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【死を超えて】前回の「自殺を乗り越えるために」と題した日記では、古代ギリシャの思想家による「人間は生まれてこないのが一番良い。しかし運悪く生まれてきたなら、できるだけ早く死ぬのが良い」という言葉を引用したが、この言葉の有益な捉え方は「死を超えて生きよ」という意味に限定されるのではあるまいか。そうすると釈迦仏法の起点たる苦諦の「色は無常である。無常なるものは苦である。苦なるものは我にあらず、また我がものにもあらず。色の如く受想行識についても同様である」にも重なるからである。ここで言葉に於ける一つの問題が見えてくるのだが、古代ギリシャの思想家も釈迦の苦諦も、共に此の世に生まれた人間の現実相を明かした言葉であれば、苦諦を見て「此の世に生まれた人間は無常で苦で無我なるものであるから、生まれてこないのが一番良い。しかし運悪く生まれてきたなら、できるだけ早く死ぬのが良い」と読み取ったとしても自然の流れであって、無理からぬことでもありましょう。然るに、だからといって直ちに自殺の如きを推奨している言葉として認識する人も、先ずいないのではないでしょうか。何故って、人には皆幸せになりたいという本性があると思いませんか。生命というものは、痛みや苦しみに対して常に敏感であって、本能的にそれらを避けたり克服しようとしているものだとは思いませんか。それ故に、ここに引用した古代ギリシャの思想家の言葉や、釈迦仏法に於ける苦諦の一節もまた、直感的に「生死の苦を乗り越えて生きよ」というメッセージとして受け取ることができるのだと思うのです。また、その辺りの事情が見えてくると、仏典に説かれている「死を乗り越えた所に開かれる幸せの境地」に関する理法もまた、よく見えてきます。例えば雪山童子が「諸行無常、是生滅法」という偈文の前半を聞き、残りの後半を説いてもらうことと引き換えに、飢えた羅刹に身体を与える約束をして、その偈文「生滅滅已、寂滅為楽」を悟ることができたという経緯ですが、これが「無常で苦なる死すべき肉体を解脱して不死の境地に達することができた」という法話の一つです。なのでこのように思想家の言葉も釈迦の苦諦も、共に「死を超えて安楽の境地に至れ」という示唆だと読み取らなくては、折角の読書も役立たないものになってしまいます。従ってこのような視点に立つと、仏道を修行してきた先達の言葉にも、こうして悟りの境地を掴んできた経緯が偲ばれるような語録に接する楽しみも増えてくることでしょう。例えば「生きながら死人となりてなりはてて、思いのままにするわざぞよき」なんてのも、味わい深くて良いですね。
2020年02月22日
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【自殺を乗り越えるために】令和元年の年間自殺者数は、十年ほど前までに比べると一万人ほど減った二万人余りと聞いたが、それでも一日に換算すると五十五人余りという数にのぼる。自殺に追い込まれた原因は様々だとしても、その生苦を解決する手段も尽き果てた数の一部分だと思えば、何とも痛ましい限りです。人間の他にも自殺する生き物がいるかどうかは分からないが、「人間のみが自分を死すべき者と自覚して生きている」と語った思想家もいる。そう考える場合、生きている時間は「与えられた有限時間」ということになり、従って「自殺は与えられた人生を自ら短縮させる行為になる」とも考えて、たとえ万策尽きてもなお倒れ臥すまでは自分の人生なのだから、「これが我が人生である」と、あるがままを受け入れて、心穏やかに人生を全うする道を選ぶこともできるのではなかろうか。何故ならそれが無為自然の生き方であり、自殺行為は人為的所行の一つの場合になるだろうからでもあります。しかし、そうは云っても「人間は考える葦である」とも云われているように、どうしても考えて行動するものでもあるから、ここでも何か適切な考えを取り込んでみようということで、とっさに思い付いたのが、古代ギリシャの思想家が述べた「人間は生まれてこないのが一番良い。しかし運悪く生まれてきたなら、できるだけ早く死ぬのが良い」という言葉だったので、この言葉を加味しつつ、更なる考察の延長を図ってみたいと思うのです。この古代ギリシャの思想家が語る「死ぬ」という言葉の意味は、尋常ではないとも思われます。古代ギリシャの時代には、神々の世界が説かれていたので、「できるだけ早く死ぬのが良い」には、「神々の世界に生まれ変わって生きよ」という意味を重ねることもできるからです。そうしてみると「人間のみが自分を死すべき者と自覚して生きている」という最初の前提に重ねれば、その「生きている」という一点が変容することになります。つまり「生きている」という意識が変容して「既に死者として生きている」というような矛盾を孕んだ意味になるということです。而るにこの変容意識をそのまま受け入れることができるようになると、解決策を見出せずに自殺に走ろうとする苦悩者の多くが救出されるのではないでしょうか。つまり「私は既に死んだ者」という意識であれば、何事が起ころうと怖れることもなかろうし、シェークスピアがジュリアスシーザーに語らせた「一度死んだ者は二度とは死なない」という言葉からも察せられるように、「死を怖れぬ心」さえ得られるのだから、「自殺」という想念の浮かぶ気配さえ消失するだろうからですね。このように自殺を乗り越えるために役立ちそうな思想は、探せば幾つも見付かり、各自に相応しいものも得られることでしょう。自殺者数がゼロになる社会の到来こそ、皆の夢ですからね。
2020年02月20日
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【五薀皆空と照見して】「五薀皆空」という言葉は、般若心経にも出てきて、「観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行じし時、五薀皆空なりと照見して、一切の苦厄を度したまえり」と説いています。さすがは観自在菩薩ですね、五薀皆空と照見しただけで苦厄の境界から脱出できたと云うのですから。原始仏典でも、この五薀皆空に相応する説法は見られます。それによると「色は無常であり、空であり、苦であり、無我である。色の如く受想行識もまた然り」というような認識が得られます。これは所謂「四諦」中の「苦諦」に属する説法ですね。なので釈尊はこの苦諦を説き、その因位の「苦集諦」を説き、苦厄から免れた「苦滅諦」を説き、その因位の「苦滅道諦」を説いているのですが、最初の「苦諦」を聞いただけで「苦滅諦」を成就したと云っているのが、般若心経の観自在菩薩です。このように語ってみると、「さすがは観自在菩薩」と感嘆の声を発しそうにもなりますが、私たちが現実生活の中でこの問題(苦諦)に直面したときにも、一種の絶望と共に人生を達観して、心解脱を成就したのと同じような心境に達することもあるでしょう。私もまたそのような体験を繰り返しているうちに、全き解脱に至った一人なのです。謂う所の「全き解脱」とは、自分自身が分身して自分自身の外側に不死身の金剛身(仏身)と成って現れるという形での「成仏体験」のことです。四国遍路の衣装などに「同行二人」と書かれていますよね。意味は「南無大師遍照金剛」つまり「即身成仏した空海と同行する」という意味に取れますが、丁度それと同じことが自分自身の身体の分身が現れるという形で実現された状態と云えばよいでしょうか。そうすると般若心経の観世音菩薩もまた、これと同じ体験を説いているのだろうかという興味関心が生じます。このような観点から読むと、経中に説かれた「空」に関する諸説は、「五薀皆空と照見した」ときの「照見」の過程を明かしたものとして読むことができます。つまり「空」についても、自分で「ああだ、こうだ」と考えなくても、経文の言葉通りに認識すればよいということになり、気分的には楽になるでしょう。しかし言葉の意味は真実そのものではないので、理解に苦しむところが生じるかもしれません。そんなときは厳密に「空の意味はどうあらねばならないのか」なんて悩まず、「一切説法は方便」と達観するとか、釈尊の説に戻って「無常なものは苦であって、苦なら我でも我がものでもない」に合わせるなどして、「空とは無常で苦で無我なるもののこと」と判断し、そのまま解脱すれば一件落着ということになります。つまり「空」という語意についても、この語単体での意味が問題なのではなく、この語と関わっている語との関連によって、どういう意味に成るかという問題なので、般若心経の場合のように、「五薀」に関わっていて、その五薀もまた私たちが「解脱したい五薀」という条件付けられた五薀に関わった「空観」であればこそ、スムーズに解脱できるということですね。従っていくら厳密に「空」の意味を考察したとしても、解脱に繋がらなくては一切が無益な観念遊びに終わってしまうということになります。経説の空には本より真諦に繋がる意味もありますが、解脱すれば真諦に入るので、これで問題はないということですね。
2020年02月10日
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【此の世を超えて】人々の生活を静観していると、一切が物悲しくて愛おしくさえ思われてくるものだ。此の世に生まれた者は必ず死ぬように、何もかもが現れては消えてゆく。一切が恰も手品師の幻術によって、現れたり消えたりするかのようにも見える。何が物悲しかったり愛おしかったりするのかと云えば、人々がこの幻のように無常な現象の中に溶け込んで、一喜一憂している姿が見えるからである。この無常な現実世界に同化した心が、絶望的な状況に直面したときのことを思うと、自ずからやりきれない物悲しさを覚えるものだ。こういうときに、言葉を掛けることができれば、そして相手に話を受け入れる余裕があるならば、解脱の道を説き示すこともできるので、それを受持して実践し、自身の現実から解脱して、執われのない自由で朗らかな人生を送ってもらいたいものだ、という心が生じたりもする。だが現実には、こういう教導もほぼ不可能なので、只々愛おしさが反復され、増幅されるだけなのが、何とも心残りでもある。
2020年02月08日
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