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行ってきました~♪トドはお昼ごろ帰ってきて、寝てたから、ほったらかして出かけてきました。今朝、電話で少し話し、こういう生活、変だと思わない?って問題提起してみたけど奴は自分と同じように、私が朝まで遊び歩いてくるとでも思ったのか(笑)帰ってきたらまたマージャンに出かけてました。今年中に、帰ってくるのか?わかりません。ヴァカです。あきれた。でもって忘年会は、学生時代のキャンプ仲間でした。中の数人は子供のころからの友人、一番古い友人は3歳からの付き合いなのでかれこれ・・43年目?(笑)学生時代の友人たちとも、であった18のころから数えると、30年に近いな~だから、友達というより兄弟みたい。前にも書いたと思うんですが、学校卒業して勤めてたころ、会社が近くだった友人は、私の会社の人と一緒にいるところでばったり出会ったら「タンポポがお世話になってます」って言った。あんたは親か?(笑)お互いの結婚式のときも、「ふつつかですが」ってな挨拶を、相手の親にする間柄。身内感覚って奴ですな(笑)男性陣のなかには、企業から独立したり、方向を変えたり、今後を見通して、この数年、方向転換をする人も多かった。頭部も寂しくなってきて、後ろから見ると拝みたいような法王はげ(法王の帽子の部分がはげるタイプ)とか、やたら顔が大きく見える人(生え際後退型)とか、寄る年波を感じるな~(笑)北海道から帰省中の友人がポロッと「この一日で充電して一年がんばる」そうだね、未来には明るいことが待ってる、と素直に思えたあのころから、の友人。それぞれ、いろんなことを抱えてるけど、また来年も笑い会える時間を持ちたい。出かけてよかったです。かなり飲んだけど、悪くない酔い方だ。いやなこと、吹っ飛んだ思い(^_^)/で、帰ってきて、いやなこと思い出した。(ーー;)私も、元気でがんばるぞ~!明日はちょっとだけ、おせちだ!帰り際、みんなの挨拶は、「またね!」さよならじゃないもんね、また会おうぜ~(^_^)/ゴルフ始めろといわれた。どーするべ?(笑)
2005年12月30日
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正義の叔母(父の次妹)から葉書が来た。内容は、大叔母のお世話をしたことに関する御礼でした。この叔母は、父のすぐ下の妹。父の兄弟は、従姉の母である伯母・父・正義の叔母・バンカラ叔父・欲ぼけ叔母・病弱叔父、の6人。祖父が健在だったころ、とある事情から新聞の取材を受けた祖父は、子供は6人、女男と順番もきっちり!と自慢げに話したものだ。それって・・自慢?(笑)と、取材接待のため祖父のところへ出かけていた母と笑いあったものだ。正義の叔母には、一ヶ月私より早く生まれた従姉がいる。この従姉は、小さいころから喘息で体が弱かった。今も、お薬が手放せなく、強いお薬を長年使い続けたことから、体のあちこちに支障が出てる。休みながらでも大学まで出たけど、勤めに出る体力はなく、自宅で塾のようなことをしてる従姉です。ある時期から、彼女が体が弱い、ということを意識するようになった私は、海だー山だーと馬鹿みたいに走り回る元気な子供だったから、同じ年齢なのに病気を抱えて、好きなように飛び回れない従姉は、いつも気になる存在だった。なんだか、元気であることが、後ろめたいような気持ち・・もあった。この従姉も、この秋から網膜はく離で入院してたそうだ。正義の叔母自身も、父と似たリウマチの症状があり、歩行がつらいという。義叔父も、あまり丈夫ではない家族。正義の叔母も大変なんだとよくわかる。手伝ってもらえるとは思ってなかったけど、あまりにも知らん振りなのは、どうなんや?って思ってたから、葉書が来たのはうれしかった。正義の叔母は、若いころ、義叔父の実家がらみでつらい時期があったと、後から聞いた。そのつらい時期には、この叔母が母に食って掛かるようなものの言い方をしたこともあって私がこの叔母と丁々発止、とやりあったこともあったけど義叔父の実家がらみの問題が落ち着いたあたりから、正義の叔母になってきた。欲ボケ叔母の理不尽な母への要求を、叱咤してくれる正義の叔母になったのだ。祖母が亡くなった後からしばらく、正義の叔母は母と一緒に木彫りの教室へも出かけたりしてた。祖母が亡くなったのが突然だったので、動揺したのか、欲ボケ叔母には、目に余ることが多かったけど、正義の叔母は冷静だった。だから、この叔母の事は嫌いじゃないんだ。叔母ちゃん、お葉書ありがとうございました。お返事、今日投函します。m(__)m
2005年12月30日
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何とか穏便に年の瀬を迎えつつあった我が家でも、またもや不協和音発生です。原因は、私なんだそうです。というわけで、2005年、愚痴おさめ(笑)うち、虚礼廃止に適合しない業界で暮らしてるもんで、お歳暮などの行事は大切。毎年送る先も品物も、大体決まっているからとはいえ、送る順序にも微妙な手配が必要だと、彼は考えてる。考えてるけど、それを実現するためにこまめに動くべきは私なんだって、考えてるわけね。彼の直属の師匠にまずいの一番に渡さなくちゃいけない、それ以前にほかの方に届くとまずい、というので彼が師匠家に挨拶に行くタイミングを見計らって発送するわけですが・・・今年もまた(なぜかこの数年、年末のこの時期、実家父の不穏発生が多い)実家父の入院が長引き、ほっとすると、もう年末まであとわずか・・・という日になってしまいました。タイミング、ずれちゃったけど、送るべき先には送ったんだけどね。遅いというわけです。彼がマージャンに行くついでに送ってくれてもよかったんだけど、そういう話をするにも毎晩遅くにしか帰ってこないし、今年、これを送ろうと思うけど、よい?ときいても、生返事。これこれの送り先に変更はないか、ときいても生返事。千手先を考えている彼から、今聞いたことに関する返事が的確に返ってくることは少ないからいつもの送り先に、いつもの品を送った。けど、一部、お歳暮をやめるといわれていた先もあったので、そこへは送らなかった。そしたら、そこからお歳暮が来た。今月前半は、父が入院していたので、私が家にいられる時間は午前中くらいだったけど午前中に配達してくださいと、お願いしてても、我が家はどうもルートの最後になるみたいで、お昼を過ぎちゃうことが多かった。だから、大丸さんの集配所から届くお歳暮を、まとめて預かってもらってた。それをやっと昨日、届けてもらったわけですがもっと早くにお礼を言うべきだったってことでで、彼は怒り狂ってるわけです。怒る気持ちもわからないではないけど、私の替わりに家にいて荷物を受け取るということもないし寝てたらベルが鳴っても出ない人。ヤマト運輸と郵便局と、その他二箇所ほどの配送は、業者さんが近いのでこちらからとりに行くこともできるけど佐川急便と大丸は遠いので、持ってきてもらうことにしてたのが、いけないみたい。去年までは、舅宅に転送してもらったりもしてたけど、舅が自分宛だと思ったりすることもあってややこしかったから、今年は転送しなかった。入院や手術より、お歳暮の受け取りのほうが大事なんだと、考えるべきらしい。ほんとに恥ずかしいけど、私は何なんだろう?家事と、雑務をこなす、無料の家政婦?馬鹿みたいに、暇さえあればマージャンに明け暮れてる旦那を見てると仕事は一生懸命やってないわけじゃないけど、おかしいと思ってしまうよ。仕事って、外でやる部分だけじゃない。内部でやるべき処理については、全部私なの?お姑さんは、お歳暮を送ったりということについては、なるほどちゃんとしてる人だったけど、彼女は仕事を手伝ってる部分はほとんどなかったし、って言うか、舅は仕事を拡張することのない人だったから姑は、掃除して洗濯して、ご飯作って・・・れば良い生活。悪いけど、今の私と忙しさが違う。仕事のことにしたって、私が外へ仕事に出たのは子供がほしいという話をしたときに、「大体君は、外でバリバリ仕事ができる人なのに、そういうことをもっとすると思ってのに・・」って話を摩り替えられたから、働き口の声がかかったときに、やってみるべ、と思っただけのことだ。で、仕事始めたらはじめたで文句ばっかだったしね。アルバイトでもパートでも、仕事は仕事、責任だってあるし、不規則な彼の生活に合わせて仕事をすることは無理があった。それをともかく了解してもらって、ぎりぎりのところで仕事もしてた私。な~~~んも、わかってないもんね。別に代わりにご飯作れとか、洗濯しろとかそういうことを期待してない。でも、次の朝早いとわかってる日に、深夜までマージャンして遊んできて、帰ってから次の日までに必要だって準備を言われるのは、困るんだよね。で、怒りつつ、今日は忘年会、にお出かけです。忘年会といっても、今日は上の方もおられるから、気を使いながらの忘年会。無礼講ってわけでもないから、どうせ機嫌悪く帰ってくると思うわ。このままマージャンに行く可能性もあるな~。私が悪いんだから(と彼は思ってるから)お仕置きの意味もあって、明日の忘年会を阻止する作戦だと思うよ。夕べも一人で全部旦那関係の年賀状を仕上げて、今日投函した。彼は昨日の午後から、マージャンで、ゆうべ二時ごろ帰ってきて、届いている荷物を見てさんざん悪態ついて、そのまま寝た。今日起きてきたのも午後だったし、相変わらず怒ってるし、何なんだろう。送らないと決めた先から届いた件については、彼に自分で今日、出かける途中で何か送ってもらうことにしたけどめっちゃ怒って、「俺が送ったる」と捨て台詞だったわ。(笑)いいじゃんね?自分でやればいいじゃん。彼は私のこと好きじゃないんだろうな~私もだけど(笑)だから、するべき仕事を自分の思うようにしてくれないことについて、ものすごく怒るわけだ。こちらの都合なんか、お構いなしだ。悲しんでいようが、不安がっていようがお構いなしだ。変な夫婦だ。(-_-;)やっぱり解消しないのは、変なのかな?と、そこに思いが行き着くな~旦那ほど、相手に怒り狂って食って掛かれないよ、私。迷惑かけてるなと、思う気持ちも一応あるもん。実家がこういう状態になるとは、思ってなかったんだもん。でも、病気は待ってくれないし、入院中の父のそばにいられるのは私だけなんだもん。父の入院が伸びたとき、あ~~また、お歳暮の時期なのに・・って思った。来年の初めの通院が4日なので、2~4までは実家がらみで時間が取れない私。旦那は6日から仕事が始まる。せっかくの休みなのにと、彼は言う。いまさら一緒に何をする?でもない夫婦なのに。そして彼は、一切自分の親がどうしてるか、気にならないみたい。私も、彼の怒りを得て、連絡をとる気にはならない。知~~らないっ。
2005年12月29日
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今年、高級料亭にお招きくださったトドの先輩ご夫婦から、また声がかかって、今日は琵琶湖畔で鴨鍋です。寒いやろな~~~~といっても屋外というわけではないけどさ(笑)今日は先輩ご夫婦とうちだけではなく、今年結婚した後輩の新婚さんご夫婦と、その方のお父様に当たるこれまた先輩、それに、10月にお父様をなくされた同輩の方、同門8名での会食です。新婦さんと私は初顔合わせなので、楽しみ♪同門が少ない一門なので、こういう催しには出なくてはならない?というトドの意向で、出かけてきます。鴨鍋顛末は、帰ってから書き加えるわね(^_^)vってな訳で、コメントにちゃんとお返事しないまま、ごめんチャイ。
2005年12月27日
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う~~ん、ちょっと違った催しだった、っていうか・・要するにクリスマスディナーを申し込んだ人だけ、ステーキを食べるという催し(笑)だからイベントはなかった(*^_^*)ちょっと楽しみにしてたので、残念でした。で、夕方、両親のところへ行くと、今日は出張美容院の日で、二人ともカットしてもらってすっきりしてた。父は入浴日だったので、お風呂にも入ってすっきり、気持ちよかったみたい。ところが、っていうかやっぱり(笑)父の入浴中に、母がお片づけをしちゃったから、大事なものが無い無い(^_^;)父、今回のヘルニアの術後の注意として、排便のときに気張らない、というのがあって、特に便秘には気をつけましょうといわれているのでお薬ももらってるんだけど・・そのお薬が無くなった~~~と、めがねと時計が無くなった~~~(笑)いずれも、捜索して今日のところは発見できましたけど、退院してから一週間になるけど、行方不明のブツがまだまだ多い。(笑)二週間の入院中に、母が思いっきり、片付けてますからね~~~~(^_^;)大事なものほど、巧妙に隠されてしまうのであります。捜索活動に時間がかかって、普段は8時までで退出することになってるんだけど、今日は9時過ぎまで両親のところにいました。クリスマスも終わったので、廃物(トラ柄一升瓶)利用で門松?を作ってきた。迎春用意、って事です。さてと、我が家の迎春準備もしなくちゃね。父は今日の夕方の血糖値が低く、低血糖が心配だ?って事で、食事前に一合日本酒を飲んだ。ステーキディナーなので、ワインを飲んでも良いんだけど、ちょうしこいて、それも飲んだ。一応阻止したけど、飲んだ!だいぶ酔っ払ったみたいだった・・・弱くなってるよねっていうか、これもやっぱりアカンやろー!!これまでは自分でしてたお薬のセットも、全然できて無いし、弱くなったのはお酒だけじゃない。年内のお薬の仕分けは、入院中に私がセットしたけど、来年になってからのブンはまだだった。母に手伝ってもらいながら、セットしてきたけど、母には用意した明日のお薬を、決まった袋に入れるという作業は、とても無理になってる。普段何気ない会話だけなら、気付かないけど、こちらもすすんでますな~~そろそろ、施設の看護婦さんに、全面的にお世話になるべき?時が来たのかなと思う。インチキ内科医に夕食前にあったので、下心もあって挨拶してみた。(^_^)vお薬管理と、お注射は、そろそろお願い時かと、思うけどな~・・・パパさんよ、お二人で助け合って生活する、というレベル、越えてると思うよ。
2005年12月26日
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例年、一日は朝から仕事のトド、私はトドを送り出してから、おせちを少し作り足し、お昼に実家に出かけてちょっとごろごろしてから自分の家に帰り、夕方から義理家に出かけることにしてた。お一日の夜は、義理家で一緒に新年を祝うことになってるの。今年も一日の夜は義理家で過ごす。姑には準備が出来ないので、またオオトドがハッスルして、ややこしい一年の始まりになることだろう。二日は実父の誕生日なので、お祝いをかねて実父のところへ会いに行く。去年はホテルを取って、弟夫婦と両親を連れて出かけたんだけど、今年はホテルは止めた。父の体調が心配なのと、出かけても寝てるだけだもんね。(--)と言うわけで、二日の夜、私、トド、弟夫婦が、両親の施設内にあるお泊り部屋に泊まることにした。この部屋さ~お通夜も出来ますルームなのよね。と言っても、まだ、お通夜に使ったことはない、んだそうだけど・・夕食は施設内で取らず、近所の割烹へ出かけることにして予約を取った。お鯛も頼めるとの事なので、お願いしちゃった。これ、父も弟もトドも、大好きなお正月のにらみ鯛。父は駄目な奴なので、綺麗な身のところだけを食べるけど、私も弟も骨までしゃぶるタイプ。トドもね。(^^)二日の晩は、お通夜も出来ますルームに泊まって、三日に両親を連れて帰ることにした。三日の夜は、従姉家の子供たちが集金にくるみたいだし?と言うことで、お寿司の予約もした。トドは多分途中下車して、マージャン。実家一泊で、四日は父の通院なので、通院後施設に送り届ける。なんか・・一年の始まりから、あわただしい・・・そういう年の始まりの、予定を立てちゃった。
2005年12月24日
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トドが日帰りで飛行機を利用し、遠方へお稽古に出かけてた。帰ってくる予定の時刻、空港で待ってたけど、飛行機が遅れてる?まぁ珍しいことでもないか?10分遅れで到着してほどなく、到着出口からトドが出てきた。けど、?・・・他の乗客?いないの??「ひとり?」まさかね~と思いながら聞くと「うん」だって(@_@;)貸切だったらしい・・・\(◎o◎)/!搭乗後の説明も、「皆様~」ではなく「○○さま~」名指しで緊急避難時の説明があったんだそうだ(笑)はぁ?なにそれ?事の真相はこうである。その飛行機は、その日のその路線の最終便、15分前に一つ前の便があった。15分前までには飛行機に乗ってください、と言うアナウンスもあるように、最終便に乗るべく空港に集まっていた人たちに、最終便に故障箇所が見つかったと、連絡があり、空港に集まっていた人たちは、ひとつ前の便に急遽乗り換え、帰阪。最終便の飛行機は故障箇所の点検を終え、あとで遅い時間に帰阪するべく待機してた。と、そこへ、本来の発時刻7分前に、トドが駆け込んできた。また遅れたのかよ~~~飛行機会社はあわて、あれこれ相談の上、機械不良で点検のため、他の乗客は一便前の飛行機に乗ってすでに出発したことこの飛行機もどの道大阪へ帰るので、お一人ですが・・・、さらに、細かい点検は大阪へ移動後になるので、万が一不良状態がまた現れたら、発空港へ戻る可能性もありますが・・・と言う含みのある説明を受けたあと、一人だけ、乗ってきたらしい。機内の説明「省いてもらっても・・」と申し出ては見たが、「航空法で決まっております」だそうでさらに名指しで、解説を受けてきた。機長の挨拶も?「・・・・」良く覚えてないらしい、トドも舞い上がったんである。忘年会ごの搭乗だったため、お酒も入っており、トドは程なく眠った。大阪到着後、降りるときに、スッチーのオネイサンがまとめてキャンディーをくれた。「良くお休みになっておられましたので」(^_^;)なんつーか・・・トドも困らないように出来てるんだろうか?トド、ビップと言いたかったらしいが、言うべきところでやはり言った。「僕、ピッグやってん♪」・・・・・・・・・ん、そうじゃろう・・(ーー;)
2005年12月23日
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世の中は雪害でお困り状態だった昨日、夜10時過ぎに電話があった。実家マンションの真上の家の方から、実家にかけてこられた電話を、いつものごとく私の携帯に転送状態で受け取った。真上のお家は、先日から浴室周辺のリフォームをしておられた。そのためにご迷惑かけますというお手紙が、先日実家に立ち寄ったときに入ってた。今日、一連のリフォーム作業が終わり、浴室にお湯を張るテストをして、それを流し、お夕食をとった後、改めて入浴用にお湯を張ろうとされたら玄関周りの絨毯がビッチャンコ、になっていたのだと言う。階下の部屋にも影響があるのではないかと、あわててお電話を下さったのだったがいつもならすぐに車で見に行くところなんだけど、昨日の積雪あとだし・・夕べ車を出すのは怖かった。今日点検に帰るということで了解を頂いて・・・で今朝、早朝にトドを空港へ送って言った帰りに実家へ行ってチェックしてきた。天井、壁紙、絨毯、異常なし電灯類の傘の中に水がたまっているということもないし、他の部屋にも、異常は見られない。ただ・・・マンション玄関外の通路に面しているガス給湯器設備から、通路を横切るように水の流れたあとが見られる。さらに、浴室の換気扇の真下あたりに、水滴が溜まっており、水滴が落ちたときの飛沫ではないかと思われるものが、洗い場のほうにも、見られる。浴室内と、外部の給湯設備周りに、水漏れがあったと考えてよさそう・・・一応点検したあとで、父に連絡を取り、他に点検すべき箇所はないか?など、聞く。それだけで電話を切ると、ママさんがむくれるので、ママさんにも電話を変わってもらって、「月曜日のクリスマス会、「ステーキディナーの夜」(勝手に命名)の私の食事、頼んでくれてる?」と聞いてみた。ママさん「え~~~と、わかんない、トドさんも来るの?」ん、そうじゃろう、と思って自分で頼んであるのじゃ(笑)。それと、トドは行かない、トドが来るのを期待しとるのか?娘よりトドか?(ーー;)実母はトドの食いしん坊ぶりを、ある意味かわいいと思っており、(私の話術のおかげだ)娘夫婦の不定愁訴に気付いてない。(^_^;)雪でお家がつぶれちゃったかもしれないから、見に来たの、でも、大丈夫だったよ~、とご報告。ちょっと事実と違うけど、まぁええか?って事で、本日の話題は、引っ越すと便利になる以前住んでいた町、というテーマ。私が通っていた大学の最寄の駅は、私が通学していた当時、各駅停車しか利用できなかったのに、最近は特急が止まる。実家の最寄り駅も、通勤などに利用していた時代には各駅停車しか利用できない不便な駅だったのに、いまは特急が止まる。さらに、震災後、一時期転居していた京都の最寄り駅も、私たちが阪神間に帰ってきてから、特急が止まるようになった。神様は意地悪か?(ToT)と言う私の話に、うへうへ笑いながら相槌を打つ母である。「笑いたいのを我慢してたら、お腹がヒクヒクしてきたわ」と母。我慢することないじゃんねぇ(笑)などと言う馬鹿話を少ししてから電話を切り、真上のお家の方に現状を見ていただいた。業者さんと連絡を取ってもらって、必要な処置を願うということにして、実家を出て、久しぶりの従姉家へ立ち寄った。昨日の積雪もまだちょっと残ってる街中、伯母が買い物に出向くなら、車で送っても良いかなと思う気持ちもあったし、しばらく従姉の顔も見てないし、父の手術のことも報告したかった。従姉は、良くなってないな~~~相変わらず、伯母の理解させたい、良くなって欲しいという姿勢は強く、之は従姉にとって良い対応なのか?と思う面もありながら老い先短いと自分を感じている伯母の、焦燥感も良くわかる。孫たちに娘の世話を押し付けたくない、何とか自分が元気なうちに、娘を自立させたいと、そのことに伯母は命を懸けてる。もう少しよくなってもらいたいよね、それは私も思うところだけど、従姉の状態は、むしろどうなんだ?悪くなってるように見えてならない。事情があって、私と入れ替わりで事務所に来られた新しいケアマネさんが担当してくださるようになって伯母に対して、従姉の言動に対して訂正しないように、と言われるのだと言う。伯母は、「そんなこと出来ない!」と言う。伯母の気持ちは良くわかる。一緒に住んでいると、そんな余裕を持って相手をすることなんて、出来ないのが現実。まして、伯母は、一刻も早く何とかしたい、と言う思いが高じて、つい従姉にたいして、修正意識が働いちゃう。元に戻って欲しい、せめてもう少し日常生活が出来るように、社会生活が出来るようにと、あせる気持ちが良くわかる。かといって、伯母の対応は、やっぱり従姉には、良い刺激とは言えないよね。とも思う。積極的にかかわることが出来ないいまの私には、伯母が伯母なりに従姉の将来を案じて対応していることについて、静観するしか方法がない。買い物は?ときいてみると、電車で二駅隣の安売り店に、重いものを買いに行きたいのだと言う。私も買い物がある、と言うことにして、ちょちょいのちょい、と出かけることにした。この二つ隣の駅で、母方従妹がお豆腐屋さんをしているので、伯母を目的のスーパー前でおろし、15分後にバス停で拾う、ということにして私はお豆腐を買いに行った。ここのお豆腐は、お味はグ~~~なのです。大豆の甘みがそのまま生きてて、美味しいのです。ただ、柔らかいんだよね~もうちょっと固いほうが食べやすいし好みなんだけど、お味はよろしいので、近くまで来たら、立ち寄ることにしてる。今日は、旦那さんが店番をしており、従妹は配達に出ているそうだった。この従妹、私とは親子ほど年齢が違う(笑)私、筆頭従姉、彼女、末従妹、なのである。今年結婚したんだけど、まだ若いのに、お豆腐屋さんと言う朝も早く、冬場の辛いお店の女将さんになった。以前に立ち寄ったときもそうだったけど、ご近所の方がかわいがってくださる笑顔よしのがんばりやさん。応援したいけど、お豆腐一丁200円也を二つ頂いて、あんまり応援にもなんないやね(笑)従妹によろしく言ってクンなって、車に戻ったら、リフォーム業者から電話が入った。明日、私が実家にいる間に、チェックに来てくれるのだそうだ。よろしく頼むぜ!約束の場所で伯母を拾うと、お昼を一緒にと、誘ってくれたので、お寿司をご馳走になってきた。その間も、従姉の相手をしているけど・・・不思議ワールドに入っているので、会話もすれ違うこともしばしあり話の中で「オネーちゃんは、ええよ~、お母さんがこうやって傍で甘えさせてくれるし、お兄さん(別れた旦那)も心配してきてくれるしさ~、子供たちだってママさんのこと気にしてるじゃない、あっしは誰もいないぜ」といってみた。事実だし・・・(ーー;)そうしたら、従姉「私が○子ちゃんのこと、心配してるぅーー!私がいるでしょ!」って言ってくれる。おねーちゃん!ありがとね。自分がまだまだどうなっちゃったのか、どうなるのか、一つ一つの動作にも、迷い恐れ、不安でいっぱいなのに、私のことは心配してくれるって言う。嬉しいな~~~お礼に、マグロ一貫、と、お豆腐一丁、譲りました。(笑)で、いまさっき帰ってきて日記を書いているわけですが・・お豆腐、車から降ろすのを忘れてることに、いま気がついた。(@_@;)取ってこよ・・・(^^ゞってことで、暮れの一日が・・・半日終わった。(笑)
2005年12月23日
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ネットから離れられないもう一つの原因は、阪急ホールディングのカブ。実は、この夏に買ったときから、二倍の値になろうとしてるんです。売るべき?これって、歳末助けあい?で我が家を助けてくれるって事かな?掃除業者頼むか?←一応気にはしてる。(笑)実は昨日から、バブリーな上がり方をしていて、何でだ?海外投資家が、買ってる?ってことは・・・どうなるのよ?800円になったら、売りか?1000円まで待つ?そんなに上がらないと思うんだけどな~~~あっし、700円くらいで落ち着くと踏んでたんですけどね阪神も下がってこないしさ~1000円行くかな?(@_@;)儲かったら・・離婚しちゃおうか?(笑)トドは、1000円になるから、待つといってる。私・・・倍になったら売ってもいいか~と、小心者かな?半年足らずで、倍額ですよ、こんなこと、あっていいのか?良いよね?(笑)と言うわけで、気になって離れられん(^_^;)としちゃ~~~ん、夕べトドが宝くじ50枚買ってきた。(笑)楽しみじゃ(^_^)v←意味深~~~、真相はとしちゃんのブログで・・・(笑)
2005年12月21日
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ふと気付くと、今年って後10日?(@_@;)あわわ・・・これから三件(義理家+実家+じぶんち)掃除する?義理家は多分オオトドが好きなようにすると思うし、ヘルパーさんも助けてくれるし、ムリヤ~←これハングル(笑)実家は・・・業者頼むか?じぶんちは・・散らかってても、ええっか?(笑)オセチ?・・・31日が勝負だな。年賀状?・・・これはトド関連だけでも何とかせねばならん・・あわわ・・・と言いながら日記を書いている私は、アカンがな~~~ぜんぜん、年末気分じゃない、ど~なる我が家の年越し!そんな状態なのに、忘年会の予定三件(学生時代の友人・実両親の施設・旦那の仕事がらみ)入ってきた、遊びに行っていいのか~!(ーー;)と言いながら、参加の予定。ま、ええっか?(^_^;)それでも明日はやってくるってことで・・あわわ・・・掃除しよっと・・・日記の更新、コメントへのお返事、またまた遅れるかもぉ~~~~m(__)m!掲載写真は実母の作品昨日の日記文中に登場する、一升瓶、口の部分にご注目(笑)お正月にはこの瓶に松飾を施し、門松にする予定。トラ家の正月向き、めでたい柄やわ~(笑)
2005年12月21日
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父、昨日抜糸←といっても手術跡ホッチキスみたいなものでとめてあった(@_@;)今日無事に退院しました。土曜日、父の夕食後のイベント(排便など)を済ませて、トドの翌日の仕事のために泊まりに出かけました。日曜日は、トドの仕事イベントの手伝いがあり、父は一人で無聊を慰める、はずでした。でも、母の妹(五女・六女)二人が病院へ見舞ってくれて、父は甘えて喫煙させてもらったとの事、月曜日は叔母連隊長(次女)夫婦が見舞ってくれました。母の妹たちにとって、義理とはいえ兄という存在は父が初めてだったからか親しく感じてくれていることはいままでも感じてた。手術前日は四女叔母夫妻が見舞ってくれた。三女叔母は亡くなっているので、これでオールキャストだ。母が元気なら、父に不自由をかけることもないのにと、気遣ってくれていることには素直に感謝する。あ・・・トドも来たんだった・・・忘れるとこやった。(笑)同じ病院に入院中だった「大将さん」は、退院の挨拶に行ったら、またどこかぶらぶらしてるみたいで、病室にいない(笑)奥様の看病に通っておられる「成金さん」にはご挨拶が出来、お互い穏やかな年越しをと、言葉を交わしてお先に退院させていただきました。病院のお玄関で「かっちゃん」これまた父の同級生(笑)この方は通院だそうですが、ばったり出会って、まるで病院は同窓会場かい?(ーー;)この年代の不調具合をまざまざと感じる次第です。(^_^;)内科でお世話になっている先生に見つかり、「同窓会は病院でしちゃいけませんよ、別のところでね」と笑われました。そんなこんなで、病院を後にし、いろいろあったけど、父には楽しかった?入院生活。今回は父を無事、退院させて、施設とはいえ、母の待つ場所へ送り届けられることは幸せだ、と、感じながらの道中でした。いつか、送って帰れない日が、来るんだ。とも思いながら・・・施設に着くと、母はちょうど入浴中で、その間に荷物をあらかた片付けて、母が戻る寸前に、私は買い物に出ました。いつもの風景の中に父がいる、という風に、したかったのです。もしかしたら、母は父の不在をも、忘れてくれるかもしれない。不安だったことを忘れてくれたら、良いのになとおもって・・・た。ら、またもや正直爺さんは「長いこと留守してごめんな~」って言っちゃったらしい。(笑)娘の配慮もなんのその、また母にむくれられて、困るのは自分なのに(^▽^)案の定、母、むくれてた。(^_^)v早速おタバコタイム、になったけど、自分でライター出火をつけることの出来ない父は(それなら吸うなよな)母に「はい、ライター」と手渡したんだけど母「私のポケットに入れとくの?」とナイスボケ(笑)タバコの火をつける、ということに思い至らない。(^_^)v父あわてて「違うよ~~、僕のタバコに、火、つけてよ~~~」母「え~~~~~」勝手にやってろ(^_^;)さらに、父秘蔵のタイガース一升瓶、残り一合ほどの残量があったそのビンの蓋が無くなって、変わりにティッシュが詰めてある・・・(*^_^*)もちろん、母の作品。父は「アルコール抜けてるか?酢になってないか?」と戦々恐々。早速味を確かめるべく、飲んでみることにして、詰めてあるティッシュを取ると一応「ポン」と音が鳴る。(((^▽^)))発酵してないか?(笑)お味は変わりないそうで、良かったね~~^^さらに、電話の受話器もテレビのリモコンも、行方不明なので捜索し、発見。なのに、というべきか、母のめがね、前回は一つしか見当たらなかったのに、今日は二つあるじゃないの(笑)などなど、荷物の整理などもし、夕食も一緒にとって、帰ってきた。しばらく両親はあるべきところに物を戻すゴッコで、退屈しないことだろう、と思う。(笑)いつか父を母の元へ送り届けることが出来ない日が来ることを、思う帰り道でした。ご心配くださいました皆様、ありがとうございました。今回は、(いつも?)ヘビーでした。特に、麻酔に関するあれこれの説明から、私が思っているよりも父は深刻な状況にいるんだ、ということを、改めて感じた入院でした。かといって、いま重症というわけではない、最悪の事態が起こらなければ、まだまだ・・生きられる。穏やかな明日を、年末年始を、来年を、迎えられるように、祈りたい思いです。この数日、またもや、オオトドの妄動などもあり、ブログネタに事欠かない生活です。実母の通院日の続きも、改めて、後日・・・(^_-)-☆
2005年12月20日
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またまた、コメントに一部しかお返事できていなくてすみません。もうちょっと待って~~~~でもって今日、トドが父の見舞いに来ると、言っています。昨日の舞台の御礼に、師匠家にさっき出かけていきました。夕方、父の病院に来ると言っています。なんじゃろ?(笑)やっぱり、どこか悪いのかもしれません。(ーー;)と思っていたら、お見舞いに行く以上は、何か手土産を持っていかねばならん、のだそうでしてお菓子を持っていくといいました。見舞い客の誰かに上げてもらっても良いし・・と、ほんとにね、わかってないのよ血糖値管理してる人に、甘いもの持っていってどうする!それに、看病してるのは私であって、あなたは私の旦那なんだよ単なる知り合いが、お見舞いに来るのと違うよ。ということは通じない相手、なのでお医者様から、一合ならと、お許しも出ていることだし、明日退院だと思うから、日本酒を頼んだ。「お父さん、退院したらゆっくり飲んでください」ってことでたぶん父も一番喜ぶお見舞い。やれやれ・・・どうなることやら・・・第一トド、病院まで無事に一人で来れるのか(笑)そして、口下手な父が、変なお礼を言うんじゃないか?気の揉むことが、絶えないぞ~~~(ーー;)ってことで、行ってきます。
2005年12月19日
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最初に、コメントにお返事できなくてすみません。しばし、お待ちくださいませm(__)m朝7時、自宅を出て実母を迎えに片道70キロを移動実母の施設が見えるあたりまで近づいたところで、電話が入る。携帯の番号表示は、昨日も二度ほど、不在通知になっていた電話番号だった。私は自宅の電話と実家の電話を、携帯電話に転送して受けている。誰だろうな?と思い、電話をつないでみたら甲子園に住んでいた当時の、ご近所の方だった。昨年末、父は年賀状の用意が出来ず、私も実家の分まで発送の手配が出来なかったため、今年の初めに頂いたお年賀状に、お返事を出さずじまいになってしまったのだったが当時のご近所さんの間で、「どうしたんだろう?」心配してくださっているとのこと甲子園の近所に住んでいたときは、ご近所に父の職場の方が多く、家族ぐるみで仲良くお付き合いをしていただいていた。母がこの前、大きな観音様を見に来たという(架空)グループは、この方たちのことだ。今回お電話を下さった方は、父が発病後、まだ杖をついている段階のときに、共通の知人の告別式で両親と顔を合わせていた。実母は当時、家庭内では十分に怪しい人ではあったけれど、久しぶりにあった方とのやり取りなどは、変化がなく母の病気については、気付かなかったとのこと。今日のお電話で、実母がアルツハイマーであること、実父が看病疲れのためか、各種病気を取り揃えていること、昨年、入院が必要な治療を開始するに当たって、実両親を自宅外で生活してもらうよう、私が決めて手配をしたこと父母ともに、文字を書くことが難しくなっているため、お年賀状を失礼したことなどを手短に話し介護のご経験もあり、何事にも冷静な対応をされるその方に、母の状態を話しつつ実はいま、母の入居先へ到着しようとしていることも告げいったん電話を切って、母の部屋へ入るときに口実にさせていただいた。母のいるフロアに着いたところで電話をこちらからかけ直し、実母と話をしていただくことに了解を頂いた。「ママ~電話よ~~、○○さんから~」鍵のかかっていた実母の部屋よ、開けゴマ~♪母が顔を出し「あら、どなたから?」私の携帯電話を受け取った母は「あら~お久しぶり~」と、まともな対応で会話が弾む。10分ほど話した後で、私が横から、「またご連絡しますと伝えて」と口を出したことをきっかけに、電話を切った母。この電話のおかげと、今日は病院へ行こう!という母が言うであろう希望に合致したスケジュールのため、難なく、通院に出発。予約時間10分前に病院に到着するも、いつもの屋外駐車場が工事中?(ーー;)久しぶりに実母一人を、精神科の建物のお玄関で下ろし「二階に上がって、これ(保険証や診察券一式)を窓口にだしてね、私車止めてくるから」母、上機嫌で、でも、階段を恐る恐る上る。周囲の風景を確かめるように、見渡したりも、してる。ちゃんと行けるかな~と思ったけど駐車場の最上階に車を止めて、階段を駆け下り、めったにしないダッシュで待合室に入る。母はちゃんとコートを脱いで、ちんまり椅子に座ってました。(笑)「保険証返してもらったの?」と話しかけながらお荷物チェック。ちゃんと受付はしてもらっているらしい。程なく順番が回ってきて、主治医の診察。といっても、最近どうですか~程度のことだが、母は基本的にはあまり変わりない様子ではある。ということでお薬も変わらず、来月の予約を取るために、通院しているようなものである。(笑)診察を終えて、会計窓口近くの椅子に座り、呼ばれるのを待つ間、お財布の中身チャック。お金・・ないじゃん(笑)母のお財布に「パパから預かってきた」と、一万円也を貸す。お会計窓口に呼ばれた母は、「娘と来まして・・延々(笑)」手馴れている会計窓口の方に、優しく対応していただいて、お薬の半券をもらう。次はお薬窓口付近に移動し、しばし待つと、お薬も出来ましたとさ、で、12時。この後いつもの病院本館最上階のレストランに赴き、最近メニューに加わったビーフシチュー(母の好物なのでメニューにあると、たいてい頼む^^)を食す。まずまずのお味でございました。母がお車代替わりに奢ってくれるという・・けど、実はさ~それ、私のお金よ~~(笑)食事を済ませて一息ついたところで、父の病院へ向かう、その前に・・とトイレに入った母は、なんだか長いのよね~おりょりょ?と、不安を覚えて使用後の個室をチェックしたけど、異変はなかったなぁ。何やってたんだろう?(笑)半時間ほどかけて父の病院へ移動し、と、父のベッドの前まで行くと、カーテン越しにいびきが聞こえる(笑)母を促して、父を起こさせる。父、目覚めると母がいるという状況に、予想していながら、ビビル(^_^)v父母久しぶりのご対面。この後、早速、喫煙タイム。以下写真は、病院の喫煙コーナー(屋外なのでコート着用、頭髪乱れあり)で、談笑する父母図。つづく・・(眠くてクラクラ(@_@;)アカン、もう寝る!)
2005年12月16日
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おかげさまで父、かなり復活しました。なるほど、ヘルニアの手術って本当に安全なんだね・・(-_-)心配したのが嘘のようだ・・・麻酔の心配をしていましたが、下半身は麻酔、後はうとうと眠るような感じにという麻酔医の配慮で、父は手術中のことも本当にうとうとして、気付いていなかったようです。一日絶食していたので、その後の体調を心配して、夕べ私が帰ってから、夜遅くに内科主治医の先生も様子を見に来てくれたそうです。ここへ来て、病院の中の各所で連携を取っていただいていると言うことを実感しています。今回の手術をしてくださった外科の先生方と、麻酔科の先生に、そしてバックアップをしてくださった内科医に、心からの感謝を!この後、ドコまで持つかわからない父の体だけど、大事に大事に生活しようね・・・と思ったのよっ!ところが父は、元気になったから「あれ、ええよな」「あきまへん!」タバコを吸いたいわけなのです。気持ちはわかるけどね~今日はアカン!というか基本的に、アカンやろ!あんた(父)のウィークポイントは、肺なんやで!と、かなり食い下がったけど哀れっぽい物言いに、負けた。(ーー;)さすがの父も、喫煙場所に看護婦さんに連れて行ってもらうのは、気が引けると言う。当然や!「○子が来ないと、吸いに行かれへん」という。こらぁ!もう付き添うのやめるぞ(▼▼)明日からは短時間にする。ぞ!そして、そして、金曜日にママさんを病院に連れてきて、そのまま置いて帰っちゃうぞ!←罰ゲーム?(笑)罰ゲームが一番効果あったみたい。置いて帰るぞ!というと、マジでビビッテた。(笑)冗談抜きに、調子こいてます父、ったく、節操がないというかなんと言うか・・ぶつぶつぶつぶつ・・。で、冗談抜きに、舞台の準備もあって、短時間しか病院に行けなくなって来た。具合が悪かったら気になるところだけど、私がいると喫煙量が増えるようなら、行かない方が、体に良いじゃん(^_^)v明日はチョコットだけにすることにした。
2005年12月14日
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金曜日、実母の通院予定日だ。積雪にならなければ、父の術後の経過がよければ、その日、母を自分の通院後、父の病院へもまわり、母お見舞いの予定。私と違って、正直爺さんの父は、母に無いことを話す、と言うことが出来ない。今回の入院も二泊三日、と告げて出てきたのに、二週間?になりそうなことについて、気に病んでいる。父「嘘ついちゃったな・・」と言うけれど、これは嘘じゃなくて予定が変わったってことだよ、って私は思う。母はこれまでの人生で、どちらかと言うと、家族の世話をするほうの立場だったから父が入院しているのに、自分が病院へ通って世話をする要員になっていないことについてあるときは情けなく、あるときは馬鹿にされたように思うみたい。と言っても、父の入院に気付けば・・そうなると言うことだ。母を連れてくるまで病院などへ行く場合、お出かけモードになることは、母の誰かのお役に立つ感覚にマッチしてはいるので、上機嫌になっていることは多いのだが、ちょっとした言葉のあやで、へそを曲げてしまう危険性が、ある。そういうときのお助けは、ヴァカ話、に限るのです。たとえば、前森総理事件これは、森さんがクリントンさんと沖縄で会談をしたときのエピソード←事実だと聞いている森さんは、英語が苦手なので、挨拶の言葉も口移しで教えてもらって会談に挑んだ。冒頭、「はーわぁーゆぅ~」というべきところを、「ふぅ~あ~ゆぅ~」と言ってしまった森さん。アメリカ合衆国の大統領に対してあんた誰?って言ったわけだわな・・これだけでも笑えるけど・・・まぁ森ちゃん、ある意味大物だわ。言われたほうも、アメリカンジョークでクリントンが「アイム、ヒラリーズハズバンド」と言ったんだそうだ。なかなかこれは、こじゃれている。このままで済めば、まぁクリントンの勝ち。そして森さん、笑顔で握手のまま、この後ぶっ飛ばした。「みぃつぅ~」あかんやろ~~~(@_@;)この後クリントンは絶句したらしい。と言う話、これは二三カ月おきに採用する小話なので、母の記憶回路にもちょっと残っているかもしれない。最後の森さんの、お返事のくだりになると、母「私なんていったかわかる気がする」と笑う準備が完了し「みぃつぅ~」で、爆笑すると言う仕掛けになっています。さらに、母お気に入りの話としては、身内話などなどウチの旦那のおぷぅ事件も、時として役立つ。家内の前では飾らない?のがモットーのトド、おならをすることなど、日常茶飯事ではある。あるとき、あまりにも連発するので、「お腹の調子が悪いんじゃないの?」と声をかけたら、「ガスだけや~」とのんきな返事が返ってきてた。と、次の瞬間、「・・・・・」トド、変にお尻を突き出してもそもそ移動してる?「どしたの?」と聞くと(ここでまた、母は、私どうなったかわかる気がする~」とすでに呼吸困難。トドが「うっ、実が出た」ここで母、涙を流して笑う。と言う政治ネタから尾篭なものまで各種取り揃えて、対応してます。トド関連ではパジャマ前後不覚事件・マップで掃除事件・暇つぶし注文事件などオオトド関連では生ごみ乗車事件・ホワイトデーお返し事件・日にち錯誤事件などなど弟関連では、お返事ください秘話・冷蔵庫の実験の謎・トイレ実験・などなどこれはほのぼの、喜ぶ話です。父関連では挨拶苦手事件簿(複数)、おじぃおばぁ関連の知り合い事件簿私が小さかったころの、面白話もあります。など、なんせ、家庭内で一歩離れて見れば笑える話しには事欠かない(ーー;)昔話変換。花咲かジィさん→「離さんかジジィ~」浦島太郎→「裏閉まったろう?」桃太郎→「もう、もうたろう」(もう、貰っただろう)などなど・・・日本語英語学習。家内屁をぷー「Can I help you」掘った芋触るな「what time is it now」など林檎家でおきた、亡き父上様への電話事件なども、持ちネタに加えさせていただいています。ちなみに、四様にあっちゃったビゴママのお話をしたら、「私もよ」←負けず嫌いかー?(@_@;)「最近良くうろうろしてるのよ」って不審者扱い(^▽^)もう必死なんだよね。笑う過度には、福来る?服は自分では着れない母ではある。親父ギャグに陥ったところで、お後がよろしいようで・・・チャカチャンリンチャンリンチャン・・・病院行ってきます。(^^ゞ
2005年12月14日
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最悪、手術中にどうかなる、と言うことも無く、無事に手術終わりました。これからが勝負どころ、とはいえ、一安心です。ご心配くださいました皆様、本当にありがとうございます。今朝、10時半には病院についてスタンバイしていたんですが前の手術が長引いたのか、手術室に入ったのは12時でした。一時間半、になると思う、と看護師さんに教えられ「お昼食べてきたら?」と促してもらいました。なんだか手術が気になったわりには、お腹も確かにすいていて(苦笑)病院の食堂で、おうどん食べて手術室の前に戻って、本を読みながら待ってました。読んでいた本は「明治のことば」だったかな?題名忘れたわ・・(笑)父が読めるのは、手に持てる軽い文庫本に限られるので、新聞広告などから父がこの本を買ってきて欲しいと、今回の入院前に頼まれており、楽天さんで購入したものです。内容は、明治になって西欧諸国からいろんな技術や概念が日本に入ってきた当時、新しい考え方や技術をあらわす言葉を、多く日本語で表そうとしたことを分析したものでした。面白かったですけど・・眠くなる本でもあった。(笑)病院の中って、ものすごく暖かいし・・さ・・。一時半になったところで、手術室から終わりましたよ~とお知らせがあり、病棟の看護師さんがお迎えに来てくれた。執刀医の先生も出てこられて、無事に終わりましたよ、って下半身のみの麻酔で済んだので、父と会話も出来る。顔色も悪くないし、良かったな~最短時間で終わったことも、疲労が少ないことの理由のひとつに思える。お部屋に戻って、良かったね~って言ってると後ろから、「おい、どうや~」って一階したの病室に奥様が入院しておられる父の同級生の「成金(あだ名)さん」が、お見舞いに来てくださった。この病院には、こういう利点があるので、助かる。父、昔馴染みの顔を見て、にやっと笑う。「今手術室から帰ってきたところなんです」というと、成金さんは「その割には顔色ええやん」と言ってくださる。しばらく学徒動員で別の工場へ行っていた父と成金さんは、そのころの話なんかして・・・と、父の返事が無いなと思っていたら、眠ってしまった。やっぱり疲れてるんだな成金さんも「今女房がお風呂に入れてもらってるんや、だからのぞきに来てん」と、言ってくださってこの奥様は末期がんで、後数日と言われて、この夏を越したのだ。成金さんは、毎日奥様の付き添いに、おいでになるのだった。成金さんが「お母さんのこともあるし、あなたが一番大変と思うけど、がんばろなぁ」と励ましてくださった。院長から父の病気のこともうっすら知っていてくださる様子、思わず涙ぐんでしまった。術後お部屋に戻った父は、ベッドに移ると同時に酸素吸入をはめられた。マスクをかけていると、重病人みたいに見える。肺の機能が万全ではないので、念のため酸素の補給をと言うことらしかった。一応6時ごろまで、酸素やります、と看護師さんが言っていた。成金さんがお部屋に戻られたあとで、弟と旦那にメールで一応知らせた。手術室入ったときも、弟と旦那にメールした。弟からは二回とも即効で返信が来た。一度目は、「了解、手術の成功を祈る」二度目は、「了解、付き添い頼む」電報かよ?(笑)もちろん、旦那からはなしのつぶて(笑)4時ごろまでうとうとしていた父は、背中に汗をかくといって、ブツブツ言い出し、寝たりたようす。術後何か起きたときのために防水シーツの上に寝かせられているので、汗をかくらしい。看護師さんにご相談をして、背中にバスタオルを当てて、少し背中に空間を作った。膝がどうとか、ブツブツ言うので、なんだろうと思っていると立て膝で寝ていると思っていたらしく、実際は足は投げ出したままの状態なのに、麻酔のせいかな?膝の下のものをどうにかしろと言うけど、どうにもならん、そんなもの無いもん(^_^)v術後、わがまま親父に変身したんだね。これから麻酔が切れてきたら、また痛むだろうし、ちょっとくらいなら当たっても良いか?と思ったけどいつまでもブツブツ言ってるので、ちょっとむかついた。(笑)こいつ(父)も「お前が切れと言ったからこんなことになった」ってなことを言うんだろうね~ったく、男って奴は気が小さい!今日は身動きできない分、むしろ安心なので、明日からの対応に備えて、帰ってきた。週末の舞台の用意もあるし・・・あたしのパンツも減ってきたし・・(@_@;)洗濯します。
2005年12月13日
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病院と車の移動、帰ってきた自宅が寒い~~などなどから、鼻の奥が、乾燥して痛い~~という状態になってきた。このまま風邪をひいたら、やばい!と言うこともあって、前日は早めに病院を引き上げてきた。病院を出て携帯をチェックしたら、トドからの着信?それを見て思い出した!あ!夕方からの仕事に必要なお月謝袋を渡してない!!普段なら、そのお稽古先は自宅から近いので、私が届けるんだけど早めに父の病院を出たのは、耳鼻科にいきたいからなんだ・・。電話をかけて、悪いけど耳鼻科に行きたい、鼻がやばい!だからお月謝袋、勘弁してくれ、と伝えたら勢いに驚いたのか、トド「はい!」良いお返事で(笑)で、耳鼻科から出てきたら、またトドから着信がある。今度はなんじゃろ?と思ったら、今から二時間後に、義理家に持ってきて欲しいものがある・・んだと今日みたいな日に義理家に行くのはやだな~~~~と思ったけど仕方ないか・・・と、いったん自宅へ帰ってから、再度出かけた。師匠家の大物お弟子さんから、師匠家所属の玄人に、毎年恒例で栗が届く。トドがオオトド家のブンも、預かって帰ってきていたのを、今日渡したいんだそうだ。あれもこれも、トドが自分でやればいいだけのことなのに、何で今日なの?と思いつつ、出かける私も変だよね。ともかく、義理家につくと、オオトドが父のことを私の口から聞きたいらしく事細かに病気のことを聞く。もう、泣きそう。オオトド一流の変な講釈が続くし、だんだん私の顔、笑顔から般若に変わってしまうぞ~~~いい加減にして欲しいな~と思ったあたりで、トドが「明日手術やし、遅くなるとアカンから」ってやっと、義理家を出たのです。そう、明日手術やし、ってわかってんなら、今日みたいな日に呼ぶな!トドなりに、心配してるみたいではあるけど、なんなのよ!昼過ぎ父を尋ねて、母の妹の四女叔母が夫婦で見舞ってくれた。この叔母夫婦は敬虔なアーメン夫妻、入院だ手術だと聞くと、こうやって見舞ってくれる。手術後落ち着いたら、次女叔母(またの名を叔母連隊長)夫妻も、見舞いに来ると言っている。父の兄弟たちは、みんなからだが悪いからね・・(笑)筆頭伯母に手術のことは知らせて術後の報告もしてるけど、筆頭伯母が他の兄弟に教えてない可能性もあるしね・・だから誰も来ない。見舞い客は、母の妹たち夫妻、と父の幼馴染の入院患者と入院患者家族。トドは、今回も見舞いには行かないんだろうね~~~私はあなたの妖怪伯母さまのお見舞いには、行ったわ~~ちょうど、週末が舞台で忙しい時期で、良かったわね~お見舞いに来なくちゃいけない、と思ってるわけではないんです。忙しい時期なのは本当だし、時間がないと言えばないのも事実。だけど、同じことを彼の関係者に私がしたら、きっとものすごく怒ると思うの。と、ふつふつと怒りがわいて、パワー全開!(ーー;)この冬一番の寒波もなんのその!(@_@;)でも、寒いな~~~~
2005年12月12日
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12月9日結婚10年目を迎えた弟夫婦、父の病院に今日やってきた。お昼に病院に入る前に携帯電話をチェックしたら、「午後になるけど顔を出す」とメールが来てた。よしよし、良いでしょう。とりあえず手術な訳だから、父にエールを送りに来なさい。(^_^)v昼食をとった後で父に、弟が来るらしいと言うことを伝えたら、とたんにそわそわ(笑)ほらね~元気の素なんだから、もうちょっとこまめに顔を出してくれよ~で、二時過ぎに弟だけかと思ったら、イングリも一緒にやってきた。何をするでもないけど、遠いところをありがとね、と、素直に思う。自分の義理家に対するあれこれの感情を思うと、イングリにも感謝しなくてはならん?かな?(笑)ちょうど父の手持ち無沙汰対策として、この前田舎の家で見つけた古いアルバムを病院に持っていっていたので、父から先祖の話を聞く、と言う時間になった。手術の同意書などのサインは、すでに私がしているし、この後の手続きのことも、そばに暮らす私、と言うことになるけど父は何より、息子の存在がうれしいのだ。弟夫婦と、父、私、お茶を飲みながら、ふと、母も連れてきていたら、弟にあえて喜んだのにと思う。ひそかに、手術中に何かおきたら、最悪のことを考えると、今日、母を会わせておくべきだったかと、思ったりもする。これもまた、後で悔やむことになりそうな一つのひっかかり。明日の夜までは食事も投薬も日常と同じ、明日の夜9時以降は飲食は禁止。お水も飲んじゃいけないらしいけど、その状態に父の体が果たして耐えうるのか、手術前の難関です。弟の顔を見た父は、ちょっと元気になって、歩行訓練をした。元気になりたいのよね。手を添えて、父が歩くのを見守りながら、なんだか辛い。ともかく、手術まで、無事に過ごせますように・・・。4時間かけてやってきた弟は、5時ごろに帰っていった。また4時間かけて自宅と言う名のイングリが暮らす家に帰り、そこからまた3時間かけて仕事場に今夜中に移動する。遠いのだ、だから頻繁に無理を言うのはかわいそう、とつい思う。必要な情報は知らせて、後の判断は彼自身がする、と言うスタイルでこれからも行きたいと思う。イングリは・・・来ればよし、来なければ、それなりだ。でもって、私は疲れたよ~~~~
2005年12月11日
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オオトドが電話してきた。で、何を言ったかというと「○子さんのお父さんが亡くなったら、お父さんは僕だけになるな」(@_@;)いやこれね~、なんツーか、オオトドとしては一応心配をして、私を励ましてるつもりなのよね、というところがなんとも、困ったところだ。(ーー;)イカリで元気でたわ!父を死なせてなるものかって(笑)ファイトー一発!
2005年12月11日
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手術前に、やはり一度父に合わせたほうが良いだろうかと明日、母を迎えに行ってお見舞いに来る?と考えていた。私にとっては、きつい日程だけど・・・手術の日程が決まったので、両親の入居先事務局に予定は未定の前提で、手術と退院の日程を知らせた。ヘルパー事務所に電話を切り替えてもらって、母のことを聞く。日に何度か、自室の周囲で父を探しているような風情の母を見かけ、ヘルパーさんたちが声をかけてくださっているという。母に「ご主人は入院いつからでしたっけ?」という問いかけをしてくださるのだという。母はあるときは「二三日だから短いんですよ」と言ってみたりまたあるときは「もうずいぶんになるので心配」と言ってみたりするのだという。不安の度合いが、日数に反映しているのではないかと、気にかかる。ヘルパーさんたちは、そのつどお茶に誘ってくださったり、行事に誘ってくださったり、母の気分を変える様に、気を配ってくださっている様子に感謝する。お食事も普段は父と二人だが、他の入居者さんとご一緒のテーブルにしてくださって、おしゃべりをしながら頂いている様子。母はお話し相手がいると、そのときはもしかしたら父のことも忘れて、楽しくおしゃべりをしているのかとも、思う。明日のことを相談したが、今落ち着いているし、何より私が大変なのではないかと、気遣ってくださった。心から感謝する。もうしばらく、母のことをよろしくお願いします。本当に、よろしくお願いします。何度でも、よろしくお願いします。電話の向こうに、何度も頭を下げる。弟には父と一緒に、病院の公衆電話から二度電話をかけたが、留守番電話。帰り道、私の携帯からかけると、弟が出た。父の状態を弟は私からの情報でしか、得られない。その気になれば、自分が主治医に電話で問い合わせることも出来るが、それはしないのか、気付かないのか・・ま、それはともかく。昨日、迷いに迷った私は、弟の意見を聞くべき?とも思ったけど、迷っている私の、迷いをそのまま弟に伝えたところで、返答は知れている。昨日は結婚記念日だから、と休みを取っていた弟だったので、弟夫婦の邪魔をしたくも無かったし手術に決まったということだけをおとといメールで知らせたが弟から詳しいことを聞く電話がかかってくるということも無かったので、そのままにしてた。昨日迷ったこと、今日主治医に話を聞いてもらったこと、父もその気になっていることなどを、少し話し。手術前に会うべきと考えるかどうか、手術の日来るのかどうか、自分で決めてくれと、伝えた。弟が父を心配していないとは思っていない。想像力の欠如している視野の狭い奴なので、考える範囲も狭い。だから、一つの方法が駄目だとなると、あきらめるのも早い。いろんなパターンで、見舞いに来ることが出来ることを示唆。彼の決定を、あまり期待せず、待ってます。
2005年12月10日
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すでに母はお正月の用意が出来ない状態になっており、一緒に年末におせち料理を作ったけど、それは手順がむちゃくちゃで、味つけも、おかしくなっており、年末に実家がらみで出かけることが増えた私は、へとへとになって年始にかけて風邪をこじらせ、寝込んでしまった。正月恒例の実家での父の誕生祝をするはずの二日、こういう行事には行かなくちゃ行けないと考えるトドは、一人で私の実家にお酒を担いで出かけて行った。私は高熱で、自宅で寝てた。父も風邪気味、の状態を年末から引きずっており、二月に入ってから、身動きが出来ないほど、体中が痛む、という状態になった。これがそもそもの、父の一連の不調の始まり。その年の秋にかけて、足が浮腫むような状態が見られ、このままでは死ぬ?とそのころかかっていた市民病院から、今の病院に変わって入院。今の一連の治療が始まったのだった。病院の門の見える渡り廊下が三階にある。父が入院常連患者としてお世話になるのはいつも三階の内科病棟だったので、初期の入院の時の父は私が車で門を出るとき、渡り廊下で見送っていた。車の窓を開け、大きく手を振って、私は帰った。最初は、杖を突いて、そのうち歩行器のお世話になって、あるときは車椅子を自分で押して、そして今は、見送りには来れなくなった。毎晩、渡り廊下の灯りを背に、病院を後にするとき、見送ってくれていた父の姿を、思い出す。この病院での治療を強く勧めたのも私。父は今の主治医に、「病気を治して、体が死ぬような治療は、ごめんだ」といっていたけれどそんなに悠長なことを言っている状態ではなかった。主治医に父の初めての診察後、母のことや家庭の状況などを含めたこれまでの経過を説明しながら、「助けてください」と私は泣いた。あれから夢中でここまでやってきた、と振り返っても思う。今日、病院に入ったところで、うまく父の主治医に会えたので、昨日から迷っていることをそのまま、聞いてもらった。主治医も気にかけて、昨夜父と話をしてくれたそうだった。「お父さん、手術する気になってるよ。」と、私の話を聞いた主治医が背中を押す。ただし・・・父の場合、間質性肺炎を起こしてはいないものの、肺はすでに間質性肺(肺が繊維化する)、つまり肺の三分の一ほどが繊維質になっており、全身麻酔による人工呼吸には、耐えられない可能性が高い。また、免疫抑制剤を投与している関係と、ステロイドを使用していることから、感染症の危険性が大変に高い。全身麻酔による処置の過程で感染症の起こる危険性が大変高い状態なのだ。だから、今回の手術は局部麻酔で乗り切る方針、と、これは麻酔医も外科医も内科医も、同じ見解。局部麻酔の場合、意識は覚醒しているが、少し眠るようにうとうとする状態にはするという。だから痛みは、軽減されるはずである。とはいえ、手術中のストレスで、血糖値や血圧、心拍などの乱れが激しい場合は、全身麻酔に切り替える可能性も、最後の手段としては、ある。というのが、麻酔医の見解。内科主治医との話の中で、父の状態が手術をするしないにかかわらず、厳しいということを改めて知る。父の恥骨蝶骨の骨折は、骨折というより骨が融けてきている状態。整形外科医との話の中で、内科主治医も骨の腫瘍の可能性を考えているという。でも、それについてはしばらく様子を見るしかない。悪化の過程と、もし腫瘍なら、転移の可能性を見守り、投薬による治療を検討するという。内科主治医は、今回のヘルニアの手術事態は危険なものではないよ、という。それ以外に、危うい状態を持ったままの日常であることを、家族は知っておいて欲しい、という。間質性肺にすでになっている父は、肺炎を引き起こすと、おそらく死ぬ。そのほかにも危険な感染症になる可能性は、限りなく高く、それは限りなく死に近い。一つ、先の禍根を、絶つということは、無意味ではないと、思いたい。大丈夫と100パーセント言うことは出来ないけどね、といいながら、安心してよい表情で話してくれる主治医の様子から父もその気になっていることだし、と、手術をする方向で私も一応心を決めた。でも、一応、だ。手術で、他の機能が悪化したら、手術がきっかけで父が命を落とすことになったらそれも、考えたけど、それも、私が背負うべきことなんだろう。誰のせいでもなく、父が決め、私も決めた。決めるのは、辛いですね。選ばなかったもう一つの道に、もしかしたら光が当たったかもしれないとつらつら、思いそうな気もする。一般的に、という前提ながら、その中でも長い方の期間設定として来週火曜日に手術、翌週火曜日に抜糸、そしてそのまま帰宅してよし、という一応の治療予定が出た。今日は執刀医からも、手術の手順の説明があった。父説明の途中で「毛が入ったら、危険ですよね」(^_^;)何の心配?(笑)執刀医、入らないような手順になってますし、毛なら、われわれが気付きますから大丈夫。不安要素を、消してくれる。この病院のお医者様も看護師さんも、皆さん優しい。お任せして大丈夫かと、思いながら、二者選択の、選ばなかったもう一方への心が残る。父、午前中に外科病棟に移り、手術待ち患者になった。
2005年12月10日
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麻酔医の話を聞いてきた。手術に伴う危険性の話を聞いた。話されたリスクが現実のものになる可能性は低いものの私は将来の起こるかもしれないリスクを回避するために今の父に負担をかけることを選んだんだろうか将来、起こらないかもしれないリスクなのに・・・手術をして、良いのか?迷いに迷って、訳がわからなくなってきた。明日、手当たり次第に意見を聞き、父とも再度話してみようか今の時点では、火曜日手術の予定。
2005年12月09日
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あわわ・・携帯から日記を送信したら、二回?送信しちゃったのか、同じ文面が二つになってた。(@_@;)今朝、病院へ行く用意をしていたら、病院から電話がかかってきた。「外科の先生がお嬢さんにお話があるそうです」「・・・・・なんじゃろ?」というか、腸のヘルニアの手術関連のことに違いなく今の状態のまま、で良いのなら、お呼び出しがかかるはずもなくということは手術だな・・と、重い気持ちを引きずって、病院へ行った。外科のお医者様のお話では、腸のヘルニアの治療法、としては、手術することしかない。手術をするタイミングとしては、現状が生活に支障のある状態かどうか、ということが一つの判断になる父の場合は、自覚症状は何も無く、今ヘルニアの影響で生活に支障がある、とは思えないこのまま見守るという方法もある、とお医者様はおっしゃるものの今後の危険性がいろいろとあることは否定なさらないし、何事か起きた場合は、かなり緊急な処置が必要でもある。父が今自宅ではない施設で暮らしていること、この病院へは飛んでくるといっても距離が遠いことから、緊急時の対応について将来に不安がある、ということさらに、父の今後の体力を考えたときに、今より元気、という状態にどのくらいの望みがあるのかそれを考えると、いざというとき、時間的に手遅れになる可能性もあり、体力的に持ちこたえられないという状態になっている可能性もあるなどなど、お医者様の相談の上、今回の入院に引き続き、手術をしていただくことになった。とはいえ、各種のややこしい投薬治療を受けている父の場合、通常の手術で良いのかたとえば麻酔のやり方など、検討していただくべき点が多いということだった。主治医の内科医、外科医、麻酔医、それに父の友人である院長、総婦長など、関係者総出で、いろいろと検査方法や手術の段取りなどについてご相談くださることになった。手術の段取りが決まれば、外科病棟に院内転室しなくてはならないらしい。今入院しているのは、常連になっている内科病棟なので、外科病棟に変わる。今までのことを熟知してくれている看護婦さんに囲まれての、いつもの入院から、同じ病院内とはいえ、顔見知りではない看護婦さんに一からお世話になることになる。父だけではなく、私も、不安はあるな・・・。などなどありながら・・二泊三日が、長期滞在になる、ここらで、付き添いパターンも、長期対応に切り替えなくてはならないな、と、思うしだいであります。外科医との面談前に弟には電話で了解を取った。お医者様の判断を妥当と感じたら、手術の方向で話を進める。彼も、父の体力のあるうち、今後の禍根は無くせるものなら・・というニュアンスにおいては私と同意。弟夫婦、明日、10年目の結婚記念日だそうで、私も忘れてたけどとりあえずおめでとう。10年目のご夫婦として、夫の父親の手術について、義妹は何かアクションを起こすんだろうか?(笑)まぁ、期待しないで様子を見ます。父が入院している病院は、基本姿勢がとてもやさしいと、私は考えており、看護婦さんたちにお任せしてよいことも、今は私がやっていると、いえる。これは父の希望であると同時に、普段母のことを任せ霧にしている父に対する罪滅ぼしみたいな気持ちもあってつい、父の入院中は、万障繰り合わせて貼りつくという生活になるんだけど来週は旦那の舞台も一つ控えてるし、長期になるなら、昼食時から夕食後まで、病院にいったきりという生活には出来ない。今回は看護婦さんにお願いをして、頼めることは頼もうと思う。明日、麻酔医の検査を受けて、GOサインが出たら、来週手術です。母は、「今回は短い入院だから安心なの」といっているそうだけど、昨日も、「娘がそろそろくるんだけど」とフロントに聞きに行ったらしい。最初のころのように怒り狂うということは無いようだけど、それだけに不憫。父は「なんだか嘘ついて出てきたみたいだな」と気にしてる。だからさ、何日、とか言わないほうが良いんだよね・・と思ったりもする。いずれにしても事務方介護方を問わず、スタッフの方には、毎日「明日が退院モード」での対応を願う。母が落ち着いて暮らしてくれるように、哀しかったり怒っちゃったり、気持ちが荒れちゃうことが少なくなりますように神様仏様金本様(笑)八木様(笑)新庄様(@_@;)、手当たりしだい頼む!m(__)m父の手術の成功も、私の体力も、・・・頼むこと多すぎ?(ーー;)でもって、病院の帰りに合流したトドは、今日、お弟子さんから聞いた面白い話しを私にしたいのね父の手術に決まりそうな経過を話そうとしたら、話の途中で「それより聞いてよ」と自分の話を延々とした。こういう日でなければ、それは面白く聞けた話だったかもしれないけど、話が一段落した後で、「別に怒ってる訳じゃないけど(呆れてるだけよ)お弟子さんのその話は、普段なら、へーっとおもって聞くと思うけど何で今日?何で今?父の手術に至る経緯を、話してる最中にさえぎってする話とは思えない」と言っといた。一応「ごめん、○子にとっては、どーだってええ話しやったな」と、トド。そうです、そしてあなたにとって、私の父のことや、私が悲しかったり心を痛めていることは、どーだってええ、のよね~フッフッフ、地雷、踏んだな?よく、覚えとこっと♪ワンポイントゲット(^_^)v
2005年12月08日
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腸のヘルニア(脱腸)は今危険な訳ではないけど、父の体力の有る今のうちに手術する方向で入院延長決定。 踏ん張る…れるかなぁ( -o-)=з
2005年12月08日
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朝9時過ぎから点滴、まず導入材のようなものの点滴を始めて半時間ほどしてから、レミケードの点滴が始まった。今回は、レミケード二時間、ポタールという導入材の点滴は四時間をかけた。免疫抑制剤のレミケードの点滴の前後に、合計二時間半ほどの、ポタールの点滴が続いたんだけどこれは、様態急変の折に、すぐにお薬を加える対応が取れるようにするためのもの、ということだった。主治医の先生は、今日は外来の忙しい日、のはずなのに、何度も父の様子を気にかけてのぞいてくださる。それほど、危ういということ?かとも思うけど特に様子が変わることもなく、無事に点滴は終了。点滴が終わったのはもうお昼の二時を過ぎてた。終わった直後、父の足先は、むくみが取れた状態になっていたけど、これはしばらくするとまたむくんで来ちゃった。だんだん、効果無くなってるんだろうか・・・かなり強烈なお薬なのにな~朝から「大将」が父の部屋をのぞきに来て、おしゃべりしたい、みたいだったので、点滴後、おタバコタイムの後で、「大将」の病室へ行った。父と「大将」は小学校からの同級生、とはいえ、当時はそう親しいわけでもなかったらしく、何年かおきに同窓会などで会ってはいても、お互いの詳しいこれまでのことは、あまり知らないらしかった。小学校や旧制中学時代の話など、結構盛り上がり父とは分野の違うお仕事をなさっていた「大将」のお話しは、面白かった。(^_^)vやんちゃ坊主が、そのままおっちゃんになったような人だ。(笑)しばらく話しをしてから、部屋に戻って少し眠るかな・・と、父もベッドに戻ったころに、窓の外に見える数本ある植木の一本に、すずめの大群が帰ってきた。実は昨日も同じ時間帯に、すずめの乱舞があったんです。すずめの大群が、大空を八の字に舞うのです。で、一本の木に、その大群がす~っと吸い込まれるように止まりにくるの。で、一瞬落ち着くのかなと思うと、また一斉に飛び出して、また八の字を書いて舞って、またその木に帰ってくるというのを数回繰り返して、外が暗くなるとほぼ同時に、飛び立たなくなった。どうも、その木に寝泊りしてる、みたいだわ。はじめてみたよ~~~おもしろかった~~~~鳥は怖いけど、窓ガラスの向こうの世界でおきた出来事だから、十分拝見させてもらいました。明日、泌尿器科の診察と、外科の診察を受ける父。即効で手術を受けなければならない状態、には見えないんだけど・・父どうなんだろう・・・手術するにしても、いったん帰宅してよし、になる確立は高い。いったん帰ってまた来週すぐに入院、ってことになるならこのまま病院にいてくれたほうが、母の混乱を深めなくて良いようにも思う。父は、朝の身じまいにも手間取るであろう母を気にして、帰りたいみたいだけど・・・施設の自室で使う加湿器が必要だってことで、明日帰れるほうに賭けるつもりで、今夜実家にとりに立ち寄ってから、帰ってきた。今は誰も住んでいない実家、でも、私の実家。両親がかつては住み、私も暮らしていた家、なんだか帰りたくなくて、一人でお茶を飲んだり、テレビを見たりして、なんだかぐずぐずしてしまった。もうこの家で以前のように元気な両親が暮らすことは、無いのだ。
2005年12月07日
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今夜はどうやら、親子水入らずで、夕食をとったらしい場所は、オオトド御用達のご近所中華料理店。連絡したんだな(笑)病院から、合流は出来ないという最後通告をしたときに、父の次の病気も見つかりました報告もしたら、今夜じゅうにテープのコピーが欲しいとかその作業をしながら、この日記を書いているわけです。食後、トドとオオトドは、新年会の催しについての打ち合わせをしてきたらしく、さっき帰宅。姑の明日のデイサービスの準備もしてね、と頼んであるのを、やってきた、らしいけどほんまかいな?(笑)ま、今回は確認に走る時間は無いので、放置だわ~でもって、トドが帰ってきたので、作業をバトンタッチして、そろそろ寝ます。どちら様も、ごめんなすってm(__)mあ~~~疲れたぞ~~~~
2005年12月06日
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昼食後、父が一服を所望するので、いつもの喫煙コーナーに赴き、帰ってきたところで、病室前の通路で父の幼馴染の院長先生に遭遇。「今日の入院患者に、お前さんの名前があったからな~、ちょっと来たんや」このセンセの娘さんと私は、これまた同級生でもあるのです。何の用事かというとこれまた別の幼馴染が、肝硬変で入院中、しかも同じフロアの端の部屋だそうであだ名「大将」というその方にも、ご挨拶。お互い病院のパジャマ姿で「久しぶりやナ~」と話し盛り上がる。長期になっても、それなりの入院生活になりそうな父ではある。夕方、エレベーターの中でソーシャルワーカーさんに会う。何度か、父の入居先のことを相談したことがあるので、すでに顔見知りソーシャルワーカーさん、「それにしてもお父さんとそっくりですね」だってさそうかな?(笑)
2005年12月06日
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道が混むことを予想して、少し早めに施設を出発したので、予定の時刻より10分ほど早く、病院に到着。車椅子用のスペースに駐車させてもらって、入院手続きを・・・と、あれ?看護婦さんから預かっている入院書類の日付が、なんと、7日になってるじゃないの?(@_@;)受付には、今まで見たことが無い若いお兄ちゃんが座ってて「明日ですね」とにべも無く言う。いや、ちょっと待ってくれ!今日の入院は明日の点滴のための事前検査が必要だから、であり今日の入院を想定して、この後のMRIの予約も取ってある。明日またおいで、では、今回の治療が出来ないはず、内科の主治医と、病棟の看護ステーションに問い合わせてくれ、と頼んで、ともかく時間が迫っているので、MRIに行きたいと申し出た。若いお兄ちゃん、ちょっとひるんで、それでも連絡を取ってくれて・・なんといっても、入院の常連さんなので、父は、ある意味有名人?あ~○○さんなら、三日間の入院が必要なはずよね、ってことでMRIの受付をして待っているところに、入院手配が出来ましたって連絡があった。その間、ブツブツ文句を言いたい父の口を封じるべく先回りして、「ご迷惑かけてすみません~(本心;間違えたのはあんたとこの看護士だろうが!)助かりました~」とにこやかに御礼申し上げる私。どこでも誰でも愛想良く・・・これ、義理家で鍛えられたおかげか?(ーー;)半時間ほどのMRIの間に、入院手続きを済ませ、荷物を運びいれ、朝一のMRIは整形外科の診察のためのものだが、入院患者は外来の時間外に見ていただくことになるので検査後の父を連れて病室に入り、お呼び出しに備える。入院後、いつもの血液検査、心電図、肺と股関節のレントゲン撮影、などを済ませ昼食も終わって、うとうとしているところに、整形外科のお呼びがかかる。さて診察だね~と、出かけていったら整形外科医が、ある箇所を指し、「これ、脱腸じゃないかと思います、僕は専門外だけど、相当大きいから、これ、手術の可能性ありますよ」だと(@_@;)父は、「あ~このヘルニアは、5年位前から、あるんですよ」をい!知ってたのかよ!思わず私が「聞いてないよ~~~」脱腸だけに、ダチョウクラブ風反応(-_-)というわけで、またまた、外科の診察をこの先受けることになりました。今夜、内科の主治医との相談で、退院予定の木曜日に外科の診察を受ける。ので、場合によってはそのまま手術のための入院ということもありえる。またもや、予定の通には行かない可能性を含んだ、二泊三日が始まりました。父「○子、泣きたいやろナ~」そんなことより、大きくなるまでなぜ脱腸を黙ってたんだよぉ!しょうがねぇなぁもぉ!今回は、泣いてません、っていうか、もぉ、またかよ?って感じ。予定は未定、って、ほんとね(-_-)明日の朝、またもや病気が増えてます、の報告を、施設に入れて、またもや、予定のとおりに帰れないかも、の報告をしなくちゃなりませんが、まだ当日まで、予定のとおりに退院するというケースも、捨て切れません。私としては、この際、切れるんなら切っちゃって欲しいけど、さてはて、どうなることやら・・・・入院が長くなることは、私も忙しくなるわけだけど、そして母がいっそう混乱する可能性があるわけだけど母はともかく、安全に見守ってくれる人が居るところでの生活だし何より、直せるのなら、父の病気を一つでも、無くして欲しいよ。だから、必要なら入院してください、手術も出来るならお願いします。といっている私の横で、父が「いや、帰りたい」も~~~、お前(父)も勝手屋だ~~~~!
2005年12月06日
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いつもの二ヶ月に一度の入院日、いつものことだけど、今日も朝も早よから、自宅を出て実家の両親の暮らす施設に向かいました。なんだか寒いって言ってたよな~~~朝6時は、暗いし寒いし、道、凍ってなきゃ良いけどな~と思いながら出かけると、案の定、高速の各所に凍結注意って出てるよ~~~と思ったけど、実際は大丈夫でした。速度制限はあったけど、結構みんな普通に走ってた。で、予定の時刻には到着♪ちょうど玄関先に父が食後の一服をしに、出てきたところに着きました。母は違和感も無く、「あら、○子」って感じで、まずまずの滑り出し・・と思いきや、車から空のトランクを下ろす私を見て、だんだんと硬い表情になってきたぞ~~~。お部屋に戻って、準備に入ると、折りよく父がトイレに連れて行ってくれ、と母に頼む。トイレの電気、つけたほうが良いけどな~と、(母はつけないので真っ暗だからさ)トイレ方面に向かうと父が「電気つけろ」、母が「まぁ、○子まで使うの!」と、ほらね、むくれモードになってきたじゃないのさ。そこで父「いや、トイレじゃなくて、部屋の電気」ってことで「部屋の電気もつけるけどさ~トイレの電気もつけたほうが良いんじゃない?」「ついでに、紙、ももか?(もみましょうか?)お尻、ふこか?(拭きましょうか?)」と言ってみたら母に大うけした。(*^_^*)で、ご機嫌の直ったところで、もはや確かめずともわかる入院用品を、手早く勝手にトランクに詰めていると、またもや父が「ズボン、穿き替えようかな~」とか、要らん提案。これをきっかけに、いつもの母の「私、良くわかってないんだけど、入院なの?」と、いつもの詰問口調。「そうだよ入院だよん、わかってるジャン」と軽くいなすと「あたしを親だと思って馬鹿にしてるでしょ」と、怒りを買ってしまった。この台詞、なんか矛盾してないか?(^^ゞこの後しばらくご機嫌斜め、ついてないテレビの前の椅子に座って、怖いお顔になってますぜ、おっかさん。「ね、ニュースやってるよね~」と私「あたしは何にも知りませんっ!」お、喧嘩売りモード(笑)テレビをつけて、チャンネルドコだっけ?とか、音量はどうするの?とか母に聞いてみた。母、いまだにこのテレビの操作にはなじまない、でも、例によって知ったかぶりのお返事が出るようになった。「その辺の右側が音量」適当やナ~おっしゃる場所はチャンネル選択ボタンですがな~などということもありながら、だんだんとご機嫌が直ってきたかな?ここで再びパパさんおトイレ窓から見える海には、船が出てたので「あの船、何か釣ってるのかな?」窓から見える風景についての母の講釈がはじまって、しばし拝聴する。一応ご機嫌は直ったみたいで、準備も整って、では、出かけましょうってことになったら母「ちょっとお聞きしたいんだけど、私、パパの入院中にお家に帰っちゃいけないの?」そら来た!(笑)父「あかんねん」おや、そっけないね。と母「今日は、○○(弟)は、どこにいるんですかっ!」皆様、これ、新作です。(笑)どうも、母は、父や私に掛け合っても、自分の希望がかなえられるわけが無い、と、学習したのか今考えたのか・・ともかく、救いの手を弟に求めることを考えたんですね~~~(笑)母は自分で電話をかける、ということがもう出来なくなってるから、弟本人に連絡が行くことは無いと思うけど弟にも、一応伝えとこうかな~(^_^;)最近の母は、今までよりいっそう、自分で着替えることも難しくなってる。もちろん今日も、最初に自室のある階にエレベーターで到着しても、自室のある方向へは行かず、別の方角へ歩き出すしお玄関先で私たちと別れてから、母が自分のお部屋に戻れるかどうか、これまた大変微妙な問題。入居してすぐに、父が入院したときは、母は館内で迷子になることが多かった。母自身は、ビビリなので館内から出ることはしなかったし、私たちもしないと思ってはいたけど七階建ての建物の中の、まだ入居者のいないフロアーなどに迷い込んだことも多かったのだった。そのときの施設側の対応は、外に出られないように、要所要所に机などでバリケードを張る、というものだったのでそうではなく、一人ふらふらしている母を見かけたら、さりげなくお部屋にエスコートしてくれることこそ、ここのケアなんじゃないの?と私は噛み付いた。考えても見て欲しい、ドコなんだろう?ここはドコ?父はドコ?と捜しあぐねた母が、あかりの無い階のなかで、不気味に積んである机などを見たら、どんな思いがすることか・・・そういう思いをさせないように、お世話しますのがモットーの施設なんじゃないのかよ!って噛み付いた。噛み付き効果か、最近では、うまく母をフォローしてくださるようになってきた。その意味では、お留守番中の母は、うまくフォローしていただく局面が増えているみたい。ただ、夜間自室の中で方付けをしちゃう傾向は、いまだに同じだから、今日も今頃、ごそごそ荷物を詰めてるんだろうな(*^_^*)ママさん、ほどほどに、そろそろ寝てね。そして、震ちゃんをいじるんじゃないよっ!震ちゃんは、父が大丈夫だというので置いてきた・・けど・・明日の朝、ヘルパーさんに様子を見てもらい、もし触ってるような形跡があったら、母が食事などで部屋を留守にしている間に、隔離してもらう方針。あ~~~持って帰るべきだったかなと、心配じゃ。でもって、心配といえば、父、また次の病気が見つかりました。
2005年12月06日
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予定では、二泊三日の入院ですが、たぶん予定のとおりですが限りなく不安。何か治療法が見つかれば、入院期間が延びる事での母への不安。治療法が見つからなければ、この先も骨折を続ける父への不安。そして、何より、明日の朝・・寒いみたいよね?道・・・大丈夫であるように、この点も不安。なので、寝ます。今回、一歩前進かなと思えることが一つ有ります。今のところ、明日トドは家の近くで午後からのお仕事で夕方までの予定なので義理家でオオトドと姑と三人で夕食を取ることにしようと思うんだそうです。本人は、「千手先を読む僕」、と言っていますが先読みすぎて後ろに回ってルンちゃうんかい?(--)と思いつつこの提案を、彼が提案どおり、前もってオオトドにも連絡を取り、親子水入らずでお食事をしてくれることに、千点かけたいところだけど、ぐぐっとこらえて、五点!(^▽^)トドが連絡不行き届きな場合、彼の夕食は用意されておらず、コンビに弁当かなんかになる確率が高い。明日の結果をお楽しみに~明日の朝、道が凍らないように、祈って~(T-T)
2005年12月05日
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北海道のビゴちゃんを通じて、ネットの中のお話から、ご近所?であることがバレタとしちゃんと、お母様と三人でお目にかかりました。ちょっと、皆さん、としちゃんは、おめめクリクリ、かわいい!でしたぞよ♪そうです、介護に心を砕いている人は美しいのです。←暗に自分も入れている?(^^ゞ認知症って、ほんとに、個人によって持っておられる症状が違うと私は思います。一概に、同じように進行するとも言えない。出来なくなることや、わからなくなることの違いもあるし、性格も影響しているように思う。単なる老化やご病気にもいえることだとは思いますが特に認知症の場合は、それまでのご本人を熟知している実子が見るのが一番良いのではないのかと、私は思っているのです。ただ、親が認知症になってしまった子供の多くは、働き世代、お子さんのいらっしゃる方もまだまだお子様にも時間をかけたい世代。辛いね・・・。きついよね。私たちの将来はどうなるんだろうね・・て思うよね。ネットの中で少しお話しのやり取りをしていたので、お目にかかっても初めてだという気がしなかったとしちゃんとお母様、ですがお母様は私にこっそり内緒話をするように「この子が何でもやってくれるの」とおっしゃってました。前にとしちゃんもご自分のブログに書いておられたけど「待望のお子様だった」というお話も、としちゃんがお母様のリクエストでお菓子を買いにレジに並んでいた間に、教えていただきました。なんだか、泣きそうになりました。ひばりちゃん命の歌姫母様、楽しかったです。ありがとうございました。と、ナイーブにばかりなっていられないのがこれまた介護の辛いところ。また会いたいね~ウチのほら吹きオババもご紹介したいところです。ウチも健脚なんだけど・・時々牛歩する拗ね子になるからな~足腰が一番弱いのは私かもしれない(笑)このご病気の特徴でもあるけど、お母様、違和感無く受け入れてくださって、ありがたいような、複雑な思いでおります。母に、としちゃんとお母様に会うよ、という話しをしたら母は「ま~としちゃんのお母様には、長くお目にかかってないから・・云々・・よろしく言ってね~」と言った。(ーー;)もちろん、存じ上げてはいないので、ほらです。(笑)二十数年前まで住んでいた町の一角に、ひろ~いショッピングセンターが出来てました。としちゃんたちと、そのショッピングセンターを散策、あっしは建物内で方角がわからず、う~ろうろ、としちゃんに見つけていただきました。感謝!(^^ゞ新しいものに、なじみにくくなったか?やばっ!(笑)
2005年12月05日
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大黒、仏グルノーブルへ移籍私のパソ、ネットにつなぐとヤフヤフのページにつながり今朝一番に目に付いたのがこの記事大黒様が仏様のグループに入る?入ってなかったの?あ~そっか、七福神だから、神様なん?てことは・・神様から仏様になるから六福神になるんかな?アカンのちやうの、それ・・・ていうか、何で、何のニュースなんや?と・・・瞬時にいろいろ考えた。(?(。_。).。o0O??
2005年12月05日
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今日はトドのお誕生日です。だから、好きなようにしていいです。といったら、夜遅く終わる仕事の後で、マージャンに行くそうです。おかげで私は、一日ゆっくり時間が使えます。(^_^)v洗面所のトド、またもや、パジャマのズボンを後ろ前逆にはいているので、前かがみで顔を洗っている後のオマタ、開いてるし(-_-)おめでとうさん、と声をかけると、さすがに幾つになっても嬉しいらしく「いや~48になってしもたな~」とニコニコ。48にもなって、パジャマの前後もわからねーようじゃ先が思いやられるワイ。「○子は6やったな~若いな~」お世辞か?さらに調子に乗って「太ってるせいか、顔つきが若いって言われるねん、飲み屋では、40そこそこって言われるんやで」ふぅ~~~~~ん(ーー;)しらけている私に気付かず、機嫌よく出かけていきましたとさ。誕生日だからね、朝からあれこれ言う気は無いのよ。でもさ~誕生日は24時までだからねぇ・・明日になったら~うひひ締め出してやるワイ(^_^)v
2005年12月02日
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28日の月曜日の朝、朝食を終えて自室に帰ってた父は、がたがたと全身が震えたんだそうだった。震えはかなり長い時間続き、震えが落ち着いた後、出勤していた施設のインチキ内科医に見てもらったところ良くわからないけど、・・・感染症の一種かもしれないということで、抗生物質を処方され、それを飲んで、いまのところは大丈夫みたいだ、ということだった。父と母は、同室で暮らしているけれど、父に異変が起きたとき、母では対処できない。別途にはナースコールもついているけど、それを父が自分で押せない場合、母が操作をすることは、未知数。震えがおきている間、父は「マラリアというのは、こんな感じなんだろうか」と思ったという。寒さを感じたか?という問いに関しては、「良くわからない」とのこと何がおきているんだろう、何がおきたんだろう・・その朝も前日の夕方も血糖値はやや高めだったから、低血糖による症状とは思いにくい、食事の後の時間帯に起きたことだし・・・今までに無い、症状だ。来週の火曜日から、点滴治療のために三日間入院する父だけど、それまで、何とか安定していてほしいなそしてこれまでもそうだけど結局原因がはっきりわかって、治療方法があり、すっきり直る、という状態ではない父の場合今回もまた、良くわからないままに・・・ということになるんだろうか入院が長引くことを、父は母のために気にしている。今回も、すぐに私に連絡を取り、通院先の病院へ向かうということを遠慮した。これは直前に遠方へ出かけていた私に対する配慮と、感染症の疑いがあるということになると、長期の入院が予想されることへの不安そして母がその間、不安に陥るだろうことを考えたのだろう。こうやって、父は今までも治療のタイミングを逸してきたことがある。一応落ち着いているようなので、帰ってきたけど私にはどうしようもないけど・・不安だ。
2005年12月01日
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