全23件 (23件中 1-23件目)
1

〔61〕五節(ごせち)の舞姫―十一月二十七日「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。特別に内々に贈るのでしたら、顔の知られていない者を使いにやって、これは中納言の君(弘徽殿の女御付の女房)から預かった女御(義子)さまからの手紙です。左京の君にと声高に言って手紙置いてきた。使いの者が引きとめられたらいけないなと思っていると、使いは走って帰ってきた。先方では女の声で、舞姫の付添で来てるなんて誰も知らないはずなのに、使いはどこから入ってきたのだろうと下仕えにたずねているようだったが、女御さまの手紙と、疑いなく信じてることだろう。もと内裏の女房が舞姫の付添でやって来ているのを見ていたずらをしてくる。虚栄や嫉妬や競争に明け暮れる宮廷女房社会の一端である。五節、大嘗祭(だいじやうさい/五人の舞姫)新嘗祭(しんじやうさい/四人の舞姫による舞を中心にして行われた行事)も過ぎて何も耳をとどめることもなかったこの数日間だが、五節も終わってしまったという宮中の様子は、急に寂しい気がするけれど、二十六日の夜にあった臨時祭の雅楽の練習は、ほんとうにおもしろかった。若々しい殿上人などは、どんなに名残惜しい気持ちだろう。高松の上(道長の第二夫人、源高明の娘明子)の若い子息たち(頼宗十六歳、頼信十五歳、能信)さえ、中宮さまが宮中にお入りになった夜からは、女房の部屋に入ることを許されて、すぐ近くを通って歩かれるので、ひどくきまりが悪い思いをして、わたしは盛りが過ぎたのを口実にして隠れていた。若い子息たちは五節が恋しいなどとは思ってはいないで、やすらい(中宮付の童女の名)や、小兵衛(中宮の若女房)などの、裳裾(もすそ/着物の裾)や、汗衫(かざみ)にまつわりつかれて、まるで小鳥のようにきゃあきゃあとふざけている。
2024.02.29
コメント(31)

〔60〕五節(ごせち)の舞姫―十一月二十三日「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。なにかの縁があって左京のことを聞きたい女房たちが、おもしろいことだと言いながら、知らないふりはしていられない。以前上品ぶり住み慣れていた宮中に、こんな介添役なんかで出てくるなんて、本人はわからないと思ってるでしょうが、暴露してやろうということで、中宮さまの前にたくさんある扇の中で、蓬莱山(不老不死の仙境)の絵が描いてあるのを特別に選んだのは、なにか趣向があるに違いないが、その趣向を左京にはわかっただろうか。箱のふたに扇をひろげて、日陰の鬘(ひかげのかづら)を丸めて載せ、それに反らした櫛や、白粉など、とても念入りに端々を結いつけた。少し盛りを過ぎた人だから、これでは櫛の反りようがたりないなと、男の方が話しているので、今流行りの両端がくっつくくらいみっともないほど反らして、黒坊(薫香の名)を押し丸めて、不細工に両端を切り、白い紙二枚を重ねて立文(正式の書状)にした。手紙は大輔(たいふ)のおもとにつぎのように書かせた。おほかりし 豊の宮人 さしわきて しるき日かげを あはれとぞ見し大勢いた宮廷人の中で、とりわけ目立った日陰の鬘のあなたを、とても感慨深く見受けた中宮さまは、同じことならもっと趣向を凝らして、扇ももっとたくさんあげたらと話しておられるけれど、あまり大げさなのも、趣旨にあわないと、中宮さまが特別にお贈りになるのでしたら、このように内々にして意味ありげになさるものではありませんよ、これはほんの私事なのですからと申し上げた。
2024.02.28
コメント(30)

〔59〕五節(ごせち)の舞姫―十一月二十三日「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。みんな濃い紅の衵(あこめ)を着て、表着は様々である。正装の上衣は、みな五重がさねを着ているのに、尾張の守は童女に葡萄染めを着せている。それがかえって由緒ありそうで、衣装の色合いや、光沢など、とても優れている。下仕えの童女の中にとても顔のいいのが、その扇をとらせようと六位の蔵人が近寄ると、自分から扇を投げたのは、しっかりしているけれど女らしくないと感じた。もしわたしたちが、あの人たちのように人前に出ろということだったら、こんな批評めいたことを言っていても上がってしまい、ただうろうろしているだけかもしれない。わたしも以前にはこんなに人前に出るとは思わなかった。だけれど、目の前に見ながら浅はかなことは、心の常だから、わたしもこれからあつかましくなって、宮仕えに慣れすぎて、男と直接顔を合わせても平気になるだろうと、じぶんのことが夢のように思い続けられて、乱れた異性関係などあってはならないことまで想像して、怖くなるので、目の前の華やいだ儀式も、例によって目に入らなくなってしまう。童女への同情は自己への反省となる。つまり、他人への同情、批評は必ず自分の心と向き合い、自己批判をしてしまい、これが式部の精神の特徴なのだろう。左京の君 侍従の宰相(藤原実成)の舞姫の控所は、中宮さまの御座所から見渡せる近くにある。立蔀(たてじとみ/縦横に組んだ格子の裏に板を張り目隠しや風よけとしたもの)の上から、あの評判の簾の端(出衣〈いだしぎぬ〉)も見える。人々の声もほのかに聞こえ、あの弘徽殿の女御(実成の姉、藤原義子)のところに、左京の馬という人が、慣れた様子で交じっていたねと、宰相の中将(源経房)が、昔の左京を知っており話しているのを聞いて、あの夜、侍従の宰相の舞姫の介添役で、東側にいたのが左京ですよと、源少将(源済政)も見ていたと知った。
2024.02.27
コメント(26)

〔58〕殿上の淵酔--2月26日誕生日研鑽再開「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。童女御覧(わらわごらん)の儀―二十二日 今年のように舞姫の美しさを競うわけではない普通の年でも、舞姫に付き添っている童女御覧(わらわごらん)の日の童女たちの気持ちは、並大抵の緊張ではないのに、今年はどうだっただろうと、気にかかって早く見たいと思っていると、舞姫たちが付添の女房と並んで出てきたのには、訳もなく胸が詰まって、本当に気の毒な気がする。だからと言って、特別に好意を寄せる人もいないのだが。我も我もと、あれほどの人々が自信たっぷりにさし出したからであろうか、目移りしてしまい、その優劣も、はっきりと見分けられない。現代的な感覚の人には、きっと見分けがつくだろう。ただこのような曇りのない日中に、扇も満足に持たせず、大勢の男たちがいる所で、相当な身分、才覚のある人とはいえ、人に負けないよう競い合う気持ちも、どんなに気後れがするだろうと、無性に気の毒に思われるのは、全く時代遅れの融通の効かない事だ。 丹波の守の童女の、青みがかった緑色の正装が、素敵だと思っていたところ、藤宰相の童女は、赤みがかった黄色を着せて、その下仕えの童女に唐衣に青みがかった緑色を対照させて着せているのは、嫉妬したくなるほど気が利いている。童女の容貌も、丹波の守の一人はそれほど整っているとは見えない。宰相の中将の方は、童女がみな背丈がすらりとして、髪も素敵だ。その中の馴れすぎた童女の一人を、人々は、どうだろう、あまり良くないのではと言っている。
2024.02.26
コメント(20)

源氏物語の女性たち「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部が書いた源氏物語に登場する女性たち」藤壺中宮(ふじつぼのちゅうぐう) 先帝の第四皇女。桐壺帝の中宮。藤壺が亡き母によく似ており、5歳違いの彼女に恋慕懐き、元服後も彼女を慕い続け、次第に理想の女性として恋を抱く。藤壺が病のため里下がりした折に関係をもち、源氏に生き写しの男御子(後の朱雀帝の東宮、冷泉帝)をもうける。何も知らない桐壺帝は高貴な藤壺が産んだこの皇子を溺愛したが、藤壺の心中は複雑だった。その年の秋に中宮に立后する葵の上(あおいのうえ) 光源氏の最初の正室。結婚当初から、源氏との夫婦仲は冷え切っていた。ふたりの関係は当初からぎこちなく、冷ややかで、高貴な家柄である葵の上は感情を表すこともなかった。 夫婦でありながら遠く冷めた存在だった光源氏の子を懐妊したのだが、夕霧を出産に際して物の怪に襲われて 急逝。紫の上(むらさきのうえ) 若紫とも。葵の上亡き後、光源氏の正室ではないが、見目麗しく、言葉巧みで優しく、さらに財力もある光源氏は信頼できる存在で、教えられることすべてを素直に吸収して、源氏の妻たちの中では、最も寵愛される。六条院の春の町に光源氏と共に住まう。明石の君(あかしのきみ) 光源氏の愛人で明石の女御の生母。六条院の冬の町の主。生真面目で我慢強い。 万事につけて出しゃばらず賢く振舞うが、反面出自の低さを補うためか矜持が高く、同じく気位の高かった元恋人の六条御息所と似ている、と源氏は述懐している。 皇女にも劣らない美しさと気品を備え、和歌や音楽にも洗練された趣味を持ち、特に箏の琴や琵琶の名手でもあった。花散里(はなちるさと)桐壺帝の妃・麗景殿の女御の妹で、 容貌はそれほど美しくはないが姉の女御同様温和な慎ましい性格で、裁縫・染物などにも堪能な女性。 源氏の妻の中では紫の上に次ぐ立場となり、 始めは源氏の通い所の一人であったが、後新造の二条東院の西の対に迎えられ、六条院造営後は夏の町の主となって夕霧と玉鬘の養母。女三宮(おんなさんのみや) 朱雀院の第三皇女。光源氏の二番目の正室。薫の母。若菜の帖から登場する女性で、蝶よ花よと育てられたが、出家に伴って娘達の今後を案じた朱雀帝のはからいで、光源氏の正妻になった頭の中将の長男・柏木に迫られ、拒み通せずに関係を持ち薫を出産。罪の意識に耐えられず、出家してしまう。空蝉(うつせみ) 伊予介の後妻。衛門督の娘。光源氏が口説こうと部屋に忍び込んだが、上着のみを残してするりと逃げてしまったことからそう呼ばれる。 しかし、空蝉が光源氏を拒んだのは、空蝉の夫への誠意による行動で、光源氏のことは内心では魅力的に感じていたが伊予介(後年は常陸介)の死後、出家。のちに、二条東院へ引き取られる。軒端荻(のきばのおぎ) 空蝉の義理の娘。明かりの落ちた部屋で光源氏が逃げまわる空蝉と何とか関係を持とうと忍びこんだ明かりの落ちた部屋で空蝉と間違われ、そのまま光源氏と関係を持つ。この女性を「軒端荻」と呼ぶのは光源氏が送った和歌「ほのかにも軒端の荻を結ばずは露のかことを何にかけまし」(夕顔巻)に由来する呼称である。夕顔(ゆうがお) 頭中将の愛人であり、玉鬘の母。光源氏が六条御息所と逢瀬を重ねていた頃、御所からの帰り、病にかかった乳母を、五条の家に見舞い、その家の隣に、垣根に夕顔の花の咲いた家があり、光源氏は夕顔に魅入られ二人きりになるため出かけた廃院で、物の怪に夕顔の君を取り殺してしまう。光源氏は夕顔の忘れ形見の撫子の姫君玉鬘を引き取ろうとするが、その消息は知れなかった。末摘花(すえつむはな) 常陸宮(ひたちのみや)の姫君。契りを結んだ翌朝大きな赤鼻の醜女だったことを知る源氏だったが末摘花とは生涯関り続けた女性の一人。 美男美女ぞろいの源氏物語の中では異色の不美人である。源氏は彼女の困窮ぶりに同情し、また素直な心根に見捨てられないものを感じて、彼女の暮らし向きへ援助を行うようになった。名前の末摘花はベニバナのこと。源典侍(げんのないしのすけ) 桐壺帝に仕える高齢の女官。登場人物の一人の通称。年配だが色好みの高級女官として「紅葉賀」では五十七歳「葵」「朝顔」に登場する。先祖は皇族に連なる家の出身。琵琶を得意とし、趣味、教養、家柄、能力等、女官として申し分のない女性だが、年に似合わぬ色好みで有名であった。夫は修理大夫(すりのかみ)。朧月夜(おぼろづきよ) 右大臣の6番目の娘。弘徽殿女御の妹で朱雀帝の尚侍(ないしのかみ)。朧月夜は自ら光源氏と逢う機会をつくり、五十四帖「若菜」で光源氏と大恋愛するが、朧月夜は光源氏の実の兄である時の天皇に嫁ぐはずだった。光源氏との恋愛が発覚し白紙に。朧月夜の父は光源氏の政敵であり、光源氏は京都から須磨へ移り住むことに。朝顔の姫君(あさがお) 桃園式部卿宮の娘、斎院。源氏に求婚されたが拒み通した。藤壺の死去と同じ頃、源氏の叔父の桃園式部卿宮も死去した。その娘、朝顔は賀茂斎院を退いていたが、若い頃から朝顔に執着していた源氏は、朝顔と同居する叔母女五の宮の見舞いにかこつけ頻繁に桃園邸を訪ねる。朝顔も源氏に好意を抱いていたが、源氏と深い仲になれば、六条御息所と同じく不幸になろうと恐れて源氏を拒んだ。六条御息所(ろくじょうのみやすどころ) 先の春宮妃。教養高く優雅な貴婦人だが、源氏への愛と恨みから怨霊となって女君たちに呪い祟る。光源氏の最も早い恋人の一人で、東宮の死後、年下の光源氏と恋愛関係に陥るが、美しく気品があり、矜持の高い彼女をやがて持て余し、逢瀬も間遠になる。源氏にのめり込む御息所は、源氏を独占したいと思いと年上だという引け目、自分を傷つけまいと本心を押し殺す。強い嫉妬のあまり、生霊として源氏に関わる女性を殺す。
2024.02.22
コメント(10)

「〔57〕殿上の淵酔(えんずい)―十一月二十日「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。殿上の淵酔(えんずい)・御前の試み―十一月二十一日 寅の日の朝、殿上人が中宮さまの前に参上する。例年のことだが、ここ数ヶ月の間に里住まいに馴れたせいか、若い女房たち殿上人を珍しいと思っている様子である。きょうはまだ青摺り衣(神事の祭服)も見えない。その宵、中宮さまは東宮の亮(すけ 高階業遠)をお呼び寄せになって薫物を賜る。大きめの箱ひとつに、うずたかく入れられた。尾張の守には、殿の北の方がつかわされた。その夜は御前(五節の舞)の試みとかで、中宮さまも清涼殿へ行かれてごらんになる。若宮も一緒なので、魔除けの米をまき散らし、高らかな声をあげるが、例年とはちがう気がする。わたしは気が進まないので、しばらく局で休んで、そのときの様子をみて伺おうと思っていたところ、小兵衛や小兵部なども囲炉裏のそばにいて、とても狭いので、よく見えないなどと言ってるときに、殿がいらして、どうしてこんなことをしてる、さあ、一緒に行こうと急きたてられるので、その気はなかったが御前に参上した。舞姫たちは、どんなに苦しいだろうと見ていると、尾張の守の舞姫が、緊張のあまり気分が悪くなって出てゆくのが、現実のこととは思えず夢の中のことのように見える。御前の試みが終わって中宮さまは退出なさった。この頃の若い人たちは、もっぱら五節所(ごせちどころ 舞姫の控室)の趣あることを話している。簾の端や帽額(もこう 一幅の布)さえも、それぞれの部屋ごとに趣がちがっていて、そこに出仕している介添の女たちの髪格好や、立ち居振る舞いさえ、さまざまに趣があるなどと、聞きづらいことを話している。華麗な舞姫の内心の苦しさを思わずにいられない式部だった。
2024.02.18
コメント(32)

「〔56〕朝臣の舞姫の介添役―十一月二十日「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。業遠(なりとお/高階業遠/平安時代中期の貴族。左衛門権佐・高階敏忠の子)の朝臣の舞姫の介添役は、錦の唐衣を着て、闇夜でもほかに紛れないで、立派に見える。衣装をたくさん重ね着して、身動きもしなやかでないように見える。それを殿上人が、特に気を配って世話をしている。こちらの中宮さまのところに帝もいらっしゃって舞姫をごらんになる。殿も忍んで、引戸の北側にいらっしゃっているので、わたしたちは気ままにできないので面倒だ。藤原中清(藤原北家長良流、備中守・藤原為雅の長男)の舞姫の介添役は、背丈も同じくらいそろっていて、とても優雅で奥ゆかしい様子は、他の人にも劣らないと評定される。右の宰相の中将(藤原兼隆/関白右大臣・藤原道兼の次男)の介添役は、しなければならないことはすべてしてある。その中の下役の女二人のきちんとした身だしなみが、どこか田舎じみていると人々は笑っている。最後に、藤宰相(とうさいしょう 藤原実成/太政大臣・藤原公季の長男)のは、そう思って見るせいか現代的でとてもお洒落である。介添の女房は十人いる。孫廂(まごひさし)の御簾をおろして、その下からこぼれ出てる衣装の褄なども、得意げに見せているよりは、いっそう見栄えがして、灯火の光の中で美しく見える。五節の舞姫が注目されて、平静を装っている辛い心を思いやり、それが他人事でなく、じぶんも同じ境遇であると胸をつまらせる。このように、他人事をじぶんに引きつけ、内省して沈んでゆくのは、式部特有の精神構造である。
2024.02.17
コメント(25)

「〔55〕五節(ごせち)の舞姫―十一月二十日「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。五節(ごせち)の舞姫―十一月二十日 五節の舞姫は二十日に内裏に入る。中宮さまは侍従の宰相に、舞姫の装束などをお遣わしになる。右の宰相の中将が、舞姫に日蔭の葛(ひかげのかずら 飾りの組紐)のご下賜をお願いなさったのをお遣わしになるついでに、箱一対にお香を入れ、飾りの造花に梅の枝をつけて、美しさを競うようにお贈りになる。さしせまってから急いで準備する例年よりも、今年はいっそう競い合って立派にしたと評判なので、当日は東の、御前の向かいにある立蔀(たてじとみ 板張りの目隠しの塀)に、隙間もなく並べて灯してある灯の光が、昼間より明るくて恥ずかしい感じなのに、舞姫たちが静かに入場してくる様子は、あきれるほど、平然としているとばかり思うけれど、他人事とばかりは思えない。中宮さまの還啓の時も、ただこのように、殿上人が顔をつき合わせたり、脂燭を照らしていないというだけだ。幔幕を引いて人目を遮っているとしても、わたしたちのだいたいの様子は、舞姫たちと同じように見えただろうと思い出すと、胸がつまってしまう。この年の舞姫は四人(侍従宰相藤原実成の娘、右宰相中将藤原兼隆の娘、丹波守高階業遠(たかしななりとお)の娘、尾張守藤原中清(ふじわらのなかきよ)の娘)
2024.02.16
コメント(27)

「〔54〕言葉ではいえないほど立派―十一月十九日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。殿から宮への贈物昨夜の殿からの贈物を、中宮さまは今朝になってていねいにごらんになる。御櫛箱(髪の道具一式をいれる二段重ねの箱)の道具類は、言葉ではいえないほど立派である。手箱が一対、その一方には白い色紙を綴じた本類、『古今集』『後撰集』『拾遺集』などで、その歌集一部はそれぞれ五帖に作って、侍従の中納言(藤原行成・三蹟の一人)と延幹(えんかん 能書の僧)とに、それぞれ冊子一帖に四巻をあてて書かせていらっしゃる。表紙は薄絹、紐も同じ薄絹の唐様の組紐で、箱(懸子〈かけ〉ご)の上段に入れてある。下段には大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)や清原元輔(きよはらのもとすけ 清少納言の父)のような、昔や今の歌人たちの家集を書き写して入れてある。延幹と近澄(ちかずみ)の君(清原近澄か)が書かれたものは、立派なもので、これらはもっぱら、身近において使われるものとして、見たこともない見事な装丁になっているのは、現代風で変わっている。『紫式部日記』上巻が終わる。
2024.02.15
コメント(28)

「〔53〕体が冷えきった同士―十一月十八日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。一条院の東の対の部屋に入って横になっていると、小少将の君(源時通の娘)もこられて、やはり、こういう宮仕えの辛さなどを語り合って、寒さで縮んだ衣裳を隅にやり、厚ぼったい綿入れを重ねて着て、香炉に火を入れて、体が冷えきった同士が、お互いの不恰好を言い合っていると、侍従の宰相(藤原実成)、左の宰相の中将(藤原公信三十二歳、為光の子)、公信(きんのぶ)の中将など、つぎつぎに寄って来ては声をかけるのも、かえって煩わしい。今夜はいないものと思われて過ごしたいのに、ここにいることをだれかに聞かれたのだろう。明日の朝早く来ましょう。今夜は我慢できないほど寒くて、体もすくんでるから などと、こちらの迷惑がっているのに気づいて、それとなく話されて、こちらの詰所より出ていかれる。それぞれ家路を急がれるけれど、どれほどの女性が待っているのだろうと見送る。こんなことを思うのは、じぶんの身の上から言うのではなく、世間一般の男女関係、小少将の君が、とても上品で美しいのに、世の中を辛いと思っているのを見るからです。この方は父(右少弁源時通)が出家(永延元年987年)されたときから不幸が始まって、その人柄にくらべて運がとても悪いようです。還啓の乗車は身分の順で、式部は中位より上だが、儀式で役目があるわけではなく、冊子作りなどで主任格といえる彼女の身分はやや別格である。
2024.02.14
コメント(26)

「〔51〕宮仕えでなんとなく話―十一月十五日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。今のわたしは、ただ、宮仕えでなんとなく話をして、少しでも心にかけてくれる人とか、細やかに言葉をかけてくれる人とか、さしあたってしぜんと仲良く話しかけてくる人ぐらいを、ほんの少しばかり懐かしく思うのははかないことだ。 大納言の君(源扶義の娘廉子)が、毎夜、中宮さまの近くにお休みになって、お話をなさったのが恋しく思われるのも、環境になれてしまう心なのだろうか。浮き寝せし 水の上のみ 恋しくて 鴨(かも)の上毛(うわげ)に さへぞおとらぬ中宮さまとの夜が恋しくて、ひとり実家にいる寂しさは、鴨の上毛の露の冷たさに劣らないのです) 返歌には、うちはらふ 友なきころの ねざめには つがひし鴛鴦(おし)ぞ 夜半(よわ)に恋しきおしどりが互いに露をはらうような友のいないこのごろのねざめには、いつも一緒にいたあなたのことが恋しくてならない歌の書き方までがとても素敵なのを、すべてによくできた方だと思って見る。中宮さまが雪をごらんになって、よりによってあなたが実家に帰ったのを、残念がっていると、女房たちも手紙で言ってくる。殿の北の方からの手紙には、わたしが引きとめた里帰りだから、特に急いで帰り、すぐに帰ってくると言ったが、実家にいつまでもいるようで、それが冗談としても、手紙もわざわざくださったのだから、悪いと思って宮廷にもどった。宮廷生活を嫌だと思いながらも同僚を慕い、宮仕えという境遇に流されてゆく式部。
2024.02.13
コメント(28)

「〔52〕お産のために簡素であった―十月十八日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。中宮内裏還啓(かんけい)―十一月十七日 還啓(皇太子、三后などが出先から帰ること)中宮さまが宮中にお入りになるのは十七日である。戌(いぬ)の刻(とき)(午後八時ごろ)と聞いていたけれど、延びて夜も更けてしまった。みんな髪上げして控えている女房は、三十人あまり、その顔など、見分けられない。母屋の東の間、東の廂に、内裏の女房も十人あまり、わたしたちとは南の廂の妻戸をへだてて座っていた。 中宮さまの御輿には、宮の宣旨女房がいっしょに乗る。糸毛の車に殿の北の方、それに少輔(しょう)の乳母が若宮を抱いて乗る。大納言の君、宰相の君は黄金づくりの車に、つぎの車には小少将の君と宮の内侍、そのつぎの車にわたしが馬(うま)の中将(中宮女房・左馬頭藤原相尹の娘)と乗ったのを、中将が嫌な人と同乗したと思っているのを見ると、なおさら宮仕えの煩わしさを感じる。殿守(とのもり)の侍従の君、弁の内侍、そのつぎに左衛門の内侍と殿の宣旨の式部までは順序が決まっていて、そのほかは、例によって思い思いに乗り込んだ。車からおりると月がくまなく照らしているので、なんと恥ずかしいことだろうと、足も地につかなかった。馬の中将が先輩だから先に行くので、どこへ行くかもわからずたどたどしくついてゆく格好を、わたしの後姿をどう見たのだろうと思うと、ほんとうに恥ずかしかった。式部は内気で、穴のあくほど人間を観察し、これが人によっては知的な冷たさとして嫌われたのではないか。
2024.02.12
コメント(33)

「〔50〕お産のために簡素であった―十一月十八日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。伝手(つて)をたどって文通などしたものだが、ただこのような物語をいろいろいじり、とりとめない話にじぶんを慰めたりして、だからといってじぶんなど生きてゆく価値のある人間だとは思わないが、どうにか恥ずかしいとか、辛いと思うようなことはまぬがれてきたのに、宮仕えに出てからは、ほんとうにわが身の辛さを思い知らされる。実家に帰った式部の索漠とした心境。式部の宮仕えの憂鬱は底知れぬほど深い。そんな気持ちも晴れようかと、源氏物語を読みかえしてみても、以前のようにはおもしろくなく、あきれるほど味気なく、うちとけて親しく語り合った友も、宮仕えに出たわたしをどんなに軽蔑しているだろうと思うと、そんな気をまわすことも恥ずかしくなって、手紙も出せない。奥ゆかしい人は、いいかげんな宮仕えの女では手紙も他人に見せてしまうだろうと、つい疑ってしまうから、そんな人がどうしてわたしの心の中を、深く思ってくれるだろうと思う。それも当たり前で、ひどくつまらなく、交際が途絶えるというわけではないが、しぜんと音沙汰がなくなる人も多い。わたしが宮仕えに出ていつも家にいないからと、訪れてくる人も、来にくくなり、すべて、ちょっとしたことにふれても、別世界にいるような気持ちが、実家では余計にして、悲しみに気がふさぐ。式部の孤独な悲しみの思いの丈を述べている。彼女にとって華美な宮廷生活は、肌に合わないという程度のものではなく、生まれつきが合わないのである。
2024.02.11
コメント(30)

「〔49〕若宮の参内を心待ちに―十二月中旬」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。若宮の成長若宮は、すでに「あ」「う」などと声をお出しになる。帝が、若宮の参内を心待ちにしていらっしゃるのも、うなずける。里居の物憂い心中宮さまの前の庭の池に、水鳥が日に日に多くなっていくのを眺めながら、中宮さまが宮中にお帰りになる前に雪が降ってくれれば、この庭の雪景色は、どんなに素敵だろうと思っているうちに、ちょっと実家に帰っていた間、二日ほどして雪が降るなんて心さわいだ。なんの見どころもない古里の木立を見ると、憂鬱で思いが乱れて、夫の死後数年来、ただ茫然と物思いに沈んで暮らし、花や、鳥の、色や声も、春から、秋に、移りかわる空の景色、月の影、霜や、雪を見ても、ああ、そんな季節になったのだなあと気づくだけで、いったいわたしはどうなるのだろうと、将来の不安は晴らしようがなかったけれど、それでもなんとか取るに足りない物語をつくったり、話をして気心の合う人とは、手紙を書きあった。
2024.02.10
コメント(29)

「〔48〕御冊子(みそうし)づくり--十一月中旬」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。御冊子(みそうし)づくり―十一月中旬中宮さまが内裏へお帰りになる日が近くなるが、女房たちは行事が続いて落ち着く日もないのに、中宮さまは物語の冊子をお作りになるというので、夜が明けると、わたしはすぐに中宮さまと対座し、色とりどりの紙を選び物語の原本をそえて、書写を依頼する手紙を書いて配り、一方では書写したものを綴じたりして過ごす。どこの子持ちが、こんな冷える季節にこんなことをするものかと、殿は中宮さまにおっしゃったが、上等の薄紙や、筆、墨など、持ってきて、硯まで持ってこられ、中宮さまがそれをわたしに下さったのを、女房たちは大げさに騒いで、いつも奥のほうにいるくせに、こんな仕事をするとはと咎めるが、殿は墨挟(小さくなった墨を挟んで磨る道具)、墨、筆など下さった。 じぶんの部屋に、物語の原本を実家から取り寄せて隠しておいたのを、中宮さまの所へ行っている間に、殿がやってきて探し出され、内侍の督(ないしのかん)の殿(道長次女妍子)に与えてしまわれた。なんとか書き直した本は、みな紛失してしまって、手直ししていないのが出まわって、気がかりな評判がたったことだろう。この物語とはまさに「源氏物語」のことで、「源氏物語」も原本、清書本、自分の部屋にあった本、なんとか書き直した本などが存在していたことを示している。
2024.02.09
コメント(28)

「〔47〕若宮を大切になさるから―十月十八日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。このように殿のようなお方が若宮を大切になさるから、すべての儀式も箔がついて立派に見えるのだろう。とても、その気持ちがわかる。千年でも満足できない若宮の繁栄が、わたしのような数にも入らない、取るに足らない者にも、思いつづけられるのである。宮さま、聞いていますか、上手に詠みましたよと、殿は自画自賛している。わたしは父として宮にふさわしいし、宮も娘としてふさわしい。母も幸福だと笑ってるようだ。きっとよい夫を持ったと思ってるだろうなと、ふざけられるのも、深酔いのせいと見受けられる。冗談だけでたいしたこともないので、不安な気持ちをしながらも、結構なことと思う。これを聞いていおられる北の方は、聞きづらいと思われたか、退席されるようすなので、見送りしないと、母が恨んではいけないなと言って、殿は急いで中宮の御帳台の中を通り抜けられる。娘とはいえ中宮の御帳台の中を通り抜けるなんて、宮はさぞ無作法だと思われるだろう。だけれど、この親がいたから、子も立派になったのだよと、独り言をおっしゃるのを、女房たちは笑っている。女房、中宮、北の方と、無邪気に冗談をいう道長。その人間味あふれた言動に式部も好感を抱いているように感じた。
2024.02.08
コメント(30)

「〔46〕わが子が道長から杯を受ける―十月十八日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。敬って前を通らないで、南の階下から殿の前に行ったのを見て、内大臣はわが子が道長から杯を受ける光栄と父に対する礼儀をわきまえた行動に感激して酔っては涙をこぼす。権中納言(藤原隆家)は、隅の間の柱の下に近寄り、兵部のおもと(着せ綿の菊の露で身を拭えば、千年も寿命が延びるという菊の着せ綿の中宮女房)の袖を無理矢理引っ張っているし、殿は殿で聞きづらいふざけた事をおっしゃっている。この時点では源氏物語がすでに藤原公任のような官人にも知られている。八千歳(やちとせ)の君が御代 何だかこわいことになりそうな酔いかたなので、宴が終わるとすぐに、宰相の君と言い合わせて、隠れようとすると、東面の間に、殿のご子息たち(藤原頼通・藤原教通)や、宰相の中将(道長の甥、藤原兼隆)などが入り込んで、騒がしいので、二人は御帳台の後ろに隠れていると、殿が几帳を取り払って、わたしたち二人の袖をとらえて座らせられ、祝いの歌を一首ずつ詠めば許してやるとおっしゃる。うるさいし怖いのでこう詠む。 いかにいか(五十日)が かぞへやるべき 八千歳(やちとせ)の あまり久しき 君が御代(みよ)をばいかに誕生五十日目をかけ、幾千年にもわたる若宮の御代をどうして数えることなどできましょうと呼んだところ、ほう、うまく詠んだなと、殿は二度ばかり声に出して詠われて、すぐにこう詠まれた。あしたづの よはひしあらば 君が代の 千歳の数も かぞへとりてむあしたづは葦の生えた水辺の鶴。私に鶴のように千年の齢があったなら、数える事ができるのに あれほど酔っていたのに、歌は心にかけている若宮の事だった。
2024.02.07
コメント(33)

「〔45〕誰とは気づかれない―十月十八日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。わたしはみんなが酔っ払っているから分からないと、また、誰とは気づかれないだろうと思い、右大将にちょっとしたことを話しかけてみたところ、当世風に気取っている人よりも、右大将は一段と立派でいらっしゃるようだ。祝杯がまわってきて賀歌を詠まされるのを気になさっていたが、このような祝いの席でよく口になさる千年(ちとせ)万代(よろずよ)のお祝い歌ですまされた。神楽歌の『千歳法』は雅楽の噂で唱えられた. 漢語を使っているとみることも可能のようである。本歌「千歳千歳千歳や 千歳や 千年の千歳や」末歌「万歳万歳万歳や 万歳や 万代の万歳や」内省的な式部が、しかも酒の席で話しかける。藤原実資に注ぐ式部の視線は好意的である。実資は、阿諛追従(相手に気に入られようと調子のよいことばかりを並べたてこびへつらい、相手の機嫌をとり従う)のはびこる宮廷の中で、理非曲直をわきまえた人物である。左衛門の督(藤原公任?)が、失礼だが、このあたりに、若紫はいらっしゃいますかと、几帳の間からのぞかれる。源氏の君に似てそうな人もいないのに、どうして紫の上がいるのと、聞き流していた。三位の亮(藤原実成)、杯を受けろと殿がおっしゃるので、侍従の宰相(藤原実成)は立って、父の内大臣(藤原公季五十二歳)がそこにいらっしゃる。
2024.02.06
コメント(26)

「〔44〕寝殿正面の階段の東の間―十月十八日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。上達部を御前に召きましょうと啓上なさり、お聞き届けになったというので、殿をはじめとして、上達部はみな参上される。寝殿正面の階段の東の間を上座にして、そこから東の妻戸の前までお座りになっている。女房たちは、廂(ひさし)の間に二列三列に並んで座らされた。御簾を、その間に割り当てられて座っていた女房たちが、近寄って巻き上げる。大納言の君(小ぢんまりとした方)、宰相の君(中宮付きの女房では古株)、小少将の君(大納言の君という女性の妹)、宮の内侍(藤原道長の姉で一条天皇の生母)というふうに座っておられる。右大臣が近寄ってきて、几帳の垂れ絹の開いた部分を引きちぎって酔ってお乱れになり、いいお年なのに(右大臣は六十五歳)と、つつき合っているのも知らずに、女房の扇を取り上げ、聞きづらい冗談なども多くおっしゃる。中宮の大夫が盃を取って、右大臣の方へ出てこられた。催馬楽の「美濃山(みのやま)」を謡って、管弦の遊びもほんの形ばかりだが、とてもおもしろい。そのつぎの間の、東の柱下に、右大将(藤原実資、権中納言正二位五十二歳)が寄りかかって、女房たちの衣装の褄や袖口の色を観察しておられるのは、ほかの人とはかなり違っている。
2024.02.05
コメント(29)

「〔43〕三位以上の上達部たちの席―十月十八日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。摂政・関白・太政大臣・左大臣・右大臣・大納言・中納言・参議、および三位以上の上達部たちの席は、例によって東の対の西側の棟にある部屋である。殿のほかもうお二人の大臣(右大臣藤原顕光と内大臣藤原公季)も参上されている。渡り廊下の橋の上に行かれて、また酔い乱れて騒いでおられる。折櫃物(おりびつもの/檜の薄板を折り曲げて作った小箱)や籠物(こもの/かごに入れたもの)など、殿のほうから殿の家司たちが取り次ぎ献上したものを、高欄(廊下や橋などの転落防止などに取り付ける柵)に沿って簀子に並べてある。松明の光でははっきり見えなく、四位少将などを呼び寄せ、紙燭をつけさせて人々は献上物を見る。それらは宮中の台盤所に持っていくはずだが、明日から帝の物忌みということで、今夜のうちにみな急いでかたづけてしまう。中宮の大夫が、中宮の御簾のところへ来て、上達部を御前に召きましょうと啓上なさる。
2024.02.04
コメント(32)

「紫式部の生涯 光源氏と藤原道長他の人物像6」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「光る君への人物像」の研鑽を公開してます。道隆の長女 藤原 定子(ふじわらのさだこ)高畑 充希(たかはた・みつき)道隆の長女。一家の繁栄を願う父の思いを一身に負い、年下の一条天皇に入内(じゅだい)する。清少納言らが集う、才気にあふれたサロンを作り上げ、一条天皇の最愛の妃(きさき)となるが、悲運に見舞われる。道隆の嫡妻 高階 貴子(たかしなのたかこ)板谷 由夏(いたや・ゆか)藤原道隆の嫡妻。宮仕えの経験があり、はきはきした知的な女性。道隆のあとを継ぐ息子たち、そして天皇への入内(じゅだい)が見込まれる娘の定子(さだこ)の教育に力を入れる。六十六代 一条天皇(いちじょうてんのう)塩野 瑛久(しおの・あきひさ)66代天皇。道長の甥(おい)で、幼くして即位した。入内(じゅだい)した道隆の長女・定子を寵愛(ちょうあい)するが、のちに道長の長女・彰子も入内し、世継ぎをめぐる政争に巻き込まれる。『枕草子』の作者 ききょう/清少納言(せいしょうなごん)ファーストサマーウイカ 歌人・清原元輔(きよはらのもとすけ)の娘。才気煥発(かんぱつ)。一条天皇に入内(じゅだい)した定子の元に女房として出仕し心からの忠誠を尽くす。道綱の母 藤原 寧子(ふじわらのやすこ)財前 直見(ざいぜん・なおみ)藤原兼家の妾(しょう)。一人息子の道綱を溺愛している。和歌にたけており、兼家との日々を『蜻蛉日記(かげろうにっき)』として残した、才色兼備の女性。まひろ(紫式部)も幼いころから、『蜻蛉日記』を読みこんでいる。道長の異母兄 藤原 道綱(ふじわらのみちつな)上地 雄輔(かみじ・ゆうすけ)道長の異腹の兄。知性豊かな母を持つが、本人は一向に才に恵まれず、父の兼家からは、嫡妻の息子たちより格段に軽く扱われている。性格は明るくお人よしで、憎めないところもある。 兼家の妹/懐仁親王の乳母 藤原 繁子(ふじわらのしげこ)山田 キヌヲ(やまだ・きぬを)藤原兼家の妹。兼家の娘・詮子が懐仁親王(やすひとしんのう)を出産すると、乳母(めのと)に任じられた。 道長のもう一人の妻 源 明子(みなもとのあきこ)瀧内 公美(たきうち・くみ)藤原道長のもう一人の妻。父の源高明が政変で追い落とされ、幼くして後ろ盾を失った。のちに、まひろ(紫式部)の存在に鬱屈(うっくつ)がたまっていく。 六十五代 花山天皇(かざんてんのう)本郷 奏多(ほんごう・かなた)65代天皇。東宮(皇太子)のころから、まひろ(紫式部)の父・藤原為時による漢籍の指南を受ける。即位後、藤原兼家の孫である懐仁親王(やすひとしんのう/のちの一条天皇)が東宮となったために、早々の譲位を画策され、大事件が起きる。 散楽の一員 直秀(なおひで)毎熊 克哉(まいぐま・かつや)町辻で風刺劇を披露する散楽の一員。当時の政治や社会の矛盾をおもしろおかしく批判する。その自由な言動に、まひろ(紫式部)と藤原道長は影響を受ける。一方で、本性のわからない謎めいた男でもある。 藤原 斉信(ふじわら の ただのぶ)の妹 藤原 忯子(ふじわらのよしこ)井上 咲楽(いのうえ・さくら)花山天皇の女御(にょうご)。寵愛(ちょうあい)を受けるが早逝(そうせい)。天皇の出家のきっかけとなる。花山の叔父 藤原 義懐(ふじわらのよしちか)高橋 光臣(たかはし・みつおみ)花山天皇の叔父。若い天皇を支える役として急速に出世する。しかし藤原兼家の謀略によって天皇は退位し、出家。一夜にして権力を失うはめになる。 次回より源氏物語の紫式部日記に戻る予定で進行。
2024.02.03
コメント(31)

「紫式部の生涯 光源氏と藤原道長他の人物像5」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「光る君への人物像」の研鑽を公開してます。倫子・彰子の女房 赤染衛門(あかぞめえもん)凰稀 かなめ(おうき・かなめ)女流歌人。源倫子の女房であり、さらに一条天皇の中宮となる娘の藤原彰子にも仕えた。姫たちに学問を指南するうちに、文学好きなまひろ(紫式部)とも交流することになる。道隆の嫡妻 高階 貴子(たかしなのたかこ)板谷 由夏(いたや・ゆか)藤原道隆の嫡妻。宮仕えの経験があり、はきはきした知的な女性。道隆のあとを継ぐ息子たち、そして天皇への入内(じゅだい)が見込まれる娘の定子(さだこ)の教育に力を入れる。貴族の姫 やよい 菊川 陽子 (きくかわ・ようこ)五節の舞の舞姫の一人に選ばれた貴族の姫。道隆の長女 藤原 定子(ふじわらのさだこ)木村 日鞠(きむら・ひまり)道隆の長女。一家の繁栄を願う父の思いを一身に負い、のちに年下の一条天皇に入内(じゅだい)する。道綱の母 藤原 寧子(ふじわらのやすこ)財前 直見(ざいぜん・なおみ)藤原兼家の妾(しょう)。一人息子の道綱を溺愛している。和歌にたけており、兼家との日々を『蜻蛉日記(かげろうにっき)』として残した、才色兼備の女性。まひろ(紫式部)も幼いころから、『蜻蛉日記』を読みこんでいる。道長の異母兄 藤原 道綱(ふじわらのみちつな)上地 雄輔(かみじ・ゆうすけ)道長の異腹の兄。知性豊かな母を持つが、本人は一向に才に恵まれず、父の兼家からは、嫡妻の息子たちより格段に軽く扱われている。性格は明るくお人よしで、憎めないところもある。道長の嫡妻 源 倫子(みなもとのともこ)黒木 華(くろき・はる)藤原道長の嫡妻。源雅信の娘で、宇多天皇のひ孫。おおらかさと強さを併せ持つ女性。まひろ(紫式部)とも交流があり、不思議な関係が築かれていく。倫子の父/左大臣 源 雅信(みなもとのまさのぶ)益岡 徹(ますおか・とおる)倫子の父。藤原氏の勢いには一歩譲るが左大臣に上りつめる。愛娘(まなむすめ)の倫子を入内(じゅだい)させるべきか悩むが機を逃す。藤原 道長(ふじわらのみちなが)柄本 佑(えもと・たすく)平安の貴族社会で、最高の権力者として名を残した男性。まひろ(紫式部)とは幼いころに出会い、特別な絆が生まれる。のちにまひろの『源氏物語』の執筆をバックアップし、宮中への出仕を勧める。花山の叔父 藤原 義懐(ふじわらのよしちか)高橋 光臣(たかはし・みつおみ)花山天皇の叔父。若い天皇を支える役として急速に出世する。しかし藤原兼家の謀略によって天皇は退位し、出家。一夜にして権力を失うはめに。一条朝 四納言 藤原 公任(ふじわらのきんとう)町田 啓太(まちだ・けいた)頼忠の息子。道長とは同い年で、友情を育むが、出世レースが進むにつれ関係が変化する。音曲、漢詩、和歌など文化面に秀でており、まひろ(紫式部)の『源氏物語』に興味を持つ。条朝 四納言 藤原 斉信(ふじわらのただのぶ)金田 哲(かなだ・さとし)道長、公任とともに青春時代を過ごす。道長の長兄・道隆のもとに仕えるも、道長が出世しはじめると、変わり身の早さを見せ、腹心として地位を築いていく。ききょう(清少納言)とも交流がある。一条朝 四納言 藤原 行成(ふじわらのゆきなり)渡辺 大知(わたなべ・だいち)道長よりも6歳下。道長政権下で蔵人頭に抜擢(ばってき)されると、細やかな気遣いで実務に能力を発揮、欠かせない存在として支え続ける。文字の美しさでは右に出る者がおらず、もてはやされた。
2024.02.02
コメント(27)

「紫式部の生涯 光源氏と藤原道長他の人物像4」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「光る君への人物像」の研鑽を公開してます。まひろの母 ちやは 国仲 涼子(くになか・りょうこ) まひろ(紫式部)の母。道長の兄に刺殺され亡くなっている。不器用な夫を支え、豊かとはいえない暮らしの中でも、幼いまひろや弟の太郎を、愛情深く育てる優しい女性。 まひろの父 藤原 為時(ふじわらのためとき)岸谷 五朗(きしたに・ごろう)まひろ(紫式部)の父。藤原一門であるが、下級の貴族。裕福な生活とは縁遠かった。和歌や漢籍に通じる文人であり、まひろに文学の素養を授ける。まひろの弟 藤原 惟規(ふじわらののぶのり)高杉 真宙(たかすぎ・まひろ)まひろ(紫式部)の弟で、幼名は太郎。勉学が苦手で、文学の才がある姉としょっちゅう比較されている。のんびり、ひょうひょうとした性格。まひろの夫になる 藤原 宣孝(ふじわらののぶたか)佐々木 蔵之介(ささき・くらのすけ)まひろ(紫式部)の父・藤原為時とは職場の同僚で同年配の友人どうし。世知にたけ、鷹揚(おうよう)な性格の男性。まひろのことは幼いころから知っており、よい話し相手となって温かく見守る。のちの最高権力者 藤原 道長(ふじわらのみちなが)柄本 佑(えもと・たすく)平安の貴族社会で、最高の権力者として名を残した男性。まひろ(紫式部)とは幼いころに出会い、特別な絆が生まれる。のちにまひろの『源氏物語』の執筆をバックアップし、宮中への出仕を勧める。道長の父/右大臣 藤原 兼家(ふじわらのかねいえ)段田 安則(だんた・やすのり)道長の父。藤原氏の中でも、名門中の名門。権力を得て政治のトップに躍り出ようと画策する。いずれは天皇の外祖父となり、栄華を息子らに継がせようと作戦を練る。道長の母 時姫(ときひめ)三石 琴乃(みついし・ことの)道長の母。兼家の嫡妻。出世街道を突き進む夫を支えつつ、とりわけ三兄弟の行く末を思い、見守っているが亡くなっている。道長の長兄 藤原 道隆(ふじわらのみちたか)井浦 新(いうら・あらた)道長の長兄。兼家の嫡男。才色ともに優れており、上品さ、明るさをも兼ね備えた、申し分のない跡継ぎ。権力を弟たちではなく、息子に継がせようと試みる。道長の嫡妻 源 倫子(みなもとのともこ)黒木 華(くろき・はる)藤原道長の嫡妻。源雅信の娘で、宇多天皇のひ孫。おおらかさと強さを併せ持つ女性。まひろ(紫式部)とも交流があり、不思議な関係が築かれていく。倫子の母 藤原 穆子(ふじわらのむつこ)石野 真子(いしの・まこ)源雅信の妻で倫子の母。まひろ(紫式部)には遠縁にあたる。倫子をのびのびと育て、穏やかな家庭を築いている。倫子・彰子の女房 赤染衛門(あかぞめえもん)凰稀 かなめ(おうき・かなめ)女流歌人。源倫子の女房であり、さらに一条天皇の中宮となる娘の藤原彰子にも仕えた。姫たちに学問を指南するうちに、文学好きなまひろ(紫式部)とも交流することになる。散楽の一員 直秀(なおひで)毎熊 克哉(まいぐま・かつや)町辻で風刺劇を披露する散楽の一員。当時の政治や社会の矛盾をおもしろおかしく批判する。その自由な言動に、まひろ(紫式部)と藤原道長は影響を受ける。一方で、本性のわからない謎めいた男でもある。
2024.02.01
コメント(27)
全23件 (23件中 1-23件目)
1

