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会場からも悲鳴タイランドのワニ園は、バンコクからパタヤ方面へ、車で2時間以上移動した所にある。そのワニ園にてのアトラクションの、ワニと人のショーが始まったのは、私達が、観覧席に座ってより20分後だった。どんなショーなのか?何も資料が無かった。ただ現地ガイドの話した投身自殺や、人命を落とす寸前の事故も起こしていると、紹介あったが、私はそのショーを、黙って見ている事しか出来なかった。真っ赤なTシャツを着て、頭にも、赤のハチマキをした調教師が出てきた。はじめ、正座したまましきりに、手を合わせショーの無事を祈ってるよう。そのうちに、プールの中にいたワニの、尻尾を持ち、少し高くなったタイルの上に、引っ張って載せていた。何度もタイルの上に打ち水をしていた。はじめワニの牙がどれだけ凄いかを、竹の棒でワニの口に運び披露していた。「ガブッ!」という感じが相応しいくらい、そのワニの咬むスピードは一瞬だった。いきなり、自分の手をワニの口に入れた。いつ咬まれて手が無くなっても、おかしくは無い状況だった。ワニは調教の訓練次第で犬と同じ位、人の言う事を聞き分けるという。しかし、2000年にこのワニ園での事。ショーの最中にワニがパックリ口を、開けた所に、頭を入れ込んだ。その頭は、観客の見守る中で、ガブッっと、咬まれてしまった。それを見ていた別の調教師達が、その人を直ぐに病院へ連れて行き、一命は取り留めたものの悲惨な結果に。そんな事故が、過去に有ったにも関わらず、ワニにその頭を入れる見世物はあった。こうなれば、ワニとの信頼感しかないと思った。4m離れた所から、ワニの口めがけて、身体で滑り、ワニの口の手前寸前でストップ。会場からも悲鳴が上がっていた。アメリカから来ていた人達は、ただ呆然と立ち尽くすだけだった。ショウの終わりにワニを両手で抱え、観客に向けワニをご披露するのだった。観客に、ワニの檻(おり)の中に、入ってくるよう、マイクで話していた。しかし、誰一人として、ポールの柵を乗り越える者は無かった。「ジャパニーズ」「微笑みの国」のタイランド。バンコクから2時間以上車で、走った所にあるワニ園でショーを見た。中国のツアーのメンバーは、言葉少なに会場を後にし歩いていた。「微笑みの国」である筈が、みんなの顔は、こわばっていた。よっぽどショックだったのか?小学生の女の子は、母親の腕に、しがみついたまま無言で歩いていた。私は気持ちを入れ替え一生懸命に、被写体の構図決めに専念していたら、「この日本人は何も感じないのだろうか?」と、中国語でブツブツ言うものだから、私は「今では半分位は中国人になってます。」などと言ったものだから、「中国人に貴方の様な、何もかも忘れて、必死になるような人は居ませんよ!」って、はっきり言われてしまった。そこへ、助け舟が入った。私も知っている上海の総合病院の、医師をしている彼から、「それくらいに、没頭できる彼がうらやましいと・・・。」私は喜んでいいのかどうか?考える間もなく、「本当にこの人を見ていると、あの戦争に来た日本の鬼達とは思えない」と、話はどんどん飛躍して行った。やっとワニ園の出口まで来た。出口の所で、入場しようとしている、アメリカ人ツアーの団体に出会った。「Hello!」と声を掛けると、向うも声を返してきた。そして「チャイニーズ?」と、聞いてきたので、「ジャパニーズ」と答えると、「オー!ジャパニーズ!」と言い、「バイバイ!」と言いながら中に入っていった。中国人からは、やっぱり「日本人」って、言ってるじゃないですか?などと、何か悪いものでも見たような後のように、ブツブツ言いながらバスに乗り込んでいた。次は、リゾート地のパタヤであるが、その前にパタヤ等の紹介3D(立体)映画を見ることになっていた。牛車(ぎっしゃ) タイのワニ園の池の畔りを、中国のツアー客に大きな声で、「早くして下さい!」と呼ばれ、小走りで彼等に追いついた。ふと、右側を見ると牛車が目に止まった。現地ガイドに、「いつ頃使われていたのですか?」と、聞いては見たものの、「もう大分前ですよ!」と応えた。現地ガイドの年は、28歳であった。私は少なくとも50年は経っていると、思ったりもしたが、また立ち止まり、この牛車を画像に収めた。中国人からは、そんなもの撮って、何が面白いのだろう?と溜め息混じりに、言うが、私にとっては興味深いものだった。牛車を辞書でひくと「ぎっしゃ」という。私は「うしぐるま」から辞書をひいた。 日本で牛車といえば、平安時代に遡り、京都を舞台にした映画などにも、このような大きな車をつけ、綺麗に漆が塗られた牛車を見かけた事がある。そのような優雅さは、この牛車からは、感じ取られはしないが、その昔のロマンを垣間見るには十分な材料だった。勿論、タイのその昔、第二次大戦中、日本側に荷担した時代には、多く使われていたのではないだろうか?ガソリンが高価な時代である。大砲を運ぶにしろ、物資を運ぶときにも、この牛車が活躍したのではないかと、勝手に思ったりもしていた。前方を見ると、中国人達は200m先を、ゆっくりと歩きながらも、心配そうに振り返る人もあった。私は、気がとがめ、自然のうちに走り出していた。ワニの剥製「微笑みの国、タイランド」やっと、ワニ園の入口へ来た。タイ語で書かれているので、チョッと分からないが、ワニ園の歴史始め、ワニの種類や、その他のことが書かれているのだろう。このワニ園には、1万匹のワニが、居るとの事であるが、よく数えたもんだと思った。 ワニ園の中に設置された口を開けたワニの剥製であり、このワニ園のアトラクションである。そのワニが口を開けた剥製に、頭を押し込もうとしているのは、今回、上海旅行ツアーのマドンナの、元気あふれる医科大学生の女の子。彼女は、小さい頃から、一回のみ、目にした活字は大体覚えているという。私は、自分のノートに書いてきたファッションの動向という中国文を彼女に見せた。その後、10分間でその内容を、書くようにテストしてみた。ファッションに関しては、あまり知識が無いと言っていたが、70%ほどが合っていた。この子であれば、医科大学も優秀な成績で卒業し、大学院で更に、知識を吸収し、博士になるだろうと思った。 「ワニが1万匹」タイランドのワニ園は、バンコクからパタヤ方面へ、車で2時間以上移動した所にある。我々ツアー一行は、ようやくワニ園のワニが沢山居る中心スポットへたどり着いた。ちょっと気分の悪くなった方、申し訳有りません。このページと次のページのみ、少し驚かれるかも知れません。このワニ園には、1万匹のワニが生息している。爬虫類が変化したワニの、皮は頑丈な皮膚をしている。50本ある歯というか牙は鋭く、カッターナイフと同じくらいの切れ味があるという。普通の爬虫類は3部屋であるが、ワニは4部屋の心臓を持ち、効率よく酸素を送れる。ワニは最も知能が発達しており、犬のように人を見分けれる脳を持ち、訓練をすればアトラクションも、こなす事が出来る。しかし、これだけ多くのワニが、一斉に動き出すと、少し不気味である。橋の上からワニを見下ろしているのが、私と共に上海からツアーできた人達である。5年ほど前に、この橋から飛び込み、自殺した女性の記事が各地の人々を、震撼させたという。その飛込みを見ていた人は、その女性の身体は見る間にズタズタに、引きちぎられたという。もう直ぐ、ワニのショウが始まる。
2006.02.28
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揺り篭風ベンチ タイのわに園の「四面佛」の画像を、撮り終えた頃に、ふと同じツアーの、中国人が居なくなった。居なくなったと言うと、聞こえが悪いが、要するに、私がタイムオーバーしてしまったと言う事。また小走りに何処へ行ったのか?辺りを見渡しながら探していると、何とも風情のある木で出来た屋根付きの、揺り篭風ベンチが目にとまった。 こうなると、今まで何処に行ったのかと、探していた中国の皆さんの事は、頭から忘れ去っていた。そして、2台ある揺り篭風ベンチの、どちらを画像に収めようかと、考えていると大きな一羽の鳥が、ベンチの上に飛び乗った。私は慌てて、その鳥が逃げないように、そっと近づき、画像に収めた。その時、後から中国人の声!また居なくなったからと、探していたのですよ!といわれ、もう一枚、その鳥の画像を撮ろうとしたが、私達の声に、驚いたのか、飛び立ってしまった。でもこの鳥の名前何ていうんだろう?花も知らなければ鳥の名前も知らない!
2006.02.27
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中国で迎える誕生日2月26日は私の誕生日。昨夜は、皆さんで食事に行きました。料理が出てくる前に、中国のレストランの標準テーブルを、画像に収めてみました。このあと料理が並びますが、皆さん、画像に撮って頂くとと、ちょっと問題がという事で・・・、先に、テーブルの画像のみ更新。上海で迎える4回目の誕生日で、中国では12回目の誕生日である。若いうちは誕生パーティも、結構待ち遠しく、友達も呼んだが、この年になると、お誕生日おめでとうと言われても、余り嬉しいものではないが、それでも、皆から祝福されると嬉しいものである。このバースデーケーキは直径が50センチあり結構大きい。日本の趣味とちょっと違うが、有難うと受け取った。このケーキは、先ほど30人の管理者達が来て平らげていった。皆からは、ブーザン幾つになりました。もう忘れてしまったよ。これからはプラスするのはやめよう。マイナスにしていこうと言ったものの、こればかりはどうにもならない。しかしこのケーキを見ていると、何となく、人の顔に見えてくる。中国では「誕生日おめでとう」を、生日快楽(sheng1ri4kuai4le4)と書き、ハッピーバースデーと同じ意味。何かを新しい目標にしなければ・・。いろいろ考えたが、やはり、「健康」と「希望」にした。そして、プレゼントされたのは、北京の高級ワイン「豊収」今晩は、これを飲んで健康を考えよう!
2006.02.26
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鉢植えの花近くに歩み寄り鉢植えの花を、画像に収めてみた。だが、遠くから眺めている方が、感動の度合いは多く感じた。鉢植えの花を撮ってみたものの、花の名前は、やはり分からない。鉢植えを置く為に椰子の木を切って、その高さを色々変えて、鉢植えを置く高さを調整していた。その椰子の幹と鉢と花が、非常にマッチしていた。この右側奥に道があり、その道の向うに、次のガーデンがあったが、私がツアー客の中で、一番最後のため、その奥には時間的余裕がなく、見に行く事を断念せざるを得なかった。皆からも、「早くして下さい!」「皆さん待ってますよ!」と、一番後から回った事を後悔しかけていた。
2006.02.26
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辺り一面の花「蝴蝶園」の中で画像にした花たちの、名前は分からないものが多かった。いや、ほとんど分からないと言った方が、良いのかも知れない。広い「蝴蝶園」の周りは、グリーン系のネットで前面覆われていた。蝶が外へ出ないようにしてあった。そのネットを潜り抜けると、前方に花一面の世界が飛び込んできた。画像では、その私の感動の一部しか、伝える事が出来ませんが、目が眩しくなるような光景に感激した。 画像は縦方向と横方向のショットであるが、出来るだけあの素晴らしい感動をと、縦と横の画像を更新した。しかし、逆光の為に花の色が飛んでしまった。残念であるが、致し方ない。その昔、同じ被写体を11時間くらいの、時間を掛け30分に5枚ずつの、合計110枚の画像をプリントアウトした。今のようなデジカメがまだ無かった時代である。それで、朝の太陽が昇り始めた時から、太陽が西の方に沈む間際まで、あの自然の織り成すドラマは今でも心に焼きついている。その中では、やはり朝の7時から9時ごろが、太陽の光も感じが良かった。また夕方5時から7時ごろの時間だった。真昼に撮った画像は、どうしても立体感のない画像になってしまった。この画像は、一番悪い逆光の画像である。しかし、雰囲気だけでもつかんで頂ければと思う。
2006.02.25
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鉢植えの花近くに歩み寄り鉢植えの花を、画像に収めてみた。だが、遠くから眺めている方が、感動の度合いは多く感じた。鉢植えの花を撮ってみたものの、花の名前は、やはり分からない。鉢植えを置く為に椰子の木を切って、その高さを色々変えて、鉢植えを置く高さを調整していた。その椰子の幹と鉢と花が、非常にマッチしていた。この右側奥に道があり、その道の向うに、次のガーデンがあったが、私がツアー客の中で、一番最後のため、その奥には時間的余裕がなく、見に行く事を断念せざるを得なかった。皆からも、「早くして下さい!」「皆さん待ってますよ!」と、一番後から回った事を後悔しかけていた。
2006.02.25
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「青い色の睡蓮の花」2日前に画像を更新した蓮の花の画像。「ある女性」より「多分睡蓮だとおもいます」とのご連絡あり。「睡蓮」で検索したところ、同じような花が続々と出てきました。そして、モネの睡蓮の絵画の事が、書かれてありました。また、モネが晩年を過ごしたのは、戦争の舞台となったノルマンディー地方。「青い色の睡蓮の花」は、モネが何としてでも咲かせたいと、願ったが叶わなかった。その睡蓮の花・・・。この蓮の花には瑞々しさがない。それだけに、毎日咲き、咲き疲れた姿・・。何となく哀愁を感じる。睡蓮の花言葉は「心の純潔、純情、信頼、復活」蓮の花言葉は「神聖・沈着・休養・遠くへ去った愛」花言葉って実に勇気付けられる。それぞれの花に言葉が有る。誰が付けたのかは知らないが、赤コスモスの花言葉は「乙女の愛情・調和」白コスモスの花言葉 は「乙女の純潔・美麗・優美」濃桃コスモスの花言葉は「愛情」黄花コスモスの花言葉は「野生美、チョコレートコスモス」そして、画像は「蝴蝶園」に、咲いていた一輪の「睡蓮の花」モネが咲かせたいと願った「青い色の睡蓮の花」
2006.02.24
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蘭の花言葉は「美人」「蝴蝶園」を更に歩いて進むと、右側に見かけた花が咲いていた。この花は蘭の花ではないでしょうか。私がまだ日本にいた頃、名古屋で行われた、蘭の花博覧会を見に行った事があります。その時に、蘭の花でも色々な種類が、有るんだなと思ったものです。もう18年以上前のことでしょうか。蘭の花言葉は「美人」その中でも白色の蘭は「純粋な愛」では、この蘭はなんて言うのでしょうね。見事な色ですから「妖艶な愛?」下の花は、何でしょうか?「黄色い花」で検索を掛けてみました。すると、凄い数の黄色い花が有りました。分からないが、ゆり科の花ですかね。それとも水仙の仲間なのでしょうか?分かりません。この花は何と呼ぶのでしょうか?
2006.02.24
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蝴蝶園1画像はプーケット島のミニチュア版だろうか?ここの裏側が「蝴蝶園」になっていて、右側が「蝴蝶園」の入り口になっている。始めに、昼食を摂った。8人で一つのテーブルに座り、7品のおかずとスープが出てきて、テーブルは、物の置き場が無いほどになっていた。食事はのんびり構えていると、瞬く間になくなってしまう。私は、大きな皿を用意して頂き、その7品のおかずを少しずつ入れていった。それは、まるでバイキング料理を、味わっているような感覚にも似ていた。皆さんからは、全てのおかずを少しずつでも、確保をしてからゆっくり食べるのですね。と、中国人の食べ方と違うと言われた。日本の企業とタイアップして事業をしている人が、日本の習慣は、大きい皿に持ってある料理を、小さい皿に小分けして食べるんだ。と、得意そうに話していた。私は、皆さんの箸の進め方が早すぎる為、私が食べようと思った料理が、瞬く間になくなってしまうからと、言いかけて「そう!いい方法でしょう」と、笑いながら食べていた。食事を30分ほどで済ませた後、「蝴蝶園」の中に入っていった。外の気温は35度であったが、タイは真冬の季節。ガイドの言うような「ちょうちょう」の、乱れ舞の姿は見られず、モンシロチョウが、花から花へと飛び回っているに過ぎなかった。花の咲き乱れるというガイドの表現だったが、その花すらも少なかった。その少ない中でも、いくつか画像に、取り込んできたので2・3回に分けて、更新していきたいと思う。
2006.02.24
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バンコク12緑の風景が果てしなく1時間の宝石店での時間は、色々な漢語や、誕生石の英語名・中国名・日本名などノートに書き、その宝石の宝石言葉などを、書き出していたら、1時間では足らなかった。案の定、片隅で必死に書き写していた私を、中国人が、探しに来た。ここは撮影禁止だから時間を、持て余してると思ったら、今度は、書き物ですか?日本人って皆貴方のようです?と聞かれたが、・・・?バスは既に待機しており、バスの2階へ階段を上った。中国の皆さんから、また貴方が一番後ですよ!って、言われて、話そうと思ったら、探しに来た中国女性が、この人宝石の言葉を書いてましたよ!と言ったものだから、皆さんは、私にも見せて!女性達・・だった。バスは、バンコクの街からリゾート地のパタヤへ向け、先を急いだ。その途中の道路脇の景色をカメラに収めた。行けども行けども、緑の風景が果てしなく続き、椰子の木畑が結構、長い距離に渡って生い茂っていた。私は、カメラを外に向け撮影し、ふと座席を見ると、私の方を見て、ニッコリ微笑みを浮かべながら、バスが走っていても写真を撮ってるのですか?と首を傾げた。途中、ガソリンスタンドでトイレ休憩した折に、スタンド近くのセブンイレブンで、コカコーラを2本買った。外に、15分間出ていただけで、汗が噴出して来た。既にバスが走り出した中で、先ほど買ったコーラの、蓋のネジを切った途端に、コーラの炭酸が50cmほど、勢いよく飛んだ。運悪く私の隣の席に医科大学の女子大生が、座っており、その手に掛かってしまい大騒ぎ・・・。そんなドタバタな時間も過ぎ去り、快い睡魔が襲ってきた。ふと、周りを見ると皆も眠りに落ちていた。バスは、そんなことに関係なく、一路「蝴蝶園」へ向け、走り続けていった。
2006.02.23
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宝石言葉は「心中の歓喜」花言葉ってありますよね。バラは清純な愛など・・。ここでは宝石業が考え出した宝石言葉を更新。1月の誕生石はガーネット。言葉は貞操、真実、友愛、忠実。一人の人に忠誠を尽くすが、同時に他の石を持つと、その効力は消えてしまうという石である。ガーネットは漢字の通り「石榴(ざくろ)石」という。ガーネットは結婚18周年記念石。結婚して18年目に、思春期を迎えた子供たちの姿に、自分たちの若い純真な頃を、オーバーラップさせ、「変わりのない愛情で尽くす」との意。2月の誕生石はアメジスト。言葉は誠実、心の平和。ギリシャ神話に登場する女官アメシストの悲劇から、豹に襲われたアメシストを月の女神が、純白に輝く水晶に、変身させ彼女を守った。豹に襲うよう仕向けた酒神バッカスは、自分の罪の深さを、懺悔しその水晶に葡萄酒を注いだところ、透き通った紫水晶の、アメジストに生まれ変わった。アメジストの力は、恋を招きよせ熱くなり過ぎた想いを醒ます。恋に冷静さを忘れてはならない。誰かに熱い思いを寄せている方、恋の駆け引きにどうぞ。私は2月26日生まれでアメジスト。3月の誕生石はアクアマリン。言葉は沈着、勇敢、聡明。透き通った水の妖精のようなアクアマリン。アクアマリンは夜になると光のもとで一層美しく煌く。貴婦人たちには「宝石の夜の女王」といって愛された。4月の誕生石はダイアモンド。言葉は、永遠の愛、恋の勇気、純粋、無垢。歴史上最初に登場するダイヤモンドは、紀元前4世紀のインドの、伝説的な叙情詩「マハーバーラタ」にある宝石誕生伝説にある。伝説のダイヤモンドは17世紀、ムガール王朝の所有する数々の、秘宝の中から発見され、二千年の時を経て再登場した。180カラット以上もあるダイヤは「光の山」と呼ばれ、燦然と輝きを放ち始め現在でもその輝きを失せる事はない。
2006.02.23
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蝴蝶園の花この花は蓮の花と言うのだろうか?私は花に関しては全くの無知である。この花は、バンコクからパタヤに向かう途中の、蝶々公園(蝴蝶園hu2die2yuan2)へ行った時に、画像に収めたものである。ニューハーフショウを見た翌日の朝7時に出発し、次のリゾート目的地であるパタヤへ向かい、その道沿いにありそこへ9時ごろ着いた。この公園には、ちょうちょうが沢山舞っていた。冬であったが花が咲き乱れ、疲れた心を癒してくれた。現地ガイドは、これが春になれば、沢山の蝶々が、舞い、それを見ているだけで心よい気持ちになってくると・・。この花をもう私は蓮の花と決めてかかったが、寺で見る蓮の花の花びらが包み込むような絵を思い出し、これは蓮の花とは違うのではとも思い出した。この公園には、ツバメの巣(燕窩yan4wo1)が売られていた。ツバメの巣は、料理材料として珍重されている。
2006.02.22
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ニューハーフショーニューハーフショーは、煌(きら)びやかさでは、タイ古典舞踊に勝るとも劣らない。ニューハーフショーと聞けば、日本であるならば、何となくグロテスクなイメージを、受けるのであるが、バンコクでのショーは、美しさを感じるほどである。中国語ではニューハーフのことを人妖(レンヤオ)といい、正式には男身女声(nan2shen1nv3sheng1)と言う。タイでのニューハーフショーは31年の歴史で、1974年の創立時には、僅か3人であったのが、現在では140人以上の大舞踊団となった。日本のニューハーフショーの歴史これより2年ほど早いが、現在では、規模を比べると雲泥の差であり、カリプソと呼ばれるショーは、バンコクでも老舗であり、ダンサーのレベルは相当に高く芸術的である。このニューハーフショーが始まった1974年当時、彼ら(?)はタイの社会では受け入れてもらえなかった。しかし、現在ではその存在感は社会にも認められ、そして若者は、只、お金を稼げるとの理由から、借金をしてでもニューハーフの手術に走るものが多くなった。タイの法律では、ニューハーフは依然として男性であり、外観は女性より美しい女性であるのだが、パスポートは男性。海外旅行からタイへ帰国し、通関検査で時間を費やす事も多い。彼らが公共の洗面所に行っても、女性の身なりでなくとも、自然に女性の洗面所へ行っても違和感がないという。 しかし、彼らが社会で立脚するのはたいへん容易ではない。舞踊団で赤い星になり、大金を指折り数えるほどになっても、彼らの舞台寿命は長くて8年間である。ゆえ、皆さんは暮らしを立てるために死に物狂い踊る。また限りなく女性になる為に、ホルモン注射を打ち続ける為、ニューハーフの平均寿命45歳と非常に短い。そして、寂しくこの世を去って行くと現地ガイドの声だった。私は、その事などをノートに控えていくうちに、徐々に何ともいえない虚しさを隠し得なかった。
2006.02.22
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曼谷タクシーバンコクに着いてタクシーに乗ったのは4回。その中で「トゥクトゥク」と呼ばれるトラックを、改造し荷台に座席を縦方向に設置したタクシー。そして、一般の乗用車だが、このタクシーに使われている乗用車が、全て日本車もトヨタ車である事に驚いた。またタクシーの塗装が派手である。派手な方が見つけ易いと言う事だろうが、この辺も若干中国とは違うムードが漂っていた。何故このタクシーに乗ったかというと、タイのパタヤ(リゾート地)からバンコクへ引き返した。バンコクへ戻ったその最終の日に、バスからホテルへ荷物を移す時にボストンバックの取っ手がスポッと抜けた。何これ?!品質が悪いな~!と言ったら、皆から笑いながら、日本製でもそんな簡単に壊れるの?私は尽かさず「これ中国製だよ!」と言った所、皆黙って、ホテルの中に入って行った。そして、ガイドも既に帰っており連絡もつかないので、その夜に、自分ひとりでタクシーに乗り、初めて来た国の首都を、たどたどしい英語で出発した。 タクシーに乗ったものの、いきなり中国語を話したら、両手を上げて「分からない」と言う仕草をした。私も苦笑していたが英語が出てこないので、チョッとの間、運転手と見合いをする感じになってしまった。運転手は「Where are you going ?(どこに行きましょうか?)」私はやっとの事で「I want to buy a bag」と、指示すると、やっと発車してくれた。車は10分ほど走った。そこで再度運転手が私に聞いた。「What a kind of bag do you want ?」どのようなバックがほしいのですか?「just like Luggage」「I see」結局20分ほどでカバンを売る専門店に着いた。カバン屋でまた英語を話さなければいけないのかと、思ったら「日本人?」と聞きなれた言葉に、日本語が話せるのですか?とまた中国語で聞いてしまった。頭が混乱してしまった状態で、カバンを購入して、再度、違うタクシーに乗った。今度は、簡単だった。ホテルの名刺を見せたら、OK!と、帰りは10分ほどでホテルに着いた。タクシー代金は、行きが60バーツで200円帰りは40バーツで130円ほどだった。ちなみにバッグは3600バーツ(11000円)これから考えるとタクシー代は易いと思った。しかし、画像の右端の「トゥクトゥク」というタクシーは、一人では乗らないほうが良い。なぜならば、始めに何処へ行くとか、料金を決めた後、後の荷台に乗り、出発した目的地までである。何処へ連れて行かれるのか分からない。私はタイ語が話せる現地ガイドたちと乗ったので、問題は発生しなかった。
2006.02.21
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曼谷人妖私はタイ国は「寺と人妖」と色んな人から聞いていた。そして旅行前にこの「人妖」について辞書を引いてみた。辞書には「お化けのような人間」とか「化け物」とあった。その後、何を指して「人妖」と言うのかと思った。そして、何となく分かったのが旅行の二日前だった。「人妖」とは「ニューハーフ」の事だった。そのニューハーフのショーがタイでは有名で、これを見て来るようにと上海の人より言われた。日本ではその人達の事を蔑(さげす)んで「オカマ」などと、言っているが、この呼び方好きではありません。私も学生の頃にニューハーフのお店で、レジ係のアルバイトをやったことがあります。レジ係のバイトと言っても、スーパーなどのレジと違って、四六時中お客さんがレジに並ぶという事はないので、ウィスキーを運んだり、つまみを運んだりしてました。半年ほど働いたある日に、お客さんから指名され、テーブルに付くように言われたのですが、話が違いますと断りました。そのお客様は怒って私の所へやって来て、「俺の言う事を聞け!」と相当飲んでらっしゃいました。私はその頃肩よりも長い髪をしてましたが、化粧などはしておりませんでした。しかし、店長(ニューハーフ)より、お願い助けて!と、手を合わされ、仕方ないですねと渋々お受け致しました。テーブルに付くと、酒を勧められ、いきなり「接吻」をされ、そのお客様の頬を平手で叩き「この変態何をする!」と、一言いった為、お客様は怒って、ママ(ニューハーフ)に、詰めより、私は結局その店を首になってしまったのです。学校の学費支払いも大変でしたが、その屈辱に耐えられるだけの、人生経験もこの時にはありませんでした(19歳の時)この時にはまだ「ニューハーフ」というような言葉は無く、「オカマ」などと言って「オカマバー」などと言ってました。その嫌な事があり、私はニューハーフを好きになる男を、嫌いになってしまったのです。今回、タイの夜の「人妖表演」「ニューハーフショー」を、夜に見に行く事になりましたが、その時の事が、思い出されて余り気乗りがしなかった。しかし、ショーを見出し、そのショーを見ていくうちに、とても感動した。総勢140人ほどの「ニューハーフショー」を、見終わり外に出たが、私はその人達の後を追った。確かに8センチほどのヒールを履いていたが、皆身長が高い。186センチや190センチもあるニューハーフもいた。この3・4回の更新はこの「ニューハーフ」の事情を、更新して行きたいと思ってます。
2006.02.21
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家楽福日本にこのショッピングセンターが有るのかどうか?長い間日本を離れ中国で生活してるので分からない。世界小売業第2位のフランス系ショッピングセンターカルフールで、中国語では「家楽福=jia1le4fu2」といい、ここバンコクにもこのカルフールがあった。と、言うよりもツアー客より身の回り品を買いたい声が、多くあり、現地ツアーガイドが粋な計らいをし皆で行った。中国と変わらなかったし、1階フロアーでは車が置かれ、セールを行っており、バンコクの商戦の勢いを感じた。私は4つ星ホテルであっても、歯ブラシ等置いてなく、その上石鹸も小さいのが置いてあるだけだったので、丁度良いと中に入り中を色々探し回った。ガードマンもうろうろしており、写真を撮っては駄目と思い、カメラを腹の上に置いて撮ったので画像が斜めになってしまった。 新鮮な魚介類から野菜類、飲料、アルコール類など実に豊富に陳列されていたが、魚介類を買ってもどうする事も出来ず、チョコレート類やビスケット類を購入した。冬のバンコクであっても34度と夏のような暑さに、5名持って行った肌着が汗で濡れ、それを洗うための洗剤等も購入した。そしてその購入した物を画像に収めた。結構沢山の品揃えに驚いたが、その値段も中国と同じほどで、かなり安く押さえてあった。中国のカルフールの価格の安さも定評があるが、ここバンコクでも同じようであった。中国のツアーに参加した中国人は、10キロのタイ米を購入し、中国へ持って帰り食べると語った。次は斜めになった店内の画像を更新したいと思う。ビール類の売り場や果物売り場。
2006.02.20
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バラモン教の主な神四方の神、また四方の仏陀を梵王という。梵王はインドのバラモン教の主な神で、タイの曲がり角に小さい四方の神が設置してある。バンコクのホテルや、百貨店の道路の曲がり角にも、四方の神が設置してあり、庶民がが礼拝する生花や、線香と蝋燭など備えて、神の恩に礼を言う。神仏像の祭壇は高さ2m位の花崗岩などで出来ている。その中に全身極彩色の美に輝き、東西南北の四方を、その四方はそれぞれ異なっていることを求めた。その顔は「平安、招財、事業、婚姻」を代表し、慈悲深く、優しく、全てを包含してくれる。皆は賽銭のお金を、入れていたが、私は信じないので手も合わさなかった。中国の人達と一緒に行って彼らの行動を見ていると、思ったより信仰心があった。太く長い線香から、供養のものまで買って、一生懸命頭を下げていた。皆は、四方の神は、頼まれれば必ず承諾してくれる。そのため参詣者は人が多く押し合いへし合いして、香炉を置く机の上で煙は立ち上り、生花を挿して、それも挿しきれず脇に山のように積み重ねてあった。この画像は、一般の公園や商店の脇に作られた祭壇の、中に置かれた四面佛のなで、人の参拝は少ないが、寺へ行くと黒だかりの人で、その合間を縫って画像に、収めたが、その画像はもっと後で登場する。毎年11月9日は四方の神の誕生日で、国外から多くの観光客や、有名人、スターが集うとの事だった。タイは国民の95%が仏教徒で、約二千年前の古代より、仏教を受け入れてきた。現在の仏教は13世紀に伝わった。タイへの仏教伝播(でんぱ)はインド東北部から、バングラディシュ、ミヤンマー(ビルマ)、タイへと陸続きに、直線的に伝わった。しかし、現在のタイ仏教はインドの南東の、セイロン島、スリランカから伝わった。上座部仏教(小乗仏教)がのスリランカに伝わった。小乗仏教は、出家して仏道修行に励み、自己の救済のみ願う。大乗教は、自他共の救済を願う民衆のために説かれた仏教の事。仏教にも色々あるんだと思った。キリスト教にも色々あるし、イスラム教にも、色んな宗派に分かれているとも思った。
2006.02.20
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タイの文化遺跡トップにタイの文化遺跡と書いたが、タイにも世界遺産に指定されている遺跡も多く、下記に、認(したた)めてみよう。バンコク 王宮とワット・プラケオ(エメラルド寺院)が有名。 王室を守るための寺院であるので、写真・ビデオの、撮影は禁止されている。が外観の撮影は問題ない。豪華絢爛な建物が圧倒的な存在感を与えている。三島由紀夫の小説「暁の寺」の「」その舞台にした「ワット・アルン」市内を流れるチャオプラヤー川から見る風景も楽しい。チェンマイチェンマイは、バンコクに次ぐ第二の都市である。バンコクからは北に約700キロメートルの高地にある。最大の寺院ワット・プラ・シンが見所。最も古い由緒ある寺院にワット・チェン・マンがある。毎年タイ正月(4/13)に盛大なパレードが行われる。スコータイ世界遺産に登録されている歴史的な町スコータイ。バンコクから北へ約400キロ。新市街と旧市街に分かれる。遺跡群は、旧市街の遺跡公園内にある。世界遺産に登録され支援を受け修復と整備が進んだ。中心になる遺跡はワット・スラシーとワット・プラ・マハタート。ラムカムヘーン大王の青銅像と王記念碑も有名。タイで初の統一王朝の遺跡。アユタヤ世界遺産に登録されているアユタヤの遺跡群。17世紀に日本人が日本人町を造ったことは有名な話。有名な遺跡は「ワット・プラ・シー・サンペット」。「ワット・プラ・マハタート」の木に埋まった仏像や、「ワット・ラーチャブーラナ」の地下にタイ最古の壁画。ブーザンの一言今回の中国人に混じってのツアーも、それなりに楽しかった。しかし、上記の多くの遺産を見逃していると言うよりも、予定に無く見れなかったと言った方が適切であろう。次には個人で、もう一度タイを訪れようと思った。寂しい旅行になるかも知れないし、危険も伴うが、今ブログを綴っていても、その思いが込み上げてくる。
2006.02.19
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タイ国王の足跡これから簡単にタイ国王の歴史を紹介。224年間のバンコク朝(チャクリ王朝)、の歴史の中で、即位してきたラーマ1世からラーマ9世までの名前と即位年は既に書いた。これから、224年以前のタイ国王の歴史を順追って説明したい。タイ国王の先駆王であり名を、シー・イントラティット王(1238~12??)といい、スコータイ王国を建国した。クメール帝国との戦いに勝利し、その栄誉から「プラ・ルアン(栄光の君主)」の称号を与えられた。その後もスコータイ王国は、カンボジアの支配から解放した。ラームカムヘーン大王(1277~1317)。戦士であり、政治家・学者であり、外交官だった。王に意見のあるものは、王宮の門に下げた鐘を鳴らし、国王はその人達と謁見し意見を聞いたようである。国王はタイ文字のアルファベットを1283年に作った。語学者の才能も持ちあわせた王であった。彼の死後は、スコータイは急速に衰えた。ラマティボディ1世(1350~1369)アユタヤ王朝を作った王。この王朝は、強力なカンボジアの影響を受けていた。国王は、諸法律(刑法や民法)を制定した。アユタヤの堅固な基礎を築いた。以後417年間も首都として続いた。しかし、この王朝の時代から奴隷制度が浸透し、ラーマ5世の奴隷制度廃止の19世紀まで続く。ナレスアン大王(1590~1605)1569年にマヒン王の後がナレスワン大王。タイは再び、ビルマからの独立を回復する。1584年5月3日、タイの独立を宣言し、タイを非常に強力な国家の安定期の基礎を作った。タークシン王(1767~1782)1767年、ビルマが再びシャムを攻撃。アユタヤは廃墟となりアユタヤ王朝は滅亡した。シャムの将軍だったタークシンは、ビルマからアユタヤを奪還、トンブリ王朝を創った。その後、タークシン王の信頼できる部下であったチャクリが、人々の支持を得てラーマ1世となった。ここからが現在のチャクリ王朝である。「暁の寺」の「ワット・アルン」は、タークシン王の功績を称えたお寺であった。 画像は、バンコク王朝で使われた馬車等である。昔、大村昆がよく「ミゼット」と言っていた車に似たものが展示してあった。
2006.02.19
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「トゥクトゥク」「トゥクトゥク」って何か分かりますか?「トゥクトゥク」とは、タイの有名な三輪タクシーの事です。今回の旅行でも5回乗りました。私一人では有りませんよ。ツアーに組み込まれてない、色んなトゥクトゥクが向かってきたら、腕を斜め下の方に突き出して トゥクトゥクを停めるのです。そして運転手と話をした。英語で、いくらと話したが、運転手がべらべら、話してきたら、たちまち、お手上げ状態だったが、300バーツ(1125円)で値段交渉した。夜も遅くなるとタクシーの姿は消え、このトゥクトゥクの世界が訪れる。ガイドが、私に代わって、タイ語で交渉したところ、120バーツ(450円)になった。私の英語が全く日本語になっていた。カタカナ英語になってしまっている。タイに行って、トゥクトゥクに、乗ろうとするならば、タイ語を少し覚えよう。トゥクトゥクは完全値段交渉制だった。外国人は必ず高額を吹っかけられるので、なんとか相場の値段になるように、相場の値段も研究しておこう。しかし、このトゥクトゥクは、交通安全上非常に問題がある。三輪自動車の荷台を長くした感じ。進行方向に向かって、直角に座る。いつもこのトゥクトゥクに乗る時は、相当夜も遅かったでネオン街を、走り回り、結構楽しかった。
2006.02.18
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「上海でも雪化粧」今年日本では50何年ぶりの、大雪の報道を、こちら上海にて、連日衛星放送でBS1で見ていた。昨年は上海でも雪が降った。昨年と言っても今年の冬ではなく、2004年から2005年にかけての冬だ。この冬は上海でも結構寒かった。しかし、雪が降ることはなかった。今朝起きて、カーテンを開けたら、雪が降り積もっていた。子供頃は、朝雪が降り積もっていると、取る物も取りあえず、外に飛び出したものだ。しかし、今ではその感動も薄れ、工場管理職を乗せた車は問題なく工場へ到着するだろうかなどと、そのような心配をし、身支度をした。今日は、出かける予定があったので、心配した車がまだ工場に着いてないので、どうしたのかと、電話した。私の胸騒ぎが的中し、事故に巻き込まれて、交通警察が来るのを待っているという。どうやら、後から追突されたようだ。上海で雪が降るのも少ない。朝の慌てているなかで、いつもの車間距離。いつものタイミングでブレーキを踏んでも、間に合わなかったのだろう。人には何の影響も無いとの事で、工場の事は心配しないで処理して下さい。と伝え外に出てより、工場付近の雪化粧を画像に納めた。工場裏の竹林・工場入口脇の庭等、画像に収めてより、工場に入った。下の画像は、工場の私の事務所から、上海の古い家屋の雪化粧を撮った。この古い家屋は、2ヶ月以内に解体され、新しく高層マンションが出来上がる。
2006.02.18
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「暁に染まる姿が美しいワットアルン」私は、この時点ではまだ、この寺の名前を知らなかった。現地ガイドはしきりに、「mishima!mishima!」と、私に言っていたが、何の事か分からなかった。ホテルに帰り着き、ホテルで出合った日本人に、私のデジカメ画像を見せたところ、三島由紀夫の小説の「暁の寺」で、有名になった寺である事を知った。そして「地球の歩き方」の本のページを、めくりながら、有った有ったここだと、そして、私は必死になってそのページを、A5のノートに重要な所を写し取った。そして、その日本人は私にこう言った。「タイに旅行に来る前に、本も買わなかったの?」と・・・。そこへ、中国人のツアー客のうち、7人位が、私の所へ来て、色々話して行った。中国人がエレベーターの前に行き、エレベーターに乗るのとほぼ同時に、「あの人達知ってるの?」と、驚いたように話すので、「ツアーで一緒になった人達ですよ」と話し、そこにまた3人の医師の親子が通りかかり、私に挨拶をしていたものだから、日本ツアーから来た彼は、「あなた本当に日本人ですか?」と・・。私は「こんな下手な中国語を、話す中国人なんて居ないですよ!」と、「中国語上手いものですよ」とは言って、何となく信じてくれたようだ。ラオスから持ってこられた本尊アルン仏を安置するワットアルン。アルンとは「暁」の意味で、暁の寺という呼び名通り、早朝の朝日を浴びた景観が素晴らしいという。また本尊の台座の下には、ラーマ2世の遺骨も納められており、仏教とヒンズー教の影響の濃い寺である。この画像は、アユタヤ時代の創建の、王室の守護寺院として第一級の存在である、ワットアルン(暁の寺)三島由紀夫の「暁の寺」の,舞台としても有名である。
2006.02.17
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今回の旅は中国春節休みを利用し、中国人の中に混じってのツアーの為か、中国人旅行者がダントツで多い気がした。いよいよこの船でチャオプラヤ川へ、約50分の時間で遊覧することになった。行きは25分ほどかけチャオプラヤ川の対岸の仏教寺院遺跡の説明を、現地ガイドが中国語でしていた。ティアン船着場を快いエンジンの音をさせ船は川面をすべるように走った。チャオプラヤ川の対岸を見ると、バンコクのエメラルド寺院の、建物が見え隠れしていた。私は船の座席の一番前に座った。しかし、このようなツアーの場合は、一番前に座るものではないと、後になって思うのであった。画像は遠くに望む1788年にラーマ1世によって建立されたバンコク最古の寺院ワットポー(寝釈迦寺)
2006.02.16
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バンコク11名も知らぬ 遠き島より流れ寄る 椰子の実一つとはじまる歌を思い出した。伊良子岬へは若い頃よくサーフィンに行った。豊川インターには何度降り立った事か。ネット友人より、伊良子岬にちょっと待った~!「伊良湖岬」が本当の名前ですよ!とカキコあり!あれほど通った伊良湖を間違えるとは、日本語をよく間違えるようになった・・・これはタイの椰子(ye1zi)この時の気温が34度あった。私でも汗ばむ暑さであった。中国の人は、タンクトップ姿もあったが、私は、半袖の白の肌着に長袖のシャツを羽織っていた。この下の画像の椰子は氷で冷やしてあり、そのまま飲むと、何とも生き返るようであった。
2006.02.15
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ラーマ王子死すという、この情報は偽りと直ぐに分かり、シーダ姫はすっかり怒ってしまい、地底のナーガ(竜王)の国に姿を隠してしまった。嘆き悲しむラーマ王子に、予言者ピペークが、「厄落としのために、1年間森で修行を・・」と忠告。その忠告に、ラーマ王子はラック王子やハヌマーンを引き連れ、森へ修行する為、引きこもる事にした。森にはまだ沢山の鬼たちが住んでいて、ラーマ王子達がこれまで打ち倒してきた鬼一族の仇を討とうと、王子たちに戦いを挑んできたが、王子達の相手ではなかった。また、ハヌマーンの猿の軍隊も王子達を助っ人した。修行の1年は瞬く間に過ぎ去り、この修行の一部始終を、見ていたシヴァ神の計らいでラーマ王子とシーダ姫は、仲直りをし、二度目の結婚式を挙げる事になったのである。
2006.02.15
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策略をを廻らしたアダンはトッサカンの姪の鬼であった。一族を滅ぼしたラーマ王子やシーダを恨んでおり、復讐のために美しい女性になりすましてラーマ王子の、宮殿に入り込んでいた。ラック王子は、シーダ姫を連れて森に入ったが、シーダ姫を殺すことはできなかった。シーダ姫の心臓を持ち帰るよう言われていたが、森に倒れて息絶えていた鹿の心臓を取り出して持ち帰り、シーダ姫の心臓だと偽ってラーマ王子に渡した。一部始終を天から見ていたインドラ神は、水牛の姿になってシーダ姫を森の修行者の庵に導いた。シーダ姫はその庵で、男の子を産み落とした。森の修行者は、その子をモンクットと名付けた。その子が、10才になったある日のこと、森の木を的にして、魔法の弓矢で遊んでいた。矢が木に当たった。その音を聞きつけたラーマ王子は、誰がこんな大きな音を出したのか、音の主を捕まえた。しかし、その音の主が自分の息子だとは夢にも思わなかった。
2006.02.14
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「情人節」バレンタイデーを中国語で「情人節」といい、何となく「情人」から受ける印象は「愛人」のようですね。私が中国で「我的愛人(wo3 de ai4ren)」と言ったら、私の妻と取って頂けなかった。何となく恋人というように、理解されたようです。「情人」の「情」とは、物事に感じて起る心の動きであり、主観的な意識や気持ちや心。また思いやりの心や情け。そして異性を慕う気持ちや趣や味わいなどの意。「愛人」の「愛」とは、親兄弟の慈しみ合う心であり、男女間の相手を慕う情であり、それは恋ともいう。また愛とは大切にすることや自分を、犠牲にして相手を慈しむの意。日本では、バレンタインデーというと「恋人」を思い浮かべます。「恋人」とは、恋しく思う相手。おもいびとといい、「恋人」の「恋」とは、一緒に生活できない人に強く引かれ、恋しく思うことで、男女間の思慕の情から恋慕、恋愛。ある特定の異性に対して平常心でいられない心の揺れが恋で、その心の揺れをもたらすのが「情」という事でしょうかね。しかし、実際のバレンタイン・デーの意味は、西暦269年に殉教死したローマの司祭を、聖バレンタインと呼び、2月14日が聖バレンタインの記念日となった。この2月14日に愛する人に贈り物をすること。特に女性から男性に贈り物をし、日本では1958年頃より流行し始めたが一部分。年に一度女性からが男性にチョコレートをプレゼントして、愛を告白するという、このしゃれた風習は、欧米からわたって来たのではあるが、日本人の創作であり、仕掛け人は当然の如くいるのだが、その仕掛け人までが驚くほど日本の文化になってしまった。私の携帯電話にも、中国語で「情人節快楽」と、既に12通のメールが届いている。
2006.02.14
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「シーダ姫が鬼の国の王トッサカンに誘拐された」と、聞かされたラーマ王子とラック王子は、シーダ姫の行方を追った。その途中、白い猿のハヌマーンと出会った。ハヌマーンは、以前よりラーマ王子の家来になりたいと思っていた。更にハヌマーンは、叔父の猿の国のスクリープを王子たちに引き合わせ、猿の軍隊全員でラーマ王子がシーダ姫を取り戻すのを助ける事になった。力強い味方を得たラーマ王子は、まず、ハヌマーンたち3人の猿を、鬼のランカ国に送り込み、猿の軍隊がそれに続いた。ランカ国に忍び込んだハヌマーンは、トッサカンに言い寄られ悲観し、首をつろうとしていたシーダ姫を発見し、助けに来るから待つようにと、ラーマ王子の指輪を渡して力づけた。鬼の国ランカ国では、トッサカンが悪い夢にうなされていた。弟で予言者のピペークは、兄に「シーダ姫を返すように」と助言するが、トッサカンは怒り狂って、ピペークを国から追放してしまった。
2006.02.13
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今日は中国では元宵節です。旧暦1月15日に当たる今日は家族団らんで、団子を食べながらこの日を祝い皆の健康を感謝します。今タイプしていても外では花火の音が賑やかに鳴り止む様子もみせませんね。また灯篭を飾って見物する風習があるので、この日を灯節(灯篭祭)ともいう。今日あたりの夜は、上海豫園では大賑わいだろう。古代に夜を宵と言い、正月を元月と言った。漢の文帝はこの正月十五日を元宵節と名づけた。
2006.02.12
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ある日、トッサカン(鬼の国王)は家来を連れ森に狩りに出かけた。妹婿に留守の間、鬼の国を見張るよう命じたが、妹婿は眠りたい為、自分の舌を大きく広げ国を覆い隠すという魔法を使った。しかし、そのまま眠ってしまい狩りから帰ったトッサカンは、自分の国が、妹婿の舌に隠されていると気付かず舌に向かって、円盤を投げつけたため妹婿は死んでしまった。夫を亡くしたトッカサンの妹は、嘆き悲しんでい森の中を彷徨ううちに、修行中のラーマ王子と会い恋に落ちてしまった。妹はシーダー姫に化け、ラマ王子を騙そうとしたが鬼だとばれ、ラマ王子の弟のラック王子に、こらしめられ、鼻と耳を切り落とされてしまった。トッカサンの妹は国に逃げ帰り、兄のトッサカンに仇を討つよう頼んだ。トッサカンは家来に命じ、金色の鹿に化けさせラーマ王子とラック王子を、おびき出し、その隙にシーダ姫をさらい、自分の国に連れ帰った。
2006.02.12
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「本堂/ウボーソット」の内部の画像だが、土足では入れないし、写真撮影も全面禁止されている。画像は、本尊「エメラルト仏」である。ズームで引っ張っているので鮮明ではないが、背後の西側の壁の仏教の宇宙観を描いた描写は、多少なりとも肌に触れる事が出来る。肉眼で見た私の目には、夢物語の世界だった。
2006.02.11
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タイのエメラルド寺院のプラ・モンドップの横に、「ラーマ5世」が建立した「父王ラーマ4世」へ奉納した記念碑父親像と母親像そして真ん中に子供の像が四方に配置し、その上の方を見ると歴代王の王座がみえるのが分かる。歴代王の象徴を祭る小祠ブッサボックを画像にした。全て黄金で出来て強い日差しの中で輝きを増していた。「天使の都」との別名を持つタイ。その微笑の国の首都バンコックのエメラルド寺院にある建物の画像その名をプラサート・プラ・テープビドーンという。このプラサート・プラ・テープビドーンは「ラーマ4世」が、建立したもので「ラーマ1世」から「ラーマ8世」までの国王の像が、納められ毎年4月6日「チャクリー王朝記念日」に、国王が参拝するときのみに扉は開かれる。回廊の門を守る赤鬼と青鬼であるが、毘沙門天の配下にあり、性格は凶悪で残忍。人肉を好んで喰うと故事にあるが、どうしてそのような鬼が寺院を守るのか?(左側)プラサート・プラ・テープビドーン(右側)仏塔プラ・スワンナ・チェディこの黒い像は仙人(ルーシィ)像で、この入り口からはいると、正面にある仙人像。後ろに見えるのがワット・プラ・ケオの本堂。この本道の中は撮影禁止である為、外側からズームを使って撮影した「エメラルド仏」は明日更新。仙人像の両側にホーラートコーンマヌーン堂があり、その上をスニーカーで歩いていたら大きな声で、裸足になってこの上を歩け!と怒られました。
2006.02.10
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バンコク10仏塔プラ・スワンナ・チェディを支えているヤック少しの時間暑さも忘れ見入っていました。ヤックとは鬼の事ですが、いろんな表情をしてます。タイでは鬼が寺院の中で守りを担当しているが、その意味も回廊に描かれた壁画にヒントが、隠されているかも知れない。徐々に勉強しよう。
2006.02.10
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ワット・プラケオ(エメラルド寺院)ワットとはタイ語で寺を意味する。画像は、入口を守る鬼と蛇を模った像の画像プラ・モンドップの入り口を守る鬼(ヤック)プラ・モンドップの入り口を守る蛇(ナーク)2月13日はマカブシャ(万仏節)釈迦の説教を聞きに1250人の使徒が前触れもなく集まったのを記念する日と、言う事でしたが、その日までは滞在出来ない。左側の黄金に輝く建物のプラ・シー・ラタナー・チュディに、目を奪われてしまいそうになりますが、その金色の右側の建物がプラ・モンドップであり、その入口を守護する鬼(ヤック)と蛇(ナーク)で、正面から撮影した画像。タイのエメラルド寺院のプラ・モンドップその角に石の仏像が置いてあった。やはり仏教国日本で育った私にはこのような仏像の姿を見るだけで何となく、ホッとする瞬間でシャッターを切った。
2006.02.09
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バンコク9三島由紀夫小説 「暁の寺」 ここへ行ってはみたいと思っていたが、河をボートで下る時に通っただけだった。旅行スケジュール表にも中国語で眉南河(mei2nan2he2)鄭皇廟(zheng4huang2miao4)途経(tu2jing4)と確かに書いてあった。画像はエメラルド寺院の建物の先が非常に曲がっており興味を抱いた。タイの国民の90%が仏教徒と言われるが、その仏教(小乗仏教)からの影響だろうか?中国にもこの影響が広まり中国建築物の礎を造ったのだろうか?
2006.02.09
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バンコク8バンコクの寺ワット プラケオ (エメラルド寺院)中国語で玉佛寺という。玉佛寺(エメラルド寺院)は1782年にラマ1世がバンコクへ遷都した際に王朝の守護寺として建立された。その金色の寺へ行く途中の左側に日本で言う鬼が、左右対称に立っていた。高さは3mほどはあると思われた。上の画像の右側の鬼が小さくしか撮影できなかったのは、それ以上後に下がれなかったからである。そして金色の寺の上から撮った下の画像。日本の鬼とは相当ニュアンスが違う。
2006.02.09
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バンコク3通関を終えた人達が待っていた。中国人の中で誰が一緒のツアーなのか添乗員に一人ずつその人達の所へ行き紹介をして頂きノートに記した。旅行へ出発する時に撮った上海国際空港いつになく、花やちょうちんが飾られ、空港から旅立つ人や来られる人の目を和ませていた。
2006.02.08
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バンコク1やっと部屋に帰りつきました。今回も中国人に紛れてのツアーでした。バンコクで風邪をひき、シンガポールでスコールに遭い、風邪をこじらせてしまいました。シンガポールから再度バンコックへ移動途中に、ボストンバックが壊れてしまい、タクシーに乗り知っているだけの英語を連発し、やっとの思いで買って来たが、アクシデントに遭遇・・・。しかし、今回も無事に帰れたので良しとするか!その色々な話は画像を更新しながらとしましょう・・・。そして、南十字星は空が曇っていて見る事が出来ませんでした。残念!
2006.02.07
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