JINさんの陽蜂農遠日記

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2020.06.08
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我が趣味の養蜂場のある菜園のスイカも順調に生育しています。
見守ってくれている案山子のズボンも破れワイルドな姿になっています。
そろそろお色直ししなければ可哀想なのですが、なかなか・・・・



ネットで種を購入し、苗に育てて定植しました。



既にソフトボール大に成長しているスイカもあります。



そしてこちらは実を下部につけた雌花。
我がミツバチが受粉を手伝ってくれていますが、念の為、雄花をちぎって人工受粉しました。
スイカは受粉した日から35日~40日、 植え付けをしてから85~90日 ほど経ったものが、
収穫に適していると言われているのです。
昔、母は人工受粉をした後に、日付の書いたTAGを蔓に取り付けていました。
私は6月6日を覚えておくつもりでいます。
よって収穫開始時期は7月11日から私の誕生日の7月16日前後になりそうです。



既に旅友のSさんから、スイカの予約のメールを受信しているのです。


『旧東海道を歩く』ブログ 目次

緩やかにカーブを描く山科区御陵進藤町下りの道を進むと、右手に黒塀の美しい家や
長屋門の旧家があった。



中二階には虫籠窓も。



旧家の向かいには、二体の地蔵尊が祀られた『地蔵堂』が。



長屋門のある民家。



直ぐ先で、三条通(府道143号線)に合流し右に進み東海道本線の高架下をくぐって行った。



山科区御陵別所町の交差点まで進む。
横断歩道を渡った前方の冠木門のモニュメントが『天智天皇陵』の入口と勘違いし
横断歩道を渡ってしまった。
この冠木門は『陵ヶ岡みどりの径』の入口であることに気が付き引き返し、再び横断歩道を渡り
道路の反対側に戻る。



「周辺観光案内図」。



横断歩道を渡り戻ると正面に『山科警察署 御陵交番』があった。
「御陵」の読みは「ごりょう」ではなくて「みささぎ」と読むのだと。



入口左にあった『日時計』をズームで。
日本最初の時計を考案した天皇の徳を称えてこの『日時計』が建てられたのであろう。
実際は日時計ではなく、漏刻(ろうこく)という水時計を設置して、時刻に合わせ鐘や太鼓を
ならしたと。天智天皇は時間を知らせる報時制度をも作ったのだ。
ちなみにその漏刻を設置した日は6月10日、つまり時の記念日として制定されているのだと。



右手に天智天皇(てんぢてんのう、てんじてんのう)陵の参道が北に向かって延びていた。
樹木が生い茂る参道を400mほど入ると、京都で最古の天皇陵である山科陵と呼ばれる
八角墳(上円下方墳)があったのだ。



参道口にある宮内庁の禁札
「天智天皇 山科陵
一.みだりに域内に立ち入らぬこと
一.魚鳥等を取らぬこと
一.竹木等を切らぬこと
        宮内庁」



樹木に覆われた長い参道を進む。
ここにも人の姿はなかった。
飛鳥時代の第38代天皇である天智天皇を祀る「天智天皇 山科陵」は数多い京都の天皇陵の
中でも最古のものとされる由緒ある存在で、考古学的には御廟野古墳という名の古墳。
以前は○○天皇陵という呼称だったのが、近年になって○○古墳と名を変えている場所が
あるのだ。古来からの伝承で○○天皇陵とされてきたものでも、実際には被葬者が断定できない
場合が多いのだとか。
昨年・2019年7月に世界遺産登録された「百舌鳥・古市古墳群(もず・ふるいちこふんぐん)」
の、かの有名な前方後円墳の仁徳天皇陵も現在では大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)という
呼び名が優勢になっているのだ。



前方にあったのが天皇陵入口門であろうか。



長い参道が途切れると、前方に玉垣で囲まれ、その玉垣の中に鳥居が立つ
『天智天皇の陵墓(みささぎ)』が現れた。
白砂に囲まれ、鳥居の奥はうっそうとした森になっていた。一般人が入れるのは白砂の手前まで。
誰も入れない白砂にも、きちんと手入れがされ綺麗な砂紋が描かれていたのであった。
大津近江京で西暦671年に崩御された天智天皇はここ山科陵に1300年以上にわたって
眠っているのであった。



ズームで。
『天智天皇』は第38代天皇で、在位期間は668年2月20日 - 672年1月7日。
陵所としては京都市山科区にあるこの山科陵に治定されている。
一般には中大兄皇子として知られいる。中大兄皇子と言う名前で知られ、645年7月10日に
中臣鎌足らと謀り、皇極天皇の御前で蘇我入鹿を暗殺するクーデターを起こした(乙巳の変)。
日本と関係が深かった百済が唐・新羅に滅ぼされたため、援軍を送り戦ったが
敗北(白村江の戦い)。その後に都を大津京に遷都しているのだ。



『天智天皇山科陵』碑。
★天智天皇の略年譜★を【 https://ameblo.jp/morikuma1103/entry-12573955638.html
             より。
◎626年:舒明天皇の第2皇子として誕生
◎645年:6月、乙巳の変。蘇我宗家を滅ぼす。
◎645年:12月、難波長柄豊碕宮へ遷都
◎646年:改新の詔
◎653年:孝徳天皇の意に反し、群臣らを率いて板蓋宮へ遷る
☆654年:10月、孝徳天皇崩御
☆655年:1月、母・斉明天皇即位(皇極天皇重祚)
◎659年:阿倍比羅夫に蝦夷国(東北地方・北海道)遠征を命じる
☆660年:百済が唐と新羅に攻め滅ぼされる。
◎661年:7月に斉明天皇が朝倉橘広庭宮にて崩御
◎663年:7月、白村江のたたかいにて唐・新羅連合軍に大敗
◎667年:3月、近江大津宮へ遷る
◎668年:1月、第38代天皇として即位。
◎671年:12月3日崩御



『天智天皇山科陵』の平面地図。


     【 http://moundtomb.blogspot.com/2015/03/blog-post_22.html 】より

「天智陵」は山囲みの地勢で、墳丘下段に「方形壇」が設えられて、墓室が八角形墳丘の外に開く、
八角墳丘部対辺間距離が約42mで、横穴式石室(墓室)全長が約24mと大規模な八角墳の分類に
含まれていると。


     【 http://19481941.blog.fc2.com/blog-entry-261.html?sp 】より

築造年代は7世紀末~8世紀。古墳の大きさは、上円対辺長約46メートル、
下方辺長約70メートル、高さ8メートルであると。


     【 https://akiokun.muragon.com/entry/16.html 】より

宮内庁書陵部月輪監区山科部事務所。



参道を戻る。



そして再び三条通りを渡り旧東海道に入る。



先に進むと狭い路地となるが、要所要所に黄色い旧東海道標示があるので、
これに従って進んでいく。
この道標がなければ、ほんとうにこの道筋でいいのかと疑ってしまうような道筋なのであった。



道幅の狭い路地の如き旧東海道を更に進む。



更にここ山科区御陵鴨戸町の旧東海道を真っ直ぐ進む。



更に坂道を上って行った。
ここが東海道中で最後の峠越えで、峠の名前は「日ノ岡峠」。



更に急な峠道を上って行くと『亀の水不動尊』の案内表示を見つける。
『木食上人(もくじき)』はこの峠道の改修に心血を注いて、元文3年(1738)から3年がかりで
安心して通れる道を完成させたと。



その手前のフェンスの中に大きい方の道標が。
「右妙見道」と刻まれ、南東方向にある妙見宮を指しているようであった。



『亀の水不動尊』入口



『亀の水不動尊』の赤い提灯が下がる門。
亀の水不動尊は、元文3年(1738)木食正禅養阿上人が道普請の際、人足寄場として建てた
梅香庵跡であると。
そしてここの井戸水を亀の口から落として石水鉢に受け、牛馬の喉の渇きを癒すと共に
旅人に湯茶を接待したと。



『亀の水不動尊』。



亀の口から水が出ていた。



『亀の水不動尊』



そして『亀の水不動尊』の直ぐ先に『大乗寺』の寺標があり、参道の石段を上がって行くと
そこに小さな建物の『大乗寺』があった。
『大乗寺』は、約300年前に京都七本松に建立され、その後、禅宗系の寺から法華宗の寺に
改宗されたと伝えられているのだと。
「南無妙法蓮華経 法華宗 大乗寺」寺標。



「酔芙蓉の寺 大乗寺
大乗寺は、戒禅比丘隆韶大和尚が、約300年前に七本松の内野(現在の上京区鳳瑞町)に開き、
禅宗系の寺から法華の寺に改宗されたと伝えられています。 その後は、代々尼寺として
受け継がれ、無本山の寺でしたが、約200年前に法華宗の大本山本能寺の末寺になりました。
昭和55年に現在の地に移転したものの、無住の荒れ寺となっていた大乗寺でしたが、
平成4年以降、移り住まれた住職により、参道整備などの復興が進められるとともに、
寄贈された酔芙蓉の苗100本ほどから挿し木して育て、今では1500本もの酔芙蓉が
群生する「酔芙蓉の寺」として知られています。」



急な石段参道を上って行った。



『山門』。



『大乗寺 本堂』は民家のごとし。



『水子地蔵尊』



『酔芙蓉観音』の入口左には『歌碑』があった。



『源宗千歌碑』
「山里は 冬ぞさびしき まさりける 人目も草も かれぬと思へば」



「​ 小倉百人一首 第二十八番 ​👈リンク
山里は 冬ぞさびしき まさりける 人目も草も かれぬと思へば   源 宗于朝臣

歌意
 山里は(他の季節でさえさびしいが)冬にはさびしさが、いっそうまさって感じられることだ。
 人の往き来もとだえてしまい、草木も枯れてしまうと思うと。
鑑賞
 ここ、山科の里は三方を山々に囲まれ、南に開けている閑静な地で都の人々が余生を過ごすのに
 適切なところであったろうかと思います。
 第五十八代光孝天皇の皇孫源宗于も、賜姓皇族の一人としては不遇であったとされる生涯の余生を
 この山科の地で送ったのでありましょうか。
 世にある人から見れば、四季それぞれに趣もある山里ですが、定住する身にとっては、本当に淋しい
 片田舎です。
 官途にあった頃には、それなりに寄り集まった人々も今は少ないままに他の季節でも淋しい田舎ですが
 冬ともなると荒涼の世界、草も枯れ果て人の訪れも途絶えて淋しさも限界に達します。
 過ぎ来し方を振り返り、歌人宗于は何と思ったでありましょうか。
 疲れ果てた人生荒野の旅路を重い宗于はいま真冬の茅屋に臥して、一人静かに御佛の目に迎えられて
 いる自分を見出したのでは。(寄進主 近藤清一)」


『光孝天皇歌碑』
「君がため 春の野にいでて 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ」



「​ 小倉百人一首 第十五番 ​👈リンク
君がため 春の野にいでて 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ  光孝天皇

歌意
 あなたのために春の野に出て、若菜を摘みとっているわたしの着物の袖に、雪がしきりに
 降りつづいているよ。
鑑賞  
 何んというお優しい大御心の御製でありましょう。春まだ浅く、特に降雪を見る
 肌寒い日ではありますが、息災であるようにと、臣下一同に
 賜る若菜を摘みに野に出で給うという。その御心には、本当に肌の寒さも感じない
 ほのぼのとした、慈父の情を感ずるでは
 ありませんか。この御製を口ずさむと、自ら御歴代天皇の御仁慈が国民われわれの胸に
 伝わって来るのであります。
 遠い昔の平安朝の御代にあった光孝天皇この御製と拝誦して感激するのですが、更に近くは、
 今からわずか五十年前のこと。
 わが国が戦争に敗れ、1億国民が飢餓に頻した時に昭和天皇は皇家の私有財産と
 敵将マッカーサー元帥の前に差し出されて国民に食を与えてほしいと懇願されました。
 国氏のための食料を求められたのであります。
 真に真に有難き極みであります。」



『酔芙蓉観音菩薩』



「酔芙蓉」が咲くと。


     【 http://tomonakayama3.ikora.tv/e1229759.html 】より

『青龍歌碑』
「清浄を 得されば花も 世の塵と おしゆこころの 吟の道ゆく」



『日蓮上人歌碑』
「立ちわたる 身のうき雲も 晴れぬべし たえぬ御法(みのり)の 鷲の山風」



『大乗寺』の先の旧東海道にあった『光照寺』案内。



左へ上る石段があり、石段脇には圓光大師御旧跡碑が建っていた。
この階段を上り詰めると、木曽義仲軍が京へ乱入した時に、法然上人が避難されたという
頂後山光照寺があるのであった。



階段もここまでで引き返す。



「光照寺
 當寺は大宇日岡の地にあり、頂後山と琥し、浄土宗にして、京都の金戒光明寺末であり、
寺格は三十等である。本尊は阿弥陀如来を安置し、創立の年代は詳かでない。寺傅によると、
宗祖法然上人乱を避けて此地に来り住居せしとき、自身の木像を彫刻して、末世までもその
舊蹟たることを示さんとて遺し置いたとのことである。其の後僧観誉閑月と云えるものが、
上人の舊蹟を慕って堂宇を再建して之れに住した。因って此の僧を富寺の中興開山と云う。
境内は八十坪を有する。」



『光照寺 本堂』。


       【 https://yaokami.jp/1266625/ 】より

『光照寺』から旧東海道に戻ると、右手に地蔵堂があり、この先府道143号線の三条通に
合流するまでに6つの地蔵堂があったのだ。いずれも大日如来と思われる石仏や地蔵尊が
安置されているのだと。



                              ・・・​ もどる ​・・・


                   ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2020.06.08 06:47:43
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