PR
Calendar
Comments
Keyword Search
Freepage List
Free Space
2023年6月のピアノ教室の発表会のスタッフとして協力したのがきっかけで、ピアノ教室でレッスンを受けることになりました。オーナーを支えるため、マネージャーとして3ヶ月前から協力することになりました。
小学生の時から友達に鉄棒の坂上がりを教えてできる様になって喜ばれたり、算数を同じ班の人に教えて成績がUPしたと喜ばれたしたこともあって、小学生の時から、体育の先生か数学の先生になることを目指していました。
体育の先生は常勤講師として中学校と高校に勤務しましたが、病欠の代理講師としてでしたので、高校ではいきなり体育祭の傘ダンスを約500人まとめる任務を任されました。体育の授業では砂いじりして授業に参加しない生徒に困ったり、なわとびの授業では技も様々で、出来る生徒となかなかできない生徒もあり、出来る時の喜びを感じてもらえるととてもモチベーションが上がりました。
放課後は女子のバレーボールの顧問として指導をさせて頂きました。
体育の研修会にも参加させていただき、体育の教員と交流を深め、指導力をUPすることができました。
掃除の時間では生徒が悩みを打ち明け、カウンセラー的に対応していました。
契約期間の終了間際では、とても寂しがって残念がっていました。
中学校では受験シーズンで学校に願書を提出に行ったり、毎日職員会議があり、問題行動を起こす生徒があれば、警察から呼び出しがあり、高校よりは中学校の方が大変な労働環境でした。
また、養護学級の副担任も任されましたので、体育の授業ではストレッチ体操も生徒は同じ動きが出来ず、手で生徒の体を動かしながら体操指導を行っていました。
マラソンの授業では、トラックの円周を走らず中切ることもしばしばで、また、校外に出た時には、猛ダッシュで走り始めたかと思えば、いきなりストップして休憩を繰り返し、交通事故に遭ってはいけないので追いかけるのに苦労しました。授業を終えるとぐったりしていました。
放課後の部活動は陸上部の顧問で、土日には駅伝大会の運営スタッフとして宮島に行きました。せっかくなので厳島神社に生徒を参拝してもらいました。
駅伝の生徒の参加候補と成績表のつけ方について、病休の先生の入院病棟とご自宅に訪問させていただき、相談しながら常勤講師を務めさせていただきました。
生徒から両親が体育の先生はバカだから相手にするなと言われていたそうですが、すべての体育の教員がバカでないことを理解してくれて安心しました。バカにされるくらいなら、数学の先生になればよかったと後悔もしました。
教員の採用試験では1次は合格しても2次は不合格でしたので、常勤講師として勤めてましたが、何度も受験していると採用試験の面接官から人格に問題はあるのではないかと問われ、がっかりしました。この面接官は教頭、校長なのですがこんな上司の下で指導したくないと思い、採用試験を受験することを辞めました。
大学の教育学部を卒業しても、ベビーブーム世代で就職超氷河期だったので、特に女性はコネがないと就職できない時代でした。
コネのない私は何度も採用試験を受験したのですが、不合格で臨時教員をしていました。
父が議員の選挙活動をしたら、コネで採用してもらえるかもしれないと言ってくれましたが、父にそんなことをしてもらってまで教員になりたくはありませんでした。
体育の授業は集団行動なので、バスケットの授業ではクラスにいじめがあるのかどうか瞬時に分かりました。ボールのパス回しが偏っているからです。積極的な生徒とそうではない生徒と様々です。性格、理解力、テクニックも瞬時に分かります。
音楽も同じ様に弾くだけで、性格、理解力、テクニックが分かります。
長文になるので、続きはまだブログに掲載する予定です。
ミュージアム・コンサートに行って 2024.04.14
発達支援教育士の資格を取りました 2024.03.31
レッスンバッグの講習会に行ってきました 2024.03.24