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2023.10.17
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カテゴリ: 南風原町

(サーターモー跡/本部公民館/本部児童館)

沖縄本島南部の「南風原町」に「本部集落」があり方言で「ムトゥブ」と呼ばれています。また「本部集落」は「南風原町」の中でも農村文化を持つ「下村/シチャムラ」に属しています。1916年の「本部」は96戸のうち90戸がサトウキビを生産し、牛・馬・豚ヤギを飼育する純農村でした。製糖期には「イーマールー/ユイマール」という共同作業で親戚が集まりサトウキビを刈り、現在の「本部公民館・本部児童館」がある「サーターモー」へ運搬していました。「サーターモー」には「イリグミ/西組・アガリグミ/東組・ジャナグミ/謝名組・イーミチグヮーグミ/上道小組」の4つの「サーターグミ」があり、サトウキビの圧搾と黒糖作りを行なっていました。「西・東・謝名・上道小」は屋号で各クミの中心的役割を担っていました。


(イリジョーガー/西門之井戸)

(イリジョーイチ/西門池跡)

(ナカドオリ)

(第二織物工場跡)

「サーターモー跡」の南側に「イリジョーガー」と呼ばれる拝井があり、井戸跡の石碑に『昭和三年戌辰九月十五日 御大典記念 西門之井戸』と刻まれています。一説には元々小さな井戸であったが昭和三年に大きくしたと伝わります。昔から「本部集落」の「イリ/西」地区の住民の貴重な水源であり、現在も拝井として拝まれています。「イリジョーガー」の北側には「イリジョーイチ/西門池跡」があります。この池は隣接する「サーターモー」で作業する馬に水浴びをさせる「クムイ/溜池」の役割があったと考えられます。各地の製糖小屋には「クムイ」が併設されており、もし製糖作業をした馬に水浴びをさせないと疲れが取れず、翌日の作業効率が下がったと言われています。「サーターモー」の西側から集落の南側に向けて通る「ナカドオリ」の先にはかつて「第二織物工場」があり、その跡地には現在「ももの木保育園」の建物があります。


(ビジュルモー/びじゅる森)

(ガンヤー/龕屋)

(ガンヤーモー)

(上之殿跡)

「サーターモー」の北側丘陵にある「本部公園」にはかつて「ビジュルモー/びじゅる森」があり「ビジュル」と呼ばれる霊石が祀られ住民が拝していました。「ビジュルモー」の南側に「ガンヤーモー」があり、死者の棺を墓場まで運ぶ「ガン/龕」を収納する「ガンヤー/龕屋」という小屋があります。旧暦10月最後の午の日に「ガン」を祝う「ガンゴー」が行われます。「ガンヤーモー」の東側は現在「本部公園野球場」となっていますが、かつてこの地に「上之殿」と呼ばれる拝所がありました。1713年に琉球王府により編纂された「琉球国由来記」には『上之殿 本部村 稲二祭之時、神酒壱宛・穂・シロマシ壱器 百姓、供之。本部巫祭祀也。』と記されています。また、この周辺は「本部集落」の古島であると考えられ「琉球国由来記」に『上ノアタリ之殿 本部村 稲二祭之時、穂・シロマシ壱器・神酒二宛 百姓、供之。本部巫祭祀也 此時、巫一人・居神七人、百姓中ヨリ馳走仕ル也。』との記述が残されています。


(石獅子があった場所)

(上ヌカー)

(本部赤嶺の屋敷跡)

(イージガー)

「本部公園』の東側にある「沖縄県土地改良事業団体連合会総務部」の駐車場脇に、かつてもう1基の石獅子がありましたが沖縄戦で消失してしまいました。更に戦前までこの場所には「上ヌカー」と呼ばれる井戸がありましたが、現在は東側の道路沿いに井戸跡として移設されています。移設後の「上ヌカー」南側の道路を渡った場所には、かつて集落にガンと獅子舞を寄贈した事で知られる農豪の「本部赤嶺/モトブアカンミ」の屋敷があったと伝えられています。琉球国王が「本部赤嶺」の屋敷を訪れた際、村の入り口から屋敷まで白い米粒が敷いてあるのを見て「食料を粗末に扱うとはけしからん」と訪問を中止して「本部赤嶺」に打ち首の刑を命じました。位牌は戦前まであった屋敷に祀られていましたが、現在は本部公民館に移設されて大切に祀られています。また「本部赤嶺」の屋敷北側にあった「イージガー」と呼ばれる井戸は拝井として屋敷跡の東側に移設されています。


(ムンナンドゥンチ/門南殿内の祠)

(ムンナンドゥンチ/門南殿内跡)

(ムンナンガー/門南ガー)

(仲里殿跡)

「本部赤嶺」の屋敷跡の北側に「ムンナンドゥンチ/門南殿内」の祠がありウコールが祀られています。戦前までは茅葺の建物があり「本部集落」の草分け「ニーヤー/根屋」とされてきました。「門南殿内」の位牌は現在「本部公民館」に移され祀られています。「門南殿内」で使用されていた「ムンナンガー/門南ガー」の東側に隣接した場所にはかつて「仲里殿」と呼ばれていました。「琉球国由来記」には東側に隣接する「喜屋武集落」の拝所として記されており『仲里殿 喜屋武村 稲二祭之時、花米五号宛・五水壱沸宛 仲里大屋子、穂・シロマシ壱器・神酒壱宛 同村百姓、供之。本部巫祭祀也 此時、巫、百姓ヨリ盆拵馳走也。』との記述があります。戦前まで「仲里殿」は「喜屋武集落」にゆかりのある門中にのみ拝されていましたが、






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最終更新日  2023.10.17 16:28:03
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