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【四国八十八箇所霊場巡り ブログリスト】
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番札所:八坂寺(
やさかじ)
浄瑠璃寺から八坂寺までは1kmの近距離。
駐車場脇には「いやさか不動尊」が。
大きな不動明王を中心に、向かって右に矜羯羅童子と左に制多迦童子を従えた不動三尊像。
極楽橋。
極楽橋を正面から。
山門は屋根付き橋のようになった単層小型の門。
山門には菊のご紋章があり、天皇の勅願寺であることがわかる。
山門の天井には22の菩薩と阿弥陀如来が描かれていた。
極楽浄土の世界が描かれているようであった。
八坂寺 境内配置案内図。
「小川を渡る橋を兼ねた山門をくぐると右に手水場と庫裏・納経所が、左に宝篋印塔が、
その先に鐘楼がある。正面奥に本堂が建つ。本堂右手には権現堂、十二社権現堂があり、
本堂左には閻魔堂があり、そして大師堂がある。 駐車場に来た車遍路は、外から下って
山門を入り、中央の石段を上がって本堂大師堂を参拝後、また納経所まで下り、
山門から出て駐車場に外から戻り、車は左折し上がって八坂霊園の中を通過して、
寺を後にするように寺は指導している。」
右手に納経所のある方丈、客殿。
左側には、松山市指定有形文化財の「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」が。
呉越国の銭弘俶(せんこうしゅく)が、宝篋印心呪経などを銅塔に納めるために
造ったと。八坂寺の塔は高さ約2m、基部・塔身・笠・相輪からなり、鎌倉中期から
造立された。
手水舎。
本堂への参道。
南無大師遍照金剛と書かれた旗が両脇に。
左手に鐘楼。
鐘楼の参道逆側には「お遍路の誰もが持てる不仕合わせ」と刻まれた句碑が。
説明板によると、明治32年(1899)に松山に生まれ高野山金剛峯寺第406世座主と
なった高僧の詠んだ句。高浜虚子と知己を得、師事。子供がむなしくなり、
四国巡礼の旅に出たとき、「遍路の思いにはそれそれの想いと影があることを想いよんだもの」
とあった。俳号森白像。
八坂寺 本堂。
熊野山 妙見院 八坂寺(くまのざん みょうけんいん やさかじ)
宗派 真言宗醍醐派
本尊 阿弥陀如来
創建 (伝)大宝元年( 701
年)
開祖 (伝)役行者、文武天皇(勅願)
所在 愛媛県松山市浄瑠璃町八坂 773
本尊真言 ”おん あみりた ていぜい からうん”
八坂寺の寺名は、大友山に八箇所の坂を切り開いて修験の伽藍を創建し、
かつ、ますます栄える「いやさか(八坂)」に由来するとのこと。
「寺伝によれば役行者によって開基され、大宝元年 (701
年 )
に、伊予の国司越智玉興が、
文武天皇の勅願を受けて堂宇を建立したという。このとき8ヶ所の坂道を切り開いて
創建したことから寺名になったといわれている。
一時荒廃するが、弘仁 6
年( 815
年)に来錫した空海(弘法大師)が再興したとされる。
本尊の阿弥陀如来は恵心僧都源信の作と伝えられる。その後、紀州から熊野権現を勧進して
十二社権現とともに祀り、修験道の根本道場として栄え、 12
坊、 84
の末寺を持ち多くの
僧兵を抱える大寺となった。天正年間( 1573
年 - 1592
年)には兵火によって焼失してからは
寺域も縮小し、現在の境内となっている。」。
本尊は、恵心僧都(えしんそうず)作といわれる寄木造の「阿弥陀如来坐像
(あみだにょらいざぞう)」。像高84cm・重さ18kg、粒の粗い螺髪・低い肉髻・髪際の
ゆるい波形など鎌倉時代前期の手法や特徴が顕著で、当時の代表的な作品。
本尊は秘仏とされており開帳は50年に1度、次回の開帳は2034年。
扁額には無量寿如来(阿弥陀如来)の文字が。
本堂内部。
本堂左右入口から降りた地下室には、万体阿弥陀仏が安置されていた。
県ごとに並べられた砥部焼の仏像は、信者が奉納しており約8,000祀られていると。
本堂と大師堂の間に閻魔堂が。美しい浄土を描いた「極楽の途」と修羅道などを描いた
「地獄の途」があり、地獄から入って極楽から出ると極楽浄土へ行けると。
弘法大師壱千百五十年 御遠忌供養塔。
権現堂。
権現堂からの境内の風景。
大師堂。
大師堂正面上部には見事な彫刻が。
内部には大師様。
境内の鐘楼前の可愛らしい地蔵様。
境内の桜も満開。
境内から極楽門を。
層塔 一基。
鮮半島の影響を受けたもので、死者の菩提を弔ったものと。
高さ2.7mで鎌倉時代末期のものだと。
現在6重となっているが、通常は3・5など奇数に造られていると。
納経したという証として「納経所」で納経帳に印・「お納経」を頂きました。
そして御本尊様の分身・御影(おみえ・おすがた)も頂きました 。
48
番札所:西林寺(
さいりんじ)
県道194号線→207号線を利用して西林寺に車を走らせる。
前の車両のトランク部にはお遍路さんのシールが貼られていた。
重信川に架かる重信橋を渡る。
そして西林寺駐車場に到着。
西林寺境内案内図。
「山門を入ると左に鐘楼、その奥に庫裏・納経所が右に手水場、茶堂がある。
正面奥に本堂が建ち、その左に阿弥陀堂がある。本堂右に大師堂が、その右に閻魔堂がある。」
八坂寺から西林寺への走行ルート。
太鼓橋を渡り仁王門を渡る。
振り返ると長善寺大師堂が左角に。
正岡子規の歌碑。
「秋風や高井のていれぎ三津の鯛」
仁王門。
入母屋造楼門。
仁王門の扁額「清滝山(せいりゅうざん)」。
仁王阿形像を金網の間から。
仁王吽形像前の金網?
小さな金網越しの撮影テクニックは至難の業。
仁王門を潜り境内へ。
右手に手水舎。
左手に鐘楼。
遍照殿。
水子地蔵尊。
阿弥陀堂。
本堂左にあった同堂と閻魔堂は取り壊され閻魔堂の跡に新しい阿弥陀堂が2018年新春開闢された。
阿弥陀如来坐像像は修復され中央に鎮座し、閻魔像は向かって左に鎮座している。
大師堂。
現在は平成20年(2008年)に再建している。大師像を拝顔できる。
本堂。
「寺伝によれば、聖武天皇の勅願を受け、天平 13
年( 741
年)に行基が伊予国国司越智宿禰玉純と
共に堂宇を建立、本尊の十一面観世音菩薩を刻んで開基したという。大同 2
年( 807
年)に
空海(弘法大師)が本寺に逗留し奥の院になっている杖の渕の清水を湧出させたといわれる。
当初は現在地より北東の徳威の里にあったが空海により今の場所に移されたと云われている。
伊予の関所寺(別の寺が関所寺という説もあり)で、境内は周りより一段低い場所にあり、
邪悪な者が踏み入れると無間地獄に落ちると考えられている。
17
世紀末に火災で焼失したが、元禄 13
年( 1700
年)松平定直らによって一部再建、
その後宝永 4
年( 1707
年)には本堂と鐘楼堂が、文化 10
年( 1813
年)に大師堂、
天保 14
年( 1843
年)に仁王門が再建された。」
清滝山 安養院 西林寺(せいりゅうざん あんよういん さいりんじ)
宗派 真言宗豊山派
本尊 十一面観音
創建 (伝)天平 13
年( 741
年)
開祖 (伝)行基
所在 愛媛県松山市高井町 1007
本尊真言 ”おん まか きゃろにきゃ そわか”
本堂内部。
本尊の力が強すぎるため後ろ向きに安置されていると云われ裏からお参りする人もいたが、
現在は否定されている。
閻魔堂。
仁王門を潜り境内側から振り返る。
納経所入口の石。
納経所前の庭園内の弁財天池の中の福授(ふくさずけ)地蔵。
お詣りすると1つだけ願いを叶えてくれるという幸せを授けてくださる地蔵さん。
納経所。
納経したという証として「納経所」で納経帳に印・「お納経」を頂きました。
そして御本尊様の分身・御影(おみえ・おすがた)も頂きました 。
納経所の前の庭園から仁王門(右)と鐘楼(左)。
仁王門を境内から。
手水舎(左)と遍照殿(中央)。
正面に本堂、右手に手水舎。
仁王門前から長善寺大師堂を見る。
・・・つづく・・・
四国八十八箇所霊場巡り ブログリスト 2020.06.15
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