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台風のさなかではあったけれども、今日の「慈子きずなの会」には12人の方が参加してくださいました。
雨や風の中をぬってお集まりくださったこと、心から感謝いたします。もちろん集まりを延期しなくてもいいぐらいのお天気だったということもありがたい限りでした。
慈子さんは31歳で多発性硬化症を発症されて、だんだん首から下は動かすことや感じることがができなくなり、入退院を繰り返されておられたのですが、1987年ぐらいから、自宅で療養され週に一度病院の外来に行かれるようになったのでした。
まだ自宅療養のためのサービスも整っていない当時、続けていくことは本当に困難だったのだけれど、慈子さんやご家族の毎日を応援するために駆けつけ、以来ずっと阿南家の一員のごとく、支え続けてこられた宮川さんを今日はお招きして、お話していただいたのでした。
長い前置きでごめんなさい。
宮川さんのお話で印象的なことはなんと言っても、必要を満たす手立てが必ず見つかっていく、ということ。しかもそれは誰かの力だけでなくて、たくさんの方々の思いつきや工夫や技術によって生み出されていったということなんです。
たとえば自分で動くことができない慈子さんのための服、動きにくくなっている腕でも着れるよう工夫されたデザインで、洋裁の上手なお友だちがオリジナルで縫って下さる。
車椅子に乗れていたころは布製の柔らかい靴も何足も縫って下さった。
ストレッチャーで寝たまま病院の外来に行かれるとき、人工呼吸器をベッドに取り付けられるよう改造してくださった友人。
お天気が悪くても病院に行けるよう、傘の生地でストレッチャー全体を覆い隠すようにほろのようなものを考えてそれも作ってくださった。お顔が見えるように透明の部分を作ったり、息がしやすいように工夫してくださったり・・・
どこにも売ってない、慈子さんに必要な、慈子さんだけのものが作られていった。
それって本当にすごいこと、でもとってもステキなことですよね。
どれもこれも、宮川さんがそばにおられたから実現したような気がするのです。
彼女は立派なコーディネーターでした。
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