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「いよいよ上海へ戻るその朝」実家の母の住む家に行った時に撮った画像です。スミレですかね。何と言うのでしょうか?今夜の更新は、出来るか出来ないか微妙なところ、上海浦東空港に着き次第、B級グルメの会場に直行致します。皆様・・暫しのお別れで御座います。まだ荷物の整理が終わってないのにネットをしていたので、妻から「あなたの悪い癖は直ってないですね。あなたが、バタバタと出て行った後で掃除をすると、必ず忘れ物がありますからね。私はもう行かないと・・」そして「飛行機乗り遅れないように行って下さいよ」と、付け加えた後、「あなた、お母さんの事ではありがとう」と、言ってから「あなたを見送れなくてゴメンナサイ」と出て行った。
2006.05.27
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マレーシア45「インド餅をチャパティと呼ぶ?」我々上海からのツアー客を乗せ、マレーシアのクアラルンプールの街を、走ったくれた観光バスである。インド人経営のレストランに入ったが、始めは、シャッターを切っていたが、195センチは有ろうかと思うインド人が、カメラのレンズの前に立ち、指を唇の前で、左右に振って撮影禁止と言った。恰幅の良いインド人で、仕方なく撮影を、取りやめてしまった。小麦粉を水に溶いたものを、器用に、上から落とし下のカップに受けていた。何度も何度も練習を積んできたのだろうな?と、思いながらも、中国人が拍手をするので、調子に乗って何度も同じようにやってくれた。私のノートに、カタカナでチャパティと、書かれていたが、これがインド餅なのかは、分からなかった。ふと机の方を見ると印度の神の写真が、飾られていた。クアラルンプールの北方へ、13キロ行った所にあるインドのバトゥー洞窟にヒンドゥー教の神が、祀られていた。その写真が、飾られていた。この近くの印度の人はこの写真と、神を祭っているのだろうか?その地方の文化によってさまざまな、宗教も有ると思った。小麦粉を伸ばしたものを鉄板で焼いたもの。これを印度餅と言うようである。手にとって食べてみたら、甘い味がした。かなり大きく引き伸ばした印度餅を、素早く油を引いて焼いていた。その印度瓶を円錐形に、手早く巻いてくれた。それだけを食べる事に抵抗を感じた。カレーとかスパイスの効いた鳥の腿肉や、トウモロコシの実を解して炒めたものまた、ジャガイモなどもあったが肉はなかった。インドの人もいたが、皆箸を使わず手で、食べていたので、私も真似をして手で食べた。結構右手が、ベタベタになってしまった。中国の人が、ティッシュを差し出してくれ、何でも経験してみたいのですねと言われた。
2006.05.16
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マレーシア43「みやげ物売り場2」チョコレートの土産物売り場から、ビスケットの土産物売り場へ来た。こんな物でも結構な値段がするんだと、思いながら土産物のビスケットと、プライス表ばかり見ていた。まずは、40人分の土産を、買わなくてはならないと思っているので、どうしても予算と相談していた。最低の物でも8RM(リンギット)1RMが、30.7円であったので、電子手帳で計算しながら物を物色していた。8RM×30.7円=245円ほどだった。一人ずつにこれを買っていったとしても、12500円か結構安いものだとも思った。雲南からの土産は3万以上掛かった。しかし、50人分を袋に入れると5袋になり、持ちきれないほどになってしまい。後悔したりもした。中国人からは、もっと小さいものを、購入すればよかったのにと言われてしまった。画像は、マレーシアの首都、クアラルンプールにあるツインタワー。果物屋さんのレプリカを前に置き撮影。何となく取って付けたような感じ。このクアラルンプールと言えば、このツインタワーを紹介され、ツインタワーの土産物ばかりが妙に目立つ。そのタワーの画像は、全部で45枚ほど、撮影したが、6枚ほどしか使えるものが、無かった。既にクアラルンプールの紹介で、3枚使っていたので、ここでは3枚のみ。やはり、三脚がないと、手振れを起こし、綺麗には撮れない。クアラルンプールの象徴であるツインタワー、89階建てで、452mの世界一高いビルである。2つあるタワーは、日本と韓国の建設会社が、着工し1998年に完成している。マレーシアの国営石油会社のビルとして利用。 下にある3枚の花の画像はブーゲンビリア?ここへ来て、説明はなしです。花だけ見て頂き、コメント蘭に、何の花かを書き込んで、下さればと思います。あまり綺麗には撮影出来てない。光の加減も有るのだとも思った。このような花を撮るのは難しい。平べったく写り立体感が無かった。
2006.05.15
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マレーシア41「ゲンティンハイランド4」「ゲンティンハイランド」のある、ゲンティン高原はクアラルンプールから、車で1時間半ほどで着く。この高原は海抜2000mにあり、世界4番目の大きなカジノがあり、ホテルやリゾート地としても、世に広く知られている。韓国のテレビドラマの話題をした。今まで、韓国の番組を放送したが、一番良かったと思ったのは、「チャングムの誓い」次が「冬のソナタ」「オールイン」「美しき日々」「初恋」の、順ではないだろうかと思うが皆さんは?人それぞれ生き来た人生で感じ方が違う。別に、韓国のテレビドラマの話しではない、カジノの話をしなければならない。今回は、カジノの中は一切撮影が、出来なかったので、画像がない。どんな遊びが有ったかだけでも、説明しておきたいが、全部の遊びは、私も知らない。皆さんも分かっている事が、有れば逆に教えて下さい。フレンチルーレットの遊び方。ヨーロッパのカジノの伝統的ルーレット。クルーピエ(チップを配ったり、キャッシュを集める人とシューターで送金)と呼ばれる係員が3人居てチップは、レーキ(熊手)で処理している。プールという遊びは、ルーレットより、大きめの円盤に1から9までの数字が、2つずつあり、合計18のポケットがある。ゲームではディーラーがボールを投げ入れる。ゲストはボールが投げ入れられた後でも、チップを張り続けられ、また一度張ったチップを、変更することも可能であるが、ストップの、声が掛かったらそれ以上のチップ変更も、チップを張ることも出来なくなってしまう。ボールはこの上をゆらゆらと転がりながら、最後には、どこかの数字の上に落ちる。
2006.05.14
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マレーシア38「ピューターギャラリー完」現代アート美術館のような、新しく建築された巨大な、ピューターギャラリーでは、「遺産ゾーン」「体験ゾーン」「現代ゾーン」とピューターの、世界をさまざまな形で紹介している。上の画像は、中世から現代までの、色んな歴史を作ってきた人々です。このような顔を模ったグラスも良いですが、何となく沢山あると気味が悪いですね。この絵は、その昔の新天地の絵画。上海にも新天地があるが、何となく上海に似つかない過去と未来が、重なったような感じの街である。お客様を、お連れして何度か行った事はある。今度、日本からカメラを持ち込んだら、撮影してきて更新したいと思ってます。本当なら、この画像はトップを飾るべきであった。しかし、始めにここを通った時に、10分ほど待ったが、人が切れなかったため、最期に来て、人の居ない時に撮った。このビールジョッキの絵柄は、とても有名であると語ってくれた。そして、中国人は早く次の観光地へ、行きたいのか?もう良いでしょう?何度もそのような言葉を5分ほど、私に言い続けた。
2006.05.13
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マレーシア37「ピューターギャラリー完」現代アート美術館のような、新しく建築された巨大な、ピューターギャラリーでは、「遺産ゾーン」「体験ゾーン」「現代ゾーン」とピューターの、世界をさまざまな形で紹介している。上の画像は、中世から現代までの、色んな歴史を作ってきた人々です。このような顔を模ったグラスも良いですが、何となく沢山あると気味が悪いですね。この絵は、その昔の新天地の絵画。上海にも新天地があるが、何となく上海に似つかない過去と未来が、重なったような感じの街である。お客様を、お連れして何度か行った事はある。今度、日本からカメラを持ち込んだら、撮影してきて更新したいと思ってます。本当なら、この画像はトップを飾るべきであった。しかし、始めにここを通った時に、10分ほど待ったが、人が切れなかったため、最期に来て、人の居ない時に撮った。このビールジョッキの絵柄は、とても有名であると語ってくれた。そして、中国人は早く次の観光地へ、行きたいのか?もう良いでしょう?何度もそのような言葉を5分ほど、私に言い続けた。
2006.05.13
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マレーシア34「ピューターギャラリー4」現代アート美術館のような、新しく建築された巨大な、ピューターギャラリーでは、「遺産ゾーン」「体験ゾーン」「現代ゾーン」とピューターの、世界をさまざまな形で紹介している。画像のようなネームを見ると、マレーシアの有名ブランドっていう、イメージが湧いてきますね。この花は何だ・・?雪桃さんやさなさんに教わったような?また40-loveさんも教えて頂いたのかな?でも、花の名前は、ダメですね・・。覚える事ができません。画像の工場はストライキではない。マレーシアも、中国の影響が大きい。中国の旧正月(春節)で休んでいる。では、今までの演技していた人達は?彼らは、春節の休みの時に出勤で、普段の3倍の給料を頂ける。私は本当かどうか聞いてみたところ、3倍なんて貰えません。2倍って、ところでしょうね?って、答えてくれました。この花って高校まで育った私の家の、門の所に植えてあったような気がします。しかし、何と呼ぶか分かりません。中国人からは、そんなこと聞いて、どうするんですか?と不満顔だった。皆は、経営者だから不満だったのかと思った。画像は、マルチーズでしょうか?なかなか人気が有りますと言ってました。こんな茶碗は何に使えばいいのか?これが始めの製造過程では、それほど、商品価値が有るとは思わなかった。しかし、こうしてそれなりの容器に、保存されると重厚さを増します。そして、上の階から撮った時には、一つ一つの錫製品が、ハッキリしなかった。その前に立ち、画像を収めてみた。この茶碗は一体何に使うのだろう?厚いものは持てれないし、やっぱり、装飾品なのかなと思った。
2006.05.12
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マレーシア32「ピューターギャラリー2」現代アート美術館のような、新しく建築された巨大な、ピューターギャラリーでは、「遺産ゾーン」「体験ゾーン」「現代ゾーン」とピューターの、世界をさまざまな形で紹介している。錫で作った小物が展示されていた。上の階の踊り場から撮影した。画像に写っているものが小さい。お椀とか置物のみやげ物である。小物は机の片隅にでも置いておくと、思い出につながる。前のページで、色んな人の手形が、錫の板で作られているのを更新したが、そのアップ画像である。この錫工場の建設に携わった人の、手の形を取って作ったという。私と同じような手の形をした人もいて、中国人も自分の手を、その形に宛がい、この人の手は小さいとか?この人指が、結構長いよなどと言ってはしゃいでました次に、タンスの引き出しの取っ手作りの、デモンストレーションをしていた。何となく、サンドイッチを焼く鉄板を、イメージしておかしかった。中国人のツアーのメンバーにその事を話すと、実演している人が中国語を分かっているようで、大きな声で笑ってくれました。そして、あんたどっから来たのって聞くので、上海からと言うと、寒い所から来たんだねと、言っていた。それもそのはずで、こちらは年中33度位である。しかし、上海を飛び立つときは、マイナス2度。その差が激しすぎる。画像は、金型に錫を流し込んで、中のものを取り出そうとしていた。そして、中の取っ手を取り出して見せてくれた。こんな取ってもあったなと思いながら見た。錫がピカピカに光っていた。きっと高級家具に取り付けるのだろう?と、思いながらその姿を画像に収めた。
2006.05.11
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マレーシア29「マレーシア国立博物館3」マレーシアの国立博物館は、首都クアラルンプールにある。1963年に建てられた。建物もマレーの伝統建築方式で、造られている。日本軍がマレーシアへ侵攻。しかし、戦争相手は、マレーシアではなかった。戦争相手は当時の、植民地支配国であるイギリス。そして、そのイギリスとの、利害関係で華僑は、イギリス軍を支援した。華僑とは、中国から海外に移住し、中国籍を保持したままの人達を呼ぶ。この時にマレーシア軍は。日本軍と共に戦った。私はこれを聞いて胸を張った。しかし、その様子を察した中国人は、ジロっと私を見た。つまり、マレーシアを、侵攻した日本軍は、マレーシアを、一年間に渡り統治した。その後、イギリス軍と華僑、日本軍とマレーシアの、戦いになってしまった。攻防は、サンチャゴ砦。イギリス軍は、この事を考え、砦を破壊していたと考えるのは、あまりにも飛躍した考えだろうか?日本軍の旗には、大阪府知事の名前も書かれている。穴の開いたヘルメットは、凝視出来なかったので、デジカメレンズで凝視した。
2006.05.11
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マレーシア24「マラッカ/独立記念広場」ポルトガルがマラッカを占領した年の、1511年造られたサンチャゴ砦がある、セントポール丘より降りて来た。中国人の会社経営する社長は、足が痛くてもう歩けないを連発。こんな旅行に革靴を履いてくるのが、間違いであるし、リーガルなんて、そんなガッチリした革靴では、誰が履いても足が痛くなると言った。そんな時に、現地の子供が私の前を、ひょこひょこ歩きながら通り過ぎようとしていた。私は「ちょっと待った~!」と日本語で言ったが、何の反応も示さないので、英語で言うと、彼女の父親が停まってくれた。写真を撮ってもいいか?と言うと、あっさりと許可した。その子供は、驚いたような表情をしながら、私のレンズを大きな目を開いてみた。何か起こったのかと言うような表情で、私を凝視していた。そして、その父親に小銭を手渡すと、何となく微笑んだがそんな絶好の画像は無い。そして、忘れていたその中国人の社長は、従業員540人の電子部品を作る社長との事だったが、私には全くそんな事は旅行には関係ないと、厳しく言ったところ、何か言いかけて、黙ってしまった。何を言おうとしたかは分かった。仕方無しに、上の画像の綺麗な花タクシーに、お金を手渡し、バスが待つ所まで、乗せて行って下さいと言って動き出した。その社長婦人は、何度も振り返っては、私に頭を下げていた。この辺りは、独立時代の飛行機や列車が、展示してある独立広場であった。下のような大砲が至るところに、設置してあったが、歴史を物語る為必要だった。この列車は、日本がマレーシアへ進行し、その中で鉄道文化を発展させた遺物である。日本軍の印象は非常に良いのかなと思ったが、人間の根底の気持ちはそう簡単に、変わるものではないと思った。
2006.05.10
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マレーシア27「マラッカ/サンチャゴ砦1」マラッカはヨーロッパ各国の支配を受けて、東西貿易の中継地として繁栄してきた。ポルトガルがマラッカを占領した16世紀はじめに造られたサンチャゴ砦。しかし、マラッカを支配したオランダに、要塞として使われたのだった。当時は東洋一の堅牢さを誇り、セントポールの丘全体を取り囲むほど、大規模なものだったと言われている。次に、イギリス統治時代にはこの要塞は、破壊されることになり、現在は門を残すのみ。サンチャゴ砦にのぼってマラッカ海峡を、見渡せば、3つの国による植民地支配の、歴史を垣間見るようであった。ポルトガルが東西貿易の橋頭堡として、1511年築いたセントポール丘を取り囲んだ要塞。現在は門の部分のみが残るこの地を、地元では「ファモサ」と呼ばれており、マレーシア最古のヨーロッパ建築である。そのセントポール丘より遠くを眺めると、西洋文化の残した風景がそこに広がっていた。この日も気温は33度と真夏のような気候。このマレーシアは、熱帯地方であり、一年を通して33度以上の気温であるが、夜中から明け方には10度以上下がった。次に方向を変えて見下ろした景色を撮影。前方に小さく青い三角旗が見えるが、これが我々の上海から参加した中国人達。傘を差した人たちも居るが兎に角暑い。日差しが肌を刺すような暑さだった。セントポールの小高い丘に建てられた、サンチャゴ砦のところで30分以上時間を、費やし、その姿を再度画像に収めた。接近してそのサンチャゴ砦を画像に収めた。入口なども直径10センチはあろうかと思う、ポールで加工してあり、結構頑丈な作り。だが、その当時の建築技法の中で、このようなポールが使われたのだろうか?
2006.05.10
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マレーシア17「マラッカ/最古の仏教寺院」マレーシア最古の仏教寺院。開基は1646年で、本堂の完成は1704年。当時の姿をそのまま残す本堂の、建築資材はすべて中国本土から、運ばれたものだという。建築発願は明朝遺臣の李為経によるもので、内陣に彼の肖像が掲げられている。明朝は満州族に滅ぼされ、李はマラッカに逃れここに明国再興を、祈願した。本尊は観世音菩薩です。その明朝遺臣の李為経の肖像だそうだ。相当古ぼけた様相であった。前には菊の花だろうか?供えられていた。16世紀から、マラッカは相前後して、ポルトガル・オランダとイギリスの、植民地になっていた。1957年に至って、マレーシアはイギリスから、独立を宣言する。16世紀後で、ポルトガルやオランダまた、イギリスなどの海洋の国家は次から次へと、アジアに遠征して、植民地にしていった。マラッカは大量のポルトガル、オランダとイギリスの植民地統治の時期の遺跡を保留した。マラッカ港の山の中腹の上で、オランダ人の残した赤い屋根の家。それが鄭和の記念館である。館内は鄭和の肖像画、ミニ石像などを設置。船艦、陶磁器の食器、古書などの文化財が、沢山保存してある。 宝山亭の赤い門を撮ろうと、5分ほど辛抱強く、待ったが、この女性は頑として動かなかった。痺れを切らせた中国人が私を呼びに来た。「皆さんは、大分待ってますよ!」私は、仕方なく彼女も、まるごと撮ったつもりが、更に外の女性までが入ってしまった。
2006.05.09
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「マラッカ/三宝の井戸」マレーシアのマラッカには「三宝の廟」「三宝のあずまや」「三宝の井戸を守る」と、「三宝の山」がある。人が生きていけるのは「三宝の井戸」のお陰。上の井戸を撮ったが、何の変哲も無い井戸。450年ほど昔に掘った井戸の周りに、現地の人たちが、集まりその状況を、一幅の絵に描いて片隅に飾ってあった。何でもない光景だったのか中国人達は、早く行きますよと私を促すが、振り返りざま、その井戸の姿を、慌てて画像に収めた。「三宝の山」と謳われるほどに、この画像の表門の上に「宝山亭」と。廟の中で碑文には、いつも三宝の、巫(みこ)女を量って、あるいは、雲の三宝つまり宦官の鄭和也”。宦官の鄭和は、十五世紀はじめ、中国明朝の永楽帝の命を承け、二万七千名の乗組員からなる大艦隊を、率いて七回にわたり南シナ海、ジャワ海、インド洋を結ぶ航海を行い、船の交易圏を、明帝国の政治的供給網に転換する試みに挑んだ。インドネシアジャワ島は三宝の港があり、都市の三宝のあぜ、三宝の廟があった。廟内は三宝の穴、三宝の井戸があって、穴の前に遠い所に三宝の切り株。まだ鄭和は現地人に4つの大砲に贈呈する。何をしているのかな?思いながら見ていた。そして、写真を撮って良いですか?と、言ってみたら、手で口を押さえて笑った。どうやら、おみやげ物を一生懸命に、作っているようであった。ここには、中国の江沢明国家主席も来ていた。元主席と書いた方が良いだろう。この写真を見たこの時に、重要な所と、再認識したのも事実だった。
2006.05.09
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マレーシア16「マレーシア/クアラルンプール」クアラルンプールタワー(KLタワー)世界で3番目に高いクアラルンプールタワーは、クアラルンプールのランドマークとなっている。ブキッ・ナナスの上に位置しタワー上部の装飾的なガラス窓のデザインは、イランのイスファハンにあるシャー モスクの、ムカマス様式がそのもとになっている。クアラルンプールタワーの高さは431m。300mのところに展望台がある。ここからは、クアラルンプールを一望できる。ココナツ林の中に建つイスラム寺院。亜のドームと多数の繊細な尖塔があり、壁は素焼きレンガのアラビア建築。まわりはヤシの木々に囲まれていて、南国情緒にあふれている。モスクの内部はシンプルで、大理石の床と柱だけで成り立っている。1878年に発見されたヒンズー教の、聖地とされる鍾乳洞。中にはヒンズーの神々が祀られている。自分の体を尖ったもので突き刺すヒンズーの奇祭「タイプーサム」は、毎年1月下旬から2月上旬の間にここで行われる。メルデカスクエアでは国家記念日(8月31日)の前夜に賑やかに飾り付けられカウントダウンを待ち、パレードやカルチャーショーなど、この行事を更に魅力的なものにしている。
2006.05.08
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「鱗付きの魚を食べた」中国で過去に食べた事が有るのかどうか?鱗付き魚である。びっしりと鱗が付いたまま。魚には鱗が付き物、しかし、鱗を綺麗に取るのが、礼儀であるが、この魚は鱗を取らずに食べる。この魚の名前を覚えてますか?2ヶ月ほど前に、このブログで勉強しました。太平洋に分布し、長江(揚子江)珠江(沈珠浦)銭塘江(浙江)で産卵する。背部は青黒く、腹部は白くなっている。成魚の体長は約50センチほどになる。鱗(うろこ)が大きく脂肪に富んでいる。食用として珍重されている。この老舗では、お客様の前で、鱗を取り、更に魚を何箇所かに裁いてくれた。一般のレストランでは、この鱗は付けたまま、そして、お客がこの魚の鱗ごと食べる。しかし、小骨が非常に多いので注意しよう。日本人は、ちょっと食べれないのではと思う。私は、中国13年の生活の中で、3回魚の骨を喉に詰まらせてしまっている。食べなれれば、私のような小骨の、恐怖症候群でも、その美味い味の為に手を付ける。鱗の下には甘味のある脂が美味しい。鱗の裏側に付いた油がまたいい味を出している。伊勢海老も大きいのが出てくる。私は伊勢海老の刺身はあまり好きではないので、焼いてもらったが、結構美味しい。伊勢海老の事を中国語で龍虫に下で(long2xia1)とか、大海エビで(da4hai3xia1)と呼んだりする。英語では伊勢海老の事を、ロブスターと呼ぶ。今回、頼んだロブスターは2キロはある。伊勢海老は無駄にしない、後で雑炊にしても美味しい。しかし、歯だけは注意をしないと欠ける事がある。上海で治した歯は問題なかったが、日本で治した奥歯が欠けてしまった。 「魚のすり身のうどん」「魚のすり身のうどん」って知ってます?これは、小麦粉から作った「うどんで」はない。結構、歯ざわりがモチモチした感じだ。始めは、普通のうどんと思っていたが違った。中国語で魚面条(yu2mian4tiao2)と呼ぶ。初めて食べる人は、うどんかな~?なんて思ってしまっても不思議ではありません。これは誰でも知っている饅頭(man2tou)中国名を生煎(sheng1jian1)饅頭(man2tou)油を少し入れてフライパンで焼いたもの。中に具は入ってない。具が入っているものを包子(bao1zi)と呼ぶ。私は皮の厚いものはあまり好きではない。やはり、皮の薄い小籠包が好きである。皮の厚い饅頭も、食べてみると美味しくは感じる。お腹がいっぱいの時は食べる気が起こらない。何となく、無理して食べると胃が勿体無いような、気持ちになる。もっと美味しいものを期待する。しかし、食べると結構香ばしく美味しい。餡(あん)の入っているものや、肉などもある。また韮(ニラ)なども入っているものもあるが、細かく分けて呼ぶ名前は知らない。これは何の点心(おやつ)でしょうか?俗に倭瓜(wo1gua1)とか北瓜(bei3gua1)と、呼び、カンボジアから伝来したウリ科の果菜。夏に黄色い花を咲かせ、その後実が成る。原産地はアメリカ大陸である。この円盤状に伸ばし、平鍋で焼くか、蒸したものを餅(bing3)と呼ぶ。しかし、日本で言う糯ではないので注意!私から酒を取り上げたら丘に上がった河童?と、言ってもアルコール中毒ではない。日本の大企業の本部長で友人が居るが、引き出しにスコッチが隠してあり、事ある毎に、チビチビやっていたりする。そんなアル中の所から指示が発せられると思うと、何とも言えない感情が湧くが、別に、犯罪ではないのでないのでセーフにするか。画像は上海老酒である。これは黄酒を呼ばれ、紹興酒と同じ味がしアルコール度は16.5度ほど。 「広東料理--粗菜館1」上海メーリングリストが解散になった。これも時代の流れなのかもしれない。しかし、最終章の幕が降りた状況は、決して相手を思いやるという終わり方ではなく、誰かにその後を託すという終わり方ではなかった。600人以上の会員の心に悪い印象を残し、不満ばかりが残ってしまう最終章だった。しかし、どうしても早く終わらせたいという心の方が、皆の心に爽やかな印象を残して最期を終えようとの思いおり、勝っていたのではないだろうか?私にはそのように思えてならかった。上海メーリングリストを解散させる切っ掛けを作ったのは、私であると皆口をそろえて言った。何とも遣り切れない思いが交錯する中で、ゴールデンウィーク(労働節)の番外編オフ会を行った。番外編オフ会は「上海B級グルメの会」のメンバー達に、レストラン「未定」地下鉄静安寺駅中央改札口付近集合。その場で相談してレストラン決定。 地下鉄改札を出てすぐ、2番出口の付近で待っています。18:00集合。私が、地下鉄静安寺駅中央改札口へ着いたのが、18時17分頃だった。アメリカシアトルの上背が195センチの、好青年も、江西省桂林出身の中国人も集まっていた。新しく参加された人に「何処へ行きたいか?」聞いてみた。「低料金の所」「辛くない料理」など意見が出た。そして、決まった所が画像の「粗菜館」であった。ここのオーナーは香港でも有名な映画製造監督であり、この店を、香港九龍城と、香港ジョーダンにも店を持っている。上海には、画像の静安区と徐匯区と浦東新区の3店舗ある。香港で有名で今上海でも有名な「催明貴」が1992年に、香港店を出店し、成龍(ジャッキーチェン)館や、徳華(劉徳華)家また、金庸軒など増えていった。下の画像の女性は安徽省出身の趙微(zhao4wei1)(1997年と1998年環珠格格で主演の小燕子)日本でも放映されたかどうかは知らないが、この小燕子の名前は知っているのではないだろうか?赤いトレーナーを着た人は、香港の有名喜劇俳優。曽志偉(zeng1zhi4wei3)は、俳優で映画製作会社の、オーナーをしており、香港映画を見たことある人なら、記憶に残っている人なのではと思うが如何でしょうか?右側に立って写っているのが任腎其(ren4shen4qi2)彼の歌の中でよく歌うのが「一個人」何でも一人で考え、一人で行動し、一人で決定し一人寂しく死んでいく、台湾の俳優であるが、香港で活動している。カラオケに行った時の、その画像を披露したい。この人は皆さんご存知の香港の俳優・歌手の劉徳華である。中国読みは劉徳華(liu2de2hua2)この人の映画でVCDを、香港まで買いに行き、売り切れでなくマカオへ電話した。VCDが有る事を確認し香港からマカオまで高速艇に乗って、買いに行った事を思い出した。第二次大戦中を舞台にした映画で、劉徳華はパイロット役で不時着した東北の村で、恋に落ちるという物語だったが、タイトルは忘れてしまった。この歌手を知っている人も多いのではないだろうか?張学友(zhang1xue2you3)は香港でヒット曲が多い。私がカラオケに行けば必ず彼の歌を歌う。「心如刀割」「吻別」「一千個傷心的理由」「泪花」「我真的受傷了」「不知不覚」「如果着都算愛」などそしてカラオケに行ったときに撮った画像を紹介。
2006.05.08
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「広東料理--粗菜館2」番外編オフ会は「上海B級グルメの会」の、メンバー達にレストラン「未定」である。地下鉄静安寺駅中央改札口付近集合とメール。私が、地下鉄静安寺駅中央改札口へ、着いたのが、18時17分頃だった。アメリカシアトルの上背が195センチの、好青年も、江西省桂林出身の中国人も集まっていた。食事に行った先は、「粗菜館」であった。店名の「粗菜館」の「粗」は「懐かしいお袋の味」と言う意味。更には、飾らないという意味から、広東一般家庭料理を意味する。180キロの豚一頭からわずかに、500gしかとれないという、希少性から人気を博した「豚トロ」料理。その豚トロを、この「粗菜館」の広東家庭料理店で、素材の新鮮さと種類、調理方法にこだわった料理をし、豚料理は素晴らしい味を出していた。まず涼菜(前菜)が出てきた。この前菜料理は何と思います?何枚にも、皮をはがして中の、軟らかい所だけを食べる。豆で作った蒲鉾みたい。結構、見た目より軟らかい。この前菜を素鶏と呼ぶ。次の前菜は千層脆(qian2ceng2cui4)これは、豚の耳部分。豚の軟骨である。綺麗に飾られた卵巻き。中にはツナが入っているようであった。味の方は結構美味しく食べれた。 「広東料理--粗菜館3」始めは香港にこの豚トロ料理を出す店の、拠点を持つ事となった。時1992年の事。香港の映画監督とその友人が14年前に、作った店で豚の内臓を工夫を凝らして、食べさせてくれる事で一躍脚光を浴びた。上海に進出したが店の名は「粗菜館」とした。この店は、新鮮さでは評判が良い。上の画像は、美味な野菜であった。この肉は豚肉では有るが、この「粗菜館」では、一番高い料理。一体、豚のどの部分を使った料理か?画像の上に置いてある調味料の、左側が結構辛い。右側は甘い。それを付けて食べるのであるが、私は上海に来て始めてであった。広東省広州に住んだのは、5年9ヶ月の年月であった為、香港へも60回以上行っている。当然の如く、この料理も食べていた。しかし、今の心境と違うのか?本当に、この料理は美味いと感じた。広東料理は、始めにスープを飲み、最期にスープを飲むと言う方法。私は始め広東省に住んだ当時は、スープだけで、腹が一杯になったような思い出があるが、上海に来て、久しくその習慣を忘れていた。イカの揚げ物であるが、非常に美味かった。イカの事を墨魚(mo4yu2)と言う。私の隣りに、シアトル出身の、アメリカ人が座っていたが、菜食主義で肉は食べなかった。香港と言えば海鮮料理である。街の至る所に魚を入れた生簀があった。ロブスターや石鯛なども安かった。画像は、豚の内臓とニンニクの芽の炒め物である。この店の有名料理の一つである。豆腐の上に何だろう?食べたのだが今一つ分からなかった。ミンチを炒めて載せてあったような?知っている人があれば教えて下さい。今、山本一豊の妻を見ながらタイプ。 「広東料理--粗菜館完」静安寺管内にある「粗菜館」での、私達の上海B級グルメ番外編です。「あわび」の事を中国語で、鮑魚(bao4yu2)と呼びます。漢字は日本も中国も同じですね。この「アワビ」は柔らかくて、とても美味しかったですよ。娃娃菜と魚肉丸の料理。娃娃(wa2wa)というのは、小さな子供という意味で、小さな白菜と言う意味です。魚肉丸はまた美味しかった。「娃娃菜と魚肉丸」の料理が、スープの中に沈んでおり、ハッキリ写ってなかったので、「ちりれんげ」で持ち上げ撮影した。「肉なし焼きそば」どうして肉なしかと言うと、シアトル出身の英語教師が、宗教上の理由からか?分からないが、肉を食べれない為に、肉を入れなかった。豚肉料理を食べに行って、肉が食べれないというのも、何とも言えない。ご飯に目玉焼きが載っている料理この店のお勧め料理である。ご飯に目玉焼きが載せてあるだけ?と思っていたが、他の料理で、タレ豚のラードの炊き込みご飯が人気。タイ米とラードを炊き込み、特性醤油でいただくのであるが、客の中にはこのご飯だけ、わざわざ買いに来る客も有ると言う。特性の醤油をその目玉焼きの上に、掛けたのち、ごはんを掻き混ぜていた。すると程好い炊き込み御飯のような、色に出来上がった。それを、器に分けた。「商売の神」である関羽は、広東省や台湾、福建省などでは、関羽は商売の神様として、祀られるようになっている。「粗菜館」の外へ出た。皆は、二次会に行こうと言う話しが、まとまったようであったが、私は、断って外の写真とかを、撮影して回った。夜も遅くなると寂しい感じがしていた。
2006.05.07
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「癒しで悩みが取れるのか?」昨夕、待ち合わせ場所の静安寺地下鉄駅の中央出口まで先を急いでいた。1号線から上海人民路で2号線に乗り換えるため、1キロほどの地下道を歩いた。私が中国へ駐在する為に来た時は、中国の人達の歩くスピードは相当遅く感じたものだった。それが今では、黙々と歩きそのスピードも、早くなったと思うが、裏を返せば、私の歩く、スピードが遅くなったのかもしれないと思った。間もなく人民路地下鉄2号線乗り場のエレベーターと、思ったところで、年の頃50歳ほどの男女が、大きな声で口喧嘩を始めたと思ったら、いきなり、携帯電話がコンクリートの床に投げつけられ、見事にバラバラになってしまった。私は、待ち合わせ時間最終にあと15分しかないとも、思いながらも、その男女の喧嘩の行方を見守りたいと、逸る気持ちを抑えて降りのエスカレーターに乗った。更に、男性が大きな声で罵声を浴びせていた。私はその声のする方を見ようと思っても、エスカレーターは、中間辺りでどうしようもなかった。皆の表情を見ると、何とも言えない脱力感のような思いを描いている表情をしていた。私達の「番外編オフ会」にも間に合い食事をし、私は2次会を断りタクシーで帰って来た。今の上海の夜は、暑くなく寒くもなく程好い、気候であった。ほろ酔い気分も手伝ったのか?タクシーのFMから流れるバラード風のサックスフォンの低音の響きが、私を癒してくれているかのようだった。人は私に「あなたは癒し系ですね」とよく言う。何を思ってそう言うのかは分からないが、多くのお客様も私にそのような表現をしてくれる。そんな時ふと、癒しとは何だろう?と思った。喉が渇いた時は水を飲めばよい。では心が渇き切った時、一体どうすればいいのだろうか?所詮、心に動揺があるときなどには、どんな言葉を、掛けてあげたとしても、煩いと感じるだけで癒しには、ならないのではないか?その人の心の動揺が続いている限り、どんな事をしてあげたとしても、癒しにはならないのでは?その人の心の動揺を、静めてくれるのはやはり時間??妻に「一人にしてくれないか!」と一度だけ言った事がある。事業が上手く行かず、色んな手を打っても裏目に出た。そんな時に欲しいのは、ぬくもりでも、優しさでも、温かい肌ざわりでもなく、やはり自分を見つめる時間ではなかろうか?しかし、今思えば実に身勝手な行動だったように思う。もし、何度もそのような行動に出て、見守ってくれてる人なら問題も大きくはならないが、それに反発して受け入れては、くれないような、状況になったら悲惨だったろう。癒してくれたと思うのは、そのような心の葛藤を乗り越えた後、ふと聞いたブルースや優しい言葉や軟らかい肌のぬくもりが、癒してくれたと人は感じるのではないだろうか?あの人が癒してくれてなかったら、私は治ってはいなかった。と言うのではなく、全て自分自身の力で治せる能力がある。だが家族と言う存在は大きい支えになっていると思う。今も、上海の地で頑張っておれるのも家族が有ったればこそと、思うが、皆さんの意見は如何なものなのでしょうか?深夜に書いた記事は朝読むと何となくセンチメンタルですね。
2006.05.07
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「魚のすり身のうどん」「魚のすり身のうどん」って知ってます?これは、小麦粉から作った「うどんで」はない。結構、歯ざわりがモチモチした感じだ。始めは、普通のうどんと思っていたが違った。中国語で魚面条(yu2mian4tiao2)と呼ぶ。初めて食べる人は、うどんかな~?なんて思ってしまっても不思議ではありません。これは誰でも知っている饅頭(man2tou)中国名を生煎(sheng1jian1)饅頭(man2tou)油を少し入れてフライパンで焼いたもの。中に具は入ってない。具が入っているものを包子(bao1zi)と呼ぶ。私は皮の厚いものはあまり好きではない。やはり、皮の薄い小籠包が好きである。皮の厚い饅頭も、食べてみると美味しくは感じる。お腹がいっぱいの時は食べる気が起こらない。何となく、無理して食べると胃が勿体無いような、気持ちになる。もっと美味しいものを期待する。しかし、食べると結構香ばしく美味しい。餡(あん)の入っているものや、肉などもある。また韮(ニラ)なども入っているものもあるが、細かく分けて呼ぶ名前は知らない。これは何の点心(おやつ)でしょうか?俗に倭瓜(wo1gua1)とか北瓜(bei3gua1)と、呼び、カンボジアから伝来したウリ科の果菜。夏に黄色い花を咲かせ、その後実が成る。原産地はアメリカ大陸である。この円盤状に伸ばし、平鍋で焼くか、蒸したものを餅(bing3)と呼ぶ。しかし、日本で言う糯ではないので注意!私から酒を取り上げたら丘に上がった河童?と、言ってもアルコール中毒ではない。日本の大企業の本部長で友人が居るが、引き出しにスコッチが隠してあり、事ある毎に、チビチビやっていたりする。そんなアル中の所から指示が発せられると思うと、何とも言えない感情が湧くが、別に、犯罪ではないのでないのでセーフにするか。画像は上海老酒である。これは黄酒を呼ばれ、紹興酒と同じ味がしアルコール度は16.5度ほど。
2006.05.05
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「上海の老酒「石庫門」」9時56分に帰宅した。今日はサウナに行ったが、ADSLの時間が気になり、友人に断りを入れ、帰ってきた。画像は、上海の老酒「石庫門」である。この説明は、またしよう。更新を先にしたい。
2006.05.03
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「上海植物園1」昨昼より上海植物園に行ってきました。上海植物園は、車で30分足らずで、門まで辿り着くのですが、始めて行った。今日何とかその上海植物園の画像を、5枚ほどでも登録しようと頑張ってますが、中々登録できなく大変です。皆さんゴールデンウィークに入り、多く人が楽天ブログを使用しているのだろうと、思ったりしながら登録している。登録に時間が掛かるだけならまだいいが、登録に時間が掛かり完了しない前に中断し、また始めからしなければならず、そのような状態が、何回も続いた。昨夜は、ADSLが不通になっていてもいつも通り、深夜2時に床に就いた。上海植物園の中を5時間歩きずめだったせいか?普段運動をしてないせいなのか?太腿やふくらはぎが重たく、痛みも感じた。この2枚の画像の登録に、60分以上掛けた。今日は、休みだから少々の時間のロスは問題ない。しかし、明日から仕事が始まる。そうなれば仕事中に画像の登録など出来なくなる。今までは、夜10時から2時ごろまでと、朝7時から8時ごろまでの時間を登録の時間に、充当していたが、丁度この時間帯にADSLが、不通の状態になるので、精神的に参っている。この2枚の画像は、「サボテンの花」と、下の画像は、何なのか分からない。今日は、中国時間5時からサウナに行って、思う存分、入浴をして来ようと予定を立てていたが、上の画像の1枚の更新で3回エラーを起こし、下の画像でも、もう7回目のエラーを起こしている。祭日の時の画像の登録には時間が掛かるとは、分かっていたものの、これほどとは思わなかった。中国人の友からも、もう2度目の電話が入った。5時の約束が6時過ぎても何の準備もしていない。今では、私が中国人の時間の観念になってしまった。3枚目の画像は断念して、2枚のみの画像のみ更新する。
2006.05.03
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「中国の冷凍食品事情1」昨夜は午後10時5分前に画像の更新を終え、その画像の貼り付けが間違ってないか?確認をしたところ、一箇所間違えていた。エレベーターの画像ではないものが、紛れ込んでいたので、編集に入ろうと、編集画面を出そうとするがネット混雑で、編集画面が出て来ない。ADSLの不通の時間まで秒読みカウントダウン。編集画面へクリックしてより3分間経つが、編集画面の楽天の文字が出ているのに、肝心な編集内容部分が現れない。時計は中国時間午後10時を指した。もうダメだ!このエレベーターの画像の中に、「招き猫」の画像が紛れ込んでいたのだ。この間違えたままのページが明日の朝まで、晒(さら)されるのかと思うと辛かった。ふとそんな時、日本に居る長女よりメール着信音!メールの内容は、家族みんなが集まって屋上で、父さんが作ってくれたコンクリートの、椅子やテーブルの上でバーベキューをしました。美味しかった。父さんが居ないのが、残念でしたとの内容だった。内容よりも時間は10時5分を回っているのにと、慌てて、楽天編集画面を見ると現れていた。急ぎ4番目の招き猫とエレベーター画面を入れ替えた。この更新タイムが「11:07:39 PM」と中国時間の、「10:07:39 PM」になっているのが分かる。ひょっとしたらADSLが直ったのかと思いながら、画像の登録ページを開けている間の僅か5分ほどの、時間でADSLは不通になってしまった。娘のメールが来なかったら、そのまま諦めていたのかも?そう思うと、家族に感謝しなければならないと思った。画像は、中国の冷凍食品事情は中国の発展と共に、冷凍食品が置かれるコーナーも段々広くなった。この冷凍食品の包装を見て何が入っているか?分かります?私も中国人に頼んで買って来て頂き、レンジで解凍して食べた事が有りますが、有名料理店の味より、美味しかったと言うのが本音。しかし、食べ過ぎには気をつけないとこういう、冷凍食品は肥満の原因になりますよ・・・。私のBMIの値は「体重÷(身長m×身長m)」26で肥満。22がベストだという。18.5~25が標準と言う事で、私は26で25以上であるから、肥満と判定された。
2006.05.03
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「国内販売向け商品1」中国で製造されている婦人服でも、輸出向けと国内販売向けと分かれる。私は主に日本へ輸出向けの婦人服を、指導しているのであるが、時には、国内販売向けも指導する事もある。画像は、私どもの中国本社の展示場である。画像に写っているのは40代~50代の女性が、着用する服である。とてもシンプルなデザインである。中国でもこの15年で女性のファッションは、大きく変貌した。この本社が中国国内に350店舗の店を、中国の有名百貨店に出している。ジャケットなどでも結構中国の物価から考えるならば高価なものである。上下セットで2500元(37500円)が平均である。高いブランド商品になるとジャケットのみで、4000元(60000円)するものもある。しかし、そんな高いプライスのジャケットを、簡単に買っていく人が沢山居るから面白い。中国には、人口の1%の人が億万長者と言われている。つまりは1300万人の人が、億万長者になると言う事になる。日本人など足元にも及ばない人達が、ごろごろ居ると言っても言い過ぎではない。今日は、天気も優れないし気分が優れないが、近くの上海植物園に言って来ようと思う。 「チャイナチーパオ風ジャケット」上海植物園へ12時過ぎにっ友人のタクシーが、迎えに来たので急ぎ向かった。上海植物園は、始めて行く。上海にこれだけ住んでいると言うより、中国にこれだけ住んでいながら、一度も行った事がなかった。6時過ぎに帰って来たが、思ったより足が痛い。上海植物園の画像は更新したいが、ご存知の通り夜10時以降ADSLが不通になってしまう。時間を見つけて画像を登録し更新したいが、今しばらくお待ち下さい。画像は700枚ほど撮ってきた。この中で登録できるのは80枚あれば成功だ。既に5月に入り、蘭の花も芍薬(しゃくやく)も、時期が遅すぎたようだ。水仙も時期が遅かった。私は昼から行ったので、人の往来が少なく感じた。殆んどの所で、人を避けて撮影した。上海植物園の画像は今日明日は無理のようだ。画像は、招き猫から入り、若者のニットデザイン。そして、チャイナ風ジャケット。衿にその旗袍(チーパオ)の特徴がある。袖も細く、ウェストもかなり絞ってある。また身頃の丈も短く、袖を長くしている。これは、我々のスタッフではなく全く別の、中国アパレルメーカーである。今の百貨店は模様替えしてある。この画像は3月中旬の画像である。 「エレベーターガールは必要か?」このエレベーターは百貨店の中のフロアーから剥きだしのまま見れるエレベーターである。大きな百貨店のエレベーターともなると、必ずエレベーターガールを置かなくては、ならないが、日本でもそうだろうか?日本へ帰国しても、殆んど商談に、明け暮れた後、家族とのコミュニケーションに、終始した後、中国へ戻ってくるので、最近の日本の事は分からない。中国でも都心部のビルのエレベーターでは、必ずエレベーターガールを置いている。必ずしもガールではないかもしれないが、ご婦人が、乗っている。何故なのかは分からないが、乗っている。私なりに考えると、何か事故が起こった時に、直ぐに適切な対応が出来るからかな?などと、思っては見たものの、真意は違っているかもしれない。何階にどんなものが販売しているとか?日本の35年前にはエレベーターガールが、何処のビルでも居たような気がする。特に、百貨店などでは必要であろう。しかし、皆勝手に釦を押しているのも事実。この前も、友人との飲み会で上海中心街へ。そこでエレベーターに乗ったのは良いが、私と一緒に乗った人で「ブー!」と鳴った。エレベーターガールは、私に下りて下さいと、言うので仕方無しに下りたのです。私は16階までエスカレーターで行きましたよ。重量制限で一人だけ乗れない仕方ない事です。ここで文句を言っても始まりませんね。あと7分ほどでADSLが不通になってしまう。いつもこの時間はバタバタしている。この事により、精神不安定の状態が続き、今日、花でも見れば、気が落ち着くかと、思ったが、殆んどの花が枯れそうな状態だったので、返って何となく重たい気分で帰宅した。
2006.05.02
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マレーシア12「マレーシア独立広場1」昨夜もADSLは中国時間午後10時に、不通になってしまった。祭日の時なら日中の時間の余裕があるが、平日は、仕事に追われとても更新のための準備が、出来ない状態に有る。毎回、夜中までかかって画像の更新の準備をし、日中にはそれをアップするだけに努めている。このADSLの夜十時から朝8時まで不通になるのなら、大変な事になってしまうのかもしれない。マレーシアがどの辺に位置するのだろうか?との、疑問に地図を紐解いてみた。東南アジアの大陸部の先端にあると書いても、分からない人も居るかもしれない。タイのときにも、シンガポールでも、この地図上での位置を示してはいなかった。マレー半島部(西マレーシア)の北はタイであり、その最南端はシンガポールと陸路で国境に接している。マレーシアはタイとシンガポールにはさまれている。タイの北にはミャンマーがあり、東がラオスで、タイの南に隣接した国がカンボジアである。ベトナムというと、ラオスやカンボジアの東側に、隣接しており、隣りが中国領である。更にミャンマーやラオスの北側には、私も旅をした中国雲南省がある。ボルネオ島は南部のインドネシアと国境に接し、ブルネイ王国も東マレーシアに囲まれている。マレーシアの地図上の位置が大体分かって、戴けた所で、祭日の話題に移ろうと思う。
2006.05.01
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