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昨日の話であるけど、かかりつけの歯医者さんから薦められた書籍を書かれた先生のところへ持病のアレルギー性鼻炎からなる口呼吸の件を診察してもらいにいきました。もともとのきっかけは鼻腔炎、中耳炎、歯の汚れ、喉の痛みが度々感じること等を解消したかったからだ。先生は西原克成先生といって、今は診療所ではなく、独自の研究所を開いている、元某有名大学病院の口腔科の先生だ。その先生が書かれた書籍は鼻呼吸で人間本来もつ免疫システムが正常であれば、難病とされるほとんどの病気が治るとされている。とにかくうんちくはいいとして、書籍の内容と先生の話も本当に納得出来る内容だったので、診察や治療(といっても器具や食生活、運動に気をつけるなどの指導)を受け、言われた宿題を昨日からこなし始めている。先生が書かれた文章の中にかつて日本で有名だった「エポック博士の育児書の内容は間違っている」という知っている人は知っている、項目をしっかり先生の視点で解説されている。私もその「エポック博士の育児書」の犠牲者??の一人。小児喘息、アレルギー性鼻炎、背中の骨が成長期に湾曲、などなどの悪路を歩んできた。(おまけに牛乳の害(自分の体型)もあると確信している。)とりあえず、親をもうどうこう恨んでも仕方がないので、これからは自分で自分を体も良い方向にしていくしかない。ひとまず、鼻呼吸に矯正するグッズして寝るのが結構一苦労。でも継続は大事なので、無理しない程度でやり続けます。
2005.11.30
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と言っても、新しく購入した26インチの自転車に前乗りの子供椅子をつけたものです。結構ラクショ~だろうと思っていたら、娘はちょうど14キロぐらいなのですが、前かごにその大きさ分荷物を入れた状態で、しかも子供椅子がついているので、足を蟹股状態でこぐ。30分ぐらい乗ったら結構汗かきました。まだ娘にかぶせるヘルメットもかぶせていないし、周囲に気をつけながらの運転だったのでこれも少々こぎ疲れた要因かも。これで行動範囲も広がるな~と「飲みにいく店」探しに家近所の地図を夫とともにめぐらす始末です。
2005.11.28
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今日はフィットネスヨガの日。前々回は教室体験をして、申し込み、前回はお義父さん、お義母さんに娘をお願いして通うかと思ったらあいにく都合が悪く、急いで他の託児施設にあたってみても予約で一杯だった。ここは泣く泣く・・・あきらめ今回はようやく本申し込みの1回目となったのでした。フィットネスヨガは日本人が開発したそうで、アメリカから来たヨガとは違ってとっても地味。でもこれが私にはあっているみたいで、地味なポーズだけど体がポカポカと温まり、やり終えると全身すっきりしてくる。あとヨガの最中は余計な事を考えなくっていい。地味なポーズなんだけども結構次々にポーズをやっていくのですぐに憶えられないのだけど(困)とりあえず地道に続けるのがいいかな・・・って感じです。(家でもおさらい出来るようにDVDの購入を考えているけど・・・)-------最近は精神的には安定している。自分で自分の内心に向け、色々問いかけたり、言い聞かせたりで、うまくふんばれている。でもまだ完全に回復したとは思っていないし、この膿を出し切りたいから、まだまだ追求していく必要はあると自分では感じている。ひとまず「悪、怒り、憎しみ」などのエネルギーだけでは生きてはいけない、「善、嬉しさ、楽しさ」のエネルギーで生きて生きたい。とも思う。
2005.11.26
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今日は某サニタリー?メーカーのショウルームに行きました。一時期、進行がストップしていましたが、来年住むであろう新居建設の為にです。新居ということにもワクワクしますが、夫の両親の家の脇に建築します。もちろん、両親とうまくやっていこう(という心構えって意外と怪しいもんだけど。本当は違う考え方の方が健康的。)と言うことではけっこう緊張するけど、自分の両親とは違って健全な親子関係があるので、もっと心を開いてしっかり甘えられるようになりたいと思っている。ところでそのショウルームではメーカーの方、建築メーカーさんのインテリアコーディネーター、社長さん(この人は全然社長らしくなく、お坊ちゃんということもありますが、自分に正直、少年ぽいというのか面白い人です。)と私達家族で、説明を受けながら、どのキッチン、お風呂、トイレにするかなどなど詰めていきました。こんな経験は初めてというのもありましたが、メーカーの人の説明がいただけない!しどろもどろで話すは、聞き手が求めていない事を話す、自分の都合のみで話を進めるで、夫婦揃ってその対応に目がパチクリ。帰路、車に乗り込むやいなや、「あんな営業でいいのか??」話となりました。「あいつがやれるなら、おれがやれる。」と旦那は強く強く主張していましたが、結論として「客を尊重していない今回の説明」を見て、いい参考になったとのこと。ずばり「他人のフリ見てわが身を直す」です。「オレの説明って完璧だ!」なんて思い、振り返りを忘れていたら本当とんでもない話です。あとその人には全然完璧じゃない説明だったけど、「説明する自信」なるものも欠けていた。これには夫も「練習不足」を指摘していましたが、「反省も何もしていないのでは?」と私も思いました。私も「自分の母親の悪行を思い出しては、自分の娘にはするな」って感じで、娘と家族に対する態度、言葉には注意していきたいものです。
2005.11.21
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新聞の朝刊の記事に昨日の高橋尚子選手優勝インタビューコメントが載っていました。私が昨日書いたのがやや記憶違いがあったようで・・・。訂正出来て良かった。「今悩んでいる人も1日の目標を立ててやっていけば、充実した時間が過ごせると思います。」との事。真さに自分に当てはまるな~と自分自身のこの数ヶ月、いや悩むようになったというか、本来の自己に目覚めてから(さながら遅れ目の思春期って感じか?)とんでもなく大きく目標を掲げ、それまた目標を持ちすぎていたのだと、なんかパンパンになっていたのだと、その中でトラウマや自分の考えやらがグルグルと回り、混乱していたように思えた。ひとまず、今日一日、自分に正直に楽しく、前向きに生きられれば良いのだ。家族と共に。そんでもって、違う本を読み始めている。(世界中でベストセラーになった本です。皇太子様も読んでいるという本。相変わらず固有名詞覚えるのが不得意です。)実は、ある私の言葉が発端で母が買い与えてくれた(母は自分も読みたいから返すようにと言ってきてはいるが、返さないつもり。)本なのです。文中にも出てくるが、その言葉は「子は親の鏡」と言いました。それを母はどう思ったのか?たぶん特に兄の姿を覚え、自分がかわいい、一番な人なので、過去や現在の過ちを感じたのだと思う。というのも、文中の言葉のほぼ全てが逆の意味で私と兄に実行されていたからだ。最初、率直に「この本の通りに自分も接され、言葉や愛情をかけてもらいたかった」と痛切に思った。しばらくその本をほったらかしで、自分の傷をある意味、再び攻撃する、再認識するような本ばかり読んでいた。そちらの方を読むのが先決だと思ったからだ。でも、そればかりじゃなく、「癒される」のが大事なので逆パターンとなるその本を読んだ方が得策だと思い、読み始めている。ちょっとずつ読み、感じたことをノートでも何かに書き込んで、自分に言い聞かせるといいかも知れないと感じている。
2005.11.21
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東京国際女子マラソンに2年ぶりの優勝した高橋尚子選手!テレビ観戦でしたが、スパートをかけ、独走態勢に入りつつ、何回か後ろを追いかける選手を確認するのに振り返りつつ、力のこもった力走を見ながら、少しずつ涙腺が緩む。競技場に着き、残りのトラックを走り、笑顔でゴールしたところには感動して泣いてしまった。インタビューの内容にも人柄、選手魂も表れていて、画面にがじりつきながら、一言一言にうなずき見てしまった。「24時間という時間はみんなに平等にあって、1日1日無駄にせず、努力していけば必ず夢はかなうと思います。」みたいなことや、「苦境にいる人や様々な年代の人に夢と光を与えたい」と語っていたこと。すごく励まされました。実はシドニー五輪の時は、オーストラリアに長期滞在中だったくせに、高橋選手の優勝はテレビで見れなかった。とある場所で、日本人が私一人だった時に、「たかはしという日本人選手がマラソンに買ったんだよ」と声をかけられ、その時は全然ピンと来なかったのだけど、オリンピックが終わって、冬になる頃帰国しましたが、その活躍振りを伝える番組やスポーツ記事を読んだりして、「うわ~こんな謙虚ですごい選手だった!」と驚いたものでした。アテネ五輪代表に落選した時、故障をしていた時、いわゆるスランプだった時も浮気?せずずっと応援していましたが、その間の努力が報われて良かったなって思う。前向きに努力する姿を私も習えるようにって思う。
2005.11.20
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ちょっとした事でイライラしてしまったり、夫、娘にあたったりで、またなんとなくここ数日精神的に不安定です。アダルトチルドレンに関する本を振り返りで落ち着かせる為に手にとって読んでみたりするけど、いつも不安定になったら本を読んで自分に色々言い聞かせて、落ち着く。そんな繰り返し。もちろん小さな努力はしているけど、一度小さな勇気を持って実行し成功したもののみ、やっている事に気付く。もがいているように見えるけど、やっぱりどこか何かに改善をしてもらえるだろうという、時間や何かが解決してくれるのでは?と考えている自分を見つける。自分を苦しめるもの、過去のトラウマを振り返ったり、親を恨んで、怒りをぶつけてみても、親と距離は置いている分には良いけど、そんな事したってどうしようもない。ってブレーキは最近かけられるようになった。もう違うステージに来たのはわかるけど、その一歩が踏み出せない。変化を恐れているのだろう。12月にとあるセミナーに行きますが、それまでに少し自分で「宿題」が出来るといいな、ではなく、したい。願望を実らせたい。私は必要以上に「未来」と「過去」にとらわれすぎている。起こってもいない「未来」に必要以上に心配し、勝手に自分のしたいことを抑え、いつの間にか他の事や家族の事を心配してしまっている。それを打破する為に、逆に「未来」に違う取り決めというのか。してみた。「障害がある兄の面倒は当分両親が見て、幸いなことに施設に入っている。だから自分が考えている以上に介護、面倒を見る必要はないんだ。もし両親が死んだって、障害者をとりまく法律が変わって、兄の生活基盤が悪くなろうが、施設に入っている。だから私がずっと面倒、介護につく必要はないんだ。」「両親の老後のことを考えるな。考えるのは本人達。これってある意味仕返しかもしれないけど、母の介護は他人に任せればいいのだ。幸い、そのサービスは充実しているのだし。自分の家族の未来を中心に考えるべき。」これぐらいきつめに考えないと、自分は「現在、今」を生きられなくなってしまうと思う。発想の転換、イメージトレーニングというのか、何度も繰り返すのが大事かな。
2005.11.19
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ジャミロクワイのコンサートに行きました。やっぱり、コンサートで生の歌声聴くのはいい!また来日する機会があったらぜひぜひコンサートがある際には足を運びたいと思ったほどでした。(いつも大抵1度足を運んだら満足するのでこれについては自分では満足度が高い。)最初に昨日の日記で書き忘れたことで続き。「障害者のきょうだいがいる」からという事で否定的な発想がときある行動に出てしまうということが書き漏れていた。流産の経験を告白してきた人は今回のその原因は自分と夫のきょうだい、それぞれに障害者がいるため、それが原因なのか?と医者に思わず聞いてしまったこと。またもう一人の人は障害者のきょうだいがいる為、健常児ならば普通に味わえる幸せ、妊娠したことがもちろん、彼女にとって、またその両親にとっても大きな幸せになる。でも流産したがために、その本人の気持ちもあるが、その両親も期待感があった為にまた落胆も大きかったと。これらについては自分も同じ経験をしたならば、同じことを考え、思うだろうと理解出来た。自分が妊娠していた時も、無事出産を終えてしばらくしても、子供がもし、兄と同じ障害を持っていたらどうしようかと、強く不安感が募り、やや鬱っぽくなった時もあったからだ。それを考えている時、なんとか受け止めて強く生きていくしかないと前向きに考え、振り切った事もあった。世間の人は障害者本人、その両親にはある程度同情を示しているように思う。でもその「きょうだい」にはあまり寄り添ってもらえないように思う。ひとまず、「障害者のきょうだい」の声としては自分も妊娠、出産の過程で思ったことを忘れはしないけど、どこかへ発信するのは大事かもしれないと思った。
2005.11.16
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随分前、結婚前からなので3年前から「障害者のきょうだいをもつ」方々とMLでメールを交わしています。始めた当初はとても意見交換が活発だったのだけど、メールを出す人がしぼられてきて、最近はかなり女性ならではの視点で話が交わされるようになってきた。はっきり言えば「おしゃべり」みたいなもんですが・・・・。でも最近のそれで、内容に思うところがあり、あえて返信メールを出さないようにしている。内容は「流産した経験」についてなのですが、流産した経験は自分自身ないけど、出産をした身なので、その辛さはもちろん痛いほど理解出来る。でも取り交わしている内容はやっぱり「障害者のきょうだいがいる」という点で交わされているのが、半分理解出来て、半分、不幸話をさらし過ぎと思い、なんとも返信出来かねている。その内容を持ち出したのが30歳後半の二人なのですが、一人は前向きに流産した結果を受け止め、整理が出来ているようで、もう一人は前者の体験を自分のものと照らし合わせ、自分とその人の傷を少し触れて話しているように感じた。一般的には妊娠・出産するには身体的に早い方が良いとされていると思うので、彼女達の年齢を思うと少しそれがネックだったのか?って勝手に思ってしまうけれど、もちろんそれに原因を持つ事がはっきり出来ないし、流産の原因って普通に身体に負担なく生活していても起きるらしいので、はっきりしたものってわからないのだろうし・・・。色々考えるとどこへその原因の根拠、悲しさ、やりきれなさを矛先に向けるべきなのかわからないのも理解出来る。でも、やっぱり自分の感情というのか、それはある程度自分の中で整理してからは吐き出すのがいいのだとそのやり取りを読み思った。そして自分は特に慰めも、どう意見しなくとも良いのではと思い、ここに綴っている。これで十分だと。頑張って返信したらなんか嘘っぽいし、自分自身疲れちゃうから。
2005.11.15
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