まだ、時間があるので続けます。
「芸」にも、たしかにピンキリがあります。
教室で、演じたい芸は、やはり頭を使わなければ楽しめない芸ですね。
そこにこそ、学問という芸の魅力があるわけです。
たとえば、話しをするプロ中のプロ
噺家を考えてみましょう。
落語は音ではなく頭を使って楽しみますよね。
脳細胞がずいぶん活動してます。
落語は、ずいぶん制約の多い芸です。
何せ正座で、下半身を動かさずにいなければなりません。
さらに、教材ならぬ、道具も使わいません。黒板もありません。教科書もない。
(といっても扇子と手ぬぐいは使いますけど・・・)
それでいて、すべてのシチュエーションを演じているのです。
かえって、その制約のお陰で、普通の演劇やドラマではお話にならないことでも、
落語にすると面白くて笑えるものも多くあるわけです。
例えば愛宕山の話は映画でしても面白くないでしょう。
出演は、たった一人なのに、1人で何人もの人を演じることができます。
そして、ここが大切なのですが、
それを聴く客の心の中に、自分の中でもう1人の自分を投影し、
創り出すことができます。
創りだされたもう1人の自分が冷静になって、
冷静さを失っている方の自分に諭すことさえできます。
これも、イメージの共有化のもたらす魔法の一部です。
このように、教室には劇場どころか、全世界、全宇宙を投影することができるのです。
おっと時間です。また。
しゃべりのプロを目指して 2008.04.28 コメント(2)
教育しない工夫 その2 2008.02.18 コメント(2)
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