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「蘇州旅情40」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。 西園を出るときに、振り返った時に、屋根の魔除けたちが目に飛び込んで来て、レンズを交換して撮影した写真。中国の宮殿や寺院の建物の屋根には、数種類の動物の形をした装飾施されている。通常は走獣などと呼ばれているが、原型となった魔除けの装飾は昔から存在している。大棟の両端部には、大きな口の龍が置かれている。日本の鯱のように火災から守ることのようである。 隅棟の先端には、獣が並んでいたりする場合も多い。走獣の装飾をで先頭には霊鳥に乗る仙人の像や、その後ろにつづき、色々な霊獣が並んでいる。霊獣の置かれる順番は決められた順序があるようだ。だが、寺院が建つ土地や宗派により順番が違う。屋根の先端を保護する役割を担っていることに、間違いはないが、意味合いについては不明。屋根の上に並べて置かれている龍や獅子や麒麟など、想像上の動物が一列に並んでいるのを見るのは楽しい。
2010.08.30
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「蘇州旅情39」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。寒山寺を出てより地図を見ながら、西園へ向かって歩きだした。タクシーに乗った方が早いのだが、のんびりと西園向け歩くことにした。寒山寺から西園までは1キロもなく、周りの風景を眺めながら歩いていると、西園へ着き、入場券を購入し中に入った。一人旅の場合には集合時間は全く心配しない。だが、予定の目的地を消化できない事も、多く発生するが、致し方ない事でもある。上の写真は西園の鼓楼であるが、中には、太鼓が保管してあり普段は鍵が掛かっている。鼓楼の向かい側には、鐘楼があり、古き時代より、時を告げるために打って来た。 上の写真は、西園禅宗の寺院の大雄宝殿前の、香炉であり、中に入ると、いきなり撮影禁止と、係りの人が歩み寄ってきた。私は、仕方なく裏側へ回って直ぐにシャッターを、切ったものの、私の横には先ほどの係りの人が、ニッコリ笑って、撮影は駄目ですよと言われた。写真は観音菩薩像であるが、色鮮やかな塗料で、塗られており、暫しの間眺めていた。この観音像のマントはベージュ色だが場所によっては、真っ赤なマントを羽織らせている寺もある。写真では、慌ててシャッターを切ったために、観音の足元の動物が見えないが、龍の頭に、魚の体をもつ「鰲」という動物である。「鰲」の説明は、またの機会に説明しようと思う。
2010.08.30
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「蘇州旅情38」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。 回廊を右に曲がると張継が詠んだ詩が見える。張継は唐の詩人で、寒山寺に詩を贈った。その詩のタイトルは楓橋夜泊と言い楓橋は、蘇州の楓江にかけられた橋のことをさす。張継は官僚政治家になる前、科挙の試験に落第し、落胆のあまり船の旅に出て、楓橋の船着場の船の中で、夜を明かしたが、その折に詠んだのがこの詩である。「楓橋夜泊」の詩月落烏啼霜満天 江楓漁火對愁眠 姑蘇城外寒山寺 夜半鐘声至客船 「楓橋夜泊」の訳(落第した心境)霜が夜空に満ち月は隠れ鳥が啼いている。紅葉の川辺の楓が漁火で照らされ眠れない。蘇州郊外に建つ寒山寺から時を告げる鐘の音が、客船にまで聞こえてくる。3年後、張継は科挙試験に合格し官僚になるが、この時は、科挙試験に落第した心境を詩っている。忍び寄る冬の中で詠んだ詩であるが、蘇州の川に浮かぶ船で一夜を過ごす彼の、やるせない思いを、霧が空を覆い月の灯りもなく、鳥(カラス)が虚しく啼くと自分の心境を、上手く状況を反映させた詩である。西条八十の詩に蘇州夜曲があるが、よく似ている。季節は桜咲く春と秋口の肌寒い季節の違いあり。「君がみ胸に抱かれて聞くは 夢の船唄鳥の唄水の蘇州の花散る春を 惜しむか柳がすすりなく花を浮かべて流れる水の 明日の行方は知らねども今宵映した二人の姿 消えてくれるないつまでも髪にかざろか口づけしよか 君が手折りし桃の花涙ぐむよなおぼろの月に 鐘が鳴ります寒山寺」(ネット上では歌詞をコピーペーストしては問題あり)
2010.08.29
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「蘇州旅情37」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。 寒山寺の五重塔普明塔院の階段を上り、上から周辺の景色を見た。蘇州の最北端に位置する北寺塔の、階段の幅に比べると半分ほどの狭さ。狭いため人と人がすれ違う事が出来ずに、人が階段を降りるときや登るときに、上下を確認して待っていなければならない。その狭さは上に行くに従って狭さを増した。何とか階段を下りて外に出て普明塔院と、同じ敷地内にブロンズの獅子像があり撮影した。子供獅子が母獅子を見上げるかのように、子供をあやしている母獅子像と手まりを置く像が、ブロンズで出来ていること自体珍しいが、獅子のリアルな造りに新鮮ささえ感じた。今まで見てきた獅子像は石で出来ているものが、多く、また姿も厳格な感じがしたが写真の、ブロンズ獅子はゆったりとした感じが伺える。法堂へ進み右方向へ進んで行くと回廊に、造られたガラス張りの中に、僧侶たちが、太い筆で書いた詩が飾られていると思って、眺めていたが、回廊には歴代の有名な書道家の、書跡を彫った石が入っているとの事だった。
2010.08.28
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「蘇州旅情36」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。 寒山寺の大雄宝殿から少し行くと、五重の仏塔、普明宝塔を見上げる。寒山寺が出来た当時は妙利普明塔院と、呼ばれており、また北宋の時代には、七重の仏塔が建っていた。北宋(10世紀頃)の七重の宝塔は、元代の末期(14世紀頃)戦火で焼失。それ以後寒山寺は何度も戦火に見舞われた。約700年の長きに渡り仏塔の再建はなかった。20世紀も終わりが来た頃、寒山寺普明宝塔の、再建事業を始め4年の歳月を掛けた後、五重の宝塔が建てられ今日に至る。 普明宝塔の中には、東西南北方向を向いて、座した普明如来の仏像が静かに微笑む。普明宝塔は普明如来と共に、寒山寺を、象徴するに値する存在となっている。普明塔院の南側に法堂が建てられているが、寒山寺を訪れる高僧が仏法を論ずる場所である。また僧侶の教学水準や文化的知識を高めるため、各地から多くの書籍を買い整え、パソコンもある。ネットができるかどうかは分からないが、寒山寺の文化的水準は高くなったようである。寒山寺の僧侶は36人で昔に比べれば少ないが、近隣の寺から比べれば、僧侶の数は多い方である。
2010.08.27
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「蘇州旅情35」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。 寒山寺の大雄宝殿の釈迦如来像を、撮影しようとしたところ制止された。大雄宝殿の中は撮影禁止とのことで、外からなら良いかと聞いたところ、外での撮影は構いませんよと言われた。外に出る前に参拝の親子を撮影し、敷居を、またいで外へ出た。外から望遠レンズに交換しMFに切り替え、ISO値を上げ、連写をした写真の一枚が、上の写真であるが、やはり手ブレしている。再度、大雄宝殿の敷居を越え中に入った。レンズを交換しカメラをバッグの中へ入れて、見上げるように釈迦如来像を見た。 係りの中年女性が近づいて来て、あなた撮影は、禁止ですよって言ったのに撮影していましたねと。私よりは、外からの撮影は問題ないとの事で、中での撮影はしておりませんよと話すと、お釈迦様の撮影は禁止になっていますので、外からでも撮影は困りますと、中国人が近くで釈迦像を撮影していても、注意をするわけでもなく私に話していた。私は中年の彼女を手招きして外に出た。バッグからカメラを出し釈迦像を撮影した。望遠レンズから広角に代えてあったので、撮影した画像を液晶パネルで再生して見せた。広角レンズなので、私も驚くほど釈迦像が、小さく写っていたが、係りの女性は不服そうに、基本的に撮影は禁止ですからと中に入った。相変わらず中ではフラッシュが焚かれていた。
2010.08.26
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「蘇州旅情34」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。 蘇州駅から3kmほど行った所に、寒山寺はあるが、森鴎外の小説の、「寒山拾得」拾得の故事で名高い。私が寒山寺と変換する場合は、「寒い」をタイプして「い」を削除し、次に「山寺」を打ち出すという具合だ。寒山寺を「かんざんじ」とタイプすると、浜名湖の舘山寺が変換されてしまう。はじめ寒山寺を検索するときに、舘山寺が出て少し驚いた。その昔、長女が1歳半になったころ、5日間舘山寺へ宿泊したことがあった。 曹洞宗舘山寺の本堂から鐘堂など、懐かしく思い出されたが、蘇州寒山寺と、舘山寺とは友好関係にあったと知った。伊藤博文が寒山寺に鐘を寄贈したが、同じ時期に舘山寺にも寄贈していたと知った。1905年に、伊藤博文が1対の鐘をつくらせ、一つを寒山寺へ寄贈し、一つを舘山寺へ。現在舘山寺にその鐘はないとのことだが、寒山寺には現存している。下の鐘の写真の上段右側に伊藤博文の名前が、彫られており、鐘を造った人の名前もある。写真では、鐘の下側にピントが合い名前が見辛い。
2010.08.25
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「蘇州旅情33」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。 写真は寒山寺の四天王像だが、日本の像とは表情や雰囲気が違う。京都東大寺の四天王像は厳粛で、凛々しい雰囲気が漂っていた。中国のどの寺の四天王像を見ても、同じく微笑ましい雰囲気である。 四天王は須弥山を守る役目を担い、須弥山においては帝釈天を仕えた。元々インドより伝来した仏教は、中国へ伝わり、日本へ伝わって来た。四天王は、仏法の守護神として、日本でも広く知られており、飛鳥時代から奈良時代に多く伝わる。 四天王は、西方を守る広目天と、東方を守る持国天、南方を守る増長天、そして北方を守る多聞天だが中々難しい。写真では上から宝剣を持った増長天。次に、琵琶を持った持国天、その下が、蛇を持つ広目天と傘を持つ多聞天である。
2010.08.24
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「蘇州旅情32」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。蘇州の夜を満喫したとまでは言えないが、ホテルに着いたのが深夜1時頃になってしまった。夜10時頃に電話登録した「蘇州の女(ひと)」より、私の携帯に電話があり、友人の結婚記念パーティも、無事に終了して、ご主人と子供と帰る途中との事。主人に代わるからと言われたものの、一体何を、話してよいものか分からないので、また蘇州に、来た時に連絡するよと言って電話を切ろうとした。彼女からは「明日はどこへ行くの」と聞かれ、寒山寺の事を話すと、日本人に人気がある寺ねと、じゃ!楽しみにして行って下さいと電話は切れた。街の通りで声をかけた女性から電話が入ったものの、逢ってもいないご主人と会話する事もあるまいと、思ったが、彼女はパーティ出席のために淡いピンクの、チャイナ服を着ていて独身にみえたが・・。寒山寺へは今までに4回来ているが、この時は、初めてだったので、ホテル近くの大通りから、タクシーを使ったが、寒山寺横の通りで降りた。寒山寺は510年頃に建てられたが、800年後の元代に、戦火で焼失してしまい、その後再建されるが、4度戦火により焼失している。写真の寒山寺と書かれた塀は、あまりにも有名である。この塀の前で、記念写真を撮るというのがステータス。そのほかに有名なのは、明治のころ伊藤博文が、寄贈した2.5トンの鐘だが、少し小ぶりである。話によると、寒山寺にあった大きな鐘が、日本人によって持ち出されたということで、それを知った伊藤博文が探させたが見つからず、2.5トンの鐘を寄贈したとの事であった。
2010.08.23
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「蘇州旅情31」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。中国の各都市にある新華書店を出て、観前街の通りを、路地へ入り込み、のんびりと目的もなく歩いていた。30分ほど歩いているうち、一体どの通りを、歩いて来たのか、一体どの辺りにいるのか、初めて来た街並みに迷ってしまった。ホテルに帰り着く時間が決めてある訳でもなく、月をバックにパーティードレスなどや、ウエディングドレスが売られている店を撮影。やはり自分自身が何処にいるのか心配になり、玄妙観まで行けば道が分ると思ったので、通り過ぎ行く中国人に玄妙観の方向を聞いた。2人に聞いたが知らないとの返事だったが、3人目の人が玄妙観の近くまで行くので、同行して頂き、玄妙観へ辿り着いた。観前街は全長約800メートルほどの通りだが、通りを外れて行ったり来たりしていると、自分の立っている所が何処なのか迷ってしまう。上海を出発する前から観前街について検索。その中に玄妙観という名の道教の寺院を、目標にして道を覚えていたが夜の観前街も、手伝い道が分らなくなってしまった。玄妙観は道教の聖地だったが、現在では、三清殿と山門だけが残ってる。その三清殿を月をバックにしてISO値を上げ、シャッタースピードを遅くし撮影したが、やはり三脚なしのため手ブレを起こしている。下の写真は、観前街霊星門広場から撮影。
2010.08.22
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「蘇州旅情30」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。ホテルに帰ってより直ぐにシャワーを浴びた。夜は観前街で食事をしようと一人繰り出した。ネットで調べていた蘇州で賑やかな通りは、観前街という事で、蘇州一の繁華街へ向かった。ホテルから少し歩き大通りまで出たが、食事時とあってタクシーがつかまらなかった。少し離れた所で、タクシーを待っている女性に、声を掛けると、中々タクシーが停まらないという。暫くの間、対話をしていると、友人の結婚祝いの、パーティに行く途中だというので場所を聞いた。聞いても私に分る筈もなかったが、私の行き先の、観前街を彼女に話すと車で5分ほどだと言う。彼女と色々と話しているうちに食事会に来ないかと、言われ、一瞬その気になったが、結婚している事が、分り、何とか着いて行くのだけは思い留まった。私の携帯に電話を掛けてもらい、彼女の名前を、蘇州の女と登録していた所へタクシーが停まった。私は彼女を助手席に乗せて、彼女の食事会の所まで、送り届けたあと、私は観前街まで引き返した。結局、5分ほどで行けれる道のりを20分ほど掛かり、私の目的地へ着いた。私の目的は蘇州の緑揚?飩。写真の緑揚?飩店で小籠包類を食べることだった。小籠包はワインに合うが、店には売っていなかったので、外のコンビニで買って店に持ち込み食べた。ホテルまでの帰り道、中国で一番大きな新華書店で、中国の単行本を購入したが辞書がないと読めなかった。
2010.08.21
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「蘇州旅情24」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。蘇州に造られた拙政園は水園で、必ずと言ってよいくらい橋がある。拙政園の中には人工池や川が沢山ある。人工川の上には石のアーチ橋が掛けられている。写真の橋は虹のような扇型の橋をしており、虹の橋と呼ばれる虹橋廊は、拙政園の最も、有名な橋であるが、廊下式の小さい橋だ。写真の橋は、虹の形のため小飛虹と呼ばれ、蘇州古典庭園の中での唯一の橋式の建物だ。蘇州の14か所の庭園の中で唯一の廊下の橋だ。宋の時代に造られたが、清朝に改造された。写真では逆光になったため橋の欄干の赤色が、水面に映って影のように黒くなっている。だが、橋の欄干に光が差し込み水面に映った、赤の欄干の色素晴らしいとガイドブックに、載せてあるが、やはり時間帯が必要不可欠である。
2010.08.20
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「蘇州旅情18」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。拙政園の入園チケット代は70元(1050円)拙政園は上海の豫園や北京の頤和園などと、並び中国四大庭園の一つに数えられる。拙政園の名前の由来は何から来ているのか?ピンインで書くならば「zhuo1zheng4」拙とは、つたないとか下手であるの意味。政とは、まつり事で政治のことをさす。拙政園を造った王献臣は高官官僚を追放され、故郷の蘇州に戻ってきた。そして、愚かなものが政をつかさどるという意味で、「拙政」と名づけたという。拙政園の敷地面積は約5万平方メートルで、蘇州の中に14ある庭園のなかで最大である。この庭園に来る前、蘇州庭園に関する本を、買ってきては、かなり細かいところまで読んだ。だが、実際に庭園に来てみると、見て回る順序を、間違えてしまうと、一体、何処を見ているのか、頭の中が真っ白になってしまうほどだった。またガイドブックは、かさばるので必要な個所を、コピーして来たものの抜かしてコピーしたので、やはり、ガイドブック1冊そのまま持って来るべきと、思ったが、次の旅でも、同じようにコピーしている。
2010.08.17
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「蘇州旅情13」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。広東省の禅寺で男女が、ひざまずき、両手に線香を捧げ持ち真剣に祈る姿が、今でも印象に残っている。蘇州の寺での線香を持ち祈る方法は、立ったまま東西南北を順に頭を下げる。祈りの方法などは日本とは違うと思うが、形式が違うだけであり、祈る心は同じだと思う。中国では具体的な祈りが大切であると説く。私は家族の健康と自身の背負った宿命を、来世まで持って行きたくないので、今世で、断ち切ってほしいと祈るが、漠然過ぎるようだ。上の写真は撮影に際しては、僧侶にお願いして、観光客が立ち去るまで待って撮影した。あとから来た中国人が、撮影してもイイの?と、私の横に立つ僧侶に質問していたが、この方は、ご供養を沢山頂きましたので許可致しましたと、話すと、お金を支払ってまではイイですと去った。私は撮影してから、仕方なくご供養をし名前を、書いて、ひざまずき祈りを捧げたが、僧侶は私に、手を合わせて、これから良い事がありますよと、ニッコリ笑ったが、一本やられた感じだった。写真は釈尊の過去世・現在世・未来世の仏像。生まれ変わりとされるが、時間は那由他阿曾祇と、とてつもない長い時間を掛けたと僧侶の話だった。
2010.08.14
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「蘇州旅情12」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。北寺塔の裏側にある報恩寺に、安置された観音像を撮影した。中には寺を管理する人たちが居たものの、日本から来ましたが、撮影させて下さいと、お願いしたところ、本当は撮影禁止だけど、遠いところから来て下さったので、どうぞと、撮影許可を下さったので急ぎ撮影した。この日は、私が撮影している間中、観光客は、誰一人として入っては来なかった。観光客はガイドの案内に従って直接、本堂の方へ、行ったのかも知れないと、思いながら、時間の制限など無い私にとって、のんびりと、更に裏側の回廊へも行った。故郷はフィンランドという子供達が、話す中国語は相当流暢だった。子供の脳は柔軟だから覚えるのも、早いだろうなと思って聞き直すと、男の子は中国で生まれたと語ってくれた。写真は、1.5mの長い線香が供えられてるシーン。
2010.08.12
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「蘇州旅情6」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。北寺塔は南北朝の梁時代の創建と伝えられる。当時は十一重の塔だったが、戦で度々壊され、北宋年間に九層の塔に再建された。南北朝の梁時代は502年からの55年間をさす。写真の塔の第一層から六層までは南宋時代に、再建されたが、七層から九層までは明代に再建。廂と欄干は清朝に入ってより再建された。塔の高さは76mあり、幅広い階段を登れる。北宋時代に再建された塔の階段としては幅が広い。階段の横幅は裕に1.5mあるので上り下りする人が、避けなくとも十分に、すれ違う事が出来る。だが、当然の如く上に行くに随って幅が、狭くなっており、すれ違いなどはできなかった。寺の敷地内の右側に清朝に入ってより、造られた回廊があり、回廊の壁には、三国時代の孫権を書いた情景や北宋時代の、情景などが描かれた絵が額に入れられ飾られていた。
2010.08.11
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「蘇州旅情8」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。北寺塔の周りには、提灯が吊るされていた。写真は吉祥如意と書かれた提灯をアップした。吉祥如意とは、縁起が良いとの意味で、万事めでたく順調に事が進むように希望の言葉。西遊記で孫悟空が使っていた棒を如意棒と呼び、如意棒を持つと、すべて意のままになった。願い事は何でも思うままに叶えてくれる事に使う。上の写真は北寺塔へ登る入口であるが、写真でも分るように、第一層の中は真っ暗。北寺塔の中心には釈迦の座像が置かれているが、真っ暗なため手ブレを起こしてしまう。コンパクトデジカメで撮影すればオートで、フラッシュを焚いてくれるがデジカメ一眼レフは、フラッシュを別付けて撮影しなければならず、旅にはフラッシュを持って来てなくISO調整と、シャッタースピード調整で何とか絵になった。
2010.08.10
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「蘇州旅情5」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。団体ツアーの場合には、当然の事ながら、自分でチケットを買う必要もない。一人旅の場合は、その都度チケットを購入。観光が終わると、バス停まで歩き次の、目的地まで行くが、勿論タクシーを利用すれば、探す必要もないのだが、面白みに欠ける。写真はホテルから歩いて5分ほどの北寺塔だ。別名を報恩寺と呼び、蘇州で最も古い寺。日本でも知られる三国時代の孫権が、母の恩に報いるため「通玄寺」を築造した。中国唐(618年-907年)の第6代皇帝の時代、開元(713年-741年)年間に、全国各郡に、年号と同名の寺を置くことが定められた。その事により、通玄寺は開元寺と改名した。唐第6代皇帝の時代は中国史上の政治の、安定期の一つでもあり、唐は絶頂期を迎えた。写真の中に、北塔報恩寺と掲げられており、母の恩に報いるために建てられた事が分る。
2010.08.08
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「蘇州旅情4」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。ホテルのフロントでは、予約した私の名前を、調べたものの見つからなかった。安宿のフロントの女性は言葉遣いが悪かった。予約料金は有り得ないと疑ぐられたが、念のために、コピーアウトしておいたネット予約内容を手渡した。女性は、どこかへ電話をし私の予約の事で、話をしていたが、受話器を置き、ネットでの、予約はしていないですけど今回は提示料金で、OKが取れたと話すが、私は何とも不愉快に思った。ネットで予約を受け付けていないので、いくらネット上で予約が取れてもホテルで受信が、出来ていないので今回のような事が発生した。ネット上でホテル名の更新を削除するべきとも、思ったが、口には出さず保証金を預けた。中国のホテルでは、チェックインする際に、保証金を出さなければならない習慣がある。宿泊料金プラス50%で、私の場合は、(100元×4日)プラス50%で、600元だった。私が予約したホテルは、割引しても160元で、私の場合、ネット予約だったので100元ですんだ。フロントに掲げた宿泊料金では、280元なので、相当割安で宿泊出来たので良かった。ホテルまでは、人民路×桃花塢大街交差点より、徒歩で5分なので便利は良かったし交差点の傍に、9階建ての北寺塔があり、計画どおり先に登った。
2010.08.07
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「蘇州旅情3」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。今回の旅は4泊で計画した。ホテルは安宿をネットで探した。だが、あまりにも安過ぎる料金なので、ホテルに着くまで心配だった。中国の旅行社が使うホテルの平均料金は、300元から350元(4500円前後)だが、私が契約したのは100元(1400円)だった。蘇州駅からはタクシーでホテルまで行った。タクシーの運転手にホテル名を告げたが、知らない様子に更に心配になってしまった。私の携帯からホテルまで電話を入れると、フロントが出たので運転手に携帯を渡した。運転手は一旦車道から歩道に車を停め、蘇州弁で話していたが、すぐに分かったようで、私に携帯を手渡すと、ギヤーをバックにし、「あのホテルなら知ってるよ」と車を出した。3分もしないうちにホテルの前に着いたようで、スーパーの2階を指さしたが、外国人が、泊まるなら、他にもっとホテルがあったろうにと、タクシー代のおつりを数えながら言った。案の定、チェックインする際に記入する用紙の、外国人臨時住宿登録書類がなかった。この意味は、パスポートも必要なく偽名でも良い。つまりは、事件に巻き込まれた場合、ホテルも私も罰金を科せられることになる。写真はホテル前の広いスペースで、野菜や果物、チベットの漢方薬を売っていた。
2010.08.06
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「蘇州旅情2」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。蘇州駅では多くの人たちが降りた。写真には、その人たちが写っていない。私は蘇州で降りたもののプラットホームの、写真を撮りたいためバッグからカメラを出し、構図を考えている間に、殆どの人たちは、出口方向へ行ってしまって写っていない。カメラをバッグに収納し階段を下り、私も急ぎ出口へ向かったが、出口では、二人の駅員がチケットを受け取っていたが、蘇州で降りる人が多く、少し待った。駅構内の壁には、蘇州の有名な観光地の、スライド写真が、蛍光灯の光を受け、綺麗に映し出されていた。
2010.08.05
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「蘇州旅情1」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。上海駅から蘇州駅まで50分ほどである。待ち時間を入れて1時間半ほどだが、住まいから上海駅まで車で30分ほど掛かる。仕事で蘇州まで行く時もあったが、車での移動のため便利に行け蘇州での、移動でも楽にこなせることができる。だが、列車での移動は、体は楽だが、駅に着いてから不便なことも多い。蘇州へは既に8回ほど来ているが、プライベートでは3回しかない。お客様をお連れして蘇州庭園を見ても、お客様に気を取られて観光どころではない。また庭園を見ながら、商談の話をされたら、何とも言えない雰囲気に包まれる。ゴルフで仕事の話は、覚悟してプレーするので、それなりの思いはあるし、わざと一打多く、打ったりして、お客様に満足してもらう。だが、庭園などを見て回る場合には、何とも、間の取り方に苦労して写真どころではない。
2010.08.04
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「西岳華山の旅37(完)」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。険しい華山登山もロープーウェイで、降りる頃には、夕方近くになっており、急ぎ荷物を預けてあるホテルへ行った。ホテルで西安行きバスの時間を、聞いていたところ、ホテルまで荷物を、届けにきたトラックの運転手が話をしており、フロントの人が「あんた西安へ帰るの」と、聞いていたが、私の所へ来て「西安手前の、長安区までなら乗せて行っても」と・・。私は長安区と西安市中心と、どれ位の距離、離れているか知る由もなかったが、フロントに挨拶して2トントラックに乗った。華山を出て暫く走ると高速道路に入った。どれくらい走ったのか、私は疲れから熟睡し、起きたところが何処かも分らなかった。もう直ぐ長安区に着くよと言われて時計を、確認するとホテルを出て1時間40分ほど過ぎ、私は何も気づかず寝入ってしまった事になる。約束通り長安区まで乗せてもらったので、100元を手渡そうとすると、要らないと断られた。長安区で降り、旅行バッグを引きずりながら、まずは腹ごしらえと肉料理を注文した。少し、ビールも飲んだが清算時点65元だった。タクシーに乗り西安空港まで15分程の範囲で、ホテルを探してもらったが三ツ星ホテルだった。翌日13時10分発のフライトで上海まで帰った。次回の旅は「蘇州・周庄」を予定している。
2010.08.03
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「西岳華山の旅36」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。西岳西峰まで、8分ほどのところで、両足の痙攣により不安を感じ登頂を、断念し引き返したが、やはり少し後悔。1時間40分の道のりだったが、下りは、1時間20分でロープーウェイ乗り場へ着いた。普段から運動していない事を後悔した。だが、ロープーウェイ乗り場へ下る道を、通り過ぎてしまい、北峰近くまで行き過ぎ、引き返すという無駄をしてしまった。ロープウェイ乗り場へ着いたものの登山客は、先に降りたのか誰も待っていなかった。私一人で乗ったが、登りは6人で狭く感じ、降りるときは1人のため、広く感じた。一人で乗っていると、癒される思いと、下を見て不安になる気持ちとが交錯していた。そして、不安はこの先、西安までバスがあるか、というような不安に変わっていた。今回の旅は、体力の限界を感じて断念したが、転んで怪我をしたりするよりは良かったのかも。
2010.08.02
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「西岳華山の旅35」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。西岳華山の登山道を下りながらも、左右の景色を見ながら花を探した。高山植物が咲いていないかと思ったが、もともと一枚岩が多い華山でもあり、松の木は多いものの花は見当たらなかった。心の中では、危険な所を避けて、目標地点を踏破出来なく充実感はなかった。そんな中でも、岩が途切れたところに、花の名前は分らないが高山植物に出会った。その昔、尾瀬や八ヶ岳、また、中央アルプスや北アルプスへ行った時にも、重たいカメラとレンズを背負って、登ったものだが、崖の危ない所に、一輪の花が咲いており、その花を撮るため、かなり危ない思いをしながら撮影した。昔はデジカメなどない時代で銀塩カメラに、36枚撮りフイルムを入れ、1ショットに、3枚ほどしかシャッターを切れなかったが、デジカメの時代になった今、気軽に、シャッターを押せる分、気合いが入っていない。
2010.08.01
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