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2022.06.22
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カテゴリ: 浦添市

(経塚の碑)

沖縄本島中南部「浦添市」の北側に「経塚(きょうづか)集落」があり、この集落の東端は自然豊かな「ウチョーモー/お経毛」と呼ばれる森の丘となっています。琉球王国時代に造られた首里城と読谷村を結ぶ「中頭方西海道」と呼ばれる宿道沿いにあるこの森に、浦添市指定史跡の「経塚の碑」が建立されています。尚円王統の尚真王の時代(1477-1526年)に紀州(和歌山県)の真言宗知積院の住僧である「日秀上人」が沖縄に仏教を広めていた1522年、首里から浦添に通ずる道中の丘にマジムン(妖怪)が出没して人々を困らせていました。その話は尚真王の仏教の師となった「日秀上人」の耳にも入るようになり、マジムン(妖怪)が出ると言われる浦添の丘に出向いたのです。


(経塚の碑/金剛嶺の石碑)

(経塚の碑のウコール/香炉)

(史跡経塚の碑の記念碑)

「日秀上人」は「金剛経」のお経を記した石をマジムン(妖怪)が現れる丘に埋めて、その上に「金剛嶺」と三文字を彫った石碑を建てました。すると、たちまちマジムン(妖怪)は退散して人々は安心して通れるようになったそうです。この言い伝えから「お経を埋めた丘/塚」という意味で、この土地は「経塚」と呼ばれるようになりました。さらに、この「経塚の碑」がある「毛」と呼ばれる森を地元の人々は「お経毛/ウチョーモー」と呼ぶようになりました。現在も「金剛嶺」と記された石碑が建立する「経塚の碑」にはウコール(香炉)が2基と霊石が1体祀られる拝所となっており、集落の人々は「氏神」として大切に崇めて旧暦10月1日の祈願祭が執り行われています。


(お経毛/ウチョーモー)

(いちゃりば兄弟の碑)

(いちゃりば兄弟の碑)

「経塚の碑」が鎮座する「お経毛/ウチョーモー」には「いちゃりば兄弟の碑」と呼ばれる巨大な石碑が建立されています。「いちゃりば兄弟/ちょーでー」とは沖縄の有名な言葉で「一度出会えば皆兄弟」という意味を持ちます。「経塚集落」は1944年に、周囲にある「安波茶・前田・沢岻」の3集落の一部を割いて作られた新しい集落で「日秀上人」の『お経を記した石を埋めた塚』から「経塚」と名付けられました。3つの集落が寄り集まり、一度出会えば皆兄弟の一致団結を祈願して「いちゃりば兄弟の碑」は建てられました。さらに「お経毛/ウチョーモー」は「うちょうもう公園」に整備され、緑豊かな憩いの場として地域の住民に親しまれています。


(経塚橋/ちゅうちかはし)

(経塚橋/ちょうちかはし)

「お経毛/ウチョーモー」の北側には小湾川に架かる「経塚橋/ちょうちかはし」があります。「経塚の碑」が建てられた土地周辺は琉球王国時代から「経塚/ちょうちか」と呼ばれており、この地から生まれた、地震の際に唱える有名な呪文が昔から伝わっています。ある時、旅人が「経塚/ちょうちか」で昼寝をしていると、近くの村人が大騒ぎをしているので目が覚めました。旅人が村人に聞くと「今、大地震があったのに知らなかったのですか?」と不思議そうに答えたのです。旅人は近くの村が全て大地震で揺れたのに経塚だけはお経の力で揺れなかったと知りました。この話が広く伝わり、それから沖縄では地震の際に『ちょうちか、ちょうちか』と呪文を唱えて、地震の揺れがいち早く止むように祈願する事になったのです。


(安波茶橋/石畳道)

(小湾川に架かる南橋)

(アブチ川に架かる北橋)

(安波茶橋と小湾川)

」があり、現在も琉球王国時代に敷かれた「石畳道」が残っています。「安波茶橋」と「石畳道」は1579年に「尚寧王」の名で浦添グスクから首里平良までの道を整備した時に造られたとされています。首里城と中頭(なかがみ)/国頭(くにがみ)方面を結ぶ宿道(幹線道路)として人々や旅人の往来で賑わい、琉球国王もこの道を通り琉球八社の1つである「普天満宮」に参詣しました。「安波茶橋」は石造りのアーチ橋で、小湾川に架けられた南橋とアブチ川に架けられた北橋から成ります。深い谷の滝壺の側に巨大な石を積み上げる大変な難工事であった事が分かり、当時の石積みや石橋作りの技術の高さが見て取れる非常に貴重な資料となっているのです。






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最終更新日  2022.11.11 21:26:22
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