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〔99〕心の中では際限もなく物思いを続ける「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。橘(たちばな)の三位の君をはじめとして、典(ないしの)侍(すけ)たちも大勢参上し、中宮付きの女房たちは、若い人々は廂の長押の下手に、東の廂と母屋の間の南側の襖を取り外して御簾をかけてある所に、上臈の女房たちは座っていた。御帳台の東側の隙がわずかにあいてる所に、大納言の君や小少将の君が座っていらっしゃる、そこにわたしは訪ねていって祝宴を拝見する。 帝は、平敷のご座所につかれ、御食膳が差し上げられ並べられた。お膳の調度や、飾りつけの様子は、言いようがないほど立派である。縁側には、北向きに西の方を上座にして、公卿たちは、左・右・内の大臣たち、東宮の傅(ふ)、中宮の大夫、四条の大納言と並び、それより下座は見ることができなかった。 管弦の遊びが催される。殿上人は、こちらの東の対の東南にあたる廊に伺候している。地下(じげ)の席は決まっている。景斉(かげまさ)の朝臣(あそん)(藤原景斉)、惟風(これかぜ)の朝臣(藤原景斉)、行義(ゆきよし)(平行義)、遠理(とおまさ)(藤原行義)などというような人がいた。殿上では、四条の大納言が拍子をとり、頭の弁が琵琶、琴は□(不明)、左の宰相の中将が笙(しょう)の笛ということである。
2024.04.30
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〔98〕心の中では際限もなく物思いを続ける「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。 その日の女房たちの衣装は、だれもかれもが華麗を尽くしていたが、袖口の色の配色のよくない人でも、御前の物を受け取る時に、大勢の公卿たちや、殿上人たちに、袖口をまじまじと見られてしまったと、あとになって宰相の君なども、悔しがっていたようだとはいっても、それほど悪いというほどでもなかった。ただ色の取り合わせが引き立たなかっただけだ。小大輔(こだいふ)は、紅の袿一重に、上に紅梅の袿の濃いのや薄いのを五枚重ねていた。唐衣は、桜襲。源式部(げんしきぶ)は濃い紅の袿に、紅梅襲の綾の表着を着ていたが、唐衣が織物でなかったのを悪いとでもいうのだろうか。それは禁色だから無理というもの。公の晴れの場でこそ、過失がはた目にちらりと見えた場合なら、批判されてもよいだろうが、衣装の優劣は身分上の制約もあることだから言うべきではない。弟宮にお餅を献上なさる儀式なども終わって、御食膳なども下げて、廂の間の御簾を巻き上げる、そのそばに帝付きの女房たちは、御帳台の西側の昼の御座の向こうに、重なるようにして並んでいた。
2024.04.29
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〔97〕紅の袿に萌黄、柳、山吹の袿を重ね「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。弟宮の陪膳役は橘の三位(内裏女房、橘仲遠の娘徳子)。取次役は、端の方に小大輔(中宮女房)、源式部(中宮女房)、内には小少将の君が奉仕する。帝と、中宮さまとが、御帳台の中にお二人で一緒にいらっしゃる。朝日がさして光り輝いて、まばゆいばかり立派な御前の情景である。帝は、御引直衣(おひきのうし)に小口袴(こぐちばかま)をお召しになり、中宮さまはいつもの紅の袿に、紅梅、萌黄、柳、山吹の袿を重ねられ、上には葡萄染めの織物の表着をお召しになり、柳襲の上白の御小袿の、紋様も色合いも珍しく当世風なのを着ていらっしゃる。あちらはとても目立つので、わたしはこちらの奥にこっそり入りじっとしていた。 中務の乳母が、弟宮を抱かれて、御帳台の間から南面の方に連れて行かれる。よく整っていてすらりとはしていない容姿で、ただゆったりと、重々しい様子で、乳母として人を教育するのにふさわしい、才気の感じられる雰囲気がある。葡萄染めの織物の小袿と、紋様のないの青色の表着の上に、桜襲の唐衣を着ていた。
2024.04.28
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〔96〕幾重にも建ち並んだ殿舎の軒「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。つぎの日の、夕方、早くも霞んでいる空を、幾重にも建ち並んだ殿舎の軒が隙間もないので、ただ渡り廊下の上の空をわずかに眺めながらだが、中務の乳母(中宮女房、源隆子)と、昨夜の殿が口ずさまれたこと(野辺に小松のなかりせば)をほめあう。この命婦は、ものの道理をわきまえた、よく気がきくお人です。敦良親王の乳母である中務の命婦にとっても、道長が「野辺に小松のなかりせば」と口ずさんだことは当然嬉しいことだった。二の宮の御五十日―正月十五日 ほんのちょっと里に帰って、二の宮(敦良親王)の御五十日のお祝いは、正月十五日なので、その明け方に参上したが、小少将の君(源時通の娘)は、すっかり夜が明けた間が悪いほどのころに参上なさった。いつものように同じ部屋にいた。二人の部屋を一つに合わせて、一方が実家に帰っているときもそこに住んでいる。一緒にいる時は、几帳だけを仕切りにして暮らしている。殿はお笑いになる。お互いに知らない男でも誘ったら、どうするつもりだなどと、聞きづらいことをおっしゃる。だが、ふたりとも、そんなによそよそしくはないから、安心である。日が高くなってから中宮さまの御前に参上する。あの小少将の君は、桜の綾織の袿に、赤色の唐衣を着て、いつもの摺裳をつけておられた。わたしは紅梅の重袿(かさねうちき)に萌黄(もえぎ)の表着、柳襲の唐衣で、裳の摺り模様なども現代風で派手で、とりかえたほうがよさそうなほど若々しい。帝付きの女房たち十七人が、中宮さまのところへ参上した。
2024.04.27
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〔95〕すぐに歌を詠んだら、みっともないことだ「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。正月三日に典薬寮から膏薬献上の儀があり、天皇はこれを右の薬指で額と耳の裏に塗る。式後人々にも配り、父親のかわりに、その罪が許されるほどの和歌を一首詠みなさい。今日は初子(はつね)の日なので、詠め、詠めと責められる。すぐに歌を詠んだら、みっともないことだろうと思い、またひどく酔っておられるので、ますます顔色が美しく、灯火に照らされた姿は輝き映えて素晴らしく、ここ数年来、中宮が寂しそうな様子で、一人でいたのを、侘しく見ていたが、このようにうるさいほどに、左右に若宮たちを拝見するのは嬉しいことだよと言われ、お休みになっている若宮たちを、帳台の垂絹を何度も開かれては見てらっしゃる。そして、野辺に小松のなかりせばと口ずさまれる。新しく歌を詠まれるより、こういうときにぴったりの歌を出してこられる、そんな殿の様子が、わたしには立派に思われた。 子の日する 野辺に小松の なかりせば 千代のためしに なにを引かまし 若宮たちがいなかったら わが世の千年の繁栄の証を何に求めよう[拾遺集]春、壬生忠岑 二皇子を得た道長の喜びに紫式部も共感している。
2024.04.26
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〔94〕心の中では際限もなく物思いを続ける「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。二間の東の戸に向かって、帝が若宮たちの頭上にお餅を丁寧に乗せるのである。若宮たちが抱かれて帝の前に参上したり退下したりする儀式は、見物である。母宮さまはおのぼりにならなかった。 今年の元日は、御薬の儀の陪膳役は宰相の君で、例の衣装の色合など格別で、実に素晴らしい。御膳を取りつぐ女蔵人は、内匠(たくみ)と兵庫(ひょうご)が奉仕する。髪上げした容貌などは、陪膳役の方が格別立派に見えるけれど、そのおつとめの胸中を察すると、わたしはたまらなくせつない気持ちになる。御薬の儀の女官の、文屋(ふや)の博士(内裏女房、文屋時子)は、利口ぶって才がありそうにふるまっていた。献上された膏薬(唐薬)が配られたが、それは例年行われることである。膏薬(皇薬)を忌んで唐薬という。正月三日に典薬寮から膏薬献上の儀があり、天皇はこれを右の薬指で額と耳の裏に塗る。式後人々にも配った。
2024.04.25
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〔93〕心の中では際限もなく物思いを続ける「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。渡り廊下に造ってある部屋に寝た夜、部屋の戸をたたいている人がいると聞いたが、恐ろしいので、返事もしないで夜を明かした翌朝に殿から、 夜もすがら 水鶏(くいな)よりけに なくなくぞ まきの戸ぐちに たたきわびつる 昨夜は水鶏以上に泣く泣く槙まきの戸口で、夜通したたき続けたよ と文に、 返歌、 ただならじ とばかりたたく 水鶏ゆゑ あけてはいか に くやしからまし 熱心に戸をたたかれたあなただから、戸を開けたらどんなに後悔したことでしょう藤原道長は紫式部にとって尊敬できる人間味にあふれた殿であったが、このように夜更けに戸を叩いて、強引に肉体関係を持とうとする老醜の男でもあったのだ。今年は正月三日まで、若宮たち(敦成〈あつひら〉親王、敦良〈あつなが〉親王)の御戴餅(いただきもちい)の儀式のために毎日清涼殿におのぼりになる、そのお供に、みな上臈(上皇や御台所への謁見が許される女中)女房たちも参上する。左衛門の督(かみ)(藤原頼通十九歳)が抱かれて、殿が、お餅を取りついで、帝(一条天皇)に差し上げられる。
2024.04.24
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〔92〕心の中では際限もなく物思いを続ける「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。人にまだ折られぬものを 源氏物語が中宮さまのところにあるのを、殿がごらんになって、いつもの冗談を言い出さしたついでに、梅の実の下に敷かれている紙に、すきものと 名にし立てれば 見る人の 折らで過ぐるは あらじとぞ思ふと書いて見せる。意味は、浮気者と評判がたっているので おまえを見た人で口説かないですます人はいないと思うという歌をくださったので、 (換毛期で家の中はももの毛が散らばり都度掃除機を掛ける)人にまだ 折られぬものを たれかこの すきものぞとは 口ならしけむ だれにもまだ口説かれたこともないのに、だれがわたしを浮気者などと言いふらしたのでしょうなどと心外なことと申し上げた。道長と紫式部の関係はさまざまな解釈がされており、紫式部にとって道長より物語を書くのに必要な和紙を提供されており、かなり気を遣う必要があった。和歌のやり取りだけを見ると、藤原道長は紫式部にとってどのような関係だろうと思ってみたが道長の要望で源氏物語を書く事になり物語の登場人物は道長をモデルにして書いて行ったのであろう。道長は、物語の世界でさまざまな恋愛を書く式部を恋愛や物語に精通したものとして書かせては宮中で読ませて政治にも利用していたのではないだろうか。
2024.04.23
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〔91〕説教の仕方がそれぞれ異なっている「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。後夜の御導師の祈願は、説教の仕方がみなそれぞれ異なっていて、二十人の僧たちがみな中宮さまがこのように身重でおられる旨を、一生懸命に祈って、言葉につまって、笑われることもたびたびあった。仏事が終わって、殿上人たちは舟に乗って、みな次々と漕ぎ連ねて管弦の遊びをする。お堂の東の端の、北向きに押し開けてある戸の前に、池に降りられるよう造ってある階段の欄干を押さえるようにして、中宮の大夫は座っていらっしゃる。殿がちょっと中宮さまのところへ行かれたときに、宰相の君などが中宮の大夫の話し相手をして、中宮さまの前なので、打ち解けないように気をつけている様子など、御簾の内も外も趣のある雰囲気である。 月がおぼろに出て、若々しい男たちが、今様歌(平安中期から鎌倉時代にかけて流行した、多く七・五調4句からなる新様式の歌謡)を歌うのも、かれらはみなうまく舟に乗ることができる。若々しく楽しく聞こえるが、大蔵卿(藤原正光五十三歳)が、その中に年がいもなく入って、さすがに若い人たちに一緒に歌うのも気がひけるのか、ひっそりと座っている後ろ姿がおかしく見えるので、御簾の中の女房たちも秘かに笑う。舟の中にや老をばかこつらむ(舟の中で老いを嘆いているのでしょうか『白氏文集』巻三「海慢慢」の詩の一句の「童男丱女舟中老。徐福文成多誑誕」による)」とわたしが言ったのを、聞かれたのか。(撮影に行かれなかったので画像が少ない)中宮の大夫(藤原斉信〈ふじわらのただのぶ〉)が、「徐福文成(じょふくぶんせい)誑誕(きょうたん)多し(徐福や文成は嘘が多い)」と、朗唱なさる声も様子も、格別新鮮に感じられる。池の浮き草(今様歌の一節)などと謡って、笛などを吹き合わせているが、その明け方の風の様子さえも、格別の風情がある。こんなちょっとしたことも、場所柄、時節柄で趣深く感じるものである。
2024.04.22
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〔90〕心の中では際限もなく物思いを続ける「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。万が一この手紙がひと目に触れるようなことになったら、ほんとうに大変なことでしよう。世間の耳も多いことで、このごろはいらなくなった手紙もみんな破ったり焼いたりして捨ててしまい、雛遊びの家を作るのに、この春使ってしまってからは、人からの手紙もないですし、紙にわざわざ書くことはないと思ってるのも、人目に立たないようにしているからです。でもそれは悪い事情からではなく、意図してやったことで、この手紙を見られたら早くお返し下さい。あちこち読めないところや、文字の抜けたところがあるかもしれません。そういうところは、構わないので読み過ごして下さい。このように世間の人の口の端を気にしながら、最後に書き終えてみると、わが身を捨てきれない未練な心が、こんなに深くあるものですね。われながら一体どうしようというか。御堂詣でと舟遊び 十一日の明け方に、中宮さまは御堂(土御門邸の池のほとりにある供養堂)へお渡りになる。中宮さまのお車には殿の北の方(倫子)が同乗なさり、女房たちは舟に乗って池を渡った。わたしはそれには遅れて夜になってから参上した。祈願の仏事では、比叡山や三井寺(ともに天台宗の本山)の作法どおりに大懺悔(滅罪のための作法)をする。上達部は白い百万塔などをたくさん絵に描いて、遊び興じていらっしゃる。その多くは退出して、少しだけ残っている。
2024.04.21
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〔89〕ただ阿弥陀仏を信じてお経を習おう「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。今は言葉を慎んでかしこまるのはやめよう。他人が、とやかく言っても、ただ阿弥陀仏を信じて、お経を習おう。世の中の厭わしいことは、すべて露ほども未練はなくなったので、出家しても、仏道修行をなまけることはない。ただそう思って出家しても、来迎の雲に乗らないうちは心が迷うこともあるかもしれない。そんなわけで、出家をためらっている。年齢も、出家に適したころあいになってきた。(ももは換毛期に入り廊下や台所など抜毛が塊になっている)これ以上老いては、目もかすんでお経も読めないし、読経すら億劫になっていくから、信心深い人の真似事のようだけれど、今はただ、仏道方面のことだけを考えている。それにしても、わたしのような罪深い人間は、必ずしも出家の願いがかなうとはかぎらない。前世の罪を思い知らされることばかり多いので、なにごとにつけても悲しいことだ。出家を望みながら、俗世を離れられない人間の宿命的な苦悩を書いているが、これが後々『源氏物語』の最末尾にあたる第3部のうち後半の橋姫から夢浮橋までの宇治十帖で深く展開されることになるだろう。手紙にうまく書き続けられない良いことでも悪いことでも、世間の出来事や、身の上の憂えでも、残らず言っておきたいと思います。(家から車で6分程の青少年の森公園内の喫茶店)いくら不都合な人を念頭におき書き上げたとしても、こんなことまで書き立ててよいのでしょうか。しかし、あなたもすることがなくて退屈でしょうから、どうかわたしの所在ない気持ちをごらんになって、思っていることで、こんな無益なことはなくても、書いてください。拝見しましょう。
2024.04.20
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