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『旧東海道を歩く』ブログ 目次
光林寺の西側に隣接して浄土宗の『白雲山 専称院 養林寺』があった。
『養林寺 山門』。
『木造阿弥陀如来立像』案内板。
「養林寺(浄土宗)は、正暦2年(991)10月15日に僧心晃が創立した。
応仁2年(1468)浄土宗鎮西派となり、西阿弥法師が再興して白雲山養林寺と号する。
その後、天和7年(1621)に庵の口より現在の地に清玄が再興した。
木造阿弥陀如来立像は、本堂の須弥壇上に江戸時代作の来迎形脇士を随伴して安置されている
当寺の本尊で、像高39.1㎝、平安時代末期の作と推測される。
尊像は、穏やかな作風で現状では古色を呈しているが、その下には漆箔が認められ、
彫眼で材質は檜材製と推測される。また、頭体幹部は1材製とし、内刳りは行われていない。
当寺には、「応仁2年戌子5月10日草庵再建」 銘の額が残されている。」
本堂に掛かる『白雲山』の扁額。
旧東海道に戻り進むと変則十字路の左手に石碑が立っていた。
『南無妙法蓮華経題目碑』。
変則十字路の左手筋に『式内 上葦穂神社(かしほじんじゃ)』の社標と
その先に『常夜燈』が建っていた。
『常夜燈』。
この筋を300m程入って「広野川」を渡ったところに社殿があると。
「上葦穂神社
『上葦穂神社 拝殿』は訪ねなかったのでをネットより。
【 https://rubese.net/gurucomi001/?id=829026
】より
更に旧東海道を進む。
前方に橋が見えて来た。
『落合川』に架かる昭和38年(1963)5月竣工の『落合川橋(おちあいがわばし)』を渡る。
道が広くなったり狭くなったり。
落合川橋を渡ると、『石部東』交差点で漸く『石部』の文字を目にする。
ここを左折すると「石部歴史資料館」へ行けるようだがこの日は先を急ぐのでパスする。
すぐ『石部宿』の案内板があり、『石部宿』の東の入口である。
旧石部町の汚水マンホール蓋。
「歴史民族資料館」をバックに、「町の花(サツキ)」を描いていた。
祠に安置された石仏が左手に。
『石部宿』の街道を進む。
この宿場にも人の姿は少なかった。
「東の見附跡
東の見附跡は、目川屋より約30m東に行ったあたりで、道路の中央付近まではみ出していた
幅3mばかり、高さ2m程度の台場であり、石部宿場の両入口にあった。
枡形城門の俗称で番兵が通行人を見張るところから 「見附」 と云われた。
石部宿には東西2ヶ所に設けられていた。」
『行書板(山庄板) 東海道五十三次之内 水口 歌川広重画』
左手にあったのが『𠮷姫神社』。
『𠮷姫神社』社標。
石鳥居の扁額『𠮷姫神社』。
『𠮷姫神社』参道沿いの石仏群。
前方に太鼓橋、その先に二の鳥居。
『二の鳥居』。
『参集殿』。
「敬神生活の綱領
神道は天地悠久の大道であって、崇高なる精神を培ひ、太平を開くの基である。
神慮を畏み祖訓をつぎ、いよいよ 道の精華を発揮し、人類の福祉を増進するは、使命を
達成する所以である。 ここにこの綱領をかかげて向ふところを明らかにし、実践につとめて
以て大道を宣揚することを期する。
一、 神の恵みと祖先の恩とに感謝し、明き清きまことを以て祭祀にいそしむこと
一、 世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと
一、 大御心をいただきてむつび和らぎ、国の隆昌と世界の共存共栄とを祈ること」
『𠮷姫神社 舞殿』。
少し高い場所に『稲荷社』。
高床式の建物は宝蔵であり「神輿(市文化財)」を保管と。
段上にある『神門(中門)』。
『幣殿』。
『幣殿』の天井。
『𠮷姫神社 本殿』。
白銀色のピカピカな狛犬(吽像)が透明アクリルケースに入れられて。
黄金色のピカピカな狛犬(阿像)。
『世継神社』。
扁額『世継神社』。
白銀色のピカピカの狛犬(吽像)。
ここにも黄金色のピカピカの狛犬(阿像)。
『出世天満宮』。
『和多津見神社』。
扁額『和多津見神社』。
『舞殿』を『神門』前から。
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・・・ つづく
・・・
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