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今月も今日が最後で月明ければ、年末になってしまう時間の経過が早すぎる思いをしていますが、いつも建設的な意識が薄れてしまい、ついついひ弱な愚痴を並べてしまう日々になってしまいました。年末を迎える12月こそ、元気溌溂させて明朗闊達な生活を目指して、日々活き活きと活躍してみたいものですし、そろそろ情けない愚痴から解放させたいものですし、頑強な大人らしい堂々さを身につけてみたいものです。何時までも分からず屋の幼稚なままでは、家族や事務所のスタッフに大きな迷惑を掛けてしまいますし、日ごろ支援をしてくれている皆さんには、恩返しのお礼を伝えてみたいものですが、目の前に抱えている難題は、あまりにも荷が大きすぎる思いがしています。午後に行った月末の金融機関は、駐車場が満杯な情況で、二回ほど時間調整をしてから、窓口に伺ったほどでしたし、年の瀬の忙しない雰囲気を感じることができ、皆さんが遣り繰り上手を発揮されているようでした。人の数ほど、様々な悩みや思うように進まない情況を、抱えていらっしゃることは理解できても、落ち込んでいるときには、自分だけが上手くいかないことを誇大に考えてしまいがちです。どんな難題でもあくまでも誠心誠意をもって、真正面から解決に向き合っているのですが、上手くいかない時というものは歯車が噛み合わないものでして、遣り繰りと言う潤滑油を差しながら何とかその日暮らしができているだけでも幸せなのです。引き続いて尋ねたお役所でも、何組かが係官との問答の模様が聞こえてくるのですが、不安定な経済情勢がヒシヒシと伝わってくる遣り取りですし、対峙している厳しい環境に同情心が沸いてきたり、不思議な仲間意識を感じてしまったのでした。何年か前に確実にあった余裕のあった生活ぶりですが、今こうして、厳しい遣り繰り算段を専門化にすることが日常化してしまうと、一騎解決の背策は無理でも、いろいろと沸き起こる知恵をもって、乗り越えられることを学んでいます。少々責任回避をしていることがあると、世間に対して申し訳なくなってしまい、自分を萎縮させながら一歩も二歩も引き下がっての、素直で謙虚な姿勢になってしまうのですが、世間からの大きな叱咤であることを受け止めています。今までの乗気で自惚れた時代を忘れて、しっかと反省もして、自重できる大人を目指していく中で、絶対に好機が廻ってきてくれることを信じさせてもらいます。絶頂期の好機到来を予感しながら、あくまでも心得を重きにして、世間との皆さんとの協調を目指していくことを念じていますし、今回借りている様々なお返しをしっかりと実践させることを念じます。一人勝手な驕りでなく、世間に生きていれる現状に感謝をして、起死回生の報恩を心の中から実行するための努力を、固く心の奥に誓いたいものです。あくまでも自分自身の責任として、もった償いをする身であることを再確認する絶好の機会になていることを認識して、今なんとか生活できている全てのご縁に対しても、ありがたいご指導であるとして、頭をさげ手を合わせて感謝の日々とすべきなのです。
2009.11.30
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ケチであることは自認のことで、改めて人に言われても納得をしてしまう性格ですが、家の外にでると気持ちがでかくなってしまい、根に持つ大雑把な性格が頭をもたげることがたびたびになっています。俗に言われる外面が良いのか分かりませんが、屋外では人様からの親愛が深いことが嬉しく、自分の誇りにしてもいるところですが、厳しい言葉で評価をされれば、物事の判断が甘いのかもしれません。若く新しい市長が誕生してから半年間になりますが、市の事業見直し作業が進められて、一般ごみの選別作業をより細かくして、二酸化炭素の排出を削減するための、ごみの選別を細分化させて、ダンボールと雑紙のリサイクル回収を始めました。紙類の選別によって、可燃ごみの削減とCO2の排出を抑える環境保護を前面にだして、市としても積極的なクリーンエネルギー対策をはかっています。若い市長が先頭になって、自治会への協力依頼と指導に努力してくれて、その削減効果が大きな数字として表れてきていることを、市長直々にブログに書き込んでいますし、一層の啓蒙をしてくれています。明日は雑紙の回収日とあって、夕刻になってから倅が選別作業をし始めたのですが、頂き物の空き箱が素敵で、何か書類整理に活用できると別に置いておいたのですが、そうした考えでもって重ねてある空き箱が、結構な数で積み重なっている様子に、倅が小言を言っているのです。何かに用立てるからと考えて、保存してある空き袋とか空き箱があることを、倅とすればケチだから何時になっても整理ができないのだと、小言や忠告ですまなく、本気になって責めてくれるのでした。要るものと不要のものをしっかりと選別する厳しい意識をもって、資源ごみの回収に協力をすべきであることを、積極的にしているのですが、まだまだ貧乏性から悪癖をしてしまう、不要不急品の保存に夢中にさせてしまうのです。新しく溜め込もうとした化粧箱は、先日訪問した台湾の友人がお土産でくれた、地元のお菓子が入った大きな化粧箱で、A4サイズの資料を小分けして保存するのには最適で、がっちりした作りにほれ込んでしまった箱でした。居間の端で一生懸命になって、ダンボールを組みひもで縛っている倅が、不満の様相をしながら、今度の箱は何に利用する気なのかと、厳しい顔で質問をしてくれました。その言葉を追いかけるように、家内からも同じような意見がされてしまい、確たる意思が揺らいでしまうのですが、言われてみれば、結果的には活用されない大小様々な化粧箱が山に成ってゴミをかぶっているだけなのです。根がケチだから要らないものが増えてしまい、要るものが増えないのだと、自問自答を繰り返しながら、心底からの反省をしているところです。なに不自由なく生活をして成長してきた、若い人からすれば、目的も無い箱や紙袋を何故に溜め込む必要があるのか分からないのでしょうが、きっと適切な使い勝手ができることに期待する一時があるから、根がケチ人間とすれば、小さな充足感を満足させているのでしょう。思い切って資源ごみにするために、化粧箱を分解作業しながら思うことは、ケチの妙薬を一度でも味わってみたい気がしています。
2009.11.29
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世の中には思いもよらない大きなスケールがあるもので、建物で言えば空港とかの様々な構築物が異様なほどのスケールで目に見えるのですが、東京では新しい東京タワーが半分ほどの高さまで出来上がってきました。電車でも車でもビルとビルの谷間から垣間見れる姿は偉容で、この先日増しに延伸していくのでしょうが、その姿を追う目線は回数が増えていきそうです。先日に訪問した台北でも、台北101のビルがラウンドマークになっていて、どこからもその同堂々とした姿が見上げることができましたし、展望台に昇っても眼下に広がる台北の町並みを一望して、鳥瞰を楽しむことができました。新東京タワーも完成の暁には、全国から観光に訪れる方が増えることでしょうし、新しい発見や思いもよらない効果が出るかもしれませんし、目新しさの興味心はつきないものがあります。完全にできあがる経過の中でも、夢を持てる時間や様々な楽しみを提供してくれるのですが、完成後にある新しい発見が及ぼす効果がどんなものなのか、今から楽しみにできることとして待たれます。台北101にしても、今では中国大陸からの観光客がほとんどで、免税店にしてもお土産屋さんにしても、集団で買い物をして元気におしゃべりをしている集団は、大陸からの観光客の方々であるのでした。何十年も前にあった、日本の農協さんが団体海外旅行を行ったことと、まったく同じ様子に伺ってしまったのですが、身につけている衣類や携帯品や身の仕草が、遠慮なしに買い求める姿に驚きを隠せませんでした。午後になってから倅の誘いに乗ってしまい、小1時間離れたところにあるホームセンターに行ってきたのですが、初めて訪れた新開地に建つ異様な大きさの建物に、ただただ唖然として驚きの声ばかりでした。二階建ての延べ床はどのくらいの面積があるのか、凡その推測もできない位の、とてつもない直線に伸びた建物を歩いたのですが、ほぼ2分間はかかるほどの長さがありました。端から端まで歩いてみたのですが、先端がかすんで見えない情況は、例えて表現をする言葉が無いくらいの初体験となりました。新東京タワーのようなラウンドタワーであれば、空中高くに伸びる姿はそれなりの評価をしやすいのですが、地面に這い蹲る構築物はある程度の距離感をもって視野に入れる必要がありそうです。東京ドームで観戦したりした経験から、ある程度は構築物の比較をできるとおもったのですが、センターまでの120メーターとも、比べる目安の対比が見つけられませんでした。所狭しと並んだ豊富な商品も探すことが大変なほどで、初めてのお客さんはどれほど歩くのかと、人事ながら心配をするほどでしたが、時間があれば買い物の楽しみになるのかもしれません。比べるものが無いことの驚きとは、なにも構築物だけでないわけで、人様との初対面や交流の中でも、その対比にする意識によっては、とんでもない評価をする可能性をもっていて、人間関係の構築が大きく狂わせる要素にもなってしまいます。全てのはかりごととは簡単にはすべきことではないし、自分がもつ錯覚の範囲を踏まえないと、とんでもない計測や価値を見出すことになりますので、できるだけの平常心と観察眼を心得て、人様にも構築物にも当てはめて見当をしていかねばなりません。
2009.11.28
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今朝の起床がだんだん億劫になってくる時期なのですが、昨日摂取をうけた新型インフルエンザのワクチンの反応なのか、少々身体が火照る気配を感じていました。起床する際の気だるさがあったのは、おそらくは、昨日上京した時の肉体的や精神的な疲労感も重なって、起床時がすっきりとベッドから起きれなかったことと推測をしています。昨日の移動の電車内で、久しぶりに読書三昧をした目の疲労感もあるようで、パソコンの文字を読むことが霞んでしまっているのですが、車内で読み更けっていた月刊誌の致知誌の記事から感銘を受けたことでした。いつも2冊の致知誌をカバンに入れて、できる限り目を通しているのですが、いろいろな場面で失敗やつまずきをした際に、なにくそと立ち上がってきた経験をされた方の言葉は重く、何度読んでも心底引き込まれてしまいます。何代も承継されてきた歴史ある老舗の後継者が語る、苦難の道や屋号を護る継承のエネルギーは、外部からの人知れない深い薀蓄と要因を感じさせます。有名無名の、いろいろな方が記述されているのですが、成功を収めた方ほど皆さんが同様に語るのは、自分自身との闘いがあったことで、どんな場面でも踏み越え乗り越えてきた経緯は、とても重く大切な言葉の至宝を感じ取ることができます。一様に思うことは、皆さんが無難平穏に過ごしている方は少なく、何かしらの起伏を乗り越えて、全霊で艱難と向き合って生きていることでした。すべての出来事に対峙して、努力工夫ができる自分を形成できれば、自ずと難題が解決する場面と遭遇できる経緯を知れば知るほど、今自分が直面している艱難を氷解させるための、心の持ち方が学び取れるところです。いつも致知誌や発行本を読む中で感じることと、あわせて願うことは、文章の書き込み能力を学び磨きたいことでして、こうした日々の書き込みにも、上手く表現ができるようになりたいものと思っています。人様の文章を読むことは好きですが、同じ境遇になっている方の思いを文字化する作業は、その人のもつ人格が自然に表現されるものですから、できるだけ書き込み能力を高めて、読む方の感動を得れる努力をしたいものです。とは言っても、事実や経験を装飾して文章を構築したところで、与える感動は薄いものとなりますので、意識を高める学びと素直な表現こそが、自分がもっている人間性をそのまま表現させることができるのでしょう。そのためにも、普段から人様が書き表した文章を読み込んで、何度も何度も繰り返す読書から、自分自身の能力として表現させることができる文章が、上手に誕生できることと期待をしているところです。苦労や艱難を経験していることでは、人様にも負けない自信が有りますし、たくさんの体験から生かす理念も持っていますが、伝えられる表現能力はまだまだ努力がたりないようですので、しっかりと勉強をする自覚をもっていくことになります。難儀を抱えて複雑に心境が揺れ動くときにこそ、月刊致知誌に掲載された方々の人生哲学は、自分自身の鏡として先達として、身近に学ぶことができているのです。
2009.11.27
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快速電車で行こうか特急に乗って行こうかと、JR東京行きの上りホームで悩んでいると、新型車両の成田エキスプレスが到着しました。この列車は全席が指定席であることは知っていたのですが、発券までがすべて前もって購入しておくべきそうで、乗車をしてからは、車内精算をすることはできないアナウンスがされていました。雑踏の中でアナウンスを聴きながら、ホーム上で時計を垣間見て考えてしまったのですが、できれば特急を利用して、到着時間を早くしたいと願っていたのですが、ホーム駅員の一言で断念をしてしまいました。5分遅れの快速電車を利用したのですが、比較的ラッシュで座る席が無く、そのまま二階席があるグリーン車に移動して、席を求めて座ることができたのですが、前もってホームでの手続きができないままの着座ですから、新たに発券の必要があって、当然に割り引き価格でないままでした。発車してから間もなくやってきた、女性の係員がグリーン券の支払いのチェックでやってきたのですが、気の毒そうな顔をしながら、1000円の請求をしてくれました。最初からグリーン車を利用すると意識があれば、そうした利便性のある仕組みを利用するのですが、今日の東京行きはすべてにちぐはぐになってしまい、後手後手の反省が重なる連続となってしまいました。がらがらのグリー車で発券手続きをしている間、愛想の良い女性係員に発券の仕組みを訊いていたのですが、成田エキスプレスは規定では前もって発券をしてから乗車する決まりですが、飛び乗りしても車内で精算ができるそうです。実はこの女性係員は、同じホームでグリーン車に勤務乗車するために待機していて、私の迷っている様子をすべて見ていたそうで、時間が無かったのであれば、エキスプレスに乗車すれば、20分も早く東京に到着できたことを勧めてくれました。併せて、グリーン券もなるべくホームで発券したほうが200円も御得ですので、今後の参考にされて利用してくださいと、丁寧で愛想よく親切に教えてくれたのです。今朝は比較的ゆっくりと家を出た心算ですが、乗換えで判断力が無くホームをうろうろしたり、乗車する電車を決めかねたりしていた様子を、しっかりと観察されていたわけで、発券作業を終えた係員からは、暫し利便性のある乗車方法を教えてくれましたし、降車後の乗り換えまでサービスをしてもらいました。乗換えをした駅のホームにいた係りの方が、もっと機転を利かせてくれて、特急成田エキスプレスの利用を勧めてくれていれば、グリーン券も特急券もさして価格が変わらなくて20分も速く到着できることの有益性を学ぶことができました。知っているつもりの情報はたくさん有るのですが、利便性をもって有益に活用させることには、それなりに有効活用をする必要があって、時々の経験則から生きた情報を身につける必要があることも再認識できました。普段は素通りする成田エキスプレスが利用できることを知って、今後の上京時にはもっと快活に利用をして、好きな本を読みふける至福の時間を作ってみたいものです。
2009.11.26
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クラブメンバーが待ちわびていた、表彰バナーが漸く届いた情報が入り、その事実確認をしてから関係した皆さんに報告をしているうちに、皆さんから大きな喜びと安堵の声が伝わってきました。ほぼ半年前になりますが、所属するロータリー・クラブの奉仕活動のひとつに、教育的と人道的な奉仕プロジェクトを目的にする財団組織があって、世界中のロータリアンが積極的に寄付行為を行っています。活動内容の一つには、世界平和を目的にして主だった都市の大学において、世界平和フェロープロジェクトの学生を派遣して、国際平和を目的としていることも、我々ロータリアンとしても、大きな誇りのひとつになっています。最近の大きな奉仕プロジェクトは、地球上からポリオを撲滅させるために、集中して寄付を募っていているなか、世界のIT覇者であるビルゲイツ財団から、連続して大口寄付を受けることになり、ポリオ撲滅の運動は、ますます心強くなっているところです。ロータリー財団は、いろいろ有るロータリー運動の中でも、もっとも核になる奉仕プロジェクトで、長年に亘って世界中へ奨学生を派遣するなど、国際交流の架け橋と教育的なプログラムは、大きな成果と国際親善を果たしてきました。世界中に200もの国家や地域から、100万人ものロータリアンからの善意の寄付を集めて、まだまだ様々で有益な奉仕活動をしているのですが、日常の寄付行為に対して、ロータリー財団からはそのたび毎に表彰制度があります。個人の表彰対象は勿論ですが、クラブ単位としても表彰があって、今回は全員が認証を受けられるシステムが達成でき、100%の認証記念バナーを受け取ることができました。この事業を完結させる目的で昨年一年間が、多くの皆さんの御尽力を頂きながら、何度も修正や再度の手続きを繰り返して、漸くR財団本部への申請手続きとなったのでした。この間にあった関係者の努力は大変なもので、各方面への連絡役を担った身としても、漸くたどり着いた達成感よりは、ほとほと労力への疲労感が強く感じたことでした。その苦労に報いる形で、待ちに待った認証バナーが、漸くクラブ事務所に配達されてきたことを確認できたわけです。ほぼ半年間はロータリー日本事務局とか、管轄の地元のガバナー事務所とかに、何度も進捗状況を尋ねたり、途中にあった訂正追加寄付もあったりして、メンバー数分の煩雑した事務作業をこなした時間は、大変な集中度をもって煩雑に作業が進められました。事務的にも結構困難な作業をこなしてきたのですが、今となっては大変に嬉しく楽しい思い出になっていますし、メンバーのためにも啓蒙になったり、世界の人様への奉仕にもつながったりしたことが、大きな精神的な自負を強めることができました。できるだけ積極的にクラブ行事に参加をすることから、より深くロータリーを理解して、一層ロータリアンの品格を磨き上げて、より多くの仲間との出会いと交流ができることを、心強く期待している日々です。ロータリアンの一人として、日々自分が持つ職業を通して、世の中に向けて奉仕の心を磨いていく日々ですが、人のために尽くせる喜びを満足させるために、先ずは謙虚で協調性をもった、温かい人間性を磨いていければと願っています。わずかな額ですが、ロータリー財団への寄付行為をすることで、一人でもひとつでも財団の奉仕活動に役立ってくれることを念じて、財団の組織と活動に心からの支援をしていくことが、ロータリアンの役目であることを認識しているところです。
2009.11.25
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虫の知らせというか、予言的な波長を察したのか、昨日から韓国のニュースを気に留めて、聞き耳をたてながら、先輩の近況を心配していたのですが、実際に思っていたことが実現している現状に、こんなこともあるものだと首を傾げているところです。朝早くから携帯電話が鳴ると思って発信者名をみたら、正しく韓国の先輩からで、病気も回復し元気な声を聞かせてくれまして、再会したいから訪韓の予定を付けてくれとのことでした。電話で話を聴きながら思ったことは、昨日の予言的なテレパシーが実現して、なにやら面白い先行きを予想できたのですが、更には電話中に来客があって、家内の友人が尋ねに遣ってきてくれました。何年か前に色々と身の上相談をしてくれ、心強い支援をして頂いた方が、神奈川県にいらっしゃるのですが、最近にその方と家内の友人がお会いして、偶然に私のことを話題にだしてくれ、最近大きな病気をしたでしょうと、言い切ったことを伝えてくれたそうです。神奈川の方は当時から非常に鋭い勘をお持ちで、予言的な能力を垣間見れる方だと思っていたのですが、ほぼ4年ぶりの今になって、他人の私のことを思い出してくれて、闘病生活の身を心配してくれるとは正直に驚いてしまいました。家内がこの事実を教えてくれながら、きっと4年前と同じことで、再度身の上話を聴いてもらうべきだと言い張ってしまい、結局面会約束の電話を入れることになり、来月の初めに再会する運びになりました。重ねて、出先から事務所への帰路ですが、お付き合いのある金融機関の担当者が入れ替わって、新しい担当者との面会が偶然にできてしまい、詳細のお願い事を伝えることができたことが、なんとも不思議な捗りになっていることでした。世に言う虫の知らせではありませんが、ふと昨晩に思ったことが今朝に実現したことと、久しく会っていない遠く離れた人が、奇しくも私の健康状態を見透かしてしまうことを、併せて不思議に受け止めながら、考えさせられてしまいました。人のもつ超能力とはどれほどのことが有るのか分かりませんが、予言が実現されてしまうことが、偶然のこととしても実現されることを、予期せぬ幸運に結びつけるべきだと思ってしまいます。こうした偶然に重なって起きることがテレパシーと言うのかさえ、具現的に説明ができないのですが、予知能力的な虫の知らせがあって、偶然のご縁から幸福が身近になることを願ってしまいます。これまた、夕方に事務所に来訪されたエージェントの方が、この世の中は建て前だけでない、不思議な巡り合わせの連続の中で、その人のもつ能力が開花されている事実が、様々に多くあることを話してくれました。時の運もあり、人の徳もあり、その人に備わっている超能力とは、積極的で前向きに意識をもって、だれかれなく人情味を温かにしていれば、いつかは神仏のお加護が見守ってくれることを予言させてくれるものでしょう。人とは決して一人で生きていけないことを知り、助け合って支え合ってこそ、人の度量の大きさを発揮させることができるのです。毎日を神仏に手を合わせながら頭を垂れて、生きていれることに感謝をしているのですが、日々接する人々や物事のご縁があればこそと、心新たにして偶然の出会いの相手を大切にしていきたいものですし、偶然の相手の方からも大事にしてもらいたいと思います。そのためにも、相手を思い遣る心構えを強くして、常に感情を豊かにして、相手を幅広く予知することとし、偶然の最善事が逞しく強く受け取れることを信じたいです。
2009.11.24
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これだけ情報が錯綜していると、自分自身のなかで必要であることを認識して、しっかりと整理をしていかなければ、不要な情報に埋没されてしまうことを心配しています。何かしらの情報を知り得ることは、心の豊かさと安心感を身につけることができ、更には感情的な高まりとともに向上心が増してくれるものです。知識や新しい情報に巡り合える幸せは実に嬉しいものでして、こうした環境に身をおけることが誠にありがたく、喜びの時間をじっくりと味わうことができています。今日には配信を受け取っている、メール・マガジンの整理をしていたのですが、マガジンを書き込んでいる方々は比較的若い方が多くて、ご自信の考え方や高い意識の見方が新鮮で、非常に感化される場面が多くありました。結果的には、随分とたくさんのスクラップ帳へのコピー作業ができ、沢山のフォルダーができあがってしまったのですが、いつかは役に立ってくれることを期待して、溜まりに溜まったメール・マガジンを読み漁っています。マガジン発行者別にフォルダーを作成して、数え切れない多くのスクラップをしてあるのですが、辞典や辞書と同じようにして、何時か活用できる時を楽しみに、情報の宝として心の安らぎとしているところです。ほとんどのマガジン発行者が30歳代から40歳代の若い人達なのですが、皆さんが一様に勉強熱心でして、鋭い観察眼をもっていますし、感性が豊かでとても羨ましい思いをしています。マガジンを毎日発行する意欲とエネルギーは、並大抵の意思ではできないことを、自分自身の経験から理解できていますので、マガジンにはできるだけ丁寧に、目を通すことに専念をしているところです。自身が備えている、その時々のエネルギーによっても違いますし、気分の持ち方によって、まったく違ってくる思考能力は、書き込みをやっている身で無いと理解できないことですが、配信をしている身とすれば、愚痴を述べたり言い訳をすること事態、非礼なことだと思ってしまいます。発行するからにはそれだけの責任を持つべきだし、できるだけの努力を惜しむことなく邁進をすべきことと期待をするのですが、発行当事者とすれば、好きだからこそ自身の責任でマガジンを配信することができることに、深い喜びと自負がもてることなのです。自身の経験からすれば、下手で稚拙な文章をどれほどの方が目を通してくれているかは分かりませんし、厳しい評価の判断をされることを、当然のこととして受け止める覚悟をもって、配信者としての自覚を強くもっています。書き込んである文章の内容に、すべての責任を持っている分けではありませんが、持てる能力の最大限を発揮させて、漸く発行の手続きを終えることができた時の、実に気分が好い開放感と達成感を味わうことができています。出来栄えは別にしても、毎日の配信ができていることを自分の至宝にして、こころの深いところに自信をもっていれることは確かです。読者の方の数は別にして、日々配信を続けていれる事実を誇りにして、人生の大きな支えにしていけて、自分自身を褒めてあげれる要素があることが、非常に自慢ごとで嬉しいことになっています。配信仲間共々、この秘かな喜びと楽しみを共有できる環境を大切にして、一日でも長く継続できることを願っていますし、欲には文章の書き込み能力が上達してくれることを、本気になって願っているところです。
2009.11.23
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朝からの氷雨ですが、昨日までの旅の疲れが気だるく感じられ、身体全体が鈍いままに、旅の後片付けと併せて仕事の整理をしています。昨日までは、旅慣れた方々の仲間の一員として、計画された日程のままにのんびりと過ごしていたのですが、帰宅してからは厳しい現実の中で、如何に言行を工夫して、誠心誠意をもっとうとしていくことの現実を確認させています。外気がこれほど寒くなってくると、旅の疲れどころでない現実の苦労が重く感じてしまいますが、こんな今でこそ現実に確りと対峙をして、諸般の艱難を乗り越えていく気構えと勇気が大切に思うところです。ついつい愚痴ばかりが先になってしまいますが、人間味があっても、気弱さが大きすぎてしまうことを懸念しているのですが、生きる意欲とは、生甲斐を如何に保持するかによるのでしょうし、どのようにも対応できる能力を構築させることでしょう。闘争的な能力を望むことではなく、強い信念をもって生きる正義使命を身に持つことこそ、日々の生きる役目を果たすこととしたいものです。所詮は意気地なしの弱虫であることを自覚していますが、人に負けない信念だけは頑なに持っていますので、変になって頑固なまでに反抗心が強いのかも知れません。自分に備わっている力量の範疇を理解できないことが、大きな欠点としてありますが、世間的には十分にお役になっていることを誇りとして持っていますが、こと経営的なセンスが無いためなのか、欲張りでないのか分からないのですが、喘いでいる現実を情けなく思うのです。特段高い技量や能力は持っていなくとも、その時代時代の流れに上手く乗ることができる方が見受けられますが、どこの能力が違っているのでしょうか、経済的に余裕をお持ちの方がとても羨ましく見て取れます。今回の台湾への旅の道中でも話題がでることがあったのですが、経営が上手く行って、経済的な余裕をお持ちの会社や事業所と家庭でも、何かしらの困難を抱えていることが話題に出ていました。誰しもが一見するだけでは感じることができない、様々な苦難を抱えている現実を知り、順調である企業所であっても、現状の不安定な経済情勢を心配して、いずれにしても生きる苦難は、誰しもが大小持つ共通なことであることを再確認してきました。時代の変遷は必ずあることを学んできていますが、これからの先行きを考えると、何時どのように変化がされるかが不安であることを、素直に身に持って潜在化しているのです。皆が同じ土壌にいて、体験する機会は時差があるだけのことを認識して、あまり恐れるなと自覚をしていますが、自信過剰や喪失することなく、自惚れることなく一生懸命に粛々と生きることが結論であることを、何回となく確認しなければいけないのでしょうか。ついつい繰り返してしまう愚痴は自慢にはなりませんが、決して萎縮することなく、良善な生き方だけを確りと堅持していきたいものです。
2009.11.22
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何年間も同じことを経験していても、何故だかまったく同じ感情をもって、感動の別れをすることが、とっても不思議に思えるほど陳腐化していないことを、静かに心の中におきとめているところです。普通であれば、慣習化して感動の部分が希薄しても可笑しくないものですが、心の中から沸き起こる情感は抑えることができなくて、自然のままに任せるしかない心の揺さぶりを、何度も経験できる喜びとして味わっていこうと思っています。今回も台湾・高雄に来て実感していることですが、何年間も付き合いのある友人との交流を終えて、新幹線の橋上駅で別れの挨拶をしている時に、どうしても抑えきれない感動が沸き起こってきます。ご家族を含めて大勢の方々から見送りを受けて、皆さんから病後の励ましの声掛けをうけてしまい、会食の際には演台に紹介をされ激励をうけるほどで、皆さんからの友情が嬉しく、長年の交流が形骸化されていないことを享受できました。現地到着時には大歓迎のなか、久しぶりでの再開に心置きなく握手をして歓談して、嬉しさのままに笑顔を見せ合って済むのですが、ひとたび別れの時になると、胸に詰まるほどの感情が沸き起こってきてしまいます。決してお座なりでない心をこめての接待を受けて、どこまでも心の篭ったお付き合いを深めるのかと不思議に思えるほど、真剣になってお付き合いをしてくれることは、国民的な事情があるのか理解ができない嬉しさがあります。二日間の大歓迎振りは心からの歓迎をしてくれて、決して形骸だけではなく、心から交流をしようとする姿勢と、心の中からの親愛を伝えてくれる事実でした。空港や駅で簡単な握手で別れても可笑しくは無い不思議さなのですが、理屈抜きでなくごく自然に身体を引き寄せてしまい、お互いに抱き合っての感情の表現は、長年の親交と信頼や信用の積み重ねがあったからこそであることを、独りになった今こそ心の底からにじみ出てきます。忙しい中で一生懸命になって歓待をしてくれる友人たちが、わざわざ心配りをしてくれる姿からは、人を思いやる優しい心の持ち方を教えてくれるようでした。表面的なおざなりな交流をするだけであれば、長い年数は積み重なることができないものですが、ほぼ付きっ切り状態での面倒を見てもらっては、ただ恐縮をすることではなく、人との交流の真心を表現する姿勢を学んでいます。人様からうけた恩義は人様に恩返しをするべきだと、改めて心得をしているのですが、心得をするだけでは、まだ思いやりが足りないことを知らされた旅になりました。たまたまあった会食後のお話し合いで、高雄を訪問したきっかけと、その歴史を披露し合う機会があったのですが、半分の方がその事実さえも理解できない事実を知らされました。高雄の方々との深いお付き合いができる、現状の背景にある歴史の積み重ねが、人の絆を深めている真実を、しっかりと次代に伝道すべきであることを、大きな役目にして達成して以降と覚悟をしたところです。
2009.11.21
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久しぶりに雲の上に出てみますと、地上の曇天と打って変わって太陽の光が燦燦と降り注いでいますし、空中に浮かんでいる身の異空間が、不思議な幻想的思いにさせてくれ、地上でもどかしく生きている日々を、空中から改めて考え直してみることができています。台北に向けてのジャンボジェット機は、満席の盛況振りで、若い方々のツアーで賑わっていましたが、成田空港を離陸する時間が長く、フルスロットル状態でも滑走時間が長く感じて、漸く離陸できた機中では、瞑想する心の中を覗いてしまいました。ジェットエンジンの最高エネルギーを回転させながら、満員の乗客と荷物を満載して地上から空中に向けて上昇する姿は、苦難を背負っている今の自分の姿をみせられているようで、ジェットエンジンの強いエネルギーに刺激を受けて、自分の進む行く道を重ね合わせてしまいました。飛行機が持つ能力の最大限を使うことで、天空高くに昇ることができますし、たどり着いたその結果が、神々しく燦燦と降り注ぐ太陽のエネルギーを享受できて、順風に穏やかな飛行ができることです。一時の集中する頑張りができれば、その時に経験べきハードルは乗り越えることができることを、改めて心の奥に強く置きとめることができました。自分の頑張りと踏ん張りがあればこそ、地上から空中への飛行目的が果たせることができ、天空の平和で素晴らしい光景にも肖ることができるわけです。心地よいジェットエンジンの振動と排気音を感じながら、窓から刺しこむ太陽の光を目うけて思うことは、これからの歩む中での人生で、あらゆる艱難が繰り注いでも、何とか家族の力を結集させて、安泰への大きな推進力を発揮させてみることでした。出発を待つ間にも観ることができることは、飛行機が空港内で移動して滑走路に辿り着くまでのサポートは、数知れない方々の支援を受ければこそ、安全にその役目を果たすことができている事実を知ることができます。人生でも同じことが言えるようで、生きるうえで多くの方からの支援や援助を受けながら、自身の生活向上にむけて、一生懸命に役目を果たす日々があると信じます。到着した台北から新幹線で移動をした南部の街高雄では、台湾の大勢の友人達に出迎えられて大歓迎を受けることができ、うれしくも、病後の身体の心配をしてくれ、心からの友情のありがたさを感じてしまいました。古い友人から教えて頂いた言葉ですが、大災迎福と言われ、大きな災難の後には必ず大きな福がやってくるので、今からの将来を安心しなさいとのことでした。涙が出るくらい嬉しいことで、きっと天空の神仏から天恵の授かりごとがあることを、心から強く信じたいものです。そのためにも、ジェットエンジンと同じように、一心不乱になって持てる能力を精一杯振り絞ってみることが最善の手段なのでしょう。苦しいときには目の先しか視野がありませんが、その辛苦を乗り越えたときにこそ、輝かしい太陽の恵みが待っていてくれることを信じて、乗り越える努力を一生懸命に発揮させるべきです。心温まる歓迎をしてくれた台湾の友人達にも、感謝の恩返しをするためにも、大災迎福を信じたいものですし、福を肖るための努力をしていくことだと確信したところです。
2009.11.20
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世間の中で、様々な人々との交流ができることは嬉しくて、実に張り合いのあることに感じていますし、仲間や友人との交流の大切さを実感しているところです。普段にいくら孤高に自分を意識しても、所詮は顔を合わせての交流がなければ、孤高どころでなく孤独な存在になってしまう気がします。人が生きる世界では、ステータスと言った言葉や孤高といった言葉は、自信が思って表現をするのでなく、人様から評価をしてもらえる事実があると思います。世間の目から頂く評価があってこそ、その人の存在力であると思いますし、真の人間味が生きてくるのだと信じていますが、とかく自身を自身が自惚れてしまう恐ろしさがあります。いつの時代も自分自身が人間性を磨いていくことが、最優先に意識することができれば、さらには、いつでも勉強熱心に学ぶ姿勢をもてる心構えをもつことで、自ずと内面的な充実感を発揮することができると思います。人は変わると言われますが、良くも悪くも、その人がもつ資質を高めることから、人様からの見方や評価が変わってくるようです。それにしても第三者的な表現ではなく、フェースツーフェースの人の心の鼓動が分かる範囲の交流をする中で、お互いの相違を認め合える思いやる心が宿ってくるようです。批判的に観ていた人に一歩も二歩も近づいて、寛容の心を持って接することをすれば、お互いの許容する範囲が広まって、虚心坦懐に交わることができる一瞬を大事にしたいものです。相手の人をどんなにか批判的にして非難をしても、感情をもつ人とすれば、人間性の隙間にある同情心が働いて、弱みをもつ人の情けにむけて、思いやりの優しさがめばえてくるものです。できることならば、周りにいらっしゃる方々に、良き影響力を持てる立場になってみたいし、あえて威厳をもつことなく、泰然自若の自然体の魅力を発揮させる人間性を形成させてみたく思います。あの人がいてくれるから安心して仲間にいれる価値があると、そんな見方ができる環境を継続することが、お互いの成長を助け合って、相互互恵の魅力を発揮させたいものです。同じ空間に生活する仲間が多くいればいるほど、お互いに尊敬し合える畏敬の存在を認識して、友愛を厚くさせていければ嬉しいものです。年齢が嵩んでくると、どうしても偏見をもってしまい、友愛の効果を認識することができないのですが、年齢に関係なく謙虚で素直な心を持ちたいものですし、許しあえる大きな度量を育成させてみたいものです。時には人様に与える効果を、心得る時間を大切にしてみたいものですし、素朴な心得を磨き上げていき、納得の人徳を輝かせてみたいものです。内面にもつ有意義な人間性を誇れる立場に、多くの仲間が揃ってくれることを念じて、少しは孤高に距離をおいた立ち居地を心得たいものです。
2009.11.19
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移動する電車の中でもマスクをしている姿はめったに無く、新型のインフルエンザウイルスの蔓延は、どこまで広がるのかはわかりませんが、目に見えないウイルスだけに怖い思いをしながら心配をしています。電車の中でいつも思うことがあるのですが、人様からの視線を感じながら、どこを見られているかがわからないまま、多くの方が同じような思いをしながら、それぞれの観察眼を発揮させているように思えます。移動する交通機関内は人間模様の坩堝に思えてしまう気がしますが、国籍や人種や様々な立場の方々が同じ空間を共有して、同じ境遇を味わうことから、ある種の連帯感が生まれて、移動の時間を分かち合っている気がしているのです。一種の境遇を連鎖する安心感を相互に共感できるからこそ、移動空間はホッと和める空気があり、個人の集団であって家族的な親近感を感じる要素を併せ持っています。午後に繁華街に大事な用事があって、重い気分で電車に乗ったのですが、悩み多き人間の眼力は覇気がないのでしょうか、周りに気を遣う余裕も無くて、一点を見つめて思い悩んでいる自分がありました。高校生の下校時間もあって、たくさんの男女の学生が賑やかに寛いでいる姿があっても、集中力が欠けている時には、周りの様子が目に入らなく耳に聞こえてこないものです。JR駅の二つ目の駅で下車をするのですが、車内アナウンスと同時に椅子から立ち上がった心算が、降車するドアーに辿り着く前に、乗車する方々が乗り込んできてしまい、正面からぶつかり合うまま立ち応じをしてしまいました。ちょっと元気のない声で、すいませんと侘びながら漸く駅のホームに出れたのですが、ふと幼いころの体験が思い出されてきて、遥か50年も前にあった出来事が鮮明に蘇ってきたのです。小学生の低学年であった頃であったでしょうか、私鉄の電車で繁華街に買い物に行って、帰宅の為に自宅がある駅に着き、降りる準備をしたら、どっと集団の子供たちが乗ってきてしまい、電車内に押し込まれてしまったのです。電車は動き出してしまい心細さが限界になったのか、幼い子供は半べそに泣きながら、次の駅まで乗り越しをしたのでした。電車内は同じ年齢の子供たちが、学校行事で潮干狩りに遊びに来たのですが、都内からの洗練された子供たちに圧倒されてしまい、しょんぼりと駅員に事情を話して折り返しの電車に乗れたことが誇らしく感じた思い出があります。気弱過ぎる少年であったのですが、乗り越しのちょっとした冒険を体験でき、一人で夢中で帰れたことが大きな自信になってくれて、その後の人生の構築に心強い体験であったことが、宝物のように嬉しかったのでした。初老になった今になっても、自信に欠ける諸々の不安事案を払拭させていかねばならないのですが、ふと子供心の気弱に帰ってしまい、どうやら非力な老人だと観察されてしまったようです。是非是非、しっかりと気合を入れ直して、課せられた責任をしかりと発揮させて、魅力ある人としてよそ様から観られるように、気品ある紳士たるを身につけて表現させたいものと、気力を充満させているところです。
2009.11.18
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毎日のように悲惨で卑劣な事件が起きている世情がありますが、その起因する事件のお多くに若い学生が関与していることが、少なからず悲しいことですし寂しい思いがしています。一言目には、今の子供はどうしようもなくて・・・・・と愚痴が出やすい環境になっているのですが、時代の背景が複雑になって成長していく過程の教育が、大きな格差になっていることを感じてしまいます。今日にあった講演でお話を伺った校長先生が、現代の学校模様を話してくれましたが、我々の育った子供の時代と違って、子供の心情が大人びてきている現状と、若い先生の意識が変化している様子の話を伝えてくれました。現代の子供心は礼儀が足りなくて、先生との交流は友達感覚でいるそうで、友達と同格で話をする現況を憂いていましたが、すべてに現職の先生や両親に責任があることを伝えてくれて、若い先生には厳しく接するように指導をしているそうです。最近の先生方は子供との交流時間を削っても、自分の趣味や余暇に時間を割く方が多くいて、昔のような子供と一緒になって、下校までスキンシップの交流をする姿が少ないそうです。来年に定年を迎える校長先生からの、熱き思いを聞くことができたのですが、学校の責任者としてのご苦労を訊かされて、教育の現場にいる方のご苦労を思い知らされましたが、管理職としてのご苦労は顔の深いシワになっていました。年々時代背景が違ってきている中で、家族形成や親が子に躾る方法の違いがあったりして、校長先生の世代感と教師の世代感にずれが生じているようなニュアンスが伝わってきました。校長先生からのお願い事して、是非とも市民の皆さんからのサポートを願いたく、学校外や家庭での道徳指導を厳しく接してほしいことを話してくれました。親とすれば家庭生活の中でも、厳しい躾と指導をするべきで、子に手助けをするにも、子供の自我を育てるために、いろいろな場面に自らチャレンジする精神を、育成させることが重要であることを強調してくれました。ここ数年間には、時々小学校に訪問をする機会があるのですが、恵まれた施設の中で明るい元気な声が聞こえてきて、校庭や体育館で活発に遊んでいる姿からは、無邪気で可愛い純真な天子なのですが、現場の先生からすると、とんでもなく責任が重くのしかかっている様子でした。特に子供より困ってしまう難儀があって、こどもの親御さんが勝手に学校に怒鳴り込んできて、我が可愛い子供の擁護に献身的な過保護をすることを嘆いておらえました。なにか不都合なことがあると、直ぐに校長先生を呼び出して、徹底的に先生の非を追及するそうで、そばに居る子供が自分の非を認めても、両親に任せておきなさいと一方的な身勝手な言動には、はなはだ被害者意識になるそうです。更には、グローバル化は学校にも及んできていて、全校で総勢340名の生徒のうち、30名を超える8カ国からの外国人児童が在籍している現実を、国際化の波及を善悪両面に波及している様子は、現場での先生でしか把握できない諸問題を抱えているようでした。国家の財産である青少年の未来は、親も学校も社会もあわせもって考え、実行していくことで、健康で明るい国家に寄与していく意識を高め、国家の宝物を見守って生きたいものです。
2009.11.17
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このたび韓国釜山市内で起こった、日本人観光客が犠牲になった射撃場の火災事故は、現場付近を良く知っているだけに、複雑な思いをしながら報道をみています。飛行時間がほんの2時間程度で行けてしまう、非常に親しみのある隣国釜山の街が大好きで、今までにも何回か尋ねているのですが、行き来をしていた街の一角で悲劇が起こるとは、身近な街並みだけに、痛ましさが一層深く感じられます。毎日テレビ報道で写される街並みは、第二の故郷のように懐かしく思い出されてしまいますが、尊い人の命が何人も奪われてしまっては、ただ傍観することもできなく、心からのお悔やみとお見舞いを念じてしまいます。火災事故があった国際市場付近は、碁盤の目のように細い道路が張り巡らされているのですが、道路の脇には小さな商店がびっしりと軒を並べている姿があって、いつも観光客が沢山溢れて活気があり、時には歩くことも不自由に感じられるほどです。観光客の殆どは日本からの方々ですから、商店も町全体も殆ど日本円や日本語が通用するくらいで、ますます人情味豊かで親しみの沸く街並みです。釜山の方々も親しみと礼儀深く応対をしてくれて、食堂でも商店でも気楽に散策したり買い物をしたりして、安心して楽しみ和めますし、人柄が温和で情が深い人々との交流が、ますます親しみが増すことが楽しみでした。宿泊するホテル近辺に露店をだしている、沢山の飲み屋さんも気さくに楽しむことができて、片言の日本語はかえって元気を貰うことができて、心温まる交流の会話が尚更釜山の街や人を惹きつけてくれます。誰しも初めて訪問しても、なんら違和感なく生活ができる街として、ふっと旅先でない落ち着きと開放感が感じられて、旅先での気に緩みもあって当然のことですが、危険のある実弾射撃に非難の言葉は掛けることでないと思います。外国の意識が薄い分金銭感覚がなくなって、日本での買い物から比べると、ほぼ半額の感覚をもって円を利用できる環境から、興味をもつ大人の魔力が持つ危険に、つい足を向けてみたい気持ちが理解できます。日本のもつ全てが先端からすると、一般的な商店の安全施設は十分機能しているとは言えませんが、少し不安な部分を超越した人の魅力は、昔懐かしい手作りの心温かさがあるからかもしれません。国際市場近辺のお店に共通するのですが、手作りの無骨さが感じられると何となく親しみが増して、ふと力を抜いて落ち着くことができる街並みがあります。以前から比べると日増しに近代化が進んで、日本の街並みとなんら変わらないのですが、裏道に入って目に出来る昔の懐かしさが、観光客としては大いに魅力を感じ取れる時だと思います。今回の悲惨な犠牲事故が、どんな背景で起こってしまったのかは分かりませんが、大きな犠牲を礎にして、安全対策の近代化に向けて飛躍することを願ってしまいます。何事も貴重な失敗や事故を経験していく中で、改革と改善がされていく進化過程を知るのですが、尊い命の犠牲を無駄にすることなく、日韓の繁栄や市民の隆盛に必ずや大きな役割を果たしてくれることを願ってしまいます。韓流ブームがあったりして、直ぐお隣の国には多くの同胞が訪問していますが、お互いが尊重しあって、礼儀をもった素晴らしい民間交流が、もっともっと強く花開くことを信じている一人です。時代の節々に犠牲になった方々の冥福を、心からお祈りさせて頂き、近い将来には国境線を自由に往来できる日を、両国の発展に向けて楽しみに待ちたいものですし、偏見のない国際交流が当たり前になることを念願しています。
2009.11.16
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風は強くても朝から快晴の陽気の中、倅と二人して毎月のお墓参りにでかけたのですが、広い墓苑には、それなりの参拝する家族連れを散見することができました。ぽかぽかと小春日和の素晴らしいお天気に誘われたのか、線路際にある墓苑の門からは、次々と車が入ってくる様子がありました。小1時間ほど掛かりましたが、親類のお墓も一緒に掃除とお参りをしてから、帰路に同じ街の端にある、幼いころに育った氏神様に向かったのですが、国道沿いにある神社の鳥居に向けて、左側の側道には長蛇の車の列ができていて、神社の駐車場には入るどころではありませんで、ただ素通りをしてきました。今日は氏神様の敷地の一角に鎮座する、お稲荷さまをお参りする心得でしたが、年に一度の祭礼と同じような混雑振りを訝しげに思いながらの帰宅でした。家人に渋滞の報告をして気付いたのですが、今日11月15日は、七五三のお祝いのお参り日であることを知って、ちょっと間抜けた合点をしたほどですが、氏子様は子育ての神様だけあって、昔から遠方からの人出で賑わっていました。一角に鎮座しているお稲荷様は何代か前になりますが、我が家の庭の隅に鎮座していた御社を護っていたようで、そのご縁があったことは、つい最近になって耳にすることとなって、以来昇り旗を献納しています。毎年15日から御幣を配布することを気に掛けていましたので、年に一度の御幣を受け取るためであったのですが、今日の混雑振りには社務所に行くこともできなく、後日に改めてのお参りとなったのでした。午後になってからも、一層穏やかさが増してきてセーターを脱ぐほどでしたが、そんな小春日和に誘われてか、10歳も離れている姉夫婦が昼食後になって来家してくれたのですが、日常の茶飲み話をすることができました。我が家の姉弟は年齢が離れている関係で、子供のころから一緒に遊ぶことなく、家族の団欒をしらないままに大人になってしまったのです。大人になってからもそれぞれ家庭が違っていては、姉弟の仲の気安さがあまりないままに、なにやら一抹の寂しさをもったまま、距離感をもって生活しなければなりませんでした。今では一番親密になって、お互いを思いやり心配し合える良き仲間として、定期的に交流ができることは、お互いに老いてきた証拠でしょうし、正直にうれしいものです。今ではすっかり姉に甘えてしまっているのですが、幼い時にできなかった様々な姉弟愛を発揮させてくれて、まるでタイムスリップした子供のころに戻ってしまいます。暖かな日差しをうけながら、厳しい環境にたたされている弟宅に激をいれてくれて、叱咤激励の支援や心配りをしてくれましたし、お互いが生まれ育った街の神社とお墓の様子を伝えながら、幼いころの思い出を語り合っていました。宝くじがあたってくれて、すべての躓きが帳消しになってくれることを、以外の中に本気になって願っていることを伝えてくれて、心の中から申し訳なく思ってしまうのです。過去の一時には、お互いに涙を隠せないほど消沈していたことを思えば、明るい声で笑顔をもって正直な気持ちを披露し合える仲間になっていることが、心からの嬉しいことですし、その姉弟愛の力がやがては大きな慈愛をもって、難題を解決してくれることを祈念します。今日のお墓と神社へのお参りの心掛けが、幸いにして姉弟ともども共有できましたことが天恵の喜びとして、自身として実現できることを、夢を正夢にできることに確信がもてました。
2009.11.15
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普段に自分で信じていることですが、その心算で思っていることでも、改めて事実を見ることができた時には、大きなギャップを感じてしまい、そのことを事実であるとして素直に受け止める必要性を認識しています。良きにしても悪しきにしてもそうですが、事実を認めることはなかなか自身だけではできなくて、人様から言われてみて始めて気づくこともあり、できることは事実を素直に受け止めることを心がけていく必要を感じて、腑の中に確りと認識をさせておきたいものと願っています。つい先日に行った掛かりつけのお医者さんで、定期の身体検査をしたときに、身長が1センチも低くなっていると言われて、驚きの言葉も出ないくらいでした。計測が間違っていると言いたかったのですが、先代からの掛かりつけでお世話を頂いている身では、ジョークとして無茶な言葉もでなくて、年配の看護師さんから言われた言葉は、高齢者は皆さんが同じですと慰めの言葉を言ってくれました。家では、血圧と体重は毎日計測していますから納得できるのですが、身長が低くなっていることには思いもつかぬ事で、2月に入院したときにも計測はしていたのですが、その時には5ミリも違いが無かったのでした。病を経験して年齢が重なってくるとともに、人の身体はちじんでしまうかのようで、俗に言われる生身が枯れてくることのようです。病気をしてだいぶ身体は細くなってしまい、体重も減量になっていることを、これからの健康体に相応しいと喜んでいたのですが、身長まで低くなっていると、背骨が前に曲がって猫背になっているのか、身体全体が前屈みになっているのか気になります。外出したときに注視していることですが、ビルの窓ガラスとかショッピングセンターの鏡とかに映る自分の姿で、ある程度の容姿をチェックしているのですが、年々猫背になっていることが気がかりなことです。誰でも自身が持っている長所も短所も、自分ではなかなか把握できないことがありますが、第三者の人様から指摘されて受け止めることもあり、謙虚になって聞き耳と柔軟な意識を持たなければいけないと思っています。いつまでも同じ理論を頑なに持っていては、その時の流れに乗り遅れますし、世間の見方が理解できなくなりますので、あまり硬くなに物事を見つめないことを心がけて、時流に任せる自由さを満喫すべきと思っています。まずは現在の事実関係を素直になって、認め合う心の余裕が必要でありますし、なによりも人を貶さないことが、自身の心を伸び伸びと自由にさせてくれ、豊かな人間性を醸し出してくれることを願いたいものです。肉体的には猫背になって小さな身体になっても、誠心誠意のまじめをもって、胸をはって世間を生きていきたいものです。心がけることは、大きなオーラを発散させるほどの、愛情いっぱいの豊かな心をもっていたいものですし、人様への快活な表現を提供してあげて、明るい世の中の構築に、何らかのお手伝いになってくれることを信じます。せめて思いやる心をもって、自分の心を満タンにさせていくことを、ますます強く硬く信念にさせて、年々小さくなるばかりの身体以上に、大きなスケールを発揮させていける若さと愛情を、豊かに温かく育んでいきたいものです。
2009.11.14
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何気なく過ごす毎日の生活の中には、要るものと要らないものの見分けが付きかねて、何気に無関心な状況が無意味に過ぎ去っていることに、大変多くありすぎる気配を懸念しているところです。加齢とともに日々気力も衰えてきて、時々にやるべき決断ができない能力のままでは、一向に進歩も進化もできないし、人として同じ位置でとどまるどころか、ひたすら衰退をしていく人の器量をさらけ出すことになります。昨日届けられた修復された、ノートパソコンを膝にのせながら、今までの使い勝手に近づける復帰作業をしていたのですが、細かなデータのリカバリーには時間が必要なようで、時間が空いたときにでも、徐々に復帰作業を進めることに覚悟をしています。パソコン内にあるメールの住所録や、ホームページのパスワードが忘れてしまって、なかなか稼動できないサイトが多いのですが、日々の利用度を思えば、こんな機会にでも整理をしておきたいものだと、絶好の好機を受け止めているところです。日常から必要なものと不要なものの、見分けをしておくべきなのでしょうが、普段のズボラな性格からして、積もり積もった不要なデーターが、改めて取捨の精査をすべきことを教えてくれています。事務所にある書類や雑誌の類もそうですが、不要不急の積まれた不用品は数多くあって、書類棚や事務所を狭くしてしまっている環境があります。毎日のように配達されてくる書類等は、そのたびに開封をして、必要な度合いを選別しておくのですが、それすらも役に立たないほどの時間経過をさせてしまいます。二週間も前に投函を約束された提出書類を仕舞い込んで、慌てて問い合わせの電話をしてみたのですが、担当する関係者があきれた声で、書類を破棄してくださいと断言されたばかりです。パソコンの中に蓄積しているデーターも、全部が必要なわけではなく、時々に必要だと判断したものとか、今ではまったく陳腐化してしまった古くて使い物にならないものが、比較的多く存在しているのが現実としてあります。生きている人間を取り巻く様々な営みには、時間単位で飛び交ってくる情報や物品があるのですが、その時々によって価値観や生きる環境が違っていますので、その保存も時代背景をもって大きく違ってくるものです。時々の好機には、是非とも取捨選択ができる決断力をもって、一時の忙殺される切なさを味わうことなく機敏にして過ごしたいものですが、将来にわたって価値が継続してくれる資料を見極めできない劣勢があります。強く大きな決断力をもって、瞬時に判断をして堅く仕分けができれば最高なのですが、ふらふらと溜め込む貧乏性が災いをしてしまい、毎度の珍事を繰り返しているところです。思えば衣類も同じことで、たんすやハンガーに掛かったままの、古着を何枚も仕舞い込んで置いている現状がありますし、悪癖である溜め込むことを忘れてしまい、一度空にする気概を持たなければいけません。今回のパソコンの故障から生じたばたばた劇は、大事なデータを消去してしまった憤慨とは別に、以外にも真の大切な度合いを学ぶ良き教訓となりました。
2009.11.13
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一気に冬将軍がやってきた感じの、北風が吹き荒れる陽気になっておりますが、寒さが強まるほどに気になることは、自身の健康体が何処まで適応できるのかが、ちょっぴり心配なところになっています。心筋梗塞の病後は人様々な健康状態なのでしょうが、施術をうけて初めての冬を迎えて、寒さ対策は十分に留意が必要に心得ていますし、少なからずの不安を抱えている今後です。お陰さまで毎朝元気に起床できることを、先ずに神仏に感謝の手をあわせることから、朝が始まるのですが、素直に信心する誠心は日々に強くなってきています。今、人生の綾なす困難な事柄を背負いながら、ない知恵を絞っても活躍させて、家族共々健康に留意をしながら、隆盛に向けて意欲を高めて、心強く発奮をする毎日になっています。今日は多少ゆっくり出来るかと、企んでいたのですが、事務所の机上に積み重なった資料を整理したり、週明けに提出する銀行資料を下調べをしたり、なにやかにやと時間が過ぎ去ってしまい、大まかなままで一日が過ぎ去ってしまったのでした。特に午後には修理を終えて帰ってきた、ノートパソコンの設定の仕事ができてしまい、なにやかやと忙しない気が焦るばかりの、落ち着つきのない心情になっています。事務所の窓ガラスには強風が叩きつけて、ヒートアップする省エネの頭脳とは裏腹な北風の厳しさを感じてしまうのでしたが、冷え込む季節は確実に厳しい冬をむかえています。使用期間が3年間の慣れ親しんだノートパソコンですから、マッサラ状態になっての復帰で受け取っては、これからの間暫くは少しずつの環境を設定していき、使い慣れた状態に復帰させていく仕事ができました。日が開けるごとに遣らねばならないことが少なくなく、日が開けるごとに増えてしまう仕事と役目は多く、不思議な思いをしながらも、遣らねばならない役割をありがたいものと、嬉しく受け止めることが必用だと思っています。世間からは、信用をもって仕事を与えてくれる立場を思うと、改めて生かされていることと、信頼をうけていることを重く受け止めなければならないのでしょう。毎日の生活を修練することと理解をして、何事にも積極的に果敢な取り組む姿勢を意識していますが、常にうぬぼれることなく謙虚になって、人の和を尊んでみたいものです。決して自分ひとりの力で生きていれる状況はないことを、再確認をしてこそ謙虚さが確認できるのですから、なんとか生活できる空間の甘えには、厳しい自分を構築させていこうと思うだけです。忙しいと時間が過ぎ去ってくれる環境をもってこそ、人様からの声がけを有難く感謝をこめていれることを、一日でも多く変わりなく過ごしたいものです。
2009.11.12
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人前でお話をさせて頂き、その趣旨を噛み砕いて伝達することは、なかなか技量が必要ですし、つねに自分を磨いていく必用があると気構えをしています。大きな声量でもって、歯切れよく話される方をみていると、尊敬の念で無量になり、自分でも真似をしてみたいと思うのですが、なかなか難しい課題になっているところです。話下手は下手也の唐突とした話しぶりには、深い味わいが感じられるのですが、簡潔良く要旨を上手く発信して、聞き手に納得させていく作業は、技量以上の人間性も加味してくるのでしょうか。午後からあった損害保険会社のセミナーと業務連絡会の会合で、いつも定席にしている最前列の真ん中に座って、倅と二人して粛々と講義を受けているのですが、他の方は何故なのか席を空けてしまって、誰も寄らず座りに来ない席の、一番前列の特等席になっている定席になっている場所です。お昼前からあった大事な用件を済ませ、クライアントさんと昼食を済ませてから、一時間遅れの到着となってしまい、静かに入室したら満席となっていて、結果的には定席になる特等席に倅一人だけが座っていて、いつものように一席が予約席になっていました。途中からの参加ということもあって、暫し講義の流れを耳にしながら、気分を集中させるために、一点集中の意味で、講師のお顔を注視していたのですが、その時から講師の目線があやふやな感じになってしまい、動作が落ち着きなくなってしまったのです。私の注視が気になることなのか、講師の方が落ち着きなくあちこち動き回ったり、目線を何処に向けているのかも分からなく、話しぶりまで尋常でないことに気付いて心配りをして、こちらも机の上に並んでいる資料に、目線をおくることにしました。頭を下げて資料に目を落としている時間にすると、講師の方が落ち着いてきたのか、尋常な講義を勧めてくれましたので、ほっと安心をして落ち着くことができたところです。人の目線を受けること、人と目線があうこと、これが瞬時のことであれば良いのですが、長い時間に亘って目線を感じると、誰でもが精神的な負担となってしまいます。特に聞き側は意識を持っていないのですし、集中して聞き耳をたてているのですが、最前列の距離感の関係では、どうしても過剰な意識になってしまいがちだと推察します。代理店を指導する損害保険会社の社員ですから、それなりの深い知識をもって、堂々と改正点とかをレクチャーしてくれているのですが、聞き手の目線とは相当に気になるものなのでしょうか。この場面を自分に置き換えて、講師となったときの想定をしてみたのですが、目線もそうですが話し手としての間合いが一番大事であることも理解でき、声質と声量以上の時の間合いが大きな効果になることを胆に命じることができました。人様の欠点は簡単に見つけることができ、非難することもできますが、果たして自身がどれほど完璧に講義ができるかは、素直に謙虚になって見直してみたいものです。人の目線とは大切なものですから、しっかりと活き活きした目をもって、心からの信頼の眼を送ってみたいものですし、恕をもって受け止めてみたいものです。意識を高くして言葉と視線を大切にさせて、一層溌剌とした場を構築させる心がけは、大人としてその効果を上手く発揮させることができて、誰しもに和やかさと温かさを想いあってみたいものです。
2009.11.11
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思い違いは結構日常の茶飯事としてありますが、こと相手がいることに関しては、よっぽど時間を掛けてからの判断をしないと、ことの本質を見誤ることとなってしまうことを知るべきです。相手が居る場合には、その人のもっている価値観がありますし、意識がどれほどのものかによって、話しあいができる範囲の土壌が違ってくることです。身の廻りにいらっしゃる後輩に当たる方が、様々な相談を投げかけてくれる年齢になって、出来る範囲で一生懸命にお手伝いをさせてもらっているのですが、訊きっ放しの方が比較的多いことに驚いているところです。常識的に思えば、人として礼節を弁えている人ならば、事毎にある応対には基本的な礼節をもって、感謝の念を伝えることが常識であると思っています。親切心で提示したアドバイスですが、アイディアを受けたことを逆手にとって、自分個人のアイディアとして広報する輩もいることを思うと、実に情けなくなってしまいます。親切心をもって、折角本心をもってお手伝いをしてあげていても、アドバイスを受けてから何事もないような無礼な態度をする方も困りもので、人のもつ資質が疑われてもしかたないと思ってしまいます。自分だけの長けた能力で全てが運営されていると、大きな勘違いをする方がいるとすれば、実に寂しいことですし悲しくなってしまいます。今日の午後になって、そんな思いを伝えることができる機会が偶然にやってきて、約束の時間を延長しても、なかなか話しが終えないのでしたが、じっくりと話を伺うことが出来ましたし、こちらの趣旨を御伝えすることができました。先ずは先方の考え方を知ることから、二つの耳をもって確りとお話を伺うことに専念して、一つの口からしっかりと理念を伝えることができました。今日が何回目かの会談に成るのですが、会を重ねるごとに理解をしてくれることが嬉しくて、多方面に亘って意見を述べさせて頂いたのですが、基本的にはお互いを信用しあって、理念を理解しての裁量権を一任することにしました。後輩が持っている、責任者としての心得ていることを理解してあげ、文字として表現できない約束事を、拠り良くカバーできる会合を盛ってくれることに期待をして、二人の後輩に激励をしてあげました。新しく考えている思考を、どれほどの多くの方に理解をさせるかが、二人のもつ責任になるのですが、一つの良き切っ掛けになって、躍動感を享受できればと深く念じているところです。先輩の立場で説教をすることでなく、仲間同士の指針として理念の源流を伝えてあげる役割を果たしてあげたいもので、縁の下の応援をしてあげれる役割を意識して、納得をもった自負を確認し味わってみたいものです。話し合いの最後になって、お願いとして御伝えしたことは、人としての基本的な礼儀は尊重して、真面目に守っていきましょうと、提案をさせて頂きました。これには皆さんが共鳴をしていただき、基本的な礼節の大切さと効用を確認することができ、今後は一人一人の心掛けに期待をしてしまいます。後輩との時間が過ぎ去って、真の大人としてことに対峙することができ、自身の修練の場として活用させることを理解できたことだけでも、心休まる有益な会談の時間になってくれました。
2009.11.10
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自分ではその心算をもって、完璧にことが成されていると思っていることでも、とんでもない間違いであったり、勘違いであったりすることが多々あって、その事実を知った時の衝撃は結構大きいものがあります。加齢とともに、思考能力や平衡感覚や躍動感や様々な感動の新鮮さが薄れてしまうのですが、それはそれで自覚しておけばいいことなのですが、人様にご迷惑をお掛けすることが申し訳なく思ってしまいます。毎朝に仏壇に正座して、灯明とお線香を手向けるのですが、般若心経を唱えている時に感じて、確認することがあるのですが、お線香が直立しているのかを改めて確認しています。正面から見ると垂直になっているのですが、香炉を回すといずれかに傾いている線香をみて、毎日真っ直ぐに立てた心算でも、大きく傾いてしまっている線香が、果たして自分の心の中を見通しされている気がします。毎日がこうした自己問答や行いの確認を繰り返しながら、自分の判断と結果が違うことを教わるのですが、現実に形として思いが違ってしまっては、とんでもない違和感を覚えてしまいます。正面から見れば真っ直ぐでも、90度変えてみるとどちらかに斜めっていることは、4回廻して一周するときには全てに斜めってしまうわけです。最適なことは鳥瞰することで、真上から覗いて線香が一点になるように心掛けることなのですが、なかなか技術的にも難しいことになります。その殆どが後ろ側に倒れていることが多く、真正面から見た垂直は360度から見れば、360分の一の確認であるのかもしれません。ものの見方とは、一辺だけを見たり聞いたりすることではないことを、改めて心にしながら、多面的に多角的に物事を観察していく必要があるようです。人様との交際でも、一面では判断できないことが多々ありますので、時々の最善なお付き合いの中から、お互いの見合いをしていけることを願いますし、方々からの長点を捜し求めてみたいものです。相互の感覚をもって、お互いの違いを見合うことこそ、自分磨きに発展させることができますし、自身の思考の管理もできる気がするのですが、自身を自分でチェックすることこそ、なかなか難しい課題になってきます。硬い信念をもって、世間にも人様にも強く折衝をすることはとても素晴らしいことですが、自身の鵜呑みの信念を揺ぎ無いものにするためにも、世間で認識されて通用する信念にするためには、いつの時代も自身の感覚を研ぎ磨くことが必用だと思います。我がままな信念でもって、人様に迷惑をかけることでなく、思考の裏にある見方を常に心において、幅広い見解を身に付けて多くの交流体験をしてみたいものです。世の中から見える一点の姿でははなく、これからの時代の中でこそ、多角多面のワイドな思考をもって時々の変容する姿までも、意識を強めて観察できる能力を心掛けてみたいものです。
2009.11.09
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最近は自転車の乗車も法的に厳しくなって、歩道の走行とか乗車時の携帯電話は、改正された道路交通法によっては、法的に罰せられることがあるようですが、詳細は良く分かりませんが、公道を自由には走行できない環境があります。確かに言えることは、自動車も自転車もそうですが、乗って走る側と歩行する側の立場によって、大きく認識が違ってくることになります。同じ公道を車や自転車に乗って運転している時と、歩行者として歩いている時には、まったく違った危機感を覚えることがあり、自身が立場を替えてみた場合に、その危険度が身に染みて感じます。歩行者として公道を渡ったり歩道を歩く時に、恐ろしいほどのマナーの悪さに驚かされて、命の危機感を何度か味わっていますと、運転をする時には、しっかりと歩行者の保護を心掛けています。時として礼儀のない歩行者がいて、運転する身とすると厄介な恐ろしさを感じることもあるのですが、運転する側も歩行をする側もお互いの安全を心掛ける必用があることが、基本の礼儀だと思います。昨日のことですが、夕刻にJR駅に向かっている時に、歩道を歩く脇を一台の自転車が通り追い抜いて行ったのですが、間も無く横転して運転していた老婆が転んだまま、起き上がることができませんでした。直ぐに駆け寄って様子を伺うと、横転した時に膝と肘を打って、相当な痛みを感じている様子で、なかかな起き上がることができなく、歩道に横転した格好で痛みが去るのを待っている様子でした。元気な声で起こしてくれますかと依頼されて、ホッとしながら両脇を抱え込んで立たせてあげたのですが、痛いところがあるらしく、顔をゆがめながら頭を下げて礼を伝えてくれました。買い物籠から転がり落ちた買い物した品物を入れてあげ、気をつけてくださいと伝えて分かれたのですが、びっこを引きながら自転車を押していく姿がみれました。事故と言うのは何時何時、どのような形で起きるかは、まったく予期できぬことで、間合いの悪さが重なってしまうことが原因なのでしょうから、できるだけ無理な公道を避けることが最善なのでしょうか。こうした対応する脇を素知らぬ振りして通りすぎる方もいて、手伝ったり声を掛け合うことができないことが寂しいものでしたが、それでも若い男の方が横倒しの自転車を立ててくれたことが救いでした。お互いにどんなことが起こるのか、どんな境遇になるのかもわからない社会環境の中で、積極的にお手伝いをする勇気と、寛容の優しさを心がけてみたいものです。人からの温かい思いやりを受けることは、誰でもどんな時にも嬉しいものですので、できる限りの思い遣りの精神を磨いて、いざと言う時に遺憾なく発揮されることを信じています。毎日のように悪戯で悲惨な事件が多発する中で、心を許せる助け合い精神を、誰しもが気楽にして行動できることを期待していきたいものです。
2009.11.08
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爽やかに晴れ渡ったお昼前に、徒歩5分にあるプリント屋さんに行って、デジタルカメラの写真を注文してきたのですが、走る車も少なく歩道を歩く皆さんも、日余りを楽しみようにして、ゆっくりと歩く姿がありました。数日前に木枯らし一番が吹き荒れてから昨今は、住宅街に毎日のように遣ってくる、灯油の配達する宣伝スピーカーだけが賑やかに、大きな音声で売り込みをしています。昨日の陽気からすれば上着一枚は少なく済んで、春のような穏やかなお日様の陽光が、これほど身体にも心にも嬉しく感じられることはなく、自然と気分爽快の快活になれたのですが、いろいろと諸問題を重く抱えている身とすれば、暖かな陽射しをさしてくれている太陽に感謝の気持ちが強くなります。歩く時間が長引くほど、ひんやりとしていた身体の奥までが、ほっかほっかの温かさを享受できて、温まるほどに生きている現実を喜び、自然に神仏に感謝の手を合わせてしまします。両手や背中に一杯の難問代を抱えてしまっている自身を思えば、どうやれば担いでいる荷物を軽くできるかを、真剣になって考えてしまうのですが、こうした結果を生み出した源泉は、全ては自身の不徳の至らぬことであって、自責の念を強くしてしまいます。成功も失敗も糾う如くめまぐるしく変遷をする世の中ですから、当然の理の範囲で物事は結果を作ってくれることを理解して、ただただ謙虚になって素直に進捗を見守っていこうと、強い信念をもっていこうと思っています。そんな思いをしながらプリントショップに近付いていた時に、保育園の幼児たちがお散歩の途中で、二人の保母さんに付き添われていました。丁度有名チェーン店である焼肉店の前に来た時、一人の子供が、いつも来るお店だと言葉にすれば、内も来ているよ、と6人が合唱に成ってがやがやと騒ぎ出しました。言い出しっぺの子が、内では何回も来ていると言いだすと、今度は皆が同じ答えを合唱する始末で、子供ながらに持っている競争意識と見栄を感じ取って感心をしてしまったのです。家族の中ではこうした喧騒にはならないのでしょうが、人が成長する過程では、毎日が他人との折衝の仲で、心の洗濯と成長心を積み重ねていくのですから、誠に頼もしいものなのです。本当にあどけない幼児が、夢中になって自身の親と家の誇りを競い合う姿から、改めて生きるエネルギーを感じ取り、保身の競争心を素直になって聴くことができ、老いた自分の遣るべきことを確認できました。連れ添っている二人の保母さんも、ニコニコとしながら子供達の遣り取りを見守ってあげていましたが、無心で意地を張り合う子供達の一人一人の成長を、心ひそかな楽しみとして抱いてくれていることを期待してしまいました。我が家内もご近所の保育園にお手伝いに行っているのですが、毎日の保育の中で気付くことは、両親の躾によって大きく成長過程が違ってくることを、時々話を伝えてくれます。天性の個性と成長する過程で磨かれる能力は、先ずは家庭の中から両親の愛情を受けて、一時一時の成長が期待されていますが、事情があって保育を預かる身であっても、他人と成る周りの人間も加わって、将来の子供達の保育を真剣になって見守り育成する役割を感じているところです。
2009.11.07
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時を経るということは、大変なエネルギーを発散していることを知り、その結果が様々な変化を及ぼしてくれることが、自然界の生業になっている気がします。久し振りにお会いできる方や町の様子もそうですし、暫くお会いできなかったことの時間経過が、物凄い成長振りをみせてくれた時には、とても嬉しく感じられるものです。長くお付き合いした友人であった医師の方が亡くなって、早いもので半年が過ぎ去ってしまいましたが、医院の後継を倅さんが引き継いでくれて、今では立派な院長として、親父の時代以上に医院の運営を繁栄させております。友人の医師が病魔に侵されたのが、約1年ほど前のことになるのですが、当時勤務医師として活躍されていた倅さんが、急遽医院の医師となって急場を凌ぎ、医院を休むことなく運営できていました。代診として勤務していた時には、どこか自信が感じられない頼りなさそうにして、親父の様態を気にしながらの気配が垣間見られていました。患者さんも事情を心得ていて、いずれ親の院長が復帰するだろうと期待をして、倅も勤務医として戻ることを当然のこととして受け止めていました。医院長が元気な頃のことでしたが、良く夕飯を一緒にする機会が多くあって、そのあとの談議の時に話していたことが、倅へのバトンタッチをどのように進めるかで、結構真剣にして悩んでいたことがあります。どんな業態でもいずれ現実化する事業継承の問題は、どこも同じ悩みがあることを知って、お互いに真剣になって語り合ったことが、今では懐かしく思いだされてきます。医院経営の難しさも聞かされたのですが、畑違いではアドバイスもできなく、勤務医の倅さんは跡取りを望んでいないことを、俯きながら寂しそうに話されて、遠方に勤務している親子医師の、コミュニケーションの大切さも教えられた時がありました。そんななかで病魔に襲われた医院長は、病床の中でも倅さんの代診の様子が心配で、入院した病院にお見舞いに伺った時には、何度も未熟な対応振りを嘆き、なかなかきびすぎる評価を下していたものです。おそらくは、わが子可愛さは人一倍ですから、テレ隠しの一つとして、あえて辛い採点をしていたのでしょう。没後半年経った今では、二代目医院長は医院を立派に継承をされて、堂々と患者さんと向き合って、先代譲りのジョークを言いながら、余裕をもってお仕事をされています。患者さんからの信頼も日増しに大きくなって、今となっては、先代の偉業が消えてしまったようにさえ感じて、診察室には若さ溢れる二代目が立派に活躍をされている姿があります。久しぶりに医院にお邪魔して診察を受けてきたのですが、顔のどこかに親父さんそっくりな表情があって、時に見せる風貌が先代を思い出させる癖があり、診察の合間にその様子を伺いながら、天国で安心している先代の姿に思いを馳せてしまいました。やがては先代以上の名医として活躍されて、立派な人間味を発揮させてくれることを信じながら、天国の友人と一緒に見守ってあげることを念じてきました。
2009.11.06
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半紙に書かれた墨跡の字は子供の頃からの好きな一つで、その切っ掛けはまったく忘れてしまいましたが、突然母親に強請って、一駅離れた粋なご隠居のもとへ、習字の練習に通っていたことが思い出されてきます。小学生のころにあった習字の時間は苦痛で、墨をすることから億劫になるのは、元来横着者と自負していることから、何事にも集中心を高めて夢中になり、物事に傾注できる人ではない元来の姿があります。子供心に何故、習字の練習を願ったのかは分からないのですが、少しでも精神の修練ができればとの親心からだったのか、毎週の稽古を嫌がらずに通ったものでしたが、それでも適当に遊んでいたことが蘇っています。数年間は通ったと思うのですが、それでも下手なりに、何度か賞状を頂いていた記憶がありますので、少しは継続した効果もあったのでしょうか。気が小さくて、人前に出ることが嫌いな閉じ篭りの癖がありました時分で、市内中から集まった子供達の展覧会と表彰式には、緊張の余り泣き出してしまい、引率の先生を困らせた思いでも蘇ってきたほどです。先日あった会合に参加させて頂き感銘を受けたお礼と、月間誌の致知に拙文が掲載されたお礼の手紙を書こうと思っていたのですが、なかなかペンを持つ気にならないままでした。即行動が起こさない人ですから、そのこと事態は納得していることですが、相手様への無礼を考えると、今日が限界の日であることになり、思い切って便箋とペンを手元に持ってみました。これでも結構変な凝り性をもっていて、ボールペンの筆跡は硬すぎて嫌いですし、細ペンの筆跡は女々しすぎて嫌いですし、なかなかお気に入りの筆記具がありませんが、なかでも随分前から使用している、使い捨てペンの筆跡が気に入っています。確かペンテル水性ペンで、値段も300円くらいの廉価なペンですが、プラスティックのペン先が柔らかて、筆跡が好い感じに太く好ましい文字に書けるのです。墨跡の字も擦れた文字が好きですから、当然にペンで書いた字もかすれ字が好きなのですが、なかなか気に入ったペンが見付からないもので、適度にペン先を工夫してみたり、隠れた努力もしているところです。便箋に書き込む字は元来の癖で大きく書くのですが、と言うよりは、小さな文字を書くことができなくて、時と場合によっては困難なことになります。片手に辞書をもって、漸く二件へのお礼状を書き込むことができて、やっと果たせたことが嬉しく感じられますが、文面と筆跡が今一の出来具合を反省してしまいますが、下手なりの太目の字を見て、疲労感を憶えながらホッと安堵をしているところです。何時かはかすれ字で、大きな文字を筆で書いてみたいのですが、結構な根性を必要としますので、その日が何時なのかは楽しみなことです。下手は下手なりの喜びを持っていますし、楽しみをもって机に向かって、書くことが好きであれば、きっと何時かは納得できることが、実現できるかもしれない喜びに期待をしています。
2009.11.05
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誰でも何事においても自分が一番可愛いものですから、自己保身にはいることは当たり前のことになりますが、ことあるごとに人様の性にする、ある面姑息な方がいることも、事実としてあるように見受けられます。良いことが上手く運んでいるときには、その起因は自分が行ったことをアピールする人、反対に悪い結果になった時には、完璧に他人様の性にする卑劣な方がいます。更に悪いことには、その模様を第三者にも公の場で語る人もいて、世の中の価値観とはおもしろいもので、善悪の基準も人がもつ懐の大きさに関係があることを、いろいろな場面で伺うことができます。今日の午後にみえた営業担当の方が、仕事を終えた後での雑談のなかで、営業先で伺う場所場所で聞かされる愚痴は結構多くあって、必ず他人さまへの誹謗中傷が多くて、聞く側になっても辛いものですと、少々笑いながら伝えてくれました。特に自分に都合が悪い結果となったときに、時代が悪いだとか、ある人が悪いだとか、自分のすべては非難される事がないように誇示されると、信用がもてないと嘆いておりました。自分に置き換えて考えてみても、とにかく自分の弱点で起きた現象のことを、人様の責任に転嫁をさせてしまいがちなことを、十分に反省をしておくことを自認すべきと自戒をしています。こうしうた認識に違いがあることは、人がもつ礼節さに関係してくるのだろうと信じてていますし、しっかりと周りの空気をよめることを自覚して、常に謙虚でいれることを学び取る必要があります。特に責任を持つ立場になればなるほど、人を立てることも必要ですし、自己主張を抑えていくことを知るべきことです。組織の中でも同じことが言えて、責任者になったから何でも独断でできると思われては、その仲間達が悲惨になってしまいます。身の周りにいる後輩に当たる重役の方なのですが、時々気になる言動がある時にアドバイスをメールで配信して、何かの役に立てるのではと思って、善意の行為で何度か配信を送ってあげました。比率的には一割でしょうか、忘れてしまうほど、呆れるほど、責任者としての自覚や責任が感じられないことがありましたし、何よりも善意のアドバイスを受け取りながら、そのお礼の言葉を受けたことが記憶にないほどです。あえて、こちらから言葉は出しませんが、一言お礼の言葉を伝えてくれることが、どんなにか信頼関係を構築させてくれることでしょうか。人間としての基本中の基本である、礼節さえも忘れてしまっては、傲慢な人としてか評価ができない残念さがあります。どんなにか秀でる能力があっても、いつでも平らな心でもって素直な心でもって、他人を立ててあげる配慮が必要だと思っています。人を責めないこと、人を奉ること、人を褒めること、人に感謝をすること、人を喜ばせること、できるだけ滅私のこころを大切にして、生きる喜びを共有していける努力をしていこうと思っているところです。
2009.11.04
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世の中とは間々にならないものが殆どであることが、いろいろな経験で理解できているのですが、生命に差し障りの無いことであれば、全てのことを許しあってしまい、時には笑ってことを済ますことにしたいものです。人様のお付き合いの中で、誰でもが持てる能力とは人様々に違いますし、自分のもつ非力な能力を思えば、決して人様の失敗や能力の無さを誹謗できるものでなく、軽々には口にできないものだと思います。先日来機能が果たせなく、まったく使い物にならなくなったノートパソコンが、2日間の修理を終えて届けられ、昨日には、日常使っていたメールとかホームページの設定復旧に、長い時間を割いて作業をしていました。専門のスタッフに一切を任せていたので、修理が終ったノートパソコンを受け取って、久し振りに慣れ親しんだ指の感覚が戻ったことが嬉しく、心底からホッと安堵の気持ちになれました。都合一週間の修復作業になったのですが、自分の愛用の品物が回復して帰ってきてくれたことが嬉しくて、作業が完全に終ったことに敬意を表し、昨晩には派遣されてきたスタッフを労ってあげたほどです。あまり好きでない、デスクトップのキーボードの、タッチ操作からお別れできることが嬉しくて、気楽に椅子の上でひざに乗せたノートパソコンを弄りながら、思うが侭に操作している至福な時間を楽しめることが嬉しいのです。祭日の朝は少し遅めに床を抜け出して、朝食後に朝日が仕し込む窓側に椅子を寄せて、新聞を読み終えたまま直ぐに、ノートパソコンを膝の上に開いて驚いてしまいました。一週間前の故障時と同じ英文案内の画面になってしまい、起動できない旨の説明がされていまして、心底がっかりの落胆をしてしまいました。陽射しが心地よい居間でもって寛ぐ期待感を持っていたのですが、儚くも無残に消えてしまい、結果的には気分を切り替えて、事務所のデスクトップで作業をすることにして、明日に提出する重要な資料の作成に没頭することができました。家人が曰く、一週間も修理の作業をしてきて、回復できないとはプロ職人で無いと、厳しい言葉で断罪していましたが、人を攻めたり憎むことができない立場の自分としては、侭にはあることと宥めてみたりしているのです。精一杯修復の作業をしてくれている姿を自分の目で観ている訳で、その結果が修復できないとは、パソコン側の機器の問題もあるでしょうし、技量では解決できない要素も含んでいることを推測してあげる必要があります。技量は人によってもつ能力が違いますから、劣った方の修理は当然のこと、技量に歴然の差が出ることは理解できます。しかし、一旦は修復ができて、完全普及ができた形で引き取った事実もあり、たった一晩で故障するとは何か特別な起因であるかが知りたいところです。往診をした技術者の方も、原因の断定はできないと、全てを推測でもって修復作業をしていたのですが、時間外まで一生懸命に取り組んでいる姿からは、個人の非難は控えるべきだと心得ます。明日にでも再会できる技術者が、意固地にならないように配慮をして、気落ちすることなく、経験を積み重ねる修練として、一生懸命に作業をしてくれることを期待しているところです。
2009.11.03
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人生とは一歩先が読みきれないからこそ、感動もあったり躍動感を味わえたり、喜怒哀楽の浮き沈みを経験できる、生きる楽しみになっているのかも知れません。全てに先のことが分かっているのであれば、なんの心配もないでしょうし、期待感や達成感もなくなってしまうことでしょう。年齢が加齢してきますと、自分が長い間生きてきた経験上から、独り善がりな談話をすることになって、時には予言めいた話をすることになりがちです。これだけ早く流れ去っている時代背景をもって、経験談は過去のものになってしまい、これから反映される次世代には通用されない気がしています。ものの価値すら、一昔と二昔では大きく違ってきていますし、損得や善悪の判断基準であっても、基準軸がぶれてきているように感じています。時々の世界情勢や自然環境とか、時には交際情勢による不穏な関係から、ガソリンを始め穀物や貴金属の価格が大幅な値動きをして、全ての国々の経済状況に影響を及ぼす連鎖的な関係になっています。自分の身に起きている様々な艱難辛苦のできごとも、すべての結果は自身がもつ責任から起きていることを弁えて、しっかりと対峙をすることから、すべての解決が始まると思っています。心にすることは、常に人様への思い遣りと気配りを心にもって、自身を奢ることなく謙虚に生きることこそが、将来の栄華に繋がってくれることを信じて生きたいものです。闇雲に短絡的な人生でなく、じっくりとゆっくりと自身を見つめなおして、どんな人であっても、公平平等な様をとるように心掛けてみたく念じるだけです。不平不満は横において、時風に流す大きな心を抱き、常に心の中や腑の中には余裕をもてる心構えをしてみたいのですが、なかなか、言うは優しく行うは難しい言動になってきます。いまほど、人様からの厚情を頂きながら、迷惑をお掛けしている恩返しを考えているのですが、自分の不徳の至らぬこともあって、一朝一夕には万事が上手く解決できない状況があります。せめても、心構えだけは確りと大人になって、心構えを平身低頭にしなければいけないのだと、一生懸命に言い聞かせているのですが、いまだ達成至らぬ環境に、自身の能力の無さを嘆いているところです。不平不満は横においておく効果が出ることを期待して、毎日を心優しくして、世の中や人様への心配りを念じている結果として、何時の日か、心和むホッとする環境が現れて享受できるのかもしれません。日々新たに謙虚に素直に優しくあれと、自身に激をとばしながら、家族の安泰の役割を果たしてみたいものですし、御世話になっている方への恩返しをしなければいけません。艱難辛苦の生活から抜け出せる、輝かしく暖かな朝日の差し込む日が間近になっていることを信じて、心の中から手を合わせて、その時を静かに待たせてもらい、全ての願いや思いを実現させたいものです。
2009.11.02
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爽やかにすっきりしていた秋空が、急激に変化をして、突風が容赦なく吹きつけてくれるのですが、窓ガラス越しになる屋内にいると、すっかり温室気分の暖かさを豊かに受けて、ぽかぽか陽気のありがたさを楽しんでいます。今日から11月を迎えられて、おかげさまで家族が元気に顔を合わせることができ、愛犬二匹も仲間になって、穏やかな日曜日の一時を過ごせることは、とても幸せなことだと思います。昨日は我れが愚図な日常生活ぶりを曝け出してみたのですが、短期は損気の諺を思い出しているところで、もっとじっくりと物事に対峙をして、時には生まれ備わっている、強い運命を有益に活用させて、この年末からの厳しい危機を乗り越えてみたいものと思っています。昼食のあとにテレビを眺めながら、暫し日向ぼっこをしていたのですが、今日こそ松下幸之助さんからの学びを通して、元気や勇気を頂こうとして幸之助さんのことを調べるために、パソコンをいじっていろいろなサイトに入って覘くことをしました。パナソニックの会社サイトから、PHP研究所や松下政経塾のホームページに入り、暫しの間釘付けになってしまいましたし、改めて松下幸之助翁の先見性と偉大さを知り、政治とは確りと対峙をしても、政治家とはまったく距離感をおいていることが、誰からも尊敬できる、求心力をもった偉大さを表現されているようです。松下政経塾では、自修自得の積極性や現地現場をして自分で直視しての判断力を心がけて、自身が切磋琢磨する自主性を学ぶ場にしていることが、もの凄い自己責任の大きさを学ばせていることです。何事も孤高になって自身を磨き上げることがあるから、人生の栄華を掴み取ることができることを、まずもって納得しなければならないことを知らされました。松下政経塾の紹介あった次の言葉が気に入ってしまいました。純粋な願いと自分を常に客観視できる冷静沈着な判断力。 理想の実現に向けて努力する力強い行動力と忍耐力。 塾生にはこうした高い資質が求められます。 松下政経塾は困難な時代にこそ、身を挺して新しい未来を創造していく力を持った有為の青年を待っています。以上のようにサイトには案内が書かれているのですが、何十年も前から幸之助翁の偉大な思考は多くの方々の指針にどれほどか素敵な言動を提供してきたのか、経営もさることながら、心ある人間性の向学にむけて、精神的である心の大切さを、誰にでも分かりやすく紐解いて、主張された方はいないのではないでしょうか。時代を超えていつの時代にも共通する、人間性の豊かさを求める姿勢は、個人個人の学びの姿勢に相通じる基本ですし、一人でも気づきの有意義さを身に付ける尊さを協調できるからです。自身の年齢には関係なく、いつも学ぶ尊さを養うことを、自ら率先して実行できることを心がけて、流れる時代の先端を評価して、時代の移り変わりに応対できる心の余裕を身に付けてみたいと思っています。寛容の心をもった人間性豊かな包容力を、家族の思いやりを通して広げていけたらと、永久の人としての神様である、敬愛する松下幸之助翁からの学び取りに、精を出せたらと素直な心にさせているところです。
2009.11.01
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