2013年06月23日
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カテゴリ: 幕末維新


時代をさかのぼって行列が繰り広げられていく、京都の時代祭。

当時の風俗が忠実に再現された、その壮麗な時代行列は、
見るものを、往時の歴史時代へと誘ってくれる、華麗な歴史絵巻でもあります。



維新勤王隊.jpg



この時代行列の先頭を進んでいくのが、
錦の御旗を掲げ、勤王マーチを奏でて行進する、維新勤王隊列。

毎年、時代祭のオープニングを飾るのが、
この勇ましい鼓笛隊の進軍なのですが、
もともと、これは、維新期に活躍した「山国隊」と呼ばれる一隊が、
行進を行っていたものでありました。



山国隊.jpg



一方、時代行列の最後尾を務めるのは「弓箭組」と呼ばれる一団。

こちらも「山国隊」と同様、維新期、戊辰戦争に参陣し、
そこで活躍していた人たちが、行進を行っていました。



弓前組.jpg



「山国隊」と「弓箭組」

どちらも、京都北方の山村にあって、古くから皇室との関係が深く、
また、維新の折には、自発的に兵を組織し、
費用も自己負担してまで、戦線に参加したという、
同じような経緯を持った農民義勇兵団であります。

彼らが、それぞれに、時代祭に参加した、その思いとはどのようなものだったのか。

今回は、この2隊のうち「山国隊」についての話を
まとめてみたいと思います。


(山国村について)


山国隊のふるさとは、丹波国桑田郡山国郷という、
林業を中心として生計を立ててきた山村。

現在は京都市に編入され、右京区京北町となっています。


平安京造営の際には、御所に用材を献上したといい、
その後も、多種の献上品を届けるなど、
皇室の御用達係のような役割を果たしてきました。

当時から、皇室の信頼も相当に厚く、
物資の調達ばかりでなく、御所の警備まで任されていたのだといいます。

南北朝争乱の折には、北朝の光厳天皇が、この地に隠棲していたという歴史もあり、
現在も、山国の地には、3天皇の陵墓が残されています。

室町期まで、皇室の直轄領。
この村の名主たちは、朝廷から官位までもらっていました。

ところが、江戸時代になると、
村は皇室領・幕府領・門跡寺院領の3つに分割されます。

このことは、山国村に多くの問題や不便さを生み出すことになり、
皇室領として再び統一したいということが、村の念願となっていました。

そうした中、山国村は幕末期を迎えていくことになります。


(山国隊について)


慶応4年(1869年)1月、鳥羽伏見の戦いが勃発。

新政府は、これに勝利するや、すぐに各方面に兵を繰り出して、
旧幕勢力を鎮圧しようとしました。

丹波~山陰方面を担当することになったのが、
山陰道鎮撫総督に任命された西園寺公望。

「今回の挙兵は王政復古の戦であり、志ある者は馳せ参ずべし。」

公望は、そうした檄文を各地に配ります。


そして、この檄文に応じたのが、山国村。

山国村では、村内から有志を募り、義勇隊を結成するということが決定されます。

古来から続いてきた朝廷への親近感と、
村を皇室領として統一するためにも・・・。

当初、約90名の隊士が、集められたのだといいます。

そして、この軍勢は、
西園寺軍に合流する西軍と、御所の警備につく東軍の2軍に分けられます。
東軍は、仁和寺宮軍のもとへ加わろうということで大坂へ向かい、
西軍は、西園寺軍の後を追って、丹波をさまよいますが、
結局、官軍に参加することが出来ませんでした。

西園寺軍の鎮圧戦は、どうやら終わっているようだ・・・。

そうした状況がわかってくる中、
しかし、以前から懇意にしていた因幡藩から、
新政府の上層部に働きかけてもらえることになりました。

この山国村の義勇兵の話を聞ききつけたのが、岩倉具視。

岩倉具視は、この隊を「山国隊」と命名し、
因幡藩に付属して、東征軍に加わるようにという、指示を出しました。

このようにして、山国隊は、晴れて官軍の一員となることになりました。



慶応4年、2月。
山国隊は、東山道軍として、因幡藩とともに京都を出発します。

大垣から甲州勝沼を経て、江戸に出て、宇都宮の戦闘に参加。
江戸に戻ってからは彰義隊と戦い、その後、常陸~相馬~仙台へ、
山国隊は、約8か月にわたって各地を転戦しました。

その間、特に、宇都宮・安塚の戦いと、上野・彰義隊の戦いは壮絶な激戦となり、
戦死者4名、病死3名という大きな犠牲を出しました。

「魁」と書かれた陣笠をつけ、
また、その名の通り、戦いの各所では、そのさきがけとして、常にその先頭に立ち、
山国隊の戦いぶりというのは、諸藩の兵よりも勇敢だったといいます。

そうした山国隊の活躍は、大いに評価されることになり、
その故もあって、途中からは錦旗を守護する役割まで任されるようになりました。


明治元年、11月。
山国隊が任務を終え、京都に凱旋してきます。

錦旗を掲げ、勤王マーチを奏でて行進する山国隊。
そうした農民志願兵たちの雄姿は、人々から喝采をもって迎えられることになりました。

こうして華々しく凱旋を果たした山国隊。
しかし、その栄光の陰で、そのために払った代償というのは、
あまりにも大きなものでありました。

村を皇室領として統一したいという当初の願いは、
維新により、皇室領であるということの意義自体が変わってしまうことになり、
また、その自己負担となった戦費は、莫大な借財として村にのしかかってきました。

義勇兵の出征により、残されたものは借金のみ・・・。

借財返済のため、村は多くの山林を売却することとなり、
その後、山国村は、急速に疲弊していくことになります。


(時代祭と山国隊)


明治28年(1895年)。

京都では、「平安遷都1100年祭」のイベントが行われ、
華々しく内国勧業博覧会が開催されるとともに、
そのパビリオン跡を活用して、平安神宮が創建されました。

そして、この記念事業の一つとして行われたのが第一回目の「時代祭」。

「時代祭」というのは、
平安講社と呼ばれる京都市民の氏子が主体となり、行われるものなのでありますが、
この第一回目の実施にあたっては、広く京都府内からの番外参加を呼びかけました。

そして、これに応じ、参加を申し込んだのが、旧山国隊と旧弓箭組なのでありました。

以来、山国隊は、時代祭の行列の先頭を務めるようになり、
それが今も、維新勤王隊列として受け継がれています。


自らの損得を省みることなく勇敢に戦いに挑んでいった、この山国隊を顕彰したい。
時代祭の維新勤王隊列には、そうした京都市民の思いが込められているようにも思えます。

そして、この山国隊の存在というのは、山国の人々にとって、
今なお、誇りある歴史の1ページとして語り継がれているのです。






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最終更新日  2013年06月23日 21時24分10秒
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