいいのかな・・って思ってた。自分が死ぬという感じがしない・・て言ってたし、私たちもそう思いたくなかった。だから、ちょうど今頃からの2週間くらいで、あれよあれよという間に具合が悪くなったってことになる。8月末に在宅医療を頼んだ時も、パパはあんまり乗り気ではなく、ベットを・・って話したときも、全然乗り気じゃなかった(もともとベットは狭いから嫌い)腹水治療直前、がんばって自動車保険の更新もしてくれた。。でも、今思うと、9月1日に腹水8リットル抜いてから、がっくりきたような気がする。退院してから、薬の飲み間違えとか、急にそんなことが起こり始めた。死ぬ前は昏睡のような状態が続くと、どこかに書いてあったけど、あんまりそんなことはなく、とにかくだるくて寝てられないって感じで、じっとしてるときも目を閉じてる時も、眠れないみたいだった。眠るように死ぬってことも全くなく、お医者さんが帰った直後、苦しそうに、起き上がりたいと手をあげて、起き上がって、肩で息をして、それで息が少しずつ弱くなっていったから、最期のときを書いたウェブのサイトもあんまりあてにならない。(お年寄り限定の記事だったんだろうか・・)パパ最後の数週間のことは、あの日から一日も忘れたことはないけど、パパが元気だったころの私とのやりとりを読み返していると、今のこの状況が信じられない。今が怖い夢を見ている最中のような気がしてくる。いつもそばにいるよって書いてあった。。。
2017.08.18
20年以上前に袂を分かった恩師は、今も健在で、牧師夫婦の愛とか、家族の愛とかをテーマに、夫婦であちこちの教会で話をしてる。昔から、夫婦ラブラブで、家族も愛が溢れていることをよく話題にだしていたけど、70代となった いまも変わらないらしい。当時は、羨ましく思ったり、憧れたり、将来は自分も・・・っと思ったりしたけど、どうも縁がなかった。。あれから20年以上の歳月を経て、そんな話は私には聞くだけ時間の無駄な話だったのだと、改めて思う。でも、あのころ・・。あの会堂にあふれていた200人近い人たちのなかで、伴侶に先立たれたり、子供を失ったり、親に捨てられたりした人たちは、あの話を聞いていて何を思ったろう・・。話の内容は、簡単にいえば、神様を信じて従っていれば、必ず、幸せな家庭が与えられるという内容だったから、まだ将来がある人は、少なからず私のように希望をもったのかもしれない。でも、今の私のように、もう将来のない人は、どう思ったろう。幸せな家庭生活を送っていることは、ピアノがひけるとか、英語が話せるとか、親がクリスチャンであるとか、そういったことと同じように、あの教会ではひとつのステータスだった。あのころ、もう少し、今の自分にも役に立つような話をきいていれば、こんな状況でも明るく過ごせたんだろうか。
2017.08.15
今日から王子は合宿。こんなに長く家を空けるのは、パパが死んでからはじめて。去年も夏季学校にいってたけど、「なにやら静かで寂しいねぇ・・」っていったらパパは「静かでとてもよい」といってた・・。まぁ、王子には早く大人になってもらって、ママと二人になりたいってずっといってたから、無理もないか。それはついに叶わず終わっちゃった。パパと二人の生活・・。ちょっと都心を離れて、ちっちゃくて古い家を買って、パパと二人でちょこちょこ家をなおしたり、ちっちゃな庭の手入れをしたり犬たちとのんびりすごしたいと思ってた。疲れちゃったから静かに暮らしたいけど、パパがいないんじゃ楽しくない。役所で書類を書くときに、「未婚・既婚」の欄があり、「あなたは未婚に○をしてください」っていわれたから、私は離婚してないのに、未婚なんだよ。。つまり独身・・・。この年で独身になるとは思わなかった・・・。なにやら侘しい・・。社内には同じように侘しい暮らしをしてる人がいる。家まで建てたのに、奥さんが一番かわいいさかりの娘をつれてでていっちゃって、仕事以外やることなくなった人。その人は実家暮らしだから、さほど寂しくないのかもしれないけど。私はどうしよう。王子がでていったら、どうしようか・・。家族がいないし、あたたかく迎えてくれる家も、人もいない。母は、よく祖母や叔母から、いつでも帰っておいでといわれていたけど天涯孤独の私には、そんな暖かい家も、家族もない。程よい時期に死ねるのか。死なない程度に体を壊して働けなくなり、貧困に陥って、毎日苦しみに耐えつつ生きるのか。
2017.08.02
私が変われば、家族はもう少し、幸せになれると思って、20代後半から遠ざかっていた教会に、再び通うようになった。ママは騙されやすいから心配・・・っと、パパも通うようになった。でも結局、誰も幸せになれなかった。私も変われなかった。私が足りない人間でも、パパがいるから・・っと思っていたのに、パパが死んだ。いろいろ努力したこともあったし、考えたり、悩んだり、いろいろしたけど眠いとか、だるいとか、痛いとか、苦しいとか、いろいろ我慢したこともあったけど、無駄だった。結局、誰も幸せにできなかった。何も変わらない自分だけが残った。自分のだめさに、悲しくなってくることがある。「お母さんなんだから・・」っていわれるのがいやなのは自分がダメなのは、自分が一番よくわかってるから。どれほどに努力してもダメだった。あらゆる努力をあざ笑うような結果しか得られなかった。どんなに周りに言われても、それ以上に切望しても、頑張っても、だめだった。自分には能力がないのだと、よくわかった。猫がどんなに努力しても空を飛べないのと同じように、鳥が魚の真似をしても、水の中に住めないように、そもそも、そんな能力がないのに、努力したって、疲れるだけなのだと気づいた。私がどれほど努力したかは、パパだけが知ってる。だから、パパは、いつのころからか、もう、できないことを求めなくなった。だから、パパは、ママができないことはパパがやるから・・って言ってくれた。そのパパはもういない。
2017.07.27
未亡人ときくと、かわいそうな人という目でみられる傾向にある。かわいそうな人って、なんか上から目線っぽくて、全然うれしくない。憐れんであげないといけない人、不幸な人、自分より下の人、普通の幸せを手にできない人、、みたいな。最近、気力がついていかなくなり、昨夜も王子に、いつにもまして元気ない・・といわれた。悪いなぁとは思うし、嘘でも元気にふるまいたいと思う時もあるけど、やらなければいけないことがたくさんあるけど、でも、最後にいつも思うのは、パパいないんだよ。私を支えたいといってくれた人はもういないんだよ。世界で一番、私を大事にしてくれて、理解してくれた人はもういないんだよ。一緒に美味しいもの食べたり、楽しいことしたりして、喜びたい人がもういないんだよ。一番、喜ばせたいって思えた人がいないんだよ。パパに会いたい。パパに会いたい。
2017.07.25
ガンで奥さんを失ったがんセンターのお医者さんが出した本をチラ見してみた。1年がかりで普通に戻れた・・とかいてあった。よかった・一年もたたないのに、しっかりしろとか言われると、自分が特別間違ったダメな人間なのかと思ってしまうけど、こんな頭よさそうな、国立がんセンター名誉総長だった人が1年かかったんだったら、私はもっと時間をもらってもいいわけだ。でも、「お母さんなんだから・・・」という、しっかりしなければならない理由をつけて言ってくる人もいる。。。。国立がんセンター名誉総長は”お母さん”じゃない。だから落ち込んでいても認められたのかな・・。お母さんは落ち込んじゃいけないのか・・。だったら私もお母さんじゃなくてよかったよ。そんな偉い人間になれないもの。有りがちな日本人的良妻賢母論、母は強し。戦争で夫を取られても、お国のために一人でも立派に子供を育てる・・みたいな美しい日本文化に洗脳された人たちが、私を追い詰める。時代錯誤だよね・・。何かに洗脳されてたからできたことだろうし。。。他の場所もみてみた。「元気になったね」といわれ、嫌な気分になる人が、私だけではないことがわかった。よかった。私が特別ひねくれてるわけじゃないんだ・・。どう返事をしていいのか、わからないんだよね・・正直・・。元気なはずがないのに、元気とか言われて、なんといったらいいのか。。。あとは叱咤激励のことば。これほど重たいものはない。これも、私以外にも、嫌だと思っている人は多いとわかった。何かいってあげなきゃ・・って思って言うのかもしれないけど、正直、余計なお世話なんだよね。はげまされたくないし、頑張りたくないし、妙に強制されているようで、だんだんだんだん息苦しくなってくる。ちょうど昨年の今頃だったろうか。教会で、ガン哲学外来の会をひらいてた。遠隔で聞いてた。(パパはすぐに寝てた)先生のお話はよかったけど、そのあとの、みなさんのディスカッションみたいのを聞いて、行かなくて本当によかったと思った。「自分や家族がガンになったときに慌てないように、いろいろお話を聞きたくて・・」という人がいた。いいなぁ。私もそういうことを言う側でいたかった。(勝ち組?)この人は、いい前例として私の話を聞きたかったらしく、パパが死んだ直後に、何かを聞き出そうという気持ちを前面に出して近寄ってきて、ちょっぴりしつこかった人だ。あふれる出る好奇心に、正直うんざりした。毎日、暇なんだろうなぁ・・。私には、自分や家族がガンになったときのために、いろいろ情報を仕入れたいという人の気持ちが理解できない。母のように、自分はガン家系だからガンで死ぬとか、何度もいってたのに、くも膜下出血であっさり死ぬ人もいるし。。。そうなったら、ガンのための情報収集って無駄では・・?最近、周りの励ましの言葉が増えてきているような気がして、妙にのどが渇くときがある。
2017.07.18
グリーフケアおことわり という本を見つけた。 私と同じように感じるひとが少なからず存在することが分かった。 三回忌に、もう落ち着いたでしょう、と言われて、そんな簡単じゃない、と腹を立てつつも、愛想笑いするひと。 この前、元気そうね、と言われて、はあ、まあ、おかげさまで、、とどうにか言葉を返した自分と、どこか被る。 元気なわけないから、、 なんか、パパが死んだことを軽く捕らえられてるようで腹がたつ。 本には、何故悲しみを抱えたままではいけないのか、何故立ち直らなければいけないのか、と書いてあった。 私も同じように思ってる。 王子は そういうひとは、もう十分な時間を一緒に過ごして、十分楽しんだから、自分が同じようになっても、そう思える人なんだよ。と言ってた。 そうなのかな。 あの人たちに私の気持ちがわからないように、私も、十分な時間を過ごしたわけでもなく、十分楽しんだわけでもないから、わからない。
2017.07.11
おばさんと話した。 母が高校生のときのことを聞いた。 妹の結婚に反対して中絶させたとき、この人は未だに私を産んだことを後悔してるのかなと思ったけど、 やっぱり、考えすぎじゃなかった。 彼女は高校の同窓会に参加してから急に、当時が恋しくなり、故郷に帰ってしまった。 妊娠さえしなければ、、、と思っていたからこそ、父に、40年以上たってから養育費を請求したんだろうし、、おそわれて妊娠したとまで言いだしたくらいなんだから。 元々、同じ思いを共有してくれる人がほしくて、弟を探したけど、弟にはとてもこんな話はできない。 パパ、こういうことだったんだよ。私が生まれてきた経緯は。 彼女の一連の行為は、おばあちゃんへの面当てだったんだんだ。 おばあちゃんにはそれがわかったたから、私のことも、弟のことも、いらないと言ったんだよ。 私たちを見るたび、自分が責められているように感じたから。 でも、あんな人たちは放っておいても、私にはちゃんと自分を理解してくれる人がいると思えた。 パパは今まであった誰とも違うと、それがわかった。 そのパパがもういない。 不安と恐れと、怒りや悲しみに、ただひたすらに我慢していた子供のころに戻った。
2017.07.04
パパが死んで、もうすぐ9か月。だんだん一緒に過ごした日々が、遠い昔のような、夢だったような気がしてくる。私たち以外の人からは、もうすでに終わったこと、過去のこととみなされるようで、最近、なんかしんどいことをいわれる。しっかりしろとか、受け入れろとか。でも、私はしっかりしないし、受け入れない。できないから。王子は、それは他人だから、そういうのだと。自分の家族だったら、そんなことを言えないことは、俺が一番よくわかっていると。パパ死んだから、急にしっかり者になるかというと、それはない。人間はそんなに便利でかつ単純に造られているのだろうかと疑問に思うことがある。そういう人もいるのかもしれないけど、私はそんなえらい人間じゃないし、パパが死んでも偉い人間に変身しない。でも今回思ったことがある。この世の中に、ひとりでいいから自分を理解してくれる人がいたらいいな・・って子供のころから思っていたけど、それがパパだった。一人もいないままに終わらなかった。パパがいた。だから、もういいや。パパはちゃんといた。しっかりしろ・・とかいうと、私がおかしくなるのをよく知っているから、そういうことは言わないようにしてくれていたパパがいた。出来ないことをやれと言われると、きつくなってきて、閉じこもりがちになるから、無理なことをいわないようにしてくれていたパパがいた。それは生きているとか、死んでいるとか、関係ない。私の最大の理解者だった、パパがいた。願いはかなっているから、もう誰にも理解されなくても大丈夫。誰に何をいわれても、苦しくなっても、きつくなっても、誰にも会いたくなくなっても、でも、私には、パパがいた。今は一緒にいられなくなっちゃったけど、でも、ずっと一緒にいたいと最期の最期までねばって、ねばって、起き上がったまま死んだ、パパがいた。だから、誰に何をいわれても、苦しくなっても、きつくなっても、誰にも会いたくなくなっても、でも、私には、パパがいる。
2017.06.14
2017.05.13
あれから7か月がたとうとしてる。私たちは、パパが死んだことをあんまり思い出さないようにしてるときがある。それは、日々の生活でいろいろ心配や不安があるからで、いまは、王子の学費のことが少し落ち着きつつあるかな・・というところで、今度は私の会社が倒産しそうという不安がある。倒産前に売却の方向で動いてるけど、買収された会社の社員の末路って・・。そろそろ安心して暮らしたいのに、そんな日が全然こない。そんな日々だけど、でも、ふと、一日に何回か、パパの死んだ日のことを思い出す。(それ以外のパパとの思い出はもっとたくさん思い出してるけど)よく考えたら、起き上がった状態で死ぬって、珍しいねぇ・・・。まるで武蔵坊弁慶みたいだねぇ・・。あの人は立ってたけど・・。パパは座ってました。よくあるテレビドラマの1シーンでは、みんな横たわって死ぬのに、パパ、起きてたよ。「よっぽどこの世に未練があったんだね」・・っと王子。そうなんだろうねぇ・・。うちのパパはただものじゃないけど、死に方もただものじゃなかったね。すごいなぁ。とても見習えない。今の王子は、ちょっと変わったよ。自分で早く寝ようとするし、学校へ行く支度も自分でするし、着替えも自分でするし、みんなのお世話もするし、勉強も真面目に取り組もうとしていて、パパが見たらビックリだねーって話してた。でも、もしかしたら、パパが生きているときから、そうなってほしかったっていうかもしれないねぇ。もう一度、パパとの日々が戻ってきてくれたらいいのにね。
2017.04.19
あれから半年が過ぎ、パパと過ごした日々が、少しずつ遠くなり、侘しい日々が続く中、王子は一番頑張ってる。数年前まで、パパは、ママが仕事していて寂しい思いをさせて王子かわいそう・・って言ってたけど、何がかわいそうなのか、よく理解できなかった。でも今はかわいそうと思う。この彼の人生は、私が望んでいたものとは大きく違う。母子家庭で育って、ご立派な人間になるより、(ならないけど)普通の家庭で育って、どうしようもなくダメな人間になってくれるほうがよかった。入学式の日だって、この新入生たちはみんな、何の疑いもなくこの学校で数年間を過ごすと思っているのに、王子だけは、学費の心配やら、ずっといられるかどうかという不安を抱えてるし、学費の騒ぎで、多少なりとも六年間大好きで通っていた学校に対して裏切られた感をもってる。学校のプールがなくなっちゃったときも「しょせん、金だろ?」っと王子はいってた。まぁ、所詮、金ですな。ただ、この学校を選んだのは、世の中は所詮、金だよ・・っという教育をしたかったわけではないんだけど・・。でもあの事務員の態度は、金のないやつお断り・・・だったんだよね・・。12年間通しての教育・・っていう学校の方針はただの建前で、「12年間、お金を用意できる人間への教育」ってことだったのか・・・。と王子と話していた。こんな思いまでして、生きなきゃいけないんだろうかとか、やっぱりパパが死んだときに一緒に死ねばよかった・・とか、何がいいことなのか、何が間違っているのか、そもそも六年前の選択に間違えがあったのか、それともパパが死んだときに、さっさとどこか遠くに行けばよかったのか、とかあの事務員は、おまえの稼ぎが悪い・・っと言っているのか・・とか、じゃあ夜のバイトをしろって意味なのか・・とか、考えれば考えるほどわからなくなってた。王子は、ベランダで野菜を育てて売ろう・・などなど、一生懸命アイデアをだしていたけど、私のことは全然頼りにならないと知っているので、自分が直接校長先生と話すといいだした。あの千載一遇のチャンスが到来しなければ、無事に学校に通えてなかったかもしれない・・・。王子の一方のおばあちゃんは、金よこせ、だったし、もう一方のおばあちゃんは、お金をあげるから、おばあちゃんを好きになってね・・って感じだったし、王子じゃなくても、お金のない世界で生きていきたくなるよ。この手のお金がらみのいざこざは、今後も発生することが予測される。来年、また、あの事務員に同じことを言いにいかないといけないわけだし。某山中の限界集落で、生まれてこの方、お金をみたことがないというおばあさんの話を聞いた。この世にそんなうらやましい人がいるのかと、ちょっと感動した。神様は、必要なものはすべて備えられるというけど、それなら、パパは、私たちにはもう不要だから、つれて行かれちゃったってことなのかな。そう考えると、とても寂しくなる。
2017.04.11
来週には王子様の卒業式がある。王子の卒業までは生きていたいというパパの願いはかなわなかった。3月15日って、なんかの日だったかな・・・・と思っていたら、去年、母が死んだ日だった・。ちょうど1年前、突然の母危篤、しかもいる場所は北海道。の知らせがあり、約20年ぶりに生まれた街にいった。20年前は、弟に会うためにいったんだけど、もうこの街にくることはないだろうと思ってたのに、まさか母がこの街で死ぬなんて思ってもみなかった。そして20年ぶりに弟に会った。初めて会った20年前とは、ずいぶん、変わってた。(お互いさまだろうけど・・)危篤状態の母は、もっと変わり果ててた。私は結局、この人のことが全然理解できなかったな・・・と、昏睡状態の母を見ながら思ってた。40年ぶりに、母の姉なる人に会った。そこでまた、あんまり聞きたくない話を聞いた。この最果ての、私が生まれた街は、いつも、私を嫌っているかのように行くたびに嫌な目にあわされる。。彼女が一番大事にしている自分のプライドや、過去の栄光が、私の目にはどうでもいいことに見えている以上、彼女を理解するのはムリなんだろうなぁと思ってた。パパは、母より先に自分が死ぬことを一番心配していたのに、想像に反して、母はパパが死ぬ半年前に死んだ。彼女の最期と、パパの最期を思い出すたび、人間にとって大切なのはどれほど長生きするか、ではないのだと、しみじみ思う。パパが母と同じ年、64歳で死んだとしたら、あと14年生きたことになるけど、母のような最期をたどるくらいなら、14年くらい短いほうがいいのかな・・。彼女は、誰も自分のことを理解してくれないと、周りに失望して孤独の中で死んでいったんだろうけど、パパは、私たちがこの世の誰よりパパのことを大事に思っていることをわかって、神様を見上げて死んだ。パパのほうが最期は苦しそうで、かわいそうだったけど、私の腕の中で、安心して死んでいった。それを思うと、病院で死なせてしまった私の相棒には、本当に申し訳ない気持ちがずっと続いてるけど・・。
2017.03.08
今日はお雛様の日だったんだ。 毎年、女の子の日だからと、パパがケーキ買ってきてくれてた。 パパから見ると40すぎたおばさんの私も女の子なのね。ありがたいことです。 去年は、桜を見ることができたと喜んでたけど、 今年はもう、一緒に見られないんだね。 もうすぐ卒業式だけど、パパは一緒にいないんだね。
2017.03.03
パパが死んで、五か月たった。我が家はあまり変わらず・・。ときどき王子と話すのは、パパと過ごした日々が夢だったような気がするね・・って。もう遠すぎて、現実だったような気がしない。今が怖い夢のような気もするし。。パパの服も写真も、いろんなものがあるけど、肝心のパパがいない。パパが生きてるころから、同じ病気の人のブログとか見てたけど、その人はいまも過酷な治療を続けながら生きてる。あのとき、副作用がきついけど効果のある薬を使っていればパパはまだ生きてたんだろうか・・。毎日毎日、苦しそうな姿を見るのはつらいなぁって思ったけど、でも、副作用の強い薬を使わなくても、結局、死ぬ1か月前くらいからすごくつらそうだったし・・。あんなに苦しくなるなんて、パパ自身、想定してなかったと思うんだけど。パパに会いたい。
2017.02.27
10年ほど前の、かわいい子たちの在りし日の姿。ふたりともまだ元気いっぱいだったころ。最近、日々に寂しさがつのってくる。侘しい思いと、喪失感と、この先に広がる真っ暗な未来を考えていると辛くなってくる。
2017.02.17
朝の散歩で、もう春の気配をみつけた。 昨夜のけんかのせいか王子は元気なし。 吹雪の中で、雪の上に寝そべりながら、このまま凍死したいって言われたとき、 私と同じこと考えてたんだとちょっと驚いた。 次々に家族を失い、私はやる気ないし、王子もそろそろ疲れたかな。 どうにか生きることはできても、明るく生きるのは難しい。 「うちのお父さん、年とってるから、大学の学費だせるかなあ」 という人がいて、 悪い人じゃないんだけど、うちのパパ、末期ガンで死にそうなの知ってるのに、、、無神経だよね、、 年とってるからって、、、 おたくの息子さん、まだ中学生でしょ。もう大学の心配? じゃあ、毎日暇してるお前が働けよ。男に寄生することしか考えてないのか。 、、、と思ってた。 私はパパが生きててくれたら、それだけでよかったのに、、、
2017.02.15
いろんなことが重なってくると、考えないほうがいいことを考え出してだんだんつらくなってくる。1年前のいまごろは、みんな生きてたね・・。いまはもう何の希望もない。明るい未来はないし、何も期待したくない。昨夜、最近お手伝いしてくれない・毎日遅刻する・全く(10分すら)勉強しない ので王子にいいきかせてみた。もう終わりにしたいのだよ・・。君は何を勘違いしてるの? やりたくなければ、なにもしなくていいよ。だからもう終わりにしようよ。(だから私の稼ぎで遊び暮らす発想は捨ててね・・)君は毎日、ゲームに動画に楽しいかもしれないけど私は毎日がつらいよ。早く君がでていって、みんなが死んでくれるのを待ってるだけだよ。こうなるとわかってたら、子供も動物もいらなかったって言ったよね?一人でできる人もいるのかもしれないけど、私には無理だし、無理なことをどれほど頑張ったところで、結局、悪い母親扱いされるだけ。私と一緒に暮らすことを、あえて選択する必要はないし、私も選んでこうなったわけじゃない。ほんとは嫌なことを我慢してやってるだけだよ。もう何もしたくない。でも、我慢しなければならない。言いたいことを言って自己満足に浸る周りの人間のいうことを無機質に聞き流し、耐えに耐えて生きるしかない。王子様には悪いけど、たのしみだねーって言ってるのは、王子に気をつかってるからだけで、パパがいなくて楽しいことなんて、ひとつたりとてないんだよ。何をやっても、寂しいし、むなしい。
2017.02.07
大事な試験に、受験票を忘れたと王子から電話きたとき、改めて凹んだ。 パパならこんな凡ミスなかったのに。 私が死ねばよかったのに。 選べてたら、喜んで、自分が死ぬほう選んだよ。 毎日、仕事が終わり、フウとなると、空虚な疲労感と、どうしようもなく辛い喪失感に襲われる。 疲れた。
2017.02.02
パパ。明日は王子の試験の日だよ。卒業式も、入学式も、もう一緒にいけないんだね。一緒にいきたかったよ。
2017.01.31
パパが死んで四か月たった。毎日侘しい。。。この前、教会にて。。。いかにも話がしたそうな人が近づいてきた。「ゆっくりお話しする暇がなかなかなくて」ゆっくりお話ししたくないんですが・・・。「あなた、よかったわねぇ。僕がいて」「はぁ・・」「ほんとうによかったと思ってね」・・・。何が?よかったの?パパが死んだこと? 王子が母子家庭で育つこと?僕がいてよかった?あなた、母子家庭で育ったことあるの? どんなに寂しくつらいか、知ってるの? 周りから偏見の目でみられ、変な差別されるつらさが理解できてるの?こうなるとわかってたら、扶養家族もたなかったよ。一人でみんなの面倒みる自信ないし、自分の面倒さえみれないのにムリでしょ。そんな責任負えないし、負いたくなかった。学校の先生には母親失格といわれてたし、ムリでしょ。二人で育てるのも大変なことなのに、一人なんて無理でしょ。重すぎでしょ。あまりに「よかったわね」を連発されたので、早く黙ってほしくて「ええ。ほんとよかったです。主人は最後はほんとに苦しんで死んでよかったです。注射もたくさんうたれて」「そうなの?うちの主人は注射1本よ」「そうですか。うちの主人は最後は管だらけで苦しんでました。緑色の液体を大量にはいて、ほんとに苦しそうで、ほんとよかったと思ってます」いいかげん、よかったわね・・から解放してくれよ・・って思ってるのが、全然伝わらないんだろうか・・。余計、わびしくなった。生きるために何も感じないように、何も考えないようにしてるのに、わざわざ一番つらかったことを思い出させようとする人もいる。あの時は、パパがいたから、つらいと思わなかった。無我夢中だったし、そのときそのとき、苦しそうなパパに何をしたらいいのか考えるのに一生懸命だった。だから、時がたって思い返すほうが、つらい。あれはなんだったんだろう・・・って。ただ、ただ、毎日毎日、パパによくなってもらいたくて、それ以外、何も考えられなかった毎日。パパはのんびり家で療養して、私が働けばいいから。パパの手当と私の給料でなんとかやっていけるし・・・って。あのころはよかった・・。わずかでも希望があった。でも、もうパパが骨になった。毎日、早く死んでパパに会うために生きてる。一日おわると、一日パパに近づく。でも、いつまで耐えればいいのか、いつになったら解放されるのか、何も見えないから、とても疲れる。
2017.01.26
年を越し、パパが死んでから三か月半が経過。三か月目が一番つらかったという人もいるけど、私は三か月前も三か月後もかわらず、悲しいまま。寂しいしむなしいし、悲しいし、ポッカリ・・・。冬休みは王子といろいろ、楽しい映画をパソコンでみてたけど、なんか、仲良し夫婦ものは見れないみたい。見ていて、なんかつらい。パパ、いないの・・? どこにも・・?私の首にぶら下がっているのは、パパのほんの一部だけど、本体はまだ家にあるよ。王子の学校にいくと、一人の王子ファンの女子に声をかけられた。お葬式にいけなかったから、お墓参りにいきたい。お墓はどこですか?と。・・・・・?お墓予定地でいいのかな? パパは埋まってませんが。骨は私の首にぶらさがっているの以外は、家にありますよ。納骨予定なしですが・・。骨がみたいのかな?何がしたいのか、正直、理解できず・・・。お墓予定地でいいのかなぁ・・・っと王子と相談してたけど、それ、だめでしょと突っ込みがあったので、そこに骨があることが大事らしい。じゃあ、家に来てもらうしかないねぇ。もしくは学校にもっていくか。文化の違いか、どうも、このあたりの絡みは相手の言動が理解できないことが多い。改めて、私はこの国では異質な存在なのだと思い知らされる。葬儀のときもそうだったけど・・。孤独感が増すばかりなんだよね・・。もう少し、みなさんの謎な価値観が理解できる文化に育ちたかったかなぁ。(この国で生涯いきていくなら)パパが生きているうちから、パパが死んだらどうするのこうするのとしつこく話したがったパパのママも、日本文化にひたっていたら親切な行為にみえたんだろうか。全然理解できない。。。向こうも同じだろうけど。もはや異世界に近い。骨がどこにあるのかとか、そんなに大事なことなの?パパはずっと、生きてる時から死んだ今でも、私と一緒だよ。ずっと一緒にいるって約束したんだから。ヨレヨレで、ほとんど話ができなくなっても、死ぬ直前でも、ちゃんと、愛してるってハッキリいったんだから。最期の最期まで私たちと一緒にいようと、必死で頑張ったんだから。
2017.01.10
めったにない長期休暇なので部屋の掃除をしてみた。きれいな包み紙にはいった服がでてきた。パパの誕生日にかってきた、パチャマだった。少し厚手で、秋口くらいに着るかなと思ってプレゼントしたもので、ついに一度も袖を通すことがなかった。もう2年ほど着ていないパパのコートも埃をかぶってたから洋服ダンスにかくした。昔のアルバムもでてきた。王子と嬉しそうな顔して写ってた。やっぱり私、この人、大好き。最期にキスしたのは、パパが死ぬ2日前くらいだったかな・・。パパが唇をだしてきたんだよね。えっと・・私、朝、歯を磨いたかな・・っと躊躇しつつキスしたんだよね。あんな状態でも、最期になると思ってなかった。状況から冷静にものごとを判断する余裕が全くなかった。ただ、いまの苦しそうな状態を、どうしたら楽にできるのか、いま、何をするのが一番いいのか、そんなことばかり考えてた。何を話していいかわからず、ただ聖書を読み、賛美歌を歌ってた。今日はコーラが飲めたとか、今日はアイスクリームが少し食べられたとか、一日ひとつ、ふたつ、よいことを数えてパパの回復を願っていた王子。パパの脈がとれなくなったとき、王子はパパの心臓をひたすら殴ってたよ。よく考えたら、私が前に教えてたんだった。あばらが折れてもいいから心臓を強くマッサージするようにと。。。でも、私にはできなかったよ。唐突にとまったんじゃなくって、もう、肺も心臓も、筋力の低下でようやく動いてるだけだったから・・。それよりも、このままずっと、パパを抱きしめているほうがいいことのようなそんな気がしたよ。あのときの、あの、何もかも失ってしまったような、すべてが終わったようなそんな気持ちは、いまもまだ続いてる。パパに会いたいなぁ。
2017.01.03
今日は王子様がスキー教室にいくので、昨夜からお弁当の仕込みを・・。確かかわいいあの子が食欲なくなったときに、お肉を食べさせようと鶏肉を買ったけど、全然食べられなくなっていって、お肉を冷凍庫にしまったままにしてあったなぁ。。。解凍してみた。悪くなってる匂いがした・・。→ゴミ箱へ・・。パパ用に買ったお肉も、全く同じ経緯で捨てたのを思い出した。日本では、死者がでると、次の年はおめでたくないから、おめでとうとか言わないけど、なぜか、さらに次の年はおめでたくなるから、おめでとうっていうんだよね・・・。逆に生きてれば、末期がんで来年はないかも・・っていう状態でもおめでたいわけだし。。。やっぱり理解できない。来年になろうが、再来年になろうが、パパも、私の分身であるあの子も帰ってこないんだから、全然めでたくないよ。昔、まだ北海道にいたころ、小学生だったから、お正月は祖母の家にいってた。そこにはいとこたちもいて、叔父や叔母もいて、みんなでゲームしたり、わいわい楽しく過ごした。王子はそういう思いもできないんだね。私が天涯孤独なせいで。それでも、パパが一緒にいたから、それだけで十分幸せだったから気にならなかったけど、パパがいないと、あらためて、天涯孤独の身の上が申し訳なくなる。天涯孤独のくせに、子供なんて産んだら、子供がかわいそうってことよね。
2016.12.26
昨年今頃、来年のクリスマスはパパと迎えられるだろうかと不安だった。 今年は、侘しい時間になりそう。 もうパパのいない人生がどんどん進んでるんだね。 考えたこともなかった。 テレビには銀婚式を迎える老夫婦がでてた。 私には与えられなかった時間。 でもパパ、クリスマスのおかげで天国にはいれたね。早く会いたい。
2016.12.19
朝から変だった。 王子も変だったらしい。 夜、家につくと突然寒気が。 王子も変なので、熱を測ると37.5 でも 薬ま飲まずに、なんか楽になってきたみたい。 インフルじゃないみたい、よかった。 私が子供のころよりはるかに丈夫みたい お若い方と違い、早人生を折り返して数年の私は寒気止まらず。久しぶりに9度越えしたので、有り合わせの薬を飲んでみる。 楽になってきた。明日は休めない。来週、王子の学校でクリスマス会があり、王子たちは合奏するから休みとってる。 こういうときは、、、というか、 こういうときも、パパを思い出す。 パパ、うどん作ってくれた。背中あっためてくれた。病院連れて行ってくれた。 会いたいなあ。寂し、、 病気で寝てる人の上にドカドカ乗って鬼ごっこするアホな犬たちもいない。うるさくて眠れないくらいのだったね、、、いつも楽しそうに騒いでたね。 元気で陽気で、あかるいこたちだった また一緒に暮らしたい。 目を閉じると、きっと私はこうやって、去っていったみんなのことを思いながら死んでいくんだろうなあ、という気持ちになる。 みんなの帰りを待つのは疲れたよ。私からみんなのところに行きたいよ。
2016.12.14
どうも干物女化してきたらしい。この前、ズボンからパンツみえてて、髪の毛ぐちゃぐちゃと、教えられた。そういえば、髪を乾かさずに寝たなぁ。。もともと、身だしなみについて、いろいろ言うのはパパで、私はあまり気にしないタイプ。。いまだって、すっかりお風呂に入らなくなったしね・・。パパが、私に、家に帰ったらオバサンがいるなんて耐えられない。オバサン化しちゃだめ!・・というから、そこそこ気にしてたけど、今はもう、かわいいねとか、愛してるよとか、言ってくれる人がいないんだよねぇ・・。。と王子に話していたら、「ママかわいいよ。愛しているよ」というので、おいおいそれは違うよと。君は私の息子で、私の男じゃないよ。私の男はパパだけだよ。パパが、ちょっと太ってきた・・とか、白髪目立つ・・とか、いろいろ言うから、いろいろ気を回してし、ママいつまでもかわいいね。 今日もかわいいね・・っていうから気分を良くして、おしゃれに気を使っていたんだよ。パパが、「ママにはパパしかいないんだから、いい加減認めなさい」といったとき、みんなそういうんだよ・・・って思ったけど、よくよく考えてみると、本当にそうだった。周りにいろいろな人いるけど、パパ以上にかっこいい人がいない。私にちょうどしっくりする人がいない。十年以上一緒にいても、パパって奥深いねー。パパって興味深いねーパパってやっぱり恰好いいねー。男はこうでなきゃね・・・って思うことが多かった。そのパパがいなくなり、ちまたでは未亡人というと、なんか色っぽい人がでてくるようだけど、私はすっかり干物女と化してきた。でも、まぁ、もういい加減な年だし、干物でいいや・・っと思ってるから、ますます干物になっていくかも・・今日もパパの夢みたよ! (∀`*ゞ)エヘヘ早く会いたい!
2016.12.12
16年前の今日、はじめてパパと誕生日を過ごした。パパは出張から帰ってきて、そのまま一人で家に戻り、私はまだ会社だった。家に帰ったパパは、布団の上にあるパパのパチャマが、いかにも抱きしめて寝たような状態だったのを見て、喜んでた。とてもとても寒い日だったけど、パパが隠れ家的なレストランを探して予約してた。そのフランス料理店は、コミカルなシェフがいて、シェフのおまかせコースを頼んでいたら、でてきたのが、うさぎのテリーヌだった・・。その味がかなり厳しくて、私はちょっとごめんなさいした・・。そして寒い夜、手をつないで帰ってきた。あの時も、それから、毎年、パパはプレゼントと、世界で一番愛しているとか、そういう手紙をくれた。去年は、病院にいったら、あ、今日はママの誕生日だ。何かプレゼント買っておこうと思ったのに・・っていうから、いいんだよ、元気になってからで・・・。って言ったけど、パパは元気にならなかった・・。今年はもうパパがいない。来年も、再来年も、もういない。
2016.12.07
元気?とか、元気そうだね・・といわれることほど、返事に困ることはない。パパ死んで元気なわけないし・・。(大嫌いな人間だったならともかく・・)元気じゃありません・・・と言ったら、次の会話が続かなくなりそうだし。ただ、私も社会人であり、それなりに取り繕うこともできなくない大人なので、それなりに笑顔で回答することはできる。こういうムリは、心身の疲労につながるんだけど、一社会人としての義務であると割り切る必要がある。その義務は学校だろうが、教会だろうが、会社だろうが、どこにいっても付きまとうものだし。ただ、無理をすればするほど、どうしようもないこの虚脱感と疲労感がなんだかつらい。王子様は、学校の父兄やら、教会でも、いろいろ励ましの言葉をかけられて困惑していた。なんだか、そんなことをいわれるのが、理解できないらしい。自分のような普通で幸せな人間と比べて、君が普通以下の家庭環境で、哀れでかわいそうな子供だから、よくわからないことを言われているんだよ。・・っと教えてあげた。間違いなく、不幸でかわいそうで哀れな子供と思われているようだけど、彼自身は、そういう目で見られるのが嫌みたい。でもそれは、大人になるまで続くんだよね・・。でも今度は結婚して、配偶者が早くに死ぬとか、自分の子供が死ぬとか、そういうことでもなければ、解放されるから。私なんて一生解放されないよ。生きている限り、普通以下で、あわれで可哀想な人間と位置付けられて生きていくよ。
2016.12.05
一人で子育てするつもりなんて、なかったけど、母子家庭なんて、偏見の目でみられるし、みじめな感じだし、社会的にも地位が低いのは経験済みだから・・。でも、望んだ結果にはならなかった・・。パパのパパ、つまり義理の父は、片親で育った人間をまともな人間として見てなかった。そんな彼がかわいいといっていた王子は、彼いわく、まともな人間ではなくなった。でも、それは、本人がどんな努力をしても、どうにもならない。どんなに偏見の目で見られても、バカにされても、どれほどの努力をしたとしても、すべての努力は一切無駄になる。太ってるとか、成績悪いとかなら、いくらでも努力次第でなんとかなるけど、生い立ちだけは変えられない。小学校6年のころの私は、すでに人生に疲れ、人が信じられず、ひとりぽっちで居場所がなく、自分の家でも、居場所に困り、いつもどこかにいきたいと思ってた。それは中学3年になって、さらに悪くなり、結果的に家を追われることになるんだけど、私と違って王子はポジティブで、いつも面白いこと、楽しいことをさがしてる。そして、早くパパに会うためには、1日が早く終わることが大事で、早いと思うためには、いつも面白い本を読んだり、映画をみたりすることだと私に勧めた。・・・うん。そうなのかなぁ・・っと思って、実践してみることにした。いずれ私のもとを離れる王子との生活に安住を求めてはいけない。自分ひとりで、なんとか、生きていく術をみにつけていかないと・・。でも、もう、王子じゃないけど、しばらく葬式はいやだなぁ。
2016.12.01
パパがいなくなって2ヶ月。 相棒がいなくなって一週間。 王子が家に帰るといつも、最初だけ尻尾を振って喜び、私がいないとわかると、なあんだと言う顔をしていたという相棒は、 あの大雪の日の朝8時、病院に医師が入ったときは生きてた。 その20分後に死んだ。 そうか、君は私を待っていたのか、、、と気づいたのは相棒の死後に、王子が家に帰ったときの話を思い出したときだった。 一晩中苦しんで眠れぬ夜を過ごして、 やっと朝になって人がきて、 私じゃないとわかり、 力尽きたんだね。 それなのに私は、病院ではなく、いつも通りに会社に向かってたんだ。 最後の最後に、ごめんよ。 悲しい時も、嬉しい時も、いつも一緒だったね。 ずっと一緒にいたのに、最後の2ヶ月は、あんまり構ってあげられなかった。 かわいそうな事してごめんよ。 みんなで楽しく過ごしていたのは去年なのに、 今はもう、遠すぎて、手が届かない。 仕事とか、何かに打ち込めば打ち込むだけ、 終わったあとの空虚な思いに苦しくなる。 でも、1日終われば、1日パパに近づくよ。 あと何日我慢したら、パパに会えるんだろうか。
2016.11.30
北海道も九州も、いっしょにいった。
2016.11.25
いつも一緒にいたね
2016.11.25
2016.11.25
2016.11.25
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