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先週、2泊3日日程で山形へ行ってきました。夫と娘との家族旅行。でも旅行と行っても帰省に近いです。というのも、私の母親の実家だからです。絶縁した程大嫌いな母親だけど、その実家は不思議と違う空気が流れており、地方というのもあってかホッとする所です。娘が生まれて1歳になる前にも母と兄といっしょに行きましたが、その時感じた息苦しさというものがありませんでした。また私にこっそり?というか予告はしていたけど、叔母にも今の私の状態を夫は話していて、ついでというのかなんなのか、いとこにも話していたのでした。二人に話したことを事後報告してくれましたが、二人とも「鬱、心の病気は誰でもなるもんだよ」と理解してくれたそうです。実際、いとこのお嫁さんも産後うつだと思われますが、鬱になったようで、改善する為にも母屋に家族全員で住んでいたのを別居したそうです。今はそんなことがあったのが全然わからないほど明るいお嫁さんでしたが、びっくりしたと同時にヘンな親近感を覚えたのでした。あとは血が繋がっていないのだけど祖母にも会ってきました。自分が赤ちゃんの頃から世話になっている祖母です。だいぶ体が弱ってきたらしく、以前とは違い鋭気がなくなっていましたが、過去お遍路さんをしていた話や、神様、仏様の存在についてはかなり熱心に話していました。宗教と言うことで、一線を引くのは良い考えとは思いませんが、祖母や、叔父、叔母の世代にはまだまだ良き日本人の風習が残っていると思ったのが正直な感想です。目に見えない存在ってとっても単純な考えでもありますが、神様や仏様の存在って自分がした行いや考えなどなど振り返ったり、なんでもなく生きていられることに感謝したり出来る存在なのかと思ったりもしました。話は変わって、マクロビオティック料理教室は少しお休みして、カウンセリングをしてくれる所へ行き始めようと思っています。あとは紹介してもらった本をもとに、そこがやっているカウンセリングを受けてみようかなあと考えています。いつまでも、「障害者のきょうだい」で育ってきたトラウマをひきづり、悲劇のヒロインでいたくありませんし。将来、病気になった兄や、自分以外に介護するあてのない両親を心配するとまたきりがないのですが、その将来はまだきていないのだから、今の自分を健康にしたいと思います。
2005.09.25
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今の自分には「否定」ではなく「肯定」が必要、大事であると気付きを得れました。もちろん場合によっては否定も必要でしょうけど。心の平静のバランスを保つのに結構役立てるのではないかって思うことが1つ。新聞記事、それは読売新聞の人生相談なのですが、とある女性が寄せた悩みの相談に対する回答を心療内科医の海原先生がしているものです。嫌な思いは抱え込まず、そして「忘れよう」とするのではなく、「生ごみを捨てるように掃除する」ようにして下さい、例えばノートにその思いを書き出す、運動をする、自然に親しむとか・・・・。ようは抱え込んで、忘れようとする努力は「否定」であるから、また時間が経った時にその思いは呼び起こされ、また嫌な気持ちに陥るらしいのです。結局、なんでこんなこと書いているかと言えば、やっぱり自分も嫌な思いになったからです。名前を未記入の上で、自分が一所懸命やった自治会仕事に対し、大人気ないクレームを今更出してきた人がいるからです。その自治会仕事とはマンション内にある駐輪場にある放置自転車、バイクの撤去作業。きっちりと段取りも取り、それを明確に文書にもして内容を伝えていましたが本当は役員全員で仕事をやりたかったけど、ある役員のご主人から「自分は会長のお手伝い、言われたことのみをやる」と断言されてしまい、やむ終えず仕事分担を図ったのでした。また自分だけ小さな子供がいる、というのもはっきり言えば、作業に不利な状況だったので、あくまで司令塔というか調節、交渉係りに扮していたのでした。作業が無事終わる、終わったと思いきや、所有を認めていたバイクをあたかも放置バイクにみせかけ、こっそり置く住民が出てきたのです。もちろん、最初から放置バイクではないとわかっているので(その始末ぶりの一部始終を他人にも見かけられているのもあった)所有者が断定出来たいたのでその人に確認に赴きました。ですが出てきた言葉は「自分のバイクは今ない」からすったもんだの挙句、「バイクの所有と放置した事を認めたなのです。その住民は禁止されている動物を飼う、階下に物音を立てるのに無神経、共有通路に平気で自分の私物を置く、などしている住民歴が長い人なのです。「放置」しようとしていたバイクを予定外?にも所有がばれてしまったことに腹を立てているのか?放置自転車、バイク撤去作業全般にお礼を寄せるのではなく、撤去予定の自転車、バイクを移動させたことに対しお礼をし、私がどういった事情でその作業に参加していなかったも知らずに、名指しでいなかったことをおかしいと言い立てているコメントが今日寄せられているのを目にしました。ものすごく憤慨に思いましたが、結局は箱状の棲家、マンションに住むというのは何か人間の繋がりが健全に持てない、上下関係が出来やすい、それに翻弄されてしまうことにかなりをストレスが出てきたのだと実感しました。ひとまず来年の5月には転居予定です。主人の実家の母屋の脇に家を立て、引っ越します。その見通しが立ち始めた時には少し穏かでいられると思います。ひどく長い文章で愚痴になっていましたが、それが本当の事実で私の心の内でもあります。肯定する機会として良しと思いたいです。
2005.09.14
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本日オンエアされたNHK教育のうつ病に関する番組を見た。新聞のテレビ欄に載っていた副題にひかれたのもある。うつ病にかかった女性の身辺や患うまでにいった原因や過去、周りの家族関係に至るまで結構詳しく紹介されていて、何よりその女性本人自らが語っていたのがより病気に関しても親密に感じられ良かった。付け加え、タレントの高木美保さんも自身のうつ病体験をその女性の取材シーン毎にうまくまとめて話されており、彼女の言動にはすごく安心するものを感じた。うまく言えないけど、自分をまた客観視する事が出来たし、次からというか、今から自分自身をどうすれば平静にいられるのかをヒントも得れたと感じている。前向き過ぎない自分、頑張り過ぎない自分、「○○であっても大丈夫!今の自分のままで良い」って受け入れられるように、否定ではなく肯定することが大事なんだなあと。真面目で心配性だったりするのもうつになりやすいですよともコメントされていた。確かに自分にも思い当たるものだ。特に真面目さ加減は生真面目な部類だしなあ。タレントの島田さんに出会えて、知り合いになった時も「ああ、障害者のきょうだいの方とお話が出来て良かった。会うまでは自分で何かまだ足りていないとか何か不十分なんじゃないか」と漠然に思ったいた。でも彼女と話して、「障害者のきょうだい」として幼少の頃からやってきた自分が肯定されることが出来て心から楽になった。それからは他の障害者のきょうだいの方と何人かと話も出来たこともあって、「自分の兄は障害をもっている」とうまくカミングアウト出来るようになったし、過去の苦労や体験も愚痴ではなくて話せるようにもなったのだったし。仲間っていうのでしょうか、同じ境遇を体験し、似たような思いをされた方と接点を持つのって素晴らしいものだなと思う。過去の自分は嫌いじゃない、将来の自分には心配、不安もある。でも今の自分を大事にしたいと思う。今がなければその先はないのだし。
2005.09.13
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先週と今週、びっくりするぐらい、だいぶ、いやかなり穏かに過ごしています。無理をしない、気が向かないものは手を出さない、誘われても緊急とかでない限りは人と会わない、無理に会話を進めないなどなど・・・結構「ないない」づくしだけどこれが良かったかなと思います。前の家族にかけられていた「鎖」はなかなか頑固で、すぐにははずれないけど、自分自身気に入っている、残しておきたい内面は活かし、悪いところは徹底的に消す、消せるように努力する。しばらくはこれに尽きるかなと思います。本当はすぐ違う心療内科の先生を探して受診しようかと思っていたけど、旦那もそうすべきじゃないかと言ってくれていたけど、ちょっとだけ整理する時間が欲しかったので、来月あたりにしようかと思っている。つけくわえるなら、処方される薬は飲みたいけれど、飲めない。飲みたくない。授乳中に飲むと妊娠中に飲む場合よりも薬の影響は強いらしい。つまりリスクが大きいと言うこと。先生には「通説的にはもう子供の年齢も考えて、授乳はやめても良いのではないだろうか、母乳育児、特に離乳の時期にはトレンドがあるみたいだけれど、そこまでそれに縛られるのもおかしいのではないだろうか?」と言われたのだけど、確かに同意出来る自分もいるけれど、自分の我慢より、娘に我慢させる方がつらい。今まで母乳育児をやってきて助けられたことって沢山あるし、それで教わったことも多い。「やっぱり母親になったことがない、もしくは女性でないとこの事はなかなか理解してもらえないのだな」と実感した。とりあえず、薬を処方してもらうのは難しい状況なので、違う治療のアプローチを考えてみた。しばらくは「ないない」づくしで無理をしない生活、あとは体を動かすのも良案であると思い、もともと興味があったヨガ教室を探し出し始めた。千葉なので、流行りの「美容、ダイエット」向きのヨガぐらいしかすぐ見つからないけれど、マクロの先生にも電話し情報を求めてみる。ひとまずあまり離れていない場所で月2回ぐらい通えたらなと言うのが希望。まさか自分が心療内科にかかるなんて、また鬱になるなんて・・・と思いもしない経験だろうけど、本来の自分を取り戻す良きチャンスだと思っている。「気力」なんかで治らないのだから、その原因、本丸にぶつかっているのだから乗り越えられた時、何か大きな物に気付けると信じている。やっと過ごしやすくなってきたこの頃。夏ももう終わり。今年の夏は散々だったけど・・・・。すっかり夏嫌いになりました。公園にも行きやすい気候になってきたし、娘との公園通いが復活出来そうです。
2005.09.08
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先週末、2度目の心療内科を受診しました。もうストレスフルになっていて、精神的にかなり不安定で涙がふいにポロポロと流れ落ちる1週間だった。家事も何もろくに手につかず、本当にどうしたんだろうと自分で自分がおかしく思えるぐらいにボロボロだった。でも、底の底まで落ちたし、また夫の両親に自分の育った家庭環境、子供時代、母について大泣きしながらも話すことがようやく出来たせいか、だいぶ楽になった。残念な事にかかった心療内科の先生は選択が悪かったせいかカウンセリングの時間も短く、あくまで薬を処方しがっていたし、何よりも続く診察の順番を医療事務の女性が診察の合間に患者さんに向かって「次がつかえておりますので、ごめんなさい」と断りコントロールしていた事もよくなかった。一応、その時先生曰く「鬱病の部類でしょうねえ」と軽々しく言われたけど、そうならそうと早く言って欲しかったな、と。別に病名をつけてもらいたかったわけではないけど、白黒はっきりつけたい私としては自分の状態をよく知りたかったのだ。とにかく、休む、無理をしない。のも大事だけど、私の場合もっと自分を大事に、自分を一番にかわいいと思うぐらいに扱えるようになるのも大事だろうと気付いた。あとはきつい状況になる前に他人に助けてもらえるようになること。これはもちろん分かっているのだけど、子供の頃の環境が災いしていてなかなか口に出せない。傲慢になるのはよくないけど、その手立てが一般的なケースと違いなかなか素直になれない自分。ゆっくりでいいから、前だけを見て、自分をある意味厳しく、でも一番かわいい存在で扱えるようになれればいいかなと思う。
2005.09.05
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