全32件 (32件中 1-32件目)
1

「西岳華山の旅34」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。西岳華山の単独登山は完全走破出来ずに、中途半端なままで終わってしまった。だが、東峰や南峰また、西峰へは、あと少しの所で筋肉の不調により断念した。強行突破して大きな怪我をしてしまっては、仕事にまで影響してしまうと無理せず、引き返してしまったが、若くはないゆえに、断念して引き返す事も出来たのか・・?結局、登れたのは5つの峰のうち、2峰だけ。北峰と中峰で、北峰を最初に行っておいて、良かったと思うし、今回の不調な足では、最後に北峰を残しておいては、結局何所にも、登れずに山を降りなければならなかった。ロープーウェイ降り場口までは、1時間40分ほど、登りよりは早い時間で到着出来るかもと、思ってはみたものの疲れ切った両足で、更に衝撃の多い下りでは、十分に気をつけて、降りなければなどと思いながら下った。
2010.07.30
コメント(0)

「西岳華山の旅33」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。西岳華山で有名な「長空桟道」絶壁に4・5枚の細長い板を鎹で、つなぎ合わせた足場を、上のワイヤーに、カラビナにつけた命綱を絡ませて、渡って行くが、私は断念した。断念した一番の原因は、両足の筋肉の、疲労が限界に達していたことだった。「長空桟道」は南峰へ向かうルートにあり、一般の登山道から、20mほどロープを、伝い降りたところにある。だが、ここでは転落事故も多く発生している。天候の急変により、あたり一面霧だらけで、ルートを見誤ったり、滑りやすくなった崖より、転落事故を起こしてしまうケースも多い。華山の険しい登山道やロッククライミングの、ポイントでは1ヶ月平均10人ほどが転落死を、遂げており、私は体力の限界を感じ、引き返したことは言うまでもないし後悔もない。転落事故の中には、経験豊富な人が多く、初登山や不慣れな人の転落事故は少ない。
2010.07.29
コメント(0)

「西岳華山の旅32」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。西岳華山の中峰の高さは2042.5m。中峰の別称玉女峰と呼ばれる。海抜2042mは日本北アルプスの山々に、比較すれば、相当低いイメージがする。だが険しさという点を比べてみると、勝るとも劣らないと豪語する人も多い。中峰が玉女峰と呼ばれる由縁は、中国春秋時代に、秦の王女の弄玉が、仙人である蕭史の吹く簫(笛)の音に、すっかり感激、宮廷生活を放棄した。そして、仙人の蕭史と風に乗って、華山の中峰に飛ばされ住みついた。この伝説の話が今に伝えられている。
2010.07.28
コメント(0)

「西岳華山の旅31」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。華山金鎖関から東峰の中間あたりに、中峰へ縦走出来る登山道があり、その険しい登山道に入り少し後悔した。一枚岩に造られた石段であるが、鎖を持たなければ登れない角度であった。カメラをバッグに収納しバッグを石段に、擦れないように、背中の方へ回し登った。面倒でも一度金鎖関まで戻り、回り道の、安全な方法を取った方が良かったかも・・。中峰の玉女峰まで行くと足がガクガクした。このままでは、先へ登れないだろうと思い、自分で片方ずつの足をマッサージはじめた。いつもなら、これほどの疲労感を感じないが、今回の旅行前に体を作るための時間がなく、着実に体の衰えが忍び寄っているにも拘らず、いきなり飛行機で飛んで来てしまった。中峰より左方向へ進めば南峰へ登るための、長空桟道が見れるとのことでまた寄り道をする。
2010.07.27
コメント(0)

「西岳華山の旅30」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。どこの山でも初めは川沿いの緩やかな、登山道であるが、次第に急な登りになる。槍ヶ岳などでも松本側と高山側から登る。高山側からの方が緩やかであるが、最後の2時間はかなり急な登りになる。華山の場合は、ロープーウェイが出来た分、簡単に登れるため、登山者の危険意識に欠ける。昔の詩人は華山の尾根道で恐怖と死を、覚悟して遺書を書いたと物語で伝えられる。私は金鎖関から中峰・西峰の予定だったが、東峰への登山道へと向かった。だが途中で東峰を撮影だけ済ませたのち、金鎖関へ引き返したが、来た登山道とは、違うルートで中峰方向へ向かった。この時点で両足にはかなりの負担を負わせ、普段の運動不足が石段を一歩ずつ登る太腿に、辛さを感じ、登るスピードもかなり落ちた。
2010.07.26
コメント(0)

「西岳華山の旅29」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。華山は古来より今も一本道しかない。写真は北峰から登って来た金鎖関。これより左へ行けば東峰へ辿り着き、右折れすれば中峰へ着く。中峰から左方向へ行けば南峰方向へ、そして右斜め前へ向かえば西峰へ。1930年から1949年頃まで国民党の兵士や、共産党の解放軍兵士たちが、この一本道を、通り作戦を練っていた事も岩への文字で、その当時の様子を伺うことができる。まだロープーウェイがない1990年頃までは、山麓の玉泉院から徒歩北峰を目指し登り、金鎖関までの一本道を目指し歩き続けた。
2010.07.25
コメント(0)

「西岳華山の旅28」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。天下一の険しい山華山主峰は南峰で、落雁峰と呼ばれているが、今回は、西峰の蓮花峰を目的地として登った。華山には東峰の朝陽峰と北峰、そして、南峰と西峰、中峰からなっている。中国北魏時代に書かれた地理書の、「水経注」と呼ばれる書物の中には、遠くから山を望めば花の形に見えると、記載されており、花から華山になった。華山は中国五岳の山の一つとして、道教の山と数えられており、道教の道士の修行の場と知られる。その昔は、仙人が住む山として伝わり、仙人に一目逢いたいと人々は登った。華山の中で危険な個所も多くある。だが、一歩ずつ着実に登れば安全である。足下を確認しないで、よそ見をして登ると、転落する事も多い、あとから更新する写真の、地点では年間に120人は転落死をする。
2010.07.24
コメント(0)

「西岳華山の旅27」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。金鎖関の手前にある平安鎖区。登山道の安全柵の柱には、一生平安と書かれたタスキが、巻かれていたが、1本10元する。中国での平安の意味は、「無事」と言うことの意味に使う。他にも意味があるが、無事という、意味が、一番無難な感じである。華山は険しい山として知られている。登山道を登りながら、山の角度を見ると、これぞ絶壁と呼ぶのかと思うほど角度がある。登山道の中にも、上から下を見ると、下の石段が見えない不安感から、後ろ向きに、降りる人も見受けられる。登るときは、意外と楽に登れるが、自分の目線から石段が近くに見えるが、降りるときには、自分の身長分の高さから、下を見るので、恐怖感が先に立つ。
2010.07.23
コメント(0)

「西岳華山の旅26」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。華山金鎖関へ向かう途中に、岩に彫られた文字が数多く見かけた。いぜん彫られた文字を削り落し、その上に新たな文字が彫られていた。鴻と彫られているが、オオトリと読み、オオトリの声というような意味だろうか。華山は一枚岩で出来た山肌が多く、その山肌に石段を彫り、その石段を登る。危険が伴い、1年で120人が転落死している。その昔、北アルプス穂高岳を縦走していた時、女子グループの一人が転落して死亡した。私も手伝い遺体の収容までは順調に事が運んだ。だが、まだ転落死したことを知らない遺族に、山小屋から電話連絡しなければならなかった。意を決して女の子が遺族に電話をしたが、泣いてばかりで、亡くなった事が伝わらない。結局、警官から事務的な連絡が行っただけだった。山を簡単に理解し、浮き石を踏みつけ転落した。華山は頑丈な岩なので、その点では危険は無い。
2010.07.22
コメント(0)

「西岳華山の旅25」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。急な登りの華山登山道を、ゆっくりと、風景を撮影しながら登っていると、下の方から甲高い男性の歌声が聞こえてきた。右手に杖を持ち、一段一段を踏みしめながら、ゆったりとした速度で登って行く人に出会い、その人の後を追ったが、ゆっくりと、登っているように見えても、置いて行かれた。少し休むというので、私も横に座り休んだ。5分ほどの時間であったが、色々質問した。私の質問に笑いながらも、嫌な顔せず、丁寧に答えてくれたので20元を手渡した。写真の左手に20元を持っているのが、分るだろうか。この人も華山で担ぎ屋をして、25年との事で、50歳くらいかと思ったら、60歳とのことで、毎日、荷物を歌いながら、運んでいるのが若さの秘訣とか。大きな声で歌いながら登るのは、自分に、元気付けのためと、リズムを取っているとの事。
2010.07.21
コメント(0)

「西岳華山の旅24」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。険しく狭い登山道を登って行くと、平地に出来た土産物屋に出くわす。多くの人は、目もくれず先を急ぐ。私は、土産物は買わないが、写真だけ撮影するので、あまり歓迎されない。中国人が日本の観光地に来て、写真だけ撮って、何も買わないので、土産物屋さんから苦情が出ているとのこと。私は、逆に中国の人から、あまり歓迎されず、写真だけなら早く行って下さいくらいに、思われているのかとも思った。いろいろな土産物が売っているが、華山登頂記念として買う人は、ロープーウェイで下って、乗り場付近の、売店で買う人が多いようである。登覧華山の赤い布のタスキが売れているようで、近くの登山道の安全を確保する柱や鎖に、縛られてあったが、記念に持ち帰る人も多い。
2010.07.20
コメント(0)

「西岳華山の旅23」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。華山は、8千万年前の地質の活動により、出来た山で、花崗岩でできている。人間が自然と関わってきたのは、わずか50万年で、実質歴史に残るのは、5千年ほどであり、風雨による浸食は、想像を絶する長きに渡り行われた。華山は火山の噴火によりできたものではなく、地殻変動により起こり巨大な一枚岩なため、山頂までの道のり程が長く、険しい。また華山は断崖絶壁が多く、登頂は困難で、昔から華山に登る道は一本しかないという。最近になり、一枚岩に階段を作り、セメントで固めたところも多く、昔に比べれば、安全で登り易くなっている。華山は、雨が多いと聞いていたが、天候に、恵まれ、遠くの岩肌も霞まずに移っている。
2010.07.20
コメント(0)

「西岳華山の旅22」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。華山は、道教の聖山として、多くの神話が生み出してきた。華山には、道教の廟も多く残り、岩壁の彫られた石刻は到る所にある。また華山は険しさのあまりに、500年前まで登山道の開発はされなかった。中国では、皇帝が即位すると、道教の、名高い山に登って式典を行った。だが、華山だけは皇帝が登ったことはない。清朝に入り、山麓に道教の廟を建立し、その廟で、封禅の儀式を行った。封禅とは皇帝が天と地に王の即位を知らせ、天下が太平であることを感謝する儀式。その昔に、道教の廟が高い所に無いのは、現在のようにロープーウェイも無い時代、華山険し過ぎ建立が困難だったのだろう。 険しい華山の上まで登ったのは、地元の、村人が、少数の道士を案内して登った。
2010.07.19
コメント(0)

「西岳華山の旅21」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。華山登山道の両サイドには鎖で、登山する人の安全を確保している。私は単独行だったが、他の中国人の、ガイドがツアー客に、鎖が錆びていると、手に刺さり易いので手袋を購入するように、説明していたが、私もつられて買った。だが、錆びている様子もなく手袋を、使うこともなく石段を一歩ずつ登り、途中で振り返り撮影した画像が上。登って行く道の脇の岩には、必ず文字が、彫られていると言っても過言ではない。中には、以前彫ってあった文字を削り取り、その上へ新たに文字を彫った所もある。写真の彫られた文字は「胆大」と、中華民国時代に彫られたもの。民国時代の登山道は現在のようには、整備されておらず、危険な個所もあった。大胆で、かつ細心を心がける。つまりは、度胸は大きく持って登るが、注意は細かく払うべきことを書いているのか。
2010.07.18
コメント(0)

「西岳華山の旅20」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。西岳華山には南に聳える落雁峰と、東峰の朝陽峰、そして西峰の蓮花峰が、有名であるが、今回運動不足により、ふくらはぎに痙攣を起こしてしまった。単独登山のために、仕方なく中峰の、玉女峰まで行き、他は断念し下山した。上の写真は西峰方面の崖である。下の画像は、登山道脇に設けられた出店に、売られていた飾り物類である。華山で一番高い峰は南峰の落雁峰で、2160mあり、北アルプスの峰々に、比べると1000mも低いが険しさは違う。また中国の五岳の中で、一番高い山である。 とくに華山は、険しいことで世に知られ、昔から多くの人々の心を引き付けてきた。華山には名所旧跡も多く、山麓から頂上まで、道教の廟や、自然の名所が見られるが、体力をつけて、余裕をもって登りたい。
2010.07.17
コメント(0)

「西岳華山の旅19」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。華山北峰から上天梯の石段に登る右側に、三元洞という建物があり、岸壁にも、三元洞と文字が彫られている。三元洞には立ち入り禁止となっているが、少し登って行き右方向を眺めると、西峰の切り立った崖が目の前に見える。西峰の崖は、直角に近い角度はあろうかと、思われる崖が、下の方まで延びている。その崖でロッククライミングもできる。崖は木で下の方までは見えないが、裕に500mはあるのではないかと思う。私は、登山をしていた頃、最終行き着いた先が、ロッククライミングだったが、150mほど上の、垂直岩場で3m落下し、それ以後登っていない。
2010.07.16
コメント(0)

「西岳華山の旅18」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。華山に限らず、どこの山の岩には、文字が彫られており、彫った文字の中に、赤か黒の塗料が塗られている。上の画像の文字は「正義戦勝」と彫られ、彫られた年号を見てみると民国34年8月18日。民国34年は、民国最後の年号である。この1ヶ月半後に中華人民共和国が建国した。旧日本軍が中国を侵略したが敗北した。その後、毛沢東の共産党と蒋介石の国民党との、内戦のつづきが始まり、共産党が勝利を得た。華山の岸壁に正義戦勝と共産党が彫った。下の画像は、光緒23年に書かれ、日本では、明治30年ごろに当たるが、殆どが清朝から、中華民国時代に彫られたものが多い。
2010.07.15
コメント(0)

「西岳華山の旅17」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。西岳華山へ登った日は天候に恵まれた。上海の中国友人の話では、雨や霧に遭い、足下が悪く、大変怖い思いがしたと話していた。だが、山での撮影は、少し霧がかった方が、絵になるのであるが、険しい華山では、岩山を登るようなところもあるので、一年に120人ほどが転落事故死がある。華山の山並みは険しく、奇峰がそびえ立ち、中国で最も険しい山といわれ、無理は禁物。古くから、華山には道は一本しかなく、その登山道は非常にせまく険しい道の連続である。今回の旅では、最終危険とされるところへは、行ってはいない。怖いというより、ふくらはぎの、けいれん発作により、断念してしまった。登山道の脇に安全を確保するための鎖には、多くの南京錠が掛けられている。鍵は各自持ち帰っているので、開けることはできないが、恋人同士で、誓った願いの南京錠ならば、結果の良し悪しは別にして、いつまでも、二人の心に残り続けるのでは・・・?
2010.07.14
コメント(0)

「西岳華山の旅16」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。西岳北峰から下り休憩所の中を通り抜け、中峰方向へコンクリートで固めた登山道を、歩いて行くと、暫くして金庸が題した、華山論剣と彫られた石碑と出会った。北峰の山頂付近だけに金庸の石碑が、建てられているものばかりと思っていたので、白セメンで綺麗に塗られた石碑を撮影した。その折に、食料品類を肩に担ぎ、一歩ずつ、石段を着実に踏みしめて登る中国人が、私の横を追い抜いて階段を登って行った。私は、旅に出る3週間ほど前から、体力を、付けるために、仕事が終わってより、8階建てのマンションの非常階段で運動をする。時間にして50分ほどだが、階段の上り下りは、夏ともなると、汗が吹き出し、階段の上に、汗の雫が落ち、6段毎に雫の輪ができる。8往復から10往復するので、途中で嫌になるが、雫の輪を見つけては、もう少し頑張ろうと、自分に言い聞かせながら上っている。だが、体重が4キロでも肥ると足が辛くなる。自分の前を行く人は、肩に40キロ以上の荷物を、担ぎ石段を登るので、汗が落ちているのにも、納得をしながら、シャッターを切っていた。
2010.07.13
コメント(0)

「西岳華山の旅15」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。華山北峰から中峰・西峰へ向かった。北峰へ登る途中まではロープーウェイを、利用できたので、疲れはさほど感じなかった。北峰から下り、休憩所の中を通り抜け、中峰方向へ登って行くと前方に、見えてくるのが、道教の廟の裏側。中国の五岳と呼ばれる山には、それぞれ道教の廟があり、どんなに、有名な山であったとしても、道教の廟がなければ、五岳に入っていない。下の画像は、険しい山道を荷物を担ぎ、中峰途中の山小屋まで食物を運ぶ人である。荷物の重量も40キロほどになり、天秤棒の、前後に荷物を分けて、担いでいるが、慣れても、一気には運ぶことが出来ない。少し登っては休み、また荷物を担いで登る。ヘリコプターでは、経費が膨大になり、この人たちがいなければ、山小屋では、登山客に対して何もサービスができない。
2010.07.12
コメント(0)

「西岳華山の旅14」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。中国人の中で「金庸」を知らない人はいない。それほどに著名な金庸が書いた華山論剣の、文字が石碑に彫られていたが、ここが北峰だ。多くの中国人が、金庸の石碑の前で、記念撮影をしていたが、その合間を縫って、撮影した一枚が、上の金庸の石碑画像である。金庸は浙江省で生まれ香港で武侠小説活動し、多くの人に読まれているが、記者でもあり、文化大革命では真の目的が劉少奇打倒にあり、終末期には林彪の失脚をそれぞれ予言した。金庸は政治評論家としての才能も発揮した。1999年より浙江大学の人文学院長を務めた。金庸は武侠小説の第一人者であり、長編物は、12篇書いており、中編小説は3篇を発表。作品の多くは香港で、映画化されている。日本でも長編・中編と出版されている。中国一険しい場所での人気ある北峰に、金庸の華山論剣の石碑が建ち違和感はない。上の写真は北峰頂上に建てられた案内石碑で、下は、北峰から少し下った所に造られた廟の、門から、中岳への方向を撮影した。
2010.07.11
コメント(0)

「西岳華山の旅13」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。西岳華山の登山道脇の鎖に、掛けられた南京錠は登山客や、旅行者が自分たちで用意するのかと、思いながら北峰に向かい歩いていた。しかし、その疑問は直ぐに解けた。登山道の脇で南京錠が売られていた。若い二人に限らず、将来に不安を感じ、気分転換をしに険しい華山へ来た人や、今の幸せを保ち続けたいと願う人達にとって、売られている南京錠は悩むことなく、購入し、願いを込めて鍵を掛ける。南京錠には、具体的な願い事が彫られ、目にした者の気を、そそるようである。道教の国、中国の人々にとっては、このような、具体的な物での願い事は、その気のない人たちを衝動的な気分にさせる。日本でも神社などで願い事が書かれた絵馬を、買い、ぶら下げるような心理にも似たり。南京錠には「昇進し金持ちになる」とか、「思いが成し遂げられるよう」また、「一家が平和で幸せでありますように」
2010.07.10
コメント(0)

「西岳華山の旅12」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。「旅客止歩」と書かれた注意書きだが、日本語に訳せば、登山者立ち入り禁止。私が20代に登山をしていた北アルプスでも、古い登山道や、よく事故が起きる登山道に、立ち入り禁止の注意書きがしてあった。だが、注意書きの立札の向う側が知りたくて、わざと人目を盗んで乗り越えたものだった。登山客が何十年も入っていない事もあり、岩には苔が生えている個所もあった。身の安全を確保する鎖は錆びつき、相当、長きにわたり人の往来がない事が、分かったが、そんな事が分かってしまうと、恐怖感が先に立ち、とても前進する気にならず、来た道を引き返し、皆が登る道を登った。写真は、南京錠や華山登山記念の布テープ。
2010.07.09
コメント(0)

「西岳華山の旅11」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。西岳華山は中国五岳の中でも一番、険しい山として知られている。ロープーウェイの設置は切望されて来たが、工事は難航する事が想定され、設置計画は何度も変更された。1993年頃よりロープーウェイの計画。1994年より2年半の歳月をかけて、1996年にロープーウェイは稼働を始めた。ロープーウェイ設置は、中国独資では、その当時の技術では難しくシンガポールの、企業と中国華山管理局の合資で進行された。ロープーウェイの設備はオーストリア製。オーストリアのロープーウェイ設備は、定評があり、アジアからも売り込んだが、シンガポールの企業の最後の一押しで決定。日本のロープーウェイ技術も定評があるが、最終オーストリアの設備を導入した。写真は、登山道脇に打ち込まれた道案内の鎖。
2010.07.08
コメント(0)

「西岳華山の旅10」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。 西岳華山の北峰へ向かう途中に、変わった今まで見た事がない獅子像に、出会って何枚もシャッターを切った。下の雄獅子像は左前脚で抑えるマリは、一般の獅子像と変わりないが、獅子の、顔の作りが何とも面白い。上の雌獅子像では、子供の獅子が、母親獅子に戯れる姿が面白い。 今まで子供獅子が母獅子の胸に、しがみつく姿は見たことがあるが、口移しに甘える子供獅子の姿は、初めて見たので暫しの間足を止めた。下の写真は、山麓から登って来る、ロープーウェイと降りて行く姿を、望遠レンズで撮影した。今回携行したカメラは1台だったが、、レンズは3本持ってきた。カメラバッグに入れて持ち歩くも、ズシリと重たくなって来ていた。
2010.07.07
コメント(0)

「西岳華山の旅9」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。ロープーウェイを降りてしばらく石段を登り、南峰や西峰・東峰、また右側へ歩けば、北峰からの登山道が合流しており、観光客も多く休憩していた。ロープーウェイを使わず、登山道を、登って来る人たちもいたが、私には、そのような芸当は出来ない。華山の登山道は、唐代に作られ、北峰から、尾根を伝って南峰に到る登山道を、80年の歳月を使い、作って来た。勿論、現在のような石をセメントで、固定し、鎖で道案内を施したのは、ごく最近のことである。北峰へ向かう登山道に記念亭と、彫られたアーチが設置されていた。もうすぐ行くと北峰ホテルに着く。1800mほどの地点に造られたホテルだが、ヘリコプターで資材を運んだとはいえ、人力の程は、想像を超えるものがあった。
2010.07.06
コメント(0)

「西岳華山の旅8」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。北峰へ向かう登山道の両側のガードに、沢山の南京錠でカギを掛けられている。日本でも見る光景なのかは分らないが、中国の観光地では、鎖に鍵を掛けて、赤いリボンに、願い事を書き、吊るした光景を見掛ける。行楽地の欄干にカギを掛けておくのは、記念のためだけではないようだ。日本の神社などでは願掛けのため、おみくじや願い事を書いた紙を、木の枝などにくくり付けるが、そのような気持ちにも似ている。若い二人がお互い愛し合う気持ちが、いつまでも変わらないようにとの思いと、離れないように鍵でつなぎとめる意味もある。南京錠のカギは二人が、それぞれ持ち、財布の中に入れておき、何かある度に、鍵を掛けた時の気持ちを思い出すとか・・。
2010.07.05
コメント(0)

「西岳華山の旅7」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。ロープーウェイ乗降場より100mほど登ると、華山北峰山小屋に向かう登山道へ出る。昔、北アルプスなどでは山小屋の世話になり、山に入ると3か所の山小屋で泊まった。だが、若いから出来たという事も言えるが、今なら北アルプス穂高や槍ヶ岳への縦走すら、足が着いていかないだろう。華山の北峰の山小屋で宿泊できることを、知っていたとしても、泊まる勇気が湧かない。写真は、その北峰山小屋へ行く門の前に、置かれた獅子像で、雄と雌が作られ置いてある。銀行などの門の前に置かれている獅子像に、比べれば、作り方も大きさも違うが、雄獅子像の右前脚には手まりを押さえつけ、雌獅子像の左前脚には子獅子がいた。ロープーウェイの降り口が近く、ワイヤーロープがギヤーと摩擦する音が、ガタガタ、ゴトゴトと音が聞こえてきた。
2010.07.04
コメント(0)

「西岳華山の旅6」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。北峰のロープーウェイ降り場にて、これから登る西峰方向の岩肌を撮影した。ゴンドラには、朝早くから登山した人達が、既に登山を終え降りて行く所もみられた。朝7時から登って来れば、ゆっくり登っても、4時間で登ってこれるが、私は山麓ホテルに、宿をとっていたが、既に下山する人と、すれ違い、何とも複雑な思いがした。だが、彼らはツアー団体の人たちで、これから西安まで行き、西安観光をするため、急いで行程を消化していると勝手に納得した。私は、今回西岳華山登山のためだけに、上海から飛行機に乗ってきたなどと、自分の立場を正当化するために言い訳をした。現に、私の後からでも、どんどん登山客が、ゴンドラから降りて来ており安心した。
2010.07.03
コメント(0)

「西岳華山の旅5」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。西岳華山には、北峰、南峰、西峰、東峰がある。ロープウェーは北峰が終点である。北峰へも自分の足で登らなければならない。久しぶりの山であったが、何となく、ハイキング気分で出発したので、誤算が生じたが、一番の誤算は足であった。中国人ガイドらしき女性が、説明しているのを、少しの間、聞いていたが、どんな事があっても、一人で山に登らないようにと説明していた。また西岳華山は中国五岳の中で一番険しい山で、急な所は鎖につかまり登らないと危ない。手袋をロープーウェイ乗り場でも売っていたが、ここでも買えるので買っておけば役に立つと、私も、その言葉につられて軍手を買った。鎖が錆びついて、その錆が手に刺さることや、手が汚れることを避けるためだと話していた。
2010.07.02
コメント(0)

「西岳華山の旅4」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。西岳華山の6人乗りロープーウェイから、中国人を押しのけ、外の景色を撮影した。私が日本人と知っていたので、日本人に、対してあまり良い印象は持たなかったかも、知れないなどと思ったりもした。「智取華山路」と岩肌に掘られた文字。中華民国時代から華山は軍の計略で、攻め取った華山路と戦いに取っては、譲れない華山の路だったようだ。中国では各地の岩肌に文字が彫られている。しかし、現在では勝手に文字を彫れば、重い罪に罰せられ、法律で禁じられている。「五岳華山険居首」と掘られた文字。華山は五岳の中で険しい山第一である。ロープーウェイの中から撮影し、150mほどの、距離があるので、実際の文字の大きさは、分らないが、かなり大きく彫られている。
2010.07.02
コメント(0)

「西岳華山の旅3」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。陝西省華山山麓のホテルに泊まり、ロープーウェイで北岳の降り場へ来た。ロープーウェイの長さは1500mだが、8分ほどで北岳に着いた。右へ登れば北岳頂上へ向かい、左へ向かえば西岳への険しい山道。写真は、北岳のロープーウェイ駅付近。お茶飲み場で休憩してからとも思ったが、時間も昼過ぎになっていたので、華山の険しい山肌を撮影し、先を急いだ。中国五岳の中では、一番険しい山として、知られているが、この時点では、その険しさのほどを知らなかった。
2010.07.01
コメント(0)
全32件 (32件中 1-32件目)
1