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2024.09.16
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カテゴリ: 沖縄市

(イジュナーガー)

沖縄市の南側中央に「嘉間良/カマラ集落」があります。この集落は丘陵中腹にあり、急勾配の坂道が多数存在する区域となっています。かつて「嘉間良集落」に住んでいた、明治43年生まれの仲間良樽さんが残した伝承が残されています。「嘉間良集落」は上がったり下がったりの非常に悪い地形で、当時残っていた嘉間良で一番古い屋敷は屋号が「下ヌ当/シチャヌトー」の「大仲間/ウフナカマ」さんでした。「嘉間良集落」に一番初めに住んだ人物は具志堅さんという首里から移住して来た人で、屋号「首里屋宜/スイヤージ」の近くに住んでいたそうです。集落にはしばらく具志堅さんの一軒のみでしたが、仲間良樽さんの5代前の先祖が移ってきて二軒になり、三軒目が大仲間さんだったと伝わっています。


(イジュナーガーのウコール)

(イジュナーガー/向かって右側)

(イジュナーガー/向かって中央)

(イジュナーガー/向かって左側)

(イジュナーガーの祠)

仲間良樽さんの畑の角に「具志堅小ガー」と呼ばれる古い井戸がありました。仲間さんが子供の頃に父親が屋敷の石垣を積む為の石を集めていて、この古井戸の石垣は手をつげずに残していました。その事について疑問を持った仲間さんが父親に理由を聞くと「これはね、うーんと昔、具志堅小ガーの家がこっちにあり、その人が掘った井戸で、一番初めに来た人が使った井戸だからね、埋めてはいけないという。昔の最初のカーとの言い伝えもあるから、そのまま残しておこう」と言われたそうです。「具志堅小ガー」はニーブガーと呼ばれる柄杓で水を汲む井戸でした。今はその土地は、よその人のものになっていて井戸も埋めてしまったそうです。ちなみに、仲間良樽さんが当時「前ヌカー/メーヌカー」は立派に保管して今もあると語っていた井戸は「イジュナーガー」を指していると考えられます。


(八重島茶城原遺物散布地の階段)

(八重島茶城原遺物散布地)

(八重島茶城原遺物散布地)

(八重島茶城原遺物散布地)

(八重島茶城原遺物散布地の拝所)

(拝所のウコール)

(八重島茶城原遺物散布地付近の石敢當)

「嘉間良集落」は「前組/メーグミ」と「後組/クシグミ」に分かれていて「後組」は大正の頃から「西組/イリグミ」と「東組/アガリグミ」に分割されていました。仲間良樽さんは「前組」で、九軒ほどあった「西組」のほとんどは「普久原/フクバル」だったそうで、他にも「ナーグシクグヮー」「マンナカフクバルグヮー」「加那普久原/カナーフクバル」「マシー」「又吉小/マテーシグヮー」「新屋小/ミーヤグヮー」がいました。「東組」は「首里屋宜/スイヤージ」「仲西」「ハンタ仲間小/ナカマグヮー」「江洲小/イーシグヮー」「幸地小/コーチグヮー」「山名嘉真/ヤマーナカマ」「徳仲間/トゥックナカマ」「石根/イシンニー」の八軒が暮らしていました。仲間良樽さんが子供の頃の昭和5年くらいまで「嘉間良集落」には二十八軒があったそうです。


(ヤシマガー)

(ヤシマガー)

(ヤシマガーの拝所)

(ヤシマガーのガジュマル)

(ヤシマガー)

(ヤシマガーの霊石)

(ヤシマガーのウコール)

八重島公園の西側に「ヤシマガー」と呼ばれる井戸があり霊石とウコールが祀られています。小規模ながら現在も井泉が湧き出る井戸は、拝井戸として周辺住民に拝れています。この井戸の周辺には「八重島貝塚」が広がっており、琉球石灰岩の丘陵を形成しています。この貝塚からは伊波・荻堂式と考えられる土器片が散布し、貝塚の南側では宅地造成工事中に炉跡が確認されています。さらに、小型斧も出土していて八重島式土器として形式設定がされています。


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最終更新日  2024.09.16 19:17:46
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