2007年10月28日
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カテゴリ: 戦国武将たち


騎馬軍団を駆使して、戦国最強と謳われた武田信玄。

織田信長が最も脅威に感じていた武将は、この2人であったでしょう。

信長は、両者と戦うことをできるだけ避けたいと考えていて、
同盟を結ぶなど政略をめぐらせて、両者とは対決しないように立ち回っていました。

信玄とは、養女を武田勝頼に嫁がせることで同盟を結びましたし、
謙信には、たえず手紙を送ったり、所蔵していた「洛中洛外図屏風」を贈ったりして、
機嫌をそこねないように、気を使っていました。

結局、信長と信玄は戦う機会がありませんでしたが、
信長と謙信は、一度だけ戦っています。

上杉謙信対織田軍の戦い。
それが、手取川の戦いでありました。

以下は、手取川の戦いと、そこに至るまでのお話です。

元亀3年(1572年)
武田信玄は、信長との同盟を破棄して西上を始め、織田軍に迫りました。
この時、信長は、上杉謙信に対して、
武田信玄という共通の敵に対抗しようという話を持ち掛け、
上杉謙信と同盟を結んでいます。
この信長と謙信の同盟関係は、その後4年ほど続きました。

元亀4年(1573年)
織田軍との戦いを目前にしていた、武田信玄が陣中で病死。
しかし、このことにより、信長と謙信との関係が変化し始めました。
信心深い謙信は、宗教勢力との抗争を繰り返している信長に対し、
不快感を表面化させ始めます。

天正4年(1576年)
上杉謙信が、2万余の大軍を率いて能登に侵攻。
能登の領主、畠山氏は七尾城に籠城して抗戦しました。
この七尾城は、北陸屈指の堅城といわれた城で、さすがの謙信も攻めあぐみ、
上杉と畠山の戦いは、翌年まで、もつれこみます。

しかし、一方畠山氏の側も、七尾城内で疫病が発生して、
幼年の当主まで病死してしまうなど、次第に、追い詰められていました。
結局、畠山氏は信長に救援を求める事を決定。
信長は、この救援要請を受け、即座に援軍の派遣を決断します。

上杉謙信の軍との対決・・・。
そこで信長は、これに備え、これまでにないほどの特別体制をくみました。

北陸方面軍の将である柴田勝家を中心として、
勝家配下の前田利家、佐々成政、佐久間盛政。
それ以外に、丹羽長秀、滝川一益。
さらには、中国方面担当の羽柴秀吉まで北陸に送りこみました。
これら1万8000人の軍勢を先発隊として、
信長自らも3万の軍勢を率いて、後発隊として出陣します。
織田軍の主力を総動員といった、層々たる陣容です。

天正5年(1577年)
柴田勝家の先発隊が進軍を開始。

しかし、その頃、七尾城の畠山勢では異変が起きていました。
畠山氏の中の、親上杉派が謙信に内通。
城内で反乱を起こして、七尾城は落城してしまったのです。
上杉謙信も七尾城に入城。

さらに、謙信は、信長が援軍を進発させたという知らせを受け、
軍を進めて、手取川にほど近い、松任城に入ります。

一方、柴田勝家の軍は七尾城の落城を知らないまま、進軍を続けていました。
勝家が、七尾城の落城と謙信の軍が松任城に入っていることを知ったのは、
七尾城を救援すべく、全軍が手取川を渡り終えたときでした。

この状況を知った勝家は、慌てて撤退命令を出します。
しかし、その撤退の途上、織田軍は、謙信自らが率いる上杉軍の猛攻撃を受けました。
手取川の渡河に手間取っていたこともあって、このときの織田軍はなす術も無く、
まさに、上杉軍の餌食となりました。
この戦いで、織田軍は2000人近くの死傷者を出し、
手取川で溺死したものも、数千人に及んだといいます。

結果は、上杉謙信の圧勝でした。

この戦い、織田軍は、上杉に不意をつかれたという事もありましたし、
信長自身は、戦場に到着していなかったので、
厳密には、信長対謙信の直接対決とはいえないでしょう。

しかし、正面から両軍主力が戦ったとしたら、
やはり、戦場では、上杉謙信が勝っていたのではないかと思われます。
個々の兵の強さでは、織田の尾張兵は、上杉の越後兵とは比べ物にならないくらい、
圧倒的に越後兵の方が強かんでありました。
もっとも、戦略面・戦術面を含めた実際の戦いで、
最終的にどうなっていたかは、わかりませんが・・・。

この後、謙信は、能登から加賀国の大半を支配下におさめ、
翌年には、次なる遠征に向けての準備を始めました。
おそらく、信長を打倒し京へ上洛することを計画していたものと思われます。

ところが、その出陣の数日前、謙信は春日山城で突如病に倒れました。
上杉謙信、急死。享年49才。

結局、謙信も、信長と本格的に対戦する前に世を去ることとなりました。
信玄の時もそうでしたが、なぜか、2人とも信長と対決する直前に亡くなっています。
このあたり、この頃の信長は天佑に恵まれていたと言うべきでしょう。
信長包囲網と称される、反信長勢力を四方に抱えながらも、
信長が勢力を広げてこられたのも、こうした運の良さも味方したためといえるとも思います。

手取川の戦い・・・。
本能寺の変で信長が横死する、5年前のことでした。





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最終更新日  2007年10月28日 08時28分35秒
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