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今日はママさんの通院なので、そろそろ出かけます。 癒し効果のある一日に………なる?かな…( ̄_ ̄)
2006年11月28日
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予想の通り、リハビリの講習に出かけることを舅は忘れており、予想の通り、講習へ出かけてからも舅の言動はその場にそぐわないもので、予想の通り、リハビリの相談もさほど舅には新しい知識を得たとは言えず、ただ時間の無駄だったらしい感想を聞きながら一緒にお茶などを飲み、予想の通り必要以上の時間をかけて、日曜日の舅の気晴らしに付き合ったようなもの・・の時間をすごしてきました。もう、あまりにも毎度のことで、詳しく書くのもなんだか虚しくなってきた。その場では、「変な汗出てきた・・」とケアマネさんと笑いあう私だが、心の中に澱が溜まる。こういうことは無駄なんだ、ってわかってるつもりだったんですけどね不愉快な思いをするためにだけ出かけたようなもの、ともいえるそんな一日でした。講習が行われたのは、ご近所の駅ビルに隣接している会場で、駅ビルにはデパートが入っており、駐車場へ戻る途中で、ベビー用品売り場を通りかかった。舅のエスコートスタイルは、相変わらず姑の片手をもち、自分の肩の上辺りまで持ち上げるようにして手をつなぐ?というか、引っ張りあげる風情で、姑はまるで電車のつり革につかまっているような位置関係で手をとられている。これでは安定して歩けるわけはなく、ふらふらするので、いっそう舅は姑を吊り上げるようにして歩く。「危ないですよ」とご指摘をしてみたが「猿回しはこうやって猿を連れている」のだそうで姑は猿じゃありませんけどね(ーー;)結局、手を出したい舅を制して、いつものフォークダンススタイルで私が姑をエスコートしてデパート内を歩く、日曜日なので、人も多いのだ。先を歩いていると、舅がともすれば遅れがちに立ち止まるベビー用品売り場。買い物でもあるんだろか・・と舅を待っていると「Mちゃんの赤ちゃんがもう歩くらしいから、この前は靴をプレゼントしたんだ」とのこと「今度は靴下をあげようと思うんだけど」とそのためのベビー用品売り場でのたびたびの立ち止まりらしいMちゃんとは、大学在学中から舅のもとへお稽古にいらしてくださっているお弟子さんのお一人で、結婚されて昨年赤ちゃんが生まれたのだった。お父様を早くに亡くされたMちゃんは、折に触れて舅のことを、父親のように思う、とおっしゃって、慕ってくださっているらしいことを、私も知っている。慕われているとなると、これまた必要以上に気にかける舅のいつもの癖で、Mちゃんにはご結婚といわず出産といわず、これまでも高額お祝いやら、プレゼントを欠かさない舅だ。Mちゃんは私にとってもかわいい妹のような人なので何のうらみもないんだけど、私は今日舅が赤ちゃん用品を選んでいる風情を見て、心の中に蒼い稲妻が走った。そうやって、一方的なかかわりだけで住む相手に、品物などを送ることで、自分がいかにも寛大であるかを示そうとするように思える舅の風情に、殺意すら覚える。ご近所の赤ちゃんたちを見て、舅なりの美醜の批評から、時として「あんな不細工な赤ん坊、何で生んだんだろう、何でかわいがれるんだ?」と発言する舅。そして何より、子供がほしいと相談したときに示した反応のことを思うとあなたが赤ん坊を持っている人に慕われる、などということが、私には許せないことのような気がする。舅が嫁として私を認めていないとか、孫の存在を否定していたと、今の私はもうそこまで思っていないけどおりおり、舅が発した言動は、およそ、私を人として扱っていないのではないかと思えるようなものだった。舅はそこまで思っておらず、ただそのときの思いつきで言葉を発しているだけの人なのだが、結果として私は傷つき、旦那との間で子供を持つ行為をすることさえ、厭うようになった。そのことを舅の責任に転化するつもりもないが直接聞いた言葉以外に、姑からこれまた悪気なく何度も聞かされた「お父さんはこう言っている」と聞かされた舅の言動や、そして何より、旦那自身に、おかげさまでずいぶんと傷つけていただいた。やはり子供関連のことは、私の琴線に触れ、殺意すら感じる。今はもう、物忘れの世界の人になり、ひたすら私にすがって歩いている姑を、今更責める気持ちもないし、責めることもできない相手になっている。舅には、私の心にそんな気持ちが渦巻いていることなど、おそらく想像もできまい。想像力の欠如というほかない。かわいそうな人。そんな相手に、今日も常備菜として五目金平を作り、ひじきを炊いて、今夜は義理家で旦那も含めて食事をすることになっている。お野菜を取るべくお鍋にでもするつもり、舅にぐちゃぐちゃにされるだろうから、私はあまり食べないですむように考えよう。アーメンの世界では、汝の隣人を愛せ、という心から愛せなくて良いのだ、愛しているのと同じ行為をするふりを続けることが世渡りである、というふりだけなら・・・・・そのときだけなら、やってあげてもいい。と書くと、そんな心根で相手にもその冷たさが伝わるだろうと思われるかもしれないけど私はそんな下手な演技はしない、あの人たちとは違うので私は親切にやってあげます、の。→怖いね(^_^;)やはり私は彼らを誠心誠意介護し、みおくるんだろうと思う、彼らの最後のそのとき、あなた方をずっと恨んできたと告げたいかな→やっぱり怖いね(笑)私の義理家介護の、エネルギー源は、憎しみかと思う。(^_^;)さてと、そろそろ旦那が帰ってくるので、合流して義理家へ行ってきます。今日はお鍋です。舅が以前、やはり怒りから土鍋を捨ててしまったので、義理家でお鍋をするときは我が家の土鍋を持っていくことになるのであります。変なもの入れてやろうかな~っと(笑)行ってきます。変な日記になっちゃった(^_^;)
2006年11月27日
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コメントのお返事をしないままで、次の記事を書きます。ごめんなさいm(__)m実は、義理家のお台所を電磁調理器に変える話を進めています。義両親が焼け死のうが、やけどをしようが、かまわないといえるんですが万が一火を出すと、ご近所迷惑になる、ということ林檎ちゃんからもご指摘をいただいて実家に関しては、良いお付き合いを続けてきたご近所への迷惑を第一に考えて、早い段階で電気に切り替えていたのに、義理家の設備に私が口を出す権利もないしと、放置してた部分もあったので、まずは旦那を動かすべく、この数日時間をかけました。万全とはいえないまでも、姑が火達磨になるかもしれないことは回避できるはずなのに、旦那も舅も「お前の発案だからお前が責任を持つんやな」って感じではぁ・・いったい私を脅して何の徳があるんだろう?(笑)義理家関連では、水曜はおでんを届け、木曜は旦那が休みだったので電磁調理器への切り替え話や事務仕事で、時間を費やし、金曜日は、義母が資産作りの方法として取り入れていた旦那や私対象の保険の満期や切り替えの件で、義父が出かける前の時間に郵便局の人を呼んでおり早朝から義理家に出向いていたり(筑前煮、豚汁など持参)明日は、義母の病気のセミナー第二弾でリハビリ指導の講習に、義両親とケアマネさんを交えて四人で出かけてきます。毎日というわけには行きませんが、自宅の夕食を早めに多めにつくり、義理家にも食べてもらうべく届ける、くらいのことはやってあげてもいいかなと、できる範囲で考えています。ってことで、義理家をほったらかし、にはしていませんので、うっしぃさん念のためご安心ください。そして、自宅のことにも手を抜かず、義理家のことをやっていても、だからといって旦那が私の実家に気を回すということはまぁ、ありえないし、期待もしていません。自分の勝手な都合だけで、こちらにあたるだけのことだと思っていますが、暴言を聞くのはただただ、その言葉がつらいです。そして、お稽古先でちょっとしたことにも激昂するようになってきている旦那が、激昂途中でふっと意識が途切れる?様な気がしたということが重なり、すすめて内科の診察を受けさせました、予想の通り、高血圧だということです。いらいらするのも、怒りっぽいのも性格が悪いのではなく、体が悪いのなら、少し変化があるかもしれませんね(-_-)あまり期待はしていませんが(笑)ほかに日が取れないので、今日はこれから実家の両親のところへ行ってきます。ってことで、ちょっと忙しくしてます。(いつものことですが^^;)コメントのお返事、またもや遅れてますけど、ご容赦ください。m(__)mではでは・・・(^_^)v
2006年11月25日
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週末の父の頭痛への対処方法についてのやりとりから月曜日に初めて施設側からのアプローチもあって、これまでの病歴や生活暦に関して聞きたい、今後の介護体制についての話をしたいと、申し出があり、火曜日に施設のマネージャー、ヘルパーさんのボス、看護婦さん、と私の四人でひざを突き合わせて今後の方向性のことについて話をした。月曜日に施設のマネージャーから電話があった時点では、ターミナルケアとしての形で施設内で医療行為を受けている人もいるという話や在宅も考えているという私に、「在宅だと100万円かかりますよ」という言葉などもマネージャーから出て介護の素人じゃあるまいし、今の両親を引き取ればどのくらいの経費になるのか、わからない私ではないのにと、「100万円」とは場合によっては対処させないための脅し言葉にもなるのに、と、ちょっとうんざりしたりもしながら、ターミナル期と、考えるべきなんだろうかと、逡巡。これについては主治医がこの先の治療に関してどのように考えておられるのかを一度確認してからでないと・・・と思える点。ここで少し経過をまとめて考えてみようと、ここにちょっと書きます。私の覚書のようなものなので・・・くどいところはご容赦ください(笑)この施設に入るポイントになったのは母の状態だった。施設入居の前年に、父はアキレス腱を切り、その手術のために一月近い入院生活を送った。この父の入院期間中に、母を一人で自宅へ置いておくということはすでに考えられなくなっており、デイサービスに通い始めていたけど、まだ母は通うことになれておらず、母自身も父の入院中は当然のように自分が毎日病院へ行くものだと考えていた。結局、入院期間中は、私が実家に母と泊まり、朝ごはんを早めに済ませて母のお昼のお弁当を作って父の病院へ連れて行き、母を父の看病のためと称して、病室に置いて私は自宅へ帰り自分の家の家事の時間。夫はその間、不本意ながらすべて外食、食事以外のことは、私が普段と変わりなくやってた。そして病院の夕食時に間に合うように病院へ戻り、父が夕食を終えて、一段落したら、母と実家へ帰りそれから夕食、そのまま泊まるという生活。父の病室にいる間の母のサポートのために、母の妹たちが入れ替わりでお見舞いと称してきてくれるように予定を組んでいたけど、母は自分の妹たちが父の用事に手を出すことを好まず、でも、具合の悪い父には母の手を待つことはつらく、見かねた叔母たちが手助けをすると、母は不機嫌になり病室を出て病院内をうろうろ、してしまう。病院外へ一人で出ることはなったけれど、目の届かないところに母が一人でうろうろと出歩いてしまうことには、不安があった。叔母たちが来てくれることでかえって病室での母の居場所が無くなってしまって、家に帰ろうと言い出してしまった。そうなると、デイサービスに出かけてくれないと、私は自宅へ帰る時間を取れなくなってしまうし・・・ケアマネさんの助けも受けて、デイサービスも強行に通わせつつ、叔母たちのサポートは途中から断って、私は父の病院と実家、自宅の三箇所を、走り回る毎日が続いた。入院していたのが整形外科だったこともあって、早朝のインシュリン注射に対応していただけなく、朝、母を起こして朝ごはんを食べさせている間に、私一人が病院へ往復して父に注射をしてまた実家に母を迎えにいくなんてこともあった。退院後も、術後の自宅でのケアの必要から、それ以前にもまして朝から晩まで実家。そんな生活が三ヶ月近く過ぎた後、10日を越える日程で父の再手術が決まり、その時期が折り悪く旦那の仕事の忙しい時期に重なった。今度は自宅をあけるわけには行かない・・・やむなくショートステイを利用した。母は激昂し、「自分の家があるのに何でそこで暮らせないの!」挙句の果てには「離婚する!」と病室で父に喧嘩を売ったりした。(^_^;)ショートステイの看護婦さんから、母の血圧が上がりっぱなしだという話も出て、「お母さんにはショートステイは向いてませんね、かわいそうですよ、引き取れないの?」みたいなこともあって・・・父が退院して、母もショート先から帰り、自宅での生活が始まっても、夕方になると不安げに荷造りをしている母「今日はもう、お泊りにいかなくて良いのよ」というと、なみだ目で「え~そうなの~良かった~」と母の肩の力が抜けるのがわかる。これには参った。かわいそうなことをしたと、私も傷ついた。この後、父の病気のための定期的な入院が提案されたとき、毎回私が泊まりこめるわけでもないし、ショートステイはかわいそうだでは・・どうする?普段から施設で暮らしていれば、少なくとも父が入院して不在になっても、母は同じところで生活を続けられる。それが自宅ではなくても、そのときだけ入る仮の場所ではなく、自分の部屋だと思えるところで生活できるのではないかそういう風にならないだろうかと、考えた挙句行き着いたのが今の施設。ホテル滞在客風の対応なので、施設めいていないところも母には良いかと思えたし前宣伝では、認知症患者への対応には、薬物に頼らず、個々の性質をうまくサポートしてくださるということだったけれど入居一ヵ月後に、父が最初の入院で20日あまり不在になったら、いきなり母にお薬セットが用意された。まだ徘徊をしていない母に「徘徊するようならこの薬」失禁が日常化していない母に「失禁対応の薬」眠れないようなら「睡眠薬」薬漬けにする気か!(ーー;)と私は激昂して、施設の中にあるクリニックの医者と喧嘩した。私の勢いに負けてか、お薬セットは排除されてそのときの話から、施設の医者は内科医で、認知症には詳しくないことがありありとわかる。スタッフも大半がホテル関係者で、お客様への対応スタイルというのは丁寧で悪くないものの認知症への対応はどうかと思うことばかりだった。今後、入居者の症状理解のための学習プランがあるのかと問いかけると、その予定はないという。頼りになるのは、ヘルパーさんたちだけだった。わずかに救いだったのは、学習意欲のある若手のスタッフの方が数名居られたこととヘルパーさんの数名が頼れる方たちだったことだ。今日までの間、折に触れて入院する父の不在の間、それなりにアルツハイマーの進行もあって、最初のころより穏やかに過ごしてくれている母でもある。母にとって、馴染んでいる施設であることは否めない。母が馴染んだというべきか、周囲が馴染んでくださったというべきかはともかく・・母への対応も、落ち着いたものになっているのは感じる。だから、母にとっては、○といって良いかもしれない。問題は父、ややこしい病状を抱えている父には、この施設の医療体制では不安があった。ずっと、あった。今年の春に、問題のあったクリニックが閉鎖される、ということがあり提携病院から医師が派遣され、看護婦さんも一応入るようなのだが、どうなるんだろうという不安を抱えていた。さらに、かかりつけ病院までの距離の長さから、救急車での搬送が必要な場合どうなる?とケアマネに問い合わせると、無理ではないのかという話。これでは父に緊急の事態が起きたら、対処できないのではないか、という不安が、膨らんだ。そしてリンパ腫が見つかった。もう、多少の施設の不備は目を瞑り、やはり私の住まいの近くへ移すしかないのかと、施設探しを始めたが、今のように両親を穏やかに二人置いてくださるところはなかなか見つからず二人を分けることも、考えなくてはならないのか何より、一緒に過ごしたい両親の意向を尊重したいと考えていたのに自宅で暮らしたかった二人を施設へ追いやり、二人でいたい両親を離れ離れに、するのか・・・娘の私が、するのか。施設めぐりをしながら、情けない思いに苛まれてた。力及ばない私に、離婚して実家で両親と三人暮らす勇気も、もてない私に、×。昨日、施設からの申し出で話をしていて初めて、施設側も変わってきたことを感じた。まずクリニックがまともに機能するようになっているらしいこと、まともな看護婦さんがちゃんとおられ、しかも、娘さんが救急救命士でもあるその方の言葉で救急車の派遣も不可能ではない方法があることを知らされた。医師もしくは看護師または救急救命士が同情していれば、遠距離搬送も可能なのだそうだ。救急車まで頼まなくても、施設の車を出してもらえる可能性もあることがわかった。すべて私がやらなければならないわけじゃない体制に、なりつつあるってことも以前も、それに近いことはあったけれど、すべてかなり高額なサービスになるときかされていた。家族とスタッフが入居者について話し合う機会もなく、ただただ、愛想ばかり良い場所だったけど、少しは変わってきたのだろうか・・施設については、少し、安心材料が増えたけれどさて父の痛み、どうすればいい?ターミナル期にすでに入っていると思うべきなのか・・・それについて、今朝主治医と電話で話をした。「体力はかなり落ちているから、いつどんな変化がおきるかわからないということはあるけどね」という前置きはありながら「僕はあきらめてないよ、対処療法でしかないけど、病気としてのリンパ腫はまだ末期ではないし、治療する方向で考えようよ」との主治医の言葉で、やはり今までのように通院もし、入院もする。父自身が今の病院と主治医に信頼を置いている以上、まだしばらくは病院とのかかわりを断ちたくはない施設のクリニックに任せというわけには行かないけれど、連携をしてもらうことにして、しばらくお願いすることにした。施設探しをあきらめたわけではないけど、急いで後悔することなく時間をかけて考えたいと思う。施設のマネージャーは今日はお休みだったので、ターミナルと考えるのはまだ早いと、明日伝える。ターミナルケア体制ではなくクリニックと付き合いたいということを、看護婦さんには伝え、了解を得た。今日のところはそんな感じです。おでんを炊いたので、義理家に後で届けてあげます。(-_-)
2006年11月22日
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雨だし、実家両親のところへ出かけるのを、迷って、止めた。ずっと忙しかったし、少しまとめて家のこともしたいし・・・という気持ちもあった。といいながら、10月1日に例のビップルーム体験日記をアップしたり、(写真掲載しました。よろしかったらご覧ください)デジカメにたまっている写真をパソコンに移したり、結局遊んでるわけ・・・の一日になりそう・・・たまにはいいよね・・と思っていたら実家父から電話が来た。頭が痛いんだそうだ・・・首の骨も変形しつつある父なので、神経に触って常に頭痛はしているものの・・・普段使わないお薬の隠し場所を問い合わせてきたのだった。退院の日に、母があまり触らないであろう場所、という設定で、父と相談して隠したのだけど父はわかんなくなっちゃったらしかった(>_
2006年11月19日
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舅から、「ガスの火がつかない、爆発するかもしれない!時間の問題だ!ガスレンジを新しいものに変えたい!」と悲壮な電話がかかってきた。話を聞いてみると、どうやらガスレンジの電池切れ?と思いいたり確かレンジの手前右側に電池ケースがあったはず・・・と、舅を遠隔操作で誘導。「こんな電池で動いてるのか!」動いてるという表現が正しいかどうかは微妙だけど、まぁそんなようなわけです。予想の位置に電池を入れる場所があり、単一電池が四本入っているとのこと「それ、新しいものに変えてみましょうね」舅は最寄のセブンイレブンに電池を買いに・・・一度きればいいのに、電話はつないだまま、舅は出かけた。帰ってきた舅が息を切らしながら「これやな!」というけど電話だからね、見えないんだってば!「大きな懐中電灯に入れたりするタイプの大きな電池ですよね、単一って書いてありますね」といってみる。「ケースにプラスマイナスのセット方向が書いてあると思うので、向きを確かめてセットしてください」「よし!爆発したらお母さんのことは頼む」決死の覚悟の舅。・・・・「火、ついたわ!」唐突に電話は切れた。ありがとうとかそういうの、普通言うと思うけどね。まだトドが出かける前で家にいて、さすがに「ごめんな」と謝ったガスレンジも直ったみたいだし、めでたしめでたし。ガスレンジ捨てられなくてよかったよ。
2006年11月18日
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木曜日の義理家は、10時から1時までヘルパーさんが入り、1時半ごろから一時間、訪問看護の方がこられる。私はその後の3時から義理家へ出向く、まぁ、家庭内ヘルパーってとこだ。基本的には舅が帰ってくるまで、姑の相手をしつつ、仕事の範囲に決まりの無い家庭内ヘルパーとして、家の中をあれこれ整えることになる。今までは、姑と一緒に晩御飯を作ったりしたこともあった。今回は「こんにちは~天丼ご馳走になりに来ました~」と言って室内に入る。姑は「あら、そんな約束になってたの?お父さんでかけてるけど、判ってるのかしら・・」確かに・・ふと見ると、炊飯器は働いてるぞ・・・中を覗くと三合炊きの炊飯器に目いっぱい三合のご飯が炊き上がっていて、すでに6時間を経過していると言う表示になっている。・・・まぁ、いいけど・・・お昼のヘルパーさんからのメモに、「肉じゃがを作っておきました。酢の物は冷蔵庫に入っています」とある。・・・これって晩御飯の準備ってことだよね?ってことは、今夜天丼をご馳走してくださると言う話は、やっぱり覚えていないんだろうな~配食サービスはど~なったのかなぁ・・とちと不安がよぎる・・・この後不安は現実のものとなるのだが、その話はしばしお待ちを・・・でもまぁいいか?(笑)一緒に食事をしなくてすめば、それはそれで助かる。是が非でも食べたい天丼でもないわけだし・・・さらに、ふと見ると、ロデオがない!(@_@;)「ロデオ捨てちゃったんですか~」と姑に聞くと市から高齢者サービスとして配布されるマッサージ券で、無料マッサージが何度か受けられるようになっているのだけど同じ方が来て下さるらしく、何度かお願いしているその方が、舅の「僕らの体には良くないらしいから捨てたい」という言葉を聴き、喜んでもらってくださったらしい。まぁ、いいけど、捨てるんならウチでもらって来ても良かったか?と思ってちょっと残念?かな?(笑)ともかく無用の大物が消えたのは、大変良いことであります。舅が帰宅するのは5時ごろだから、それまでのあいだ、洗濯物を取り込んだり、箪笥の中を整理したり姑が本来座るはずのソファーの上にも、衣類が散らかってるし・・・姑は何度も舅の帰宅時間を気にかけて、電話をかけようとするので、そのつど、「5時ごろにはお帰りになるので、もしそれより遅いようならお電話することにしましょう」と押しとどめたり・・・そんなこんなで舅が帰宅。「あ、○子さん、来てくれてたの」と驚く風情の舅に「えへへ・・天丼ご馳走して頂くお約束でしたので・・・」と言ってみる。舅、真っ赤になってあせり、「いやぁ!忘れてたわ」だろうねヘルパーさんが夕食準備をしてくださっていることを伝えるとそれは明日の朝食べることにするという。へぇ、そういうことも考えられるんだね~~~と言うわけで、トドが帰ってくるのを待って、一緒に天丼を頂くべく、さらに7時前まで舅宅に居座ることになった。ロデオをマッサージ屋さんに貰って頂いた顛末を聞いていると、なんとその開いたスペースに、別のものを考えていると言う舅。もともと、食卓の横に小さな台に乗った電子レンジがあり、ロデオは電子レンジに並んでおいてあったのだった。電子レンジを載せるのにちょうど良い飾り棚(どんなんや?とこの時点ですでに思いつつ)を見つけたのだそうで、お値段は七万円也だそうなんだけど・・・ちょうど良いのは美的な感じが舅にマッチしているだけの話で、サイズはちょうど良くはなく、その台を置くと、姑は限りなく歩きにくくなる、と言うことは限りなくはっきりわかる。「お舅さん、それ・・サイズ合わないんじゃないですか?」と聞くと「のこぎりで切るのだ」と言う。のこぎりで切ると、美しくなくなると思うんだけどね。サイズが合わないのは幅だし、引き出しや開き戸がついてるらしいその棚を、どうやって切るのよ?「切りにくいデザインなんだ」と言う舅。でも、切るの?のこぎりで?もぉ・・・ワケわからん、頭おかしいとしか思えん!舅家にはすでにいくつかの小さな棚のようなものがあり、それらはある種ロココ調だったりして、棚として、美しいかもしれないそれらは、配置しにくいそれらのものが、そこここにあるという室内を、歩行困難な姑が移動することはすでに危険と言っていい。さらに危険にするのか?そしてのこぎりで切るのか?もうぐったり疲れてきた・・・(ーー;)すでに舅家にある飾り棚の中に、電子レンジにサイズぴったりのものがあるので、それをお使いになることを進めつつこんな話しても無駄かも・・・と思っている私。舅が帰ってくると姑はさらに所在無げになり、夕食のために外出するのはいやだと言い出した。「目が回るから出かけたくない」と言う姑に「そんなもん病気やねんからずっと回ってるんやろ!」と怒鳴る舅。姑は「ご飯もあるしおかずもあるから私は家で一人で食べる」と言う。「トドサンも楽しみにしてますから、一緒に行きましょうね~」と、ひたすら場を盛り上げる私。姑は「それほど美味しいものでもないし」というだろうね・・・(笑)私が苦笑いしていると、舅がまた怒り出した。気をそらせるべく、舅を舅の衣類の引き出しの整理に誘う。靴下を入れている引き出しが、ぐちゃぐちゃだと言うので、入れなおす。そのくらい自分でできるんじゃないのか?と思うけどね・・・(ーー;)そんなこんなでやっとこさ、トドが最寄り駅到着の電話をかけてきた。「お店に直行しようか」というトドに「家まで来てお姑さん誘って~」と依頼。この依頼には食後、義理家に戻るために、荷物を義理家においておきたいという意図もある。そしてトドとフォークダンススタイルで、姑は出かけることになりましたとさ、マンションの前のお店なので、歩いてもすぐなんだよねってことでともかくお食事にありつく、それなりに美味しく頂きました。けど、天丼を頂く時になって、別の容器に入って出てきたたれを舅が姑の天丼にもかけようとして、落として割った。(^_^;)こういうことに過剰反応する舅は、高いものに違いない!とお会計のときに弁償するのだと言い、二千円多めに置いた。お店の人は困ってたけど、そのまま取ってもらった。(ーー;)壊れた容器は二千円もしないと思うけどね(笑)食べ終わると姑はすぐに帰りたく、「鍵貸して」と舅に言う。「鍵なんかどうするねん、一人で帰るつもりか?そんなことできへんやろ・・・・」延々と食後の舅のお説教が続く(ーー;)さすがに見かねてトドが「帰ろう」と声をかけ、義理家へ戻る。新しく買いたい棚の話も出て、のこぎりで切るという話、もちろんトドが押しとどめたけどこれで止まってるかどうかわかったもんじゃない。買って、切って、置いてある日も近いかもしれないけど、もうほっとくしかないもんね。さらに、また、姑の排便が気になって仕方の無い舅によれば、姑は二週間排便が無いんだそうだ。夕食後のお薬とともに下剤を飲ませようとするのを止めて、姑のお腹をマッサージしてみた。しばらくするとお手洗いに行きたいという姑、でも、出なかった・・・・ほんとに溜まってるのかもしれないけど、下剤は危険だし・・・とにかく夜飲ませるのは危険なので、朝飲ませてくれるように話し、一応舅も了解したかと思う。舅と姑とでは倍ほど体重も違うはずなのだ、常に滞りがちだと言う舅と同じ薬を姑に飲ませてよいわけは無いけどねそのことも言ったけど、わかってるかどうか・・・わかんないだろうよ、もぉ・・・今朝、デイサービス先へ下剤に関する情報を入れてよろしくお願いしたのだった。そして、ナニゆえに炊飯器復活かと言えば、配食サービスがあまりにもまずいらしく舅は、あんなものを食べなければならないなら死んだほうがましだ、と、やっぱりお弁当サービスを断っていたのだった。また、元の木阿弥。結局義理家の介護って、こうやって、三歩進んで五歩下がるみたいな後ろ向きのことを続けていくんだろう・・・今日のところは何か出来合いのおかずを買って帰るらしい舅なので、時々ね、作ってあげます。とします。やれやれ
2006年11月17日
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介護対象にしても良いかと思うトド。日曜日に仕事で奈良へ出かけ、忘れ物をしてきた。それを預かってくださったのは、京都にお住まいの後輩さんその方と直接会う日まで間が開くので、京都のとある事務局におついでに届けていただくことにしていたトドそれをいただきに行くのは・・私前夜、お弟子さんからご馳走になる手はずになっていた場所が京都だし、水曜日は京都でトドは朝からお稽古をするのだしってことで、京都に泊まりました。お昼ごろ、問題のブツを受け取りに事務局に出向き、それを受け取って、両親の所へはそれから出かけたのでした。まぁ、泊まったので朝はトドを送り出してから、チェックアウトの11時まで、まったり。実家両親は、さほど変わりなく、心配していた父のリンパ液も今のところ問題なさそうで、この先もあわてて病院へ走るということはないように思える。ママさん、私にジュースを入れてくれるつもりだったらしいのだけど・・・お部屋にはキッチンはなく、洗面所の隣に冷蔵庫を置いているので、洗面台の端にペットボトルを置いたんだね。洗面台の内側にボトルが倒れて、ジュースがこぼれてしまった。あわてて洗面台の内側を拭いているママさんの片手には、私に渡すつもりらしいジュースが入ったコップが・・ママさんは、ペットボトルを拾い上げるついでに、コップを持っている手も動かしちゃったから、さぁ大変私はジュースまみれになりました~~~ママさんの気持ちをそらせる為に、パパさんがテレビのリモコンを取ってほしいと言ってる、とパパさんの御用へと誘導しこぼれたジュースを拭いていると、果たして「後でやるから置いといて」・・・出ました、決まり文句。「うん・・でもまぁ、私暇だし、ちょっとね、やっとくから」ともごもご言いながら・・・しばらくすると「○子、ジュースこぼしたの?」とママさんが聞いてきた。はいはい、こぼしたのは私でございます。どうせ私が悪いのよでもね、ジュース入れてくれようとして、ありがとうねm(__)mこの後買い物に行き、パパさんの冬用ズボンを一本と、ママさんのおやつなど購入。出かける前にお手洗いへと誘ったけど、「今行った所だから」とママさんはトイレに行かなかった。こりゃ、やばいな・・と思っていたら、やっぱりパパさんのズボンをレジへ持っていく直前になり、「私お手洗いへ行きたいんだけど」ときたー!走ってレジへいき、ズボンを買いたい旨と、母をトイレに連れて行くので後で支払いに来るから・・と伝えて急いでトイレへ駆け込んだ。トイレ空いてて助かった~~~~やっぱり誘導に時間がかかっても、出かける前のトイレは、必須ですな・・・夕食時になったので、二人だけ食堂へ行ってもらって、私はお買い物してきたものを片付けたり、お部屋の掃除をして待ってた。パパさんも安定しているし、で、程なく帰途に着く。ラジオでも聞くかな~とスイッチを入れて、チャンネルを変えていたら緊急警報の音が延々と続くこれって・・・毎月1日に、テレビでなってる音と同じだ・・何か、どこかで何か・・あったんだろうか・・・ラジオの向こうがなんだかあわただしい感じで、「北海道に津波のおそれで、地域の方は避難を~」えぇ~~~~!津波ってことは地震があったんだ?どこで?と思ったけど、地震のことには触れず、ひたすら津波の避難情報が流れる。ドキドキドキドキ・・・あの日の朝を思い出す。あの1月17日の朝を思い出す。思えばあの時も、電話がつながらなくなった実家が気になって、不安に泣けたのだった。
2006年11月15日
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お弟子さんの中には、お教えをしている師匠であるトドやその嫁である私と、個人的にお食事などに行くことで親しくお付き合いをするということを好む、方がおられる。いわゆる谷町、といわれる人種に近いかと、思う方たちだ。ご馳走になるので、ありがたいというべきだが、それはそれで、気を使う時間だったりする。仕事の一部、みたいなもんなので、トドをよいしょして、仲の良い夫婦である様子をお見せする、わけよね嫁はんが旦那をちゃんと支えているか、内助の功があるのか?などということが旦那の評価につながるので我が家のウォシュレットがいつまでも冷水限定仕様であることなど、おくびにも出せない。(笑)注)我が家のウォシュレットはすでに10年近く経過している機種で、実はこの数年、温水が出ないのだが、修理してない(^^ゞトドは「なんか冷たいわ・・・」と冬場になると不満げなのだが私は「そんなもんらしいよ・・・」といまだに修理の連絡を取っていないという、トイレ事情今回は京都の料亭へ、お招きいただきました。本来は着物だろうけど、雨模様だったのでお洋服でうかがったら、先方もお洋服だったので、ほっこのお招きのお話は、実父の入院中から出ており入院期間中にはちょっと・・・つらいなと思って断ったら、トドがへそを曲げていたという一件。何日か候補の日が変更になって、結局この日にご馳走になるということになった。さすが、京都は凝ってます。写真を撮っていると、トドが「最近デジカメに懲りましてね、何でも写すんですわ」と私の行為をほほえましく?紹介。お弟子さんが「お家で参考になさってお作りになるのよね~」と茶化す。・・・・んなわけないやんとおもいつつ(^^ゞ「こんな手のかかることは、できませんの、私、雑ですし」今回ご一緒の方はお料理も玄人はだしの方なので、お弟子さんもよいしょ♪京都の伝統の御節の話など、承る。そんなこんなで、お料理をいただいたのでした。あんまりお味は・・・わかんなかった(笑)
2006年11月14日
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夕べ、空港に帰ってきたトドを迎えに行くと、舅に用事があるので義理家に立ち寄りたいという。例によって、前もって電話連絡をしていないトドだけど、まぁ、夜に出かけることがほとんどない今の義理家なので、問題ないか?と思いつつ、食事を簡単に済ませて、義理家のお玄関に立った私たち。もう11月なんだからこんな気温だよね・・とは思いつつ、つい最近まで昼間はどうかすると半袖でも過ごせたような異常な陽気に慣れている体には川に面したマンションの夜風の通る廊下は寒い~~~「ピンポーン」・・・・反応なし・・・寝てる?のかな?まぁ機敏な立ち居振る舞いがおできになるわけではないし、としばし待ってみるが変化なしまだ八時になってないけど・・・姑はともかく宵っ張りの舅も寝たのかな?「ピンポーン」トドが再チャレンジ・・・またもや反応なしドアの外から覗き穴を覗くトドと私・・・なんだか、お家の中のあかり見えない、暗いね・・・ドアの覗き穴の向こうに、普段は見えているはずの明かりが・・見えない・・・留守なの?寝てるの?「ピンポーン」再々チャレンジ、応答なし。トドが思いついて電話をかけた。ら、舅が出た。家には居るんじゃん(ーー;)トドが「さっきから何度も鳴らしてるのに(何を鳴らしたかは言わなかった)なんで出えへんねん!」舅はテレビを見ていたから、とか何とか言ってるみたいだったトドは「とにかく開けてよ!」と電話を切った。寒い廊下で待つことしばし・・・・変化なし・・もぉ~~~開けてよ~~~~寒いよぉ~~(;_;)トドに「ねぇ~お舅さん私たちがお玄関の前に居るってわかってないんじゃないの?」と言ってみる。トドがもう一度電話をかけて「お父さん、玄関のドアの外にいるねん、開けてよ!」・・・・がさがさ音がして、やっと開かずの扉が開いた。「そんなとこに居たんか?」と舅。姑はもうお布団に入っていた。ドアホンを見ると、呼び出し音量が「小」になっていたので、「大」に直してきた。大音響のテレビの音に「小」のドアホンはそりゃ、聞こえるわけがない。舅は「僕は少し耳が遠いからね」少しじゃなさそうだけどね・・・舅が「お母さんがテレビの音をうるさいというんだ」たしかにね、頭われそうな音やもん・・最近あれこれこそっと言うようになった姑が「私の耳が普通なのよね」という。義母上お見事でございます(^_^)v言葉足らずの親子なので、トドからの電話で舅は電話を何度かかけているのに、気がつかなかったと思ったらしいけど何度も電話をかけるほどの用事があったんなら、電話がつながり、「つながらなかった」ことだけを言ってそそくさと電話を切る息子を不思議とは思わなかったんだろうか?まぁ、なんにしても、室内に入るにも一苦労するお家でございまする。今週から木曜日の姑の相手を復活することにして、舅にお夕食準備について聞いてみた。来週の火曜日までお弁当の宅配を頼んでいるので、木曜日一緒に食事が取れるならそのブンは断る、ということになった。・・・なってると・・思う・・自信ないけど・・・(笑)さらに、お家の前の天麩羅割烹の天丼が美味しいのだそうで、木曜日は天丼をご馳走してくださるという。はいはい、何か作らせていただこうかと思っていたけど、ご馳走になります。さらに「○子さんに食べさせようと思って・・」と仰ってくださるので「トドもいいですか?」(^_^;)と聞いてみた。トド・・・苦笑い・・・(笑)そして流しの下に、先日捨てたものと同じタイプの新しい炊飯器が、隠してあった。炊飯器復活だ(笑)・・・・ご飯土鍋の姿がないのは・・・???もしかして、である。(^_^;)
2006年11月12日
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退院の日、早く帰りたいので、昼食も断っている父だけどお薬の手配や清算業務などの関係で、やっぱり午後から帰ることになる。お昼は病院内の食堂でサンドイッチを一人前、二人で分けて食べる。長引いた入院中に、増えた荷物もあるし、寒さも本格的になってきたのでお布団や衣類なども一緒に積んだ車に乗ったのが、3時過ぎになった。施設に着いたのが4時半ごろかな・・・パパさんがお玄関の喫煙コーナーで早速一服しているあいだに荷物を降ろしていると、ママさん登場ありゃ・・パパさんのズボンをはいている・・(@_@;)ダボダボ・・・だ(笑)ちょうどお玄関では、何かの業者さんがお帰りになるところだったらしく、作業服姿の方が二名、車に乗り込んでいるママさんはパパさんの「帰ってきたで~」という声を制してその車に近寄り「お世話になりました」と最敬礼。(@_@;)いや・・だから、その方たちは関係ないわけで・・・車の中の方たちは、驚いて苦笑いしてた。どーもですm(__)mそんなこんなで、ともかくも帰りましたとさ長い不在だったので、ヘルパーさんや看護婦さんが、「長かったですね~」とか「首を長くして待ってました」とかパパさんに言葉をかける。パパさんにそう言いたいのはわかるけど、ママさんが居るのにそれは止めてよね。って何度言えば判ってもらえるんだろう!案の定「長い入院だったの?」って言い出しちゃったじゃないの~~~「でも、もう帰ってきちゃったから、いいよね」ってアバウトななだめ方をしてご機嫌をとる私。お部屋に戻って、さてと・・片付けないとね(@_@;)なんといっても本の山。何冊あるんだろう・・・って感じ・・・泊まることにして良かった。ママさん一人で本棚へ返しに行くと、同じだけまた持ってくるのでパパさんの膝の上に籠に入れて本を載せママさんが車椅子を押して本棚へ行き、パパさんの指図でママさんが本を棚に返す、と言う作業をひたすら繰り返す。返せども返せども・・・まだある本。11時ごろにようやく一段落したけど、本が無くなっただけだ。ってことで、泊まるお部屋に引き上げようとすると「あのな、あの部屋な、お通夜に使うんやろ?」と言う父「一人で泊まるの怖いやろ?」と重ねて言う。娘脅してどうする!そりゃ怖いわさ!けど、眠気も半端じゃない!父は自分たちの部屋に泊まればよいと言いたいのだが、そんなスペースは無く強硬に寝るとなると二人のベッドの足元に、お布団を敷いて寝るわけよねそりゃ、ぎりぎりのスペースはあるけどもさ魂胆は判ってる、夜の間にママさんに頼むことを、私が居たらさせようと思っているんだろうけどこれから毎日やっぱりママさんと暮らしていかなくちゃいけないんだから頼むよ、ゆっくり寝かせてくれよ~~~ってことで、お通夜ルームに移動した。注)まだ実際にお通夜に使ったことは無い(笑)でも、一人って結構怖い・・・・(@_@;)げぇ・・・とビビッテたけど、疲れていたので即効で寝ちゃった。(笑)お化け、出たのかな?(^_^;)深夜、雷がひどかったらしいけど、ぜんぜん記憶にありません(^^ゞちなみにトドが同じように「あの部屋に一人で泊まれたん?」と聞いてきた。私が怖がりだって、知ってんだ・・(笑)
2006年11月10日
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管を抜いて傷口がふさがったことが良かったのか今のところリンパ液が溜まってきた様子がありません。もしかして、もっと早くふさいだら・・もっと早く帰れたんじゃないの?なぁ~~~んて、外科の担当医に不信感を持ちつつ(^^ゞいったん退院、ってことに、やっとなりました。まぁ、また次の入院があるんですけど(ーー;)でもとりあえず、いったん帰れるってことにほっとしてます。退院間でのあいだ、まぁ快適な入院生活にするべく、もう一がんばりってことで病院へ行ってきます。金曜日はちょうどトドが一泊のお仕事なので、父を送っていって私もそのまま泊まるつもりです。なんせ、母がお部屋をえらいことにしてるから(^_^;)探さなくちゃいけないものがワンサカ・・・日常生活が送れるように整えるためには、泊まれる日に帰れるのはありがたいです。ってことで、ラストスパート、病院へ行ってきます。(^_^)/
2006年11月09日
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連というか、うるさいのは隊長近々ママさんの実家の新宅(祖父の弟家)で、お墓の移転があり、その際のお祝いを母の姉妹そろってお送りするという作業を私が請け負っていた。これは、今年の夏にママさんの実家でお墓を閉じたときに事の発端がさかのぼる。ママさんは姉妹ばかりの長女で、ママさんを含めて妹たちのだれもが、ママさんの実家を継がず嫁に出た。だからお墓は跡継ぎがいなく、祖父母が入った後はママさんが後を継いでいた。で、ママさんが怪しくなってからは、なんとなく私がお寺さんとの対応をしてきたのだった。お盆のお参りなど、実家に両親がいるときはそれなりに来ていただいていたけど施設に入ってからは、そういうお付き合いもなくなっていた。ママさんの姉妹は基本的には仲良くて、みんな神戸市内に住んでいるし春には顔をそろえて誰かの家でまとめて「イカナゴの釘煮」を作ったり、一緒にお味噌を仕込んだり、祖父母の月命日にはそろってお墓参りをしたりして、よく集まってた。その名残で、母が一緒に行けなくなってからも、叔母連は月命日にお墓参りをしてくれていた。母のすぐしたの妹である叔母連隊長と、四女叔母はクリスチャンなのだけどその二人が仏事にうるさい。亡くなった方のことを心の中で懐かしく思っていれば良いはずの宗教に帰依しているはずのこの二人がやれ法事はどうする、やれ墓はどうすると、以前からあれこれと口を出してきていた。そして、あるとき、お墓の看板に気がつく、墓地の使用料が必要だと言う看板。母の実家はその昔、羽振りの良い時期があり、菩提寺が立て直した時に祖父がお寺のためにずいぶんと尽力をしたことがあるらしく私とは母、先代ご住職から「お宅からはいただけません」みたいなことをぼんやり言われておりお盆の時期のお参りに少し多めに用意することで、なんとなくお互いに了解してきてた費用だった。隊長は看板に気づき、と言っても看板自体はもう何年も前からたっているんだけど要するに自分が一番手になった、と言う意識からお墓周りにも気が回ったんだろうね。お寺に墓地の使用料を我が家が収めているかどうか、聞いたのだった。先代ご住職もすでに亡くなられており、息子さんである当代ご住職と先代夫人から同じように「お宅からはいただけませんけど、それとしての費用を納めて頂いてはいない」と言われた隊長は、かっこ悪かったんだろうそのことをきっかけにお墓を閉める話を進めると言いだした。そのことはいい、私の代まで持ち越してお墓を一人で閉めるのは厄介だし私以外の従弟妹が其処まで責任を持たなくちゃいけないと考えるかどうかわからなかったし叔母たちが元気なうちに形を整えてくれることはむしろ前から望んでいたけど隊長と四女叔母は、母が元気なころにお墓の整理をしようと持ちかけると抵抗した前歴があり母としても自分の親の入っているお墓をしめてお寺の納骨堂にまとめてもらうと言うことは、整理をするという感覚から後ろめたいようなものもあったのか叔母たちがそのことを悲しんだことを深く心にとどめて、いまだに、お墓に関しては、こだわりを見せる。それでも今年、閉めたのだけど母たち姉妹は「新宅」の人たちを良く思っておらず、早くに大叔父が亡くなったために、祖父が新宅への便宜を図らされた、そのために「本家」が脱落したと母たちは見ていたようでお墓を閉めるについて、新宅へは知らせるなと、隊長から私は言われたのだった。でも、閉めようとしているお墓には、新宅の方たちの祖父母に当たる人も入っており勝手にことを進めてよいとは私は思わなかったから、知らせたら高額のお供えが来た。高額のお供えにどう対応したら言いか当惑している私に隊長はそれみたことか、と言う態度だったし出世頭である叔母連隊長は、自分以外の人が高額費用をだすことを、プライドが傷つくとでも思っているのか大変不機嫌で頂いたものの大半を、先方の墓地が新しく移転したときに、姉妹の名前でお送りするということに決まりそれは私の手による作業として残されていた。母の実家の閉眼法要に関しては、やはりそれまでの慣例などもあり、クリスチャンの叔母たちではなく、私がお寺と交渉をしてことを進めたけど隊長とは日程の調節や当日の準備のことなど齟齬が多かった。隊長は母とは4歳違いなので、すでに70を越えており、元気とはいえ臨機応変な対応は期待できないんだなと、思わされることが多かった。一度伝えた話を忘れていたり、勘違いしていたり、と言うことが昨今増えた。・・・・もしかして?と思わなくも無いけど・・・脳の検査をしたら若かったと言っていたので、大丈夫なんだろう・・・で、何でも把握しておきたい隊長は、父のかかりつけ病院に電話をかけ、入院の日を聞き本来なら入院二日目の点滴中の時間と思しきときに、見舞いに来たりもした今回も見舞いに来て、通常の日程ではすまないかもしれないことは察知して帰ったもののもちろんこんなに長く入院が続いていることは伝えていないというか、私も、こんなに長くなるとは思っていなかったし・・・で、おそらく新宅からお祝いが届いた連絡があったんだと思うけどお送りをするときに添えた手紙に、父が長期で入院していることを書き添えたので隊長にでも問い合わせがあったのかもしれない夕べ叔母連宅からの電話が、何度もかかってきた。父の事を聞かれても、まだ主治医と話ができていない状態では、返事の仕様が無いし仮に細かいことがわかっても、だからと言ってもう隊長に話す気は無いんだ。父の入院中に独りになる母に、電話で話をしてやってほしいと、頼んだことがあったけど母に電話をかけても、一度でつながらないことが多いし受話器を隠していたり、隠している状態が長く続くと放電してしまうしいずれにせよ、電話をかけると言う作業もなかなかややこしくはあるんだけど何かできることは、と聞いてくれたのだ頼んだのが、「時間のあるときに電話で話をしてやってほしい」と言うことだったのに「電話がなかなかつながらない、折り返しかけてもらうにしても、すぐにはかからないし、待っていると何にもできなくなって困る、だから手紙を書くわ、手紙なら何度も読めるでしょうし」と、姉妹を代表して隊長から申し出があった。手紙をね、何度も読めるような母なら、電話なんか頼まないの!と言うことは隊長にはわからなかったのだ。この隊長は、アルツハイマーのお姑さんの介護をしたこともあり、隊長家の叔父が急病で長期入院したときは、壁にその状態をわかるように張り紙にしていても、お姑さんにはそのことがわからず誰かそばにいないと、叔母は夫の病院へいけない、と言う状態だったため私が叔母家に泊り込んだのだった。その経験のある叔母の口から、母に手紙を書くといとも簡単に言われてあ~~忘れたんだな・・・ややこしい介護生活のこと・・・と思ったと同時に叔母にもすでに臨機応変に対応する能力は衰えたんだなと、私は思った。と同時に、母のことを迷惑、と言った言葉に、私は反応してしまった。そのほかにも、ほかの親戚のお祝いの連絡があったときに、母のことは除外していたり母はすでに社会生活をしない人として、早い段階から叔母の中で排除されているような気がした。そんな叔母が、ほかの親戚の手前、自分がすべて取り仕切っているかのように私の実家のことを話題にすることは、私としては歓迎できないことになり叔母に両親の様子を伝えることをやめた。知りたければ自分で病院にも電話をかけたりする人なんだしほっとくことにしたんだよね。夕べの電話、切れたと思ったらまた鳴って、何度も何度もかかってきた。ニ三分置きに十回くらいかかってくるなんて病的だ。まぁ、出ない私も何なんだけどさ(*^_^*)今日もまたかかってくると思うから、ファックスで近況報告を軽くしておくことにしようか・・・と思うのでありました。
2006年11月04日
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義理家の夕食の配食サービスはお弁当スタイルで来る。おかずだけでも頼めるらしい、し日によっては断ってもいいんだけど舅はそういう変則的なことに対応できないからとにかく頼む、となると毎日まるっぽ頼まなければならない。ここで問題発生姑は炊飯器が空だと、ご飯を炊こうとする。これは姑の自発的に行う数少ない家事の一つで、先日のセミナーの後、舅にもリハビリの一つと捕らえるべきであること姑の仕事を取ってしまってはいけないことなどを話しご飯は姑に用意してもらっておかずだけ頼めばと、お勧めしたんだけど、やっぱり無理な話だった。お米がないから買ってきてくれという再三にわたる姑の要望を却下した舅だったが姑も負けてない、コープさんに電話をかけてお米を頼んだらしいのだ姑もこういう作業はまだできるその辺がウチのママさんのアルツハイマーとはちと違う認知症なのではないかと思えたりする所以。激昂した舅が、当然のように届けてくれたお米を断り姑と揉めたらしい舅はその反動だったのか、炊飯器を捨てたんだそうだ。やれやれ・・・そして言うことにゃ「お母さんが毎朝炊飯器を探し回っていて、かわいそうなんだ」・・・・・・何をかいわんやウチの旦那もそうだけどさ、ほんとに姑のこと愛してんの?
2006年11月03日
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弟(河童)に、水曜日の夜に電話をしたらまだ仕事中だったので仕事が一段落したら電話かけてくれるように・・ってことにしてたんだけどかかってこなかった。忙しいんだろうな・・夜中までだし・・。私も、父の病状を正確に把握しているわけではない段階なのでかかってこなくってもまぁ良いか?って感じでいた。木曜は、朝帰りのトドが休みで、午後から私の慰労?のため??に映画に行こう、ということになったのでこれって慰労なのかなぁ???と思いつつ母の実家の新宅(祖父の弟家)が菩提寺と喧嘩別れした結果お寺を替わり新しい墓地に移転した開眼法要をする日が近づいているので叔母連からの指示によりお墓を建てたお祝いをお送りするという用事もあることからトドと出かけたんだよね。見た映画は、「父親たちの星条旗」クリント・イーストウッド監督だそうだけどなんだかなぁ・・だった。これ、硫黄島の激戦のお話なんだけど12月になると同じ戦いを日本側から見た形の映画が同じ監督でってことで、謙ちゃん主役でやるみたいだ。そっちのほうが面白そうなので、やっぱり見ることになるのかなぁ・・・慰労なのにさ、戦争映画ってどう?よ(-_-;)まぁ一応、トドは気を使っているわけなんだけどそれなら見舞いに行くとかさ、なんか、そういう風にはならないんだよね。ま、良いけど・・・で、疲れちゃったし、早めに寝たら、河童ちゃんから電話がかかってきた。寝てたのに・・・父のリンパ腫だって話はしたけど、具体的なことは来週主治医にちゃんと聞いてからね、ってことで河童は大体電話が長い。一人暮らしで寂しいのかなと思ったりするけど、両親以外の話もいろいろ出て、それなりに二人で話し込むことも結構あったりする。昨夜も、あれこれ話をしながら「ところでさ、お宅はどういう夫婦なんだよ」と人に言えるような夫婦関係ではない私が言うのもなんだな、と思いながら、ちょっと言ってみた。河童ちゃん、「凹むこと聞くよな~~~」電話の向こうで憮然としてるんだろうなぁ・・河童ちゃんの嫁さん「イングリ」(と呼んでいる)は、結婚してから一念発起して大学へ入りなおし(もともと短大出)大学院まで行っちゃって、おまけに留学もして今年の春に学校が終わるのかと思っていたら、来年の春だってさそれはいいんだけど、とにかく普段は知らん顔の、長男の嫁なんだよね。別にウチの両親の介護に関して期待してるわけじゃないけど夫の両親がそれぞれ普通じゃない状態にいるって、一応知ってるわけだしさなんかそれなりのリアクションって奴は無いわけ?ってやっぱり思うんだよね。夫婦間でそれなりに支えあってやってるんなら、河童がそれで良いと思ってるんなら別に私がとやかく言うことじゃないとは思うけどたとえば普段、ここで私が悪戦苦闘してるような状況のときに、一声もかけてこないってのは、やっぱりどうなん?って思うわけ。あんたそれで、いわゆる最高学府を出て、教育者になろうってわけかい?英語だけ教えればいいの?(イングリの専門は英文学)人様のお子様に何か教えようと思う立場に、立つわけ?まぁ、昨今の教育界を見ていると、人としてまともな教育者なんてものはいないわけだからそんなもんなのかなと思うけどもね。なんてことを深夜に言ってしまったのだった。弟、凹んでた。(笑)「あんた、利用されてるだけの関係なの?」と聞くと「そうかも・・・」だってさ私たち姉弟は、それなりに仲の良い家族だったよね、結婚したら普通に、自分たちが育ったのと同じような家庭が作れるものだとなんとなく思ってきたけどどうやら二人とも甘かったってことだな。おい、離婚してねーちゃんと暮らすか?なんてね口に出そうになったワイ(笑)ダブル離婚も、ありかもね。(*^_^*)ついイングリ批判を繰り返していたら、旦那がおきてきて一緒になってイングリ批判をし始めた。弟との電話中だっつうのに、うるさい!ってことで「ちょっとイングリの弁護する」って電話を切った。興奮した旦那によれば、我が家は持ちつ持たれつなんだそうでほぇ?そうなの?そうかな?(@_@;)挙句の果てに「僕には愛情があるから」(@_@;)うっそぉ・・・あほらしくなって、寝た。寝る前に河童ちゃんに「いやな話になっちゃってごめんね」とメールしたら「大丈夫気にしてない」って、無いのか?気にしろ!(ーー;)いや、気にはしてるだろうね・・・甘いなぁ・・私も・・・
2006年11月02日
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午後からママさんのところへ行って来ました。相変わらず、毎日「明日お帰りです」と言われ続けてもうすぐ一ヶ月。この生活にもある意味なれた?という面もあるママさんパパさんが帰ってきたら・・・たとえば車椅子の操作から一ヶ月遠ざかっているわけでそれなりに大変だろうことが予測される。お部屋の中はさらに本でいっぱいで・・・えらいことどす~~~(@_@;)ママさん自身は私がいるとご機嫌で、ころころ笑う。と言うか笑う話を提供してるから・・・夕食後が一番不安になるみたいなので、そこまで付き合ってお部屋でテレビを見ながらママさんが詰め込んでいる引き出しから使用済みと未使用のおパン2を選り分ける・・というか、嗅ぎ分ける。時々未使用にヒット(-_-;)食後の作業としてはいささかきつい(@_@;)テレビのチャンネルを変えていると、イギリスの製作物をやっており画面の中でクリケットの場面が写った。「クリケットってまだあんまり日本ではやってる人いないよね」と何気なく言ってしまった。「昔、お庭でね・・・」庭でやったのかよ~~~~・・・・「馬がね・・・・」馬?それって・・ポロ?(@_@;)馬が走り回る庭って・・・豪邸だよ(/_;)始まってしまった法螺話・・・はい(ーー)/ 私が悪うございました。クリケットなんか話題にするんじゃなかった。テレビを見ながらおしゃべりをしていたら・・ふとママさんからの反応が無い。ん?と見ると・・・寝てるし・・・(笑)と言うわけで、引き上げてきました。「来週月曜日にまた来るからね、パパの病院に行こうね~」といっても、ママさんには月曜日まで何日あるのかわからないんだけど次に来る日がわかるというのは、嬉しいらしい「忙しいのに悪いわね、私のことは気にしなくていいからね」と笑顔で見送ってくれた。この笑顔、私が帰った後でも続いていてほしいけど・・・軽度の認知症の方やお体にのみ支障がある方もおられる施設なので、私を認識している人もあり、そんなしっかり婆さんから「お父様どうなの?」って聞かれた。しばらくかかりそうです、と正直に話し加えて母に対してはスタッフの方にも毎日「明日帰ってくるから」ということにしていただいていますので、よろしくお願いします。ということもお話した。「そういえばお母様にお聞きしたら、明日戻りますので、って仰ってましたわ」だそうでそう思ってるんだろう・・・かな?そう思ってくれるように周りの方に頼みながら、そう思ってるのかと思うとなんだかね・・・お家でもこんな調子で居てくれるなら、このまま連れて帰りたいな・・・なんてなんだか、涙が出そうになっちゃった。(/_;)帰りにパパさんのところへ立ち寄って、恒例のおタバコにもお付き合い。検査結果が出ているそうで主治医の内科医からのお話もあったらしい。「リンパ腫」だそうだ。今のリンパ液滲出騒ぎが落ち着いたら、抗癌治療をするらしい・・・一度主治医にちゃんと話を聞かないと・・・いけないな・・。今日は管を抜いて、抜いた痕を縫うのかと思っていたら、抜けば自然に穴がふさがるんだってことで、抜いただけでガーゼを当ててた。来週の火曜日までそのまま置いておき、溜まったリンパ液を注射で抜くんだそうだ。・・・なんか・・痛そう・・・腋の下だし・・(;_;)明日、明後日と二日続けてトドがお休みで家にいる。ちょっと新しいスタイルの仕事を始めたので、休みとはいえその準備もあってのことだから明日、明後日と私は病院に行く時間が取れなくなるかも知れなくて今夜は二日分のお薬の準備とか、飲み物やおやつ、その他必要かと思えることを二日分、一応整えて、後は看護婦さんたちによろしくお願いします、なのだ。連れて帰りたいような笑顔の母と、痛い思いをしそうな父を、どちらも置いて帰る。そして二日間、父のところへも行かないかもしれない。私はいったい、何をやってるんだろう、と思うと情けなくてなんだかね。涙出ちゃって、運転中のドライアイが改善された。(-_-;)気を取り直して買い物をしながら、携帯からお友達ブログを覗いたらとしちゃんは熱が下がらないみたいだし、ビゴチャンちは骨折?(@_@;)大変なのは私一人じゃないって、思ったところで今日ばかりは嬉しくない。みんなみんな、少しでも肩の荷が軽くなるように、誰か助けてよ。帰ってから「リンパ腫」を調べてみたけどそんなに簡単でもなさそうだけど、治癒率も高そうだけど要するに父のリンパ腫はどんな程度なんだかわかんないわけで弟に夜10時半ごろ電話をかけたら、まだ仕事してました。要領が悪いと言うか研究職なので、実験してるとこういう時間になることが多いけど、いったい何時に電話をかけたらいいんだ?とも思いながら、今私が感じている漠然とした落ち込みモードを仕事中に知らせるのもどーかな・・・とおもってさ・・やっぱ、もうちょっと詳しく医者から話を聞かなくちゃ・・だな・・だよな。トドは今朝の反省はどこへやら来週の今日、お弟子さんが会食に誘ってくださっており、私もという話らしいこの時期こういうお招きはご免こうむりたいと電話で断ったら、ご機嫌斜めで、今夜はマージャンだそうです(笑)「せっかくお弟子さんが誘ってくれてはるのに!」だってさったく、底の浅い奴、(^_^;)
2006年11月01日
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つっけんどんな言い方しかしないトドに、さすがにむかついてもうちょっと普通にしゃべれないの?と言いつつトドの言い方をいくつかまねた。「僕そんなこと言うてるぅ?」言うテル!(▼▼)「○子ちゃん、ごめんねぇ~~~」だと。気持ち悪りぃんだよっ!(▼▼)一応今朝は反省したらしいけど、今朝だけだよねきっと(ーー;)ったく、あんたがた父子には「ほどほど」という言葉は無いのか?ないんだろうなぁ・・・ブツブツブツブツ・・・
2006年11月01日
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父のリンパ液滲出はどうも増えてるように思える昨日外科の診察で、これ以上管を入れている状態では、感染症の恐れもあるからと言うことで管を抜いて、皮膚を縫合し、皮下に溜まるリンパ液は注射で取るということになりました。で、今日は管を抜いて皮膚を縫合するんだそうで・・・簡易手術なのだけど・・・ママさんの所へいける日が、ほかに取れないために今日はママさんのところへ行きます。昼間はいろんなプログラムもあるので、ママさんは比較的安定しているんですが晩御飯の後が一番落ち着かないらしい時間帯なので前回と同じく、夕食後まで付き合ってこようと、思っています。父も簡易手術とはいえ術後なので、帰りはまた病院に立ち寄って・・・のつもり。長期戦を覚悟しましたので、そのつもりで時間配分元考えていますが四方山話をしたり、碁の相手をしたりして、気持ちを紛らわせる役目が私の役割かとも思えます。父は、自分で何でも管理したく、その意識は大切にはしたいものの本人の手が不自由なため、満足いくように自分では出来ない。看護婦さんたちはなじんでおられて親切なのですが父のやり方を熟知しておられるわけでもない。年齢相応に的確に指示を言葉で瞬時に出せなくなっている父の希望に沿った形で整えることが出来るのは、私なのかなという思いがあります。やはり、そんなこんなで日参することになっちゃうんですけど・・・もう11月ですもんね。年賀状どーすんの?お歳暮は?って時期になりました。やれやれ、こんな感じでまた一年終わるんやなぁ・・・(/_;)んじゃ、そろそろママさんのところへ向います。ほなっ!(^_^)/
2006年11月01日
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