JINさんの陽蜂農遠日記

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2020.05.22
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次





『狼川』に架かる『狼川橋』を渡る。



狼川橋で渡り、信号交差点を越えると、左手の狼川児童遊園脇に『常夜燈』が建っていた。
南笠東四丁目に立つ『木造常夜燈』には「東海道狼川」と書かれた木札が。。
ここからが『大津宿』なのであろうか。



草津宿本陣3.7km⇔瀬田唐橋4.9km。



日本橋より469km。



若い頃通いお世話になった会社が左に。懐かしく当時のことを想い出したのであった。



左側に『日蓮正宗 啓道寺』の案内表示版が。



狼川児童遊園を過ぎると、街道は緩やかな上り坂道となり、日本黒鉛工業㈱瀬田工場の先で
下り坂となって行った。



この辺の桜はほぼ満開。



この桜の種類は?
淡いピンク色の花と「赤い」若葉から『ヤマザクラ』であろうか。



『大津市 汚水マンホール蓋』
市制施行から100年目の大津市の景観をモチーフにした、琵琶湖、琵琶湖大橋、ミシガン船、
ヨット、観覧車、 市の鳥・ユリカモメ、市の花・エイザンスミレ、市の木・ヤマザクラ、
花火大会、レガッタ、びわ湖花噴水、犬などと市章に下水の「下」を組み合わせたマークが
所狭しと描かれていた。



日本黒鉛工業㈱瀬田工場を右に見て下り坂になると、右手筋角に『地蔵堂』があり、
中に一体の地蔵尊が祀られていた。



ここは滋賀県大津市『月輪三丁目』。



住宅街にある旧東海道。



『地蔵堂』の先を進むと長屋門の家や虫篭窓の付いた家などが並んでいた。



右手奥に浄土宗の『寶國山 新福寺』寺標が立っていた。



『新福寺 山門』。



境内から『新福寺 本堂』を見る。
『新福寺』は延宝4年(1676)編誉によって中興され、ご本尊は阿弥陀如来である。
『本堂』前には『本尊阿弥陀如来碑』もあった。



旧東海道に戻り進むと左手には立派な門のある白壁の蔵を有する大きな民家が。
道路沿いの塀の下には『犬矢来』が。



前方の月輪自治会館の手前の左に入る筋の角に『道標』が建っていた。



道標には 『名勝 月輪大池 南約1粁』と刻まれていた。昭和57年建立の新しい道標。
月輪は、月輪池に由来する地名で、この池に映った美しい月の姿から名付けられたとも、
月輪殿九条兼実の荘園内にあったからともいわれているのだと。



『月輪』碑。



月輪池に由来する地名で、この池に映った美しい月の姿から名付けられたとも、
月輪殿九条兼実の圧園内にあったからともいわれていす。元来は原野でしたが、江戸時代に
はいって開墾がすすめられ、延宝四年(一六七六)大萱新田となり、明治七年(一八七四)
月輪村と改称されました。」



月輪自治会館のすぐ先左手に曹洞宗の『普門山月輪寺』があった。
入口には様々な石碑が立っていた。
写真左に『月輪寺』寺標が。



『明治天皇御東遷御駐輩之所碑』。



『新田開発発祥之地碑』。
元々は原野であったが、江戸時代に入って開墾が進められた。
1676年(延宝4)大萱新田となり、1874年(明治7)月輪村と改称されたと。



『月輪寺 山門』。
『大本山永平寺 御直末 月輪寺』の木札も。
古来から寺格は、本山・直末・末派と分かれていたが、この内、本山の直接の末寺を
直末と呼ぶのだと。



山門に掛かる『月輪寺』の扁額。
扁額の裏には、
「松の色 こずえ(梢)の春や ますかがみ 月の輪寺の 名にのこるらむ」
と詠まれていると。



『地蔵堂』。



『月輪寺 本堂』。
この寺は安永2年(1773年)開村者の一人長野助右ヱ門が大和大峰山に登り「役の行者」の
古儀を招来し東海道と浜道との交差点(中筋)で、村の中心地であったところに堂を建て
「行者堂」と称してお祀りした。
その後、文久3年(1863年)十四代将軍徳川家茂が上洛の途上の際に休憩され、二条城で
月輪寺の寺号と歌の額を頂いた。これ以後 「普門出月輪寺」(曹洞宗)と呼ぶようになつた。



『徳川家茂公の歌』。



『宝篋印塔』。



道標「東海道」。



石碑群を振り返る。



『月輪寺』の先の信号交差点を渡ると、左手の「下月輪池」の前に『東海道立場跡』碑が。
​月輪大池はもっと南1kmにあるとのことで訪ねなかった。
この写真の池は東側が「下月輪池」、西側が「山ノ神池」であると。



月輪(つきのわ)の地名由来は、
1、この池に映った美しい月の姿から。
2、月輪殿九条兼実の荘園がここにあったから。
という2つの説があるのだと。



大津市一里山の旧東海道を進む。



『一里山三丁目』交差点を渡る。



旧東海道はここから再び狭くなっていた。



『長沢川』に架かる『一里山橋(いちりやまはし)』を渡る。桜が咲いていればと・・・。



『瀬田東学区 歴史マップ』



この地図では、濃茶の旧東海道 ​---​​​ を左から右に歩いて来たのであった。



水路に架かる橋を渡ると左手の民家のブロック塀の中に小さな『地蔵尊』が。



                              ・・・​ もどる ​・・・
                   ・・・​ つづく ​・・・​ ​​ ​​ ​​






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Last updated  2020.05.26 21:01:29
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