私もしつこいと言うか、また、競争についての思いめぐらしです。
昨日は、学校内の競争の原理を批判しましたが、社会的にはどうでしょう?
私は堺屋太一さんの「競争の原理」を昔、読んでから、
競争は人類の進歩に貢献するもので、この世の原理だと思ってきました。
もちろん今も、出版年は古いのですが内容に色あせがない名書であると思っています。
ちょうど、日本株式会社の護送船団方式に批判が集まっている頃で、
歴史を振り返ることで競争の重要性を伝えています。
などなど、競争原理が機能する社会のシンプルさ、強靭さ、厳しさと
その世界で成功する条件について書いています。
また、競争原理の厳しさについて誇張することなく、事実から論証しています。
たしかに競争社会は辛いです。厳しいです。
しかし、競争なしにはいずれ衰退に繋がることが、もっともだと思われてきます。
でも、ひねくれ者の寅さんは、競争原理が本当に社会の進歩の原動力なんだろうか?
疑ってみたくなります。
なぜなら、この本のように実例をいっぱい出したからと言って、
競争原理を肯定する証拠にならないことは、科学的に明白だからです。
たとえば、新聞には、毎日悲惨な事件がいっぱい掲載されていますが、
それは、事件が異常だからであり、世の中には、心温まる明るい話題が圧倒的に多いはずです。
それらは、身近にありすぎるから、ニュースにならないのです。
まず、競争原理がもたらす社会的なデメリットを考えてみましょう。
すぐ思い起こされるのは、新自由主義に基づく市場の競争原理が生んだ
ライブドアの堀江前社長や村上ファンドに代表される
「勝ち組」の「金銭至上主義」です。
また、自分の利益のためには、どんなことでもOKの「耐震偽装問題」「偽装コロッケ」など、人間の価値観や行動基準を大きくゆがめています。
勝つためならあらゆる手段をつくそうとするのが、悲しいかな人間の性です。
逆に「ズル」もできないのは愚かな「負け組」である、という狂った考えの若者や子どもたちを生み出しています。
私は若者たちを決して、ひとり非難できるものではないと思います。
彼らは、大人の心の本音をマジメに学習した優等生なんです。
人が「生きる」ということを、真正面から見つめ直す必要があります。
人生は効率中心の「勝ち負け」の次元で切り分けられるものでは、断じてないことを確認しなければなりません。
もちろん、切磋琢磨は大切です。しかし、これは、「相手に勝つ」ことではなく、お互いに刺激し合って、互いに磨き合って「君も僕も共に」より真実の幸福に近づこうとすることです。
競争意識を養わせ、サバイバルなコマンド兵になることを是とする風潮は、日本の何をもたらすのでしょう。
企業内競争でも、給料の格差をつければ、勤労意欲が増す人間が望ましいと思っているなら、その会社は、そういう人間の巣窟になってしまいます。
本当に金が好きなら、村上さんの弟子になればいいのであって、普通の企業に来るサラリーマンなんて、才覚も度胸もない中途半端な人間の集まりだということになります。
人間が何の為に働き、何のために意欲を燃やすのか、
会社の経営者がわからないようでは、その企業の先行きが知れています。
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