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ステフィもネッリもドイツ語だけでスウェーデン語は全く知りません。それでもドイツ語と似た言葉を聴き分けたり、何度も繰り返される単語を聞き覚え、だんだんスウェーデン語が分かるようになっていきます。
二人一緒に預かってもらえるはずでした。でも行ってみたらそうではなかった。妹のネッリは同じぐらいの子供二人がいるアルマのおうちへ、そしてお姉さんのステフィはその島の集落で一番外れのところにあるメルタのところへ連れて行かれた。メルタはものすごく厳格な人で家の中は必要不可欠なもの以外は全くおかない。そしてある物はすべてのものがピカピカになっています。およそ子どもが滞在できるような雰囲気はない。
この空気はスティフィに語っています。
本当はあなたなんか預かる気なんてなかったんだからね。
それでもユダヤ人と言うだけで差別を受け命さえもどうなるか分らない、って聞いて哀れに思ったし、まあせいぜいうちの手伝いをさせて食事の分以上に得になることもあるさ、と思ってのことなんだよ。
私はウィーンからの子どもが来たからと言って私の生活を変える気は全くないのだから、私の言うとおりにすることね。面倒はゆるさないよ。
ステフィはすぐさまその空気を読みとって
こんなところで私は暮らしていけるのかしら・・・
もっと正直に言えば
すぐさまお父さんお母さんのところに帰りたい
と思ったのでした。
ウィーンでの生活は華やかで楽しいことがいっぱいありました。お父さんはお医者さん、お母さんはオペラの歌手でした。広いマンションに住み執事や女中が家のことをやってくれ、家族でピクニックに行ったり友人たちを招いてのパーティーも良くしていました。
あまりにも違う。
だけど、私本当のことはお母さんたちには言わない。
心配させるわけにはいかないもの。
だからウィーンへのお手紙にはいつも万事うまくいっている、とだけ報告するステフィなのです。
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