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1月も今日で終わり。「一月往ぬる二月逃げる三月去る」というが、どうやら今年もかなりの速さで一日が過ぎていきそうだ。なのに例の心配事の件で、身動きが取りづらい。“仕事初め”もいつになるか分からず、他の継続していた物事も取りやめて、時々買い物とウォーキングに出る程度で家に籠りがちな日々。そうじゃなくても揺らぎがちな年頃のせいで、気持ちが塞いでしまいそうな時期なのに。だからなんとか気持ちを高めるべく、好きな音楽や映像、本、TV番組等に浸る時間を多くしている。あとは爆睡。「ちょっとうたた寝」のつもりが、ガッツリ寝てしまってる。ま、この先起きるかもしれない“闘い”に備えて、今は充分過ぎるくらい体も心も休められるだけ休めておこう。******ところで年明けたくらいから“また”、このblogの過去記事のアクセス数がグンと伸びている。去年辺りから時々そういう現象が繰り返し起こっていたのだが。この1月も日によってその記事だけを目的に辿り着いている方達がいるようで・・・その記事のアクセス数が一気に跳ね上がる度、前々からとても気になっていたのだが、誰か親切なお方、この記事を書いた私に教えてはくれないだろうか? このblogにどのように辿り着いたのかを是非に!!2019年の12月に書いた藤井風の記事なんだけども。何かで偶然知って、少しの興味でやって来てくれたものの、“読んで時間の無駄“だったと感じさせてしまってたら・・・スミマセン💦 実はあの記事、当時私が“某音楽誌に趣味で投稿”した原稿のモトになったもので・・・しかも当時毎月何本も投稿して採用になっていたのに、この藤井風の記事はボツになってて。だから本人的には“汚点”になっているのだ。その元原稿を読んでくれている(読む前に去ってるかもしれないが)人が、時々増えることに嬉しさを感じる反面、恥ずかしさを感じてしまう。今までもアクセスが増える度、問いかけてみたけど誰もコメントを残していないので、何も知りようがない。ま、答えがないのが答え(藤井風の名前につられてやって来たけど、読むに値しない)ってことだよな。そうだと分かっても、やはり気になってしまう。何故ってかなりの年数このblogやってる中で、一番数を集めているんだもん。藤井風の名前に引かれて寄ってくださった方々、ありがとうございます。それなのに何も大した情報、なくて申し訳ない。でも、せっかくなので何か一言コメント残してもらえたら・・・嬉しいです(てか、そろそろアクセス数が突然伸びる謎を解きたい)。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「131で愛妻の日、らしいよ。」祝✨メジャーデビュー2年♪いい意味で垢抜け過ぎないで里庄町の風を纏い続けていてほしい。
2022.01.31
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とりあえず、ひとつめの山は越えた。今の状態を悪く捉えず、できるだけ好いことだけを考えよう。世の中がこんな大変な時に、こうして多くの人の手を頼れるだけでも恵まれていると思わねば。「ありがとう」の言葉、感謝を素直に口にした方が『人生の幸福度』は高まるらしい。どうしても一度考え始めると、クヨクヨはしてしまうけどネガティブな感情は今は捨てて。暗闇の中に光を見つけられるように。負の中から良い点を探そう。ただひたすらに、“好い”イメージだけ思い描けるよう。この選択は間違いじゃないのだから、今目の前に在る出来事や選んだ道を信じ、一歩一歩進んでいこう。そして人の話に耳を傾け、その温かい心を無駄にせず有り難く受け取り、進むべき道の指針にしよう。長くて暗いトンネルの向こうには、柔らかな春の青空が待っていると強く念じたい。私の出来ることは限られるけど、絶対に諦めたりしない。きっときっと今よりよくなる。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「最近うまぴょい伝説、脳内リピ率高い。サビ限定で。」目的地到着した時、私の猫式の挨拶にサイレントニャーで出迎えてくれた🐈
2022.01.27
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例の“心配事”は、日に日に変化を見せている。それが好転なのか暗転なのか、進んでいる方向がどういう答えを出そうとしているのか、今はさっぱり分からない。考えられるふたつの答えについて、あれこれ考えてみるがどちらの結果になっても、これまでの私の暮らしとは別のものになってゆくのだろう。その問題について、少しでも手を加えたいというか私のできることをできる限りしたいのだけれど・・・新型コロナの感染拡大が止まらない。第六波がそのうちやって来るのは覚悟していたが、まさか再び医療機関を始めライフラインに影響が出るほど悪化するとは↷↷第一波から一部を除き多くの人が様々な事を我慢して、乗り越えて来た苦労が水の泡。ニュースを観ても、気が滅入る情報ばかりで・・・新型コロナが終息してくれないことには、私も身動きが取れず、毎日本当にもどかしい。今日、気分転換も兼ねて数日ぶりに買い物に出た。冷たい風は吹いていたけど、天気は気持ちの好い晴れで。なのに入ったスーパーで、不快な気分に。そんなに広くはないフロアで、有り得ないくらい大袈裟にクシャミをする声が!入店したときからずっと聞こえていたので、その声の聞こえる側を避けながら用を済ませた。そしてレジに並ぼうと向かったら、隣のレジ待ちの列からあのバカデカイ声が!コントで芸人が酔っ払いのおじさんを演じる時にやるような派手なクシャミ。それを“わざと”周りに聞こえるように何度も何度も繰り返す男。パッと見30前後?薄いマスクを一応しているようだが、それがたとえウイルスガード機能付きであっても、飛沫はマスクをすり抜け半径3mは飛ぶ(※過去何度も経験済み)。それを知ってか知らずか、彼は明らかに“周りを脅かすために”わざとやってるようだ。彼が体ごとハクション!とする度に、レジ周りに緊張感が走る。もちろん彼の後ろに並ぶ客もいない。ひとしきり周りを脅したら“満足”したのか、レジから先はおとなしく、そのうち黙って出て行った。さっきまで連発でクシャンクシャンやってたのが嘘のように存在を消して。ただの風邪かも知れないが、かなりの鼻水とクシャミの量に感じた。あれは本当にどこか具合の悪い人なんだろう。オミクロンは風邪と区別がつきにくいと聞く。まさかとは思うけど・・・あれだけ“暴れ”た彼は、何かしらのウイルスを撒き散らしてるかもしれない(怖)。「俺コロナ」と言い出す輩が、最近もいたみたいだが、彼がいつか言い出すのではないかと。あの場に居た人は間違いなく思っていただろう。いつもの活気が、彼のクシャミの瞬間ピタリとなくなったから。ああいう迷惑な人が居るうちは、まだ収まらないのかもな。コロナ禍になって私は、自分の仕事もプライベートも多くの事を我慢して、多くのチャンスを失った。何かをしようにも、進むより諦める方が当り前になってしまった。今も“心配事”を抱え、悶々としながらも自分に何度も言い聞かせている。事実を受け容れ、ひたすら耐えるようにと。コロナに心配事に・・・etc.思いがけず色んな障害物が目の前に現われて、自分の進む先が前なのか後ろなのか時々分からなくなる。どんな事にも揺るがない強い心と頼れる羅針盤が、今は足りない。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「最近のアイドル、目の下の涙袋大き過ぎるし黒すぎん?」せめて癒やされる動画でも観ないとな。
2022.01.21
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2022年最初で、今年最も“地球から遠い“と言われる満月『ウルフムーン』。この時季に繁殖期を迎え遠吠えする狼。その名前が月につけられた背景には、ネイティブアメリカンにとって“神聖な存在“として帰依する想いもあるらしい。仕事が暮らしのほとんどを占めていた編集者時代。ヘトヘトに疲れて都内の狭いワンルームに戻ると、ベランダとは言えないくらいの狭い場所に出て、遠くに見える都会の夜景をよく眺めてた。九州の田舎で育った私には、深夜でも明るすぎる町だったけど、そこからの景色が気に入っていた。遠くにぼんやり浮かぶオレンジがかった街の灯り。それと同じくらいキレイに広がる頭上の夜空。“満月“の日は、なんだかテンションも上がって、体冷えるくらいずっと眺めていたものだ。都会からもっと離れた今の家に住んでから、さらに月をキレイだと感じるように。角度によっては、我が家のリビングの床に座りながら見えるので、見始めたら延々と見てしまう。月を見てると日々の疲れや負の感情が洗い流される気がして。今の時季は寒いので、あまりバルコニーに出っぱなしってわけにもいかないけれど・・・皆が寝静まった深夜にソロリと表に出て、ツンとした夜の空気と月の光を時々纏いたくなる。******新年明けてまだ大して時間が経っていないのに、突然“心配事”を抱えてしまった。昨日はその話を聞いて直ぐは頭がパニクった。けど徐々に心を整え、自分のできる事を優先順位付けながら夢中でやってるうちに日が過ぎた。お風呂に浸かり熟睡もして、疲れを残さず朝を迎えられたけれど・・・ひとりになると考える。今、私がそのために何かをしたくても何も効果がないし役にも立てないのに。自分の無力さと、これまで後回しにしてしまった“後悔”に今日一日分、打ち拉がれながら。そんなことしてても、本当に今は手も足も出ない。だから運を天に任せ、ただひたすら祈る。祈る、祈る。苦しい時の神頼み・・・ではないが、この際、今夜の満月にも願いをかけよう。まあるいお月様・・・年明けにコレはキツいです。どうかどうか。例の件が好転してくれますように🙏★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「海行って腹から叫びたい。」今の自分に歌詞が効く。
2022.01.18
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今日は朝からラジオで『大学入学共通テスト』について、やたら語られていると思ったら。次の土日に迫ってるんだね、本番が。遠い遠い昔。私が受験生の頃は『共通一次試験』を受け、その結果を基に二次試験となる本試験へと進む制度で。共通一次を受けた記憶はすっかり消えてしまったが、二次試験の事はまだ色々と覚えている。同じ大学を受ける仲間や引率教師の顔、泊まったホテルでの事は忘れたけど、当日の空が晴れていたことや会場に入るところの緊張感あるシーンを、今も思い出せる。両親や教師の多い親族の願いもあって、高校時代までの私には『教師』になるという“選択肢”しかなく。理数系がとんでもなく苦手なのに、五教科を学ぶべく『国公立』向けの受験勉強を苦しみながら続けてた。そんな調子だから、どんなにベストを尽くしても“奇跡を起こせる”ハズもなく。そのキャンパスで過ごす生徒にはならなかった。尊敬する英語のN先生がその大学の出身だからと、“なんとなく”で受けた私が悪い。そんな浅い理由で受けるとか、大学側にも第一志望の受験生にも失礼だもん。ま、その“負の経験”があったのでかえって開き直れて、自分の中で長年ふつふつ湧いていた想いを、親やクラス担任に打ち明けられたのかもしれない。私はみんなの期待を“裏切って”、『私立大学』への進学を申し出る。このエピソードは前にblogに書いたので省略。ギリギリのところで、突然の進路変更をしたけれど。しかも行ったこともない東京を目指す場所にして。とにかく“必死”に頑張った。東京で将来『遣りたい事』があったから、全力で試験に取り組んだ。もっと早く進路変更できてれば、“本当に自分の行きたい大学“を目指せたかもしれないという後悔も、正直ある。尊敬するN先生が、都内の3つの大学の推薦を提案してくれていた時期もあったから。あの時、親の想いに逆らえず、実家にできるだけ近い場所に在る『国公立志望』と言い続けるしかなかったのが悔やまれる。もしも人生遣り直せるなら、大学受験の進路を決める場面に戻りたい。でも。当時の私の“精一杯”は、あれが全てだったんだろう。運良く入れた大学では、人間関係に恵まれながらも、一部の人間関係で“人間不信”になるなど、勉強以外で悩みもあった。それでも、あの大学で勉強だけでなく多くの事を学べたから、その後の私の“夢”に繋がったのだと、今は納得している。大学受験で決して“成功者”とは言い難い私だけれど・・・受験生の皆さんへ言えることがあるとすれば。どうかこれまでの日々頑張ってきた事の全ての努力と想いを試験で出しきって!○でもそうでなくても、そこで終わりじゃない。その先に何が待ってるか誰にも分からないのだから、どんな結果であれ恐れず、前に進み続けてれば、自ずと道は開けると信じて。曲がりくねって凸凹な私の道でも、己を信じて進んでいけばちゃんとひとつの“夢”に辿り着けたから。素晴らしい未来への一歩、自信を持って踏み出せますように🙏ふぁいとー💪💪💪★ ★ ★ ★ ★今日のふたこと。「バブル期を彷彿させるオーバーサイズのジャケット。カッコいい芸能人が着てもダサく見えるな。」好い声だなぁ。・・・にしても、難しい歌。
2022.01.13
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最近何故だか“ルーツをたどる”番組が目につく。そのきっかけとも言えるのが『ファミリーヒストリー』なのだろうが。2008年から今も続いているのだから、評判がいいのだろう。“個“を大事にする今の時代に、わざわざ自分ではない人のことまで遡っていくのは、時代に合わない気がする。でも、たまにしか観ないが、観るとなかなか面白い。取り上げられる芸能人の“今”に繋がる“何か”が見つかるから、興味深い。それを観れば、生きてきたひとつひとつに意味があるのだと思う。今自分がこの世に生かされているのも先人の生きた証があってこそ、なんだなぁとかしみじみする。そう言えば、暮れの『紅白』でもF山M治が似たようなことを熱く語ってたなぁ。私もこの前、ローカル紙のエッセイで興味深い記事を読み、急に『自分のルーツ』を辿ってみたくなった。なぜなら、そこに書かれている人物が、私の母方の家系とず――――っと前の時代で“繋がって”いるのが判ったからだ。その人は、私達夫婦が終の棲家に選んだ辺り一帯をテリトリーにしていた。更に私が以前趣味にしていたことと関連する仕事をしており、意外な“共通点“にも驚いた。十数年前に都会を離れ、縁も所縁もないこの土地に何故か惹かれて住みついたけれど・・・もしや“呼ばれた”のかな?なんて二人で話し勝手に納得している。その情報を得たので、ますますルーツが知りたくなった。母や亡き父からそれぞれの家系がどういうものかは、これまで雑談の中で聞いたことがある。だからそれを手掛かりにしつつ、ついでにダンナの家系の情報も加えて。仕事依頼がないのをイイコトに、ひたすらネットサーフィンで日が過ぎる。それにしても「あなたのルーツ探します」「家系図作ります」的な商売のなんと多いこと!! ま、私はそれに頼らずに『謎解き推理ゲーム』感覚で、気の向くままにのんびり調べていくけども。既にうっすら判ってきた。ビックリだったのは、私の家系とダンナの家系が、一人の『歴史上の人物』で同時期に“繋がって”いたことだ。その人の周りでその人の仕事に関わったというか・・・夫婦共に或る人のばっちり“関係者”だった。特にダンナの方は、その大物の家族と血縁が・・・うす――――い繋がりだろうとダンナは言う。それでも、その家の男子が代々名乗ってきた名前の一部(下の名前の漢字一文字)が、お爺さんまで確かに受継がれている。過去に二人でその人との繋がりを確かめるために、所縁の土地を旅したが家紋も同じだった。ダンナが漢字一文字を継いでいないのは、“我が道を行く”奔放な曾お爺さんが嫌がったため、らしい。そういうわけで、曾お爺さんの孫(ダンナ実父)から後は“無関係”の名前がついている。そういう“裏話”を聞くと、真実味がある。今回調べてみて、あれこれと“私がココに居る意味”のようなものを感じることができた。私があれを趣味に選んだのも、この土地に故郷のような居心地の良さを感じてしまうのも、ダンナと出会い結婚したことも・・・すべてが過去から導かれた結果だと考えれば、私の進む道が間違ってないという気になれて、なんだか心強い。余談だが、母が姉妹のように仲良くしているMさん。父とも関係は良好で、一度だけ三人で旅行したことが。その時、ある展示場に飾られていた“家紋”を見て、Mさんと父が同時に発した言葉に三人は驚いたそうだ。「あら、家紋が一緒や」そう、Mさんと父の家の家紋が同じで、某人物の家紋とも同じだったのだ。三人は互いが何故親戚のように親しくつき合えるのか、その時すごく納得したと嬉しそうに話してくれた。その後、間もなく父は亡くなった。滅多に旅などしない父が、母とMさんと何故ふらっとあの場所を訪れたのか不思議だ。ルーツの話というと、父のルーツが判った最期の旅のこのエピソードを思い出す(そして今日は父の誕生日)。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「七草食べた?」評判が良いので機会あったら観てみたい。
2022.01.07
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西洋占星術の世界では、2020年12月22日から『風の時代』に突入したらしい。それがナント200年も続く、という。つまり我々現代人の誰もが、既にこの時代に生きているわけだ。『風の時代』については、以前から何となくは耳にしていたものの・・・どういうものか気にもしていなかった。けれど「200年に一度の転換期」とか知っちゃうと、急に有り難みを感じる。特別な時代を生き始めたんだなーと、ちょっぴり意識したりなんかして。『風の時代』は、個人の自由や多様性が求められるフレキシブルな時代。兎に角、これまでのように財力や権力が物を言う世の中は、一年以上前に終わったのである。******2021年の大晦日。何年ぶり否、十数年ぶりくらいに『紅白歌合戦』をわりと真剣に観た。私が音楽業界に居た頃は、『紅白』関連も仕事の一環だった。その時代はまだ『紅白出場』にも大いに価値があり、歌手にとって“神聖”で目指したい場所だった。だから記者会見に行くと出場歌手の意気込みがガンガン肌で感じられ、会場に何とも言えぬ緊張感が漂ったものだ。全盛期の『紅白』は聴衆を惹きつける力があった。番組を作る裏方にも唄う側演奏する側にも、“生放送”ならではの緊張感や情熱があって。迸る汗、息遣い、鼓動が画面からも伝わってくる熱い“歌番組”だった。いつからだ? “見た目”重視のおかしな番組に成り下がってしまったのは。随分前から『一年を締め括る歌の祭典』の意義を見失い、口パクは当たり前。自分の楽曲で勝負しない。歌よりも寸劇や隠し芸、巨大セット化した衣装がウリに。そんなのがダラダラ何時間にも及び繰り広げられるだけで“歌合戦”の体をなさない。『紅白』を観る人が減っても、世の中の音楽の聴き方が変わったことを言い訳にして、高い受信料を払う視聴者の思いを汲もうともしない。様々な力関係で出場者が決まり、偏った顔ぶれのパッとしない歌を聴かされ続けても、そりゃわざわざ大晦日の貴重な時間割いて観る価値はないわ。そういう番組製作の態度に嫌気がさしていたのだが・・・『紅白』に藤井風が出るというので、ザッピングしながらではあるが、初めから最後まで視聴してしまった。******“歌以外が目立った”頃の番組構成と比べると、今回のはシンプルでマシなのかもしれない。司会者三人は多すぎるのと、審査員と紅白分けはもういいよ。それと今時のムーブメントを意識して、意味不明な宣伝っぽいコーナーをねじ込んだのは、要らなかったなー。舞台セットが生花で彩られたこと自体は、やや地味だけど悪くなかった。ただし、有楽町某所がメイン会場になったのは残念。『歌合戦』なんだから、せめて音響にはこだわろうよ? そういうとこに出るんだよ、作り手の本気度が。それに、やっぱり“口パク”や“歌唱力の低さ”が気になる。歌唱力を自慢とする演歌歌手も持ち歌を唄わず、歌以外のしょーもない事を取り入れるのは謎。『紅白』という一番の見せ場で、自分の歌を何故精一杯唄わない? カバーなんかオリジナルに叶うわけがないじゃん。踊りだけの人やカラオケレベルで聴いてられない時は、思わずチャンネルかえた。たとえ上手くなくてもヒットがないにしても、一年唄ってきた成果を最高のパフォーマンスを全力で見せるべきじゃないの?その前に話題性もないのに飛び道具だけで出られちゃうのが何より問題だ。そんなツッコミを山ほど入れながら、待ちに待った藤井風の出番。YouTube出身の彼の原点を想起させる演出は、まあ良い。歌番組初登場にもかかわらず、いきなり特別扱いなのは引っ掛かったが、サプライズ感を出したかった演出は解った。それに大スター達の中で物怖じせず役目を果たした姿には、感心した。しかし『紅白』が完全に終わった、藤井風が終わらせたと思った(モチロンいい意味で)。藤井風の紅白出場により、その直前まで舞台上で起きた事のすべてが吹き飛んだのを感じた。躍動感あるピアノ演奏や表現力豊かな歌唱力、方言丸出しの飾らない性格・・・藤井風の素のままの魅力が生々しく全国に流されたことで、『見せかけ』で許されていた出演者のパフォーマンスが急に陳腐になった。僅かデビュー二年目の、素人っぽさの残る方言丸出しの気のいい兄ちゃんが、紅白の大舞台で“ホンモノ”を見せつけてしまったのだから。それも大して着飾らずとも色気やオーラが溢れ、誰より目立ってる。これではもう、口パクや特技や豪華な衣装や容姿で誤魔化す『紅白歌合戦』は通用しない。藤井風が魅せた紅白らしからぬ世界観のインパクトは破壊的。私には彼が鍵盤を叩き唄う度に、72回も続いた『紅白』がぶっ壊れてく音が聞こえた。もしや局側が藤井風の破壊力を借りて錆び付いた『紅白』のイメージを覆したかったんじゃないのか?とさえ疑うくらいに。そんな彼の余韻消えぬまま、直後に登場したYOASOBIは災難だ。しかし、幾田りらも負けてない。彼女は必死だった。歌は上手いから、ナンとかテンションを落とさずYOASOBIの魅力を伝えられたが・・・藤井風の後から番組の空気は完全に変わってしまった。今回面白かったのは、一部のベテラン勢の揺るがぬ歌声は別として、動画等で注目された歌手の方がTVをメインに活躍する人より生放送に耐えうる歌力があると分かったことだ。YOASOBIは言わずもがな、例えば“まふまふ”とか。『紅白』に対するリスペクトが全身全霊を傾けて唄った姿から伝わり、カバー曲でも非常に好感が持てた。サブスク世代に支持されるアーティストは、事務所頼みのアイドルと違い、メジャーになる前から厳しい目に晒されているのが効いてるのかも。そこで充分に鍛えられてる分、クオリティが高め。それがよく判る『2021年紅白』だった。もし2022年も『紅白』があるならば、出場者のハードルが更に上がってしまうだろう。今後も懲りずに『歌合戦』と名乗り続けるのなら、自分の歌を心こめて唄える“歌手”を、出場させるべきだ。アイドルも演歌歌手もそれ以外のジャンルも、あの程度の『学芸会』で満足しないプロとして歌で人を感動させられる実力者に限って。大きなパラダイムシフトが起きる『風の時代』に、まさにピッタリな藤井風。この前の『ねそべり紅白』配信で彼は、『藤井微風(そよかぜ)』で行くと新年の抱負を語ってた。本人はそのつもりでも、受ける側の風圧はいちいち凄いものになりそうな予感。これからの音楽界に一石を投じる存在になるのは間違いない。******『紅白歌合戦』はオワコン。そう言われ始めてだいぶ経つのに、ここで新年早々私は何の役にも立たないことを書いてしまった💧 でも今年最初に引いたお神籤には、こう書いてあったので、それを心の支えにこの一年生きていくと決めた。出来ることを増やすより楽しめることを増やせば なお楽しい 考え方次第で運気は上がる笑顔をたやさず カリカリせず 前を向いて今年もめいっぱい好きな音楽と活字の海に溺れたい。今日の雲ひとつない空のように2022年がそれぞれにとって 素晴らしい一年となりますよう🙏 ★ ★ ★ ★ ★今年最初のひとこと。「猫猫猫と念じて初夢は笑えるやつを期待したけど、熟睡してしまった😂」鍵盤壊れそうなほど打楽器みたいに弾けまくるピアノの弾き方好きよ。演歌歌手もカバーやるならココまで自分のものにしないと。
2022.01.04
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