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お天気に恵まれた大晦日になり、好天の中でまったりとした時間を過ごすことができ、家人が忙しなく正月料理に励んでいる様子のそばで、身を斜めに構えながら忙しい振りをしたりして、パソコンを膝に乗せて気ままに作業を進めています。昨日までの夢中になっての作業模様の雰囲気とは、まったく異質な一日と思ったのですが、姉夫婦が尋ねて来てくれたりした午後からは、毎年恒例になっている大晦日の準備風情を、変わりなくあじわっています。家人の傍にいると、役目となっている伸し餅を切る用事を下命されたり、恒例になっている役目がなんだかんだと仰せつかることになって、これも家族の一員として健康に生活がされていることの証であり、穏やかな陽射しをうけながら改めて喜んでいるところです。よくもこうして大晦日を迎えることができたと思うことは、他人では決して理解できない、自分自身のみが分かる感動と感激をもって認識をして、一年間精一杯世間に甘えてきてしまった結末を、しっかりと受け止めることができています。メリハリをもって元気に生きていかなければならない役割は、人から指図をうけることなく、自身の敵える能力として、積極的な生き方をする人生の構築をさせなければなりません。今年一年間の一日一時間を貴重に過ごすことができたことだけでも、まったくの奇跡の経過として、家族共々こころからの感嘆をしてしまいます。波乱万丈の生き方といっても過言ではないのですが、世間の荒波とはもっと厳しい立場に追い込まれている、立場の弱い方がいることを知るべきですし、こうして暖かな部屋で家族との団欒を享受できる身は、あまりにも恵まれすぎた生活環境なのです。今夜は大好物な年越しそばを頂けるし、明日からの三が日はお雑煮にはばのりを沢山入れて頂けるし、心からの心機一転を心がけて、佳き新年を迎えることから大きな素敵な節目とさせてみたいものです。せめても年末年始だけでも、気楽な時間を過ごしてみたいし、リラックスをする中から新しい英気や気付ややる気を養うべきだと心に誓うところです。2010年平成22年が間もなく明けますが、まずは健康に留意をして、いつも謙虚に変わりない素直な心を持ち、生きる存在を支えてくれている世の中に、大いに甘えてみたい気があります。世の中からの加護をうけて見守られている事実に感謝はしているのですが、あまりにも難しい理屈をごねるのではなく、時の判断に流され素直に従ってみたい気もしています。これまでの人生に中では、あまりにも自己責任を強く意識をしすぎて、自分に負荷を掛けすぎた面もあるかもしれませんが、これも与えられた人生のなかの一こまかもしれません。あれもこれもすべてに人生は与えられ生かされていることは、実に実に嬉しいかぎりですが、世の中に還元して提供することも大切な要素ですので、得る人生よりは与える人生に心がけをして、世間の時流とともに歩める役割を自覚していきたいものです。いつも寛容の包容力をもった謙虚な心がけは、一見弱気な意思の弱い人間としてしまいますが、真の剛腹とは胆にもつ底からの源泉、つまり肝魂だと心がけています。この一年間の肝魂にお疲れ様の感謝をして、迎える新年も肝魂がみなぎることを念じているところです。
2009.12.31
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今更ながらに恵まれた生き方をしていると思うし、実際にも恵まれた日々を生かされていることが嬉しくて、素直になって喜びの感謝をしているところです。決して財政豊かなお金があっての余裕の生活ができているのではなく、仕事をはじめて人生すべてに、つきと運に恵まれた生き方がされていることがあります。朝からお正月を迎えるための神棚や仏壇を掃除して、新しい注連縄を掛けなおしたりする作業が終わって、漸く門松の札を門に貼ることができ、最後になってお榊を生けて、お正月を迎える作業を終わることができました。すべての月末の仕事は倅にお願いをしておき、毎年行きつけのお飾り屋さんに行って、例年と同じように注文をだしていたお飾りと注連縄お供えと伸し餅を受け取って、いよいよ飾り付けの作業ができるようになりました。そんなこんなをしている時に、取引銀行の担当者から電話が入って、今日中に資料を作成する必要があって、指定する資料をFAX送信をしてくれるように、至急の依頼をうけてしまったのでした。急遽お飾りの作業を中止して、依頼を受けた資料を探しだし早速の送信をしたのですが、銀行の担当者が電話での挨拶で言われた言葉は、年末のお忙しいところ申し訳ありませんが・・・・・とご丁寧な配慮の心配までされてしまいました。銀行に仕事の依頼をしている当人は、家でお正月を迎える準備をしていて、その仕事を実践させるために銀行の担当者が今日一日の時間制限の中で、俄かに資料を作成してくれている姿を知って、改めての感激と感謝をしなければいけないことを教えられました。銀行員としては当然な仕事の範囲内とはいえ、仕事収めの忙しい時間内に処理をしたい気持ちが痛いほど伝わってきて、仕事の依頼者の立場とすれば、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。今回のお願い事とはこちら側の事情によるもので、時期的にも非常に厳しい事態を知っているだけに、こうした尽力に心からのお礼を伝える必要を感じています。身の回りには関係する、こうした支援や心配をしてくれる方が沢山いてくれる環境をもてることを、もっともっと評価をして生きなければならないことを強く思いますし、誇りをもって報恩を心がける感謝心の再認識をしたところです。一人の力ではちっぽけなことしかできませんし、限られた力を発揮するだけですが、いつも自己過信をすることなく、謙虚な心がけの中で人様の支援を受ける心がけをしたいものです。生かされている事実を改めて教えられただけでなく、この恩返しを心がける強い心がけも学ぶことになって、ひとつ解決する事態の背景を知るべきと思うのです。一年の区切りの節をなんとか乗り越えて、新しい年を迎えることができるのも、この世の中のすべての温情に感謝をして、常に甘えることなく粛々と生かさせてもらいたいのです。その結果として、自然に誰彼のお役に立つ結果につながってくれることを信じて、いつも心の中で手をあわせることを信条として、これからの人生に大きな奉仕の理想を描いてしまいます。日々の積み重ねが一年の晦日まで来たときに、先ずは家族の愛情と支援に感謝をして、取引先の温情に感謝をして、仕事のスタッフにお礼を伝えて、数え切れない多くの仲間の友情を心からありがたく、皆に護られている事実に感謝ができた一年間となりました。
2009.12.30
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日常では考えられないほどの、只事では体験できない大きな鈍い音と振動を感じて、音の方向にある窓を覗いて見ましたら、一台の黒い車が斜めってお隣のお宅の門前で停まっている姿がみてとれました。異常な様子に直感したことは、単独事故で門に飛び込んでしまったと理解をして、とりあえずは現場に向かうこととして、厚着のジャンパーを羽織って事故現場に行ってみました。外に出たとたんにぶるっと感じる底冷えの寒さでしたが、二台の車の運転手さんは薄着のままで、身を震えながら事故現場を確認している様子がありました。現場をみれば、我が家の接するT字路の三叉路から、飛び出してきた白い車が直進する黒い車を押し出した接触事故と分かり、あと僅かで前のお宅の門に突っ込む寸前のところでした。二台の車の衝撃は思っていたよりも酷く壊れていて、事故原因となった白い車は、フロントバンパーが吹き飛んでいますし、黒の車のサイド面がフロントからドアー全部が大きくへこんでいるのでした。二人の運転手さんは運よく怪我が無く安心をしたのですが、二人とも事故による興奮状態で、真似するように同じく携帯電話を掛けていても、回りの環境を把握することができる余裕が無いようでした。二人とも怪我はありませんかと問いかけた言葉で、ようやく我に返った様子をみせてくれました。冷静に情況判断をすれば、朝の出勤時間の道路が塞がれているのですから、先ずは二次事故を回避させる対処もできないまま、携帯電話をあちこちに掛けていますので、車の移動ができるのであれば、先ずは安全を優先してくださいとアドバイスをしてあげました。自分でも過去には事故経験がありますので、当事者意識のとても不安で心配な情況は理解できますので、関係する方面への報告等で錯乱していましたので、事故直後の精神不安定をサポートしてあげたかったのです。意外なほどでしたが、事故現場には二台の衝突による衝撃で壊れた部品が山ほど散らかってしまい、交通の妨げになるし危険であったので、率先して箒で掃いてきれいに掃除を率先してあげました。事故当事者である運転者二人は、事故による精神不安と厳しい寒さから身体が震えるほどで、第三者が観ていてもお気の毒なことこの上ない情況であったために、家に戻ってカイロを手渡すことがで、こころからの喜びの様子が伺えました。時間が経つにしたがって、ご近所の方々が心配をしてか野次馬的に集まってきて、ただ見物をされるのですが、お手伝いや補助の意識に欠けている様子に接して、とても残念な思いをしたのでした。運転者の二人が時間の経過とともに落ち着きを取り戻してくれて、漸くお手伝いのお礼の言葉が返ってきたのですが、後片付けとカイロの差し入れがことのほか喜ばれたことを知って、自分の状況判断の正しさが嬉しく思えました。事故の過失は当事者の責任なのですが、誰しも無関係で済まされぬ事故環境がありますので、こうした精神的な支援や物理的な支援を積極的にできる自分のスタイルを、しっかりと構築させることが望ましいと信じます。今頃はすっかり落ち着いて、お互いの事故情況を反省されていることでしょうが、年末の繁忙期に怪我が無かったことが幸いですから、間が悪い事故を忘れ去ってしまい、どれほど暖かく感じてくれたかは分かりませんが、カイロの温度と同じような、他人の温もりを大切に受け止めてほしいものと思っています。何事も当事者と同じ立ち居地になれる余裕の意識をもって、社会の傍観者だけにはなりたくない思いを一層深くしたところです。
2009.12.29
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食欲があることとは、健康のバロメーターになるのか分かりませんが、三食頂いていながら食後に空腹感を覚えてしまい、ここのところ生活習慣になりつつあります。家族から厳命される言葉は、もっと良く咀嚼することですと小言を言われているのですが、たしかに食後の時間が経つにしたがって空腹感は薄れていき、結果的には食後の間食は頂かないことが多いのです。心筋梗塞を患ってからの日々は、カロリー制限と塩分控えめの食事療法を執り入れていますが、罹患から月日が経過をしてきますと、自然的に健康が快復されてきて、行動範囲や運動量が増えてきますとカロリーの消費も多くなってきます。運動量が増えれば当然のことカロリー消費となって、結果的に空腹感が覚えてくるのですから、快復後にお腹がすいてくるのは理解できるのです。最近こそ食事の量が増えてきていますが、それでもセーブをしていますから、必然的に体重も増えることなく一定の範囲を守ることができています。加えて早食いは性格的と癖になってしまっていて、噛まずに飲み込む食事をしていますと一時の満腹感となってしまいがちです。家族と一緒に食事を執ると、同じ量の食事を頂いていても圧倒的に食べ終わる時間が早くて、いつもきつく叱られることとなっています。退院をしたてのころは、入院していた病院の栄養士さんのアドバイス通りにして、本当に少ない量の食事しか頂けなくて、ひもじい思いをしていたものですが、漸く普段並みの食事量を配分してくれて助かっているところです。今まで通りの運動ができなくなっている身体ですので、当然のこと消費カロリーが少なくなり食事の量もカロリーも控えめで宜しいはずですが、やたらと空腹感が襲ってくるのは不愉快でこまったことになっています。毎日の生活作業が事務的な範囲ですから、そんなに行動範囲がなくて運動量も少ないのですから、食欲が少なくても不思議なことではないのですが、デスクワークやパソコンの操作でも結構なエネルギーは消費するようで、その食欲旺盛振りにあきれているところです。退院いらい習慣として守っていることが薬を必ず飲むことと、朝晩の高低血圧と脈拍と体温と体重の計測なのですが、体重の増減に不思議な思いをしているところです。お風呂を出たときに裸のまま慣習的に体重を量っているのですが、起床時にも同じく裸で計測をすると、必ず1キロ弱減量していることです。晩御飯に頂いた食品によって増減の幅が分かるようになってきて、毎朝の楽しみのひとつになってきましたが、鏡に映るお腹の痩せ具合が嬉しく感じています。夕食時に頂く食材は、どちらかと言えば肉食は極少なくなって、その殆どが野菜中心になっていますから、消化がよすぎて増量に結びつかないのでしょうか。お医者さんに言われている減塩ですが、一日の摂取量が3グラムとはきつくて、ネットで検索した摂取量の計測でも、一日3グラムはたちまちオーバーになっています。食品のすべてに塩分が含まれているのですから無理も無く、できるだけ醤油は極少なく心得ているところです。家人が心配してくれる減塩家庭料理が慣れてしまって、料理店で頂く味は濃すぎる気配がしているのですが、薄味がしっかりと身体に慣れていることが、健康維持の安心感につながっているところです。食欲が旺盛なことを喜びながら健康管理に徹して、少しでも長く健康体を保って、精一杯の社会貢献を果たすことに精進させてみたいものです。病気治癒のために尽力くださった方々に報恩をするためにも、心新たに健康管理を率先して、先ずは家族に迷惑を掛けないことから、自己管理を徹底して暴食を我慢したいのですが、甘味のある食材願望が極端に増えていることが気がかりな昨今です。
2009.12.28
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剛毅な人とは常に自分の心情を上手くコントロールできる人だと思っていますが、我が一年を振返ってみれば、いつも弱気で愚痴が多くなってしまい、信念に欠けていたように振返って思います。不安や心配事は日常のことで、誰でもが超えなければならないハードルは、大小の差こそあれど皆さんが経験や体験をしているものだと思うのですが、それに打ち克ち乗り超える克己心は、つねに心にしていかなければいけません。世の中の仕組みと上手く付き合って、負担なく上手な世渡りができることは、自身だけでなく家族や仕事のスタッフや世間までにも悪影響をあたえてしまい、よからぬ心配事や不安を抱かせてしまうのでした。そんなことを十分に理解していても、なんどか不安のどん底に落ち込んで、自暴自棄になりかけの最悪情況を何度も経験してしまいました。何度も経験していることですから、慣習的になって危機感やストレスが希薄に成ると思うのですが、生きる信条が無い人とは軸ぶれがひどくて、その時の気分しだいで、気の陰陽を極端にさらけ出してしまいます。どんなに素晴らしい能力を持った人でも、決して一人では上手く生きていけないこの世の中の仕組みを知ってこそ、出来るだけ冷静になってことを処理することができるのでしょうか。少し感傷的になって一年間を振返ってみると、節々になってくれた難儀なことが、一生懸命な努力と思い入れで、何とか平穏に乗り越えてこれている現実に、所詮は人から受け止める徳と縁に助けられていることを学んできました。毎日のように反省をしてしまうほど、それだけ大変な境遇を味わっていることになり、ひとつひとつ乗り終えている苦悩の現状を理解できる人間とは、自分自身のほかをおいて誰も存在できないことを教えてくれています。今日はいつも愛読している月刊誌致知の1月号を読む時間ができて、特集になっている人生信条について書かれている様々な人の文章や対談を読んでいたのですが、皆さんが同じようにご苦労されて、悩み苦しみ路頭に迷った経験を表現されていました。いまこそ立派な成功者としての立場がある方でも、人知れぬ失敗やご苦労がその人の信条を構築させて、信じることの強き心を構築させている様子と学びの場があったことを教えてもらいました。特集の誌面では、いろいろな方が伝えてくれている学びから教訓されて、信条を持たれた姿とは、いかに強く人を成長させ剛毅な信条をもてることは、淡々と読み込むことができました。一時の成功に現をぬかしてしまい、その後に訪れる厳しい仕打ちに落胆して、この世の厳しさと教訓を学んだ経験談は、重く読者の心の中にしみこんできます。とかく一喜一憂してしまう現実の生活に納得するのでなく、自分自身の人生から学び取った自分自身の人生信条をもって、淡々と変わらぬ剛毅を発揮させてみたいものです。確かで強い信条とは押し付けられるものでなく、確たる自分の歩んできた一歩の中に隠されている至宝だと信じて、こころ丈夫にさせて、日々をしっかりと歩んで行こうと思っています。
2009.12.27
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今度のお正月はなんとか無事に迎えることができるだろうかと、何度か結構深い悩みや心配を持ちながら気をもんでいたのですが、今年もなんとか平穏にお正月を迎えることができそうで、ほっとしながらすべてに感謝をしております。JR駅前に立ち上がった馴染みのお飾り屋さんが、毎年晦日までの間臨時に店を開くのですが、夕刻にたまたま前を通りかかって声をかけてみたら、一年振りの懐かしい挨拶となってしまい、通年して注文しているお飾りとお供えを前もって予約をしてきました。本当に一年間の時間の経過が早すぎてしまい、年末の一入の独特な思い入りも無くなり、新年を迎えての感動までもが薄れてしまっている気がしているのですが、感受性の希薄さを少々情けない思いで感じ取っています。節季の変わり目をじっくりと味わって過ごせる環境はなくて、すべてに簡便で即応性を重視する時代背景のなかでは、ますます一年間の時間経過は、早く流れ去ってしまう気がしています。お飾り屋さんとのやり取りも同じ話題になってしまい、年末独特の哀愁がないし感激も薄く、一年間のしめっくりのけじめまでもが無くなって、年末年始の喜びを感じとる体験ができないと、齢だけが積み重なってしまう現実を嘆き節で話しをしてきました。今年は初めてのお願いとして、伸し餅を特別に注文してみたのですが、出来具合は如何なものか、美味しいお雑煮餅を今から楽しみに期待をしているところです。子供のころから餅は大好物でして、焼餅や揚げ餅、お雑煮餅とアラカルトの楽しみをしてきましたが、時季限定の貴重な食品であったわけで、今のように一年中商品として食べることができる環境はありませんでした。その時季だけの手作り限定であるからこそ、貴重な食べ物であったわけで、年中食べることができる今となっては、何の楽しみもなく有り難味もなくなることは、当然の理となります。一年に一度しか口にすることができない貴重な御餅を、少しでも日持ちを長く持つように工夫をして、親たちは水餅にして保存をしていたものですが、厚手のボリューム感は今となっては懐かしい思い出となっています。間もなく迎える新年で、家族と一緒に厳かに賞味できる、お雑煮の楽しみはなくなりましたが、お飾り屋さんで特注した伸し餅こそ、我が屋の贅沢な一品として、まもなく迎える元旦の朝の食卓で頂くことができると思うと、やはりお正月は待ち遠しくなってきます。そんな週末になった一日が小春日和の心地よさがあって、誰に言われることなく庭に出てしまい、気になっていた草取りと剪定作業を、恐る恐る初めてみたのですが、昨日までの気が重く圧迫感のある交渉が精神的なストレスとなってしまいました。罹患する心臓に負担となって不快感があったのですが、肉体的な汗をかく作業によって、気を楽にする自然対処をすべき行動となったようで、罹患する心臓の具合も落ち着いてくれました。肉体的な運動は無理ですが、マイペースの適度な作業が功を奏してくれて、適度な疲労感を味わうことができ、あわせて心臓の負担軽減の軽作業の効果を知って、いろいろ難儀を重ねてきた一年でしたが、すべてに感謝をすることができていることが嬉しく感じ取れます。お飾り屋さんに特注した伸し餅が素敵な開運効果を発揮させてくれて、できればなんの気苦労や悩みや心配をすることなく、気持ちよく新年を迎えることができるようになりたいものです。
2009.12.26
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この世の中とは間々ならないものが多々あって、自身の思うようになる事態とは少ないものですし、間々ならない難儀の数を多く経験する人こそ、徳をもった大きな心の持ち主になるような気がしています。どんな苦境に落ちいってもどんな難儀なことに遭遇したとしても、普遍の誠心誠意を示すことこそが、その場その場にある壁を打ち砕いてくれるものと、そんな心つもりをしているところです。誰しもが経験しているであろう、様々な経験のなかにある難儀なことは、その人をより以上成長させる関門として準備されているように思いますし、絶対に前向きな気持ちを持って対処する責任があると思っています。常に自身を強く信じることも大切な要素で、幅広く考察をする能力を学び取って、つねに前向きな心がけをすることは、自身の大きな支えにもなりますし、経験を積むごとに自我信と言う、大切な宝物が授かると硬く信じています。今までの人生の中でも、重い緊張と重圧をもって、物事と対峙してきたことが少なく、気が弱くなってしまいがちになる日々でもあったのですが、関係する機関への説明と支援の説明と請願ごとを終えて、今夕にはどっと疲れを感じとっているところです。昨日今日と連続の切迫した折衝ごとは、過去の人生のなかでもあまり経験がなくて、疲労した精神と肉体を引きずりながら思うことは、誠意をもってすればなんとかなってくれることを教えてもらった気がします。自身の責任の範囲とは何処まであるのでしょうか、最近の折衝事案を体験していますと、お互いの信頼関係の中にあるしっかりした持論こそが軸であって、自身を強く信じることこそが人様を納得させることになるように思います。良くも悪くもすべてに責任を持てる器を身につけるべきと願うし、自身に期待をしてしまうのですが、責任を果たす意気込みとは信念だと思うのですが、腑のなかにもつ静かで重い確信だと思うのです。確信をもって生きることが理想ですが、相手のいる交渉ごととは主義主張の格闘となってしまい、その際どい信念が強まると我侭な身勝手な主張となってしまうのでしょうが、自身の立場に置いては、せめてもしっかりと心がけることが必然だと思うのです。誰しもが主張することは自我の欲望であって、自己の保身になってしまうのですが、利益誘導は必然的な人の性なのかもしれませんが、限度を超えての我欲ではないものとしたいものです。一方的に自己の欲望を要求するのではなく、相手に納得のしやすい説明能力を持つことこそ信念となり、自分の確信に及ぶものになることを、改めてしっかりと認識をする必要があります。価値感や認識感が人によって様々な現状において、円満な妥協索をもって納得をしてもらうことは難しく、何処で折り合いをうけるかは大きな要素となります。生きているすべてに責任をもって完全に果たしていくことこそ、人としての最大な責任になると信じて、常に心の奥深く胆力をもって自分を律してみたいものです。何かと交渉ごとが多い中で、暴力的な解決策でなく、自我欲だけの交渉ではなく、いつも相手の立場を考慮し思いやれる心の余裕をもってこそ、真心をもった誠心誠意の心がけを発揮させてみたいものです。
2009.12.25
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温暖な日になり心地よく一日を終えることができ、適度な疲労感を憶えているのですが、気分転換の必要性とストレスの解消の有意義さと併せ持った、夕刻際の独特な疲労感と気持ちの達成感の狭間を味わっているところです。最近にない比較的シビアな会議を持って、難解な相談や問答をした一日によくあることですが、精神的に疲労感の蓄積が高まるほどに、気丈な気分となって落ち着くまでの時間が結構長く掛かることがあります。よく夜なべをする機会が多くあるのですが、精神的にキツイ仕事に没頭してしまい、時間を忘れて集中してしまうと、完全に睡魔が消え去ってしまうのですが、覚醒の域に入ることによって眠気が消えてしまいます。昨晩は根をつめて夢中で資料を作成していましたら、深々と冷える寒気で午前2時を知り、漸く寝床に入り込むことができたのですが、頭も身体も冴え切ってしまい、小一時間は目を閉じることができなく、久々に眠れないままに随分悩んでしまいました。頭だけが冴えきってしまっては、あれこれ思い巡らすことが多くあって、時間ばかりが過ぎ去るのでしたが、一向に睡魔が襲ってこないことは辛いもので、結果的には熟睡できないままに朝を迎えて、中途半分に起床することになりました。まどろんでいる時には、結構おもしろいことに気付くものでして、仕事や何やかやのアイディアが浮かんできたようでしたが、すべては僅かな睡眠の間には、はかなくすっかりと忘れさっていました。おそらくは半眠状態でさまよい、頭の中は休眠していたのではないでしょうか、半ボケ状態のままでは夢のまた夢になってしまい、どんなに立派なアイディアでも二束三文の価値にしかならないのでした。眠れない辛さを感じながら、冴え切っている頭で試行錯誤をする体験に興味があって、このまま眠らなくいたとしたら、どんな素晴らしいアイディアが沸いてくるかもと、寝ぼけ眼の期待感をもってしまったほどでした。半分夢の中でシュミレーションをした結果が功をそうしたのか、今朝から廻ってきた用事の出先では、自身の能力を超えた議論をすることができましたし、相手の方からも趣旨を受け止めて頂くことができました。余りにも接する方が多く居たために、最後の約束をした方を忘れてしまい、大ポカの失態をしでかしてしまいましたが、心豊かな方であったために難を逃れることができ、その分は誠心誠意の心掛けをして対応をしておきました。一極集中の力を高めることができたご褒美がされたのでしょうか、時間を超えての折衝を無我夢中にできたことが、まだまだ人生の華がさかせることができる自信を確認できましたが、こういったときにこそ現実の厳しさを噛み締めるべきです。すべては裏腹な仕組みになっていることを自覚しこそ、一人前の人間としてこの世から受け入れてもらえるものだと信じています。すべてが思うようにはことが運ばないことを知って、まどろむ夢のなかでも、世間の厳しさを認識していたのかもしれませんが、はかない夢でなく夢らしい素晴らしさを実体験させてみたくも思っています。いつかは正夢を経験できることを信じて、できるだけ幸福になる人生最高の夢を願い、一度だけでも現実になれる味わいをしてみたいものです。
2009.12.24
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日々の生活の中で、耳学問のように記憶の中に仕舞い込まれていることなどが、その世代になったのか信仰する力の偉大さを認識して、従順な人々と共にする生活環境からか、当然のように神仏参りを大切に信心するようになってきました。子供のころから何気に耳にしていたことがあって、まったく気にすることなくこの歳になるまでいたのですが、先日尋ねた義母の口から、偶然にも子供のころの記憶が思い出されてきて、義母から強く勧められたこともあり、急遽今朝ほど思い切って出かけることになりました。古き昔からいろいろな流行病があったと思いますし、衷心から一心に神様や仏様の助けとご利益を願うことは当然の崇拝ごとであり、神仏にすがる従順さとは当然の祈祷でありますが、当事とすれば一心不乱の祈願であったのだと思われます。昔の人の生活からすれば、衛生面でも完備がされていないところに、栄養が欠落していたための病が多くあって、訳もわからずに流行する病に対して、恐ろしさを経験していたのではないでしょうか。特に眼の病は栄養失調からくることが多く、おそらくは大半の眼病は不衛生と栄養不足の結果として、モノモライ等のやっかいな、伝染眼病に患ってしまっていたように思います。昔の人の知恵なのかはわかりませんが、たまたまお参りしたお寺や神社のご利益があった患者が、たちまちに持病が軽くなった効果の噂が広まって、近隣の住民から聞き及んだ人々から広範囲な信者が増えていき、熱心にお参りする信者の姿が各地の神社仏閣に、頻度をあげてお参りしていった経緯があると推測しています。先日尋ねた義母の口から、昔から伝説的に有名な眼の病気を治癒してくれるお寺のお参りを勧められていたこともあって、気は心の安心感を得るためのお参りに行ってきました。教えてもらった寺院を、インターネットで下調べをしてみれば、古くからの人々から信頼されているだけあって、眼病の治癒に言い伝えられている歴史と経緯が記載されていて、深い因縁を知ることができました。最近になってですが、年齢からくるものなのかは良く分からないのですが、家内の眼が充血している様子を心配してくれ、眼医者さんを紹介するのでなくて、眼病のお参りで古くから人気のあった、お寺のお参りを強く勧められた結果なのでした。車で愛犬共々ピクニックの気分で行ってみたのですが、インターネットで下調べをしたままに、迷うことなく部落としては大きな寺院に到着することができました。交通の利便性が悪い時代には、遠方からのお参りには宿泊が必要と思われるほど、町から奥まったところにお寺が存在していて、時節柄なのか時代背景が激変した為なのか、参拝する信者の方は誰一人いませんでした。適度な境内には、寺院そのものは歴史を感じさせる建物と、本堂には立派な祭壇が飾られているのが観えて、本堂に上がって、自由にお線香を手向けることができたのでした。欄間にある彫り物の素晴らしさと、800年の歴史を感じさせる、重々しい建造物の威厳さがありましたが、戦後間もない時期には、眼の病に悩まされている人々が、遠方から大勢祈願に集まったとは、決して信じられないほどの静けさだけを味わうことができました。心配してくれる義母に親孝行をする意味合いもあって、興味深々に訪問をしてみたお寺ですが、我々夫婦のためだけに用意された舞台のようで、境内も本堂も二人だけの参拝がゆっくりとすることができ、本堂内では敬虔に手を合わせ祈願することができました。我が奥さんの眼病が完治することだけでなく、家族の目先の見通しが良くなることを合わせて祈願してしまい、いつも欲張りな願い事になりました。おそらくは遥か昔に、我が先祖もきっとお参りに来ていることを信じて、何世代を超えて同じお寺に参拝がされたご縁が神妙になって、境内にある古木の桜や杉の木々は、きっと先祖も観て触れていた事を推測してしまいました。なにやら真の信者として敬虔新たかな心眼が感じられて、これからの新しい生活の目先を開眼してくれ、一層輝かしさが増した生き方を期待させてくれたのです。
2009.12.23
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とも遠方より来ると言う諺があるように、どんな友達でも仲間でも久しぶりに交流がされることが嬉しいもので、特に思いもかけない友人からの連絡は、意外なほどの心強い元気を与えてくれるものです。ふとした切っ掛けに思い浮かべる友人の顔があるのですが、忙しい毎日の中では一瞬の気付きになってしまい、走馬灯のようなイメージだけが残った、積み重なっている思い出が、楽しむことができるものです。持つべきものは良き仲間であり、良き友人であることは事実であって、できうるならば、お付き合いしている仲間からも、良き友人としての認定を受けたいものと願っているところです。午後にあった学生時代の友人からの電話ですが、登録されていない番号で着信をしてきて、半信半疑で怪訝なそぶりで応答をすれば、懐かしい声が聞こえて来て、一瞬にして仲間である親しみをもった会話に入っていけました。学生時代の仲間内では一番の出世頭であり、その業界では名が通った名士として評価をされているようで、毎日忙しく活躍をされている様子は、ネットの中で知ることができていたのですが、何度か連絡をしていても、なかなか応答ができないままでいました。久しぶりの弾む会話ができたのですが、駄弁りの中で面白く受け止めることができたことは、お互いの近況報告のなかで、懐具合が寂しくてと双方が言い合う中で、二人の不足金額がゼロの数が数個違うと言い合って、友人仲間のざっくばらんな会話ができました。着電話があって咄嗟に出たときには、いかにも仰々しくあったのですが、話題が変わるごとに昔の仲間になっていき、旧交を温めることができたのですが、時間が経過するにしたがって、友人の事業拡大と成功された実績を聞かされることになり、経営につまずいている身では情けなくなるばかりでした。今現在では、十倍も何十倍も規模が違ってしまっている企業状況ですが、県を代表する優良企業であっても、誇れることや不安が規模なりに比例して、大きくなった比率で重く存在をしていることを吐露してくれました。問わず語りで伝えてくれる情報が、こちらからするとまったく無縁であるのですが、企業が大きく成長するときの縁の綾組みと、強い運の持ち主であることを、改めて感じ取ることができました。この世の中には、いろいろな場面でいろいろな方が、その業態で成長の機会と遭遇しているのですが、我が友人もまったく同じことの中で経緯がされているようで、これまでの長いお付き合いの中でも、節目節目の成長期を上手く捉えて、その場の応援環境を受けとめることができているのです。傍目に観ていると、何の苦労もなく順風満帆に、事業拡大や成長がされているように感じてしまいますが、人知れない苦労や悩みは必然で、彼なりのストレス発散を正当化されているようです。近々に逢う約束がされましたが、いまさらに経営手腕を学べるわけもなく、受け止める器も無く、立派な経営陣としての人としての資質を評価してみたいものです。立派な経営者であればあるほど、人としての魅力を磨き上げてほしいものですし、地域社会のリーダーとしての奉公振りを期待してしまいます。電話の受け答えの中で感じた、友人からの元気の源泉をしっかりと受け止めて、話中でも心地よい開放感があり、積極的な意欲と成長の期待感が確立されてきて、仲良し友愛と感激の喜びを味わうことができたのでした。
2009.12.22
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何回も何回も同じことを述懐してしまい、自身でも情けなくなるほど、十分に分かっていることなのですが、多くの方が自分を支えてくれていることをこころ新たにさせて、自分で確認をしているところです。男らしく悠々と生きてこそ、人に勇気をあたえることが冥利になり、所詮は世の中とは多角的に多様的に仕組まれているようで、バランス的にも組織的にも思うことは、現実にある実態とは乖離してしまい、何度も何度も挫折感を自覚させられています。人様からの応援や援助を受けるだけの身では、自分としても納得することができませんから、何かしらの存在価値を示すためにも、勇気ある元気を発揮させる意欲を高める必要があります。夕刻になってから、年末の挨拶に訪問した年長の従兄弟との会話の中で、事業経営に失敗した人やつまずいた人の噂話がされ、事業経営者が抱える資金対策が、この世情の経済環境の悪化にともなっての最悪な環境のなか、返済額の猶予をする政治政策の効果の話題になりました。一般社会情勢の話題であるのですが、我が家の大きな悩みでもあることを認識しながら、大変に辛い気持ちをもって話題の応対をしていたのですが、事業資金のやり繰りは日常の常套手段化されている身とすると、大きな頷きと反省をせざるを得ない立場になりました。余裕ある生活とは誰しもが望み願うことですし、皆さんが自分なりに精一杯の努力と励みをされている様子を伺うことは、実に素晴らしい刺激に成りますし、良き教訓にもなってくれます。皆さんが素敵な暮らしを手にできている現実に遭遇していますと、もっと自分が努力をして頑張らなければいけないことを知り、一層の厳しい学びを目指すことができ、強い励ましを受け止めることができます。所詮は、自身の努力と頑張りの結果が生活の余裕となって、それなりの成果ができるわけですから、怠けた結果には甘えてはいけないことを学び、しっかりと自覚して納得をうけとめる必要があります。心の隙には、えてして身分不相応の贅沢がされてしまうものですが、自分の身の丈にあわせた生き方を構築させて、家族が安心した生活ができるような環境を構築させなければなりません。過去に少々破廉恥な生き方をした時代もあって、結果的に非常に厳しい日々となっていることを反省はしているのですが、今までの失態を素直に受け止めて、今後の善き教訓に生かしていかなければと念じています。時々にこそ、是々非々の判断を厳しくできることを期待して、心改めて生まれ変わった人生を積み上げていくためにも、心機一転のしっかりした意識と判断を心得ることになります。世間話を聞かされている当人としては、他山の石とすることなく、聞くことすべてが反省をさせられることになって、今後はいかに危機意識をもって対処することができるように、つねに自分を律することが大変に肝要となりました。
2009.12.21
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普段お顔を見ることができる仲間がいても、なかなかじっくりと腰を添えてお話をする機会がなく、挨拶程度は日常的にできても、一歩深く入り込んでのプライベートの部分は、遠慮する不文律をもっていました。個人的や家庭内の細事に聞き耳を立てたり、詮索をすることは、築き上げてきた信頼関係を崩す気がするし、個人的な問題を茶飲み話にはすべきことではないと、お互いの遠慮や節度があるものと、硬く信じてきました。昨晩あった会食会で、たまたま同じテーブルに座った方々がいて、2時間ほど同席している間に、みなさんは適度なお酒が利いてきて饒舌になり、社交辞令的な話題から離れて、世の中や皆さんが関係する仕事のことや、家庭のことを話題にし始めました。積極的に個人的な話題を言及するのが嫌いな性質で、結果的に四方山話で終わってしまう気がするのですが、打ち解けた環境を構築させることができるように心がけて、ちょっとばかり偏屈者に思われていることを、しっかりと打消しさせてみたい応対を念じてしまいます。昨晩の会食での歓談では、社会現象や厳しい経済環境から、どうしても政治や会社経営の話題が主に成ってしまい、久しぶりに政治論争や安定した経営手法の語り合いになっていきました。普段鬱積している愚痴を発散させたいのでしょうが、訊きいれてくれる人間や環境もなくては、気さくに話しが出来る時こそ、信頼関係を認識させることとなるのでしょう。政権交代も、国民が安心して豊かな生活を実践できる政治を望んで、与党も野党も関係なく、国民と一緒になって国家の安泰に励んでほしいもので、政治資金の腑顛末寄付については、お酒の力を借りてしまい、痛烈な比喩が炸裂してしまいました。徐々に話題が仕事や家庭の愚痴に移ってしまい、年末の資金手当とか家族の人間関係にわたって盛り上がっていき、皆さんが饒舌に語る楽しさを味わっているようでした。お酒の威力とは面白いと、素面でお付き合いをしていると如実に変化が実感でき、病気のおまけで飲酒できない効果があるものと、深く感嘆をしているところです。テレビ等のバラエティー番組で観るコミックのように、お酒を勧め酩酊するうちに相手の秘密を露呈させる手法を真似てしまうような錯覚になって、結構誘導尋問を楽しむことができました。皆さんが一様に持っているストレスの内容が分かりましたし、誰しもが変わりない不安と不満を持ち合わせていることに安堵して、それに対してしっかりと対峙させて、真剣に一生懸命になって、問題解決を図っている雄姿が頼もしく感じ取ることができました。お互いの腹のうちを探りながらの、やり取りは非常に疲れますが、ことはお酒を召し上がっての、心を許して自弁を述べさせるのですから、利害関係をもたない鬱積を発散させることになります。こんな時にこそ、ご機嫌な顔になって自己主張をされる姿に、適度な相槌を打ち適度にお相手をする気配りをすることで、一時なのですが、幸福そうな顔をして満足される皆さんの姿が、とっても羨ましく思えてしまうのです。適度なお酒の力を利用して、鬱積している気晴らしができるのであれば、もっと効率よく最大の効果が発揮されるように、最善のお手伝いを心がけていこうと心がけます。
2009.12.20
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決して自惚れているわけではありませんが、人様に比べても書籍や雑誌類に眼を通している意欲が沢山あって、その時間を多くもっていると自負していたのですが、世間にはそれ以上に学んでいる方が沢山いるもので、ひとつの感化として素直に受け止めているところです。備わっている根が、浅学菲才の身として十分に理解しているので、それを補うための手段として、様々な媒体を利用して情報を手に入れることに没頭して、気が向くままにあらゆる時間に情報の探索をしているところです。部屋の中に篭って気がのった物事に対して、夢中で調べたり取り組んでいる時間を好んでしまい、何もかもを忘れて集中させてくれる一時が、身の丈に合っているようで嬉しいものと感じています。興味があって探している情報を手にできたところで、自分の頭の中にしっかりと記憶させなければならないことで、知り得たことよりも知識として理解し、記憶させ適度に活用することがとっても重要なことなのです。この世の中には千差万別の情報が満ち溢れていますから、気にすること無くしていれば特段の不便も無く、極普通にして生きていくことができるわけで、少しでも世の中を有意義にさせるためにも、様々な情報を取捨選択させて、自分の血肉に消化する必要があると思っているところです。ここまでは、誰しもが同じ考えや意識を持つことができるのでしょうが、より深く意識を高めて、自分なりの理念発信できる情報に、上手く進化させることは難しいものです。同じ環境に多くのお仲間がいて友愛を深めているのですが、同じ情報発信源をもっていながらにして、完璧にご自身の知識として身につけてしまい、受け止めた情報を元に自身の理念を構築させてしまえる人は、とにかく素晴らしいと尊敬をもっているところです。一を知って十を理解してしまう能力は、それは一夜でできる能力でなく、誰しもが何回も何回も繰り返して学び取る中で身につけて、完全の自身の固有の情報に進化をさせて、一段と高尚で深みのある発信ができるものです。知ったことを人様に向けて情報発信をさせて、一人でも多くの方に理解させる能力ですから、それだけ深く学びとっている証拠でもありますし、しっかりと胆に受け止めて理解をしているから実現できることです。知って学ぶだけでなく、人様にも伝達できる能力を高めていくことを願うのですが、一朝一夕に叶えることではなく、一歩一歩のステップアップを自分に課して実現させる努力が必要だと思ってしまいます。毎日の繰り返しの中で心得る学びごとを、できるだけ分かり易く人様に伝達させる能力も大切で、如何に分かり易く理解させることができるかは、至難の業になります。漸くにして自分自身が理解をして感動をうけても、それで満足をするのでなく、同じ感動の味わいを共有させるための役目を自覚したいものです。物を手に入れる幸福度や満足度は一時のものですが、得た知識を派生させる喜びや、知った人が成長してくれる姿は純粋に嬉しいものです。素敵な喜びを一人でも多くの方に知ってもらうためにも、先ずは自身が小さな努力と向上心をもって、素敵な情報を見つけ出し興味を広めてみたいものです。伝達するための自己能力は、時任せの自然体をモットーにして、いまの意識と生活スタイルを粛々と過ごしていこうと念じてしまいます。
2009.12.19
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信じることの剛毅さを知っている心算でも、目の前に難事が及んだときに、決して平常心は難しく、思考能力もぶれてしまっている状態では、自身でもまったく不覚になりますが、平常心を保てないことに反省しつつ、まずは深呼吸をひとつしてから、眼を天空に向けて落ち着けてみたりしています。気が小さく度胸がない人間の、極普通の行動パタ-ンのひとつなのですが、物事の進捗に対して不安になってしまい、冷静な判断ができないままに、難事と対峙して取り組みをすれば、当然のこと落ち着きが無く、適度な決断力もなくなってしまいます。長年に亘って孤軍奮闘している案件があって、交渉相手のお役所との交渉の中で、厳しい判断を迫られたこともあり、現在も綱渡りの厳しい交渉ごとが続いているところです。その時々の交渉ごとが面倒と言うか、億劫に成ってしまいがちで、時とすると非常にネガティブになりやすいのですが、その不安な交渉も終わるころには、ホッとさせてくれる幸運が待ちわびてくれることが多くとても嬉しいものです。絶壁の危機に、なぜ幸運の女神が舞い降りてきてくれるかは、自身でも良く分からないことなのですが、何回も遭遇している危機も、なんとか、なんとかやり過ごすことができる事実があって、実にじつに嬉しいことを身に感じています。今日も今年最後になる交渉があって、役所のはしごをしていたのですが、関係する担当者が紳士になって応対をしてくれて、内心ではホッとすることができて、なんとか無事に越年ができる実感がこみ上げてきました。比較的素直な性格の人間としては、こうした経緯が嬉しいものでして、単純にわくわく感が沸いてきてしまい、快晴満点気分がルンルンに成っているところです。大変に難しい交渉が解決したわけでもなく、現状が先延ばしになっただけなのですが、目先にあった難儀がなくなっただけでも、ずいぶん気分が良くて開放感が享受できるものなのです。実質上の問題解決ができないままに、今年も新たな年を迎えてしまいますが、数々の難儀を抱えている身とすると、越年できる安堵さの重さがこみ上げてきて、こころの中では大きな感激度があるのです。こうした恵まれた境地になれることも、なんとか生きていくことができるのも、世の中の人々との友愛があるからこそと信じていますし、謙虚で素直な心になって、誠意を尽くすからこその、報恩の有意義さが恵まれているのだと思えるのです。我が人生のすべてに天恵が授かっていることを知って、一層謙虚に成ることを心がけていかなければなりませんし、誠心誠意の本気度を高めていくことが肝要だと、胆に命じているところです。あくまでも自分の信念をもって、いつでも自分の本心を信じて、ある程度の律儀な厳しさを心がけながら、世の中への慈愛の心がけを深めていきたいものと願います。窮余のときでもついている幸運を逃さないためにも、いつでも変わらぬ平常心を磨き上げていき、ますますの尽くす貢献ができることを期待しているところです。じつにありがたい人生を構築されていることを心に確信して、できるだけの滅私奉公を心がけての感謝をしたいものです。
2009.12.18
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人の気分性とは単純なものだと思ってしまうことは、昨日のような曇天の一日で底冷えのするお天気には、一日中気分が滅入ってしまい、まったくマイナス思考の時間が過ぎ去っていました。人様から届いた元気なメールの文書に刺激を受けて、反省をしながら有益な時間を創作するための意識は高くしている心算になっていたのですが、発奮はすれど元気溌剌には至らないままの、無駄な時間経過が情けなく過ぎ去りました。一転して抜けるような好天気になった今朝には、漸く日の出する輝きが増した太陽に向かって、手を合わせることができ、自然と崇拝のこころが磨かれていることが嬉しく、自身の人間形成が少しでもレベルアップされていくことを願うのでした。この年齢まで生かされてくると、善悪の諸行を様々に経験してきた人生の中で、一年一年と善行が増してきていることを実感して、いまではすべての生活空間の善行を求めている信念をもっています。若かりしころには、それなりの悪行を当たり前のように、発揮させていたことが懐かしのですが、これも自分の人生の一齣であることを自覚して、ひとつの人生経験の一部と受け止めて、積極的な反面教師に活用させていくことを学び取っています。生まれ持った意気地なしの性格から、流転の人生を経験する中で、年々悪行を体験するたびに、反動的に人生に関する書籍には興味があったほうで、学生のころから松下幸之助さんや亀井勝一郎さんの、人生哲学に関する書籍である、人間の心得に目を通すようになっていきました。本棚の奥に、ひっそりと古本として存在している亀井さんの書籍は難しく、今読んでも一時一句が重く感じるのですが、何十年も前の学生時代には、どのように解釈して読み耽ったのかあまり記憶がありません。松下幸之助翁を私淑するようになってから、翁の発行したPHPの月刊誌を手続きして、毎月配達されるPHPを好んで目にすることになり、手軽な大きさに分かりやすい文章に安心して、真髄に惚れ込んでいった記憶が蘇ってきます。翁は、素直なこころになりましょうと言う言葉を、ことあるごとに主張されていまして、当事とすれば素直なこころと言う言葉が新鮮で、一層翁が発信する活字に虜になっていったものです。人生の転換点とは人それぞれで、明確に記憶に残ることもあれば、まったく意識に残らないほどの、日々の流れのなかで自然と変化や進化がされていることがあります。毎月購読する書籍も、長年親しんで学んだPHP誌から致知誌を購読するようになって、まだまだ満ち足りていない己の人間磨きに邁進していこうと思っているところです。年齢に関係なく、学ぶ言葉とのご縁を楽しみにして、まだ見て取れない未見の我を見たくなってしまい、本棚の一角で古びたままになっている亀井勝一郎さんの人間の心得を再読したくもなりました。めぐり合うご縁の深さを確認しながら、その重さを貴重な礎とさせて、さらなる学びとりに励んでいければと思うし、快晴の心意気をわすれないことを心得てみたいものです。
2009.12.17
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今日一日怒らず恐れず悲しまず、正直、親切、愉快に、力と勇気と信念をもって、自己の人生の責務を果たし、常に平和と愛とを失わせず、立派な人間として生きていくことを誓います。この言葉は中村天風さんの詔句ですが、随分前から暗記ができるほど夢中で頭に入れるための繰り返しの学びをしていた時がありました。挫けやすいタイプの自身を、なんとか頑丈で屈強な精神力を養い、どんな場面でも落ち着いて胆を添えることができるように、子供のころから気になって努力をしてきました。天風さんの詔句を暗証するのも偏に、マイナス思考になってしまいがちな性格を、戒めるために自分自身が学び知った、自己鍛錬として心を強く鍛える手法です。いつも明るく元気に気合を込めて、まったくと言って愚痴を言わない方がいらっしゃるのですが、以前からとても羨ましく羨望の眼で注目をしていた方です。今日たまたまメールを差し上げて、夕刻に返信を受けとった方がいるのですが、近況を伝えてくれる様子に品格があって、謙虚ながらも素直な表現に惚れ込んでしまったほどでした。問いかけたすべての項目に対して、お陰さまで絶好調に推移していることが嬉しくて、すべてに感謝をしていますと、実に従順で素直なコメントを追記してくれるのです。受け取る側の人間が挫けていることを見透かしているようで、連絡事項を読み終えるころには、大きな元気をうけとることができて、塞いでいたこころも開放されて、いつも渋い顔をしているのが、はにかみでも自然に笑顔がでてきてしまったのでした。じめじめと顔をしかめっ面にしていても仕方なくて、できる範囲で元気溌剌としなければいけないことは、重々理解をしていても、まったく上手く自己管理がされていないのですから、自分としても呆れてしまいます。目先にあるどんな艱難なことであっても、度合いが強くなればなるだけどんと構えて、元気のおまじないを自身にかけることが必然ですが、大きな度量を発揮させる源泉を、心がける責任を持ちたいものです。多少の滅入ることがあっても、そんな状況を億尾にも出さなくて、自分がいつも健全な精神であることが当たり前と、自信をもって表現をさせてみたいものです。自身を元気付けてこそ人様の心を奮起させることができるもので、めそめそすることなく、一層の溌剌さを自分自身に対して期待しています。人それぞれが胆の大きさの度合いが違っているのですが、気合を入れることができるかで、進む道さえも変えてしまう派生的な力が作用してくれます。自分自身を元気付けるコントロールができることは、人の心も明るく元気にさせることを確信して、せめても、関係する方々が喜んでくれる自己啓蒙を頑張ってみたいものです。明るく元気で強く溌剌とした日々を心得て、改めての積極的な人生を生きていくことを、こころからの剛毅な誓いとしたいものです。
2009.12.16
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365日の出来事は雑学の宝庫になっているように思いますし、事実多様性満点の様々な情報に接することができることは、その数だけ多面的に人に逢い、活字をみて、その知識に触れられる機会があります。日常の外出時に接することや、室内で接するテレビや新聞等のメディアから発せられる、画面や音の情報は物凄い圧倒的な量がありますが、そっけなく気を遣うことが無ければ、それなりの価値を吸収できることになります。街を歩きながら、電車内の会話と広告等からの情報は、馬鹿にならない貴重な資料があって、耳学問や眼学問として結構貴重な情報が提供されてきます。JRで移動するときにたまたま空いていた席に座ったのですが、海外旅行の帰路で成田空港からの乗車が直ぐにわかる、大きな旅行カバンを座席の前に置いて、仲間の方らしい方との話しが聴こえてきました。旅慣れている様子で、服装も仕草もリラックスしていて、第一持ち物が傷だらけの使い古した様子が、すっかり旅慣れていることを証明してくれています。聴こえてくる会話も気負いがなく、極自然な体験記を話されていて、訊くほうも抵抗無く耳に入れることができ、同年輩の品性ある会話に関心を持ってしまいました。成田空港からの快速電車を利用すると、時間帯にもよりますが、往復とも旅行者の姿が結構あって、ほとんどの利用者が始発乗車で座っていられる形が多く、自身の座席の前には大きなカバンがふさがっているのです。楽しそうな旅先の話しもありますが、中国からの帰路らしき会話は、天皇陛下と来日中の週副主席の会見報道が妥当なのかと、静かな語り合いをしていまして、おそらくは帰国して報道を観ての会話になっていそうでした。平成天皇のお人柄からして、国家や地位で偏見をもった判断はされないことを知って居ればこそ、政治家が政府や党の要人だと威厳をもって権力をちらつかせ、利己や自党の目的達成に暴言で威圧している姿が問題であり、政治家の民主的でない身勝手な発言が気になるとの会話内容でした。電車内の雑然とした人ごみの会話の中でも、世相を的確に表現してくれている会話があって、自身の評価とあわせて、生きた民意を参考にすることができる環境となりました。仲間内の会話ではどうしてもその人の人柄や、お付き合いの度合いのバックボーンを加味してしまい、インパクトが薄くなってしまいますが、電車内では世間の生の声を聴くことができ、落ち着いて静かな判断ができることも嬉しいものです。学生が元気いっぱいに礼儀を欠いての会話をする中で、淡々と身のある会話をされている方々の姿が神々しく見えてしまい、なんだか喧騒の中の泉のようにも思えてしまいました。書籍や雑誌もそうなのですが、期待感をもって買い求めた中身が不本意であって、時々がっかりすることが多いのですが、何気に手にする書物からは素敵な至言格言を享受できた時には、何事にも変えがたい喜びが沸き起こるものです。世間の新鮮で生きた情報の伝播とは、まさしく箴言との接点であって、さりげなく金言を手に入れる機会の空気を、しっかりと感じ取れる感覚を、新鮮な観察力にさせることが大切になってきます。いたるところで接する情報の洪水から、磨けば輝く言葉や文字を取捨選択する技量を身につける、よき勉強の場にするためにも、眼と耳を有益に働かすようにしたいものです。
2009.12.15
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気兼ねなく聞いてくださいと伝えている立場上、訊かれる問い掛けには全身全霊の誠意をもって、お答えをする気構えを心がけていますし、そうした情報をお伝えできることに尽力をしています。自分の性格上のことなのですが、あまり積極的なアドバイスや指示をすることが、苦手で億劫なものでして、できるだけ避けて距離感をおいている自分があるのですが、何時でも思う気持ちとしては、気合を込めた本気でいる立場を心得ているところです。ここのところ仲間からの要望が多く届いて、運営上の相談や情報の伝達をお願いされるのですが、できるだけ期待に沿えるように、一生懸命に努力をしているところです。仕事等で忙しないときには、なかなか期待に応えることができないことも、多々あるのですが、忙しいなりの時間を工夫して、多少は深夜になったとしても、夢中で調べ物をする楽しさを満喫でき、疲れた痛い眼をこすりながらも、一人で達成感を味わってしまうことが多いのです。このことは悪い性格のひとつなのでしょうが、気構えるやる気の調子を高揚させることが下手でして、仕事の合間に依頼物件をこなすことはできたとしても、どうしても深夜になって仕舞いがちで、無心になれる気が乗ってくる時間がかかるのです。それでもなんとか、無事に依頼諸般をこなしていけることに満足してしまい、深夜に時間を忘れて没頭することが多々ある日々なのです。調べ物をする時間が好きなことを、自分の誇りのひとつにしてしまうのですが、深夜になって我を忘れて邁進できる役割と環境があることは、最高の至福を味わうことになって、その境遇に満足と感謝をしてしまいます。ただ自身の欠点としては、いくら調べ物をする気概が沢山あっても、資料で勉強をしたり知識を飲み込むことが上手くできなくて、依頼された仲間達には情報は提供できても、噛み砕いて知識を伝えることができない悔しさがあって、誠に残念至極に思っているところです。タイプとすれば、部屋に篭って調べ物に没頭できることが最高なのですから、もう一踏ん張りをして、貪欲な勉強ができる意識と意欲を高めてみたいものです。様々な知識を得ることは大きな喜びとなりますし、新しく知る感動は何物にも変えがたい貴重な体感ですから、もっと積極的な勉強を心がけてみたいものです。できれば学び取った知識や情報を有益に活用させて、人様のためにも世の中のためにも、十分に大きな役割を果たせることができると、最善な作業時間になることを信じていますので、是非とも有効性のある手段を考慮してみたいものです。今は調べものの作業時間だけに満足してしまいがちですが、せめても意欲をもっていることに自信をもって、知った知識を記憶させて、いつでも伝授できるような発表能力を身につける必要を熱望してしまいます。自己自制をしている一歩を踏み出すことで、意外な喜びを享受できるかもしれなくて、未知の感動に目的を定めることで、新たな喜びを知れる機会かもしれないと、深夜一人で反省と挑戦の意欲を天秤にかけているところです。
2009.12.14
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両親の兄弟にあたる子供達が従兄弟として何人かいますが、年齢的に年長者となる人が一人だけとなってしまい、あわせて兄弟である姉が一人居るのですが、すべての親族の中でも年長の立ち居地として、親類身内の纏め役の意識をもたなければいけないようです。いつも気概ばかりは若い気分をもって、世間を良く知らないままに生きてきている気がするのですが、そのためなのか、人に甘えることが多いままに人生を生かさせてもらって、少々自覚が足りないことを心細くさせながらも、気楽なままに世間を過ごさせてもらったようです。それでも人様との交流を大切にするなかで、気遣いの心がけだけは身につけるようにしていて、上手く人様の話に聞き耳をたてることができているのは、先天的な幸運の女神に恵まれているからのようですし、今となっては大きな自分の宝物として大事にするようになっています。昨年からいろいろと身につまされる事態が発生してきて、年長の従兄弟や姉に相談を掛けることがあって、なんどか深い話し合いをすることがありましたが、身内の親愛とはこれほど強いものなのかと、改めて教えてくれたのでした。年に何回か儀礼的に会うことがあっても、長い時間は心底語りあうことも無く、ほんの表面的な交流が常になっていても、いったん互恵の話をしだすと、心許しての感激をもった支援の話しができているのです。同じ血を分け合った安心感と信頼感があるのでしょうか、話しをすればするほど理解が深まってくれて、心情を汲み取って同化させてくれる頼りがいは、なんと言っても血を分け合った身内だからこそでしょう。昨日は一日中留守をしていて、その間に年長の従兄弟から電話連絡が入っていて、折り返しの電話が今朝になってしまいました。ご本人は携帯電話にも掛けたのだけれど、出てくれないために心配してくれて、また健康が悪くなったかと心配をしてしまったことを伝えてくれて、身内の心がけがまことにありがたく思えてきました。家族でもなく血を分けた従兄弟の気配りとは、一種特別な感動を享受することができて、時には感傷的に受け止めてしまうのですが、実に嬉しくて涙目になってしまうほどでした。従兄弟が一方的に話しをしている間は、じっと聞き耳をたてて、静かに聴くことを専念して、淡々と話しをしてくれる忠告を、ひとつずつ頭の中に溶け込ませる作業をしていました。従兄弟は10歳年上ですから、それなりに健康状態も問題があって、ここ数年間は病院に入退院を繰り返していて、持病の治療と療養を繰り返してきていたのですが、寒さが極端に弱いこともあって、張りの無い声が聞こえて気がかりになっています。直ぐ下の弟分の立場としても、できるだけの元気付けをしたいのですが、電話での声掛けには限度があって、儀礼的な言葉ばかりが無味乾燥となって連続してしまいました。時間にしてもほんの僅かなのですが、受話器を持ちながらあちこちに歩を進めてしまい、まったく落ち着きの無いままに、端的に有意義な言葉を見つけ出す知恵がでてこないことが、実にじれったくなってくるのでした。たまたま夕刻に会った実の姉も健康を気遣ってくれて、いとこ同士の関係も姉弟の関係も、あらたな心配りをしあって、一年でも長く元気な生活をできていくことを、若い身の立場としてもっと率先して実現させてみようと、身内の大切さと思いやり愛を心がける日々になりそうです。
2009.12.13
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この年齢になるまでには多くの先輩に恵まれていることを、真摯に受け止めて喜んでいるところですが、先輩も後輩も等しく公平に交流をすることは、なかなか難しいことを感じているところです。世代的にも中間的な立ち居地になってしまい、先輩も後輩もどちらにも距離感無くお付き合いでき、意見や忠告を申し述べることができることを知っています。この大きな意味がある立ち居地を、強く認識すればするほど、中間管理職にあたる自身の責任を重く感じてしまうところです。自身の反省すべきこととして、先輩受けの良い所があるのですが、逆にみると後輩からの信頼感が薄れてきてしまうのかと、少なからずの心配をしているところです。お付き合いを始めて30年間も経過する、気さくで品が良く思い切りもよい、いつも自分の鏡として見習いたい方が、先輩の中にいらっしゃるのですが、通年して変わらぬ面倒を見てくれていることに、いつも感謝をしているところです。何よりも真摯でスマートな生き方が好きで、何回もプライベートな時間を共有させていただいているので、すごく内面的なご苦労をされていることも、お会いする中で徐々に実感されることがありました。奥様が若いころからの時代から闘病生活を過ごされていて、その看護の辛さは身内だけが知ることなのですが、自分自身が経験した母親に対しての献身的な介護の様子をお伝えしたときに、先輩は心の中から誠意の言葉を選んで褒めてくれたのです。ご自身が大変な思いをされて、毎日介護をされていらっしゃることを微塵にも愚痴らずに、病身の奥様がいてくれるからこそ、家族が元気に頑張ることが出来るのだと、誰に憚ることなく感謝の宣言をしてくれるのでした。奥様の大病は、家族を代表して闘病をしてくれる分、健康な家族が頑張っていける幸運を感じているし、家族全員が奥様に感謝をしておることを、淡々として伝えてくれました。現在の家庭情況を話されるときの真剣な眼差しが、奥様への深い愛情だと信じてしまいますし、家族の愛情と絆の深さの拠り所を教えてくれるのです。決して外見からでは計り知れない内面的なご苦労は、その人の家庭に入れば如実に把握することができるものでして、家族が負担にして受け止めるか、家族の絆のなかでより一層愛情を深めて団結して、奥様を護ってあげる誇りを感じてしまうのでした。時間的にも経済的にも、先輩のご苦労は大変なものであると推測してしまうのですが、時には飄々として明るさを振舞うサービス精神は、ただならぬ気迫さえ伝わってきてしまうのです。先ほどになって連絡が入ったのですが、たまには夕ご飯を一緒にしたいと、ありがたいお誘いを受けて、短時間の晩餐のお約束ができたのですが、大切な奥様の健康状態をお聴きできるのは、何かのご縁かと理解をするように心がけて、せめても、先輩のお話を伺うことが、先輩への礼儀になるのだろうかと思えることなのです。先輩の威厳をまったくみせなくて、気心知れた仲間として、受け止めてくれていることが実にありがたいのですが、以外にも話し相手としての価値を、身に備えているからかもと自負してしまうことがあります。少々自分を買い被った自己評価をしてしまうことが、大いに反省すべきことですが、決して多言しない者として扱ってくれることに感謝をして、今後の信頼と信用を磨く上でも、大いに自身を律することができるものと信じています。
2009.12.12
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お会いするたびに頭を低くしながら、申し訳ないように言い訳をする癖のある先輩がいて、突然愚痴を言われても、どう対応をしたらいいのか分からないのですが、その先輩とすれば私の顔をみると、即情況を伝えなければいけないように、自身のスイッチを入れてしまっているようです。おそらくは、いつも生活環境を同じくしていることで、気になる事の情況を、自分ながらの考慮や心配をしている結果として、問わず語らずの自問自答をしているのだと推測してしまいます。一人問答を繰り返えす相手として、対話の相手に想定してくれるのはありがたいことですが、いろいろ問答を繰り返えすことがあるとは、よっぽど相性が良いのか、想定相手にする不足が無いのか分かりませんが、最近になって同じパターンで声を掛けられることが多くなりました。午後にあったお仲間の葬儀の帰路に、JRのホームでばったり顔を合わせた先輩が、間髪いれずに口に出たことが、同じく席をおく同好会の運営の進言でした。問いかけられる内容には、理解をすることが出来るのですが、情況を伝達してくれるだけでは何の解決にもならなくて、同好会の中では立派な知識と経験がおありの先輩なのですから、反対意見にも聞き耳をもって、総合的に判断をした進むべき道筋を示してほしいものと願っています。世の中とは人がいるだけで、その人の数だけ意見百出するものが自然ですから、反対意見があっても極自然のことですし、組織の一員であるのでしたら上手に活用をして、所属する同好会の運営をスムースにさせ、参加する皆さんが了解と賛同を得やすいようにすべきだと思っています。先輩の愚痴をお察しするところですが、違う意見を持った仲間を集めてしまいやすい環境があって、そのグループ内で意見を精査するだけの、思い遣る心の余裕がないものですから、勝手な意見が出やすいのだと憶測をしています。だれしもが、満物に深い理解をしているわけでなく、人様との交流を深める経験と共に、一層人間味が深まってきて、相手を思い遣れる余裕をもって、対等に会話が出来てくるものであるものだと理解をしてしまいます。先輩の動向を自分に置き換えてみても、先輩がいてくれるからこそ、多面的にものを観察できる能力が養生できているわけで、先輩の悪癖を毛嫌いすることなく、自身を観る鏡として活用する度量を持ってもらいたいと念じています。一人悶々と悩んで思考をしていると、自分の意識を人に伝えて反応を知ってみたい気になってしまうことは間々ありますが、即実践する意識が希薄なために、どうしても自問自答するままに終わることが多い自分です。その結果としてなのか、余計な時間が掛かった分のご褒美として、良く熟慮した答えが熟成させることができる学びとりができました。意見を言うことは比較的簡単なことですが、深い事情という問題があることを理解すればするほど、安易で軽薄な返事ができなくなるものです。背景にある組織とか人間関係を精査して、問題の根本を見つめ直しての意見参加が、正しいものであると理解をすることが出来るようになりましたのも、拙速を反省して一呼吸をおける間合いを身につけたからです。言葉の端端にかもし出される人格と品格とは、相手の心の中にどれほどの思い遣りの温かさを伝道できるかだと、一人静かにして自身に問いかけてみるのでした。
2009.12.11
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世の中が多種多様な仕組みになってきて、これが決まりごとだといった固定的な様態がなくなってきている時代になり、多様性があると単純に表現をしていいのか、よくは判ら無い時流になっています。コンビニや大型スーパーがあちこちと乱立してからは、限られた専門店でなくとも買い物ができるようになり、いつでも何処でも便利に買い物ができる環境がありますし、お店を選択できる自由さと便利さは、極当たり前のことになってありがたいことです。遥か昔のことなのですが、お袋さんが買い物をする機会を様子見していて、地元に数軒ある顔見知りのお店には、義理だけをもって、お付き合いの買い物をしていた様子を知っています。競合するお店はないのですし地元の店主では、時々の商品に対する不満やクレームがあっても、買うお客の身が気を遣ってしまい、値段や商品の品質に対しての不満には、じっと我慢することが美徳というか、顔見知りの礼儀であったかのようにしていました。時代が経つごとに経済成長期を迎えてきて、高層団地が建ち始めるころには、大手のチェーンストアーや大型スーパーが出来てきて、JR駅前には様々な商店が張り付いてきました。誰しもが新しいお店で買い物をしたいし、鮮度があって安価な商品を見つけることが出来、堂々と消費者としてお客さんとしても、気ままに買い物ができる安心感を味わうことができていたのです。顔見知りである地元の商店主には、気を遣っての買い物ですが、新興のお店では大らかな気軽さをもって、自由奔放に買い物ができる環境ですから、必然的に遠出の買い物に行くことになります。我が家は数代継承されてきた家庭であることから、地元の方とのいろいろな親密な関係が出来ていて、家同士の複雑なご縁を醸し出し築き上げていました。そんなこんなで、我が家のお袋さんの買い物とは、大変に気苦労をした様子があって、新しいお店に行く時には、暗くなってから隠れるように行くことが多くなりました。日中に買い物に出かけるときには、なお更気兼ねをしてしまい、買った品物を見えないようにするとか、裏道を通って競合店の前を行き来しないように、毎日工夫をしていたことを負担にしていたことが思い出されます。やがて、そんな気苦労が負担になったのでしょう、ご近所に気兼ねなく生活したいと懇請して、我が家が初めての転居をしたのが40年前のことでしたが、当事の地元では旧家になる我が家の引越しごとは、長い間に亘って様々な憶測を生むことになりました。そんな噂話はまったく気にすることなく、新興住宅地に転居してからのお袋さんとすれば、実に朗らかにして気さくな毎日を楽しんでいました。後になって長い闘病生活に入るのですが、精一杯の買出しが嬉しそうで、車を利用してでも隣の街に精力的に出かけた姿が偲ばれてきますが、今となっての買い物とは、決して気兼ねも無く自由自在に、勝手に店を選べる時代が当たり前になっています。更には、インターネットショッピングや通信販売までもが、24時間に亘って自由に利用できるのですから、まったく様変わりした様子を知ったら、我がお袋さんの反応はいかほどでしょうか知りたいところです。忙しない年末を迎えた事務所に篭って思うことは、一歩も外に出かけることなく商品を購入できる環境があって、廉価な店を選びながら送料無料で、おまけのポイントを付与してもらえる自由さがあって、過去の時間の流れと将来の変遷を考えてしまったのでした。かえって今となっては、お抱えの顔馴染みある親しめるお店がありがたく、楽しい語らいを求めてしまう勝手さがあるのですが、時代の変遷を楽しんで行こうと思っています。
2009.12.10
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SNS:ソーシアル・ネットワーク・サービスには、お友達になった方からのコメントが、毎日たくさん投げかけられてきますが、投稿された題目によっては、自身の思いをコメントにして書き込むように心がけています。お友達が増えてくると、なかなか自由に目を通す時間がないもので、気が向く時にできるだけ小まめにして、気になるサイトのホームページを開くようにしています。昨晩のこと、ロータリー活動の中で知り合った方が、SNSメンバーとしても長いお友達として交流をさせて頂いているのですが、たまたま開いた時間にコメントがあって、愛犬との別れの辛さを吐露されていて、その悲しさを共有させてもらいました。15年の長きに亘って愛犬を家族の一員として、生活を共にしてこられていたのですが、老衰のために往生をされた様子を公開されてくれたのです。我が家にも6歳半と1歳半のメス犬が同居している現状があって、老衰とは言っても愛犬が亡くなったとは人事でなくて、友人が書かれた死別の文章を読みながら、自然と涙が出てしまうほどでした。小学生時代以来ですから、超超久しぶりになるのですが、6年ほど前に最初の犬を飼いこんだ時には、毎日の運動とか世話が負担になってしまったのですが、当事あった苦難の始まりの時期に、心の痛みを癒してくれたのが愛犬で、心強い力を分け与えてくれたのです。事業上で初めての挫折を経験してしまい、家族で涙をしてしまうどん底の情況になっていたときに、家族の絆の源泉を果たしてくれたり、大きな癒しを与えてくれたりして、家族一人ひとりの心に元気振りまいてくれたのでした。二匹とも、最初から家族と一緒の生活をすることになって、家中の飼育に朝から晩までの共棲があたりまえになってしまい、本当に家族の一員としての日々を暮らすことになっていました。経験している難事も年々起伏があって、なんとか今まで遣り繰りができているのですが、先に家族の仲間入りをした姉犬には随分苦労をかけ、家族の精神的な安定に役に立ってくれ、大変な寄与をうけとることができました。今でも抱えている艱難の度合いは、一層厳しい環境があるのですが、昨年に家族の仲間になった妹犬共々一層愛犬に癒される時間が増えてしまい、すっかり愛犬との共棲が慣れ親しんだ日常を暮らしているのです。今では愛犬との生活を抜きには、考えられない日常になってしまい、家族の喜びや悲しみを共に味わう時空が当たり前なのですが、家族にむけて発信すべきことを、愛犬を通して間接的にしている気配が気になってしまいます。家族のお互いが、善いこと悪いことに価値観のずれがでてしまい、溺愛するなかで人のおやつを分け与えたり、犬の躾に差が出てしまっていることが、少々気がかりなことですが、一番過保護にしている張本人は自分自身なのかもしれません。なにごとも、出会いがあって別れのときがくるものですから、すべては深いご縁があればこその一期一会に感謝をして、最善の生き方に邁進をしていきたいものです。インターネットを通じて、同じ境遇や意識を認識しあって、活字を通しての交流が有益な友愛の場として広まり、健全に活用できることを期待しながら、与えられたご縁を大切に育成させてみたいものです。こうした同じ価値観を共有できる方との交流が、より盛んに配信できることを願って、愛犬ともども共棲模様を記事にできる幸せを、こころ健やかに享受することができました。
2009.12.09
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毎日相当量の情報がインターネットを通して届けられていますが、その様々な書き込みや伝達文を目にする時間が、毎日のなかで結構な時間経過になっています。メールやマガジンの中では、完全にアダルトものとか、怪しげでナンセンスの稚拙な文章を除いては、なんとか読める文章は、できるだけ拾い読みすることにしています。どんな人が書いたのかは分かりませんが、文章を発信されている方の文章や文脈から、何かのヒントを頂くことが多くあります。配信されるメールやブログの類を、即廃棄するのは簡単なのですが、取捨の選択作業は時間が掛かるのですが、できるだけ目にする努力をして、価値ある文章を学び取る時間は継続をしたいと思っています。多忙で貴重な一日のなかを、何方が書いたか分からない文章の削除時間のために、無駄に費やすことを真剣に考え悩んでしまうのですが、砂利の中のダイアの一粒を探すごとく、キラッと光る文章に出会うと嬉しくなって、自作のメモ帳に追記できることを喜んでしまいます。そんな様々な情報の中で、最近一番の刺激を受けていることは、致知出版社のスタッフが配信してくれるマガジンで、月刊誌や発行されている書籍の中から、スポット的に珠玉の文章や言葉を紹介してくれることが嬉しくて、日増しに有益な活用をさせてもらっています。先月に発行されたばかりの月刊誌の致知11月号は、何度か目を通しているのですが、編集部のスタッフが配信してくれるマガジンで、一番肝心な要所を的確にまとめて紹介してくれることは、まことにありがたく改めて学びなおすことができています。毎月致知誌が到着してから、何回か目にはしている記事でも、日ごろの怠け癖や忘れやすい性格から、改めてエキスの文章を再読をさせてもらえることが嬉しく、何度も恐縮をしてしまいながら、胆にしかりと入れることができ、感銘を受けた新しい言葉や文章をメモ帳に追記することができました。今回は、作家の五木寛之さんと京セラの稲盛和夫名誉会長さんの対談の中で語られた、肝心要なエッセンスを特集してくれて、マガジンとしての重要度が益々高くなって、気にするチェックの回数が増えてしまったようです。お二人の対談で語られた言葉はすごく肝要なことで、美しい心で他力を待ち受けること、利己にまみれた心ではなく、優しく思いやりのある利他の心を大切にすることを主張されていました。マガジンを通して改めて読むことができ、利他の心をもてばおのずと他力がよってきてくれることを説いているのですが、どうしても難題が解決できない時には、神様助けてくださいという素直なお願いの言葉の重要性も説き、心の中から祈願するべきですと教えてくれました。なにかと難題を抱えている身とすれば、なっともありがたい言葉を、タイムリーに再読させてくれる機会を与えてくれて、手を合わせて心のかなで感謝をしながら、ネットの情報を受け止めることができました。今後も変わらぬ情報探索をしていきますが、愛読している致知誌の素敵な珠玉文が、一人でも多くの方に伝達できることを楽しみに、マガジンの配信に大きな期待をしているところです。
2009.12.08
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生まれながらに方向感が疎いものですから、人の運転で車に乗っていると、進んでいる道が何処に向いているのかが判らなくて、知っている限りの知識を発揮させながら、遠方に眺めることができる目立つランドマークを注視して、自分なりの地図を描いてなぞってしまいます。特に幹線道路から離れた、抜け道を利用する場合にはなお更で、曲がりくねった道が連蔵したときなど、進む方向が真反対に錯覚してしまうことさえあります。繁華街から離れるにしたがって、関東平野の穏やかな景色が眼に入ってきますが、どこまでも視認性が深まって、稲刈りの終わった一面の田んぼが広がり、地平線までも遠く広まって観る事ができました。ところどころにある通り慣れた幹線道路を横切って、一路茨城県に向かって走っていく道は、そのほとんどが部落から部落を抜ける、田んぼ沿いの道路であったのですが、すっかり落ち葉が散った木々が、明るい冬の日差しを満喫できるようにしてくれました。乗せてもらった後部座席では、右に左にハンドルを切るたびに、景色が大きく変化する模様を観察し楽しみながら、徐々に自分が何処にいるのかも分からないままに運ばれて、どこの街を通っても冬らしい景色をみせてくれました。暦の上では大寒ですが、車から降りたときに感じる寒風は、なんと言っても筑波おろしの風が冷たくて、体感温度がとても寒すぎる思いをして、地元から比べても2度くらいは気温が低いほどに感じてしまいました。お邪魔したお宅の暖房も本格的で、その温もりが心を癒してくれることが嬉しくて、ついつい愚痴を言ってしまったり、遥か昔の思い出話に花を咲かせてしまったり、仕事の話しよりは昔話が多くなってしまったのでした。学生のころからお世話になっている方で、経理面を一任していたのですが、よる年波に出かけることが少なくなって、こちらから相談に向かうことが多くなっています。最近になってからは、こちら側の事情も変わってきて、倅が仕事をすることになった関係で、ご無沙汰もあったり年末を控えての時期の配慮もあって、親子一緒に訪問をする運びになったのでした。なんとかたどり着いたお宅でもって、随分長い時間を暖房の効いたお宅で相談をさせて頂く事ができて、親子で始めての訪問が、人生相談も交えながら、有意義な時間をすごすことができました。人生においても人が歩む道は人様々ですが、それぞれが目先にある道を選びながら、右か左かを選択する悩みをして、前に進む行為はとっても有意義な姿だと思ってしまいますし、その行為はとても価値があるものだと信じます。行き交う沢山の車も人も、一見すれば目的地に向かってスムースに走ったり歩いているように見えますが、人それぞれに創意工夫と思考を深めながら、よりよい選択肢を選びながら前に進んでいるのでしょう。一人ひとりが進む先にあるランドマークを目指しながら、悲喜交々の人生を乗せていることを推察しながら、それぞれに素敵な人生と成功が目指せることを念じてしまうのです。暖房が効いた車内とは、打って変わった北風が吹きつけている風景は、創意工夫をしながら生きる人類を、遠く筑波の神々が清めてくれているように、ありがたく受け止めることができたのでした。
2009.12.07
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普段は何気なく生活をしている中で、他人として交流をしている姿があるのですが、他人としての仕事であったり、顧客同士の中であったり、会合の仲間であったりしているなかでも、以外に身内の縁があることが判らないままに、お付き合いの交流がされている機会が多くあることがあります。年に何度かある親類の寄せごとのうち、結婚式がめっきり減ってしまい、最近では葬儀や法事の類が多くなってきていることを、真実味をもって強く感じています。父方と母方の叔父や叔母の関係が、おもだったお付き合いであったのですが、最近になってくると兄弟の両親の不幸があったり、親から子への世代の交代があって、出席する関係の方々の親しみが薄れてしまい、その馴れ合いが判らなくなってきました。今日あった叔父夫婦の7回忌と1回忌の法事であったのですが、朝から暖かで暖房がまったく必要ない強い日差しをうけながら、従兄弟の家に向かうことになりました。歴史をうかがえる古い寺院で法事が営まれたのですが、集まってくれた方々は年代からすると、年上よりも年下の方が多く集まってくれて、普段の生活ではあまり会う交流が無い方々とは、まったく他人様のお付き合いと同じことになています。お顔を見合わせても、どのような系図関係にいる方もわからなくて、まさに、お互いがはじめましてとの挨拶をする羽目になってしまいました。それぞれに関係した方が参集してくれているのですから、何らかの形で同じ血を分け合っている方ばかりなのですが、どのような系図に流れているのかが理解できないままに、法事の時間が流れていくのでした。改めて尋ねてみれば、何らかの形でご縁を護っていることを知って、縁戚の血縁関係が理解されるのですが、それも何度かお会いするうちに、お互いの存在を関係する繋がりを確認しあうことができたのです。時間経過と共にやっとたどり着く親類の関係は、まさにパズルを解くが如しで、あれこれと従兄弟同士が説明をしあう姿が愉快になって、精進落としの宴席には和やかに会話がされる場になりました。自分なりに頭の中に描いた系図を、修正したり追加したりのやり繰りがあって、右を見たり左の人を見て家族の顔とを一致させながら、縁戚と家族の一員を立体的に構図に描くことになりました。人とは、すべてに何らかの縁戚になってしまう気がするのですが、繋がりをたどっていけば当然のこととして、遠縁関係から身近な関係まで、まさしく、血は濃いものであることを実証させてくれるものです。人類みな兄弟だと言われますが、ほんの一塊の親類縁者であっても、めったに集合しないものだし、集合できないのですから、この言葉を胆にしていくためにも、出会いのある人はすべてに縁者としての、素敵なお付き合いができることを願ってしまいます。所詮は他人同士の結婚から派生して、親類縁者の人々の集まりが形成されているのですから、血は水よりも濃いとすれば、普段のお付き合いの頻度を高めていくべきだし、いざという時の団結ができるためにも、何らかの家族会を発展させてみたいものです。系図的には血が通ってはいても、日常の生活からは血の濃さが希薄になってしまっていたとしたら、とっても寂しいことになってしまいそうですし、形骸だけとしたら悲しいだけですし、縁戚関係の和合をもっと期待したいものです。
2009.12.06
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ある程度の年齢に達すると、人様の声を聴くことにある種の抵抗感をもってしまうことが、極自然な背景になってくるもので、自身の思いが最善なものであることを頑なに信念として思ってしまいがちな一面があるようです。自分自身の胸に手をあててみても、まったく同じことが当てはめようで、人様からの愚直なまでの意見を耳に入れることは少なくて、自己主張をするだけの意固地な人間になってしまっている、一面性だけをもっている可能性を理解しています。今日6年ぶりに再訪することができた女性の方は、占いを勉強している人なのですが、初めて訪問したときにも、大きな不安を抱えている時期で、なにかと人生運や家庭運や事業運などを占い相談をしてもらったのでした。当事のことは時間と共に忘れかけたことが多く、占いで言われたことを参考にして、自分ができる範囲の最善策を励んで、真摯になり誠意をもって、すべてに対処をしてきたつもりでいます。抱えている難題解決のためには、一気呵成に実現できるわけが無く、日々ひとつずつ謙虚になって人様に接していくことが、最短で最高の生きる道であることを体験でき、心を磨き入れ替えた善人を心得る大切さを学んできました。この間様々な諸問題を抱えながら、多くの方の支援や賛助をうけることができ、なんとか人様と語り合うことができる状態をもって、家族がひとつの心になって、一致団結の絆を深めることで、ここまでの頑張りができたことが実態です。再訪した占いの方はとてもお元気そうで、顔つきも一層豊かに奥ゆかしさが感じられて、安心して語られる風貌からは、久しぶりであったにもかかわらず、以心伝心の言葉の受け渡しができたのでした。6年前の相談ごとが細かな資料になって残っていて、当時を思い出して偲びながら談話ができて、今後の家族のもつ不安を相談することができました。家族の皆が揃って強い生きる宿命を持っていて、これからの人生は地道な生活を心得ていれば、最悪の事態は避けられるし、世から生かさせてれくれる環境に感謝をしながら、誠意を尽くして生きなさいとの、激励のお達しをうけることができました。だれでも持っているバイオリズムの中で、天頂にいるときには地獄に落ちるし、地獄にいる人は天頂に昇ることができる繰り返しの世の常を、しみじみと語り合うことができました。すべてに断言的な占いをするのでなく、人の持つ宿命のなかで、自然の順番で回ってくる役目を心得て生活しなさいと言う、ごくごく自然体の忠告をもらうことができました。人が生まれ持っている宿命を見つけさす占いの手法ですから、突飛も無い一発逆転の期待感を伝授してくれないのですが、非常に判りやすい説明に、家族で信じることの安心感を享受できました。たかが占いされど占いであって、信じる人のみが信頼を受けられることを認識していますが、女性占いの方がもつ、信頼性と人間性とがコラボレーションして、相乗的な信用が深まる一時を共有できたことを、家族揃って慶びあうことで満足したいものです。帰りがけにはすっかり打ち解けた環境をつくることができ、多面的な判断からして、難題からなんとか乗り越えられる期待感を強くして、家族で誠意をもった一層の頑張りを心がけた語り合いになったことが、家族の慶びとなってくれたことが嬉しいことになりました。
2009.12.05
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最近はできるだけJRやバスを利用して移動をしているのですが、脚力が落ちている身体には程よい運動と、リハビリになってくれていることを期待しているところです。12月に入り街中はすっかりクリスマス気分で、鮮やかな電飾がきれいに目に入ってきますし、行き交う人々も慌しい雰囲気をただ寄せていますが、景気が不安定なためなのか、皆さんの表情が元気なく見えます。街中で人様から観られている姿は、おそらく覇気のない人として観られているのでしょうが、心境とすれば、なんとかなんとか今の逆境を乗り越えて、活き活きと元気に気力を満ち満ちさせている表情を見せたいものです。掛かりつけのお医者さんに薬のお願いにいたのですが、問診の中で、体重制限をしていると自然に皺が増えてしまい、一回り更けて見られやすいですから、元気を出していきましょうと勇気付けを頂いてきました。面と向かってこうした会話になることは、実際には相当に更け顔になっていることを宣告してくれたのでしょうから、素直に受け止めてせめても気合を入れて、微笑みのある顔を表現してみたいものです。診察時間が終わりかけていたのか、患者さんの切れ目であったのかは分かりませんが、のんびりと往診をしてくれた序に、いろいろと健康相談をうけることができました。先代の医院長は仲良しの友人であったのですが、今年の春にこの世からお別れをしてしまい、今では天国の人となってしまいましたが、しっかりした倅さんが跡継ぎの役を果たしてくれていることに笑顔で喜んでいることでしょう。体型はまったく似ても似つかない姿ですが、話し言葉やちょっとした時の仕草が、仲良し友人を思い出してくれて、ついつい長い時間の相談を受けることになるのでした。時々ニッコリとする表情があるのですが、お人柄が明るく穏やかな風合いが懐かしく感じてしまい、やっぱり親子というよりは父親のDNAが強く引き継いでいることがわかります。ついつい友人に診察をお願いしている錯覚になって、友人が生きていてくれたら、どんな声掛けをして元気をくれたのかが気になるところですが、若先生に友人を重ねて勝手にイメージを楽しんでしまうのでした。帰路はすっかり陽が落ちてしまった寒空になっていたのですが、帰宅する学生たちが元気に語り合いながら歩道をいっぱいに歩く仲間になって、しばし子供のころを思い出すことができました。普段の車での移動ではまったく触れ合いがない、生きた社会の風を受けて歩きながらの語らいの楽しみを、存分に味わいながらの帰宅となりましたが、JR車内の会話も面白く聞えて、けっこう有意義な情報を耳にすることができます。年末の遣り繰りを語り合う同年輩の方や、仲間と旅行に行く計画を語り合う中年女性や、電車内でも圧倒的に元気な学生たちは、もっぱらネットでのゲームの話が話題になっていました。世間の活きた会話を楽しめる環境を大事にしたいもので、日々老いていく時間経過の中でも、できるだけ世間の風を真に受けれる、ごく日常の生活を心がけていきたいものです。こうした経験ができるのも、すべては健康に恵まれた生活ができているからで、できるだけ身体も心も経済も、健全なままにできる努力を惜しまないように、改めて心がけていく必要を感じています。
2009.12.04
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これだけ情報が開放されて、洪水のようにマスメディアを通して、毎日流れていることがあっても、納得できない理不尽がたくさんあることが、実に不思議なことと思われてきます。ましてや政権交代がされて、民主党の鳩山さんが総理大臣であれば、清廉潔白な事業仕分け作業のように、YES OR NOの結着が心地よく運ばれることかと期待をしていましたが、お母様からの多額の個人献金は、まったく不思議で理解ができないことです。世間にはとてつもなく、お金持ちの人がいることは承知をしていましたが、これだけ圧倒される額を日常的に動かせるお宅は、果たしてどのくらいの数なのでしょうか。鳩山さんのお宅は、例外中の例外なのか、はたまた、上場企業の創立者とか財産家であれば、これくらいの額は日常茶飯事に取り扱っていることになるのでしょうか、とっても気になりますし興味もあるところです。鳩山さんのお宅の場合はその超多額資産の管理会社があって、会社の方が一切を取り仕切っていたそうで、その会社から鳩山総理と弟さんにも同様に資金が流れていたことを知り、まったくもって際限無しの資金力と甘い管理には呆れてしまいました。さらには、管理会社からご兄弟に高額が拠出された事実を、お二人はまったく感知されてなく、その事実に驚いたメッセージを、兄弟で口裏を合わせるように報道陣に語っていたのですが、我が家の経済情勢からすると、まったくもって理不尽なことばかりで、呆れてしまっています。すべてが政治活動に活用されたとすれば、政治とは政治家とは大臣とは、すべてお金しだいで左右されるものであることが、図らずも立証されているように思えるのですが、実態は如何なものでしょうか。一人の友人がいるのですが、同窓生とはあまり交わりが無くて、大きな事業をされていることは、何度か会食をする中で知っていましたし、会社の豪華な応接室で世間話をしている時に、資本投下の話しを聞かされていました。知れば知るほど聞けば聞くほどに、自分の生活環境にはまったく当てはまる場がないことを知らされていましたし、資産運用の知識や手段や度胸にはただただ降参の白旗でした。経営センスと人のスケールと決断力が、どう違うのか分かりませんが、一時には多額の債務を誇って自慢していた時があったのですが、ここ暫しのご無沙汰をしている間に、これまた驚きの声を上げざるを得ない事実を知ることになりました。総理兄弟が受け取った以上の投資資金で、企業買収をしている様子を知ったのですが、友人本人とすれば、どこでその経営手腕と決断力を身につけたのかが、とっても知りたいことで興味が沸いてきました。誰でもが同じように時間を過ごしていく中で、資産を築き上げて更には他の企業も手に入れる勢いとは、額に汗をかくだけではできない、幸運な巡り会わせと経営能力があるのでしょう。自分にはとんと縁のない高額を、簡単に動かす友人の金銭感覚と人間観に、強い興味をもつことになってしまい、是非機会を作って友人から伝授してもらいたいところです。俗に言うところの、有るところには在る底知れない大金をお持ちのご縁に触れることで、多少は裕福に暮らしてみたい欲気をもってしまいました。負け惜しみに言えることは、人間すべてはお金ではありませんし、人心の大切さを宝にすべきだと主張してしまうのですが、欲張ってしまい、お金も心も均等に身につけてみたいものです。
2009.12.03
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2月に急性心筋梗塞を患ってからは、お会いできる方とのご挨拶が、先ずは健康管理のお話しになることが多くて、寒さが一層厳しくなってくる昨今には、なにかと体調を気遣ってくれることが多くあって、大変に嬉しい思いをしています。できるだけ人に思い遣れることを意識して、人様から頂いている恩返しを心にして、同じような声掛けをできるように心がける毎日です。昨夕は久しぶりに夕刻の散歩を愛犬2匹としてみたのですが、公園で見かけて駆けつけてきてくれる方々から、お見舞いの声掛けをして頂き、体調を気遣って案ずる心配をして頂いたのですが、ただの顔見知りの方が気遣いをしてくれる現状に接して、思いもかけない長い話しをしてしまいました。公園には落葉樹である数種類の木々から落ちた葉っぱが積み重なって、人が歩くたびに、犬が飛び回るたびに、落ち葉を踏みつけるガシャガシャした、大きな音を聞きながら交流を楽しむことがでたのでした。公園のグランドを利用する、老人会のゲートボールの方々には申し訳なく思いますが、今だからこそ味わえる、落ち葉のじゅうたんの感触を楽しむことができ、子供心の哀愁の一時を味わうこととなりました。公園の散歩を兼ねて、JR駅前にあるATMで選択式宝くじを購入する目的があって、購入時間の制限があったため、気が焦ることとなってしまい、愛犬家同士の立ち話は終わり無く続くのでした。幾分お人好しに成長してきた性格があるのか、話中で人の話を押し切っても離れることができない優柔不断になって、時間ぎりぎりまでお付き合いをしてしまうのですが、こうした人との出会いもすべてが一期一会なのでしょうか。いつものコースでJR駅前を経由してから、大きな中央公園に向かって線路沿いを快調に散歩して行ったら、そばにあるホームのスピーカーから、人身事故発生で電車が運休している様子を案内されていました。世の中とは時と時、場所と場所での様々な出会いや別れがあるようで、同じ場面に遭遇しても、人の持つ価値観によって、自分の立ち居地を善悪に表現することができてしまうのだと、電車の来ない線路を観ながら、人の出会いとご縁の深さや、大切さを考えてしまいました。夕刻にあった銀行の講演会に倅と一緒に参加して来たのいですが、知り合いの方に倅を紹介する際にも、承継人を引き合わせることができる、喜びが先に感じられてしまい、なるべく自嘲を心得ながら交流を心得ていました。今の躓いている事業を健全にさせてこそ、本物の事業継承が完璧にできることであって、金融機関の方々もヨチヨチ危なっかしい親子の姿をじっと観察をしていたようでした。袖振り合う方、貸し借りの関係の方、そのお付き合いの度合いは区々ですが、先ずは自分が元気に健全になって、しっかりと生きていくことこそが、最優先されることを知るべきでしょう。その一日の間で出会い語り合った方々のご縁を大切にして、共に成長できる方向性がとても嬉しいこととなっていくことに、人様のご縁に感謝をしていますし、強いつきの力を受け止めているところです。
2009.12.02
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今年最後の月に入ってしまいましたが、今までは合服を着ても間に合っていましたが、暖冬のなかでもそろそろ、冬物を身につける時節になってきたようです。師走の月を温暖な快晴で迎えることができて、内心ホットしているところですが、あっという間の一年の時間の流れだけが事実としてあって、大変な思いをしてきた苦難から解放されないことが、達成感無き感嘆だけを味わうことになっています。365日の頑張りのお陰があったからこそ、こうして生きていれるわけですが、目の前にある難題を突破してこそ、大きな充実感と達成感を、きっと満喫することができるのでしょう。我が家の目先には、高圧鉄塔が空高く聳えているのですが、冬の寒空になってから工事が始まって、早朝から作業員の声が澄んだ空気の中で聞こえ、高所からの声がランドスピーカーのように、身近に響いて聞こえてくる日々です。定期的なメンテナンスなのでしょうが、高圧鉄塔の遥か高いところでの作業は寒く、さぞかし危険が多く伴って、時々に万難の注意をはらっていることでしょうし、安全対策は徹底的に図られていることでしょう。寒風吹き付ける早朝からの作業は、それなりの意味があるのでしょうが、最近になって四方を布で覆ってしまい、寒風を除けている気配なのですが、鉄塔として存在していた馴染みさが消えて、偉容に大きな構築物に変貌した様子を見上げることになっています。日常に慣れ親しんでいた鉄塔ですが、構築物として目にすると、奥行きがあってボリューム感があり、その偉大さに驚かされてしまいますが、身近にあるすべてのものに、模様替えをした姿を思い浮かべる効果を考えさせられています。人間にも同じことが言えて、なにかと当てはまることができそうに思うのですが、何事も一面性の偏った見方は良くないことですし、本来もっている信実を見出すことができる自己能力を、素晴らしく発揮させてみたく念じています。普段は自然に交流をしている方の中にも、年齢に関係なく接することができない能力を知ることがありますと、とっても新鮮で感動をしてしまいますし、自分以上の能力を発揮してくれると、少々嫉妬心まで湧き上がる不思議な感情になってしまいます。今日の会合のなかであった、大事な趣旨説明をする若い方がいたのですが、浅いキャリアーを思うと内心で心配をしてしまったのですが、堂々とした発表振りに接して、意外な展開に驚きと賞賛をしてしまったほどです。長年改善されながら積み上げられてきた内規を、ものの見事に改善させてしまい、その要点の説明までも完璧にこなして伝達してくれました。会議の中では反論をする隙がなかったのですが、ぷらぷらと帰路についている時に、良きアドバイスが思いつきましたので、これからメールで指摘をしてあげようと考えています。役職が人間性を変えることを知っている心算ですが、若いキャリアーが無い方の偏見の一面性を捨てて、役職という衣を羽織った輝いた一面さを知ることになりました。それなりの役職の責任を持つことから、多きな進化が約束されて、自信という誇りを身につけて、堂々と意見主張をされる様子が嬉しくて、自惚れることなく何時までも自重を心がけて、今後も大きく成長をしてもらいたいものと期待をしています。
2009.12.01
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